■ネット巫女・田口ランディの人生相談「パクってナンボ」2■

このエントリーをはてなブックマークに追加
850一般書籍板の過去ログから転載1
>>844 続編の「歪んでいるぞ、私は」に寄せられた読者のお便り。
これがもう今は、MSNジャーナルで読めなくなっているのが残念。
http://natto.2ch.net/books/kako/991/991430610.html
103 名前: 転載 投稿日: 2001/06/03(日) 04:46

読者の批判に慣れてはいけない

 私は某新聞社で記者をしています。
 田口さんのコラムはmsnで配信されるものの中でも、好きな部類に入ります。文章も
読みやすいし、視点も好きです。今回のコラムは最初に「歪んでいるぞ、私は」の感想
メール特集を読み、次に歪んでいるぞを読み、最後に「ハチロクのヒロシマ」を読みました。
 両コラムとも単独で読めば、スムーズに読めましたし、共感する部分も多かったです。
8月ジャーナリズムの指摘も言い古されたものではありますが、その通りだと思います。
 ただし、両コラムを連続したものとして読むと、違和感があります。一般論でごまかさ
れたような感じ、とでもいいましょうか。
 問題は「歪んでいるぞ」で田口さんが引用されている感想メールは、本当に「直接の体
験者以外は口をはさむな」ということを言っているのか、という一点に尽きます。
 「ハチロク」では田口さんは「私自身には何もない、空っぽ」などと、前触れで何度も
ヒロシマと自分との関係の無さを強調されています。そこを狙うテレビの企画の意図も理
解できました。そして、実際に体験したことから感じられたことを、テンポのいい文章で
まとめられたのもいいと思います。
 戦後55年を経て、先輩たちの悲惨な体験をどうやって語り継いでいくかは、私たち戦
後世代の大きな課題です。そうしたなかで、戦前戦中世代から聞いたことを自分たちなり
に理解し、さらに、子、孫の世代につないでいくという作業をしている人たちがたくさん
います。もちろん理解していくなかで、体験者でないと分からないこともたくさんあります。
 以前、戦争体験者から「ずびずびと赤いトウガラシが目の前を何個も通って・・・」と
機銃掃射を受けたときの話を聞いて、すごみを感じたことがあります。弾丸が赤いトウガ
ラシに見えるなんて、体験者でないと分からないことです。その話を聞いて、いろいろな
ことを自分なりに想像して、やっぱり戦争は恐いなと感じるわけです。
851一般書籍板の過去ログから転載2:01/11/18 23:14
 「ハチロク」での田口さんは、部外者が見た今のヒロシマを映し出すスクリーンの役割
を果たされたのでしょう。テレビは見ていませんが、出来上がった番組は田口さんの目を
通しながらでも、必ず、地元テレビ局の広島テレビの高垣さんの意図したもの、フィルター
を通したものが出来ていたはずです。そして、それはそれでいいのです。そうやってしか
私たち戦後世代は後世に伝えていくことができないのは、田口さんが「歪んでいるぞ」で
指摘されている通りだと思います。
 問題は田口さんは、あまりにも軽く、文書的に美しく、ヒロシマ体験をコラムにまとめ
てしまったことにあります。ヒロシマへの思いが薄いことを何度も強調したにも関わらず。
 繰り返しますが、私は共感して読めました。しかし、少なくとも感想メールを出した当
事者には、共感して読めなかったのではないでしょうか。とても重要な点です。
 読者の批判に慣れてはいけないのです。批判をひとつずつ「どうしてかな」とつぶして
いかなければ前へは進めないはずです。ところが、体験者からの批判を田口さんは「体験
者以外は口を出せないのか」という一般論に、これまた美しくコラムにまとめてしまわれ
たのです。
 私は記者暦10年のひよっこですが、記事を書くことの楽しさと同時に厳しさ、怖さも
ひしひしと感じるわけです。そこでは書くための覚悟というか、書いた結果を想像する力
というのが試されると思います。私は、少なくとも田口さんには、感想メールを書いた人
の気持ちをじっくり考えてみる作業をされることをお願いしたいと思います。
 一般論で結論づけてはいけません。どうして体験者のその人は、感想メールを書かなけ
ればならなかったのか。田口さんは、そのことが分かる人ですし、分かる努力をしなけれ
ばなりません。少なくとも「歪んでいるぞ」では、勝手に「体験できないんだもん」と投
げている田口さんの姿しかおらず、分かろうとしてのた打ち回った田口さんが見えません。
もし、分かった上で「歪んでいるぞ」を書かれたとしたら、一読者として、少なくとも文
章を生業としている同士として、残念な話だと思います。

匿名希望
2000年9月18日