232 :
ろむ:
レンズの向こう
A街の一角に巨大なレンズが設置された
ある日の朝、突然そこにそのレンズはあった
誰が置いたのか分からない
何のために置いたのかも分からない
だが何者かが何らかの意図によって置いたことは確かだった
人だかりができていた
朝から不審に思う者たちが近寄り触り
匂いをかぐ者もあった
だがみな一様に首を傾げるだけだった
その巨大なレンズに何らかの意味を見いだせた者はいなかった
233 :
ろむ:2012/03/19(月) 01:04:02.90 O
トランクを持った一人の男が偶然に
レンズの近くを通りかかった
彼は科学者だった
最新の研究に基づいた論文を書き上げたばかりだった
トランクにはその論文が入っていた
科学者の視界に人だかりと巨大なレンズが入った
何なんだあれはと疑問を持ち
人混みをかき分けレンズに近付いていった
近付くにつれ彼は納得した
なるほどなと思いながら一刻も早くレンズに触れたがった
彼の専門とする分野に関連があったのだ
場合によってはこのトランクに入った論文が
無価値になるかもしれないと
彼は不安にかられながらレンズに近付いた
234 :
ろむ:2012/03/19(月) 01:05:01.74 O
「どいてください、どいてください!」
群衆の反感を買いながら彼はつき進む
一歩でも近付くため、他人を気遣う余裕はなくなっていた
「やっぱりな」
巨大レンズを間近で見て彼は愕然とした
トランクは手から滑り落ち
未発表の論文はA街の春風に吹かれどこか遠くへ飛ばされた
「あの、このレンズは誰がいつから置いたのですか」
科学者は周囲にいる者たちへ手当たり次第に質問した
だがはっきりとした答えは返ってこない
235 :
ろむ:2012/03/19(月) 01:06:01.35 O
「あんた、このレンズが何だかわかるのかい」
反対に一人の老婆が科学者に尋ねた
「ええ、分かりますとも!私の仕事に大きく影響するものです
偶然通りかかっただけなのですが…」
科学者は返答した
「さっきはよくも押してくれたな」
体格のいい男が声を荒げて科学者に詰め寄った
「説明してもらおうじゃねえか
俺たちもこのレンズが何なのかわからねえんだよ」
周囲の者たちの態度は冷ややかだったが
どこか心の片隅で科学者に対し期待している雰囲気もあった
みな知りたいのだ
ここに巨大なレンズが存在することの意味を
236 :
ろむ:2012/03/19(月) 01:07:34.24 O
科学者は説明し、みんなに納得してもらおうと思った
「えーと、まず○○からいきます
これが大前提」
科学者が周囲の者たちにこのレンズの意味について語るに当たり
いくつかのステップを踏む必要があった
それは二次関数の概念を教えるために、
まず、足し算や引き算の方法を
教えなければならないのと同じことだった
そして、今回のレンズについて素人に理解させるためには
大きく分けて8つほど理解してもらわなくてはならない概念があった
237 :
ろむ:2012/03/19(月) 01:08:36.44 O
「それで××だから△△であって…」
「おいちょっと待ってくれよ、△△ってどういうことだよ」
といったやり取りが幾度となく続き、
レンズの意味にたどり着くことなく1時間、2時間と時間が過ぎていった
「ふう、これじゃあいつまでも話が終わらないな」
そのようにつぶやいて
科学者がハンカチで額に浮かんだ汗を拭いたそのときだった
238 :
ろむ:2012/03/19(月) 01:09:58.40 O
黒いミニバンが猛スピードで突っ込んできた
「逃げろ!」
「え?」
ミニバンは数人をひき殺してようやく止まった
科学者はその数人に含まれていた
パトカーや救急車がやってきて辺りは騒然となった
レンズは静かに傍観するようにそこにあり続けた
やがて一つの店のシャッターが開き
店主の男が現れた
「何の騒ぎですか、あ、ちょっと、そのレンズ触らないで
大事な製品だから」
「何なんですか、これは」
群衆の中の一人が聞いた
「さあ、俺もよく分からないけどね
どこかの研究機関で使うらしいんだ
えらい学者さんに頼まれてね
特注品だよ
昨晩うちのガキが水鉄砲の的にして遊びやがってよ
そんでちょっと乾かしてたのさ」
「なんだ、そうなのか」
そのやり取りが引き金となり、人だかりはみるみる消えていった
終わり