そうか、日記なんか書こうとするからしんどいのか。
それなりにやっていこう。
昨日帰りながら色いろ逡巡してた。
ゃ、考えてたのはもっと早い時間からだけど。
実家のお店、好きなの。
大好き。
その大好きなお店、わたしが跡を継いだら駄目にしてしまうのが見えた。
だから、さよならした。
師匠に色いろと云われた事は、今でも肋骨の隙間できしりと棘を出す。
原理原則でしか話をしないあなたの目には、黒いものを巧く呑み込めないわたしはきっと苛立たしく映っていた事でしょう。
でも、これがわたしの歩き方。
探り方。
今でも勿論、黒いものから完全に離れて生きることは出来ない。
内側から崩れ出てくるのか、下から滲み出るのかは果たして判らない。
でも、気付けばぐろぐろと纏わり付く。
纏わり付く癖にさらりとしていて、触れなば逃れ、霧と消ゆ。
しかし、ひとたび目の前覆わば忽ちに光を奪う。
以前はその黒いものを、黒い侭に呑み込もうとしていた。
土台、それが無理な話だったのだ。
自分の体液すら、一度外に出てしまえば呑むには激しい抵抗を感じる。
最近は、人形と云う器がある。
呑み込み難い事どもを、どろどろのまま人形に注ぎ込む。
練り込んで、整えてしまう。
そうして見えた形を、改めて呑み込む。
呑み込み切ったものは、指先からまた人形に還元されていく。
消化。
昇華。
晶化。
黒鉛も金剛砂も、同じCから出来ているのだ。
などと、陳腐な喩えを。