>>715,
>>751 吉田は当時既に一丁上がり、かつ弟子二人が総裁候補で大派閥のオーナー。
佐藤も総裁候補岸の実弟で松野・保利・角栄・愛知ら佐藤派が自民内で一勢力を形成してた背景があり、池田に反対できたのもその手勢の質・量の影響力があったから。
洋平は2回生時既に20人規模の勉強会の主催者で、離党時6人まで減らしつつも直後の選挙でも20人近い当選者を出し、復党後も宮沢・後藤田という実力者に総裁候補として可愛がられています。
小沢は、経世会飛び出た時は勿論「純化路線」と蔑まれ人数を徹底的に減らした自由党時代ですら二桁未満に減らした事はありません。
与野党処構わず、常時衆参で40〜20人程度の現役国会議員を手駒にできるというバケモノで、戦後これに匹敵する党人政治家は鳩山一郎・三木武吉・田中角栄・三木武夫くらいのものです。
今まで20人規模の人を率いた事もなく現状で5人確保する事すらやっと(民主からの合流で漸く)後ろ盾になる大物も不在の喜美を彼らと比較するのはミスリードです。
まだ進歩党の田川や都知事立候補まで流れた柿沢の方が近い。
田川や柿沢の失敗は政策にこだわりながらもその政策では数を確保できず、それでいて組む相手を選り好みし続けたのが原因。
渡辺が取るべき道は国会における「今の自分の政策」の賛同者を、最低でも倍、できれば20人程度まで増やす方法を考える事で、
1、自力でその人数をかき集める
2、野合ととられてもそれだけの勢力をまず確保して、その勢力の長(或いは内部実力者)と認められる
3、既にそれだけの勢力のある人の庇護下に入る
このどれかしかなく、逆に今度の選挙で二桁当選者も出せなければ彼の政治生命は終わります。
1は争点の部分で自民・民主との差別化が困難で難しく、本人もその事を理解した処でしょう。
実質彼には2か3の道しか残されていません。