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 ――1993.10.28 日本2−2イラク(カタール・ドーハ アルハリスタジアム)

 あと一歩だった。ワールドカップという高みまで、あと一歩というところで夢は
ついえた。勝てばアメリカへ、引き分ければ予選敗退という緊迫の一戦はイエロー、
レッドカードによる警告者が7名に及ぶ凄惨な試合となった。
 降りしきる雨の中、前半、福田明日香のフリーキックからのゴールで先制した日
本は5分後、その福田を相手DFのタックルによる負傷で失う。日本は後半開始直後
1−1に追いつかれたものの、69分には安倍なつみがゴールを決め、2−1とリー
ド、そのまま時間は過ぎてゆき勝負は決したかに思われた。
 しかし終了間際のロスタイム、イラクのシュートが日本ゴールに突きささり、同
点。そして直後のホイッスル。キャプテン・中澤、エース・安倍をはじめとする日
本代表のメンバーはピッチに座り込んだまま立ち上がる事ができなかった。
 ――1996.7.21 日本1−0ブラジル(アメリカ・マイアミ オレンジボール)

 優勝候補の最右翼と言われていた「王国」との対戦は、予選リーグの初戦にして
最大の挑戦だった。
 炎天下のピッチ上、日本はGK飯田圭織を中心にブラジルの猛攻を耐え、得点を許
さない。そして、0−0のまま迎えた後半27分、MF後藤真希からのパスを受けた
矢口真里がゴール前にセンタリングを上げると、それをクリアーしようとしたブラ
ジルDFとGKが衝突。こぼれたボールを押し込んだのはこの試合で攻守の要になって
いたMF市井紗耶香だった。日本はその後もブラジルの攻撃をよくしのぎ切り、タイ
ムアップ。日本サッカー史上に残る勝利はここに生まれた。

 ――1997.11.16 日本3−2イラン(マレーシア・ジョホールバル ラーキン・スタジアム)

 長い試合だった。延長118分、後藤真希の強烈なシュートをGKがこぼしたとこ
ろに吉澤ひとみがスライティングで飛び込み、イランゴールに押し込んだ。劇的な
展開を経てこじ開けたワールドカップへの扉。それは前半の安倍なつみのゴールの
後、イランに2点を奪われる苦戦。後半、なんとかゲーム振り出しに戻した76分
の辻希美のゴール、そして延長戦の向こう側にあった。
 「悪夢」から4年、日本の悲願は歓喜と共に成就した。
5だれか:01/12/16 14:26 ID:???

 目覚め ――司令塔・中澤裕子
6だれか:01/12/16 14:29 ID:???
「冗談にもならへんわ」
 中澤裕子は日本代表に入るやいなやそう言った。80年代後半、当時ではめずら
しく、中学を卒業すると同時に南米へと留学し、帰国後、読売クラブ(現東京ヴェル
ディ1969)の中心選手としてプレイしていた中澤は、監督のつんくのやり方が
ことごとく気に入らなかった。
 固い規律、一糸乱れぬ組織プレー。試合だけにとどまらないまるで校則のような、
中澤に言わせれば「くだらない」決まり事。
「正直言うて窮屈ですね。ウチのサッカーはアイデア勝負やから。そりゃあチーム
として調和を取るのは大事なことや、っていうのは分かってますよ。ただ、あんな、
上から押し付けられるもんやない。練習や試合の中で自然に見につくものだと思い
ます」
 現に当時の日本サッカーをリードしていたのは、中澤を始めとする強い個性の選
手が集った読売クラブだった。
7だれか:01/12/16 14:30 ID:???

 一方のつんくにとってはサッカーとはバランスが命であり、一人ひとりの選手が
その仕事を確実にこなすことが大事だった。
 しかし、だからと言ってつんくが没個性を求めていた訳ではない、それぞれの個
性を活かせる戦略、システムを用いたチーム作りすると言った点ではつんくも中澤
も同じだった。ただ、そこへ至るまでのアプローチが決定的に違っていた。
「つんくさん。私達はアマチュアじゃない。プロなんです」
 中澤だけではなかった。福田明日香、石黒彩ら、チームの中心をなす選手達もそ
ろってつんくに反発した。
 しかし、チーム内は最悪のムードながらも、日本代表は結果を残した。
 ダイナスティカップ優勝。
 この頃から、チーム内のつんくに対する不信の芽は確実に少なくなった。
 ところが、
8だれか:01/12/16 14:32 ID:???

「今の日本リーグで強いチームは、読売と日産(現横浜Fマリノス)、どちらも南
米スタイルですよ。なのにつんくさんは分かってない。きっと……間違ってないと
は思います。せやけど、ワールドカップ予選はもう来年なんですよ? つんくさん
のやってることは2、3年はかかる。間に合いませんよ。
 (中略)
 何より、代表のみんながやる気を無くしかけてるんですよ。
 このままじゃダメになりますよ。日本は違う監督を雇うべきやと思います」
 中澤は雑誌のインタビューで痛烈なつんく批判を展開した。
9だれか:01/12/16 14:34 ID:???
 つんくは中澤を呼んだ。Jリーグ開幕後の10月の事だった。
「もしあのインタビューの発言が事実なら代表からははずれてもらう事も考えなあ
かん」
 ワールドカップ出場は中澤の夢だった。まだ24歳ではあるがこの先、チャンス
があるかどうか分からない。この時点で中澤はまだ、つんくのやり方に納得してい
たわけではなかったが、チームを離れるわけにもいかなかった。
「取材を受けたのは数ヶ月前の事で、今は考えは変わってきてます」
 後に、つんくはこう振り返る。
「あれは『賭け』やったんですよ。中澤は反抗的でしたけど、ワールドカップを目
指すためにはなくてはならん選手でしたからね」
 つんくの描く日本代表というチームに中澤はかかせないピースだった。MF中澤と
FWの福田明日香、同じく左サイドバックの石黒彩のトライアングルは日本代表の生
命線だった。
10だれか:01/12/16 14:36 ID:???

 そんなつんくとともに、中澤の力を最高に評価していたのは、中学時代から中澤
の事を知り、読売ヴェルディでもともにプレイしてきた石黒である。
「日本代表は『中澤以前』と『中澤以後』で明らかに変わりました。裕ちゃんは代
表だけじゃなくて、日本のサッカーそのものに影響を与えたと思ってます。それま
ではどちらかというと、守る・攻める、って感じの一本調子だったものが、裕ちゃ
んが代表に入ってからは『リズム』だったり、『緩急の変化』だったりがうまれま
したから。ワールドカップも夢ではないと思ってます」
 当時の日本の選手としては群を抜いた視野の広さと、状況に応じたパスとドリブ
ル。司令塔としての中澤の価値は唯一無二のものだった。
11だれか:01/12/16 14:38 ID:???

 その後、92年のアジアカップで初優勝。中澤は大会MVP。いつの間
にか、つんくや石黒が抱いていた期待は日本国民全体のものとなってい
た。
 93年4月からの1次予選は危なげなくクリア。しかし、6月Jリー
グで石黒が左足に故障負う。
 10月、カタールでの最終予選。日本は石黒を欠いていた。
12だれか:01/12/16 14:39 ID:???
とりあえずこんな感じで
13だれか:01/12/16 16:50 ID:???

 誤算 ――計算チガイ
14だれか:01/12/16 16:51 ID:???

 アジア6ヶ国に振り分けられたアメリカ行きのチケットは2枚。石黒を欠いた日
本は、1戦目サウジアラビアに引き分け。2戦目、イランには左サイドを徹底的に
狙われ1−2で黒星を喫した。
 第3戦、対北朝鮮。
 ここでつんくは勝負に出た。キャンプで試した3トップで試合に臨む。結果は
3−0の初勝利。しかしながら、慣れない中東の地での連戦と、石黒が抜けて安定
しないシステムのために、中澤に疲労が目立ちはじめていた。
15だれか:01/12/16 16:53 ID:???
 第4戦、対韓国。
 つんくの勝負は続く。最終予選直前に代表入りしたFW安倍なつみをスターティン
グメンバーに置いた。疲労困憊の代表メンバーの中、安倍・福田の若いツートップ
の運動量に期待した抜擢だった。
 中澤の長短の鋭いスルーパスに安倍・福田はよく反応し、再三に渡り韓国ゴール
を脅かした。結果は1−0だったが、その攻撃的なプレイスタイルはつんくサッカー
の一つの集大成でもあった。
 これであとアメリカまであと1勝。残るイラク戦に勝利すればワールドカップ出
場、というところにまで辿り着いた。
 しかし中澤は不機嫌そうに表情を険しくした。疲労、チームの調子、石黒の抜け
た穴……。不安はさらに中澤の感情を苛立たせた。そして、まるで出場権を勝ち取っ
たかのようにはしゃぐチームメイトの姿を前に中澤は一喝した。
「何考えてんねん。これでいったと思ってんのなら、大変な事になるで」
16だれか:01/12/16 20:35 ID:???

 93年10月28日、午後4時15分。雨の中運命のゲームは始まった。
 開始5分。この試合最初のファールで手に入れたフリーキックはイラクゴールの
正面17メートル。これを福田が豪快なミドルシュートでゴール右隅に決める。先
制点が早いからこそ、それからの時間が長かった。ゲームは始終イラクペースで進
み。10分、DFのタックルで福田が負傷し、安倍と交代。
 問題はやはり疲労だった。運動量が落ちているMFとDFの間に出来た大きなスペー
スをイラクに支配され、隙だらけのディフェンスラインは速い攻めで突破された。
それでも、前半を無失点に押さえきれたのはGK飯田圭織の幾度にも渡る好セーブの
おかげだった。
17だれか:01/12/16 20:36 ID:???

 つんくはハーフタイムになんとか修正しようと試みたが、皆興奮状態でその機会
を失う。後半54分、イラクの猛攻がピークに達する中、1対1の状況で飛び出し
た飯田の頭上を超えたループシュートがついに日本ゴールを破る。
 しかしこの逆流の中、中澤の天性の読みが一つの輝きを放つときが来た。69分、
パスを受けた中澤は数秒間タメをつくる。安倍が反応し飛び出し、それに合わせて
スルーパス。まさに針の穴を通すようなパスが安倍に渡り、ゴール。2−1とした。
残りは20分……。
18だれか:01/12/16 20:37 ID:???

 イラクのキックオフで試合を再開するまでの間、中澤はつんくにMFを変えるよう
に声を上げている。皆、体力が限界に来ていた。走れる選手をとにかく交代させ、
あとの時間を凌ぎ切る。そのための交代を呼びかけた。しかし、つんくは動かなかっ
た。序盤で福田が負傷し、交代枠を使わざるを得なかった誤算のせいか、荒れた試
合によるさらなる選手の負傷を恐れたせいか、つんくはこの件については今でも多
くを語らない。
19だれか:01/12/16 20:38 ID:???

 ロスタイム。
 イラク陣内、右サイドからの安倍のセンタリングがカットされるも、それを奪い
返し、今度は左サイドで中澤がボールをキープする。イラクはチェックにこない。
安倍が右から中央へと動く。中澤はそこに浮き球のパスを出した。
20だれか:01/12/16 20:39 ID:???

 ドーハの悲劇。試合終了間際の同点ゴールは、中澤最後のパスがDFにカットされ
たところから生まれた。一本のパスが生み出したゴール。本来ならば、相手DFがチェ
ックにこない以上パスを出す必要はなかったはずの場面。
 なぜ、中澤は安倍にパスを出したのか……。
 混乱と興奮の中になされた選択の理由は、今も謎のままである。

 ――4年後の歓喜へ