952 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 01:05:09 0
>>947 それといい忘れです。
勿論、「貝」は熱さにより、その蓋が開く事は知っています。
でも、私が書いた「貝」は海の貝としての表現以外にも、
比喩として女性性器の意味合いも含まれています。
そして、それを食べようと悪戦苦闘するのは、
そのままの出で立ちが、まるで自我の塊とも云える、
狩人としての男性シンボル。
そういえば、勃起した男性性器と、天狗の高い鼻ってイメージとして被るんだよね。
もしかして、世界の事象のすべては、精神を表現する為の
比喩や形容でしかないんだろうか、と思う事はある。
ウエサク祭がある鞍馬山にも、鞍馬天狗の話があるしね。
ただの伝説だとしても、その話がある事自体、ただの偶然だとは思えない。
そして、スピリチュアルの連中には、鞍馬山は、
サナートクマラが降り立った場所として云われている。
と同時に、サナートクマラは
ルシファーの別名であるとも云われている。
鞍馬山の本尊の名前は「魔王尊」。上手く出来ています。
ルシファーやそういう天使的な存在が居るとは信じていないけど、
人が持つ精神性としての個性をあらわす代名詞として、そのような
「名称」はいつの間にか、広まったのだと感じてる。
失礼しました。訂正します。
>鞍馬山の本尊の名前は「魔王尊」。
鞍馬寺の本尊の名前は「魔王尊」。
>>952 貝を強引にこじ開ける様を想像して勃起した。
956 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 01:39:22 0
日月(ひふみ)神示を書かせたのは、
国常立尊(国常立神)と言うお話だけど、
国常立尊はルシファーと同一だと言う説もあり、
また、出口ナオに憑いた艮の金神も、国常立尊と同一視されているね。
もしかして、全ては
時代を変え、姿を変え、色んな所で手を施してくれた
たった一つにして唯一の大きな意識からの働きかけかも。
ひょっとしたら、みんな
大元は同じ意識だったと言う。。。
957 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 01:56:09 0
もし、そうだとしたら、魔王やルシファーは、想像もつかないほど、
如何なる意識よりも、と言っても過言じゃないくらいの愛があると思う。
自ら、励まし役になる時もあれば、自ら、仇や敵として映らせて、
皆の心を神の意識へと引上げてくれていたのかもしれない。
地に落とそうとしていたんでなく、縛りつけようとしていたんでなく、
まるで戦場のしんがり役のように対岸に立って、人間には嫌われながらも、
避けられながらも、人の心を鼓舞してくれていたのかもしれない。
自我の強さは、神の道に取って換わる。
959 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 02:08:27 0
>>956 出口ナオについたのは違う。
もしよかったらその話はどこで聞いたのか教えてほしい。
960 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 02:13:57 0
961 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 02:21:51 0
>>959 あぁ、すまなんだ。あなたの質問を取り違えたかもしれない。
艮の金神と国常立尊が同一視されていると言い切ったのはまずかった。
そういう説もなかには、あるというだけの話。失礼しました。
艮の金神 ルシファー で検索するか、または、
艮の金神 国常立尊 で検索しても沢山ヒットするので、
そういう事を言う人が結構居るというだけの話。
「決定事項」ではないです。失礼しました。
962 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 02:40:44 0
いやそう、巫女としてとりなしをしたのはナオともいえるのだけれど、
出口オニ三郎が霊統一体現者である。
君たちは知っているかどうか知らないが伊勢白山道というブログがあって
ナオを評価している姿は、現大本が担う体的世界の継続と同じであり
そこから知識を得たのでしょう。
自らの霊性となんら関係なく色々と拝借していているのでそういった間違いは
伊勢白山道の常なのだが、おそらく君の方はそういうことが言いたいのではなく、
>>957 に話の的があるのだろう。
ついでに言っておくと伊勢白山道は鞍馬の魔王尊にたしてもほとんど理解に乏しく
批判しておりスサノヲの霊統理解とかけ離れており、大本、物質占い教を引き継いでいる。
過去記事を読めばわかるが、削除したり勝手に話を変えるが記憶しているものも多数いるはずだ。
963 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 02:57:58 0
おじさんは働いてないの?
964 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 03:09:36 0
>>962 返答ありがとうございます。
そうですね、私もその認識は一致しています。洗礼者としてヨハネのように、
初めの触れ込みをしたのが、ナオさんで出口王仁三郎が中心人物だと思ってます。
私も白山道は首をかしげています。私は霊感は乏しいですが、日本の封建社会の
礎を築く前段階として、平氏を倒す筆頭として源義経の幼少期を暖めた鞍馬山は、
日本における霊場の最高峰だと思っています。そしてエネルギーの集約地。
白山道は、初めに出した一冊だけ拝見しましたが、鞍馬山を霊的に魑魅魍魎が集まる場所と
書いていたので、この人はその部分の受信しか出来ないのかと失望しました。
確かにエネルギーとして我の集約地であるとは思いますが、それは日本最高の霊性を
併せ持った場所という裏付けであるとも思っています。我=色、転じて、色即是空。
それと話は戻りますが、「出口なお 金神」で検索してもかなりヒットしてきますね。
以前に出口なおが憑かれた時の状況を描写していたページを見た記憶があるのですが、
今、お気に入りにも入っていなくて、どこだったか思い出せません。たぶん、
その内容自体は、多くのページで貼られている事かと思いますが。
それとありがとうございます。話の的は
>>957でした。
自分なりの想像上の話をまとめるたがる性分なので。
965 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 03:11:56 0
>>963 いや、働いてるよ。でも、場所がすごい近いんだ。
家から数分くらいで行ける場所。
だから、朝、8時過ぎに起きても、間に合うんだよ。
4時間寝れれば、充分でしょ。今から寝る、おやすみ。
>>965 色々と大変そうだけど応援してます。おやすみなさい。
968 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 03:28:42 0
>>966 寝ようと思ったのに。いや、引かせたのは悪かった。
でもコテを外す事が出来たのに、何故、コテを付けて
同じ板で見つかりやすいように書いたと思う?
それも、自分の風評を下げるような事を書いて。
内容に何らかの意味があると思ったからだよ。
気分を悪くさせたなら、ごめんよ。じゃ寝るね。
969 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 03:36:20 0
おじさんの言ってること、言いたいことは分かるよ。
分かる人はたくさんいると思うよ。
けど発言せずに見守ることがほとんどだと思うよ。
なぜだかは分かると思う。
おじさんもそうだけど、自分は何がしたいのか、
自分がしたいことと、その為にはどうしたら良いか、
手段ややり方はこれで良いのか…?、をもう少し、
今一度、考えた方がいいのかなって思いました。
新スレ感謝。
海底に潜む金塊、その数は無尽蔵。誰かが掴んだから
誰かが掴めなくなる事はなく、一人目が見つけた半分を
懐ろに隠したから、二人目にも半分にしか見えないのでもなく、
故意に噛みつかせた大蛇は、その牙を天照大神の胸元深く。
目掛ける心の蔵は愛の熱に満たされ、誘き寄せられた蛇の身は、
欲の引力に比例して、陽子に取り込み、我が身を燃やす。
苦痛で始まり歓楽に変わる燃焼。
それは、いつしか、陽子が幾万の蛇の子にまどろみ映り、
大蛇自身の心の鏡となるとき。
松果体の初動は、「感謝」が引き金となる。
無理に「感謝」を唱えても、我を灰には変えず、
我を灰に出来たとき、自然と「感謝」はその思いを
心の蔵から出さずにいられなくなる。
それが神から生まれた者の本望。
それが神から生まれてきた者の自然。
ありのままの心に立ち返ったとき、
「感謝」は何も受け取らずとも溢れ出る。
そのとき「松果体」は発光する。
「在る」の感覚に戻れた時に、感謝の念がふっと湧くかな。
でも、自意識的として自分が強くなってしまっている時や、
(頑丈という意味ではなく、刺々しくなっていう感じ)、
そういった感情の流れで、焦りや不安等で苛立ちを抱え込んでしまった時なんかは、
なかなか「在る」の状態までは戻れない。
自分の感情に留まるとき、主観に留まるときは、
本来あったはずの落ち着きが、心から失われてしまっている。
その主観や自分の感情とは、何だろう。新●●スレでに出ていたテーマ。
スレ主さんは、「恐怖」であると端的に言っている。
この例が見られる日常での一コマ。
ここのスレでも、何度も通り過ぎてきた光景。
相手が受け取った自分の言葉の解釈の違いに対しての
「正そう」とする姿勢やそれに対する返答。
「正そう」とは語弊があるかもしれない。だが「そうじゃない」という。
「そうじゃない」というよりかは、「そういう見かたもあるよね」の方が、
そこに「恐怖」は見つからない。
では、何故、そのような時に、
そこに「恐怖」は見つからないか。
自分が「何者」であるかという自分像を
相手に変えられるのを「怖がっている」のでは?と解く。
「正そう」とする風潮が少しでも入れば、そこに
その人なりの「善悪を知る木」が入った事になる。
私個人としての考え方ですが、基本、「善悪」はない考え方を持っています。
ただ、現実世界で誰かを批判したりしなければ、筋が通らない局面が、
私の中では出てくるのですが、(それだけ許容範囲がまだ個人なので;;)、
批判すると、それは「善悪を知る木」になってしまう。
だからそれはしない。
表立って批判しない代わりに、
隠そうとしているのを「露見」させる手段を用います。
何故なら、批判しなくとも、本人達が気まずければ、
おのずのその身を隠そうとするからです。
アダムとイブの罪の意識のように。
表立って「批判」はしない。ですが「露呈」させる事で、
周りが批判をしてくれます。
なので、ある意味、私自身が恥を捨ててないと
「露呈」させる事が出来ない場面も出てきます。
ですが、自分に羞恥心はあまりありません。
馬鹿でしょうが、ある意味、強みでもあります。
話が脱線したので、新スレのテーマの戻すと、
つい先日の
>>931さんの返答がありました。
これは、私の羞恥心の無さが書かせた
>>929の文章に対して、
>>931さんの僅かな恐れが文節の解釈を読み誤らせた一例だと感じています。
もし、
>>931さんが
「自分は刹那的で即物的な人間に思われても一向に構わない」という
捨てっぷりであれば、スルー出来たかもしれませんし、または、
「そのように誤解される」自分への眼差しに対する恐怖心が無ければ、
何度か落ち着いて読み直して、
私自身が己の事を「刹那的」と言っているんだな、と
読解してくれたかもしれません。
でも、ただ単に私の文章が解り辛かっただけかもしれませんね。。
きっと、そうに違いない。
人の書いたテーマをパクリます。消費の為ですので、何卒ご了承ください。
新スレのレス番4の方がとても、うまい事を書いてくださった。
>怒っていても、かたい文体でも書いている側はリラックスしていたりする。
>むしろね、読んだ側の緊張が引きおこされ不安になる。
>それで怒るな、リラックスしたら?とか言うようだね。どうもそうらしい。
これには、全面的に同意です。私はここまで上手く表現出来ません。
たとえば、極端な例では、
気分は穏やかであるのに、掲示板上で
「この野郎、師ね!!」とか「ぷww情弱」とかお決まりの文句を
書き込んだとして、レス番指定で名指しされた人は、
自分の感情の引き出しに従って、
上記も「文字面」に呼応する感情を「呼び起こしてしまいます」。
これが掲示板においての「文字」のやりとりの醍醐味であり、
落とし穴であるともいえます。
続きます〜
誤字が多いです。スマソ。
>>978 誤「も」→正「の」
自分の感情の引き出しに従って、
上記の「文字面」に呼応する感情を「呼び起こしてしまいます」。
>むしろね、読んだ側の緊張が引きおこされ不安になる。
>それで怒るな、リラックスしたら?とか言うようだね。どうもそうらしい。
この2行のニュアンスの半分の解釈を残していましたので続けます。
肝は、この方が言及してくださった最後の1行。
この方に説明して貰った方が正確かとは思いますが、レス埋めなので続けます。
誰かに対して注意をする場合、世の中には2種類あると思っています。それは、
・明らかに誰が見ても怒っていて収まりがつかない場合に
相手に対して「怒るなよ」となだめるケース。
・「ムッ」としているように映ったか、または、そのように感じた為に
「怒るなよ」と口走るケース。
前者は、このケースには当てはまらず、
(まぁ相手が怒りすぎて殺されそうになった場合は
正直、恐怖が湧くと思いますけど。。)
後者の方に今回の内容が該当するかと思われます。
本人が怒ってる訳でもなく、不安なわけでもなく、
相手が「何をそんなに怖がってるの。」と口にしてしまった場合、
「そんなに怖がっているのは」。。。。
口にしてしまった側であると感じています。
もちろん、ニュアンスとして、例外は当然たくさんあると思います。
本番の舞台を直前にして、ピアノを習っている子供に
「何をそんなに怖がってるの」というケース。こういう場合は、
ただの励ましですね。。。
ですが、当てはまるケースとして、
掲示板上で凡例が多く見受けられます。
これはよく議論している時に出てくる事が多いかと。
たとえば「良心」について話していたとします。
【人に良心はあるか。
またその良心の施行はどこまでが良心か?】
などといったテーマで話されていたとします。
にしておきます。
するとだいたい、ボランティアがどうとか言う話題にもなってきたりして、
遂には、老人が目の前で餓死しそうになっていでも知らんぷりするか!!
という話になっていったとします。
この場合、どちらでもいいと思います。
老人を擁護する側が「何を怖がってるの?」と言ったとしても、
老人を見捨てる側が「何を怖がってるの?」と先に言ったとしても、
先に口走った方が、「恐れを露呈してしまった」のは明らかです。
つまり、擁護する側が「擁護出来る限界を何処かで勘付いている為の」恐れ。
つまり、見捨てる側が「見捨ててしまった時の罪の意識か、
または自分が同じ境遇になった時に対する」恐れなど。
もっと感情のニュアンス的には、多岐に渡るかもしれませんが、
理屈というか、カラクリというか、新スレの方の発言に乗らせて
頂いた形になりましたが、私も同感です。
修正。
などといったテーマで話されていたとします。
にしておきます。
→にしておきます。 (不要:削除忘れ)
また、こんな風に修正をしてしまうのも、恐れや羞恥心の名残かもしません。
すべては自分を守ろうとするが故の「恐れ」。
肉体を守ろうとする「恐れ」のときもあれば、
よく言えば、誇りが傷つけられそうになったときの
精神的な「恐れ」もあって。
どちらも「自分」を尊重する為に生じるおそれ。
もしかしたら「誇り」は、
余計な「埃」なのかもね。
なんちゃって。
>>977 私はあなたとレスを交わしたことはあまりなかったと思います。
だからあなたの考え方、価値観をよく知らなかったので、
>>929の文章がうまく読み解けなかったからです。
しかしそのあとの返答で、あなたの言わんとしたことが理解できました。
>>931を書き込む際、刹那的なニュアンス云々の一文を削るか迷いましたが
(始めは無かった)書き込む直前に迷いながら付け加えてみたんです、
そしたら案の定…という感じですね。だから少し後悔というか反省をしています;
でも、あなたもわかっているようなので通じていると思います。
ところで私はあなたには、「刹那的で即物的な人間に思われても一向に構いません」
と言えるけれど、本当に本心から
「刹那的で即物的な人間に思われても一向に構いません」なんて
思ってるとしたら・・・どうです?
なんだかちょっと卑屈っぽすぎやしませんか?
ちがうな。うーん。難しい
あなた自身は「私は刹那的で即物的な人間に思われても一向に構わない」と
開き直っている部分があるのかもしれないけれど、
私はそういうのはあまり好ましいとは思わないっていうか・・
やめた方がいいんじゃないかなって思うっていうことですね・・・すみません。
>>985 ありがとう。
1000いくまで延々と俺の一人芝居、夢芝居になるかと思ってた。
>なんだかちょっと卑屈っぽすぎやしませんか?
すいませんでした。そこは、
ちょっと極端に書いて、解りやすく伝えたかっただけピョン。
>>931を書き込む際、刹那的なニュアンス云々の一文を削るか迷いましたが
>(始めは無かった)書き込む直前に迷いながら付け加えてみたんです、
>そしたら案の定…という感じですね。だから少し後悔というか反省をしています;
あぁ、更にどうも。
これがあなたの気持ちだとすれば、寧ろ「恐れ」を抱いていたのは
私の方です。あなたが感じた通り、私は多少、自虐的になって嘲笑気味に
「刹那的で即物的な人間に思われても一向に構いません」と入れたのかも
しれない。わざと自分に泥を塗って平気な顔を見せるところがあるから。
あなたと絡んでみた感想は、「直感的」でありながら、
理性もあり、直感を優先した為の時折生じる読み違いや
僅かなすれ違いや誤解も、すぐ溶ける人だと感じました。
だめだ。ややこしくしているかもしれないです。すみません。
なんなら直に話します?
>>987 仰りたいことはわかります。改めないといけないですな。
確かにわざとあけっぴろげにして見せて、自分は「全部捨てきってるゾー」みたいなスタンスを取りますが、
反面、自分でも解ってるのですが、一つの姿を提示する上で、キャラを無理して推し進めているところもあり、
それは自虐的な面もありながら、精神的なリストカットのように「甘え」も含まれたものと言えるかもしれません。
たとえば、容姿端麗でとてもそういう言葉を口にしなさそうな淑女が、自分に貼られる優等生的な
イメージを打破しようと、汚下劣なフレーズを連発しても、誰も心地良くならないのと一緒ですね。
ただ、単に「あぁ、この人はこういう言葉も言えたんだね。」というだけ。
あなたは、とても親切な方ですね。嬉しいですよ。
>>988 >あなたと絡んでみた感想は、「直感的」でありながら、
>理性もあり、直感を優先した為の時折生じる読み違いや
>僅かなすれ違いや誤解も、すぐ溶ける人だと感じました。
いえいえ(照)、それを言ったらこちらこそですよ。あなたもそう。
なんていうか、ありがとう。褒められ慣れていないからくすぐったいですね(笑)
おやすみなさい。
>>989 照れ屋なので^^
それとあなたが女性だった場合、自分は言動のイメージよりも
女馴れしていないので、惚れてしまう危険性があるので自重します。w
たまに駄々おじさんでコテつけていますし、ブログもprincessaromとprelioで
ネット上に拡散させていますので、見つけたら名指ししてくれたら、返答しますよ。
でも、ブログは更新する予定はないので、自分のブログを注意して見直す機会もなく
何か書かれても、気づかないかもしれませんが。。
それと何より、あなたが言ってくれている事は充分、伝わっていますよ。
あと、できれば、空きスペースや新スレなどで、あなたが書いた気づきの言葉を
読んでみたいと感じます。では、そろそろ寝ますね。おやすみなさい。m(_ _)m
うめ
他人のことはよく見えるね
幸せとは、自分が心から「幸せ」と感じる瞬間のことではあると思うけれど
では、幸せと感じる瞬間とは何か?と考えたらば
それは、内から湧き出る全てのものへの感謝の気持ちで心がいっぱいに満たされる瞬間のこと、、
そういう瞬間に、最も強く幸せを感じるのではないのかなぁと思いました。
難しい言葉や、専門用語など知らなくても真理、叡智は得ることができますよね。
スピリチュアリズムを学ぶことによって知ることが出来た人はそれでよいのですが、
スピリチュアリズムに興味のない人もたくさん居ますから、そういう人に対して
なるべく専門的な語を用いずに、如何に自分の伝えたいことを伝えるかが課題だと思っています。
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そしてストーリーは続いてゆく
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このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。