吉澤ってゆでたまごにそっくりじゃん!

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57log0076 ◆XYQ/VxOU
 吉澤は三時間ほどで、コンピュータールームを後にして、自室に戻っていた。
部屋の隅にある、シャワーボックスから出て、濡れた身体をソニンから渡されたタオルで拭う。
替えの下着を着け、黒のタンクトップに、ミリタリーパンツを履き、ベッドに仰向けに倒れこむ。
窓のほうに目を向ける。
外は真っ黒だ。
街の明かりは、ない。
雨が降っているのか、窓に滴が流れていた。

吉澤はベッド横の、部屋にある唯一の照明であるスタンドライトを消した。
糊の効いたシーツで身体をくるめ、膝を抱えるようにしてきつく目を閉じ、眠りに着いた。

吉澤は、夢にまどろみながら、追憶する――

灰色の水彩絵の具を塗りつけたような、曇り空。
粘つく空気。
むせるような湿気。
吉澤が手にしているサンドウィッチが不味くなり始めた。
ドアを開けて、車内に引っ込むと、母親がポットの中の紅茶を手渡す。
「ありがと…」
吉澤は、微笑み、受け取る。
飲みながら、眠っている弟たちに毛布をかけ直した。
「行こう。」
吉澤の父親は、気合を入れなおすかのように、声を大きくした。
吉澤の体がシートに引き寄せられ、車は進み出した。
58log0076 ◆XYQ/VxOU :01/12/08 01:23 ID:???

車は、とある山の麓にあるキャンプ場の駐車場に止まった。
所狭しに、様々な原色のテントが並んでいる。
そして、テントの隙間と言う隙間に、人々が列を成していた。
傘をさす事が億劫になったのか、人々はびしょ濡れであった。
濡れて垂れた髪から覗いた目が異様なぐらい白く見える。
吉澤は、目を逸らしながら、車からテントを取り出すのを手伝った。

吉澤たちは、適当な場所を見つけ、テントを立てると、ようやくくつろぐように足を伸ばした。
吉澤の父親は、手巻き充電式のラジオに耳を傾けていた。
母親は、弟2人を寝かしつけている。
「ひとみ、どこ行くの?」
「トイレ。」
吉澤は、傘を片手に、外へ出た。
テントから顔を出し、腕時計に目をやる。夕方の5時だ。
が、すでに辺りは真っ暗で、人々の姿は、テントの中に消えていた。
様々な色のテントが、中から照って、幻想的な風景を作り出している。

雨は、霧雨に落ち着いていた。
時折、蟲の声を挟みながらも、静寂が続いていた。
吉澤は、大量のテント群の合間にある細い道を歩き、トイレを目指した。
59log0076 ◆XYQ/VxOU :01/12/08 01:24 ID:???
 吉澤は、用を足し、手を洗う。
と、そのとき、誰もいないはずのトイレで物音が響いた。
後ろを向いて、トイレひとつひとつに目をやるが、誰もいない。
残ったのは、掃除用具を入れる個室のみだ。
吉澤は、傘を力強く握り、ドアを開けた。
ドン、というドアが壁に当たる音が派手に響く。
吉澤は、後じさって、じっと中を見据える。
肩まで伸びた髪に、花柄の半袖シャツ、赤のバミューダパンツの、少女だ。
吉澤は見覚えのある服装に目を見張る。
背を向けている少女の肩を掴み、呼びかけた。
「……梨華ちゃん?」
呼ばれた少女は振り向いた。
大きく目を見張って、吉澤を確認すると、しなだれるように抱きついた。
震える石川を、吉澤は抱きしめてやるしかできなかった。

「梨華ちゃん、どうして?」
吉澤は、石川の肩を撫でながら聞く。
今、吉澤たちがいるのは、埼玉県民が割り当てられたキャンプ場だからである。
石川は、家族と一緒に神奈川県に戻ってるはずだった。
60log0076 ◆XYQ/VxOU :01/12/08 01:24 ID:???
落ち着いたのか、石川は、吉澤からゆっくり離れた。
「暴動が起きたの。」
吉澤は驚きで言葉を失う。
石川は、構わず続けた。
石川とその家族が乗っていた車も、暴徒に襲われ、家族はちりぢりになってしまった。
石川は、何とか逃げ延びて、飛び乗ったトラックが、政府の物資配送用のトラックだった。
そして今日、ここのキャンプ場に辿り着いたのだと言う。

吉澤は、話を聞くと、石川の手を引いて、家族の待つテントに戻った。
吉澤の両親は、石川を快く受け入れた。
石川は、小さく「ありがとうございます」と言って、その日はそれ以上しゃべらなかった。
夜になると、うなされながら家族の名前を呼んでいた。

朝、とはいっても、外は薄暗い。
吉澤は、石川がいなくなっているのに気が着く。
両親も弟も、まだ寝息をたてている。
吉澤は起き上がって、外へ出た。
吉澤は、見上げた視線の先にすぐ石川を見つける。
石川は、傘もささないで、耳にラジオを当てていた。
61log0076 ◆XYQ/VxOU :01/12/08 01:25 ID:???
雨に紛れて雑音混じりのニュースの音が響いている。
吉澤は石川の背後から傘を差し出した。
「何聞いてるの?」
「お父さんと、お母さんの名前……、呼ばれたの。」
吉澤は口をつぐむ。
ラジオから通して流れてくる名前は、たいてい「行方不明」や「死亡」といった言葉がついてくる。

しばらくして、ラジオが切れた。
接触が悪くなり始めているのか、充電しても半日ともたなくなっているのである。
石川は耳に当てていたラジオを外し、充電用のハンドルを回し始めた。
「ごめんなさい。私、充電しておくから…」
「いいよ…」吉澤は、石川の行動が哀れに見えて仕方がなかった。
石川は、無視してハンドルを回しつづけている。

ラジオの中のモーターがきゅるきゅると無機質に響き続ける。

「いいよ!」吉澤は乱暴にラジオを取り上げた。
石川は、ラジオを取り上げられたままの状態で静止している。
「ごめん……。中、入ろう。風邪ひくよ…」
石川は頷きもしない。ただ無表情でうつむいている。
吉澤は、石川の手を取り、テントへと導いた。
62log0076 ◆XYQ/VxOU :01/12/08 01:26 ID:???
雨は止むことなく降り続き、夜が近づいてきた。

「ひとみ。梨華ちゃんは?」
吉澤の母親に言われて、吉澤は石川の姿がないことに気がついた。
キャンプ場のそばに湖があったっけ。
思い出した途端、吉澤の中で不安が生まれ、肥大する。
「探してくるよ。」
吉澤は深刻な顔つきを見せないようにして傘を片手にテントを出た。

テントを出た吉澤は、キャンプ場の出口に向かい、傘を閉じた。
「出入り禁止」と、政府が張っていったロープをあっさりくぐり、暗い森に入る。
ポケットサイズのマグライトを点けて、ぬかるんだ道を器用に進んだ。
幽霊が出そうだ、という恐怖よりも、石川が湖に行っていないかのほうが怖かった。

大きな繁みをくぐると、急に視界が開けた。
時計に目をやる。午後の3時だ。
しかし、辺りは夜のように暗い。
湖も色がわからないほど暗く、不気味に波打っていた。
見入ると、心の奥まで侵食されてしまいそうで、吉澤は声を上げた。「梨華ちゃ〜ん!」
叫びながら、ぐるりと一回転をする。
微かだが、人影を確認できた。
63log0076 ◆XYQ/VxOU :01/12/08 01:26 ID:???
吉澤は湖沿いに泥を蹴散らしながら人影のほうへ走った。
簡易ボートの並んだ船着場に、石川が腰を下ろしていた。

吉澤は、当初の不安が消えて、つい顔がほころぶ。
船着場に足を置くと、長雨で脆くなった足元の板木が軋んだ。
ぎくりと、足が止まってしまう。
石川は音に反応して、吉澤のほうへ振り返り、また背を向ける。
吉澤は、膝を付いて、手を差し出した。「梨華ちゃん、帰ろう。おなかすいたでしょ?」
石川は何も答えない。

吉澤は膝と手を着いたまま慎重に進んだ。「じゃあ、せめて傘だけでもさそ…」
ちょうど、吉澤が膝を着いていた板が割れて、吉澤は下半身が湖に浸かる。
落ちた拍子に、肋骨が折れたのか、息が苦しくなり、悲鳴をあげることもできなくなった。

石川が、目を覚ましたように目を動揺の色に染め、膝を突きながら吉澤に近づく。
「ダメだよ…」吉澤が掠れた声で搾り出すように叫ぶ。
石川は膝を着いたまま止まった。

吉澤は、板に手を置き、踏ん張り、なんとか湖に落ちる事を回避した。
仰向けのまま、肘をついて移動し、石川に近寄る。
肋骨が痛み、辺りが霞み始める。
額から気持ちの悪い汗が流れ、息苦しさに吐き気を覚えた。
64log0076 ◆XYQ/VxOU :01/12/08 01:27 ID:???
吉澤はようやく石川の顔が見える位置まで移動し、肘を伸ばした。
石川は、吉澤に膝枕をして、手で額の汗を拭ってやる。「ごめんなさい…」
石川は大粒の涙を流し、顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくった。

「よかった…」
吉澤は呟く。
石川が泣いたから、というわけでなく、ようやく感情が戻ってきたように思えたからだ。
「梨華ちゃん……、ずっといるから。」
吉澤はぎりぎりで石川に聞こえるぐらいの声で言って、ゆっくり目を閉じる。
視界が暗くなる直前の石川のわずかな微笑が脳裏に焼きついた。

吉澤は目を覚ました。
剥き出しのコンクリートでできた天井。
窓の外は、うっすら明るくなり始めている。
夢が長かったせいか、眠気が尾を引いていた。
シーツに身体を包みながら、起き上がり、息を吐く。
石川は今どこにいるのだろう?
今思い出した記憶では、判断する事はできそうにない。
会いたい、ただそう思った。