■□福井県のスレッドPart15■

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851雪ん子:2011/10/21(金) 08:58:09 ID:9Hlb5Uhw [ ntfkui024003.fkui.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp ]
>>849
敦賀市の場合、現在取り組んでいる敦賀市駅前再開発事業のひとつとして
建設が予定されている駅舎とかの事案の今までの経緯を振り返ってみると
良いですよ。
まず計画と用地があって、そこにどんな箱を作りたいとして計画、
コンペで民間に募集、選定、市民に公表、議会で予算をつける、そして実際に
建設、竣工、開所、市民が利用に至るまでのことを。

その間に 敦賀市役所のロビーとかで駅舎の完成予想模型を展示し、
市民に広く見てもらった期間があったはず。また計画の段階で、市議会議員とか
地元住民から選ばれた専門の委員とかがその計画プラン、図面に目を通し、協議
をしていたはず。(たいていそういう作業をする)

その協議、審査の段階で(本当は)問題がないかを洗い出すわけ。
関与することになる人の知識、経験が豊富な人ほど精査力が高い
852雪ん子:2011/10/21(金) 09:04:10 ID:9Hlb5Uhw [ ntfkui024003.fkui.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp ]
そういうプロセスが十分に高い質であったなら
地元の公共施設の利便性は比例的に高くなる。

障害者に対する後のバリアフリー化で、すでにある建物の改造をするにあたっても
このことは同じだそうです。またその箱で働く職員の知識経験にも
大きく左右されてしまうことも。
大都市圏ほどさまざまな事例がある、その数が圧倒的に多いことで、
自然とさまざまな人々の要望に応えられるという法則がありますね。
853雪ん子:2011/10/21(金) 09:07:33 ID:9Hlb5Uhw [ ntfkui024003.fkui.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp ]
また地元住民側の知識、経験も同じことが言えるのですよ。
人口が多い、より多くの目と考えがあるほど
そこでもまれて質の良いものができる。
反対に、住民側が持っている知識、経験が限られるほど
手がけるものは足りないものばかり、問題ばかりのものになるのだとか。
 いわゆる洗練されていないものでしかなくなる。
854雪ん子:2011/10/21(金) 09:19:52 ID:9Hlb5Uhw [ ntfkui024003.fkui.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp ]
福福井県民の一部の住民の間でその顔が知られている、
藻谷浩介氏とかのような地域エコノミストという人種の方々は、
こういうことを地域力、住民力のひとつとして評価対象にしていますね。

特にこの藻谷氏は、全国各地どこでも手がけている
まちおこし運動活動の有様を恐ろしいひど調べてきています。
まちおこしにかかわる人々の言葉、振る舞いまで評価対象にしているほど
です。ある意味その地域力、住民力はまちのさまざまな物事にも連動して
いるのだとか。
人がかかわるだけ、その人たちのモノサシが強く反映されてしまうことから。
 
まちおこしひとつとっても 一種の住民の鑑 と化しちゃう ということですわ。