埼玉の(地図上の)中心▽東松山▽その83

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64利根っこ:2013/10/11(金) 02:27:46 ID:QIQZS3xg
我々は、物質にばかり関心を持ち、目に見 えないものは存在しないと見なす愚を犯し てはならない。 かといって、物質を無視したり、軽蔑する だけでもいけない。 情熱と冷静さ、若さと老成、夢と現実、自 然とテクノロジ、これらのバランスを取り ながら進まなければならない。 阿弥陀如来にも未熟な時代はあった。しか し、額なら額、心臓なら心臓に、数百年に 渡って精神を集中することで、ごく初歩的 な精神の進歩を果たし、それからも、気の 遠くなるような長きに渡る訓練を続けるこ とで、遂には精神を完成させた。 だが、我々は、阿弥陀如来の願いにより、 ただ、彼の名を、「南無阿弥陀仏」と呼べ ば、阿弥陀如来の心に触れ、それと1つに なれるのである。 そして、いつでも、「南無阿弥陀仏」と念 仏を唱えることができるよう、無限の距離 を何の障害ともせずに、念仏の行者を完全 に守るのである。