【芸術家つんく、栄光の軌跡】 ■第一回■
つんくは1968年10月29日の朝、この世に誕生した。
まさに日の出の時にこの世に生を受けたのである。
両親はこの子に「光男」と名付けた。光輝く人生を
歩んで欲しい、という願いが込められての命名であった。
光男少年は聡明な少年であった。その可愛らしい瞳には
英知が漲っていた。生まれながらの秀才であった。
両親はそんな光男少年を心から愛した。
そして彼も両親のたくさんの愛にはぐくまれながら育っていった。
光男少年はすくすくと育った。驚くべきことには光男少年は
僅か2歳の時に「南無妙法蓮華経」を唱え、周囲の大人たちを驚愕させた。
3歳の時には既に1000以上の漢字を覚えていたという。まさに光男少年は
史上空前の天才少年として健やかに育っていったのである。
(第二回に続く)
【芸術家つんく、栄光の軌跡】 ■第二回■
つんくの母親は出産直前、こんな夢を見たという。
それは、己の肉体から火の玉が飛び出したかと思うと、
まばゆいばかりの光の玉に変わり、周囲を明るく照らしながら
この世のものとは思えぬ美しい音楽を奏でながら飛翔していったという。
目覚めた母親は確信したという。生まれる子供は偉人になる、と。
両親の大きな期待を一身に背負った光男少年はすくすくと育った。
同年代の子供達と比べ、その驚異的な発育状態は誰の目にも
明らかなことであった。
その澄んだ瞳は聡明な性格を感じさせた。優しい微笑に仏陀を
連想した者は少なくなかった。光男少年には生まれながらにして
知性と包容力が備わっていたのである。
(第三回に続く)
【芸術家高本秀行、栄光の軌跡】 ■第三回■
1972年12月24日午後8時。光男少年の家では毎年恒例の
クリスマスパーティーが開かれた。雪の降る寒い夜であった。
往来には行き交う人の姿はなく、静かな時間の中、しんしんと
音もなく雪が降り続いていた。
光男少年と両親、兄弟2人に親類などが集い楽しいひと時が
過ぎていった。
懐かしい歌、懐かしい話で盛り上がったクリスマスパーティーは
時が過ぎ行くのを忘れさせるに十分であった。光男少年はそんな中、
窓辺で降りしきる雪を見つめていたが、やがて意を決したように
父親の傍へ行くとなにやら耳うちした。
光男少年から小声であることを告げられた父親は満面の笑顔で
家族と参会者に向かって次のように言った。
(第四回に続く)