まあ、ここは俺が勝手に思った事を徒然書くだけですから。
道というモノはどういうものだろうか?
よくあるように一本道がはるかむこうまで続いていくものなのだろうか。
それとも、道なき道を鎌を片手に自分で造り行くものだろうか。
又は、俺みたいに楕円を書きながら歩いてゆくものなのだろうか。
いや、二また三股と分かれて、取捨選択をし続けるものなのだろうか。
分からない。どれもこれもが道と言われているものをいい当てはめていると思う。
其れ以前に俺は道という抽象的な存在を一元的に求める事ができるのだろうか?
ただ、これかもしれない、あれかもしれないという可能性に振り回されているだけで。
道という存在の本質を逃しているのかもしれない。
でもだ、その場合問われている「本質」というモノはどのようなモノだろうか。
それ前に道と言うのは「モノ」と括りあげられる事ができるのだろうか。
道の付く言葉は多い、華道、剣道、武道、柔道、茶道などなど色々とある。
このものは全てには始点は存在しているが終点なんぞ無い世界だ。
終点と言えるモノはたった一つ自分の死だけだ。
だけど、その先にも続いていく道と言う概念はどこまで拡大するのだろう。
例えば、歴史なんかいい例かもしれない。歴史は歴としてただ過ぎていく時間を刻んでいくものだ。
俺らが色々と生み出してきたこの今は、未来のひとによって色々と解釈され。
俺らが生きていたという痕跡は消しきってしまうだろう、それは彼等の今では無いからだ。
彼等には彼等の生きてきたという一般生活が前提として眠っていて、俺らにはその未来の生活を想像する以外何もできない。
俺らがよりも過去に対してもそうだ、勝手な想像で彼等の生活を自分達の想像で満たす以外何もできない。
ちゅうがくせいにっき
「はじめて親のセクース現場を見た夜」編
う〜ん、一方通行以外の何様でもなくなってしまうなあ。
俺がいっている全ての事は俺が勝手に思って自分で解釈に励んでいるだけだ。
俺は他人という存在は分かる分けないし、他のひとも俺と言う者がどのようなモノかは分からない。
ただ、解釈が存在しているだけだ。自己解釈を全てだと思い、語りきったと自分で満足に励む。
学を問うと言うのもその得た知識の一方的な肯定か否定、中間論に落ち着くよう自分に説得しようとする。
結局は自己肯定にすぎない、俺が本を読んだり、人の考えに賛同するのは自分を傷つけないためなのだろう。
そうやって、ひとから逃げ続ける事を自分を自分の手で最もらしく肯定するんだ。
自分を飾る他なにもできないんだ、もっともらしく、もっともらしく。
もっともらしくというのは強い言葉、権威や権力、歴史上の偉人の言葉を使い。
自分の論じているモノを其れらしく飾ろうとするんだ、その人の枠組みの中でね。
例え、その人の論理を否定して論破しているような形にしても。
その人の文章と言う前提が絶対不可欠であり、その前提からはどのようにしても逃れ用が無いんだ。
そのような強い存在から超越しているような、避けているような文章はどのような価値も見いだすことはできない。
俺みたいに直感で自分の文章を書こうとしている人間に何も見いだす事はできない。
そうさ、自分のマスターベーションで終わらせていしまうんだ。
その先が続く事は無く、今は今と言う枠組で終わらせてしまう先と言うのがないんだ。
独りになり続けて自分への文章を綴りこんでゆく、何も無い。
何も無いから俺は書き続けるんだ、何かかけば俺の心のいる者が多少見えるんではないかと言う。
強い願望で自分の文章を綴ってゆく、そこには他人というモノは見いだせないと思う。
独りなんだよ、愉快なほどにね。この空間に関係性を見いだす事はできなくとも。
俺の勝手な事は書く事ができる、それだけで俺は十分なのさ。
どこにいこうがどこにいようが俺が永遠に独りである事には変わらないのだから。
理屈っぽいだけで背骨がない
中学生日記そのものだなW
中学生も馬鹿にしたもじゃないぞ。それどころか
巷では「小学生日記」という本が評判になってるようだし。
>>33 背徳な香りが漂うな。
メンスやら初潮やら先生やめてやら・・・
俺に何の根幹が寝ているかは分からない。
ただ今日も、徒然と自分が勝手に思い込んだ事を書き込み続けるだけだ。
俺はまともな事を書いているとは思わない、異常で常識に外れた事しか書いていないだろう。
でも、異常性や常識に外れた事を考えてみないとそこから生じるまとも、常識と言うのは見えないだろう。
まとも、常識、正しい知識、言説、能力、どれもこれもが俺らの頭の中に前提としてあり続ける。
そこからは逃げる事はできない。だが、その反対の異常、非常識、間違った知識、言説、能力。
も同時に存在している事を目を背ける事はできないのだ。
では、この二極化構造と言うのはなぜ生じてしまうのだろうか。いや、起こさなくてはならないのだろうか。
単純だ、自分というモノを巧みに守るためにある。その差別されない側になりたいがためだ。
人は皆どのような形であれ、大多数に所属したがり、自分をその空間に固まらせたがる。
その空間が思想的に思考的に社会的にどのような形であれ、大多数のほうに所属している。
これが、まとも、常識という差別空間を最も起こさせる要因なのだと思う。
又、この差別に対抗するべく少数派の人間も大多数の属する人間を同等に差別しているんだ。
一概に言いやがって、無思考共め、愚図が集まって能がない集団のくせにとか。
陰険な差別心を交換しあっているんだ、仲良くね。
う〜ん、ずれるなあ。それにしても差別と言うのは自分がまともであるほうに属していると言う。
先入観によって起こるのかもしれない、自分が大多数、相手は少数。
少数であると言う事は最大の欠点であると言う事、弱いと言う事、醜いと言う前提を勝手においている。
その考えはどこも間違っていない。だけど、自分がまともだと信じられる心は非常に羨ましいと思う。
そのまともというのを信仰している意志がまともという領域を縮小させているのかもしれない。
なんせ、俺らが生きている事がまともかまともじゃないかは分からないからね。
分からないから生きるしか今んとこ方法が無い、たったそれだけではないのかなあ。分からんなあ。
一般論だろうが、反一般論に関係なく。
論理と言うのは存在しているし、歴然とは俺らには見えない形ではあるがね。
この場合言っている一般論と言う概念は、「自分は正義を背負い込んでいるぜ」
という嫌みにしか聞こえない。又は、相手の立場を蹴落とそうとする自分から生じさせた。
差別心以外の何様でもないだろう、其れ以前に一般と言う事はどういうことだ?
論理的に証明された事か?常識や世間というモノを前提に置かれている事か?
では、常識とは?世間とは?と聞かれるような甘い点をあまりにも残している不完全な言葉だ。
俺は常識とか世間というモノは知らずの内に受け入れて、一つの普遍法みたいなものだと考えている。
その普遍法を一々言葉上にあげなければならないと言うのは。
自分が考えているそのものが常識とか世間というモノに属しきっていないと言う不安が残っているんだと思う。
属しきって日々を淡々とこなす事ができる一般人と言われるような人は自分が一般だとは一々意識はしないだろうし。
一般だと意識するのは自分が何もできない無力な存在と自分を諦観するためにしかほとんど使われない。
普通の人はこの一般と言う言葉が嫌いなんだ、使いたくないんだ、使われたくないんだ。
一般と言う言葉で差別されるのが非常に嫌なんだ、逆差別されるのが嫌なんだ。
生きると言う重みの中で言葉上のものから逃げ続けたいんだ、そのまま放置されてた方がいいんだ。
でも、放置されたくないと言う感情も存在している。独自な存在でありたいとも思っているんだ。
そのような一般と言う概念を吐き出す事が非一般的なんだ。一般と言うのを背負いきれていない人間なんだ。
哀しさが存在し続けているんだ、自分の一般さを受け入れなければならないという哀しさがあるんだ。
それがどのような恐怖か、自分に対しての悲嘆しか出てこない言葉なんだ。
そうやって俺の言葉は消え続けるんだ、自分の特殊性を信じたいと言う心と普通だと悲嘆する心。
なぜ自分の心は自分の心同士格闘したがるのだ?殺しあった先に何があると言うのだ!
栄光も屈辱も無い自問自答と言う永遠の責め苦に喘ぐだけではないか・・・。
まあ、悲嘆を付き続けると言う事だけなんだな。
ここのスレ主はミミドシマだな。
家庭訪問してやりたい気分だけど、理屈っぽい性格みたい
だから懸垂下降の刑が妥当だな!
ニセモノお前よそで文句垂れるなよ
オレは他人を思い通りにしようってことは諦めてるだろ
俺が書き込んだ事があるのはゃゃさんのスレだけですよ。
後、「オレは〜」では言葉が変ですよ。「お前は〜」と言うのが正しいのでは?
失明者に絵を描かせてみたらどのようなモノを書き上げるのだろうか?
彼等にペンのようなモノを持たせ、何かを徒然と書かせたら何を書くのだろうか。
俺らには全く理解不能なものを書くだろう。
多分、子供の絵のように線がとげとげとしたり、点が続いてくようなものを書くと予想しているが。
そもそも、彼等の世界を何かしら絵などで客観的に表す事ができるものなのだろうか?
彼等は主観的な世界でしか自分の世界を保つ事ができない弱い空間だと思う。
又、その主観性が彼自身を完全に包み上げて。一つの完璧な世界なのかもしれない。
何せ、俺らが一々気にするような美醜と言う概念は目が見えないおかげで感じる事ができない。
でも、同時に目が見えなくても縦横無尽に音と言うものを感じる事ができる。
彼等は音の世界の住人なのかもしれない、音で全てを分かる事ができる世界なのかもしれない。
音に恐怖を感じ、音に怒りを感じ、音に快楽を感じる。でも、それは常人の妄想かもしれない。
俺には分からないが常人と評される人間は五体満足が前提として立脚しており。
それに除外される形で異常者(障害者)と評される人間がいる。
彼等は俺ら常人と言われる人達によって勝手に解釈され、俺らは彼等を穢している。
そこには彼等より優れていると言う思い込みがあるからだ。
まあ、間違っていると言えるような思い込みではないが、正しいとも断言するのは難しいだろう。
思い込みには自分達が正しいと言う事を叫びたがる癖があるからだ。
その思い込みで俺らは彼等を解釈するんだ。そして、常人者の法の前提で彼等は裁かれる。
もし、俺らが彼等が持っている法の概念で裁かれたらどうなるのだろうか?
まあ、そんな事はあり得ないけどね。なぜなら、法と言うのは普遍的な価値観と言う大前提があるからね。
このように世迷い事を吐き続けるのも中々面白いものだ。
俺の考えている言葉がどこから出てくるのだろうか?思いと言うやつからだろうか。
でも、俺のこの考えは多分、体も通さなければ考え付く事が無かったからだろう。
この俺の身長、体重、顔、愚息、腹、心臓、筋肉とを使わなければこうは考えなかっただろう。
又、この体の命が十七年間も持ってくれなかったら今の俺は無いだろう。
その点から、全ての考えは体からはき出されるといっても過言ではないのかもしれない。
でも、俺らは普通この頭から物事を吐き出そうとする。
考える事を求めようとする、そこの点で矛盾してしまうんではないのだろうか?
だから、体と言う前提が必要なのかもしれない。
ちなみに、俺は身長は百七十七位で体重は六十三キロで顔は不細工とも細工がいいともいわれない。
中途半端、どっちに属しているとは言い切れない位だ。
この中途半端さが俺の断定癖と矛盾に甘える立場を作っているのかもしれない。
隔絶とした差を求めようとする所があれば、どっちだと捉えられない事も考える。
それにしても、どのようにしても自分の立場と言うのは体で感じるようなものだと思う。
体で捉える事ができないものがそれなりの立場にあがったと言う事はあまりきいた事が無い。
所謂、「学校の先生と言う奴らは世間知らずが多い」とよく言われるようにだ。
学問と言う狭い空間に満足して、それを世間と言う体でも感じなければどうにもならない空間から逃げているんだ。
でも、学問と言うのには学問と言われる位だから社会的是認性が必要だ。
学問と言うものが純然化されていけば価値観が硬直され、その次と言う行動が取れなくなってしまうだろう。
その次と言われている行動と言うものが社会性、世間と言われるものなんだと俺は思う。
まあ、どうでもいいことだけどね。
全ての学問には幾つかたどり着く彼岸があると思う。
でも、その彼岸と言うのが何時もよくよく見てみれば中州に過ぎなかったと言うのがよくある。
そもそも、俺が今思いついた学問の彼岸と言うのはあるのだろうか?
多分、求めれば其れらしきものは見いだせるとは思うが完全な彼岸だと思えない。
いや、完全何ぞ本当は求めてはならないんだろう。
実際、完璧な論理だ!という保証はどこにもないし。人はその完璧性を破壊したがる。
人がなぜ今日まで発展して来れたかという一つの回答として。
人は何でも完璧なものを破壊し、新たなる何かを作りたがると言う点に俺はあると思う。
まあ、逆にその完璧性を金科玉条のように崇めたて保守しようとする意思も存在するけどね。
これは学問の世界だけではなく色んな世界にも当てはめられる。
最も単純な二極化なのだと思う。まあ、そんな簡単ではないけどね。
さすれば、人はものすごく曖昧な形である事は確かだが。
極に分けるのであれば、人は守ろうとするのと革新(破壊)しようとする意思に分かれると思う。
又、この二つの考えを人は右に左にうろちょろしながら選別している。
この二つの極にはそれなりの正当性を信じたひと達がいて、その中で踊り狂っているのである。
何故、踊り狂っているかと言うとその当事者は自分はまともだと思っているが。
第三者が端から見ればそれはただの狂奔のようにしか見えないからだ。
それは特により普通のひととは関係ないと思われる所でよく見かける。
例えば、よくわからない哲学オタクが差異やら、脱構築やらよく分からん言葉を話しているのと同じように思える。
そうするとまともと言う概念はどこにいってしまうのだろうか?
それは抽象的ないい方だが「自分の足下にあって、当たり前と信じれるもの」という概念なんだと俺は思う。
まあ、どうでもいいことだが。
整理してから書けよ、馬鹿が
44 :
夢見る名無しさん:04/07/05 23:21
nakami ga nai kara seiri ha dekinai
.. 冂
. /ニ:ハ ..。o O(うわぁ・・・♪)
|緑::|
|茶::|
( ´∀`) <なんかすごい・・・・。
( つ旦)
とLl 峠l) .. _。_
..c(__ア 旦
とりあえずお茶はいたただきますよ。つ旦
夜、散歩をしていると自分のペットに光る首輪をしているのをよく見かけるが。
動物はそもそも闇を嫌っているのではなくて、闇に溶け込もうとしているんだ。
闇に溶け込んで自分の存在が外敵から見えないようにする。そこで、危機を回避しようとする。
でも、人と言うのは非常に闇をものすごく嫌う。
人はその闇と言う空間を科学技術というので闇を消し。一つの光の世界に変えようと努力してきたんだ。
それは火を発明した最もな理由なんだと思う。その火の明るさで闇と言う世界を消し去っていこうとしてきたんだ。
だけど、其れは人間の独自の世界観であって他の動物にそう適用できるとは思えない。
例えば、猫なんかいいかもしれない。
猫は茶色や黒や灰色とかが圧倒的に多いと思う。白猫と言うのはあまり見ない。
それには夜と言う外敵があまりにも多い空間に適応するために色が闇に溶け込める色になった。
それが自然なような気がする、俺にはね。
そう、人はその自然に逆らって自分達にとって都合のいい「自然」と言うのを造って来た。
人間に都合のいい「自然」の概念から離れた自然と言うのは。
極端に言えば「そのまんま」であること。地震が起こったり、火山が噴火したりしても。
それは自然による必然な営みである事を容認して何も人間的行動を全く起こさない事だと思う。
だが、それではあまりにも人間に不都合であるが故に自然の行動をある程度予測し対応するという。
人間のエゴに基づいて自然を自分達の都合よく変革させる「自然」
これを皮肉って人間にとって「至善」である方に変えていった。これを発展とも言う。
その「至善」を人は傲慢にも全ての動物に対しても無意識の内に為すようになっていった。
まあ、悲嘆するべきか発展として喜ぶべきかの2択問題には、俺はしたくないけどね。
まあ、どうでもいいことだ。
今日も徒然、明日も徒然書いていくだけですから。
愛の反対が無関心であるなら、憎しみの反対も同じように無関心になるのだろうか。
カッとした怒りも、静かに込み上げるこの憎しみも最後には無関心、忘却によって昇華される。
最近、気が付いたんだけど。タバコを吸うと今自分がどのような精神状態がかよく分かる。
心が変に重く沈んでいる時は完全に鬱の状態で、逆に心がういている時は完全に躁の状態なのが分かる。
躁の状態に第三者からの影響を受けると大抵が深い憎悪に変わって。心の底から憎しみが込み上げるのが分かる。
逆に、鬱の状態になるとこれが軽蔑と嘲笑に変わる。
何もする気がなくなって相手に対しての一瞬の激情を殺しきって。
心の底でその存在を冷たく嘲笑いながら、ほどほどの事を言っといて。
その存在を放置しとく、ありきたりな言葉なんて面白くないし、感じたくもないからね。
そうすると大抵の場合、俺に対して強い憎悪をあらわにして対抗してくる。
ああ、そうそう。ここで「お前に呆れているんだよ」とは言わせないよ。
呆れているのなら、俺の存在を放置してそのままにしといて。俺に対して何も反応しないでしょ?
前も書いたけど、俺を静かに嘲笑っておれより上の立場に付けばいい。それで十分なはずでしょ?
それができないのは俺という存在が不安で気になっているのさ。それで、こんなクソの文章と煽りながら。
真面目に読んではそれだけのことしかかけないのだから、矛盾している自分に耐えきれなくなっているんだろ。
その矛先を俺に目指して、俺の責任に転化してその上で自分への満足陥っていく。
俺はねえ、自分への満足に走る事は何も否定しないし。実際、俺もよく使う手だ。
ただね、見てて穢いんだよ。美醜に対して何も感じないその心を俺は特に軽蔑するね。
まあ、これを痛いレスを晒すスレにでも晒して下さいな。
でも、端から見れば晒される側より。一々、晒す側のほうが痛い事に気付いて欲しいけどね。
さて、勉強するか。
>天意即妙と言う言葉があるが
無いよ。
いやはや、ご忠告ありがとうございます。
当意即妙でした。すいませんでした。
今日は七夕らしいですね。まあ、俺みたいなオタクには関係ない話だけどね。
それにしても、本当に季節感がなくなっていくなあ。ただ暑くなっては、寒くなって。又、温かくなっていく。
ただ、漠然と繰り返していくだけで何の感傷が起こる事がなくなりつつあるというのは少し哀しいような気がする。
それが、慣れと言うやつなんだろうか。生きると言う事もただの強制として受け入れてそのまま消え去る。
そうやってただただ死んでいく、何も価値も意味も見いだす事無く死んでいく。
だけど、それが一番正しいような気がする。
なぜなら、自分と言う存在に何かを見いだす事ができる人間と言うのはあまりにも少なく。
又、彼等を歴史に残るように賛同されたり、軽蔑されたりしたにはそれなりの才や力があったからだ。
結果として、英雄として名をはせ永遠に讃歌されようが。悪雄として名を貶されようが。
彼等は自分なりに生きていった、それを否定する事はでき無いと思う。
それは自分達にも言える事だと思う。ただ今は漠然とだが生き続けねばならない。
ちょっとしたことでその生きる事によって何かを見いだす事ができたのであれば。
それは天命であり、喜ぶべき事でありながら。一つの悲劇なのかもしれない。
なぜ、一つの悲劇かと言うと傍観者であった立場が当事者に変化してしまったからだ。
しかも、強烈な当事者に変化する事がどれだけ重い事だろうか?俺には想像できない。
そして、傍観者その悲劇的な当事者を嘲笑い続けて。彼等の名を落とそうと叫び続けるのだ。
彼等も同じ当事者であるのにだ。でも、彼等は気付く事は無いだろう。
歴史というモノが特殊なものだと信じている限りね。
まあ、「歴史はその当事者ではなく、その後の当事者たちによって作られる」のだから。
その言葉を金科玉条として信じ続ければ、自分の立場を常に傍観者に変化する事ができるのだから。
まあ、どうでもいいことだ。
拒絶者の母です。文章がどうのこうのと仰る方のために、私が一部手直ししたいと思います。
ヒマだなあ、とか言うのは止して下さいね。
なぜなら、自分の存在に何か意義を見出すことのできる人間はあまりも少ない。
そのような人間は、讃えられたり軽蔑されたりすることで歴史にその存在の刻印を残すが、
それは彼らにそれなりの才や力があったからだ。
しかし、結果的に英雄として名を馳せ永遠に賛美されようが、梟雄として名を穢そうが、
彼らは自分なりに一人の人間として生きていったのだ。それを否定することはできないと思う。
それは俺らにも言えることだと思う。
ただ今は漠然とだが生き続けなければならない。
(↑ここの部分は何が言いたいのか母にも分かりませんでした。)
生き続けるうちに、ふとしたことで自分の存在の意味や価値を見出すことができたのであれば、
それは天恵であり、喜ぶべきことだろう。しかし、同時にそれは一つの悲劇なのかもしれない。
なぜならそれは、歴史おける傍観者から当事者へと、その立場が変わってしまうことを意味するからだ。
しかし、強烈な存在感をもった当事者へと変わることが、どれほどの重みをその人の生に課するのだろうか?
(↑だれにとって「重い」のかよく分かりませんでしたが、このように解しておきました)
俺には想像もつかない。
(ここまでと下の行との間に飛躍があるのですが、そのまま続けます)
そして、傍観者はその悲劇的な当事者を嘲笑い続けて、彼らの名を貶めようと叫び続けるのだ。
彼らも同じ当事者であるのにだ。でも、彼らは気づくことはないだろう。
(歴史に傍観者も当事者もないという視点を、説明もなく導入してますが、あしからず。)
歴史というものが特殊な人間達のものだと信じている限りね。
まあ、「歴史はその当事者ではなく、その後の当事者たちによって作られる」のだから。
(カギカッコで括ると、普通はどこかから引用したことを表すのですが、出典は分かりません。あしからず。)
その言葉を金科玉条として信じ続ければ、(あんまり聞いたことのない言葉なのに、
金科玉条として信じる人なんているのかなあとも思うでしょうが、あしからず)
自分は常に傍観者の立場に安住し続けることが出来るのだから。
まあ、どうでもいいことだ。
知ったかぶりと言うが。知ったかぶりと言うのはその物事に浅いと言う事だった気がする。
でも、その知ったかぶりをしている人間をしったかぶっていると指摘している人間は、
それは自分の知識が間違い(しったかぶり)ではない、という前提を置いている事に気付く。
その前提は常識であり、既存した概念であったり、世間や社会と言う形であったりもする。
そこには共通されるべき意思が存在して、一つのルールを作っている。
例えば、漢字テストとかで几帳面な先生はちょっとした飛び跳ね払いの不注意で×食らうが、
そこには漢字と言う、既存した形があり。それに基づいて正しいか間違いかをつける。
まあ、当たり前の事だけどね。
基礎的なもの(ルールに沿っているもの)が俺らの周りで一つの絶対性を作っているとしても。
ひとが述べる論理と言うのには確実に唱えられるような絶対性が存在しているのだろうか?
確かに、ひとが述べる個々が持っている論理には何かしらの根幹が絶対的にある。
まず、日本人として話すためには日本語と言う前提が存在しているし。
他にも、言葉の形と言うのを間違えてはならないという前提もあれば。
自分が言った言葉が抽象的な意味しか持ちえていない言葉には自分の考えているものとしての解釈が必要となる。
では、その抽象的な言葉をしったかぶりだと非難する事は可能なのだろうか。
その抽象的な言葉としての意味は個々の解釈に完全にゆだねきっているわけだ。
そのような個人個人で独特の意味にされている言葉をを第三者が何かしら関与できるのだろうか。
確かに、本のように絶対的に第三者を説得しようとしている前提があるのなら。
それは筆者の意思が関与性を求めているのだから、説得性を持ちえねばならないが。
俺みたいに下らない独り言を綴っている人間は何かしらの説得性を持たす意味があるのかなあ。
まあ、どうでもいいことだ。
ヤバイ!悪化してるぞっ!!
昔の自分に戻りたい
そうやって、現実から逃避したいと言う意思を曲げて解釈していくんだ。
でも、現実と言う大きな鍋からは人は逃げ出す事は不可能なんだ。
なぜなら、俺らは生まれつきその大きな鍋に入って。適当にかき混ぜられ、煮られたり焼かれたりしている。
ただの野菜の一片にすぎない者が何を叫ぼうとも料理人には何も聞こえないだろう。
料理人にとって野菜や肉なんぞただあるもの、食い物以上の存在には絶対的になりえないからだ。
だけど、この野菜や肉には料理人から見れば下らない自我がある。
自尊があり、欲求があり、満たされたい叫び。時たま、料理人に対して油を跳ねさせたりして反抗する。
そしたら、料理人はどうするか。
何、料理人はそれが無駄な抵抗である事を知っている。そのまま無視して料理し続けるだけだ。
まあ、その無駄な抵抗が思わぬ方向に飛んでいって料理人を浅くとも深くとも傷つける事があろうとも。
何も問題は無い、怪我を医務室に行ってその部分を少し治療すればいいと言う事だけだ。
そして、その中断した調理を生ゴミにストレートに入れるか。又は、他の調理人が続けるという事だけだ。
そうして、何も滞る事無く料理は完成してお皿に綺麗にもられ客の口の中に自動的に入っていく。
その際に使われた鍋は軽く洗われて、新たなる料理のために使われるのを待ち続けるのだ。
だが、その使われた鍋もいずれは壊れるし。料理人も歳を喰うか、事故かでいずれ死ぬ。
それが遅いか早いかの違いに過ぎない。
このような正当的な惰性が日々こなされて、当然のように見られ続けるんだ。
一つの枠組みの中に俺らが溶け込んで一つ一つを適当に処理されていって。
そのまま、消えていく。いや、その枠組みが自分自身になるかもしれない。
という哀しい希望を見いだしても仕方が無い、俺らは鍋に炒められるもの。
客にもなれんし、調理人にも、鍋にも、残飯回収業者にも成れない。
現在と言う枠組みの中ではね。まあ、どうでもいいことだ。
このような抽象的な事を書くと絶対に誤解する人間がいるのはもうどうでもいいことだが。
俺がここに世迷い事を書くのは自分の記憶力に全く自信がないからであって。
俺のスレは根本的に妄想を書き溜めていくだけであって。何かしらの関与を求めているわけではない。
まあ、公開日記みたいな場所だから少しは望んでいるのかもしれないが。
その矛盾性を一々解いていったら果てしなく切りがないので止める。
この矛盾点と言うのは人の感情というモノ、行動というモノは一概に問えないからかもしれない。
1と言う考え方があるのは、その1とは反逆する形としての−1があるからであり。
−1の考え方に対応して考え結んだ絶対値的な関係のような気がする。
例えば、「愛」というと瞬時に嘲笑うものと無闇な期待感に溺れるものとで分かれたりする。
同時にその中には宗教的なモノの「愛」、感情的な「愛」、自分が満たされたいが故の「愛」など。
多元的に分かれていく、この場合の多元的と言うのは基本形の1というモノの上に乗ったモノ。
それは近似値と言う関係ではなく。何というか、1というモノを個々に解釈した1。
近似値と言うのは別の値なのだがよりその値に近いものであって。この場合はそのような関係ではない気がする。
1と言う前提上の別界と考えた方がいいのだろうか
56 :
夢見る名無しさん:04/07/10 08:03
「文章力がないと、考え方も精密さを欠くようになります。
大ざっぱになったり、センチメンタルになったり、論理が乱暴になったり。
文章力と思考力とはペアになるわけですね。」
本当にその通りですね。
○自分の脳内でもわからないことを説明しようとしても他人には当然わからない。
○見よう見まねな語彙や文体で書かないで、自分の言葉で言いたいことを書いてみよう。
○本を読むときは、語彙や文体にばかり心を向けるのをやめ、内容や論理の筋道を読み取るようにしよう。
>俺のスレは根本的に妄想を書き溜めていくだけであって。何かしらの関与を求めているわけではない。
ではメモ帳に書き続ければよいではないか。
反応が欲しくてnetに書いているのだから、批判があってもしょうがない。
批判的な書き込みをする人に対して見なければいいじゃないかと貴方が言う以前に、
批判的な書き込みがいやであればnetに書かなければいいじゃないかということが言える。
ここは、誰でも見れる公然のスペースである。
貴方の書くことにそれなりの内容があれば、貴方に賛同する理解者からの書き込みは増えるだろう。
いやいや、彼の場合は語彙の用法や文体が独りよがりに過ぎて論理があやふやになってるのだから、
論旨の明確な文章の見よう見まねからやり直す必要があるのじゃないかな。
そうやって、あなた方は俺に対して自分のセンチメンタルをなすりつけるわけですね。
何かの文章で俺を否定しようとしても、肯定しようとしても俺には全くを持って関係ない。
俺の思考に何を与えると言うわけではないですし、俺はただこの場で徒然と書き込むだけなんですよ。
正直言って、何も書き込んで欲しくないんです。
そもそも、この板で書き込んでいる理由は夢・独り言板だからです。
何か関与性をもとめているのなら、なれ合い、自己紹介板の方にいくと思います。
確かに、メモ帳に書き込んでいった方がいいかもしれません。
でも、自分は字を書くスピードが非常に遅く。又、手で書いていくとより文章が変な方向に行ってしまうのです。
といっても、自分のホームページを作るのはめんどくさいですしね。
だから、めんどくさくなく都合のいい場所。
それが、俺にとって2ちゃんねるの夢・独り言板だったということなんですよ。
内容があろうがなかろうがそれはあなた方の考えであって自分の考えではありません。
自分の頭が浮かんだものを自分で好き勝手に書き込んで自己満足していく。
だけど、それはあなた方にも当てはまるんですよ。俺を批判したくてしょうがない、肯定したくてしょうがない。
批判しては自己満足して、肯定しては自己満足して、そこには俺と言う存在が入る所なんてないでしょ。
結局は自己満足のなすり付けあいになって人を思い込みで裁きあっては。
公然のスペースで貴方も俺も自己満足でオナニーしあっている。
人のオナニーを否定する、肯定するオナニー。
さすがオナニー大国日本だな。自分のオナニーが当たり前になっているとはな。
そして、はあ駄目だなと自分に対して言う。貴方の考えも俺の考えも他者が入る余地を入れない。
はあ、駄目だな。
このように独り善がりな事を吐ける場所。
正しく、夢・独り言。
ねっ、このように世の中ってうまくできてるでしょ。
まあ、俺の言う事は自己満足にすぎないから。批判しようが肯定しようが全くの無意味。
だから、別スレで感じた事を書くスレや晒すスレに言って、自己満足して下さいと言う事です。
まあ、駄目だな。
>でも、自分は字を書くスピードが非常に遅く。又、手で書いていくとより文章が変な方向に行ってしまうのです。
ここがよかった。
>正直言って、何も書き込んで欲しくないんです。
>確かに、メモ帳に書き込んでいった方がいいかもしれません。
>でも、自分は字を書くスピードが非常に遅く。又、手で書いていくとより文章が変な方向に行ってしまうのです。
アクセサリの中に入っているメモ帳とかワードにつれづれと書けば、あなたにとって非常に合理的です。
これをしないでわざわざnetで公開するのも何かあなたにとっての利益があるのですよね?
>といっても、自分のホームページを作るのはめんどくさいですしね。
>だから、めんどくさくなく都合のいい場所。
>それが、俺にとって2ちゃんねるの夢・独り言板だったということなんですよ。
どういったことにおいて都合が良いかわかりませんが、
この板は自分以外書き込めない板ではないしそのようなルールもありません。
現実に、スレ主とそれ以外のコミュニケーションはいくらでも発生しています。
>まあ、俺の言う事は自己満足にすぎないから。批判しようが肯定しようが全くの無意味。
>だから、別スレで感じた事を書くスレや晒すスレに言って、自己満足して下さいと言う事です。
結局何が言いたいのか分かりませんが、今回もおっしゃるとおり批判させていただきます。
利益といっても自己満足だけですよ。
何となく、自分がこれだけ考えたんだと確認して満足するそれだけですよ。
いいかい、君みたいな事を一々言いはじめたら。
夢・独り言板の地下スレなんてだいたいが自己満足ですよ。何の利益でやっているのか分からないようなね。
もっと拡大解釈すれば、2ちゃんねるという空間自体が自己満足ですよ。
情報が右から左には動いて、情報が情報を飲み込んで自分の正当性を叫びあっては。
相手の気にくわない意見を論破して潰しあったり、馬鹿だと軽蔑しあったり。
端から見ればこれに何の意味があるかは分からない、利益があるかは分からないでしょ。
同時にその中(2ちゃんねるという空間)にあなたもいる事に気付いていない。自己矛盾しているんですよ。
よくよく、考えてみればこの空間ほど非合理的な空間ですけど。
あなたもこの非合理的な空間にいると言う事は全くを持って矛盾しているではないですか。
でしょ?貴方みたいにわざわざ合理的ですと俺に説ける人間なのでしょうからね。
独り言という立場で語っている人間だから、何かと関係性と言う前提でやっていないの。
だから、地下スレの如く誰にも無視された形で徒然と書きたいと言うわけなんだよ。
俺は、前置きからコミュニケーションをするという前提をまず断っているんだ。
全体としてルールというのは無くとも、スレ主さんがそういうのだからこのスレではこういうルールなの、分かる?
ルールと言う概念は千差万別で存在しているわけ、とくにこの板では暗黙的なルールと言うのが多いのよ。
君が持っているルールという概念が当てはまらなくても、そのようなルールって言うのは世の中にはあるんだよ。
君、そんな事も分からないの?俺がこう語っているのは結局は自己満足。
その語っている事に口出ししたいのも貴方の自己満足と言う事。
このような相関関係が起こってしまうから、貴方が俺に何いおうが無意味と言う事。
64 :
夢見る名無しさん:04/07/12 18:46
自己満足は自己満足でも、根拠なき自己満足は煽られて当然だぞ。
65 :
夢見る名無しさん:04/07/12 18:50
オナニーはオナニーでも、公園でのオナニーは糾弾されて当然だぞ。
>でしょ?貴方みたいにわざわざ合理的ですと俺に説ける人間なのでしょうからね。
>独り言という立場で語っている人間だから、何かと関係性と言う前提でやっていないの。
小学生でも他人に見られたら恥ずかしくなるような文だな。
本人はどこが可笑しいのか分からないんだろうけど。
>>63 全く独りよがりのレス。
あなたの2chの解釈をみんなのそれと同じであると考えている前提が間違い。
あなたの脳内解釈=他人の価値観では無いという事実をまず知るべき。
よって、
>同時にその中(2ちゃんねるという空間)にあなたもいる事に気付いていない。自己矛盾しているんですよ
これは論理的に成立しない。
>でしょ?貴方みたいにわざわざ合理的ですと俺に説ける人間なのでしょうからね
これはあなたの願望でしかない。
>君が持っているルールという概念が当てはまらなくても、そのようなルールって言うのは世の中にはあるんだよ。
揚げ足だが、そのようなルールはない。それはマナーという。
>独り言という立場で語っている人間だから、何かと関係性と言う前提でやっていないの。
>だから、地下スレの如く誰にも無視された形で徒然と書きたいと言うわけなんだよ。
>俺は、前置きからコミュニケーションをするという前提をまず断っているんだ。
上を読んでみても
結局、
>>正直言って、何も書き込んで欲しくないんです。
>>確かに、メモ帳に書き込んでいった方がいいかもしれません。
>>でも、自分は字を書くスピードが非常に遅く。又、手で書いていくとより文章が変な方向に行ってしまうのです。
>アクセサリの中に入っているメモ帳とかワードにつれづれと書けば、あなたにとって非常に合理的です。
>これをしないでわざわざnetで公開するのも何かあなたにとっての利益があるのですよね?
この質問には何一つ答えていないから、こちらとしてはループするレスを返すしかない。
つうか関りたくないのであれば、無視しろよ(w
あはははーーー
必死で「関係ない関係ない」とか言い張ることで構築される関係性。
貴方はそうやって俺の言っている事を完全に無視するんですね。
いいですか、俺の脳内価値観≠貴方が問う客観性であって。
この場合、貴方がとっている他人の価値観は貴方の自身の価値観を主にとっているんですよ。
そもそも、他人の価値観なんて問い出したらキリがありません。
貴方に近い価値観もあれば、俺に近い価値観もある、他にも色々と2ちゃんねるに対しての価値観があるわけです。
>よって
なんて、数学の証明ではないのですから。そう単純に出せる言葉ではないのですよ。
貴方は論理なんて説いているけど、貴方は自分の言っている事を正当化させるために具体例を出しましたか?
>あなたの2chの解釈をみんなのそれと同じであると考えている前提が間違い
なんておっしゃってますが、俺は自分の考えている事をかいただけで。
自分の論理に普遍性があるなんて一言も言ってません。過大解釈しているのは貴方の方ではないのでしょうか?
>そのようなルールはない。それをマナーという。
ルールは規律であり、マナーは行儀作法です。
ルールは普遍的なものであり皆に強制的にかされます、マナーは個人に課せられる美徳と言うべきでしょうか。
例えば、2ちゃんねるでは荒らしをするとレスの書き込みができなくなる。
これは2ちゃんねるのルールです、ルールを違反すると其れ相応の罰則が科せられる訳です。
でも、2ちゃんねるのように文字世界の場合。ルールとマナーが一緒になっていると言う場合があります。
例えば、人のスレでレスする時。荒らさないと言うルール、話の流れを潰さないとルールが暗黙裏に存在します。
又、人を無闇に罵倒しないとか、否定しないと言うのもあります。これはマナーと言えるでしょう。
そうしないと最終的には誰も相手してくれなくなる。無視と言う状況が起きます。
それはそのスレのひと達が持っていたルール、自分にかしているマナーを破ったからとも言えましょう。
どっちかは分かりませんが。でも、あらした本人はルールを破り、マナーも穢した訳なのです。
このようにルールとマナーと言うのはこの空間では別々には見えにくいのですよ。
最後に、書いたと言うのが自己満足させるわけですから。
この空間に書いてみられると言うので自分の満足が満たされるんだと思います。
だから、見られたくないのに見られたいと言う矛盾が生じてしまう訳です。
まあ、そうやってあなた方も俺に対して関係性を求めるこの矛盾。
人の心と言うのは不思議ですね。
はあ、駄目だな。
もうちょっと冷静に。
>貴方がとっている他人の価値観
意味不明。こちらは一度も他人の価値観(?)は述べていない。
言いたいことは、他の人が、
>夢・独り言板の地下スレなんてだいたいが自己満足ですよ。何の利益でやっているのか分からないようなね。
>もっと拡大解釈すれば、2ちゃんねるという空間自体が自己満足ですよ。
>情報が右から左には動いて、情報が情報を飲み込んで自分の正当性を叫びあっては。
>相手の気にくわない意見を論破して潰しあったり、馬鹿だと軽蔑しあったり。
であるといい、(十把一絡げに想像で決め付け)
>端から見ればこれに何の意味があるかは分からない、利益があるかは分からないでしょ。
と言い(他人にとっての利益があるかどうかはあなたが決めることではない)
>自己矛盾しているんですよ。
と断言するのはおかしいと。
>貴方に近い価値観もあれば、俺に近い価値観もある、他にも色々と2ちゃんねるに対しての価値観があるわけです。
まさにあなたに向けられる言葉。
そして、
>>正直言って、何も書き込んで欲しくないんです。
>>確かに、メモ帳に書き込んでいった方がいいかもしれません。
>>でも、自分は字を書くスピードが非常に遅く。又、手で書いていくとより文章が変な方向に行ってしまうのです。
>アクセサリの中に入っているメモ帳とかワードにつれづれと書けば、あなたにとって非常に合理的です。
>これをしないでわざわざnetで公開するのも何かあなたにとっての利益があるのですよね?
この質問には何一つ答えていないから、こちらとしてはループするレスを返すしかない。
自己満足では質問の答えではないことくらいわかるでしょう。
>貴方はそうやって俺の言っている事を完全に無視するんですね。
>ルールは普遍的なものであり皆に強制的にかされます、マナーは個人に課せられる美徳と言うべきでしょうか。
>例えば、2ちゃんねるでは荒らしをするとレスの書き込みができなくなる。
>これは2ちゃんねるのルールです、ルールを違反すると其れ相応の罰則が科せられる訳です。
>でも、2ちゃんねるのように文字世界の場合。ルールとマナーが一緒になっていると言う場合があります。
>例えば、人のスレでレスする時。荒らさないと言うルール、話の流れを潰さないとルールが暗黙裏に存在します。
言葉の定義云々無しに考えてもつじつまがあわない文章。
>ルールは普遍的なものであり皆に強制的にかされます、
>ルールとマナーが一緒になっていると言う場合があります。
>例えば、人のスレでレスする時。荒らさないと言うルール、話の流れを潰さないとルールが暗黙裏に存在します。
75 :
夢見る名無しさん:04/07/13 21:43
高校生でこれだけの長文を書けるのは、結構スゴイと思った。
支離滅裂な内容、語法・文法メチャクチャではあるけど。
これからもうチョット勉強すればスゴイ文章を書けるのかなと思った。
でも、、、
思い込みが激しく自分の非が分からないようなので、
見込みは全く無いなって最終的に思った。
放置しておいてあげようよ・・・
阿呆を見つけたら、消えない程度にいじり倒せ!
これが2ちゃんにおけるルールだ!