コテも名無しも大差ないことを書いていこうと思う
煽る気も議論する気も毛頭ない。ただ「私がこれまで生きていて考えたこと」を述べようとは思う
前提として
「人間とはそれぞれ別の生物といってもいい
なぜならそれまでの人生観、経験などで考えることはまったく違ってくる」
ということを書いておく
これは「みんなちがってみんないい」と同じことであり
しばしば「逃げ」だといわれがちだがこれは事実である
論破とかいっても結局相手の人生観を変えるためには「文字だけのレス」では圧倒的に足りないのだから
議題が人生観に関わるものだったり
議論をつんできて「ショック」が小さい人間ならばよりいっそうそうであろうと
それに自分の人生観を他人に押し付けるとうのもいささか違和感を感じる
これまでの人生やら経験を相手に押し付けても得れるものなどなにもない
論破というのは「自分のコピーを作るための布教活動」ではなく単純に
「間違っていると思うことを正す」ためのものであるはずだから
間違っているというのは相手が本当にそう主張している場合の話だが
果たしてそれは本心なのか?と帰ってくることも多いと思う
誰もレス主の人生をしっているわけでもなしにただの虚言からもしれない、と罵るかもしれない
レスを書き込むことを疑ってはいけない、と私は思う
たしかに2ちゃんねるに書き込むことは真実でなくてもいいしうそを書いても損はないかもしれない
「だからこそ境界線をしく必要があると思う」
潜伏だとかなんだとかいうけれども結局そこにその人の考えがあることは間違いなく
少なからずその人の考えが影響を与えていることは変わらないのだから
レスを疑うことはなしにせず、それを本心と思って議論をしたいものである
まやかしや欺きも「全員一斉に」信じてしまう風潮を作るべきである、「嘘」と「本当」に境界線を引くのだ
前置きだけで一レス使ってしまったことに深く詫びたい
だがこれは後々来るであろう反論に対する予防策でもある
誰でも無駄なやり取りはしたくないものだ、その為にも今のレスは必要だったと私は思う
では、本題に入ろうと思う
「コテも名無しも似たようなもの」、常にコテと名無しの間で交わされる永遠の難問であろう
それではコテと名無しについて論述していこうと思う
そもそも「コテが何故嫌われていたのか」に触れようと思う
名無しの発言によると「自己顕示欲が強くその癖つまらないから」というのが一説にあるという
たいていの名無しはこのため、コテを「クソコテ」だの軽蔑する言い方をするのだ
中にはただの絡み、コミュニケーションとしてクソコテという者もいるがここでは触れない
「自己顕示欲」
この言葉に何を感じるかなどはたはたどうでもよいが、いいイメージではないと思う
「みてみて!!ぼくだよ!!」などというのは見ていて気持ち悪くもある
確かに痛々しい、見ていて恥ずかしいものだ
だがそれとは裏腹に「必ず持っているもの」でもある
自己顕示欲を持っていない者はいないであろう、それの大小が問題だと彼らは述べている
これで終了では断じてない
「なぜ自己顕示欲を激しく持つ物を嫌うのか」、「なぜ痛々しいと思うのか」
これはただ単に「つまらない」からだろうと私は思う
すべては「つまらない」に集約されるのだ
それではつまらないとは何なのか、つまらないのは何なのか……
そもそもコテに「面白い」というイメージがあるのだからそのような風潮が出来上がったのだろうと思う
「つまらなかったもの」に「つまらない」といまさら言うのは滑稽ですらある
元来コテは面白かったのだ
だが、昔もつまらないコテがいてそれがこの差を生んだのだ
つまらないコテと面白いコテが両立していたのならばつまらないコテはつまらないコテといわれるだろう
ちなみにここでいう面白いには「レスのネタが面白い」だとか犯罪予告など「行動が面白い」といったものである
後者については「本人は滑稽な操り人形にされていることに気づいていない」のに哀れさを感じるが……
まあ結局はこうなる
面白いコテのせいでつまらない面白いの格差が生まれたといってもいいだろう
そもそもコテというものは何なのだ、名前欄を空にしたらそれだけで消えてしまうようなものではないか
コテがクソコテとたたかれるのに対して、それを名無しの姿で言ったら絶賛されるなどということはザラである
「コテは名無しに毛が生えたようなもの」であり、そのコテのつまらなさも面白いコテがいなければ言われないものだ
このことを踏まえると「コテの面白さ」などきわめて曖昧なものだということがわかる
そしてここで終了なわけでもなく、極めて重大な事実もひとつここに加わる
「コテはピエロ」ではないのだ
所詮コテというものは名無し帝国の淵を陣取る一国民でしかない
その中にピエロ(面白い奴)はいるかもしれない、しかしそれぞれは「専門が違う」
コテを面白くないつまらないで判断するのは「面白さを求めるコテ」には有効かもしれない
しかし一人のコテで判断したり、その脆い理由だけで「面白いつまらない」を決めるのは首をかしげずにはいられない
自称お笑い芸人とかいう馬鹿コテならばいえるかもしれないが、しかしコテはすべて面白いと信じ込むのは阿呆である
ちなみに僕はネタコテではないし受けを狙ったことなんて殆どない、そういうことはネタコテに任せておけばいいのだ
つまりコテを見つけるたび「クソコテ」だのいうのはひとえに俺をネタコテだと思ってしまった惨めなる人間の末路か
「コテはすべてクソコテ」という風潮に流され没個性化されたつまらない人間なのか
はたまた絡みたくべくして「クソコテ」といって反応を楽しむコテトレーナーのいずれかだということがわかる
話が変わるが「自己顕示欲が強い」とわかるのは
「匿名掲示板でコテをつける」事にあるという
「匿名」の意味はなんだろうか?
本来匿名掲示板の匿名は「リアルとの無関係性」にあったはずである
当時の掲示板では本名などを入力する「非匿名」が多く
それとの対立として匿名掲示板というジャンルが成功したのだということを聞いた
つまり大事なのは「名無し」であることではなく「リアルが割れない」ということなのだ
それが元来であり、元来というのは目的であり、そして目的に反したことをドヤ顔で語るほうのそこは知れる
コテというものは常に記録が残ってしまうというハンディを背負っている
それに比べ周りの名無しに流されて目立たない存在となり「コテを批判する」というのは
いささか人間性にかけるとは思わないか?
所詮コテをたたく人間は陰口しかいえない人間なのだ
以上を踏まえたところで
コテが差別されているという事実はおかしい、ということと
名無しもコテも似たようなもの、ということがわかるだろう
「必死に文章書いたね」といわれるかもしれない
ただ、すべてに全力でいけないような人間の行き着く先は決まっている
たたかれながらもスターを目指すコテ、ロマンがあるとは思わないか?
少なくとも匿名性ということに頼って陰口を書くような人間にはなりたくないものである
これはコテ全員の総意であると私は信じている
コテを叩く人間は考えていない人間であり、VIPを腐らせた張本人のひとつであると
そしてVIPの一要素をコテが担っている事実も捨てきれない
コテはVIPの世界遺産といっていいほどVIPの表裏に姿を現してきた
VIPをやっていてコテを見たことがない人間はいないだろう?
少なくともその辺の名無しよりは目立つ
それが悪目立ちとされて忌避されがちなのは拭い取れない事実であるが
ただコテだからクソコテなどといって現実逃避をするのはどうかと思う
コテも名無しと同じく中の人は似ているのだから
2013年2月4日 風神レイン