わわわわわ。お母さーん。
パイプ状の廊下で尻もちをついたわたしは、貞操の危機ってやつを感じていた。
今まさに、全裸の男に襲われるところ。
冗談でしょ!
突然、男の胸に数カ所穴が開いたかと思うと、血しぶきがわたしの顔に飛び散る
がわかった。
男はそのまま覆いかぶさるように倒れてきて、わたしはもろに押しつぶされ、そ
の重さに胃の物が逆流するのを感じた。
「重ーい!」
手に力を入れてもびくともしない。
顔を手で拭うとべっとり赤いものが付いた。改めてその生々しさに驚いて悲鳴を
上げて、もうパニック。必死で男の下から這い出た。
なんとか離れ、うつぶせの男から血がどんどん流れてくるのを呆然と眺めてる
と、その視界にガチャガチャと音を鳴らして歩いてくる革靴が入ってきた。
見上げるとそれは白い革のスーツをぴったりと着た後藤さんだった。
脇にライフルを抱えて無表情で男を見下ろしながら、近寄ってくる。
「ごと…」
言おうとしたけど声が出なかった。
わたしは上げられない腰でなんとか彼女すら避けようと、もがいて後ろに下がっ
た。
「あは、当たった当たった。タマ噛んじゃってさ、どうしようかと思っちゃっ
た」
後藤さんはライフルと男を交互に見ながらはしゃいでいる。
「あのー…」
声はやっぱりかすれてた。
「ヲタ上がりに教師の資格取らせる自体問題あんだよね。いつか殺してやろうと
思ってたけど、やっと念願叶ったってかんじ。誰あんた」
「あの」
「あ、えーとえーと…」
と例によって、指を振りながらわたしを思い出そうとするしぐさ。
「松浦亜弥です。あの…これ…」
「いいよ、こっちで処理しとくから。今ちょっと立て込んでてね。ごめんね。は
い行って行って。邪魔だから」
手で払われて、わたしはなんとか立ち上がって、ふらつきながらも逃げた。
まただ。なんでまた、よりによって。でもあれだ。
知ってる。これは夢。悪い夢だ。この中で何が起こったってわたしには関係ない
んだ。
「ハアハア、もういやだ」
走りながらつい言うと、ちゃんと声になってた。
振り返ってみると、後藤さんが男の足を持って引きずるっているのが小さく見え
た。
夢。わたしには関係ない。そう思うと少し気が楽になった。
そうだ思い出した。愛ちゃん。
チビ愛ちゃんを探さないと。
ひたすらパイプ廊下を走って行きついた先は、これまた重そうなドア。と思った
けど近付くと自動で開き、いきなり真っ白になった。
これは? 前にも見た。ちょうど前の夢と同じ眩しさ。
あ、これは元の入口に戻ってきたんだ。夢が終わる。早く醒めて。
なんて思ったけど、どうやら違った。
前と違ったのは、白い空間の中に何百、何千、いや何万という数えきれないくら
いの透明なケースが縦に並んでいた事だった。
ひえー、まさに壮観。その異様な列の中にわたしだけがぽつんといた。
丸みの帯びたカプセル状のケースの中には、ひとりひとり女の子が入れられてい
て、足下に水が溜まっているのが見えた。
みんな何も身に着けてなくて肌が白の光に反射していた。目を閉じて眠っている
ようにも死んでいるようにも見える。
それでも全員に見つめられているようで、背筋が少し冷たく感じた。
夢なんて所詮理解できないものだとはわかっているけど、こんなに不安な気持ち
は何だろう。いやに現実感があってそのうえひどい事に、醒めないじゃない!
ケースの列の中を進むうちにいやでも目についたものがあった。
たったひとり、キャミソールに白パンツのコ。
近くに行ってやっぱりと思った。
愛ちゃん。
今の愛ちゃんだ。
15歳。
さほどわたしは驚かなかった。
それにそのキャミソールは見覚えがある。その薄いバラのプリント。それってわ
たしのやつじゃない。
思わず吹き出してしまった。
夢にだんだん馴れてきているのがわかって、なんとか余裕が出てきた。
それにしても下から湧いてる水かさがどんどん上がってきているのが気になる。
このままだとみんな溺れてしまうんじゃない? でもわたしにはどうすることも
できない。わかんない。
愛ちゃんは唐突に目を開けた。
一瞬どきっとした。
そしてにっこり笑って何か喋り始めた。
「!!!」
「なに? 聞こえない」
突然、警報みたいな音が鳴り響いて飛び上がった。
途端に白の空間が赤に変化した。
空間もケースも女の子たちも全て真っ赤に染まる。
すでに水は愛ちゃんの首まで沸き上がっていた。
「なになに、何なのよもう!」
その表情が苦痛に歪んでいるようにも見えて、わたしはさすがに落ち着いていら
れなくなった。
「割るもの、割るもの…」
探したけど白い空間にそんなものは見当たらなくて、わたしはケースを手で叩く
事しか出来なかった。
だけど頑丈でびくともしなくて、水はついにケース中に溢れてしまった。
「愛ちゃん!」
赤の液に溺れ、大きな泡をごぼっと吐き出した愛ちゃんは目を見開いたたまま、
ぴくりとも動かなくなってしまった。
どうしようもできないのをわかっていながら、わたしはケースを叩き続け、やが
ては腕が上がらなくなった。生気のなくなったその表情がとても見ていられなく
て目を背けた。なんでこんな夢。早く醒めてよ。
その場にへたりこんでケースに寄り掛かかると、しだいに力が抜けていくのを感
じた。
いったいどうしろって言うのよ。わたしにどうしてほしいわけよ。
ふと見ると床にびしょ濡れの愛ちゃんが倒れているのが見えて、ぎょっとした。
愛ちゃんは顔を上げてわたしを見る。今にも泣きそうな顔だった。
「愛ちゃん」
呼ぶとなんとか体を起こして這ってくるのが見えて、わたしも行こうとしたけど
なぜか腰を上げられず、その場から動けなかった。
急に青になった。
今度は周辺が月明かりがさしたような、そんな青。
なんだか目の前にテーブルがあって、横に流し台が見えて、その間を愛ちゃんは
こっちに這ってきた。
やがて目の前にたどりつくと、わたしの名前を呼ぶ。
「亜弥ちゃん、亜弥ちゃん」
すぐに答えようとしたのにまた声が出なかった。手を伸ばそうとしてもなぜか動
かない。
愛ちゃんはわたしの肩を揺するものの、反応がないのを不安に思ったのか、しび
れを切らして頬を何度も叩いた。
そうしてもらってようやく手が動いた。声も出た。
「痛……」
「どうしたの、こんなとこで。風邪ひくよ」
わたしはいつのまにか冷蔵庫に寄り掛かっていた。
ここは…台所?
窓から月が見えた。真夜中かな。
なんでこんなとこで寝ちゃったんだろう。こんなとこであんな夢……。
「ウチがベッド取っちゃったもんだから」
心配そうに見つめる愛ちゃんの顔や体を、思わず触って確かめた。
濡れてはいなくて、ほっと一安心。
けど、彼女が着てたのはあのキャミソール。あのパンツ。
呆然としていた。きっと抜け殻みたいに見えてるんでしょう。
不安そうな目の前の顔を、なんとか安心させてやらなきゃいけない。
そう思った。
「これはですね、わたしのお気に入り」
わたしがそう言ってそれを引っ張ると、ばつが悪そうに愛ちゃんは謝った。