【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌【その五】

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1牛鍋蝸牛
地名を聞いてもいまいちピンとこない札幌市の地名をあげましょう。
知名度ゼロ、名所ゼロの土地へ実地調査へ行き、見所を見つける良スレです。

過去ログはこちらから…。

http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/

      Special thanks!! Mr.161
2なまら名無し:2002/11/18(月) 23:00 ID:KWnxqvkQ [ f-kanagawa-161132.zero.ad.jp ]
これからも沢山マイナーな地名を挙げてください。
3ひりき@コテハン決定:2002/11/18(月) 23:56 ID:BF/phkS2 [ YahooBB219041028037.bbtec.net ]
スレ立て乙です!

>あみさん、遙香さん
話が膨らんできましたが、なるほどそういう通称があったんですか。
明日、現地調査してこようかと。

>菊水上町さん
前の職場が上町でした(関係ないか・・・)
それにしても、思ったより最近の事のようなのでちょっとオドロキです。
昔の写真、俺も見てみたいな〜。
個人的には札幌オリンピック前後の札幌の街並みを見てみたいっす。
4遥香@風邪:2002/11/19(火) 09:53 ID:lN6H8n92 [ g034024.ppp.asahi-net.or.jp ]
>3 ひりきさん:
 ファクトリーの「札幌市写真ライブラリー」(名前うろ覚えなので間違って
いたらすみません)に、昔の札幌の写真が展示されていますよ。
 前は、飾ってある写真の他にも、パソコンで画像検索したら画面でいろいろ
見られたんですが、今はどうかな〜?

 地名と微妙に関係ないので下げときます。
5ひりき:2002/11/19(火) 15:21 ID:19qaEg86 [ YahooBB219041028037.bbtec.net ]
まだ前スレのほうがよかったのかな?

>遙香さん
ファクトリーのライブラリーは1度だけ行った事があります。
時間が無かったので、PCは見れませんでした〜。

さて、先ほど12号線を走ってみましたが、信号の表記には、やはり「中央」と「白石中央」の両方がありました。
そして、今まで気にしなかったのですが、「本通」と「白石本通」の表記もあるんですね。
どうして使い分けているのかな・・・?
6牛鍋蝸牛:2002/11/21(木) 21:29 ID:14lyHZ.I [ N023034.ppp.dion.ne.jp ]
うっかりしてました。
さっきパソコンまわりの掃除をしていたら、ある本が出てきました。
先日、図書館から数冊借りていたうちの一冊、「さっぽろ文庫 1 札幌地名考」。
すっかり忘れていたよ!
早速、「白石中央」関係を調べましたら、「中央西」「中央東」の"連名"で載ってました。
「中央地区は、旧千歳線が上白石地区との境界、横町との境界は小野田商店前通り、本通とは白石駅前、北郷とは白いし中央病院前で接していた。行政上での中央西・中央東という区分けはないが、戦後の昭和二十三年(1948)に婦人団体が糸口となって、旧白石墓地や役場のあった台地上を中央東、低地部を中央西と呼ぶようになった。中央西は四十五年(1970)から条丁目表示となった」
「柏山」についても。
「白石神社の東方に小高い丘があり、柏の木が繁っていた。人々はその丘を明治三十年(1897)ごろから柏山と呼んでいた。昭和三十四年(1959)から、町内会名から山をとり柏町内会として使っている」(要約文)
7あみ@神奈川県民:2002/11/21(木) 23:11 ID:uDXfyqCw [ i089098.ap.plala.or.jp ]
>牛鍋蝸牛さん
私の疑問はさっぽろ文庫をよめば結構わかるんですね。もっと東札幌図書館
利用すればよかったなぁ。
ところで、もう東区「豊畑」の話題はでましたか?地名の由来とかよりも
私は「新豊畑団地」という存在が気になります。なぜそこに団地が?

>ひりきさん
バス停はみんな「白石本通」になっていますよー。
8遥香@病み上がり:2002/11/21(木) 23:25 ID:kaoyTFb6 [ g034025.ppp.asahi-net.or.jp ]
>5 ひりきさん:
 信号の表記は決して住所を表していない、という罠もありますからねぇ。
どのあたりに「白石中央」あるのでしょうか?「白石本通」も気になるので、
週末実家方面へ走る時に見てみようかな?

>>6 牛鍋蝸牛さん:
 やっぱ「札幌地名考」見ました?私もそこから引っ張りました。
 ちなみに、私と同じ地図をお持ちのような気がするのですが…。「地図で
見る札幌の変遷」5枚組のです。

 「北柏山」について、
平和通りを走られたことのある方はお分かりかもしれませんが、微妙にアッ
プダウンがあるんですよね。
 お手元に札幌の地図がある方、できたら開いてみて下さい。スタートは、
平和通りと環状線の交差点(平和通1(<南北は省略))。
 ここからまず坂を上がります。しばらく平坦なのですが、白石中の島通り
(3−4丁目)を過ぎると下りになり、横山製粉の交差点(5−6丁目)が
谷底。また登りになり、白石郵便局交差点(7−8丁目)で登り切ると、今
度は緩い下りになります。
 この先あまり走っていないのでうろ覚えですが(すみません)、本通小
(9丁目南)から登りになり、11丁目あたりでいったん起伏は落ち着きま
すが、月寒川(14−15丁目)へ向かって下りになり、川を越えるとまた
登りになります。
 この頂点は17丁目のセブンイレブンのあたりでしょうか。
 恐らく、明治期だと視界を遮る人工物が少ないでしょうから、柏山と称さ
れるあたりが丘になっている様子が見渡せたのでしょう。
 バス停に「北」がつくのは、北の端にあることと、終点だからかな?なん
て思っています。
 長文すみませんが、何かのヒントになれば…。
9菊水上町:2002/11/22(金) 00:32 ID:UKYjCX.. [ h159.p185.iij4u.or.jp ]
>>1さんスレ立て乙でしたー。
スレも5本目になりましたが、新たな地名・名所デビューはあるべかな。

>>3
オリンピックの前と後では街の雰囲気も随分違うんでしょうね。
苗穂や円山公園、麻生まで延びてた市電の勇姿も(動画で)観たいなぁ…
10牛鍋蝸牛:2002/11/22(金) 01:18 ID:9u7DWIW6 [ N023034.ppp.dion.ne.jp ]
ひりきさん。遅くなりましたが、コテハン決定おめでとうございます。
あみさん。「豊畑」は、「その壱」の「幻の雁来町」研究のとき、チラチラと出てきました。
ただ、「新〜団地」というのは初耳です。
「団地」シリーズとは言ってはなんですが、「その参」でワシが一人淋しくやった(w、「西茨戸」には「北商団地」というレトロな看板がありました。
あれはなんなのだろう?
>>8
遥香さん。
>ちなみに、私と同じ地図をお持ちのような気がするのですが…。「地図で見る札幌の変遷」5枚組のです。
ロン!!
でもあれ、一枚々々がデカイから、広げたり畳んだりが大変だよね。腕がだるくなる〜。
さて、前スレの297 で書きました、
>「白石遊郭」の後地を地図で探していて、な〜るほどと思ったことがありました。
…のことですが、皆さんも地図見てみるといいですよ。
現在の「菊水二条一丁目」「同二丁目」から「菊水五条1丁目」「同2丁目」の辺り…。
確かに昔、ここに遊郭街があったんだなぁ〜…と分かると思います。(ちょっと感動した)
答えがわかった人はレスしてね。
正解者に、"牛鍋蝸牛のサイン入りおしゃれ小鉢"プレゼントします。(嘘)
その前スレ「その四」も満杯になりましたので、アルバムへのリンク修正作業をしなければいけませんな…(鬱
161さん、その節はまたよろしく。
レス、取り留めなくって、ごめんなさいよ。
11161:2002/11/22(金) 10:20 ID:7Lk/JmoQ [ m080003.ap.plala.or.jp ]
おっ。久々に来てみたら、思ったとおり一気に進んでてその五まで行ってるじゃないか!
ということで、その四の方のログをうpしました。
ええと、画像のリンクはまだですね(w
ちなみに、一部の発言を透明あぼ〜んしているので、ご了承くださいませ。

ところで、白石本通とか中央の話題ですが、実は結構近所だったりします。
東北通りと栄通りの話題のときも、結構楽しくROMしてました。
あーっと、あの辺りのログもう一度読んでみようかなあ。
どこだっけ…

と簡単に調べられる、現在ログ整理を順調に進めております。多分。

ようやく休みも取れてきたし、湯ノ沢調査のときは見事に失敗したから、今度こそどっか
本格的に調べてみようかなあ。
12遥香@病み上がり:2002/11/22(金) 21:37 ID:W5WvigNU [ i232101.ppp.asahi-net.or.jp ]
>10 牛鍋蝸牛さん:
 やはり同じ地図だったんですね!大正5年あたりだと、今は聞かれなくなった
地名も多くて、見ていて楽しいですよね。
 で、「白石遊郭」ですが、私が以前住んでいたマンションが、もろ遊郭の跡地
でした。今でいうと菊水2条1丁目のサッポロデザインセンター(旧メブラ21)
の裏手で、確か「太田楼」の跡だったと思います。
 遊郭のあった場所は、地図をよーく見ると判ります。中通りが本通り(大門通)
を挟んで「囲む」ように延びています。どうでしょうか?
 もっと詳しく書いた方がいいかな?
13牛鍋蝸牛:2002/11/22(金) 22:24 ID:ThPvs2GY [ E168216.ppp.dion.ne.jp ]
遥香さん、正解。
皆さんに画像、見てもらいましょう。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=426
真中の「大門通」を囲むように道が形成されています。
元々が、りんご畑だったところですから、遊郭用に区画されたということがよく分かって興味深いです。
他に札幌で、こういう区画の所ってあるのでしょうか?
「薄野遊郭」が大正九年(1920)に移転したのが、「白石遊郭」。
「薄野遊郭」自体は、例の「御用火事」の「岩村判官」が、無頼の土地であった札幌に男たちを定住させようとして作ったものです。
それがいろいろな理由と社会情勢から、現在の「菊水」の土地に移転してきたそうで…。
そこらの事情を語らせると、また長いぞよ〜(w
ttp://layla.fc2web.com/sapporo_index-02.html
の044に「白石遊郭」の当時の姿が…。
14道都大おにいちゃんがんばれ:2002/11/22(金) 22:32 ID:ELyLDefE [ V104114.ppp.dion.ne.jp ]
>>12
「太田楼」、後の「松竹楼」ですね。
15道都大おにいちゃんがんばれ:2002/11/22(金) 22:41 ID:ELyLDefE [ V104114.ppp.dion.ne.jp ]
>>13
「薄野遊郭」の跡は、現在の地図上でもはっきりとわかります。
それは、南4条西3、4丁目の中通り(ロビンソンの裏の通り、
36号線から南に1本目)と南5条西3、4丁目の中通り(36
号線から南に3本目)の通りが旧遊郭の部分だけ、少し南にずれ
ています。私の下手な日本語では分からないかもしれません。す
いません。
16あみ:2002/11/23(土) 00:12 ID:wvkvDaU6 [ m024016.ap.plala.or.jp ]
>>8遥香さん
「北柏山」の件ありがとうございます。あの辺も起伏あるんですね。

>>10 牛鍋蝸牛さん
地図見ましたが「北商団地」ありましたね。何なんでしょうね。「北商」って?
どこかの会社かなぁ。篠路には駅から距離のある「篠路駅前団地」なんてのも
ありますよ。ご存知かとは思いますが。

>>15 道都大おにいちゃんがんばれさん
地図見てみました。よくわかりましたよー。
17ひりき:2002/11/23(土) 00:27 ID:uRisS6lg [ YahooBB219041028040.bbtec.net ]
ようやく新スレも活気付いてきましたね〜。

>あみさん
バス停はそうなんですか〜。
なにせ車でしか通らないもんで・・・。

>遙香さん
「白石中央」の表記は、12号を江別方面に向かって走っているとあるのですが、
1番わかりやすいと思うのは、12号と行啓通りの交差点(7-11のある所)で、ここは1つの交差点で「中央」と「白石中央」の両方が
楽しめます。
さらに、環状を超えると左側は「白石本通」なのに、右側は「本通」の表記になっています。

>菊水上町さん
激しく同意!
写真はあっても動画はなかなか見られないですよね〜。
UHBで週一?でやってる「DAYS」という5分間番組は、昔の北海道の映像が楽しめるのですが、なにせ5分なので・・・。

>牛鍋蝸牛さん
というわけで、コテハンきまりましたので今後とも宜しくです。
18牛鍋蝸牛:2002/11/23(土) 22:10 ID:brjr2sd2 [ y068038.ppp.dion.ne.jp ]
世の中にはいろいろなことに詳しい人がいたりします。道都大おにいちゃんがんばれさんは、やたら廓関係にお詳しい…。
当時の妓楼の場所は
ttp://www.city.sapporo.jp/shiroishi/rekishi/pdf/reki54_55.pdf
に出ていますね。
遥香さん、「太田楼」ありますねぇ。
んで、これが、「松竹楼」となったと…。
ねぇ、道都大おにいちゃんがんばれさん、何でそんなこと知っているの?(w
「白石遊郭」の最寄の橋である「南一条橋」(現・一条橋)は、大正十二年6月に架けられたそうです。
それまで、遊郭の客は、「豊平橋」か「東橋」で迂回してくるしかなかったので、遊郭と地元有志が寄付金を出したとのこと。
(さっぽろ文庫 37 札幌事件簿)
さて、一旦、目を「薄野遊郭」に転じることにいたします。
この「薄野遊郭」、日本で初めての「官営遊郭」、というとっても珍しい存在。
そしてそして、開拓地自ら「東京楼」なる"御用女郎屋"まで建てたというから、お立会い!
悪乗りといえばそれまでなのだが、歳を下っての「従軍慰安婦」に先鞭を付けた、とも言えるような気もする出来事ではあります。
それはさておき、地名に行きましょ、地名にね…。
「ススキノ」という地名、住所でもない不思議な呼称。
しかも、どこからどこまでが「ススキノ」だ、という線引きもはっきりしていない場所…。
んがっ!それが今や、全国のお父さんのあこがれとなっている。
道庁の官々接待問題以降、寂れたとはいえ、その全国的な知名度は他の追従を許しません。
札幌以外の土地に住んだことのない方には分からないでしょうが、「ススキノ」は確かに、かの有名な「新宿歌舞伎町」や「吉原」とも全く違う存在なのです
その地名の由来についてはワシが幼少の砌(みぎり)、「ススキの原っぱだったから」説を死んだ母から良く聞かされたものです。
(嘘。まだ生きてる)
ま、庶民にも分かりやすい説ではありましたが、実際のところは、この場所を選んだ「薄井竜(龍)之」にちなんで、というのが通説になっております。
しかしながら、「さっぽろ文庫 37 札幌事件簿」を読み解きますと、「薄野」の中には、「藤井町」、「仲町」、「柳町」の三つの町があったそうです。
それぞれ、今の「南四条」、「南五条」、「南六条」のことを言ったようですな。
この名前も、諸般の事情から、僅か一年七ヶ月で消えていったとのこと。
ちなみに「藤井町」ってのは、当時測量をした「藤井某」が、岩村通俊判官が「薄井」の名をとってこの土地に、「薄野」と名付けたことに「ムッ」としたので、「こりゃ、まぢぃなぁ〜…」ってことで、とってつけて命名したらしい。
でも、「薄野」の元ネタとなった当の薄井氏は、自分の名前が遊郭に使われたことを面白く思っていなかったんだって。
なる程ねぇ〜。
1918丁目:2002/11/23(土) 22:50 ID:bJQaM4G2 [ SODfi-01p1-184.ppp11.odn.ad.jp ]
柳町は南6条ですかなるほど、柳湯さんは地名からだったのですね。
今日たまたま「あび」の大将とその辺りの話ししていたものでタイミング良く。
大将が若い頃、柳湯の奥、スーパー松田の奥の辺り(大概の札幌人はそこがどんな場所
か知っていますよねw)の公園湯?だとか言う銭湯にかよっていたのだと。
うちの親父は柳湯さんによく行っったと言っていた記憶がある。
その当時から柳湯の向い側の遠○さんは豪邸で有名だったと。
遠○興産は有名ですが、何代目かの子孫は三井系某不動産住宅販売会社にお勤め
だとかで、血はつながっていくんですね〜
話しが激しく脱線してますんでsage
20道都大おにいちゃんがんばれ:2002/11/24(日) 00:29 ID:RErdiwME [ y167031.ppp.dion.ne.jp ]
>>18
私は道内の遊里について調べている者です。また白石遊郭については割合
近くに住んでいるので、かすかにですが旧遊郭の建物が残っていたのを覚
えております。ちなみに「ススキノ」についての線引きは、古い資料(札
幌地理サークル編『北緯43度札幌というまち・・・』清水書院 1980
)なのですが、ススキノ観光協会の引いたガイドラインでは、南3条から7
条までの西2から6丁目、中央署と札幌市の統計範囲では、南4条から9条
まで、東西は西1から7丁目、保健所が風俗営業等取締法・施行条例をもと
にした規制区域は南4から6条、西2から5丁目だそうです。古い資料です
ので、今は若干変っているかもしれません。
21なまら名無し:2002/11/24(日) 07:54 ID:v0sEhg6Y [ EATcf-330p101.ppp15.odn.ne.jp ]
>18
さすがぎゅうさん(また誉め殺し)。メジャーな地名なので出すのを
控えていたがススキノの地名の由来(亡くなられたご母堂説だと思ってった)
とエリアはずっと気になってた。20氏のご高説とあわせ納得。
ススキノといえばいまの東急インあたりにスケート場あったんだけど
いつごろなくなったか覚えてる人いる?(かなり古い)
>20、おお『北緯43度・・・・』はわが師沼田先生の編集した名著ではないか。
灯台もと暗しであった。道都大のおにいちゃんは学生さんそれとも先生?
22道都大おにいちゃんがんばれ:2002/11/24(日) 12:04 ID:jKm7QkwU [ JJ032090.ppp.dion.ne.jp ]
>>21
私が予備校時代に教鞭をとられていた先生も『北緯43度・・』の執筆者の
中に含まれておりました。私はただの学生です(ちなみに道都大ではありま
せん)。
23牛鍋蝸牛:2002/11/24(日) 21:44 ID:kg5jN/Q6 [ N022158.ppp.dion.ne.jp ]
へぇ〜、「柳湯」ねぇ〜。
インターネットタウンページで検索したところ、確かに存在しますねぇ。なんだか、ちょっと嬉しいね、こういう発見ってさぁ…。
さてはて、ラーメン屋の「あび」に関してですが、ちょくちょくこのスレに登場します。
ワシも一昨日行って、味噌ラーメン食べてきました。
「ラーメンスレでもないのに…」、って思っている方々も多いと思いますが、18丁目さんは詳しくは語られないけど、かなり前から「あび」には行っていらしているらしい。("あび"のマスター氏 談)
奇遇ですなぁ。
で、このスレが登場してからは、尚頻繁にご来店されているようです。幸か不幸か、まだ一度もご尊顔を拝しておりませんが…(w
啓タさんご一家とも、この店でお会いしました。で、最近もご利用いただきましてありがとうございます(w
それと、マスター氏の話によりますと、「あび」と取引のあるメーカーの課長さんも歴史関係がお好きらしく、且つこのスレのファンでいらっしゃるとのことです。課長、見てます?
閑話休題。
「北緯43度…」って、今はもう手に入らない本なのかな?
一度見てみたいなぁ。
道都大おにいちゃんがんばれさん(長いなぁ〜)、持っていらっしゃるので?
そうそう、ワシは最近思っています。
出来る事なら、「新札幌市史」を全巻揃えたいな〜、ってね。
ま、図書館にもあるけど、自分の物としてゆっくり読みたいものですな。
ま、そんな訳で、何だか妙に人恋しい初冬の夜ではありました…。
24道都大おにいちゃんがんばれ改め大門通:2002/11/24(日) 22:51 ID:ybcIqDGc [ JJ032022.ppp.dion.ne.jp ]
>>23
『北緯43度・・』ですが、私の高校の図書館を管理していた先生に頼んで、頂いて
きました(誰も利用する人がいない図書館だったので)。今ネットで調べたところによ
ると、JR琴似駅近くの共立書院という古書店で千円で販売されていました。私も新
札幌市史欲しいですねぇ。やはり手元にないと不便ですね。いま揃えようかどうしよ
うか考え初めてしまっております。8万くらいかかるのはちょっとキツイですね。あと
さっぽろ文庫をすべて揃えようとしています。
25啓タ:2002/11/25(月) 07:55 ID:nz9E9yHw [ EATcf-327p107.ppp15.odn.ne.jp ]
『北緯43度・・・』このスレで最初に紹介した者としてひとこと。
マイナーな書ではありますが、札幌のすみからすみまでを自然、人文にわたって
わかりやすく紹介してありこれから札幌の地理を志す人には一冊手元において
おきたい入門書。
私が持っているのは初版本で昭和55年8月の発行で、2500円。
その後改訂版がでたかどうかは不明。
市内の公立、私立高校の地理教師31人による執筆です。
きっとみなさんの出身高校の地理の先生もいるかもしれません。
なお「すすきの」の執筆担当は当時南高にいた遠田という先生になってます。
ああぎゅうさん、御用火事のことも9ページにかこみで記述されてますが
ぎゅうさんのほうが詳しい。この意図的火事でさっぽろの消防の基礎もできたんですね。
(いかによく読んでないか・・・反省)
26なまら名無し:2002/11/25(月) 09:48 ID:Hj0RDfak [ sapporokita4-218.ppp-1.dion.ne.jp ]
またまた合いの手だけでスンマソン(土木業界は追い込みなもので・・・)

私も常連まではいかずとも「あび」ファンの一人でして
月2〜3で通っています。閉店しなくて良かったですよね。その後もどうやら順調そうだし

遊郭がらみかも知れませんが
私の父方の祖父の母方の実家が「いく代」という料亭を経営していて
清華亭や偕楽亭を一次借り受けていて大いにひんしゅくを買ったらしいのです
父が詳しいのでいずれ取材してUPしたいと思っております。

お風呂屋さんといえば、その「いく代」の並びにレンガ造りの銭湯ありましたよね
あれって何湯でしたっけ
建物的には好きだったんですけど

あ すいません自分でも調べます
27牛鍋蝸牛:2002/11/25(月) 22:47 ID:BdPHqrQw [ E168042.ppp.dion.ne.jp ]
ええっとですね、あちこちのレスにご返答しなければならないので、とっちらかってしまいますが、ご勘弁願いたい…。
まずは、「道都大おにいちゃんがんばれ改め大門通」さん。
いや、恐縮です。
ワシが「長いなぁ〜」なんて書いたもんだから(w
(でもね、きっとHN変えるだろうなぁ〜、と思っていた)
「大門通」さんのほうがワシとしては、好きだな!
ところで、「大門」って、「おおもん」と言うのが正式らしいけど、「かつて道都大おにいちゃんがんばれ、と呼ばれた男」さんとしてはどうなのでしょう?
「おおもん」か、「だいもん」か。どっちなのでしょう?
さてはて、「さっぽろ文庫」を全巻揃えるというのは、なかなかのチャレンジャーですなぁ。
確か、18丁目さんが昔、お小遣いで、"かなり"揃えたと言ってらっしゃいました(ハズ)。
でも、全巻となると100巻ですぞ!
ワシとしては、「新札幌市史」全巻のほうが、お手ごろに思えます。
ま、どっちも欲しいなぁ。
そ、「共立書院」の「北緯43度…」はワシが買いますので、誰も買わないように。
次、啓タさん。
>この意図的火事でさっぽろの消防の基礎もできたんですね。
そうなんです。
それも書こうと思っていたんですが、書きそびれました。
で、ワシの思惑としては、「札幌の消防隊」の話から、むりくり「円山村」へ持っていこうと、そういう「魂胆」だったんです、実は…。
でもね、皆さんのレスに幾ばくかのご返答をしたいと思って、あっちのこと、そっちのこと…、あの日のこと、この日のことを書いているうちに、自分が最初になにを書きたかったのかを忘れてしまうのですヨ、オホホ。
でもって、新川番地さん。
追い込み、ごくろうさんです!
「あび」に通われているとな。
これまた奇遇ですなぁ〜。
これでいよいよ、「あび」は地名研究のメッカとなるわけですな。(ちなみにマスター氏は、「迷惑だ…」と言って笑っています)
そのうちにお会いすることもあるかもね。(そうだ…! 内緒ですが、あれでもまだ毎月赤字なんです。利用してやってね!)
「清華亭」ってこれですね。
ttp://flutyvoice.hp.infoseek.co.jp/seikatei/seikatei.html
でも、「偕楽亭」ってぇ〜のは中華料理の店しかネット検索に引っかからなかったなぁ。
う〜ん…。ま、今日のところはこれで勘弁してやる。
2818丁目:2002/11/26(火) 00:27 ID:XsSi6f1. [ SODfi-02p1-160.ppp11.odn.ad.jp ]
牛鍋さん
うーん私はさっぽろ文庫「第87巻すすきの」しか持っていませんが?(w
新川番地さん
月2〜3回だと立派な常連さんじゃないですか(w
牛鍋さんが言うと、私2日に一回位で行ってるように聞こえますが、年間十数回
ってなペースです。確かにここんとこ良く行ってはいますが。
・・・と書き込みながらさっぽろ文庫読んでいたら、あったあったあびの大将の
言っていた公園湯が!
そういえば本といえば、先週土曜日、北大の近くの古書店で、語りつごう戦争の体験(
札幌市白石区老人クラブ連合会発行)なる本を入手した。
なるほど江別の王子航空機事務所(現王子製紙)でも空襲で(しかもロケット弾直撃)
で亡くなった方居るんですね。札幌村丘珠飛行場ももちろん空襲を受けていて、面白いことに
以前このスレで牛鍋さんが囮の木製飛行機のこと語っているところに、私が合いの手で王子
の木製飛行機の事を話したのと同様の流れの話題がありました。
29牛鍋蝸牛:2002/11/26(火) 04:00 ID:xSMHxnyQ [ B136215.ppp.dion.ne.jp ]
>>28
>うーん私はさっぽろ文庫「第87巻すすきの」しか持っていませんが?(w
ありゃりゃ!? 誰かと勘違いしているかぁ…。
と過去ログ検索してみたら、「本籍水車町」さんだった!(「その弐」の84)
こりゃ、失礼いたしました。(本籍水車町さん、元気かな?)
そうそう、空襲の話も「新琴似」を調べていたとき、ついでに引っかかってきました。
そのときは書きませんでしたけど。
何しろ、平素話が脱線気味のワシですので、なるべく本筋からは外れないように"は"しているんですわ。
ところで、「公園湯」って何か由緒のある風呂屋さんなのかな?
30牛鍋蝸牛:2002/11/26(火) 22:21 ID:sK2zGTVQ [ N043157.ppp.dion.ne.jp ]
ちょうど今、手元にあります「さっぽろ文庫 37 札幌事件簿」にも空襲のことが出ていました。
「昭和二十年(1945)7月15日 札幌空襲 札幌村で死者、負傷者各一名」によりますと、
札幌での空襲場所は三地点。
1 札幌村丘珠飛行場および周辺
2 白石村国鉄白石駅付近
3 手稲村国鉄軽川駅付近
そう言えば札幌ではないのだけど、うちの死んだ母(嘘。生きている)もどこだかで機銃掃射を受けた、とか言っていたな…。
あ、大門通さん。
「豊平」に「廓」ちゅ〜もんはあったのでしょうか?
先日、「あび」のマスターが言っていたのです。
「今もエロ映画館がある…」と言っていたのですが、なんだかうやむやのうちに他の話になった。
明日か明後日「あび」に行くけど、裏を取っておきたい。
豊平区発刊の、良い子の「豊平区の歴史」には出ていないようです。
31なまら名無し:2002/11/26(火) 22:32 ID:MnXLFV16 [ J025227.ppp.dion.ne.jp ]
菊水の地名由来ですが
今の二丁目までは札幌市白石○条○丁目と言っていました。
条は今と同じですが、丁目は細かく三丁目までありました。
大門通りの両側が二丁目。
それが昭和二十五年に白石村と合併した際に郵便が混乱するということで、
旧札幌市白石を菊水西町と北町に、
旧白石村上白石を菊水南町、東町、上町、元町に、
その他の旧白石村を白石町○○としたそうです。
余談ですが、豊平の国道の両側は昔は豊平三条でした。
3231:2002/11/26(火) 22:45 ID:oHn.qs0Q [ J008153.ppp.dion.ne.jp ]
札幌市と白石村の合併は昭和二十五年じゃなかったかもしれません。
また、札幌市白石→菊水の地名変更はもっと後かもしれません。

>>30
遊廓は現在の菊水の大門通りの両側でした。
映画館は大門シネマのことだと思います。
昔の人の感覚だと白石区菊水と豊平区豊平は区別が付きにくいかもしれません。
一緒にして川向こうと呼ばれていましたから。
33大門通:2002/11/26(火) 23:07 ID:hctI.lAg [ y167195.ppp.dion.ne.jp ]
>>牛鍋蝸牛さん
札幌に限らず遊郭の入り口は、正式には大門(おおもん)と呼ばれているようです。しか
し私の知る限りでは年配者でも大門通を「おおもんどうり」とよんでいる人はいな
かったです。しかし東京の吉原場合ですと、「おおもん」と呼ばれているらしいです。
どちらが正しいかという事は分からないですねぇ(笑)。あとエロ映画館に関してですが
ピンク上映館という事から判断すると、大門シネマという映画館が昭和55年まで豊平に
ありました。それが豊平にあった最後の映画館で、最後までピンク映画を上映していたの
でマスターはそこの事を言っておられるのか、それか最近まであったJR白石駅近くに
あった白石劇場の事をおっしゃっているのかと思います。豊平の「廓」のことですが、公
娼制度下で札幌市内に設けられた廓は「薄野遊郭」と「札幌(白石)遊郭」しかありませ
んので、豊平で売春していたのは、戦後の用語でいえば青線やちょんの間もしくは朝鮮バ
ーといった非合法の売春施設しかありません。ソープランドは1980年代に入っても豊
平区内に存在していたようです。ちなみに私は北海道をロケ地とした映画についても研究
しているのですが、古い時代の札幌が見れる映画として黒沢明監督の「白痴」が結構いい
です。
34牛鍋蝸牛:2002/11/26(火) 23:13 ID:sK2zGTVQ [ N043157.ppp.dion.ne.jp ]
>>32さん。
「札幌郡白石村」が「札幌市」に編入になったのは、昭和25年5月27日で間違いありません。
「菊水」と改称されたのは、
ttp://www.city.sapporo.jp/shiroishi/rekishi/pdf/reki38_39.pdf
にありますように、昭和29年のことだそうです。
ええとねぇ、「菊水」の「白石遊郭」の話をしていて「あび」のマスターが言い出したのだから、「豊平」と「菊水」を混同しているとは思えないのですが…。
それにあの人は空知地方の出身ではありますが、遥か昔札幌へ来てからはずっと白石に住んでいたのだ。
ま、明日でも行って確認してみますわ。
話は変わるけど、ここんとこ実地調査をサボり気味なので、反省してます。
先日、デジカメ(SONYのサイバーショット)関係の充実を図るため、メモリースティック(64MB)を新規購入しました。
これで、64MB2枚と8MB1枚、インフォリチウムバッテリー2個のラインナップとなり、もう、バチバチ写真撮り捲くれる環境になったのです。
これで実地調査しなきゃ嘘だよなぁ〜。
さて、どこ行こう?
「湯ノ沢」? 寒そうだなぁ〜(w
そうだね、「白石遊郭」の面影なんかあれば面白いね。
でも、今思い浮かべられる限りのあの辺りの印象としては、今はもう難しいかも。
ま、「現場百篇」、「犯人は現場に戻る」、「真心の現場主義」だ!
がんばろう!
と書いたところで大門通さんからのレス。
今、返事書きます。
35牛鍋蝸牛:2002/11/26(火) 23:52 ID:sK2zGTVQ [ N043157.ppp.dion.ne.jp ]
大門通さんへ。
「吉原」のは間違いなく、「おおもん」ですね。
(東京は足立区に、9年ちょっと住んでいました。「吉原」で「大門」を振り返ってみたことあり)
「さっぽろ文庫 37 札幌事件簿 大正九年(1920)11月1日 遊郭白石に移転 活路模索の薄野」に、
「地元の人は、旧遊郭の目貫通りをいまでも大門(だいもん)通と呼んでいる。街角に掲示してある住居表示図も依然として大門通だ。歌舞伎十八番『助六由縁江戸桜』や樋口一葉の『にごりえ』にまつまでもなく正しくは"おおもん"なのだが」とあります。
でも、「おおもん」とうちのPCに入力しても、「大門」とはなりません(w
単語登録っと…。
>ソープランドは1980年代に入っても豊平区内に存在していたようです。
へぇ〜。「豊平」にそんなものがあったんですねぇ。
ま、先に書きましたが、なにはともあれ明日行って再度聞いてきます。(予定)
「琴似」の古本屋にも行かなければならない。いっそがしいなぁ。
年賀状、誰か代わりにやってよ〜。
36大門通:2002/11/27(水) 00:18 ID:Mbi7H0JM [ y167195.ppp.dion.ne.jp ]
>>牛鍋蝸牛さん
古本屋の件ですが、店頭には出ていないと思いまで、以下のアドレスで検索の上
注文して、取りに行かれた方がいいとおもいます。ネット上の目録の場合、店頭に
並んでいないという点が、一応心配だったもので。
http://www.kosho.or.jp/servlet/bookselect.Kihon
37発寒1条1丁目:2002/11/27(水) 00:23 ID:pvC.if7I [ SODfa-01p4-168.ppp11.odn.ad.jp ]
お久しぶりでございます。
白石遊郭の話が出てまいりましたね。
白石遊郭に関してはずーっとどこにあったのか解らないままで、
個人的に疑問のままだったのですが、
このスレに出会ってからさっぽろ文庫などを久々に読んだり、
各区役所のHPなどをもみておりました。
そんなこんなで場所が解ったので2ヶ月ほど前に「栄通」に行くついでに
白石遊郭の面影を探しにうろうろしていた次第です。
個人的には本通り4丁目付近に在ったのだろうと勝手に思いこんでいたのですが、
へぇーここだったのかとようやく長年の疑問が晴れたのであります。
で、現状についてですが、大門通り(菊水西町の歩道橋の架かる通りですね)と東側の通りは見る影もありません。
西側の通りはまだ現存する建物もあり、営業しているかどうかは解らなかったのですが、
昔の歓楽街を忍ばせる看板を掲げている店?も少々あります。
一種のテーマパーク感はなんとか味わえます。
それから、奇妙なお店が1軒あります。
骨董品屋なのか雑品屋というかとにかくすごいです。
ほとんどゴミを売ってるとしか思えないのですが、一見の価値ありです。

>>26さん
清華亭の近所に住んで居るのですが、偕楽亭というのが私もよく分かりません。
同じ物なのでしょうか?
「清華亭」に関してはさっぽろ文庫にもあります。
「いく代」についても記述されていたはずです。
現在手元にないので、今度読み返してみようと思います。
銭湯も今は在りません。いつごろまであったのでしょうか?
偕楽園公園も一昨年整備され、きれいになりました。
38大門通:2002/11/27(水) 00:40 ID:Mbi7H0JM [ y167195.ppp.dion.ne.jp ]
発寒1条1丁目さんへ
旧白石遊郭の建物は、旧千代田楼の建物の解体を最後に現存していないはずですが・・。
明日転記がよければ確認にいってみたいと思います。
39発寒1条1丁目:2002/11/27(水) 01:07 ID:pvC.if7I [ SODfa-01p4-168.ppp11.odn.ad.jp ]
大門通さんへ
うーん、そーつっこまれると弱いです。
それなりの規模の建物が残っていたようなので、
てっきりそー思ってました。
白石区のHPに昔の航空写真があるので、
暇を見つけて、見比べてみます。
4018丁目:2002/11/27(水) 01:19 ID:SxO4PhjQ [ SODfi-01p3-239.ppp11.odn.ad.jp ]
大門通様
ここにまた、あなたのような強力なシンクタンクを迎えることが出来、大変嬉しい限りです。
以前も似たようなこと書いた記憶ありますが、地名探りは表向きの資料に出てきづらい地名
の謂われを探っているときが、一番面白いですね。
ここんところ板をにぎわしている、赤線地帯であれば地図で特定もできますが、それが青線
ともなると、実際当時を知っている人の感覚を聞き取らなければわからないでしょう。
豊平のソープといえば、つい最近まで(80年代?)豊平川沿いに巨大なソープ(トルコ?)
の看板があったことを記憶しています。
吉原懐かしい!(私は利用したことないが)昔吉原の出口あたりに得意先がありまして、
そこに行くには、山手線鶯谷で下車して、タクシーで吉原を通り通ったものです。

なんか一挙にいろいろなキーワードが出現して、忙しくなってきましたね。
出来れば、なんでもいいからその一つ一つに、新たな情報が得られると嬉しいですよね。
41大門通:2002/11/27(水) 01:30 ID:Mbi7H0JM [ y167195.ppp.dion.ne.jp ]
>>18丁目さん
そのように言っていただけて光栄です。ありがとうございます。
39において、「旧千代田楼の建物の解体を最後に現存していないはずですが・・」
と書いてしまったようですが、各文献で建物の名前が異なっておりました。
http://www.city.sapporo.jp/shiroishi/rekishi/pdf/reki54_55.pdf
の航空写真において松島楼と書いてあるのが、最後までほぼ昔の姿のまま
現存していた建物です。開設当時は一福楼でした。おそらく上記のURL
は谷川美津枝著『ものいわぬ娼婦たち』みやま書房1984年を参考にし
ていると思われます。
42牛鍋蝸牛:2002/11/27(水) 23:51 ID:92Kc/was [ N023180.ppp.dion.ne.jp ]
行ってまいりました、「白石遊郭跡」と「あび跡」…。
あっ、「あび」はまだ潰れていませんでした。
マスターの言った「豊平の遊郭」とは皆さんのおっしゃるとおり、そのまま「白石遊郭」のことで、エロ映画館ってのもそのとおりで、「大門シネマ」のことでした。
前回、ワシは「菊水の白石遊郭」と彼に話したのですが、彼はそれと自分の知っていた「豊平の遊郭」というのが同じものと思わなかったらしい。
え〜、おさがわせいたしました。
「白石遊郭」ですが、>>37 で発寒1条1丁目さんが言っておられますが、見所はやはり西側の裏通ですな。
今ならまだ、味わい深いお店なんぞが残っています。
ま、女郎屋さんの建物は残っていませんが、"香り"程度は感じられると思います。
写真撮ってきましたが、このところの寒さのせいか、取り出したデジカメの1個目のバッテリーはすでに残量が僅かになっていました。
こりゃ、「湯ノ沢」のときの161さんと同じ事態だ。
でも、もう1個持っていたのでセーフ…。
しかし、手袋をした手で持ちながら連続で撮影したところ、これも規定の残時間よりもかなり早くアウトになってしまいました。
冷えちゃったんですねぇ。
デジカメは、冬はカイロなどで保温しながら撮影したほうが良いのかも知れません。
と言うことで、後から回った西側の商店街(?)の画像が撮影できませんでしたが、既出のリサイクルショップの辺りは大丈夫、撮れました。
(確かに強烈なお店でした。奥へは恐ろしくて入らなかった)
整理・削除・配列は後ほどしますが、まずはめぼしい画像をアップします。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=428
細かいレポートは明日と言うことで、じゃ、お休みなさい。
43発寒1条1丁目:2002/11/28(木) 01:46 ID:ki2VUJEI [ SODfa-01p5-226.ppp11.odn.ad.jp ]
牛鍋さん
早速の写真アップありがとうございます。
このリサイクルショップ初めて発見したとき、次回は是非写真にと思っていたのですが、
2度目に訪れたときには、店頭に店主とおぼしき人とお客がおりまして、
撮影を躊躇してしまったのです。
そのときは、ブルーシートも掛かっておらず、
いろんなグッズがぎっしり詰まっていました。

大門通りは、以前通ったときにみょうに広い通りで、R36でほとんど突き当たりとなる
不思議な通りとつい最近まで思っていた次第です。
4418丁目:2002/11/28(木) 03:23 ID:5HmV.2jo [ SODfi-01p5-148.ppp11.odn.ad.jp ]
大門通といえば、私はお焼き屋さん(名前失念)が好きで、たまに行きます。
-ある日の私の行動経路-
菊水駅降りて、藤井さんの本社に仕事で行って、そのまま北へ歩き、お焼き屋
さんでお焼き1個だけおやつで食べて、またそのまま12号線方面に向かい、国道
沿いのネッツの東橋支店で車見て、そこから苗穂にある関連会社の人に電話して
車で迎えにきてもらって、そこから南7条大橋近くのお客さんところに仕事行きました。
もちろん途中で菊亭侯の屋敷跡なんかも見ながら、ぶらり豊平川沿岸お仕事の旅でした。
45なまら名無し:2002/11/28(木) 17:45 ID:d5xwUOP6 [ sapporokita3-77.ppp-1.dion.ne.jp ]
いやー工事の検査を終えて見てみたらずいぶんと進んじゃってて
何だか言いっぱなしになってたみたいでスンマソン

快楽亭ブラック もとい偕楽亭の件ですが、僕も正直「違ったっけ?」と思って
さっぽろ文庫「豊平館・清華亭」をひっくり返してたんですが
「偕楽園内の池の畔に偕楽亭があった」ってことで偕楽亭は実在したようなのですが
斉藤さん家の「いく」さんが経営してたのはさっぽろ文庫「札幌事始」では
「幾代庵」とか書いてあって少々混乱しています
池自体はもっと西のアパートの低みだと思ってたんですが
どうなのでしょうか
「あと父方の祖父の実家」ではなく「あと父方の祖父の実家」同然の近い親戚だそうです
 で、銭湯はアーバン札幌ビルになってるのでそれが立つ何年か前なんでしょかね
そろそろ「あび」にもいかないと月2〜3ペースが崩れてしまうなー
46牛鍋蝸牛:2002/11/28(木) 18:08 ID:fliiD/1Q [ B136147.ppp.dion.ne.jp ]
では、「白石遊廓跡」(大門通界隈)のレポートを簡単(?)に…。
まずは、通過地点でもある「あび」へ。
新川番地さんのことマスターに話したら、「なに!じゃ、常連さんじゃないか!」と言って驚いていました。
「好きな人多いんだなぁ〜。…いや、うちのラーメンじゃなくって、地名のほう」
"辛みそラーメン"を食し、大汗かいてから「東7丁目通」へ戻り、南下し、現場到着。
「大門通」との交差点は、白石区や豊平区によくありがちな風景の場所です。
(この二区の豊平川近くの交差点は、どこも雰囲気が似ているようにワシには思える)
「大門通」はかなり広い道路です。
当時の写真を見ても幅員はゆったりしていますが、やはり北海道ですね。「吉原」辺りとは全然違います。
さて、「地下鉄東西線菊水駅」の真上にあるこの交差点付近でまず気が付いたことは、道行く女性たちが、いわゆる「ヤングミセス」という趣の方が多いということ。
ワシの住んでいる地区の方々とは年齢層も服装も違い、若くておしゃれな人が多いですな。
大きくてキレイなマンションが多いですからねぇ。
遥香さんがここにおられたというのもうなずける…。(イメージですがw)
「大門通」を徒歩にて北上(?)、「東門跡」へ向います。
きょろきょろ見回しては立ち止まり、いつもながらの挙動不審者ぶりを発揮しましたが、表通りにはコレと言ったものは見当たりません。
ただ、ビルとビルの間に瓦礫が転がっていたり、空地から見える東側の裏通りがやたら生活感の漂っていたり…。
「東門」の横が「菊水公園」でして、敷地内に「菊水神社」があります。
この小さな祠は、なぜかえらく高く建ててあって不思議。
この神社もススキノから移転してきたようですね。
風雨に晒されたせいか、奉納者が刻まれた石柱の字はほとんど読めません。
「白石遊廓」の遊女たちを見守ってきた神社にお参りし、倒れていた「神社で遊ばないように」と書かれたプレートを立てかけてここを後にしました。
(我ながら、すごくいい人みたいだな)
公園の奥は袋小路。
「東門」を通らなければ抜けられないようになっていますので、東側の裏通りを「西門」跡方面へ。
この一帯は車の通行もあまりなく、町工場も営業をしており、表通りである「大門通」の顔とは異なります。
年数を経た民家も何軒かが残っておりますが、それらはすべて旧遊廓とは反対側。
遊廓側には名残りと言えるようなものは一切残ってはいません。
「西門」へ近づくにつれ、おしゃれな外観の巨大なマンションが登場します。
一つの区画が比較的大きく取ってあるため、ビルを建てるのには格好の場所だったことでしょう。
さて、「豊平」との境界まで来てUターン、再び「大門通」を上へ…。
再び近代的な街となります。
囲まれた独特の区画のせいか、札幌の街の中というより他の都市へ紛れ込んだような錯覚にも陥りますなぁ。
<つづく>
4731:2002/11/28(木) 18:36 ID:.fR1d1O6 [ L017124.ppp.dion.ne.jp ]
「白石遊廓」なんですが、そう呼ばれていた期間はかなり短かったと考えます。郷土史関
係の本にはよく「正式名称は札幌遊廓であったが市民は白石遊廓と呼んだ」などの記述が
ありますが、これは薄野から移転した直後だけの話ではないでしょうか。市内に複数あれ
ば、白石遊廓、円山遊廓などの区別はするでしょうが、一箇所だけでは単に遊廓と呼ぶは
ずです。

郷土史関係は文字で書かれたものを一切疑わずに引用する場合が多いように感じます。さ
らにその際に一時的なものを恒久的なものと考えてしまったり、一部の地域だけのことを
全市内に拡大してしまったりの誤りの発生もあり得ます。本来なら後の論文は過去の史料
を比較検討し場合によっては一次史料を確認すべきですが、慎重な著者ばかりではないよ
うです。
4831:2002/11/28(木) 18:36 ID:.fR1d1O6 [ L017124.ppp.dion.ne.jp ]
それと白石ですが、これから菊水を連想するのは七十代以上の人か、政令指定後に物心着
いた世代か、その後に市外から移転して来た人だと思います。区政移行直後の新聞を図書
館などで調べればわかりますが、その時期は豊平区菊水の誤記も散見されます。菊水と豊
平は間に河川も鉄道もない地続きですが、菊水と旧札幌市白石町を隔てる旧千歳線の存在
は大きく、前二者を一まとまりと考えても、後二者を一体とは感じにくいでしょう。

そのマスターも白石ということばにつられ、旧白石町のどこかにあった遊廓と考えてしま
ったのではないかと思います。現白石区から菊水を除いたのがほぼ旧白石町です。例え住
んでいたとしてもあれだけ広い地域すべてを知ってはいなかったでしょう。
4931:2002/11/28(木) 19:03 ID:SKeA2S.A [ I009091.ppp.dion.ne.jp ]
ええと、上の二つは今朝書いて今アップしたもの。
あらためて読んでみると何を言っているかわからないし、かたっ苦しい文章だなぁ。

>>44
> もちろん途中で菊亭侯の屋敷跡なんかも見ながら、

一条橋と東橋の間ですか。もっと東側(下流側)の菊水元町の辺りだったような気がしま
す。高校のころ地域の歴史か何かで「遠足」した記憶があります。

>>46
神社は元の名は「白石稲荷」だったと思います。大門通りをさらに東に行くと商店街です
が、ここも大門通りの北側(豊平川側)の菊水銀座通りもバブルのころに店が無くなって
しまいました。

> プレートを立てかけてここを後にしました。

文章全体から「いい人感」が漂っていますよ。つづきを楽しみにしています。
50牛鍋蝸牛:2002/11/28(木) 20:01 ID:fliiD/1Q [ B136147.ppp.dion.ne.jp ]
>>47
31さんへ。
いえいえ、おっしゃりたいことはよ〜くわかりますだす。
この件に関しては、大門通さんの得意とするところだと思いますので、素人のツッコミと思うて聞いてください。
「白石遊廓」と言う呼び名では長くは呼ばれなかった、という31さんの説。
では、「札幌遊廓」という呼称は「ススキノ」時代にも使われていたのかな?という疑問が出てきます。
遊廓が札幌に一つしかなかったのは間違いないようです。
「それまでに市街に散在していた『飯盛女』の店や、それとわかる『あいまい屋』など十数軒が全部移され」(「星霜1」北海道新聞社編)たそうですので。(ま、これもそれが正しいのか?と言われちゃうと、ツライんやけど)
これは白石時代と同じです。
と言うことは31さんのおっしゃるように、「札幌遊廓」と呼ぶのが一般的だったのかな?と思うわけですが…。
えっと、後年の資料を検証なしに出すのはこの際ヤバイので(w、一次的資料として、うちにある「札幌案内」(明治三十二年 但し復刻版)を見てみましょう。
遊廓…、遊廓っと…。
あ〜、あった、あった!
「區の中央より南すること五町にして一箇の別天地あり 所謂薄野遊廓是なり 同遊廓は南四條より五條に亘西四丁目に跨れる二町四方の所にして…」と延々と続く既述です。
どうやら、「薄野遊廓」とは間違いなく呼ばれていたようすが、少なくとも「札幌遊廓」の文字はここには出てきません。
ついでに書きますが、この「遊廓」の既述は詳しく、「薄野遊廓」の成り立ちから、地名の由来も書かれています。
曰く、
「当時薄野は茫々たる茅野(今の南五條西四丁目に熊のあなありしと)なるを以って斯くは名つけしにやと想ふ人も多からんも左にはあらで時の判官どの薄井比地を相けるに因みて薄野と名けしものなりという」。
しかも、各楼閣の名前、経営者、娼妓の名前も全部記載してありまして、一等から三等に分かれている各揚げ代も記載されておりますです、ハイ。
閑話休題(話をもとにもどしましょう)。
だからと言って、「白石遊廓」に直にあてはまるということではないでしょうが、ワシとしてはやはり、「札幌遊廓」よりは「白石遊廓」のほうが、一般的な呼称であったのではないかな?と思っておるのです。
いかがでしょうや?
51牛鍋蝸牛:2002/11/28(木) 21:19 ID:fliiD/1Q [ B136147.ppp.dion.ne.jp ]
じゃ、「白石遊廓」跡の探索レポートの続き。
「大門通」を「西門」方面から東へ。
出発地点である「札幌フードセンター」を過ぎてから左へ折れ、かつて遥香さんが住まわれていたというマンション方面へ向います。
住所で言うと「菊水2条1丁目」なのですが、中通りを左へ折れると、そこにあったのが「買入販売」の大きな文字の看板の「○○商店」!!
「あ、これやがなぁ…」
実はそれまで、発寒1条1丁目さんが言っておられたこの店のことはすっかり忘れていたのですが、見たとたんに「はっ!!」と記憶が蘇りました。
ま、これ以上のコメントはしません。
実際に行ってみたほうがよろしいかと思います。
店の中にも是非入ってみてください。(ワシは入らんかった)
遥香さんもこの店のこと当然知っておられると思うのだけど、何か情報がありますでしょうか?
しかしながら、この中道は風情があります。
後で調べましたら、「菊水銀座商店街」という商店街でした。
「パチンコ機 スマートボール」の問屋さんの看板がかかっていたり、町工場と言うより鍛冶屋さんに近いお店があったり、大変興味深い場所です。
古い民家(会社名になっているが)が残っていたりして、遊廓を直接思い浮かべさせるものはありませんが、そうだったんだろうな、と思わせる風情がありますな。
さて、このあたりで寒さのせいか、デジカメのバッテリーbQがアウトになっちまいましたぜ。
デジカメも便利だが、バッテリーの問題は大きいですねぇ。
電気なんて関係なく機械的にシャッターが切れる、完全マニュアルの銀塩カメラも捨てがたいなぁ…などと思いながら北(東)方面へ歩きます。
だんだんと「商店街」らしく、というか「だったんだな」という雰囲気にはなってきました。
何しろ店がことごとく、閉まっている…。
休みなのかな?とも思ったりしますが、そうではないようです。
見ると、なにやらよくわかならいお店(失礼)がありました。
「これ○○や」。
「これまでや」ではありません(w
なんだろう?どんな店なんだろう?とちょっと窓から覗いたのですが、よくわからん…。
帰ってからの検索で次のようなお店ということがわかりました。
ttp://www.d6.dion.ne.jp/~korekara/index.html#korekaraya
怖がらずに入ればよかった(w
なにしろさっきの「○○商店」が強烈だったもんでねぇ。
この「これ○○や」さんのサイトによりますと、往年は50軒以上の店があった、白石で一番古い商店街だとのこと。
今は12軒…。
ttp://www.d6.dion.ne.jp/~korekara/korekarayakara/k20010615.html
昨日の散策(あ、調査です…)では酒屋さんと米屋さんを確認しました。
両方とも「いかにも商店」というお店で、ノスタルジックな気分にさせてもらえました。
特にお米屋さんには、もう何十年も見ていなかった、あの米屋独特の"はかり"が…
なんと言ったらいいのか、口の広がった金属の容器にお米を入れ、天秤ではかって、最後は斜めに傾けられてお米がザーッと空けられる…。
あ〜、うまく説明できない。
何はともあれここは、もう一度来なければならないところだと思ったわけです。
しかし、ここの商店街は悲しいくらいに人が歩いていない…。
一本「大門通」側の道もゴミが散乱していて、町内会がうまく機能していないような感じ。
月並みな言い方で申し訳ないのですが、若い新しい住民と古くからの人たち、新しい街と古い町の共存はなかなか難しいようですなぁ。
<おわり>
5231:2002/11/28(木) 23:03 ID:uHV6hmBY [ I011097.ppp.dion.ne.jp ]
>>50
そのマスターが何故誤解したかを考えたのが47と48です。本来はひと続きの文章ですが、
二つに分けたのは「省略されました」になると読みにくいと思ったからです。この文章も
同じ理由で二つに分けます。

47に書いたことの繰り返しになりますが、市民が日常会話で話すときは「札幌遊廓」でも
「白石遊廓」でもなく単なる「遊廓」だったんだろうということです。札幌駅も地下鉄開
通以前は単に「駅」と呼ばれていました。もちろん、苗穂や桑園、東札幌の駅のすぐ近く
に住んでいた人たちは別でしょう。
5331:2002/11/28(木) 23:04 ID:uHV6hmBY [ I011097.ppp.dion.ne.jp ]
マスターが札幌に移り住んだのは戦後だと思いますが、もしそうなら「白石」の名前から
「菊水」を連想するのは難しいと思います。区政以前は札幌市白石町○○通りという地名
で呼ばれ、上に白石町が付く地域だけを「白石」と呼んでいました。48に書いた「豊平区
菊水」も新聞記者でさえそういう思い込みがあったからと思います。

「白石」を付けずに「菊水の遊廓跡」とでも言えば、「あそこは豊平だと思っていたけど
菊水かい」という返事が返ってきたことでしょう。「白石遊廓」の「白石」で思考範囲が
限定されてしまったのだと思います。

話は変わりますが、銀座通り商店街や大門通り商店街はバブルのころの土地ブームで歯抜
けになってしまいました。それと七十年代からの人口減少の影響でしょうね。最近はマン
ションが出来てまた変わってきたのかもしれません。
54啓タ:2002/11/28(木) 23:22 ID:bXDWzvfY [ EATcf-338p41.ppp15.odn.ne.jp ]
大正8年、薄野遊郭が市街地の中心に位置してしまい、風紀上の問題から
札幌市街地から川向こうの菊水西町に移転。畑地1haを移転先に選ぶ。
翌年道路がつくられ、貸し座敷営業者に分割売却され32軒が移転。
周辺は料理屋、遊技場、小売店など急激に増加、りんご園は大歓楽街に
変貌。なお中心道路の両端(現菊水1条2丁目、菊水6条2丁目)に軟石
の門がつくられ大門通とよばれたが現在は菊水中央線とよばれる。
大正12年には南1条橋がかけられたがこれは豊平橋と東橋を迂回しないと
白石遊郭にいけない不便さがあったから。
昭和21年公娼制度が廃止。遊郭街は飲食店に姿を変えたが立地条件に乏しく
衰退。30年代一時国鉄、道庁の寮として利用されたが40年代に取り壊され、
1条〜2条付近に遊郭の姿をとどめる建物も2軒のみ(昭和55年頃)となった。
菊水公園の一隅にはおおくの女郎衆が願をかけたであろう菊水稲荷神社がある。

以上『北緯43度札幌というまち・・・』変わりゆく街並みー菊水ーより引用。
参考まで。
55啓タ:2002/11/28(木) 23:28 ID:bXDWzvfY [ EATcf-338p41.ppp15.odn.ne.jp ]
要するに薄野遊郭が菊水西町に移転して白石遊郭を設置。これが菊水西町周辺を大きく
かえたということ。札幌遊郭というのはみあたらなかったが・・・
56菊水上町:2002/11/29(金) 12:44 ID:wsC7P866 [ h141.p184.iij4u.or.jp ]
白石エリアでも屈指の賑わいを見せたという(ほんとかな?)
菊水の銀座商店街がさびれていった大きな理由の一つに、
地下鉄東西線開通もありました。

街に行く(市民特有の言い回しですね)のが手軽になってしまって、
お客さんがそっちに持ってかれたということみたいです。
地下鉄菊水駅の地下コンコース(変に長い)に商店街を作るなんていう
計画もあったみたいですよ。

銀座といえば大門通を豊平方向に進み、36号線とブチ当たった
先のあたりに「豊平銀座なんたら」みたいな名前の風情のある小路が
あった記憶があります。10年くらい前にはまだあったかなあ。
居酒屋さんみたいなのがちょろっとあった気がします。
57大門通:2002/11/29(金) 13:06 ID:h07Uw6T2 [ y161182.ppp.dion.ne.jp ]
>>56
「豊平銀座通り」ですね。
58大門通:2002/11/29(金) 13:08 ID:h07Uw6T2 [ y161182.ppp.dion.ne.jp ]
>>菊水上町さん
57は記憶違いでした。「豊平新宿通り」でした。
59牛鍋蝸牛:2002/11/29(金) 21:44 ID:aCHZaGlA [ U126215.ppp.dion.ne.jp ]
>>54
「北緯43度札幌というまち…」では、「菊水西町」と、記述がありますか…。
「菊水」という呼称になったのは(既出ですが)昭和29年のことなので、正確には「現・菊水西町」と書かれるべきだったんでしょうね。
ま、その呼び名もすでになく、今では「菊水」と名前が付くところは、「菊水」、「菊水上町」、「菊水元町」の三つ。
しかし、こう見てみますとどれも「本家」、「宗家」、「元祖」みたいなもんで、ひねくれもののワシなしなんかは、田舎の名物の商標争いを連想してしまいました(w
ま、そうは言っても、「とんなんしゃーぺー」の各々の町があったわけですから、当時はあまり目立たなかったのかも…。
さて、「北緯43度札幌というまち…」は1980年発行が初版なのでしょうか?
いや、というのも、「菊水」の「東西南北」の「町」は何年から現在の条丁目になったのかな?という疑問が涌いてきたから。
この問題に関して、ネット検索してみたのですが不明なのですわ。
図書館へ行かなきゃムリかな?
>>55 啓タさ〜ん!
「札幌遊廓」の通称が、「白石遊廓」ですよ〜。
「豊平新宿通り」ですか。
本州の田舎に行くと、あちこちに「新宿」とか「六本木」とかがありますね。
ま、「新宿」は「にいじゅく」と読むのだけどねぇ(w
60啓タ:2002/11/29(金) 22:26 ID:lKQep/RQ [ EATcf-337p153.ppp15.odn.ne.jp ]
>>59
ぎゅうさん、北緯43度・・・110ページみるよろし。
昭和40年版5万図に菊水東西南北町、上町、元町すべての記載あり。
ただし、いつごろ町名変更あったかは不明。
あびに行きマスターの指示をあおげ。
6131:2002/11/30(土) 00:17 ID:lEMQlDoA [ P144246.ppp.dion.ne.jp ]
>>56
>白石エリアでも屈指の賑わいを見せたという(ほんとかな?)

古さから言えば旧白石村にも店の数件はあっただろうし、複数あれば商店街ですからそっちのほうが古いと思います。商店街の出来たころは札幌市と白石村に別れていましたから、比較しても意味がないかもしれません。あと菊水の古い人は白石区を白石と略すことはないと思います。上白石村→白石村上白石の一部だったよりも札幌区→札幌市だった歴史のほうがはるかに長いからです。

>>51
>白石で一番古い商店街だとのこと。
それで上の部分が気になって引用のサイトに行ってみましたが、果たして「白石区で」でした。

話が戻りますが、あの商店街は魚屋、肉屋、八百屋などの食料品やちょっとした日用品を買うところです。大きな買い物は「まち」の「まるいさん」などでしました。一条橋を渡って市電で三つ目が丸井前。一条橋、屯宮前、創生橋、丸井前だったと思います。菊水駅から歩いても十五分ぐらいです。

商店街が寂れたのは地下鉄の影響よりも生協やスーパーの進出と周辺の人口減少です。大根や洗剤を買うのに地下鉄に乗る人もいないでしょう。
62なまら名無し:2002/11/30(土) 00:42 ID:WHU54ewM [ n217205.ap.plala.or.jp ]
話が全然飛びますが あしりべつ 滝ではなくて 清田区のほうに
あったんですけど どなたか ご存知でしょうか?
6318丁目:2002/11/30(土) 09:47 ID:WULvaHVk [ SODfi-01p5-171.ppp11.odn.ad.jp ]
豊平ニアイコール白石地帯では、二八小路がとても気になる。
あしりべつ=厚別ではなかったでしたっけ?(調べず答えています)
6431:2002/11/30(土) 10:24 ID:JKy5w5AM [ P145129.ppp.dion.ne.jp ]
6531:2002/11/30(土) 10:27 ID:JKy5w5AM [ P145129.ppp.dion.ne.jp ]
>>63
豊平の八ニ公設なら聞いたことがあるけど、それと別ですか。
6618丁目:2002/11/30(土) 10:37 ID:aow6IXcc [ SODfi-01p1-194.ppp11.odn.ad.jp ]
>>65
間違いました二八ではなく八二でした、すみません。
あいさつで始まるふれあいのまち
67菊水上町:2002/11/30(土) 13:10 ID:PY6pmE9. [ h141.p184.iij4u.or.jp ]
>銀座・新宿
そうでした豊平新宿通りでした。風情あったなぁ
菊水銀座商店街の生鮮食品店は母親もたまに利用していました。
大門通にあった、菊水の生協もなくなっちゃいましたね。

20年近く前、あのあたり(大門通・レンタル屋の位置)に
「アルファイオン健康センター」という名前の浴場があり常用して
いたのですが、あれ(お風呂)って遊郭の名残だったのかなぁ

>八二
当該エリアの大地主にヤブさんという名前の方がいて、
それにちなんだ名前だったと記憶しております。
それを知るまではハチニと読んでいました…
6831:2002/11/30(土) 14:16 ID:QnSedYOs [ P149059.ppp.dion.ne.jp ]
>>66
豊平に八ニ館という映画館があったそうです。子供のころ「はちにかん」や「はちにこう
せつ」の名前を聞いた覚えがあります。昔の番地から付けたと思ってました。

>>60
白石○条○丁目→菊水○町のあと再び菊水○条○丁目になったのは、昭和46年ごろと記
憶しています。はずれたらごめんなさい。以前札幌市白石と呼ばれていた時代と今の菊水
とで丁目が違っていると書きましたが、以下のサイトの引用を見ると違いは丁目だけでは
なく、白石は10条まであります。

http://www2.tky.3web.ne.jp/~miyamori/index.html ←トップ
http://www2.tky.3web.ne.jp/~miyamori/teikoku.html

あと、
>>61
に書いた創生橋はもちろん創成橋の間違いです。
69牛鍋蝸牛:2002/11/30(土) 19:44 ID:lV5a97.M [ y069005.ppp.dion.ne.jp ]
「八二小路」ご覧下さい。
ttp://www6.ocn.ne.jp/~aa1toyo/tiku/s21-hatini/link1.htm
ついでに「八二湯」も。
ttp://www.011.or.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=shop13/SAPS100T&func_id=FID160&syog_no=0706&WIT_oid=3qvmH66OJIRcFPnv4ZeuvSLd
ttp://www1.ocn.ne.jp/~toyohira/tenpo/hatini/framepage2.htm
札幌の商店街を検索するなら、
ttp://www.011.or.jp/shop13/index.html
土地鑑ないので、今はこれでお茶を濁しておこうっと。
70あみ:2002/11/30(土) 21:41 ID:J5OnIPlo [ i086218.ap.plala.or.jp ]
>>62 私も昔の地図で現在の清田あたりに「厚別(あしりべつ)」を見た
   気がします。曖昧な記憶ですけど・・。
   厚別川の流れを考えると、そこが厚別でも不思議ではないですよね。
   たとえば、十勝の利別川では十勝川とぶつかる近くに「利別」があって
   上流の方に「上利別」や「小利別」という地名があります。流域一帯に
   その川の名がつく地名があったりするんじゃないですかね。

>>牛鍋蝸牛さん 豊平のR36から少し奥まったところに大門市場ってありません
        でしたっけ?
71大門通:2002/11/30(土) 21:45 ID:u6VI7.VI [ V105054.ppp.dion.ne.jp ]
>>あみさん
大門市場は数ヶ月前に火災にあい、いまは更地になっています。
72なまら名無し:2002/11/30(土) 22:05 ID:4t5xdT4I [ EATcf-337p153.ppp15.odn.ne.jp ]
話は飛びますが道新の札幌版で最近「まちかど探見」という特集をくんでますね。
白石中心なんですが偶然にもこのスレにでてくる固有名詞が次から次ととびだすので
ひょっとしてどなたか関係者でもいるのかななんて考えすぎか。
この前は白石劇場、今日はやなぎ公園。
73あみ@神奈川県在住:2002/11/30(土) 22:26 ID:J5OnIPlo [ i086218.ap.plala.or.jp ]
>>大門通さん
え〜!!そうなんですか。引越してからそんなことが。
74牛鍋蝸牛:2002/11/30(土) 22:49 ID:lV5a97.M [ y069005.ppp.dion.ne.jp ]
ttp://www.pref.hokkaido.jp/kensetu/kn-kasen/kasenkahome/3.26situmon/atubetugawaQ&A3.htm
に「あつべつ」と「あしりべつ」の関係のことが出ています。
個人的には「あしりべつ」のほうが、語感としてはよりアイヌ語に近いような気がしますねぇ〜。
あみさんお尋ねの、「大門市場」…。
普段、女性からなかなかお声掛りがないワシなのに、酒飲んでドラマ(NHK)観ているうちに先に大門通さんに答えられちゃいました(w
大門市場…。火事に遭った…。
そういえばそのようなことがあったような…。
今年火事に遭った市場と言えば、レス違いですが、稚内の「レンバイ市場」。
ま、市場だけじゃなく、稚内駅の近くの一角が無くなってしまった大火でありました…。
実は、あそこで焼け出された中に、うちのおじさん夫婦がやっていた店があったのです。
閑話休題(話をもとにもどしましょう)。
「あしりべつ」と言えば、「滝」だわなぁ。
子供の頃、「アシリベツの滝」に行って、駐車場から下に降っていくと、下から学生さんが棒(北海道弁ではぼっこ)に蛇を巻きつけて走って上がってきたことがあった。(ただそれだけで、オチもなにもありません)
というのが「アシリベツの滝」の思い出。
しょ〜もない!
75牛鍋蝸牛:2002/11/30(土) 23:29 ID:lV5a97.M [ y069005.ppp.dion.ne.jp ]
>>72は啓タさんと思われます。
ドメインはともかく、
>ひょっとしてどなたか関係者でもいるのかななんて考えすぎか。
って口調で、啓タさんだとすぐわかる(w
啓タさんはよく、「名無し」になっちゃいますね。
もし、道新の関係者がこのスレからネタを拾っているとしたら、怒らないから何かおごってくださいね。
あ、啓タさんうちの道新には、今日は「まちかど探見」は出ていませんでした。
地域によって違うんですよね。
それと、ついでに言いますと、「北緯43度…」は未だ買っていないのです。
大門通さんのご忠告の通り、古書のサイトで検索したのですが、例の琴似の本屋さんの在庫にもひっかからなかった。
確かあったのは千歳の古本屋さん。
で、日和って、「さっぽろ文庫1 札幌地名考」をいまさらながら買うことにしました。
先日、図書館から借りて、札幌の地名を調べるのには先ずはともあれ、これがリファレンスとなるべき本だな…、とまぁ、こう改めて感じた次第なのですわ。
76牛鍋蝸牛:2002/11/30(土) 23:33 ID:lV5a97.M [ y069005.ppp.dion.ne.jp ]

ニホンゴノツカイカタ、マチガッタヨ…。
>札幌の地名を調べるのには先ずはともあれ
「何はともあれ」ガ、セイカイ。
ワタシニホンニキテ、マダサンネン。
ゴメンネ。ユルシテネ。
77本籍水車町:2002/12/01(日) 00:40 ID:.wdgzo9U [ p6240d5.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
白石村は明治43年に一部(現在の菊水1−1〜9−2地区)が札幌区に編入、白石全村が札幌市と合併したのは昭和25年。29年に菊水と命名されて、西町・北町・上町・元町が誕生した。残りの地区も南町と東町に分けられた(34年)。しかし48年には住居表示が変更され、西・北・東・南町は菊水○条○丁目に、元町○番地は菊水元町○条○丁目に変わったとあります。以前に書いたと思ったんだが見つけられん。水車町の住居表示変更もこの頃だったかな。それまで9丁目76番地だったのが6丁目2番5号といきなり変わってしまった。そういえば7ケタの郵便番号も覚えてない。
「北緯43〜」ね、実は私も持っていません。狸小路8丁目(だったかな?)の角の古本屋にあるかも。さっぽろ文庫もかなり置いていたし。オススメの店です。
78keit:2002/12/01(日) 08:12 ID:.DcEH7sQ [ EATcf-337p153.ppp15.odn.ne.jp ]
>>
79啓タ:2002/12/01(日) 08:18 ID:.DcEH7sQ [ EATcf-337p153.ppp15.odn.ne.jp ]
>75
ぎゅうさんあたり。コテ藩つい入れるの忘れちゃう。べつにかくしてるわけでないのよ。
りもほでわかるし。
ぎゅうさん「北緯43度・・・」一冊手に入ったからはやくあびさんにいきなはれ
っちゅうてんのにどして気が付かないの?
ついでに礼にはおよびません。
札幌温泉でいい夢みさせてくれたお礼です。
80啓タ:2002/12/01(日) 08:22 ID:.DcEH7sQ [ EATcf-337p153.ppp15.odn.ne.jp ]
>78操作ミスのようです。
81啓タ:2002/12/01(日) 08:31 ID:.DcEH7sQ [ EATcf-337p153.ppp15.odn.ne.jp ]
水車町さんおしさしぶりです。
菊水の変更は48年か。札幌オリンピックをさかいに
いろいろと変化があったのですね。
あっと宣伝ついでに北緯43度、水車町さんの母校の地理担当の先生にきけば
手にはいるかもよ。
82牛鍋蝸牛:2002/12/01(日) 09:12 ID:kcaUzmGI [ K103218.ppp.dion.ne.jp ]
>>79
え!本当!
いや〜、すみませんです。恐縮です…。
そこまでやっていただいて。
4日が休みですので、早速行きます。
8331:2002/12/01(日) 11:24 ID:XHK6RHT2 [ J023111.ppp.dion.ne.jp ]
>>67
> 大地主にヤブさんという名前の方がいて、

「はちに」は周りの人の読み違いか。それとも東急の「いちまるきゅー」のようなもので
しょうか。

>>74
アイヌ語関係は知里真志保著「アイヌ語入門」、「地名アイヌ語小辞典」が便利です。と
もに北海道企画センター発行。
8431:2002/12/01(日) 11:25 ID:XHK6RHT2 [ J023111.ppp.dion.ne.jp ]
>>77
> 水車町の住居表示変更もこの頃だったかな。

いきなり丁目が変わるのはひどい話ですね。その後豊平も半丁ずつ条がずらされました。
本通りで区切る方針なら南一条の中心街も円山方面や創成川以東に合わせるべきですが、
たぶんやらないでしょう。

あと、水車通りとか旭通りというのを聞いたことがありますが、昔の地名ですか。
85牛鍋蝸牛:2002/12/01(日) 20:23 ID:QJzw8Q3Q [ E168225.ppp.dion.ne.jp ]
>>84
31さんへ。
「その弐」の195、293に「水車通り」に関して、ワシと、>>77で久々登場の本籍水車町さんが書いてますのでちょっと、見てみてください。
大正5年製の地図を参照しますと、「現・水車町」は「水車通」となっています。
「その弐」の195の「さっぽろの昔話 大正編」は、大正の終りから昭和の初めにかけて当時の北海タイムス(現・北海道新聞)に連載されたものですから、そのころには「川岸1丁目」から「9丁目」という住所だったのです。
それ以前が「水車通り」だったのですね。
で、「川岸」の後、「水車町」になったのでしょう…。
んが!ところが、ですよ!
今改めて「区政施行30周年記念 豊平区の歴史」(豊平区発行)の「水車町(すしゃちょう)」を見ましたら、
「もともとは『豊平○番地』といわれていた地域で、昭和になってからは『豊平川岸○丁目』や『水車通り』と呼ばれていたこともあります」となっています。
変ですねぇ〜、変ですねぇ〜。
少なくとも「昭和になってから水車通り…」ってことはないですねぇ。
大正時代にすでに地図に載っているわけですから。
これは豊平区にちょいと訊いてみなければならんかも。
でも、地図持っていくのかぁ〜?
そんなヤツ来たら、相手ビビルだろうなぁ〜(w
ちなみに、「豊平区の歴史」は数量に限りがありますが、豊平区役所市民部総務企画課広聴課に行くともらえます。
っていうか、ワシが行ったときはカウンターに積まれていたので、だまってもらって来ました。
あ、「旭通り」は確認できていませんでしゅ…。
啓タさん。
前にも書きましたが、「2ちゃんねる用ブラウザ」をお使いでしょうか?
もし使っていないのでしたらお勧めしますよ。
これらには「コテハン記憶」の機能がありますから、いちいち書き込まなくてもいいので便利です。
あと、長文も省略されずに表示されます。
ワシはOpenJane ttp://sakots.pekori.jp/OpenJane/ を使っていますが、いろいろ他にもありますので、気に入ったのを使ってみると良いと思います。
86なまら名無し:2002/12/02(月) 21:08 ID:4iwE9Z8. [ P144185.ppp.dion.ne.jp ]
>>85
ログを読みました。水車町は「すいしゃまち」と呼んでいました。正式名称が「すいしゃ
ちょう」とは知りませんでした。

中央区の各連絡所の紹介のページも見ました。歴史とは文字で記録されたものだけをいう
のが定義ですが、和人が住んだことだけが地域の始まりというのはどうも...。それはさて
おき、東地区や東北地区にはその名を冠した小中学校が昭和四十年代までありました。東
小学校、東北小学校、東北中学校。でも、これは地名というよりも市の出張所や校区の管
轄区域の呼び方だと思います。
87なまら名無し:2002/12/02(月) 21:09 ID:4iwE9Z8. [ P144185.ppp.dion.ne.jp ]
>>85
しかし、苗穂や山鼻は実際の地名で、今の中央区役所付近も昔は札幌市山鼻町○○番地
でした。この辺りの番地が千番前後なのは、山鼻村から見ると村外れだったからだと思
います。

牛鍋蝸牛さん引用の苗穂駅の元駅長さんの回顧録を読むと、苗穂が条丁目になったのは大
正14年なのですね。南北の通りが規則的でないのが苗穂村の名残でしょう。地名は通称
としては今も健在で、比較的最近出来た水穂橋の名前の由来でもあります。
88牛鍋蝸牛:2002/12/02(月) 21:53 ID:J/YwkOOQ [ K103239.ppp.dion.ne.jp ]
>>86、87は文面から察する所、31さんとお見受けいたします。
「すいしゃまち」は、ごく一般的な呼び名ですね。
しかし、以前このスレで語られましたとおり、「すいしゃちょう」が行政上の呼び名なのです。
現地へ行ってみてもらえば分かりますが、住所表示のプレートには「すいしゃちょう」とルビが振ってあります。
ワシ個人としては語感として、「すいしゃまち」のほうが"美しい"と思っておりますが、皆さんはいかがでしょう?
さて、ちょっと話は変わりますが、「その四」の画像リンク作業ですが、ちょっと滞っています。
いや、ワシがサボっています。
161さん、もうちょっと待ってね。
やりますから。もう少しだしね。
で、すんません…、ここからも私信です。
他の方は読まないように…。
啓タさんは辛いものはお好きでしょうか?
例えば「三升漬け」とかぁ…、そうねぇ〜、ま、「三升漬け」とか。
89牛鍋蝸牛:2002/12/03(火) 11:43 ID:riDTsCuo [ E168025.ppp.dion.ne.jp ]
「その四」のアルバムへのリンク修正完了しました。
先ほど161さんへメールして…、と思ったらいけね〜。
ファイル、添付してねぇ〜や!
ちょっと、失礼…。
あ、今また送りました(w
これで一応、ログのhtml化も出来ました。
めでたい!
あとは、まだ写真にタイトルとキャプションが付いていないものがあるので、分かりやすくするためになんとかしたいですね。
そして、これまでのログは結構な資料ですので、バックアップを取っておきたいとも思うとります。
自分で撮った写真もありますしね。
外付けのHDD買おうかな?
90牛鍋蝸牛:2002/12/04(水) 19:06 ID:fWWpSLvg [ y068136.ppp.dion.ne.jp ]
皆さん、本日「あび」にて、啓タさんからの一足早いクリスマスプレゼントを頂きました。
「北緯43度 札幌というまち…」(札幌地理サークル編 清水書院 昭和55年初版)の美本。
しかも、「恵存 牛鍋蝸牛様」とまで書いていただきました。
恐縮です…。
謹んで、啓タさんへの御礼の言葉を述べたいと存じます。
サンキュゥ〜!!
さて、この「北緯43度 札幌というまち…」をさらっと拝見させて頂いたところ、ワシが想像していたよりも、断然、内容の濃い本だったと言うことが判明いたしました。
地理・統計・社会・歴史・都市論・風俗など等、いろ〜んな要素を含んだ、まさにこのスレのコンセプトの原点であるような本なのです。
しかも、昭和55年発行にして、金2,500円という値段設定。
これはね、高い! はっきり言って…。いい悪いは別にしてね。
当時としては、かなりの高額本であります。(出すのに結構、勇気要ったろうなぁ〜)
今後大事に、そして資料としては"酷使"させていただく所存であります。
啓タさん、改めましてありがとうございます。
(でね、三升漬け食べる?あげるけど…)
さっそく、110Pを参照しましたところ、例の「白石遊廓」の件に関しまして、「菊水」の「東西南北・町」の記載がある昭和40年版の地図が確かにありました。>>60
「本籍水車町」さんの>>77の書き込みによりますと、昭和48年に住所表示が変更になり、「東西南北」の各々の町が「菊水○条○丁目」へとなったわけですが、この本の出版は昭和55年。
本来は「アレレ…?」となるのですが、本文中では「東西南北」の町は「地区名」として扱われておりまして、住所としてはちゃんと、「菊水○条○丁目」となっております。
これでOKなわけですわ。ははは。
でね、今日はあの本も手に入れました。<つづく>
91牛鍋蝸牛:2002/12/04(水) 19:30 ID:fWWpSLvg [ y068136.ppp.dion.ne.jp ]
今日は何かと忙しく過ごしました。
実は例の、「豊平区の歴史」(豊平区役所市民部総務企画課広聴係編集)の「水車町」の記述、
「昭和になってからは、『豊平区川岸○丁目』や『水車通り』と呼ばれていたこともあります」の誤り(>>85参照)を正すべく、豊平区役所市民部総務企画課広聴係に電話を入れました。
資料をお見せしてお話させて頂かなければいけないと思ったのですが、まず電話と思いまして。
行ってみてから、「担当者が不在です…」と言われたら二度手間ですからね。
電話がつながり、「O課長」が出られました。
趣旨を話して伺いたいと申し上げますと、「お待ちしています」との返事を頂きました。
ワシの(遥香さんも)持っている「地図で見る札幌の変遷」(財団法人日本地図センター)と、「豊平区の歴史」をバッグに入れ、暇つぶし用に「星霜1」も突っ込み、第二の資料として必要な「さっぽろの昔話 大正編上」(大山黙笑編 みやま書房)を図書館へ借りに、まずは出かけました。
図書館へ行って、「新札幌市史」の分類についてちょいと司書の方とお話をさせていただき、「さっぽろの昔話」を借りてから琴似の「共立書院」へ。
ここへは先日「さっぽろ文庫 1 札幌地名考」を頼んでおいたのです。
お値段は1,400円のところ取りに行ったので、1,260円。
1,400円はネットでの販売価格だったようです。
ちなみに昭和52年の第3版。
これも痛みはほとんどない、キレイな本でした。
こいつもバッグに詰め込んで、いざ豊平区役所へ…。
<つづく>
92なまら名無し:2002/12/04(水) 19:37 ID:YHhJGsAA [ sapporokita3-17.ppp-1.dion.ne.jp ]
牛鍋蝸牛さん いつもお疲れさまです

「あび」にて「札幌温泉」絵はがきのプリントをきっかけに大将に「何者なんですか?あの人」と聞いてみたら「普通の人です」と返答
そうかー普通の人だったんですね

私はといえば、こつこつと「いく代」ネタをたぐっていたら「絵はがきの世界」というHPにぶち当たり「いく代」の絵はがき発見。と、隣に件の「札幌温泉」と入り口付近のアップの絵はがきがあるじゃあーりませんか
元ネタはこれなのかな?と思っていたらリバース焼きじゃないし・・・新ネタ発見か?とやや興奮
道庁が萌えてる もとい燃えてる写真もあって、これって絵はがきにするような写真じゃねーだろ。函館の大火まで・・・
など出来ることからコツコツと気長にやっていこうと思っています。

今度「あび」でお会いできると嬉しいですね。ご指導賜りたいです。
93啓タ:2002/12/04(水) 19:53 ID:WV8y5cko [ EATcf-150p219.ppp15.odn.ne.jp ]
ぎゅうさんうけとってくれはりましたか。よろこんでいただき幸いです。
実はぎゅうさんこの続編というのもありまして北緯43度を補完する形で
もっとマクロに札幌の街を眺めた「ウォッチング札幌」というのが1986年に
出版されています。(がいしゅつかも)そしてさらに北緯43度と少し趣向を
かえてさっぽろ文庫58巻「札幌の通り」へとうけつがれたようです。
でもぎゅうさんならこの辺の事情詳しいかも。
以上参考まで。

追伸 礼には及ばずとあれほど申しましたに・・・しかし「三升漬け」とやら興味をそそる
ネーミング。どんな漬物か一度食してみる価値あり。ぜひ所望いたしましょう。
ありがたき幸せ。
94牛鍋蝸牛:2002/12/04(水) 20:02 ID:fWWpSLvg [ y068136.ppp.dion.ne.jp ]
時刻はすでに「ヒトヒトサンマル」。
豊平区役所市民部総務企画課広聴係O課長からは電話で、
「時間に関係なく、来て頂いて結構です。呼んでください」
と暖かいお言葉を頂いておりましたが、やはり貴重なお昼休みを裂いて頂くのは心苦しい…。
早歩きで(でも、その前にオシッコして)二階の市民部総務企画課広聴係へ。
「牛鍋蝸牛です」と言いますと(いや、これ本名じゃないので、そうは言わなかったけど)、
「どうぞこちらへ」と奥の席に座っていたメガネの男性がテーブルへ案内してくださいました。
この方がO課長。
早速、大正5年(頃)の「水車通」と記載の地図と、「さっぽろの昔話 大正編上」(昭和2〜10年頃の聞き取りで、「今でも水車通りと呼ばれて居る通り…」と記述がある)をご覧頂きました。
O課長は、すぐに納得してくれて、
「この辺りの記述に関しては、あまりはっきりした事がわからないうちに、時間的な制約で本にしてしまったものですから…」と言っておられました。
そして、ワシの地図と「さっぽろの昔話」をコピーされ、
「こういう資料があるということが、なかなか分からないのです。(上司に)買うように言われるかもしれませんね」と…。
そして、「豊平の歴史」も残りが少なくなってきているので、第2版を出す予定があるとのことで、是非直して出版したいとのご返答を頂きました。
ワシの他にも、
「ここ間違っているよ〜」と言ってくる人はいるそうですので、皆さんもこのようなことに気が付いたら、
「余計なお世話かな〜?」とか思わずに、どんどん指摘してあげた方が良いと思われます。
でも、あくまでもソフトにね(w
クレーマー扱いされないよう注意してね。
<つづく>
追伸。
>>92 >>93新川番地さん、啓タさんへのレスは次で。
95牛鍋蝸牛:2002/12/04(水) 20:56 ID:fWWpSLvg [ y068136.ppp.dion.ne.jp ]
新川番地さん。
>>92の「絵葉書の世界」は
ttp://layla.fc2web.com/index.html ですね。
実は、「その四」の102で既出でした(w
今日、「あび」で新川番地さんの話も出ました。
マスターがワシから聞いて、「あの人じゃないかな?」と思っていたら、「やっぱりそうだった」と言っていました。
「あび」にはもうかなり前から通ってらっしゃるとのこと。
で、マスター、ワシのこと「普通の人」とは言わなかったでしょ?
「たいした事ない奴だ」って言ったはずです(w
今日、「そう言っておいた」と本人が言っていたから間違いない。
気使って頂いてありがとうございます。
>ご指導賜りたいです。
なんて、とんでもありません。
ワシは本当に、「たいした事ない」ので(w
さて、啓タさん。
「三升漬け」ですが、道産子ならきっと食べたことあると思うけど、漬物ではないんですわ。
明後日にでも「あび」に持って行って置いておきますので、マスターからもらってください。
食べ方分からなかったら、マスターから聞いてください。
これはsageとこう。
96なまら名無し:2002/12/04(水) 21:00 ID:3Im5mVpA [ P141223.ppp.dion.ne.jp ]
>>90
いかにも86と87は私です。名前を入れるのを忘れました。

本の価値は情報が役に立つかどうかですからね。私も一万円の本を結構買ったりしていま
す。一番高い本は、時間をかけて読んだけれど理解できなかったり役に立たなかった本だ
と思います。


>>92
絵葉書の世界はここですか。

http://layla.fc2web.com/
9731:2002/12/04(水) 21:02 ID:3Im5mVpA [ P141223.ppp.dion.ne.jp ]
あ、既出でしたか。しかも同時でした。さらには名前を入れ忘れたので訂正します。
98牛鍋蝸牛:2002/12/04(水) 21:35 ID:fWWpSLvg [ y068136.ppp.dion.ne.jp ]
では、>>94の続きを。
豊平区役所を後にしたワシは、再度「白石遊廓」跡の「菊水」へ。
あの商店街にもう一度行っておきたかったのです。
前回は寒さのためか、バッテリ―の残量がなくなってしまったので商店街の写真が撮れなかったのが残念だったし、>>43で発寒1条1丁目さんが述べておられますように、例のリサイクルショップのブルーシートの中身の画像を皆さんに見ていただきたかったので…。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=450
話は前後しますが、その後「あび」に向かい、「北緯43度 札幌というまち」を受け取ったというわけです。
おかげでワシのバッグの中は、本5冊に大判地図(5枚)1セットという状態になっちまいました。
いや〜、肩に食い込んだね。
以上、今日の日報でした。
99なまら名無し:2002/12/05(木) 13:59 ID:3jtPxs9g [ sapporokita3-63.ppp-1.dion.ne.jp ]
>95 96
既出ですか そーでしょうねー
で、私はといえばネットショッピングで「いく代」の絵はがき3枚セット買っちゃいました
こーいうものが名古屋の書店にあるんですねー
札幌市街図は10,000円もするので買えませんでした

住居表示の件ですが、「札幌市の住居表示」(札幌市市民局地域振興部)
というのは(既出か?)結構役に立ちそうですけど
町名整備の経過とか廃止町名なんかも出てるんで
中央図書館で見かけたんで・・・とりあえずご一報まで
100牛鍋蝸牛:2002/12/05(木) 21:50 ID:4ujQM1JI [ U127190.ppp.dion.ne.jp ]
新川番地さん。
「いく代」って割烹、調べたら面白しろそうですね。
ネタになりそうなのを二、三、見繕っちゃいました。
でも、今日は疲れたのと眠いとの全然であきませんのや。
まずは、睡眠だ…。
じゃ、まぁともかく、お休み。
また明日。
101なまら名無し:2002/12/06(金) 09:40 ID:vt.4DGMQ [ sapporokita4-131.ppp-1.dion.ne.jp ]
「いく代」
「夜の赤レンガ」といわれたこの割烹に「魔術師」のような女将「斉藤いく」なる人物
明治天皇ゆかりの「清華亭」などを南3西4に移転するまでの仮店舗にしてしまう
なかでも斉藤いくなる人物がどんな人だったのか興味をひかれ、自分のルーツに関わっているということもあって
なんかライフワークになるかもって感じです
まずは絵はがき届いたら親父にも見せていろいろ取材するつもりです
実家以外に近いんですけど何せ雪が多くっていくのが怖い・・・
102牛鍋蝸牛:2002/12/06(金) 12:04 ID:aBi1H4Ns [ L102230.ppp.dion.ne.jp ]
実は、どこがどうつながるのか、まだはっきりしていなかったので書き込まなかったのですが…。
>>101
例の「札幌案内」(明治三十二年)に「旗亭」という項があります。
ちなみに、「旗亭」とは、
《昔、中国で目印にはTらを掲げたことから》 料理屋、酒楼。また、旅館 (講談社カラー版 日本語大辞典)のことだそうです。
そこに、
「偕楽園」(北七西七) 幌都(かうと)の西北端地境幽邃閑雅(せいほくたんちけいゆうすいかんが)の處(ところ)に在り 女将幾老練を以て聞ゆるも頗(すこぶ)る魔術を弄するに巧みなりと云う 夏季最も繁盛す
という"怪しげな"記述があるのです。
今までの新川番地さんの情報と符合する所は「偕楽園」だけでしたし、時代もはっきり分からなかったので関連性を疑っていたのですが、こりゃどうやら、「いく代」の「斉藤いく」さんのことらしい…。
いったいどんな人物だったのか??
要調査。
それと、「いく代」の絵葉書は「市立函館博物館」にもあるようですが、ご存知でしょうか?
「札幌 割烹いく代」としてUPされています。
ttp://www.museum.hakodate.hokkaido.jp/collection/rekishi/html/10_09_08.html
あ、あとですね。
>>26
>私の父方の祖父の母方の実家が「いく代」という料亭を経営していて清華亭や偕楽亭を一次借り受けていて大いにひんしゅくを買ったらしいのです
で出てきた、「偕楽亭」。
これ分からなかったんですよ、このとき、ワシも発寒1条1丁目さんも。
ワシは「偕楽亭」というからには、「清華亭」と同じく、札幌の「偕楽園」内にあったのだろうと思っていたのです。
おそらくは発寒1条1丁目さんもそう思っておられたのではないでしょうか?
しかし、以外な所で同じ名称の建物を発見したあのです。
<つづく>
103牛鍋蝸牛:2002/12/06(金) 12:09 ID:aBi1H4Ns [ L102230.ppp.dion.ne.jp ]
場所はなんと「樺戸」!
今の「月形」です。
明治18年に、「樺戸にある偕楽亭で食事をした」という記述が何度も出てくるのが「上川紀行」。
http://city.hokkai.or.jp/~n-katou/kamikawakikou.htm
で、この「上川紀行」に出てくる「岩村通利」…。
「???」とお気づきのかたはこのスレをちゃんと呼んでいらっしゃる方。
どうやら、このサイトの管理人(加藤さん)の方のタイピングミスでして、「岩村通利」とは、あの「御用火事」の「岩村通俊」であることが分かります。
判官だった岩村は、当時の開拓次官であった黒田清隆と対立し免職されたのですが、明治19年に返り咲き、北海道庁初代長官になっています。
その前年に「上川」の開拓を目指し、調査に出かけたときの記録が「上川紀行」。
(偉そうに書いてはいるが、今回初めて知った…)
その、いや、あの!「岩村通俊」が飯を食ったのが「偕楽亭」。
今は、「皆楽公園」って公園になっているようです。
http://www.town.tsukigata.hokkaido.jp/kyanpu/kyanpu.waku.html
…でも、字が違うんだな、これが。
「みんなでたのしむこうえん」なんだなぁ〜。
これも事実の確認が必要だ。
そうそう、もうひとつ「加藤」さん間違っている。
「明治18年(1924)8月」
な、わきゃ〜ない。
でね、ついでに言いますと、「清華亭」に関して調べていたら「札幌の建築探訪」(2001年2刷 監修・角 幸博 北海道新聞社)の、「66 偕楽園水木清華亭」(P76)の本文の「清華亭」の「亭」がすべて、「清華邸」と誤植になっていたのを見つけちゃいました。
また、余計なミスをみつけちゃったワシは、しょうがなく、「北海道新聞社出版局図書編集部」に電話しておきました。
人のアラばっかり探していて、足元すくわれないようにしよ〜っと(w
104新川番地:2002/12/06(金) 12:50 ID:K2HFXrj. [ sapporokita2-219.ppp-1.dion.ne.jp ]
なまら名無し もとい新川番地です

「偕楽亭」はさっぽろ文庫「豊平館・清華亭」に写真や見取り図つきで載っていますよ
105牛鍋蝸牛:2002/12/06(金) 19:43 ID:BFqHJMRc [ y069221.ppp.dion.ne.jp ]
「偕楽亭」の件、ワシも「札幌繁盛記」で確認しました。
「偕楽園」の中にあったんですね。
ということで、「樺戸」は別物という結論に達しました。オソマツ…。
さて、新川番地さん。
その後、いろいろなことが分かってきました。
もしかして、大通西28丁目辺りでご商売をしている(いた)、ご親戚はおられませんでしょうか?
106牛鍋蝸牛:2002/12/06(金) 22:35 ID:BFqHJMRc [ y069221.ppp.dion.ne.jp ]
>>105の質問は、ワシと新川番地さんが直接ではないものの、もしかすると、ちょいと関係があるかもしれないと思われる事を聞いたからでして、他意はありません。
また、個人が特定できるようなことは書きませんから、ご安心を(w
今日またまた、「あび」に行きました。
啓タさんがワシのために苦労して、「北緯43度 札幌というまち…」を手に入れてくれたことをマスターから聞きました。
啓タさんはここには、余っていた本をくれたようなことを書かれておられたが、実は苦労の末見つけてくれたそうで、恐縮です。
で、「あび」には例のものを預けてきましたので、ヒマをみて行ってやって下さい。
要冷蔵ですが、早く傷むものではないので、急がなくても大丈夫です。
さて、マスターに、
>「魔術師」のような女将斉藤いくなる人物」が、「いく代」という割烹をやっていて、新川番地さんの先祖であったことを話すと、
「いく代?有名な割烹じゃないか…」と言い出しました。
今はもうないとのことでしたが、札幌でも一、二を争う、有名人や政治家が行くような名店だったとのこと。
マスターは、
「ところで、"魔術"って一体なんなんだ?ものすごく興味があるなぁ。それ調べろよ」と珍しく乗り気でした。
ワシはその足で、「ヨドバシカメラ」へ行き、大事なこのスレのログ、実地調査で撮った写真などをバックアップするべく、外付けHDDを購入しました。
2時間駐車料金がタダになったのを幸いに、並びの古書店、「南陽堂書店」へ。
北方関係の棚を物色しました。
もちろん目的は、「斉藤いく」さん、そしてその「魔術」の正体を調べることでした…。
<次回、「斉藤いく」さんの正体が判明!? つづく>
107なまら名無し:2002/12/06(金) 23:31 ID:j3mziYiI [ EATcf-330p195.ppp15.odn.ne.jp ]
ここのスレの面子の皆様で実地調査も兼ねてオフ会してみたいものですね。
108本籍は旧西創成区:2002/12/07(土) 03:29 ID:bzdIFfzI [ o051122.ap.plala.or.jp ]
あの・・豊平橋付近河岸にあった、通称・サムライ部落の住所は、川岸○丁目になるのでしょうか。 それからここのレスで、元山(豊羽鉱山のことをゆう)や、薄別(定山渓七区、熊牧場のあるところ)、農本(東苗穂の11から13条あたりらしい)、桜山(真駒内駅の裏山)は、まだ出てないですね。
109啓タ:2002/12/07(土) 08:59 ID:fmLMzNdM [ EATcf-150p219.ppp15.odn.ne.jp ]
>106
忘年会シーズンとなり少々二日酔い気味で久しぶりに開いてます。
ぎゅうさまそんなお気をつかわずに。あびのマスター氏もずいぶん
気配りのある方ですね。そんなに苦労して手にいれたなんて一言も
言ってないんだけど・・・たまたま知りあいの方の子どもの通う
学校に編集者のひとりがいたもので・・・その先生20年も昔の本を
読んでくれる人がいるなんてとむしろいたく感激されてたそうです。
ですからどうぞお気をつかわずに。
三升漬けご好意に甘えます。近いうちにとりに伺います。
しかしあびにいくたびに(ってまだ3回ですが)この板関連の見知らぬ
人が次から次とやってきて、聞いたこともない地名をのたまわったりするのを
いちいち聞いてやんなきゃならんマスター氏も大変だろうなって思ったりして
ついおかしくなっちまう。善良なマスター氏に乾杯ですな。
>107氏もODNですか。お初に。この前あびさんに「この店貸し切って
オフカイなんかやったら楽しいだろうな」って半分冗談で言ったらなんとなく
困惑したような顔してましたよ(w
>108桜山。文字通り春になるとピンクにそまったのでこの名がついたとか。
ちなみに散歩道は山ひとつこえた向こうにすむ消防署かなにかの局長さんご一家
がつけたと聞いたことが。秋はきのこ、このまえもうすこし奥の桜山に熊がでたそうです。
110新川番地:2002/12/07(土) 09:29 ID:pGIlHVn6 [ sapporokita1-13.ppp-1.dion.ne.jp ]
「魔術師」 言い過ぎかな
「遣り手婆ばぁ」の強烈なヤツっていうイメージで書いたのですが
新潟で生まれ、どこでどうやって育つと、ああいった手練手管を発揮して
あの大店を作り上げることができたのか
どーもイメージが貧困なので白雪姫の毒リンゴばーさんと重なっちゃって

因みに斉藤家は祖父の母方の筋で、祖父がそこを出てからはあまり直接的な交流はなかったようです
祖父は祖父で警察官として満州まで行っちゃったりで結構波瀾万丈の人生で
あまり伝わってくるものがないのです
あまり伝えたくないことももしかしたら有るのかも知れないし
ただ、あのとき祖父があそこにいなければ僕なんか存在してないわけで
「いく代」と「斉藤いく」さんは強烈に興味があるんですよね

> 牛鍋蝸牛さん
「正体」楽しみにしてます
11118丁目:2002/12/07(土) 09:56 ID:D1zNfdps [ SODfi-02p1-245.ppp11.odn.ad.jp ]
>108本籍は旧西創成区さん
農本は以前ちょこっと出ましたが、元山、薄別、桜山は未出です。
豊平河岸の通称・サムライ部落については、私が地名に転んだきっかけの一つかも知れません。
以前(15年程前)測量のバイトしていたとき、まだラマダルネッサンスホテルが建つ前のその
近辺の測量をしたことがあります。
当時、こんな都心に近い場所に、ぽっかりと取り残されたような独特な雰囲気の町に驚いた
記憶と、社員の人から「ここは昔サムライの住む街といって、とても怖いとこなんだ」と
言われた記憶がよみがえりました。
ビルとビルの合間の隙間のようなところを抜けると、その奥には手付かずの古い長屋住宅の
ような家や古いアパートの集まりで成り立った区域がありました。
測量していると、住人のおばさんに「また来たのかい全く」などと嫌がられたり、
真昼間、若い男が2名でちょっとした空き地に、車を手で押してきて投棄!?している現場
を目撃したり、ちょっと異質なサッポロをそこで目の当たりにしました。
ところでその通称・サムライ部落の謂れはなんなんでしょうね本籍は旧西創成区さん?
以前書きましたが、私の親父までは西創成地区住民でした。
112発寒1条1丁目:2002/12/07(土) 10:01 ID:rFySquTs [ SODfa-01p6-228.ppp11.odn.ad.jp ]
おはようございます。
「清華亭」「偕楽園」関係の話題になっていますが、
とても近所の話題なので、嬉しく思います。
実は、清華亭前のゴミステーションを利用しているのです。
文化財の前にゴミステーションというのもチョットなのですが、
区の方も8時半過ぎに回収をするよう配慮しています。
私は、この地域は新参者なので古いことは解りません。
さっぽろ文庫「豊平館・清華亭」は引っ越した際に一読していますが、
細かい話はもう忘れてしまっています。

清華亭は所有者がいろいろと変わったこと、また、江差町の「横山家」が所有していたとの記述が
あったと記憶しています。
「偕楽園」はさっぽろ初の公園とされていること。
北区のホームページには「日本初の都市公園」との記述もありますが、
作った当時、当時都市公園という定義は無いので、これは後付けでしょう。
それから、サクシュコトニ川がこの辺り蛇行して流れており、
池があってサケのふ化が行われていたこと。北海道のサケふ化の発祥の地とされています。
川筋は現在でも確認できますが、多少変わっているかもしれません。
清華亭の中に当時の絵があるのですが、あまりに変わっているので、現在と比較できませんでした。
池は、現在の偕楽園公園(廻りよりも低地になっているのと川筋から)にあったものと思うのです。
>>45 新川番地さんかな?
>「池自体はもっと西のアパートの低みだと思ってたんですがどうなのでしょうか」
とあります。
西のアパートとは北大の官舎のことと思うのですが、確かにあそこも廻りよりも相当低地になっていて、
池があっても不思議ではないと思えます。
今度、それも含めて清華亭にある絵を見たら少しは比較できるようになるかもしれません。
資料がないので、思いつくまま書きました。

さっぽろ文庫は手元にないので、実家からギッってこなければならん。

>牛鍋さん
ブルーシートの中身、早速のアップありがとうございます。
113牛鍋蝸牛:2002/12/07(土) 10:25 ID:4lH97DNw [ y069011.ppp.dion.ne.jp ]
書き込みが沢山でいいねぇ。
でもワシは今日は仕事ですので、夜にでも…。
新川番地さん。
斉藤いくさんの「魔術」に関しては、まだ調べはついていませんが、どのような人だったは多少分かりました。
11431:2002/12/07(土) 11:30 ID:RcuYWLos [ P129085.ppp.dion.ne.jp ]
サムライは北海道で廃品回収業者をいうようです。つのだじろうが小樽を舞台に「サムラ
イの子」という漫画を描いています。立派な教育を受け地位もあったが様々な事情でその
日暮らしを余儀なくされている、いうのが語源かもしれません。


札幌では昭和三十年代まで東橋下流の左岸(中央区)にバラックのような家が建ち並び、
そう通称していたことを近くに住んでいた人から聞きました。さらにその前はより都心に
近い豊平に廃品回収業の人たちが集まっていたのかもしれませんが、今はどちらもありま
せん。

いずれにしろ、廃品回収業も社会に役立つ立派な仕事です。
11518丁目:2002/12/07(土) 11:50 ID:Mj1bs4PI [ SODfi-01p5-168.ppp11.odn.ad.jp ]
31さんなるほど、ありがとうございます。
サムライの件、私は全く知りませんでした、みなさんは?
あんまり語っちゃいけないのかな?
116菊水上町:2002/12/07(土) 14:18 ID:csW/LWhY [ h141.p184.iij4u.or.jp ]
>八二
「はちに」と読むみたいです。豊平区在住の知り合いが
八二市場をそう呼んでおりました。

字面のスワリが何となく不安定で(空間が多いからかな?)、
小さい頃から不思議な名前だという印象がありましたねー。
117牛鍋蝸牛:2002/12/07(土) 22:01 ID:oh90IQDU [ U127222.ppp.dion.ne.jp ]
すんません。今日はダメです。
仕事で疲れたっす。
ご・き・げ・ん・よ・う〜〜〜!
118北栄:2002/12/08(日) 00:42 ID:/hbGSyyw [ EATcf-330p195.ppp15.odn.ne.jp ]
サムライ(部落)に関してですが
札幌、小樽の他にも函館の旧・砂山町や旭川の忠別橋公園にも
同様の集落がありました。
この件に関しては同和にうるさい本州ほど気にすることもないと思います。
今はサムライ部落自体が存在しないものですし。
119牛鍋蝸牛:2002/12/08(日) 07:23 ID:WlAXrryc [ N023254.ppp.dion.ne.jp ]
復活しました!
牛鍋蝸牛、1日中、書類を作っていて疲れ果てたのでした。
またまた、アレも書きたいコレも書きたい状態ですが、「サムライ部落」に関しては、確か「新札幌市史」にも出ていたはずですし、一昨日行った「南陽道書店」の3階にある「ケルン書房」に置いてあった、「白石老人会」だったかが出した本にもちゃんと出ていました。
「サムライ部落」、気になったのだけど、こうなるんだったら"ちゃんと"立ち読みしておけばよかった。
北栄(107の名無しさんでしょう)さんが言うように、別に、語るに問題はないでしょう。
なぜ「サムライ」というのかは、今までちょっと調べたところでは、やはり、31さんのおっしゃるような理由 >>114のようですね。
>>108本籍は旧西創成区さんが挙げていた地名は、ワシが知らないものばかり。
この後のネタ候補ですが、もう、自分で調べられる範囲でバンバンやっちゃっうのが勝ちですよ(w
面白いネタ振りなら、皆さん興味を持ってレス返してきて、思わぬ発展をするものですから。
あ〜っと、>>116菊水上町さん、「はちに」ね、了解。
呼び名がはっきりしないと、どうもやりにくいもんだからね。
>字面のスワリが何となく不安定で(空間が多いからかな?)
わはは!同感!
>>109啓タさん、「あび」でオフ会…。
そりゃ、マスター困惑するわなぁ。
マニア大集合になっちゃうからねぇ〜。
白いギターでも用意しなけりゃいかん(w
さて、「いく代」に話を戻さねば…。
120牛鍋蝸牛:2002/12/08(日) 08:02 ID:WlAXrryc [ N023254.ppp.dion.ne.jp ]
「割烹 いく代」あるいは、「斉藤いく」さん…。
このスレは地名スレなので、本来は「偕楽園」、「偕楽亭」、「清華亭」(正式には"偕楽園水木清華亭")を中心に語るのが本筋なのですが、今回はちょいと番外っっぽくなってしまうのをご了承いただきたい。
OK…?
OK〜〜!
皆さんのご賛同を得られましたので、続けます。
さて、先日書きました「偕楽亭」ですが、「樺戸」にあった「偕楽亭」は別物ということが判明しました。
「偕楽園」の中に、斉藤いくさんの「偕楽亭」はあった…のです。
>>104 >>105
後に述べる資料によりますと、斉藤いくさんは明治元年3月の生まれ。
岩村通俊が上川へ調査に入って、「樺戸」の「偕楽園」で数回食事をしたのが、明治18年。
>>103
斉藤いく17、8歳は、女将にしてはちょっと若すぎ!
足元すくわれないようにと思いながら、やっちまったわけです。反省。
さて、「ヨドバシカメラ」並びの、「南陽道書店」にて「斉藤いく」なる人物を調べるべく資料を物色する牛鍋蝸牛ですが…。
<つづく>
121牛鍋蝸牛:2002/12/08(日) 08:30 ID:WlAXrryc [ N023254.ppp.dion.ne.jp ]
いやね、何しろ、「札幌案内」(明治三十二年)で、
「魔術を弄(ろう)する…」と書かれた「偕楽園」(北七西七)の女将が斉藤いくであったなら、新川番地さんが何気なく書いた「魔術師」と奇妙な一致を見るわけで、浅からぬ因縁を感じるのであります。
一体何を感じて、新川番地さんは「魔術師」を連想したのでしょう?
一応断っておきますが、「札幌案内」の「旗亭」の項には、「偕楽園」とあり、「偕楽亭」とはなっていません。
それと、「いく代」の名前も出ていませんです。
この「札幌案内」、今まで何度か取り上げておりますが、薄っぺらな本です。
しかし、なかなか詳細な資料でして、巻頭には札幌の名所の写真があり、企業、商店、病院など広告、区内の役所から仏閣、学校、工場、商店、遊廓など等、ありとあらゆる紹介がされています。
附録には温泉の紹介、汽車乗客の心得や時刻表、法律や郵便関連の記述まであります。
そんな本に、
「女将幾老練を以て聞ゆるも頗(すこぶ)る魔術を弄するに巧みなりと云う」
と書かれるこの「偕楽園」の女将とは?
これははたして、「斉藤いく」なのでありましょうや?
しかして、「あび」のマスターさえ気になる「魔術」の正体とは?
<つづく>
まだかよ〜。
122牛鍋蝸牛:2002/12/08(日) 08:40 ID:WlAXrryc [ N023254.ppp.dion.ne.jp ]
再び、「南陽道書店」。
探していきました。北海道の人物について書かれた本を…。
あったんですねぇ〜。
「札幌百年の人」(北海道新聞社編 北苑社刊 昭和44年の初版本)。
その中に、「斉藤いく」の名前は…。
あ、あった!
曰く、「斉藤いく 割ぽう"いく代"を開いた人。明治元年三月新潟県の松村町に生まれた…」
これですこれ!いや〜あるじゃん!
問題は値段なんだよなぁ〜。
ここに置いてあるのは古本のくせして(古書店だもん当たり前)、安くったって千円からだもんな。
5,000円〜10,000円ざらだもんな〜、と思いながら裏を見てみると…、にゃ、にゃんと!200円!
「お・ヤ・ス・イ…」
その隣に同じ、「札幌百年の人」がもう一冊あったんですが、こっちは表紙もキレイだし、中もそう黄ばんではない。
でもでも…、お値段は、1,500円!
迷わず、200円のほうを持ってカウンターへ。
「あ、コレ、値付け間違っていますね〜」
などと、言われないことを祈って、何も言わずおとなしく税込み210円を支払い、とっととおうちへ帰りました。
♪ ルンルン。
123本籍は旧西創成区:2002/12/08(日) 10:43 ID:T/0qyqCQ [ i104054.ap.plala.or.jp ]
みなさま、とても参考になりました。ありがとうございます。 わたくしも「サムライ」の意味がわかりませんでした。 今でも、南四条の創成川より東側に、古紙などを買う店があるのは、その名残でしょうか。 ここの住人はのちに、市の斡旋で廃業した白石遊廓の遊女屋に貸間させたと聞いています。
サムライ部落の人たちは、外地引き上げ者などが多いそうです。 終戦後しばらく、札幌市内では貸家が不足ぎみであったらしいし、国が、引き上げ者向けに斡旋した開拓地があまりにも酷い為、札幌に逃げてきた人も多いようです。そのへんがこの部落が出来上がった原因だとおもいますが。  話変わって、ここのスレで、御幸通(西屯田通の三条から北側)、弾丸道路(旧国道36)、一番通(豊平峡温泉の奥らしい)は出てないですよね。
124大門通:2002/12/08(日) 11:06 ID:0rTD5iPw [ JJ030066.ppp.dion.ne.jp ]
私の母親は、現在札幌市民ギャラリーが建っている場所にあった旧一条中学校というところ
に通学していたのですが、豊平川堤防内にあった「サムライ部落」からの通学者もいたよう
です。聞いた話によると、その部落からの通学者は、身なりもしっかりしていたそうです。
また調べたところによると、後にそこの住人は、札幌市内の各市営住宅に入居させられたそ
うです。
12531:2002/12/08(日) 13:16 ID:CHhkGy2k [ P149209.ppp.dion.ne.jp ]
>>111
おかしな思い込みがあると白いものも黒く見えてしまいます。ホテルを建てるから立ち退
けと言われれば借家人は不満を持つだろうし、中にはそのおばさんのように測量の人に嫌
みを言う人もいるかもしれません。また、車を不法投棄しようという人は街中には捨てな
いでしょうから、故障車が通行の邪魔だから一時的に空き地にいれたんじゃないでしょう
か。

>>115
北海道でいう部落は被差別部落とは全く違います。同和問題に関して中途半端に話して寝
た子を起こすといけないのでここでは書きませんが、これも漫画で申し訳ないが「カムイ
伝」などを読めば差別が形成されていった歴史的背景が理解できると思います。
12631:2002/12/08(日) 13:17 ID:CHhkGy2k [ P149209.ppp.dion.ne.jp ]
>>124
> 身なりもしっかりしていたそうです。

廃品回収は思う以上に儲かったようです。札幌は高級住宅街が無い代わりにスラムも無い
し浮浪者も居ないのが特徴かと思います。段ボールの家では冬を越せません。当時の写真
を見たことがありますが、家は専門の大工さんが建てたのだろうかしっかりしたものだっ
たし、二階屋もありました。

あとで調べると、つのだじろうの作品の原作は山中恒の同名の児童文学でした。
127なまら名無し:2002/12/08(日) 13:44 ID:WbSx8O2s [ polestar-a.sora.city.sapporo.jp ]
盤渓なんてがいしゅつだろうか。
尼寺なんかもあるよね。
12818丁目:2002/12/08(日) 14:24 ID:2O/42X8E [ SODfi-01p3-56.ppp11.odn.ad.jp ]
>>125
車の不法投棄に見えたのは、勘違いでしょうね。
恐らくその当時の私は、変な知識がなかった反面、「ここは昔サムライの
住む街といって、とても怖いとこなんだ」と言われた事と、その風景にあて
られて、想像がたくましくなっていったんじゃないのかな?と思う今日この頃です。
被差別部落うんぬんにしても、差別を助長するような流言については全く笑止なことが多く、
動物を扱う=皮革・化学(石鹸等)=下町の職人が住み着いている街というふうに連想
させていますが、私の今の上司は東京の吉原大門の近くで生まれ、実家は今でも
ベルト屋さんで、子供の頃までは花王の工場がすぐ近くにあったという環境で育ちながら、
今は上場企業の課長となっています。
話は変わって、昨日自衛官の結婚披露宴に発起人として出席しました、そこで月寒通信基地
についてちょっとした話を聞いてきました。改めてお話します。
129牛鍋蝸牛:2002/12/08(日) 21:16 ID:qCQiZv/U [ B136056.ppp.dion.ne.jp ]
いつもの事ながら、別ネタは進んでいますが、なにはともあれ、「いく代」関係について。
買ってきた「札幌百年の人」は、表紙が手垢かカビでしろ〜く汚れていましたので、ティッシュに熱湯を付け、
「あちちち、あちちち」などと、「欽ちゃんバンド」のごとく叫びながら(知らね〜か)拭きましたところ、とってもキレイになっちまいまして、
「こりゃ、1,200円で売れるな〜」という状態になりました。
閑話休題(長らくお待たせいたしました)。
「斎藤いく」さんの記述です。
「割ぽう"いく代"を開いた人。明治元年三月新潟県の村松町に生まれた。村松藩のご用達だった父は、函館で木材商をしていたが、函館大火で財産を失いいくは芸者に出た。同二十年札幌に出て通い芸者をしていたが、同二十八年、当時の皆楽園の跡に料理店"いく代"を開業した。
同三十三年小林喜三郎と結婚、翌年現在の南三西四に店を新築、移転した。以後店は着々と発展、東京庵と並び、当時札幌で二大料亭といわれた。
また美ぼうで、才気、気風のよさで評判だったいく自身も、函館の勝田楼の島崎いと、小樽の海陽亭の官松かうとともに本道花柳界を代表する三人のおかみとしてもてはやされた。
大正二年病気のため引退、京都に移り、店は実妹のシゲがついだ。同十一年三月九日没。」
牛鍋蝸牛注 「偕楽園」は原文では「皆楽園」とあり。
とっても短いけど、これが「斎藤いく」さんの生涯のようです。
>>92で奇しくも、新川番地さんが言っておられた「函館大火」も「いく代」の創設に関連があったのですねぇ。
店だけではなく、いくさん自身もかなりの有名人だったようです。
さて、てなわけで、「札幌案内」に書かれた「偕楽園で魔術を弄した」女将は、やはり「斎藤いく」さんではないかと思われます。
「札幌案内」は明治三十二年の本ですから、時系列的には合致するわけです。
だた、「札幌案内」には既出のように、「いく代」という屋号での記述はありません。
今後の調査が必要でしょう。
ちなみに、「札幌百年の人」はあとがきによりますと、昭和43年の一年間、北海道新聞朝刊札幌市内版に連載されたもので、299人の人物が取上げられています。
残り、298人。
我ながら、なかなか強力な資料を(200円で)手に入れたもんだ。
13018丁目:2002/12/08(日) 22:13 ID:Pz9ZHvJk [ SODfi-02p6-19.ppp11.odn.ad.jp ]
おはようございます、今起きました(w
昨日の結婚披露宴盛り上がりすぎて、三次会まで行ってしまい、しかも自衛官
さすがに鍛えてますね、酒飲むわ。
そこでご同席させてもらったのが、ある駐屯地の基地通信隊長だったわけ。
そこで月寒送信基地について聞いたところ、そこでは泊まりで通信の勉強を
みっちり受けたそうです。外部からはわかりづらいが、地下3階まであって、そこの
決して開けてはいけないという扉を無理に開けようとして、この隊長さん三日間高熱
で寝込んじゃったそうです。
そこから豊平川まで、秘密地下通路が掘られていたらしいですが、地下鉄東豊線の工事
によりその存在が露呈してしまい、今では民間に払い下げが決定し、もう守秘義務も無
いでしょうとのこと。
131牛鍋蝸牛:2002/12/08(日) 22:23 ID:qCQiZv/U [ B136056.ppp.dion.ne.jp ]
>>123
「御幸通」ですが、「みゆき通り」として「その四」>>253で"ちょこっと"既出なのですが、この二つは「御幸通」違いのようです。
本籍は西創世区さんのおっしゃる「御幸通」は、「西屯田通」を北に延長した通りのことを言っておられるのでしょうが(というのも、「西屯田通」は北六条から南なので)、ワシの調べた所、正式な「御幸通」は「その四」の南区の通りであると思われます。
「さっぽろ文庫 1 札幌地名考」では、「さっぽろの通り」として「南区」の一番最初に「御幸通」が出てきます。
「国道230号線の南三十三条から新藻岩橋までの通りである」。
こちらは明治天皇の行幸の際に命名されたものです。
そして、「西屯田通」の北側の通りも、確かに後の天皇が通過されたことはあるのですが、こちらは当時摂政であった昭和天皇で、「さっぽろ文庫」によりますと、
「西屯田通と南三条線が交差する所にあった交番をそれにちなみ『御幸交番』と名付けた」とあります。
でも、これはあくまで「西屯田通」の項でして、「御幸通」の記述はありません。
ただ、地図で見ますと、今も確かに「みゆき」の名のついた公園があるようです。
はたして、ここは地元の人に「御幸通」と呼ばれているのでしょうか?
ちなみにここらは、牛鍋蝸牛、ご幼少の砌(みぎり)のホームグラウンドです(w
132牛鍋蝸牛:2002/12/08(日) 22:31 ID:qCQiZv/U [ B136056.ppp.dion.ne.jp ]
>>130
>決して開けてはいけないという扉を無理に開けようとして、この隊長さん三日間高熱で寝込んじゃったそうです。
は〜…、ファラオの祟りかぁ?
ありゃ、ピラミッドだったか?
守秘義務なし、とのことでしたら、ワシのデジカメに"なぜか間違って"写っていた画像をアップしますが…。
ただし、こっちには貞子の祟りがあるかもしれないので、見て一週間後に死んでもしらんで〜。
13318丁目:2002/12/08(日) 22:44 ID:RbLClWBc [ SODfi-01p1-76.ppp11.odn.ad.jp ]
>>132
牛鍋さん画像アップ万歳!!
134発寒1条1丁目:2002/12/08(日) 23:14 ID:wpe2ZNGg [ SODfa-01p5-215.ppp11.odn.ad.jp ]
今日は寒かったですねぇ。
清華亭久々に入りました。床が冷たくて冷たくて。
土曜日はサタデーテーリンクとやらで、子供たちでそこそこの賑わいを見せているのですが、
今日は閑散としていました。
清華亭の展示でジオラマや当時を再現した地図がありますが、
これ、写真を撮影するにはつらいレイアウトです。
表の解説版も塀の関係で読みづらい。
で、偕楽亭の在った場所がだいたい解りました。
そこはなんと私が駐車場として昨年春まで借りていた辺りらしい。
付近には目印になる建物はありませんが、つぶれた三洋証券の寮(売りに出てます。)
のちょい東よりの様です。
その近くに三味線を教えている所がありまして、関わりがあった方なのかもしれません。
135牛鍋蝸牛:2002/12/08(日) 23:58 ID:qCQiZv/U [ B136056.ppp.dion.ne.jp ]
18丁目さん、ごめん。
本当に祟りかも…。
ないんですよ、月寒送信所の画像が…。削除したつもりはないのだけどねぇ。
検索すると、Tempファイルとして小さな画像はかろうじて残っているのだが、鑑賞に堪えうるモノではありませんでした。
うーん…。
136牛鍋蝸牛:2002/12/09(月) 07:07 ID:C1WNIoDU [ y069126.ppp.dion.ne.jp ]
特に、新川番地さんへ報告。
「斎藤いく」さんが「弄した魔術」の件って、「このことじゃないか…」という記述を発見しましたよ。
前に見つけていたのですが、そこに書かれていたのが人の名が、「斎藤」ではなかったので別人と思い放置していたのです。
北区のサイトに、「歴史と文化の八十八選」に「天下の三名園を模倣?偕楽園と清華亭」というエピソードが書かれています。
ttp://www.city.sapporo.jp/kitaku/88guide/index.html
その最後に、「龍神の言い伝えも」という記事があります。

このあたりには、かつてはメム(湧泉)がありシャクシコトニ川が曲流して美しい大小の池をつくっていた。北6西7のシャクシコトニ公園はその池の跡だ。公園の南側には、いまも「井頭龍神」という小さな石碑と社殿があり、この龍神にはいわれがある。
明治の中ごろ、園内で料理店を営んでいた小林老が隣近所の人に言うことには、「池の龍神さまが夢枕に現れて、なぜまつってくれないのかと立腹している…」との"お告げ"があったという。それ以来この地区では、毎年8月18日、19日、20日には「龍神祭り」が催されるようになった。

この文章は悪文でして、「龍神のお告げがあった」と「小林老が言ったのを、近所の人が聞いたのか」のか、「近所の人が言ったのを、小林老が聞いたのか」がはっきりしませんが、ま、文面からして判断するに、「小林老」がお告げを聞いて、近所の人たちに話したと解釈するのが妥当でしょう。
で、以前、この文章を読んだときは、「(偕楽)園内で料理店を営んでいた小林老」が誰なのか、分からなかったのですが、200円の「札幌百年の人」
の記述によって、この人が「斎藤いく」さん、本人であることが判明しました。
「札幌百年の人」には、
「同(明治)二十八年、当時の皆楽園(原文のまま)の跡に料理店"いく代"を開業した。同三十三年小林喜三郎と結婚…」とあります。
「小林老」とは、結婚後改姓した「斎藤いく」さんか、旦那さんの「喜三郎」さんだった可能性が大きい。
ま、結婚の翌年、南三西四に移転して後に、いくさんはかなりに有名人になっていくので、「小林老」は喜三郎さんかな?
でも、どうやらこの、「龍神うんぬん」あたりから、「魔術を弄する」などと言われたのではないかな?とワシは判断するのですが、皆さんいかがかな?
137なまら名無し:2002/12/09(月) 09:22 ID:wdrFkbGY [ sapporokita2-223.ppp-1.dion.ne.jp ]
いやいや8日は書き込み多かったですね
7日午後からはTOTOのコンサートにいくため8日はそのダメージで
やっと今日になって読んでます。                                            
                           
で、何の本かは忘れたんですが、「斉藤いくなるもの旗亭2軒なんたらで甚だ俗了せり」                                        
っていう記述で清華亭も偕楽亭も借りてたんだなーっておもってたんですが                                             
でも大きさから考えて清華亭の方は料亭に使うには小さいような・・・
むしろ偕楽亭の離れとして使っていたんじゃないかと思います
その後、中島公園ができて人が南に集中しだして偕楽園自体が寂れ、南3西4に「幾代庵」を開いたのが                     
後の「いく代」ということのようです

絵はがきが届きまして
大広間(欄間は今定山渓の花もみじに有るそうです)と玄関、庭園と支店「松源」の                 
3枚でした。おみやげに絵はがき作ってる料亭ってすげー                 

「弄した魔術」やっぱり政治力じゃないっすかね
138牛鍋蝸牛:2002/12/09(月) 11:24 ID:hMq.RY36 [ K102037.ppp.dion.ne.jp ]
コンサートなんて、ここ十数年行ったことないなぁ〜。
へなちょこだけど、バンドやってたことあるのにさ。
>>137
「弄した魔術」は政治力か…。
ワシは「札幌案内」という本は性格上、文学的、あるいは遠まわしな表現、ということはしないと思いますので、そのまま単純に「魔術」(神通力)と解釈して良いと思います。
現在は"あの"「偕楽園」「清華亭」で料亭、というと政治力がなければムリと思われますが、「偕楽園」はおっしゃる通り、「中島公園」が出来たために人気が衰退し、廃園になっています。
それが明治19年(1886)のことです。
いくさんが、店を開いたのはそれから9年後。
その間に、「清華亭も人手にわたり荒れてしまった」(札幌の建築探訪 監修・角幸博 北海道新聞社編)そうですので、「清華亭」や「偕楽園(跡)」で商売をするのは、そう難しいことではなかったのかも知れません。
「偕楽園(ましてや跡地)」は言わば場末だったのです。
事実「札幌案内」の「旗亭」の項では「偕楽園」以外に住所が記載されている店、7店はすべて「南」にあります。
おそらくはやはり商売をするにはここはイマイチだということで、南三西四に移転したのでしょう。
もちろんその後のいくさんの手練手管はどんなものかは知る由もありませんが…、と書いたところで、ワシ、今頃気がついたアルヨ!!
「札幌案内」の「偕楽園」のとこに「幾(いく)」って名前でてるじゃん!
「女将幾(じょしょういく)老練を以って」。
あちゃ〜、ワシャ、「老練」を強調する意味の「幾」だと思っていた。
「幾星霜」みたいに、「幾老練」って…。
ちゃうやん!
「幾」って「斎藤幾」だ!
やはり「斎藤いく」さんは「頗(すこぶる)魔術を弄した」女将だったのです!
<つづかざるを得ない…>
139牛鍋蝸牛:2002/12/09(月) 11:41 ID:hMq.RY36 [ K102037.ppp.dion.ne.jp ]
あ〜、新発見なんだけど、実は見落としていたというショックで、ちょっと疲れた…。
ま、「札幌案内」の「偕楽園」の女将が間違いなく、「斎藤いく」さんであったということは、このミッシングリンクを解く上では非常に重要であります。
さて、>>138の続き。
そんな訳で(どんな訳じゃ?)、「偕楽園」や「清華亭」で商売を始めたこと自体は「魔術」(政治力)でもなんでもなく、ひとえに、いくさんの努力の賜物であったのではないでしょうか?
以上の理由からワシとしては、「魔術」=「神通力」(龍神さまのお告げが聞こえた)とそのまま素直に解釈したいのです。
龍神さまは、以前「水車町研究」での「難得神社」でも出てきましたが、なんたって水商売の神様ですからね。
やはり、これで決まりでしょう。
(…と今日は強引に結論付けた。と、日記には書いておこう)

そうそう、それにしても、「札幌案内」が出版されたとき、いくさんは三十そこそこ。
人生五十年の時代とはいえ、女、三十にして「老練を以って聞ゆるも」てのは、やはり半端な女性ではなかったのだろうなぁ、ということも書き加えておきます。
140牛鍋蝸牛:2002/12/09(月) 12:01 ID:hMq.RY36 [ K102037.ppp.dion.ne.jp ]
さて、もう一つ付け加えておきますと、例の「さっぽろの昔話 大正編上」に「偕楽園」「清華亭」のことが書かれています。
寂れてしまった偕楽園周辺のところを書き出しますと、
「札幌最初の遊覧所で賑わった偕楽園界隈も、招魂碑、開拓記念碑が移され(中略)、清華亭付近が個人の所有になって貸家を建てられてから、池の周囲は塵捨場となった。あたら札幌随一の名所も台なしとなった」
「こうして由緒のある清華亭も今は雑然たる市せいにあり、僅かに往年の俤(おもかげ)を止めている。前年この荒廃した旧蹟を永久に保存する為憤起した人があって、清華亭保存会が生まれ市の斡旋で、近くその目的を達することとなっている」
これが昭和の初めの記述ですので、かなり長い間「偕楽園」や「清華亭」は放置されていたことがわかります。
具体的には、「札幌の建築探訪」に記載がありますが、
「昭和4(1929)年に歴史家河野常吉を中心にした保存運動により、同8年に国の史跡に指定され、また戦後も昭和36(1961)年に市の有形文化財に指定された」そうです。
141本籍は旧西創成区:2002/12/09(月) 12:16 ID:UPKLPkzA [ i220131.ap.plala.or.jp ]
131>>ご指摘ありがとうございます。西屯田の三条交差点から北一丁くらいについて、わたくしは、前々より、大変に気になっているところがありまして、観察していたわけです。それは、そこのところ一角だけに、屋根がかかる前の狸小路名物であった「鈴蘭灯」があったからです。支柱には、狸小路商店街とプレートもありましたが、肝心の鈴蘭の笠が蛍光灯に改造されていました。狸小路の鈴蘭灯は、狸小路から撤去されたあと、静内の静宝(せいほう)通りに売られたことは、FM北海道の北海道クローズアップという番組のコーナーで、十数年前に聞いたのですが、なんで、この西屯田の一角にあるのかと気になりまして、そこらにいたおばさんに聞いたところ、ここねぇ御幸通りだからねぇと教えてもらったわけです。それで、わたくしはあの一角が、御幸通りなんだと思っていたのです。(ただ、その方からは鈴蘭灯の経緯は聞けず)この鈴蘭灯、二・三年前に撤去されてしまいました。    話変わって、横道にそれますが、札幌市内にも、龍神がらみって結構ありますね。 かねてから話題のかいらく園や、盤渓の妙福寺(尼寺)、真駒内の龍神塚、伏見稲荷の石などがありますが、やはり川が多いからでしょうか。  また話変わって、「鹿の湯別館 花もみじ」というホテルは、もともと、定山渓の電話の局番が変わった頃(昭和55,6年か? もとの市外局番は011365で、市内局番は無い)廃業した「ホテル・ニュー香取」なので、「いく代」の欄間は、「いく代」→「香取」→「花もみじ」と渡り歩いているのでしょうか。
142牛鍋蝸牛:2002/12/09(月) 12:37 ID:hMq.RY36 [ K102037.ppp.dion.ne.jp ]
温泉と「いく代」に関して情報を提供します。
本籍は旧西創成区さんの疑問に答えるようなものではないのですが、一応ね。
ttp://onsen.u-p.co.jp/mag/back09.html
小金湯温泉のサイトです。
歴史は古く、
明治20年(1889年)に開湯、
昭和11年(1936年)更生園(現小金湯パークホテル)、
昭和17年(1942年)に黄金湯温泉旅館が開業、
昭和19年(1944年)札幌の割烹いく代が別荘(現まつの湯)として温泉を始めました。
現在は3軒とも、皮膚病に効果のある温泉として賑わっています。

じゃ、出かけるので、あとはよろしく。
「斎藤いく」さんの魔術の件、あびに報告に行かねばっ!
143新川番地:2002/12/09(月) 14:25 ID:x86attjA [ sapporokita1-59.ppp-1.dion.ne.jp ]
ぎゅうさん 事件です
「小林」さんという線で再度あたってみたところ「新聞と人名録にみる 明治の札幌」という本の「北海道人名録」に「小林いく」さんの名が載っていました。概ね牛鍋蝸牛所有の「さっぽろ百人の人」の記述と相違ないようですが、大正3年の本(の写し)なので、近年健康を害し・・・とあり、大正2年「養女 小いく」に「いく代」を託したようなのです。
「養女 小いく」と「実妹 シゲ」どちらが正解なのでしょうか
(正解は3番「義母 あい子」ではないことだけは確かですが)

「あび」は入れ替わりのようですね。あえなくって残念です

本籍は旧西創成区さん
「いく代」の欄間は1956年に「鹿の湯」本館に移築されたものを「花紅葉」に再移築したのだそうです。

小金湯の「まつの湯」は、絵はがきにのっている「支店 松源」なのかも・・・
(年代が違うか・・・)
14431:2002/12/09(月) 19:15 ID:QHviPTJI [ J026054.ppp.dion.ne.jp ]
>>139
「いく代」の名前は子供のころから何度となく耳にしています。

ところで、なんか魏志倭人伝の卑弥呼のような話になっていますが、花柳界の女性に「魔
術を弄する」と言えば、男どもの鼻の下を伸ばさせて店に通わせるぐらいの意味ではない
でしょうか。それに神様のお告げを聞いたとしても魔術は言わないでしょう。また、○○
老は女性には用いません。

それと恵存、これは自分の著作にサインする時の言葉です。一説には目上の人に恵存は失
礼なので挿架と書けとも言います。

>>141
御幸通りは天皇の行幸の通りですから全国各地にあります。山鼻地区にかんしてはここに
説明があります。

http://www.city.sapporo.jp/chuo/news/backnum/200203.html
145牛鍋蝸牛:2002/12/09(月) 19:27 ID:yg0Xu882 [ U127078.ppp.dion.ne.jp ]
>>144
そうことごとく否定されては、レスが続きませんな。
146啓タ:2002/12/09(月) 20:17 ID:l.NvFuR6 [ EATcf-150p219.ppp15.odn.ne.jp ]
>>144
『恵存』、いやー一本とられました。いつかいわれるとおもてました。
辞書では自分の著書などに・・・となってたのでまいいかとおもいましたが
そこまで指摘されては、ぎゅうさんに謹んでお詫び申し上げ、進呈乃至は
贈呈とあらためさせていただきます。ただし目上のひとにつかうとかいう
(目上とはなにをさすかはかりかねるが・・・年の功でいえば実はわしに軍配
なんだが、これすれの存在価値からすれば圧倒的にぎゅうさんに軍配(w)
「挿架」大辞林にもでてないが・・・出典はいずこ?
31さん造詣ふか〜い。おみそれしやした。
東屯田通りなつかしい。行啓通りから東本願寺まで散歩するのが趣味でした。
なんたってあの下町的商店街が大好きですた。西屯田通り別名御幸通りとは初耳です。
元祖御幸通り、川沿まで仕事でかよってたとき興味ある通りでした。
石山通から斜めに外れた通り(斜交路?)だよね。あれって石山通の
旧道じゃなかったのかな。川沿の旧道とおなじように。どうもそんな気が。
ああぎゅうさん三升漬け、暮れで忙しくて近々いきますんで。すんません。
147牛鍋蝸牛:2002/12/09(月) 21:08 ID:yg0Xu882 [ U127078.ppp.dion.ne.jp ]
今日はもう書き込まないつもりでしたが、気が付いたことがあるので。またまた書きます。
新川番地さん。
遅ればせながら、>>137の件です。
いや、今、気が付いたものですから…。
>「斉藤いくなるもの旗亭2軒なんたらで甚だ俗了せり」
これに近い記述が「札幌案内」にありました。
で、これだと、また「魔術」の解釈が違って見えるかも。
「札幌案内」に「遊覧地」という項目があって、「偕楽園」そのものの説明がされています。
(いや〜、まず「偕楽園」がどうだったか調べるのが必要だったのに、忘れていたよ)
この本の記述は、我々が知っている(あるいは調べればわかる)ことがほとんどなのですが、最後の部分に新川番地さんが書かれた記述に近い部分があります。
ここまでは当り障りのないことを書いているのですが、一転して、
「同園は今や對馬嘉三郎(つしまかさぶろう)氏の所有に帰し斎藤いくなるもの賃居旗亭を営むを以って地甚だ俗了せり」
あんまりいい評価とはいえないような…。
さて、「對馬嘉三郎」とは一体、誰か?
148牛鍋蝸牛:2002/12/09(月) 21:09 ID:yg0Xu882 [ U127078.ppp.dion.ne.jp ]
「札幌百年の人」から要約します。
「札幌の初代区長。もともと開拓使の役人であって、退官後、開拓使経営のみそ、しょうゆ、木工場の払い下げを受けた。明治11年大有社をつくり手広く米穀、雑貨、海産物の販売をし、これが本道の商社第一号。道炭鉱鉄道、道製麻、札幌電灯、道鉄道。拓銀などの設立に参加。同三十二年札幌区政が施行され札幌がはじめて地方自治体になった時、初代区長に就任」
まさに札幌(北海道)における政財界のリーダーだった人物のようです。
この對馬嘉三郎から「偕楽園」を借受けた「斎藤いく」。
やはり、「魔術」は単なる「神通力」ではなかったのだろうか…?
「いく代」の二代目女将ですが、あそこの親戚は結構多いようです。
ま、簡単に言っちゃって申し訳ないんですが、いろんな人がいたのでしょう(w
実はワシの死んだ母(嘘だよ。生きてる。洋裁できる)が、昔、親戚(女性)の方から喫茶店を始めるので、制服を縫ってほしいと仕事を受けたことがあるそうです。
あと、うちの弟もその旦那さんのところでちょっと仕事をしたことがあるそうですわ。
あ、「あび」のマスターに「魔術」=「神通力」説を説いたが、あまり納得はしていなかったよ(w
啓タさんへ。
年末は誰しもが忙しいんですから、気にしないで下さい。
今から宣言しておきますが、ワシなんか年末年始休みありません。
149本籍は旧西創成区:2002/12/09(月) 21:25 ID:7uoIHWZw [ i253136.ap.plala.or.jp ]
141,144のお話参考になりました。有難うございます。  「いく代」の欄間の件、同店と温泉の関係、御幸通りの件、了解しました。 話変わって、最近、「札樽バイパス(札樽高速)」と言わなくなりましたな。昔の中央バスは、バイパス(札樽・道央高速)経由は30円増しです。とありましたが。
150牛鍋蝸牛:2002/12/10(火) 21:17 ID:VFRXApfw [ U126089.ppp.dion.ne.jp ]
陸上自衛隊札幌駐屯地月寒送信所」の画像アップという18丁目さんのリクエストに対してお答え出来ず、自己嫌悪(死語だな、これ)に陥っているワシですが、皆さんご存知のように、このほど「イージス艦」がマスコミに公開されましたねぇ。
"あの"、イージス艦の内部が公開される昨今、あのぉ(汗、「陸上自衛隊札幌駐屯地月寒送信所」の外観を写真撮影しちゃいけない、な〜んてことがあるのだろ〜か!
と思っちゃうワシなのです。
今度の休みに行って、真正面から撮影したろか?
でも、ことを荒立てると、門番のあの若い自衛官に迷惑かけることになるかもしれないし…。
ま、一応あっちの顔を立てて、"こっそり"撮影することにするかな。
それでお互いの顔が立つというものですからね。
18丁目さん。
万が一の時は、ワシの骨を拾ってやってくださいますか?
15118丁目:2002/12/11(水) 00:18 ID:6RijgSZU [ SODfi-01p4-36.ppp11.odn.ad.jp ]
あー、あそこは駐屯地、師団なんてちっぽけなカテゴリーに入っていなく、
方面軍直轄の基地なんです。私が見に行ったときは、女性自衛官が門衛所から、
あのトーチカまで歩いているところをじっくり観察していました。
何が言いたいかというと、組織が上部に近いほど、女性自衛官の美人度は高くなるんですよ。
どーせ建物撮るなら、女性自衛官が歩いているところ狙って撮ってください。
そーすれば、私なんぞが骨を拾うのは容易いご用ですし、九段に英霊として・・・・
152牛鍋蝸牛:2002/12/11(水) 22:16 ID:fMDVetlE [ N023184.ppp.dion.ne.jp ]
「凍えこごえて手の指の、みるみる落ちし者もあり」 (「陸奥の吹雪」より)
寒い日が続いております。
今回のレスはもう、完全に番外編です。
地名には全く関係ありません。
ま、とにかく、sageときますが…。
18丁目さんは、みょ〜に自衛隊について詳しい。(しかも、美人自衛官をじっと観察する、怪しい癖もおありのようだ…)
この際、ワシが知っている自衛隊の機密事項を皆さんにお知らせするとしよう。
一般自衛隊員の方々が食する醤油(日本古来の調味料。主に大豆と小麦を原料とす)に関してなのだが、これは当然、入札で購入する。
なぜならば、国民の皆様から頂いた、血の一滴である税金を無駄にしないがためである。
しかしながら、何はともあれこの入札価格はとにかく、安い。
んもぉ〜、信じられないくらいの値段でなければ落ちないのである。
元は到底取れない。
原価なんかとうに割っている価格でなければあかんのだ。
それでも、メーカーは(毎回ではないにしろ)落とそうとするわけだ。
な〜んでか?(by 佐々木つとむ)
量が大きいからね〜。
工場というものはある程度の生産量がないと利益が出ないものなのだ。
所謂、スケールメリットってやっちゃね。
そんな訳で、「なるべく損をしないようにする」…。
これが自衛隊相手の商売なのですわ。
でもね、醤油ってのは別に「ご家庭用」、「自衛隊用」って作っているわけではないので、実際、原価は変わらない。
となると、あとは容器で稼ぐしかないのですよ。
納品には18L缶(1斗缶)を使用するわけだが、新品を使うと当然に、高くつくので、そんなもんは使わない(使えない)。
業務用で一度使った(空けた)ものを回収して使うことがあるのだが、それを業界では、「一空け缶(いちあけかん)」と呼ぶ。
しかしながら、自衛隊の皆さんに食していただく醤油の値段では、「一空け缶」でも全く元は取れないので、最低、「二空け缶」を使うわけだ。
で、それでも原価割れの場合もあるので、「三空け缶」なんかも使ったりするわけ。
醤油は塩分が強いので、「二空け缶」でもそうなのだが、「三空け缶」となるとそれはもう、当然錆びます…。
ま、当たり前だが、醤油にも錆びが移るわな。
風味とかにも当然、影響がでるはず。
でも、食えればいいのだろう。
いざとなったら、木の根も、ネズミも食せねば国を護るなどという職責は果たせまいて…。
しかしながら、体にはどんなもんだかの。
ワシは知らんで。
153牛鍋蝸牛:2002/12/11(水) 22:17 ID:fMDVetlE [ N023184.ppp.dion.ne.jp ]

これは自衛隊情報ではなく、食品業界情報やったね。
15418丁目:2002/12/11(水) 22:42 ID:BTVkmGQk [ SODfi-01p5-4.ppp11.odn.ad.jp ]
牛鍋さん
私先日、復刻古地図明治・大正・昭和札幌市全図(人文社1,500円)を購入しました。
はたして悲しいかな、私の家は昭和11年の地図上では空白地でした。
そりゃそうですね、これはあくまで札幌市の地図であって、札幌村は域外ですからね。
それにしても、豊平町、白石村、藻岩村、琴似村などは道なんか描かれていて確かにそこが
村や町だってわかるのだけど、札幌村は、有名な元村街道さえ市界からこっちには伸びていない
ような描かれ方してる。開拓使が開いたグレートサッポロとはやっぱ扱いの違いを感じるのです。
155牛鍋蝸牛:2002/12/11(水) 22:59 ID:fMDVetlE [ N023184.ppp.dion.ne.jp ]
>>154
あ〜、いいアドバイスしましょ。
200円までの買い物なら、多少難ありでも妥協出来まっせ。
156牛鍋蝸牛:2002/12/11(水) 23:25 ID:fMDVetlE [ N023184.ppp.dion.ne.jp ]
そうそう、聞こうと思って忘れていた!
新川番地さん。
>>26で、
>清華亭や偕楽亭を一次借り受けていて大いにひんしゅくを買ったらしいのです。
とおっしゃっておられるが、「斎藤いく」さんは、なぜ、どぼちて、「ひんしゅく」をかったのでしょう?
一体なぜそうだったのか?
その理由を知りたいなぁ。
思い起こせば、ここが一番大事なトコだったりするわけですよね。
157牛鍋蝸牛:2002/12/13(金) 21:29 ID:igDrbXwA [ N043210.ppp.dion.ne.jp ]
「信仰とは思考の停止である…」と母校の心理学の先生は発言したが、それが事実かどうかはともかく、間違いなく、激しい疲労というものは思考を停止させるのでありました。
な〜んも、考えられない、したくない、生きているのがつらい…ほど仕事で疲れてしまい、休みの今日も家の一歩も外に出ず、当然、家の前の雪は積もったまま…。
でも、夕方になってやっとこ多少元気が出てきましたので、今日は"軽く"書きますです。
「偕楽園」、「清華亭」、そして「いく代」調査の途中経過を整理しました。
「札幌案内」の記述にありました、当時現役の初代の札幌区長であった、「對馬嘉三郎」が「偕楽園」を個人所有しており、「斎藤いく」に賃貸したという件。
この一件に関して、「札幌案内」を読む限りでは、どうも好意的思われていたとは言いがたい雰囲気。
「同園は今や對馬嘉三郎(つしまかさぶろう)氏の所有に帰し斎藤いくなるもの賃居旗亭を営むを以って地甚だ俗了せり」
後年は「東京庵」と並び、「いく代」は札幌の二大割烹、「斎藤いく」さんは北海道の三大女将とまで呼ばれるのではありますが…。
で、「さっぽろの昔話 大正編上」には、
「清華亭付近が個人の所有になって貸家を建てられてから、池の周囲は塵捨場となった。あたら札幌随一の名所も台なしとなった」
との記述もありぃ〜のって状況。
おそらくは、この「個人」ってのが對馬区長なのでしょうが。
となると、「偕楽園」が寂れたのは、一般的には「中島公園」が出来、そちらに人気が移ったからと言われていますが、もしかするとこれが直接的な理由ではなかったのかも知れません。
さて、新川番地さんから既出の、「通称 夜の赤レンガ」という「いく代」(南三西四)の別称のことです。
この呼び名は、HP「絵葉書の世界」の管理人さんが付けたキャプションの中に登場するのですが、おそらくは、絵葉書の入っていた袋かなんかに書いてあったのでしょう。
「夜の赤レンガ」ってことは、当時の政治家や役人が夜な夜な「いく代」にやってきたということ。
でもまあ、言わば「料亭」とか「(高級)割烹」って、良し悪しはともかく、そういところなのです。(いや、行ったことないから知らないけど)
「あび」のマスターも長年ススキノに居ましたが、「政治家とかが行く所で、俺なんか場所も知らんかったけど、とにかく有名だったぞ」と言っていましたからねぇ。
で、まぁ、斎藤いくさんの「魔術」の意味なんですが。
<つづきは明日>
15818丁目:2002/12/14(土) 11:31 ID:Rtc2LxjA [ SODfi-01p2-155.ppp11.odn.ad.jp ]
明治4年、札幌偕楽園にてタマネギ栽培開始
(フォークロアシティーさんの札幌文庫紹介の札幌事始より)
159牛鍋蝸牛:2002/12/14(土) 17:01 ID:Qg06dqlE [ E168134.ppp.dion.ne.jp ]
あ゚〜、調子悪ぅ〜…。
実は先日、とある民家を訪問した際、外階段(タイル)にうっすらと雪が乗っていたようで、降りるときに見事に足を滑らせ、左の尻から着地、二、三段落ちてしまいました。
疲れていた体にその全身打撲ですっかりおかしくなってしまい、思考停止の状態ですわ、ほほほ。
てなわけで、ちょと、レスは休息させてもらいますです。
みなさん、あとはよろしく。
160なまら名無し:2002/12/14(土) 19:33 ID:k4Xyi/qE [ EATcf-329p157.ppp15.odn.ne.jp ]
このスレの原点にたちかえって。アイヌ語に由来する地名。
苗穂(小さな川)、豊平(下の潰れた岸)、平岸(崖のはしっこ)、
簾舞(峡谷にある川)、茨戸(広い沼)、発寒(ムクドリの多い川)
厚別(潅木の群生している川)、伏古(昔の)、手稲(濡るるところ)
真駒内(山の方にある川)小別沢(仕掛け弓をおく沢)、盤渓(川下)
琴似(低くくぼんだところ)

札幌市民になって40年になるが初めて聞いた地名。
沼ノ端、十軒(ただしくはじっけんだろうがじゅっけん)、三角通り、
土場、砂山、板割沢。
みなさんどこにあるかご存じか?(出典は「ウォッチング札幌」より)
161啓タ:2002/12/14(土) 19:48 ID:k4Xyi/qE [ EATcf-329p157.ppp15.odn.ne.jp ]
あっと159、ぎゅうさんおみあしお大事に。お見舞い申し上げます。
160もけーたです。
16218丁目:2002/12/14(土) 21:40 ID:oFEtdDhk [ SODfi-02p6-41.ppp11.odn.ad.jp ]
土場、砂山、板割沢は初めて聞いたよ!
おー私も超具合悪くてずっと床に伏せていたのです。
まだ調子よくないけど、あまりにひまで覗きに来ました。
163啓タ:2002/12/15(日) 07:52 ID:rwlKdFBs [ EATcf-329p157.ppp15.odn.ne.jp ]
まだあった、大野地、中野、五ノ戸
164牛鍋蝸牛:2002/12/15(日) 21:19 ID:XkBK1OTc [ N023037.ppp.dion.ne.jp ]
>>161
足は傷めていないんですよぉ。
全身打撲というか、鞭打ち状態なのです。
そういえば、18丁目さんは以前にも臥せったことがおありだったような…。
「十軒」は何度かこのスレでも出てきていますね。
「五ノ戸」も同時に。
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/3_log.html#051
「三角通り」とは「その壱」に出てきた、「三角点通り」のことでしょうね。
別名「三角街道」。
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/1_log.html#291
(このジャンプ機能は、161さんが設定してくれました。便利〜♪)
「砂山」は、「その四」の#79の「砂山」でしょうか?
(「その四」は、まだジャンプ機能未対応です。自分でたどってね)
啓タさんが挙げた地名、「中野」以外は分かったのですが…。
「中野」ぉ??
駅前にボディビルジムとかある?(そりゃ、東京だ)

※斎藤いくの「魔術」に関しては、追って沙汰あるまで待て。
165牛鍋蝸牛:2002/12/15(日) 21:21 ID:XkBK1OTc [ N023037.ppp.dion.ne.jp ]

あれ?飛ばない…。
166啓タ:2002/12/15(日) 21:42 ID:MxBZB1Q6 [ EATcf-89p47.ppp15.odn.ne.jp ]
ぎゅうさんむちうちとはアタマからいったのですか。お大事になされませ。
中野は大野地と中沼にはさまれたあたりらしい。
砂山は砂丘からきてるらしく紅葉山砂丘の西端、手稲前田の近く。
土場、「どば」とよむのか「つちば」と読むか不明、常盤の奥。
板割沢、「いたわり」なのか「ばんかつ」なのか不明、豊滝の近く。
167牛鍋蝸牛:2002/12/15(日) 22:00 ID:XkBK1OTc [ N023037.ppp.dion.ne.jp ]
「いたわりさわ」と「どば」が正解です。
話は変わりますが、>>164のジャンプは「まちBBS」からなら飛ぶようですが、「OpenJane」で開いた場合はダメなようです。
いい方法はないのかな?
16831:2002/12/16(月) 00:09 ID:pWfG8z7. [ J024155.ppp.dion.ne.jp ]
>>160
nay-po = 小さい川あるいは川の子供のほう。苗穂の辺りは低地ですからそこを流れていた
支流を、豊平川乃至石狩側か他の支流と比べて、子供に見立てて呼んだのでしょう。藻岩
山(たぶん)と円山のうち小さいほうの円山を mo-iwa と言ったのと同じですね。

tuy-pira = 崩れた崖。しかし、toy-o-i-pira = 粘土が沢山出る所にある崖という解釈も、
もし実際にそういう場所があるなら、成り立つのではと思います。

発寒の解釈は hacham-pet = ムクドリの川とは聞いていますけれど、出典を知りません。
もしご存知なら教えてください。
169大門通:2002/12/16(月) 00:38 ID:kZ.SRh3w [ X160060.ppp.dion.ne.jp ]
hacham・pet=桜鳥・川(出展:本多貢「北海道地名漢字解」道新 1995)
との事です。hachamは地名語彙としてよく登場するそうです。知里真志保先生
の本によると、hachamをサクラドリであると解釈しているのは永田方正という
人の説だそうです。またムクドリ・サクラドリと呼ばれるものには、オオムク
ドリとコムクドリがいて、アイヌは特に両者を区別しなかったそうです。よっ
て168さんの所にある発寒の地名解釈は、永田方正「北海道蝦夷語地名解」の引
用かと思われます。(参考文献:知里真志保「知里真志保著作集別冊T 分類ア
イヌ語辞典 植物編・動物編」1976 平凡社)
17018丁目:2002/12/16(月) 18:52 ID:rMBvfvEo [ SODfi-01p5-135.ppp11.odn.ad.jp ]
中野といえば、そこに至る道が苗穂丘珠通と命名されているが、東区HPのMAP
によるとそこは中野街道とされている。
171啓タ:2002/12/16(月) 19:31 ID:fL/i4J6w [ EATcf-326p97.ppp15.odn.ne.jp ]
ぎゅさんはじめ、18丁目氏、大門通り氏、31氏といい
ただもんじゃないわ。くわしすぎ。みんないい味だしてる。(w
172啓タ:2002/12/16(月) 19:39 ID:fL/i4J6w [ EATcf-326p97.ppp15.odn.ne.jp ]
>>164
ぎゅうさんの「足はいためてないんですよぉ」の『よぉ』が
投球デパートのエンゼルブルーのおねえさんの発音にそっくりなんで
おもわず藁ってしまった。(ぁ、失礼、人の不幸を笑うなんて)
あっとすれちがいで失礼しました。
173牛鍋蝸牛:2002/12/16(月) 21:44 ID:C9ZOjcbo [ K103050.ppp.dion.ne.jp ]
徐々に回復してはいますが、時たま後頭部がズッキーン!と痛くなる牛鍋蝸牛です。
完全復帰には時間がかかりそう。
しかも年末年始が迫っている…。
うちの職場は修羅場と化す。あぁ〜…。
さて、「中野」ってなんだかフツーな名前ですよね。
「中沼」の「中」と関係があるのかな?
あの辺りはかなりマイナーな場所であることは間違いないのですが、この時期の実地調査には適さないような…(w
そう!現場に行って、「実地調査」。
これがこのスレの命。
「現場百篇」、「犯人は現場に戻る」、「真心の現場主義」。
皆さん、よろしくね。
17418丁目:2002/12/16(月) 22:08 ID:hrb4Fpn2 [ SODfi-02p2-153.ppp11.odn.ad.jp ]
牛鍋さんお体大切にね
私は今日医者に行って、ウイルス性胃炎と診断されますた。
点滴打って、薬飲んで、会社3時頃引き上げてきたら復活の兆しです。
市道中野街道線ってやっぱり初めて聞く名だな〜
175啓タ:2002/12/16(月) 22:26 ID:fL/i4J6w [ EATcf-326p97.ppp15.odn.ne.jp ]
それより土場が気になる。常盤の奥は芸森や真駒内スキー場、それこそ湯ノ沢あたりにも
なんども足はこんだが「どば」なんて一度も聞いたことがないぞ。。
どのあたりか実地調査してみねば気がすまん。滝野霊園のモアイ像のあたりには器械場という
古い地名のバス停はあるが。ドバねー。
その前に三升漬けとりにいかねば・・・・
176なまら名無し:2002/12/17(火) 00:03 ID:acFGcwoA [ msv1.hokkai-k-u.ac.jp ]
なんか内輪話でクソスレ化してるな
177水源地の主:2002/12/17(火) 02:16 ID:od29l2PQ [ sapporokita3-74.ppp-1.dion.ne.jp ]
北海道は田舎よ、田舎、本州から見ればススキノ以外はマイナーよ。知らんよ、知らん。
178牛鍋蝸牛:2002/12/17(火) 10:11 ID:eiEuwizY [ U127110.ppp.dion.ne.jp ]
>>176さん。
よければどうぞ「内輪」になってください。
是非、新ネタ、新事実挙げていただきたい!
>>177さん。
そうなんです。
マイナーだから調べているのです。
まさにそれが、このスレの命なんですよ。
179牛鍋蝸牛:2002/12/17(火) 10:48 ID:eiEuwizY [ U127110.ppp.dion.ne.jp ]
え〜,そろそろ真面目にやりますかぁ?(w
まぁ、こちらも別に地名のプロではありませんから、たまにはだれることもあり〜の、わからんことはわからんってなもんで、これからもお気楽にやっていく姿勢に、全く変わりはありませんが。
さて、一般的な言葉としての「土場(どば)」とは…。
建築関係の方なら、割となじみの言葉ですよね。
「木材を搬出し、加工するまでの一時的な集積・貯蔵場所。搬出段階により、山元・駅・工場など」(講談社カラー版 日本語大辞典 第二版)
ってこと。
大工さんが言う「土場」とは、もっと単純に、材料である木材の「置き場」のことを指すと思います。
工務店の脇にあるでしょ?
材木が立てかけてある所。あれ。
「さっぽろ文庫 1 札幌地名考」には「土場」としての項目はありませんが、「常盤」のところに出てきますね。
("じょうばん"ではありませんよ。「ときわ」です。なにしろススキノしか知らない人もいるので一応…)
「その昔、望豊台とよばれ親しまれてきた石山陸橋から以南の真駒内川の流域一帯の道道札幌支笏湖線に沿う地域で、以前は土場といわれた。明治三十五、六年ごろから札幌に木材を供給するため、真駒内川の上流から流送された木材を引き上げ集積した所なので、土場と呼んだ。現在の石山四区および常盤付近である。昭和十九年(1944)常盤木の森林が多いところから現地地名に改称した(略)」
これはちょいと現地に行って見たくなるねぇ〜。
支笏湖線かぁ…、冬に実地調査かぁ…、行くときは一人で行くべきだなぁ。
180牛鍋蝸牛:2002/12/17(火) 15:07 ID:zcz2hyEM [ E168102.ppp.dion.ne.jp ]
「土場」に関しては「望豊台」という地名(?)が出てきましたね。
「望豊台脾」というのがあるそうですよ。
南区のサイトから、
「石山2条2丁目、石山陸橋のたもとにある石碑。昭和13(1938)年6月に豊平町青年団石山分団員が先人の苦労をしのび開拓の心を構成に伝えようと建立したもの。その後、しばらく忘れられていたが、道路拡幅工事の際に地元有志が保存会を結成。碑を同61年11月に現在地に移転し、望豊台の碑由来を記した副碑も建立した。移転を記念してタイムカプセルを埋設。50年後に開く予定である。」
タイムカプセルって?
いったい何を入れたのだ?
なんか、先人の苦労を偲ぶのとは趣旨が違うような気がしますが…。
ところで肝心の「望豊台」自体がよくわかりません。
181啓タ:2002/12/17(火) 19:53 ID:PIaUINWA [ EATcf-366p122.ppp15.odn.ne.jp ]
しかしぎゅうさんは若干わしより若いはずなのに、どうして土場とか
常盤木とか死語になりつつある言葉知ってるの?ほんと物知りだわ。
「ときわぎ」年寄りに聞いたら常緑樹のことらしい。
常盤あたりの常緑樹といえば松くらいしかないと思うが
どんな種類の常緑樹がはえていたんだろう。
望豊台の碑って陸橋の下にできたトンネルのあたりにあるのかな。
ついでに石山に下っていくと京田パンの近くに「穴の川」って小さな川が
流れてるが、語源はどこからきてる?
182牛鍋蝸牛:2002/12/17(火) 21:56 ID:ccp9C5jg [ U126179.ppp.dion.ne.jp ]
>>18
啓タさん、ありゃ、「さっぽろ文庫」の記述ですので、ワシは関与してませんて…。
他の事も全部今回調べたことですので、誤解のなき様に。
ま、そんなわけで、どなたかがもしかして街でワシにばったり出会ったとして、「ここはどうなんですか!?」な〜んて質問されても、ワシはただこういうだけでしょう。
「すんません…。時間くれます?調べますんで…」
さて、「さっぽろ文庫」の記述、
「その昔、望豊台とよばれ親しまれてきた石山陸橋から以南の真駒内川の流域一帯の道道札幌支笏湖線に沿う地域で、以前は土場といわれた」
原文に通りでは句読点がなく、分かりづらいのですが、文脈からいうと「望豊台」は「石山陸橋から以南」のことを言うらしい。
しかしながら、「親しまれてきた」とはどう親しまれてきたのか、ってことが気になりますね。
今は「石山緑地」がありますが、当時、他に何かいいものがあったのでしょうか?
(ところで、「石山緑地」って未完成なのかな?一度は行って見たいとは思いながら行ったことがないのですわ)
そうそう、既出ですが、「常盤木」ってワシもなんだか分からなかったので調べましたよ。
そんなわけで書きます。(お願い。書かせて…)
「講談社カラー版 日本語大辞典 第二版」によりますと、「常緑樹 evergreen」。
ちなみに、「常盤」というのは、(「とこいは」の約)で、「永久に変わらないこと」、「一年中葉の色が変わらないこと」を言うそうです。
「ときわ」と聞くと古風な感じがするのは、その語源にあったのでしょうか。
とはいいながらも、うちの古語辞典で調べても、「とこいは」がよく分からない(w
しかしながら英語では、「Evergreen」。
カッコいいじゃん。
(ま、なんだか、ホームセンターで売っているクーラーボックスとか、収納用の合成樹脂製のボックスなんかに書いていそうだけど…)
なにはともあれ、常緑樹が多かったからだそうですが、何ゆえ昭和19年というあわただしい時期に改称されたのか。
それと、「石山四区」。
「石山」は古くから「石山」だったわけで、「さっぽろ文庫」に言わせると、明治14年にすでに記録されているとのこと。
「石山」と「土場」、「常盤」、それに「石山四区」の相互関係はいかに?
あ、そこの君!
鼻くそほじくってないで、調べて、調べて!
183なまら名無し:2002/12/17(火) 23:36 ID:53rm3Tw2 [ EATcf-151p198.ppp15.odn.ne.jp ]
「望豊台」ってどう読むのでしょう?
まさか「モーホー台」・・・?
184あみ:2002/12/18(水) 00:01 ID:AKYccgEc [ i080109.ap.plala.or.jp ]
望豊台って要は豊平川が望めるってことですよね。展望台として親しまれていたという
ことかな?石山って石切山から変わった地名じゃないんですか?石山振興会館になっている
定鉄の駅は確か石切山でしたよね。
話がそれますが、石山6区って広いですよねぇ。バスに乗るとよくわかります。
185牛鍋蝸牛:2002/12/18(水) 22:20 ID:TdTU40Jo [ K103051.ppp.dion.ne.jp ]
「土場」から「常盤」への改称に関して、「さっぽろ文庫 1 札幌地名考」では、「昭和十九年(1944)常盤木の森林が多いところから現地地名に改称した」ということになっていますが、「地図で見る札幌の変遷」(財団法人日本地図センター)の昭和25年の地図を見ますと、この時点でもまだ「常盤」と「土場」が混在してます。
どんなふうかちょっと見てください。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=456
はっきり言って、「土場」の中に「常盤」が有るといった状態ですねぇ。
主役は「土場」なんだな。
てことで、いつものことながら齟齬が発生しました。
>>181の啓タさんの疑問ですが、おそらくは「穴の川」は「穴沢」と関係あるのではないでしょうか?
ま、今のところでは、どういう関係かは分かりませんけど…。
>>183(これもおそらくは啓タさん)なんですが、「望豊台」は「ボウホウダイ」だとワシは思います。
「望洋台」ってのが小樽にあるしね…。(って関係ないけど)
>>184
(神奈川県在住)あみさん、お久しぶり!(ワシも昔、川崎は野川に住んでいたことあり)
「展望台」として…。
そうねぇ、ワシもそう考えたんだよね。
しかし、「展望台として親しまれる…」って、具体的なイメージが涌かないんですよぉ。
今の時代のように、車でレジャーに出かけて、「お!展望台かぁ。さすが眺めがいいねぇ〜」ってな、イメージがこの時代ではねぇ…。
「石山」と「石切山」なのですが、「さっぽろ文庫」によりますと、「石山」という呼称は明治十四年の「開拓使事業報告書」に残っているそうですが、ここの記述に「石切山」とは、一切出てこないのです。
てなことで、「石切山」から転じて「石山」となった説は、ワシとして今の時点では「?」なのです。
186:2002/12/18(水) 22:23 ID:vcU2uriA [ p5081-ipad12sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
お久しぶりです。
うちの親父は今でも石山のことを石切山って言います。
187牛鍋蝸牛:2002/12/18(水) 22:35 ID:mq1rMwR2 [ U127085.ppp.dion.ne.jp ]
あ、mさん。
ほんとに、お久しぶりですねぇ〜。
さて、http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=456 でアップした地図なんですけど、実はワシが赤で「石山」と書いたとこのちょっと上に、「いしきりやま」の表示があるのです。
「石切山」と「石山」の関係については、このスレの最初にも話題になったと記憶しています。(ホントか?)
しかし、未だ未解明のような…。
18831:2002/12/19(木) 00:42 ID:rnap9n1A [ P129031.ppp.dion.ne.jp ]
>>145
読み返してみると私もかなり出鱈目を書いています。しかし誰も注意してくれない。ひょ
っとしてここは他人に反論してはいけないというルールがあったのでしょうか。非難はい
けないが反対意見を述べることは良いと思います。互いに議論しあうことで考えも深まり
より完全なものとなります。
18931:2002/12/19(木) 00:43 ID:rnap9n1A [ P129031.ppp.dion.ne.jp ]
>>146
出典は、池田弥三郎の「暮らしの中の日本語」(ちくま文庫)です。恵存は私も先輩に書
いたことがあったかもしれません。

「謹呈○○様 著者」というのが一番奥ゆかしいと聞いたことがありまが、この著者とい
うのは面はゆくていつも氏名を書いていました。でも、名前を書くのは偉そうで、著者が
奥ゆかしいと言います。韓国では電話をかけるとき相手から聞かれるまで名乗らないのが
礼儀だそうです。昔職場に韓国からよく電話がかかってきて、いつもいきなり「○○さん、
いますか」だったので、なんと礼儀をしらない奴かと思っていたんですが、あとで在日韓
国人の人から説明を受けて納得したことがあります。

しかし、この著者と書くのは私の好みではないので当分氏名を書くことにします。よく知
らないのに挿架もこわい。その人らしさが出れば一番いいんじゃないでしょうか。

まあ、いろいろありますが、若いうちに恥をかいておいたほうが年をとってからかくより
はましと思います。
19031:2002/12/19(木) 00:44 ID:rnap9n1A [ P129031.ppp.dion.ne.jp ]
>>169
なるほど「地名解」でしたか。復刻版が古本屋に出ていたんですが、しばらく考えてパス
しました。今度言った時まだあれば買おうかな。しかし、知里先生の著作集もお持ちとは
すごいですね。古本でも四万円もします。欲しいことには欲しいけれど、悩む値段で
すね。
19131:2002/12/19(木) 00:46 ID:rnap9n1A [ P129031.ppp.dion.ne.jp ]
>>169
ところで、別スレッドで見ましたが、八条中学のできたのはいつごろなのでしょう。かな
り古い学校と思っていました。
19231:2002/12/19(木) 00:52 ID:rnap9n1A [ P129031.ppp.dion.ne.jp ]
>>164
病院は行きましたか。ムチ打ちはその時大丈夫でも、とんでもないときに首が痛くなった
りします。早めに病院に行って適切な処置が大切です。

以上、老婆心ながら。
193大門通:2002/12/19(木) 01:15 ID:rJIwUZ.M [ W148087.ppp.dion.ne.jp ]
>>31さん
わたしどっかで、中学校の事書きましたかなぁ(笑)。八条は卒業アルバムかなんか
で見たのですが、1957か58年あたりだったと思います。知里先生の著作集は、
研究上どうしても必要になるので、買ってしまいました。やたら本を買いまくって、
最近は月当たり10万を越す事もしばしばです。もう貯金を切り崩す日々です(鬱
194牛鍋蝸牛:2002/12/19(木) 06:23 ID:rVJySheg [ N023158.ppp.dion.ne.jp ]
31さん。
異論・反論はお互いしていますよ。
ただ、このスレは学術論文の発表の場とは違うので、そこらへんは"やんわりとする"って雰囲気が出来上がっていますね。
ルールでもなんでもありませんが、このスレに集う人たちの人柄かな?
あ、ワシはそんなに"いい人"ではありませんが(w
ムチ打ちの件、ご心配頂きましてありがとうございます。
何とか持ち前の自己治癒力で治してきていますが、良い子の皆さんは真似をしないようにね。
病院へ行ったほうが良いに決まっていますからね。
それと、31さんにお願いがあるのですが…。
出来ますればレスをまとめて、もうちょっと長文にして、レス数を減らしていただければと…。
なにしろ、この「まちBBS」は300レスで打ち止めなので、細切れだとすぐ一杯になっちゃう。
スレ立て作業はなかなか(ちょっとだけど)、大変なのです。
長文だと読みづらいというのもありますが、まとめていただけると助かるのです。
よろしくお願いします。
195牛鍋蝸牛:2002/12/19(木) 07:15 ID:rVJySheg [ N023158.ppp.dion.ne.jp ]
「石切山」は「石山」の古い呼称であると、南区のサイトにありました。
「『石切山』は石山地区の古い呼び名で、定山渓鉄道の駅名でもあった」
「さっぽろ文庫」には、
「明治四年(1871)に来道した地質学教師アンチセルは地質、水利、地下資源を調査の結果、翌五年、石山で軟石を発見した。この採掘地域一帯を石山と呼称した記録は明治十四年の『開拓使事業報告書』に残っている」と書かれていやす。
で、同書には、採掘が始まったのは明治7年ともあります。
「石切」ということは当然、石が切り出されてからの名称でありましょうから、「石切山」と呼ばれたのは明治7年以降と思われます。
軟石発見から2年で採掘がはじまったわけですね。
「石山」の呼称の記録が明治14年なわけですから、南区のサイトの通り「石切山」は「石山」の古い呼称」であるとすると、「石切山」がこの地域の呼称として主流だったのは僅か7年間ということなのでしょうか?
だとしたら、えらく短い期間だよねぇ。
実際には地元では長らく、「石切山」と呼んでいたのかもしませんが、なんたって「開拓使事業報告書」は公文書でしょうしねぇ。
どうなんでしょうね。
あ、>>187 昭和25年の地図の「いしきりやま」は定山渓鉄道の駅でした。
地名ではありませんでしたので、訂正いたします。
きっと、mさんのお父さんは駅名で呼んでいたのでしょうね。
な〜んて書いてきて、「さっぽろ歴史散歩 山辺の道 定山渓紀行」(山崎長吉 北海道出版企画センター)をパラパラとめくると、その辺りの記述が…。
そうそう、「望豊台」に関してですが、「石山台地」とか「河岸段丘」、「低位段丘」などの記述を見つけました。
ま、要は丘だと…。
196:2002/12/19(木) 07:28 ID:pp1fRD76 [ EATcf-97p179.ppp15.odn.ne.jp ]
>>194
ぎゅうさん明解。そのスタンスいいね。
でもこのスレの性格上、なかには大学や高校あたりで教鞭とってる
人もみててひとこといいたくなるひともいるだろうね。きっと。
197啓タ:2002/12/19(木) 07:43 ID:pp1fRD76 [ EATcf-97p179.ppp15.odn.ne.jp ]
>196
いかん「けいた」が「た」になってる。いかんまたれす一つふやしちゃった。
ぎゅうさんにしかられる。
198牛鍋蝸牛:2002/12/19(木) 10:21 ID:rVJySheg [ N023158.ppp.dion.ne.jp ]
「望豊台」は南区サイトttp://www.city.sapporo.jp/minami/minamiHP/html/09famo/famf00.htm で「ハ行」に分類されていますから、「ボウホウダイ」です。
大家さん 「与太郎や!望豊台の草刈終わったのかい!?」
与太郎 「あ、いや。あたいまだやってない」
大家さん 「どうりで。草、ぼうぼうだい…」
※ 姉妹品の「グーリンダイ」もよろしく。

閑話休題(くだらないことはこのへんにして)。
「望豊台」とは何なのか、わかっちゃいました。
いや、本当は実地調査に行かなければいけないのですが、年末年始でワシも忙しいため、ちょっと動きが取れません。
ということで、資料によって発表します。
「さっぽろ歴史散歩 山辺の道 定山渓紀行」(山崎長吉 北海道出版企画センター)の「望豊台の脾由来」より。
「その昔石山で切り出された札幌軟石は荷馬車に積まれて札幌へ搬出された。当時の石山陸橋は砂利道のしかも急勾配の山道であった。石材を積んだ荷馬車にとって人馬ともに汗を流す難所であった。頂上に着くと待機していた二十頭から三十頭に及ぶ馬車に石材を積み替える中継の場所でもあった。交替を終えた馬は付近の草を喰み人は憩いのひと時を過ごしたわけである。彼方には父なる藻岩山が優しく座り眼下には母なる豊平川の清流がとうとうと流れているのであった(略)」
ということで、やはり(当たり前か)、レジャー施設としての展望台ではなかったということが判明しました。
「新琴似」の「大根道路」の時も似たような話があったねぇ。
北大前あたりで、人馬ともに一休みしたって話。
さて、「交通の要衝」、「馬」、「高台(峠)」の三つのお題となると、皆さん何かを思い出しませんか?
そう、「五天山研究」の時出てきました、「馬頭観世音」。
こっちの切り口からも迫れそうな…。
199あみ:2002/12/19(木) 22:59 ID:7yWpXfAY [ i091049.ap.plala.or.jp ]
ぎゅうさんの地図見て気づいたのですが、穴の沢って石山6区あたりなんですね。「○区」
という地名は道内の地方ではよくありますけど札幌では珍しい。あとは簾舞くらいかな。
「北海道道路地図」で見たのですが、南区の常盤の奥に「鞍馬越」なる地名がありました。
もしかして既出かな。

展望台はやはりレジャーとは関係なかったですね・・。
200牛鍋蝸牛:2002/12/20(金) 22:16 ID:zIEkjAsI [ E168062.ppp.dion.ne.jp ]
あみさ〜ん。
「石山○区」ってどんなふうに決まっているのでしょう?
町内会組織なの?それとも互助会とか?(ん、なわきゃ〜ない)
いつ頃からの慣わしなのでしょう?
どこにその表示があるのかな?
何を見れば分かるの?
ボク、わかんな〜い!
え〜、さて、「鞍馬越」ですが、「さっぽろ文庫 1 札幌地名考」より、「さっぽろの山・峠」に…。
「鞍馬越(くらまごえ) 約770m 空沼岳登山道にある。真簾峠の南方約3qにあって、間近に並んだ二つの丘を尾根が結んで馬の鞍のような地形である。登山道はS字を描いてここを抜け「迷い平」を経て万計沼に出る。この名は鞍馬の背のような地形によったものである」、ということで、とっても分かりやすい…(?)
これって山登りが趣味の方ならすぐにピンとくるのでしょうが、こちとら今年の登った山ちゅ〜と、「五天山」くんだりだけで、えらそうなことは言えませんて。
話は変わりますが、今日なかなか良いものを手に入れました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=458
「古き良き札幌」という2003年カレンダー。
昭和33年の札幌の姿です。
いいでしょう〜(w
あ〜、ダメだ。
ちょっと酔いが激しいので今日はこの辺で失礼します。
201本籍は旧西創成区:2002/12/21(土) 00:34 ID:otUZwnHo [ m077236.ap.plala.or.jp ]
定山渓〇区や、石山〇区、簾舞〇区などは、地域名として使っているようです。(町内会名でもあるはず)
じょうてつとゆう会社は、バス停名に多く使っていました。(石山1区、5区、5区東、6区西、6区。簾舞4区。それと、定山渓の7区、上7区、8区。などがあった)
話変わって、
ここのスレの今の状態って、人も、スタンスもいいと思いますが…。

とりあえず負傷の皆様、今晩は、どこもかしこもデラデラですから、足元にご注意ください。
202啓タ:2002/12/21(土) 09:02 ID:sjB0CWEk [ EATcf-97p179.ppp15.odn.ne.jp ]
本籍西創成さん、はるか昔、西創成小学校と中央創成小学校というのが
あって、統合して現在の創成小学校となったそうですがその2校は
どこにあったのですか。また西と東の境界はどのあたりだったのですか。
以上2点質問。
20318丁目:2002/12/21(土) 10:47 ID:s3nfzdpU [ SODfi-02p2-149.ppp11.odn.ad.jp ]
またもSTVがやってくれました
今日の10:00 札幌市80周年特番のなかで、
S16円山町、S36豊平町、S42手稲町の合併と紹介して、
何故かS30年の琴似町、札幌村、篠路村との合併は抜けていました。
どーでも良いことかも知れませんが、気になるんです。
あ、でも明日の↓は面白そう
● 12/22(日) 10:55  サンデー!北のなるほ堂
札幌市中央区の「北1条通り」の意外な発見・歴史をご紹介する。
「日本で初めてパン食い競争が行われた通り」「北原白秋の名曲”この道”はこの通りで生まれた」・・・・エー!!ほんと!?
204本籍は西創成区:2002/12/21(土) 11:49 ID:SX4haxVs [ i096117.ap.plala.or.jp ]
202>>啓明ターミナルさん。
中央創成小は、いまの市役所。
ちなみに、市役所大通側の北大通道路+2丁目公園一部は、中央郵便局。(大通1、2の現公園南半分位は市営バスセンターで、北側半分位が、建物などと道路だった。)
西創成小は、のちの創成小のところです。
学区は、わたくしも詳細知りませんが、中央創成小は、本府町内で、西創成小は、西創成町内だったと思いますが。
205本村:2002/12/21(土) 17:55 ID:ZZPRws62 [ SODfi-01p2-86.ppp11.odn.ad.jp ]
北海道石狩支庁札幌市南区稲福(小樽定山渓線道道脇・手稲山南西部)
鉱山事業所リストにのっていたもので、前々から気になっていたんだけど、
こんなの地名ないよな、もしあったとしても
「現在、周囲は前後約20Km全く集落なく、無人地域。燃料も電話も無い。ケ−タイも不可。」
って注意書きあるので、知っている人皆無だろうなと思っていました。
居ないと思うけど、知っている人募集!
206なまら名無し:2002/12/21(土) 20:05 ID:6EGmsiQ2 [ o094118.ap.plala.or.jp ]
おお、石山の話が!
石山に親戚が住んでいます。
が、あそこにはまともな交通機関は実は無いのではないかと推測しております。
ドウヤッタライケルンダー?!
207牛鍋蝸牛:2002/12/21(土) 23:13 ID:zuIspK6Y [ y068052.ppp.dion.ne.jp ]
今日も酔っ払っている(いつもだが)、牛鍋蝸牛でづ。
えっと、本籍は旧西創成区さん、○区の解説ありがとうございます。
しかしこれって、地元の人じゃないとなかなか分かりづらいものがありますねぇ。
あみさんは何を見て、「石山○区」って判断していらっしゃるのか?
頭の中に入っているのかな?
でね、スレのスタンス…。
ワシも、「なかなかいい状態である」と思うとります。
ここは確かに「コテハン」さんが多い。
それが近寄りがたい雰囲気を醸し出しているとしたら残念ですが、それだけ、皆さん御自分の発言に責任を持ってらっしゃるということでしょう。
そんでもって、STVの話。
18丁目さんが気になるって、わかりますよ。
思わずテレビに突っ込み入れたくなるでしょ?
わかるなぁ〜。
ワシなんか常に突っ込んでますよ。
「そりゃ、ちゃうやろ!」 「え〜かげんにしなさい!」
とは言っても一番叫ぶセリフは以下の通りです。
「ワシにもしゃべらせろ〜!!」
>>205の本村さんは、独自の視点を持つ、「ラースレ」のコテハンさん。
「あじ福」、いや「稲福」の出典はttp://www.ne.jp/asahi/mining/japan/datacell_k/list1.html …。
どこからこんなもん(失礼)見つけてくるのか、不思議。
「稲福」はちょっと調べたけど、まったく分かりませんです。
衛生陶器作っているのは、「INAX」だけど…。
>>206さん。
そりゃぁ〜ないでしょう〜(w
20818丁目:2002/12/22(日) 11:31 ID:h5DnyWhk [ SODfi-01p1-228.ppp11.odn.ad.jp ]
はい、北のなるほ堂
正直あんまり面白くなかったです。
アポなしで北1条界隈をなんとなく流したって感じの出来。
目新しいものもなく、今週は製作やる気なしという雰囲気が伝わってきました。
しかし「稲福」今のところ最強のマイナー地名かな?
209牛鍋蝸牛:2002/12/22(日) 13:41 ID:nEyxRspQ [ y069089.ppp.dion.ne.jp ]
牛鍋蝸牛、実地調査は年内はいたしません。
仕事がこれから尚一層忙しくなりますし、休みもあと1日しかないのです。
ああ…、現在進行中の「石山・常盤」は是非行きたいし、「清華亭」も見てみたい。
でも、それやっていると、体力的に持たない…(涙
年明け、松が取れてからということにしますわ。
さて、「南区稲福」についてちょっと考察をくわえて見ました。
ttp://www.ne.jp/asahi/mining/japan/datacell_k/list1.htmlの記述、ちょっと変。
「小樽定山渓線道道脇・手稲山南西部」ということですので、道道1号線のどこかということになります。
(あ、以前に撮った写真がありますので、雰囲気だけでも味わってください)
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=460
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=459
手稲山の南西部というと、定山渓から行って、さっぽろ湖を過ぎた辺りと推定します。
で、「注,現在、周囲は前後約20Km全く集落なく、無人地域。燃料も電話も無い。ケ−タイも不可」
ということなのですが、前後20kmに集落がないということは考えられないのですよ。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=461
を見ていただきたい。
「前後20km」(?)というと赤線の上下の幅の地域になります。
少なくともここには「定山渓」がありますので、集落がないということはないと思います。
札幌国際スキー場もあるしねぇ。
21018丁目:2002/12/22(日) 13:57 ID:coFA0/Vg [ SODfi-02p3-235.ppp11.odn.ad.jp ]
いやー牛鍋さんの調査力にはいつも脱帽します。
以前私も同じ疑問持ちましたよ。
実地調査行きたいと思っていたんですが、そのうち雪が降って、私の自家用車
雪山運転に適さない車なのであきらめました。
鉱山関係者の降臨期待します(w
21118丁目:2002/12/23(月) 02:28 ID:cbf7GHXs [ SODfi-02p5-157.ppp11.odn.ad.jp ]
正式地名ではないが、気になる地名で「美住町」ってご存知でしょうか皆さん?
場所は東区苗穂監獄(札幌刑務所)の裏手にあたる東苗穂3条になる。
そこには今、「東苗穂美住公園」や「美住自動車工業」など昔の地名を由来とした場所がいくつか
残されている。
それからやっぱり気になる、昔の地図で必ず載っている、伏古の生協あたりの
「山中」もしくは「中山」。
知っている方の降臨キボンヌ(w
212本籍は西創成区:2002/12/23(月) 15:49 ID:voepBeOk [ i098182.ap.plala.or.jp ]
稲福らしい所、見付けました。
昭和58年度板、塔文社・デラックス・ハンデイ北海道道路地図(これが酷い地図で、昔の版のものを大雑把に改訂しており、札幌神社はあるわ、豊平峡ダムは無いわ、国際スキー場は無いわ、慈啓会は養老院になっているわ、東米里は東光里になっているわ…)に、稲豊鉱山(迷沢山の下、道道1号と迷沢が交差するあたりらしい。別な地図でみると、四ッ峰トンネルより、国際寄り、小樽内川にかかる2っ目の橋あたり)という場所がありました。牛鍋さんが、地図で示してくれたあたりに近いし、道道沿いということで、ここではないか(稲豊となっているのは、誤植か、この鉱山の会社名か、別名ではないか?)と思う。
あと、この地図には、四望台、真駒内開拓、円山温泉、軽川温泉、茨戸ハワイランド、滝沢、盤沢、中沢(沢3ついずれも豊滝)、炭酸水鉱泉なども書いてありました。

それから、「美住」ですが、国道275・東雁来2ー1あたりに、中央バスの停留所「美住通」とゆうのが今でもありますが、詳細わかりません。
21318丁目:2002/12/23(月) 20:29 ID:mNriH5ZM [ SODfi-01p5-131.ppp11.odn.ad.jp ]
本籍は西創成区さんこんにちは
なかなか良い地図をお持ちのようですね。
かくいう私も、1990年版 日地出版 ハイパワーA道路地図 北海道 持っていますが、
同じく1972年初版の地図がうっすら下に書き込まれていて、その上に道路などが濃い線で
描かれているものです。
初代スレの雁来町問題のとき、私はこの地図を見ながらほくそえんでいました。(w
鉱山はなかなか情報公開されていないのと、やっぱり人里離れてしまう性質ゆえに、
未知の場所が多いと思います。(あ、ちなみに本村は私のこのスレ以外のハンドルね)
美住通=三角点通かな?美住は三角の訓読みかな?
214牛鍋蝸牛:2002/12/23(月) 22:16 ID:lBb4bGT2 [ y069042.ppp.dion.ne.jp ]
なるほどぉ〜、そうくる訳だ。
我々は、まんまと術中に嵌ったわけですな。
本村さん、いや、18丁目さんの…。
なんだか、みょ〜にリアルなHN、「本村」は、「元村」だったのきゃ?
でさ、ワシとしてはね、>>210の内容がね、引っかかっていたのですよ、実は…。
で、18丁目さん…、芸風変えました?(w
さて、「稲福」あるいは「稲富鉱山」ですが、本籍は西創成区さんの意見にワシとしては、根拠なんかはほとんどなく、とりあえず賛成します。
これは地名というよりも、企業名か事業所名かと思われます。
図書館には「鉱山組合」なんかの資料があるはずですので、どなたか検証していただけないでしょうか?
今、ワシは図書館へも行くのもちょっとたいへんなので…。
本籍は西創成区さんのお持ちの、「昭和58年度板、塔文社・デラックス・ハンデイ北海道道路地図」。
18丁目さんのおっしゃる通り、すんばらしい地図ですねぇ。
「パラレルワールド」ってSFの題材にありますけど、こういうのもありかもね。
時空を越えたもう一つの「札幌」…。
ま、もしか、このスレを一枚の地図に落とせばまさに、それは「パラレルサッポロ」だと思いますけど。
>>213
「美住は三角の訓読みかな?」
ほぼ、正解!
「当て字」だそうですぜ。
そもそもは「町内会名」だって。
>>211で18丁目さんが言っておられるように、たしかに市営バスの停留所も「刑務所裏」と言ったそうだけど、「イメージが悪い」ということで、「美住町」としたそうです。(さっぽろ文庫 1 札幌地名考)
監獄関係なんですが、、例の南区の「土場」。
(小さな声で…)明治三十三年までは常盤一号橋付近に苗穂監獄の分監があったんですとぉ…。
215koji:2002/12/23(月) 22:21 ID:7wMblpIg [ b104.spacelan.ne.jp ]
山鼻。
216牛鍋蝸牛:2002/12/23(月) 22:37 ID:lBb4bGT2 [ y069042.ppp.dion.ne.jp ]
>>215
お! 
新規の方、kojiさんより、遠慮がちに、「山鼻」のリクエスト。
「山鼻」は、「旧・山鼻村」ととらえると、このスレでも結構やってますよね。
「界川」、「札幌温泉」も、「東本願寺」や「辛未移民」も「山鼻村」だったしね。
地域としてかなり狭くなる、「現・山鼻」としてはどうでしょ?
ワシと啓タさんが昔話で語ったくらいかな?
あ、ワシとしては中途半端は嫌なので、今しばらくは、「土場」関係中心にやります。
217本籍は西創成区:2002/12/24(火) 01:14 ID:s5u0E6h. [ i097163.ap.plala.or.jp ]
>>214 ああなるほど。「美住」は三角を読み変えたものですか。勉強になります。
その、ご指摘のバス停「刑務所裏」ですが、のちに、「美住北町」となり、いまは、「東苗穂2ー1」になったようです。

地図もいろいろありますね。
ただ、わたしの持っている「塔文社・北海道道路地図」。誤植が多いのが難点かと。
21818丁目:2002/12/24(火) 03:54 ID:Eo3lPjuM [ SODfi-02p3-181.ppp11.odn.ad.jp ]
牛鍋さん、そして皆さん
私、決して自作自演しようと思った訳ではないですよ。(w
このスレでだけは「18丁目」を名乗っており、その他のスレでは「本村」を
名乗っていたのですが、スレッド間を行き来しているうちに、とうとう間違えちゃったんです。
と言うより、牛さんにはもうばれているかと思っていたのですが、ばれていて知らないふり
してくれてるのかななんて思ってたです。
それから南区土場の監獄分監の件。
はー、タコ部屋の匂いぷんぷんしますなー、ここから脱獄した鮮人タコが、平和の滝まで逃げて
身投げしたのか。牛さん「土場」掘り下げ期待します。
219啓タ:2002/12/24(火) 07:18 ID:K/q5eEfw [ EATcf-97p179.ppp15.odn.ne.jp ]
ぎゅうさんの精力的な調査活動には舌を巻きますな。いつもながら。
自分で調べればいいものをいつもぎゅうさんに期待してしまう自分に気づく。
その「土場」たたいても材木置き場くらいしかでてこないだろうとおもいきや
なんと監獄が・・・しかもタコ部屋が。タコ部屋といえば藻岩下にあったというのは
聞いたことあるが(多分発電所がらみ?)・・・・
わたしは語源の「ときわぎ」が気になるので常盤付近の植生をしらべてみようかと・・・・
18丁目さんいくつも顔もってたのね。余計なお世話かもしれませんが時節柄
センジンなんたらの表現は避けた方がよろしいかと・・・
気悪くしないでねここいろんな人見てるから。
ぎゅうさん近々東区の友人と会う予定あるので例のものとりにいきます。
遅くなってすんまそん。ぎゅうさんって牛好き?
22031:2002/12/24(火) 20:36 ID:eYC38.Hw [ P149024.ppp.dion.ne.jp ]
>>193
新制第五中学→中島、第七→向陵、第八→幌東ということなので、残りの番号はどこかな
と考えて、八条も古そうだなと思ったのです。それでお尋ねしました。

スレッドの最初から読み直してみたのですが、豊平と豊平区の使い分け、通じにくくなり
ましたね。あれがあったのは中の島だったかと思います。東西線が開通する前にバスター
ミナルで聞いた会話を思い出しました。

地方出身らしい若いOL「白石に行きたいんですが」
年配の男性「白石のどこ?」
OL「菊水」
おじさん「えっ...あそこは白石じゃないよー。で、菊水の何町?」
OL「水車町」
おじさん「???」
22131:2002/12/24(火) 20:38 ID:eYC38.Hw [ P149024.ppp.dion.ne.jp ]
>>194
やんわりには同感です。でも、144がきつい表現とは思いません。145はすこしきついか
な。

レスの書き方ですが、読みやすさにはそれなりに気を使っています。話題毎に別なレスに
して、所々に改行を入れたり、一定文字数で折り返したり、見た目の読みやすさにも配慮
しているつもりです。同じ話題でも長くなるときは分割して「省略されました」が出ない
ようにしています。

あと、今回の私はそうだし、他の方もそういうことがあるでしょうが、後から思い出して
付け加えることもあります。なので、発言数にこだわると書きにくくなってしいます。
22231:2002/12/24(火) 20:39 ID:eYC38.Hw [ P149024.ppp.dion.ne.jp ]
本題に戻り、「魔術を弄する」の件ですが、薄野の「尾の無い狐」を文言通りに取る人が
いないのと同じだと思ってはどうでしょう。こういうのは感覚の問題なので、当時の文章
を読み慣れると自然に意味が取れるようになると思います。今の案内書だと暗喩はあまり
使わないかもしれません。

書いていて気付きましたが、最近の若い人たちの「ないです」というのは、私には耳障り
ですが、「ません」が断定的で「きつく」感じるからかもしれません。しかし年配の方は
文章に「ね」や「よ」を入れると馴れ馴れしく感じるようで、これも難しい問題です。
223牛鍋蝸牛:2002/12/24(火) 21:56 ID:LXsGXxZI [ U126026.ppp.dion.ne.jp ]
Merry Christmas!!
22418丁目:2002/12/25(水) 01:52 ID:KMdaEPss [ SODfi-02p6-80.ppp11.odn.ad.jp ]
>>220
ナンバースクールって歴史の重みを感じさせて、何となく権威主義的な良さがあります。
何せ私の住む地区は、札幌小学校、札幌中学校ありますが、札幌市住民の方々の話題には
ほとんどあがらないのが実情です。

>>219啓タさん
監獄分監=タコ部屋とは調べずに、イメージで語っただけですので、今後の牛鍋さん
の調査を待つとしましょう。
ちなみに私は差別主義者ではないと思いますが、区別主義者であろうと思います。
でもやっぱり、鮮人よりは朝鮮人という表現の方が、無用な争いを避ける意味でも
良いかも知れません。
225大門通:2002/12/25(水) 02:55 ID:Qp1.V0Fs [ y161058.ppp.dion.ne.jp ]
>>224
タコ部屋は監獄部屋とも言われていたので、その混同が起きたかと思われますが、
いかがでしょうか。北海道におけるタコ部屋(監獄部屋)は、囚人による土木工
事が禁止になった明治20年代末(夕張線:現石勝線の工事)からはじめられたと
の記憶があります。札幌市内にももちろんいわゆるタコ部屋とよばれるものは多
くあり、定鉄の敷設や藻岩山の水力発電所の工事にもその労働力は利用されてい
たとの記録もあります。それらに徴用されてきた半島人がいたともいわれていま
す。(引用文献は今取りに行くのが面倒なのですが、知りたい方がいれば、今
度書きます。)
226啓タ:2002/12/25(水) 18:54 ID:u2n1Qlz2 [ EATcf-97p179.ppp15.odn.ne.jp ]
>>225
藻岩下の水路式発電所って戦前からあったってことか?
ききたい。とくに藻岩山の水力発電がらみのをリクエスト。
監獄部屋がどのあたりにあったのか。どのくらいの犠牲者がいたのか等。

ぎゅうさ〜ん、本日受け取りました。
227大門通:2002/12/25(水) 19:09 ID:2sxkpVIo [ W148227.ppp.dion.ne.jp ]
>>226
今、自分の研究の論文を仕上げないといけないので、詳しく調べられませんが、
数年前札学院大で、北海道における半島人労働者の実態調査を行なったはずな
ので、その報告書があるはずです(出版もされているはず)。
228大門通:2002/12/25(水) 19:46 ID:2sxkpVIo [ W148227.ppp.dion.ne.jp ]
>>54
『北緯43度札幌というまち・・・』の引用で「昭和21年公娼制度が廃止。遊郭街
は飲食店に姿を変えたが立地条件に乏しく衰退」と書かれていますが、これは間違
いかと思われます。白石遊郭は昭和21年以降もあり、最も栄えたのは進駐軍の慰安
施設状態になっていた戦後だといわれています。これは執筆者が、当時売春施設は
「特殊飲食店(特飲店)」や「カフェー」と言われていたのを、勝手に解釈して、
普通の「飲食店」にしたものかと思われます。参考文献が示されていないので、根
拠に欠く資料かと思われます。
>>226
監獄部屋といっても、所詮は工事現場の飯場であり、恒久的な建物ではなく、鉄道
工事などでは、工事の進展とともに移動していたので、どこと言われてもそれは、
ちょっと特定は難しいのではないでしょうか。戦時中ですと日本人タコ部屋労働者
が徴兵にとられたので、半島人タコ部屋労働者の割合が増えたとの事です。タコ部屋
労働者の手記によれば、半島人よりも日本人の方が酷使されたそうです。ちなみに227
で書いた報告書は朝鮮人強制連行実態調査報告書編集委員会,札幌学院大学北海道委託
調査報告書編集室編「北海道と朝鮮人労働者:朝鮮人強制連行実態調査報告書」北海道
保健福祉部保護課 1999です。道の刊行物なので、道内の図書館なら大概は所蔵されて
いるかと思われます。
229牛鍋蝸牛:2002/12/25(水) 21:57 ID:So8lXmZw [ N022221.ppp.dion.ne.jp ]
えっとですね、昨日はクリスマスイブだったので、レス、サボりましたです。
何しろワシのステージデビューは、幼稚園のクリスマス会のサンタクロース役でしたからねぇ。
ホッホッホ!忙しいんですよ、今もね。
で、今日が本当のMerry Christmas!
てな訳で、まとめてお返事…。
>>218
気が付きませんでしたよ。
本村さんが、18丁目さんだとは…。
んで、「土場」はなかなか興味深い素材だとワシは感じておりますです。
>>219
そだよ〜。
ちょっとくらい、自分で調べてからこっちへ振ってちょうだいね、啓タさん(w
そうそう、牛、好きですよ。
結婚したいくらい。
>>221
31さん、>>145きつかった?(w
ホッホッホ! ま、今後ともよろしくお願いします。
>>194で言いましたとおり、「ワシはそんなに"いい人"ではありませんが」。
230牛鍋蝸牛:2002/12/25(水) 21:57 ID:So8lXmZw [ N022221.ppp.dion.ne.jp ]
>>222
「魔術を弄する」ですが、これはまだ完全には調べがついていません。
図書館へ篭って文献をあさる必要がありますが、ちょっと今のところその時間が取れない状況です。
そんな訳で、偉そうなことは言えないのは百も承知で言いますと…。
31さんも、もしか機会があるなら、「札幌案内」(明治三十二年)をご覧いただきたいと思うのですよ。
繰り返しになりますが、所謂「文学的な表現」や、「比喩」を用いてはいない本であることが判ると思います。
てな訳で、今のところ、ワシとしては「魔術」は「魔術」であったのだろうと、やはり、こう思っておりますのです、ですますたい。
>>224
「苗穂監獄の分監」に関してですが、「さっぽろ文庫」によりますと、「一帯は監獄用地であった」そうです。
何ゆえ、この地が「監獄用地で有らねばならなかったのか?」という視点で調査すると面白い、とワシは思うが、いかがか?
(と、振って見ましたので、どなたか「我こそは!」と名乗りを挙げてくれると、尚一層面白いんですがねぇ…。どじゃろ?)
そうそう、「民族の呼称」はなるべく略さずにいきましょう!
「言葉狩り」というのは、ワシは嫌いですが、「呼称の略」はやはり差別と受け止められやすいですからね。
>>226
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/3_log.html#205
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/3_log.html#206
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/3_log.html#207 で「タコ部屋」のことに付いてちょこっと述べています。
啓タさん、思い出した?
「三升漬け」お口に合いました?
>>228
「白石遊廓」に関してですが、これは大門通さんのご指摘が正しいようです。
ワシもその時代に生きていたわけではないでの、「本当に本当かッ!?」と言われると、ツライのですが、そのようです。
「新札幌市史」にも、実際に「白石遊廓」が衰退したのは、「売春防止法」が制定された昭和31年頃以降であったという記述があったような、気がします。(非常に弱気)
ま、この「売防法」、「売春禁止法」ではなかったことが、その後のニッポン風俗界の一つのミソでもあったわけですが…。
231啓タ:2002/12/26(木) 01:04 ID:nPpxvF6c [ EATcf-97p179.ppp15.odn.ne.jp ]
>>228,230
なるほどそうだったのか。読み返してみると昭和21年から、刊行年の昭和55年
までがかなり端折って記述されていて大門さんご指摘の公娼制度廃止後にできたという
進駐軍相手の特飲店やカフェの存在などは見当たりません。
執筆者がその存在を知らなかったのか、知っていたけど意図的に省略したのか
聞いてみないとわかりませんが勉強になりました。
232啓タ:2002/12/26(木) 01:11 ID:nPpxvF6c [ EATcf-97p179.ppp15.odn.ne.jp ]
連続投稿申し訳ない。
また馴れ合いとしかられるかもしれませんが、ぎゅうさん例の品
昨晩早速我が家の食卓かざりました。これかーこれだったのかー
昔よくたべてました。マスターにいわれたとおり豆腐にかけたらうまいのなんの。
ありがとさん。これで年こせそうです。
あびさんに早いうちにおでかけください。ではよいお年を。
233牛鍋蝸牛:2002/12/26(木) 21:10 ID:koGDj8AQ [ N023026.ppp.dion.ne.jp ]
>>232
>ではよいお年を。
…て、啓タさん、もう仕事納めかいッ!?
今日、あび行きました。
で、その後、図書館によりましてね。
図書館は空気が乾燥しておりますですから、ビール買って帰って、啓タさんからのクリスマスプレゼントをつまみに一杯…。
うま〜!
ラッピングまでしていただき、恐縮です。
しっとりとしていて美味しい…。
あのね、三升漬けは暖かいご飯にのっけても美味しいし、白菜の漬物なんかにもOKです。
インスタントラーメンにちょっと入れると、ぐっと美味しくなりますよ。
さて、私信はこの辺にして…。
ワシが図書館に行ったのは、別にビールを美味く飲むためではなく、調べモノのためですよ。
そんなこと皆さん、ご存知ですよね。
へへへ、7冊ほど仕入れてきましたぜ。
タイトルだけ列挙いたします。
ワシが何を調べたいのか、推理してください。
「さっぽろ文庫 15 豊平館・清華亭」、「さっぽろ文庫 66 札幌人名辞典」、「さっぽろ文庫 87 すすきの」、「明治四十二年 最近之札幌」、「北海道残酷史」、「北海道行刑史」、「開道百年 北海道宗教教誨小史」。
っていうか、ワシ自身もここから何が出てくるか、良く分かっていないんですけどねぇ〜(w
234牛鍋蝸牛:2002/12/26(木) 21:38 ID:koGDj8AQ [ N023026.ppp.dion.ne.jp ]
そうそう、>>228で大門通さんが書いておられる、
朝鮮人強制連行実態調査報告書編集委員会,札幌学院大学北海道委託調査報告書編集室編の「北海道と朝鮮人労働者:朝鮮人強制連行実態調査報告書」北海道保健福祉部保護課 1999
たまたま今日、図書館で見ましたよ。
内容のイメージとは違い、装丁は明るい雰囲気の大判の本です。
タイトルはいかめしいけど、中身は読みやすそうな本ですので、興味のある方は読んでみたらいかがでしょう。
235なまら名無し:2002/12/27(金) 09:37 ID:6d5yBwIg [ sapporokita3-8.ppp-1.dion.ne.jp ]
いやー 土木業界の悪しき慣習「年末のご挨拶」も終わり、風邪も克服し社会復帰しました。
久しぶりにスレ覗いてみれば別世界っ!
ちょーど「地名」から逸脱してたので自粛モードに入っていたこともあって、戻ってみたらイイ感じ
来年も楽しくやりましょう
来年は「合いの手」から「句読点」に進化したい新川番地でしたっ
236本籍は西創成区:2002/12/27(金) 17:46 ID:w/6EjXP6 [ i100131.ap.plala.or.jp ]
昭和21,1,22に、GHQは、米兵の性病蔓延から「日本における公娼廃止に関する覚書」を司令する。同24日公娼制度廃止命令。
これを事前に察知していた政府は「公娼制度廃止に関する件」を出し、貸座敷は接客所、娼妓は接客婦と名をかえさせ、内務省はその後、「公娼制度廃止通達(娼妓取締規則廃止)」を出し、一応公娼制は無くなる。

だが、次官会議決議で「私娼の取締並びに発生の防止及び保護対策」を決定する。
決議の備考として、接客所を特殊飲食店に、接客婦を従業婦と呼び名をかえらせた上、地域を限定して営業させることにした。(この営業地域を赤線で地図に記した。いわえる赤線の法的根拠である。)

と、ゆうことなので、「売春防止法」が発効するまで、遊廓等が存在したとのこと。

これだけ書くと説明不足なので、またあとでかきます。
237圭織:2002/12/27(金) 20:03 ID:bP./bKRs [ p2215-ip02niho.hiroshima.ocn.ne.jp ]
ガル川って知ってます?
238大門通:2002/12/27(金) 21:37 ID:TperMlJg [ JJ030241.ppp.dion.ne.jp ]
>>190
永田方正「北海道蝦夷語地名解」は買わない方がいいかと思われます。その理由は
知里真志保「和人は舟を食う」北海道出版企画センター 1986に書かれています。
>>237
昨日のテレビでの発言でしょうが、たぶん軽川のことじゃないんですかねぇ。
239牛鍋蝸牛:2002/12/27(金) 22:17 ID:kBa9l61Q [ U127058.ppp.dion.ne.jp ]
>>237
えっと、なんとお読みすればいいのでしょう?カオリさんでよろしいのかな?
「軽川」は、http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/3_log.html#009 (「その参」の9)辺りから出ています。
(尚、「前スレの178さん」は、確か今でいう「啓タさん」のハズ…)
この頃は、世にも奇妙な「パートタイム霊山」である、「五天山」をやっていたので、「軽川」に関して掘り下げは足りなかったと思いますが、ワシはちゃんと実地調査へ行ってきています。
"川としての"「軽川」の画像も撮ってきたしね。
ま、実地調査した人間は、こういう時、ツヨイんだぞ、と…(w
「軽川」は「現・手稲」ですが、「手稲」の新事実ってのがあればぜひともやりたいですね。
それと、このスレの場合、手間でも最初(通称・その壱)から読まれることをお勧めします。
なぜかというと、単に既出であるかどうかという確認とは別に、なんったって面白いから!
新川番地さん、おかえり。
ワシ、まだやってますねん。
「いく代」(つまりは偕楽園関係)。
>>104で新川番地さんが挙げられた「さっぽろ文庫 15 豊平館・清華亭」にかなり詳しく、「清華亭」、「偕楽亭」と「いく代」のこと、当時の「偕楽園」の
個人所有者であった、「初代札幌区長對馬嘉三郎」氏のことなんかもでているじゃありませんか。
ワシが一生懸命調べたことが、ちゃんとね。
しかも、斎藤いくさんが「魔術を弄する」と「札幌案内」に書かれていることも…。
知っているなら、言ってくれなきゃ〜ねぇ。
しかし、いろいろ調べると、「いく代」ってのは、ききしに勝るすごい料亭だったんだということが分かってきました。
調査続行中に付き、暫くのご猶予を…。
あ、>>238大門通さん。
昨日テレビでやっていたの?
「軽川」…。
そうそう、テレビで思い出した。
以前このスレでも登場した、「札幌市写真ライブラリー(中央区北二条東四 サッポロファクトリー内)で、1月の2日から19日まで、写真を通して札幌の街づくりをたどる展示会「タイムスリップ!さっぽろ思い出旅行」が開かれると、今日の道新朝刊に出ています。
「写真ライブラリー」が所蔵する31,000点に加え北大図書館で複写した1,000点の中から300点を選んで展示、とあります。
しかも、入場無料で、一部は無料コピーできるそうです。
ワシは、なんと言っても、「ただ」、「もらう」、「ひろう」って言葉が好き!
これは行かねばなるまいて!
240本籍は西創成区:2002/12/28(土) 06:04 ID:Tk8DuqaY [ i100054.ap.plala.or.jp ]
>>236のつづき。(話が前後します。すいません。)

昭15年、道庁警察部、風俗営業の取締強化。「国民奢侈生活抑制実施要項」により、営業に制限がつき、貸座敷業などは下火に。

昭20,8,18、内務省警保局長より、各庁・府県長官あてに「進駐軍特殊慰安施設について」と題する秘密無電準備司令発せられる。
そこで道庁警察部は、保安課発足と同時に準備をはじめ、業者にも施設や慰安婦の確保に協力してもらうことにした。警察も、廃業した娼妓を説得して協力を求めた。
当時、白石遊廓では、源氏楼、福住楼、千代田楼、栄楼、柏楼、寿楼が営業しており、進駐軍の相手をした。(東京ではRAA・特殊慰安施設協会設立。慰安所運営する。昭21年慰安所封鎖。)

この後は、>>236のとうり。

それから、昭和20年以降札幌では、薄野のほか、住宅街にまで進駐軍・市民をターゲットとした、個人営業の娼婦が増加した。(街頭客引の夜の女→街娼。住宅街で間借して商売する女→散娼)いわえる、「夜の女」「パンパン」「パン・スケ」である。

それにより、性病が米兵ばかりではなく市民にも増える一方であった。

昭和25〜6年頃、婦人団体等より札幌市に売春取締制度をとの請願が出され、市議会・厚生委員会で「売春取締条令案」が審議され、業者を重点に取り締まるとの話が出たが、当時の札幌警察署長消極的で、とりあえず客引の取締の方針を持ち出し、結局「風紀取締条令」となり、客引と場所提供者のみ処罰する(ただ、業者はタナアゲ)性病対策としては骨抜きな条令になった。

当時、厚生委員会委員の石原市議によると、警察署長が業者取締に消極的だったのは、警察署長よりえらいという話もある「いく代」の主人公斉藤正能市議(市議会治安委員長)、白石で遊廓経営の渡辺市議、「料亭・岩見」の竹中市議などと署長の微妙な関係が影響しているのでは?とのこと。

だが、昭和27年夏、市議会に性病予防対策委員会が設置され、業者に重点を置く、改正条令案ができ、昭和28,3,23に本会議にて可決される。(この市議会本会議は、売春議会とも言うらしい。また、この日の市議会傍聴席には、市内250の売春業者が無言の圧力とばかりに、女性約200名を動員して傍聴させるという光景もあったという。)
241本籍は西創成区:2002/12/28(土) 06:51 ID:Tk8DuqaY [ i100054.ap.plala.or.jp ]
>>240のつづき。

定山渓でも、昭和20年代くらいまでには確実に、料理屋兼置屋、カフェ兼料理屋等による酌婦等を使った売春営業があった。

街娼等については、薄野の外れで現在でも似た様な商売をしている者もある。

なお、白石遊廓で昭和30年頃まで営業していた店は、「千代田楼」「源氏楼」「寿」「新橋」「柏楼」「観月」「昇月」「栄楼」という。

まだ未確認情報だが、札幌駅裏の方に進駐軍や警察予備隊の将校向けのカフエーかキャバレーがあったと、知り合いのお婆さんから聞いた。そこに勤めていたという。追い追い調べたいと思う。

今回の参考本は次のとうり。
「月刊さっぽろ 昭和46,11月号、市政風雲録4(石原通孝・桑園学園理事長、寄稿)」財界さっぽろ発行
「ものいわぬ娼婦たち」谷川美津枝著 みやま書房発行
「東京闇市興亡史」猪野健治編 ふたばらいふ新書 双葉社発行

今回は、なぜか偉そうな文章になりました。
謹んでお詫び致します。
242本籍は西創成区:2002/12/28(土) 07:07 ID:Tk8DuqaY [ i100054.ap.plala.or.jp ]
つづけてすみません。

前に、行啓通の(現)札幌東急ストアーの場所にあった造り酒屋の名前は? というレスがあった気がしているのですが…。
いま、手元にある「大日本職業別明細図」昭和11年、東京交通社発行によると、ヤマ田 中川酒造店(清酒 養老の誉醸造元)とありました。
私はずっと金富士酒造だと思っていたのですが…
24318丁目@本村:2002/12/28(土) 10:35 ID:j3zXP0PA [ SODfi-01p1-170.ppp11.odn.ad.jp ]
>>239
>「札幌市写真ライブラリー(中央区北二条東四 サッポロファクトリー内)で、1月の2日から19日まで、
>写真を通して札幌の街づくりをたどる展示会「タイムスリップ!さっぽろ思い出旅行」
絶対行きまつ!
まー私んちの元町方面(東区)は、農村だったって写真が、1枚しか展示されていない気がするが(w
多分1月2日初詣でついでに行きますよ。
244牛鍋蝸牛:2002/12/28(土) 22:49 ID:68kL/xso [ N021099.ppp.dion.ne.jp ]
>>143で登場の「斎藤いく」の養女、「小いく」の写真発見!
明治四十二年の「最近之札幌」より。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=462
ついでに、初代札幌区長で、「偕楽園」の所有者でもあった「對馬嘉三郎」の写真も同書より。
この時点では区長を退き、札幌商工会議所会頭として登場しております。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=465
他にも書きたいことが山ほどあるし、本籍は西創成区さんの調査にもレスしたいのですが、ちょっと疲れ気味のため今日はこの辺で…。
明日からいよいよ仕事がハードになるため、ご容赦を。
24531:2002/12/29(日) 20:35 ID:6nMfed9I [ J025204.ppp.dion.ne.jp ]
>>160
その十軒というのは今の西区山の手の旧字名でしょうか。中央区宮の森は琴似町十二軒だ
ったかと思います。八軒や二十四軒も町名を変えていれば高級住宅街(札幌の場合はかわ
いいものですが)になれたかもしれません。
24631:2002/12/29(日) 20:38 ID:k35SPMC. [ P140202.ppp.dion.ne.jp ]
>>228
これはさっぽろ文庫などでもそうですが、結構書き手の思い込みや勘違いで一次史料から
書き写すときにノイズが入ったりしています。さっぽろ文庫の聞き書きも、どこまで正確
に元の話を再現しているか。話があっちへ行ったりこっちへ行ったりしているのを、あた
かも立て板に水の如く順序立てた話に編集し直しています。

関係ない話ですが、札幌に古くからいる職人さんなんかのインタビュー記事で、なぜか話
す言葉が江戸っ子弁になっているのも、不思議な話です。

それと一般的に∃xP(x)を∀xP(x)と取り違えたりというのもよく見ます。これは
xでもtでも両方あります。
24731:2002/12/29(日) 20:43 ID:rtaPLkME [ J014185.ppp.dion.ne.jp ]
>>238
その本に関しては、「和人は舟を食う」でよりも「アイヌ語入門」の中で徹底的に批判し
ています。とは言え、当の知里博士は「地名解」を熟読していますし、「地名アイヌ語小
辞典」でも度々引用しています。どこかに「知っていて使うには良い本だ」と博士が言っ
ていたという記述がありました。その「和人は舟を食う」に寄せた編集者の文章だったか
もしれません。

まあ、アイヌ語に詳しくはありませんので、知って使うには該当しませんが、この本の歴
史的価値を考え、かつ欠点もあるということを意識して読むつもりです。初学者が鵜呑み
にするには問題がありますので、大門通さんの指摘は的を得たものと思います。知らずに
鵜呑みにして間違った地名解釈が増えないことを願います。
248牛鍋蝸牛:2002/12/29(日) 21:43 ID:HiDk6aA6 [ N016205.ppp.dion.ne.jp ]
>>245
あの、ですから、「十軒」はこのスレには何度か出ていましてね。
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/4_log.html (その四)のレス286をご覧下さい。
みなさん。
>>239にも書いたけど、前スレ読んでね。
じゃ!
24918丁目@本村:2002/12/30(月) 07:53 ID:C2kdA0.o [ SODfi-02p4-6.ppp11.odn.ad.jp ]
本当に過去スレ面白いから一読することをお勧めしますよ!
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/
十軒、赤坊川なんかなつかしネタだなー。
篠路は元町より古い開拓地だけどね、やっぱり札幌史の中では省略されがちですなー。
書名は忘れましたが、古い札幌ネタの本で、札幌各地域の現況を述べた文で酷いものがあった。
円山、琴似、月寒等々の現況に関する記述があり、元町方面として「ここは特殊な地域で苗穂監獄がある」
なんて1行のみ(w
まー歴史上札幌村全体を元町と呼称する人々が居たのかも知れませんが、もっと書きようが
あるようなものなのに、やっぱり固定観念や恣意的なものを感じますね。
白石、豊平なんか元町方面よりずっと恵まれていますね。軍や遊郭があった関係でずっと
街としての特徴がありますよね。
開拓使が作った札幌本道(R36)に沿って発展した街と、幕府や民間人が入植した石狩川より
上ってきて作り上げた村々では、未だに垢抜け度合いが違うような気がします(w
25031:2002/12/30(月) 12:56 ID:TIL3mox2 [ J012054.ppp.dion.ne.jp ]
>>77
> 29年に菊水と命名されて、西町・北町・上町・元町が誕生した。残りの地区も南町と
> 東町に分けられた(34年)。

南町と東町がない状態で、西町と北町が決まるのは不思議な感じがします。これはひょっ
として、上町と元町の誕生が昭和29年で、残りの東西南北の町が34年の間違いではない
でしょうか。とすれば、ちょっと思い当たる節があります。

あるいは、札幌市内だった西町と北町は区画されていましたが、白石村だった東町と北町
は丁目の区分けに時間といのが理由でしょうか。あの辺りは東札幌駅停車場通りが斜めに
走っているので、今でも道に迷う人は今でも多いようです。
25131:2002/12/30(月) 12:58 ID:TIL3mox2 [ J012054.ppp.dion.ne.jp ]
訂正

> 白石村だった東町と北町

白石村だった南町と東町

です。
25231:2002/12/30(月) 12:59 ID:TIL3mox2 [ J012054.ppp.dion.ne.jp ]
>>248
十軒が篠路の地名はわかりました。ところで、十二軒は宮の森だけではなく山の手も指し
たのでしょうか。やんわり行きましょう。
25331:2002/12/30(月) 13:00 ID:TIL3mox2 [ J012054.ppp.dion.ne.jp ]
>>249
過去ログ読みました。白石のはじっこなのに何故「中央」なのかの謎が解けました。昔の
バス停の名前はたしか順に、「西白石」、「中白石」、「中央西」、「白石中央」だった
かと思います。まだ丁目が付いていなかったころの名残なのでしょう。あと、年配の人で
今住んでるのは「白石横町」と言っているのを聞いたころもあります。昔は「東札幌」は
駅前のほうを指していたはずです。

> 元町方面として「ここは特殊な地域で苗穂監獄がある」

ちょっとそれは酷い書き方ですね。
254西創成:2002/12/30(月) 13:50 ID:EarkVzMw [ i096124.ap.plala.or.jp ]
>>253  現 東札幌のほとんどの前の住所は、札幌市白石町横町です。

勝手ながら、名前、短くしました。

本籍は西創成区→西創成
255菊水上町:2002/12/30(月) 17:00 ID:dgQaK6ZA [ h122.p184.iij4u.or.jp ]
>横町
東札幌図書館を米里行啓通(交番がある通り)沿いに
南郷通の方向へ歩いてゆくと、横町の名を残す商店をハケーンできますよ。

▼詳細
www2.snowman.ne.jp/~itsumi3/rose/siro/yoko/yoko.htm
256牛鍋蝸牛:2002/12/30(月) 23:10 ID:/NfCKK4w [ L064066.ppp.dion.ne.jp ]
>>252
31さん。
「十二軒」を大正5年頃の地図で見ますと、「山の手」も含まれているようですね。
申し訳ないけど、今日は遅いので(んでもって、仕事で疲れているので…)、明日以降地図をアップしたいと思います。
ちなみにその地図で「横町」は、「横丁」となっております。
ま、この時代のものは誤植や当て字もありますので、正確なところはまだはっきりしません。
例の「五天山」だって、「五王山」となっていたりましたしね。
さあ、明日も仕事だ!
あ、明後日もね…。
257牛鍋蝸牛:2002/12/31(火) 18:56 ID:17C3ReWo [ N023208.ppp.dion.ne.jp ]
今年はお世話になりました。
では皆さん、良いお年を!
25818丁目:2002/12/31(火) 20:10 ID:tNEd4BWI [ SODfi-01p6-125.ppp11.odn.ad.jp ]
さー皆さん今年も残り僅かです、来る年が良い年であるようにお祈りいたします。
札幌の氏神さんは三吉神社(秋田県人建立)だそうです。皆様はどこで初詣なさりますか?
どっかでそんなスレたってましたっけ?(w
北海道の総鎮守が北海道神宮(旧札幌神社)で、篠路は篠路神社(旧八幡神社・八戸人建立)
発寒は発寒神社(旧伏見稲荷神社・京都から勧請)、鉄北地区は諏訪神社(長野県人建立)、
南2東3には北海道神宮頓宮もあります。
259牛鍋蝸牛:2003/01/01(水) 10:00 ID:ZaBWhpsE [ y069044.ppp.dion.ne.jp ]
謹賀新年!
260啓タ:2003/01/01(水) 12:39 ID:nadqTewM [ EATcf-97p179.ppp15.odn.ne.jp ]
頌春献寿!!(ちょっとえらそうに)
18丁目さん、わが家は本籍山鼻17条につき伊夜日子神社。
学問の神様でもありますぞ。(w
26118丁目:2003/01/01(水) 13:25 ID:wXP6IUNk [ SODfi-02p4-222.ppp11.odn.ad.jp ]
新年明けましておめでとうございます
伊夜日子=弥彦神社ですか、高校受験の頃行った記憶あります。
私は何故か一番近い札幌村神社行ったことありません。
住宅街でクレーム発生するため、どんど焼きやらないそうなので行こうと思えないのです。
でも最近は、爆発的な住民増加で、結構にぎわっているようです。
今年は街で食事するようなので、頓宮になりそうです。
262牛鍋蝸牛:2003/01/01(水) 14:10 ID:5Eop46uE [ y069108.ppp.dion.ne.jp ]
本日の業務終了!!
ということで、皆さんより一足早く、仕事始めだった牛鍋蝸牛です。

改めまして、明けましておめでとうございます。
ここで、2003年最初の提案!
初詣に行けない方、あるいは「寒くって初詣なんか…」という方、Web初詣なんかどうでしょう?
難得神社は、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=294
瑞穂神社(旧雁来神社)は、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=308
伏見稲荷神社は、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=357
菊水神社は、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=429
五天山神社は、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=466
そして、大元締めの北海道神宮は、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=475 です。

今年も皆さんと、札幌のマイナーな地名の調査、研究をしていく所存ですので、よろしくお願いします!!
26318丁目:2003/01/02(木) 09:42 ID:3J2Aq8/I [ SODfi-01p1-170.ppp11.odn.ad.jp ]
>>237
軽川の件は、手稲スレhttp://hokkaido.machibbs.com/hokkaidou/#3
で少し盛り上がってますた。
何かテレビでモー娘の飯田佳織が「ガルガワ」言ってたそーですわ。
私はこれから初詣&ランチ&「タイムスリップ!さっぽろ思い出旅行」です。
264牛鍋蝸牛:2003/01/02(木) 21:00 ID:GQx59l1Q [ U127154.ppp.dion.ne.jp ]
18丁目さんの「タイムスリップ!さっぽろ思い出旅行」レポートを待つ間、ワシとちょっとお付き合いを…。
NHKのテレビで「北海道遺産」をやっていましたね。
第一回の選考で25の「北海道遺産」が指定されたとのこと。
この中でワシが興味を持ったのは、「札幌農学校第2農場」。
http://www.hokudai.ac.jp/agricu/mdlbarn/mdltop00.htm
北大にこんなものがあるとは、全然知りませんでした。
新緑の季節なんかに行ったら最高でしょうねぇ。

尚、諸々の調査の続きは、もう少ししてから再開します。
26531:2003/01/02(木) 22:33 ID:4xLwhA12 [ J018139.ppp.dion.ne.jp ]
>>254-256
丁と町というと、東北の宮城県仙台市には一番丁という繁華街があり、比較的最近(と言
っても十年か二十年か前)町名変更で一番町に改められました。仙台市では武士の居住区
を丁と呼び、町人の住む場所を町と呼んだとか。しかし、これは仙台市だけの使い分けの
ようです。

ただし、○○丁という呼び名は他の東北の諸県にも多くあります。一説には街区が町で、
通が丁とも言います。また、会津では東西の道を丁、南北を通を使い分けていたそうです。
南北の白石本通に直交する横丁なのかとも思われますが、思われるだけで証拠はありませ
ん。
26631:2003/01/02(木) 22:35 ID:4xLwhA12 [ J018139.ppp.dion.ne.jp ]
>>247
その知ってて使えば...の出典を探したのですが、「和人は舟を食う」ではなく、「アイヌ
語入門」の付録に付いてきた小冊子の中にありました。

北海道出版企画センターの知里真志保博士の著作シリーズは
「アイヌ語入門ーとくに地名研究者のためにー」が1214円
「地名アイヌ語小辞典」が971円
と大変にお買い得な値段です。地名を研究しようとする人はかならず座右に備えるべき名
著と思います。
26718丁目:2003/01/03(金) 00:26 ID:1JVy0xtw [ SODfi-02p2-159.ppp11.odn.ad.jp ]
>>265
牛鍋さん、いつもの事ながら私は見掛け倒しで、あんまり良いレポートできません。
北大のモデルバーンは私さらりと書いたんだけど・・・
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/4_log.htmlのレス77です
と言うことで、ファクトリーの札幌歴史写真展、これが凄く良かった!
収蔵写真点数は、ハンパな量じゃないですね。
街の出来るところところが、当初から写真で残っているのが、札幌のアドバンテージ
なんですね。
私が危惧していた、札幌村軽視の傾向はありませんでした。
明治、大正の写真はいつも見る代表的な写真が主でしたが、1970年代からは、市内を
まんべんなく定点観測的に写している、非常に良質な記録集ですね。
パソコンで全収蔵写真を検索できるのもグッドです!
ごめんなさい、酔っ払いで駄文、散文失礼しました。
26818丁目:2003/01/03(金) 00:36 ID:1JVy0xtw [ SODfi-02p2-159.ppp11.odn.ad.jp ]
>>265
丁・町の話し面白いですね。
〜と思われるってとこがツボを刺激しますよ。
>>266
アイヌ語地名に関してはあんまり食指が伸びないのは、いろんな先生がすでに研究
し尽くしている分野だからかなー?

てな感じのスレッドがここの特徴だと思うが、これいかに。
26918丁目:2003/01/03(金) 00:43 ID:1JVy0xtw [ SODfi-02p2-159.ppp11.odn.ad.jp ]
北大農場について続き
ちなみに第4農場はミソマップ!
そのミソマップも国払い下げの土地として、大量に民間の手に落ちたので、ますます
宅地として発展するのではないでしょうか?
地味に第3農場大学村の最後の国有地は昨年秋、大学の森として売り出されていました。
27018丁目:2003/01/03(金) 00:53 ID:1JVy0xtw [ SODfi-02p2-159.ppp11.odn.ad.jp ]
あーそーだそーだ、白石区代表の菊水上町さん、大門通さん、遥香さん、あみさん
、小沼川って有名ですか?
札幌歴史写真展で、小沼川の起点として東高の写真出てましたよ!
私はこれに結構感動しますた。なんたって小沼川ですよ、小沼川!
271牛鍋蝸牛:2003/01/03(金) 19:50 ID:HTwlnKbY [ y068235.ppp.dion.ne.jp ]
>>265
おもしろい!これは興味深いですねぇ。
しかも、場所が「白石」だけに、"東北"ってぇ〜のがなかなかそそられますなぁ。
ってなわけで、「さっぽろ文庫 1 札幌地名考」を見ますと、まさに31さんのご指摘通りらしい…。
「横町は本通りに対する横丁の愛称で、由来をさかのぼれば明治五年(1872)となる」とあります。
しかしながら、申し訳ありませんが今回、詳細は述べません。
だって、今までの宿題が山のように残っているから。
これ以上手を広げるわけには行かないのですよ。
未だ年末年始の後遺症(仕事だよ)で、気力が3割程度だしね。
ま、この記述はなかなか詳しいですので、興味のある方は図書館にでも行ってみてね。
でもさ、「横丁」って言葉の意味、今まで考えたことなかったよ。
そうだよな。
「縦」に対して「横」なんだからなぁ…。
みんな、気が付いていた?
>>267
そうすね、既出でした!
「モデルバーン」ってそのとき、何を指しているのかさっぱり分からなかったのでしゅ。
もう、やだなぁ、18丁目さん。
ちゃんと説明してくれなきゃ。
一般公開が今度あれば絶対に行きたい場所ですね。
情報があればよろしくお願いします。
27218丁目:2003/01/03(金) 19:53 ID:l3eijv/k [ SODfi-02p2-70.ppp11.odn.ad.jp ]
昨夜のレスはとっても酔って書いていたのでかたじけない。
牛鍋さん、札幌歴史写真展でとても重要な報告忘れていました。
あの札幌温泉の写真は、きっちりと正位置で展示されていましたよ。
27318丁目:2003/01/03(金) 20:02 ID:l3eijv/k [ SODfi-02p2-70.ppp11.odn.ad.jp ]
あっ!ほぼ同時に書き込んでました牛鍋さん。
何か私の書き込みばかり並んでしまって・・・
やっぱり牛鍋さん「これ以上手を広げるわけには行かないのですよ。」
こー来ると思っていました。
牛鍋さんの、物事まじめに取り組む性格には頭がさがります。
反対に私は、酔った勢いで思いついたことベラベラ並べちゃう性格なもんで。
274牛鍋蝸牛:2003/01/03(金) 20:20 ID:HTwlnKbY [ y068235.ppp.dion.ne.jp ]
>>267
>街の出来るところところが、当初から写真で残っているのが、札幌のアドバンテージなんですね。
なるほど!
そうだよね。
いや、それはね、ある…。
ワシもこのスレは「札幌だから…」ってのがある、と思っておりました。
例えば、北海道以外の町だとしたらと考えると、単に「地名」と一口に言っても、あまりにも古くまで遡らねばならないわけです。
調査の年代範囲があまりにも広いと言うのは、ワシら素人には無理がありますよね。
その点、「札幌の歴史」はまだまだ若いので、捉えやすい。
しかしながら反面、「入植の地」である札幌はダイナミックな近代に発達した土地ですから、調査内容は多岐に渡り、飽きさせないものがありますし、尚且つ、我々の実体験の記憶も入り込む余地もあるし、これはね、はっきり言っていい!

で、話は変わるが、>>268で18丁目さんが言っておられる内容は、フカイ…(w

と書いた所で18丁目さんからのレス >>272 >>273が…。
いや、そうですか、かたじけない。
ワシの気持ち、分かっていただいておりましたか、くくく。
(ちなみに、笑っているのではない。ワシは泣いておるのだ)
ほんでもってですね、「タイムスリップ!さっぽろ思い出旅行」は6日より三連休なので、その時に行きたいと思っております。
(んでだな、その日に、「あび」で今年の、「ラーメンお食い初め」を敢行す!!)
ご報告ありがとうございます。
275西創成:2003/01/04(土) 02:07 ID:zfUMVq9k [ m174251.ap.plala.or.jp ]
皆様、おめでとうございます。

>>274  たしかにご指摘のとうり、札幌だから面白いとおもいます。
札幌というまちは、みじかい年数で劇的な変化をしているので、その過程でうやむやになってしまう場所や事柄も多い訳です。
おまけに、札幌というところの特徴かも知れませんが、「白石遊廓」も、西洋風な町並みも、アカシヤ並木も、五番館も…名所でも地名でも無くなる時はほとんど跡形もなく無くなってしまうところがあるので、ちいさい糸口から調べだす等という楽しみもあると思います。

ただ個人的にいえば、札幌って、地名だって建物だって、大事にしなすぎではないかとおもいます。
レス違いですが、最近の小樽市街地が心配です。高度成長期に札幌が、札幌らしい町並みを壊してしまったのは間違いであったと私は思いますが、小樽市街地でも、その間違いが進んでいるようで…。

>>271,273
たしかに、対象を広げすぎるのも良くないですね。私も気をつけないと。
276牛鍋蝸牛:2003/01/04(土) 21:14 ID:hSzHZfNw [ U127131.ppp.dion.ne.jp ]
>>275
出来事が歴史に、歴史が伝統に、伝統が文化にまで醸成されるには、それなりの「時」が必要なのでしょう。
近代の時の流れのスピードに、押し流されるがごとく発展してきた北海道にも、ここで一旦立ち止まって、歩んできた道を振り返ってみようという機運が出てきたのが「北海道遺産」の選定運動ではないかいな?とも思ってしまう、年の初めではありますが…。
いや、北海道だけではなく、いけいけどんどんであった日本経済もすでにかなりの期間、足踏み状態、あるいは後退の憂き目を見ておりますが、もう一度自分たちの暮らしを見直すいい機会であると、こう思ってはどうでしょう。
「今」はそういう時代なのではないでしょうか?
立ち止まって振り向き、自分たちが持っている財産を検証し、再利用する。
今まではあまりに顧みられなかった、歴史、伝統、文化にちょいと、触れてみる…。
そんなキーワードが見えてきた2002年、このスレは誕生したわけですがな。
(ふっ、決まった…)
277牛鍋蝸牛:2003/01/04(土) 21:20 ID:hSzHZfNw [ U127131.ppp.dion.ne.jp ]

現在、リハビリ中ですので、内容有りません。
ご容赦を…。
278牛鍋蝸牛:2003/01/05(日) 22:17 ID:Fl/6qMbY [ L102233.ppp.dion.ne.jp ]
仏教は関係ないので…(?)
「いく代」はききしに勝る割烹だったと以前書きました。
「さっぽろ文庫 87 すすきの」の記述をご覧下さい。
「あの頃の街 割烹鶴乃屋 堀田やすさん(明治四十二年生まれ)」から。
「当時、割烹で有名だったのは、南三条西四丁目(現・WINS札幌)にあった「いく代」と南三条西二丁目(現・HBC三条ビル)にあった「いづみ」ですね。それぞれ看板芸者さんもいらしたし、「いく代」にはレビュー団がありました」
レビュー団があった…。
う〜ん、「斎藤いく」さんはやり手とは聞いていたけど、かなりのものとお見受けします。
で、「さっぽろ文庫 66 札幌人名事典」を紐解きますと、「斎藤いく」名では出てきませんが、結婚後の「小林いく」名でちゃんと記述があります。
既出の「札幌百年の人」に準じたような内容でありますが、もそっと詳しく書かれていました。
旦那様の「小林喜三郎」氏は板前さんだったそうです。
当初はご存知のように時の札幌区長であった、「對馬嘉三郎」氏より「偕楽園」の一角を借受け、小さな料理屋をやっていました。
明治三十四年、結婚の翌年に南三西四に進出し、赤レンガ造りの広壮な料亭いく代が誕生したのこと。
斉藤いくさんに関しての部分は次ぎの通り。
「いくの美貌と才気、気っぷの良さはたちまち評判になり、政財界の要人がひきもきらずいく代を利用した。道庁かんぶが接待などでよく使ったために、「いく代道政」の呼び名まで生まれた」とのこと。
この本には、店を継いだのは妹しげとあります。(その夫が斉藤源蔵…、とありますが、この人誰?)
「いく代舞踏団を組織してのレビュー公演は語り草になった」そうです。
しかし、
「また、札幌随一といわれた名門いく代は昭和五十二年、中島(南十三条西一)に新割烹を建て、明治二十八年(1895)以来の地を離れたが、新割烹いく代は長く続かず、四代目にして廃業してしまった」とのこと。

…ああぁ、今日は眠いのでこの辺で失礼します。
倒れそう。
279牛鍋蝸牛:2003/01/06(月) 02:55 ID:nXbjSuNk [ N023206.ppp.dion.ne.jp ]
>>278の始めの文章が、意味不明になってしまいました。
編集の際、失敗しまして…(>.<)
正しくは、
「さて、『割烹 いく代』に関してワシはまだ、こだわってみたいと思います。
こだわりを捨てることが、仏教の心なのですが、仏教は関係ないので…(?)」 です。
しかも、今こうしてみると、改めて書き込むほどの文章ではないな、とも反省しばし…。
尚且つ、説明不十分がもう一箇所あったので補足します。
「また、札幌随一といわれた名門いく代は昭和五十二年、中島(南十三条西一)に新割烹を建て、明治二十八年(1895)以来の地を離れたが、新割烹いく代は長く続かず、四代目にして廃業してしまった」、と書かれているのは、「さっぽろ文庫66 札幌人名事典」ではなく、「87 すすきの」の方です。
さて、自分で間違っておいてなんなのですが、この「すすきの」の記述はちょいとおかしい…。
「明治二十八年(1895)以来の地を離れたが」。
ここで言っている、「開業以来の地」とは「南三西四」のこと。
何度も書いているように、「いく代」は明治二十八年に「偕楽園(跡)」で開業したのですから、これは間違いですね。

「新・いく代」が建てられた「南十三西一」は、「中島公園」と「豊平川」にはさまれた土地です。
実は、前に「あび」のマスターと「いく代」のことを話したとき、彼は、
「いく代は有名だ」と言いつつ、
「はて?そう言われれば、ススキノのどこにあったんだろう?」と言っていました。
前にも書きましたが、あの人はススキノでスナックを十二年ほどやっていたわけで、ススキノ情報には精通しているはず。
そんな訳で、不思議だな、と思っていたのですが、これで納得しました。
しかも、「いく代」が移転した昭和52年というと、彼の往年の店「あびーろーど」が開業する2〜3年程前です。
なおさら納得した次第です。
ただ、「南三西四」が「ススキノ」か、というとこれまたちょっと違う気もするけどね。
280牛鍋蝸牛:2003/01/06(月) 04:04 ID:nXbjSuNk [ N023206.ppp.dion.ne.jp ]
趨勢を極めたといっても過言ではない料亭の「いく代」ですが、そのエピソードの一端が「丸井今井」のHPに出ていました。
しかし、今さっきここを開いてみようと試みましたが、あぽ〜んされたようです…。
「その四」の「札幌飛行場」の時、ttp://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/4_log.html#067 (「その四」のハイパーリンクは、レスまではまだ飛べませんので、#67は探してね)で、「丸井百貨店の屋上に航空燈台が据え付けられ」と書いたときもこのサイトを紹介したのですが、残念。
単にサーバーの都合であればいいのですが、「大丸百貨店」対策のためHPも更新され、その余波で抹殺されちゃったような気がします。
話は戻りまして、丸井今井旧サイトに出ていた「いく代」のことですが、記憶で話します。
実は電話なんですよ。
明治33年(1900)3月1日に札幌で電話が開通。ttp://www.ntt-east.co.jp/databook/pdf/densindenwanoayumi_235.pdf
「いく代」はいち早く電話を引き入れました。
番号は「二番」。
記憶に頼って申し訳ないのですが、確か当時電話を入れたのは「北海タイムス社」とかの限られた会社だけのはず。
あ、もちろん「丸井今井」も自社HPに書くくらいだから、当然導入したわけでしょうが。
ま、何はともあれ、「いく代」の電話は「二番」だったわけで、「いく代」は凄いと、こうワシは言いたい。
え?
「一番」はどこだって?
丸井のサイトに書いてあったような…。
28118丁目:2003/01/06(月) 05:04 ID:aUOkWwP2 [ SODfi-02p5-121.ppp11.odn.ad.jp ]
西創成地区は、明治の初めから、東本願寺別院(南8西8)を境に、北側は札幌の市街区、南側は屯田兵が入植した山鼻村として発展しました。特に北側は、明治10年代にできた狸小路やススキノ周辺を中心に商人の町として栄えていきました。
 札幌で一番古い歴史を持つ創成小学校は、明治から昭和にかけて西創成とよばれていた時代があり、これが地区の名の元になったといわれています。
 昭和27年に財産管理を主体として設立された自治組織、社団法人「西創成親和会」は、札幌の連合町内会としては唯一の社団法人です。
28218丁目:2003/01/06(月) 05:15 ID:aUOkWwP2 [ SODfi-02p5-121.ppp11.odn.ad.jp ]
ごめんなさい!281のレスは寝ぼけてエンターキー押してしまい唐突な内容になってしまいますた。
>>279
>「南三西四」が「ススキノ」か、というとこれまたちょっと違う気もするけどね。
ススキノというくくりではなく、西創成地区という認識でしょうね。
ススキノがどこからどこまでか?と問われると、遊郭のあった場所と考えると、極めて
狭い土塁に囲まれた、現在の南四、五条通りの西三、四丁目をさしています。
今では、人によっては36号線以南中島公園までと思う人や、その手前の南三条あたりから
ススキノと呼ぶ人がいたりまちまちですが。
・・・で、281で西創成地区の紹介を簡単に記述しておきました。
28318丁目:2003/01/06(月) 05:25 ID:aUOkWwP2 [ SODfi-02p5-121.ppp11.odn.ad.jp ]
>>280
札幌の電話番号は現在でも、一番、三番は伊藤組土建が使用しているはずです。
284なまら名無し:2003/01/06(月) 07:10 ID:mRCTx7UM [ pd3386e.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
はみんぐ町っていつできたの?車で通りがかってびっくりした。
285牛鍋蝸牛:2003/01/06(月) 08:00 ID:q60VZqKI [ N016154.ppp.dion.ne.jp ]
♪ ハ・ミ・ン・グッ!ってライオンでしたっけ?
「はみんぐ町」…。
札幌にそんな地名があったのか?と面って検索してみましたら、どうやら「江別市豊幌はみんぐ町」のことらしい…。
「札幌のマイナーな地名」スレですが、お正月なのでセーフ(w
何しろ、一月は正月で酒が飲めるのですからね。
「いつ出来た」とのご質問ですので、
ttp://www.city.ebetsu.hokkaido.jp/~koho/h1210/r_osirase.html
ttp://yubin.senmon.net/01/01217u.html を参照していただければと思います。
どうやら2000年10月7日から、というのがその答えのようですね。
286牛鍋蝸牛:2003/01/06(月) 09:15 ID:q60VZqKI [ N016154.ppp.dion.ne.jp ]
ちょっと横道に逸れますが、明治の札幌の電話事情を「最近之札幌」(明治四十二年)より、「本局直轄區内電話既設加入者数及現在申込数」を見ますと、
加入者  申込数
明治三十七年度   417   113
   三十八年度   419   139
   三十九年度   507   239
   四十年度     633   299
   四十一年度   804   181
となっておりますが、広告で見ると電話番号はすでに千番台も登場していますので、すでにこの時点では必ずしも順番ってこともないようですな。
正月なので(?)1〜10番までわかればな、と思っておりましたら、七番が分かりました。
「内國通運株式会社札幌支店」
あ、一番、三番は18丁目さんのおっしゃる通り、「土木建築請負業 札幌區北五条西八丁目 伊藤亀太郎」となっております。
本当は、伊藤亀太郎さんはワンツーで決めたかったろうになぁ。
斎藤いく恐るべし…。
ちなみに、「いく代」と並ぶ「東京庵」(斎藤いくも居たことがある)の番号は六十五番です。
287新川番地:2003/01/06(月) 09:29 ID:0nHBWB5M [ sapporokita2-150.ppp-1.dion.ne.jp ]
みなさま、明けましておめでとうございます

電話加入は1番が旅館(名前忘れた)5番が五番館(の前身)だったですよね?

で、「いく代」なんですが、正月父に取材したところあそこの家は代々婿をとっていた(つまり女系)だったらしく
斉藤家が連綿として続いていると父も思っていたらしく「小林」には少々驚いていたようです
その「斉藤家」小金湯の「まつの湯」で水害に遭い途絶えたような話でした。
また、それとは別に芸者さんなど従業員の方は斉藤家の養子としてお嫁にいったらしいです
多分そのことを牛鍋さんは「親戚が沢山いる」とおっしゃったのだと思います
その他判ったことは結構あるのですが この位で・・・
288牛鍋蝸牛:2003/01/06(月) 10:43 ID:q60VZqKI [ N016154.ppp.dion.ne.jp ]
>>287
「いく代」に関して、"うち"がちょっと、関係していたことをお話したのは>>148でのこと。
ワシの死んだ母(嘘。生きている)は、その昔はススキノのお姉さん方の洋服をかなり縫ったそうです。
お店に仮縫いに行ったりもしていたとのこと。
昔は今のように手ごろな値段の既製服というのは少なかったから、特にプロの方はちゃんと仕立てた服を着ていらしたもんです。
ま、彼女のおかげで、ワシもこんなに立派な青年に育ったわけですが…。(ごめん。中年だわさ)
ま、うちの母は、「いく代」に関して、
「あそこはとにかく親戚が多かった」と言っておりますが、養子(女)さんが多いということでしたらなる程と…。

>電話加入は1番が旅館(名前忘れた)5番が五番館(の前身)だったですよね?
実は、消えてしまったサイト、「丸井今井物語」の最初の部分だけ検索エンジンで確認できました。
そこには、
「その時の一番は札幌一の大旅館山形屋、二番が料亭いく代、三番が現在の伊藤組、四番が安達要吉、五、六番が、現在の五番舘の…(以下表示されず)」とありました。
以前にワシはこれを見たわけです。
「最近之札幌」(明治四十二年)では、既出のように一番、三番は「土木請負 伊藤亀太郎」さんになっています。
「山形屋」は「交通機関之一部分之旅館タル 札幌山形屋」との、よく分からないキャッチコピーで広告が掲載されているのですが、電話番号は52と756番となっています。
さて、「山形屋」というのは、「新琴似」の「銀座 山形屋」とは全然関係ありません。
あ、知ってた?
そう、当然、あの「札幌 山形屋」ですね。
電話開通から十年程で番号が変わったのですね。
ちなみに「五番舘」は、
「五番舘の舶来石鹸」という広告が出ています。
「王女の冠」「バラの花」「香すみれ」「麝香なでしこ」「オリエンタル」「ピアレス」「ウール」「洗濯石鹸」などの商品が出ています。
「衛生と経済の王にして高評を博し居り候 札幌停車場通り 五番舘」。
電話番号は出ていません。
ハテ?「五番舘」って石鹸しか売っていなかったのでしょうか?
289牛鍋蝸牛:2003/01/06(月) 11:37 ID:q60VZqKI [ N016154.ppp.dion.ne.jp ]
さて、「いく代」の電話番号の話で、ちょっと「地名スレ」からはずれてんじゃないのぉ?とご不満の貴兄に…。
ちゃんとオチを付けるのが、ワシの身上です。
明治42年には電話番号の一番と三番を使用していた「伊藤亀太郎」氏。
>>283 18丁目さん。伊藤組土建鰍フ現在の電話番号は違うようですね)
この人は文久三年(1863)新潟県三島郡出雲崎で代々大工だった家に生まれ、明治十八年五月に行方不明になっていた父を探すことも兼ねて札幌へ来たそうです。
そして、なんと「偕楽園」の工事にたずさわったとのこと!
ね、ちゃんと地名ネタと関連するでしょう?
「斎藤いく」さんも新潟県は村松町の生まれですから同郷となるわけで、浅からぬ因縁があるわけですな。
ところで、「伊藤亀太郎」は「山形屋」からどうやって「一番」を手に入れたのでしょう?
そして、一番だけで満足したのだろうか?
コレクター(?)としては「二番」も手に入れたかったのではないか?
「いく代」にも「二番」を譲ってくれないか、って打診したかもしれないな、などと考えてみちゃったりして。
伊藤組は札幌郵便局、札幌駅、北一条教会などの建築も手がけたそうです。
(以上は、さっぽろ文庫 札幌人名事典より)
伊藤組土建鰍フHP ttp://www.itogumi.co.jp/profile/history-f.htm (北海道の歴史と伊藤組のあゆみ)
あ、亀太郎さんは札幌に来た年の夏、秋田で13年ぶりにお父さんと再会を果たしたとのことです。
めでてぇ〜な!
ヨヨヨイ、ヨヨヨイ、ヨヨヨイ、ヨイッ!
290牛鍋蝸牛:2003/01/06(月) 12:28 ID:q60VZqKI [ N016154.ppp.dion.ne.jp ]
あ、またやった。
>>289
>この人は文久三年(1863)新潟県三島郡出雲崎で代々大工だった家に生まれ、明治十八年五月に行方不明になっていた父を探すことも兼ねて札幌へ来たそうです。そして、なんと「偕楽園」の工事にたずさわったとのこと!
のくだりは「札幌百年の人」(北海道新聞社編)からの要約です。
ワレながら、かなりの意識の混濁が見られますなぁ〜。
では出かけますので、また夜にでもね。
291菊水上町:2003/01/06(月) 16:19 ID:UPotUSXU [ h122.p184.iij4u.or.jp ]
>小沼川
旧小沼川は、現在遊歩道になっていますよ。有名…ではないかも?
平和大橋建設に際して今は通行できなくなっております。
東高のあたりが起点だったのか…近いうち歴史写真展行ってきます

電話番号も熱いな〜。
古い看板でケタ数が異様に少ない番号表示があると興奮します(変態
292あみ:2003/01/06(月) 22:49 ID:6SxrFJ9I [ m184190.ap.plala.or.jp ]
川といえば、近所を流れていた望月寒川を思い出すなぁ。
「望」って何?と思ったものです。小沼川は知らなかったです・・。
293なまら名無し:2003/01/07(火) 00:47 ID:gDSiCTyc [ pc045108.tokyo.ppp.waseda.ac.jp ]
結構レスが進んでいるので次スレ立てますた。このスレ埋めてから使ってくらはい(´∀`)

【そんな所】スレも立たないマイナーな地名in札幌 6番地【あったっけ?】
http://hokkaido.machibbs.com/bbs/read.pl?BBS=hokkaidou&KEY=1041867920
294西創成:2003/01/07(火) 02:56 ID:4yGc8PeA [ i220126.ap.plala.or.jp ]
>>288 五番館の販売品は多種多彩なようで…。

元々、種苗店「札幌興農園五番館」からはじまったというこの店、大正10年には、フォード自動車の販売権を取って、自動車販売までしていたという。
作家の森田たまさん(1894生まれ)は、「雪の札幌」のなかで、『私は16歳ではじめて東京へ出て来て、銀座へ出てみて、東京には五番館のやうな大きなシヨウウヰンドを持つた店がないとおもつて、失望した。また、五番館にあるやうなハイカラな品もなかつた。』と記している。おそるべし!五番館。

>>291 電話番号の桁数の少ない看板をみると、わたくしもわくわくします。(ワシも変態か?)

定山渓局1番は、定山渓ホテルですが、札幌局1番は、北2西4の山形屋旅館なんですか。なるほど。

道内の電話手動交換は、昭和53,10,18に雄冬局が自動化したのが最後でしたので、0番〜999番(甲・乙も含む)の番号は無くなってしまいました。因に、札幌の自動化は昭和26年、共電式化は(ガラガラ回さなくても掛かる)昭和3年。(いずれも、簾舞局、定山渓局を除く)
余談ですみません。
295西創成:2003/01/07(火) 03:33 ID:4yGc8PeA [ i220126.ap.plala.or.jp ]
つづけてすみませんが。

昭和11年「大日本職業別名細図・住所入信用案内」によると、
旅館 山形屋  電話52番・2001番・2002番
五番館     電話2005番・特長5番
縣社三吉神社  電話3443番(ミヨシサン)
札幌温泉    電話3202番
碌々商店札幌支店電話 10番
とのこと。

やはり山形屋さん、1番欲しくなって、妥協して2001〜2番も取得したのでしょうか。
五番館さんも、代表は2005番にしても、長距離番号は5番にしているとは、さすがです。
三吉神社は、3443番で、わざわざ『ミヨシサン』とかなふりしてました。伊豆伊東のハトヤホテル(4126番ヨイフロ)みたいです。
296牛鍋蝸牛:2003/01/07(火) 05:27 ID:RYmh6EiY [ L064043.ppp.dion.ne.jp ]
お、新スレ立ってました!
手間省けたわ。
スレ継続の場合、立てるタイミングも難しいのです。
スレタイ職人さん、早稲田大学からご苦労様です。
では、♪都の西北 早稲田のとなりぃ〜…などとワシの母校の校歌を口ずさみながら…。
>>291>>294
"小桁数電話番号フェチ"って結構いらっしゃるんですねぇ。
でも、興奮してハァハァしても欲望のはけ口はないでしょうから、結構ツライのではないかと(w
じゃ、正月なのでもう一曲。
♪伊東へ行くならハ・ト・ヤ 電話は4126(ヨイフロ)〜 っと。
西創成さん、「五番舘」ですが、「札幌興農園五番舘」とな!?
って、ことは例のナニじゃないですか。
297牛鍋蝸牛:2003/01/07(火) 05:29 ID:RYmh6EiY [ L064043.ppp.dion.ne.jp ]
例のナニとは…。
「その四」 http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/4_log.html#189 (レス189へはご自分で…)「スミスの墜落事故」関連でワシ、書きました。

「実は三年前、札幌区民は飛行大会に裏切られていた。大正2年9月7日、東京の鳥飼繁三郎が北10条東1丁目の興農園耕地で開催した「飛行機隼号飛行大会」で、鳥飼の隼号は20mほど急上昇したとみる間に失速、左にかたむいて墜落している。鳥飼は気を失って大会もそれまで。30銭の入場料を払って集まった観衆は空しく散っていくほかなかった」
さて、一旦中断ですが、「北10条東1丁目」の「興農園耕地飛行場」は昭和7年に「札幌飛行場」が開設されるまで利用された飛行場のようです。
ま、単なる空き地だったと思われますが。
ちなみに、CMでもおなじみ、「共和女子学生会館」が「北9条東1丁目」です。
その一つ北側にあったんですね。

尚、上記の引用部分は、「さっぽろ文庫 37 札幌事件簿」です。
なんだかんだと、関係があるものですね。
関連サイトを紹介します。
ttp://www.warbirds.jp/airport/hokkaido/sapporo-konoen.html
ttp://www.ne.jp/asahi/kirakiland/hosioki/rekisi/rekisi37.htm
この「星置サイト」で出てくる、「小川二郎」さんという「札幌興農園」を作った人ですが、日露戦争後に種苗のほか洋品雑貨を扱う「興農園五番舘」を開店したが、不振のため経営を「小田良治」氏に譲ったとのこと。
親友の小川二郎氏の「興農園五番舘」に資金援助をしていた小田良治氏は、明治四十三年に経営を引き継いだ際に、形態を百貨店にし、豊かな国際経験を生かし、国内外の優良品を取り揃えた。
大正十二年にはフォードと直接契約をして自動車の輸入販売をしたが、これは日本で初めての試みだった。
「札幌トヨタ自動車」は五番舘の自動車部を母体にしているとのこと。
引用は「さっぽろ文庫 66 札幌人名事典」からです。
で、要約文です。
フォードの販売権部分で、西創成さんの説と年代ちょっと違いますけど。
あ、「ゴバンカン」は「五番館」じゃなくって、「五番舘」が正しいようですよ。
次で、「いく代・偕楽園・清華亭」に戻る予定。
29818丁目:2003/01/07(火) 06:11 ID:AsQIZNV. [ SODfi-02p3-97.ppp11.odn.ad.jp ]
事前申し込みによる当時の加入者名簿によると、札幌の「一番」は「菅原藤之助、陶器・銃砲店」とある。
「三番」は伊藤組土建(本社・札幌)の創業者で、今の伊藤義郎社長の祖父である「伊藤亀太郎」。
その後「一番」も伊藤亀太郎の所有となり、実際の番号はダイヤル化などを経て変わっているが、今でも
「札幌一番、三番」は伊藤組土建が使用している。このほか、釧路一番は釧路町(現釧路市)役場、室蘭
一番は栗林合名会社(現栗林商会)など、各地の若い番号は地元の官庁や老舗(しにせ)企業・商店など
が所有していた例が多い。地域によっては、「一番」をもらうため受け付けの前夜から郵便局の前に並び
、雨の中を炭火に当たりながら待ったという話もある(「でんでん今昔50話」)。

この資料だと「菅原藤之助、陶器・銃砲店」が札幌一番?事前申し込みによる当時の加入者名簿とは?

菊水上町さん、私地名巡りにはまりだしたのは、旧小沼川跡散策路を発見した頃からなのです。
散策路として看板もあって、整備されているにも関わらず、なんともマイナーで放っておかれている
ような荒廃ぶりにツボを刺激されたんですね。
以前牛鍋蝸牛さんのサイトに貼り付けた↓のような風景があったりして
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=330
やっぱり菊水上町のこのあたりも、平和大橋開通によって、これから相当変わってしまうのではないかと
思っているのです。
あみさんのように白石に住んでいながらも、旧小沼川を知らない人というのは結構いらっしゃると思います。
そのマイナー度がたまらなく好きです。
299次スレ:2003/01/07(火) 06:14 ID:Xle3cNWA [ YahooBB218127158016.bbtec.net ]
【そんな所】スレも立たないマイナーな地名in札幌 6番地【あったっけ?】
http://hokkaido.machibbs.com/bbs/read.pl?BBS=hokkaidou&KEY=1041867920
300なまら名無し:2003/01/07(火) 06:15 ID:Xle3cNWA [ YahooBB218127158016.bbtec.net ]
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