【第四章】
かたや深紅の竜、鋼の猿(ましら)に魔女が駆るビークルを加えた混成部隊。かたや赤
色鎧の狼と、緑色した人造狼の二匹。異色の対決は現状、細い坂道に二匹が鮨詰めになっ
ている分、前者が圧倒的に不利だ。幸い、この混成部隊と目前の狼二匹との間にはゾイド
五、六匹分程の距離がある。さっき竜が体当たりで吹き飛ばした成果だ。
だからギル達主従の選択肢は、既に決まっている。
「先生、行きます。フォローを…」
後方で猿(ましら)の頭上につけたビークル。女教師がOKと返事するまでには、深紅
の竜はしこたま砂利を踏み付けていた。それを合図に上昇するビークル。飛び散る砂利を
避けつつ援護射撃の狙いだ。既に長尺のAZ(アンチゾイド)ライフルが機体後方より伸
びており、狙撃準備は万端。
竜の突撃は、相対するデンガン主従にとっても望むところ。この禍々しき敵が音速の猛
威を振るうには、もっと助走距離が必要なのだ。ゾイド五、六匹分の間合いなら、体格で
一回り劣る剣狼ソードウルフ「アルパ」でも打ち噛ましに遅れはとるまい。赤色鎧の狼も
突撃、開始。
「クナイ、うぬは忌々しいアイアンコングを…」
言いながらキャノピーに描かれたレーダーを睨んだ時、大声を上げた弁髪の巨漢。人造
狼を示す光点が、己が頭上にて奇麗な放物線を描いているではないか。
「ギルガメスーっ!」
「ば、馬鹿者! クナイ、うぬは奴らの援護を潰さねば…!」
小柄なゾイドは狭い地形では大いに頼りになる。俊敏な動きで地形の隙間を自在に切り
抜け、相手に接近できるためにしばしば強力な遠距離攻撃となるからだ。しかしこの狂い
眼の少年がとった選択肢は定跡無視も甚だしい。
頭上より襲い掛かる災厄の牙。忍狼ジーニアスウルフ「ヴィッテ」の噛み付きを察知し
た深紅の竜は、敢えて両腕を翳した。がっちりと歯を突き立てる緑色の人造狼。渾身の一
撃かに見えたが、狭い視野で臨んだ狂い眼の少年には想像だにしないアクシデントが待ち
構えていた。…赤色鎧の狼が、今さら打ち噛ましの助走を止められるわけもない。低い姿
勢の突撃で、肩が竜の胸元に命中。仰向けに吹っ飛ぶが、しかし動作の大袈裟なこと!
滑るように倒れた深紅の竜。だがこの瞬間、ビークルや鋼の猿(ましら)と赤色鎧の狼
との間に障害物は一時、消滅。一方打ち噛ましを決めた時の衝撃で、赤色鎧の狼には姿勢
を戻すための隙が生じている。
「先生! フェイ!」
狙撃を促すギル。吹っ飛んだかに見えた深紅の竜は、両の翼をできる限り広げてしっか
り受け身をとっていた。はめられたことに気付いたクナイは顔面蒼白。
「OK、ギル!」
「よっしゃあ、ギル兄ぃ!」
大砲を、AZライフルを連射、連射。ビークルは徐々に弧を描き、赤色狼の右方に回り
込みつつ。鋼の猿(ましら)は大砲を右肩に背負いながら。横殴りに吹き荒れる銃弾の雨
あられには赤色狼も抗い切れず、無理矢理左方の防風林に巨体をねじ込まざるを得ない。
横転と共にメキメキと木々の幹が折れ、緩やかな波を形成する。
「で、デンガン様!? ええい、ギルガメスよ!」
牙を食い込ませる人造狼。竜の両手首に突き刺さり、それがギルの両腕にも反映されて
紫色に腫れ上がる。シンクロのマイナス効果だ。少年は手短かな通信で打開を試みる。
「フェイ、その子を逸らせてくれ!」
モニターの片隅に開いたウインドウ。必死の形相を目の当たりにすれば美少年にそれ以
上の説明はいらない。砲撃の手は緩めず、着々とレバーを傾け相棒たる鋼の猿(ましら)
に道を開けさせていく。
「ブレイカー、行くよ! 先生、僕らは有利な地形に移動します!」
仰向けになった深紅の竜が、ブリッジするように反り返った。否、背負いし六本の鶏冠
が広がったのだ。弾ける蒼炎、その上で両の翼を地面に叩き付ければたちまち加えられる
マグネッサーの推力。
風を感じたギルガメス。これもシンクロ機能を備える深紅の竜ならでは。腕に人造狼が
食らいついたまま、仰向けの姿勢で砂利道を駆ける。反対に未経験の重力をまともに喰ら
ってクナイは悶絶。急激な加速が加えられ、やがて防風林が開けた時、一面に広がる急傾
斜。生い茂る森、点在する岩山。しかし並みのゾイドならば絶体絶命の危機なれど深紅の
竜には翼がある。マグネッサーがある。
「ブレイカー、宙返りだ!」
巨体を反り返らせる深紅の竜。しなやかな動きは弓か三日月か。背負う蒼炎も後押しし、
鮮やかに決めた背面宙返り。七百二十度より掛かる異常な重力にはさしもの人造狼も噛み
付く力を失い落下の中途で墜落。次いで竜が、森の固い絨毯に腹這いに着地。木々が根元
から引っこ抜かれ、出来上がった形状はクレーター。その上をすっくと立つ。背を低く屈
め、尻尾を地面と平行に伸ばすT字バランスの姿勢は無傷の証。
緑色の人造狼も腹這いで着地していた。竜よりは小規模な凹みを森に刻み付けて立ち上
がったが、全身を襲う痺れは相当だ。四肢を揺さぶりダメージを軽減させる。
ゾイド単位では数え切れぬ程、広がった両者の間合い。高低差は坂道を敵より先に着地
した人造狼に分があるが、元々凸凹した地形だ。思いのほか、アドバンテージは少ない。
狂い眼の少年が荒い呼吸を整えつつ、禍々しき眼光をキャノピー越しに浴びせ掛ける。
「おのれ、ギルガメス! 貴様はこの場で倒す!」
「…君も『B計画』阻止のために、僕らを殺すと言うのか?」
耳にしたクナイは目を丸くしたが、一転して薄気味悪い笑みを浮かべる。
「それ以前の問題だ。貴様のように、全ての不幸を背負った面をしている奴は許せない!」
竜の外周をジリジリと歩き始める人造狼。まだ痺れは抜け切らない筈だが闘志は衰えを
知らない。それに合わせるように深紅の竜も横歩き。一歩、一歩進める毎にお互いの眼を、
爪先を、武器を睨んで牽制の繰り返し。やがて二匹の挙動が同時に中断した、その時。
木の葉が、枝が、垂直に舞い上がる。深紅の竜が、人造狼が疾駆、疾駆。
「翼のぉっ! 刃よぉっ!」
若き主人の声を合図に広がった翼。裏側から双剣が展開すれば、あとは斬撃の間合いに
入るのみ。しかし人造狼の疾駆も無策によるものではない。
一呼吸の間にも急接近した両者。しかし竜が刃の間合いまであと数歩というところで、
跳躍した人造狼。U字磁石のごとき洗練された軌道は雲にも届かんばかりに高く。
咄嗟に右足を前に伸ばし、滑り込む深紅の竜。
右前足を振り上げる人造狼。ギルは読む。これは同じ体型のゾイドならばよく見られる
爪での一撃狙い。ならばカウンター。災厄に恐れることなくスクリーンを凝視、透かさず
レバーを引く。しかし敵の技が一枚上手。
「喰らえ、忍狼兜割り!」
狂い眼の少年が吠える。合図と共に放たれたのはゾイドの常識を超える代物。…外れた、
狼の右腕。惑星Ziの重力に魅入られたかのごとく急加速。
ハッと気が付いたギル。透かさず左方のレバーを前方に押し込めば、左の翼で出来上が
る盾。震えんばかりの金属音は、しかしギル達主従にとっては反撃の合図。受け止めた右
腕を払い除け、残る右の翼から刃を展開、迎撃に打って出る。しかしその時までには目前
に迫っていた。人造狼の牙が、残る左腕の爪が。
交錯する刃、一対。
「部隊を分けるべきだと?」
コクピット内でブロンコが問い返す。元のブラウスにジーンズの出立ち。座席後ろには
マグネッサージャケットやパイロットスーツが放り込まれている。相当嫌だったのだろう。
「左様、ここより先は細い一本道。我らが一斉に向かっても団子のように詰まるばかり。
これでは数の有利も失われてしまいましょう」
嗄れた声で告げるのはジャゼンだ。この不気味な体躯の持ち主は正反対にジャケットの
襟を立てたまま、表情を隠して話し続ける。
狼機小隊の後続一同は坂道のふもとを前にしていた。周囲をさえぎる防風林が鬱陶しい。
「ここは敢えて、各ゾイドが単騎で林を突っ切り、駆け上がるべきです」
「ジャゼン様、木々の海を進めと言うのか!」
双児の片割れザリグが怒鳴るが、当然とばかりにジャゼンは頷く。
「ザリグ、まさかコマンドウルフで獣道を見極められぬと言うわけでもあるまい?」
「むむ…」
「あいわかった、ジャゼンよ。ザリグ、マーガ、お前達は林を突っ切れ。コマンドウルフ
ならそれも容易い。俺とジャゼンはこのまま坂道を駆け上がる」
「御意…」
二人の口論に割って入ったブロンコの指令。ザリグは不満げだが、一方で銃神ブロンコ
に腕前を期待されている証拠だとも認識できた。それに、ブロンコが駆るケーニッヒウル
フ「テムジン」は深紅の竜と互角の巨体故、林をかき分けるのは困難だ。そして…。
「『プシロイ』にはこれがあります。先に彼奴らに追いつき、信号弾を打ち上げましょう」
重騎狼グラビティウルフ「プシロイ」の腹部から引き出された二枚の車輪。他に何の特
徴もない緑色した狼の切り札は、これを回転させて地面を高速で滑走すると言うもの。魔
装竜も顔負けの異形振りながら、平地での追撃に限れば狼機小隊一の速度を誇る。
「くれぐれも手柄を独り占めしないで下さいよ、ジャゼン様」
双児の弟マーガが戯けるように言う。
「言わずもがな。チーム・ギルガメスは水の軍団暗殺ゾイド部隊の精鋭を尽く退けてきた。
抜け駆けなどできぬ相手よ」
馬のごとく身を反り上げると再び姿勢を戻した時には腹部の車輪でのみ、大地に立つ。
プシロイ発進、砂塵と共に坂道に一本の溝が刻み込まれる。それを確認するまでもなく、
ブロンコが繰り出す次の指令。
「ザリグは左、マーガは右から行け。俺はジャゼンの後を追う」
体格が勝れば有利というものでもない。ギルガメスが何度も体験したことだ。それを今
回もまざまざと思い知らされつつある。深紅の竜が放つ翼の刃を鮮やかにかいくぐった忍
狼ジーニアスウルフ「ヴィッテ」。竜の喉元にこの人造狼の左腕が突き立っているがそれ
は流石に両腕でがっちりと受け止めた。ジリジリと押し返し、跳ね返す。後方に跳躍した
人造狼が軽やかに着地すると木々の絨毯に打ち捨てられた右腕が引き寄せられていく。禍
々しき技は円らな瞳の少年に悪寒を感じさせて止まない。
「驚いたか、ギルガメス? これぞ東方伝来、ブロックスゾイドの暗殺術だ。貴様のよう
に惑星Ziの平和を乱す奴らを滅ぼすための、な」
黙って聞いていれば、滅茶苦茶な言い分だ。気色ばむギル。
「き、君も言うのか! 僕の何がそんなに邪魔なんだ!? 嫌なんだ!?」
「ふん、貴様…アーミタの出身だってな。片田舎の農村だ。ゾイドウォリアーになれない
ならなれないで大人しく百姓になっていれば良かったのだ。
俺の故郷イカロガイにはハイスクールは愚か田んぼさえなかった。…無くなってしまっ
たんだよ、ゲリラに荒らされてな。滅びた故郷を捨てて難民となった俺を、召し抱えてく
れたのが水の総大将様だ。俺は御恩に応えるため暗殺術を必死で学んだ」
人造狼が繰り出す軽快なステップ。右へ左へと体を振りながら着々と間合いを近付ける。
身の上話しを仕掛けてくる相手は得てして好機を伺っているものだと、ギルは女教師に習
っていた。深紅の竜にも摺り足での横歩きを促す。軽快ではないが、腰を落とした姿勢の
維持は一撃に秀でるこのゾイドらしい。
「総大将様の平和を願う志は、本物だ! 惑星Ziの平和を維持するために自ら進んで汚
れ役を買っているのだからな。俺は総大将様が殺せと言えば殺す、それだけのこと」
地を蹴る、人造狼。小柄な体を揺さぶりつつの突進にギルは迷う。右か、左か。それと
も先程のように跳躍するのか。
たちまち詰まった二匹の距離。あと数歩で一足一刀の間合いというところまで接近した
時、悟ったギル達主従。先程の「忍狼兜割り」のごときカウンター崩しは、来ない。そん
な技を繰り出せる間合いではない。最早迷わぬと、右翼の刃を横殴りに浴びせた深紅の竜。
正確な一撃は完璧に敵機を捉えたかに見えた。
深紅の竜、左足を軸に九十度、回転。それが百度を超えた辺りで主従が感じた強烈な違
和感。百五度、百二十度となっていく内に青ざめる少年。百八十度、即ち半身を切るまで
に一秒にも満たぬが…。
(はめられた!)
幾ら相手の体躯が小柄でも、打撃が命中したら無反動で旋回など出来はしまい。人造狼
は消滅した。それも、瞬時にだ。半身の姿勢を戻しつつ周囲を睨み見渡す深紅の竜。
「ふふふ、何処を見ている?」
地の底から響き渡る声。いや待て、発信源は確かに…!
竜の足下には散乱していた。バラバラになった人造狼の五体が、へし折れた木々と共に。
…黒と銀の立方体群を良く見れば、彫り込まれた溝が妖しく明滅している。
「掛かったな、ギルガメス! 機獣殺法『骸(むくろ)固め』!」
クナイの声を合図に、バラバラの五体がピクリとうねり、跳ね上がる。各部に開けられ
た穴の部分から光の粒を吹き出し、竜の胸元目掛けて急加速。
深紅の竜、咄嗟の判断はともかくも胸元を防御すること。両腕を交差してコクピットを
遮るが、牙が、手足が容赦なく突き刺さり、立方体群がへばりつく。竜の艶やかな皮膚に
密着した立方体群は彫り込まれた溝が一層輝きを増し、穴から放出される光の粒が竜の巨
体へと染み込んでいく。
一見美しい光景。だが内部で繰り広げられているのは惨劇。ギルの全身を駆け巡る電流。
心臓を、脊髄を襲う急激な圧迫に全身が反り返る。立方体群から発せられるマグネッサー
が、竜の体内に染み込んで引き起こされた変調をシンクロで伝えているのだが、だとすれ
ばこれはある種の拷問だ。
堪え切れず膝を落とす深紅の竜。全身を揺り動かして振り解きたくとも力が入らない。
その眼前に、躍り出たビークル。前面をキャノピーで覆ったそれは、紛れもない人造狼
の背負うコクピット。ブロックスゾイドのコクピットはビークルとしても運用可能だ。機
能最優先の設計故、大概迷惑な位置にコクピットが据え付けられているからだ。
キャノピーの中から狂い眼の少年が浮かべる邪悪な笑み。
「あっはっは、ギルガメスよ、相棒の死が即ち貴様の死に直結するとは羨ましい。このま
ま主従共々ショック死してしまえ!」
砲撃、銃撃と斬撃との攻防は佳境に達しつつある。弾丸の雨あられをまともに喰らった
赤色狼は依然、防風林の絨毯にその身を預けたまま。このまま際限なく敵の弾丸を喰らい
続ければ命が危ない。
「ええい、アルパよ! 一か八かだ!」
狼の腰の辺りから噴射される光の粒。三本の尻尾となり、手にした味方の名は推力。竜
が背負う鶏冠のような爆発力はないが、今の劣勢を打開するのは十分だ。横倒しのまま突
き進む赤色狼は背負いし大剣を前方に展開。木々が紙のように切り払われ、突っ込む先は
鋼の猿(ましら)の足首だ。地を這い進む大剣にさしもの猿(ましら)も横転し身を躱す。
そのまますり抜けていった赤色狼。光の粒が拡散した時、再び離れた二匹の間合い。
「フェイ君、大丈夫…はっ!?」
猿(ましら)の主人の身を案じた魔女だが、時同じくして彼女の心に届いていた。生徒
の全身に走る激痛が、心の叫びとなって彼女の心臓奥深くにまで響く。
「だ、大丈夫ですよエステルさん…エステルさん?」
危機に転じても愛想良く振舞う猿(ましら)の主人。だがその微妙なタイミング故に、
彼は気付いた。憧れる女性の心が向く先に。
一方、僅かながら生じていた心の空白にハッとなる魔女。
「ああ、フェイ君、ごめんなさい。大丈夫ね?」
「ギル兄ぃから、ですか?」
美少年は尋ねながら少々後悔していた。
「…ちょっと、ヤバいみたい。急ぎましょう」
魔女は魔女で、お茶を濁した。まさかテレパシーなどとは言えまい。
「わっかりました。それじゃあ…」
互いに立ち上がろうとする猿(ましら)と狼。先に立ち上がったのは狼の方だ。キャノ
ピー越しに外周を睨む弁髪の巨漢。強敵を見定めると早速身を捻り、助走も程々に。
「シュバルツセイバー、覚悟!」
赤色狼、跳躍。最早矢尻と例えるべき軌道を描き、大剣を振りかざす。
遅れて立ち上がった鋼の猿(ましら)。しかしこのゾイドに後手番は左程不利にあらず。
力士の仕切りのごとく両腕を地面に打ち付ければ、弾け飛ぶ土砂。全身バネに変えて跳躍。
空中で二匹、激突。…いや、掴まれたのだ。狼が、猿(ましら)の両腕に。たちまち失
速、さば折りの姿勢で横転する二匹。
「我らの技が、見切られた!?」
「見切っちゃいないよ、でも技を潰すだけならこれで事足りる」
主人同士の応酬と共に二転、三転。遂に動きが止まると今度は猿(ましら)が我先に立
ち上がる。次の一手は遅れて立ち上がろうとする赤色狼の巨体を両腕で抱え上げること。
バーベル扱いされ赤色狼はじたばたするが、こうなっては術中にはまった。ついた膝をジ
リジリと伸ばし、高々と掲げる。
もと来た坂道を睨むフェイ。既にふもとでは微妙な輝きが見て取れる。
「やっつけるよりこっちのほうが時間が稼げるよ、な!」
坂道の脇、延々広がる防風林目掛けて猿(ましら)は真っ赤なバーベルを放り投げた。
「おのれシュバルツセイバー! 今度出会った時は…!」
木々の海を転がり続け、やがて霞の中に消えた声。これしきでくたばる程剣狼ソードウ
ルフが柔だとは思えないが、ともかく時間は稼いだ。英雄候補の弱虫を助ける時間だ。
坂道の先を振り向く鋼の猿(ましら)。視線の向こうにはビークルがいる。座席に見え
るのは右手上げて発進を促す憧れの女性の姿。
「ギル! ギル! 聞こえて!?」
全方位スクリーンの左方に展開されるウインドウ。ギルの意識は辛うじて保たれた。
急傾斜の頂上付近に馳せ参じた一機と一匹。うつ伏せて悶え苦しむ深紅の竜は、助け舟
の登場に頭をもたげ、歓喜の鳴き声を上げる。
「え、エステル先生…」
「ギル兄ぃ、大丈夫!?」
こっちの声は嫌さ加減で意識が保てそうだ。
(うざいのも来たな…)
「なーんだと、兄ぃ」
「あら、私?」
「い、いやエステル先生! 先生じゃあなくて…」
内心舌を出していた女教師だが、生徒の反応には安心した。勝算は十分にある。
「こ…これは何としたことか。デンガン様が退けられたというのか」
一オクターブ程も高い声を上げた狂い眼の少年。しかし彼にも勝算はあった。
「しかし無駄な足掻きだ。魔装竜ジェノブレイカーに取り付いたブロックスパーツを取り
払うには誤射を覚悟で腹部を狙わねば…」
「ギル、お腹ね?」
ゴーグル越しに照準を定め始める女教師。狂い眼の少年などお構い無し。
「よっしゃあ、兄ぃ、腹だな?」
鋼の猿(ましら)も右肩の大砲を両腕に抱える。
目を丸くしたギル。いつの間にかこちらの希望も、覚悟も伝わっていた。
「貴様ら、外せばギルガメスも魔装竜も一巻の終わりだぞ!」
「ブレイカー、ちょっとだけ我慢しよう。僕も…我慢する。それっ!」
ピィと甲高い鳴き声を合図にゴロリ、仰向けになった深紅の竜。
放たれた銃撃、砲撃。僅か数発だがそれで事足りたのはひとえに彼女らの熟練した射撃
技術によるもの。
快音と共に、立方体群が一つ、又一つと弾け飛ぶ。
「馬鹿な…! ええいヴィッテ、先にそいつらを…!」
声を合図に方向転換した手足のパーツ。パイロットを積まぬ浮遊武器だ。ふわり浮かん
で発射されれば、あり得ない動きと加速でさしもの女教師達も翻弄される。
「行けぃ!」
「行かせないよ!」
あわや射出されかかった手足のパーツを、横殴りに払った深紅の竜。木々の海に人造狼
のパーツが打ち捨てられる。…竜の胴体には既に立方体群はない。女教師達の正確な射撃
が竜達主従の危機を救ったのだ。
「ありがとう先生、…フェイ」
微妙な間はあったが、女教師は胸を撫で下ろし、美少年は照れくさそうに微笑んだ。
「おのれギルガメス。まだだ、まだだ!」
吹き飛ばされた立方体群が、手足のパーツがビークルの下に再集結の開始。
「決めなさい、ギル」
「はい、先生。ブレイカー、魔装剣!」
深紅の竜、突進。勢いと共に額の鶏冠を前方に展開させれば、あとは必勝の奥義「魔装
剣」を振るうのみ。ゾイド数匹分もない短距離にも拘らず背の鶏冠六本に蒼炎宿らせ、肩
口から渾身の体当たりを決めれば、人造狼の結合しかけた五体が揺らぐ。接合面が開かれ、
見えた銀色の立方体こそ強敵のゾイドコア。
鞭のようにしなる首。剣の切っ先を突き刺して。
「1、2、3、4、5、これでどうだ!」
ゆっくり引き抜く。低く沈めた巨体を離し、身構える。水平に伸ばした両翼はまさしく
この竜ならではの「残心」の構えだが、そこまでしなくとも、勝利は確定していた。
魔装剣の横槍が解かれた後、ようやく再生を果たした人造狼の五体。しかし威嚇のうな
り声を上げ、左の前足を振り上げた時、ガクリと膝から崩れた。
「馬鹿な。ヴィッテ、立て、立て!」
レバーを何度も揺さぶるが反応はない。敵ゾイドを完全に失神させるのが魔装剣だ。
敗者の呆然を見届け、翼を畳んだ深紅の竜。傾斜の頂上に首を向けると一転、甲高い鳴
き声で女教師らに追随を促す。
「クナイ…っていうの? 再戦は、いつでも受けて立つよ」
らしからぬ捨て台詞を敢えて残してギルがレバーを引けば、踵を返す深紅の竜。背の鶏
冠をやや遠慮がちに広げ、蒼炎宿らせ後続を待つ。
傾斜を下ってきた鋼の猿(ましら)。不自然に身を屈めた姿勢は「影走り」のポーズ。
脚力に劣るこの系統のゾイドならではの走行姿勢だが、常ならば後方に伸ばす両腕はがっ
ちりとビークルを抱えている。少し前ならギルも相当に腹を立てていたかも知れない。
両翼を広げ、深紅の竜、疾駆再開。鋼の猿(ましら)も後に続く。
「…あんな捨て台詞を言うなんて、どういう風の吹き回し?」
ビークルの席上でようやく腰を落ち着けた女教師が、教え子に尋ねる。
不肖の生徒が浮かべた笑みはどこか寂しげ。
「彼奴も水の軍団なら…自決するかも知れない。でも、それはうんざりだ。僕はそんなこ
とを繰り返すために家出したんじゃあない。
僕を憎むのが生きる理由になるなら、その方がマシかなって。…思い上がってますか?」
モニターに映った生徒の表情を目の当たりにして、女教師は少々意地悪そうに首を捻る。
「うーん、ちょっとね」
「えー…」
「もっと強くなりなさい。願いを叶えたければね」
師弟の様子をひとしきり、コクピット内で聞いていた美少年。深い溜め息をついた。込め
た感情が複雑を極めた分、誠に重苦しい。
(思ったより割って入る隙がないよな…)
「フェイ、フェイ?」
「う、うわっ! 何だよ兄ぃ!?」
隙を伺う相手の顔が、不意にモニターの左下角に映し出された。
「新人王戦のスパーリング、改めて頼むよ」
「え? あ、あのぅエステルさん…」
「私からもお願いするわ」
右下角には女教師の御辞儀が。鋼の猿(ましら)のモニターは外周半分にも満たないた
め、開かれるウインドウは小さい。しかしお願いする彼女の声が聞けた、表情が見れた、
それだけでもフェイは嬉しかった。それこそ任務抜きでだ。
「も、勿論です! 任せて下さいよー」
「それとさ、フェイ。…新人王戦、終わったら故郷の話し、してよ」
神妙なギルの表情。思わずにやけるフェイ。
「なになになに、急にどうしたんだよ兄ぃ?」
「真面目に聞けよ。…僕も話すから」
円らな瞳の真直ぐな輝きを見て、自然に宿った清々しい笑み。
「わかった。でもそれは『終わったら』じゃあない。『優勝したら』だよな?」
微笑み合う少年二人。だが意味合いの違いを理解しているのは一方のみだ。
(まあ、英雄になることに納得してもらうためには東方の話しもした方が良いよな)
様々な思いを乗せて、二匹のゾイドは傾斜を駆け降りていく。木々の青々とした匂いを
嗅覚センサーで十分に感知しながら。…アンチブル国境警備隊の駐屯地まで、もうすぐだ。
慟哭するクナイ。コントロールパネルの上に顔を埋め、泣き止む兆しは一向に見えない。
相棒たる忍狼ジーニアスウルフ「ヴィッテ」も失神し、意識の回復する兆しは伺えぬまま。
その足下目掛けて、絹を割くような音が近付いてくる。否、それは木々の海を踏み付け
る車輪二枚の音。凡そ惑星Ziには不釣り合いな道具の持ち主は、重騎狼グラビティウル
フ「プシロイ」の腹部に埋め込まれたもの。
「如何致した、クナイ」
コントロールパネルから響く嗄れ声。ハッと飛び退く狂い眼の少年。遅れてきた味方の
声を耳にして、立ち所に涙腺が引き締まる。
「じゃ、ジャゼン様!? 良かった、良かった…」
「うぬ、敗れたのか」
感情を排した嗄れ声に一転、少年の小柄な体が震え上がる。
「も、申し訳ございませぬ、ジャゼン様…。
しかし! しかし、彼奴めには手傷を負わせました。今すぐに追撃を敢行すれば、或い
は仕留められるかと…」
「そうだな。それでこそクナイだ」
嗄れ声と共に一歩、又一歩近付く車輪の狼。
「…ジャゼン、様?」
追撃の態勢は愚か、この歩の進め方はどうしたことか。信号弾は、仲間を呼ぶ遠吠えは。
「他の者では手傷どころではすまぬと内心、ハラハラしておった。
これで『B計画』の切り札は生き長らえたのだ。うぬが非力に、感謝する」
キャノピーの真上に振りかざされた前足を視認して、初めて狂い眼の少年は悟った。己
が同志と信じてきた者の中に、志を異にする者が潜んでいたことを。
この少年の無念は、水の軍団の決意の言葉さえ吐けぬまま全てが終わることだ。キャノ
ピーが砕ける。人造狼を構成する立方体群が次々と破裂する。
「信号弾!? デンガン様、急ぎましょう」
ひょいひょいと、軽快に林の中を歩んでいくのは光沢鮮やかな紺色の狼。神機狼コマン
ドウルフ「ゼルタ」が後方を振り向けば、ついてくるのは足を引き摺った赤色狼。剣狼ソ
ードウルフ「アルパ」の惨めな姿だ。
「先に行け、マーガ。あの若僧一人でどうにかなる相手ではない。…嫌な予感がする」
ゼルタの主人は双児の美青年の弟。マーガは疲労困憊する弁髪の巨漢デンガンの表情に
意を決した。彼の不安は十分理解の範囲内だ。彼とて共に死線を乗り越えてきた兄がいる。
「では…御免!」
木々を掻き分け、頂上部に到達した紺色の狼。だが足下に見えたのは、無惨。
胴体部分を完膚なきまで砕かれ、炎上した人造狼の成れの果て。その脇で、車輪の狼が
寂しく遠吠えを始める。
「な、何ということだ…。ジャゼン様、これは如何に!?」
「見ての通りだ、マーガ。我が相棒の脚力をもってしても、間に合わなかった」
紺色狼の後には同体格の白き狼、銃器を背負った白き狼、そして手負いの赤色狼が続く。
「ば、馬鹿野郎、俺より先に逝きやがって…」
デンガン、慟哭。人目を憚ることなく、コントロールパネルに何度も拳を叩き付ける。
「ジャゼン、死因は自決か?」
銃神ブロンコが襟立てた戦士に向けて、モニター越しに問い質す。
「いや、上方から何度も踏み潰されております」
「成る程、遂に奴らの尻にも火がついたというわけか…」
既に何度もギルガメスに敗れた暗殺ゾイド部隊の面々を処刑してきた男だからこそ、そ
う推測する。あの少年はいつもとどめを差すのは躊躇してきた。それが遂にとどめを差し
たということは、精神的余裕を完全に失ったことを意味する。…ブロンコの推測はある意
味、正しい。報告の根本的な問題に気付いていなければの話しだが。
「ザリグ。マーガ。次はうぬらの番ぞ。必ずやチーム・ギルガメスを葬り去れ。クナイの
死を無駄にするな」
決意を胸にし、頷く双児。
「御安心召されよ、ブロンコ様」
「我ら兄弟の機獣殺法は不敗。たとえブロンコ様でも、水の総大将様でも…」
一転して浮かべた笑みは殺戮を楽しむ者のそれだ。
「確かに、あれを破るのは至難の技。期待しているぞ。惑星Ziの!」
「『平和のために!』」
遠吠えする狼五匹。果てしなき追撃の手が緩むことはない。
(了)
【次回予告】
「ギルガメスに追いすがる双児は、秘術の限りを尽くすのかも知れない。
気をつけろ、ギル! 心通わせた者同士にしか、できぬ技とは?
次回、魔装竜外伝第九話『機獣達の宴』 ギルガメス、覚悟!」
魔装竜外伝第七話の書き込みレス番号は以下の通りです。
(第一章)252-261 (第二章)262-277 (第三章)278-290 (第四章)291-304
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