こころはいつもラムネ色

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280soundonly
おれが考えたのは、悪と善というのは「必ず」一人の人間の中に共存しているはずだ、ということだ。
悪というのは徹頭徹尾「具体的」なものであり、それに反して善は常に直観的な
(であるからこそ、言表するに難しい)何か、に照らし合わせることによってしか
具体性を帯びてこない。その「絶対的」な基準は絶対的であるがゆえに「内在的」であり、
内在的であるがゆえに、具体性に落とし込まれた際、非常に局所的な「善」としてしか
現実化されないのではないか?という問いかけだな。
自分の愛する者を殺した存在を、手段を選ばずどこまでも追いつめ、破壊しようとする意志は、
自分と愛した者との関係においてのみ、ひとつの「絶対的」な基準、として
「個人」に君臨する。それはすでに「善」とは言えないものなのかも知れないが、
それでは「悪」とは何か。
KEMANAIとしては自分の悪しき半身を破壊すること、それこそが「絶対的」な行為なんだな。
281soundonly:2008/01/23(水) 01:18:26 0
表紙は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E7%BE%A9_(%E3%82%BF%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%88)

ギリシャ神話の正義の女神は片手に天秤、片手に剣を持った姿で描かれる。
だけどJUSTICEという言葉はかなり「裁き」の意味が強いようだな。
だからアメリカンコミックの「正義の味方」はいつも悪と戦ってるんだろうかww
日本語の「正義」はちょっとニュアンス違うような気もする。

1では単純な「正義の味方」と思えたKEMANAIも、実のところ復讐の念に取り憑かれた
小さな脳のかけら、かも知れない。そこら辺を考えてもらうのが2巻の役割だな。
ちゃんと読んでくれてありがとう、シリウス。