小説練習用スレッド α

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165第5章

「そう。しかもこれは私の個人的な依頼だ。私の責任において
君に頼む。仕事としてでなく、私の願いとしてだよ。だから当然
命令する訳ではない。君に決定権を預けたい」
「私的、というのに拘るのには何か理由でも?」

「公的に動けば…例え我々外事が関わったとしても薄々気付
かれるからな。そうなってからでは遅い。それに担当が部内の
誰になるかは上層部が決める事だしね。私にはその決定権に
関われる資格はないからな」
「あなたが…関われないと何か不都合でも?」

高森は少々意地悪く聞き返すと、男は笑みを浮かべながら煙草
の煙を大きく吐き出しながら答えた。

「そうさ。エライ不都合が生じるからな。…多分、上にあがれば誰
もこの件を扱わないだろうからな」
「上は…見て見ぬ振りをするとお思いで?」
「内容が内容だけに、ある意味そうした態度も当然だろう。彼らは
警官の前に役人であるからな」

男の苦々しい口調が高森に突き刺さる、その言外に含まれるニュ
アンスがあからさまに高森にも伝わる言葉の吐き方だった。

「しかしだ。それでは絶対に済まなくなる。隠せなくなる、近いうち
にな。…どうやら彼らの歯車が少しだけ狂い始めた様だからな」
「仲間の一人がホテルで頭を打ち抜かれ…そしてこの告発文…
蠢いていると?」

「そういう事だな。点と点を結びつけて線に出来ないヤツラが上に
ドカリと溜まっている以上、絵を描けるものが仕事をしなければな
らない。そういうものだ」

男はそう言うとかばんの中にあった残りの書類を全て取り出し高
森に手渡した。

「これで関係書類は全部だ。調査を『私的』に行う以上、使える人員
は限られる。どうだ、君のチームに使えるのはいるか?」
「…その答えをする前に…。私はまだ返事をしていませんが。受ける
とも受けないとも…」

「そうだったかな?それでは聞こう。どうなんだ?」

男は高森の前に歩を近づけると静かに目を見据える。その瞳は
黒く薄く光り、細かな皺が刻まれた目じりが上向きに鋭く上がって
いる。高森は静かにその瞳を見つめ返すと、大きく瞬きを一つし
てみせた。

「そもそも私に拒否できる権利はあるんでしょうか?」
「権利も義務もないさ。君次第だよ」
「なるほど…」

高森はユックリと席を立つと、広く開かれた窓際に歩を進める。
窓の外は、熱気に包まれたまどろみの中、遠くに光るタワーの
イルミネーションがまどろんでいる。彼は焦点なくその景色を見
ながら男に背を向けながら言葉を選びつつ返事をかえした。
166第5章:02/04/26 04:23 ID:???

「秘密とは…得てして信頼の絆の隙間から零れるものです。身内の
不祥事を暴くのに無駄に大切な絆を失いたくは、ないのですからね」
「…」
「ですから…やるなら一人で…それでもよければ」

高森の言葉を聞き終えるや否や男の口元が少しだけ緩んだ。高
森はその気配を背中で感じていたが、視線はそのまま窓の外に
飛んでいた。

「勿論だ、構わないさ。君の好きなようにしてくれ」

弾んだ男の声が高森の耳に飛んでくる。その声の勢いとは裏腹に
高森の心は深く沈殿していった。

「頼むよ。急かす訳じゃないが、大事になる前にな。」

男は高森の肩をポンと一つ叩くと、勢い良く部屋を辞した。その遠
ざかる足音を聴いていると心持ち足取りは軽く思え、まるでスキッ
プを踏むように廊下の奥に消えていくようだった。

「絆か…俺は何を言っているんだか…」

高森は溜め息を一つ吐くと、やるせなく窓の外を眺め続ける。今年
もまた、雨の季節の真っ只中だというのに夏の熱気が前倒してこ
の都会を覆い尽くしている。光と影が交錯する夜の四十万が闇を包
んでいた。

<続>