【秘密のケンミン某的】北陸甲信越娯味箱63杯目【今日も定点観測】

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334雪ん子:2012/05/15(火) 17:53:19 ID:XgoHjfyA
>>329
時の宗教と思想は民衆心理研究には欠かせないものですから
特にいつの時代も最底辺層にあたる人を救済することになるのが
その時代の新興宗教でしょ。
キリストの出現と勢力の拡大もそれだけ原始ユダヤ教を信じる人が
とてつもなく救われない次代でもあったことから。
常に新興宗教と信者の暴動、冤罪はセットになっているんですわ。

>>330
それは明日にでも。今から晩ごはんの準備+今夜はTVドラマも見るので
そこはご勘弁を。
335雪ん子:2012/05/16(水) 14:32:47 ID:dq50m49A
ではいきますぞ
「神との契約」とは、旧約聖書、新約聖書に書かれ聖職者が語ることを
まったく疑わずに一方的に信じなさい、それを守らないとどうなっても
知りませんよという約束のこと。

で、いわゆるユダヤ人の始まりと旧約聖書が生まれるにいたる歴史は
以下の通り
民族の始祖アブラハムが、メソポタミアのウル(現在のイラク南部)から
部族を引き連れて「カナンの地」(現在のイスラエル、パレスチナ付近)に
移住したとされる。彼らは「移住民」という意味の「ヘブライ人」と呼ばれた。
この付近で遊牧生活を続けたヘブライ人は、紀元前17世紀頃カナンの地から
古代エジプトに集団移住するが、やがてこの地で奴隷とされる。その後、
エジプトのヘブライ人指導者モーセが中心となり、エジプトからシナイ半島に
脱出を果たす。彼らは神から与えられた「約束の地」と信じられたカナンの地
(今のパレスチナ)に辿り着き、この地の先住民であった人と、長年にわたる拮抗の
末地に定着できることになった。この頃から「イスラエル人」を自称するよう
になる。紀元前10世紀頃、古代イスラエル人はヤハウェ信仰(ユダヤ教の原型)を
国教とする古代イスラエル王国をカナンに建国したが、ソロモン王の死後、
紀元前930年頃、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した(「ユダヤ」と
は元来、ユダ王国のあったパレスチナ南部を指す)。北のイスラエル王国は
紀元前721年にアッシリアによって滅ぼされ、さらに南のユダ王国は紀元前
586年に新バビロニアの侵攻により滅亡、多くの人民が奴隷としてバビロンに
囚われた。彼らはユダ王国の遺民という意味で「ユダヤ人」と呼ばれるように
なった。アケメネス朝ペルシアによる新バビロニア王国滅亡に伴い、捕囚の
ユダヤ人は解放されエルサレムに帰還し、ペルシア帝国の支配下で自治国として
統一イスラエルが復興された。ユダヤ教の教義も、この頃にほぼ確立された。
そこで国として安定し、いわゆる旧約聖書が出来たのがこのころ。
彼らのそれまでの歴史、今後の生き方をまとめたのが旧約聖書と思っていただいて
宜しいかと。
336雪ん子:2012/05/16(水) 14:54:25 ID:dq50m49A
この、旧約聖書はユダヤ人にとって正典となった。その後イエス・キリストが
現れ、この聖書の教えを一部良しとせず独自の考えを持っていった。そして
弟子がそこに付き、しだいに民衆の間でも受け入れられ、一つの勢力を持つに至った。
以後>>326に戻る

その死後残された弟子たちはそれぞれ宗教指導者となり弟子を得、100年近くを経て
それぞれが経典を作っていった。これがキリスト教各派の始まり。
各派の宗教者、弟子、信者らはそれぞれ独自の新しい神の教えを守っていく
=新たな信仰の始まりとなった。そこでも新たに経典が出来た。その経典をして
新約聖書と云うようになった。対し、旧約聖書というものはユダヤ教には通じず、
キリスト教関係者らのみに通じる言葉であった。なおのキリスト教は、ユダヤの
人が経典とするそれまでの経典(旧約聖書)と新約聖書の両方を必要とする宗教に
なった。ただ、このころは印刷機などこの世になく、宗教関係者らがすでにある
経典とされるものを写しそれを弟子たちが使うというこの繰り返しで、そこでも
新たな解釈が生まれ、さらに新派が生まれることにもなった。この間千数百年に及んだ。
それまでに国は滅んでもキリスト教はほ滅ばず、むしろヨーロッパ大陸において
一番の政治的支配力となり、繁栄することとなった。
337:2012/05/16(水) 14:54:47 ID:ItEwuORQ
とてもサンクス
Old Testment は荒唐無稽難解なコミックをナナメ読みな気分

まだまだ知りたいことはあるが 少しずつ・・
急ぎでないから シオニズム発生について知りたい

追記 ユダヤ人は今でも迫害と言われたがウヲールStを我が物顔で歩く
   カッパの帽子かぶった連中は 世界はオレのものと信じているように見えた
338雪ん子:2012/05/16(水) 15:06:51 ID:dq50m49A
マルティン・ルターはそんな中で出てきた
それも地元領主の加護もある神学者として台頭した人だったんですわ。
特に、元修道女と結婚したことで後のプロテスタント教会における教職者、
牧師の結婚という伝統も作った。それだけ変わり者でもあった。
そういう宗教伝統の改革の中心人物となったことで後にそれまでのキリスト教
会から分離独立し、プロテスタント教会というもが出来た。またそれまで
通りの伝統、教義をかたくなに守る派はカトリックと呼ばれる派となった。

これで今日は宜しいか
339雪ん子:2012/05/16(水) 15:14:41 ID:dq50m49A
シオニズムについてはここを参考にされると宜しいかと
ttp://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hd/a6fhd200.html
(実によくまとめられています)

この19世紀というのは、西欧では、フランス革命の影響により自由主義と
ナショナリズムが広がったでしょ。19世紀初頭のナポレオンの興亡や反動的な
ウィーン体制、数々の市民革命の勃発の後、ナショナリズムの高揚によりドイツ、
イタリアなどの新たな統一された強力な国家が登場してますがな。当然他の諸国
にもこのナショナリズムが広がり、その反動で各地でユダヤ人は排斥されるという
ことになった=それに対しユダヤ人がとったのがシオニズムと理解していただく
ことを願います。
340雪ん子:2012/05/16(水) 15:30:14 ID:dq50m49A
同時期のヨーロッパは、産業革命もあって、貧困労働者はより一層
困窮となった新たな格差が生まれたこともこのナショナリズム運動を
後押ししたことも認識しておいてくださいな。
341& ◆99SFCOY8DY:2012/05/16(水) 15:32:28 ID:ItEwuORQ
テラサンクス
    エラ氏流の理解の仕方が知りたかった

思うに 団長はシベニズム オレも含めてファンはシベニスト
というところか・・・
342雪ん子:2012/05/16(水) 16:04:28 ID:dq50m49A
私の世界の理解のあり方、その基本は
平凡社世界大百科事典に記載されている情報を元にしたもの。
そこに現代用語の基礎知識、文芸春秋、中央公論など
総合雑誌に載る論文とその著者の世界観が元。

平凡社世界大百科事典については当22歳の年齢をしてほぼ全部網羅。