1 :
シーベルφ:
神奈川の民俗・歴史について語り合いましょう。
狭い神奈川にも方言、風習(ドンド焼きなど)、民間信仰はさまざま。
歴史も有史以前から現代まで、豪族、城、合戦場だけでなく、
歴史上の人物に関する伝承、寺社の歴史、村の歴史、地形、各種遺構などテーマは沢山。
980を踏んだ方は次スレ立て依頼をしてください。
禁止事項
・差別問題に関する話題(特定の場所、民族・世代間への差別につながるもの)
・近代・現代以降の歴史認識に関する話題
・国際紛争、政治や宗教の細かい内容に関する話題
・現代の反社会勢力につながる話題
・個人情報に発展する話(歴史上の人物の現代における子孫なども含む)
※禁止事項についてはスレの展開次第で追加変更があり得ます。
2 :
神奈さん:2018/10/20(土) 01:29:51 ID:tSRpRMyA
生田緑地の神奈川県川崎市多摩区長尾
この長尾は「長い尾根」の「長尾」が由来なので
長尾景虎→上杉謙信の長尾氏とは無関係
長尾氏発祥の地は横浜市栄区長尾台の長尾砦
しかし、この長尾氏は1247年の宝治の乱で北条氏に敗れ滅亡したと伝えられる
その約300年後の上杉謙信に繋がるかは不明瞭
3 :
神奈さん:2018/10/20(土) 08:09:23 ID:VEjFDtEQ
長尾の町内に東高根の方から下る道に「喜津根坂」って交差点がある
「狐」をあてたんだろうかね
神奈川と上杉と言えば
里見八犬伝に里見家の敵役として出てくる扇谷上杉定正
ちなみにこの人の家臣には神奈川にも縁が深い太田道灌がいる
4 :
神奈さん:2018/10/20(土) 08:35:56 ID:tSRpRMyA
その太田道灌終焉の地で有名な神奈川県伊勢原市
扇谷上杉家の糟屋館(上杉館)に招いて殺害したとされるが
不思議なのは
太田道灌の本拠地は東京都千代田区の江戸城
扇谷上杉家の時の当主:上杉定正の本拠地は日本三大奇襲で有名な埼玉県河越城
扇谷上杉家の元々の本拠地は鎌倉市扇ガ谷
そして糟屋館(上杉館)の記録で出てくるのは太田道灌殺害時が初見
なんでワザワザ伊勢原に招いて殺害したのかが不明
5 :
神奈さん:2018/10/20(土) 09:06:48 ID:u9UyMXrA
その太田道灌つながりで一つ。
藤沢市大庭にある大庭城址。
大庭城は、12世紀関東平氏の雄、大庭氏の拠を15世紀になって太田道灌が本格的に築造し、その後小田原北条氏が改修したと伝えられています。
周辺に、駒寄、裏門、二番構(にばんがまえ)などの地名が残っているところからも当時の雄大な城が偲ばれます。
6 :
神奈さん:2018/10/20(土) 09:37:03 ID:z+sbK+sg
太田道灌は転戦してましたからねぇ。
鎌倉公方と関東官領上杉。上杉氏の内訌あたりはごちゃごちゃしててよく知りませんが
七沢城や実蒔原の合戦場とかも糟屋と近いですから、当時は要衝の地だったのでしょう。
もっとも実蒔原は、今は水車があったりするのどかな農地で、七沢も含めて
あの辺りを押さえておいても、太い街道があったとは思えないのでよく判らないですが。
7 :
神奈さん:2018/10/20(土) 09:48:45 ID:z+sbK+sg
大庭城もよくわからない場所です。
城としては割と大きいですし、遺構からも戦備えがしっかりしてたことは判りますが
後北条としては玉縄という拠点と近過ぎて、いったいどのくらい利用されていたのだろうと疑問が涌きます。
8 :
神奈さん:2018/10/20(土) 09:55:27 ID:u9UyMXrA
藤沢市大庭と鎌倉市玉縄、およそ10kmですね。
9 :
神奈さん:2018/10/20(土) 10:00:25 ID:z+sbK+sg
大庭城といえば、舟地蔵の伝説がありますよね。
大庭城を攻めた早雲が、周囲の沼地(というより水田)の水を抜く方法を老婆から聞き、
攻略法を知っているということで殺してしまったので、その供養のために〜という内容。
これが面白いのは、あの地蔵は岩船地蔵で、享保年間に突発的大流行した民間信仰によって造られた点。
突発的過ぎて信仰が根付かなかったようで、造られた理由も忘れられて、上記のような伝説が生まれました。
どこだったか忘れてしまいましたが、厚木あたりだったかでは洪水被害の人を供養したもの、と教えられた事があります。
10 :
神奈さん:2018/10/20(土) 10:10:23 ID:u9UyMXrA
11 :
神奈さん:2018/10/20(土) 10:32:22 ID:VEjFDtEQ
>>10なかなか興味深いリンク先です
リンク先にも載ってる川崎市多摩区と稲城市に跨がる位置にある小沢城
歴史とは関係ないんだけど
民主党政権時代、あることでちょっとだけ話題になりました
小沢城の麓に「菅仙石なかよし公園」があるんです
皮肉だよなあw
それはともかく
後北条氏の名将、氏康はここで初陣を飾った場所でもあるんですね
12 :
神奈さん:2018/10/20(土) 10:35:15 ID:z+sbK+sg
>>8そうなんです。
築城時期を知りませんが、大庭の後に玉縄で、大庭は利用されなくなったとかかなと思ってます。
事情は異なりますが滝山と八王子の例もありますし。
13 :
神奈さん:2018/10/20(土) 11:04:28 ID:rT9q8Cug
確か「義経」だと思ったが、司馬遼太郎が玉縄(鎌倉市大船付近)と甘縄(同市長谷付近)を混同していた
土地勘が無いから無理も無いのか
14 :
シーベルφ:2018/10/20(土) 14:20:20 ID:1f9Vmwfg
お話し中失礼します。
新スレたちました。
すで議論が進んでいるようですが、このスレはゼロさんと私の運営管理で初めて申請でたったスレです。基準を途中で改めたりといろいろご迷惑をおかけしましたが、無事にたって私もうれしく思います。
話題が専門的になりがちな議題でもありますし、歴史に詳しくないことで参加される人も出てくるかもしれません。住民のみなさんには十分配慮の上で進めていってください。
私自身は歴史に詳しいわけではないですが、管理としてできるだけ見ていきます。
みなさん、よろしくお願いします。
15 :
神奈さん:2018/10/20(土) 14:42:28 ID:u9UyMXrA
私は発起人でも賛同人でもありませんが、こちらこそよろしくお願い致します。
16 :
神奈さん:2018/10/20(土) 15:08:12 ID:z+sbK+sg
>>14基準の見直し等、色々ありがとうございました。
民俗ネタは歴史に詳しくなくても大丈夫なはずですので、ぜひご参加を^^
17 :
神奈さん:2018/10/20(土) 15:11:59 ID:z+sbK+sg
>>13甘縄にも堀切はありますし、司馬遼太郎の時代だと"鎌倉城(by赤星大先生)"とか
言われてたでしょうから、間違えても無理はないかも。
縄が付く地名だと、なんとなく検地が関係しているような気がしていましたが、玉縄や甘縄は関係ないみたいですね。
18 :
神奈さん:2018/10/21(日) 18:43:42 ID:eJ8FoOAQ
民俗ネタです。
お住まいの地域では、お盆の時に何を作るでしょうか。
1.キュウリと茄子に割り箸を差して馬と牛を作るだけ。
2.砂盛りなどを作る。
3.ただの砂盛りだけでなく、その上にワラとか竹とかで祭壇を作る。
4.上記以外。
色々なパターンがあると思います。
ちなみに2の砂盛りだけは藤沢や茅ヶ崎で見たことがあります。
これはスーパーとかでセットを売っていると聞いたことも。
3のもっと立派な祭壇は秦野では作っているのですが、現物はまだ見たことがありません。
19 :
神奈さん:2018/10/21(日) 19:20:21 ID:XOwtQqYg
20 :
神奈さん:2018/10/21(日) 22:48:03 ID:ByVOshLg
うちは仏教徒じゃないのでそういうのしませんが、
>>19みたいに箱に飾り付けして門のところにおいてあるのは近所でよく見ます@藤沢
竹のやなすきゅうりはあまり見ない。
ただ、7月にやる人と8月にやる人がいて、送り盆で片付ける人と1ヶ月くらいおいてある人がいたりで面白いです。
神奈川じゃないけど、母の実家の方ではそういうのまったくなかった。
21 :
神奈さん:2018/10/21(日) 23:45:04 ID:XOwtQqYg
お盆は元々旧暦の七月十五日頃に行うのですが
明治になって旧暦(太陰暦)から新暦(太陽暦)に変わった際に
政府から年中行事は新暦に変わっても同じ月日で行うように。とお達しが有ったので
旧暦の七月十五日頃に行っていたお盆は新暦の七月十五日頃に行うようになったのですが
農村部だと新暦の7/15頃は農繁期で忙しくお盆の支度なんてしている暇は無いので
今までどおり旧暦の7/15頃にあたる新暦の8/15頃に今まで通りお盆を行ってるそうです
22 :
神奈さん:2018/10/22(月) 02:41:42 ID:CCb6TShA
仏壇の前に小さなテーブルを出して。真菰マコモを敷いた上に、茄子と胡瓜にオガラで脚を付けた牛馬を乗せる。わんぐりした器2つに、片方に水を入れ、もう一方に蓮を敷いた上に、賽の目に切った茄子を乗せる。ミソハギを数本束ね、御参りする時、花穂に水を浸けて、さざれ石に見立てた茄子を濡らすのを、3回繰り返す。野菜などお盛り物とお花をかざる。盆提灯を左右に並べる。
横浜南部ですが、室内だけ。8月15日の夜、家の門口に上記の、お盛り物以外の一式を出して、線香を焚きおショウロ様が帰る方向に向けて、御参りします。三崎の方の方はお盆に、色々な行事しますよね。
23 :
神奈さん:2018/10/22(月) 09:49:01 ID:TiPCai2w
神奈川はお盆に灯篭流しをするところもあるようですが、いろんな行事があって面白いですね。お盆の飾りも派手だし。
母の実家では仏間に提灯があったりなすときゅうりの牛馬はしていましたが、門のところに飾りをおいたりするのはこちらに来て初めて見ました。灯篭流しも神奈川で初めて見ました。そういう行事があることはさだまさしの歌で知っていましたが、神奈川にもあるなんて知らなかった。
もっとも母の実家のあたりは浄土真宗が多く、門徒さんはお盆にお飾りはしないとお寺さんが言っていたので見ることがなかったのかもしれません。仏教の宗派などでも飾り方が違うのかなって質問したいけど、宗教の話になるのでだめかな。
>>21明治にそういうお達しがあったのですか。
七夕なんかも旧暦と新暦でやるところがありますね。平塚は7月でしたっけ。
24 :
神奈さん:2018/10/22(月) 10:11:29 ID:wSNUAoqQ
三殿台遺跡
25 :
神奈さん:2018/10/22(月) 10:59:15 ID:X6A5dlwQ
>>23>神奈川はお盆に灯篭流しをするところもあるようですが
http://www.kanaloco.jp/article/356809初めて知りました!「河川汚染や海洋汚染になる」で、ほぼ絶滅したと思ってました
>宗教の話になるのでだめかな。
「辻」「砂盛」ともに伊勢原秦野平塚あたりのお盆の風習ですが
特定宗派の行事ではなく、クリスマスやハロウィン的なイベントになってますし
お盆自体は宗教と言うより風習/慣習/イベント的な意味合いが強いですが
【宗教の細かい内容に関する話題】になると止めた方が懸命でしょうね
26 :
神奈さん:2018/10/22(月) 14:59:05 ID:ybHLxNZw
>>25例えば戸塚では柏尾川という中規模河川で灯篭流しをしています
流した灯篭はすぐ下流に網を張ってすべて回収していますね
27 :
神奈さん:2018/10/22(月) 16:19:32 ID:9pLWhWAA
杉山神社と、サバ神社は、神奈川にしかないようだ。
28 :
神奈さん:2018/10/22(月) 16:24:59 ID:2Pbu2FAQ
>>19焙烙盆で迎え火を炊いたり、盛塩をするのは1にしておきましょうか。
横浜の町中ですが、うちはそれに茄子とキュウリで、ずっとそのパターンです。
リンク先は相模原市南区ですかね。
あっちも砂盛りをしているんですねぇ。
相模原市中央区の境川沿いではまったく見ませんでした。
>>20藤沢も広いですが、私が見たことあるのは大山道沿い(新湘南バイパス沿いでもある)でした。
あの辺りは砂盛の上に茄子やキュウリの馬を乗せているところもちらほら。
>>21
当家は町中の商人だったようですが、旧盆のままです。
お寺さんもばらけていた方が助かるとか言ってました。
>>22すごい。所々判らないものが出てきますが、ちゃんとやっておられることは判ります。
お盆行事も室内でやることを含めたら、バリエーションがものすごいことになるのか...。
三崎はお盆時期に行った事がありませんでした。漁師町とか見てみたい。
>>23宗教の話題といっても、宗論・教義論になるようなことはNGですが、真宗はやらないとか
禅宗はこうだとかいうのをNGにしてしまうと民俗は何も語れなくなってしまいます。
宗派も古くからの檀家さんだと、はっきりした違いはあるだろうと思います。
ところで灯籠流しをやっている所があるとは知りませんでした。
昭和以降あたりのイベントとしてなのか、伝統行事なのか...。
29 :
神奈さん:2018/10/22(月) 16:29:50 ID:TiPCai2w
>>25湘南台の引地川でも毎年送り盆の8月16日に灯篭流しが行われています。
https://www.townnews.co.jp/0601/2015/08/14/295424.htmlすごく幻想的できれいです。
灯篭はやはり下流の方で回収するようです。
>「辻」「砂盛」ともに伊勢原秦野平塚あたりのお盆の風習ですが
「辻」とか「砂盛」は、神奈川県特有の風習なんですか?
伊勢原、秦野、平塚あたりとありますが、藤沢の北部では見かけます。神奈川の東側や西側ではない風習なのでしょうか。
>お盆自体は宗教と言うより風習/慣習/イベント的な意味合いが強いですが
>【宗教の細かい内容に関する話題】になると止めた方が懸命でしょうね
宗教に関してはやはりそうですね。気を付けます。
お盆は仏教をベースにしているけど、民間の風習の要素が強いんですね。
私の祖父は、お盆は地獄の釜の蓋があいているので死者にひっぱられるからお盆に海や川に入るのはだめと言いましたが、海辺の多い神奈川県でもやはりそんな伝承はあるのですか?
30 :
神奈さん:2018/10/22(月) 16:36:37 ID:2Pbu2FAQ
>>27R_ÐÆTo_ÐA_Þìƾ¤æèÍìÈŵ天B
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ÁèGA¾¯Åµ©©È¢_ÐiÕ_jÍenÉ èÜ·ªARÆToÍ»ÌÓ¡ÅÍLæÅ·ËB
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31 :
神奈さん:2018/10/22(月) 16:41:31 ID:2Pbu2FAQ
失礼、文字化けしてしまいました。
>>27杉山とサバは相模川以東にしかありませんよね(たしか。
古い有力一族の氏神とかではないかと思っていますが、確か論考を書いている人もいたような。
神社(祭神)は特定エリアにしかないものも珍しくありませんが、その意味で杉山とサバは広域かも。
祭神は明治の神社合祀もあってよく判らないお柱さんも多いです。
先日は読み方もわからない権現さんに出会いました(この名前を書いたら文字化けしましたw
名を口にも文字にもするなということなのでしょう(笑)
32 :
神奈さん:2018/10/22(月) 17:09:11 ID:TiPCai2w
>>28> リンク先は相模原市南区ですかね。
> あっちも砂盛りをしているんですねぇ。
> 相模原市中央区の境川沿いではまったく見ませんでした。
伊勢原や秦野ではやってて、相模原は一部だけなんですね。
なんとなくの印象ですが、藤沢町田線あたりが境界線なのかな。
藤沢は鎌倉側から北に向かって点々と住みましたが、門のところにお飾りがおいてあるのは北部が圧倒的に多いです。藤沢の大鋸や渡内あたりでも時々見ますが、散歩していてもあまり見かけない印象でした。
今回話題になったので聞いてみましたが、藤沢の友達には辻や砂盛を知らない人もいました。
大家さんにも聞いてみましたが、大家さんはもともとは北海道の人で、やはり辻や砂盛はこちらに来て初めて見たと言っていました。
> 宗教の話題といっても・・・
ありがとうございます。私は父が外国人で半分は父の国で暮らしているのでわからないことも多く、まちBBSも最近利用するようになったので、もしまずいこと聞くようであれば遠慮なく注意してください。
神奈川は小さな地域で宗派が固まっているような印象があります。なので、お盆のお飾りにも地域の違いがあるのかなと思いました。
門徒さんもまるっきりお飾りをしないところもあれば、寂しいからと提灯くらいはするところもあっていろいろだとお寺さんが言っていました。贅沢しなければいいそうです。
33 :
シーベルφ:2018/10/22(月) 18:38:38 ID:xyAXZwfg
>>32ご自分の個人的なことはここでは話さないでください。
あなたが日本人じゃなくても大丈夫です。まずいことがあれば注意します。
外国人でも日本人でも、住民のみなさんも自治にご協力お願いします。
34 :
神奈さん:2018/10/22(月) 18:44:46 ID:B98Q7n7w
>>33そういう自分のバックグラウンドのある程度のカミングアウトは話の流れからしてもとても自然で好感が持てたし、
ある程度はいいんじゃないのかなあ
35 :
神奈さん:2018/10/22(月) 18:57:15 ID:JrB7693Q
私も質問・要望スレでシーベルさんに聞いておりますので、この後はそちらに致しましょう。
36 :
神奈さん:2018/10/22(月) 19:06:21 ID:X6A5dlwQ
>>34その辺の線引を曖昧にすると後々トラブルになるから
新スレ議論時に【禁止事項】に『個人情報に発展する話(歴史上の人物の現代における子孫なども含む)』が入りました。
神奈川板の個人情報の指針も
36 名前: SABERTIGERφ@神奈川 投稿日: 2014/02/08(土) 01:56:52 ID:OleESEgA [ MODERATOR ]
まちBBSは地域情報掲示板で、その特性から地域を限定して特定人物の特徴などを細かく書き込みされると
話題が進むにつれて情報が集まり、少なくとも土地勘のある方々から特定される怖れがあります。
更に反応レスが続くままに放置しておくと次々に事実確認できない情報が書き込まれ、
不特定多数の人々からあらぬ中傷を受ける可能性もあります。
管理人自身が土地勘のない場所がほとんどですので、
話題の人物が実在するかどうかさえ怪しくても僅かな情報が書いてあれば厳しく対処します。
どうぞ書き込みには注意されると共に話題にも参加しないようお願いします。
http://kanto.machi.to/bbs/read.cgi/kana/1376197077/24,36と成ってます。
まちBBSは神奈川板に限らず管理人自体が運営指針になります
「いや、それおかしいだろ!」や「この管理人はおかしい!」と思うのは自由です
過去に独善的な運営をした管理人も居ますので
ご納得行かない場合は以下のスレにてご要望お願い致します。
★ 神奈川板 質問要望スレッド【Part6】
http://www.machi.to/bbs/read.cgi/tawara/1530967209/
37 :
神奈さん:2018/10/22(月) 19:35:34 ID:B98Q7n7w
>>36うーん、難しいですね
「私の生まれ育った地域ではこういう風習があって」も駄目ってことになりかねないな
個人に関する事柄の地域の特定のほうが、むしろハーフであることの言明よりも個人特定につながる可能性は高いかもしれないしね
38 :
神奈さん:2018/10/22(月) 20:13:17 ID:X6A5dlwQ
>>37>「私の生まれ育った地域ではこういう風習があって」も駄目ってことになりかねないな
「神奈川県の○○地域ではこういう風習があって」や
「○○県のの○○地域でも神奈川県の○○地域と同じ風習があります」
で十分だと思います
「私の生まれ育った(神奈川県外)地域ではこういう風習があって」
神奈川県以外の独自の風習はスレ違いですのでご遠慮ください
って事で十分かと思いますが
39 :
神奈さん:2018/10/22(月) 20:26:45 ID:B98Q7n7w
40 :
シーベルφ:2018/10/22(月) 22:23:39 ID:xyAXZwfg
みなさんに余計なご心配をおかけして、申し訳ありませんでした。
私の見解は質問要望スレでお伝えしました。
お騒がせいたしました。
>>32誤解を招くような注意の仕方をしました、ごめんなさい。
みなさん同じ立場で話をしているので、外国人でも日本人でも気にしなくて大丈夫です。
自分のことをあまりたくさん話すのはルール違反なので、そのことは注意してください。
41 :
神奈さん:2018/10/22(月) 23:50:23 ID:TiPCai2w
>>33>>40シーベルさんの言うことわかりました。気を付けます。
みなさんもごめんなさい。
母の国のことはいろいろ知りたいですが、今は自分のいる神奈川のことを勉強しています。
みなさん色々教えてください。よろしくお願いします。
42 :
神奈さん:2018/10/24(水) 16:15:09 ID:PhN0TBGA
>>32神奈川で民俗的な文化が変わる境目は、川が大きいと思います。
町田から藤沢まで流れている境川は横浜市瀬谷区あたりまで国境(相模国と武蔵国)でしたし
相模川も東西で違いがあるかもしれません。
石仏の道祖神だと、大雑把に武蔵国エリアは単体道祖神が多く、相模国エリアは双体道祖神。
ところが三浦半島になると相模国なのに石仏の道祖神はほとんどありません。
正月のドンド焼き(左義長)は三浦でもやっているようですが、海側だけ、という話もあります。
>小さな地域で宗派が固まっている
これは地域によってさまざまのようです。
例えば町内でまだ念仏講が続いている所で、例えば日蓮宗と浄土宗の家が混在していてたら
お葬式などでお念仏をする際は、その家の宗派に合わせてお経を変える所があります。
ただ、これが江戸時代からそうなのか、古くからの家が減って合併したからそうなったのか
などは調べないとはっきりしませんが。
一方、例えば道祖神のドンド焼きをする組のようなものがある場合は、
町内に2つ3つ組があって、古くからの家が中心の場合は宗派や同族、単に近所なだけ、
など色々な理由はあるものの、結果的に宗派が同じになることは当然あります。
43 :
神奈さん:2018/10/25(木) 05:06:28 ID:qbagLXPw
>>42> 神奈川で民俗的な文化が変わる境目は、川が大きいと思います。
境川というのは、もともとそういう由来で名前がついているのですね。
辻や砂盛が伊勢原、秦野、平塚あたりには多いけれど、そのほかにはあまり多くないということで考えると、相模川と酒匂川の間にある風習だという仮説もありそうですね。
> 正月のドンド焼き(左義長)は三浦でもやっているようですが、海側だけ、という話もあります。
お正月のドンド焼き、私はこれも不思議に思っていた。
私が今までドンド焼きを見た地域では、正月用の丸餅やみかんなどを焼いていました。鏡開きをしたお餅を焼く地域もあります。
藤沢の白旗神社のドンド焼きでは、三色の味のついていない上新粉のだんごを三本の枝のある木につけて火であぶります。年末の餅つきのときに、もち米の餅とは別にわざわざ上新粉で作ると教えてくれました。
三浦の一部ではドンド焼き自体しないとありますが、する地域ではやはり三色だんごが普通ですか?
それとも、やはり神奈川の地域で異なるのでしょうか?
他にも道祖神についてなど書きましたが、NGワードと出て書き込みできませんでした。
何度かやったけどブラックリスト規制になってしまった。
44 :
神奈さん:2018/10/25(木) 09:19:44 ID:Bw5v/ONw
境川流域では村に疫病が入ってくるのを防ぐため、川に橋を架けず、故意に村同士で敵対関係を作るという風習があったそう
ソースは「戸塚の散歩みち」という区役所が出した書籍(昭和53年刊)
45 :
神奈さん:2018/10/25(木) 10:34:35 ID:Zt1hJ8Ig
>>43わたしもNGワードにひっかかりました。
確実なNGワードは「神・様」の「・」を抜いたものです。
民俗スレでこれがNGになるのは厳しい(笑)
「神さま」ならOKか。
ドンド焼きのダンゴですが、見たことがあるものだと白のみもありました。
呼び方も「ダンゴ」とか「まゆだま」があるようです。
「まゆだま」は養蚕をやっていた地域に多いようですが、養蚕をやっていても「ダンゴ」と呼ぶ地域もあります。
驚いたのは海老名のスルメ。理由は知らないが昔から、だそうです。
あと、ダンゴではありませんが、石造物の道祖神を焼く地域もあるようです。
この場合の道祖神はよく見る双体像ではなく、五輪塔の一部のような丸い石が多いらしい。
46 :
神奈さん:2018/10/25(木) 11:50:09 ID:Zt1hJ8Ig
>>44防疫目的というのは初めて聞きました。
それなりの規模の川に橋を架けないのは戦略上の定番ですけど、境川は微妙な規模。
大和市の深見城は、城の脇が渡河点だったらしいですので伝統的には防衛ラインなのかも。
それが防疫目的で、だったら興味深いです。
川は物理的に人の往来を妨げますから、確実な防疫対策です。
江戸末期にコレラが大流行した時は、参勤交代がパンデミックの原因だったとか。
東海道から1里はある村で狐狼痢除と彫ってある石造物があって、神頼みもしていたようです。
防疫関係の民間信仰は色々あって面白いです。
47 :
神奈さん:2018/10/25(木) 21:28:48 ID:6yVxluTQ
48 :
神奈さん:2018/10/26(金) 00:52:37 ID:fNMFLOOw
>>44>>46疫病を防ぐために人の行き来を遮断したり、仲を悪くしたりというのは面白いですね。
外国に飛んでしまいますが、メッカ巡礼は人が集まるのでそこを狙って伝染病のワクチン接種をすることでパンデミックを防ぐことに成功している例もあります。
境川は昔のことだからワクチンとかの概念はないにしろ、人が集まったり行き来することで現代は究極的に逆手の手法があることも驚きました。
http://www.afpbb.com/articles/-/2771784>>45神さまがだめでしたか。
日本は神さまのいる国なのに、その言葉がだめというのも不思議ですね。
> 石仏の道祖神だと
「ほとけさまなのにかみさま?」と書こうとしました。
日本の歴史の中で神仏がいっしょになってしまっている経緯はある程度理解していますが、「石仏の道祖神」とあるとなんだか文字の段階で面白いと思ってしまいます。
>ドンド焼きのダンゴですが、見たことがあるものだと白のみもありました。
>呼び方も「ダンゴ」とか「まゆだま」があるようです。
繭玉というのは納得いきます。
茨城県や福島県などの地域でも、養蚕が盛んだった地域では丸いお餅を焼くところが多いように思えます。裏付けデータがないので、あくまで感想ですが。
赤や緑の三色だんごというのが藤沢の白旗神社だけなのか。
藤沢市北部の町内会でやるようなどんど焼きにも行きましたが、簡易的なのかわからないけれど三色だんごを焼いているところは見ませんでした。
三色だんごのことを教えてくれたのは、辻堂に住む友人でした。
白旗神社のだんごのことを検索してみたけれど、「由来はわからないけど」ということしかわかりませんでした。
来年のどんど焼きで聞いてみようかな。
49 :
神奈さん:2018/10/26(金) 00:53:38 ID:fNMFLOOw
連投ごめんなさい。
>>47> 平塚、伊勢原、秦野の金目川水域と
> 相模原、座間の相模川水域では?
神奈川県で相模川より西で大きな川ってどこかなと地図を見て推測したので、金目川というのがわかりませんでした。
相模川と金目川だと、すごく狭い範囲で根強く残っている風習なんですね。
リンクもすごく興味深いです。他の記事もじっくり読みます。ありがとうございます。
リンクの記事を読んで私が注目したのは、相模川と金目川の間の地域の風習がなぜ藤沢北部でよく見られるのかということです。
神奈川は川で人の行き来を遮断してはいたけれど、藤沢は観光地として江ノ島から大山詣での街道を通じて文化の流動があったのだろうかと想像しています。
白旗神社の三色だんごもそうだし、藤沢は東西南北で町の雰囲気も文化も全然ちがっていて面白い場所です。
50 :
神奈さん:2018/10/26(金) 07:04:55 ID:qVMTcnSw
51 :
神奈さん:2018/10/26(金) 07:05:57 ID:qVMTcnSw
別の色を作るのが面倒で
1色の時もありますが…
52 :
神奈さん:2018/10/26(金) 08:15:48 ID:/gcPtn1g
53 :
神奈さん:2018/10/26(金) 09:00:14 ID:qPL818sw
>>47リンク先の相模原市博物館の記事を読みました。
砂盛りもちゃんと調べてあって、さすが〜と思いました。
>砂盛りを作る地域は県内では東西に帯状に広がっていることが分かっており、
三浦半島では希薄であり、相模原市でも緑区や中央区ではほとんど作られていない<
境川の左岸(川は海に向って左右が約束)=横浜市域(泉とか瀬谷とか)にもあるのかどうか。
西は松田町の寄(やどりき)あたりならやってるかも。秦野の文化圏なので。
足柄平野は私も見た記憶がありません。
>>48気を付けていたのですが、つい石仏と書いてしまいました。
石造物全般を、たとえ彫られているものが今の神道に属するものでも、
総称として石仏と呼んでしまうクラスタがおりますのですw
あぼーん
55 :
シーベルφ:2018/10/26(金) 17:21:29 ID:kZ1nV1+A
すみません、こちらのミスによる投稿で54を削除しました。
56 :
神奈さん:2018/10/27(土) 01:15:10 ID:THkUyDug
>>50>>51茅ヶ崎、寒川でもそうなのですか。
あの色って、もともと何で色をつけているのですか?
>>52ここのお不動さん見に行きました。
神奈川には、街道辻にこのような神さまの石碑がありますね。一里塚のような四角い石碑はよく見ますが、立派な神さまの辻の石仏が残っているのは貴重だと思います。
辻堂にある浮世絵のアートスペースにも、江戸時代の藤沢宿の浮世絵があり関連書籍も少しあるのでよく行きます。
湘南台のこども館にも面白い書籍があるのだけど、あちらはおもちゃとか道具が多かったかな。
>>53https://imgur.com/a/3BLCnTp地図を広げてみましたが、相模川を中心として金目川を見てみると、だいたい同じ距離の東には藤沢町田線があり、善行、六会、湘南台があり、このあたりには砂盛が確認されています。
この間の茅ヶ崎や寒川の相模川沿いではどうなのでしょう。
> 気を付けていたのですが、つい石仏と書いてしまいました。
私は神さまと仏さまが別な存在だと意識が根付いているのであれ?と思いましたが、神さまも仏さまも生活に根付いていると意識しないで出てしまうものなのですね。
日本の宗教観は他国から見ると特殊だと思うけれど、私はいろんな宗教が根付いて仲良くしているようでいいなと思います。
57 :
神奈さん:2018/10/27(土) 03:28:51 ID:f4XrHFsw
>>56お団子の色は
赤は紅花や紅麹やクチナシではないでしょうか
緑は葉っぱ系のほうれん草やヨモギ?
砂盛り、茅ヶ崎に住んでいた祖母は作ってました
竹で組んだりはしていませんでしたが
クッキーの空き缶や空き箱に入れて。
58 :
神奈さん:2018/10/27(土) 11:44:47 ID:pK/4ScHg
写真を見返してみたら、藤沢の大山街道沿いは四角い空き缶に砂を詰めて、
その上にナス、キュウリの馬を乗せて、あと何かの飾りもありました。
東西帯状と相模原市のサイトにはありますが、大磯にもあります。
砂を固めて作った中南米のピラミッドみたいな形で、階段もちゃんとありました。
これは四方に笹を差して飾りを付けて、という形で、夏が終わっても残っていました。
二宮町や中井町もありそうですが、夏に行った事がないので不明。
59 :
神奈さん:2018/10/27(土) 11:56:57 ID:rJtiHJhQ
>>58貴方も砂盛見かけると写真撮る人なんですかw
同好の人が居てビックリしたw
60 :
神奈さん:2018/10/27(土) 12:16:30 ID:f4XrHFsw
61 :
神奈さん:2018/10/27(土) 17:44:07 ID:pK/4ScHg
>>59民俗好きとしては、あんな面白いもの、撮らずに我慢できません。
土地によって形も随分異なりますよねぇ。
とは言っても、存在を知ったのが数年前で、お盆の時期は限られているし、数は少ないです。
今年は境川上流部へ探しに行って、1つも見られませんでした。
来年こそは秦野廻り、と思っていますが、なにせ暑い時期なので...
>>60ありがとうございます。
二宮はあるどころかバリエーションも豊富ですね。
富士山と呼ぶとは知らなんだ。
これは中井町も当然ありそう。
大山街道というのは、各地から大山へ向う道の総称でして、1つではないんです。
砂盛りが無いとされている相模原市緑区(昔の津久井郡。もっと昔は津久井県)にも大山道はあります。
話が逸れますけど、茨城県の鹿島でも大山の道標になっている石造物を見たことがあります(びっくりしました)。
62 :
神奈さん:2018/10/27(土) 17:49:24 ID:pK/4ScHg
間違えました。
茨城のものは鹿島ではなく神栖。
道標ではなく参拝記念で「大山阿夫利神社」の文字塔でした。
63 :
神奈さん:2018/10/27(土) 18:26:00 ID:rJtiHJhQ
64 :
神奈さん:2018/10/27(土) 22:19:16 ID:pK/4ScHg
>>63実際に行ったのかどうかは不明ですが神奈川にも湯殿山三山の名が彫られた石造物はありますよね。
これは羽黒修験が相模や武蔵にいたので、ただの山岳信仰かもしれませんけど。
大山も鹿島方面まで御師が行っていた可能性はありますが、船での往来はわりとあったのかも。
大山は船の目印にもなっていて、航海安全の信仰にもなっていたと聞いたことがあります。
逆説的ですが、鹿島神社は神奈川にもありますし、根府川あたりでは鹿島踊りが無形文化財に指定されていたりもします。
65 :
神奈さん:2018/10/27(土) 22:39:13 ID:f4XrHFsw
>>61えーと
面白く拝見してるのですが知識が追いつかず的外れな事を言ってたらすみません
生まれ育った地元(藤沢・茅ヶ崎)で子供の頃に年寄りに聞いた話ですと
大山詣では裸参りと言って
お盆の頃に襦袢や褌だけで夜通し大山までお念仏を唱えながら走っていくものだと聞いた記憶があります
茨城県から夜通し走って日帰りは厳しそうなので
この走って行ける範囲に砂盛りがあるという事はありませんか?
またこの辺りの大山にまつわる話では
誰かが他界した後の百箇日の翌日(つまり101日め)に大山に登ると
故人ととてもよく似た人に会えると言われていて
その話を聞いた時には鼻で笑ってた人もその時になると
面影を求めてなんとなく足が向いてしまう人も多いようです
つまりそれくらい土着の信仰として根付いているのではないかと
そして亡くなった者の霊は大山に行くと思われていたのではないかと思います
本来、砂盛りは盛り塩と同じような意味のようで清めのためにするようですが
京都?などでは貴人などをお迎えする際に盛り砂をするという話もあります
大山からの先祖の霊をお迎えするためにその道々に盛り砂が盛られたという可能性はありませんか?
66 :
神奈さん:2018/10/28(日) 00:09:53 ID:X6zVCCmA
>>65>この走って行ける範囲に砂盛りがあるという事はありませんか?
私もそう考えるのですが相模川金目川流域では見かける風習ですが
酒匂川流域では見かけない風習なんですよね。
この2つの違いは相模川金目川流域は幕府直轄領の天領で
酒匂川流域は小田原藩領ぐらいしか思い浮かびません
相模川流域なのに砂盛風習の無い厚木周辺は荻野山中藩だったので
支配者毎に文化圏が異なっていた説が成り立ちかと思います
>京都?などでは貴人などをお迎えする際に盛り砂をするという話もあります
あぁあっ!京都東山慈照寺(銀閣)の向月台は正に盛砂ですね。
清めの為なのか、単なる観月台なのか、月明かりを反射させる為なのか諸説がありますが
正確な理由は不明らしいですね
67 :
神奈さん:2018/10/28(日) 00:14:12 ID:X6zVCCmA
>>65同じ京都の上賀茂神社の立砂(たてずな)は綺麗な三角錐で神サマの依代らしいですね
>本来、砂盛りは盛り塩と同じような意味のようで清めのためにするようですが
えぇえ、そうなんですが塩は昔から神聖な物として清めの為に利用していたんですが
盛塩は人間もそうですが動物が生きる為には塩は必須です
平安時代の貴人の移動手段は牛車です。店の前に塩を撒き入り口の両脇に塩を盛ると
牛車の牛は塩を舐めによるので店が繁盛するので塩を盛るようになった。
しかし塩は高価なので代替品として砂を混ぜたり、砂だけを使うように成ったと言う説もあるそうです
68 :
神奈さん:2018/10/28(日) 02:37:48 ID:LbnU96kw
>>66>>67なるほど
すごく勉強になります!
依代と言えば、家を立てる前の地鎮祭にも盛り砂がありますよね
あれも依代ですよね
あと木の精霊を呼ぶとかで大木の根本に盛り砂をする儀式とか?
子供の頃にオカルト漫画でこれを読みビビっていたら
祖母の家の入り口に似たような砂盛りがあり(お盆だったので)
ものすごく驚いた記憶があります(笑)
その時の祖母の説明を朧気ながら思い出すと
盛り砂の所にお馬に乗って祖父が帰ってくると。
お盆の砂盛りは階段もあるし、やっぱり依代なんですかねぇ
相撲の土俵もかみ様がいると言われてますから依代?
本来、神事であったものが仏事と合体したパターンなら
藩主の考え方次第で広まり方が違うような気もしますね
69 :
神奈さん:2018/10/28(日) 08:14:06 ID:eg56jXMg
民俗といえば地元井土ヶ谷郷から人足として2,3人
保土ヶ谷宿についた江戸に運ぶ荷物の手伝いをしてくれないかって話を聞いたことがある
これくらいだな知ってる話って
その役割として井土ヶ谷郷があったと言っても過言じゃないって
昔何かの手伝いでパンフレット見たぞ
ちなみに今で例えると京急の井土ヶ谷駅周辺とJRの保土ヶ谷駅周辺の関係です
70 :
神奈さん:2018/10/28(日) 12:10:13 ID:aObjJLZg
>>65なるほど。走って大山へ行けるエリア。面白い視点です〜。
101日目に、というのは茶湯行事で、大山エリアにあった茶湯寺は
厳密には大山寺(当時の)と阿夫利神社より少し下にあったはずです。
余談ながら江戸時代にあった大山の茶湯寺(正式名称は万松寺で曹洞宗)は
明治の廃仏毀釈で一度消えまして、今ある茶湯寺(涅槃寺、浄土宗)は宗派が異なっていますが
跡を継いだ形になっているみたいです。
茶湯行事自体は本来禅宗のものであることや、大山に限らないものでもあるので...。
ただ、相模国の御岳(国に1つしかない)は霊山でもあるし、山岳信仰の一種だとしたら
大山と何か関係はあるかもしれません。
>>66厚木でも砂盛りはやってるみたいです。
https://www.city.atsugi.kanagawa.jp/shiminbenri/kosodatekyoiku/bunkazai/miru/kurashi/p003091.htmlただ、荻野山中藩エリアはどうなのか、とかは興味深い所です。
民俗行事と領主の関係は無視できませんよねぇ。
依り代説も出て来てて面白いです。
個人的には、そもそもなんで砂?というあたりにもヒントがある気はしています。
内陸部で実際に使っているのは土かもしれませんが、
比較的海近くのエリアは、わざわざ海岸まで砂を取に行っていたのか?とか。
海とあの世を考えると、補陀落浄土は南の海にある、とされていたりしますので
観音信仰(漠然としていますが)との関係も考えたくなります。
71 :
神奈さん:2018/10/28(日) 12:21:39 ID:aObjJLZg
>>69宿場へ助っ人に行くのは助郷(すけごう)の1つです。
幕府からのお達しで、これを免除されている村の方が珍しいくらい。
村にとっては年貢高に応じて奉仕しなければならないので、面倒なことだったようです。
遠い村だと1日がかりで行っていたり。近い村でも街道の掃除とかもやらされてます。
ところで井土ケ谷って、名前の通りに井戸が多いみたいですね。
72 :
神奈さん:2018/10/28(日) 12:31:03 ID:X6zVCCmA
>>70>厚木でも砂盛りはやってるみたいです。
おぉおっ!!ありがとうございます。検索しても見当たらないので
厚木では一般的なお盆を行っていたかと思ってました。
ありがとうございます
>個人的には、そもそもなんで砂?というあたりにもヒントがある気はしています。
京都の上加茂神社は「盛砂」を山に見立てて『山に住まわる神サマ、ここにも綺麗な山がありますよ』と呼び寄せるそうです
「盛砂」を2つ作るのは鬼門と裏鬼門に「盛砂」を置き穢(ケガ)れが入り込まない様に設置した云われがあるそうです
73 :
神奈さん:2018/10/28(日) 12:34:56 ID:aObjJLZg
む。。。
自分で書いていて気になりました。
砂盛りのエリアは助郷の関係もありそう。
もともと海沿いの文化だったものが、東海道の宿場町への助郷で徐々に広まってたりして。
と、書いていてやっぱり違うなと思いましたw
砂盛りエリアの北限はこれで説明が付きますが、
藤沢宿へ助郷に行っていた鎌倉葉山以南には砂盛りが無いみたいです。
74 :
神奈さん:2018/10/28(日) 12:43:37 ID:aObjJLZg
>>72京文化の流入ってことでしょうか。
ありそうです。
そもそもドンド焼きだって左義長の名前は明治以降だとしても、やってることは左義長ですものね。
神奈川には、西の方発祥の文化なのに妙に独自進化しちゃった事例もあるので〜。
次のネタにとっておいたのですがw、神奈川(相模と武蔵含む)の地神信仰はかなり特殊。
75 :
神奈さん:2018/10/28(日) 14:14:07 ID:LbnU96kw
ウブスナ!
もしかして産土ですか!?
海育ちからしてみると、塩の代わりに砂はそんなに違和感はないのですが…
潮で洗われた綺麗な砂は神聖なイメージがありますし
海は生命を生み出すもの、カメが浜に来て産卵するように浜もまた生命の母体
ご来光も海から上がりますし
海の向こうという目に見えない行けない場所が目に見えないあの世とイメージがかぶったりします
知識の少ない昔の人達ならなおさらそう感じたのではないでしょうか
でも亡くなったら行く場所は大山なんですよね…この矛盾も
個人的には違和感ないのですが(笑)
帰るではなく還るなので、山から海へそしてまた里へ…という
海と山が近い立地ゆえの感覚なんですかね?
鬼門への盛り砂は産土神の依代ですよね?
産土神は自分と生まれた土地を結ぶ神サマですが
鎮守の神でもあるので鬼門を護っていただくとかナントカ
ちなみにお盆の砂盛りの砂
うちの親族はいまだに海からとってきます
他に大量に砂がある場所がないからかもしれませんが(^_^;)
76 :
神奈さん:2018/10/29(月) 17:31:42 ID:CLq/h8Pg
>>75一部のみに反応してすみません。
砂盛りは、いつ頃、何の理由で、誰が広めた、とか諸々判っていないので
75さんが子孫に伝えて行くと、100年後くらいにはそれが正解として定着しているかも^^
いまだに海から砂を持って来てる所があるんですか!
秦野とかどうしてるんだろう...来年行って質問してみねば(笑)
地質はさっぱりなのですが、河原を少し掘れば川砂が出て来るかもしれません。
あ、だめか?
神奈川は宝暦の富士山大噴火で川底が上がってしまった所がほとんど。
それが原因で洪水が頻発したので除去はしてるみたいですが、残ってたらほぼ泥か。
77 :
神奈さん:2018/10/29(月) 17:51:50 ID:xxuHX1dw
海岸法
第八条(海岸保全区域における行動の制限)
一 土石(砂を含む。以下同じ。)を採取すること。
河川法
第25条(土石等の採取の許可)
河川区域内の土地において土石(砂を含む。以下同じ。)を採取しようとする者は
国土交通省令で定めるところにより、河川管理者の許可を受けなければならない。
本当、どこから砂を採取してくるんでしょうかねぇ?
https://www.amazon.co.jp/dp/B01CTUV4RG
78 :
神奈さん:2018/10/30(火) 02:04:58 ID:zXCX2YjQ
話がすごくなってきてついていけないけど、じっくり読んでいます。すごく面白い。
お盆の時期にはホームセンターとかスーパーにすだれのような辻セットとか売っていますが、砂が一緒になった砂盛セットは見たことないですね。砂盛自体はよく見るのになんでだろう。
綾瀬のホームセンターでは、砂約10kg一袋入れ放題とかありますが。
79 :
神奈さん:2018/10/30(火) 08:26:37 ID:MeJTe4og
80 :
sage:2018/10/30(火) 09:14:46 ID:qEKrZC4A
川の話が出ていましたが
相模原の境川を挟んだ地域は昔から繋がりが深いですよ
もっと言えば、同じ地域だったとして考えられます
相模原と町田で同じ地名が残っていますし、宗教的な講中も存在します
そもそも境川と言う名も近世になってからの名で、それ以前は高座(たかくら)川と呼ばれていました
ネットで探るのも結構ですが、地元の人に話を聞くのが面白いですね
出来れば同じ事を複数の人に聞くことが肝要です
人によって結構違うことを話してくれたり、間違いも発見出来ます
81 :
神奈さん:2018/10/30(火) 20:36:42 ID:zQMo6dhg
川の流域が同一文化圏って事ですが
個人的には統治者=同一文化圏だと思います
境川・相模川・酒匂川等、流域毎に統治者が異なりますが
江戸川・利根川など大河は右岸左岸で統治者が異なり文化圏も異なりますから
まぁ同一国内(相模の国の中を流れる川)と
異なる国内(上野/下野/武蔵/下総・上総/常陸を流れる川)ですから一概に川の右岸左岸とは言えませんが
82 :
神奈さん:2018/10/30(火) 20:54:55 ID:esOnz/XQ
>>81統治者なんか時代によってコロコロ代わるんやから
そんなもんが文化を規定する主要因やとは思えんわ
83 :
神奈さん:2018/10/30(火) 21:34:10 ID:zQMo6dhg
>>82主要因とは言ってませんよ。
誤解されたのであれば失礼しました。
84 :
神奈さん:2018/10/31(水) 10:18:52 ID:1S2O2+Qw
>>80境川に限りませんが、川の上流部は小川程度の川幅ですから地域を分断する要因にはなりにくいですよね。
特に相模原と町田、特に相原や橋本あたりは江戸時代になってから分郷されて別の村になったし。
地元の人に話を訊くのは、ほんと楽しいです。
地付の旧家の古老でも古い事を知らないケースはありますが。
民俗的な古い事を取材するには、今がもうギリギリな気がしています。
民俗行事は第二次大戦で途絶えたものが多いので、80才以上の方でやっと。
85 :
神奈さん:2018/10/31(水) 11:35:13 ID:1S2O2+Qw
相模国と武蔵国の場合、特に江戸時代は領主がコロコロ変わってますね。
ただし天領以外でも徳川に関係の深い領主(譜代とか旗本)がほとんどです。
例外は土豪からの家系が残った土地でしょうけど(松田氏とか)、それも弱小だと名主で残ったのが多いような。
もちろん、文化面なら名主や村の草分け(開拓一族)が事実上の領主と言えなくもないですが。
他国(藩)だと藩が主導して始められた信仰があって、五人組制度と結びつけて領民支配に使っていた、
なんて事例もあるようですが、そこまで本格的なのは神奈川にあったのだろうか...。
86 :
神奈さん:2018/10/31(水) 15:08:58 ID:lZceX+Sw
幕領やから領主言うたかて幕臣の小領主がコロコロ変わるだけやし
行政は幕府直轄で関東代官がやるんやし
87 :
神奈さん:2018/10/31(水) 20:45:22 ID:1S2O2+Qw
相模国の御料はほぼ韮山代官ですけどね。
そのせいで韮山県になっちゃった時期もあるし。
石造物で、小田原県や荻野中山県、六浦県銘のものはさすがに無いでしょうけど
韮山県銘の石造物がどこかにないかな〜と思って見てますが、未だに出会えておりませんw
88 :
神奈さん:2018/10/31(水) 21:39:18 ID:NPqCQC8w
小田原県/荻野中山県/六浦県/韮山県は1871年(明治4年)までに消滅しましたが
足柄県も1876年(明治9年)神奈川県と静岡県に分割合併され消滅
明治政府が軌道に乗り始めたのは1877年(明治10年)頃からですし
義務教育の尋常小学校が始まったのが1886年(明治19年)からですから
足柄県銘もものすごく貴重だと思いますが
>>87さんが見た事がお有りなのですか?
89 :
神奈さん:2018/11/01(木) 11:11:58 ID:Q3aRX2Wg
>>88足柄県...ありましたね。
現物か資料かもあやふやですが、神社の奉納物で見たような気はしています。
気にして回っていたのが足柄平野だったので、例えば神奈川県足柄上郡とかの
神奈川県が抜けていて、足柄上郡の「上郡」が風化してたりすると、足柄だけに見えるので
正確なところは。。(笑)
見た中で間違いないのは津久井県くらいです(江戸時代w
90 :
神奈さん:2018/11/02(金) 08:56:01 ID:JYCEEU0Q
このスレッド立ち上げの議論のとき、県内の方言の違いについての指摘がありました。
県内各地の人と話はしていますが、特に記憶に残っている例はありません。
強いて挙げれば、資料上で「〜ずらor〜ら」を足柄平野の一部で使う(使っていた?)所がある、と見たことはあります。
よそ者(私)との会話では使わないだけかもしれませんが、足柄平野には御殿場方面に多い姓がわりとあるので
使っていても不思議はないな、と思いました。
神奈川は「〜じゃん」の方が多いようなイメージで、自分もその中の人です。
そういった方言ではなく、固有名詞の違いは相当数あるだろうとは思います。
砂盛りも「辻」、「盛砂」とかありますし。
91 :
神奈さん:2018/11/02(金) 09:40:11 ID:fZWD9BhQ
韮山県は伊豆半島(静岡)では?
横浜県になるかも知れなかったらしい。
92 :
神奈さん:2018/11/02(金) 10:02:04 ID:0TFn+kuA
93 :
神奈さん:2018/11/02(金) 12:47:55 ID:066XEdhw
>>91神奈川の開港が求められたのに、横浜も神奈川だから!!
とか言ってごまかしてきたのがばれちゃうから、
横浜県はないと思うのだが。
94 :
神奈さん:2018/11/02(金) 14:57:48 ID:7F5fTHzg
>>90たぶん、それは私が言ったのかなと思います。
横浜北部出身で綾瀬在住の60代の人と話していると、たまにゴミを「捨てる」ことを「ふてる」と言うのです。
全部が全部ではないのですが、「さしすせそ」の一部が「はひふへほ」に変換されることがあって、綾瀬でも使用するのは全部の地域の人というわけではないようです。
そのほかに、神奈川は「〜じゃん↑」が有名ですが、「〜じゃん↑か↓」が出てくる地域も限られているように思います。
「〜だべ」「〜だわ」は茨城、福島、北海道でも聞く言葉ですが、湘南とはイントネーションが少し違います。
北海道と福島は北海道開拓の移民制度の他に、出稼ぎによる働き手の移動があったので、このあたりの言葉が似ている地域がありますが、湘南の「〜だべ」「〜だわ」がどこから来ているのか気になるところです。
最近発見したものでは、藤沢には大庭言葉というのがあるようで、これは藤沢出身で大庭以外の地域の人でも何を言っているのかまったくわからないものでした。
大庭言葉の話をしてくれたのは40代の人で、この人はご両親も大庭のご出身だそうです。まるで東北の言葉のように何を言っているのかわかりませんでした。
これは今度取材してきます。
95 :
神奈さん:2018/11/02(金) 19:24:38 ID:0TFn+kuA
> 「さしすせそ」の一部が「はひふへほ」に変換される
これ『白鬚橋(しらひげばし)』が「ヒラシゲバシ」に変換される江戸言葉では
> 神奈川は「〜じゃん↑」「〜だべ」が有名
これは甲州弁や多摩弁では
開港前200人程度だった漁村が20年後には5万人以上の人口に成りました
出生だけで250倍の人口になるのは不可能ですから単純に考えて、ほとんどの人は転入で横浜に来たと考えるのが自然です
開港後、貿易港として発展していった横浜港ですが今と違って船への物資の積み下ろしは
人力でしたから多くの人達が横浜に転入してきたと推測できます
主な輸出品は生糸(絹)、生糸の生産地は八王子や甲信地方
実際横浜港の発展に甲州財閥の方々が出資されたのは有名ですから
で どこの人達が来たかと考えると近在の江戸や多摩地方や甲州地方の人達が
横浜に転入し各地の方言がミックスされ今の『横浜言葉』が出来たのでは?
96 :
神奈さん:2018/11/02(金) 20:50:53 ID:JYCEEU0Q
横浜は明治以降、東京並にごった煮でしょうねぇ。
原三渓は岐阜出身。伊豆半島出の生糸商人もいましたし
一発当ててやろうと目論む人間が全国から集まっていたはず。
日本初の牛乳屋をやったのは千葉出身者だったか(関内の外国人に弟子入りした)。
方言がきついと通じませんから、日本語におけるピジン語的な発達をした結果
じゃんだべが生まれたとしたら面白いですが...
そういえば中居正広は「だべ」「じゃん」ですね。
辻堂あたりでしたっけ。
三浦半島でも普通に使ってますし、ちょっと範囲が広いか。
明治の地図を見ると、県内の農村部はどこもかしこも桑畑で唖然とします。
地図上は凄いが実際は畑とかの端に桑を植えていた所もあって、全面ではないそうですが。
大庭言葉。気になる〜。
藤沢の郷土史団体さんに知り合いがいるので、私も訊いてみます。
97 :
神奈さん:2018/11/02(金) 21:30:34 ID:0TFn+kuA
原三渓さん事、原富太郎さんは
1868年岐阜県岐阜市柳津町の加納藩の名主を務めた青木久衛の長男として生まれる
1892年に横浜の豪商・原善三郎の孫・原 屋寿(はら やす)と結婚し、原家に入る
その原善三郎さんは1827年埼玉県児玉郡神川町の名主の家に生まれる
で原財閥は世界遺産の群馬県富岡製糸場を中心として各地に製糸工場を持ってたし
養蚕業は南東北、北関東、甲信地方が盛んだったから
東日本の人達が横浜に集まり東日本の方言がミックスされた独自の横浜言葉が出来ても不思議ではないけど
元々の神奈川弁と言うか相模弁はどんな言語だったんだろう?
98 :
神奈さん:2018/11/03(土) 00:55:29 ID:w127zbYg
>>95> これ『白鬚橋(しらひげばし)』が「ヒラシゲバシ」に変換される江戸言葉では
私もそう思ったのですが、ちょっと違うのです。
江戸弁は「し」と「ひ」が全体的にほぼ反転しますが、綾瀬の人は「ふ」が「す」に変わることはなく、単に「ふてる(すてる)」なのです。
いくつかバリエーションがあったのですが、もう一度取材の機会があるので確認してみます。
この言葉については、藤沢の北部と秦野あたりでも女性が使っているのを聞きました。
ただ、女性の場合は出身が今いる場所ではない場合もあり、年齢を経るとともに生まれた土地の言葉が戻ることもあるので、一概に「綾瀬の言葉」あるいは「神奈川中内陸部の言葉」として認識していいのかどうかは微妙です。
>>96大庭言葉の取材させてくださいとお願いしたら、「私は大庭でも六会系ですけど」と言われました。
六会系とか善行系とかあるのか詳しく聞けなかったけれど、お時間をいただいたので取材が楽しみです。
横浜弁のとりわけ「〜じゃん(か)」は三河弁という話は、よく聞きます。
昔、明石家さんまが「東京とか「じゃん」とか言って気取ってる」とテレビで言っていましたが、なんとなく今ではちょい悪な都会言葉みたいになっているふしもあります。
以前、茨城の20代の女性が「〜じゃん〜→↑」と語尾が微妙に伸びて上がる茨城南部のイントネーションになっているのを聞いて、ものすごく違和感を感じたことがあります。本人はちょっとツッぱった子で、関東のちょい悪言葉として使っているみたいでしたが。
個人的に「〜じゃん」の興味としては、どこあたりから「〜じゃん」が「〜じゃんか」に変わるのだろうかということでしょうか。
神奈川の中でも、「じゃん」の語尾に「か」が自然につくところとつかないところがあって、横浜でも戸塚の人が使っているけど海側では使っていなかったりします。
99 :
神奈さん:2018/11/03(土) 07:34:45 ID:aYd6pkkg
>>98取り急ぎ
郷土史の人から返事がありました。
知らなかったので、藤沢の民俗資料をパラと調べてみたが掲載されていないそうです。
言語学はほぼ知識無しなのですが、自分および周囲では「じゃん/じゃんか」は「じゃん/じゃん?」のニュアンスで使い分けてる気がします。
100 :
神奈さん:2018/11/03(土) 07:47:58 ID:HgskwvwA
>>99私の周りでは「じゃんか」の方は印象の良くない言葉なのですが…
「じゃん」〇〇でしょう(普通モード)
「じゃんか」〇〇だろーが(文句や不満)
↑こんなイメージ(笑)
実際、子供の頃に父親に対して「〇〇じゃんか」と言うと「なんだと!」と怒りを買ってましたが
「〇〇じゃん」なら多少きつくても平気でした(笑)
101 :
神奈さん:2018/11/03(土) 07:54:59 ID:HgskwvwA
>>98大庭言葉、気になります
大庭からそう遠くない場所で育ちましたが知らなかったー
大庭の最寄り駅は辻堂だと思うのですが「だべ」ではなく六会や善行方面なんですねぇ
102 :
神奈さん:2018/11/03(土) 12:49:06 ID:Z6+ioySA
横レス
「○○じゃんか」の後に
さ〜、な〜、とか自然と付いたりしますですよ、
103 :
神奈さん:2018/11/03(土) 14:10:15 ID:PQPN9+ew
>>98オレは「じゃん」は大嫌いやけど気取ってるとは思わんわ
気取るどころかむしろ逆に低俗な感じがするんやけどな
とうていお上品なセレブ言葉とは思えん
さんまも言語感覚おかしいで
104 :
神奈さん:2018/11/03(土) 18:34:17 ID:aYd6pkkg
お盆にやること@相模原市緑区三井
迎え火をしてナスとキュウリの牛馬を作るだけ。
牛馬は墓の方へ顔を向ける。
この墓ですが、おそらく家墓(詣り墓)です。山の方を指していました。
105 :
神奈さん:2018/11/03(土) 18:41:35 ID:aYd6pkkg
「じゃんか」で怒られるとは...
確かに文句や不満の時に使ってはいましたが、語気を強めた言い方だったかなぁ。
同じ使い方は「べ」でもやってました。「前に注意したべっ!」。「前に注意したじゃんかっ!」です。
非難のニュアンスを加える時は「注意したじゃんかよっ!」だった。
以上、横須賀、横浜界隈。
>>102「じゃんかさ〜」、「じゃんかな〜」
これどの辺りですか?
「さ〜」はかろうじてありますが、「な〜」は今まで聞いたことないかも。
106 :
神奈さん:2018/11/03(土) 18:50:59 ID:gNZHHbSw
「じゃん」「じゃんか」ばかり見てると頭の中で
「はい!じゃんかじゃんか じゃんかじゃんか じゃんかじゃんか じゃんかじゃんか じゃんかじゃんか じゃんかじゃんか じゃ〜ん♪」
と響いてるprz
107 :
神奈さん:2018/11/03(土) 20:38:01 ID:HgskwvwA
私はハナワの「じゃんじゃん神奈川じゃ??ん♪」が…
108 :
神奈さん:2018/11/03(土) 20:45:39 ID:HgskwvwA
>>105「じゃんかよ〜」「じゃんかさ〜」「じゃんかな〜」「じゃんかね〜」
全部アリです@茅ヶ崎(辻堂駅最寄り)
ベーベー言葉の「だべ」もアリ
あぼーん
あぼーん
111 :
神奈さん:2018/11/04(日) 01:16:25 ID:EOBhFxiw
112 :
神奈さん:2018/11/04(日) 01:38:00 ID:huqJg6Lw
大庭言葉と書き方が悪かったようです。ごめんなさい。
113 :
神奈さん:2018/11/04(日) 01:57:27 ID:huqJg6Lw
>>112すみません、入力途中で送信してしまいました。
書き方が悪かったようですが、大庭言葉と「〜じゃん」は別物です。
「〜じゃん」と「〜じゃんか」の境がどこかは私の個人的興味なだけです。
「〜じゃん」と「〜じゃんか」、面白いですね。
>>100その感じ、すごくわかります。
「じゃん」だけだと、「そうだよね」という感じですが、「か」がつくだけで断定度が高まるような気がします。
「じゃんか」だと怒られるんですね。
>>102>>108「〜じゃんか」に「さー」とか「なー」がつくとまた柔らかくなるのかな。
でも、「〜じゃん」の後には「か」しかつかなくてさらに同意を求めるような感じで「さー」とか「なー」とかがつくんですね。
「〜じゃんさー」とか「〜じゃんねー」とかは言わないのですか?
大庭言葉は今月中に取材の約束をしたので、取材できたらご報告します。
大庭言葉には「じゃん」とか「だべ」があるかどうか、取材したときに聞いてみます。
>>99大庭言葉というのが正しい言い方なのかどうかはわかりませんが、私がその人から聞いたときは、大庭のごく限られた地域の言葉だということでした。藤沢市内の高校時代に同じクラスの近所の人が聞いてわかると言ったくらいで、だいたい聞いてわからないだろうとのことです。
>>101ライフタウンの人に最寄り駅を聞いたら「辻堂」と答える人がいて違和感があったのですが、大庭の最寄り駅って辻堂という感じなんですね。私は湘南台の方が近いのにと思いました。
114 :
神奈さん:2018/11/04(日) 12:49:36 ID:EOBhFxiw
>>113> 大庭の最寄り駅って辻堂という感じなんですね。
> 私は湘南台の方が近いのにと思いました。
徒歩でなら善行駅ですね。
辻堂駅も湘南台駅も徒歩だと大差ないですけど
辻堂駅はバズの運行本数が多く湘南台駅からより料金が安いからでしょうね
115 :
神奈さん:2018/11/04(日) 15:08:24 ID:dv0Cuaag
大庭をどこまでの範囲かと考える参考になるかもしれないので
大庭庄という括りが江戸時代にありました(それ以前からあったかも)。
北は石川。西北は西俣野。南は境川沿いに鵠沼まで。藤沢宿も大庭庄。
六会(石川、円行、亀井野、下土棚、西俣野、今田)のうち石川と西俣野が大庭庄。
西南は茅ヶ崎の柳島。西北は相模川沿いに北上して萩園まで。田端は大庭庄ではない。
小出川の東は大庭庄。北は打戻まで。用田は大庭庄ではない。
遠藤は大庭庄。
というわけで、今の藤沢市の3/4くらいと茅ヶ崎市が大庭庄です。
116 :
神奈さん:2018/11/04(日) 15:20:03 ID:EOBhFxiw
117 :
神奈さん:2018/11/04(日) 18:01:57 ID:dv0Cuaag
>>116◯◯氏が治めていた、というより、地名◯◯を治めていたから◯◯を名乗った。
その一族が他の土地に移り住んで、その土地が◯◯と呼ばれるようになった。
とかいうパターンもありますんで、なんともむずかしいw
三浦の津久井を治めていた津久井氏が移ったので相模原市に津久井がある、とか。
庭地名ですが、これも面白いんです。
地名の小字レベルで上ノ庭、中ノ庭、下ノ庭というがあります。
他に大庭、野庭なども。
荘園制度の時代の名残なのか、ただ単に平地(耕作地)をそう呼んでいるのかはもはや不明ですが
どういうわけか相模国は多いのに、武蔵国の横浜北部、川崎になるとゼロかもしれません。
118 :
シーベルφ:2018/11/06(火) 01:42:58 ID:zHK2DECA
109,110 削除ガイドライン7で削除しました。
119 :
神奈さん:2018/11/07(水) 01:53:21 ID:hH197Fww
横浜市在住の私からすると太田道灌といえば小机城。
ただし、現状は第三京浜に一刀両断されてます。(必見)
(港北インター付近ね)それを見るともう少し何とか
ならんかったのかなあと思う今日この頃。
ちなみに横浜線は2本のトンネルでくり抜いてます。
それでも今年はJRも乗っかって城祭盛り上げてましたが
どこぞに雨男か雨女がいたみたいで・・・(涙)
120 :
神奈さん:2018/11/07(水) 07:34:31 ID:Fi/n50eg
>>119雨男雨女の話題は禁句!
オレが傷つくから禁句!
121 :
神奈さん:2018/11/07(水) 08:43:42 ID:l8IWxGLg
>>119太田道灌が攻め落とした頃の小机城って今の城域と同じだったのでしょうか。
線路はさんだ対岸のお寺さんの裏山が古城跡と聞いたことが。
今の小机城は見やすくていいですよね。
一部、なんでここに土橋?と首をかしげる部分もありますが(虎口付近ではなく)。
122 :
神奈さん:2018/11/07(水) 08:50:35 ID:l8IWxGLg
123 :
神奈さん:2018/11/08(木) 08:10:30 ID:bZnSMIew
>>122の足柄県の地図を見ていて思い出したのですが(相模国)。
三浦郡エリアの磯が近い土地で、路傍の石仏(特に地蔵的なもの)に
貝殻のネックレスが掛けてあることが多かったのを思い出しました。
貝殻はアワビの類いが多かった。
耳とか目の病が治るように願掛けして、病気が治って聞こえる、見えるように「通じた」たら
貝にも穴を開けて通じさせて奉納する、という趣旨の解説(所々間違えているかも)を見たことがあります。
もっとも、お寺さんの境内にあったものは、近所の人が飾りで勝手にやってるだけ、という返事でしたが(笑)
これは当然、貝殻を得にくい内陸部だと変わります。
ほとんどは小石を積むだけですが、中には石に穴を開けてネックレスにしている所もありました(たしか都筑郡)。
こういう石仏や祠への奉納物で何か珍しいものを見たことはあるでしょうか。
シャモジやザルなんてのもありますが、大雑把な地名や由来をご存知でしたらそれもお教え頂きたく〜。
124 :
神奈さん:2018/11/09(金) 07:33:20 ID:uXmPqm7Q
神奈と言う川はない。
125 :
神奈さん:2018/11/09(金) 07:51:42 ID:7RtGFbFw
太田道灌が江戸のインフラ整備の拠点
東京都江戸川区東葛西1丁目旧江戸川沿い
長島城、現在は広大な駐車場
近所からは大量の大判小判が発掘されている
126 :
神奈さん:2018/11/09(金) 12:40:22 ID:RM+6HEtA
127 :
神奈さん:2018/11/09(金) 13:39:00 ID:i2JKny7Q
小机城。今からでも観光客増えれば
ワンチャンあるかもい。
128 :
.:2018/11/09(金) 13:55:07 ID:rEhTJyEg
129 :
神奈さん:2018/11/10(土) 08:07:39 ID:K9l1yxXQ
篠原城
現存の部分から、たいしたことなかっただろと思ってましたけど
発掘の現地説明会で見たら案外凄くて驚きました
130 :
神奈さん:2018/11/11(日) 13:56:57 ID:Ngn3o2eg
報告
横浜市都筑区中川や大棚界隈では「ドダン」と呼ぶ砂盛りの一種をやっているようです。
名前のとおり砂ではなく土を使用していますが、花立、線香、ナスキュウリの牛馬を乗せる。
屋内ではちゃんとしたお迎えの祭壇、オショウロ様を迎えるための墓参りなどとセット。
131 :
神奈さん:2018/11/16(金) 09:06:33 ID:eWH0JhIQ
普通に生活していたら、まず目にすることはありませんし、代々同じ場所という家の人でも
もはや忘れ去られているであろう神さまがあります。
似たような例は他にもあるだろうと思いますが、養蚕(ようさん)信仰をご紹介。
江戸時代の終わり頃から、隆盛は明治大正期、昭和初期まで続いた産業が養蚕です。
カイコに対する供養、豊作など目的は明確で、養蚕が流行っていた時代に、いきなり拡散しました。
需要も多かったと見えて、蚕影(こかげ)神社などの神道系がありますし、寺院でも扱っていました。
さらには、養蚕事業を広めていた企業家が神像を作って配賦していた事例もあります。
最後の企業家が配っていたのは金色姫(こんじきひめ)の鋳像。
片手に桑の葉、片手に繭を持つ女神で、ルーツは茨城県の伝説。
日本に養蚕を伝えたとされますが、乗っていた「うつろ舟」がUFOみたいだと、割と知られているか。
どんな像容かは
http://www.kaikologs.org/あたりで確認できます。
相模原市緑区の旧津久井郡ではかなり配賦されたようですが、養蚕農家が無くなって
像の始末に困り、神社へまとめて奉納されている所もあります。5,6体はある。
この企業家は横浜市泉区に工場があり、繭を仕入れる集荷場は海老名、養蚕の指導では
旧津久井郡と、神奈川県内を走り廻った人ですが、今は知っている人もほとんどいません。
132 :
神奈さん:2018/11/16(金) 15:59:04 ID:ofgUhP3w
>>篠原城
初めて訊いたけど新幹線駅から近いのでしょうか?
133 :
.:2018/11/16(金) 16:27:08 ID:KUCud4pQ
>>132はい
いわゆる新横浜駅篠原口から東側へ500mもいかない場所、新幹線と横浜線の間にはさまれた丘です
Google mapに「篠原城址」と入れると出てきますよ
134 :
神奈さん:2018/11/17(土) 07:47:10 ID:cS1HsGLQ
>>132新幹線のホームからでも、場所は見えます。
でも住宅街の中。
明確な堀切が1つ、家の脇から下(新幹線側)に向って1本。
その尾根の最上部が主郭になるようですけど、ただの雑木林になっていて、その周囲にも堀。
横浜線路側からアクセスできますが、入口周囲の新しい住宅地を造成する前に、緊急発掘が行われて
割と落差のある切岸や堀跡が出ました。今は埋め戻されています。
135 :
神奈さん:2018/11/21(水) 09:44:42 ID:wIAXFCcg
神奈川県域で独自進化したと言われている民間信仰に地神信仰があります。
大地に対する信仰はプリミティブなものなので、世界中にあります。
日本では大別して神道、仏教が該当する信仰対象を用意していますが、
総称はほぼ地神で統一されていますが、個別には色々な呼び方があるようです。
地神と書いても「じがみ」、「じしん」、「じちん」などがあります。
神奈川では以下の石造物が作られています。
地神の文字塔:神道と仏教両方あるようです。
堅牢地神の文字塔:仏教。
堅牢地神の刻像塔:仏教。特に修験系とされている。
社日塔:神道。五柱の神の名前を彫ってあり、五角形の角柱が多い。
后土神の文字塔:神道なのか仏教なのか判らない。
后土神の刻像塔:県内に1つしか無いかも。
土公神の文字塔:神道か仏教なのかあやふや。
天社神塔:文字塔のみ。神道なのか仏教なのか不明。ネタ元も不明。
豊作祈願という目線だと、ここに稲荷や「豊穣」の文字が彫られている石造物も入りますが
数が多過ぎるので除外。
136 :
神奈さん:2018/11/21(水) 09:59:37 ID:wIAXFCcg
これだけの種類が混在している県は他に無いという説もあります。
実際、関西だと社日塔しか無い県もあるようです。
社日信仰は、江戸時代に国学者が「春秋社日しょうぎ」という本を書いてから大流行。
神奈川では出版されてから2,3年後に社日塔が作られているそうです。
そしてほぼ同時期から堅牢地神なども作られ始めているとされています。
つまり、地神信仰が流行したので、似た物を作ったことになります。
上記の中で后土神と土公神のルーツは中国の道教ですが、陰陽道に輸入されています。
長い間に解釈が変わってしまったようで、土公神は中国では墓地の守り神ですが神奈川では農耕神になっています。
実は土公神は横浜中華街の人達の墓地にあったりしますし、長崎では民間に拡がり転じて魔除けにもなっています。
堅牢地神は藤沢の神礼寺という修験寺が広めたとされていて、相模川以東に集中していますが
137 :
神奈さん:2018/11/24(土) 09:25:56 ID:MhSEH7hw
神奈川県立博物館で鎌倉の面掛行列を中心とした特別展をやっていて見てきました。
http://ch.kanagawa-museum.jp/exhibition/3168面掛行列は毎年9月に長谷の御霊神社で行われている祭。
猿田彦を先頭に、異形の面をつけた数人とオカメという妊婦、介添え役が続くもの。
オカメさんは源頼朝の浮気相手で、子供をどうしてくれるのだと強訴した様子を再現した、などという伝承もあります。
ただし、博物館ではそういう解説はしてません(笑)
かつては北鎌倉の八雲神社でも似た行列が行われていたそうで、
行列の写真や仮面も展示されています。
138 :
神奈さん:2018/12/02(日) 12:12:14 ID:3RDSBfJQ
鳥屋(とや)という所の山の上に小さな神社があって
金太郎権現とか大杉一之太郎権現という珍しい名前の神さまが祀られていたので、
どういう神さまなのか地元の人に訊いてみたけど
もう知ってる人がいないというお返事でした。
金太郎は、まさかりかついだ金太郎とは関係ないそうです。
集落の一部の人達しか祀っていないような、小さな神社は、これからどんどん消えて行くのかも。
139 :
98:2018/12/03(月) 13:17:30 ID:xHekggdw
ごぶさたしております、98です。
11月に大庭言葉を取材させていただく予定でしたが、ちょっと予定が変わってしまい未だ果たせずです。
取材が果たせたら成果をご報告したいのですが、12月1月は日本を離れるのでしばらくみなさんのお話もうかがえず残念です。
>>115取材対象の方は今は大庭エリアに住んでいないのですが、大庭だけど六会側、善行側というような話をされていました。
そのあたりも確認したいです。
>>117大庭というのが伊勢神宮領だったからというのであれば、綾瀬との市境に近い家中庭などの地名もそうなのでしょうか。
この地名を見たとき、日本にもスペイン建築のパティオ(中庭)や、中国の共有庭などの文化があったのだろうかと思ったのですが(思っただけで裏付けゼロです)。
140 :
神奈さん:2018/12/04(火) 13:29:01 ID:gGGMuROQ
141 :
神奈さん:2018/12/04(火) 13:43:18 ID:gGGMuROQ
142 :
神奈さん:2018/12/05(水) 03:21:00 ID:wZE7RZ8w
143 :
神奈さん:2018/12/05(水) 07:28:11 ID:IvLtSvzg
>>139「家中庭(かちゅう-にわ)」ですので大庭御厨とは別物ですよ
リンク貼るとNGになるので詳しくは「家中庭+藤沢市」で検索してお調べ下さい
144 :
神奈さん:2018/12/11(火) 10:27:12 ID:M3MEE0lQ
他県は知りませんが、神奈川には「庭」地名がとても多いです。
神社に寄附された土地でも使われていますが、それとは関係なく
上庭、中庭、下庭など、1つの村を単純に三分割しているだけ
としか思えないような使い方もあります。
145 :
神奈さん:2018/12/11(火) 10:34:39 ID:M3MEE0lQ
大庭が出て来たのでついでに。
先日「大庭城のなぞにせまる」という講演があったそうです。
太田道灌が築城して後北条氏が修復した、という説には否定的な意見が主流になっているとか。
ただ、上杉氏の築城と考える学者もいるようで、太田道灌ではないとすると山内なの?
山腹に残る遺構が上杉の時代なのか?とか、という疑問もありますが
講演を聞いたわけではないのでよくわかりません。
146 :
神奈さん:2018/12/12(水) 08:36:52 ID:QhVLBKhw
大磯駅ロータリの前にある隠れキリシタン資料館(澤田美喜記念館)で
刀のツバ(鍔)に十字架装飾をしたものなどがあり、刀剣の研究者が鑑定したとか。
今月から集中展示してるみたいです。
http://www.elizabeth-sh.jp/pg146.html隠れキリシタン遺物はこじつけも多く(キリシタン燈籠とか)鵜呑みにはできませんが
蒐集品の多さでは国内トップクラスなので、面白い資料館です。
147 :
神奈さん:2018/12/16(日) 08:27:36 ID:o6Nf+YXw
148 :
東横水郷:2018/12/22(土) 05:55:40 ID:2RHyEtNg
澤田美喜ってエリザベス・サンダース・ホームの創設者でしたよね
敷地にそんな施設があったんですか
隠れキリシタンと言えば名前もうろ覚えなんだけどw
魔鏡?とか言う鏡があって光で反射させて投影させるとマリア像が映るとかあったなあ
横浜の歴史博物館はそう遠い場所でもないので機会ができれば行ってみよう
149 :
神奈さん:2018/12/22(土) 09:26:21 ID:oTGmtSKw
>>148魔境が横浜歴博に展示されているのかは不明です。
大磯には展示されていますが、反射で写るマリア像は確認できなかったような記憶が。
研磨などの手入れしていないと曇っちゃって、鏡としての機能が劣化するそうです。
ちなみに歴博で展示されている巻物の見所はポルトガル語のオラショをカタカナで書いている点と
絵が和風という点だそうですが、個人的には千五百九十二年の紀年銘でした。
中世に西暦を使ってた人達がいたんですね。
150 :
神奈さん:2018/12/22(土) 09:30:24 ID:oTGmtSKw
来年のドンド焼きは1月13,14あたりが多そうです。
三浦半島では「おんべ焼き」と呼んでいるそうです。
おんべが何か判らんのですが、燃やす長い竹のことらしい。
しかも大磯あたりとは違って、道祖神の要素は無いみたいです。
ドンド焼きの火であぶるダンゴも、大磯あたりは「ダンゴ」。
相模原になると「まゆ玉」。これはオカイコさんをやっていたかどうかで違うようです。
151 :
神奈さん:2018/12/22(土) 13:42:02 ID:41eqgJhA
大磯は左義長では!?
やることは一緒ですが、、、
152 :
東横水郷:2018/12/22(土) 14:10:38 ID:2RHyEtNg
>>149情報ありがとうございます
魔鏡の実物が県内にあるとは
「おんべ」は御幣(ごへい、おんべい)の派生かも知れませんね
153 :
神奈さん:2018/12/22(土) 19:15:36 ID:aYOzV51w
>>152こちらは、横浜の南部ですが、かつて御幣のことをオンベラと呼ぶ長老達が居ました。今でも通じると言えば通じる感じの言葉。
154 :
神奈さん:2018/12/23(日) 08:30:12 ID:eeVwIF7Q
>>152>>153なるほど! と合点がいきました。
ドンド焼きで燃やす正月飾りなどを御幣と見れば、そのものズバリですね。
子供時代は横須賀中央部の農村に近い新興住宅地で
祭などはあったものの、ドンド焼きの風習が多分無かったので話を聞くこともありませんでした。
>>151大磯。左義長の呼び方は明治以降という話を聞いたことがあります。
それより前に何と呼んでいたのかまでは聞いてませんが...
明治の元勲とか金持ちの別荘地だったので、京風に合わせたのか?
155 :
神奈さん:2018/12/23(日) 17:35:12 ID:XKcpcTbw
横浜市栄区の田谷付近では、どんど焼きの事を「さいと焼き(どういう字かは不明)と呼んでいたそうです
昔からそんな大規模に行う訳ではなく、古い農家がうちうちでやる行事らしく
実際にやっているのを一度も見た事がありませんでした。今は引っ越してしまったのでどんな感じかは知りません
156 :
神奈さん:2018/12/23(日) 23:51:26 ID:eeVwIF7Q
>>155本当の所は知りませんが、2つくらい候補があるかも。
密教とか修験道で、火を燃やして祈祷するのを柴灯護摩(サイトウ・ゴマ)といいます。
お祓い(おはらい)でもやるので、それで柴灯祓い(サイトバライ)=さいと焼き。
もう1つは、塞神(さいのかみ・さえのかみ)の場所でやるお祓いだから=さいと焼き。
道祖神だけでなく、他の石仏などが置いてある場所をセーノカミと呼ぶ土地もあります。
土地によってはセーノカミの石をドンド焼きで燃やす所も。
塞は防ぐ意味ですが、「ト」が何かとなると「戸」で場所を示す、のかな〜(笑)
そういえば「サイト」と読む地名は意外にありますね。マッピングしてみたくなるw
157 :
神奈さん:2018/12/31(月) 16:10:35 ID:vBVlI/iQ
年明けまもなくで終りますが
金沢文庫の「顕われた神々」展が面白かったです。
神仏習合時代の神像や、仏教版の祝詞みたいな唱道が展示されていました。
唱道の中には伊勢神宮にも残っていない史料もあって、さすが金沢文庫だと。
158 :
神奈さん:2018/12/31(月) 21:37:08 ID:1VdlJq9Q
調理師試験で毎年全国の名産品ネタが
出題されるんですけど、(秋田県→きりたんぽとか)
何故かご当地ネタで、けんちん汁発祥と、
建長寺との関連が出題されて固まりました。
本当なの?
159 :
神奈さん:2019/01/01(火) 03:31:20 ID:4Zpmt5TA
160 :
神奈さん:2019/01/01(火) 19:09:54 ID:bsPBCjuw
一度だけ建長寺で、それらしきものがふるまわれているのに遭遇したことあります。
檀家以外は有料で、じゃあいいやと食べなかったけど
今にして思えば本家本元のケンチン汁だったわけで、食っとけばよかった。
161 :
神奈さん:2019/01/02(水) 14:51:57 ID:MC24oolA
(^.^)(-.-)(__)皆様ありがとうございます。
けんちん汁とはカレーの具を
醤油で味付けするという認識なの
ですが、それでよろしいでしょうか?
162 :
神奈さん:2019/01/02(水) 14:59:52 ID:HWFJ4sNw
163 :
神奈さん:2019/01/02(水) 15:04:59 ID:cIYbryrA
正しいか分からないですが、カレーはジャガイモやタマネギ、けんちん汁はサトイモや長ネギ。
我が家ではそうしています。
あと、けんちん汁には、カレーには無いゴボウ、コンニャク、くずした木綿豆腐を入れています。
164 :
神奈さん:2019/01/02(水) 15:28:44 ID:D6ZNOTxQ
うちはあと細く切った油揚げかな
かみさんにこれだけはお袋のと同じやつとお願いしましたw
汁かけご飯にしても旨い
建長寺説以外にも諸説あるようだけど(wiki)、聞いたことあんのは建長寺のだけだなあ
165 :
神奈さん:2019/01/02(水) 16:27:22 ID:5tIh6uRA
うちのお母さんが作るけんちん汁には人参と肉団子が必ず入ります。
しらたきも入る事があるので邪道ですね。
でも美味しいですけど。
166 :
神奈さん:2019/01/02(水) 17:16:25 ID:HWFJ4sNw
けんちん汁は精進料理やで
肉なんか入れたらアカンやん
167 :
神奈さん:2019/01/04(金) 08:35:49 ID:YRQmnQww
お寺さん発祥なら納得ですが、
精進料理との認識はありませんでした。
168 :
神奈さん:2019/01/04(金) 10:54:33 ID:BGZKq2kQ
店でケンチン汁を頼んだら醤油味の豚汁だったことがあるなぁ
味噌が豚汁で醤油がケンチンという説明だったのにはあきれたけど
世間ではそういう認識なのかも
169 :
神奈さん:2019/01/04(金) 13:33:37 ID:lrXAEOEQ
我が家もけんちん汁に豚肉を入れています。
元は精進料理なので動物性食材は入れないのが本来なのでしょう。
しかし、けんちん汁が一般料理に変化している現代では豚肉を入れても問題ないかと思います。
170 :
神奈さん:2019/01/04(金) 18:09:05 ID:BGZKq2kQ
気になって芋煮を調べてみたら、芋煮も里芋&棒鱈やニシンだったのが
昭和になって里芋&牛肉になり、今やそれが定番
全く関係ありませんが、当家の雑煮は澄まし汁に焼き餅と青菜のみ
出汁はカツオなので精進ではありませんが、こんなシンプルなのは珍しいようで
171 :
神奈さん:2019/01/04(金) 19:17:50 ID:nlv94ghQ
今年のどんと焼きはいつ頃行われるのかな?
172 :
神奈さん:2019/01/04(金) 21:51:15 ID:uxOTRCdQ
173 :
神奈さん:2019/01/04(金) 23:14:31 ID:lrXAEOEQ
>>170我が家も同じく、雑煮はすまし汁。
餅のほかは、ミツ葉と香り付けに柚子の皮を少々。
174 :
神奈さん:2019/01/05(土) 09:15:20 ID:3CqlcDeg
>>173お〜。三つ葉と柚皮、そのまんま同じです。
親によると、祖父は神奈川ですが、時代が時代だったのでシンプルになったのか、
あるいは祖母が某侯爵(福岡藩)家に奉公していたので、そこで覚えたのか、ルーツは不明だそうです。
175 :
神奈さん:2019/01/05(土) 09:25:21 ID:3CqlcDeg
>>171小正月にやるのが正式。
土地によってバラバラですが、週末に合わせることが多いので、今年は12〜14日が多いでしょう。
大磯の海岸は13日。
鎌倉の材木座は11日。
176 :
神奈さん:2019/01/05(土) 10:38:50 ID:Ld1mN0Fw
>>173>>174つまり、関東一般で入れる鶏肉とカマボコが無いんですね
鶏肉は入れると出汁の風味が全く変わり、私なんかだとこれぞ雑煮ってことになる
カマボコはナルトだったり無かったりと、脇役です
177 :
神奈さん:2019/01/05(土) 14:18:46 ID:NRQ4auoA
173ですが、家族で鶏肉ダメ人がいますが、鶏肉入りバージョンも作ります。
ナルトはどちらのバージョンにも入れますね。
178 :
神奈さん:2019/01/05(土) 14:43:23 ID:IwFxkuqA
>>177なんだ、結構関東の普通っぽく色々入れるんじゃないのw
>>173の書き方から、まさか蒲鉾まで入れてるとは思いませんでした
179 :
神奈さん:2019/01/05(土) 14:45:30 ID:IwFxkuqA
あ、なるとでしたね
いずれにせよ174さんがイメージしてるシンプルってのとは少し違ってきますね
180 :
神奈さん:2019/01/05(土) 15:01:29 ID:NRQ4auoA
173です。
174さんに「同じ」と応じたところは「すまし汁」だけなのですが、誤解をお与えしたなら申し訳ない。
181 :
神奈さん:2019/01/05(土) 15:18:20 ID:sKQ0Hbrg
些細な事でも地域性や細分化が
すごい。(称賛)
182 :
神奈さん:2019/01/05(土) 22:39:02 ID:8pVy0+LA
なんと奇遇な。
私の家も父が久留米藩出身なので、
それを受け継ぎ、すまし汁です。
183 :
神奈さん:2019/01/05(土) 23:18:32 ID:wclaZVUA
杉山神社はなぜこんなにたくさんあるんだろう
184 :
神奈さん:2019/01/06(日) 10:28:55 ID:AzH2CfLw
諸説あるね
・延喜式内社で有名な神社だったので分社した
・場所がら洪水の多い場所だったので被害に遭う度に遷宮を繰り返し古いのもそのまま残った
・人気にあやかり杉山神社を名乗ったり名前を変えた神社が出てきた
ちなみに日本で一番多い神社は「八幡神社」
185 :
神奈さん:2019/01/06(日) 12:29:29 ID:WUafNWHg
186 :
神奈さん:2019/01/06(日) 12:44:20 ID:uk4bFsfQ
代表的神社のひとつの天満宮、神奈川県にもいくつもありますが、数年前自宅から徒歩数分のところにもあることをネットで知り、子供の試験も近かったので行ってみました。
そしたら民家の裏側に小汚く小さなお社らしき物があり、「天満宮」と立て札があるだけで、早々に引き上げました。
太宰府や北野や湯島に詣でた時のイメージからはあまりにもかけ離れてましたが、これもありかなと思いました。
187 :
神奈さん:2019/01/06(日) 13:44:06 ID:WUafNWHg
天満宮や天神は雷除け(=火事除け)が多いんじゃないかと思ってますが
今の時代は学問なんですよね。
火事除けも流行があって、明治以降は秋葉が多いかも。
小田原市国府津の天満宮には「とおりゃんせ」の歌発祥の地という石碑がありました。
ほんとか?と思って調べたら、他にもうちが発祥とする天満宮が。
なにげに小田原は「めだかの学校」発祥の地も自称してるので、好きなのでしょう(笑)
188 :
神奈さん:2019/01/06(日) 14:40:48 ID:06hduhtA
>>187>今の時代は学問なんですよね
天満宮が学問の神となったのは、江戸時代の頃からだそうで、
寺子屋には天神さまの像が掲げられていたとのことです
だから今の時代は、というわけじゃないのでは
189 :
神奈さん:2019/01/06(日) 14:54:09 ID:kyeZDUWQ
>>188漢字で「かみさま」ってNGワードなんですね
あぼーん
191 :
神奈さん:2019/01/07(月) 07:49:08 ID:0hcFHBcQ
あちゃー ダメでしょそれ
192 :
神奈さん:2019/01/07(月) 08:12:55 ID:D+d5vQRA
七草粥三つ葉をいれて8草に。
あぼーん
あぼーん
195 :
シーベルφ:2019/01/07(月) 14:06:44 ID:GKJ/6Ngw
190,193,194 削除ガイドライン2,5,7で削除しました
地域差別につながる発言はご遠慮ください
196 :
神奈さん:2019/01/07(月) 14:46:51 ID:gXK0YGiA
>>188寺子屋で天神を祀っていたのですか。
それは面白い。
神社の勧請時期が江戸時代だったら、最初から学問もありうるのか。
寺子屋があった村に天神社があるか、とか調べたら面白そうです。
197 :
神奈さん:2019/01/12(土) 10:22:20 ID:OTq9kEmw
>>155サイト焼きは「斎灯焼き」と書くみたいです。
198 :
神奈さん:2019/01/12(土) 10:32:17 ID:CgPCY2/w
斎は斎部氏=元の忌部氏、古代朝廷の祭祀を司る一族から採ったんでしょうかね
そんな気がする
199 :
神奈さん:2019/01/12(土) 11:01:52 ID:OTq9kEmw
鎌倉、今泉の白山神社でムカデの注連縄が毎年正月に作られているそうで見に行ってきました。
ムカデと言われないと判らない...。
こういう、注連縄に限らず、ワラとかカヤとかで作る造形物って県内にあるのでしょうか。
横浜の新羽では近年になって藁蛇が復活したみたいです。
村の入口に飾るものだったとか。
投稿先をミスしたら、戸塚の大草鞋を教えてもらいました(笑)
200 :
神奈さん:2019/01/12(土) 12:02:53 ID:5KoEFYsw
気象情報じゃないわな。
201 :
神奈さん:2019/01/13(日) 08:21:47 ID:35l1e6HQ
>>197横から失礼します。トンドもサイトも、歳徳神の歳徳の読みの訛りかと思います。トシドク、サイトクの変化で。元来、よりしろとして、ここですよ!と松竹を門口に立て、歳神さまを迎えたら、飾りを焼いて、天に返す行事。横浜の南部ですが、昔の年寄りは、さいとと言っていました。文字は分かりませんが。今は、どんど焼きの方がメジャーですね。
202 :
神奈さん:2019/01/13(日) 19:00:13 ID:F7lW2EvA
>>201なるほど歳徳神。そうなのかもしれませんね。
文献によると横浜北部ではドンド焼きの名称は戦後になってから入って来たもので、
伝統的にはサイト、セートだったそうです。
203 :
神奈さん:2019/01/14(月) 08:09:40 ID:zbMTe2XA
雑煮は里芋、鶏肉、柚、
モチで。
204 :
神奈さん:2019/01/17(木) 10:21:07 ID:O7rsX9Yg
妙な質問ですが、皆さん、いわゆる初詣はどこに行っているでしょうか。
有名な寺社、地元の鎮守が神奈川では一般的かと思いますが、恵方詣をする方はいらっしゃるでしょうか。
恵方詣は伝統行事で、今年だと東北東にある神社へ参ることになります。
まったくやっていないし聞いたこともない、という地方もありますが神奈川はどうなのかと思って。
註)恵方巻を食べる行事とは別です。
205 :
神奈さん:2019/01/17(木) 10:28:59 ID:eT3rFH4g
目標とする神社へ直接向かわず、神社が恵方の方角になる地点まで出向き、そこから神社に参拝しています。
206 :
神奈さん:2019/01/17(木) 12:19:36 ID:GX45Vhjg
207 :
神奈さん:2019/01/17(木) 13:09:56 ID:+w1FTWLw
>>206そういうことが知りたかった訳じゃないと思うのですが…
208 :
神奈さん:2019/01/17(木) 19:17:43 ID:O7rsX9Yg
>>205方違えをして恵方詣ということでしょうか。
びっくりしました。そんなにちゃんとやっている家もあるのですね。
>>206>>207207さんの仰る通りで(笑)
有名な寺社への初詣は鉄道が通ってからのことだそうで、明治になって一般化したそうです。
江戸時代は初詣という呼び方すらしていなかったとか。
209 :
神奈さん:2019/01/17(木) 19:43:58 ID:U4uGThog
>>208ウィキペディアの「初詣」を読むと、以下の様に仰るとおりですね。
1872年(明治5年)の東海道線開通により、従来から信仰のあった川崎大師などへのアクセスが容易になった。
それまでの東京(江戸)市民の正月参詣は市内に限られていたが、郊外の有名社寺が正月の恵方詣りの対象とみなされるようになった。
また、郊外への正月参詣は行楽も兼ねて行われた。
「初詣」という言葉は、それまでの恵方詣りとも縁日(21日の初大師)とも関係のない川崎大師への正月参詣を指すのに登場した
210 :
神奈さん:2019/01/17(木) 21:44:07 ID:GX45Vhjg
>>208神奈川県民が行く主な初詣先では無く
このスレの住民が行く初詣先ですか?
もっと単純に、このスレの住民は恵方詣するの?と言う事ですか?
私はしません。
>>209確かに明治以降鉄道網の発達により参詣が容易になり初詣する人が増えましたが
実際に数千万人が初詣する様になったのは戦後のモータリゼーション化に伴い
自動車祈祷を望む人が増えた昭和30年代以降爆発的に増えたらしいです
しかし正月三が日の神社仏閣の参拝者数を調査していた警察庁は1974年-2008年で
明治・大正・昭和中期の参拝者数を裏付ける資料が無いのでwiki的に言うと「要出典」になると思います
211 :
神奈さん:2019/01/17(木) 22:02:45 ID:j4Ctr2jw
>>210>>206は神奈川県民が行く初詣先ではなくて、神奈川県内の参詣客の多い初詣先だしね
つまり神奈川県民でも明治神宮に行く人もかなりいるだろうし、逆に都内から川崎大師に来る人もいるだろうし
統計としてはそのあたりも考慮しないとね
212 :
神奈さん:2019/01/17(木) 22:35:22 ID:eT3rFH4g
>>105のものですけど葉山町では常識です。
21日に天皇陛下が最後の御用邸の訪問です全てのよろずの神も平成最後の年を祝おうw
213 :
神奈さん:2019/01/17(木) 23:39:28 ID:0kfBOKTg
初詣って、神社に行くのだと思っていたのですが、神奈川では神社とお寺とどちらにも行くのですか?
214 :
神奈さん:2019/01/17(木) 23:42:48 ID:J47Qpuxw
神奈川はチャグチャグ馬コしないの
215 :
神奈さん:2019/01/17(木) 23:55:17 ID:U4uGThog
初詣ということばの始まりが、川崎大師 平間寺という真言宗のお寺への参拝からだからねぇ。
というか、川崎大師や成田山新勝寺の初詣なんて毎年よく聞くメジャー中のメジャーでしょ。
216 :
神奈さん:2019/01/18(金) 01:19:01 ID:5uU9ulBg
>>210書き方が、自分で読み直しても、なんかよくわからん内容だと思いましたw
恵方詣をしている人はいるのだろうかと知りたかったのが趣旨です。
>>212なんと葉山でしたか。
名前を恵方詣とは呼んでいなくても、やっていることはそのまま同じ、という所は意外にあるのかも。
>>213神 仏 分 離は明治以降の150年程度の歴史ですが
神 仏 習 合は538年の仏教伝来以降1300年以上の歴史がありますから
好きな方に参拝してください。
>>216恵方詣って年によっては恵方が海で寺社が無いって地域も出ますので参拝できる寺社が無くなる問題が出ます
まぁ参拝したい寺社に行き、その年の逆恵方に一度向かい、改めて恵方に歩いて参拝する裏技(?)もありますが
そして初詣は願掛けをするのではなく”と し が み さ ま”に新年のお祝いと抱負を言う場で
お賽銭を上げて合格祈願等はお門違いです
218 :
シーベルφ:2019/01/18(金) 02:42:12 ID:TucSR6mw
>>217確かにそれは私も謎なんですが、できればこっそり認知していただければ幸いです。
219 :
神奈さん:2019/01/18(金) 03:06:30 ID:8X5yhJFA
恵方って誰が決めるんだろう。
本来朝廷の専権事項だよね。
今朝廷はそういう仕事してる?
220 :
神奈さん:2019/01/18(金) 05:39:34 ID:Imhr0Y6Q
ん、今は朝廷って無いでしょ。
高島暦を作ってる占い師が公表してるとか?
221 :
神奈さん:2019/01/18(金) 05:46:41 ID:STpam2Tg
新年の初交通事故のニュースが初詣関係でないことを
祈るばかりです。交通安全祈願で事故っちゃあ
シャレにならんがな。
222 :
神奈さん:2019/01/18(金) 20:19:04 ID:aX7Z9xgA
>>218> できればこっそり認知していただければ幸いです。
どれがですか?
とりあえず
Q:初詣は神社?お寺?どっちに行くべきなの?
A:お好きな方に神仏は寛容です
Q:今年厄年なんだけど神社?お寺?どっちに行くべきなの?それとも厄除け大師に行くべき?
A:お好きな所で厄除け祈願してください神仏は寛容です
Q:恵方詣りしないとダメですか?
A:そんな事はありません。神仏を敬う心があるなら大丈夫です神仏は寛容です
Q:初詣は何日までに行けばいいの?
A:年内であれば大丈夫です。大晦日(12月31日)でも問題ありません)神仏は寛容です
Q:初詣に行けそうにないけど大丈夫ですか?
A:できれば参拝して欲しいですが神仏を敬う心があるなら大丈夫です神仏は寛容です
Q:初詣の時にお願い事をしてはダメなの
A:初詣は昨年一年間無事に過ごせた事を感謝し、今年もよろしくおねがいします。と挨拶する場ですので
「合格祈願」や「万馬券当てたい」等の祈願はお門違いです。
しかし折角参拝されたのですから社務所や寺務所にお越しください。祈願受付しております。
とテレビで有名神社の宮司さんと有名寺院の住職さんが別々にインタビューされたのに同じ回答されてました
223 :
神奈さん:2019/01/18(金) 21:11:13 ID:5uU9ulBg
>>219ルールがあって、それで決まっているみたいです
今年は己亥(つちのと・いのしし)が干支ですが、干支の干だけで決めているようです。
甲/己の年:東北東 ←今年
庚/乙の年:西南西
辛/癸/丙/戊の年:南南東
壬/丁の年:北北西
が、これだと恵方は4方向しか存在していないことになります。
だれがこのルールを決めたのかは謎。
陰陽道は中国道教がルーツですが、中国に歳徳神は無いらしいので、日本の陰陽道が何かを参考にして作ったのかも。
224 :
神奈さん:2019/01/18(金) 21:20:50 ID:5uU9ulBg
全くの余談ですが、今年の干支(えと)はイノシシ、というのは片手落ち。
干支の干は10。陰陽五行で木、火、土、金、水の陽(兄=え)と陰(弟=と)。5×2で10。
干支の支は12。今年の亥は日本だとイノシシですが、中国だとブタさんです。
これの組合せが60。60才を還暦と言うのは干支が一周(暦が還る)した意味です。
225 :
神奈さん:2019/01/18(金) 21:23:47 ID:PcZf2HDA
一見、古い歴史的な習慣だと思っていた「初詣」も、実は鉄道という近代文明とともに歩んできた。
このような例は他にも色々あるのではなかろうか。
226 :
シーベルφ:2019/01/18(金) 21:58:08 ID:TucSR6mw
227 :
神奈さん:2019/01/18(金) 22:22:09 ID:aX7Z9xgA
>>226そっちですか。
「あ゙っあ゙っあ゙っ!なんだオメー!“NGワード”気取りかぁ!」
と管理人さんに暴言吐いてた人が居たんだろうなぁ。と思ってます
228 :
シーベルφ:2019/01/18(金) 22:41:00 ID:TucSR6mw
>>227いえいえ、みなさんにはご不便おかけして申し訳ないです。
ただ、少し前にもNGワードの件が議題にのぼり、できればあまりおおっぴらにしてほしくないという表明が管理人から出されているので、共有はできるだけこっそりしていただければ、というお願いです。
229 :
神奈さん:2019/01/18(金) 23:53:19 ID:yLAIMn4A
恵方巻はコンビニや食品会社が儲けたいだけ。
バレンタインのチョコ、クリスマスケーキ、
節分の豆、土用の鰻等と一緒。
230 :
神奈さん:2019/01/18(金) 23:59:36 ID:RsmUxrow
231 :
神奈さん:2019/01/19(土) 00:53:13 ID:ZA25Bwqg
年神様
232 :
ゼロφ:2019/01/19(土) 07:25:19 ID:ExZU+fcw
NGワードの件でご不便おかけしてると思ったので、少し緩和しましたので
使ってみてください
233 :
神奈さん:2019/01/19(土) 10:20:20 ID:SvL4mkPA
>>225少なくはないでしょうね。
ここに書けるようなネタだと花火とか。
時代劇とかで花火が打ち上げられるシーンは、
今と大差ないカラフルなものだったり、白っぽい花火が打ち上げられていたりします。
でも、江戸時代の花火はほぼ赤一択(線香花火的な色)。
カラフルなのは明治以降。
234 :
神奈さん:2019/01/19(土) 10:31:54 ID:u86xQ30Q
時代劇も実は現代用語に翻訳されている。
「助さん、ファイト!」とか。
235 :
神奈さん:2019/01/19(土) 23:26:38 ID:HR5zfh1w
時代劇は風俗もそうですね。
既婚女性は眉剃りお歯黒が一般的でしたし
家父長制も武家や商家では一般的でしたが農民は庄屋・名主は以外は家制度では無く
母親は判るけど父親は判らない原始共産制だったのが普通だったみたいですし
>>232お気遣い有難う御座います
236 :
神奈さん:2019/01/20(日) 03:22:51 ID:6f+qkA+Q
リアルにやると、知事から画面が汚いって怒られるし
237 :
神奈さん:2019/01/20(日) 09:16:41 ID:0Xq7Adlw
大河ですかw
おなじ局で、タイムスクープハンターは低予算でもリアル感があって面白かった。
238 :
神奈さん:2019/01/20(日) 10:37:30 ID:0u24DhfQ
勇壮なイメージの武田騎馬軍団も実態は映画やドラマとは違い、小型馬で騎乗用より荷駄馬が多かったらしいとか
大河と言えば
「真田丸」で真田信繁と徳川家康が小田原城内に忍び込んで北条氏政に開城の説得をする
大坂城や江戸城のモデルになった総構えの大城にw
ええと、黒田官兵衛は?
ちょっと酷いw
239 :
神奈さん:2019/01/20(日) 16:59:57 ID:IpIZGsxw
今日は、どんど焼きに出向きました。少し風が有りましたが、沢山の見物客が来ていました。司会進行の女性が、こちらのサイトに火をつけるのは、◯◯さんと紹介して、おっ!サイトって言うの知ってるの?って思いましたが、よく考えたら、テントサイトとかBBQサイトの方のサイトなのかな?
240 :
神奈さん:2019/01/20(日) 17:23:14 ID:Wj2L55cg
どこであったのか分らないが、さいと焼きの「さいと」では?
241 :
神奈さん:2019/01/21(月) 21:35:18 ID:WDS+y+oA
>>238長篠の戦いについては懐疑的な説が多いみたいですね。
でも、馬の大きさは、長篠での騎馬軍が否定されて、逆方向へ振れ過ぎな感もあります。
木曽馬が体高140cm無いのは事実ですが、発掘とかで出ている馬の骨だと
鎌倉で大量発掘された人や馬の骨から推測されている馬だと150cm近いのがあります。
馬の博物館で展示されていたのも、それに近い大きさだったような。
242 :
神奈さん:2019/01/21(月) 21:47:02 ID:Z7jBZtlw
どこの馬の骨?
243 :
神奈さん:2019/01/24(木) 09:38:36 ID:mv+ULjHQ
244 :
神奈さん:2019/01/26(土) 23:37:33 ID:I5gJ0jew
鎌倉の国宝館でやってる源実朝展
秦野の首塚にあった木製五輪塔が展示されていました。
マニアックですが現物を見れてラッキーだった。
245 :
神奈さん:2019/01/28(月) 11:10:26 ID:x8rd8+dg
>>239ちょ、サイトに火を付けたら炎上ってか?
(爆笑)!!!
246 :
神奈さん:2019/01/30(水) 12:43:02 ID:mr7SaJSw
今週末は初午。
一度、神事を見てみたいけど、稲荷が主祭神の大きな神社...
秦野の白笹稲荷か小田原の大稲荷くらいしか知らない〜
247 :
神奈さん:2019/02/02(土) 17:07:28 ID:7SWfpzqg
場所は来年以降に支障があるかもしれないので書きませんが
近場の稲荷で初午神事を見てきました。
小さい稲荷なのに神官が来て儀式を30分くらい
わりと近くで見れて何をやるのか判りました。
他所者にもお振舞もあって、昼食代が浮いてしまった^^
大きな所だとこうは行かないだろうなと。
248 :
神奈さん:2019/02/05(火) 15:45:01 ID:IYwl1cOA
横浜の弘明寺の節分は天狗が鬼を祓う追儺(ついな)をしているそうです。
伊勢原の大山寺や南足柄の最乗寺でもやっているかもと調べたら、やってないようで意外でした。
249 :
神奈さん:2019/02/05(火) 16:13:31 ID:IvNZop7g
地元の白楽スレできいても茶化した回答しか得られないようなので、情報お持ちの方いたらご教示頂きたく投稿します
それは関東大震災で出た横浜市街地のがれき利用についてです
山下公園がそれらのがれきで埋め立てられて作られた話はよく知られていますが、
神奈川区の白楽駅西口付近も震災がれきで造成されたというお話を横浜駅周辺スレで目にしました
そこで自宅近くなので教わった白楽駅西口→正面のローソンの三差路を左へ→この道の右側の壁面というか崖というか、に行ってみると、
なるほど道の右側に、古いレンガのようなものが斜めに入った擁壁が所々にあります
しかしながらいまいち本当かどうか確信が持てません
ちょっと検索してもそれらしい記述も見当たりません
どなたかこの件について情報お持ちの方はいらっしゃらないでしょうか?
250 :
神奈さん:2019/02/07(木) 09:47:22 ID:fJzX91VQ
>>249を書いたものです
残念ながらご存じの方はいらっしゃらないみたいですね
その後白楽スレで元ネタ提供された方?から少しフォロー頂きました
251 :
神奈さん:2019/02/07(木) 11:24:52 ID:xGJQZ1FQ
横浜都市発展記念館や横浜市中央図書館地下の横浜市史資料室あたりに相談してみると
何か手がかりがつかめるかもしれませんね
252 :
神奈さん:2019/02/07(木) 11:33:25 ID:FUMTBvkg
>>249地価に関係してしまうので、知っていても書けない可能性はあるかも。
ただ、大量の瓦礫で造成というのは埋立て地が多いような(桜木町もそうだった)。
横浜市は震災瓦礫の処分地を4つ決めていたようです。
小高い土地の白楽で大量に使うとは考えにくいですし
山の斜面下の宅地造成に瓦礫混じりの土を使った可能性ならありそうですが、
その程度だと記録は無いでしょうけれども、市に問い合わせてみては。
253 :
神奈さん:2019/02/07(木) 11:48:11 ID:s4LJdDCA
254 :
神奈さん:2019/02/07(木) 13:57:09 ID:tkyGzwnQ
255 :
神奈さん:2019/02/07(木) 14:51:36 ID:tkyGzwnQ
256 :
神奈さん:2019/02/07(木) 15:08:02 ID:+rJKzOWw
>>254>>255ありがとうございます。
実地検分したところでは、かなり古そうな道路脇の擁壁に斜めにレンガが入った箇所が数10メートルにわたって切れ切れに続いてるんですよ
元投稿の方はそれが震災がれきだとおっしゃってるようなのですが、出典がわからないのと、
いまいちなんというか綺麗すぎるんですよね
ストリートビューでも確認できますがあまり場所を詳細に書くのもはばかれます
257 :
神奈さん:2019/02/07(木) 16:33:47 ID:oiIsjZcw
>>249以前、横浜市開港記念館の仕事をしたときに、横浜駅周辺の震災時の写真や地図の展示をするということでお手伝いをしたことがあるのですが、その手の資料は昔あった横浜震災記念館に収蔵されていたもので、現在は図書館や開港記念館などに分散しているので、図書館な学芸員さんなどに相談するとわかるかもしれません。
図書館には必ず相談員の人がいるので、貸出不可でも閲覧できる資料は見せてくれます。
258 :
神奈さん:2019/02/08(金) 10:30:26 ID:MmqsLrkg
259 :
神奈さん:2019/02/08(金) 11:12:11 ID:n6rLeYFg
>>256ストリートビューを見てみました
「道路脇の崖に乱雑にレンガを積んだ跡」
と言うと、ご近所の住人が掘った防空壕
が思い浮かぶのですが、
ここって急傾斜地の斜面ですね
幅2mくらいの道路の両側で、5mくらい高低差があるのではないでしょうか
崖の中腹に道を這わせた感じです
崖から土がポロポロ落ちるのを防ぐために
レンガを積んだりセメントを塗ったりしてあるだけでは?
もちろんこのレンガとセメントだけでは
強度と言う意味では何の役にも立たないと思いますが
260 :
神奈さん:2019/02/08(金) 11:21:42 ID:NjqQf77g
>>259そのレンガが震災がれきだということらしいのですが、私が見た感じでは違うんじゃないかな、と思った次第
261 :
神奈さん:2019/02/08(金) 11:36:57 ID:n6rLeYFg
>>260違うと思います
>>255によると震災当時はそれこそ白楽全体で数件しか民家はなかったようですし
ググってみると白楽にまとまった数の人が住み始めたのは昭和初め頃みたいなので
仮に瓦礫が積まれていたとしても
そんなレンガを掘り起こして活用できますかね?
焼いた方が速くないですか?w
262 :
神奈さん:2019/02/08(金) 12:50:38 ID:NjqQf77g
>>261いや、仮にがれき利用だとすると、レンガは市内中心部から運んだんじゃないかな
263 :
神奈さん:2019/02/08(金) 13:09:09 ID:n6rLeYFg
>>262震災が大正12年でしょ?
白楽に人が移住し始めたのが昭和初め
もちろん最初は山の上などの平地から宅地化が進んだだろうから
今回問題となってるような山の斜面に家が建ち始めるのなんて
下手すりゃ戦後の話では?
さすがに震災の瓦礫なんか持ってこようにも
既に土の下に埋まってそう……
264 :
神奈さん:2019/02/08(金) 13:13:56 ID:NjqQf77g
265 :
神奈さん:2019/02/08(金) 13:18:05 ID:n6rLeYFg
>>264ほう
大正12年に遺棄されて、
5年ほど雨ざらしだったのを
たとえば昭和2年くらいに持って来て活用
無いとは言い切れないですね
確かに
266 :
mrotskjj:2019/02/08(金) 19:05:21 ID:NiigXiPQ
ところで白楽というのは珍しい地名ですね。由来はどうでしょうか?
267 :
神奈さん:2019/02/08(金) 20:09:05 ID:l4VwgZ7g
神奈川宿の馬喰(ばくろう)が住んでたから
※馬喰:馬の仲買人・獣医
「馬喰」は「伯楽(はくらく)」と呼ぶ事もある
白楽周辺は馬の仲買人が多く居たので「伯楽(はくらく)」と呼ばれてたのが
時代の変化で「白楽(はくらく)」と呼ばれるようになったそうです
268 :
東横水郷:2019/02/08(金) 20:21:49 ID:bifgHgjA
なるほど
名伯楽の伯楽の語源って「馬喰」からなんですか
白楽って地名は中国の漢詩「長恨歌」の白居易=白楽天となんか繋がりがあるのかと思ってました
まあ、語感からの想像でしたけど
269 :
神奈さん:2019/02/09(土) 08:55:06 ID:dX7pn5oQ
伯楽は元々中国の天馬を守る星の名から。
中国周代の馬を見分ける名人。
姓は孫、名は陽。
転じて馬の素質の良否をよく見分ける人。
また、牛馬の病気を治す人。
だそうです。
270 :
神奈さん:2019/02/09(土) 09:01:59 ID:F3ULOxAQ
白楽は江戸時代だと小伝馬町と呼ばれていたようです。
神奈川宿は大きく「青木町」と「神奈川町」に別れていて、
神奈川町の中のさらにこまかい区分として「小傳馬町」があったと。
宿場は村ではないので町名が使われていました。
宿場は伝馬業務が必須だったので、担当業者が多く住んでいたから白楽になったのか。
小伝馬町には吉祥寺(一応現存)や石川源左衛門の名前も新編相模国風土記稿に掲載されていました。
この石川氏の子孫は白楽にある長屋門の所有者みたいですね。
271 :
神奈さん:2019/02/09(土) 09:11:32 ID:F3ULOxAQ
余談ですが風土紀を読んでみたら、浦島伝説の寺が今とは違っていたのが判ってびっくり。
観福寺という浄土宗の寺だったんですね。
観福寺は明治の大火事で無くなっちゃったみたいです。
272 :
神奈さん:2019/02/09(土) 11:12:04 ID:El1G06ww
>>265今、昭和18年発行の白楽周辺の地図を見てみましたが、おそらく該当すると思われる箇所は、道は通っているものの、まだ開発前のように見えました。
>>270白楽の吉祥寺は普段閉鎖されてますけど、境内はいつも手入れがされてますね。
近くの道路が真ん中を貫通している長屋門とか、このあたりなかなか面白いところです。
273 :
神奈さん:2019/02/10(日) 10:37:22 ID:suUhf5WA
横浜駅スレ・白楽スレに瓦礫関東大震災説を書いた張本人です。
その道沿いの木造住宅(これが大正末期から昭和初期と言われていました)
に長く住んでいましたが、祖父か父がそこに戦後に越してきた頃に
地主さんか周囲の方に聞いた話がソースっぽいです。もう父も他界したので
確認できませんが……
274 :
神奈さん:2019/02/10(日) 12:01:27 ID:P/YVUUsw
>>271浦島伝説ゆかりの地は
神奈川県神奈川宿のほか
京都府丹波地方、香川県三豊市、沖縄県沖縄本島南部の沿岸地域の他に
長野県木曾地方や群馬県や岐阜県の海なし県にすら伝承が残る不思議な話
桃太郎も岡山県説が有力ですが
これも海が無い地域に伝承が残ってますw
275 :
神奈さん:2019/02/10(日) 13:53:43 ID:eKx2+SIg
>>274東南アジアの浦島さんは、ワニに股がってるからね。
276 :
東横水郷:2019/02/10(日) 14:12:28 ID:lZpBrMtA
277 :
神奈さん:2019/02/10(日) 15:19:49 ID:kN8ljAKw
桃太郎って、桃を食っておじーさんおばーさんが回春した、というのが主題だよね
278 :
東横水郷:2019/02/10(日) 15:55:20 ID:lZpBrMtA
童話は大人の事情でいろいろとw
カチカチ山も原型の一つに
爺様に捕まった狸が婆様に命乞いして縄を解いてもらったら、近くにあった棒で婆様を撲○して婆汁にした
なんてとんでもないのがあったらしい
洋の東西を問わず民話は「本当は怖い」のが多いんでしょうね
279 :
神奈さん:2019/02/10(日) 19:50:52 ID:GQbz4nHQ
白楽ですが、どうやら小伝馬町から大量移住があったみたいです。
図書館に半日籠れば判るかもしれませんが、断片情報だと以下。
明治初期に神奈川宿で大火があった(蒸気機関車の煤煙が原因説もあり)。
吉祥寺は当時、神奈川宿の小伝馬町にあったが、焼失し、明治23年白楽に移転した。
白楽の長屋門は別の場所にあったものを移築した。
というわけで、明治23年頃に小伝馬町の住民達が移住して、それを機に白楽の町名に変えたのかも。
280 :
神奈さん:2019/02/10(日) 20:22:44 ID:iPjQulyw
>>279面白いですね
でもそれですと「移住前の白楽には誰がいたのか」が問題になりそうです
ご存じの通り東京の吉祥寺は焼け出された町人のために「幕府が」提供した土地ですが
明治政府が白楽一帯を召し上げたんですかね
でないと元から住んでいた住人との間でパレスチナみたいになっちゃいますよねw
281 :
神奈さん:2019/02/10(日) 21:04:21 ID:Km6E8rwg
>>279白楽の長屋門は、最初何の予備知識もなく散歩してて突然出くわして、驚嘆しました。
その後はまれぽに詳細なレポートが出て納得。
282 :
神奈さん:2019/02/11(月) 15:04:27 ID:D8dzAzIg
>>280それが不明なんです。
もともと人家があっても少なかったのだろうと想像はできますが。
場所的には白幡村か六角橋村、あるいは神奈川宿の内だったか。
江戸時代の村(町も)は領主や幕府に村の明細書と絵図を提出していましたので、
絵図を見れれば多少詳しく判るだろうと思うのですが、現存しているのかどうか。
それと、明治大正時代の公的記録もありますので、それを読めればもっと見当がつくかも。
こちらは図書館じゃ無理で、公文書館とかになるか。
>>281昭和5年の地図だと白楽駅西の山は「石井別荘」になってました。
283 :
神奈さん:2019/02/11(月) 15:11:44 ID:1FvCDcAA
>>282長屋門は西ではなくて駅の東側、吉祥寺のお隣くらいです
284 :
神奈さん:2019/02/11(月) 15:17:47 ID:1FvCDcAA
そもそも白楽という地名は白楽駅から東白楽駅にかけての東横線東側ですね
そこから更に東側及び北側一帯は白幡を冠した町名ですが、
本家本元の白幡町だけは東横線西側にあります
港北区篠原台町に迫られるようにして小さく旧綱島街道に沿って白幡町があります
その中で白幡池の周りは白幡町が港北区に食い込んでいます
285 :
神奈さん:2019/02/16(土) 21:25:20 ID:5L0mxwng
鎌倉歴史文化交流館(大金持ちの別荘を流用)で鎌倉の災害史展をやってます。
文献や発掘などから判明した地震や津波に関する展示もしていました。
長谷の大仏(高徳院)の大仏殿が津波で流された、というのは嘘だそうです。
しかし、これが長く信じられていて、色々困った事態を招いていたという話しを別の某講演で聞きました。
県だか国だかがスパコンを使って作った津波被害予想は、相模トラフを震源とする津波のはずだったが
史料で判っている最大の津波を当てはめても大仏の所まで届かなかったため
現存していない仮想のトラフを作り出し、そこが震源ならありうるという、結果ありきのものだったとか。
2011以降は想定外の被害を入れる傾向にあるものの、さすがにこの予想は除外されているそうです。
とかいうことが知れて面白い企画展でした。
なを、134号線は津波などに備えた高さに設定されているそうです。
砂浜からだいぶ高い位置にあるのは、理由があったんですね。
286 :
神奈さん:2019/02/16(土) 21:47:12 ID:+/1NoEFQ
>>285面白いですね。
津波でないとすると、考えられるのは火災か、あるいは津波以外の自然災害による倒壊か、なんらかの戦禍によるものでしょうか?
その辺についてなにか情報ありましたか?興味深いです。
ただ、「未知の震源は存在しない」とは言い切れない訳で(悪魔の証明)、とすると「津波は嘘だ」とも言い切れないのかもしれませんね。
287 :
神奈さん:2019/02/16(土) 22:02:14 ID:+/1NoEFQ
連投すみません。
鎌倉大日記がそもそも怪しくて、室町時代に津波で流されるとか流されないとかそれ以前の問題で、南北朝時代以降に大仏殿の再建はそもそもなかったのでは?ということですね。
歴史のロマン感じますねー。
288 :
神奈さん:2019/02/16(土) 22:57:57 ID:eRcuEViw
>>285さんや講演された方は正しく理解されているのだと思いますが、
この文章だけでは誤解を招くように思いますため一応補足します
無かったと見られているのは「大仏殿が津波で流された」と言う事実です
一方で津波が高徳院まで押し寄せて多数の死者が出たのは事実と見られており、
鎌倉市作成ハザードマップの最新版でも
高徳院は50cm以下の浸水が想定されています
289 :
神奈さん:2019/02/17(日) 12:15:56 ID:rbHn99Vw
昨年末にインドネシアで発生した津波のように、地震を伴わないものもあるし、
地震の津波より破壊力が強かったらしいので、なかったとも言いきれない
気はするけど、あったと言い張る気もない(崩壊しそうな火山もないし)。
290 :
神奈さん:2019/02/17(日) 12:37:31 ID:bv6EcUbQ
>>289大仏殿は台風で倒壊して、その後再建されないままだった
鎌倉は何度も津波に襲われているんですけど
「津波で大仏殿倒壊」と文献に書かれている年には該当する津波はなく、
従来は年を書き間違えたのでは?と言われていた
最近の発掘調査で、その近い年代の津波で鎌倉大仏まで浸水したのは事実だけど
その時既に大仏殿は無かったことが判明
と言うのが今の定説だと思います
291 :
mrotskjj:2019/02/17(日) 13:03:20 ID:/o4+Mgog
白楽の地名の事では色々と教えて頂きました。結局のところ、
ばくろう(馬喰)を格好良い漢字にしようとして、白楽と
したのだと納得しました。伯楽は格好つけ過ぎですね。
有難うございました。
292 :
神奈さん:2019/02/17(日) 13:19:49 ID:TTS45lXg
>>287鎌倉大日記は2種類あるそうで、明応4年8月の地震と津波を記しているのが彰考館版。
この彰考館版も、もう1つも書写のようですが、彰考館版は誤写が多いのだそうです。
彰考館は本朝通鑑を編纂した所でもあり、本朝通鑑は歴史書として江戸時代に信頼されていた。
本朝通鑑は、もう完全に津波が大仏殿を破壊した、と書いてしまった。
これによって誤説が定着してしまった、という流れだそうです。
誤りとする根拠は、太田道灌に招かれて相模国にいた坊さんの日記に
文明18年12月(明応4年の9年前)、銅大仏に行ったら、中で博打やってるし露座だし、と書いているから。
この日記(梅花無尽蔵)は信憑性が高いと考えられていて、
中で博打やるほど荒れていた場所に、わずか9年で大仏殿が再築されるとは考えにくい。
よって鎌倉大日記は他にも誤りがあるし、嘘であるということになったとか。
大仏殿自体があったことは間違いないが、いつ無くなったのかは解説がありませんでした。
293 :
神奈さん:2019/02/17(日) 17:56:17 ID:TTS45lXg
>>291伯楽ですが、正確なところは知りませんけれど
江戸時代の史料だと、馬医師を伯楽としている例がいくつかあります。
馬喰は馬を扱う業者、医師は伯楽と書き分けている例もあります。
中国だと伯楽さんはどちらもやっていたみたいですが。
294 :
神奈さん:2019/02/20(水) 11:20:54 ID:SW9LtWfw
そろそろ各地の古民家園的な所で雛人形の展示をやる時期。
今年こそは、吊るし雛を見たい〜
295 :
神奈さん:2019/02/20(水) 22:45:11 ID:XkV74msA
296 :
神奈さん:2019/02/21(木) 09:20:20 ID:7tH5MwAg
戦後なぜ米軍は接収エリアとして本牧一帯を選んだのですか?
そしてもう一つ、もし戦前の時点で石川町から山手でなく
本牧を経由するルートの根岸線が開通していた場合
戦後、そういうれっきとした国鉄路線が通っていたとしても
それでも米軍は本牧一帯を接収してたのでしょうか?
297 :
神奈さん:2019/02/22(金) 10:46:09 ID:90/jUvvw
「写真が語る横浜市の130年」て本が気になる。発行元は(株)いき出版。なぜか新潟の
出版社。面白そうだけど一冊¥9990のお値段で躊躇しちゃうな。
298 :
神奈さん:2019/02/22(金) 11:03:54 ID:AGORa5vw
>>297地元の新聞店が折り込み入れてくるんだけど、地元関連写真をわざわざピックアップして見本で掲載してるんだよね
だから余計に気になる
299 :
神奈さん:2019/02/22(金) 15:32:34 ID:q0BvQjkw
>>295ありがとうございます。
行こうと思っていた所より、ずっと近くにありました。
山ノ内。
300 :
神奈さん:2019/02/22(金) 17:23:31 ID:q0BvQjkw
>>296小規模でしたが、もともと伊勢佐木町の隣の若葉町と根岸には日本軍の飛行場がありました。
加えて横浜港があったので本牧を含む埋立エリアは、空と海からのアクセスがしやすかった立地です。
戦後まもなくの頃、伊勢佐木町は米軍のカマボコ宿舎だらけだったとか。
つまり、接収されていたのは本牧だけではなかったが、本牧は返還が遅れた、ということでは。
301 :
神奈さん:2019/02/24(日) 16:56:39 ID:cWVoeeqg
>>297家にあってもそうそう見返す物でもないだろうから
図書館に取り寄せてもらうというのは?
そういえば折込広告で古い写真の提供を募集してたような
302 :
神奈さん:2019/02/24(日) 17:29:13 ID:6LdmLOdQ
>>295北鎌倉の古民家ミュージアムへ行ってみました。
伊豆稲取の伝統的なつるし雛(現地ではそう呼ばない)も見られて
説明も聞けて勉強になりました。
他のは伝統的なものではありませんでしたが、綺麗ではありました。
面白かったのは、稲取では「つるし」をサイト焼きの時に燃やすものだった、という点でした。
さすがに現代では止めたそうですが、伊豆のサイト焼きを見てみたくなった。
303 :
神奈さん:2019/02/24(日) 17:32:47 ID:6LdmLOdQ
サイト焼きで思い出したのでついでに
先日、テレビ番組で新潟のサイト焼きではスルメを焼くと紹介していました。
海老名でもスルメを焼くのに出会っていますが、もしかしたら新潟出身の家だったのかも。
304 :
神奈さん:2019/02/28(木) 21:28:04 ID:0jMpstiQ
だいたい日本には三万くらいの城が現存したと推測される
単純に本当に単純だが47都道府県で割ると一県につき630以上の城が築かれたわけだな
305 :
神奈さん:2019/03/01(金) 06:56:24 ID:Q/4UZQEQ
そういえば大河ドラマで
自分の領地の端の城と敵の領地の端の城と
自転車で15分って解説してたの見たことある
城というより砦って感じだったけど
306 :
神奈さん:2019/03/03(日) 16:38:22 ID:/LVSRjCw
時代によって数の増減はありますが正保年間(江戸前期)で神奈川県内の村の数は829。
城館や砦、陣を全部合わせれば630くらいあっても不思議はないです。
戦が頻繁にあった土地だと村の城(逃げ込み用)が村の中の集落単位でもあったりしますよね。
307 :
神奈さん:2019/03/03(日) 22:40:43 ID:o4k6Eokw
> 戦が頻繁にあった土地だと村の城(逃げ込み用)
城・館・砦もだけど寺や神社も戦時の避難所兼防衛拠点になってたらしい
江戸時代、「寺の檀家/神社の氏子=キリスト教徒にあらず」で身元証明になり
現在の役場の様に住民の住民票管理をしてたらしいが
それなら集落単位で1寺社があると思うのに、
実際には異なる宗派会派の寺社が地域に密集してた
凄いと街道沿いに隣り合わせで数寺社並んでいた所もある
小田原城の周りにも複数の寺社がありますし
実際に上田城や大坂城は城周辺の寺社に兵を配置して防戦してましたし
そして比叡山延暦寺や石山本願寺は戦国時代要塞寺院で有名でした
神奈川県でも廃城になったがその後寺社になった榎下城(横浜市)→舊城寺や
岡崎城(伊勢原市)→無量寺などもありますから
館・砦・寺社=城と考えたら3万程度の城があったとしても不思議ではない。
と思いましたが文化庁の「宗教統計調査」によると寺社総数は約15万8千だそうで
日本に城は3万以上は在った。と断言できると思いますw
308 :
神奈さん:2019/03/04(月) 00:32:58 ID:3APaaCtA
個別の成立がいつなのかは知りませんが、小田原の下堀とか、今も環濠集落のような形が残っている所もありますね。
地図や空撮画像を見てると、時々あってびっくりします。
平塚には土塁が残っている所もあるし(家の廻り)。
寺でも環濠になっていてプラス高い塀とかある所があるし、ああいうのは城館の延長線上にあるのでしょう。
寺と檀家の関係は面白いのですが、長くなるので省略w
309 :
神奈さん:2019/03/04(月) 11:41:06 ID:VCigzk5g
> 寺と檀家の関係は面白いのですが、長くなるので省略w
江戸時代
住職「おい、護持費・寄付金出せ。出さなきゃ檀家から外してお上にあいつはキリシタンだ!と訴えるぞ」※ある意味死刑や追放刑
檀家「ぐぬぬぬぬ」
明治時代
神仏分離令→大教宣布(神道を国教とす)コンボ
檀家「廃仏毀釈だ!寺をぶっ壊せ!」
県内だと江島三重塔が有名ですね
310 :
神奈さん:2019/03/04(月) 15:13:57 ID:snQCWmPA
>>309なるほど
確かに明治の廃仏毀釈の凄まじさは、
住人に何か積年の恨みでもあったと言う方が納得できますね
逆に江戸以前だと、信長の焼き討ちなんかは信長こそ怒ってましたけど、
それ以外は忠臣秀吉ですら尻込みしてましたもんね
311 :
神奈さん:2019/03/04(月) 21:11:03 ID:3APaaCtA
信徒はいたけど檀家が無かった祈祷寺(修験とか)も、ほとんど廃寺になってますから
積年の恨みだけでは説明しきれない部分も
312 :
神奈さん:2019/03/05(火) 03:24:23 ID:R4ojo0oQ
タリバンが石仏壊したりするし、行きすぎた共産主義は過去を全部否定するし、
明治の日本人もおんなじようにおかしくなってたんじゃないのかな
313 :
神奈さん:2019/03/06(水) 10:07:52 ID:W920znTQ
廃仏毀釈は藩や地域、特定の場所で差が大きいですよね。
水戸藩は江戸時代から神仏分離。薩摩藩は寺がほとんど無くなるくらいやった。
神奈川は鶴岡八幡宮寺や大山で寺院部分が完全撤去されましたが
暴徒が来たという話がある一方、かなりおだやかに撤去だけしたという記録もあります。
これは、破壊されたと感じた側とやった側で印象が違うから当然でしょう。
鶴岡八幡宮寺の遺物は燃やされたり売られたりしたようです。
後日、一旦売られたのを買い戻したとか。
今も寿福寺には八幡宮寺にあった仁王像が本堂内にあります。
長いので続く
314 :
神奈さん:2019/03/06(水) 10:36:54 ID:W920znTQ
県内には、伊勢神宮の神官一族が領主だった村があります(都筑郡勝田)。
伊勢神宮の式年遷宮の時は出仕していたような領主で徳川に仕えていたので
その反動で、廃仏毀釈を徹底的にやったかと思いきや
この村の寺は全部残りました。
村内の仏教系お堂も残りましたし、本尊も現存してます。
八幡宮や大山は、従事する人が多く、内部軋轢も相応にあったでしょう。
しかし、既得権益を持つ集団の方が強かった。
それが、国の方針で逆転可能になったので、一気に爆発したという構図なのかなと。
しかもそれを煽動するグループ(いわゆる国学系)もいたようです。
315 :
神奈さん:2019/03/06(水) 12:12:54 ID:/aYHrcFw
民主主義を否定する気はないけど、大衆が統治機構より上に居座ると、
とんでもないことになるということだな。
316 :
神奈さん:2019/03/06(水) 12:25:50 ID:tPk7oNJQ
部落解放運動も立派な歴史の一部なのに禁止事項とは?
逆差別じゃないのこれじゃ
317 :
神奈さん:2019/03/07(木) 05:59:21 ID:FBMvrH5w
318 :
神奈さん:2019/03/07(木) 10:30:30 ID:BQArBxqw
>>316削除ガイドラインの2に抵触しやすいからです。
異論はまちBBSへ提議してください。
319 :
神奈さん:2019/03/07(木) 17:31:07 ID:B4/azRjw
ウチの方じゃ神仏分離はユルかったみたい
小さいお宮も合祀されてないし
鎮守の神社でもいまだに住職が来てお経を上げるお祭りもある
隣の地区では小さな社は村社に合祀されてるのに
明治以降は同じ村だったのだが
今じゃその辺の事が判る人が居ない
320 :
神奈さん:2019/03/08(金) 08:52:45 ID:M56H9OSA
>>319未だに住職が神社祭祀に参加しているとは素晴らしい!
さしつかえなければ、僧侶が来るのは何の祭か教えて下さい。
神社合祀は一村一社を目指して結構強く進められたようで、抵抗するには大金が必要だったようです。
ですので、今残っている小さなお宮は、ずっとあった所は珍しく
戦後になって復活したケースが多いみたいです。
明治時代は排仏も酷かったですが、神道も滅茶苦茶にされました。
江戸時代以前にどんな神社があったのかは「新編相模国風土記稿」あたりで判りますが、
いつ合祀されて、いつ元に戻した、とかは「神社明細帳」に載っていないと、もう判らないです。
特に、合祀されたままの小さなお宮が元はどこにあったとかは、地元の戦前生まれくらいじゃないと知らないでしょう。
321 :
神奈さん:2019/03/08(金) 21:58:39 ID:bWxGhVQw
>>320自然災害を避けるためのお祭りですね
年間幾つかの祭がありますが、他の祭は神主に来て貰います
ほかの小さなお社(お稲荷さんが多い)も数軒くらいから50軒位が集まって講中を形成して維持しています
その社のお祭りも住職に来てもらい法楽をして頂いています
私が所属している稲荷には江戸時代に伏見稲荷から頂いた正一位の證書がありますが、その證書は現在法楽を
して頂いているお寺さん宛の名になっています
神仏習合から分離の歴史を知らない人には不思議に思うようですが
300年以上前から庚申、地神、道祖神などの小さな石塔から村社までをお祀りし、それぞれの祭礼を斎行して
きたのはその土地のお寺の仕事だったのは自然な事の様に私などには感じますね
322 :
神奈さん:2019/03/09(土) 11:35:11 ID:jQIXglXA
南方熊楠は合祀に反対したそうですね。
その場所に神社があるのはそれぞれの意味が
あるんだから、無意味な場所に合祀するな、
ということだったのでしょう。
323 :
神奈さん:2019/03/09(土) 20:22:57 ID:kNwBEB6w
>>321伏見ですか。
豊川なら曹洞宗つながりで災害除けは秋葉あたりかと想像できますが(笑)
江戸時代の郡だとどのあたりなのでしょう。
明治以降、大きな村になったという点も含めて、なんとなく足柄の上か下かなと思っています。
324 :
神奈さん:2019/03/12(火) 12:46:42 ID:9CvWEh9w
>>323江戸後期に伏見から正一位を貰い受けた稲荷社は結構有る様で当時の神官の名で検索すると
同じ様な證書が幾つか見つかります
村社とそのお寺はごく近くに有りますので別当寺だと考えている人も居るようですが
むしろお寺が有ってそこに神社を遷座させたのが本当のところですね
昔はお寺に力が有ったのか尊敬を集めていたのか今では判りませんが現在でも
結構な地主でも有るお寺です
でも天保の頃には大分荒れた事も有った様なので昔の事は良く判りませんね
旗本の知行地で有ったり天領地であったりした地域ですのでなにかとユルかったのかも
知れませんが入会地を隣村と争ったりと色々あった様でも有ります
江戸初期から続く家も結構有りますからまあ住みやすかったのでしょう
>>322鎮守の森が無くなるのを危惧したようですね
325 :
神奈さん:2019/03/12(火) 16:02:01 ID:AZcW3LNA
ん、熊楠が心配したのは粘菌のことか?
326 :
神奈さん:2019/03/16(土) 13:10:13 ID:/5dzLIDQ
>>324お〜。調べてますね。
とりあえず足柄平野じゃなかった(笑)
お寺さんの衰勢は結構浮き沈みありますよね。
江戸初期からの領主が開基だったりすると、元禄あたりの改易で大檀那がいなくなり衰退。
中興の住職があらわれて復活、とかがよくあるパターンか。
水や土地の争いは、経験していない村って無いのでは、と思うくらい多いですね。
相模と甲斐の山争いでは、藩同士の役人では解決せず、幕府裁定にまでなり、
山頂にあった石祠に相模国側の名が彫ってあったので、山が相模国分に決着したという事例があったような。
山の中にある石造物にはそんな意味もあるとわかって面白かったです。
327 :
神奈さん:2019/03/16(土) 17:07:44 ID:dbaHEwjQ
俺海老名市に住んでて海老名って名字なんだがどこかのお侍さんの子孫らしいが海老名氏について知ってることあったら教えてほしいです
328 :
神奈さん:2019/03/16(土) 18:32:21 ID:/5dzLIDQ
>>327武蔵横山党という豪族から派生したのが海老名氏のようで、以降は平安鎌倉時代を経て
支流がやたらと多いが、海老名市あたりの土豪海老名氏は永享の乱で没落。
その直後、千葉の里見氏の援軍(大島正時)をうけて失地回復したが
海老名氏当主が亡くなってしまったので、大島正時が家名を継いだ、ということらしいですよ。
https://senjp.com/ebina/「海老名かるた」の「め」
眼がきりり 像は正時 海源寺
これの解説によると「海老名広治の死後、跡継ぎがなかったので
下総の大島正時が跡を継ぎ以来当地で名家として続いています」とあります。
より詳しいことは海老名市の郷土資料館である温故館で質問した方が良いかと。
329 :
神奈さん:2019/03/22(金) 08:49:31 ID:Z9Ueu27Q
330 :
神奈さん:2019/03/22(金) 12:13:30 ID:askDfP1Q
331 :
神奈さん:2019/03/23(土) 02:47:51 ID:iclrQ8pA
332 :
神奈さん:2019/03/23(土) 10:20:31 ID:jluHzN+g
>>3301.5mも隆起していたんですね。
うろ覚えで違う磯かもしれませんが、荒磯?の海底岩場が引き潮で露頭すると
帯状の水路のようなものが出るので、それを気にしている考古系の人がいたそうです。
震災で海底も浅くなっただろうし、地元の漁協あたりが作ったのかも?
考えてみれば、震災で漁場が大きく変わったかもしれませんね。
聞き取り資料とかあるのだろうか...
>>331ご指摘ありがとうございます。震災湖だと思い込んでいました...
危険で立入り禁止かなと行ってみたら公園になってるし案外大きくて、釣とかしてて驚きました。
333 :
神奈さん:2019/03/24(日) 09:42:14 ID:YLrLbNKw
>>332あらま、現地へ足を運んだのに名称の違いに気付かなかったとは面白い
334 :
神奈さん:2019/03/32(月) 18:07:33 ID:gM+whOdQ
335 :
神奈さん:2019/03/32(月) 18:11:11 ID:gM+whOdQ
そういえば、清川村で何かの館跡を発掘したら、外国製品が大量に出土して
明治時代に外国人が避暑地で使っていたと考えられる、とかいう記事を何かで読みました。
あんな奥地まで行ってたのか?と疑問でしたが、上記サイトをみたら余裕で10里以内だった。
336 :
神奈さん:2019/03/32(月) 20:09:51 ID:9EZdTwUA
10里、約40キロですか。横浜からだと西は神奈川県全域、東は東京都(当時は東京市ですが)全域ぐらい?。当時の感覚としてはかなり広い感じかな?
車や新幹線がある今の感覚だと、横浜から名古屋辺りって感じかな?。まあ一概には言えないでしょうけど
337 :
神奈さん:2019/03/32(月) 22:54:24 ID:GzWb5U9A
>>336貴方はとりあえず
>>334先のサイトを読んだほうが良い
その手の趣味の人が居るのは知ってるが、ここまで纏めてるのは興味深い
338 :
神奈さん:2019/04/02(火) 07:38:28 ID:3Aiv3eaw
339 :
神奈さん:2019/04/02(火) 12:26:12 ID:EHV//KFw
>>336たしかに40kmだと23区をほぼ含みますね。
ただ、いわゆるお江戸には入らせない方針だったので都内は除外されていたようです。
リンク先の地図だと日野市が入っていますが、ここが興味深い点。
多摩郡のほとんどが神奈川の管轄だった時代があって、そのころのことなのでしょう。
それと、リンク先に大山登山でもめた事例も出ていますので、信仰霊山的な土地もNGだったのかも。
340 :
神奈さん:2019/04/03(水) 08:39:58 ID:wri4bMow
341 :
神奈さん:2019/04/03(水) 10:59:16 ID:wri4bMow
342 :
神奈さん:2019/04/07(日) 18:12:26 ID:qm9wN0qg
外国人遊歩にかんする展示があるかと思い、横浜開港資料館へ行ってみました。
10里の外側へも行けるパスポートのようなものの展示はありました。
ちょうど「浮世絵でめぐる横浜の名所」という企画展をやっていたのですが
色々気付きがありました。
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/news/index.html外国人居留地の隣に、吉原のような水濠に囲まれた遊郭があったと知ってびっくり。
今の横浜球場一帯が該当地だったようです。
遊郭は港先遊郭という名前だったようで、後に高島町へ移転。
他にも横浜駅近くにかつてあった権現山(砦があった)が
今の青木砦比定地より高く描かれていて、そんなに削ったのか、など。
343 :
神奈さん:2019/04/12(金) 10:49:58 ID:sex/STBA
新紙幣の発表があったので、それに合わせたネタ
開成町と中井町には、江戸時代に鋳銭所があった。
http://edomingu.com/fujisawasen/fujisawasenStory.html史料に相模国藤沢とあるので、当初は藤沢市にあったと推測されていたようですが、
そこからよく足柄上郡藤沢村まで辿り着いたものです。
古銭マニア(研究者?)の熱意にも頭が下がる。
江戸時代の貨幣がどうコントロールされていたのか、知識なさすぎてわかりませんが
銀座や金座のイメージしかなかったので、民間に造らせていたなんてびっくりしました。
それと金山様。
ちゃんと祀ってたんですね。
神社庁だと出て来ない小社とか石祠、金山と彫っただけの石とかを含めると
県内に数十はあると思いますが、全部鍛冶のものだと思ってました。
まさか鉱山系があったとは。
344 :
神奈さん:2019/04/26(金) 08:10:26 ID:UNL3Dt2w
345 :
神奈さん:2019/05/02(木) 21:14:50 ID:3lZvQylw
本日、狐の嫁入りでした。本降りだったのに。
346 :
神奈さん:2019/05/07(火) 08:47:45 ID:fAJei3Eg
>>345天気雨に遭遇したら
指で「狐の窓」を作ってのぞくと、行列が見えるそうですよ
347 :
sage:2019/05/08(水) 09:49:09 ID:IZn1NLJQ
昔は狐火(らしきもの)が実際に目撃されたらしい
爺さんが自転車で暗闇を走っていると廻りがポッと明るくなったり
土手を火の玉(ボーッと明るい塊)が上り下りしているのを見た事があると言っていた
348 :
神奈さん:2019/05/08(水) 10:43:03 ID:w0tnMl2g
プラズマで説明可能です
349 :
神奈さん:2019/05/08(水) 14:44:40 ID:EBCzo43A
20年前位に夕刻の大山の中腹で狐火らしきものを見かけましたね
350 :
神奈さん:2019/05/11(土) 12:15:27 ID:OTxPRNBg
川崎宿発祥で葵紋を象ったという三角おむすび
昨夜のチコちゃんで否定されててワラタ
351 :
神奈さん:2019/05/12(日) 14:30:32 ID:pbqnezfg
小田原のはずれに行ってコンビニ寄ったら
「外郎売」の貼紙があって、ういろう売の口上を覚えて健康促進、みたいな内容でした。
よくあるカルチャーとか体操の教室みたいなものでしょうけど、
外郎売がネタになるとは、さすが小田原と思った。
352 :
神奈さん:2019/05/22(水) 15:20:56 ID:gHHJB2dQ
>>344の講演に行ってみました。
神奈川には90基ほどの出羽三山石碑があるそうです。
出羽三山を廻るついでに、関東観音霊場も廻っているケースもあるそうです。
享保11年の日記があって、5月19日スタート、日本海側に出て6月18日に三山終了。
千葉を廻り、江戸湾を船で渡って7月14日に戻ったとか。
353 :
神奈さん:2019/05/28(火) 09:54:11 ID:bm9sLbNg
中井町俎原(まないた・はら)
お盆の砂盛りがありました。地元では「つじ」と呼ぶそうです。
それにしても俎原って面白い地名。
354 :
神奈さん:2019/05/30(木) 20:18:52 ID:GlDvy+FQ
「水あびせ」という行事を今もやっている所はあるでしょうか。
小正月の頃、前の年に結婚した新郎に、祝儀として水をぶっかける、というものらしいのですが。
355 :
神奈さん:2019/06/12(水) 14:58:19 ID:87uK4gng
>>354は少なくとも鶴見でやっていたようです。
他にも「神送り」なる行事を藤沢でやってたようで、これも今は存在しないようです。
こちらは内容すら不明。
356 :
神奈さん:2019/07/11(木) 07:12:18 ID:uA73/GKQ
砂盛とよく似たも写真を見ました。
台形の砂盛に細い柱で組んだ立方体をかぶせてあり、柱にお札が付けてありました。
お札には御駐輦所(ごちゅうれんじょ)と書いありましたが、それが正式名称なのか?
町内を廻る神輿(みこし)の休憩所だそうです。
駐輦(ちゅうれん)は天子の車らしいですが、この場合は神さまの乗物=神輿ということか。
砂盛も先祖の霊が休む(帰って来る)場所を示しているので、意味合いは似ていますね。
357 :
神奈さん:2019/07/11(木) 07:14:03 ID:uA73/GKQ
書き忘れた
>>356は福井県のお祭りの写真でした。
358 :
神奈さん:2019/08/13(火) 08:02:16 ID:uLZLUdyQ
お盆中にスナモリを見て回ろうと思っていたのに
台風のせいで雨
というか、雨だと作っても崩れちゃいそうですが
359 :
亀レス失礼:2019/08/13(火) 15:55:55 ID:qk1NXMoQ
>>354冬の寒い時期に水をかけるのですか。
夏の暑い時期なら良いとは思うけど。
360 :
神奈さん:2019/08/15(木) 18:02:15 ID:PwbRuxUQ
>>359手荒い祝福ってやつかもしれません
どこか忘れましたが、伝統行事で
前年に結婚した新郎を焚き火の中に放り込むってのを見たことあります
361 :
神奈さん:2019/08/16(金) 03:44:16 ID:XLVdE/Qw
>>358お菓子のカンカン?みたいなのに砂入れて作っている家を、湘南台から円行、石川方面にかけてちらほら見かけるので、散歩がてら写真に撮ろうと思いつつ、雨風で行けません。
今年は引地川の灯籠流しも、台風で開催が危ぶまれますね。
362 :
二ヶ領用水:2019/08/16(金) 07:29:22 ID:PqqOfLYg
>>360同じような奇習で新潟に「婿投げ」というのがありますが、こちらは降り積もった雪の上に投げるやつ
焚き火って!Σ( ̄□ ̄;)
想像がつきません
363 :
神奈さん:2019/08/16(金) 16:19:42 ID:ac3IolUw
後北条小田原城総構えの再現を
364 :
神奈さん:2019/08/16(金) 16:46:02 ID:sLr7YCAQ
>>361私もお菓子の缶みたいなのを使ったスナモリ、城南の旧大山道沿いで見ました。
引地川沿いは農家さんも多いですものね。
見てみたいけど、この数日の土砂降りで缶の中は水浸しでしょうねぇ...
365 :
神奈さん:2019/08/16(金) 16:51:21 ID:sLr7YCAQ
366 :
神奈さん:2019/08/16(金) 16:53:40 ID:sLr7YCAQ
>>362雪の上に新婿さんを投げるのも見たことあります(テレビ)。
新潟だったのか。
焚き火に投げるのは、燃え盛っている中ではなく、火渡り行みたいなオキの状態だったと思います。
367 :
神奈さん:2019/08/16(金) 17:42:33 ID:TZi9gCEg
>>363すぐ秀吉に包囲されて弱いと思いきや管領の謙信も攻めまでは行かなかった城。
だけどあの時代有り得ないくらいの総構えで大阪城にも反映されたみたいだし、
信玄堤も小田原の治水をマネたなんて聞いたことがある。 先進的な城だった。
368 :
二ヶ領用水:2019/08/16(金) 19:43:42 ID:A8mua8bQ
城と町が壁に囲まれた城郭都市は古代中国には存在したけど、日本って長安を模した平安京も外壁や掘はなかったんですよね
小田原が「総構え」という日本最初の城郭都市かは知らないけど、
>>367の大坂城や江戸城に、その防御を含めた都市設計思想が反映されてるってのは北条家は凄い
どうも北条と言うとお湯漬け氏政が思い浮かんじゃうんだけどw
369 :
神奈さん:2019/08/16(金) 23:33:13 ID:LWvtl+yA
氏政も色々言われてるけど
家康が関東入府の際
真っ先に意識したのが
氏政の治政だからな
特に税制と農政
家康が変な事したら領民激おこで
領地経営どころじゃないからな
政治判断は間違えたけど
氏政は無能とも言い切れない
370 :
神奈さん:2019/08/17(土) 01:53:14 ID:sclz7BdA
>>365なんだかすごく立派ですね。
ちゃんと祭壇っぽい。
石川あたりのは、もっとおもちゃみたいでカワイイです。
お盆終わってもしばらく置いてある家が多いので、夕方涼しくなったら散歩してみます。
引地川の灯籠流し、無事に行われたようで何よりでした。
371 :
二ヶ領用水:2019/08/17(土) 06:19:53 ID:6MEK8qlw
>>369仰る通り
後世に流布されたイメージが強いけど領土拡張も氏政の代でもされてるし、先代までが有能な人ばかりで比較されちゃうんでしょうね
秀吉に滅ぼされなければ普通に有能扱いされてたかも
372 :
神奈さん:2019/08/19(月) 19:12:43 ID:HlLwYClg
>>37017日に見れたでしょうか。
私は18日に二宮町へ行きましたが、ほぼゼロでした。
13日に作って16日に撤去する所がほとんどだそうです。
年に4日間しか見れないとは思わなんだ。
373 :
神奈さん:2019/08/20(火) 04:50:28 ID:vxkH9xNg
>>37217日は所用で出かけてしまったので、見られませんでした。
しかし、藤沢の石川から円行あたりでは20日近くても門のところにおいてあるところがほとんどで、19日の昼に車で通りすぎたときにはまだおいてある家がちらほら。
以前それとなく聞いたところ、16日ですぐに片付けてしまう家とそうでない家があって、けっこう適当なのだと言われたので、のんびりしていたのですが......
4日間しか見られないのですか。ちょっとびっくりしました。
明日の夕方、雨が降らなければ観察にでかけてみようと思います。
374 :
神奈さん:2019/08/21(水) 20:48:11 ID:acONHkaQ
>>37320日過ぎても残してる所もあるのですね。
片付け方にも地域性があるのか...
スナモリ、調べれば調べるほどよくわからないです。
静岡とか熊本にも似たようなのがあるらしいですが、
名前がわからないのでネットだと検索しようがないです(笑)
375 :
二ヶ領用水:2019/08/21(水) 21:50:54 ID:B5hv4zDA
376 :
神奈さん:2019/08/21(水) 23:20:21 ID:dtLORq+A
>>374去年は9月すぎてもみかけたのですが、昨日見に行ったら今年はもうどこも片付けてしまったようで.....
19日に車で見たとき撮影すればよかったのですが、なにぶんよそさまの門の前なので、車が停めづらくてはばかられました。
砂盛りも、昔からある大きなお宅では見かけますが、それでも世代交代したのか今年は少なくなりました。
>>375京都では大晦日の行事なのですね。
お盆は仏教行事で、お正月は神仏混合とはいえ神道行事だと思っていたのですが、神様の依代ということだと、お盆でも神道行事なのでしょうか。
興味深いですね。
お仏壇の長谷川で3000円というのも興味深いです。
もっとも、長谷川では神棚グッズも置いてはいますが、はたしてこれは仏教道具なのか神道道具なのか???
377 :
sage:2019/08/21(水) 23:20:48 ID:YYjL74TQ
ウチも県央でお菓子の缶に砂を入れて線香を立てているが砂盛とは違って
本来地面に直に立てていたのがコンクリを打っちゃったので砂を使っている
迎え火のしかたが家で違うのが面白い と言っても昔の話だが
墓まで迎えに行ったり近くの辻まで火を持って迎えに行ったり
迎え火も送り火もしない一族が有ったり
どこも同じお寺で3~400は溯れる所なんだけどね
盆棚の飾り方も色々
ウチは座敷に仏壇の中身を移して江戸時代からの掛け軸を40幅下げる
毎年大変だよ
378 :
神奈さん:2019/08/21(水) 23:38:39 ID:dtLORq+A
>>377掛け軸40幅ってすごいですね
なぜそんなにさげるんですか?
379 :
神奈さん:2019/08/22(木) 11:51:06 ID:9O1cpyBQ
年一回しか出さないので虫干しを兼ねてと言っちゃうとご先祖に申し訳ないかな
今みたいに交通が便利で無い時代に徒歩であちこちのお寺へ行って求めてきた物だからね
粗末には扱えないし
どこのお宅へ行っても数本から十数本は掛かっているけどウチは多いほうだね
昔は小さなお寺でもそこの御本尊や特別にお祀りしている仏様や神様の絵が軸になって
頒布されていたんだと思う
380 :
神奈さん:2019/08/22(木) 15:12:01 ID:ViABRKeg
>>377-379
何の掛け軸をかけるんですか? 仏画とか?
381 :
神奈さん:2019/08/23(金) 07:38:28 ID:aCE3CDGA
>>375上だか下だか忘れましたが、鴨神社の境内に大きな円錐の砂盛りがあるのは見たことあります。
京都は町屋でもやってるんですね。大阪や三重、北陸でもやっているとは。
正月に作るのか...
>>376地域によって違いはあるだろうと思いますが、
県内だと「仏教のものだからやらない」という神道の家はあります。
その家に正月行ったら、円錐のスナモリがあるのか??。
でも
>>377さんが書いておられるように、檀家さんでもやらない家があるのですね。
当主が世代替わりしてやらなくなったのか、昔からやってなかったのか。
掛軸、見てみたいなぁ。今年は盆棚を見せて下さった家がありました。
唱名(南無〜仏とかお経の名)と、僧侶や仏尊の絵、お稲荷の掛軸もありました。
382 :
神奈さん:2019/08/23(金) 22:29:45 ID:eB0Dmmtw
>>380絵が多いかな
それも版画がほとんどでそれが面白い
昔はちょっと有名な寺院では版画の掛け軸を作っていたみたいだね
383 :
神奈さん:2019/08/24(土) 21:06:33 ID:qQkR0dTA
寺社が出していたお札(大小の木版画)は色々ありますよね。
今でも刷ってはいないが、木版だけ残してるお寺さんもあります。
大きいお札でも基本は墨一色ですが、中にはそれに色を塗って掛軸に仕立てているのも。
小さいお札だと、捨てずに俵へ詰め込んで残してあったりします。
たまーに旧家の屋根裏とかから見つかるらしい。
384 :
二ヶ領用水:2019/08/25(日) 05:52:31 ID:X0d6xhnw
掛軸40幅って壮観ですね
うちは仏壇の中にこじんまりしたのだけw
https://i.imgur.com/cBgjcV9.jpg神奈川のものでなく恐縮なんですが
埼玉県草加市歴史民俗資料館に展示されている算額(レプリカ)です
神奈川県でも寒川神社を始め何社かに奉納されたものがあるようですね
和算関係の本は何冊か読んだことがあるのですが、西洋の影響を受けずにほぼ同等の水準に達していた先人の業績には驚きます
385 :
神奈さん:2019/08/25(日) 17:32:56 ID:GkRSOtsw
〉358
スナモリと言うんですね。
鵠沼ですが、うちは円形で上は平、スロープをつけておがらで階段をつけます。
近所は四角い缶が多いようです。
386 :
神奈さん:2019/08/25(日) 18:13:41 ID:AdzxyYJQ
>>384和算の額は例示で、それを仏壇に掛けてるという事ではないのですね?
そういえば、どこかの神社で和算の絵馬?を見たことがあります。
387 :
神奈さん:2019/08/25(日) 20:54:04 ID:4uuMb3HA
>>385実は決まった名前が無いらしく、各地でバラバラです。
そこで仮称としてスナモリ(一部地域ではそう呼んでいる)にしているみたいです。
円形は珍しいかも。私は1つしか見たことがありません。
実はお年寄りに教えられたのですが、正式には竹を井桁に組んで中に砂を詰めるのだが
作るのが面倒なので、最近はホームセンターなどに売っている箱と階段で済ませている、とのことでした。
つまり、昔と今では形そのものが変わってしまっている所も少なくないようです。
388 :
神奈さん:2019/08/25(日) 20:59:19 ID:4uuMb3HA
>>384知人が算額好きで、都内ですが各所に奉納しまくっていました。
江戸時代の幾何学好きと競うような所が面白いと言っていました。
関孝和とか、凄いですよねぇ。ソロバンで微積分なんて教えられてもできませんでしたw
389 :
神奈さん:2019/08/28(水) 00:26:04 ID:66kxXSdQ
>>372,374
昨日の夕方散歩していたら、まだ出しているところがありました。
ほんの一区画だけ、数件のお宅がまだ片付けていませんでした。
おうちの方に許可をいただいて写真をとりましたが、どこかわかってしまうといやなので、片付けてから写真はアップします。
写真をとらせてくださいとお願いしたとき
「これがなんだか知ってるの? 最近はやるうちもずいぶんへったねー」とおっしゃっていました。
いつ片付けるのか聞いたところ、月をまたいでから片付けるそうです。
理由はご存じないそうです。
私は二件写真をとりましたが、そのふたつともお菓子の箱に砂ではなく土が入っていました。そこに蓮の花、麻がらがぐるりと立ててあり、
390 :
389:2019/08/28(水) 00:35:29 ID:66kxXSdQ
>>389すみません、途中で送信してしまいました。
続きです。
私は二件写真をとりましたが、そのひとつはお菓子の紙箱に砂ではなく土が入っていました。
麻がらがぐるりと立ててあり、その一番奥に蓮の花、手前にわらで作った馬と牛がおかれていました。
もうひとつは、発泡スチロールの箱に砂があり、ぐるりと麻がらがたてられ、ほおずき、蓮の葉、わらで作った馬と牛がおかれていました。
ちなみに、お盆の直前に仏具屋さんにいったときにも砂盛はどうやってするのですか?と聞いたら、「最近は砂盛ではなく盆だなにお飾りをしてお祭りします」と店主はいわれました。
仏壇用のテーブルにござのようなものをしいたうえに、果物やお菓子、おりくぜん、蓮の花、蓮の葉などをお供えし、馬と牛は蓮の葉の上に飾られていました。
こちらも写真をとりたかったのですが、丁寧にお断りされました。
391 :
神奈さん:2019/08/28(水) 13:10:20 ID:25oSdNKQ
砂盛りは地域が限定されてるようですね。
川崎市麻生区辺りでは見かけません。
何か砂盛りに関する文献等をお知りでしたら
教えて頂けると嬉しいです。
392 :
神奈さん:2019/08/28(水) 13:43:50 ID:66kxXSdQ
>>391砂盛の話題はこのスレの18くらいから定期的にでてくる話題で、過去にも興味深い文献のリンクもはられていましたよ。
ぜひご参照のほど。
393 :
神奈さん:2019/08/28(水) 17:05:19 ID:25oSdNKQ
そうでしたか。過去レス読みます。
394 :
神奈さん:2019/08/28(水) 21:04:43 ID:WVsXX/xg
>>389,390
月またぎで片付けるとはビックリです。
多いのは16日のようですが、それはお精霊さんが帰る日だから、という説明がなされています。
ゆっくり帰ってもらいたいから、17日というのは聞いたことがありますが、月またぎはどういう背景なのやら。
中にはスナモリの装飾(ナスキュウリの牛馬とか葉とか花とか)はどけるが、
土台のスナモリは1年中そのまんま、という家もあります。
でもそれは、砂が手に入りにくいし来年また作るのが面倒なので、と言われました。
色々な事例があるんですねぇ...
仏壇屋さんの説明は興味深いです。
資料で読んだ中では、スナモリを作る家は盆棚も作る、とありますが、
仏壇屋さんの説明は、それとは違う家があるということに。
ちょっと長くなってNGくらいそうなので分けます。
395 :
神奈さん:2019/08/28(水) 21:17:08 ID:WVsXX/xg
>>394続き
ちょっとマニアックになりすぎるので要点だけ。
スナモリを作るそもそもの目的は2つに分かれるようです。
1.スナモリはお精霊を迎える場所。一般的には先祖の霊で、盆棚も先祖供養のためなので、実に丁寧な迎え方になります。
2.ところが、中にはスナモリは無縁仏供養のために作ると言う地域や家もあるようです。
つまり、先祖は家の中の盆棚で、無縁仏はスナモリで供養するということです。
でも、これも複雑で、盆棚に無縁仏用の供物を供えることも珍しくないようです。
仏壇屋さんの説明を深読みすると、2の目的の家が多い土地ということかもしれません。
396 :
神奈さん:2019/08/28(水) 21:28:09 ID:WVsXX/xg
>>391私もまだ読んでいないのですが、神奈川県史の民俗編あたりに多少解説があるかもしれません。
あとは、お住まいの市町村の市史、町史、村史の民俗調査資料あたりに事例紹介があると思います。
スナモリを扱った論文的なものの有無は調べてません。
神奈川の場合、県の東西にあるが南北(南は三浦半島、北は相模原市緑区とか)には無い
という説明があるので、何らかの調査研究はされているだろうと思います。
ただ、県北には無いと言う割に、町田市にはあるようなので、調査自体がどの程度のものなのかは微妙ですけれども。。
397 :
神奈さん:2019/08/29(木) 00:35:12 ID:uDwpzYxQ
>>396詳細をありがとうございます。
近くの図書館で民俗資料も調べてみます。
398 :
神奈さん:2019/08/29(木) 02:04:11 ID:JwEDDmSA
>>394いつ片付けるのかうかがったときに、当然のように「月をまたいで」とおっしゃられていて、近所にも何件かまだ片付けていない家があったので、この地域特有なのかもしれません。
399 :
神奈さん:2019/09/01(日) 14:48:35 ID:6loXRuiQ
400 :
神奈さん:2019/09/09(月) 06:24:34 ID:c+kfaQ2A
401 :
神奈さん:2019/09/11(水) 12:16:48 ID:nQs0KyjQ
>>400お〜。挿してあるのはオガラかムギワラでしょうかね。
こんなに沢山挿しているのは初めて見ました。
箱に入れているのは簡易バージョンのはずなので、正式バージョンで沢山使っていたのかも。
9月まで残しているなら、来年は余裕をもって見に行けます〜
砂が黒っぽいのが気になります。濡れているだけかもしれませんが、
正式には富士山の噴火灰を使うという所もかなりあって、色は赤とか黒っぽくなるはずなんです。
402 :
神奈さん:2019/09/11(水) 22:08:15 ID:nQs0KyjQ
>>400すみません。401は全部違うみたいですね。
オガラは送り火をした後に沢山立てる。砂ではなく黒土。
という土地かも。
場所によってはスナモリの上部(平な所)の真ん中に溝を掘って、オガラで橋を作り、
先祖が天の川を渡って帰って来ることを表現しているケースもあるみたいです。
江戸時代のカレンダーだと7月7日の七夕があって、7月13日からがお盆なので
関連があって当然なのか??
403 :
神奈さん:2019/09/11(水) 23:55:34 ID:qh1wec2Q
>>4022は赤っぽい土でした。ほかの2つは荒い砂でした。
1と2が近所ですが、微妙に様式が違うようなのも面白いです。
馬も牛もひっくりかえっていたけど、なおしたりする様子はありませんでしたので、最初がどんなふうだったのか。飾り付け初期はもっとちがっていたかもしれません。
404 :
神奈さん:2019/09/15(日) 17:06:58 ID:KOeEZJig
>>403近所で使う土・砂も違うんですね。
牛馬がほったらかしで9月までというのも面白いです。
先日、清川村のお年寄りに訊いてみたら
本当は富士山の火山灰を使う。山の中とか川沿いとかある場所が判っている。
でも、最近は近くに砂があるので、それで済ましていると言っていました。
形は上が平らのピラミッド型だそうです。
405 :
神奈さん:2019/09/19(木) 09:37:43 ID:E2eOxaqA
他県の事例なのでスレチですが、ちょっと面白かったので
江戸時代に全国の民俗的調査を試みた人がおりまして、当人は江戸在住ですが
各藩へ同じ内容の質問状(130以上の項目)を出し、それぞれの項目が各地でどう違うか
などが判るようにしようとしました。
その回答が一部のこっていて「諸国風俗問状答」としてまとめられ、ネットでも読めます。
スナモリ的なことを江戸時代にやっていたのか書かれていないか読んでみたところ
そのものズバリは書いてありませんでしたが、なんか似てる、というのが滋賀にありました。
1番目の絵図
新盆の家が軒下に造る新霊棚(江戸時代)。
高床式みたいな感じですが、秦野あたりのスナモリとちょっと似てます。
今はもうやらないようです。
2番目のモノクロ
「砂台」という名前で、川辺、家の庭などに作り、迎え火するようです。
砂台という名前なのに使っているのはどれもセメントブロックのようなもの。
この2つは同じ集落で、2番目はその集落の調査をした資料から。
当たり前ですが江戸時代と現代は随分変容しているようです。
https://i.imgur.com/dqQWgQX.jpghttps://i.imgur.com/ur6kphs.jpg
406 :
神奈さん:2019/09/28(土) 05:24:22 ID:AmhUtlyQ
ググったら国会図書館デジコレで読めるよう
ですね。今度、検索してみます。
407 :
神奈さん:2019/09/30(月) 09:56:59 ID:xhmsROUQ
408 :
神奈さん:2019/10/06(日) 12:12:39 ID:T/KDQqhg
409 :
神奈さん:2019/10/20(日) 20:39:13 ID:G5yCzTmg
川崎市民ミュージアムの資料収蔵庫が洪水で水没したようです
歴史や民俗関係の文書なども結構あったはず
川の水に浸かっても修復はできるようなので、無事を祈りたい
410 :
神奈さん:2019/10/20(日) 20:58:34 ID:5ncrLIxw
水彩画は全滅だろうか・・・
しかしあそこまでノーガードな庫とは
411 :
神奈さん:2019/10/20(日) 23:32:09 ID:Jbm+17Yg
川の跡なのにな
412 :
二ヶ領用水:2019/10/21(月) 14:00:53 ID:z7xxiD2w
休みなんで件の等々力の川崎市民ミュージアムに行って来ました
色んな催事があるんで年に何回かは足を運ぶんですが…
https://i.imgur.com/MHOYdVP.jpg右側のオブジェみたいのは日本鋼管で実際に使われていた「トーマス転炉」
後ろの建物がミュージアムですが、見ての通り上部壁の一部が台風の影響で今にも剥がれ落ちそう
収蔵品は建物地下にありニュースによるとかなりのダメージがあるようで、ミュージアムも当面休館
残念です
413 :
神奈さん:2019/10/23(水) 11:23:39 ID:a+6Xi/WQ
寄贈・寄託されていた史料・資料類のことを考えると、川崎は被害甚大ですね...
規模は違いますが、皇国地誌の原稿が関東大震災で焼失したのを想起させられました。
考えてみたら、川沿いにある博物館的な施設は県内だと川崎、厚木、秦野くらいかも。
県博は海沿いですが、収蔵スペースの問題で、他の場所で保管している点数もそれなりらしいですが。
414 :
神奈さん:2019/10/23(水) 11:39:55 ID:5QLS4ieQ
中原区に知り合いのじいさんが以前によく言ってたけど
多摩川が千年の交差点辺りまでよく大水でやられたって
よくわからんが戦後に何かしら対策したんじゃないかな
415 :
神奈さん:2019/10/25(金) 00:32:46 ID:1/CAqNuw
>>414川崎のハザードマップだと今も千年とか子母口のあたりまで浸水想定範囲になってますね。
川は大小にかかわらず、昔はよく溢れていたという話しを各地で耳にしてます。
直線的にしたり底を掘り下げて護岸工事したりしたのが効いてるんでしょうね。
416 :
神奈さん:2019/10/25(金) 10:23:00 ID:5fq9RvLg
戸塚区から栄区を経て境川と合流する柏尾川は、以前は毎年のように氾濫を繰り返していましたが
川幅を広げたり遊水池を各所に設けるなどの治水の結果、あまり被害をもたらさなくなりましたね
1973、4年頃、近年に無かった豪雨のために大氾濫が起き、栄区(当時はまだ戸塚区)長尾台町付近の「鷹匠橋」が流出したのを憶えています
年号は憶えていないのですが日付だけははっきりと「11月10日」と記憶しているのが不思議です
417 :
神奈さん:2019/10/25(金) 17:41:22 ID:Tj8O2Mrg
>>415東京赤羽の志茂が下<しも>に通じるように
子母口も下口に通じるんじゃないかと思ってました
なんとなく
418 :
二ヶ領用水:2019/10/26(土) 13:17:33 ID:8EECCN7w
川崎の人間にとっては子母口と言えば
推定7000年前の子母口貝塚
「たった」7000年前、関東平野は結構な部分が海の底だったつうことですな
「鷹匠橋」は川崎の久地にもあるし船橋にもあるそうな
由来がはっきりしてる分、旧国の武蔵、相模、下総、駿河など家康関係の場所にはありそうですね
419 :
神奈さん:2019/10/29(火) 09:25:28 ID:9u4ylcPA
鷹が付く地名の由来には、将軍家の鷹を取ったとか、鷹の餌となる鳥を取る場所だとかがありますよね。
実際、餌取りのために村民が出入り禁止だった山もあったようです。
420 :
神奈さん:2019/10/29(火) 09:58:31 ID:oKjWG+6Q
横須賀の湘南鷹取もそういう所だったのかな
高台で海にも面してないしどちらかと言えば東京湾側だし
どこが湘南やねんとは思うけど
421 :
神奈さん:2019/10/29(火) 10:20:51 ID:rPY4wPlg
そこで湘南鷹取を出すなら鷹取山や鷹取町を出してくれw
しかし横須賀の東京湾側は湘南○○が好きだよね。
422 :
神奈さん:2019/10/29(火) 10:54:01 ID:vnZ86o5w
いわゆる「相州物」の刀剣ってありますよね。正宗とか国光とか
あの相州というのはどのあたりになるのでしょうかね。鎌倉の近郊か、あと小田原付近に鍛冶職人が大勢いたらしいのでそのあたりか
栄区付近に「鍛冶ヶ谷」とか「金井」とかの地名が散見されますが、刀鍛冶とはなにか関連があるんでしょうかね
423 :
神奈さん:2019/10/29(火) 23:52:50 ID:92zX1cTg
湘南って相模湾沿岸だと思ってました
424 :
神奈さん:2019/10/30(水) 14:46:43 ID:kON7ECmA
ブランドイメージが凄いからね「湘南」
SFCもあんな内陸なのに湘南なのは不思議な感じがする
425 :
神奈さん:2019/10/31(木) 09:45:28 ID:nvbMDlYw
>>422圀光の弟子が正宗、という系譜の相州物なら鎌倉鍛冶みたいですよ。
ただ、正宗が岡崎五郎入道と名乗っていたことを考えると、系譜が鎌倉鍛冶というだけで
住んでいたのは伊勢原とか平塚の岡崎の可能性もあるのか?
栄区の鍛冶ケ谷は鎌倉時代に鍛冶職が多かったのが地名の由来らしいです。
場所は微妙にズレますし時代は遡りますが、栄区の上郷からは発掘で金クソがあちらこちらで出てます。
金沢文庫から栄区を経由して鎌倉に抜けるハイキングコースをタタラ道と呼ぶ人もいたし
鍛冶の伝統があったのかもしれませんね。
鍛冶が盛んだったのは厚木の荻野あたりも有名です(後北条以降)。
426 :
神奈さん:2019/11/01(金) 20:19:28 ID:pFBs1QIQ
>>424まー、東海道線か一国よりも南が妥当じゃない?
湘南っていうのは。
それより北だと「あそこは無理があるだろー。」って感じはするな。
427 :
神奈さん:2019/11/04(月) 11:15:17 ID:P6wZhD1Q
湘南や西湘があって、使用例を知りませんが湘東とかいう言い方もあったとすると
湘の中心はどこなんだと言いたくなります
相模川を湘一文字で表現したとすれば、海老名厚木あたりが湘中で
相模原愛川が湘北とかか。
横浜川崎は武蔵国なので関係無しw
428 :
二ヶ領用水:2019/11/04(月) 18:23:35 ID:3gMSVNjA
429 :
神奈さん:2019/11/04(月) 20:42:03 ID:RRrVScvg
>>427以前ブラタモリで解説ありましたよ
確か単に中国の景勝地の名前だそうです
神奈川は元々政府高官や財界人の高級別荘地として開発されたのでイメージ戦略の結果だと
430 :
神奈さん:2019/11/04(月) 21:00:07 ID:muP1BuHQ
由来は中国で発祥は大磯
戦後、加山雄三、サザン、チューブら芸能人の影響で鎌倉から茅ヶ崎のイメージが強くなった
431 :
神奈さん:2019/11/04(月) 23:42:36 ID:bIdS7o6A
>>428後鳥羽上皇は歴代天皇にあって図抜けて最強だったらしい
和歌や武芸はもちろん刀まで打った 政治経済や文芸にも長けた 備前から7人 備中から3人 山城から2人の名人を召集し1から12月まで月番制で刀を打たせたらしい
なぜ刀に固執するかというと在位2年目に安徳天皇が草薙の剣を失っているからだそうです
威信財がなくなってあせったと思う
実朝と手紙のやり取りをしていてその刀は良好な、関係のときのものだとおもう
承久の乱後は隠岐に流され人扱いされてないし隠岐で死んでその一部もご府内に入れてもらえず京都大原に祀られてるみたい
しかし源氏の家来は義時にしろ本気でやってくるからこわいな
頼茂は内裏を丸焼けにするし後々高師直も内裏の門に火矢打ち込むし
432 :
神奈さん:2019/11/05(火) 00:02:03 ID:/EVdZBtw
神武越えか
433 :
神奈さん:2019/11/05(火) 01:27:29 ID:rZzzTGAg
源氏は内輪揉めばかりしてるから嫌い
434 :
神奈さん:2019/11/05(火) 15:15:50 ID:z5BnV9NQ
>>428湘南市構想があったのですね。
全く知りませんでした。
藤沢、平塚、茅ヶ崎、寒川、大磯、二宮の6市町が合併と。
伊勢原が外されてて...国府祭の仲間なのにw
435 :
神奈さん:2019/11/11(月) 19:27:06 ID:hIu8ZyUw
>>427横浜で武蔵国だったのは北と東の方で、
南西の方は相模国だったはずです。
旧鎌倉郡の辺りですね。
保土ヶ谷区とか金沢区とか。
436 :
神奈さん:2019/11/11(月) 20:10:16 ID:QcINhIYQ
437 :
二ヶ領用水:2019/11/11(月) 20:12:54 ID:/UBSK49w
基本的に内陸は境川が国境だったから保土ヶ谷は武蔵国
泉区の辺りが相模国に入ってたような
ただし境川は江ノ島で相模湾に注ぐ、つまり鎌倉より西になるので下流域の境界線は違うのは確かですね
438 :
神奈さん:2019/11/12(火) 00:49:55 ID:wcLkBrmw
旧相模国と旧武蔵国の国境は, 現横浜市付近では 東京湾と相模湾の分水界の尾根だと思います.
おおまかには 瀬谷区 泉区 戸塚区 栄区と, 港南区の西部が旧相模国になります.
ウィキペディアの 「相模国 現在の行政区分での領域」「鎌倉郡 郡域」 が参考になります.
439 :
神奈さん:2019/11/12(火) 11:27:53 ID:f76/pwqw
440 :
神奈さん:2019/11/14(木) 13:09:51 ID:Rsolu7Mw
>>436-439
あ、保土ケ谷区と金沢区は武蔵国でしたか。
旧戸塚区が主ですね。勘違いしてました。
441 :
神奈さん:2019/11/15(金) 14:39:58 ID:Dn9Q58+Q
境川に合流している柏尾川の源流域=戸塚区、港南区の上永谷
大岡川に合流している日野川源流域=港南区の港南台
帷子川に合流している今井川源流域=保土ヶ谷
この辺りはややこしいですが
>>438さんご指摘の通り分水嶺と見れば判るか。
難解なのは山北あたりの相駿国境とか、相模原市緑区の相甲国境ですかね。
上野原(山梨)との境界線になってる境川なんて、上流域は小川レベルで
東西の集落が別の自治体になってるのがおかしいとすら思えました。
442 :
神奈さん:2019/11/18(月) 17:23:57 ID:1SoT1+Wg
お盆の行事はちゃんとやるけど、ミソハギは使っていないという所はあるのでしょうか。
県内のお盆行事の資料を読むと、ミソハギを使っている所ばかりですが
私はまったく知りませんでした(横浜市内)。
443 :
神奈さん:2019/12/03(火) 17:10:52 ID:5JSbMRoA
444 :
神奈さん:2019/12/15(日) 09:12:16 ID:9ik1qMPw
大井町で地神塔に関する話を聞きました。
家の者が亡くなって何年か経つと守り神のような存在に成るとされ、
家の入口付近に地神塔を建てて家神的に祀った家があるのだそうです。
横浜界隈では豊作など作神の要素が強く、今でも講を続けている所でも作神の認識でした。
ここまで先祖崇拝に寄った事例があるのは知りませんでした。
神奈川は地神信仰と総称される祭祀が雑多で種類が多いとは聞いていましたが、
地域によってここまで色々だとは驚きました。
445 :
神奈さん:2019/12/18(水) 08:08:54 ID:lbc8mhMg
446 :
神奈さん:2020/01/08(水) 10:45:15 ID:cd/WuWoQ
447 :
神奈さん:2020/01/08(水) 10:48:53 ID:cd/WuWoQ
448 :
神奈さん:2020/02/14(金) 19:49:55 ID:Jv4afGOQ
川崎市多摩区の日本民家園で「う...ん...ことくらし」展開催中
う◯こと書くとNGワードらしいw
5月末まで
肥料からトイレ、廃棄まで、小振りですが面白い企画展でした。
バキュームカーを日本で最初に開発して命名したのは川崎市だそうです。
449 :
二ヶ領用水:2020/02/15(土) 06:49:00 ID:BygtQi5g
450 :
神奈さん:2020/02/15(土) 06:52:45 ID:NHXT39Lw
流行ったドリルにあやかってるのかな
451 :
神奈さん:2020/02/15(土) 07:19:51 ID:ijLA+/Xw
千年から能満寺辺りの坂もキツくて石炭バスが上がれない時があってみんなで押したらしいよ
毒蝮三太夫のラジオでそこら中回ってた蝮がよく言ってたのが『馬』のつく地名はやはり馬に縁があり、一帯は馬糞だらけだったらしい
馬込や馬絹近辺に行くといつもその話してた
452 :
神奈さん:2020/02/16(日) 16:53:20 ID:IOJmvAKA
解説によると、バキュームの基礎技術はすでにあって、
それを活かしたバキュームカーの開発は、最初は大阪にもちかけられたそうです。
それが断られ、次に東京、それもダメで川崎市に話が来て開発に至ったのだとか。
しかし、今の子供にバキュームカーと言っても判るのでしょうか。
全く見なくなりましたね。
453 :
神奈さん:2020/02/16(日) 17:47:22 ID:o+xKNXCA
>>452うちの近所は立地的に浄化槽のお宅があるので
バキュームカーはたまに見ますよ
454 :
神奈さん:2020/02/16(日) 20:25:22 ID:mrIwrLlw
テレ朝の「ナニコレ珍百景」で、秦野市西大竹の道祖神習俗「石売り」が紹介されていた。
子供集団がしっかり機能している点と双体道祖神が一杯あったことにびっくり。
455 :
神奈さん:2020/02/16(日) 21:52:16 ID:6qi7dHCg
バキュームカーね
そういや黄金車とも言われていたな
456 :
神奈さん:2020/02/16(日) 21:59:05 ID:yeld04VA
大型の油水分離層などを清掃する際には
やはりバキュームカーで吸い上げるわけでして
需要は黄金のみではないのです
457 :
神奈さん:2020/02/18(火) 09:57:22 ID:fGlzfncw
458 :
神奈さん:2020/02/18(火) 12:33:24 ID:USGxAU0Q
ハロウィーンは、十五夜の団子突きじゃないでしょうか?時期的に。
459 :
神奈さん:2020/02/18(火) 17:36:30 ID:XU7e9rZQ
460 :
神奈さん:2020/02/19(水) 20:47:42 ID:yXcSx9LQ
>>458,459
十五夜の団子突き。
知りませんでしたわ。
神奈川のどこでやってるんだろう。
3月や5月の節句も子供の祭だし、同じようなことやってるのかなぁ。
461 :
神奈さん:2020/02/21(金) 03:03:45 ID:u3Yau4Og
私が子供の頃、うちの地区ではやってませんでしたが
同じ小学校の他の地区では団子突きをやってましたよ。
そういう名前だったという事は今知りましたがw
お団子ではなくハロウィンとほぼ同じでした。
中秋の十五夜に色んな家にお菓子をもらいに行く。
くれなかったらイタズラしていいとも聞いたような気がしますが
ハロウィンと記憶が混ざってる気もw
なのでその地区の家の方は、十五夜の時に小分けにするお菓子を大量買いしてました。
昔はお団子のお供えだったらしいけど、今は作らないからと聞きました。
462 :
神奈さん:2020/02/21(金) 04:39:34 ID:QZ61YxBg
458です。団子突き、今の六十代後半の方々が子供の頃まで、私の出身の横浜南部では普通にやっていた様です。親戚が横須賀ですが、そちらでも風習が有りました。盗られると縁起が良いとされていたようです。
私は世代が違うのですが、一度だけ小学生のとき叔母の家に、竹の棒持ってまんじゅう盗みに行きました。文化の継承です。
あぼーん
464 :
神奈さん:2020/02/22(土) 08:00:44 ID:sEb1p6jA
>>461,462
ありがとうございます。
やっていた覚えがあるのですね。
小学校の頃は横須賀北部にいて同級生に農家もいたのですが、そこはやってなかったです。
横浜の農家古老なら覚えているのかも。今度話し聞いてみます。
465 :
二ヶ領用水:2020/04/04(土) 11:16:01 ID:zC6hZlvQ
466 :
神奈さん:2020/04/04(土) 14:29:59 ID:5EG5NRcA
467 :
二ヶ領用水:2020/04/04(土) 15:23:38 ID:Lc2f3oxg
>>466橋脚というか杭っぽい
当時の相模川は現在より1km離れた場所に流れてたんですね
子供の頃ですけど相模川の水源が山中湖って知った時は驚きでした
川の流れって多少の湾曲はあっても大体真っ直ぐと思いこんでたから
468 :
神奈さん:2020/04/04(土) 21:40:50 ID:avlo/dxQ
その辺は北条早雲(伊勢新九カ)が扇谷上杉に加勢して山内上杉と戦ったり、北条氏康が初陣を果たしたり何気に熱いスポットだな。
469 :
二ヶ領用水:2020/04/04(土) 22:56:07 ID:Lc2f3oxg
そういや
鎌倉に扇ガ谷と山ノ内って地名があったと思ったが、やはり両上杉との関連があるのかな?
早雲と言えばケンタッキーのカーネル・サンダース同様、60過ぎてから歴史の表舞台に登場し両人共に88、90歳の長寿を全うしたってイメージだったんだけど
本当は20歳以上若かったんでは?って、最近の研究報告があるみたいですね
まあ、仮にそうでも当時の60歳は現代の感覚だと80は優に過ぎてるって感じなんでしょうな
80過ぎのお爺さんが伊豆と相模を手中に収める!
凄い話だ
470 :
神奈さん:2020/04/04(土) 23:14:53 ID:avlo/dxQ
>>469無論、そこに屋敷を構えていたから扇谷上杉、山内上杉と呼ばれるようになりました。
471 :
神奈さん:2020/04/04(土) 23:25:44 ID:jU4IcE5w
>>451 『馬』の付く地名
蛇足ですいませんが、『駒』に置き換え
るパターンが多いですね。
これが発動しないと馬澤大学となって
しまった可能性があります。日東馬専。
蛇足その2ですが、
駒沢は上(下)馬と深沢との合成地名です。
国立(くにたち)みたいなものです。
472 :
神奈さん:2020/04/04(土) 23:44:55 ID:JsZQJ44w
馬絹、有馬ってあるけど
馬の生産地ってわけでもなさそうだし
大山街道の馬捨て場だったのかな?
473 :
神奈さん:2020/04/05(日) 15:10:20 ID:UmUjkd/Q
馬絹、有馬は隣接する石川が牧だったので、産地と関係あるのでは。
474 :
神奈さん:2020/04/05(日) 16:00:33 ID:he6OfRdg
中央道の抜け道、牧野/牧馬峠も馬の産地って聞いたことがある。
あんな山奥で馬育てていたのかな?
475 :
神奈さん:2020/04/05(日) 16:48:39 ID:DtTrh75w
>>474山奥だから馬も育てやすいと思いますよ。
馬は神経質な動物だから、人里近くないほうが都合がいい。
476 :
神奈さん:2020/04/05(日) 17:05:37 ID:he6OfRdg
>>475成る程、甲州街道からもさほど離れていないので馬の需要はあったのかなぁ…
ところでこのスレROM専だったけれど
>>1読むと禁止事項以外は現代(近代)の話題もOKなんですね。
守備範囲が割と近代に当たる道路と水道だけれど古いものならスレ違いじゃないよね???
477 :
神奈さん:2020/04/06(月) 08:51:34 ID:AxC/xLIw
>>474牧馬峠はただの峠ですが、あの界隈は牧場(まきば)に適した土地だったみたいです。
餌としての秣(まぐさ)場も随分あったようで、その土地を活かして戦後からしばらくは
神奈川の一大牛乳産地でした。
集乳所跡の小屋をいくつか見たことがあります。
青野原あたりだと、牛乳がダメになった頃と思われますが、羊毛にも取組んだようで、羊の供養塔なんてのもあります。
478 :
神奈さん:2020/04/06(月) 22:44:14 ID:+iRn2Zsg
もう25年以上前だけど宮前区の有馬に住んでた
通勤時は馬の背とまではいかないが宮前区と都筑区の境を走っていた
そのときは気付きもしなかった小さな小道が、今現在グーグルマップで見てみたら旧大山道だったわ
まぁすぐそばにR246があるし荏田の辺りに旧道があるのは知ってはいたけど
たまに中川駅に出るのに通った事が幾度かある マップに血流れ坂なる記述があってggってみたら
よくここまで調べあげると感心したサイトが一番目に出てきたわ でも住んでた頃にそんな刑場だの何だの史跡な名残は見たことも聞いた事もなかったわ
グーグルマップでいろいろ拡大していくと小さな史跡や神社やお寺をクリックするといろんなことがわかるね
479 :
二ヶ領用水:2020/04/06(月) 23:08:51 ID:O1YpxJaQ
>>478荏田の辺りも随分変わりました
有馬からすみれが丘まで出ると道が細くなって、くねくね曲がって246に入ったのは30年くらい前だったかな
横浜も恩田町の不気味な字名や港北区新吉田の神隠とか興味深い地名がありますね
480 :
神奈さん:2020/04/06(月) 23:46:23 ID:+iRn2Zsg
>>479それはさらに以前と思われます
1990年位は新石川と中原街道ののちめ不動まで今の道路は造成されありましが一車線に規制されていて
今のように綱島日吉方面は意図的につなげていませんでした
交通量もほとんど無く、現北山田駅付近に大きいチャウチャウ犬が目をむいて死んでいて
十数羽のカラスが群がっていた光景を思い出す
ここは日本かと疑った記憶があり一生忘れられない
481 :
sage:2020/04/07(火) 01:27:19 ID:tvYkC3+w
牧馬は「まきめ」
牧野は「まぎの」
と読む
字面だけで無く発音からも考察してみる必要があるかも
482 :
神奈さん:2020/04/07(火) 08:42:06 ID:839lH8mA
そう言えば宮前区の五所塚も
上杉謙信(当時長尾景虎)が小田原征伐の帰途路に5名の家臣が病で倒れて、その地に埋葬した
平将門討伐時に朝廷側の将軍5名が討たれ、その地に埋葬した
と心霊スポットになってるが
実際は発掘調査で五所塚は縄文時代に造られたらしい
東京都だが近くの二子玉川駅近くの心霊スポット兵庫島も
南北朝時代の新田義興が鎌倉奪還を目指して大田区矢口の渡し渡河中に奇襲に遭い家臣もろとも討ち死に
家臣の一人由良兵庫助の遺体が流れ着いたのが兵庫島だけど
大田区矢口って兵庫島より下流だから上流の稲城市の矢野口の渡しで遭難したんじゃないの?と言われてるが
新田義興を祀る新田神社をはじめ家臣を祀る神社が大田区矢口の渡し周辺に点在しており不思議ではある
483 :
神奈さん:2020/04/07(火) 19:52:46 ID:F3recOfg
今年は座間の凧揚げを見たいと思っていたのですが
案の定、中止になっていた...
花火も中止の検討が始まっているみたいだし、各地の祭もどうなることやら。
484 :
神奈さん:2020/04/07(火) 23:46:41 ID:ZUpkwRYw
綱島の樽町は半島人だらけらしいですが、やっぱり川沿いの町はそうなのですか?
485 :
神奈さん:2020/04/08(水) 01:46:17 ID:Gx33eaGA
バイトで日吉や綱島界隈の宅配してた時期があるけど綱島は特に多かった
ちらほら芸能人や著名人、テレビ関係の人も多かったが
矢上川沿いの団地がヤバくて逃げるように配達してたのをおぼえてる まぁ多いわ
>>482今でこそ丸子橋の下に堰があるけど魚道があって二子橋の上流でもいわゆるシーバスが釣れる
セイゴやフッコの大きさなのだが、多摩川はその当時はかなり蛇行し川幅も広かったから条件次第では流れたかも
大田区でも台地部の田園調布は地盤が固く川は蛇行できなかったと思う
でも沼部より下流は今とは違い現多摩川線は水に浸かってた時期もあると思う
矢口渡駅武蔵新田駅とあり下丸子駅付近に妙連塚三体地蔵さまがあるけど言い伝えだとそこが多摩川の対岸(川崎)に当たるそうだ
五所塚のその話は知らなかったけどあの辺りも長尾橋から急に登り少々川が暴れても大丈夫だったんだろうね
486 :
神奈さん:2020/04/08(水) 17:36:59 ID:txiSo4Nw
鶴見川と矢上川の合流地点に半島団地あったね。
最上階に総連の看板あったから北なんだろう。
自分も出前に行った事あるけど
何故かチャイナドレス着たお姉さんがいたりしてw
団地そのものは古くて汚かったけど
共用部分に物が溢れてるとかはなく
騒音もなく静かだった。
意外と?秩序はあったと思う。
安共同住宅の方が汚い位。
ちなみに日本鋼管の土地を不法占拠したと言われてる池田も行った事あるけど
家その物はまともなんだけど
無計画に適当に建てた感じで
家の向きがバラバラで道が後からできた感じで
グネグネして汚いなぁて印象だけど
騒音とか道にゴミが散乱してるとか
異臭とかはなかった。
仲間しかいないからって前提だからなのか
ある意味ちゃんとしてて
半島もまともだなって感じ。
出前経験ある人なら何となく理解してくれると思うけど
だらしない所って共用部分が汚かったり
玄関や専有部分の庭にゴミではないけど
物が散乱してたり溢れてたりするんだよ。
綱島は露店がいるからね
487 :
神奈さん:2020/04/08(水) 19:47:30 ID:Gx33eaGA
とんですまんが、日吉駅近くに老夫婦が仕事上の付き合いがあってその爺さんが慶応卒で
ちょうど学徒動員の頃だったらしい 爺さん曰わく日吉キャンパスには防空壕があったらしい
有名な話らしいが、さらに横浜港まで繋がってる通路もあるなんて言ってた ホントなのかね
皇居の下にも網の目に掘られた坑道があるのを思い出した
最近でも掘るとなんでココにこんなのがあるんだとかあるとかないとか 表に出てくる話ではないが
488 :
二ヶ領用水:2020/04/08(水) 19:52:55 ID:JfiAR5vw
日吉の地下壕は海軍総司令部跡です
今でも不定期だけど見学会をやってるようです
489 :
神奈さん:2020/04/08(水) 20:16:43 ID:txiSo4Nw
子供の頃は井田あたりには普通に防空壕あったよね。
490 :
二ヶ領用水:2020/04/09(木) 05:22:57 ID:/iCucTlQ
491 :
二ヶ領用水:2020/04/09(木) 07:56:04 ID:/iCucTlQ
>>476テンプレを読む限りは気にされなくても
有史以前と言われると貝塚とか地殻の変動が見える場所くらいしか思いつかないけどね
492 :
神奈さん:2020/04/09(木) 12:23:17 ID:ALg+sDJg
>>487日吉から横浜港まで地下通路とは...
神奈川は日本軍関連の地下施設遺構が多いですけど、その話しは初めてです。
鶴見川の下まで掘れたのか?
日本軍の遺構だと鎌倉もやたらと多いです。
日本版ノルマンディー上陸作戦が相模湾でやられると本気で考えていたようで
山の上もいじってるし、穴も一杯。
493 :
神奈さん:2020/04/09(木) 14:05:32 ID:y9nW5fSw
七里ヶ浜の洞窟は
30年前ほどに探検しました。
海岸から国道?まで繋がって
いて驚きました。
ループしてる所もありました。
494 :
神奈さん:2020/04/09(木) 15:28:26 ID:83xfzKPQ
>>492その爺さんは横須賀まで繋がってるようなことまで言ってた
本当なのかは定かではないけど興味深くきいたおぼえがある
いろんな事案が邪推や疑心暗鬼につながる時代だったとおもう
鎌倉の件も初耳なのですが、かなり外洋からの艦砲射撃には明治のはじめからかなり神経をつかっていたとおもう
495 :
神奈さん:2020/04/09(木) 19:31:23 ID:bHLwbXww
七里ヶ浜ではなく稲村ヶ崎でしょうか?
地下壕は日吉の他に追浜の貝山地下壕などもあり、どうもこちらは近い将来公開されるようですね。
496 :
神奈さん:2020/04/09(木) 21:44:42 ID:Uj95OykA
相模湾に米軍が上陸してきたら横須賀軍港の戦艦長門が三浦半島越しに艦砲射撃をするっていう話もあったね
497 :
二ヶ領用水:2020/04/09(木) 21:58:26 ID:W2Rdt9DQ
>>496そんな計画があったんですか
そういや
横須賀の公園には長門と同型艦だった陸奥の主砲が展示されてますね
両艦の主砲の最大射程距離は30kmだから、アメリカ艦隊がどこにいるかで可能性はあったんだろうけど…
普通に考えたら撃つ前に空襲で撃沈でしょうね
制空権はアメリカにあったわけだし
498 :
神奈さん:2020/04/09(木) 22:12:17 ID:aOS/SASg
>>495指摘ありがとう、
確かに稲村ヶ崎の洞穴
だったと思います。
砲台跡もありました。
道路側は切り通しの則面に穴が開いていて
匍匐前進でした。
499 :
神奈さん:2020/04/10(金) 19:49:36 ID:t0+go2ew
>>498なんか揚げ足取るようで逆に申し訳ありません…
自分独りではなかなか探検出来ないので検索して探検された方のブログを見ました。
場所柄漂流物が溜まっていたり危険な場所もあるようですが、とても魅力的な場所で正直羨ましいです。
稲村ヶ崎は新田義貞の鎌倉攻めでも出てきますし、また七里ヶ浜も逗子開成中の少年達が遭難した事故もあり、今現在の相模湾×江の島×富士山の絶景を拝める観光地とは違う側面が見れるのは面白いですね。
500 :
神奈さん:2020/04/10(金) 23:47:04 ID:oGTuLwpA
501 :
二ヶ領用水:2020/04/11(土) 10:57:06 ID:aCjKXaGg
江ノ島の洞窟は二つあって燭台を手にして入るんでしたね
最後に行ったのは15年、もっと前だったか
元々ある方は石仏が彫られたりしてましたが、第二洞窟の方は奥に龍神様が鎮座ましましてゴロゴロピカピカやってましたw
まったくねえ┐('〜`;)┌霊験あらたかならざり
ただ、神奈川板のどっかのスレで見たんですが、その後、経費節減で龍神様も大人しくなられたとか
今はどうかわからないけど
502 :
神奈さん:2020/04/11(土) 12:08:55 ID:ZvRX1JPg
>>501その龍神様が設置された当初は、
薄暗い中にぼんやり見える程度でしたので、それなりにムードはあったんですよ
ただ、その数年後に○体遺棄事件がありまして、
薄暗いものですから1ヶ月くらい誰も気づかなかったという事があったんです
それ以来明るくしてるのですが、明るいと龍神さまのハリボテ感が……
503 :
神奈さん:2020/04/11(土) 12:18:32 ID:RZ5n7MPw
江の島の岩屋は3/20に営業再開したけど、4/4から営業中止しています。
504 :
神奈さん:2020/04/11(土) 19:45:37 ID:AzUsVJaw
>>500私は繋がっている先は富士山麓の風穴と聞きました
龍神様の設置は昭和の頃長らく封鎖されていたのが平成になって整備されてからではなかったでしょうか?
505 :
神奈さん:2020/04/12(日) 20:07:29 ID:zSbyVVEw
つながってる伝説だと覚えてるのは
相模原市緑区の顕鏡寺の穴が江ノ島につながってる、というのと
横須賀市の走水神社の水は富士山から来ている、というのが。
後者は横須賀までなら、ある意味実際に来ていましたがw
富士山麓〜相模川〜水道〜横須賀なので
506 :
神奈さん:2020/04/19(日) 14:23:51 ID:kTXakbiA
小机城はもっと評価されて良い
507 :
神奈さん:2020/04/20(月) 00:25:59 ID:Pa354+lQ
第3京浜が小机城をぶった切って
いる時点で世間の評価は察せられる。
何かの間違いで現世に
画期的な発見があるといいのだが。
ちなみに、今年の小机城の桜はすごく良かった。
寒気のせいで開花期間が間延びしたので、
満開の桜と花片の絨毯が同時に堪能できました。
人出は一山(城)に多くて数人との不遇っぷり。
未来城のかたは是非1度お越しください!
508 :
二ヶ領用水:2020/04/20(月) 05:33:10 ID:VVlZwM5g
親戚が鳥山町に居たので子供の頃はよく小机の辺りもよく行きました
今も小机はまだ田園風景が残ってますが、当時、隣の新横浜駅前も田んぼが広がって、ザリガニ獲りに興じていました
小机城も太田道灌縁の地ですね
小机合戦で兵を鼓舞するために詠んだ「小机は先手習の初にて、いろはにほへとちりじりとなる」
築城の名手であり、足軽戦法の創始者であり、高名な歌人でもあり文字通り文武両道の人でしたが、ユーモアのセンスもあったようですな
時代は下り
一時、廃城になっていた小机城は北条時代に復活
この時に小机衆が成立します
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9C%BA%E8%A1%86小机城は続日本の城に選出されましたが、当時の北条領でも重要な拠点だったんですね
509 :
二ヶ領用水:2020/04/20(月) 05:48:09 ID:VVlZwM5g
510 :
神奈さん:2020/04/20(月) 07:32:10 ID:Gxi9/6cQ
神奈川の平野部であれほどの空堀が残されてる城址って他に無いだろ
他にも良い城址はあるけど迫力では小机城が一番だ
返す返すも第三京浜にぶった切られたのが悔やまれる
511 :
神奈さん:2020/04/20(月) 14:20:07 ID:SrNGBzIw
今年の冬に小机城址の第三京浜の西側にいった 北側から横浜線をこえて南側へぬけられておもしろかった
512 :
神奈さん:2020/04/20(月) 15:44:35 ID:cZeYjUWA
横浜市港北区篠原町の篠原城
横浜市都筑区茅ケ崎東の茅ヶ崎城
も良いよ
513 :
神奈さん:2020/04/20(月) 16:11:33 ID:xBGN5IsA
>>508の太田道灌が歌を詠んだ硯松って、いつの間にか松がなくなってたんだな。
十数年前に行ったときは何代目かの松があったんだが。
514 :
神奈さん:2020/04/21(火) 05:00:06 ID:Yg36WIAg
太田道灌を2021年大河にと越生が声を上げてるけどかなり厳しいかもね
もっと評価はされていいと思うが最期の時がまぁあれだもんね
小机城の支城である茅ケ崎城や荏田城他あるけど荏田城について知り合いがよく話していたのを思いだす
30年以上前ですが東名開通時からの荏田バス停付近で原因不明の事故が多発 最近はなくなった
ラジオの交通情報で「荏田バス停付近を先頭に、、、。」と、確かに頻繁にアナウンスしてたのをおぼえてる
突然タイヤが取れたりとかの事故で、その昔古戦場があったとかでいくらお祓いしても続く事故 通過する際は気をつけろと何度か聞いたことがあった
世界中で曰く付きの場所あると思うけど広島の橋げた落下事件や環八の神社や穴守稲荷などさまざまあるね
515 :
神奈さん:2020/04/21(火) 06:53:27 ID:npq/LLBA
太田道灌で大河やって次の年に北条早雲へバトンタッチとかなったら最高だな
あり得ないけどw
516 :
神奈さん:2020/04/21(火) 07:51:56 ID:q1tl3vzg
小机城って障子堀じゃないんですよねぇ。
517 :
神奈さん:2020/04/21(火) 08:03:53 ID:+/RfpJTQ
>>515光秀があれだけ盛ってるしw
5代ぶっ通しでなんとか
と思ったが小田原評定でgdgd終了というのも
518 :
二ヶ領用水:2020/04/21(火) 10:03:10 ID:b/Om51qQ
519 :
神奈さん:2020/04/21(火) 21:04:53 ID:/E5MbFeQ
未だに本丸と二の丸の
位置が特定されていない
というのは研究の余地が
ありすぎる。
516さんのおかげで障子堀
検索してひとつ賢くなれた
ような気がします。
520 :
神奈さん:2020/04/21(火) 21:23:29 ID:rZk+cG4w
北条にとってさして重要な拠点でもなかったろうしな
521 :
神奈さん:2020/04/22(水) 03:51:58 ID:6peTGjHQ
後北条家が
小机城を再整備したのは1522年頃
神奈川県鎌倉市玉縄玉縄城 1513年頃 築城
神奈川県相模原市緑区津久井城 1524年頃 再整備
東京都千代田区千代田江戸城 1524年頃 攻略
埼玉県川越市郭町川越城 1537年頃 攻略
東京都八王子市丹木町滝山城 1546年頃 調略
後北条にとって小机城は整備後まもなく最前線じゃなくて領国経営の代官所な所だから
軍事的な重要な拠点では確かに無いね
小田原征伐の時も時の城主は小机城を放棄して
小田原城で籠城したから小机城は無傷で落城したからね
522 :
STAY HOME 神奈さん:2020/04/27(月) 21:03:30 ID:2iEYDa0w
>>511城の真下を電車(横浜線)が貫通してる。
これはなかなかお目にかかれる
物ではないな。しかも小机駅側と
鴨居方面とを同じ場所で観察できる。
踏切の音も聞こえて不思議な感じでした。
>>522新幹線に貫通されてるお城もあったような
大極殿も近鉄が通ってるし、あまりめずらしい気はしない
>>523有名なのは広島県の三原城ですね。徒歩0分
縄張りで言えば小田原城や江戸城も城内に駅がありますね
小田原城は元が広すぎだろw
後北条系の城は中に街道を通してる構造がよくありますね
歴史・民俗系の施設(博物館とか)で県営は8月31日まで閉鎖が決まってたのにビックリ。
市営は連休明けまでが多いので、同じかと思ってました...
528 :
STAY HOME 神奈さん:2020/04/29(水) 11:15:57 ID:JPKcFXaA
まあ市立もGW明けから延びちゃうでしょ。
529 :
STAY HOME 神奈さん:2020/04/29(水) 14:01:24 ID:mdbsX0Gg
小机城址は東西に横浜線 南北に第三京浜が貫いて四つ裂きになっている
530 :
STAY HOME 神奈さん:2020/04/29(水) 17:13:16 ID:05NWJ02g
ブラタモリに来てほしいな。
結構事情を知らない人多いし
昔はともかく近年の事情は
視聴者受けすると思う。
つーかタモリさんも好きそう。
近いし。
タモさん城址にはあまり興味無いんだよなあ…
古墳は好きみたいだけど
532 :
STAY HOME 神奈さん:2020/04/29(水) 17:33:54 ID:05NWJ02g
じゃあ弘明寺の3との台(一括変換)
はどうだろう。
城址となると、どうしても山を登ったり降りたりもあるしね
地形や地質とからめて面白そうな事象でもあればなぁ
来るなら千田さんだろう
中島卓偉だろ
536 :
STAY HOME 神奈さん:2020/04/29(水) 21:39:06 ID:K+4pIG6g
三殿台遺跡、竪穴式住居に一晩泊まって土器で食事つくるツアーとかやれば観光収入が
増えて結構そうに思えるんだけどだめなんすかね。
数年前に見学に行ったとき、説明していただきました。縦穴式住居は泊まる企画だと夜に色んな虫が、天井から垂れて来るらしい。草葺き屋根と同じで、中で焚き火しないと駄目だと。
538 :
二ヶ領用水:2020/04/30(木) 09:07:04 ID:DqIYE0Og
都筑区の大塚・最勝土遺跡公園にも竪穴式住居が復元されてるけど、ここも中を燻すとかされてないと現代人が泊まるのはきつそう
公園からそう遠くないところにある茅ヶ崎城址
区のページによると「中世城郭史の傑作」なんだとか
よくわからんが、現地の解説板に具体的なことが書いてあるのかしらん
傑作は言い過ぎだろなあ
県内でこりゃ凄いと思えたのは小田原城外郭くらいかなぁ
といっても県内は20も見てないですがw
一夜城はどうですか?
相模は北条流の築城が多いからね
土の城はいいですな。
扇ガ谷上杉の大庭城もおすすめ。
大庭城は折角の堀が藪化して埋まってしまっているのが残念
あ、鉄道でぶった切られた城だと、権現山城がありますね。
横浜埋立の土を取るのに山を丸ごと削っちゃって、そこに鉄道を通した。
横浜駅の北側が尾根続きだったなんて、今じゃ想像もできない。
原形不明だし、後北条が再利用してない?から山城としての工夫はさほどでもなかったのでしょうけれど、
激戦地だったしゴツい城だっただろうなぁ。
545 :
二ヶ領用水:2020/05/03(日) 07:59:42 ID:e4+2DJqw
>>541石垣山城は小田原城と共に国の史跡に指定されてますね
突然、山中に現れた城を見て北条方は驚愕、戦意を喪失したというお話が有名ですが
実際には80日くらいの工期とのべ人数3〜4万人の人員が必要だったらしいですから、小太郎率いる風魔忍者にバレないとは考えにくいw
小机城で興味深いサイトがありましたのでご紹介
【ビギナー女子の山城歩き】
https://shirobito.jp/article/306
石垣山城は後北条側に内応者がいないと無理ですよね
石垣の材料を切出せる山の場所は重要秘密のはずなのに
天正18年3月 山中城落城
同年4月6日 秀吉が早雲寺入
同年6月 石垣山城お披露目w
以下、勝手な妄想
早雲寺入の直後に石垣山城築城を決めたとして、普通なら材料の石切丁場を探すのは簡単じゃありません。
それがさっさと決まってその山の頂上に石垣の城を造れたのはなぜか。
後北条が雇っていた石大工は青木善左衛門が有名で、小田原落城直後に家康に採用されてます。
煙硝庫の石積みが見事でヘッドハントされたということになってますが、本当は...w
それとは別に、実は石大工頭領の青木の前任者がいて、後北条を首になった後、どうやら徳川家に雇われたらしい。
そいつが情報を提供して石切の監督もやった、なんて妄想もできます。
547 :
二ヶ領用水:2020/05/03(日) 08:54:23 ID:e4+2DJqw
なるほど
小田原城内でも松田、成田等の重臣は調略されていたわけですからね
秀吉や黒田如水あたりは城外でも抜かりはなさそうです
>>548どうなんでしょうね。
徳川の江戸入以前にも、早川から熱海にかけての石切丁場が使われていたかどうかは...
村の石切場程度の利用はあったかもしれないが、
その場所が築城用の大量な石材供給地になれたのは、
江戸築城以後であり、たまたまだと思ってます。
ご承知の通り、石の城がほとんどない地域なので
大量の石材供給が可能な場所を知っていたかどうかすら怪しいです。
後北条が石大工の棟梁をやとっていたので、石の利用は当然あったし
丁場があったことも間違いありませんが、御用米曲輪の発掘で出た大量の風輪石は、
江戸城の石垣に使われた根府川系の石とは違うように見えました。
詳しくないのですが、あの界隈の石は五輪塔や石臼などに加工するには適さないような気が。
後北条氏は古文書がよく残っている戦国大名なので、
入生田の博物館あたりなら丁場の歴史を調査済みかも。
あの磯田も風魔忍者の記述や手掛かりを求めて小田原城の催しにも行ったと言ってた
552 :
二ヶ領用水:2020/05/21(木) 22:52:44 ID:XfP54I4w
北条は好きだが子孫がな…
kwsk
現代の話を期待してた
それも書いてある
後北条ではなく、北条氏の方のネタですが
鎌倉の腹切りヤグラに高倉建が毎年、塔婆をあげてました。
何か関係があったのかどうかは知りません。
後北条の末裔は今どこで何やってんの?
個人情報抵触なら諦めるw
560 :
神奈さん:2020/05/26(火) 16:07:48 ID:T/3D8RVQ
神奈川県立歴史博物館 6月9日から再開
他の市町の歴史系博物館・資料館は8月一杯閉館とか、6月1日までとかありますが、
まだ再開を明示はしていないようです。
561 :
神奈さん:2020/05/30(土) 18:33:42 ID:ZCm76wbw
綾瀬市吉岡の神崎遺跡へ初めて行きました。
弥生時代の環濠集落で、環濠は城風に言えば薬研堀。
土器の形状から、愛知県東部から静岡県西部にかけての一帯より
移住してきた人々の集落と見なされているそうです。
隣接する資料館が8月31日までクローズなので詳しいことは判りませんでしたが、
台地の端に作られていて、ちょっと面白かったです。
562 :
神奈さん:2020/06/03(水) 12:35:02 ID:uRsWoU8Q
563 :
神奈さん:2020/06/10(水) 17:18:18 ID:BbBIBX6Q
県立の歴史博物館。
予定していた6月の企画展は中止。
次の企画展は10月だそうです。
予定していたものもあるだろうに、コロナで全部すっとんで
ゼロからやり直しってことでしょうか。大変だ
564 :
神奈さん:2020/06/10(水) 20:30:42 ID:Ik9xkgKw
図録だけが開けなかった特展の名残ですね。
565 :
神奈さん:2020/06/19(金) 18:36:52 ID:g8YhaDow
おお。なるほど、図録という手があったか。
県内の他の歴史系博物館・資料館も"ほぼ"再開したようです。
7月になると全部かも。
図書館も閲覧席利用が始まっていますし、やっとほぼ元通りですかね。
566 :
神奈さん:2020/07/23(木) 11:16:24 ID:mq+JyfDA
567 :
566:2020/07/23(木) 11:19:35 ID:mq+JyfDA
補足
>>566の画像の緑の鬱蒼とした所が、荏田城址。私有地なので、城址の敷地内には入れないので注意。
568 :
神奈さん:2020/07/29(水) 09:18:26 ID:paEP9iXQ
藤沢の遊行寺交差点から南下する大通り(467号線)の一本西側に
曲がった道があり、そこに蔵町があったそうです。
その一帯は467号線が昔の境川で、舟で荷揚げしていたのだとか。
境川の支流、柏尾川と合流するあたりには
かつて玉縄城の荷揚げ場があったという話もありますが
小舟でしょうけれども、米俵とか積めたのだろうか。
そんなに水量があったのだろうかなどなど、疑問符だらけです。
569 :
神奈さん:2020/08/07(金) 18:46:47 ID:Hxmw5VSA
今年は各種行事が軒並みコロナ禍で中止。
講中の集まりまで中止になっていて、中には流行病防止が本来の目的だったものも。
現実の流行病には勝てませんね...
570 :
神奈さん:2020/08/09(日) 10:32:25 ID:T7MyoZeA
そろそろスナモリシーズンなので資料を読んでいたら、スナモリと似て非なるものがありました。
平塚で「オハケ」と呼ぶもので、四方に竹(笹)を立て、その間に砂を盛る。
稲荷講や伊勢講でやっていた地域があるようです。
「ハケ」は幣束のことらしく、稲荷講は宿番の家に作り、伊勢講は代参する人が出発する前に作っていたそうです。
今となってはどちらも消滅しているかもしれませんが、神奈川県史 各論編5 民俗にこんな記述が。
>>キツネ憑きが出たらオイヌサマのお姿を借りてきたり、
家の庭先にオハケを立てて、その上で火を焚いたりした。
後者のようにすると、その砂盛りの上にオイヌサマの足跡がつき、
キツネが落ちるのだという。<<
これも現代ではやらなくなっているでしょうけれども、
スナモリを祭壇と見れば、他の民間信仰でも作られていたのかも。
571 :
神奈さん:2020/08/23(日) 17:41:32 ID:ESQNRg0w
相模原市立博物館のブログが砂盛だった
www.sagami-portal.com/city/scmblog/
ウチも相模原だが砂盛はしないで線香を門の両脇に直に立てている
迎え・送り火は麦藁を燃やすが昔は道路の真ん中で燃やしていた
更に昔は火を持って墓場方面からの道との辻まで迎えに行ったらしい
572 :
神奈さん:2020/08/23(日) 20:50:38 ID:EtHaSnWA
博物館の人がこういうブログを書いてくれると嬉しいなぁ。
>>571墓へ迎えに行くのは伝統的なやりかたみたいです。
隣近所の線香立てを廻って線香をあげる、なんてことをしていたかも。
上溝の田尻あたりはスナモリをせずに、門(ジョウグチ)に線香を直接立てたり、
竹筒を差して線香立てにしているエリアだそうです。
同じやり方は愛川の角田海底で見たことがあります。
愛川町はスナモリの境界線になっていて、南部の八菅あたりはスナモリ、
半原になると、見たこともない、という人だらけでした。
相模原も境界線なんですね。
座間や大和はやっているので、町田ももしかしたらやっているかもしれません。
今年は東がどこまでやっているかを探しました。
横浜の栄区や戸塚区で見れましたが、柏尾川より東はやっていなかった。
573 :
神奈さん:2020/09/04(金) 15:13:37 ID:KbVOEz0A
>>572追記
町田は鶴間がやっているようです。
境川対岸の大和市下鶴間もやっていますが
境川沿いは下鶴間から上流になるとやっていないかもしれません
この辺りが境川沿いの北限かも。
実は
574 :
神奈さん:2020/10/06(火) 10:47:03 ID:yNvr5WXg
アーボ、ヘーボが立てられている様子を見てみたいと思い調べたら
1月15日頃立てるとわかったものの、そもそもアワやヒエを作っている土地が今もあるのかという
大前提が不明だと気がついた...
575 :
神奈さん:2020/10/07(水) 01:21:32 ID:UPZ//2FQ
粟は最近健康フードで人気があって、綾瀬とかで栽培されたのが売ってたりする
576 :
神奈さん:2020/10/07(水) 04:34:32 ID:Anl0deOQ
荏田城なんてあったんだね小机城ばかりに目がいってたわ
これは盲点だった因みに国衆の城跡かな。
577 :
神奈さん:2020/10/07(水) 04:40:27 ID:fm4iA7SQ
荏田城はつまらん
横浜なら都筑区の茅ヶ崎城がお勧め
578 :
神奈さん:2020/10/10(土) 10:55:29 ID:V8GSL3bg
>>575ありがとうございます。綾瀬ですか。
目久尻川沿いか早川の広い農地あたりに行ってみます。
579 :
神奈さん:2020/10/10(土) 11:27:31 ID:OtWGTrXQ
>>576荏田城は私有地で立ち入り禁止なのが残念だけどね
竹藪になってたりしてタケノコ泥棒も出るみたい
まぁ神奈川県内には
荏田城に限らず小田原北条氏の城跡は街道監視の城は多いよ
街道そのものを取り込んじゃってる城跡もあるし
580 :
神奈さん:2020/10/13(火) 12:03:33 ID:QUlo+XLg
街道抑えだと後北条ではないみたいですが、伊勢原の丸山城趾(糟屋城)もそうですね。
鎌倉時代から、街道抑えを兼ねた城館みたいのは当たり前だったのかも。
581 :
神奈さん:2020/11/26(木) 19:14:15 ID:ffNHzETg
横浜市ですが、市立の歴博、開港、都発、ユ文はプラっと行って観覧できなくなるみたいです。
新型コロナウイルス感染拡大防止のため、日時指定オンラインチケットを販売しております。
展示をご覧になる方は、オンラインチケットサービスでの事前予約をお願い申し上げます。
(招待券、割引チケットなどをお持ちの方も、ご来館時間の予約をおすすめいたします。)
詳細につきましては、各施設のホームページをご覧ください。
582 :
神奈さん:2020/12/07(月) 10:40:55 ID:QNlQpNCA
明日、12月8日はコトヨウカ。
玄関口あたりにザルを下げたり、竹竿の先にひっかけて立てかけたりする日。
ドンド焼きやってる地域なら、まだコトヨウカをやってる家はあるかも。
583 :
神奈さん:2020/12/07(月) 12:04:25 ID:6gRMzNsQ
>>582一つ目の妖怪が来る日ですね!
どんど焼きは神奈川の西の方でもやりますが
事八日は東の方、横浜の方の風習だと思います
584 :
神奈さん:2020/12/08(火) 21:27:57 ID:k8o+i0HA
>>583横浜ですか。もうちょっと広範囲かと思っていました。
西は名前が違うかもしれませんね。
ヨウカゾーとも言うみたいです。
585 :
神奈さん:2020/12/10(木) 08:44:56 ID:PG7JjOog
586 :
神奈さん:2020/12/10(木) 08:47:54 ID:PG7JjOog
↑明日ではなく12日(土)からでした
587 :
神奈さん:2020/12/11(金) 11:23:35 ID:3/KpA2Tg
>>58512月中旬から立春までだと、12月8日も2月8日もギリギリ外れますねw
588 :
神奈さん:2020/12/24(木) 17:20:47 ID:Ei55hEeg
県博の企画展行ってきました。
民俗好きには面白い企画展でした。
横浜にある博物館系施設は、オンライン予約が推奨されています。
予約なしでフラッと行っても入れない場合があるとのこと。
>>587コトヨウカの展示ありませんでしたw
589 :
神奈さん:2020/12/31(木) 09:46:54 ID:HpVF5WGg
大磯の左義長(ドンド焼き)。
2021年小正月は中止に決まったようです。
観光対象でもあるからやむを得ませんね…。
どことは書きませんが、小さな浜で地元の子供が対象の所はやると言っていました。
590 :
神奈さん:2020/12/31(木) 13:35:15 ID:EBysOJJg
こーゆースレッドがあったんですね。
数年前平塚に行った時、平塚周辺が自由民権運動などの活発な子であることを知りました。
平塚の博物館?も勉強になりましたよ
あと古墳とか、歴史とか、いろいろな意外なものを発見できますね。
博物館てとっても良い
591 :
神奈さん:2021/01/01(金) 11:14:33 ID:zfe/ptrg
>>591自由民権運動はあまり知りませんが、県内でも各地で盛り上がったみたいですね。
川上音二郎が来たというのを最近何かで読みましたが、県内のどこだったか...。
博物館は自然系と歴史系が2本柱ですけれど、まちBBSの神奈川には
このスレと動物系のスレがあって、ある意味、博物館的なものが揃っているのだなと
書いていて気がつきましたw
592 :
神奈さん:2021/01/16(土) 11:37:51 ID:AVbogldw
町田には明治期の自由民権運動の史跡があるから近辺地域にも波及してた可能性はあるかも
もっとも、その頃の町田は神奈川県だったかも知れないが
593 :
神奈さん:2021/01/16(土) 14:54:47 ID:NXsAoeTQ
594 :
592:2021/01/16(土) 16:09:24 ID:vlm6zZ0g
>>594ありがとうございます
多分、いつしか行くと思います
596 :
592:2021/01/19(火) 06:38:38 ID:IGHeXuHQ
追記
資料館の常設展示に「武相の民権/町田の民権」があるそうなので、神奈川に関する資料もあるかと
町田の帰属が東京になった理由の1つにも自由民権運動の高まりがあったんだとか
神奈川県立博物館、2月7日まで閉鎖
平塚博物館がかろうじて開いているので企画展へ行ってみました。
相模川と酒匂川の歴史でしたが、酒匂川に霞堤があったとは知らずびっくり。
武田領には今でもよくある、堤防の下流側をあえてあけておく洪水被害軽減策。
江戸時代になって旧武田領の人達が相模国にもずいぶん移住していますが
治水の技術を伝えたのでしょう。
>>599そういえば大学時代に教授が埼玉あたりの堤防も首都を守るために貧弱に作られてると言う話をされてました
特に東武線が走ってるあたりはすぐに水浸しになるんだとか
治水は後北条が先進的で信玄堤だって真似と聞いたことがある
日本の河川の原形とも言える改修は江戸中期には今の99%以上は終わっていたらしい
一部荒川放水路などはそれ以降らしい
大きな河川の改修はそうかもしれませんね。
町中を流れているような河川だと昭和の改修が多いみたいです。
ほとんどが蛇行の流れを直線にしたようです。
山裾に旧家で前が市道、その向こう側は平坦で川沿い。
こんな感じの所は、かつては頻繁に洪水があったと教えてもらった事が。
昨夜テレビで岐阜の願興寺の解体工事をやっていましたが
寺の壁の落書きに天正6年(1578)の銘と相州玉縄の誰かの名前がありました。
まだ後北条氏が元気な頃で当時の岐阜は信長領?
いったい玉縄の人が何しに行ったのか不思議でした。というよりよく行けたな。
信長さん江
相州者見参
Catch me,if you can.(^^)d
挑発なら面白そうだけど
そんなんではないか
>>604他の国の人名も落書きされていたので、もううろ覚えですが
天正6年はまだ寺が建設中の時期だったそうで、じゃあ職人では?と
思ったのですが商人ではないかと番組では言っていました。
名前を書くのは当時の状況だと、わりと切実な意味で名を残しておく必要があったのかもしれませんね。
花見のついでに、ワシントン桜の贈り主「尾崎行雄」の記念館へ行ってみました。
緊急事態宣言中は閉鎖されていたので、お客が他におらず、解説を独り占めできました。
いろいろ面白かったですが、一番びっくりしたのは、アメリカへ桜を贈った返礼が
ハナミズキだったそうで、それが日本へ伝わった最初だそうです。
今や街路樹にも使われていますね。
2021年は平塚・秦野・大磯・二宮の2市2町に点在する
「相模新西国三十三観音」が一斉に開帳される12年に1度の年。
江戸時代から続く相模の札所巡りが、4月16日(金)から20日(火)までの5日間催されるそうです。
コロナでどうなるかはちょと微妙ですが
上記、大磯と二宮の一部だけ回ってみました。
公民館のようになっている寺とか、無住で普段は見れない寺があって面白かったです。
大磯郷土資料館で「旧高麗寺ゆかりの神像・仏像修理」展もやっていました。
>>601多摩川の川岸に武田流の治水工法に使われた「聖牛」のレプリカがあったはずだけど、北条もそういうのは使ってたのかな?
近くに行く機会があったらちょっと調べてみようかな
北条がやった治水の話とか聞かないけど、どうなんだろう。
虎視眈々と盛り返しを図る山内扇谷上杉に古河公方や、毎年渡り鳥の如く押し寄せる謙信と、強敵との戦でそんな余裕無かったのか。
単に甲州ほど暴れ川が無かったのか。
>>610,
>>611酒匂川の霞堰がある脇の土手上に治水の解説展示をしている小さな施設がありますよ。
酒匂川ふれあい館とかいう名前だったと思います。
施設の脇に聖牛もありました。
614 :
中原区民:2021/04/26(月) 05:53:21 ID:4vEPpE3A
行ったこと無かったので南足柄の沼田城趾へ行ってみました。
立て札はありましたが解説なし。
4mほどの切岸が周囲を巡っていて帯曲輪的な造りもありましたが
よくある農地跡にも見える微妙な状態。
城だと言われてみれば土塁らしきものもありましたが...
ネットで縄張り図を見てみたら、西に竪堀があったらしい。
薮で見逃した〜
御殿場地域では子供の日というか男子の節句で鯉幟をあげるのではなく
4mくらいはある大きな錦絵のような幟を立てるそうです。
おなじことをする土地は神奈川にあるでしょうか。
617 :
STAY HOME 神 奈 さ ん:2021/05/09(日) 01:14:13 ID:CBuIGfeQ
江戸時代の江戸では,武家は幟(鍾馗など)、町家は鯉幟だったそうな。
>>617お〜そうだったんですね。ありがとうございます。
南足柄の郷土資料館で見た幟は鐘馗とか金太郎の絵柄でした。
そういえば静岡は明治になって士族が多かったみたいですが、関係あるのやら。。
明治9年頃の小田原の様子を書いた記事に面白いものがありました。
小田原で商売をしていた女性からの聞き書きのようです。
要約
小田原駅(旧宿場のこと)は娼妓貸座敷の流行する土地で、源左衛門なる同渡世の者が
すべての取斗(とりはからい)をしているが、横浜より13里の田舎で規則は凡て旧弊。
借金の掛け方や身柄拘束は江戸時代のままで、高島町(横浜)や東京吉原の規則を聞くと
業つ腹で仕様がないが、去りとて笊蕎麦(私娼)上りの娼妓や
脱走芸妓がいくら化けの皮を粉飾しても花の都へは入れない。
この上は源公を祈り殺すより仕方はないと嘆息している。
人口爆発していた横浜には大規模な花街がありましたが、
明治9年とはいえ、小田原だとまだ江戸時代の社会構造が残っていたのですね。
それにしても笊蕎麦がどうして私娼の意味になるのかよく判りません(笑)
620 :
STAY HOME 神 奈 さ ん:2021/05/16(日) 17:20:35 ID:lIE+ah1Q
>>619笊蕎麦という言い方が出来た当時は、笊蕎麦と夜鷹の値段が同じだった事と、ゴザの上に乗っているイメージが合わさったのではないでしょうか。
あと、ゴザを持った夜鷹は夜売りの屋台で蕎麦を食べてる事が多かったらしいので、それもありそうですね。
>>620なるほどゴザの上か。納得です。
夜鷹の値段なんて考えた事なかったです。衝撃の安さ...
笊蕎麦ですが他の記事でも見られました。
明治10年の高座郡の概況を書いた東京横浜毎日新聞の記事
昨年(明治9)は近代稀なる豊作で笊蕎麦のある地はなかなか盛んなり。
新聞で使っているので、当時は一般常識レベルの言葉だったみたいです。
笊蕎麦のある地とは、1つは藤沢宿でしょうけれど、他はどこなのやら。
長後とか用田なのか。
623 :
STAY HOME 神 奈 さ ん:2021/05/18(火) 12:09:41 ID:MNWdBc0Q
>>622厚木じゃないでしょうか。
鉄道ができるまでは、大山詣では大山街道で厚木経由なので、厚木はたいそう賑わっていたそうで花街もあったらしいですよ。
624 :
STAY HOME 神 奈 さ ん:2021/05/18(火) 12:15:57 ID:MNWdBc0Q
ごめんなさい
厚木は高座郡じゃないですね
625 :
STAY HOME 神 奈 さ ん:2021/05/18(火) 12:30:36 ID:MNWdBc0Q
気になったので調べちゃいましたw
JR上溝駅の近くの水郷田名というところが、かつては田名村と言われ、大山詣での人達で賑わっていたようで、ここに花街があり私娼街もあったそうです。
>>625ありがとうございます。
水郷田名に花街があったとは意外でした。
あの界隈一帯というか相模原全域とも言えますが
養蚕で儲けられたでしょうから花街はあっておかしくないのでしょう。
旅館が名残みたいですが、他にも痕跡が残っているのかも。
花街は集客力があったので誘致の対象でもあったようで、横浜の事例ですが
誘致に失敗して自力で花街を作ってしまった所もあります。
江戸時代に大山詣でというのは大変にメジャーな娯楽だったそうで
落語にもなっていますね。当然、落語でも大山参りは口実で、実は「買いに行く」事を匂わせていました
当時は有名どころの神社仏閣にお参りするのと「買う」のはだいたいがセットになっていたそうですね
>>627伊勢参りとかも、成人への通過儀礼にしていた所があったそうです。
旅先で買うのがそれだったようで、女衆は良い顔をしなかったなんて史料を読んだ事がw
宿場によっては、近隣の村の若いモンが金を遣い過ぎるし風紀が乱れるとクレームが入って
その手の商売を止めたところ、宿場と宿場の間にあった継立場が商売を始めてしまい
一気に客が減って宿場運営の危機に陥った、なんて事例も相模国にあります。
参詣もそうですが、宿場に出る口実と予算があれば確実に寄っていたのかもしれません。
水郷田名へ行ってみました。
渡場が2ヶ所あり、その内の大山道沿いがそうだと判りました
女性達が拝んでいたであろう神社が2つ残っていて(村の鎮守とは別)
往時を偲ぶことができました。
近くの図書室で郷土史を読んでみたら、料亭が建ち並んでいて、芸者の置屋もあったようです。
630 :
sage:2021/05/24(月) 17:32:30 ID:tR5q0iEg
大山詣りは大山→江ノ島→鎌倉→金沢八景→江戸ってのが定番だったらしい
相模原には大山詣りの道(おおやまみち)が数本あるが道者(同者)道などとも呼ばれている
相模原は大山道としてメインで使われていたのが3本あったみたいですね。
境川から相模川への間に広がっていた広大な無人の台地上はどんな感じだったのやら。
柴取りの林しかなかったイメージで、道迷いしないように石仏が置かれていたのか。
632 :
STAY HOME 神 奈 さ ん:2021/05/26(水) 10:21:01 ID:XzIb8+uw
>>631江戸時代後期に出版された「旅行用心集」という本をみると、往時が偲ばれますよ。
現代語訳も出版されています。
図書館でパラパラとみただけなのですが「狐や狸にばかされて道に迷ったら」等もありましたw
各地の温泉の紹介などもあり、当時の旅行ガイドブックであったようです。
「箱根のナントカの湯は痔に効くので男娼が多い云々」とかw
>>632旅行用心集、面白そうです。
甲州道の大垂水の脇道だったらしき林道を歩いていたとき
いったい合っているのか、ただの作業道なのかと不安になった頃に石仏と出会えて
なにやら妙にホッとしたことがありました。
往時の旅人も似たような感覚を抱いたのかもしれません。
634 :
STAY HOME 神 奈 さ ん:2021/05/27(木) 09:32:07 ID:OrBbQjdQ
>>633なるほど。
道祖神や石仏はそういう目印になるんですね。
そう考えると、一里塚というのも随分と役に立ったんでしょうね。
1時間ごとに一里塚があるというのも絶妙ですね。
なかったら迷ってるという判断基準になりますし、1時間程度なら引き返しても取り返しがつかないほどのタイムロスにはならなさそうです。
平地なら、ちょっと歩けば次の一里塚が見えそうだし。
調べてみたら、神奈川で現存している一里塚は、畑宿(箱根)と茅ヶ崎と品濃(東戸塚)の3つしかないようです。
3つと言っても、箱根は最近復元したもの、茅ヶ崎は片側だけなので、両側とも残っているのは品濃だけみたいですね。
品濃一里塚は両側とも残っていて、なおかつ塚の周りが公園になっているので、往時を偲ぶには中々良さげです。
一里塚があるような主要街道沿いは目まぐるしく開発が行われるので、このように残ってるのは貴重ですね。
400年もの年月、色んな人が通り色んなドラマがあったんでしょうねぇ。
>>634街道筋の石仏は道標になっているものが少なくないです。
道標ばかり調べているサイトもあります。
道標になっていない石造物でも、建立者の所属する村名が彫られていることが多いので
それも現在地を知る上で重要な情報になったでしょう。
残っている一里塚ってそんなに少ないのですか。
多分全部見てます(笑)。
小田原で石仏資料に載っていない石仏の情報が郷土史料にあって捜しに行ったのですが
一里塚から脇道へ入って、という紹介の仕方でした。
ところがその一里塚が平成になる前後あたりに道路拡張工事で無くなったらしく
場所を特定するのに一苦労したことがあります。
藤沢、茅ヶ崎市境の国道1号付近に住んでいます。
犬の散歩で近くをうろつくと東海道からちょっと入った何でもない路地角等に古い石仏や道祖神を沢山見ることができます。
見通しの良かった昔は街道沿いからも見えたのかもしれませんね。
637 :
STAY HOME 神 奈 さ ん:2021/05/28(金) 11:36:31 ID:T5UyHA7w
>>635一見すると一里塚はこんもりしたただの雑木林ですし、一里ごとにあるとなるとレア度も低いですから、バンバン整地されてしまったんでしょうね。
昭和の中頃の地図を見ると、一里塚の辺りは荒れ地記号があるのみなので、あの地図を見て開発計画をたてたら躊躇なく整地対象になっちゃいますね。
むしろ整地せにゃいかんという気にすらw
茅ヶ崎の一里塚から烏帽子岩が見えたそうですが、あそこからあの高さで見えるんですかねぇ。
無くなってしまった反対側が高かったのか、違う一里塚の事なのか。
638 :
STAY HOME 神 奈 さ ん:2021/05/28(金) 12:19:36 ID:T5UyHA7w
>>635なるほど、石仏に彫られている文字からも情報を得られたんですね。
ひと気のない場所で人工物を見つけるだけでもホッとしそうです。
>>636その細い道も、昔は村と村をつなぐ街道だったのかもしれませんね。
江戸時代半ば頃の資料に、芹沢の辺りから中原往環(平塚-江戸)につながる御江戸道という新道の事が書かれており、東海道だと14里のところ12里でつくとか。
当時、片瀬から茅ヶ崎の海岸辺りは幕府の鉄砲演習場になっていたようなので、最短距離で江戸に帰るために、お住いの辺りの道は御江戸道に出るためにそこそこ往来のある道だったのかもしれません。
あ、その辺りは大山街道(田村道)もありますよね!
そういえば、その辺りには小和田の熊野神社、辻堂の諏訪神社と鐘楼のある神社が2つもあるんですよね。
639 :
STAY HOME 神 奈 さ ん:2021/05/28(金) 12:52:25 ID:T5UyHA7w
>>636今調べたら、その辺りは厚木道という藤沢から大庭経由で用田に抜ける道もあったようです。
もう一つ、鵠沼から八王子道へ抜ける道もあったようで、はっきりルートが記載されているものは見つけられなかったのですが、ルート的にはその辺りを通ったのではないかと思います。
国道1号線沿いの藤沢茅ヶ崎の市境い辺りは、主要街道だけでも東海道、大山道、厚木道とあり、他の脇道も沢山あったみたいですね。
>>639色々とお教え頂きありがとうございます。
樹齢数百年はあるという樹木の傍らに小さな祠があったり、古い大きなお屋敷もあるので、昔から往来が多かったのでしょうね。
今度からは、ぼんやり歩いていないで少し気にして見るようにしてみます。
熊野、諏訪の両神社共に凛とした雰囲気が素敵な場所です。
>>636二ツ谷稲荷から水道道〜大山道はよく使います。
お盆になると砂盛りが出るエリアで好きなルートです。
路傍の石仏は、江戸時代の街道絵図だと、村への入口あたりに高い確率で置かれていたようです。
悪いものが村へ入らないように防ぐという説明はなされていますが、単純に村への目印の意味もあったでしょう。
ところが村の中にも石仏は置かれていて、そうなると置かれた場所の意味は色々になります。
そこを想像するのが面白い所ではあります。
>>637茅ヶ崎の一里塚から烏帽子岩...
一里塚の上に登れば見えたのかもしれませんね。
あるいは道自体の標高が今より若干高かったのかもしれません。
車道はできるだけ平坦にしますから、高い所は低く、低いところは高く変わってます。
東海道筋だと上に出ている藤沢茅ヶ崎の境目あたりには歩道が車道より1mくらい高い場所も。
あの高さが江戸時代の東海道の高さだったのかも。
>>641石仏にも色々な意味があるのですね、勉強になりました、ありがとうございます。
お盆砂盛りを出す家も近年は減ってきましたが、20〜30年前は50cm四方位の華やかなのでご先祖をお迎えしている御家庭もいくつか見られました。
素敵な風習ですよね。
石仏やお地蔵さんにいつ通っても花を生けてあったり周辺をキレイにお世話されてる方がいらっしゃいますが感服します
それは全体の極少数ではありますが、頭が上がらないですな
昭和7年5月の新聞記事から要約
大磯駅裏手の山へ松露採りに行った地元民が、若い男女の遺体を発見。
男は慶応大学の学生服だったが身許不明だったので、とりあえず大磯の寺に仮埋葬した。
ところが翌朝、女の遺体だけ埋葬地から無くなっていた。
翌日、海岸で全裸の遺体が発見され、謎の事件として当時のマスコミが大騒ぎ。
坂田山心中事件、純潔の悲恋として全国に知られ、映画「天国に結ぶ恋」にまでなった。
後日、町で比翼塚を建てる計画が持ち上がり、実際に建てられたが、有名になりすぎて
自殺の名所のようになってしまったため、色々な経緯を経て現在は鴫立庵に移設。
男の墓は多摩霊園に造られたが、二人を夫婦として供養。
そして今年、その墓は消えるかもしれないようです。
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/S/zusho_go.html
>>632旅行用心集、私もパラパラと読んでみました。
内心、宿場のしつこい飯盛旅籠の客引きを断る方法とかを期待していたのですが
基本的に真面目な旅行入門ガイドで、その手のことはほぼ触れられておらず。
でも、ほほーと読めました。
ご指摘の男娼に人気のある湯の所だけやけにくだけた感じで私も印象に残りました(笑)
647 :
STAY HOME 神 奈 さ ん:2021/06/04(金) 06:42:13 ID:rkfwpORQ
>>646箱根の底倉温泉は江戸時代には賑わっていたようですね。
今も昔も、箱根は江戸からの行楽に適度の距離なようでw
今調べたら、底倉温泉は秀吉の小田原攻めの時の野営地だったようですね。
その時の落ち武者7人が現在の上溝辺りまで逃げ、田畑を耕し村を作ったのが田名村みたいですよ。
たまたまこのスレで話題に出た地名が、偶然にも繋がってびっくり。
片方は花街、片方は男娼に人気w
勝った方と負けた方。
その対比もまた面白いですね。
>>647底倉、男娼でググってみたら、それを歌った江戸川柳のサイトがありました。
〜底倉へ菊の療治に痔童来る〜
この手の川柳がずらずらとw
江戸っ子の一般常識だったようですね。
底倉は秀吉の湯とかありますものね。
石垣山城の他にも千利休が茶室を構えた江之浦とか、広範囲に遊んでいて
小田原攻めは秀吉にとってはかなり余裕があったのでしょう。
後北条が勝てるわけなかったんだなと思います。
上溝に後北条の落ち武者ということですか。
県内で武田関係の移民伝承はかなり見聞していますが、後北条は初めてです。
649 :
STAY HOME 神 奈 さ ん:2021/06/05(土) 12:37:08 ID:LlymA6vw
>>648仰っしゃる通り(記憶が曖昧なので間違っているかもしれませんが)秀吉軍15万に対し北条3万5千では力の差がありすぎですよね。
そう言えば、その3万5千は裏打ちする資料があるようなので、実際にそれだけいたのは事実のようですが、不思議な事に後北条の戦力は1万程度だったという資料もあるのです。
2万5千人はどこから湧いたのでしょうかw
落ち武者関係の話は、どこの地域でも眉にツバつけて聞いた方がいいものばかりですよねw
性質的に口頭で伝承されるものなので、どこまでが真実なのか全くわからないです。
ただ、田名の7人の落ち武者に関しては少し興味深い話がありまして、中村(だったかな?)の7人の有姓百姓が北条家のためにずいぶん頑張っていたという話をどこかで読んだ記憶があります。(これまた記憶が曖昧なので色々間違っているかもw)
今の中井町にも久所という地名がありますし、その中村の7人が田名に移住し落ち武者伝承の元になったのかなぁと想像しております。
>>649私もほとんど知識はありませんが、たしか騎馬武者1に郎党2(従者と使い走りとか)の3人ワンセットが最小単位で、あとは禄に応じてそのセットが増えるという説明を受けた事が。
これだと実際の戦闘員は1人だが軍勢としては3倍でカウントされますので、3万5千の軍勢も戦力は1万1千ほどになる計算です。
案外これなのでは。
武田の移民に関しては、真実も多いのではないかと思っています。
八王子の千人同心に代表されますが、徳川の施策で移住させられた旧武田領民というか家臣団ではないかなと。
ほとんどが帰農していますが、寺も移って来たようで、その伝承を持つ寺も複数あります。
それを調べている人もいるようなのですが、具体的な情報はもらえていません。
田名に関してもありそうな話しだと思います。
似たようなネタもありますが、長いので次に。
子孫が現存しているので具体的な名字や地名は控えます。
お寺さんの名前は複数資料に出ているので問題ないようです。
子孫とお寺さんの話しをざっくりまとめると以下。
三浦氏に加勢した一族がいたが、後北条に負け、一族の主立った者も3人死んでしまった。
その結果、檀那寺から檀家を外れてくれろと言われてしまった。
これは、そういう一族が檀家だと朱印をもらえなくなるとかの理由でしょう。
困った一族は近隣の複数の寺に檀那になってくれと頼み込んだがことごとく断られた。
宗派を変える覚悟も示したがダメだったので、元の寺から直線で7kmほど離れた能永寺にも頼み、やっと受け入れてもらえた。
喜んだ一族は能永寺に対して、子々孫々檀家でありつづけるとの証文を出した(1516年)。
この一族が最初に檀家だった寺の近くに住んでいたと仮定すると、今は6kmほど離れた土地に住んでいるので、旧所領から落延びたのでしょう。
という事例がありますので、後北条に加勢していた一族が落延びることはありそうです。
652 :
STAY HOME 神 奈 さ ん:2021/06/06(日) 09:45:38 ID:9iY4ADig
>>6503人セット!そうでした!
軍役は馬で出陣する事と槍持ちと指物持ちを随行させる事は義務でしたね!
じゃあその分がカウントされて3倍なのかと納得しながら、つらつら資料を見ていたら、そうとも言えないのかもしれないという物を発見してしまいました。
ちょっと長くなりますが、順を追って説明いたしますね。
当時の豪農達は、農家をやりながら時には戦争にも行くものだと、私は思っていたのですが、年貢を納めるものと年貢の代わりに軍役を行う者は台帳でキッチリ別れていたようです。
そして、軍役で奉仕している豪農達は百姓軍というという部隊に配属され、手柄次第によっては侍に昇格。
つまり、年貢を払う立場から禄を貰う立場に。
とはいえ、この百姓軍が手柄を立てることは珍しいようで、北条五代記には、二人の百姓が敵の首をとった事を珍事だの前代未聞の働きだの書かれています。(ちなみにこの百姓、一人は相打ち、一人は侍に昇格)
で、ここからが本題。
後北条は、秀吉の小田原攻めを迎えるにあたり、兵力増強をはかり、軍役負担ではない豪農達も半ば強制的に軍事動員したようです。
かなり切羽詰まってたんでしょうね。
でもまあ、元々あまり役にたたない百姓軍に、何の経験もない人達を増員しても兵力増強になる訳もなく...
なので、秀吉vs後北条は、目に見える数字以上に戦力差があったようです。
どうもこれが3倍のからくりであり、「百姓は戦争があったら戦争に行く」という兵農未分離のイメージの元であるようです。
ちなみに、トップが代わると、侍に昇格した百姓も「お前やっぱ百姓ね」と百姓に戻されてしまう事も多かったようです。
そうなると、大抵の場合は、百姓上がりの侍の所領は自分の土地(つまり年貢として納めていたものがその侍の禄になる)なので、場合によっては、領地取り上げ=自分の土地取り上げられる、になるので他所に流れるしかなくなるみたいです。
もちろん、それが全てではないので、仰るように檀家の問題などもありそうですね。
653 :
STAY HOME 神 奈 さ ん:2021/06/06(日) 09:57:08 ID:9iY4ADig
>>644服や帽子を着せてあったりもしますね。
でももう、そういうお地蔵さんもあまりみなくなってきました。
お地蔵さんと言えば、私の実家の辺りでは、どんど焼きは道祖神を祀るためのもので、その近くの空き地などでやっていたのですが、周りが住宅地にばかりになってしまった今は、いったいどこでやっているのやら...
どこかの空き地を借りてやっているのか、それとももうやっていないのか。
どちらにしても道祖神を祀る意味合いは消滅してそうです。
654 :
STAY HOME 神 奈 さ ん:2021/06/06(日) 10:05:43 ID:9iY4ADig
>>645こんな事件があったとは全く知らず、興味深く読ませていただきました。
どちらもしっかりした家系なので、親戚筋は簡単にわかりそうですけどね。
私がチョロっと検索しただけでも沢山出てきましたがw
まあ、ビジネスライクに処理をするとなると、わざわざ調べて連絡取ってなんて事はしないんでしょうねぇ。
それよりも、1ヶ月で映画化配給が一番驚きました。
はやっ!
>>651ふーむ
江戸時代の寺請制度以前にも、「どこかのお寺に所属しなくちゃ!」と言う同調圧みたいなものはあったんですかね
そこまで
>>655同調圧というより、それだけ信心が濃い時代だったのだと思います。
先祖を供養できなくなるとか、自分達以降の一族も供養してもらえないのは恐怖に近い部分もあったのではと。
特に戦をする階層にとっては切実で、戦国武将はだから寺社へ領地などを寄進して自身の供養を願ったのでしょう。
>>652なぜか返信文中にNGワードがあるみたいで、長文を2回NGくらったのでシンプルにお礼を。
軍勢の数だけでなく質も大差があったのですね。
ちょっと農兵というか雑兵に興味が出てきました。
雑兵物語をちゃんと読んでみます。
>>654天国に結ぶ〜を調べたのは、大磯の鴫立庵に比翼塚があったからです。
おや、何か世間に知られた心中でもあったのかと。
今迄にも2、3見たことはあって、特に由来が無いケースもあったのですが、たぶん、と思っていました。
ところが比翼塚は仲の良い夫婦を一緒に供養する時にも建てるようで、むしろ今はそちらの方が多いみたいです。
659 :
STAY HOME 神 奈 さ ん:2021/06/11(金) 12:10:22 ID:aCIeiCIg
>>658大磯といえば、澤田美喜記念館には行かれましたか?
エリザベスサンダースホームの設立者の小さな記念館なのですが、彼女は隠れキリシタングッズの蒐集家だったようで、記念館はそれらのもので溢れています。
というか、どちらかといえばご本人の偉業よりもそっちがメインw
光を当てて反射させるとキリストが現れる魔鏡やマリア観音、初めて目にするものも沢山ありました。
キリスト教弾圧下において信仰を守り抜いたのは、ほとんどが貧しい農民だったそうで、どのような思いでそれらの物を持っていたのか。
これもまた江戸時代の隠れた側面だなと色々考えさせられました。
>>659サンダースホーム行きました。
あそこは凄いですね。
1600年頃の切支丹図を所蔵しているので観に行きました。
石仏に十字のアイコンがあると、これは隠れ切支丹のものだと指摘する人もいますが
サンダースホームの展示物を見ると、絶対にバレないように隠していたことが判って
十字アイコンを堂々と表に出すなんてありえないと痛感しました。
ちょっとでも疑われたら、すぐ通報される時代でしたし。
ただ、澤田氏は業者が持ち込むものを買っていたそうで、中には怪しいものもあるそうです。
実際、今はほとんど否定されている織部灯籠とかもありました。
隠れにならずに済んでいた時代だと江戸にもいて、東京駅で切支丹墓が発掘されているはずです。
あ、例外を思い出しました。
石造物の十字アイコンですが、能勢氏の矢筈十字家門はもう十字架そのもの。
都内、池上本門寺の墓地で見ました。
元キリシタン大名で、禁教後に法華へ改宗したから問題は無いみたいですが、よく使い続けたものです。
水郷田名の花街を教えて頂いてから、花街の信仰に興味を持ちました。
軽い気持ちで県内の花街・色街を調べ出したのですが
江戸時代の宿場と遊廓以降、
明治5年の娼妓解放令以降の三業地、二業地
昭和21年の公娼制廃止
昭和33年の赤線廃止
大雑把に見てもこれだけのエポックがあって、そのたびに業態や場所が変わっており
加えて、非公式の場所まであると判り、いったい何ヶ所あったのかすら把握できなくなってしまいました.
ネットには色々出ていますが、知っている場所がいくつか載っていなかったりして
こういうのを調べてまとめている人は大変なんだなと痛感している最中です(笑)
浦賀の花街が面白かったのでちょっとだけ
狭い町ですが、江戸時代は干鰯問屋と浦賀奉行所から許可を得た廻船問屋で潤っていた土地です。
明治以降は浦賀ドッグができました。
軍事施設でもあったのに、空襲は焼夷弾が1つ落ちただけで町並みの変化は宅地開発だけ。
鏝絵(こて・え)がある土蔵とかもあちらこちらに。
ちなみに金持ちが多かった土地なので、江戸の高名な書家に揮毫してもらった石仏や、狛犬彫刻で有名な鶴見の石工に造らせた庚申塔などもあります。
江戸時代は他で言う所の飯盛旅籠を洗濯屋と呼んでいたようです。
浦賀の歴史は東西に分かれますが、洗濯屋があったのは西。
花街の史料に2つ歴史があって、どちらが正確なのかは判りませんでしたが
元禄時代には鎮守神社の祭礼への参加を許否されていたものの、その後、正式に参加できるようになったようです。
かなり驚きましたが、その鎮守の神社に洗濯屋6軒が奉納した銅製の灯籠が残っていました。
安永8年(1779)には洗濯屋の主人が出家してしまい、店は他の人に譲り、なんと徳本上人の弟子となって浦賀へ戻って来たとか。
銅製灯籠に名があったのは、その譲られた人物のものでした。
鋳造は江戸小伝馬町。よく戦時供出されなかったものです。
それと別の稲荷にも貸座敷時代の店名が入った石造物がありました。
なお、浦賀ドッグが無くなってしまい、郷土資料館で企画展が行われていました。
古文書集を読んでいたら、面白いものがありました。
大祝殿 晴信
就于今度出陣、於于神前、被抽精誠、御玉会・守符令頂戴畢、抑北條氏政居住之地撃砕、
武相両国悉放火、剰至于相州見増坂逐一戦、北條新太郎・助五郎已下之兇徒二千余人討捕、如存分達本意條、
併當社之神力故候、八州令静謐者、諏方一郡不貽卓錐之土、
可寄附両社候、以此旨、無油断精誠可為肝要候、恐々謹言
永禄12年10月16日
信玄花押 諏訪大祝殿
武田信玄が小田原攻めの後、三増峠で後北条と戦い、帰国後に諏訪神社へ送った感謝状のようなもの。
武相両国にことごとく火を放ち、見増坂(三増峠)で氏邦と氏規の軍勢2000人余を討取り本意を遂げられた。
これは当社(諏訪社)の神力のおかげであり、八州(関東)は静かになった。諏訪は狭くない優れた土地である。
両社(上下諏訪社か)に寄附するので、(これからも)油断無く精誠してくれ。
これが諏訪神社にだけ出された書状なのか、類似の内容で他の寺社にも出されたのかなどは不明ですが
裏を返せば、戦国期の寺社は祈祷に効果が出ないと大変だっただろうなと。
なお、信玄は後北条へ嫁いだ娘の出産だと浅間神社に祈祷を依頼してたりします。
この娘は黄梅院ですが、同じ永禄12年に甲斐へ返されました。
来週は旧暦のお盆。
県内で最も凝ったスナモリを作る秦野の多くは7月盆です。
今年こそは見たいと思っていましたが、梅雨明けしてなさそう...
>>668あ〜。。いつも間違うんですw
旧暦7月は新暦だと8月になる。
つまり新暦で7月にやるお盆は旧盆と呼ぶが旧暦盆ではない。
ってことですよね。これも間違ってるかもしれませんが。
沖縄は9月にずれこむこともあるんですね。閏月がある年ってことか。
余談ですが、神奈川は新暦7月盆と上記サイトに書いてありますけど、
県内の農村部の大勢は8月盆です。
7月盆だと養蚕の収穫期と重なってしまい大変だったから8月盆にしたそうですが、
秦野は煙草栽培がメインで、養蚕をほとんどやらなかったため農村部は7月盆。
しかし商家が多いエリアは8月盆と分かれてると、昨年行って知りました。
>>669新暦旧暦と旧盆は使い方が逆なんですね。
あと、新盆だと不幸のあった家の最初のお盆という意味だから、新盆旧盆は意味が違うことに気づきました。
>>670藤沢の円行、善行、石川辺りの砂盛りも、だいたい8月に登場するので、このあたりも8月盆なんでしょうね。
夏休みの兼ね合いもあるのでしょうけれど、お盆の行事やお祭りは8月が多いように感じます。
私の実家は七夕もお盆も8月だったので、7月にスーパーでお盆セットが出てくると、一気に夏も終わりなような錯覚に陥ります。
>>671おっしゃる通り、現代では、8月盆が多いのは夏休みとの兼ね合いが大きな理由になっているでしょうね。
ところで七夕も8月にやっている所があるのですか。初めて知りました。
考えてみれば7月だと梅雨ですし、8月の方がいいかも(笑)
>>672仙台の七夕も有名ですが、あれは8月7日です。東北・北海道は大きな節句以外は旧暦ってところは多いようです。
平塚の七夕祭りなんて毎年のように雨の中だしな
>>673旧暦で行事をやっている所って意外にあるんですよね。
季節に関連してると、旧暦の方が理に叶ってるし。
でも、夏の暑さがこんなに厳しくなると見直す土地が出て来るかも。
うちの寺は8月盆の直前に施餓鬼ですが、檀家衆は炎天下でヒーヒー言ってますw
雨が多くても7月の盂蘭盆会とかに切替えた方が…と思わないでもないです。
秦野の7月盆でつくられるスナモリ(地元ではツジ)を見るため
1日遅れで行ってみましたが、13日に作り、16日にきっちり壊すそうで、
何人かに訊いてみたものの、捜すだけ無駄と言われてしまいました。
しかし、数年前にツジを調査した方に出会えて情報をもらえました。
堀山下地区を調査され、147基のツジを確認したそうです。
砂だけで盛ったツジ12基、竹で組んだツジ30基、木枠のツジ95基、その他10基だそうです。
木枠はホームセンターなどで売っている簡易バージョンらしく、2年前から木枠にした方は、
材料を揃えるのが大変なのと、作るのも面倒なので木枠を買ったそうです。
ただ、中には木枠を手作りする人もいるようです。
調査した方は旧盆(8月盆)の地域も廻り、大根や鶴巻は竹組が無いことを確認したそうです。
本町地区は大掛かりな竹組のツジがあると言っていました。
これは昨年見ていますが、見事なものでした。
>>67613日に作って16日にこわすんですか
藤沢石川、善行、円行あたりはいつまでもある
>>677そうなんですよねぇ。。。
8月盆で廻った土地は、お盆過ぎても結構残っているので、
秦野も同じだろうと思ったのですが、今回は1基しか見れませんでした。
16日に壊して、昔なら川に流していた残り物達を廃棄物として出すことを
町内会できっちり決めているみたいです。
>>678ああ、町内会で決まっているのは厳しいですね。
円行あたりは、川に流すのは今は灯籠みたいですが、昔はどうだったのでしょうね。
砂盛りは、以前円行で実施しているお宅の方にうかがったら、8月いっぱいくらい適当にしているとおっしゃっていたので、円行はもしかしたらもともと砂盛りを川に流すことはしていなかったのかもしれないですね。
>>679資料によると、川に流すのは精霊棚とかスナモリに供えた牛馬とか花をコモで巻いて、とかだったようです。
秦野の場合はそこに竹組が入っているかもしれませんが、今回見られた捨場にはありませんでした(写真)。
富士砂を使っている所によっては、もう採れなくなっているので毎年使い回しているという家もありました。
秦野以外の川砂や畑の土を使っている所は、飾りだけ捨ててスナモリは自然に風化させている家も多いですよね。
なお、写真の場所は谷川の上の畑の端っこで、道祖神が近くにありました。
https://i.imgur.com/r48X3yi.jpg
分類神奈川県保元辞典 1 自然・動物・植物(2003)というのを
安く買えて読んでいるのですが、
初めての方言だらけでビックリしています。
色々ありますが、カマキリの方言は古語がそのまま残っていたようです。
カマキリの古語は「イボムシリ(イボジリ)」だそうで、それの変化形が
旧相模国では昭和50年前後でも使われていたようです。
イボジリ=足柄平野、愛甲郡、旧津久井郡
エボジリ=高座郡
イボッタ=三浦半島
もちろんカマキリが最多で、トウロウ(旧津久井郡)なんてのもありますが
なんでそうなると不思議なのも
トカゲ=海老名、座間、相模原南部など
この地域でのトカゲ(爬虫類)はカガミッチョとか呼ばれていたようです。
今はこういう言い方も無くなっているでしょうねぇ...
>>682>カマキリでイボ(疣)をさするととれる
ちょっとうろ覚えなのですが、三浦半島でこれをやっていたという
明治生まれの方々による証言集を読んだ事があります。びっくりですね。
ところで、民俗・歴史スレには厳しいNGワードが見つかりました
「古・老」
なにゆえNGなのかw
敬老精神からですかね
>>685地域スレでそのコテ名を使ってた荒しがいたからですね
>>687ありがとうございます。
そんな経緯があったとは...色々予想していましたがナナメ上でした
689 :
STAY:2021/08/08(日) 14:18:18 ID:OyZteTZQ
鎌倉歴史文化交流館で2019〜2020年度の発掘調査展示が開催中。
「蘇民将来子孫家也急々如律令」の木札などが展示されていました。
過去の発掘で出た色々な骨もパネル展示されていて
大型魚の骨と牛の角をきれいに並べた何かの祭祀痕跡など興味深いものがありました。
吾妻鑑には安倍清明の曾孫になる安倍国道が建築に良い日を占った記録などもありますが、
いつか鎌倉の陰陽師特集とかやってほしいものです。
690 :
STAY:2021/08/14(土) 11:26:09 ID:mzECbQWQ
お盆の供物のナス、キュウリの牛馬ですが、それの代わりなのか
ミニカーを供える土地があるそうです。
ググってみたら、ナスとキュウリで車を作ったり、ロボットを作っている人までいました。
神奈川でも同じ事をしている家はあるかも。
691 :
STAY:2021/08/14(土) 12:35:33 ID:5/aez7OA
それはネタ作品では
692 :
STAY:2021/08/31(火) 14:11:04 ID:mkk4uD1A
歴史って事で書かせて貰います。
この前の豪雨で246の法面崩落して通行止めになりましたが
その近くの寄に行く信号に「蛇塚」とあります
ここは川が三本流れてる処で過去に土砂が流入して塚状に盛り上がった土地なんですかね?
それと明確に場所は覚えてないのですが
秦野のイオンから余裕で歩いて行ける距離の近さだったと記憶してます
結構大きめの月極駐車場の一角に「蛇なんとか」の石碑もあったのですが
この「蛇」の字は過去に水害があったと考えて良いんですかね?
693 :
STAY:2021/08/31(火) 20:10:36 ID:/XXuwsKg
今日偶然「モバイルハウス 横浜 無料の空き地」をググってたら怖そうな関連検索語句が出て怖くなって地域スレ
https://machi.to/bbs/read.cgi/kana/1624166789/310-に質問してた者です。
雑談スレも、あまり人が居ないみたいで、どこかに書きたいと思ったのでこちらに。
「深谷通信隊 ◯人事件」が関連検索語句で出て、開けたら◯人事件でなく失踪事件や色々出ました。
なんか、思ったのですが「横浜ホラーnote」とか、今note盛んですし、そういうのもう少し調べたら学術的にもある程度興味深いものが書けるかもしれない
という気もしました。
こちらのスレを拝見しても、今見える所で「悲恋」は悲しいですが綺麗な話でもありますが、やはりなかなか神奈川怖そうな歴史もあるようです。
横浜…は? 横浜の近代は…? 掘り下げて行くと結構ホラーかもしれないので、あまり掘り下げない方が良いかも(^_^;)
694 :
STAY:2021/08/31(火) 20:59:20 ID:/XXuwsKg
>>645 の坂田山心中事件 どうして今年で墓が無くなるのだろうか?と検索してみました。
それはわかりませんでしたが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E7%94%B0%E5%B1%B1%E5%BF%83%E4%B8%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6坂田山心中事件 Wikipedia によると
>以後坂田山で心中する男女が後を絶たず、同じ年だけで20組が心中、1935年(昭和10年)までの自殺者(未遂も含む)は約200人にものぼった。
>中には、映画を見ながら昇汞水を飲んで心中するカップルまで現れたため、映画の上映を禁止する県もあった
だそうです。世相でしょうかねぇ。戦争の直前でしたから。
Wikipediaは最後の一番下のYahooジオシティーズのアーカイブのリンクが見られないものになってます
ここまでならある
https://web.archive.org/web/20111001082501/http://www.geocities.jp/showahistory/history01/showa07.html 誰か昭和を想わざる 昭和7年
その前がこれ
https://web.archive.org/web/20110924231606/http://www.geocities.jp/showahistory/ 誰か昭和を想わざる。 〜昭和史と流行歌のサイト〜
神奈川直接関係ないけど 引用
昭和6年〜14年【戦争は繁栄の特効薬だった】
不況の特効薬は戦争である。戦争によって植民地などからの資源確保と広範な経済圏が確保されればその国は繁栄する。
日本が満州でのなし崩しで事後承諾の軍事行動を開始するのは昭和6年。これに最も敏感に反応したのは自らも中国利権を確保したいと願っていた米英であった。
対して肝心の中国はいまだ軍閥が割拠し、その最大のものである国民党と共産党は同士討ちを繰り返し、昭和12年になって国共合作が成立した。
この昭和12年は日本が南京を占領したものの、中国側は降伏も和議も申し出ず徹底抗戦に転じて、終わりなき戦争に突入した年でもあった。
それまでの中国側が折りよいところで和議を申し出て、日本の中国における利権が増えて戦争は停止する、というパターンが通用しなくなるのである。
日本が中国での戦線を拡大していったのは、国内不況の打破のためである。事実、都市部では軍需景気で沸きに沸いた。ただこの好景気の恩恵を受けない人たちがいた。
その際たるものが東北の農村である。農村は疲弊し、娘の身売りが相次ぎ、輸入音楽やチャップリン映画に浮かれる都市住民との生活の落差は拡大するばかり。
この狭間で爆発したのが五・一五事件であり、二・二六事件である。特に二・二六事件は完全に失敗に終わり、事件を口実にかえって陸軍による官僚的な政府支配を強め、腐敗に満ちた議会政治に終止符を打っただけであった。
この時代は、自分がどこに住んでいてどういう職業だったかによって、世界が明るく見えたり暗く見えたりする。戦前を「明るい」と言う人もいて、「暗い」という人もいるのは、どちらも嘘ではない。国民の間で生活の落差の激しい時代だったからである。
例えば学歴差別がない徹底した平等社会、能力主義の社会だった陸軍についても、対米英戦末期になって召集された学生などプライドの高い知識人にとっては、職工あがりの古参兵などにいじめられるのは耐え難く、逆に職工などには「学士さまも社長も軍隊ではみな同じ」と軍隊生活を懐かしがる人が多かったという。
今年亡くなられた内海桂子師匠も 226事件の時代経験者だったそうで、これも神奈川関係ないですけど、時代考証として
695 :
STAY:2021/08/31(火) 21:20:53 ID:/XXuwsKg
2017年の質問だけど、ちょっと横浜の民俗、歴史?
横浜の特徴が回答に上手く書かれてる気がします。どう思いますか?
https://realestate.yahoo.co.jp/knowledge/chiebukuro/detail/10172394980/なぜ「みなとみらい」には空き地があるのでしょうか?
横浜の中心地で、ネームバリューもあるにも関わらず、いつまでも広大な空き地となっており、駐車場にすら活用されない土地があることが不思議です。
BA回答↓
当初は2000年頃までに街全体の完成を目指していたが、経済状態(バブル崩壊)の影響などにより計画が延長されている
2008年末の世界的な景気後退の影響を受けいくつかのオフィスビル建設計画では中止・延期等
当地区は現在も事業中であり2016年11月時点の事業進捗率は約85%、暫定利用施設を除く本格利用地区(建設中・計画中含む)の割合は約73%となっている
ーーーーー
中止となった開発計画
中止となった開発計画である。
2003年 - ナムコの映像関連施設開発と日活本社および撮影所の移転計画(20街区)
2004年 - 新日鉄、三菱地所などからなる横浜ニューポートによるホテル開発計画(新港・11-2街区)
2005年 - ヤマダ電機の本社機能の一部移転と同社で最大規模となる店舗の開発計画(67街区)
セガおよびセガサミーホールディングスの複合娯楽施設開発計画(55〜58街区)
モリモトによるオフィスビル開発計画「コンカードみなとみらい」(43街区南区画)
CSKグループの本社ビル開発計画(43街区北区画)
ダブリュー・ホテル(W Hotels)の日本初進出計画「W Yokohama」(新港・4街区)
ーーーーー
実行計画
2019年
京急グループの本社ビルが56-1街区に完成予定。また、建物1階部分には保存車両の展示などを行う「京急ミュージアム(仮称)」も併設する予定
48街区で暫定施設として運営されている「横浜アンパンマンこどもミュージアム&モール」が、61街区の一部区画にて移転開業する予定(土地は30年間の定期借地)[82]。
三菱地所による複合ビル(オフィス・ホテル・ライブハウス型ホール・店舗)が47街区に完成予定。完成後にコーエーテクモゲームスがオフィスとライブハウス型ホールを取得し、本社を移転予定[63][84]。
2021年 LGグループの研究施設「LGグローバルR&Dセンター(仮称)」および賃貸オフィス複合ビルが55-1街区に完成予定[90]。
2022年 新港地区(9街区)に国の16機関を移転集約した新合同庁舎を建設予定(完成目標:2022年度内)[91]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E3%81%BF%E3%81%AA%E3%81%A8%E3%81%BF%E3%82%89%E3%81%8421**とにかく 不便です。
道路は渋滞 駐車場は少ない べらぼうに高い これでは 人は来ない
他の回答↓
あそこは市が主導して開発しており、開発するにしてもかなり条件が細かく定められています。例えば公募にしても土地を細かく分割して小さい建物は建てられませんし、低い建物も不可です。
またこれが一番大きいと思いますが、常住人口の上限が一万人と決まっており、マンションがもう建てられません。細かく土地を分割してマンションを建てて良いならすぐ埋まりますが、
現状マンション以外の巨大な建物しか建設が認められませんので、大規模な投資の難しい景気が悪い時期はなかなか開発が進まないのです。続く…
696 :
STAY:2021/08/31(火) 21:26:51 ID:/XXuwsKg
続き
他の回答1↓
あそこは市が主導して開発しており、開発するにしてもかなり条件が細かく定められています。例えば公募にしても土地を細かく分割して小さい建物は建てられませんし、低い建物も不可です。
またこれが一番大きいと思いますが、常住人口の上限が一万人と決まっており、マンションがもう建てられません。細かく土地を分割してマンションを建てて良いならすぐ埋まりますが、
現状マンション以外の巨大な建物しか建設が認められませんので、大規模な投資の難しい景気が悪い時期はなかなか開発が進まないのです。
一部三菱地所の持っている土地もありますが、こちらも三菱地所が認めた建物しか建てられませんから市手動で開発している場所と大差なく、相当大規模な投資が必要になる物件しか建ちません。
あと今空き地になっている区画は新高島地区が大半ですが、新高島地区は横浜駅東口の延長線上、言ってみれば横浜駅東口エリアです。当然横浜駅に近いエリアの方が需要がありますので、
駅に近い区画は既に日産や富士ゼロックスなどが建てられており、空地残っているのは駅から離れた少し不便なエリアです。
とはいえここ1〜2年で資生堂や京急、清水建設の大規模オフィスビルなどの計画が決まっていますので、2020年までにはかなり雰囲気が変わると思います。
それと、横浜市の中心部は元々関内と横浜駅に2極になっています。この間を埋めようとして造船所と貨物線跡地を開発しているのがみなとみらいなので、本当の意味での横浜市の中心部かというと疑問が残るところです。
他の回答2↓
あそこらあたりは基本的に定期貸し出しをしているのでは
かつてはCATS劇場とか、BRIZSとか、東急シネマズとか、結婚式場とか
スーパーオートバックスとか、PCデポとか、西松屋がありましたよね
古くはジャックモールなんかもあったが無くなりました
697 :
STAY:2021/08/31(火) 21:29:18 ID:NjPXFS1w
すみませんが少しは過去レスを読んでみて、流れに乗って頂けないでしょうか
比較的冷静なレポートの交換が続いていたスレです
だからこそ一つ一つ読む価値があったと思います
気になるのが、133.106って楽天回線ですよね
方々のスレで暴れていた楽天さんと同じ人かしら?
698 :
STAY:2021/08/31(火) 23:06:27 ID:sKRJ7wsw
前頭葉がぶっ壊れてるのかな
699 :
STAY:2021/09/01(水) 06:00:21 ID:DTYcvD0w
というか、ソースがあるなら長々コピペしなくても
それに
>>695,696 は民俗・歴史ってのとはちょっと違いませんか?
700 :
STAY:2021/09/01(水) 08:01:26 ID:UDjmRPQQ
>>697ご不快を与えたのは申し訳なく思いますが
私がこのスレに書いたのは初めてです。
それと「>比較的冷静なレポートの交換」もそれはそれで良いと思いますが、スレのカラーとして思い入れ入ってるかなと思いますが
701 :
STAY:2021/09/01(水) 08:15:10 ID:PunLuOOA
不快かどうかで問うならば
何故に不快を与えるかを質さねばなるまい
個人的な気分の問題にすり替えるのは(・A・)イクナイ!!
702 :
STAY:2021/09/01(水) 12:42:54 ID:NRr2d1+w
704 :
STAY HOME 神 奈 さ ん :2021/09/14(火) 16:50:17 ID:GY9mZIjg
>>703蛇塚の名前の由来ではないかもしれませんが、その辺りに度々水害があった事も事実のようです。
その中の一つですが、関東大震災の年は地震の記録が沢山残っていて、それに伴い大雨や洪水などの記録も仔細に残されているのですが、
そこにも秦野の大雨被害の事が書かれていました。
抜粋
九月十五日朝より大雨降り昼頃小雨と成る
夜に至り大雨少しの間も置かず降りしきりて大洪水となる
四十八瀬川の水は田頭橋上に溢れて上秦野村菖蒲の田に溢れ正に菖蒲新道を流れて人家を流さん斗りなり
四十八瀬川というのは蛇塚の近くを流れる川で、菖蒲地区というのは蛇塚がある地区です。
田頭橋というのは蛇塚よりやや上流にある橋で、菖蒲新道というのは246ですね。
なので、要約すると、蛇塚のやや上流で川が氾濫し246沿いに水が流れ人家を押し流しそうになった、と。
そして、この記録だけでは細かい場所はわかりませんが土砂崩れもあったようで、平間田と書かれているので、先の大雨の法面崩落の場所と近いかもしれませんね。
246を挟んで一方が菖蒲地区、もう一方が平間田地区のようですので。
案外、名前の由来は蛇うじゃうじゃだけではないのかも知れませんね。
705 :
STAY HOME 神 奈 さ ん :2021/09/14(火) 16:53:52 ID:GY9mZIjg
>>703さん
資料ありがとうございます。
言葉通り「蛇」が多かったって説もあるのは以外でした。
秦野は丹沢のおかげて水に恵まれてる土地ですから
逆言うと氾濫と隣り合わせの地形でもあり水害の隠語の「蛇」だと思い込んでました。
奥多摩や秩父と並んで丹沢は雲が湧き雨雲製造工場と称されてますし
今では農地改革されてますが火山灰の土地でしたから特に保水力もなく雨に弱かったかもしれませんね。
火山灰の土地でタバコ栽培かソバくらいしか栽培できなかったとも聞いた事があります。
丹沢ソバはソバしか栽培できなかった事と
丹沢の良質な水が手に入る事で結果的に良質なソバになったと聞いた事があります。
地名って面白いですよね。
勉強になりました。
今更ですが、今年の大河ドラマは神奈川が舞台ですね
地元の神社にあった石
http://imgur.com/GhWDPn3.jpg龍車と読めるけど作られたのは天保?年と彫られていた
天子の乗る車、戦いの車
意味はそんな感じらしい
ググった限りではそれ以上のことは出てこない
まあ、神社自体、町中にある小さな鎮守様だから資料もないのかな
@川崎市中原区
皆さんのとこでも似たような石ってありますか?
図書館に行くと大体
自治体の記念行事として
「〇〇の歴史」てきな本があるから
探してみると面白い。
横浜市南区発行の「南区の歴史」には
各町内会の支援もあって
庚申塔や地蔵が網羅されている
残念なのは非売品という点と、
場合によっては館内閲覧限定というケースも。
まぁ、これはデジタル化で自宅から見れるようになるでしょう
>>709地元でもありますよ。散歩しているとあちこちに。
710の方がおっしゃっていますが、うちの地元の図書館にも研究や考察している本が置いてあったと思います。
以前勤務先に近かったので中原図書館もよく行ったことありますが地元の本とかけっこうあったと思います。
字がねー。
すごい昔のだと一部しか読めないのが多いですよねー。
むちゃくちゃハイテク使えば読めるのかも知れませんけど。読めても意味分からないかな。
712 :
709:2022/06/08(水) 11:36:14 ID:C+HPQ0mw
>>710>>711有難うごさいます
市内には図書館以外に古文書を取り扱いしている公文書館もあるので、機会があれば調べてみようと思います
たまたま散歩して気がついたんですが、子供の時から祭礼や遊び場として長年通っていた場所でも気づかないことはあるものです
713 :
神奈さん:2023/08/08(火) 10:31:36 ID:ntFrpmjA
各地でお祭が再開されていますね。
個人的には一度も見たことがない小田原の板橋地蔵大祭へ行ってみたいと思いつつ
暑さが尋常ではないので...
相馬の馬追いも開催時期を変える検討がされるようで。
伝統的な祭の時期を変更するのは難しい、と思いきや、実は結構変わっている。
鎮守の祭なんて、風土紀犒と同じ日にやっている所はほとんど無いでしょう。
714 :
神奈さん:2023/08/08(火) 17:55:13 ID:+CqaAD+g
神奈川っていう河川はあるの?
715 :
神奈さん:2023/08/08(火) 19:21:34 ID:YvjKaURw
暗渠化されてるかも
716 :
神奈さん:2023/08/09(水) 09:35:14 ID:n/wpSOWw
レファレンス協同データベースより
「神奈川は神名川・金河・狩野川・カメ河とも書き、川名からきていることがわかる。
現在の横浜市神奈川区神奈川町と新町との境を流れる小溝で
@水源池がわからないところから上無(かみなし)川といわれ、これが訛ってカナガワとなった(『都道府県展望』一五六)。
A古くは狩野川または金川ともいわれ、これが神奈川になった(同書)という。金川は、上流に金渋(しぶ)すなわち鉄さびのある川で、相州物といわれる刀剣は、この鉄によって作られた刀として珍重されたともいう。
神奈川は当て字だが、小地名が県名にまで拡大された例としてしばしば引用される。」
と記載されている。
717 :
神奈さん:2023/09/10(日) 10:02:21 ID:xufaiPjA
10月29日
鎌倉円覚寺の国宝梵鐘の洪鐘(おおがね)を祀る洪鐘弁天大祭が行なわれます。
60年に一度の開催で、本来は2020年が開催年でしたがコロナ等で今年になりました。
この鐘は鋳造する際に江ノ島弁財天に祈願したそうで、鐘楼がある場所に弁天堂があります。
そのため、鐘の祭は同時に弁天祭にもなり、江ノ島弁財天と共同になるそうです。
行事は行列で、前回の1960年?は歴史的な装束を円覚寺の檀家衆や山ノ内の住民が着たり、宝物類を掲げて歩くものでした。
今回復活するのかは不明ですが、鎌倉の奇祭として知られる面掛け行列(長谷では毎年やっていますが)もかつてはやっていたそうです。
なお、10月29日は円覚寺前の通りが車輌通行止めになります。
毎年の正月三ヶ日も小袋谷踏切交差点から車輌は入れなくなるので、同じ感じかも。
718 :
神奈さん:2023/10/04(水) 13:18:08 ID:ndvQhmDg
別スレの過去スレを見ていたら面白いものを発見したので転載
魔除けのザルに似た話やどんど焼きの起源みたいな話で実に興味深いです
439 神奈さん 2016/04/26(火) 15:31:49 [4j9z0CMA] ID:p452231-ipngn7601hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp
>>437お礼に地元の妖怪を紹介します。既に知っていたらすまん。
『ミカリバアサン』
川崎市と港北区の伝承。
毎年12月8日と翌年2月8日に一つ目小僧を伴い出現。
家の外に農作物や履き物が有ると履き物に婆さん印を押されて、婆さん帳簿に記載されてしまう。
印を付けられた家の家族は次々と不幸に恵まれて死んでしまう。
ミカリバアサンは帳簿をつけると道祖神に『来年の2月にまた来るからそれまで帳簿を預かってくれ』と帳簿を渡し、富士山まで走って激突して海に沈む。
だからミカリバアサンは富士山から西には行けない。
※対抗策
毎年12月8日は、家の外に何も出さない。その代わりに落ち穂と土で作った団子(オッパキダンゴ)と編み目の多い駕と家の入り口に刺して、『この家には土に落ちた米しかない』と婆さんに示す。
婆さんは、この家には何も無いし、目が沢山ある物まで作り出す恐ろしい人間が居る!と諦めて去って行く。
翌年の2月8日は道祖神様が預かっていた婆さん帳簿を燃やす。
現在ではどんど焼き等がその風習の名残り。
他の土地でも似た話が多数あるようです。
神奈川のミステリースポットを語ろう。その13〜つ。
https://machi.to/bbs/read.cgi/kana/1242740532/439
719 :
神奈さん:2023/10/04(水) 13:26:30 ID:ndvQhmDg
>>718つづき
で、ミカリバアサンを検索で調べると
神大寺というお寺が出てくるんですが、
お寺の話と道祖神の話が融合しているのは珍しいなと。
ただ、ミカリバアサンと神大寺にどういう関係があるのかは、
さらっと調べただけでは謎。
720 :
神奈さん:2023/10/04(水) 13:50:52 ID:ndvQhmDg
ミカリを調べてみたら
房総の神社にミカリ祭というのがあって
漢字で書くと御狩で物忌みの意味らしい
その期間は〇〇しない(地域により色々ある)という事らしいので
ミカリバアサンのミカリも御狩っぽいですね。
バアサンは
道祖神(塞の神)→カミさん→バアサン
ですかねぇ。
721 :
神奈さん:2023/10/04(水) 18:46:30 ID:zDOIHAgg
ミカリバアサマは、港北区
辺りでは有名だよ
722 :
神奈さん:2023/10/04(水) 19:23:48 ID:Trp3i/fw
wikipediaにはこんな漢字で記事がありますね
農民の祭りの前の物忌み期間がいつしか怖い厄災の日になるという連想は、
放牧民が移住する前の物忌み期間が起源と言われるキリスト教の過ぎ越しの祭に通じる発想に見えますね
> 箕借り婆(みかりばば)は、関東地方に伝わる一つ目の老婆の妖怪。
723 :
神奈さん:2023/10/06(金) 16:16:44 ID:T0UwrbvA
>>71812月8日と2月8日
事八日(ことようか)ですね。
724 :
神奈さん:2023/10/29(日) 17:47:18 ID:JeUb/E4A
洪鐘弁天大祭に行ってみました。
123年ぶりの面掛行列を見れましたが、すごい人出で…
祭としての儀式は寺の境内に入ってからなのでしょうけれど、
行列を見るだけで疲れてしまいましたw
725 :
神奈さん:2024/01/11(木) 10:07:25 ID:rrjI5FEQ
今週末あたり、各地でドンド焼きが開かれると思いますが
ダルマを燃やすのは一般的でしょうか
大井町では見たことありますが…
群馬や長野では沢山燃やすそうです。
ちなみに群馬では丸団子(繭玉)やスルメも焼くそうです。
スルメ焼きは海老名で見たことありますが、びっくりしました。
726 :
神奈さん:2024/01/12(金) 14:59:47 ID:mUJfdK7w
>>725スルメ!?と思って調べたら新潟ばかり出てきましたが
検索ワードに海老名を入れたら
海老名でも焼くみたいですね!ビックリ
ダルマもこの間テレビで見てびっくりしました
うちの近所ではダルマもスルメもないですねぇ
書き初めも昔は燃やしていましたが
危ないからと禁止になった記憶があります
どんど焼きと言えば
大磯の左義長を一度見に行きたいと思っています
727 :
神奈さん:2024/01/13(土) 20:30:46 ID:CwDfWpUA
ダルマですが、今日、藤沢の遊行寺で用意されているドンド焼きの正月飾り達の中に沢山あるのを見ました。
お寺さんがダルマを売っているので、数が多いそうです。
大磯はなかなかです。
でも、、寒いw
728 :
神奈さん:2024/01/14(日) 01:11:41 ID:Rw0+3Cuw
>>725去年の自治会のどんど焼きでは、だるま出してる人いましたね
あれば出すという感じなんでしょうか
729 :
神奈さん:2024/01/14(日) 09:15:31 ID:3rwa0INA
>>728たぶん、あれば出す、なのでしょうね。
目玉を両方黒くできても、できなくても、原則1年の間にやることなので。
730 :
sage:2024/08/30(金) 20:01:37 ID:wO/jMtOg
先日小田原で聞いた興味深い話
昔は川の手入れを周辺の村がやっていた
それで川砂を自由に取れたので、お盆になると自分の墓の回りに撒いて整えていた
同じ砂で家の入口あたりに山を作って先祖を迎えていた
つまり、いわゆるスナモリです。
今は河川の整備を国がやっているので、この風習は無くなっていますが
当時から続く旧家はスナモリを作っていました。
これと全く同じ事を今もやっている集落が三浦半島にあります。
砂は海岸のものですが。
ちなみにどちらも民俗調査ではスナモリをやっていないことになっているエリアなのも面白い所。