まあそういうわけだ
1000
まあそういう訳だな
俺使っていいか?
あれ?
私はこんな具合に考えているのです。
人間が有用でありうるのは、大きな機能のほんの一局部的存在であることを熱望する意欲のことだと思うのです。
しかるに私みたいな人間はそれができないで、しきりと全体的なモデルを自分の中に作りあげようとする。
だからいつまでたっても、本当の意味で世間と出遭うことが出来ないのです……
まるで監獄の中だと思ったりした。
監獄の中では、重苦しくせまってくる壁も、鉄格子も、
すべて研ぎすまされた鏡になって、自分自身をうつしだすにちがいない。
いかなる瞬間にも、自分から逃げ出せないというのが、幽閉の苦しみなのである。
ぼくも、自分自身という袋の中に、厳重に閉じ込められて、さんざんもがきまわっていたものだ。
P12 「太田信子」
変わらないのはありがたい。この家で何か変化があるとしたら、それはきっと悪い変化だろう
から。信子はそういう風にしか考えられなくなっていた。
P66- 「池田正信」
屈辱にまみれて、人から蔑まれて生きるくれえなら、死んだ方が……。それに俺はもう蔑まれ
ている。誰も俺に敬意を払わねぇ、それどころか“早く死ね”という目で見やがる。
死んでやつらの望みをかなえてやるなんて冗談じゃない。
だけど、そこまで意地張ってどうなる? 世間を見返すのか? バカバカしい。世間が俺をど
う見るかなんて、どうでもいい。問題は俺がこのひどい状況でも、なおも生きる目的や意義があ
るかどうかってことだ。
あるか?
何かやりたいことはあるか? あるとも! 金持ちになっていい女とヤリまくって、いかつい
高級車を乗り回してファミリーカーに乗った凡人を威嚇して、誰にも頭を下げない。それが俺の
やりたいことだ。
………………無理だって。
俺にはもうそんな気力も体力も商才もない。やはり、自分の人生は逮捕された時点で終わった
のだ。もう誰も俺に敬意を払わないし、面白いこともエロいこともない。
………………死んだ方が良くねえ?
どんどんどんどん思考が自殺肯定へと傾いていく。頭を振っても、深呼吸しても、寝返りを打
っても、窓を開けて外を眺めても、小便をしても、何をしても自殺が頭から離れない。
自殺すれば今後の人生において間違いなく襲ってくる山ほどの屈辱を百パーセント回避できる。
わずらわしい人間関係も、金の督促も、孤独も、嫉妬も、恐怖も、怒りも、なにもない。嫌なこ
とが何もない。いいことも何もないが。いや、そんなことない。嫌なことが何もないという事が
とてつもなくいい事なのだ。
つまりいい事だらけということだ。
俺は、もしかしたら、死にたいのかもしれない。
自殺を考えてこんなにポジティブな気持ちになれるなんて、驚きだった。凄い。
もう生き続けることについて検討する気にもなれない。
なんだ、そうか、俺は死んだ方が幸せなんだ。
「そうか」
ふうっと体の力が抜けて楽になった。もしも、こんな気持ちで死ねるのなら、素敵じゃないか。
センターに行きたくなってきた。
行くのなら電車賃が手元に残っている内に行った方が楽だ。じゃあ、明日行くか?
明日行っちゃおうか!
やばい、本当に行きたくなってきた。よし、もう一回コンビニへ行って相談センターの番号を
メモしてこよう。
P70- 「飯野孝一」
>どこで死のうと人の勝手じゃん、ねぇ。もう何回くらいメールきた?
>センターからかい? 二十二、三回かな。
>超しつこいね。
>いずれペコのところにも来るよ。
>政府はよっぽど人口を減らしたいらしいね。あんまり減ったら経済が成り立たないと思うんだ
けど……。ちゃんと考えてるのかなぁ。
>日本人が減ればその分を外国人が埋めるんだよ。
>えええ〜やだぁ。外国人嫌い。
>ペコ、こないだジョニー・デップが好きって言ってたじゃない。
>あたしの言う外国人てのは、あくまでその辺のバカ外人のことなの。こないだも変な白人ヤロ
ーから恋人募集メールが届いた。もう、キモくって。
>白ブタなんかヤッちまえ。
>もう眠い、またメールするね。
>お互い生きてればね。
P91 「東条和輝」
「東条さんのあとを追って自逝する若者がたくさん出るんじゃないですか?」
「未来のある若者が次から次へと命を絶ってしまうんですよ」
その発言に、東条の顔が厳しくなった。
部屋の空気がぴんと張り詰めた。
「若者だから未来があるとでも言うんですか?」
今度は東条が身を乗り出して記者に問う。
「冗談じゃないですよ。すべての若者に等しく輝かしい未来が待っているなんて、そんな甘っち
ょろい認識は反吐が出ますよ。あなた、そんなバカなこと本気で信じているんですか?」
東条に睨まれた極東テレビの記者は負けじと睨み返すが、明らかに押されている。
「信じていないでしょう、あなた自身だって。若者が自殺したり殺されたりすると条件反射みた
いに“未来のある若者”と口にするだけでしょう。梅干を見ると唾が出るのと同じだ。僕は梅干
なんか見ても唾は出ない。報道人の職業病なんですよ、そんな口当たりのいい言葉が口をついて
出るのは。虚しくないですか?」
激しい軽蔑と嫌悪が東条の顔を別人のように見せた。
東条意外誰も口を開かず、シャッターも切られなかった。
「未来のある奴とない奴がいるだけでしょう。それだけですよ」
東条は椅子の背にもたれ、苦笑した。
「みっともなくもがいて生きることが人生だと思うのなら、せいぜいダラダラ生きればいい。そ
ういう奴に限って人に迷惑かけているものですが。そこに自逝というもう一つの選択肢ができた
ことを僕は喜ばしく思います。選択こそ人生ですからね。死を選択できないから生きているだけ
の人間ほど惨めな存在はありませんから。では、言いたいことはすべて言いましたので会見はこ
れで終わりにさせていただきます」
東条はしなやかな動きですっと椅子から立った。
「あなたがたに神の祝福を」
優雅に一礼し、東条は部屋から出ていった。
P194- 「川崎哲司」
酒がなくなったので、川崎は瓶を叩き割って瓶の内側に付着した酒を舐め取り、それさえなく
なるとガラス片で自分の体を引っ掻いた。そうでもしないと正気を保てないのだ。もっとも正気
を保つ必要があるのかどうか怪しいものだが。
ふいに、またアナウンスが止んだ。
外を見てみると、案の定また白バスが止まっていた。今度はさっきより大勢、十五人くらいが
乗り込んだ。
あいつらは十一時半に処分される。
バスが走り去ると、またアナウンス攻撃が始まった。今日で片をつける。そんな意気込みが感
じられた。
三度目に白バスがやってきた時、川崎は全身血まみれでふらふらと外に出た。
息絶えたシャブ中男の死体を跨ぎ越え、バスに近づいていく。バスの扉は開いていて、中が見
えた。
運転席は完全防護されていた。遮光ガラスの色が濃く、運転手の姿を見ることさえできない。
ステップをあがり、バスに乗り込む。
川崎は空いている座席にどすん、と座り、がっくりとうなだれた。
「やっと……死ねる」
扉が閉まり、バスが動き出した。
川崎は、自分が実はもっとずっと前から死にたかったのではないかと思い始めた。バスが進む
につれ、その思いはますます強まり、このバスに乗ってよかったと思い始めた。
「う……うう……うううう」
川崎は突如ぽろぽろ涙をこぼした。
酒のない苦痛と孤独と恐怖から、やっと解放されるのだ。死は安らぎだ。甘い眠りだ。
気がつくと車内のあちこちですすり泣きやむせび泣きが聞こえた。皆悲しくて泣いているので
はない。怖くて泣いているのでもない。川崎と同じで嬉しくて泣いているのだ。
浄化の涙が後から後から湧いてくる。
(これでいいんだ、うん、これでいいんだ)
川崎は心の中で何度も繰り返した。
(これが、唯一の正しい道なんだ、うん、よかったよかった)
P242- 「増池徳郎と野添麻利」
「僕は、死ぬのが怖い。だから自殺なんて考えたこともない」
増池は力を込めて言った。
「生き続けることは怖くないんですか?」
返答に窮した。
実を言うと、最近怖くなってきている。
「生き続けるって物凄く大変なことじゃないですか?」
スイスイと楽に生きて行けそうな美女からそのようなことを言われると、取り得のない四十男
の増池はこたえる。
「まあ、そりゃあ、確かに……」
「世の中には、自殺が自由になるよりももっとずっと前から、競争に負けた人間や失敗した人間
はさっさと死ななきゃいけないっていう風潮があったじゃないですか」
「いや、そこまでは言ってないでしょう」
「ハッキリとは言ってませんけど、でもそうですよ」
「あれは、メディアが悪いんじゃないですか?」
「メディアのせいだけにはできませんよ。程度の差こそあれ、皆思っていたと思います」
「いや、僕は思っていませんよ」
麻利の目が“本当に本当?”と問うていた。
「いや、ちょっとは思っていたかも……うん」
(やべえ、俺、これからどうすりゃいいんだろう)
今の自分が置かれている状況がまた恐怖を伴って身にしみてきた。
P279-
“自逝センターに関する報道、解禁”のニュースが日本の各メディアを駆け巡
った。ニュースの出所はある省からだ。
しかし、だからといって各新聞者、テレビ局がわっと飛びついたかというとそうでもなかった。
自逝センターに関する情報統制の恐ろしさは、既に日本全国に蔓延していた。
自逝センターに関する記事を勝手に書こうものなら、翌日には右翼が乗り込んでくるとか、書
いた奴も書くことを許可した編集長も絶対にヤクザの襲撃を受けるとか、すでに某週刊誌の記者
数人が潜入を試みて全員帰らぬ人となったとか、あるいは巨大宗教法人が絡んでいて官僚や政治
家さえも押さえ込んでいるとか、話にどんどん尾ひれがついて、誰も本当のことがわからない。
わからないまま不穏な噂だけが肥大して、誰も恐れて手を出さなくなった。
ゆえに、解禁と言われてもなかなか手が出せない。
結局、意を決してある地方紙が、自逝センターが存在するという、ただそれだけの既に皆が知
っている事を記事にした。
そして右翼にもヤクザにも襲撃されず、書いた記者も死ななかったことがわかると、“本当に
書いても大丈夫なのだ”とわかり、どこの社の編集者も“書け!”と唾を飛ばして喚いた。“責
任は俺が取る!”
さまざまな見出しが紙面に躍った。
『自由に死ねる時代の到来』
『安易な死の功罪』
『死に対する常識の逆転』
『ダラダラ生きるのは恥なのか?』
『あなたの家族がセンターにいく日』
『自殺自由法は、真に成熟した社会の到達点なのか』
『みっともなく生き続けるより、潔い死を』
『自殺は怖い、自逝なら怖くない』
『生の尊厳、死の尊厳』
『あまりに間近になった“死”』
『死から逃げることをやめた日本人』
『自殺自由法で国は滅びるか』
『生き続けるにも理由が必要だ』
『生きているだけで素晴らしいは、本当か?』
『人間は自逝する唯一の生物種』
『パチンコ感覚で死にに行く人々』
今や自殺自由法は日本人の誰もが無関係でなく、いくら議論しても尽きることのない論壇の金
の星となった。
労働者も学生も主婦も有識者と呼ばれる者たちも、すべての人が苦しんで無理に生きる必要が
なくなってしまった。
とてつもなく大きな自由を与えられ、途方に暮れてしまった者は少なくなかった。
報道解禁から二ヶ月後、大手新聞社が十六歳から八十歳までの千人を対象に、自殺自由法につ
いて初の世論調査を行った。
Q 自殺自由法は必要だと思いますか?
A
☆ 必要だ……39パーセント
☆ 必要ない……41パーセント
☆ わからない……20パーセント
Q 「必要だ」と答えた人に。その理由は?
A
☆ 生きるのが苦しいから……33パーセント
☆ 生き死には本人が選ぶものだから……20パーセント
☆ 勝手に自殺して(電車のホームから飛び込む、高い所から飛び降りる、など)人に迷惑をか
けるより、いっそ自殺を認めた方がいい……7パーセント
☆ 高齢者が多すぎるから……7パーセント
☆ 医者が威張っているから……6パーセント
☆ 税金を払うのが馬鹿馬鹿しいから……4パーセント
☆ 人口が多すぎる……4パーセント
☆ その他……19パーセント
Q 「必要ない」と答えた人に。その理由は?
A
☆ 自殺は逃避だから……30パーセント
☆ 国が危うくなるから……30パーセント
☆ 年金が減るから……17パーセント
☆ 残った者の税負担が増える……11パーセント
☆ 皆が努力しなくなる……8パーセント
☆ その他……4パーセント
Q 「必要だ」と答えた人に。自殺自由法の良いところを挙げて下さい。(複数回答可)
A
☆ さまざまな苦しみから解放される。
☆ 人生の一番いい時に死ねる。
☆ ライフプランが立てやすくなる。
☆ 老いの苦しみ、悲しみを味わわなくて済む。
☆ 税金を節約できる。
☆ 迷惑な人間を排除できる。
☆ 国の経済を助けられる。
☆ 自分探しをしなくて済む。
☆ 貧困層をなくせる。
☆ 死ぬ自由があることで自分の人生をより真剣に考える。
☆ 悪い人間が減る。
☆ 気に食わない人間を自殺に追い込める。
☆ 長生きが必ずしも良いとは限らないという認識ができる。
☆ 「まだ生きてたの?」と言われずに済む。
☆ 人生にけじめをつけられる。
☆ 官僚に税金を搾取されずに済む。
☆ 死ぬという選択肢があることによって、思い切ったことができる。
☆ 国民に仕事が行き渡るようになる。
☆ テロの恐怖から逃れられる。
☆ 財産の無駄遣いが減る。
☆ 自殺を認める初めての国になることで、国際舞台での発言力が大きくなる。
☆ 経済力が回復する。
☆ ペットと一緒に死ねる。
☆ 好きな人と一緒に死ねる。
☆ 有終の美を飾れる。
☆ これから死ぬ人に優しくなれる。
☆ 自殺する事で伝説になれる。
☆ 人口が減れば自然環境が改善される。
☆ 人が減ることで残った者同士がいたわりあえる。
☆ 生きるための屈辱的な労働に甘んじる必要がなくなる。
☆ プライドを保ったまま、人生を終えることができる。
☆ 死が身近になることで、死に対して不必要に怯えることがなくなる。
☆ 自殺するのに、親兄弟に申し訳ないと思わなくて済む。
☆ 醜い世の中を見なくて済む。
☆ 死ぬ前に思い切り遊べる。
☆ インチキな救いを売りつける宗教団体がなくなる。
☆ 威張り散らす坊主や医者が減る。
☆ 親に虐待される子供が減る。
☆ 武士道精神が復活する。
Q「必要でない」と答えた人に。自殺自由法の悪いところを挙げて下さい。(複数回答可)
A
☆ 学校、職場でのいじめが増える。
☆ 生命を粗末にする。
☆ 気に食わない人間を自殺に追い込める。
☆ 責任を果たさない人間が増える。
☆ 簡単に諦める人間が増える。
☆ 税収が減る。
☆ 日本人が減り、外国人による犯罪がもっと増える。
☆ 皆が刹那的享楽的な生き方をするようになる。
☆ 助け合いの精神がなくなる。
☆ 政治家などに悪用される。
☆ 親のない子供が増える。
☆ 努力しなくなる。
☆ 日本が唯一の取り得である長寿国でさえなくなる。
☆ 健康への配慮がなくなる。
☆ 経済が悪化する。
☆ 「いやなら死ね」という風潮ができて、労働者の人権が損なわれる。
☆ 生命保険が成り立たなくなる。
☆ センターが犯罪者の逃げ込む場所になる。
☆ 都心の空き部屋が多くなり、犯罪が増える。
☆ ビジネスでの契約違反が多くなる。
☆ 母子、父子家庭が増える。
☆ 介護ビジネスの高成長が止まる。
☆ さびしい。
☆ 怖い。
☆ 死んだ人の財産を銀行や役人がくすねる。
☆ 葬儀社が次々と潰れる。
☆ 自逝センター近辺の治安が悪化する。
☆ 国際競争力が低下する。
☆ カッコよさばかり追求するようになる。
☆ 深く考えずに衝動的に死ぬ人が増える。
☆ 国民の問題解決能力が衰える。
☆ 『自殺自由法』という名前が悪い。『生死選択法』に変更すべき。
☆ 国に貧困層の人々を救おうという意識がなくなる。
☆ あるといつもそれが気になる。
「身体、とくに顔の損傷は、単に形態上の問題だけで片付けられるものではありません。
むしろ、精神衛生学的な領域に属することと言うべきでしょう。
さもなけりゃ、誰が好きこのんで、こんな邪道めいた仕事に精を出したりするものですか。
私にだって、医者としての自尊心がありますからね。
けっして模造品づくりの職人なんかに甘んじているわけじゃありません。」
「ええ、分りますよ。」
「どうですかな?」
唇の端に、皮肉の色をちらつかせながら、
「私の仕事を、工芸品なみだとおっしゃったのは、あなたですよ。」
「べつに、そんな意味で言ったわけではありません。」
「ご心配なく……」
K氏は、もの分りのいい教師の鷹揚さで、
「いざとなると躊躇するのは、なにもあなただけじゃない。顔の加工に、抵抗を感じるのは、むしろ一般的な思想なのです。
たぶん、近世以後のね……いまでも未開人は平気で顔を加工する……
この思想の根拠がどこにあるのか、残念ながら、専門でない私にはよく分りません……
しかし、統計的には、かなりはっきりしていますよ。
たとえば、外傷をとりあげてみると、顔面損傷は、四肢の損傷にくらべてほぼ一・五倍という数字が出ている。
にもかかわらず、実際に治療を求めてくる者は、四肢の、それも指の欠損が、逆に八割以上を占めているんですからね。
あきらかに顔に対するタブーがある。その点では、医者仲間だって、大差なしです。
ひどいのになると、私の仕事を、金が目当ての高等美容師あつかいなんですからな……」
「しかし、外観よりも、内容を尊重するのは、べつにおかしな事でもないでしょう……」
「容れ物のない、中身を、尊重することがですか?……信用しませんね……
私は、人間の魂は、皮膚に宿っているのだとかたく信じていますよ。」
「むろん、譬喩としてなら……」
「譬喩なんかじゃない……」
おだやかながら、断定的な口調で、
「人間の魂は、皮膚にある……文字どおり、そう確信しています。
戦争中、軍医として従軍したときに得た、切実な体験なんですよ。
戦場では、手足をもぎとられたり、顔をめちゃめちゃに砕かれたりするのは、日常茶飯事でした。
ところが、傷ついた兵隊たちにとって、何がいちばんの関心事だったと思います?
命のことでもない、機能の恢復のことでもない、何よりもまず外見が元通りになるかどうかということだったのです。
はじめは、私も、一生に付しましたよ。
なにしろ、襟章の星の数と、頑健さ以外には、どんな価値も通用しなくなった戦場のことなんですからね……
ところが、あるとき、顔をひどくやられた以外には、べつに故障らしい、故障もなかった兵隊が一人、
退院まぎわになって、急に自殺してしまうという事件がおきました。
ショックでしたよ……それ以来です、私が、負傷した兵隊たちの様子を、注意深く観察するようになったのは……
そして、最後に、一つの結論に到達したわけですよ。
外傷、とくに顔面の傷の深さは、まるで写し絵みたいに、そっくり精神の傷になって残るという、悲しむべき結論にね……」
「それは……そういう場合も……あるでしょう。
しかし、いくら沢山の例があるからといって、ちゃんとした理論上の裏付がないかぎり、
一般的な法則とみなすわけにはいかないと思いますね。」
急に耐えがたい苛立ちがこみ上げてきた。
ぼくはべつに、身の上相談をしに来たわけではなかったのだ。
「現に、ぼく自身、まだそれほど深刻になっているわけでもありませんし……
どうも、申しわけないことをしてしまいました……
せっかくの貴重な時間をさいていただきながら、ひやかしみたいなことになってしまって……」
「まあ、お待ちなさい。」
自信ありげに、含み笑いさえ浮べながら、
「押しつけがましく聞えるかもしれないが、私なりに確信があって、申上げていることなのです……
もし、そのままにしておいたら、あなたはきっと、一生を繃帯したままで送ってしまうにちがいない。
現に、そうしていること自体が、いまの繃帯の下にあるものよりも、幾分かでもましだと考えていらっしゃる証拠ですからね。
まあ当分は、傷つく以前のあなたの顔が、なんとか周囲の人々の記憶のなかで、生きつづけていてくれるからでしょう……
しかし、時間は、待っていてはくれませんよ……しだいにその記憶も薄らいでいく……
さらに、あなたの顔を知らない連中が次々に現われてきて、ついには、繃帯の約束手形に、不渡りが宣告される……
あなたは、生きながらにして、世間から葬り去られてしまうんだ。」
「大げさな! 何をおっしゃりたいんです?」
「同じ身体障害者でも、手足が不自由な連中になら、その辺でいくらでもお目にかかることが出来る。
盲人や、聾唖者だって、さほど珍しいとは言えません……
しかし、何処かで、顔のない人間をごらんになったことがありますか?
たぶん、ないはずだ。連中はいったい、何処に蒸発してしまったとお考えです?」
「知りませんよ。他人のことなんかに興味はない!」
思わず声を荒げてしまっていた。
まるで、盗難届けをしに行った交番で、さんざんお説教をされたあげくに、錠前を押し売りされたようなものである。
しかし相手も負けてはいなかった。
「どうも、よくお分りになっていないらしい。
顔というのは、つまり、表情のことなんですよ。表情というのは……どう言ったらいいか……
要するに、他人との関係をあらわす、方程式のようなものでしょう。
自分と他人を結ぶ通路ですね。
その通路が、崖崩れかなにかで塞がれてしまったら、
せっかく通りかかった人も、無人の廃屋かと思って、通り過ぎてしまうかもしれない。」
「けっこうですよ。無理に寄ってもらったりする必要はない。」
「つまり、わが道を行く、とおっしゃりたいんでしょう?」
「いけませんか?」
「幼児心理学なんかでも、定説になっていることですが、
人間というやつは、他人の目を借りることでしか、自分を確認することも出来ないものらしい。
白痴か、分裂病患者の表情をごらんになったことがありますか?
通路をふさぎっぱなしにしておくと、しまいには、通路があったことさえ忘れてしまうものなのです。」
ぼくは、追いつめられまいとして、ろくに狙いも定めずに、反撃をこころみる。
「なるほど、表情のことは、そういうことにしておきましょう。
しかし、矛盾した話じゃありませんか。
顔のどこか局部だけに、一時しのぎの覆いをかけるようなあなたのやり方が、
一体どうして、表情の回復になったりするんです?」
「ご心配なく。その点なら、おまかせねがいたいですね。当方の専門なんですから。
すくなくも、繃帯よりはましにして差上げるくらいの自信はあります。
……とにかく、繃帯をとってみていただきましょうか。
何枚か、写真をとらせていただいて、それをもとに、分割消去法で、表情回復に必要な要素を等級順に選び出すわけです。
その中から、なるべく運動性のすくない、固定しやすい場所を……」
「失礼ですが……」
もう逃げ出すことしか念頭になかった。
体面をつくろうことも忘れて、ただすがるように懇願しはじめていた。
「それよりも、その指を、一本、ゆずっていただくわけにはいかないでしょうか?」
さすがにK氏も、あっけにとられたらしく、手首の腹を、膝のあたりにこすりつけながら、
「指って、この、指をですか?」
「指が駄目なら、耳でもなんでも結構ですが……」
「だって、あなたは、顔のケロイドのことでいらっしゃったんでしょう?」
「申しわけありません。駄目なら、あきらめますけど……」
「分りませんね、どうも……べつに、おゆずり出来ないわけじゃないが……
しかし、こんなものでも、案外と値がはるんですよ……
なにしろ、一つごとに、アンチモニイの型をとらなければなりませんしね……
材料費だけでも、五、六千円というとこかな……すくなく見積ってですよ……」
「けっこうです。」
「分りませんな、何を考えていらっしゃるんだか……」
分るはずがなかった……
いずれ、ぼくたちのやりとりは、ろくすっぽ測量もせずに置かれた、二本のレールのようなものだったのだ。
財布を出して、金をかぞえながら、ぼくはただひたすらに、詫びを繰返すしかなかった。
ポケットの中で、つくりものの指を兇器のように握りしめながら、外に出ると、
夕暮の光と影は、あまりに鮮明すぎて、この方がかえって作り事めいて見えた。
狭い路地でキャッチボールをしていた少年たちが、ぼくを見るなり、顔色を変えて塀にはりついた。
洗濯挟で耳をはさんで吊り下げられたような顔をしている。
繃帯をとって見せてやったら、もっと肝をつぶすにちがいない。
本気で繃帯をむしり取って、その貼紙細工のような風景のなかに飛び込んで行ってやりたいような衝動にかられた。
しかし、顔のないぼくには、この繃帯の面から、一歩だって先に進むことなど出来はしないのだ。
ポケットの中の模造の指をふりかざして、その風景を力まかせに切り裂く情景を思い浮べながら、
「生きながらの埋葬」という、K氏のいやがらせを、奥歯の詰物のようにかろうじて噛みしめる。
まあ、見ているがいい、いまに、ぼくの顔が、そっくり本物と区別できない贋物で包まれてしまえば、
どんなにつくりものめかした風景だって、もうぼくをのけものにすることなど出来はしないのだから……
ある日、南の風に空がけむり、つけっぱなしの暖房が、暑くるしく感じられるようなことがあった。
暦を見ると、もう二月も半ばを過ぎている。さすがにぼくもうろたえた。
出来れば、寒いあいだに、完成させてしまいたかったのだ。
ぼくの仮面は、質感や運動性の面でなら、ほぼ間違いのないところまで行っているつもりだったが、
通気性の処理までは、やはり手がまわりかねたのだ。
汗をかく季節になっては、いろいろと具合が悪い。
固定もしにくいし、生理的にも弊害が予想される。
……だが、S荘に隠れ家を見つけた、書き出しの部分に辿り着くまでには、
それからさらに、三月もの廻り道をしなければならなかったのである。
いったい何が理由で、そんな廻り道をしなければならなかったのだろう。
一見したろころ、仕事はいかにも順調にすすんでいた。
ぼくは二つの型のそれぞれを、空で描けるまでに習熟してしまい、
どちらかの型に属する顔を見れば、ただちに要素に分解して、想像のなかで修正してやれるほどまでになっていた。
さあ、材料は出そろったのだから、どちらでも好きな方を選べばいい。
だが、いくら二つに一つでも、規準が与えられなければ、やはり選ぶわけにはいかないのだ。
いくら赤か、白か、とせめられても、それが切符の色であるのか、
旗の色であるのかも分らないのでは、選びようもないわけである。
ああ、またもや規準ごっこ!
やはり足で歩いただけでは、解けない謎もあるということなのか。
むろん、以前と今とでは、規準の意味がちがってきている。
しかし、選ぶ対象がはっきりしているだけに、苛立たしさもまた一としおなのだった。
調和型には、調和型のよさがあり、非調和型には、またそのよさがある。
ここに価値判断を持込んだりする余地はない。
知れば知るほど、ぼくはその両者に、ほとんど差別しがたい興味と関心を抱きはじめていたものだ。
追いつめられて、捨鉢になり、いっそサイコロで決めてしまおうかと思ったことさえ何度かあった。
だが、顔に、わずかでも形而上の意味があるかぎり、まさかそんな無責任なことは出来まい。
これまでの検討の結果だけからしても、容貌が、心理や性格と、多少の相関性をもっていることは、
いやでも認めざるをえないようである。
……だが、蛭にくい荒され、空洞になってしまった自分の顔の残骸を思い出したとたん、
顔のどんな意味も一切よせつけまいとして、たちまちぼくはびしょ濡れの犬みたいに、激しく身震いをしてしまうのだった。
――心理や性格が、一体なんだと言うのだ!
ぼくの研究所での仕事に、そんなものが、何時かなにかの役に立ったことがあっただろうか。
どんな性格の人間が考えようが、一プラス一が二であることに、変りはないのである。
顔がその人間を秤る尺度になるような、ごく特殊な場合……
たとえば、俳優、外交員、接客業、秘書、詐欺師……
といった職業についてでもいないかぎり、性格などに、木の葉のギザギザ以上の、どんな意味もありうるはずがない!
そこで、思い切って、十円玉を投げてみることにする。
しかし、あまり何度も投げすぎたので、裏表平均すれば、けっきょくまた同数になってしまうだけのことだった。
ただ、幸か不幸か、顔型の結論を出さずに出来る仕事が、まだ一つだけ残されていたのである。
仕上げに使う、顔の表面を手に入れる仕事だ。
これは性質上、二度と接触の可能性のない、赤の他人から買い取るしかなく、心理的にもはなはな負担の大きなことだったから、
よほど追いつめられた状況でもなければ、なかなか腰を上げる気にはなれなかったにちがいない。
その点、すこぶるおあつらえ向きだったわけである。
もっとも、この仕事をやり終えたとたん、のっぴきならない最後通牒をつきつけられることは、
重々承知のことだったが、しかし、毒をもって毒を制するの譬えどおり、
二つの毒が相殺し合って、ぼくは束の間の平穏を手にすることが出来たのだ。
三月に入って、最初の日曜日、型取りの道具一式を鞄につめ、朝から電車に乗って、いよいよ街に出掛けることにした。
郊外行の電車は、かなりの混みようだったが、上りのほうは、まだ比較的すいていた。
それでも、何ヵ月ぶりかの人ごみは、やはりかなりの苦痛だった。
一応の覚悟はして来たつもりだったが、ドアのわきに外を向いてつっ立ったまま、
車内を振向いて見ることさえ出来ない始末なのだ。
そればかりか、むし暑いほど暖房がきいているというのに、立てた外套の襟に耳まですっぽりと埋めてしまったきり、
われながら滑稽だとは思いながらも、死んだふりをしている虫みたいに身じろぎ一つ出来なくなってしまっているのである。
こんなことで、見知らぬ他人に声をかけたり出来るものだろうか。
電車が停るたびごとに、ドアの金具をにぎりしめて、引返しそうになる弱気と闘わなければならなかった。
それにしても、一体なにをそれほど、恐がらなければならないというのだろう?
べつに、誰から咎められたというわけでもないのに、まるで罪人になったみたいに、あらぬ疚しさにすくみ返ってしまっている。
もし表情が、人格にとってそれほどかけがえのないものだとしたら、
電話でしか口をきいたことのない相手には、人格が認められないとでもいうのだろうか?
闇のなかでは、すべての人間が、互いに怖れ、疑い、敵視し合うしかないとでもいうのだろうか?
馬鹿気ている。けっきょく顔なんてものは、眼と、口と、鼻と、耳があって、
それぞれの機能が不自由なく働いていてくれさえすれば、それで沢山なのだ!
他人に見せるためのものではなくて、自分自身のためのものであるはずだ!
(いや、そんなことを気にしているわけじゃない……と、もう一人のぼくが、気まずそうに言いわけをしはじめる……
ただ、表情のない顔をわざわざ見せて、用もない他人をまごつかせることもないと思って、遠慮しているだけのことなのさ……)
しかし、本当にそれだけだったろうか。
ぼくのサングラスは、普通より濃いめの特別あつらえで、
誰もぼくの視線を感じてとまどったりする気づかいなど、少しもなかったはずなのだが……
電車がカーブして、ぼくの立っている側が西に面するようになったので、
ドアのガラスに、後ろの席にいた子供づれの家族が映し出された。
なにかの車内広告――あとで、風呂桶の月賦広告であることが分った――を指しながら、
熱心に喋り合っている若い両親の間で、その五歳ばかりの男の子は、紺のリボンがついた羅紗地の帽子のつばの下から、
いまにもおっこちそうな目つきで、じっとぼくに眺め入っているのだ。
驚異、不安、怖れ、発見、疑惑、ためらい、陶酔……と、好奇心のすべてを、そのちっぽけな瞼の下に詰めこみ、
ほとんど無我の境地におちいっているらしい。
ぼくはしだいに冷静さを失いはじめていた。
黙ってたしなめようともしない親たちも親たちだと思う。
いきなり振向いてやると、さすがに子供はぎくりと母親の袖にしがみつき、
親のほうでも、肘で小突いて、子供の不用意を叱りつけるのだった。
……黙ってその親子のまえに立ちはだかり、困惑を尻目に、眼鏡を外し、マスクをとり、繃帯を解いて見せてやったらどうだろう。
困惑が狼狽に変り、さらに哀願に変っていく。それでもかまわずに解きつづける。
効果を高めるためには、最後を一気にむしり取る。
繃帯の上縁に指をかけ、一気に下にずりおろす。
だが、現れた顔は、それまでのぼくの顔とは、もうまったくの別物だ。
いや、ぼくの顔と違っているだけでなく、すでに人間の顔とさえ、すっかり違ったものになっていることだろう。
青銅色か、黄金色、さもなければ透き通った蝋の純白さが似合いそうだ。
だが、相手には、それ以上をたしかめる余裕はない。
神か、あるいは悪魔のようだと、ちらとかすめた印象をまとめる暇もなく、親子三人そろって、石か、鉛か、
それとも昆虫のようなものに変貌してしまうのだ。
ついでに、のぞき見した他の乗客たちも、道連れにして……
ふと車内が大きくざわめき、我に返った。目的の駅に着いているのだった。
追われるようにしてホームに降りながら、ぼくは萎えるような疲労を感じていた。
ホームの端にベンチがあった。
ぼくが掛けると、敬遠されたのか、誰も一緒に掛けようとする者はなく、ぼくだけの貸切になってしまった。
渦巻く乗降客の流れをぼんやり眺めながら、悔恨のあまり、ぼくは泣き出したいような気持になっていた。
いささか、事態を甘く考えすぎていたようである。
こんな冷酷で我儘な群集のなかに、ぼくに顔を売ってくれそうなお人好しが、はたしているものだろうか?
まず見込みはなさそうだ。
仮に、誰か一人を選んで声をかけたとしても、たぶんホームの全員が、非難がましく、
いっせいにぼくを振向いてにらみつけるにちがいない。
ホームの屋根を飾っている大時計……すべての人間に共通の時……
それにしても、顔を持っている連中の、あの屈託のなさは、何ういうことなのだろう?
……顔を持っているということが、なにかそれほど重大な資格になりうるのだろうか?
……見られることが、見る権利の代償だとでもいうのだろうか?
……いや、なによりもいけないことは、ぼくの運命が、あまりにも特殊で、個人的すぎることだったのだ。
飢えや、失恋や、失業や、病気や、破産や、天災や、犯罪の露見などとはちがって、
ぼくの苦しみには、他人と共有しあえる要素が、まったく欠けている。
ぼくの不幸は、あくまでもぼくだけに限ったことで、他人と共通の話題には、絶対になりえない。
だから、誰でも、すこしの疚しさも感じずに、ぼくを無視してしまうことが出来るわけである。
そして、その無視に、抗議することさえ許されていないのだ。
……あるいは、あのとき、ぼくは怪物になりかけていたのではあるまいか。
鋭い爪をたて、電気鋸のような寒さをふりまきながら、ぼくの背骨をよじのぼって来ていた奴が、
怪物の心だったのではあるまいか。
きっとそうだ。あのときぼくは怪物になりかけていたに相違ない。
僧服が僧侶をつくり、制服が兵士をつくると、カーライルは言っているそうだが、
怪物の心も、たぶん怪物の顔によってつくられるのだ。
怪物の顔が、孤独を呼び、その孤独が、怪物の心をつくり出す。
もしも、あのこごえるような孤独が、あともうちょっぴりでも、温度を下げるようなことがあったとしたら、
ぼくを世間につなぎとめていた、あらゆるきずなが音をたてて砕け、ぼくはなりふり構わぬ怪物になりきっていたことだろう。
ぼくが怪物になったら、いったいどんな種類の怪物になって、どんな事をしでかすのか。
なってみなければ分らぬことではあったが、想像するだけでも、吠えたくなるほどの恐ろしさだった。
そろそろ午前も終りに近づいていた。
駅前の通りは、さすがに休日の盛り場らしく、ほとんど人の流れに絶え間がなかった。
その流れにまぎれ、蠅のような視線にあらがいながら、小一時間ばかりも、とにかくただ歩きつづけた。
歩く、ということには、たしかにある種の精神的な効果が認められた。
たとえば、軍隊の行軍にしても、二列、もしくは四列縦隊という隊形の型枠に流し込まれ、
兵隊たちは、ただその隊形を支えるための、二本の足だけの存在になってしまうのだ。
顔も心も失ってしまった、索漠とした荒廃感と同時に、その果てしもない歩行の反覆には、無心な安らぎがあったように思う。
じっさい、長い行軍の途中に、勃起を経験する者さえ、けっして珍しくはなかったのである。
だが、いつまでもただ蠅を追っているだけでは、どうにもなるものではない。
むしろ、こちらから、青蠅の目になって、人ごみのなかを貪婪に飛びまわってやらなければならないのだ。
そして、その中から、誰か顔の表面を売ってくれそうな人間を探し出さなければならない。
性別は男……なるべく特徴のない、平均的な皮膚の持主……
あとで伸縮は自在だから、目鼻立ちや、面積などは問わない……年齢は三十歳から四十歳……
もっとも、金でそんな注文に応じてくれる四十男では、肌も相当に傷んで、使いものにならない可能性があるから、
実際問題としては、三十歳前後ということになるだろう……
なんとか気を取りなおそうとするのだが、その努力も切れかかった電球のように息づいて、
なかなか緊張を持続させることは難かしかった。
それに道行く人々は、互いに他人であるはずだのに、
まるで有機化合物のように、しっかり鎖をつくって、割り込む隙など何処にもない。
検定済みの顔を持っているというだけのことが、そうも強い靱帯になりうるのだろうか。
おまけに、着ているものまでも、どこかで互いに符牒を合わせあっている。
流行と呼ばれる、大量生産された今日の符牒だ。
そいつはいったい、制服の否定なのか、それも、新しい制服の一種にすぎないのか。
絶え間ない変化という点では、制服の否定だろうが、
しかしその否定が、集団的に行われるという点では、やはりきわめて制服的であるように思われる。
おそらくそれが、今日の心なのだろう。
そして、その心のせいで、ぼくは異端の徒なのだった。
その合成繊維でつくられた流行の一端は、たしかにぼくの研究に支えられたものだのに、
顔のない人間には、心もないとでも思っているのか、彼等はぼくの仲間入りを許そうとさえしないのだ。
ぼくは、歩いているだけでも、もうせいいっぱいなのだった。
だが、幸運にも、せっかくの意気込みがひょうし抜けしてしまうほど、入場者はひどくまばらだった。
おかげでぼくは、いやに神妙な気持になり、ともかくそれらしい態度で、会場を一巡してみることにした。
しかしべつだん、何かを期待していたわけではない。
名前は、同じ仮面でも、能面と、ぼくが求めているものとでは、あまりに異質すぎる。
ぼくに必要なのは、蛭の障害をとりのぞき、他人との通路を回復することなのに、
能面のほうは、むしろ生に結びつくすべてを拒否しようとして、やっきになっているようでさえある。
たとえば、会場を満たしている、このいかにも黴臭い、一種末期的な空気がそのいい証拠だ。
むろん能面に、ある種の洗練された美があることくらい、ぼくにだって理解できないわけではなかった。
美とは、おそらく、破壊されることを拒んでいる、その抵抗感の強さのことなのだろう。
再現することの困難さが、美の度合の尺度なのである。
だから、仮に大量生産が不可能だとしたら、薄い板ガラスこそ、この世でもっとも美しいものとして認められるに違いない。
それにしても、不可解なのは、そんな偏狭な洗練のされかたを求めなければならなかった、その背景にあるもののことだ。
仮面の要求は、ごく常識的に言って、生きた俳優の表情だけでは飽き足らなくなった、それ以上のものへの願望であったはずだ。
だとすると、なんだってわざわざ表情を窒息させたりする必要があったのだろう?
ふと、一つの女面の前に足をとめていた。
鉤型に折れた、二つの壁面をつなぐ、中仕切の正面に、特別の意匠をこらして飾りつけられた面だった。
欄干をかたちどった、白塗りの木枠のなかで、黒い布を背景に、
その面はぼくの視線にこたえるように、いきなり顔を上げてみせたのだった。
まるで待ち受けでもしていたように、顔いっぱいに、あふれるような微笑をひろげながら……
いや、むろん錯覚だった。
動いているのは、面ではなく、面を照らしている照明のほうだった。
木枠の裏に、いくつもの豆電球が並べて埋め込んであり、
それが順に移動しながら点滅して、独特な効果をつくり出していたのである。
実によく出来たからくりだ。
だが、からくりであることが分ってしまっても、驚きはそのまま余韻をひいて残っていた。
能面には、表情がないという素朴な先入観を、なんの抵抗もなくくぐり抜けて……
単に、意匠に工夫がこらされているというばかりではなかったようだ。
その面の出来栄えも、ほかとくらべて、ひときわ目立っていたように思う。
ただ、その違いは、よく飲込めず、もどかしくてならなかった。
しかし、もう一度会場を一巡して、その女面のところに引返してきたとき、
急にレンズの焦点がぴったりと合って、その謎を解き明かしてくれたのだ。
……そこにあるのは、顔ではなかった。
顔をよそおってはいるが、実は、薄皮をはりつけた、ただの頭蓋骨にしかすぎなかったのである。
ほかにも老人の面などで、もっとはっきり骸骨めいたものもあるにはあったが、
一見、ふくよかに見えるその女面が、よく見ると、ほかのどれよりもはるかに頭蓋骨そのものだったのだ。
眉間や、額や、頬や、下顎などの、骨の継目が、解剖図を思わせるほどの正確さで浮彫りにされており、
光の移動につれて、その骨の陰影が、表情になって浮び出る。
……古い陶器の肌を思わせる、膠のにごり……その表面を被う、こまやかな亀裂の網目……
風雨にさらされた流木の、白さと、ぬくもり……もともと、能面のおこりは、頭蓋骨だったのではあるまいか?
しかし、どの女面もが、そんなふうだったというわけではない。
時代が下るにつれて、ただのっぺりとした、あの甘瓜の皮をむいたような顔に変ってしまうのだ。
おそらく、創始期の作者たちの意図を読みちがえ、ただ肉づけとしてとらえたために、
肝心の骨を見失い、単なる無表情の強調だけに終ってしまったのだろう。
それから突然、ぼくは恐るべき仮説のまえに引き立てられていた。
初期の能面作者たちが、表情の限界を超えようとして、
ついに頭蓋骨にまで辿り着かなければならなかったのは、一体どういう理由だったのか?
おそらく、単なる表情の抑制などではあるまい。
日常的な表情からの脱出という点では、ほかの仮面の場合と、おなじことだったのだ。
強いて違いを探すとすれば、普通の仮面が正の方向への脱出をはかったのに対して、
こちらは、負の方向を目指しているというくらいのことだろう。
容れようと思えば、どんな表情でも容れられるが、まだなんにも容れていない、空っぽの容器……
相手に応じて、どんなふうにでも変貌できる、鏡のなかの映像……
もっとも、いくら洗練されているからといって、すでに蛭の巣などで、こってり肉づけされてしまっているぼくの顔を、
いまさら頭蓋骨に引戻したりするわけにはいかない。
しかし、顔を空っぽの容器にしてしまった、その能面の思い切った行き方には、
あらゆる顔、あらゆる表情、あらゆる仮面を通じて言える、基本原理のようなものがありはすまいか。
自分がつくり出す顔ではなく、相手によってつくられる顔……自分で選んだ表情ではなく、相手によって選ばれた表情……
そう、それが本当なのかもしれない……怪物だって、被造物なのだから、人間だって、被造物でいいわけだ……
そして、その被造物は、表情という手紙に関するかぎり、差出人ではなくて、どうやら受取人の方らしいのである。
ぼくが顔型を決めかねて、あれこれ思い惑っていたというのも、つまりはそういうことだったのではあるまいか……
宛名のない手紙では、いくら切手をはって出しても、返送されてくるだけのことである。
……それなら、いいことがある、参考として撮り溜めておいた顔型のアルバムを、
誰かに見せて、選んでもらうことにしたら何うだろう……誰かって、誰に?
……きまっているではないか、むろんおまえさ……おまえ以外に、ぼくの手紙の受取人などいようはずがない!
デパートへ出たあと、はずみも手伝ったのだろう、つづけてもう一つ、小さな冒険を重ねてみることにした。
といっても、大したことではない、繁華街の外れの奥まった路地にある、小さな朝鮮料理屋に立ち寄ってみただけのことである。
しばらく、ろくな食べかたもしていなかったので、医の腑からの催促もあったし、
それにあの濃い味付けをした焼肉は、かねてぼくの好物でもあったのだ。
……だが、果してそれだけだったろうか。
果して焼肉だけが、ぼくをそこに立ち寄らせた動機だったのだろうか。
どこまで意識されていたかは、別問題である。
しかし、わざわざ朝鮮人の店を選んだことに、なんの理由もなかったと言っては、嘘になってしまうだろう。
ぼくは明らかに、そこが朝鮮人の店であり、朝鮮人の客が多いことを、考慮に入れていた。
朝鮮人ならば、ぼくの仮面にまだ多少の生硬さが残っていても、気付きはしないだろうという、
無意識の計算はもちろんのこと、何かそれ以上に、身近な付合い易さを感じていたように思うのだ。
あるいは、自分が顔を失っていることと、朝鮮人がしばしば偏見の対象にされることとの間に、
類似点をみとめ、知らずに親近感をおぼえていたというようなことだったのかもしれない。
むろん、ぼく個人は、朝鮮人に対してなんの偏見も持ち合わせてはいないつもりだ。
第一、顔なしの身では、偏見を持とうにもまずその資格がない。
もっとも人種的偏見というやつは、おおむね個人の思惑の外にあるもので、
歴史とか民族とかの上に多少とも影を落している以上、すでにまぎれもない実体なのである。
だから、主観的にはともかく、彼等のあいだに避難所を求めたこと自体が、
理屈の上では、やはり偏見の変形ということになるのかもしれないが……
青い煙が立ちこめていた。古ぼけた換気扇が騒がしい音をたてていた。
客は三人で、運よく三人ともが朝鮮人らしかった。
そのうち二人は、一見したところ、日本人とほとんど区別がつかなかったが、
いかにも流暢な朝鮮語のやりとりは、まぎれもなく本物であることを証明している。
三人は、昼間だというのに、ビールをもう何本も空にして、
ただでさえせわしげな言いまわしに、いっそう激しいはずみをつけていた。
ぼくはたしかめるように、仮面の頬のあたりをさすってみながら、
さっそく彼等の陽気な調子に感染してしまっていた。
というより、感染しようと思えば出来るのだという、人並みの能力に、すすんで酔おうと努めていたのかもしれない。
それとも、よく小説などに出てくる、浮浪者がとかく金持の親類の話をしたがる、あの心理に通ずるものだったのだろうか。
ともかく、安っぽいテーブルに向って、焼肉を注文している自分を、
ぼくは映画の主人公か何かのように、極彩色で感じていたものである。
壁を油虫が這っていた。
誰かが忘れて行ったらしい、テーブルの新聞紙をたたんで、その油虫を叩き落してやった。
それから、ぼんやり見出しの活字をひろっていくと、やがて求人広告の欄があり、
つづいて映画館や、ミュージック・ホールや、様々な遊び場の案内欄が並んでいた。
そして、それらの活字の組合せは、奇妙にぼくの想像力を刺戟したものだ。
その広告欄の間をぬって、謎と囁きにみちた一つの風景が開けはじめ、
休みなく続いている三人のお喋りは、ちょうどおあつらえ向きの伴奏の役目をしてくれていた。
おみくじ付きの灰皿があった。
十円入れて釦を押すと、下の穴から、マッチの軸ほどに巻いた紙の筒が出てくる仕掛けのやつである。
ぼくの仮面は、そんなものまで試したくなるほど、はしゃいだ気持になっていたらしい。
紙筒をひらくと、ぼくの運勢は次のように占われていた。
《小吉――待てば海路の日和あり。泣きぼくろを見たら西へ行け。》
思わず吹き出しそうになったとき、例の三人のうちの一人が、ふいに日本語になり、
ぼくの注文品を搬んで来ていた店の女の子に向って、こう声をかけたのである。
「おい、ねえちゃん、おまえ朝鮮人の田舎者みたいな顔だな。本当に、朝鮮人の田舎者とそっくりだぞ。」
声をかけたというよりは、むしろわめいたという感じだった。
ぼくは、自分が嘲られでもしたように、ぎくりとして、つい首をすくめる思いで娘をうかがったが、
彼女は私の前に肉の皿を置きながら、三人の高笑いに合わせて自分も顔をほころばせ、すこしも動じた風はない。
ぼくは混乱してしまう。
すると、その朝鮮人の田舎者という表現には、案外ぼくが感じたほどの悪意はなかったのかもしれない。
そういえば、そのわめいた本人こそ、三人の中でも一番無骨な感じの中年男で、
誰よりも朝鮮の田舎者という形容にふさわしいのだった。
前後の話しっぷりの陽気さから判断して、あるいは、自嘲をふくめた単なる冗談だったのかもしれないという気もする。
それに、言われた娘が、じつは同じ朝鮮人だったという場合だって、じゅうぶんにありうるわけだ。
この年頃の朝鮮人なら、日本後しか知らなくても、べつに珍しくはないだろう。
そうなると、あの表現は、自嘲どころか、むしろ好意をふくんだ肯定的な呼び掛けでさえありうる。
きっとそうだったのだ。第一、朝鮮人が、朝鮮人という文句を、否定的に使ったりするわけがないではないか。
そんなふうに、幾重にも屈折しながら、けっきょくぼくが辿り着いたのは、
ぬけぬけと朝鮮人に親近感を抱いたりしていた、浅薄な自己欺瞞に対する、耐えがたい後ろめたさだったのである。
ぼくの態度は、たとえて言えば、白人の乞食が、有色人種の帝王を仲間あつかいにするようなものだった。
同じ偏見の対象になっているといっても、ぼくの場合と、彼等の場合とでは、まるで次元が違うのだ。
彼等には、偏見の所有者を嘲笑する権利があるが、ぼくにはない。
彼等には、偏見に対して力を合わせる仲間がいるが、ぼくにはない。
もし、本気で彼等と対等の立場に立とうと思えば、いさぎよく仮面を脱ぎすて、
蛭の巣をむき出しにしてからにすべきだったのだ。
そして、顔のない化物同士をかたらって……
いや、無意味な仮説だ、自分を愛することが出来ない者に、どうして仲間を求めたり出来るだろう。
それまでの意気込みは何処へやら、急に寒々と、何もかもが厭わしく、
ふたたびあの疚しさに体の芯までいぶされる思いで、すごすごと隠れ家に引返すしかなかった。
ところが、アパートの前で、よほど動転していたのだろう、ぼくはまたしても、とんだ失態をしでかしてしまったのだ。
なにげなく、路地をまがろうとして、ぱったり管理人の娘に出っくわしてしまったのである。
娘は、壁にもたれて、不器用な手つきでヨーヨーをして遊んでいた。
ヨーヨーは、特大型で、ずっしり黄金色に輝いていた。ぼくはどきりと立ちすくんでしまう。
まったく、うかつだった。
この路地は、袋小路で、裏の駐車場か、非常階段の利用者にしか用はないのだ。
「弟」としては、はっきり管理人の家族に自己紹介をすませるまでは、仮面で裏口から出入りしたりすべきではなかったのだ。
もっとも、まだ出来たてのアパートで、住人たちも昨日、今日という新入りがほとんどだったから、
かまわず通りすぎてしまえば、それでよかったのかもしれないが……
と、一応すぐに、姿勢を立てなおしてはみたのだが、もう手後れだった……
娘のほうでも、ぼくの狼狽に、すでに気付いてしまった様子である。
どうやってこの場を切り抜けたものだろう?
「あの部屋に」、といかにも手際の悪い言いわけだとは思いながら、他に名案も浮ばぬままに、
「小父さんの、兄さんが住んでいるんだけどね……いま、いるかな?
……こんなふうに繃帯で顔をぐるぐる巻きにした人さ……知っているだろう?」
ところが、娘は、わずかに身じろぎしただけで、口もきかなければ、表情を変えようともしないのだ。
ぼくはますます慌ててしまう……やはり何かを勘づかれてしまったのだろうか?……いや、そんなはずはない……
父親の管理人のぐちを信じるなら、見掛けは一人前の少女でも、
その知能指数はやっと小学校に上ったか上らないかの程度だという。
幼いころ、熱病から脳膜炎を併発し、完全には恢復せずにしまったらしいのだ。
虫の羽のように弱々しい口もと……幼児のような顎……狭く傾いだ肩……
そして、それらと対照的な、大人っぽい痩せた鼻……
虚ろで、いびつな、大きな眼……まずそう考えて間違いはなさそうである。
しかし、娘の沈黙には、無視して通り過ぎてしまうには、やはりなんとなく、
こだわりを感じさせられるものがあったのだ。
ともかく、口だけは割らせてやろうと、その場の思いつきを言ってみる。
「すごいヨーヨーだね、うまく動いてくれる?」
すると娘は、びくりと肩をふるわせ、あわててそのヨーヨーを後ろ手に隠しながら、ひどく挑戦的な調子で答えたものである。
「私のよ、嘘じゃないわ!」
とたんにぼくは、笑い出したいような気分になっていた。
ほっとすると同時に、もうしばらく、からかってみてやりたくもなる。
心配させられた分の、お返しもあり、前に一度繃帯の覆面に悲鳴をあげたことのある相手を、
適当に翻弄してやるのも、まんざらではないだろう。
娘は、知能指数はともかく、一応出来損った妖精のような魅力はもっていた。
あわよくば、あぶなっかしくなりかけていた仮面の権威を、いささかなりとも取戻す足しになってくれないとも限るまい。
「本当かな? 嘘じゃないっていう証拠は、どこにあるの?」
「信じてもらうの、好きよ。だって、絶対に損はかけないもん。」
「信じるよ。でも、そのヨーヨーには、きっと誰か他の人の名前が書いてあるんだと思うな。」
「そういう事って、意外と当てにならないものよ。
昔々、一匹の猫が言いました……うちの猫みたいな、ぶちじゃなくて、それはそれは、まっ白な猫なの……」
「いいから、見せてごらんてば……」
「私だって、内緒事は、絶対に守るわよ。」
「内緒……?」
「昔々、一匹の猫が言いました。鼠が私に鈴をつけたがっている、さておまえさま、どうしましょう……」
「よし、それじゃ、それとそっくり同じやつを、小父さんが買ってあげようか。」
ぼくはただ、こんなやりとりを続けられるということ自体に、自己満足をおぼえていただけなのだが、
この誘いの効果は、予想をはるかに超えて現われたのである。
娘は、壁に背をこすりつけながら、しばらくじっと、ぼくの言葉の意味をはかっているふうだった。
それから、疑わしげな上眼づかいで、つっかかるように、
「お父さんには、内緒で?」
「むろん、内緒でさ。」
ぼくはつい笑いだしてしまい(そら笑っている!)笑っている仮面の効果を、意識しながら、二重に笑った。
どうやら娘も、やっと納得する気になったらしい。
棒のようにつっぱらせていた背筋の力をぬいて、下唇を突き出すと、
「いいわ……いいわ……」
歌うように繰返し、黄金色のヨーヨーを未練がましく上衣の裾にこすりつけながら、
「本当に買ってくれるんなら、返してくる……でも、本当に、黙って盗って来たりしたんじゃないわよ……
ずっと前からの、約束だったの……でも、返してくる……いますぐ行って、返してくるわね……
私って、お気に入りなのよ、なんでも、人からの贈り物してもらうのが、すごくお気に入りなの……」
壁に背をあてた姿勢のまま、横這いになってぼくの傍をすりぬけて行く。
子供はけっきょく、子供なのだ……ほっと、くつろぎかけたぼくに、すれちがいざま娘が、囁きかけた。
「内緒ごっこよ!」
(内緒ごっこ?)
……どういう意味だ?
……なに、気にすることはないさ、あんな知能のおくれた小娘に、そんな複雑な駈け引きが出来るわけがないじゃないか……
と、視野の狭さのせいにしてしまうのは、たやすいことだったが、
しかし、視野の狭い犬のほうが、嗅覚だけはかえって鋭敏だということもあるわけだし……
第一、そんな気づかいをしなければならないということ自体、
ふたたび自信がゆらぎはじめたことの、証拠のようなものだった。
なんとも後味の悪いかぎりである。顔ばかりを新しくしてみても、記憶や習慣がもとのままでは、
まるで底の抜けた桶で水をすくうようなものだ。
顔に仮面をかぶった以上は、心にだって、それにふさわしい、計算しつくされた仮面が必要なのである。
出来れば、嘘発見器からだって、付け込まれずにすむくらいの、演技とつくりごとに徹したいものである。
仮面の裏をぬぐって、型台に戻し、顔を洗って、クリームをすりこみ、しばらく、顔の皮膚を休養させるつもりで、
ベッドに横になっているうち、ここのところ続きすぎた緊張の反動だろう、
まだ西陽がかげってもいない時刻だというのに、ぼくはぐっすり寝込んでしまっていた。
そして、次に目を覚ましたのは、もうそろそろ夜が明けはじめる頃だったのである。
雨は降っていなかったが、粒子の荒い霧にさえぎられて、道路をへだてた商店街の裏は、黒々とした森のように見えた。
空は微かに色づき、やはり霧のせいだろう、いくぶん赤味をおび、いつもよりは紫がかって感じられた。
窓を開けはなって、潮風のようにねばつく空気を胸いっぱいに吸い込むと、
他人の眼のことなど少しも気にする必要のない、この隠者のための時は、
まるで自分だけのために用意された、素晴らしい特別席のように思われたものである。
……そう、この霧のなかにこそ、おそらく人間存在のありのままの姿が示されているのではあるまいか。
素顔も、仮面も、蛭の巣も、そうしたあらゆる仮の装いは、すべて放射線を当てられたように透きとおってしまい……
実体と本質だけが、なんの虚飾も残さずに洗い出されて……
人の魂は皮をむいた桃のように、直接舌で味わうことの出来るものになる。
むろんそのためには、孤独という代価を支払わねばなるまい。
だが、それだって構いはしないではないか。
顔を持った連中が、ぼくより孤独でないなどという保証は何処にもないのだ。
面の皮にどんな看板を下げていようとその中身は、いずれ難破船の漂流者と選ぶところはないはずである。
それに、孤独というやつは、逃れようとするから、地獄なのであり、すすんで求める者には、むしろ隠者の倖せであるらしい。
よろしい、それではぼくも、めそめそ悲劇の主人公面するのはよしにして、一つ隠者志願でもしてやるとしようか。
せっかく顔におされた孤独の刻印なのだから、これを有利に使わないという法はあるまい。
さいわいぼくには、高分子化学という神があり、レオロジーという祈りの言葉があり、研究所という僧院があり、
孤独によって日々の作業をさまたげられたりする気遣いはまるでない。
それどころか、これまで以上に、単純で、正確で、平和で、しかも充実した毎日が保証されるのではあるまいか。
鏡をのぞいてみる。
見知らぬ男が、ひややかにぼくを見返していた。
さすがにぼくを思わせるようなものはこれっぱかりもない。
完全な変装である。
それに、色も、艶も、質感も、まずは成功と言えそうだった。
それにしても、この空々しさは、一体どういうことなのだろう?
鏡が悪いせいかもしれない……そういえば、光線の具合にも、どこか不自然なところがあるようだ……
ひと思いに、雨戸を開けて、外の光を入れてみることにした。
鋭い光の切口が、昆虫の触角のように顫動しながら、仮面の隅々に滲みとおっていった。
毛穴や、汗腺や、局部的な組織の崩れや、細かい静脈の枝までが、くっきり表面に浮び出る。
それでも、欠陥らしいものは、何一つ認められないのだ。
なにがこの違和感の原因なのだろう。
あるいは、どこも動かさずに、じっと無表情のままでいるせいかもしれない。
生きているように化粧をほどこした、死人の顔の不気味さかもしれない。
ためしに、どこかの筋肉を動かしてみるとしようか?
まだ仮面と顔をと貼りつける接着剤――絆創膏の糊をゆるめにしたくらいのものを使うつもりである――
の準備が出来ていなかったので、筋肉にそっくり連動させるというわけにはいかなかったが、
比較的よく固定されている、鼻や口のあたりなら、なんとかそれらしい感じを験すくらいは出来そうである。
まず手始めに、唇の端に力をいれ、ほんのわずかな左右に引いてみる。
なかなかよろしい。
方向性をもたせた繊維を重ね合わせるという、やっかいきわまる解剖学的配慮も、あながち無駄ではなかったようだ。
力を得て、こんどは本式に作り笑いを浮べてみることにした。
……ところが、仮面は、すこしも笑ってはくれなかったのだ。
ただぐにゃりと歪んだだけだった。
鏡が歪んだのかと思ったほどの、変てこな歪みかただった。
じっとしていたとき以上に、死の気配が充満していた。
ぼくはうろたえ、内臓の吊り紐が切れて、胸のあたりが空っぽになってしまったような気がしたものだった。
……しかし、誤解はしないでもらいたい。大げさな身振りで、苦悩を売物にしてやろうな
どという魂胆は、これっぽっちもないのだから。
よかれ悪しかれ、これが自分で選んだ仮面なのだ。
数ヵ月もの試作を重ねたあげくに、やっとたどりついた顔なのだ。
不満があるなら、自分で勝手に作りなおせばよい。
……だが、出来の良し悪しの問題でなかったとしたら、一体どうすればいいのだろう?
今後、この仮面を、自分の顔だと素直に認めて、こだわりなしに受入れてやることが出来るだろうか?
……そういえば、ぼくを萎えしぼませているこの虚脱感は、新しい顔をめぐっての戸惑いというよりも、
むしろ、隠れ蓑の下で自分の影が薄れていくのを見るような、消滅の心細さだったような気もする。
(こんなことで、これから先の計画を、うまくこなして行けるものだろうか?)
もっとも、表情というやつは、生活が刻んだ年輪のようなもので、なんの準備もなしに、
いきなり笑おうとしたりしたのが、どだい無理だったのかもしれない。
生活によって、それぞれ反復される表情の傾向というものがあり、
それがたとえば皺になったり、たるみになったりして、定着されるわけだ。
しじゅう笑っている顔には、しぜん笑いもなじんでくる。
逆に、怒っている顔には、怒りがなじんでくる。
だが、ぼくの仮面には、生れたての赤ん坊のように、まだ年輪のひだ一つ、刻まれてはいないのだ。
四十面を下げた赤ん坊では、どんな笑い方をしたところで、化物じみるのが当然だろう。
そうとも! そうに決っている!
現に、皺をなじませる仕事は、隠れ家に行ってからの最初の計画に、ちゃんと組込まれていた。
うまくなじんでくれさえすれば、この仮面だって、ずっと身近な、あつかいやすいものになってくれるはずだ。
あらかじめ予期していたことなのだから、今さらうろたえたりする必要など、少しもなかったのである……と、
ぼくは巧みに問題をすりかえてうずいている疚しさに耳を傾けるどころか
ますますのっぴきならない深みに自分自身を追い込んでしまう結果になっていたものだ。
待ってくれ! 特別でないのは、なにも仮面の計画だけではなかったのではあるまいか?
その仮面の助けを借りなければならなかった、顔の喪失という、ぼくの運命自体が、
すこしも例外的なことではなく、むしろ現代人に共通した運命だったのではあるまいか。
……なるほど、こいつはちょっとした発見だ。
ぼくの絶望は、顔の喪失そのものよりも、むしろ、自分の運命に、他人と共通の課題がすこしも無いという点にあったのだから。
癌の患者に対してさえ、他人と運命を共にしているということで、羨望の念を禁じえなかったくらいである。
それが、そうでないとなったら……
ぼくが落ち込んだ、この洞穴が、偶然口をひらいた古井戸などではなく、
ちゃんと世間にその所在が知れわたっている、監獄の一室だったということになれば、
当然ぼくの絶望にも、大きな影響を及ぼさざるを得ないわけだ。
ぼくが何を言いたがっているのか、おまえにだって分らぬはずはあるまい。
声変りがはじまった少年たち、初潮がはじまった少女たちが、自?の誘惑を知り、
その誘惑を自分一人だけの異常な病気だと思い込んでいるあいだの、あの孤独な絶望感……
あるいは、誰もが一度は経験する麻疹のようなものにすぎない、
最初の小さな盗み(ビー玉だとか、消ゴムのかけらだとか、鉛筆の芯だとか)を、
自分一人だけの恥ずべき罪だと思い込んでいるあいだの、あの屈辱的な絶望感……
運悪く、その無知が一定期間以上つづけば、ついには中毒症状をきたして、
本物の性的犯罪者や、窃盗常習者にもなりかねない。
そして、その罠を避けるためには、いくら罪の意識を深めてみたところで、なんの役にも立ちはしないだろう。
むしろ、誰もが同じ共犯者であることを知って、孤独から抜け出すことが、なによりも効果的な解決策なのである。
そのせいかもしれない、あれから後、街に引返し、馴れない酒を飲んでまわりながら、酔いがまわるにつれて、
見知らぬ他人の誰彼に、抱きついてまわりたいほどの親近感をおぼえていたのも
――その情景については、すぐこの後にも書いてあることだし、重複は避けることにして――
おそらくは、その誰彼のなかに、互いに顔を失った同士という心安さを、薄々ながら感じ取っていたせいではあるまいか。
もっとも、隣人の親しさを感じていたわけではなく、触れる者すべて敵という、
あまりにも孤独な抽象的関係で共感し合っていたのだから、
とうてい小説のなかの登場人物たちのように、善意というほのぼのとした電気毛布の上で、
仔犬よろしくじゃれ合ったりというような場面は、期待すべくもなかったが……
だが、今のぼくにとっては、このコンクリートの壁の向うに、
同じ運命の者が囚れの身をかこっていることを知っただけでも、大変な発見だったのである。
耳をすますと、隣の房の呻吟が手にとるように伝わってくる。
夜更けともなれば、無数の溜息や、呟きや、すすり泣きが、
積乱雲のように湧き上って、獄全体を呪詛のひびきで充満させるのだ。
――おれ一人ではない、おれ一人ではない、おれ一人ではない……
日中だって、運がよければ、運動や入浴のための時間を割り振られ、視線や、身振りや、囁きなどで、
こっそり運命を頒ち合う機会にだって、巡り合わさないとはかぎらない。
――おれ一人ではない、おれ一人ではない、おれ一人ではない……
それらの声を合算してみると、この監獄の巨大さは、どうも只事ではなさそうだ。
考えてみれば、無理もない。
彼らが問われている罪名が、顔を失った罪、他人との通路を遮断した罪、
他人の悲しみや喜びに対する理解を失った罪、他人の中の未知なものを発見する怖れと喜びを失った罪、
他人のために創造する義務を忘れた罪、ともに聴く音楽を失った罪、
そうした現代の人間関係そのものを現わす罪である以上、この世界全体が、一つの監獄島を形成しているのかもしれないのだ。
だからといって、ぼくが囚れの身であることには、むろんなんの変更もありはしない。
また、彼らが魂の顔だけしか失っていないのに対して、ぼくは生理的にまで失ってしまっているのだから、
幽閉の度合にも、おのずとひらきがあるわけだ。
にもかかわらず、希望が感じられてならないのである。
一人っきりの生き埋めとは違って、この状況には、たしかに何かしら希望を抱かせるものがある。
仮面なしには、歌うことも出来ず、敵とわたり合うことも出来ず、痴漢になることも出来ず、夢見ることも出来ないという、
半端者の負い目が、ぼく一人の罪状ではなくて、互いに話し合える共通の話題になってくれたせいだろうか。
そうかもしれない。多分そうに違いない。
ときに、その点、おまえは何うだろう?
……ぼくの論法に狂いがないとすれば、おまえだって例外ではなく、当然賛成せざるを得ないと思うのだが……
むろん、賛成してくれるに決っているさ……
さもなければ、スカートにかけた手を振り切って、ぼくを手負いの猿のような立場に追い込むはずもなかったし、
仮面の罠に落ちるのを黙って見過すはずもなかったし、
また、こんな手記を書かざるを得ないような羽目に追いやることもなかったはずだろう。
おかげで、せっかく能動的で調和型のおまえの顔も、
けっきょくは仮面にすぎなかったことが、露見してしまったようなものである。
要するにぼくたちは同じ穴のむじなだったのだ。
なにもぼく一人で負わなければならない債務というわけではなかったのだ。
やはり、この手記を書いただけの甲斐はあったというものである。
まさか梨の礫などということはあり得ない。
その点についても、多分おまえは、賛成してくれるに違いない。
だから、書くことを馬鹿にしてはいけないと言っているのだ。
書くということは、単に事実を文字の配列に置きかえるだけのことではなく、
それ自身が一種の冒険旅行でもあるのだから。
郵便配達夫のように、決った場所だけを、廻り歩くといったものではない。
危険もあれば、発見もあれば、充足もある。
いつかぼくは、書くこと自体に生き甲斐を感じはじめ、
何時まででもこうして、書きつづけていたいとさえ思ったことがあるほどである。
だがこれで、ふんぎりだけはつけることが出来た。
世にも醜悪な怪物が、遥かな娘に捧げ物をするような、屁っぴり腰だけはせずにすまされそうである。
三日の予定を、四日にのばし、五日にのばして、時をかせぐような真似だけはせずにすまされそうである。
この手記を読んでもらえば、通路の復旧作業は、おそらくぼくたち二人の共同の仕事になってくれるに相違ない。
引かれ者の小唄だろうか? いや、楽観しすぎたきらいはあっても、自惚れてだけはいないつもりだ。
お互い、傷ついた同士であることが分った以上、いたわり合う気持を期待したって、べつだん差し支えはないのではあるまいか。
さあ、びくびくせずに、明りを消すとしよう。
照明が消えれば、いずれ、仮面舞踏会も幕を閉じてしまうのである。
素顔も、仮面もない、暗黒のなかで、もう一度よくお互いを確かめあったみたいものだ。
ぼくはその闇のなかから聞えてくるに違いない、新しい旋律を信じようと思っている。