【第二章】
チーム・ギルガメスの面々が今朝の事件をすぐに知ることはなかった。…多分、知った
ところで嫌な事件として記憶の片隅に留まる程度だったろうが。
「ぎ、ギル兄ぃ何だよ、急にそんな大声出して…」
フェイは困惑していた。並みの大人以上の背丈と体格を持ち、彫り深く目許涼しい赤茶
けた髪の美少年。トレードマークの黒ジャンバーは腰に巻き、上はブラウス、下はジーパ
ンという出立ち。朽ち横たわる巨木に腰掛けた彼はかつて経験したことのない非難に狼狽
え、その身を仰け反らた。左腕につけた腕時計型の端末を弄ろうとしていたようで、右腕
で左手首を押さえたものだから受け身が取れない。…彼の背後では小山程もある鋼の猿
(ましら)が透かさず右腕を伸ばし、壁を作る。
「あ…ガイエン、ごめん」
忠誠を誓う若き主人にその名を呼ばれた猿(ましら)の腕は、自らの胴よりも長い。黒
を基調とし、所々に濃い赤を配した地味な体色。だが武装の豪華さは体色とは正反対。右
肩には小型ゾイド程もある大砲、左肩にはミサイルポッドを有し、共同浴場の煙突程もあ
ろうかという剥き身のミサイル二本を背負う(これの正体は前話「竜と群狼と、そして」
参照)。人呼んで「鉄猩(てっしょう)」アイアンコング。かつてのゼネバスやガイロス
といった帝国の象徴であったがために、ヘリック共和国の手によって乱獲された悲しき種
族である。
その、アイアンコング「ガイエン」が主人の身を支えながら、首を捻っている。元々大
人しく又知能が良く発達しているが故に、主人が困惑する原因を目の当たりにして違和感
を隠せない。鋼の猿(ましら)は己が真正面、「原因」の更に背後で畏まる深紅の二足竜
に対し、注意を促す軽い鳴き声を上げた。
深紅の竜は目前の鋼の猿(ましら)程ではないが、それでも民家二軒分程もある巨体の
持ち主。今は腹這いだが必要ならば直立し、背を、短かめの首を、長くしなやかな尻尾を
地表と水平に伸ばす「T字バランス」の姿勢で疾走する。その際には背中より生えた巨木
のごとき鶏冠六本と桜の花弁のごとき翼二枚を広げ、艶やかに舞うに違いない。人呼んで
魔装竜ジェノブレイカー(現在、主人には単に「ブレイカー」と呼ばれているらしい)。
金属生命体ゾイドの中でも数多の伝説に名を列ねるこの二足竜、目前の猿(ましら)に劣
らぬ知能の持ち主ではあるが、何しろプライドの高いゾイドだ。返事はせず、只一瞥し、
その胸元でしゃがみ込む己が若き主人に鼻先を近付けてみる。
「だからラジオ、聴くなって言ってるんだ…」
蚊の鳴くような…しかしこの朝もや漂う川原一帯にはどうにか響く声。ギルガメスは朽
ち木に座るフェイの真正面で仁王立ち。肩で息をし、消耗し切った小柄なその身を無理矢
理拡声器と変えたが、成果は今一歩だ。白無地のTシャツに膝下までの半ズボンというい
つもの出立ちの上には大きめのパーカーを羽織り、フェイのすぐ向かいに立つ。それにし
ても、汗が酷い。ボサボサの黒髪までがしっとりと濡れている。そして…円らな瞳の、充
血。瞼の腫れようも尋常では無い。もう二言、三言、なじったら爆発するのではなか。
ギルの左肩から、鼻先を近付ける深紅の竜。若き主人の心身を案じてか、囁くような甘
い鳴き声でスキンシップを求める。
思わぬ横槍に一瞬眉を潜めるギル。だがそれを相棒の駄々と認識すれば、たちどころに
表情を緩め、求めに応じる。しかし、その動作。…己が瞼をひたすら竜の冷たい鼻先に押
し当て、じっとしたまま。いつもなら大概、頬や唇を重ね合わせるところだろうし、相棒
の熱烈さ加減に圧倒されていることの方が普通だ。この賢い竜は、彼と愛撫を重ねながら
も助言を求めて周囲をちらちらと見渡す。
ギルと彼の相棒が見せる不自然な動作に、フェイも気付いた。まずは怒鳴られた原因た
る腕時計型端末のスイッチを落とすのが先だが、次にすべき動作は決定している。努めて
音程を下げつつ…。
「兄ぃ…きついの?」
ギルは、答えない。
しかしそれ故に、フェイにはギルが消耗した原因も大方、察しがついてしまった。彼は
この一晩、仮眠も取らずに相棒ブレイカーを操縦し続けたに違いない。
チーム・ギルガメス一行はアンチブルで開催される「新人王戦」に参加するため、ブル
ーレ川を遡って上流のリゼリアとアンチブルとの国境を目指していた。途中この不思議な
美少年フェイそして相棒ガイエンと、ひょんなことから合流したギル達一行。その数時間
後には恐るべき水の軍団「狼機小隊」の襲撃を受けたが、彼らの協力でどうにかその場を
脱出、昨晩夕方から今朝に至るまで凡そ半日逃げ続けてきた。しかし代償はそれなりに大
きく、本来の進行方向に繋がっていたブルーレ川を大きく迂回する結果となった。
さてひとまずは、ブルーレ川の支流付近に辿り着いた一行。しかし狼機小隊はいつ彼ら
に追いつき、襲撃を掛けるかも知れぬ。その上、水の軍団が送り込む刺客が連中のみであ
る保証もない。今彼の目前にいるフェイにしても、余りにタイミングの良過ぎる登場故に、
ギルは相当疑っている。様々な事象を孤独な少年が意識し始めた時、彼が必要以上に警戒
し、疲弊するのは無理からぬこと。…しかしブレイカーの「ゆりかご機能」による強制睡
眠さえ拒絶したのは流石に無茶し過ぎではある。
「黙ってたら、わからないじゃん…」
「…あのさ、ラジオを聴くなんて連中に居場所を教えるようなものだろ」
「それなんだけどさ…いや、そうじゃなくて!」
「二人とも何を揉めてるの?」
割って入った男装の麗人。彼女の一声に、少年二人は慌てて背筋を正す。凹凸の激しい
川原を何とも軽快に歩いてくる女性。紺の背広を纏った肢体は背丈高く足長く、遠目にも
映える。その上肩にも届かぬ黒い短髪、面長で端正な顔立ちには誰もが溜め息漏らすこと
間違いないが、今朝は唯一のマイナスポイントやも知れぬ切れ長の鋭利に過ぎた蒼き瞳を
も晒している。…エステルは両手をタオルで拭いながら戻ってきた。
一行唯一の女性がひとまずこの場を離れていた理由は手洗いのためだ。彼女には少々誤
算があった。今回の移動で簡易トイレをゾイドウォリアー・ギルドから借りてはいない。
半日程度でアンチブルに到着する見通しだったからだが、狼機小隊という思わぬ強敵の出
現で予定を大幅に狂わされた。彼女はやむを得ず一旦小休止の時間を設けたのである。
「あ、エステルさん。ギル兄ぃがラジオを聴くなって…」
助け舟にホッとした表情のフェイ。対するギルは苛立ちを隠す素振りも見せない。
「だから音立てて聴いたら連中に気付かれるだろう!? もう少し音量、絞れよ!」
「ギル、貴方の声も大きいわよ?」
「は、はい…」
途端に、肩を落とす。彼の消耗振りは感情の起伏にまで影響を与えている。良い状況で
はない。些細なことが原因で彼の心が揺り動かされ、正常な判断の妨げになるからだ。エ
ステルは軽い溜め息をついた。
「休憩には適当な場所を選んだつもりよ? これだけ視界が広ければ水の軍団が近付いて
もすぐにわかるし、身を潜ませての狙撃も難しくなるからね。
それにね、どうせ彼らもすぐに追いついてくるでしょう。だから済ませるべきはさっさ
と済ませてここを発とうと思うの。…貴方達も、お手洗いは済ませたわね?」
頷く少年二人。それができるのも、この付近に流れるブルーレ川の支流にどうにか辿り
着けたおかげだ。
「じゃあ、クッキーでも摘みながら天気予報位、聴いておきましょう」
エステルは別に、ピクニック気分で提案しているのではない。この状況では下手に朝食
をとった挙げ句、戦闘中に腹痛を起こしでもしたら悔やんでも悔やみ切れない。だからと
言って、何も喰わないまま戦闘中に腹が鳴るのもまずい。そこで消化の良いものを軽くか
じりつつぬるま湯を口に含んで、最低限の飢えは凌ごうという考えなのだ。
渋々ギルは、首を縦に振った。しかし悄気る彼の表情はすぐ又憮然たるものへと変わる。
「ああそれと、兄ぃ、ちょっと調子が良くないみたいです」
気を遣ったつもりのフェイの一言だが、ギルにしてみれば余計なお世話だ。腫れた瞳を
見開き睨む。思わず肩をすくめるフェイだが、突き付けられた矛先は鮮やかに逸れた。
「…ギル。仮眠、取らなかったのね?」
「う…」
「何故、休める時に休んでおかなかったの」
今度は彼が肩をすくめる番だ。女教師の視線は元々本人が気にする程厳しく、それが一
層鋭さを増す。氷の刃を浴びせられた時、途端に浮かべた眉間の皺・口元の歪みは悔恨の
証。彼女の右腕が、しなる。ギルは歯を食いしばり瞼を伏せる。両手で視界を遮ろうとす
る深紅の竜。フェイとガイエンは思わず息を呑むが。
ギルの頬の寸前で、エステルの平手は制止していた。そのまま手首を返し、甲を彼の頬
に当てる。…ブルーレ川の水で洗い、冷えきった手の甲だ。
「ひゃっ!?」
思わず飛び退くギル。目を丸くし、慌てて両手で左の頬を押さえる。
「あっはははは…」
エステルは口元を押さえ、意外な程楽しげに笑う。ギルの赤面は熱した鉄のよう。しか
し彼の動揺を何よりも誘ったのは、目前に立つ女教師の笑顔だ。不意打ちもさる事ながら、
彼女がこんな年端もいかぬ少女のような表情を浮かべて笑うことを、ギルが今まで知るこ
とはなかった。それが彼の頬を、耳を一層熱し、鼓動を昂らせる。一方、眺めるより他な
いフェイとゾイド二匹は呆気に取られるばかり。フェイに至っては口を半開きにしたまま
何度も瞬き。
笑い転げた女教師は、しかしやがて笑みを軽い溜め息に変えた。
「反省する気があるんだったらせめて今は、休みなさい」
諭す口調は手玉に取れてしまうことに対し、寧ろがっかりさせられた風にも聞こえる。
女教師は踵を返した。彼女がクッキーも積んでおいたビークルは、今のやり取りですっか
り脇に追いやられた深紅の竜の、更に左脇だ。
残り香がふわり、漂う。残された少年二人も含めて皆少なくとも一日以上は風呂に入っ
ていない筈だが、彼女に限ってはそんなことなど関係なさそうだ。しかしギルには妖精が
残す鱗粉を前に嘆息せざるを得ないのに対し、鼻を二度三度と鳴らし、胸一杯に吸い込も
うとするフェイの大胆なこと。流石に目前から放たれる強烈な眼光を感じたものだから、
慌てて顔を伏せ、左手首の端末を弄り直す。極力音声を絞ることとしよう、番組も無難な
ニュース番組に合わせないと、何しろ兄ぃの音楽の好みも良くわからない。一方ギルはギ
ルで、舌打ちしつつ顔を背けた。ふて腐れる以外の動作を狙ってできる程、彼は器用では
ない。
ひとまずこの場から緊張は解消された。ギルは頬杖つきながら、フェイはラジオのチャ
ンネルを合わせながら共に朽ち木に座って待つ。丸く収まれば彼らの相棒も一安心するの
は自明だ。かくして流れ始めたかに見えた穏やかな空気はエステルがクッキーの包みと水
筒を持参することで完成する筈だった。エステルがまさに少年とゾイドで構成された輪の
数メートル以内に近付いた時。
彼女の視界の何百メートルも向こうで、朝もやが揺らぐ。隙間から溢れた光沢の、鈍さ。
…鈍さ?
「伏せて!」
エステルが叫ぶのと、朝もやの向こうで死神の手拍子が数度谺したのはほぼ同時だ。そ
して恐るべきは、ゼロコンマゼロ数秒程遅れながらもフェイも又殺気に気付いたこと。慌
てて己が長身をうつ伏せる。彼らに続いたのがゾイド二匹だ。慌てて少年達を守るべく両
腕を降ろし、防壁を構築しようとする。
ギルガメス只一人が、反応に遅れた。どうにもならないことだが。
川原にクッキーの包みが、水筒が打ち捨てられるや否や、たちまち輝く魔女の額。刻印
発動と共に全身身構え両手を突き出した時、屈む動作も途中だったギルの数十センチ以内
で揺らいだ空気。…彼の目前で伏せたフェイには、見えてしまった。黒光りする物体が原
子の粒と化していくさまを。それからやや遅れて(それでも数秒以内での出来事だ)、完
成したゾイド達の壁の向こうで数発、金属音が響く。心無しか、二匹の口から漏れ聞こえ
た苦悶の呻き声。この攻撃にはそれだけの破壊力がある。
早速鋼の猿(ましら)が右腕を肩の大砲に添える。突如の襲撃に対し狙い定めんとする
が、それを制止したのがほかならぬ深紅の竜だ。甲高い鳴き声上げて注意を促すと朝もや
の向こうを睨み付ける。主旨を理解したのか大砲を持ったまま、ぐっと力を堪える猿(ま
しら)。…そうしなければいけない理由ははっきりしていた。
「そうだガイエン。この殺気、一人じゃあない。迂闊に乱射したら分散されて後手に回る」
伏せながらもフェイは、相棒に指示を送る。先程までとは一転した凛々しき表情を、ギ
ルは頭を両腕で抱えながらまま呆然と見つめるより他ない。
そこに額の刻印を消しつつ、ようやく到着できたエステル。この応酬の前では僅か数メ
ートルが異様な長距離と化す。身を臥せる二人の脇で片膝つくのは、ゾイド二匹の腕で構
成された障壁越しに、敵の動向を伺うためだ。
「ギル、フェイ君、大丈夫?」
「勿論ですよ、エステルさん! この通りピンピンしてます」
「エステル先生、これってまさか…」
「そのまさか、みたいね」
笑顔の客人、憂い顔の生徒。対照的な二人の少年が無事であるとはっきりすれば、残る
は敵を正確に把握することのみだ。ちらり、壁の向こうを覗いてみれば。
朝もやの中、影が揺らぐ。立ち上がる人物は、しかし一人では済まない。
「こいつは驚いた! よもやブロンコ様の狙撃を察知するとは…」
最初に立ち上がったのは紙一重の差で失敗した襲撃に対し、本気で感心する風な口ぶり
の男。大柄且つ良く肥えた体つきながら二の腕や桃は良く引き締まった弁髪の巨漢。今日
はパイロットスーツのチャックをしっかり閉じ、腰には長刀をぶら下げ仁王立ち。
「その上、AZ(アンチゾイド)マグナム弾を破壊する超常の力。流石は『蒼き瞳の魔女』
と呼ばれるだけの事はありますな」
次いで立ち上がったのは見るからにギル達と同世代であろう少年だ。しかしくたびれた
パイロットスーツと狂気を孕んだ眼光、そして腰に引っさげる短刀の柄を握って離さぬ隙
の無さから相当熟練の腕前だと見て取れる。
「しかし我が策は二段、三段構え。ここからが本番」
次に立ち上がったのは猫背の男。パイロットスーツの襟をつっ立て顔の下半分を覆い隠
している。上半分から白目剥いた瞳で遥か遠方を睨み、不自然に長い両腕を腰に当てれば
透かさず抜き放たれた二本鞭。
三人の影の後方で、更に立ち上がる影が三つ。中央の人物は最早お馴染みであろう、銃
神ブロンコ。トレードマークのテンガロンハットを被り、この追撃作戦においてでさえ鼻
鬚・顎鬚は奇麗に切り揃えた粋な中年。但し服装は周囲の奇人同様パイロットスーツを纏
っている。その布地の裏側にどんな悪意が隠れているのか。一方彼の周囲には中肉中背、
頬も艶やかな美青年二人が護衛する。彼らの容貌は鏡のごとき生き写し。それぞれの得物
である分銅、鉄串を外されたら簡単には区別がつくまい。
「既に古代ゾイド人の超能力は散々見せつけられているからな。これ位では驚かん。ジャ
ゼンの言う通り、ここからが本番なのだ。…狼機小隊!」
銃神ブロンコの号令は低く、だが良く通る。身構える六人。
「ギル、フェイ君。…見えるわよね?」
ゾイドの腕越しに頭を覗かせる師弟と客人。ギルは充血する目を細めつつ、フェイは数
メートル先にあるものを見るかのごとく自然に頷く。
「五…六人…って昨日の奴らか! 気配を殺して近付くために敢えてゾイドに乗らず近付
いたんだな」
忌々しげにフェイは言い放つ。
「でも、この距離からだと逆に狙撃しかできないんじゃあ…」
「それはちょっと甘いかしらね。…いや」
首を捻るギルの背中に、載せられたエステルの右掌。左掌は無論フェイの背中だ。
「ごめんね、ギル、フェイ君。甘かったのは私の見立て。…貴方達、合図したらすぐこの
子達に乗りなさい。ブレイカー、ええとガイエン? 頼んだわよ」
ゾイド二匹は低い唸り声で返事に代えたが、肝心の少年一名のみは未だ事態を飲み込め
ずにいる。
「え? 先生、それってどういう…」
「質問はあと!」
実のところ、エステルが詫びた「見立ての甘さ」は、ブロンコの恐るべき銃の腕前、そ
して魔女の超能力をもってさえ気付くには至らなかった狼機小隊の潜伏能力だけでは無い。
…彼らの真の恐ろしさは数秒も待たずにはっきりした。
地を蹴る、人影。
「今よ!」
打ち合わせ通り、左右で身構える相棒の胸元に駆け寄るつもりだった少年二人は、しか
しその間にも注意深く観察していた影の動きに愕然となった。
人影の背後から、発せられた光の粒。それを境にフィルムを早回しするかのように巨大
化する影。…いや、それは目の錯覚にも程がある。奴らは生身の人間ではあり得ない速度
で空を駆け、接近しているのだ。影の先陣は弁髪の巨漢と狂気の眼差しで睨む少年の二人。
「うわっははは、これぞマグネッサージャケット! 一の牙『デンガン』だ!」
弁髪の巨漢が長刀を引き抜き、吠えれば。
「これのおかげでデンガン様でもレッドホーン並みの脚力が持てるというもの。二の牙
『クナイ』、参る!」
狂い眼の少年は短刀を引き抜き逆手で構える。
「ほざけ、クナイ!」
「デンガン様こそ遅れるなかれ!」
影の急接近に青ざめる、ギル。舌打ちするフェイ。
「あ…あんなに小さなマグネッサーシステムがあるのかよ!」
「ギル兄ぃ、いいから走って!」
一方エステルが駆るビークルは三人の遥か後方だ。それでも彼女の脚力なら十秒も待た
ずに到達できる距離ではあるが、急展開の数々に見舞われ動揺する不肖の生徒を前にして、
それが実質数百メートル程も延長された。そうこうする内にも刺客二名は急接近している。
「ギル、急ぎなさい! …ええいっ!」
やむなくエステルは大地を蹴る。そうしなければ生徒を襲う災厄は遠ざけられない。
「死ねぇっ、ギルガメス!」
吠えるクナイ。若き刺客がゾイド達の腕の壁に到達すれば、彼らが壁だった腕を持ち上
げ払い除けようとするのは当然の流れだ。しかし動きの緻密さではこの小さな若武者が上
回る。腕を勢い良く持ち上げた深紅の竜。若き刺客が巨大なる腕に払われる目前で宙返り
すれば、数秒前まで厳然と存在した壁が消滅している。
してやったりと、飛び込むクナイ。非常識な敵の攻撃に慌てふためき、足がもつれるギ
ルの頭上へと切り掛かる。
後ろをちらちら気にしていたフェイ。だが遂に止まってしまった退避の疾駆。
「ぎ、ギル兄ぃ!?」
うつ伏せに転倒したギル。溜まらず頭を抱え、円らな瞳を瞑る。覚悟を決める余裕すら
無い場面で、しかし少年は運命の女神に守られた。
狂気孕んだ少年の両腕を、がっちり掴んだエステル。お互いの五体が拮抗する力故に震
えている。
「ええい、女! その腕、離せ!」
「あら失礼ね、離して欲しかったら『お姉さん』って呼びなさいな。ギル、立って!」
目をぱちくりするギル。女教師の叱咤にどうにか我を取り戻し、身を起こしに掛かる。
遠目にも力が籠る攻防に胸撫で下ろすフェイ。だが刺客は彼の目前にも迫っている。
「小僧、少しは自分の心配をしたらどうだ!」
長刀振りかざし、飛び込む弁髪の巨漢。今度はガイエンが腕を持ち上げる番だが、巨漢
の…いや正確には彼が羽織ったマグネッサージャケットの速度が勝る。巨大なる剛腕を越
えるや否や、背の高き美少年の頭上に振り降ろされる長刀。
「フェイ君!?」
若き刺客との力比べの真っ最中だったエステルも、流石に安否を気遣わずにはおれぬが。
しかし彼の美少年の秘めた能力は、居合わせる誰の想像をも越えていた。想定の範囲内
なのはきっと相棒たる鋼の猿(ましら)のみだったに違い無い。…仰向けに転倒したフェ
イ。だがそれは防御の秘技へと移行するための予備動作。振り降ろされる長刀目掛け、放
たれた両足。
がっちりと、両足は長刀を左右から挟んだ。足を使った真剣白刃取りの完成だ。
「ぬおお、味な真似を!」
「いや、そうでも…ないよ。足は手の三倍の力はあるって言うからさ。
エステルさん、ギル兄ぃは!?」
渾身の力比べの最中にも、他人を気遣う余裕を見せる。やはり力比べの真っ最中である
女教師にとって、フェイの活躍は嬉しい誤算だ。
「大丈夫よ、貴方も急いで」
「わっかりました…おっと!」
両足を離すや否や、後方へとんぼ返り。格好をつけたわけでないのはデンガンが同時に
仕掛けた次の一手から見て明らかだ。太い首をひと回しする巨漢。長い弁髪の先端には短
刀が結び付けられているではないか。暗殺の刃を間一髪躱しつつ、身を起こしてフェイは
身構える。
「小賢しい、猿のような奴!」
美少年をなじりつつも追撃を緩めぬ弁髪の巨漢。その勢いを殺したのは頭上から振り降
ろされた鋼の猿(ましら)の鉄拳だ。すぐに察知したデンガン、長刀をくわえるや否やフ
ェイ同様に魅せた後方へのとんぼ返りは彼の体躯では考えられぬ美技。早速身構え、もう
一太刀とばかりに踏み込まんとするが、流石にそれは叶わなかった。
振り降ろされたガイエンの鉄拳は、振り上げる時には若き主人をその掌に載せていた。
してやったりとばかりに舌を出し挑発するフェイ。…だがデンガンは不敵に笑った。指を
くわえ、口笛を吹き響かせるや否や遠方から砲撃のこだま。正確な射撃はガイエンの背中
に命中。不規則に揺れる巨体。掌の主人は面喰らってその指にしがみつく。
朝もやの中から現われたのは黒い五体に鮮やかな赤色の鎧を纏った狼。深紅の竜より一
回り程小さな体躯なれど、背負った箱は右にその身程もある長刀、左に短刀を折り畳み、
両の前足にはそれぞれ機銃を備える重武装の持ち主は人呼んで「剣狼」ソードウルフ。装
甲に覆われた頭部の内、額にはキャノピーが広がっているが、パイロットの姿は見えない。
…何故なら本来の主人は今まさに、美少年主従に肉迫しているからだ。
「これぞ『主従分身の術』! いいぞアルパ、今は遠巻きに砲撃だ!」
言い放つやデンガンの背中が眩く輝く。パイロットスーツにはアコーディオンのような
パーツが背筋をなぞるかのごとく埋め込まれており、そこから光の粒を吐き出す。これが
マグネッサージャケットの正体だ。跳躍と共に鋼の猿(ましら)の掌目掛けて食い下がる。
若き主人を覆い隠すように握りこぶしを作るガイエン。消極策は急に動き出したらそれ
こそ主人の体を壊しかねないからだが、しかし巨漢が放つ長刀の一撃に溜まらず呻く。恐
るべき破壊力はこの鋼の猿(ましら)の指にくっきりと傷をつけた。もう片方の掌を振り
上げて追い払おうとするガイエンだが弁髪の巨漢はちょこまかと逃げる上に、遠方からは
彼の相棒・剣狼ソードウルフ「アルパ」の援護射撃が着々とダメージを与えていく。
一方、魔女と若き暗殺者との攻防も予断を許さない。光の粒を飛ばすクナイ。空中から
力を込めて掴まれた腕を振り払おうとするが、エステルがあっさりそれを許す筈もない。
舌打ちすれば、たちまち額に現われた刻印の輝き。倍増される力に加えて、目前で放たれ
た光芒がクナイの狂気孕んだ瞳に襲い掛かる。不意の攻撃は彼に瞼を閉じるのを強要した。
「ギル、急いで!」
女教師の声を合図に、身を起こすのに成功した不肖の生徒。ギルは声にもならぬ返事を
上げて走り出す。目指すは相棒ブレイカーの胸元。いや、叶わなければ掌でもいい。
若き主人の意図は、深紅の竜もすぐに理解した。攻防から離れたギルを確認するや否や、
ブレイカーはその身を覆い被せる。両腕で作った囲いの上に胸で天井を作り、首と頭で蓋
をすれば鉄壁の守りはひとまず完成だ。大事な宝物を取り返した竜は、歓喜の余りピィー
ッと甲高く鳴く。
「良くやったわ、ブレイカー。ギル、早くコクピットに…はっ!?」
竜の方角に気を取られた隙に、走った激痛。右腕に加えられた一撃が、目前の若き暗殺
者では発せられそうにない代物であったことは痛みの性質から理解できた。身を斬るよう
な痛みの後、グイグイと引き絞る陰湿な締め技へと変わっている。視界の方角に怒れる眼
光を放てば。
クナイの右脇から放たれた、それは鞭の一撃。やはり宙を舞う戦士はパイロットスーツ
の襟を立てその上から白目を剥く。放たれた鞭は左腕から放たれたものだが、振り上げた
右腕にももう一本、残されている。
「じゃ、ジャゼン様!」
「この一撃で怯まぬとは、流石に『蒼き瞳の魔女』と呼ばれるだけのことはあるな」
「…スズカ(※第五話・六話参照)の時もそうだったけど、みんな何故その名前で私を呼
ぶのかしらね」
「宿命、以外の答えが欲しいなら、我らを倒してみるがいい」
振り降ろされる、ジャゼンの右腕。伸びる鞭が女教師の左腕に絡み付き、かくて挑まれ
た力比べは流石に彼女には不利だ。その鋼鉄の意志をもってしても、クナイの腕を掴んだ
握力が徐々に緩むのは避けられない。
「今だ、クナイ。ギルガメスを追え」
「はっ! ありがとうございます、ジャゼン様!」
信頼のおける先輩の援護を受け、感極まった若き暗殺者。満面の笑顔は年相応の無邪気
なもの。だが彼の感謝の証は殺戮によってのみ、形となるのだ。
「待てぇっ、ギルガメス!」
背中のアコーディオンから光の粒を吐けるだけ吐き出し、深紅の竜に急接近。だが竜は
既に囲いを作った後だ。この奇襲を防ぐには己が巨体に自然とできる隙間をできるだけ塞
いでしまえば良い。かくしてますます首をすぼめる深紅の竜。
さて囲いの中。ギルの目前でこの頼れる相棒の胸部ハッチが開き、扉が降りる。乗って
しまえばひとまず安心だ。息せき切ってハッチの扉を駆け上るが、しかし彼はその最中、
見てはならないものを見てしまった。…ブレイカーが埋めた筈の隙間から、両腕が、頭が、
胴が、徐々に隙間を縫って入り込んでくる。
「ば、化け物…!」
「失礼なことを言うな! 関節を外したのだ!」
慌ててコクピット内に乗り込むギル。思わぬ敵の体術に慌てて首と肩を擦り合わせよう
とする深紅の竜だが、僅かにできる隙間は簡単には塞がらない。そうこうする内にも五体
を囲いの内に潜り込ませた若き暗殺者。今まさに閉じられようとするハッチの目前にまで
駆け寄ると、透かさず両腕をねじ込む。
本来ならば、ハッチが完全に閉まると同時に暗い室内を全方位スクリーンが明るく照ら
す筈だが、それも当然阻止された。室内に差し込む光は、今や迫り来る若き暗殺者が放つ
禍々しき眼光一条のみ。着席して深呼吸しかけていたギルの心臓は不意の事態に壊れんば
かりに高鳴る。密閉される筈だったハッチの接合部から、伸びる両腕、振り回される短刀。
「う、うわぁっ!?」
ギルガメス、顔面蒼白。無我夢中で目前に伸びる両腕を蹴り込むが、敵もさるもの。ギ
ルのでたらめな攻撃を自在に躱しつつ、着々と接合部からその身をねじ込んでいく。…ハ
ッチの外より差し込む眼光は殺意の具現化。ギルの心をも切り刻まんと刃を振るう。
「ギル…!?」
悲鳴を耳にした女教師はその身を馳せ参じようとするが、その意志は別の力が阻んだ。
二本鞭の力を強めるジャゼン。その後方より見えてきた二人の影は先程まで銃神ブロンコ
を護衛していた双児の美青年。やはり背中のアコーディオンより光の粒を吐き出しながら、
一人は分胴を振り回し、もう一人は鉄串を両の指に数本づつ挟み込んで急接近。
「三の牙、ザリグ」
この緊迫した事態にも全く表情を変えず、今まさにエステルの両腕を縛るジャゼンと対
照の位置につくや否や、振り回していた分胴を投げ付ける。放たれた鎖は魔女の両腕に絡
み付き、遂に完成したか、磔刑の図。
「見事なり、ザリグ」
「あとはマーガ、頼むぞ!」
「お任せあれ、ジャゼン様、兄者。四の牙、マーガだ」
拘束が完成するまでには、陰険にもエステルの後方に回り込んでいた美青年の片割れ。
両腕を翼のごとく広げるや否や、たちまち放たれた無数の鉄串。この武器は言わば近距離
用の散弾銃。一度に何本も持ち放つことができるため、広範囲に攻撃が可能だ(この特性
故か、「千本手裏剣」とも呼ばれる)。勿論、下手な鉄砲とばかりに出鱈目に撃つのは誤
った使用法だ。
襲い掛かる無数の串を、流石に気付かぬエステルではない。左足を軸に、後方へ右足を
伸ばし、捌く。羽を繕う鶴の首か、軽やかな足技がたちまち鉄串を弾き飛ばすが、その隙
を狙われ両腕の拘束に掛けられる負荷。溜まらず舌打ちする魔女だが、鉄串の攻撃は留ま
るところを知らない。徐々に正確さを欠き始め、足捌きよりも身をよじり、捻る動作が増
えていく。
その隙に、砲撃の谺。揺れる大地にさしものエステルも踏み締める左足がよろめく。だ
が刺客の攻撃は容赦ない。ジャゼン、ザリグがそれぞれの拘束を強めれば、倒れ込んで鉄
串の的から逃れる切っ掛けも与えぬ。遂には彼女の髪を、頬を掠め始める鉄串の雨。
砲撃の正体は魔女の右手側、苦闘を続ける深紅の竜のさらに後方。現われたのは二匹、
魔女に迫る双児と対だ。まず一匹はくすみが掛かった白い体色、もう一匹は光沢鮮やかな
紺の体色。白き狼は背中に機銃二門、右足に矢尻を備え、紺の狼は背中に長尺の大砲二門
を備えている。人呼んで「神機狼」コマンドウルフ。やはり主人をコクピットに抱えず単
独での行動はソードウルフ「アルパ」同様の「主従分身の術」だ。
コマンドウルフの砲撃は本来ギル達主従を狙ってのものだが、空気すら震わす振動はこ
の場で只一人地に足付ける生身の女性にとって十分な脅威だ。何しろ相手は奇怪なるマグ
ネッサージャケットを纏うものだから、多少の振動を喰らってもすぐ浮遊の姿勢を取り戻
してしまう。
「ゲムーメ、ゼルタ、そのままジェノブレイカーを釘付けにするのだ」
「とどめはブロンコ様とテムジンが刺してくれる」
双児の声にエステルが、ギルが、フェイがハッとなる。狼機小隊の面々が続々と現れ出
た正面の方角からは満を持して、飛んできたテンガロンハットの銃神。流石にマグネッサ
ージャケットには相当不馴れな様子で、狼機小隊の面々程の速度は出さないが、人の駆け
足には十分上回る。その遥か後方から、ようやく姿を表した王狼ケーニッヒウルフ「テム
ジン」。深紅の竜と互角の体格を備えた純白の狼。前後に長い頭部の前面に降りたスコー
プは仮面のごとく、後方に伸びた鋭い耳は研ぎ澄まされた聴覚の証。背中には自らの半身
程もある銃器二門を伸ばし、いつでも狙撃可能にある。
テムジンだけではない。エステル達の後方から現われた狼二匹。濃緑色の小柄な狼と、
その二倍程の体格を持った鮮明なる緑色の狼だ。小柄な狼は刃のごとき長い尻尾を持ち、
黒色と銀色の立方体群でその身が構成された人造ゾイド・ブロックスの一種。明緑色の狼
は腹部に得体の知れない車輪を抱えている。前者は忍狼ジーニアスウルフ「ヴィッテ」、
後者は重騎狼グラビティウルフ「プシロイ」だ。
余裕をもってエステルの真正面に着地したブロンコ。二、三十メートル程はあるが、魔
女の超能力を察知するには十分。邪魔するゾイドも砲撃の釘付けとなれば、これ位でも狙
撃するには目と鼻の先の距離と言える。
「見事なり、狼機小隊。完璧な包囲網だ。二度とジャケットは着たくないがな」
薄笑いを浮かべながら、ゆっくりAZマグナムを引き抜く。
しかし、薄笑いを浮かべるのはかの絶体絶命に陥った魔女も同じことだ。如何なる勝算
があるやもわからぬが。
「本当に、見事なお手並みね。気配を消すために生身で近付き、続くゾイドと併せて二重
の包囲網とは勉強になったわ」
「だが、学んだことが役に立つ機会は二度と来ない。…死ね」
二人掛かりの拘束、一人の攻撃に見舞われる中、今まさに兇弾AZマグナムの標的にさ
れようとする女教師。不肖の弟子とその相棒は狂い眼の少年の襲撃を追い払えぬまま。身
軽な美少年に至っては気がつけば相棒のコクピットにすら乗り込めぬまま。
三人と二匹の命運や、如何に!?
(第二章ここまで)