1 :
名無しの妙心:
コラムというか、読み物というか、そういうのを雑談スレとかで延々と書くのも何か違うと思うので、
そういう用途に使用する時がもしかしたらあるかもしれない程度のスレ。
一応トリップこれね。
あまりつけないので、騙りたい人は大いに騙るが良いよいよいよいよいよいいいい(残響音含む
3 :
名無しの妙心:2013/04/20(土) 21:02:12.92 0
さて、それでは今回のお題は「2ちゃんねるの根幹を担うファジーさとは?」という部分からお話するとしましょう。
4 :
夢見る名無しさん:2013/04/20(土) 21:12:05.47 0
1の初体験の相手のソープ嬢です。
そうですね…たしかに彼はすごく変わっていました。私が何を話しかけても目を合わせてくれないんです。
私も仕事とはいえ人間ですから、いくら話し掛けてもちゃんと返事をしてくれないばかりか、
なにか体全体から…うーんなんていうのかな流し忘れたあと2日くらいたった公衆おトイレみたいな臭いが…。
もう本当に死ぬほどいやだったんですけど覚悟を決めて…。えいやって無言の1の下着を脱がせたんですよ。
そしたら…なんていうのかしら、カントン…っていうんですか?
手で…その…皮を剥こうとしたら、なんかもの凄く痛がって鬼のような形相で
私をにらむんです! 1のアソコからうっすら赤いものが滲んできて、ああこの人は…とか思ったんですけど、
このままじゃどうにもならなくて…。しょうがないから、剥かないでそなままスキンかぶせちゃって、
入れちゃいました。はやく終わってくれって心の中で叫びつづけてたんですけど、
こういう人に限ってなかなかイッてくれないんですよね…。そうこうするうち、
無言だった1が低く唸り声をあげて、腰の動きを止めたんです。そして1の股間のスキンをとりました。
とった瞬間1の枯れかけたテッポウユリみたいになったアソコの先の皮が
うっすらと開いて、そこから緑がかった精液がドロリと出てきて…。きゃー思い出しただけで吐きそう。
っていうか今吐いてますグェーーーー!! グェーーーー!!!!!…ごめんなさい。話を続けますね。
というわけで本当に1のHは最悪でした(涙) 変になつかれて指名なんてされたら最悪なので、
適当にあしらってたんですけど、1が突然口を開いて
「あああああのさささ…ににににに2ちゃんねるってしししし知ってる?」って。
そんな映らないテレビのチャンネルの話されても困る〜と思ったんですけど、どうやらそれって
ネットの掲示板みたいなやつらしくて。なんか執拗にそのページとスレ…っていうんですか?
立てた立てた、俺が1だ!って言ってて、ぜひ一度来てくれっていうから、今日来てみたんですけど…。
なるほどね〜こういうスレをたてちゃう1みたいな人が、あんなに気持ち悪いH(それも初体験)
するんですね。もう本当にびっくりしました。もう来ません。さよなら1、はやくカントン治せよな!
くこかー
6 :
名無しの妙心:2013/04/20(土) 21:26:02.52 0
2ちゃんねるは個人運営の掲示板である。個人運営の掲示板(ないし、コミュニティを製作可能なサイト)は、
そもそもあまり大規模な物にはできないのが常だ。
何故ならば、個人の目の届く範囲は有限であり、目の届かない場所で行われる様々な事柄への対応まで手が
及ばない事がままあるからだ。手が及ばない範囲で行われる事であっても、それに関して利用者は不平不満を募らせ、
利用者離れに繋がってしまう。結果、密な管理が可能な範囲にしか、個人サイトは広げる事ができない、
というのが通常の個人サイト、個人掲示板の常だ。
規模が大きくなく、密な管理が可能であっても、私用などの理由で管理が行き届かない事がままあるのに、
これが密な管理のできない規模にまで大きくなるとどうなるか。当然、滅茶苦茶になるのは目に見えている。
実際、2ちゃんに取って代わろうとしたサイト達も、この「密な管理」というのが出来ずに、利用者離れを招き、
自然消滅に等しい形で消えていったという歴史が、これまでの十数年の中で何度かあった。
2ちゃんねるは個人運営の掲示板である。個人運営の掲示板・サイトは規模を大きくできない。
では、どうやって2ちゃんねるは規模を大きくしてきたか。
答えは「ファジー」である。いわば、「適当さ」だ。
2ちゃんの管理は、正直言って適当である。最低限のラインこそ存在すれ、そのラインの上からはある程度の判断者の
裁量を認めると共に、裁定のラインであったとしても、それへの厳密な形での対処の徹底を行なっていない。
つまり、規約違反に対する厳密な処理を行なっていないのだ。代表的なのは、削除人に認められている「削除しないという判断」だ。
7 :
名無しの妙心:2013/04/20(土) 21:35:32.67 0
管理者からの権限を委託され、代行処理する人間を用いる事で、手の届く範囲を広げるという手法は、
これまでの個人サイトでも取られてこなかったわけではなかった。だが、その際も規約違反に関しての対処というのは
厳密な形で行うように求められる場合が多く、その分代行者への責任などが増大し、代行者となろうとする人間自体の
減少、それによる質の悪化という悪循環が発生し、代行者による処理体制の瓦解を招くなどする例が多かった。
さらに、利用者にも理解を求めて、許容範囲を広げてもらうような方向に進み、拒否する利用者には
「だったら貴方が理想の処理を」or「だったら2ちゃんを使わないでもらっって結構」と言う2つの道を
提示する事で、さらに代行権限者の増加、及びそこから出現する良質な代行権限者へのさらなる権限の譲渡。
これが2ちゃんねるでは上手く機能している(していた)と言える。
代行権限者が気軽にそうなれるような状況の創造。
そのための「ファジー」な判断の許容。
こうやって、規模が大きくなってもそれなりに目が届く範囲、手がとどく範囲を確保してきたからこそ、
個人サイトである2ちゃんの規模はここまで大きくなったのである。
だが、如何に目や手を増やそうとも、届かせない場所が増えれば限界は出てくる。
その場合もまた、「ファジー」がキーポイントになってくるのである。
どういうことか? これはつまり、そもそもファジーな管理しか行なっていないという事実を
周知徹底する事で、目や手が届かない場合であっても利用する側に許容してもらう、という手法である。
人間というのは不思議な物で、元の田沼の濁り恋しきと歌いながら、やはりルールによって自分たちの
不都合が解消されるならば、それを持ち出したがるものなのだ。ルールに規定されているから、という事
それ自体が非難攻撃の根拠として用いられてしまうという状況である。
ファジーな対応してますよ、と謳う事で、最初からそういう物を気にしないような考え方を
利用者にもってもらう、という形式を2ちゃんねるでは採っている。
8 :
名無しの妙心:2013/04/20(土) 21:46:59.10 0
そういったファジーさというのは、倫理的な観点から見れば非難の対象となりやすい。
困っている人間が「困っている」と訴えても、その大部分を「その程度スルーしろ」で片付けられてしまう事や、
「法的に問題にならないから」という事で利用者の声があるにも関わらず対処をしなかったりと言った具合に、
本当に「全ての人間の幸福」を考えるならば、無視してはならないはずの声を数多無視しているのだから、
道徳的、倫理的、モラルの面から見れば非難されるもやむなしと言える。
だが、現実問題そういった「対処した方がよりよい物」まで対処していたら、如何に他のサイトと比べて
代行権限者が出現しやすい土壌がある(あった)とはいえ、手も目も届かなくなる。
それ以上に、代行権限者自体のモチベーションが続かなくなる。
結果待っているのは負のスパイラルである。
今現在、手が届いていない、目が届いていない範囲が多数あるじゃないか、と言う人もいるだろうが、
そういった場所においては大体が代行権限者が見向きしない理由が存在している場合が多い。
本当の意味で目が届いていないわけではない場合がほとんどだ。それはそれでそちらの問題を
解決しなければ、いかに代行権限者が介入しようともどうにもならない場合が多い。
これに関してはまたそのうち書く、かも。
何にせよ、こういったファジーな、いわば悪い物であっても駆逐しないという体制を維持してきたからこそ、
2ちゃんねるはここまでの規模になり、長い間継続して存在し続けている事ができているのである。
翻って、2ちゃんねるの対抗馬たる存在が毎回一発屋で終わってしまっている理由もここにある。
0ch.tvで顕著だったが、2ちゃんねるに対抗しようとするあまり、2ちゃんねるのファジーさを
上手くパクる事ができず、密な処理を求められるがままに応じてしまい、その無理がたたって
管理レベルから瓦解してしまう、という末路を辿ってしまう事になるのだ。
9 :
名無しの妙心:2013/04/20(土) 21:49:36.64 0
だども、そういったファジーな管理というのは、利用者からすればあまり望ましいといえる物ではないと言える。
人の欲望に際限はなく、人間ならば誰だってより良い環境を、さらなる好環境をと望むのは当たり前であり、
そういった人々にとっては2ちゃんの管理というのは手抜きとしか受け取られない場合がままある。
だが、そういった人々もあまり2ちゃんから離れて行かない。これは何故か。
それはつまり、2ちゃんねるがこの形態におけるサイトとしては寡占状態を維持しているからである。
というわけで、また気が向いたらこの「2ちゃんねるは寡占状態である」という点について書く。
ちなみに、全盛期は過ぎて衰退の一途なのは当たり前。
娯楽の多様化や様々なツールの発達によって、2ちゃんが満たしていた
需要が他の物(例えばTwitterやFacebookなどのツール)で満たされる
ようになり、その分2ちゃんの利用者は過去と比べれば減っている。
各板の雑談スレ辺りの賑わいを過去のそれと比較してみれば、
Twitterの影響は大きいといえるだろうね。
でも、そういった物が2ちゃんの存亡の危機に直結するかというと、
これはそうは考えづらい。何故なら、今でも「ひろゆきは儲けている」からだ。
儲けがあるという事は、2ちゃんねるをひろゆきが潰す理由は無いという事であり、
利用者の減少はそこまで広告収入に影響しているとは言いがたいと考えられる。
法律的な問題点から潰れる可能性ついては、未だにひろゆきが日本国内でのほほんとしている
点から見てもあまり期待できない。
個人的には潰れる契機になるのは大規模化の立役者であるおいちゃんの命脈が
尽きる時ではなかろうかと思っていたりする。だから二十年後にあるかどうかは
怪しいと書いたのだね。
最近、過去のツール、娯楽はどれも衰退の一途だったりするからねぇ。
だども、そういった過去のツール、娯楽も別に滅んだりしているわけじゃない。
決定的な代用品が出てきた物はまた別として、だがね。
12 :
夢見る名無しさん:2013/04/21(日) 03:04:09.99 O
面白いです。
ちょっとおかしな表現になってる部分があるな。
>人間というのは不思議な物で、元の田沼の濁り恋しきと歌いながら、やはりルールによって自分たちの
>不都合が解消されるならば、それを持ち出したがるものなのだ。ルールに規定されているから、という事
>それ自体が非難攻撃の根拠として用いられてしまうという状況である。
ここ修正しとくな。
人間というのは不思議なもので、元の田沼の濁り恋しきと歌いながら、ルールによって他人を攻撃可能な
場合、それを持ち出したがるものなのだ。つまり、ルールに規定されているから、という事、それ自体が
他人に対する非難攻撃の根拠として用いられてしまうという状況である。
結果、厳密なルールはさらなるルールの厳密化を招く事となり、これもまた負のスパイラルの一因となる。
こういう感じじゃないと何か変だよな。
なんか別荘をお持ちになったと聞き及び
様子を見に伺ってみました。w
また素面の時にゆっくりお邪魔したりもします。
あの女美人だけど落ちぶれてる
もともと人格障害だったらしい
昔不細工で化粧法勉強し捲った言ってた
カード破産に親を虐待
ざんまあああああああああああああああああああ
ぴげぱあああああおおおおおおおおおお
今日は良い日 春だなあああああああああああああ
長文レスを堪能しにきましゅた
掲示板というネットツールは、黎明期から様々な形で存在してきたが、個人運営の掲示板はともかく、
掲示板「群」としてネット黎明期から今尚その存在を続けているのは、2ちゃんねるくらいだ。
メガビもいつの間にかなくなり、あめぞうもその名称のみを残して実体はほぼ存在しない状況となり、
様々なジャンルを集合的な形で取り扱う掲示板として一定の利用者を確保している
「掲示板群」は現在2ちゃんねるを除いてほぼ存在しないと言っていい。
これがどういう事かというと、2ちゃんねるを利用せずにある一定のコミュニティを「掲示板という
形」で構築しようとした場合、その場所が存在しないと言っていい状況にある、という事なのだ。
先に述べたように、個人運営の掲示板ならば、2ちゃんねるを利用せずにある一定のコミュニティを
構築することは可能だ。だが、その「ある一定」のレベルは非常に低い物にならざるをえない場合が非常に多い。
内輪、身内が集う程度がせいぜいであり、不特定多数の新規参入者など望めない場合が多い。
そういう形でもってコミュニティを作り、尚且つ新規参入者などを獲得し、尻すぼみの形にならないように
していくには、非常に多くのエネルギーが必要になる。
だが、人はそういった事の為に多くのエネルギーを費やせる物ではない。
仮に費やせる暇人がいたとしても、その暇人の多くは一般的なバランス感覚に
かける人間である場合が多く、トラブルを起こして人が離れていってしまったりと言った具合に、
違う理由でコミュニティ構築に失敗する事が多い。
結果、そもそもそういった形(個人運営の掲示板≒掲示板レンタルなどの形式)での
コミュニティ構築には、誰もが二の足を踏んでしまう状況になっているというのが現状だ。
これが、荒らし対策などの際に外部板設立を薦めても、多くが受け入れられない理由の一つである。
(だが、それでも外部板を勧めるのは、その効果の程が絶大であるから、なのだが……これはまた別の機会に)
そして、そういった人々がなぜ2ちゃんねるに拘るのか。
それは、2ちゃんねる以外に掲示板群が存在しないから――誰かが管理してくれる、既に話題が提供され、
ある程度の人がいて、コミュニティを構築するだけならば容易に可能である場所が存在しないから、である。
誰かが管理してくれる場所。
既にその話題について話す場所である事が明確になっていると周知されている場所。
ある程度の人が既にそこに存在している場所。
ぶっちゃけると、既にコミュニティが一から作らなくても出来上がっている場所として、
2ちゃんねるは持て囃されている(いた)のである。
ここで重要なのは、2ちゃんねるが「掲示板」という形式であるという点だ。
mixiやFacebookは、(今mixiはそうではなくなっているが)登録であったり
実名記載であったりというハードルが存在している為、2ちゃんねる的な
掲示板チックなネットツールとして、2ちゃんなどの匿名掲示板の決定的な
代替物とはなりえていない。独り言的なつぶやきから始まる雑談こそ、
Twitterの登場によって2ちゃんから減少し、それが表面的な利用者の
減少に繋がってはいる。実況などの刹那的なレスも、ニコ動などの動画投稿
サイトが代替するようになり、一時よりは減少していると言える。
だが、「掲示板」として2ちゃんねるを使う層は、巷で言われている程減少してはいない。
何故なら、掲示板としての機能を代替する決定的なツールは、未だ現れていないからである。
そんな中で、「掲示板群」として存在するのが2ちゃんだけという現実が、
自然と人を2ちゃんに集め、なんだかんだと言われながらコミュニティが瓦解する程
人がいないという状況に陥らせずにとどめている。
結果、未だに人は2ちゃんねるに集まり、人が集まるという事実が2ちゃんねるにさらに人を呼び……
という正のスパイラルが発生し「2ちゃんねるの掲示板という1ツールの寡占状態」はさらに進む事になるのである。
人が集まるという強み、既にコミュニティが構築されていて、そこに参加すればいいだけという強み、
そういった強みを生かし、2ちゃんねるは前述のファジーな管理を利用者に半ば無理やり承服させているのだ。
これがつまり、2ちゃんねるにおける決まり文句の一つ「嫌なら出てけ」に繋がるのである。
補足
mixiやFacebookでも既にコミュニティ出来上がってるやーん、と言うツッコミは当然あるだろう。
が、SNSの場合は匿名性が極めて薄く「既にコミュニティが出来上がっている事」が、
新規参加者にとってはハードルとなってしまう場合があるのだ。
2ちゃんねる、というか匿名掲示板においては、そのハードルがないに等しい。
無論、半年ROMれという言葉は存在するように、空気を把握しなければならないという
ハードルに関してはSNSのそれと同じく存在するが、高さは極めて低いといえる。
では次回は「嫌なら出てけ」について、気が向いたら騙りませふ。
妙心さんの長文攻撃を浴びたい人には
うってつけのスレでつね(失礼)
ブチ ブチッ
■■ 彡
ブチィ ( ゚д゚ )∩
バリバリ Cミ 彡⌒ ミ
/ ( #. ) ぎゃー!!
(_ノ ̄と、 i ← 妙心
しーJ
煽りについて
煽りとは、他人を不快にさせる為に用いる、主として罵倒などを指して言う言葉である。
↑のAAなども、俺を不快にさせる為に用いられているわけで、煽りと呼んで差し支えないだろう。
煽りには2つの種類がある。
一つは、的確に他人を不快にさせる内容を持った「効果を発揮している煽り」。
もう一つは、他人を不快にさせる内容を持っていると信じているのはそれを放つ当人ばかりという
「効果を発揮している煽り」。
……ちなみに、「」内がどちらも同じなのは別に間違えているわけではない。
これらは、どちらも効果を発揮しているのである。効果を発揮する"対象"が違っているだけで。
前者は、無論その言葉を向けられた相手が憤り、精神を害するという意味で効果を発揮しているわけだが、
後者もまた、その言葉を向けた当人が自己満足に浸り、精神的充足を得るという意味で、十二分に効果を
発揮しているのである。
おわかりだろうか。つまり、煽りには「他人を憤らせる為に用いる物」と「他人を憤らせているに違いないと思い込む為に用いる物」
の二種類がある、という事である。
まあ、当然の事だが、↑のAAは後者にあたる。というか、個人を対象とした長期間にわたる煽りの大部分は、後者である場合が多い。
このAAを書き込んだ人間からすれば非常に残念だろうが、俺の頭髪は今もってふさふさであり、
先日一回五ミリくらいの坊主にしたが、今はまた耳にかかるくらいの長さに戻っている。散髪せにゃ。
だがしかし、こういった事実をいくらつらつらと書いた所で、これらのAAを用いたり、俺の頭髪について煽りに用いる人間は、
この手の煽りをし続けている。
そしてまた、こういった事実を書くことをしないでいても、同様にこれらの人間はこの手の煽りをし続けているのだ。
反応しようがしまいが、この手の煽りは継続される。これは何故か。
答えは簡単である。ようは、反応した時としなかった時と、双方共にこの手の人間は「効いていると思い込む理由」を用意しているのだ。
反応した場合。つまりは今のような場合は、彼はこう考える。
「図星をさされたから必死になって言い訳している。つまり自分の煽りは効果を発揮している」と。
今回も、五ミリに刈った後耳までかかる程に伸びたという証言など、虚偽でしかないと決め付け、
仮に写真などに撮ってアップしたとしても、それが当人の物である証拠が無いなどとして、
自分の煽りが的を射ていると決めてかかるのである。
まあ、当然そういった形で何をどう証言し、証明しようが無視されるとなれば、次に人が取る対策は
ただひとつ、無視である。誰だって、そういった形で決めつけられれば反応自体をしなくなる。
だがしかし、そうなったらそうなったでまた彼はこう考えるのだ。
「図星をさされて反論できなくなったから何も言わなくなった。つまり自分のry」
どちらにしろ、こういった思考法により、彼はモチベーションを得続ける事ができる。
そのため、こういった煽りというのは上でも書いたように、個人を対象に長期間にわたって
継続される物として見られる事が多いのだ。
普通、個人を対象にして何らかの情動を誘う言動を取ったとしても、それに対して相手が
リアクションを起こさなくなれば、モチベーションの維持は難しくなる。だが、この手の煽りは
前述のとおりの考え方をする事で、そういったモチベーションの損耗を防ぐ事が可能なのだ。
もっとも、ここまでお読みいただければ賢明な方にならお分かりいただけると思うが、
こういった思考法というのははっきり言って屑のやる事である。真っ当な人間でも、そりゃ人間である
以上、時として屑になることはある。俺だってある。一瞬たりとて屑じゃない人間なんていない。
だが、この手の煽りを用い、何をどう言おうが聞く耳を持たない人間は、屑であり続ける。
何をどう言おうが聞く耳を持たないので、屑じゃなくなるチャンス、つまりは実際にその煽りが
的を射ているかどうかの検証のチャンスにも目を向けようとしない。
こういったことを書く事、それ自体が自分の考えが正しい証拠――それ以外に何も考えない。
もしかしたら、自分の考えが間違っているかも――そんなことは微塵も考えない。
ここまで書いて尚、彼はこうとしか考えないのだ。
「長文で必死になって自分がハゲじゃないと主張するとか、絶対にハゲに間違いないしwwwww」
まったくもって救いようが無い。
救いようが無い人間を救いに行く事ほど無意味な事も無いので、後の判断は第三者に任せるとしよう。
さて、話は煽りについてである。
ここまで、煽りには二種類あると書いた。そして、後者の煽りと、その際用いられる思考法について書いた。
だがしかし、その思考法に至るまでには、そもそも必要な物がある。
つまり、「相手にその煽り文句が効く」という(間違った)認識が、煽り始めに際して必要になるのだ。
……といった辺りで一旦ストップ。気が向いたら続き書くかもしれないし、違う事書き始めるかもしれないし、
どうなるかはゴッド味噌スープ。
こんちわ!
結局視野や思考回路が狭い方なんでしょう。
IPホスト書いて煽る人とかね。
頭が悪いもんだから煽るのが精いっぱいで
実際に効果がある煽りなのか検証しようともしない。
って事かと。
>>27 頭が良くて、自分がやってる事の意味もわかってて、それでも尚「それを粘着質に長期間にわたって続ける」
という事でもって、ある意味煽りと同じような効果を与える事に繋がるが故にそれを続けてる人、というのも
いないわけではないだろうけどね。まあ、普通は、頭が良い人はそんな迂遠なことはしない、と言われればそれまでだがw
>>28 基本、この子は「相手が俺である必要」ってのは無いとおもわれる。
頭のいい子は妙心みたいにゃならんよ
ネットでは粘着質な匿名の人と戦わなければならないのか?
http://getnews.jp/archives/329386 ――――――――――
「ブロガーは粘着質な匿名の人と戦わなければならない」 2013年04月24日 『デジタルマガジン』
http://digimaga.net/2013/04/blogger-must-fight-with-an-anonymous-person 「戦わなければいけない」と言っても、握り拳をつくって殴り合うわけじゃありません。
この戦いは、ただひたすらに耐えるだけです。「一切反応してはいけない」という戦いなんです。
――――――――――
この考えが間違ってると思うけどなぁ。
「ひたすら耐えるんだ」なんてのを自分に課したら、余計ストレスになる。
相手したい時は相手して、したくない時はしない。それぐらいの柔軟性が必要だと思うけどね。
俺もむかしは俺を叩くためのスレッドが2chにあったぐらいだ(笑)。
だいぶ前になくなってちょっとさみしい。
本気で相手をした時もあるし、ぜんぜん見なかった時期もある。
別にどちらの対応が正しいというものではなく、その時その時の俺の気分だった。
* * *
思うに粘着されて嫌な思いをしたという人の多くは、粘着者の存在自体よりも、
それに過剰に反応して自分を見失ってしまったことがトラウマになってる人が多いのではなかろうか。
これは通過儀礼で、なるべく早く体験しておいて、粘着や荒らしに対する自分の
対応のスタイルを確立しておくべきだと思うのだよね。
免疫をつけるべき時期に付けられず、麻疹のようにあとになってかかるほど、大事になる。
よく子供をネットから守れという主張があるけど、むしろそういう時期に
通過儀礼を済ませておくべきじゃないかとさえ思う。ようは慣れだと思う。
* * *
たとえばリアルの生活を脅かされるような脅迫を受けたというなら別だが、
不愉快な書き込みをされたというだけでブログを閉鎖するほどのダメージを受けるのは、
ちょっとダメなんじゃないの?と思ってしまうのだけどね…。
我慢するなり応戦してストレス発散するなりして凌ぐべきだと思うのだが。
彼らは匿名を利用して自分の悪意をぶつけてきているだけなのです。
そんなものをまともに受け止めていては、心がつかれてしまいます。
だから、無視するしかないんです。
別にまともに受け止めなくても、無視以外の方法はあると思うのだけどね。
まともに受け止めるか無視するかの二択しかないと考える時点で自分を追い詰めているような。
日本の外交と同じだよね。我慢に我慢を重ねて譲歩するか、全面戦争かの二択。
それは外交じゃない。
* * *
ということで、最近良く聞く主張だけど「粘着は無視が一番」ってのは、
むしろ精神的に状況を悪化させると思う。
よくあるじゃん。落ち込んでる人に「がんばれ!」というのは逆効果だ、と。
それと同じで一見正しそうだけど、このアドバイスは逆効果だと思うのだよね。
あと最近下火になったのかもしれないけど、一時期「自分のスレッドを炎上させる」ことが、
一種の落ち度で、「炎上させたスレ主は責任を感じろ!」みたいな風潮があったように思う。
「こうすれば炎上は避けられた」とか、得意げに解説する人とかいたりして。
ネットの力で悪をやっつけたみたいな錯覚を起こしている人とかも。
これは炎上した主の責任を追求するという考えが本末転倒なわけで、まったくアホかと思う。
同意できる部分が多いな。
無視についてとか、子供に慣れさせとくべきだとか。
実際、義務教育でネット関連の知識は学ばせるべきだよね。
騙りが出るのは
騙りでもしないとダメージを与えられないと
自ら宣言してるよーなものだと
じっちゃんがゆってた
以下略って妙心の別ハンだったのか
つ ゴージャスな目薬
(・□ゞグビグビ…
>>35 騙りって、嫌がらせのテンプレートなんだよね。
テンプレートは王道だけども、同時に陳腐でもある。
それに頼るという事によって他人に余裕を与えてしまう事に
繋がる可能性も考慮した方がいいだろうけど、安易に騙る人には
そんな考慮ができるわけもなく。
ただ、そういう安易な人というのは、目的意識がとかく低い事が多い。
ようは、そういった安易な行動に対して何かを言う事、それ自体で
目的を達成した気になってしまう事が非常に多いんだよね。
でまあ、↑でも書いたような「反応がなければ〜」という風な
都合のいい考え方をできてしまう人でもある、と。
別ハンだ、同一人物だと言いたがる人というのは、
概してそういう人なんだよね。はっきり言っちゃうと、人としてレベルが低い。
それを戦術の一つとして「使える」レベルにある人というのは、
ものすごく稀にしかいないよね。「使ったつもりになっている」人には
心当たりがいくつかあるけどw
>>38 飲んだんかいw
残り少ない毛髪を数えるのと同じくらいしょうもないことなんだよね。
>>40 うむうむ
騙ったことで、かえって
自らの稚拙さを露呈してしまい
相対的に、騙った対象を持ち上げてしまう(あくまで相対的にですが)ことも
考慮できる人なら、騙りなどハナからやんないわけで
そういうのを考えない、あるいは考えつかない人に
騙られる固定さんってのも、まあ気の毒だったりするわけですが
騙った本人、騙られた固定さん、以外の人からは、どう見えるか
そゆのも含めると、騙りってのは、騙った本人にとっては
百害あって一利なし、のような気がしますよ
どうですか?
>>41
騙りかどうかわかるのは本人しかいないことを考えると以下略=妙心ってのがバレるわけだ
そしてそれこそが騙りの真の目的だったりするんじゃね?
> 騙りかどうかわかるのは本人しかいないことを考えると
いや、その前提が間違ってるw
>>41 ちなみに、数える程度にしか毛髪が残ってないなら、すっぱり零にするから安心して
自分の毛髪を数えておくといいと思うよ。千本くらい?
>>42 騙りも、戦術的に一つの作戦として機能する事が無いわけじゃないから、
百害あって一利無しって言い切れるかは微妙な所。
先にも述べたように、構ってもらうだとか、相手をいらだたせるだとか、そういった目的を
叶える為になら、使えない手ってわけでもない。
ただその場合は、目的自体の低次元さから目をそむけられるだけの
羞恥心の無さが必要になるわけだけども。
>>43 騙りではないと「確実に百%わかる」のは、確かにそうだね。
でも騙りじゃないと「「判断する」のは、赤の他人にでも可能だったりするんだわ、残念ながら。
だからその論法は成り立たないのよね。
よく「予防線を張る」と言われる俺のやり方だけども、実際問題2ちゃんにおいて他人を貶めようとする
悪意に抗おうとするならば、これほど有効なやり方というものは無いと思う。
というわけで、とりあえず今日は「悪意」についてのお話。
まず、悪意とはなんぞやという所から話すべきだろう。
悪意とは、他人に害を為す事自体が目的となっている意識の事であり、2ちゃんでは往々にして
この悪意の持ち主が「荒らし」と呼ばれる存在となる。
……まあ、定義的には他にも多種多様なものがあるだろうけども、ここでは
悪意=他人への害意
と定義づけて話していこうと思う。
前述の通り、荒らしとは往々にしてこの悪意の持ち主、悪意しか持たない存在である。
まあ、無自覚荒らしなどもいるが、これは今後どこかで書くかもしれないが「認識が産む荒らし」
であって、いわゆる一般的に「荒らし」として認識される「意図して行われる荒らし」とは
また別種の存在である。意図して行われる荒らし行為の主は、ほぼ百%悪意によって
それを成していると言っていいだろう。
だが、この悪意という奴は厄介な物で、しっかりとした目的意識があって発言していたはずの人間でも、
いつの間にかこれに囚われてしまっている事がままあったりする。
例え他人に非があっての言動であろうとも、他人への害意が先んじてしまえば、悪意に囚われていると言える。
これがよく「自治厨」などと呼ばれる人々の陥っている状況だ。
建前を突きつけて他人を攻撃する事が目的になってしまっている人間もまた、悪意に囚われていると言える。
自分は、趣味的にこういった「悪意の持ち主」をやり込める事を好むのだけれども、
場合によってはそんな自分自身が悪意でもって「悪意の持ち主」に相対してしまう事もある。
そうはならないように気をつけてはいても、気がつけばそうなっているという事がままあるのだ。
ぞっとしない話である。
深淵を覗くものは……という言葉ではないが、こと2ちゃんに限った話ではなく、悪意――他人への害意というやつに
囚われる事は、決して良い結果を生まない。ゆめゆめ気をつけたい物であるし、気をつけてもらいたい物である。
唐突にすごくどうでもいい話
野次馬スレのあのコッチミンナAAテンプレを最初に使ってスレ立てたのは俺