愛ちゃんを寝かせたあとは、居間にノートパソコンを持ってきて、例の手順でダ
ルメシアンを待った。
画面には彼専用の青い椅子が置いてあるまま。いつまで経っても彼は現れる様子
もなく。
今日も夜の静けさが部屋中に満ちた。
パソコンなんてものはもともと好きじゃない。更に、ここのとこ夜の台所も苦手
になってきて、またへんな夢を見るんじゃないかとか、そういう不安もあって冷
蔵庫にはあまり近付かないようにしてた。
そんな不安が何かに伝わったのか、台所から物音が聞こえた。音のない居間にそ
れははっきり届いた。
パソコンを抱えおそるおそる台所に足を踏み入れて、そっと冷蔵庫を覗いてみ
た。
冷蔵庫の扉が開き、その中から何本もホースのようなものが伸びていて、それは
宇宙服のようなものを着た人の背中に、全部くっついている。
宇宙服。どでかいヘルメットをふらふらさせて、背丈が――わたしよりチビ。
それが不気味に台所にいた。
その人はしきりに背中のホースをはずそうともがいている最中で。
我ながら抱えていたパソコンをよく落とさなかったなと思う。
案外冷静にわたしはその人を見てた。
彼は邪魔くさそうにようやくホースを全部はずすと、冷蔵庫に叩きつけてから振
り向いた。
「ご苦労さまです。亜弥ちゃん」
ふらつきながらおじぎするその人の表情は、ヘルメットの真っ黒バイザーにさえ
ぎられて全くわからない。
「……先生? もしかして」
たぶんそう思って言った。
「はい」
「愛ちゃんの?」
「はい。ねえ、すでに直ってるじゃないですか。これ」
彼は冷蔵庫の中のジェネレーターを指しているようだったけど、わたしはそんな
もの見てもいなかった。無意識に彼に襲いかかってたから。
「わっ!」
「なにもかもあんたのせいだ!」
「待って下さい! ゲッ! やめて!」
ヘルメットを脱がそうとしたけど、固くて取れず、両手で掴んで思いきり振っ
た。
「亜弥ちゃん怒るのも当然ですし言い分も相当ある事でしょうから先生ちゃんと
聞きますんで落ち着いて下さい落ち着いて下さい!」
こもった訴えを聞いて、手を放したものの、振り疲れたわたしはその場に倒れ込
んだ。
同じく倒れて大の字になった彼と、しばらく台所に倒れたまま数分、しばらくそ
うしてた。
食卓に座った彼にお茶を出す。ヘルメットを取らないまま飲もうとして、バイ
ザーにお茶をぶちまける彼を見て、ばかだなと思った。
「言い分っていうか……」
彼はバイザーを拭くときちんと背筋を伸ばす。
わたしの文句を聞く為にそう落ち着かれると、いろいろあったはずなのに、か
えって出てこなくなるというもので。
息を吸い、ゆっくり言った。
「ただひとつだけ」
「はい」
「あの任務……あれだけは勘弁してあげて下さい」
「先生も同様、酷だと思っております。しかしブレーンウォッシュはそりゃあ強
力なものでありまして、あれに対抗するのは相当難しいのですよ」
「ブレーンウォッシュってなんですか」
「教育です」
「教育」
「そです。殺しの」
落ち着きすぎの彼を、わたしは睨んだ。
「こら」
「……こらとはなんですか」
「いいかっこしないでくれる。あなたがその教育とやらの担当者でしょ」
「ちがいます。先生は愛ちゃんの担任じゃないですよ。先生はたまたま転送を受
け持ったひとです」
「じゃあ、愛ちゃんの担任は別にいるって事?」
「そうですよ」
いよいよ夢と重なってきて、もうあれは現実なんじゃないか。そうだとしても慣
れてきたせいか驚きはあまりなかった。
「あとありますか」
「それだけよ」
「そうですか」
「いったい何しに来たの」
「えーとですね、修理の依頼という事で」
「ああ……」
「もう直ってるじゃないですか」
あの犬……ちゃんと伝えたんだ。
「あ、時間が迫ってますんで、これで」
宇宙服は冷蔵庫を開けて、飛び出てきたホースを慌てるように背中に装着しはじ
める。
「あなた酷だって言ったよね」
わたしの言葉に彼は手を止めて顔を上げた。
「かわいそうだと思わないの。みんな、ひどい事やらされてるのは小さいコばか
りじゃない。どうせ、あなたじゃどうしようもできないって事は、わたしにもわ
かるけどさ」
「こう言うんです」
「なんて」
「素晴らしきマリンよ永遠なれ」
「す……え?」
「素晴らしきマリンよ永遠なれです。愛ちゃんは後藤さんの前に行くと、おそら
く教え込まれた通りの行動をとると思われます。その前にこれを言わせれば、な
んとかなるかもしれませんけどもこれは可能性の問題でしょうねえ。実行しない
かもしれないし――」
「殺しちゃうかもしれない」
「はい」
「言わせるだけ?」
「そです」
「言わせればいいんでしょ。簡単じゃない」
「言う前に殺しちゃうかもしれないですよ」
「えぇ?」
「あ、先生時間がありませんので、これで」
扉を閉める彼を見送るよりも、教えられた妙な言葉――素晴らしきマリンよ永遠
なれ
それを反復するのでいっぱいいっぱいだった。
彼が冷蔵庫を閉めたはずみで、その上の冷凍庫の方が開いた。
そこからどかどかと溢れ出てきた黒い物体。音からして重くて鉄製のもの?
反復しながらそれをよく確認すると、無数の拳銃。
だった。
いっぱい落ちてくるのを止めようと、あわててそれらをかき集めながら
「ばかやろーーー!!」
愛ちゃんが起きようとも、わたしはかまわず冷蔵庫に向かって叫んだ。