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(-ω-)yー^ で?
3 :
蚊取り線香:2012/07/12(木) 22:32:22.59 0
31っていうとお腹がぷっくりしてくる年頃ですなぁ
4 :
ミッチー:2012/07/17(火) 06:32:41.31 0
41子だが
45
6 :
夢見る名無しさん:2012/08/18(土) 11:11:16.44 0
さんじゅうに
7 :
夢見る名無しさん:2012/09/05(水) 17:20:56.88 O
いち
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う
あ
てす
え
お
14 :
夢見る名無しさん:2013/01/01(火) 13:06:57.51 P
あ
15 :
夢見る名無しさん:2013/01/18(金) 19:46:10.81 0
ほ?
16 :
夢見る名無しさん:2013/01/18(金) 20:18:50.12 O
にゅ
17 :
夢見る名無しさん:2013/01/22(火) 12:59:38.02 O
わからんっ、わしにはわからんっ
18 :
夢見る名無しさん:2013/01/23(水) 15:40:46.41 O
101
くそばばあああああ
乗っ取ろうではないか!
この打ち捨てられたスレを、乗っ取ろうではないかーーーーー!
自分史を徒然なるままに書き込もう。
随分前に、パソコンの占いサイト的なトコで
『あなたの人生の絶頂期』的なヤツで遊んだのよ。
自分の人生で訪れるであろう幸福はいつ来るのか?
みたいなヤツ。
『あなたの人生の絶頂期は 5歳 です』
だってwwwwwwww
人生すでに終了してたわwwwwwwww
私は台風吹き荒れる秋の日に産まれた。
両親の間に初めて生まれた女の子。
それはそれは可愛がられるであろう、末っ子長女。
蝶よ花よと育てられてたと信じてた。
が、後に母親から聞いた話ではそうでもなかったらしい。
以下、母親談
アンタが生まれた頃、私保険の外交員やっててね。
でも月齢達してなくて保育園入れられなかったのよ。
だから、朝おっぱい飲ませて寝かせてね、それで仕事行ってたの。
朝礼終わって帰って来てみたら、ほっぺにいっぱい涙の跡が残っててね。
でも泣きつかれたのかな?寝ちゃっててね。
起こすの可哀想だから、そのまま寝かせてまた仕事行ったわ。
まさかの放置wwwwwwww
私の「諦めスキル」は、どうやら母親の英才教育の賜物だったらしい。
その後無事保育園に入れていただき、すくすくと育つ。
保育園では3歳頃、お昼寝で寝小便を垂らす毎日。
いつも「オシッコしたくなったら起きてね?」って先生に言われてた。
でもやっぱり起きれない訳でwwwwww
ある日、いつも優しい先生が、スッゲー怖い顔して無言で睨み付けて来た。
無言のまま、尻をバチーーーーんと叩かれた。
そしたら寝小便が止まったんだ!
きっと先生が念力注入してくれたんだと思う。
有り難う!先生!
家はボロボロの2K風呂無しアパート。
そこに6人でぎゅうぎゅう詰めで暮らしてた。
風呂は近所の銭湯。
両親は煎餅宗教にどっぷりはまってたから、クリスマスNG。
神社のお祭りもNG。
クリスマスケーキ食べれないし、屋台で買い食いなんかしたことなかったけど、
そんなに気にならなかった。
両親優しかったし、幸せだったんだよね。
父親の給料日には、毎回帰り道の途中まで父親を迎えに行った。
父親は決まって皆にソフトクリームを 買ってた。
私には必ず落書き帳を買ってくれた。
オモチャなんかなかなか買って貰えなくて、いつも新聞の折り込みチラシと
ハサミと糊を与えられて、それが私の遊び道具だった。
「無ければ作れば良いスキル」は、その頃の英才教育。
リカちゃんの代わりにチラシの写真を切り抜き、
リカちゃんハウスの代わりに住宅のチラシを切り抜いて遊んでた。
両親は煎餅宗教信者だから、それこそ宗教の座談会なんかにいつもかりだされてた。
でも嫌いじゃ無かったな。
お菓子食べられるしwwwwww
犬が居るお家に集まる時は、犬と好きなだけ遊べたしwwwwww
ただ、宗教活動でアチコチつれてかれてる時、母親に怪しい行動が
見られた事があった。
あんまり覚えて無いけど、確か何回か会った事があったオジサンと
母親と、3人で電車に乗ってたんだよね。
その時オジサンが母親の肩を抱いて
「お母さんとオジサンは恋人なんだ!」
と言った。
母親は「子供に何言ってるのよ?」ってマンザラでもない顔して
オジサンから少しだけ身体を離した。
ほんの少しだけね。
子供に貞操観念なんかあるのか知らないけど、それまでお出かけ楽しいな♪って
気分がぶっ飛んで、泣いてオジサンに殴りかかった。
母親にも殴りかかって、「お父さんじゃない人とそーゆー事しちゃダメなんだよー!」
って泣いて泣いて殴り続けた。
2人とも「冗談だよ」って笑ってたけど、今でも覚えてる。
すごい嫌悪感だった。
その後も色々あったけど、幼少時代は元気に遊び回って過ごした。
アグレッシブに1人で公園とか、小学校の校庭開放なんかに行ってモリモリ遊んだ。
公園のブランコ
池の亀
学校のうさぎ
全部大好きだった。
家に居ると兄ちゃんにプロレス技の練習だいにされるので、
痛いの嫌!楽しい事が良い!って外に飛び出してったんだ。
私の好きな物
保育園
公園のブランコ
池の亀
学校のうさぎ
タイル
落書き帳
チラシ
紙製の着せ替え人形
迷路
こんがらがった紐をほどく事
新体操のリボン
ビー玉
万華鏡
ぬいぐるみのチャッピー
チョコレート
魔法少女
自転車
家族
あの頃は家族皆大好きだった。
苦手な物。
オバケ
虫
野菜
金曜ロードショーか何かでやってたバタリアンが、ババアになった今でもトラウマ。
上半身だけのバタリアンが今でも鮮明に思い出されるwwwww
よってオバケ屋敷も絶対無理wwwwwww
保育園で先生が作ったバカみたいなオバケ屋敷すらギャン泣きで入れなかったしwwwwww
成人してから行った富士急の戦慄迷宮も、1人目のオバケに遭遇するやいなや
速攻リタイヤした。
兄が居たお陰で、毎日イジメられもしたけども、そこそこ賢い保育園児だった。
5歳の頃には掛け算九九の歌を覚えて、平仮名もカタカナもマスターしていた私。
お陰様で最初から歌わないと九九の答えが言えない子供になったけど、
それは仕方のない事だ。
騙され易く、負けず嫌いで、よく泣き、よく笑い、よく遊び、よく動き、賢くバカな5歳児
それが私の人生の絶頂期wwwwww
楽しかった保育園を卒園し、私は小学校へ入学した。
ここから暗黒時代に突入wwwwww
1年生は何事もなく楽しく過ごした。
2年生、私の人生の転機。
「知らない人にはついていってはいけません」の約束が守れなかった。
ある日知らないお兄さんに声をかけられた。
「道に迷っちゃったから、この辺の道教えてくれないかな?」ってね。
馬鹿だから「困ってる人は助けてあげなきゃ」って思った。
で、一般的にイタズラと言われる事をされた。
かなりハード目な。
膜こそ守られたが、殺されると思った。
殺されなかったけどwww
トラウマで、裸になると吐き気を催すようになった。
それが治まるまでには2桁の年数を必要とした。
それでも完全な男性不信にならなかったのは、男兄弟に囲まれて育ったからだと思う。
そんな事があっても、両親も兄弟も私の身に起きた事は悟られなかった。
私は言い付けを守らなかった事を怒られるのが怖くて、誰にも言えなかった。
兄に指摘された首についた絞められた跡は「友達とケンカした」と言い訳した。
何でか、その頃から異食めいた事をし始めた。
とにかく自分の身体を食べないと落ち着かない。
爪、皮、体毛、鼻くそ。
身体だけにとどまらなくなった。
糸や紙、砂やプラスチック。
気付けば口に運んでた。
キッタネーガキwwwwwww
「回りの人は彼の異変に気付かなかったんですか?」ってニュースなんかで
たまに聞くけどさ、本人が声を上げなきゃ回りの人間なんて絶対気付かないよね?
親でも7歳の子供の秘め事すら見抜けないんだから。
思ってるだけじゃ誰にも伝わらないんだ。
ましてや大人になるにつれて、平気なふりが上手くなるし。
その頃私は田舎に引っ越した。
友達とのサヨナラは淋しかったけど、心機一転!
新しい家に浮かれて、辛い出来事が忘れられるんじゃないか?って夢見た。
初めての自分の部屋
初めての家のお風呂
初めてのベランダ
初めてのソファー
ウキウキが止まらなかった。
転校初日、友達も出来たし、学校も楽しかった。
それまでよその家でしかやってなかった宗教の集まりも、我が家でやったりしてた。
そんなこんなで3年生
人生初のイジメにあった。
今にして思えば笑っちゃうようなイジメでも、当時は大ダメージだった。
無視とか、つねられたりとか、泥棒にしたてあげらりとか、たかられたりとか
一番辛かったのは、通学路違反wwww
相手にはムカついたけど、それどころじゃなかった。
両親が不仲になり、夫婦喧正直嘩が絶えなかったからだ。
単なる喧嘩ならほっとくトコだけど、家のそれは少しバイオレンスだった。
夫婦の取っ組み合いから殴りあいから、武器まで飛び出して来たからだ。
兄達は部屋に引き込もってあてにならないし、私がなんとかしなきゃ!って必死だった。
毎晩のように夜中怒鳴り声が聞こえると飛び起きて、取っ組み合ってる両親に割って入った。
今になって思えば、両親ともお互いは殴り合えども、私が標的になった事は無かったから
多分愛されていたのであろう。
それでもやっぱり両親の喧嘩は辛かった。
しかも理由が宗教についてだから質が悪い。
お互いの信じる物が変わってしまい、収拾がつかないのだ。
それでも子供なんて馬鹿だから、理由なんか知らなくても母親についちゃうんだよね。
学校ではイジメられ、家では夫婦喧嘩に飛び込んで、気持ちが安らぐ事なんて無かった。
訳ではないwwwwww
磨き上げられた 「諦めスキル」が発動しまくり
学校でイジメられても「仕方ない」
夫婦喧嘩も「仕方ない」
確かにその都度心を痛めていたけど、喉元過ぎれば熱さ忘れる。
学校から帰ればランドセルなんか玄関に投げ捨てて、外で元気に遊び回ってた。
近所の人も優しくて、本当助けられてたんだと思う。
有り難う!近所のおばさん達!
そんなこんなで4年生
母親は家出を繰り返すようになった
たまにフラーっと帰って来たと思ったら、喧嘩を繰返し、またフラーっと出ていく。
母親が出ていくと、父親から「お母さんはどこに行った?!」と訊問された。
知らないって言っても「嘘つき」と言われた。
でも知らない物は仕方ないwww
ある日フラーっと帰って来た母親が干していった洗濯物の中に、電話番後が書いてある
タオルがあった。
その事を父親に伝えると、鬼のように電話しまくってた。
後日鬼の形相の母親に「裏切り者!」と怒鳴られた。
誰も片付ける人間が居なくなった家は、見る見るゴミ屋敷と化した。
夕飯はいつもレトルトやお惣菜。
学校から帰って来たら、ランドセル玄関に捨てて外で遊ぶ。
夕方になったらチャリでスーパー行って半額のコロッケを買って来て、夕飯。
ご飯は面倒臭いから、沢山炊いて数日に分けて頂く?寝ちゃっててね。
この辺から氷をガリガリ食べるようになる。
冬でも震えながら氷をむさぼってた。
学校ではイジメに疲れた私は、もうウンザリしていた。
先生には「イジメ!ダメ!絶対!」って言われてたけど、許せなかった。
イジメっ子の家はお母さんも優しそうで美人で、いつも綺麗に髪の毛しばって貰えてて、
洋服も可愛くて綺麗な物ばっかり着てて、お家も綺麗で。
そんなイジメっ子が羨ましかった。
私の服は兄が着古して、名札をつける場所は穴だらけになった男の子用。髪の毛はぼさぼさ。家はゴミ屋敷。両親は怖い。
もー全部正反対www
そして、先生に直談判に行った。
「私は、彼女にこんな風にイジメられました。
先生はダメって言うけど、私は今日から彼女を無視します!」って。
先生も止めるに止められず、私は彼女を無視する生活を送った。
彼女のお姉さんに軽く復讐されかけたけど、なんとなく乗りきった。
怖かったけど、開放感の方が上回ってた。
5年生
この頃には母親の奇行が目立つようになってきた。
夫婦喧嘩の武器が皿やハンガーから、より殺傷力の高い石油や包丁にグレードアップしてくる。
庭にテントをはって籠城する。
衝撃的だったのは、テントの中で頭を血塗れにしていた事。
そしてその血を洗わされた事。
母親の長い髪の毛は、頭から出た血で全部バリバリに固まっていた。
スプラッタ映画の世界みたいだった。
何度もえづきながら、傷口を探した。
そんな状況でも、頑として病院に行かなかった理由は、「父親の管理する保険証を借りるのが悔しいから」
そんな母親の意地の為に、健気に任務を遂行した。
子供が居るから離婚出来ないと毎晩騒がれていたが、いっそのこと離婚して欲しかった。
自分が居なくなったら、少しは楽になれるのかな?と、
何度も遺書を書いては、自殺する方法を考えた。
首つれるような
梁は家にないし、手首切るのは血が怖いし、飛び降りできるほど高い建物も知らないし
仕方ないから階段から転がり落ちてみようかと思ったけど、結局いつも怖くてできなかった
その頃から父親のタバコをくすねるようになった。
別に不良への憧れとかじゃなくって、煙の匂いが好きだったから。
そしてその頃、私は風呂にあまり入らなくなっていた。
友達にもきっとばれてた。
汗の匂いとタバコの匂い。
学校の友達はきっと嫌な気分だったと思うけど、当時の私は気づいてなかった。
今思うと本当に申し訳ない。
学校の男の子にルンペンと言われた。
でも、色んなとこが麻痺していたから、嫌われてる事も、自分の匂いも、なんにも気付かなかった。
体験学習の時、私はどこの班にも入れずあぶれてしまった。
悲しかったけど、それでも「まあ仕方ないよね!どっかいれてー!」って、ニコニコしてた。
心優しい子が居る班が、「私の班に入れてあげます!」って言ってくれた。
本当に有り難う!
しかし、それからと言うもの、道徳の授業でイジメ問題の話が上がる度に
教師が私の顔を見て「何か発表したい人はいますか?」と言うようになった。
最初全然気付かなかった。
だってあれがイジメだなんて思って無かったからwww
でも先生は、どうしても「班に入れて貰った話」をさせたかったらしく、
私を立たせて誘導尋問のように話を引き出した。
それで私は「あ!あの事か!」って思い出して発表した。
普段の授業の時、学校の研究授業の時、授業参観の時。
多分先生は「どんな子供でも別け隔てなく仲良くしてあげられる良いクラス」を
見せたいのかなー?って思ったから、そんな感じで発表したけど、
なんか嫌な気分になった。
多分発表する度に自分が皆に嫌われてるって、無意識に刷り込まれてたからだったんだな
って、今になって気付いたwww
あの時は、皆より心の痛みに鈍感になってたんだろうね。
そして母親につれ回されるようになった。
そしてたまに母親につれ回されるようになった。
母親の家出に。
なんで私をつれ回したのかは分からなかったけど、家で父親に訊問されるより
気が楽だった。
朝学校に行く前に家に帰って来て、学校が終わって母親が居たら夜は連れて行かれる。
勿論車上生活。
本当コジキみたいだ。
母親はダメ人間だ。
それでも私には大好きなお母さんだった。
何度裏切られても、やっぱり大好きだった。
6年生
この頃もあまり変わらない生活をしていた。
ただ母親が「お母さんと遠くに引っ越そう」とよくこぼしていた。
でも、そしたら今度は兄達が父親に責められるんじゃないか?って
怖くて、いつもはぐらかしてた。
いつもイジメられるし、一度喧嘩して首を絞められて落ちた事もあった。
エアガンの標的ににされたり、ランドセルを隠される事もあった。
別に特別仲良くして貰ってた訳じゃない。
でもなんか家を出たら、兄達を裏切ってしまう気がして、どうしても踏み切れ無かった。
そのうち母親は「一緒に死のうか」とか言い出した。
母親は大好きだけど、私は自分が肉体的に苦しいのは嫌だった。
「死ぬなら1人で死んでよ」って断った。
そんな状況のまま、小学校を卒業した。
心中を断ったからか、私が中学に上がったからか、母親のつれ回しの頻度は格段に下がった。
それでもたまに連れ出されていたけれどwww
母親が家を空ける頻度は高かったので、私は結構自由に過ごした。
この頃は外で遊ぶより、寝ている方が楽だと気付いた。
「このまんま消えちゃわないかなー?」って眠りにつく。
でも消えない。
で、もー1回寝てみる。
でも消えない。
この繰返し。
学校も面倒臭くなってあまりいかなくなった。
だからといって非行に走る事も無かったけど。
たまに気分が良いと「今日は行こうかなー?」とフラーっと学校へ。
1年生の頃はそんな感じでほとんど引きこもってた。
2年生に上がった時、ふと「学校いこう」って思って、それからは
大分マジメに通った気がする。
でも部活に行きたくなかった。
そりゃそーだ。
1年ほとんど寝て過ごしてた私の体力は絶望的に落ちていたから、
皆について行ける訳がないのだ。
部活はほとんど毎日仮病で休んだ。
たまに行くと、部室に置いてあったはずの私の部活道具が無くなってたりした。
私は、これ幸いと「今日は道具なくて出来なさそうだから帰ります。」って
サボった。
部活道具はヒョッコリ出てきたり、また消えたり。
あんまり気にして無かった。
勉強は基礎の時期に休んでばかりだったから、良い点なんてとれる訳がない。
でもそれもあんまり気にして無かった。
朝から皆が必死に教科書見てるから何事かと思ったら、今日から中間だったみたいな事も
何度もあったくらい無頓着だった。
3年生
部活も勉強も大嫌いだったし、家の状況も膠着状態
毎日イライラしてた
でも友達とお喋りしてる時だけが楽しかった。
兄弟の話になったとき、「お兄ちゃん良いな♪可愛がられるでしょ?」って
友達に言われる事があった。
そんなに可愛がられる事も無かったから…と言うよりイジメられてたから、
ちょっと兄に聞いてみた。
「なんで可愛がってくれないの?」って
兄の答は単純明快だった。
「顔が可愛くないから」
確かにそうだwwwって大笑いした。
この時期だったか、兄の1人が病気で入院した。
お見舞いに行ったらひたすら迷惑がられた。
「お前はうるさいから来るな」と。
口もきかずに黙っていたけど、「動きがうるさい」と、お見舞いに貰った漫画をあてがわれ追い出された。
兄弟からの扱いも雑。
イライラしてた日々の中、部活の仲間に酷いことをしてしまった事があったのを
最近思い出した。
謝りたいけど、連絡先知らないや。
あの時は、本当にごめんなさい!
そんな感じで高校入試が近付いて来た。
私は勉強は嫌いだけど、就職して1人暮らしがしたかったので、高校位は出ておかなきゃと思った。
ただ勉強はしたくない。
本当に試験なんてまっぴらゴメンだ。
先生に相談して、推薦で行けるところはないか聞いた。
近隣の人が聞いたら眉をひそめる低レベルのあの高校はどうか?と。
先生は私が全然眼中にいれてなかった大分上の高校でも狙えるとか言って
下さったけど、「どうしても推薦で行きたい!」と食い下がり、
私が指定した高校に推薦して頂ける事になった。
狙い通り、すんなり合格した。
そしてなんとなく中学を卒業した。
高校に入って後悔した。
いわゆる回りがDQNだらけ。
DQNのなかにオタクっぽいのがチラホラ混じってた。
私はタバコはやめられなかったけど、勿論マジメなオタク風味。
でも女の子のオタクは私だけ…
絶望的だった。
私は1人強く生きて行こうと思った。
ところが3年生の先輩に、可愛くて優しい先輩がいた。
私は先輩の居る部活に誘われた。
そんなに身体を動かさなくて良いし、私は部活を心の支えに
学校生活を送った。