☆☆ 魔装竜外伝第九話「機獣達の宴」 ☆☆
【前回まで】
不可解な理由でゾイドウォリアーへの道を閉ざされた少年、ギルガメス(ギル)。再起
の旅の途中、伝説の魔装竜ジェノブレイカーと一太刀交えたことが切っ掛けで、額に得体
の知れぬ「刻印」が浮かぶようになった。謎の美女エステルを加え、二人と一匹で旅を再
開する。
謎の美少年フェイと共に、旅行くギル達。銃神ブロンコと狼機小隊は追撃を敢行、彼ら
を窮地に追い込んだ。疑心暗鬼に陥ったギル。しかしエステルに諭され平静を取り戻すと、
狼機小隊・二の牙クナイの追撃を辛くも振り切った。
夢破れた少年がいた。
愛を亡くした魔女がいた。
友に飢えた竜がいた。
大事なものを取り戻すため、結集した彼らの名はチーム・ギルガメス!
【第一章】
荒野に弾ける流れ星。光の尾が砂埃を焦がす。雲一つない青空の下でも、星を見ること
はできるものだ。
駆ける深紅の竜。光輝は、背になびく鶏冠六本の先端から。二枚の翼をひたすら真横に
広げつつ、低く屈めた上半身。存外短かめな首と自らの上半身程もある尾は、地面と平行
に伸びきりもう一段水平線を描く。しなやかな後肢で地面を勢い良く踏み込むや否や、舞
い上がる砂の飛沫。かくして民家二軒分程もある巨体が爽やかな風を纏い、土煙上げつつ
滑空の開始。人呼んで魔装竜ジェノブレイカー…今は単にブレイカーと主人に呼ばれる金
属生命体の、誠に清々しき躍動。
その、竜の胸部に括り付けられた箱。四畳半にも満たぬ内部も又、快晴の青と荒野の土
色で染め上げられたいた。外の様子をありのままに伝える全方位スクリーンが、色彩自体
にぼんやりとした明るさを宿す。そして室内中央・物々しい鋼鉄の玉座には、流れ行く景
色の向こうを食い入るように覗き込む少年独り。拘束器具で上半身をがっちり固定されな
がらも風をくぐり抜けるような前傾姿勢。円らな瞳の奥にスクリーンの色彩を投影すれば、
額に浮かぶ刻印も応えるように眩く光芒を放つ。彼…ギルガメスのボサ髪も大きめのTシ
ャツも、汗でしっとり濡れている。精密な機械群が巡らされているのに相応しく、ひんや
りする程室内は涼しい。にも関わらず、続々と浮かぶ玉の汗。それこそが彼自身の胸に宿
した情熱の真価。
前傾姿勢を背筋運動のごとく勢い良く引き戻せば、左右の掌に握られたレバーも追随。
躍動の合図に答える相棒も又、まさに阿吽の呼吸。翼先端から火花ほとばしり、そこを基
点に内側から展開された双剣一対。竜の切り札「翼の刃」は、しかし今日は様子がややお
かしい。双剣の先端を良く見ると、黒い合成ゴムのリングが幾つも通されている。これで
は相手に致命傷を与える一撃どころかダメージにすらならないのではないか。
少年が叫べば、相棒も吠えて応える。透かさず全身を時計回りに捻り、バネのごとく姿
勢を戻すと左の翼が前方に向けて勢い良く弧を描く。滑空でついた勢いが上乗せされ、叩
き込まれる刃の先端。
常ならば空気をも切り裂く轟音も、合成ゴムのおかげか思ったより鈍い。しかし今は、
それで良かった。叩き込まれた切っ先は、やはり合成ゴムのリング目掛けて叩き込まれて
いた。…より正確に言えば、それは竜の胴体程もある鋼鉄の「腕」に巻かれていたもの。
持ち主は疑いようもない、鋼の猿(ましら)。一寸の身じろぎも見せずその右腕を縦に構
え、切っ先をがっちり受け止めてみせる。不動の構えは深紅の竜を一回り程も上回る体格
なればこそ。そしてその身に纏う黒き鎧は格闘家の鍛え抜かれた筋肉さながら。通常はそ
れに加え左肩に竜の翼程もある大砲、背中には剥き身のミサイル二本を背負う物々しい出
立ちなのだが、今はそういった余計なものが取り外されている分、殊更に洗練された肉体
が強調される。人呼んで鉄猩(てっしょう)アイアンコング。ガイエンと命名されたこの
ゾイドが内に秘めたる静かなる闘志は、竜の覇気にも何ら動じるところがない。
それは猿(ましら)の主人も同様だ。このゾイドのサングラスに似た単眼はエメラルド
色の輝きをたたえて深紅の竜を凝視するが、その裏側では赤茶けた髪の美少年が、長い両
腕を一杯に広げて衝撃を受け止めている。竜の主人よりもあどけなさは残るものの、彫り
の深さや目許の涼しさ、そして歳に似合わぬ落ち着き払った態度の何と不敵なこと。フェ
イはこの状況下でさえ女友達に対するように愛想良く微笑み、レバーを入れ返す。竜の主
人よりは短い半袖の下から、くっきり浮き上がった筋肉のしなり、血管の脈打ち。
反時計回りに弧を描く右の翼。
相手の懐目掛けて差し込まれる左腕。
交差する必殺の一撃は、後者が瞬き程度に早い。ゾイド同士の戦いはそれが命取りだ。
猿(ましら)の左腕が竜の尻の辺りにまで深く潜り込むや否や、目も覚める金属音が鳴り
響く。深紅の竜はその低い姿勢を持ち上げられ、猿(ましら)に分厚い胸板を合わされた。
激しい衝撃は竜の胸部コクピット内をも大いに揺るがす。
しかし肝心の若き主人には意外な程、動揺が伺えない。ひたむきに眼差しをスクリーン
の向こうに投げ掛けつつ、小刻みなレバー捌きは実に手慣れた動作。相棒の反応も迅速だ。
翼をばたつかせるのでも、体中でもがくのでもない。右腕を密着する猿(ましら)の脇腹
に潜り込ませると、その先に早くも捉えた標的。鋭く長い三本指(これにも合成ゴムが巻
かれている)をぐいと押し込んだそこは、猿(ましら)の脇の下。鉄色の鎧と鎧の隙間、
関節部分はゾイドの急所だ。
咄嗟に脇を締める猿(ましら)。肘と脇腹で挟み込み、圧迫に掛かるが竜の反撃は収ま
らない。今度は左腕を腹部まで伸ばす。猿(ましら)は巨体を左へ右へと傾けに掛かるが、
竜も負けずに追随。一進一退の攻防はその内に、どちらともなく横転の開始。両者の上下
が逆転する度、土砂が舞い上がる。
がっちり組み合っていた両者の腕が緩むや一転、互いを押し返す。翼と尻尾をバネ代わ
りにし、うつ伏せの姿勢に戻す深紅の竜。鋼の猿(ましら)も遅れまいと両腕を支えに上
半身を持ち上げるが、咄嗟に左腕を眼前にかざす。
猿(ましら)の主従からすれば危機一髪だった。鈍い轟音。ぐらつく左腕。合成ゴムが
巻かれた刃の、正確な水平打ち。その向こうには片膝をつき、右の翼を伸ばす竜の姿。
鞭を引き戻すように両の翼を左右に広げ直す深紅の竜。立ち上がる相手の機先を制し、
主導権を握る見事な攻撃…かに見えたが。
「ちょ、ちょっとギル兄ぃ、マジ危ないって! これじゃあ反則取られるよ?」
意外にも、注文は技を受けた方から付けられた。バゲットの切れ端のような猿(ましら)
の頭部が首筋の蝶番を基点に大きく開かれると、赤茶けた髪の美少年が身を乗り出して口
を尖らせる。
「ごめん、フェイ…」
ばつが悪そうに頭を掻くのは竜の胸元から姿を現したボサ髪の少年の方だ。と、そこに。
「ギル、気を付けて。攻撃は正確に」
二匹と二人の脇に近付いたビークルが一台。機上の主こそ、蛮勇を誇る機獣二匹の間に
こうして割って入れる唯一の「女性」だ。使い込まれたトレーナーを身に纏った地味な出
立ちなれど、胸元まで開いたチャックから覗かせる肌の白さが彼女を見事、華やかに彩る。
一方、彫深き面長の端正な顔立ちはサングラスに覆われて全てを見ることができない。し
かし中途半端な興味は止めておくべきだ。サングラスの下に隠された凍てつく程鋭い蒼き
瞳に魅入られようものなら、魂を抜かれるやも知れない。エステルは二匹と二人に身振り、
手振りで熱心な指示。肩にも届かぬ黒の短髪が風になびく。
「狙いは冴えてるわ。でも少し慌ててるから、仕掛ける前にもっと大きく息を吐きなさい」
「は…はい!」
「フェイ君も甘いと思ったらどんどん隙を突いてやってね。今の攻撃なら払ってジャブ、
いけるでしょう?」
「ええと…良いんですか? 試合まで七日を切ってますけど…」
「大丈夫。ヤワに育てちゃいないわ」
チーム・ギルガメス一行は新人王戦に挑むため、西方大陸の民族自治区・アンチブルに
「入国」した(リゼリアなどと同様に形の上ではヘリック共和国領だが事実上、国家の体
裁をなしている)。試合開始までには十分な日数がある以上、有効に使うべきというのが
師弟の考えだ。何しろ貧乏チームである彼らにとって、待望の練習相手がいる。
「わかりました。…と、その前にギル兄ぃ、おさらいしよう。
とにかくこの新人王戦、ギル兄ぃにとっては不利なバトルなんだ。何故なら…」
「時間差式、バトルロイヤル。…だからだよね?」
頷く一同。Zi人のみならず二匹のゾイドもだ。
新人王戦はトーナメントでもなければリーグ戦でもない、バトルロイヤルの形式で開催
される。年間に何百人ものウォリアーが誕生する以上、新人ごときをそこまで優遇するわ
けにはいかないのだ。しかし厄介なのはそれだけではない。
「試合場になるここ、ブルーレスタジアムへのゾイド入場は戦績順。じっくり、三時間か
けて時間差で行なわれるわ。貴方達は十戦全勝、ダントツ一位だから入場も一番。午前九
時の、試合開始と同時よ」
「つまり、僕達は最も狙われ易いってことですよね」
ギルの返事は平静を装っていたが、この若き主人を胸に抱える深紅の相棒は、彼をじっ
と見つめるとふと首を傾け、鼻先を胸元に近付ける。少年の頬に、冷たい感触の不意打ち。
「あっ!? こらブレイカー、打ち合わせ中だよ?」
「ふふ、心配してるのよ。…貴方達は最初から試合場にいるのだから、常に他チームの不
意打ちを意識しなければいけない。膠着なんかしたら格好の餌食」
「例えば組みそうになったらすぐ離れる。只離れるだけではなく、離れ際にきつい一撃を
お見舞いしていつでも先手で動けるようにする。それができるだけでも不意打ちはかなり
受けにくくなると思う。幸い、兄ぃのブレイカーは良い武器、一杯持ってるんだからガン
ガン活用しないとね」
「うん、わかった。じゃあもう一度…」
ギルの目配せでビークルは離れ、猿(ましら)の開かれた頭部も早速閉じられた。彼の
相棒も主人にあれこれ指示されるまでもなく、そそくさとハッチを閉じる。
全方位スクリーンに輝きが戻り、映写の再開。ボサ髪の少年は一転、重い溜め息をつい
た。しかしすぐに首を左右に振り、嫌な気分を振り切るように努める。
「大丈夫だよ、ブレイカー。折角先生と、ここまで来たんだもの」
少年の吐息と声は、女教師のもとにも届いていた。竜のコクピット内で発せられた音声
は、ビークルのコントロールパネル上から漏れ聞こえている。エステルは嬉しい。生徒の
精神状態に全く不安がないとは言えないが、しかし必要以上に心配しなくても良さそうだ。
(可愛いこと、言ってくれるじゃあないの…)
生徒はよく集中して練習している。ならば相棒や新しくできた友人に任せるべきだろう。
…只、それは今日の練習を終えるまでだ。
(ファーム・デュカリオンは十分予想できたこと。でも、気にしても仕方ないからね。今
は強くなることだけを考えなさい)
かくて荒野に再び金属音が谺する。
太古の昔、極めて原始的な生活を営んでいた惑星Ziの民の前に「遠き星の民」なる人
々が現れ、高度な文明を伝えたという。そんな彼らの間にも伝承はあった。例えば愚かな
人々を滅ぼし、大地を浄化しようと神々が差し向けた洪水の名前は意外な形で今日まで伝
えられている。しかしそれを今日、知っている者はごく限られているのが実状だ。
果てしなく続く竜と猿(ましら)の応酬。その遥か向こうには丘が見える。遠くのゾイ
ド二匹が肩車をしても届かぬ位高く、それが延々と左右に続く辺り、どうやらここブルー
レスタジアムは広大な盆地のようだ。さて丘の上には綺羅星の応酬を観察する者達が少な
からずいた。如何にも間に合わせ程度の木の柵に寄り掛かって観察する彼らは老若男女、
様々だ。攻防に魅入っている者、うんちくを語り始める者。それらが一太刀一太刀、ゾイ
ドの武器が交わる度にどよめきを繰り返す。ゾイドバトルを間近で観戦するのは極めて難
しいため、ここでは試合開催前日まで選手達の練習を一般公開している。実戦でないとは
言え、生身のゾイドがぶつかりあう光景を目にして感激せぬ者などいない。
その中に、彼らもいた。神々が差し向けた洪水の名を利用する、双児の美青年…。
「もどかしいな、兄者よ。獲物は目前だというのに…」
「仕方のないことだ。武器を隠し持つのは簡単だが、この条件下で仕掛けようものなら第
三者に目撃されること必定。
それに、奇襲を諦めた代わりに好条件も得た」
狼機小隊の一員、三の牙ザリグ・四の牙マーガ。中肉中背、肩に掛かる程の長髪も、清
潔なパイロットスーツで身を固めた姿もまさに生き写し。この双児の違いを見極める材料
は、声色の微妙な違いと生身で戦う時の得物の違い程度しかない。勿論後者は現状では判
断材料足り得ない以上、どちらかが鏡ではないかと錯覚しかねない異様な雰囲気がある。
周囲の男女も彼らを一目するとたちまち歩みを止め、両者を見比べるばかりだ。
(ゾイドバトルは危険な競技だ。年間に百人を越す選手が命を落としている。その何割か
はこの新人王戦によるもの)
(貴様もその一員に加わるがいい、ギルガメス!)
固い決意を胸に秘め、双児の戦鬼は踵を返す。
双児の戦鬼がつい先程までいた丘が、見る間に縮小していく。否、これはモニターに表
示された映像が縮小しているのだ。ビスケット程の大きさになった映像の周囲には、別の
地域を映し出した数多の映像が、チェス盤に組み込まれたように整然と並べられている。
その内容も様々だ。練習するゾイド、チームの打ち合わせ、物色する客達…。それらはい
ずれもウインドウで囲まれており、上辺には地域名と数字の羅列が確認できる。と、ウイ
ンドウの一つに何者かの指先が触れた。今度拡大された映像は、丘からふもとへ下るコン
クリートの階段。丁度双児の姿が飛び込んできた。…彼らが映像の外へと移動するまで僅
か数秒。それを見計らうように、ウインドウに再び指先が触れると映像は又縮小していく。
双児を正確に追い続ける指先の主は、この端末の真正面で足を組み、ちょっとしたテレ
ビゲームを楽しんでいるかのようだ。オペレータらしからぬ態度で振舞うこの男、格好も
又異色。骨格のごとく痩せた五体を肌に密着した黒一色の上下で固め、醸し出す雰囲気は
太古より伝わる死神を彷佛とさせる。容貌は程よく頬が痩け、散髪や鬚の手入れも行き届
いた優男。だが瞳は瞬き一つせず、青にも緑色にも明滅させている。潤いに欠けた眼差し
は、これは義眼によるものだ。
彼の周囲には深緑色した軍服で身を固めた者が数名、取り巻いている。いずれも派手な
徽章を胸に付け、精悍な顔立ち。そして彼らの左右には同様の端末、机、そしてクリーム
色の作業服に身を固めたオペレータがせわしなくモニターを指差し、手元のキーボードを
叩いたりヘッドフォン付きマイクで会話したりと中々の忙しさだ。彼らの背中には公用ヘ
リック語で「ゾイドバトル審判団」の文字が縫い付けられている。
「鼠は二匹か。申し分ない」
口を開いた黒衣の男。抑揚は努めて押さえているようだ。
「レガック殿、お言葉ながら…」
軍人の一人が口を開く。しかし声に反応する義眼の禍々しさは鮮烈だ。威厳をたたえた
軍人達が皆一様に肩をすくめる。
「彼らとて水の軍団の精鋭。それを鼠と侮れば…」
「狼共を鼠並みにあしらうべく、我らが控えているのだ」
影が延びるように、レガックと呼ばれた黒衣がすっくと立ち上がる。暗黒の中に只二つ、
爛々と輝く義眼に凍り付く周囲。背丈は精々、彼ら軍人を若干上回る程度なのだが。
「安心するが良い、ことは隠密の内に済ませる。そのための獣勇士よ」
慌てて口元を押さえ、むせ返ったギルガメス。久々に着用した紺のブレザーも、背筋を
丸めては気品が台無しだ。青ざめた頬を燭台のぼんやりとした輝きが照らす。
「…ギル?」
「兄ぃ、大丈夫?」
「に、匂いが…」
急激な体調不良は目前に広がるバイキング料理の数々にあるようだ。三人は新人王戦の
前夜祭会場に来ている。夕暮れ時、屋外に設けられた会場は既に各地から集まってきた選
手(試合の性格上、大半が少年少女だ)・関係者がひしめき合っている。正直なところ、
ギルはこういう場は余り好きではない。元々、他人と接するのがどちらかと言えば不得手
な少年だ。しかしこの期に及んでむせ返ったのはそれとは関係なかった。
「こ、こんな胸一杯に料理の匂いを嗅いだの、初めてだから…」
愛弟子の背中をさする女教師は苦笑した。少なくとも彼女が少年と同行してから約半年
の間、こんな豪華料理を振舞う余裕などなかったと言える。唯一、宴会ならば東リゼリア
での歓待はあったが、それはこじんまりとしたものだった(第二話参照)。一方、彼の小
さな身体を支えるフェイも胸を撫で下ろす。女教師よりも大柄なこの少年、如何にもクリ
ーニングし立てといった皺のない黒の背広を鮮やかに着こなしている。但しネクタイは黄
色と緑色の混濁が蛇の紋様を彷佛とさせる悪趣味なもの。これで両手をズボンのポケット
にしまい込みつつ猫背で歩こうものなら地元のチンピラと勘違いされそうだ。
「貴方がこれからも頑張れば、毎日ごちそうなんて日がきっと来るでしょうね」
「俺なんかもう、くせになっちゃってるからさ。…うんうん、この川魚の匂い! アンチ
ブルの名産はやっぱり魚介だよな。兄ぃ、俺が美味しいの、色々紹介するから…」
そう言いかけたフェイの視線が、余所へ釘付けとなった。
「…フェイ?」
「ごめん兄ぃ、エステルさん。ちょっとだけ席を外すわ」
そう言うと、ギルの肩をエステルに預けつつ、足早に駆けていく。
「誰かいたの?」
「俺の、師匠!」
成る程と、師弟は納得した。彼も一人旅は長い筈だ。
「兄ぃ! レガック兄ぃ! 待ってくれよ!」
影法師のような風体を、フェイは見逃さなかった。前夜祭の喧噪の中でさえ、レガック
は目立つ。彼も又、恵まれた体格に赤茶けた髪の少年が人ごみ掻き分け走ってくれば、気
付かぬわけもない。
対面した二人。体格だけ見ればフェイが頭一つ以上も高い。しかし顔立ちを見ればどち
らが年長なのか明らかだ。片や丁寧に彫り込まれた彫刻のような顔、片や歴戦の傷を目の
隈や眉間に残す顔。
「フェイ、もう到着していたのか」
「到着していたじゃないよ兄ぃ! 折角連絡したのに…」
肩で息する美少年。それだけの対価が得られる相手に久々の再会。しかし積もる話しに
移行する余地は全く無かった。
「済まなかったな。何しろ盗聴の恐れもあるのでな」
その一言に、大柄の美少年が色めき立つ。
「そ、そうだよ兄ぃ! 参加選手にどうしてファ…」
少年の口元に、突如立ち上がった右の人差し指。無論、彼のものではない。
「らしくないぞ、フェイ。場をわきまえろ」
(な、なんでファーム・デュカリオン所属チームが堂々と参加しているんだよ!?)
しかめっ面をしつつも、声の調子を意識的に落とす。
(こうしてやれば彼らも目前の獲物を仕留めるのに専念する。こちらに意識を傾ける余裕
は失われよう)
(逆でしょう!? 彼奴ら、チーム・ギルガメスを狙っているんです。寧ろ俺達を意識させ
なきゃ…)
その言葉を甘いと言いたげに、不敵な笑みを返すレガック。義眼の揺らめく輝きは偶然
によるものだろうが、この時ばかりはそうは思えない。
(犬二匹ごとき、蹴散らせぬようでは彼らに価値など無い)
師弟は会場の片隅に移動していた。燭台の左右に並べられたパイプ椅子。生徒を座らせ
た女教師は思いのほか強い灯火を遮るように、彼の右隣に座る。
ギルの咳は収まったが、まだ少々息が荒く、背筋を丸めたままだ。視線の向こうでは、
同世代の少年少女が上手そうにごちそうを頬張り、はしゃいでいる。彼ら全てが、この新
人王戦では敵となり得るのだ。この場で信用できる人は隣にいる女性のみである。…鬱屈
した気分になりかけた時、彼は気がついた。二人きりじゃあないか。フェイと合流後、こ
んな機会はなかった。いやブレイカーさえこの場にはいないのだから、リゼリアで朝食を
とって以来のこと(第五話参照)。あれから二ケ月? いや、もっと経っている。
「本当に、大丈夫?」
声のする右方を振り向けば、気遣うエステルのシルエットが燭台の灯火によって浮かび
上がっている。いつも通りサングラスを掛けた彼女だが、こんな状態でさえよく目立つ蒼
き瞳。穏やかな眼差しに暫し魅入った少年は、慌ててそっぽを向いた。紅潮していくのが
自覚できる。
「だ、大丈夫、です。そ、それより…!」
ちらりと、横目で様子を伺う。
「参加選手の名簿に、ファーム・デュカリオンの名がありました」
女教師の眼差しに、変化は見られない。
「チーム・ダークムーン。疑うまでもない、水の軍団・狼機小隊のザリグとマーガです。
きっと彼らも自決の覚悟で向かってくる…」
そっぽを向きながら話すギル。だが対面するのを余儀無くされた。エステルの長い指で、
側頭部を軽く突つかれたからだ。思わず頭に手を当てる少年。女教師は溜め息をついた。
「最近ちょっと、思い上がっているかしらね。優勝どころか、明日死なずに済むかもわか
らないのよ」
刮目した生徒だったが、やがて唇を噛むに至った。慢心と言われるのは悔しいが…。
「人は生き続ける限り、嫌でも誰かを傷付けていくわ。それを避け続けてもどっぷりはま
っても、きっと壊れてしまうでしょうね。克服する方法は限られている…」
言葉を続けようとしたその時、燭台の灯火よりも更に眩しい閃光が二人を照らす。不粋
な輝きに二人が手を翳したその向こうに現れたのは、物々しい道具を用意した色気のない
一団だ。肩に背負う程巨大なカメラを抱えた者や、腕程も長い棒の先端にこれ又ヘチマの
ような形状のマイクを伸ばす者等々…。どうやらテレビ局の取材陣のようだ。誰もが運動
に適した私服で着ている中、一人だけ手入れの行き届いた背広を着た若者が中心に立って
前に出る。手には、マイク。リポーターという人種だ。
「えー、ワールドゾイドバトルですが、チーム・ギルガメスさんでいらっしゃいますか?」
ワールドゾイドバトル(WZB)と言ったらこの業界で知らぬ者などおるまい。惑星
Ziの至る所にゾイドバトルの試合中継を配信する超巨大スポーツ番組だ。ギルは肩をす
くめた。過去に軽いインタビュー程度なら多少は受けているがそれは普通、試合後のこと。
こういう風に注目されることになろうとは正直、想像だにしていない。
「取材? 申し訳ありませんがお断り致します」
きっぱりと言い放ったのはエステルだが、食い下がったのは取材陣ではなかった。
「そうは行かねえんだ、オバハン。優勝候補が優勝候補に会いに来たんだからよ」
一団の後ろよりひょいと躍り出た少年。師弟は相手の姿に強烈な不快感を感じた。体格
こそ同世代よりは大きい程度ながら、丸刈りの上に眉まで剃り、三白眼で睨み付けてくる
凄みは年不相応も甚だしい。どうやら大部屋ファーム所属らしく、白地に水色線のジャー
ジで全身を固めている。胸に大書された文字は「チーム・ヤングライガー トゥルーダ」、
背中は「ファーム・ニューヘリック」。
(『新都の狂獅子』じゃないか! あの反則野郎、謹慎してた筈だが…)
(相変わらず、試合前の挑発か。話題作りだけは一人前だよな)
いつしか人垣が出来上がっている。雑音を耳にしたエステルは、成る程と目前の丸刈り
を認識した。その一方で、気付いた生徒の異変。…微かに、震えている。
足早に、近付いてくる丸刈りの少年。浮き足立ったギルガメス。だが不意をつくように
右手が引っ張られる。何事かと視線を移せば、長い指が安心しろと言いたげに、がっちり
と掴んでいる。
瞬く間に丸刈りの少年はギルの目前に立つと顔面を強張らせ、上半身を突き出す。所謂
「メンチを切る」という動作だ。しかし無法はあっさり回避された。丸刈りの少年が動作
を中断する。彼の首元には何処から伸びたのか革靴が、皮一枚の距離を残して制止してい
るではないか。革靴を辿ってみれば、すらりと長い紺のズボンが伸びている。女教師が座
ったままで放つ上段廻し蹴りは、制止したまま寸分の揺れも見せない。
「何するんだ、オバハン」
「取材もショーも、口汚い男もお断りよ」
丸刈りの少年が色めき立つ。女教師は涼しい顔だが不肖の生徒は震えが止まらない。流
石に不味い雰囲気と思ったのか、取材陣が囁き合い、介入を試みようとしたその時。
「トゥルーダ、待ちな」
丸刈りの少年の両肩に、掌が重石となって掛けられた。如何にもウォリアーらしいゾイ
ド胼胝(たこ)まみれの掌だ。おやと師弟は肩の向こうを凝視。
やはり、少年だ。丸刈りの少年トゥルーダと同体格の上、着ているジャージも白地に水
色線。しかしこちらの髪型は奇麗な角刈りだ。細めがちな瞳はウォリアーらしからぬ穏や
かな輝きをたたえている。
「ユリウス、何のつもりだ」
「余り格好つけるとテレビ局の人達も困っちまうぞ」
言われて舌打ちした
「…おい優勝候補。必ずお前をぶちのめして、レクイエムに『バイオレンス・フラワー』
聞かせてやる」
言いながら踵を返す。角刈りの少年が肩ごと向きを変えさせたかのようにも見える。続
いて彼が踵を返そうとした時、師弟は見た。ユリウスと呼ばれた角刈りの少年が投げ掛け
てきた不敵な微笑み。艱難辛苦の末宝物を暴き出した冒険家のそれと、ひどく似ている。
(すげえな、彼奴。『新都の狂獅子』を止めたぞ)
(でもファーム・ニューヘリック所属でユリウス…聞いたことないな)
外野の囁きに対し、貴方達の目は節穴かとギルは怒鳴りたかった。ゾイドウォリアーの
実力は極端な話し、掌さえ見れば良くわかる。過去の戦績など大して当てにならないのは
他ならぬ彼自身がよく承知していること。
白ジャージの少年達を慌てて追い掛ける取材陣。やがて潮が退くかのように人垣は消滅。
師弟はホッと、胸を撫で下ろす。
「ふう、厄介なのはあっちの子みたいね」
生徒の掌を離さぬまま、女教師は溜め息混じりに呟く。
「おーいエステルさん、ギル兄ぃ、お待たせ! …あれ?」
遅ればせながら、黒の背広と蛇がらのネクタイなびかせ、駆け付けてきたフェイ。もう
数十秒も早ければ不良学生のいびりにチンピラが割って入るという珍妙な構図が出来上が
っていたかも知れない。しかし悶着が回避された辺り一帯は、それでもおかしな雰囲気を
残したままだ。師弟を中心に直系数メートルに渡って人が寄り付かぬ空間が広がっていた
のだから無理もない。
「あらフェイ君、お疲れさま」
「エステルさん、この辺一帯、何だか妙な感じなんですけど…あーっ!」
美少年が途端に情けない表情を浮かべた。
「ギル兄ぃ、手ぇ繋いでるーっ!? 何! 何なの!? まさか二人はもう…」
「ちょ、ちょっと待てよフェイ! そんなんじゃあなくて!」
慌てて手を離し、立ち上がった少年。狼狽え、身振りで潔白を訴える。女教師は苦笑し
つつ弁護に入った。
「フェイ君、変な奴が絡んできただけよ。この子ったらムキになって突っかかろうとする
から…」
クスクスと、笑みを零す女教師。ギルは目を丸くした。事実とはまるっきり正反対だが
暗に庇われたこと、それ自体が驚きだ。
「ああそれで、手を引っ張ったわけだ。…あれ、兄ぃ?」
フェイは両の目許を左右の人差し指で縦に撫でてみせる。言われてギルは、気がついた。
いつしか頬に伝わる二条の涙。慌てて目をこする生徒の前に、差し出された白いハンカチ。
「す、すみません、先生」
「癖がついちゃってるわね。感情的になると、涙腺が勝手に反応するのでしょう。
ギル、結果は問わないわ。明日は一度も泣かずに試合を終えなさい」
唐突な指示に思わず声が出る少年二人。だが女教師は腕組みし、前々からの決め事であ
ったかのようにとうとうと語り始める。
「新人王戦は今までにない、厳しい戦いになることでしょう。辛い出来事に遭い、心が滅
茶苦茶に引き裂かれるかも知れない。
だからこそ、耐えてみせなさい。強い心がなければ戦い続けることはできないわ」
ギルは黙りこくり、やがて頷いた。彼女を前にして怖気付くわけにはいかなかったのだ。
まだ月が昇るには早い、薄闇時。ブルーレ川の何処かの川原に、狼機小隊の面々が焚き
火を囲み、座り込んでいた。弁髪の巨漢、今は両腕に抱えた長刀が目印の一の牙・デンガ
ン。パイロットスーツの襟を立てて顔半分を覆い隠す奇怪な男、両腕が極端に長く、腰に
は鞭二本を釣り下げた五の牙・ジャゼン。そしてテンガロンハットと丁寧に切り揃えた鼻
鬚・顎鬚、それに腰に釣り下げたホルスターが目印の銃神ブロンコ。…惑星Ziの夜は機
獣達に与えられた時間。Zi人が生身で野宿など危険極まりないが、これは如何なること
であろう。
と、ブロンコの背景が揺らいだ。今まで後方の森が当たり前のように見えていたのが、
急にガラスを一枚挟んだかのように霞み始める。その規模たるや辺りの川原一帯を埋め尽
くす程だというのは数歩退いてみなければ理解し得ない光景だろう。…少なくとも三匹の
四脚獣が、そこにはいる。いずれもブレイカーに匹敵する体格の狼達。所謂光学迷彩とい
う技術で姿を隠し、辺り一帯に伏せておとなしくしている。
「見えたのか、テムジン」
いない筈の狼が、軽く唸った。
やがて水面を跳ね続ける小石のごとく、近付いてきた黒い影が二つ。焚き火の前で制止
した影はいずれも膝をつき、一礼した。双児の刺客だ。
「ザリグ、マーガ。首尾は如何に」
ブロンコが尋ねる。
「上々。但し何者かに監視されていると思われます」
「恐らくシュバルツセイバーかと。新人王戦の運営サイドと手を組んでいると思われます」
双児の推測に残る三人も頷く。
「成る程。ブロンコ様、彼奴らがチーム・ギルガメスに助力する理由、おぼろげながら…」
襟越しに呟くジャゼン。せせらぎと鳥や虫の鳴き声しか聞こえぬ辺りではそんな聞き取
り辛い声も良く響く。
「うむ。だが思惑通りにはさせん。そのためにもチーム・ギルガメスはここで潰す。頼ん
だぞ、ザリグ、マーガ」
「『御意』」
再度一礼するとすっくと立ち上がった双児の美青年。しかし歩を進めたのは同時ではな
い。片割れのみが一歩又一歩と先へ進んでいく。その様子を見つめるもう片方は意に介さ
ず、ぼんやり立ち尽くすのみ。辺りには小石の軋む音。それを黙って聞き入る他の三人。
不意に、二人の跳躍。一層離れたその時、秘技はあいまみえた。懐から放たれた無数の
鉄串。たちまち斜め一列となって闇夜を走る。その先には双児の片割れがいるではないか。
しかし鉄串が目前に迫ったその時、もう一方の懐から躍り出た分銅。片腕で引き抜き、
一瞬の静止は奇跡の体現。懐から斜めに伸びた分銅の鎖には、鉄串が尽く突き刺さってい
る。すかさずそれを、もう一方に投げ付ける。鉄串を両腕で翳し、がっちり受け止める片
割れ。二人の間を分銅と、その間に突き刺さった無数の鉄串がしっかりと結んだ。刺客に
は刺客の絆というものがある。
「流石はザリグ、マーガ。双児ならではの阿吽の呼吸だな。お主らならば…」
一の牙デンガンが感嘆の声を上げる。
「左様。我らには、我らでしかなし得ぬ機獣殺法があります」
「これを破る策などチーム・ギルガメスには皆無」
「よくぞ申した、二人とも。水の総大将殿も吉報をお待ちしている筈だ。惑星Ziの!」
「『平和のために!』」
誓いの言葉が闇夜に溶け込んでいった。
(第一章ここまで)