スタジオに向かう道の途中、わたしの顔色をうかがう愛ちゃんが視界の端に見え
た。隣でわたしの眉間のしわをみて明らかにおびえてる様子。
スケジュール帳を盗み見てついていきたいとねだる彼女に
「魂胆みえみえなんだから。後藤さんなんでしょ目的は」
そう言うと彼女はあわてて首を振る。
「ちゃう」
「残念でした。今日は誰もいないもん。無駄だよ」
「そんな事考えてない!」
その切実な顔を見てまあいいか、おおごとにはならないか。とそう判断して許可
した。
ただ、今はその事で不機嫌なわけじゃない。
ダルメシアンとの約束が二日経っても果たされないばかりか、なんの連絡もない
ままだった。
おまけにいくら呼び出しても、画面にはただ青い椅子が写っているだけで、その
事を考えていた為に一時的にひどい顔になっていたのだと思う。
「あのバカ犬」
「……」
「ほんとにちゃんと伝えたのかな」
「先生忙しい人やから」
「別に先生に伝える必要ないじゃん。直せる人に伝えればいいんだから。いるん
でしょそういう人」
「いる」
「修理状況とか教えてくれてもいいじゃない。何回も呼んでるのにさ」
「そんなに邪魔?」
「え?」
「そんなに帰ってほしい?」
「いや、そういうわけじゃ……」
言葉に詰まって時計を探した。携帯を取り出す。遅れる。急がないと。
だって帰れないって泣いてたのはキミじゃない。思い出して言おうとした。
「亜弥ちゃん、あれどう思う?」
愛ちゃんの指さす方を見上げてると太陽が直接目に入った。
「う、見えない」
「あそこの鳥」
電柱の上、なんの鳥かはわからないけど、羽ばたきながらホバリングして何かを
つついているように見えた。
「あ…」
しばらく見ているとそこから何か落ちた。目をこらすとそれはぼろぼろになった
小鳥だった。
まだ動いてる。思わず足が動いて拾いに行こうとしたとき、大きな鳥が小鳥をさ
らっていった。
高く羽ばたいていく鳥は、つついていた鳥とはちょっと違っているように見え
た。
みるみる小さくなっていく鳥はビルの向こうに消えた。
たぶんあれは親鳥だったんだと思う。
「あれが何?」
振り返って愛ちゃんに言うとわたしはペコちゃんに向かって話してた。すでに愛
ちゃんはスタジオに着いていて興奮したように手招きしていた。
スタジオの入口で見学用のIDを作ってもらってるところで目をうたがった。
わたしの目に写ったのは廊下をゆっくりと歩いていき、奥に消えていく後藤さん
の姿。
「これつけてたら3、2、1キューとかできんの」
出来上がったIDを首からぶら下げてる愛ちゃんの腕をとっさにつかんでスタジオ
を出る。
何事かと足を踏ん張る彼女を強引に外へと引っ張り出した。
「なんやの」
「ちょっと待って。えーと…」
急な冷や汗が気持ち悪く引いていく。
「そうだ」
スタジオの向いにある喫茶店に愛ちゃんを連れ込んだ。できるだけ窓から離れた
奥の場所に座らせてメニューを突きつける。
「何がいい? どれでもいいよ」
「亜弥ちゃん、朝ごはん食べなかったの?」
わたしは財布から3000円を出してテーブルに叩きつけた。
「ごめんね。すぐ戻ってくるから。おとなしくここで待ってるんだよ。いい?」
不可解の表情でうなずくのを見ると喫茶店を出た。
どうなってんのよ。
そのままスタジオ内に飛び込んで後藤さんの姿を探す。
廊下を歩く限り、他のメンバーは見当たらない。
わたしの見間違いかな…?
また例の幻覚症状が出たのか。
スタッフの人には聞けず、ドキドキしながら歩き回った。
くまなくスタジオ中を歩いた結果、後藤さんの姿は見当たらなかった。
そうだ。だって今日の歌録り(仮)ってわたしだけなはずじゃない?
後藤さんがひとりで録る必要なんてない。
やっぱりわたしの見間違い。
そう思うと少しほっとした。自分の症状の事なんてこのさいどうでもよかった。
「よ」
背中を叩かれて口から心臓が飛び出た。思わず「グェ」と言った。
そこには飲み物を片手にこっちを見下ろす悪魔? 天使?
やっぱり居たんだ…。
「松浦も歌録り?」
「な、なんでここにいるんですかあ!」
「ボイトレ。なんなの、どんなびっくりのしかた」
そう言って笑う。
「す…すいません」
そのまますーっと奥に行ってしまう後藤さん。わたしはあわてて後を追った。
「まずかった? ここにいたら」
落ち着きはらった言葉とは裏腹に後藤さんはコンビニの焼そばをすすっていた。
ボイトレには時間があるらしく、それまでの間この休憩室(ほとんど楽屋)でひ
とり休んでいるらしい。ソファにはまた毛布がかたまりになって置いてある。
わたしは廊下を見回してドアを閉めた。
「聞こうと思ってたんです。後藤さんに」
反応はなく、もぐもぐと口を動かしてる。
「どうしてへんなのに狙われてるんですか? わたしよくわからないですけど、
どういう事なんですかあれは。教えてくれませんか?」
口いっぱいに詰め込み、不思議そうにわたしを見る。
言ってる意味がわからない。
そんな表情。
そうですね。順序よく説明していって、ちょっと待って、わたしにも順序がわか
らなーい!
皿をテーブルに投げ出すのを見て思わず身を引いた。
「後藤は悪くないよ」
「………そ、そりゃあ悪いのはあのコ達です。後藤さんは何もしてないのに」
「あのコ達?」
「例えば……小川さん」
すぐさま愛ちゃんの名を上げなかったのは、小川さんに悪いと思った、けど。
「誰だっけ」
「廊下で追われてたときの、追ってたあのコです」
「ああ」
ははと明るく笑う。
「ひっぱたいちゃった。ちょっとのつもり」
「大丈夫そうでしたよ」そうでもなかったかな。「ちょっと腫れてましたけど」
ソファに身を任せて宙を見る表情がしだいに沈んでいくように見えた。
「後藤さん?」
「後藤は悪くない」
つぶやく声は急に低くなってた。
「だってあたしがやらなかったら誰がやんの? あたしばっかり悪者扱いで……
まったく感謝してほしいくらいだわよ」
「あの…」
後藤さんはわたしの事を忘れているようにつぶやく。悪者扱い。感謝ってなんだ
ろう。
「亜弥ちゃん」
再びトーンが高くなった。
「なんだか知ってるようだね」
「いえ! ほとんど、まったく、知りません!」
「聞いてくれる?」
「……はい」
立ち上がって服を払う後藤さんにわたしは何度も首を縦に振った。
そのときパリンと何かが割れる音がして後藤さんが前につんのめった。
続けざまパリンパリンと音がして後藤さんは二度つんのめり、今度は床にどさっ
と倒れた。
一瞬何が起こったのかわからなかった。
――後藤さん!
叫んだつもりが息を激しく吸っただけで声にもならない。…まただ。
横向きに倒れた後藤さんの表情はわたしとは反対の方を向いていたのでわからな
い。
――血。
ただ壁に飛び散った少量の血と、倒れた体から流れる血は見えた。
わたしはどう動いていいのか判断できず、左右に、意味不明に動いてから後藤さ
んに近付こうとしたとき、またガラスが割れてわたしの立ってた近くの壁にピ
シッと穴が開いた。
「伏せて」
いつのまにかこっちを見ていた後藤さんに言われて、ようやくその場に伏せた。
「頭上げたらだめだよ」
後藤さんはほふく前進で部屋の隅にあったボストンバッグを手に取ると、ジッ
パーを開けて何かを取り出す。それをガチャガチャと何やら組み立て始めたかと
思うと、次の瞬間にはライフルを構えていた。
――なんでそんなもの。
一瞬白いスーツ、前に見た夢を思い出した。
窓から頭を少し出して外を覗く後藤さん。その近くのガラスが割れる。わたしは
頭を抱えて縮こまった。
「あは、へたっぴ」
狂ってる。何もかもが狂ってる。
どうしても後藤さんを殺したいっていうの。何がそうさせるわけ。
それにしたって、むこうがおかしいなら後藤さんだっておかしい。
ばかばか! なんでこんなことしなきゃいけないのよ!
なんなの!?
わたしの頭上を弾がかすめ飛んで2つ3つ穴が開いた。
「やめてーー!!」
後藤さんが割れた窓にライフルを置き、3発撃った。
それを見るとわたしはまた頭を抱えて伏せた。
それから数秒の間、静かだった。
しばらくしても相手は撃ってくる様子はなかった。
顔を上げると壁にもたれてる後藤さんと目が合う。
「当たった」
「あの…」
「あそこ」
後藤さんが窓の外を指さす。わたしはなんとか起き上がると、その方向に目を細
めた。
向いの…すぐ近くのビルの、4階。
窓に蜘蛛の巣みたいな模様が出来ているのが見えた。
「それ、本物ですか…」
「うん」
「その…」
「痛…」
後藤さんの押さえた肩から血が出てた。
あわててタオルを探す。
「こっちはいいよ」
「でも!」
「騒ぎになってないか見て」
「大丈夫なようです」
廊下を見ると意外と落ち着いていた。
ドアを閉めて部屋を見回す。ガラスの散らばった部屋。
後藤さんはすでに解体したライフルをバッグに入れるとそれを持って立ち上が
る。
「逃げよ」
「はい」
「ボイトレもうそろそろ始まるし」
「それどこじゃないです」
わたしたちは部屋を出て周りをうかがった。
あのビルにいる誰かが気になった。
あそこにいたのは誰なのか。
小川さん? それとも他の誰か。
今、瀕死の状態? もしかして死んでるかも。仮に見に行ったとして。わたしが
第一通報者。マスコミ。目撃者。後藤さん。
一気にそれらが頭に並んで、わたしの足がすくむ。
行けるわけない。
このまま何事もなかったように歌録りに行くのがいいと思った。
――愛ちゃん!
突然彼女の顔が浮かび、顔が熱くなる。
まさか違うよね。おとなしく待ってるよね。
「松浦悪い。見てきてくんない」
「ええ?」
やっぱりそうなるんですか? ででででももしかしてわたし殺されるかも知れな
いじゃないですか! そう言おうとあたふたしていると
「へんなとこ当ててないか心配。大丈夫だったら電話して」
「……」
「ごめんね、松浦しかいないから」
ついバッグを肩に抱えてしまい痛みに顔をゆがめて言う後藤さん。
わたしをみつめる目。でももう、わたしは決心していた。
落ち着いてわたしはうなずいたものの、正直頭の中はまだ混乱していた。
「じゃ。ボイトレまだかな…」
部屋を去る後藤さんに背中を向けた途端、わたしはスタジオの入口に向かって
走ってた。