週末なので兄が家に帰ってきた。
昨日部屋に置いておいた煙草をしっかり吸っている。
隣の部屋でプリンスを大音量で聴いている。
僕は自分のプレイヤーを切って出かけることにした。
とりあえずしけっていない菓子が欲しいのでコンビニに出かけた。
自転車に乗ると小雨がパラついたが、気になるほどじゃない。
コンビニに着くと燕の鳴き声が聞こえる。
今年の春にできたばかりのコンビニにもう燕は住みついている。
モダンペッツの食玩欲しさに711に来たが、
人形ばかりで菓子のほうがない。
仕方なしに不二家のキャンディを三つほど買い、店を出る。
スーパーのそばを通ったところで、親子連れがカキ氷を回して食べていた。
じっとりとした風景にブルーの氷が浮いて見えた。
帰宅すると兄は父親と出かけていた。
車のオイル交換と、どこか気晴らしに出かけるという理由で。
今日は友人に夕飯を一緒に食べにようと誘われていたが、
なんとなしについでの誘いのようにしか思われなかったので断った。
暇を持て余し、玄関先の例の指輪を見に行く。
指輪はまだあった。湿り気だけを帯びて。
n,,,,,,n
ミミミヾミ゙::::・::::::・ヽ <糞スレずざーーーー!w
ミミヾ/ゝ;;;;;;●;;) (´´
ミミヾ|::( ´ー`)ノG□~ (´⌒(´
゚ ○―○ ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
八時半ごろK-1を見ていたら玄関のチャイムが鳴った。
母親が出ていき、僕が母親の代わりにガスコンロの火を見ていると
今度は自分が母親に呼ばれる。火を止めて玄関に行く。
すると小学生くらいの男の子がいた。
一瞬外の指輪を置いた場所に目が行く。
「亀が欲しいって言ってるよ」
「はぁ?」
予想外の母親の言葉に僕が拍子抜けした声を出すと、
男の子は俯いてしまった。俯いてはいるが、
気の強そうな感じのする低学年ぐらいの子供だ。
俯きながらも視線は靴箱の前に置いた亀のケースに落ちている。
場の空気が停滞してしまったので、とりあえず僕は確認の意味で彼に尋ね返した。
「亀が欲しいの?なんで急にウチの亀なわけ?」
すると彼はもごもご喋った。
彼は小学校に通うのにうちの前の道を毎日通っているそうだ。
一昨日もいつものようにうちの前を歩いていたら、
野良猫がうちのカーポートに潜り込もうとしているのを発見したらしい。
彼が暫く様子を窺っていたら猫が玄関の前で立ち止まり
プラスチックのケースを突然漁り始めたらしい。
何をしてるのかと思って門越しに覗くと、亀が猫に手で突付かれてたそうだ。
彼は慌てて勝手に門を開けて猫を追い払ってくれたそうだ。
そして猫除けにとりあえず庭の刈った草を上に乗せてその日は帰ったらしい。
(確か台風前に母親が草刈りをしていた気がする。
草は確かにケースに乗っていて、母親が家の中にケースを仕舞う時取っ払ったと言ってる)
どうもそれからウチの亀が気になって仕方ないとの事で、
今日も犬の散歩がてら偵察に来たらしい。
犬は今電柱の横に居るというので見ると、確かにいた。
大人しすぎて存在に気づかないような小柄なマルチーズが。
彼がうちの前を通って家の中を覗いていた時、
ちょうど母親が亀を家に仕舞いに出てきたらしい。
そのとき急に亀が欲しくなって、少し迷った後チャィムを鳴らしたそうだ。
(と彼は言ったが、ウチの母親が居なくなった時によくよく話をきいたら
あの人が世話をしてるんじゃ心配だと思ったと言っていた。
面白かったので僕は昼間買ったキャンディを彼にあげた)
「要は、うちの飼い方がだらしないから貰ってくれるって事?」
と笑って言うと、「そうじゃないけど…おれんとこの妹も欲しがってるもん」
と誤魔化している。
親がいいって言うなら世話してくれると嬉しいということを伝えると、
彼は大きく頷いて帰っていった。「明日入れ物持って来る」と言って。
小学生が帰った後に指輪のことを聞けばよかったと思った。
明日聞けばいいかとも思う。どうせ知らないだろうし。
居間に戻ってテレビを見るとバタービーンが負けたところだった。
僕はK-1選手の中でバタービーンが飛びぬけて好きだ。
バタービーンの名前も、ボールのような体型も、
セコンドで叫ぶフライパンを振り回しそうな奥さんも含めて、とても好きなのだ。
なにより彼の戦いは決まって血が流れない。代わりに必ず汗だらけになる。
近所の酒屋にコーラを買いに自転車で出る。
湿ったっ空気が肌に纏わりつくが、吹き付ける風で気にならなかった。
とはいっても酒屋に入ると汗がどっと出る。コンビニと違って酒の為に冷房が控えてあるので。
僕はいつも此処に壜のコーラを買うためだけに来る。
壜のコーラとジンジャエールが簡単に変えるのは、今ではこの店だけだ。1本80円。
壜を返すと20円戻ってくるらしい。
壜は返した方がいいものなんですか?と尋ねると、
酒屋のおばさんは笑って「お小遣いが欲しいならどうぞ」と言った。
アイスとコーラを抱えて店を出る。
自転車のかごでコーラの壜がぶつかるといい音がした。
友人から呼び出されて夜中に出掛ける。今、車の中。
寝つけないからつきあえと言われてファミレスへ。12時を過ぎると人気も無くなってきたので、僕らも店を出た。
車の中で僕が持ち込んだCDを聴く。mice paradeの一番新しいの。
夜中に男同士で乗り合わせた車内で聴くような音楽じゃないなと思う。
暫く車でうろついている。話す事も特に無いので、僕は携帯でこの書き込み文を打ち込んでいる。
彼がゲイの話をぽつぽつ話す。ゲイは、相手に嫌がられないならゲイじゃない男にゲイの話をするのは好きなんだというような話。
車は市街地を抜けて郊外に出た。
信号のライトが不自然に暗闇に光る。横を走る車はいない。
外は静かだが、それでも公園に横付けして車を降りても、
なんとなしに低い轟音のような音が聞こえる気がする。家庭用のビデオを撮影すると入るあの音。
僕らは公園で滑る山の遊具のうえに座って、適当に話している。僕がずっと携帯を触っているので、相手の機嫌が悪い。
結局帰宅後に続きを書いている。
なんだか分からないが、あの後僕が独壇で蚊取り線香の話をした。
蚊取り線香の匂いが好きだという、どうでもいい話。
昔の渦巻き蚊取り線香は煙が出たので、
僕はいとこと遊ぶとき、その煙を下敷きで扇いで部屋の隅に寄せていたということ。
いとこの家は以前トタンを貼付けたような古い家だった。
夏には仏壇の前に回り燈籠を出すような家だったということ。
それが綺麗なんだということ。祖父が亡くなってから建て替えが決まった時、
荷物の整理をしていたら、玄関の天井から
指で押さえる所が全然無い変なラッパが出てきた
という話を一人でずっと喋っていた。
話が次第に「とにかくあの家は古かった」の方向に逸れてくと、
彼の機嫌も直って、「やっぱお前呼んで良かったわ」と言って家にしてくれた。
明日はあの小学生のために午前に起きなくちゃならないので今すぐ就する寝。
今日は珍しく忙しい。
午前中に例の小学生が親を連れて来て、「二匹だけ飼っていいんだってさ」
と言ってチェルシー二匹引き取っていった。
車を運転してきた母親は丁寧に挨拶をして菓子折りを置いていった。
別にそんなつもりは無かったのに。
あとくされ無いように手土産したのが見え見えだった。
一旦繋がった別々の回路を、「元あるとおりに」と再び断ち切るようだった。
そして指輪の話なんて微塵もできなかった。指輪は今も玄関先にほったらかしてある。
いただいた菓子はなごやんのようなもの。はっきりいうとカエルまんじゅうだ。
二匹の亀が甘い菓子になって、僕の母親の胃袋に落ちていった。
兄が僕との部屋の境にある扉を開けて、煙草を吸っている。
音楽も大音量でかけて。
吸っている煙草の煙が全部こちらの部屋に流れて来る。香水の匂いも、音楽も混じって。
それは全部兄の思惑だ。「これいいだろう?お前も買うといいよ」という
お節介な押し付けの意志そのものだ。
僕は思っていても煙たがることはできない。
ご機嫌取りに「それ誰の曲?」と尋ね、案の定、
「レニークラヴィッツ。貸して欲しいなら貸してやるよ」と誇らしげに言われた。
僕はCDを受け取って机にそのまま置いた。
僕ら兄弟は5つ以上年が離れている。
5年のブランクは母は真中の子供を流産したからだとか。
二十歳をすぎれば5歳の差なんて大したものじゃないが、
昔は本当にとても大きく感じられたものだ。
僕が小学校に入ると兄は入れ違いに中学に入り、
僕が中学に入る頃には高校卒業の話が持ち上がっていたという按配に。
話なんか全然合わなかった。兄が学校でどんな立場だったのかはまるでわからない。
6月がもうすぐ終わる。梅雨時から抜ける。
そろそろ蛍が出る時期なので、田んぼのそばを散歩してみる。
さすがにまだ一匹もいない。それでも花火が弾ける音が何処からかして、
水田の給水ポンプが水を出し続けていた。
みんなは知ってるだろうか?蛍の幼虫は黒くて、お尻が光るのを。
今夜は家の中より外のほうが涼しい。バス停のベンチに寝転ぶ。休憩がてら。
月がやや雲に隠れて、雲の切れ間がうす光りする。
夜気の匂いが周囲に満ちている。田んぼの匂いも。
眠ってしまいそうだった。
就職するとこういう時間は無くなるんだろうか。
僕にはこれがすべてなのにね。
兄が戻っていく時、僕の就職を心配していたと母親が言っていた。
兄は兄なりに僕の事をよく知っている。好きなこと以外何もしないってことを。
しかも、今までそれがある程度通って来てしまったことも。
それを妬みつつ、この調子では将来絶対僕が破滅すると
兄が心配してることは僕も知ってる。
たまに全然別の場所にいってしまいたくなる。
空気みたいな緻密に透き通った体になって、
いつも居て、どこにも居ない存在とになれるといい。
カヌレが食べたくなったという理由で友達にメールした。
作れの催促メール。返事は来ない。
彼女は僕が気になっている人だけど、近頃まったく連絡しても返事が来ない。
気になってるというのは好きとかいうことじゃなくて、
考えると気が揉めるということ。
僕らの友人たちの中で唯一の努力家で、不遇な人で、報われない人。
高校時代に一番しっかりと勉強をして、唯一大学を中退した人。
それでも今はアルバイトして、そのお金で定時制に通っている。
だらしない僕にも気長に頑張ればいいよと言ってくれる人。
僕はそういうことをお返しに言う必要が無い。言わなくても彼女は自分で
道を切り開こうとするから。偉いと思う。心からそう思う。
でもそういうのがイライラする。
そういう努力をしてるのに報われないのが。
四月ぐらいまでは結構頻繁に遊んでいた。
でも五月ぐらいから課題で忙しいらしく、
たまに「連絡しなくてごめん」のメールが来るだけになった。
僕はそれにいちいち苛立つ。
自分からおせっかいをしておいて、それが忙しいという
正当な理由で切り捨てられることに。
苛立つと僕は暫く無視したりする。またはきつい言葉を返す。
すると彼女が謝ってくる。いつも返事をしないでごめんねと。
でも僕は知ったことかと思って一人で苛々する。
そのくせにそして暫くしてまた僕は彼女にうかがいメールをする。
返事が来ないと知ってるくせに。
彼女も公園とか、散歩とか、そういうのが好きな人なので
僕らが遊ぶ時はいつも安くついていた。
基本的に僕は遊ぶのにあまりお金がかからない。
新しいお菓子の話をしたり、集めてるモノなんかの話をして
あとはその辺をぶらぶらするだけだから。
6月中には睡蓮が咲くことで有名な公園に一度一緒に行こうと話してた。
でも連絡は途絶えたまま。電話してまで誘うことじゃない。
別の女友だちにカヌレを作れとメールしたら、
速攻で返事が来た。「なんか作ろうと思ってたところだし、ついでだからまぁいいよ」と。
17 :
夢見る名無しさん:04/06/28 00:00
age
日が沈んで一時間くらいの間、あんまりに気持ちよくて眠ってしまった。
今も半分寝ぼけている。家中の窓を開けて扇風機を回しているだけで、
すぐ眠くなる。電灯はまだつけてない。薄暗いぐらいで丁度いいから。
人の家の窓からの灯りのほうがよっぽど眩しい。夜七時。
moce paradeのA Rourds Lead To Salzburgを聞いている。
先日連れ合いの車で聞いたのとは別のアルバム。すごく眠い。
初夏柄の爽健美茶のラベルがパソコン明かりの前で
とてもきれいに感じる。お茶を飲んでまた寝よう。
風呂を出ると母親が居間でキスイヤを見ていた。
母はロンンドンハーツや芸能人が一日デートする番組
(名前は失念)も好きで、毎週欠かさず見ている。
「アンタも見た方がいいよ。人生勉強になるんだから!」
と張り切って言う。
そういう番組も確かに笑えて面白いけど、見たあとちょっと疲れる。
隣でジンジャエールを飲んでいるとまた母が喋べり出す。
「相手をよく選ばないとアンタも痛い目見るよ…」
母は隣の部屋の父親を見ながら言った。
「25過ぎると人生は転がるように早いんだから」
「結婚したら思ってたのと全然違ったって事もあるから気をつけなきゃね」
「アンタ頼むからこういう女は勘弁してね。○○ちゃんならいいよ。
あの子にしときなよ。家事が好きな子のがわたしが楽できていいし」
「そんなの俺じゃなくて本人に言えば?…今から履歴書書いてくるからもう行くわ」
「いえる訳ないじゃなーい。自分の部屋行くの?○チャンネルでやってるから、
自分の部屋で女をよく研究しときんよ!」
とっとと逃げた。
あの人は僕が今まで誰とも付き合ったことが無いのを知らないのだろうか?
クシャミがよく出る。こんな時期に風邪をひいたのか。
一回出ると、四、五回は続けて出る。なぜか昔からそう。
「カヌレ作ったぞ」というメールが来た。頼んでおいてすっかり忘れていた。
受け取ることが頭にない状態で、とりあえず「ありがとう」と返しておいた。
「ありがたみがあんましないね」と返事が来る。「大変おありがとうございます」と返す。
笑いを含んだニュアンスで「よろしい」という返事とともに、
取りに行っていい日付を教えてくれた。とりあえず適当な予定のない日を告げる。
「万年ヒマだけど」と付け足して返すと、「腐るような日に取りに来なくてよし」と返された。
子供の頃通っていた英会話教室にイギリス人の講師がいた。
身長が190ぐらいある細身の髭もじゃの男性で、落ち着いていて、
決められた内容を決められた時間内に必ずこなす人で、
ある答えを期待して尋ねれば、求められた言葉をきっちり返してくれる人だった。
例えば「先生はイギリスの人だから紅茶が好きなんでしょう?」と尋ねれば、
好きでなくても「Yes, I like it.」というふうに。
初めてその教室に通うことになったとき、僕はその先生と面接をすることが決まっていた。
面接と言っても英会話を求められていたわけじゃなく、
外国人講師と馴染めるかどうかの面談のようなものだ。
母親が事務所で講師の奥さんと話し込んでいる間、
僕は二階の別室に通された。
その先生は絶対に日本語では話さないことになっていた。
授業は簡単な会話にせよ、英語で進められると決まっていたから。
その面接では、会話の成立とか英語の出来具合という事より、
講師のジェスチャーや会話の中で雰囲気が捉えられるかを判断したかったんだと思う。
先生は椅子に座り、僕を反対側の席に座らせた。
プレハブの建物の狭い一室。窓の外に銀杏に絡んだ蔦が見えていたのを覚えている。
先生ははじめ家族のことを尋ねた。テーブルに紙とペンが置いてあり、
口で言えなければ絵を描いて説明しても構わないというジェスチャーをした。
僕は何も喋らなかった。先生が質問するたびにただにこにこ笑うだけで、
あとはずっと窓の外の蔦を眺めていた。
僕は怖気づいていた。
面談する前はなんとかやれると親に言っていたけれど、
先生を目の前にした時には妙に神経が高ぶり、
”いくら勉強して英語が話せたって、この人は絶対に僕のことを
分かりっこないし、僕だってこの人の事は絶対分かりっこない」
という考えが頭から離れくなる。
英会話に関係ないことなのに。目的は英語の上達だというのに。
それで僕らは場が持たなくてしばらく黙り込んでしまった。
先生は僕が見てる窓の外を一緒に眺めてた。
緑色の蔦。窓が開いていて、外の音が聞こえてくる。
雀の鳴き声とか、公園から聞こえる少年野球の掛け声とか。
僕は早く帰りたかったけど、どうしていいのか分からなくてずっと外を眺めてた。
僕らはしばらくそうしていたけれど、先生が立ち上がり、
思い立ったように窓のそばに立って僕を呼び寄せた。
先生は蔦を指差して英語で何か一言言った。真似するように促す。
僕も真似して言った。彼は誉めた後、次に銀杏を指した。単語を言う。
僕も真似をする。先生は手を伸ばして銀杏の葉を一枚取ってくれた。
まだ青くて若い銀杏の葉を。
また先生が始めの単語を言う。僕が真似する。すると蔦に手を伸ばす。
僕はそれを受け取った。今度は手のひら型の葉っぱ。
先生が言う、僕が真似る。葉っぱが先生から僕の手の中に落ちる。
僕らはたったそれだけの動作を暫くの間何度も何度も続けていた。
途中で僕が「秋になると銀杏にはギンナンがなるんだよ」と言った。
そこで二人で微笑んで面接は終わった。
僕の手は蔦と銀杏の葉っぱだらけになっていた。
結局面談は受かって、僕は二つの葉っぱを沢山持って家に帰った。
そういう事があって、なんとなく僕はその先生が気に入ってた。
先生も自分のことが気に入ってるんだとも思い込んでた。
そういう感じは授業ですぐ分かったから。
皆が書き取りに専念している間に僕がよそ事をすると、
先生はぶらぶらと僕の近くをわざと歩いたし、
僕は先生がそうするのを知ってて一々よそ事をした。
そういう時間がとても好きだった。
英語は上達しなかったけど、僕は誰よりも先生の理解者なんだと思っていた。
僕が中学に上がる前に、先生たち夫婦はイギリスに渡る事になった。
その結果英会話教室はやめることになり、
多くの生徒たちは中学向けの別の塾に変わる準備を始めた。
特にお別れ会なんかも行われず、
先生の奥さんも「さみしいね」と言ったきりで挨拶もそこそこに終え、
先生はといえば最後の授業に近づいても一切何も言わなかった。
みんな気になってたと思うけど、特に誰かが尋ねると言うこともなくて、
終わりの時間だけが迫り、僕らはあまり話題にもしないで帰っていた。
それでも僕は先生が何も言わないのが気になって、提出物の隅に
「本当に帰っちゃうんですか?」と走り書きして出した。
返ってきた提出物には、渡英する日にちと、”イギリスに来る機会があればぜひ
連絡して欲しい”という旨があった。嘘つき。
行き先も昔住んでいた場所も、一度だって話したことなんてなかったくせに。
結局僕は自分だけのお別れの贈り物を作って、
先生の家のポストに突っ込んだ。
当時大切にしていた学研の付録の鉱石と、
「先生が授業中にうろうろするのが僕は好きでした」
という走り書きを紙袋に詰めて。
翌日ちゃんと受け取ったかどうかポストを覗きにまで行った。
ポストは空だった。でも何も連絡もくれないまま先生はイギリスに帰っていった。
結局僕は自分が先生のお気に入りだったのか分からない。
先生も「先生が僕のお気に入りだった」ことは知らないままに帰っていった。
言わなくても分かりあえるかもしれないと僕はあの時の面接や授業の中でで信じたけれど、
そんなこと誰も保証してくれやしないじゃないか。
僕は好きだった。ボロいプレハブも、蔦も、銀杏も、染みがついた絨毯だって先生だって。
全部好きだった。あそこに居るのが好きだったから。隣のやつのノートに落書きするのも、
そうしてる自分も、それを見ている誰かも。授業の前後に駐車場がいっぱいになって、
時々は先生の奥さんも混じって母親軍団が喋り続けているのも。
たまに僕は何もかもが好きなんだよ、と言いたくなることがある。
本当に何もかも。どんなにくだらない事だって、僕には本当に大切で、
「僕はこういうのが、こういう感じが全部好きでたまらない」と言いたくなることがある。
「本当に好きでしょうがないんだ。愛してるんだよ」
そう言って、自分のことも、あらゆるすべてのことを話してしまいたくなる。
そして僕がすべて言ったら、小さくでいいから、「分かってた」と頷いて欲しい。
でも僕はそれを絶対に言えない。
本当は一人で寂しくてしょうがないことも、昔を思い出してときどき泣けることも、
僕は絶対に誰にも言えない。
12時より前に履歴書を書くといってたクセに、
思い出の与太話で盛り上がってしまって情けない。
履歴書は明日には出さなきゃならないので、今から書きます。
いつもながら駄文をだらだら書いてすいません。書いてきます。
友人の部屋に泊めてもらっていた。
ほとんど眠れなかったけれど。
相手が酔いつぶれていたので、悪いと思いつつもメモ書きだけ残して帰る。
急に押しかけていくくせに、同じ人と何日も過ごすのが苦手だから。
焼酎の残った瓶が置いたままだったけれど、どうしたらいいのか分からなかった。
とりあえず栓をして冷蔵庫に入れる。
酔っ払う前に聞けばよかった。自分の飲んだソーダの缶だけ洗って捨てた。
終電に乗って、心地いい揺れで眠くなる。
高校のときは毎日電車に乗って学校に通ってた。
三十分に一本の単線で、乗り遅れればぼんやりしてもう三十分待った。
それが普通のことで、同じ電車に乗る人はいつもみんなそうしてた。
沿線沿いに彼岸花を見つけると、秋が近いと感じた。
秋の始まりはいつもはっきりしている。
とりわけ秋の始まりは、空気が二、三日で完全に入れ変わる。
冷たさで空気が引き締まり、北窓から風が抜ける。
寒いのが嫌いでも、秋の肌寒さだけは気持ちがいい。
田んぼの稲が金色になり、風で一斉にたわわにうねる。
夜鳴き鳥がときどき来て、たった一匹で寝言のように鳴いている。
都心に住む人のことを時々考える。正直の僕の持つイメージは貧弱で、
アパート、マンション住まいか、あるいは極端な豪邸しか思いつかないのだけれど。
先日夜中に公園で一緒に喋っていた彼は、翌日埼玉に帰っていった。
埼玉なんて行ったこともない…
電車の蛍光灯に蛾が付きまとっているのを眠いまま眺めていると、
列車は間もなく駅に着いた。
帰りみちにコンビニでカルピスソーダを買う。
復刻版印刷というのが気に入ったので。
カルピス自体飲むがとても久しぶり。
昔はヨーグルト飲料をきちがいみたいに飲んだ時期があったのに。
ダイドーのプレーンヨーグルトはよく覚えてる。
折り紙を貼り付けたような風景イラストのラベルを貼った180mlぐらいの小壜。
その他にアンバサ、"愛の"スコールなど。
兄はといえば、10歳程度でチェリオの"スウィート・キッス"が好きだったけれど。
門のそばに回覧版が乗っていたので、それをとって家に入ろうとすると、
指輪がなくなっているのに気づいた。誰か持っていったのか分からない。
子供だったらいいのに。
子供のおもちゃは子供のところにあるのが一番いい。
家にいない間に誰かが庭を刈ったらしい。ほとんど木が散切りになっている。
多分母親だ。家族の中であの人が一番植物に愛情が無い。
外から家が見えるのは防犯になるとか言ってすぐに刈ってしまう。
凌霄蔓か木槿を植えて欲しいが、当分かないそうもない。
埼玉に帰った男の実家には木槿があった。
白色の中央に紅が開いた清楚な花だ。
確かそれでもハイビスカスの仲間だったと思う。
(思うのと種類が違うかもしれない)
四時に夜が明けた。新聞配達も走っている。
ぐったりしてるが、今日はこのまま起きていよう。
一日パソコンの前にでも張り付くか。
今日は多分大学には行かない。
結局昼まで寝て、午後からは母親の運転手にかり出されることに。
今日は完全な夏日だった。庭に置いたチェルケースの水が茹っている。
慌てて水を入れ替え、日陰へと避難させた。
よく見るとチェルシーが飼い始めた日よりも一回り大きくなっている気がする。
甲羅の表面が脱皮し、ミョウバンのような六角形の殻が所々に散らばっていた。
水に浮いたプラスチックの光沢。
ついでに庭に水を撒く。
外に出しっぱなしの甕の中で、赤メダカの子供が大量に生まれていた。
昼食までまだ時間があったので、なんとなしに落書きをしていた。
velvet teenのElysiumを聴きながら。このアルバムは暇さえあればいつも聞いている。
アイスを頬張る子供の絵を書く。隣にまだ受け取っていないカヌレも描いておいた。
頻繁に車を運転していると、右腕だけが黒く焼ける。
冷房が壊れているので窓を全開にして走る。それなりに涼しい。
ラジオでtahit80の曲が流れてる。モリッシーも頻繁に流れているが。
母親のスーパーでの買い物について回り、かき氷を買ってもらう。
「子供じゃないんだから」と母親が笑う。でもそう言いながら母も自分の氷を買っていた。
持ち帰ったらとてもじゃない、溶けてしまうのですぐに食べた。
レモンの輪切りが入った黄色のかき氷。
ここ数日気分が優れないので、思いきって海にいってみる。
半島の道路を下り、海鮮料理屋や旅館の立ち並ぶ通りを突き進んだ。
灯台のそばには結婚式場が一つあって、式を終えたばかりの新郎新婦が
親族に囲まれて白亜の階段を降りていたところだった。
海の匂いがする。堤防越しにくすんで輝く海が広がっている。
平日なので道は空いていたが、今日のこの天気で砂浜には親子の姿が多かった。
貸し駐車場に車を停めて、警備員の男に料金を払う。
ビーチバレーに向く分厚い砂の上で裸足になろうとしたが、熱さでとてもじゃない。
浜木綿の葉を千切りながら波打ち際まで降りると、
水辺で海鳥が歩きまわっていた。
内側があめ色のものや、オーロラの貝が落ちている。
色の綺麗な貝を拾ってみることにした。
尖端が藤色と桃の混じったような色の全体が茶色の巻貝。大きさは1センチほどしかない。
黙々と拾っていると、何かあるんですか?と来た恋人二人に尋ねられた。
貝を拾ってると言うと、男の子でも拾うのねと女の方が笑った。
拾った貝を、以前にガチャガチャで出したキャンベルスープ
の缶に入れて持ち帰えることにした。
先に乾かそうとダッシュボードに広げておくと、
みるみるうちに水気が抜けて色褪せていく。
桃色の微妙な色彩が乾燥したところで白になった。
そうか、これは結局のところ死骸なんだと思う。
飲みかけのソーダを捨てて壜に海水を詰めた。
貝の色は海水で暫くの間蘇らせられるだろうから。
昨日の炭酸の壜に海水を詰めたのは失敗だった。
玄関に置いておいたら父が飲んでしまった。
こんな夢を見た。
僕は電車に乗っていた。
通勤時間のラッシュから少し外れた時間で、
他の乗客皆、はまばらになって思い思いに座っている。
僕は恋人の女の人と扉口に立ち、
電光掲示板ででっしゃが加速していくのをぼんやり確認していた。
速度計が100%を振り切ったところで列車の扉が突然開く。
驚いて僕が彼女をつかんで柱にしがみつくと、
他の扉からどんどん人が飛び込んでいく姿が見えた。
帽子を押さえた古風な外国人サラリーマン。
今からちょっと出かけるといったふうに傘をさし、
飛び降りた母親とその子供。
その他にも何人もの人が、いずれも少し違和感人たちが
どんどん扉から飛び降りていった。
扉の外を見ると、遠く深く海が広がっている。
僕は不安になったけれど、自分がそちらに
飛び込まなければいけない人間だと感じる。
「僕は男だから」という理由で。
彼女の顔を見ると「行くな」の顔をしている。
でも僕は空気に引きずられるようにして海に落ちた。
海面に限りなく近づくと、僕はあっさりとその上に着地してしまう。
海面がゼリー状になっていて、海の中は普通の海水だった。
けれど水底はさらさらの白い砂で、かえってそこが砂浜のように見える。
その砂浜の上を魚が旋回する。僕の足元で、空中を泳ぐみたいにするすると。
少し拍子抜けだ。それにしても他の落ちた人たちは誰もいない。
僕は海面を歩くのにも飽きてしまって、勢いつけて海面に飛び込んでみた。
すると波が立って僕は海中に落ちる。呼吸を続けたまま。
重力が半減したような世界で、ふわふわしながら歩く。
もっと早く来ればよかったんだと思った。なぜか遠くに見えてきた音楽室を目指す。
誰かがピアノを弾いているのが聞こえた。でも音楽室は鍵がかかっていて入れない。
しょうがなく隣の自販機で僕は醤油を買う。醤油は弱った猫にやる栄養剤らしい。
でも僕はそれを一気に飲み干した。甘いレモンの味がした。
そこでにわかに元気なって、音楽室の扉をこじ開けようとする。
誰かが音楽室の窓からこちらを覗いている。
「鍵を無くしたんです」と僕が言うと、
その人は半信半疑で扉を開けようとする。
扉の隙間から手が出て、鉛筆が手渡されたところで目が覚めた。
35 :
碧ティムニィ:04/07/04 23:22
ここのところ体調不良。季節の変わり目になじめない。
扇風機に当たりつづけているとかrだがだるくなると言うけれど、
多分それだと思う。冷房はかけない代わりに、一日中扇風機を
かけっぱなしにしている。
朝食べず、昼夜も米を抜いて冷菓子ばかり食べている。
主食はもっぱらそうめんやそ蕎麦。
蕎麦を食べながらも、角砂糖と氷を投入してキンキンに冷えたミルクを飲む。
これは以前バイト中に入った喫茶店で覚えた味。
熱も出てきたようなので日中横になっていると、
二の腕に激痛が走る。
何かと思えば蟻がしっかりと腕の肉に噛み付いていて、
握りつぶしたが血が大量に出た。
蟻に噛まれて血が出たことなんて初めてだ。
血だらけになって家族に知らせに行くと、
両親が薬を買いに行ってくれた。
しかし包みから出てきたのはオロナイン。
なければメンソソレータを買うつもりだったらしい。
夜、熱が引かない。
夏に熱を出したのなんて何年ぶりだろう。
薬を飲んで横になるが、暑い。
家の前を通り過ぎていく車のエンジン音が頭に重く響く。
前に借りた「めぐりあう時間たち」を読むが、頭に入らない。
序章は良かったのに。続きが飲み込めない。
しばらく横になることにした
保守。お大事にね。
ありがとう。お蔭様でいまは熱が引いています。
昨晩、父が一日中伏してる僕を見かねて病院に連れて行ってくれた。
(母は車の運転ができないので見守っていた)
昔からある内科・小児科の医院で、院長の家と病院を兼ねた
古くからの日本家屋の病院だ。此処は僕の通いつけの場所。
と言っても、もう五年以上は軽く来ていない。
小学生の時分、風邪を引くと酸素吸入をやりによく連れてこられた。
板張りの渡り廊下を通って入院患者のベットが並ぶ部屋の隣の部屋にいくと、
看護婦がいつも一人、よそ事をして待機している。
僕が行く時間帯はいつも夜だった。
それもやはり母親が車の運転ができないのが理由だったけれど。
渡り廊下の角に小さな和風の庭があって、
五月になると巨大な鯉のぼりが立っていた。
夜の鯉のぼりは当然たなびいてはいない。
診察室の天井の白熱灯に蛾が時折飛び交っていて、
昔は薬の匂いがする陰気くさいこの病院がたまらなく嫌いだった。
でも昨日は不思議な感じだった。
何もかもが小さくなって、穏やかに思われた。
注射を一本打ったところで、みるみるうちに熱は引いた。
風呂に入るなと言われたので、風呂場で裸になって濡れタオルで身体を拭く。
面倒になって注射の位置を的から外した水シャワーを浴びる。
このほうがよっぽど風邪が酷くなる気がするのだが。
電車に乗っていて今日が七夕だと気づく。
沿線沿いに帰宅している小学生の手に短冊つきの笹が握られていた。
金色や銀色の折り紙が星型に切り取られて、
風にふわふわしてるのが誇らしそうだった。
七夕になるとずっと使わず大事にとっておいた金銀の折り紙が役に立つ。
僕は大事にしすぎていつも使いそびれ、
いつまでも茶色や深緑の使わない色と一緒に
折り紙の箱の中に残してしまっていたけれど。
大学でも一応、七夕の祝い事のようなことが
個人の間で行われていた。
ただし小学生達よりも幾分むさくるしい集団で、
股間が見えそうなくらいぎりぎりにまでジーンズの位置を下げた
腰パン男だとか、年間行事なんてなんでもお祭りだと
ばかりに酒や菓子類を買い込む女が人だかりで大騒ぎしている。
それはそれでいいのだろうけど、
僕の脳みそは七夕は静かに過ごす印象しかないので
いまいち乗り切れていない。
苦手な酒を勧められないようにとりあえず煙草を買ってその場をやり過ごす。
甘党には煙草嫌いが多いと言うのは、案外知られていない真実。
僕は吸う人間だけど。
家に帰ってすぐ寝た。が、寝れない。家は落ち着くがとにかく暑い。
電車の中が一番快適に寝られる。
三十分に一本のガラ空き電車の恩恵。
アイス禁止令が出ている。
先日の腹痛と昨日までの風邪は別物だと思うのに。
そういえば大学で会ったチューペ(前に僕とチューペットを食べた彼女)が
体調不良で今日は車じゃないと言うと、文句をたれると思いきや心配してきた。
更に驚いたことに、ここ暫くの授業ノートを差し出してきて、
僕の取得単位の計算までやっていた。
気遣いはありがたいが、
「あんた今回は試験を落ちたら絶対ダメだよ!」
と忠告されるのが疎ましい。
彼女は去年短期留学をしたから単位に余裕がある。
かといって僕のことを手のつけられない子供のように
構いつけるのはお門違いだ。
大学に行ったついでにビレッジバンガードに玩具を漁りに行った。
昨日地元の本屋に行ってクーネルなどなかったので
それを立ち読みする目的もあって。
それにしても月刊太陽はどこの店でも滅多に見かけないのが残念。
僕はplaymobilを少し集めていて、それ目当てにビレバンに来たが、
あまり入荷されてるといった感じじゃなかった。
仕方なくモダンペッツのガチャガチャをやる。犬がでた。バトンプードル。
ウサギが全然でない。僕はウサギが欲しいのに。
地元の駅から自転車で家に帰る途中、
藤棚のびっしり這い巡らせた庭をみつけた。
わりと頻繁に通る場所だけど、藤棚があるのにいままで気づかなかった。
完璧な正方形の木陰の下で、男の子が祖母らしき人に見守られて
ボールで遊んでいる。
久々にボルゾイにも会った。元々細い身体だったが、更に痩せたんじゃないだろうか。
大型犬独特の全身を揺するような歩き方が、更に暑苦しく感じる。
久々ついでに、高校からの友人二人からもメールが来た。
一人は地域の無料健康診断に行かないかという変わった誘い。
薔薇レモネードなるものを作ったのでくれると言う。
もう一人はブランド物の財布を安く、質入れよりは高く買ってくれないかという誘い。
片方の誘いだけ受け入れて片方は無視した。
明日はチェルシーの水を替えてやら無くちゃならない。
あともう少しで今年の七夕はおしまい。
純粋な人たちの願い事が叶うように僕も祈っておこう。
健康診断に出かける。平日昼前から男同士で図書館前に集合。
やはり来ていたのは年配者や子連れの母親が多く、
僕らは明らかに周りから浮いている。
薔薇レモネードは持ってくるのを忘れたということであっさり片付けられた。
まぁ、自分も手荷物を少なくし、自転車来ていたので
持ち帰れといわれてもどうやって持ち帰るかは考えていなかったが。
後日、家に持ってきてくれるという約束でとりあえず了承。
指定された用紙に記入事項を書き込み、尿検査、
血液検査、心電図をやることに。僕は実は注射と心電図が嫌い。
中心に液体が通るだけの穴のあいた針を肉に刺しこむと思うと鳥肌が立つ。
心電図は時々引っかかるので再度病院に検査に回されるのが面倒くさい。
我が家は父方が心臓系器官が弱い。
僕の兄は心臓からの血流が一部普通と逆になってるそうだ。
私生活には全く問題ないのだけれど、
兄の右の太ももの裏の一部になぜか金髪が生えてる(!)のは、
そのせいじゃないかと思う。
血液検査の採決の後、しばらく傷口を脱脂綿で
押さえておくように言われてぼんやり待つ。
その間に心電図の話、心臓が良くない家系と言う話をした。
「風呂にバブが使えないんだよね。好きなんだけど、
ウチの男はみんなあの泡で心拍数が急に上がるから」
と僕が話す。
「ジェットコースターとかいいわけ?心臓の弱い人はどうこう書いてあるじゃん」
友人は脱脂綿をごみ箱に放り投げた。
「ジェットコースターは平気だけど、揺れる系と落下系のが俺は駄目。
それは心臓じゃなくて三半規管が弱いんだと思うけど。
バイキングに乗ると最悪立てなくなるね。目の前が黄色になる」
そう、目の前が黄色になる。最低に気分が悪くなると、僕の場合は
真っ黒じゃなくて黄色になる。
「お前長島(スパーランド)の回転しながら揺れる奴に乗って
動けなくなってたもんな」
「勘弁して欲しいよほんと…」
高校の遠足で長島に行った時、僕は無理矢理そのアトラクションに
のってぶっ倒れた。
嫌だと前から言ってはいたが、どうしても断りきれなかったので、
この際乗ってぶっ倒れた方が分かりやすいと思って乗ってみた。
案の定結果は最悪で、三十分立てずにいた僕の周りで
友人達が青くなっていた。
我ながら情けないが、これだけはどうにもならない。
尿検査を控えて紙コップを持って待ってる時、
薔薇レモネード男は僕の話を面白そうに聞いていた。
仲間内に一人不健康な人間がいると、話のタネとして栄えるご様子。
「貧血でぶっ倒れるとかないの?たまに朝礼で倒れてた奴っているじゃん」
トイレで薔薇男が紙コップに用を足しながら言った。
「さぁ…今朝礼なんてないしな。高校のときは倒れなかったから平気だと思う。
でも急に気分悪くなってっていうのはあったよ。
試験中で気分悪くなって保健室にいたときだから誰も知らないと思うけど。
便所に行こうとしたらゲロと汚物が少し出てさ…内臓が全部出たみたいな感じ。
当時保健の先生には同情されたけど、こっぱずかしくて誰にも言えなかったよ。
結局ストレスと緊張からじゃないかって言われたけど。どうだか」
薔薇男は笑う。
「ウンコネタは絶対笑い話になって語りつがれるからな」
「だね」
検尿結果はその場でた。特に異常なしだということ。
糖分取りすぎと出るかと思ったが少々意外。
話は続く。部屋を移り心電図検査の部屋に入り、
壮年男性が胸に沢山の吸盤をつけられた姿を眺めながら
僕らは喋りつづける。
「新陳代謝悪いんだよね。大学になってから運動めっきりしなくなったし」
「飲み会三昧?」と僕は尋ね返した。
「三昧じゃないけど、普通に運動しなくなった。
高校ん時のようには動けないな、今は」
「毎朝九時半までに学校行ってたのが奇跡だもんな」
「奇跡だな。今は余裕で昼起き。深夜までバイト」
ご苦労様、と僕は呟く。
「生活時間帯は俺も似たようなもんだけど。
大学生ってこんなもんなんだな。
大学に通い始めた頃、あんまりの皆のだらけぶりに
もしかしたらとんでもない大学に入っちゃったのかと思ったけど。
異様に感じたのは最初だけ。今ではだらしないのがデフォルトだし」
「お前勉強頑張ってたもんね。特に英語」
「打ち込めたんだよ。洋楽を聞き始めた頃だったし、
なんかそういう思い出多かったから」
順番が来て話が打ち消える。
沢山の吸盤を胸につけて検査されるのは
ロボットのような扱いでおかしい。
「ついでに良かったらレントゲンもあるのでどうぞ。
外で待機してるバスに乗ってください」
と検査員のおばさんに言われ、僕らは外に出た。
駐車場の前に一列の人だかりが並んでいる。
日傘を差した年配の女性が興味津々にバスを眺めてる。
二台あるバスのうち、女性の方の入り口では時折
カーテンが風に煽られて、中で着替えてる女性の裸が見えている。
僕も薔薇男も口にはしないがそれを横目で眺めていた。
「出すもんは出してるの?」
と薔薇男が突然言う。
「出すもの?」
「男の新陳代謝」
「あぁ…」
苦笑いしていると畳み掛けるように言ってきた。
「お前そういう話入ってこないから分かんないんだよね。
あんまり下品なほうの話題好きじゃなさそうだし。
でも嫌いじゃないんだろ?雑誌とか一緒に見てたわけだし。高校のとき」
「嫌いな男はいないと思うよ」
「毎日してないの?」
「毎日はしてないよ…元気がないわけじゃないけど。
なんていうか、でもあんまりは無理かな。
やっててたまにどうしようもなく気持ち悪くなる時があるんだよ。
体質的にっていうか、どうしても駄目なときが」
「体質的?それも病気関係?」
声のトーンを跳ねあげた薔薇男の前に立つ老人が怪訝な顔をしている。
僕は声を落とした。
「病気じゃない。風呂上りに脱衣所締め切って立つと
湯気でむっとするするときあるだろ?プールの後みたいに。
あんな感じになって気分悪くなるときがある。
別に風呂場でしてなくてもなる。やってる最中はいいんだけど、
終わったときにね。…なんていうか、自分の体にむっとする。
自分が男なんだなってあんまりに実感させられるときも、
そのむっとしたのが来る。急に我に返って変なポーズしてる
自分がアホらしくなったりもするしね」
そんなもんか?と言いながら薔薇男は唸った。
「うぅん、でもまぁ確かに空しくはなる。でも我慢しようとしてやめれるもんじゃない。
でも好きな相手とするときとは違うよな。満足感っていうか。男で良かったぁってなる。
好きなやつとだったらね」
そこまで話を突っ込まれて戸惑った。適当な相槌でかわす。
蝉の抜け殻が桜の若葉に張り付いていた。
目で枝を追うと、中身だったらしき蝉が大人しく葉の裏で身を潜めている。
日本の一般的な蝉は七年ほど土の中にいるというけれど、
この蝉は今から声高に鳴いて交尾して一週間ほどで死んでいくんだ。
一週間でやらなければならないことを何もかもして、
死んでいかなければならない。
圧縮された濃密な生き方を、一週間で成し遂げなくては
いけない考えるとくらくらする。
すべての検査を終えた後、一月後には検査結果が自宅に届くと言われた。
薔薇男は「ニ、三日のうちには(薔薇レモネードを)持ってくから」と言って
車に乗り帰っていった。
「薔薇レモネード今のバイト先で出すか出さないかって話してんだよ。
俺の一押しだから、ぜひ出してほしいんだけどね」と言い残して。
そんな用件がいいたかったのなら、
持ってくるのを忘れるなんてありえないと思う。
僕らはここひと月以上会っていなかった。
大学の知り合いとその間隔で会わなくとも違和感ないけれど、
一時期にせよ、毎日顔を合わせていた人間と顔を合わさなくなるのは
なんだか寂しく感じるものだ。昔の自分が欠落したように。
薔薇レモネードは会いに来る名目の印だったんだろう。
持ってこなかったのは忘れたのじゃなく、
近いうちにまた長話をしようという約束なのかもしれない。
腕の採血跡がぷっくりと膨れてきた。
午後はファミリーマートでマイス・パレードのライブチケットを買い、
母親を近所のスーパーに買い物に乗せていく。
帰りにガソリンを入れようとするが、
チケットを買った所為で支払いがギリギリ。
そこで母親が「いつも(買い物に乗せてきてもらって)悪いので」といって払ってくれる。
ガソリンの大して入らない車なので15リットル1500円程度。
そのまた帰りに通りの喫茶店に入り、二人してチョコ・アイス・パフェを食べる。
アイスクリーム解禁。ここの支払いも母持ち。
「あんた生まれた時は女の子じゃなくてガッカリしたけど、
こういうのに付き合ってくれるから、まぁ男でもよかったかな」
といわれる。
甘党は多分母譲りなんだろう。父は甘いものをほとんど食べない。
週末になると決まって兄は帰ってくる。
今週もそう。特にこの頃は金曜の仕事が終わると
直行で家に戻ってくる。どことなくがつがつした感じを漂わせながら。
前に付き合っていた人とはもう別れたのかもしれない。
以前はあった兄の言葉の端から現れる女の影
みたいなものが、今ではなくなっている。
なんにせよ朝五時半からR&Bやらヒップホップを聴くのは勘弁してほしい。
入院した時に知り合った元DJの看護士の影響のようだが、
臥せていても脳天にリズムの部分だけが響いてくるのは辛い。
朝からいかがなものかと思う。六時前に目を醒ましたのも先週末ぶりか。
ラジオでNHKを聞く。NHKのニュースキャスターの声は
どの局よりもボソボソしていて心地いい。
抑揚の無い話し声は、抑圧的でもなければ陽気でもない。
僕は朝から無理矢理テンションを上げる番組が嫌いだ。
歌謡番組もバラエティもいらないから、一日中
あの喋り方をするラジオ局をひとつ開設して欲しいぐらいだ。
東海地方の一部で局地的な豪雨が続いている。
運悪く、僕は今日電車で学校に行った。試験日初日。
車は前日に排気口から白煙が上がり、故障してしまったので
どうしても交通機関を頼らなければならなかった。
原因はエンジン近くのバルブの磨耗だとかなんとかで、
部品の消耗によるものだったらしいが、
普段から車を無断拝借していたことが兄にばれて
今朝まで気まずい空気が後を引いている。
一宮あたりの集中豪雨が原因で東海道線が大幅に遅れている。
とりあえずやってきた電車に乗って、なんとか大学に辿り着いたものの
試験はあっさりと延期。豪雨地帯と同県内にも関わらず、
大学周辺は一滴の雨も降っていないというのに。
同じ科目を受けていた友人に連絡をすると、一宮の近くでは
「とてもじゃないけどどこにも行けない」状況だと教えてくれた。
仕方なく僕はそのまま折り返し帰ることにしたが、
出席や提出物等のことを尋ねに、
ゼミの教授に顔をだしに行くことにした。
青い紫陽花の花びらの頭を手で弾ませながら、
古ぼけた教員棟にさしかかる。
黴の生えててもおかしくない擦り切れた絨毯を踏んで
静かに回廊を歩くと、完全に沈黙していると思われる
個室から様々な音が聞こえてくる。
鉛筆の擦れる音、タイピングの硬質な音、
あるいは重い溜息だったり、物が倒れたりする音が。
ゼミの教授の部屋の扉には、夏季短期留学のチラシが
貼り付けてあった。そしてその下には何処から持ってきたのだろう。
蔓草の装飾の中に詩が書き込まれたオードのコピーが貼ってある。
部屋に入って手短に用件を済ますと、「ここのところ休みがちだね」と心配される。
教授は僕が病気がちな人間だと思いこんでいるので、
非難はされず、むしろ「試験頑張りなさいね」と励まされた。
僕はドアをノックしてから10分ほどで部屋を出た。
駅につくと新幹線は俄然出発の見込みはなかったけど、
東海道線は僕の家に向かう経路は問題なく動いていた。
帰宅したら家族は出払っていた。車が故障している以上、
兄は両親と一緒にどこか出かけたんだろう。
晴れ間の陽射しが差し込んできて、家の中が薄ら眩しい。
チェルシーに餌をやる。食いつきがいい。
つまみあげて体長を調べてみた。チェルシーは確実に大きく育っている。
以前飼っていたセキセインコは目の綺麗な鳥だった。
雛の時に熱湯漬けの餌にはまってやけどをしてしまったので
足が少し不自由だったけど、目の辺り、特に睫の辺りが凄く綺麗な鳥だった。
他の鳥はどうか知らないが、セキセイインコは頬に耳の穴がある。
頬を指先で掻いてやると、大人しくなって眠そうに欠伸をしたものだ。
家族の居ぬ間に久々にネットで雑貨・玩具めぐり。
所望のCDやプレイモービルは店頭にあまりないので、
ネットで注文することがどうしても多くなる。
(田舎のためか、地元タワレコの品揃えは微妙なところ)
naefのサイトを見たら知らぬ間にデザインが変わってた。
--naef
ttp://www.naefspiele.ch/ ネフはスイスの玩具メーカーでデザインに重きを置いた
玩具が多く、見ているだけでも面白い。
ただ、価格がちょっと子供のおもちゃとは思えないぐらいだけど。
ついでに面白いフラッシュ紹介のページで秀逸フラッシュ発見!
--FLY GUY
ttp://www.trevorvanmeter.com/flyguy/
今日は自分にとってとても大きなことがあって、
つい先ほどまでここの為にかなりの量を書き溜めていたけれど、
パソコンが固まって全部消えてしまった。ついてない。
もうこのパソコンには随分とうんざりさせられている。
今日の出来事といい、その事といい、当分立ち直れそうにない。
明日から試験ですし、しばらく書き込みを休むことにします。
時々保守にきますが、よかったら他の方書き込んでください。
保守っときます
試験はいまのところ順調。チューペのノートのコピーが活躍してる。
試験開けにお礼でもしたほうがいいのかもしれない。
お節介より、心配をしてくれているというのも一応分かっているので。
彼女の場合、どこかをぶらぶらするより
何か食べに行く方がいいんだろうか。
近所の大きな公園には、前に睡蓮の約束をしていた子と行く約束を
改めてつい最近取り付けてしまったし。
昨日は試験の合間に大学の敷地をぶらぶら歩いていた。
午後から丸鋏(というあだ名の同学科の男)と合流するつもりだったが、
それまでの昼休憩に時間を持て余す。
チューペも来ていたようだが、特に用もなかったので声もかけなかった。
また何か言われるのが関の山だし。
大学の中の日陰には結構人が集まっている。
来るもの拒まずがこの大学の方針であるためか、
高校生が学食に来たり、散歩中の年寄りがベンチに腰掛けたり
というのはよく見る光景。
天気もよければ弁当持ちの学生が木陰で昼食をとる。
申し訳程度だけど、昔からそなえつけてある為に緑の苔の威厳が出て、
存在感を持つようになった噴水で蛙が身を沈めている。
その辺に落ちている木の棒で水をかき混ぜてやると、
チョコレート色のぬかるみがたってカエルは逃げた。
試験は今日でおしまい。
ただでさえ土曜は午前中授業しかないのに、
試験が延期したことで教室にいる受験者もまばらだった。
基礎選択科目のひとつにすぎない試験。
この時間を放棄して多くの生徒たちは夏休みを繰り上げた。
それは正しい選択のような気もする。
暗転した雲が薄暗さと薄明るさを兼ね備えて、
窓の外に張り付いている。
確実に暗い教室は明かりを点けているものの、
切れかかった硝子質の蛍光灯が空しく点滅している。
その下で蝿が飛んで、小指の先ほどの影が机の上をちらちらしていた。
とは言っても回答はほぼ終えていて気になるほどじゃない。
前にいる4,5人の生徒たちも机に伏せたり外を眺めている。
残り二十分ほど。無価値な時間。
この時間を正確に測って、貯金箱にでも貯められればいいのに。
??【ショウコウ】状態のとき、
ブリジット・フォンティーヌの「黒がいちばん似合う」
という曲が聴きたくなる。
試験明けで色々書こうと思うけれど、
少々空回り気味。
今は自分のことでも書こうと思う。
僕は生まれた時が一番不健康だった。
3000グラムを切る未熟児で、私設の婦人科で生まれてすぐ
父親が籐の編み籠に真っ青な斑点を出した僕を入れ、
設備の整った市民病院まで急いで運んでいったそうだ。
(その籠は後に、母親が鳥屋に鶏の卵を買いに行く時によく使っていた)
生まれてすぐに保育器に入り、しばらくは親と離れて入院生活。
その合間に健康祈願を兼ねてか、神主の占いで名前を決められた。
期待させると申し訳ないので断っておくが、年賀状の挨拶に使いそうなとても平凡な名前。
僕が産むために母親は帝王切開。二度と子供を産めない体になった。
子供の頃風呂に入るとき、ぶしつけにも僕は
母親の腹の縫い目を見て「何これ?」と聞いていた記憶がある。
僕と兄の間には、本来もう一人子供がいるはずだった。
はずだった、というのは、その子が水子で流れてしまったということ。
性別もよく分からない状態だったそうだが、
墓参りに行くと祖父の墓石の隣に小さな子供の墓があって、
誰の墓だかよくわからずに僕は拝んでいた。
そして僕は親戚の家に遊びに行くと決まって、祖母に可愛がられていて、
祖母が僕を連れて知り合いの家に訪ねるとき、
決まって僕は自己紹介と一緒に「上の子の生まれ変わり」とか
いう慰み話に付き合わなきゃならなかった。
生まれ変わりというのは語弊があると思う。
少なくとも、「上の子」という実際に目に見えない存在が
僕にはおおまかな生活の流れの中で、とても大きく思われていた。
その頃は自分の兄弟だという認識もなかったので、
多分それは、目に見えない僕のの友達で、墓地にある小さな水子像が
その「上の子」の家だろうぐらいに思っていた。
そんな考えは家族に一言も喋ったことはないが、
家族もあまり「上の子」については語らなかった。
祖母は父方の祖母なので、僕は祖母の家に遊びに行く時は
決まって父の車に乗って出かけた。父からすれば実家帰りというところ。
五歳違いの兄は滅多に一緒に行かなかった。
昔は僕以上に頻繁に出かけていたようだけど、
僕がその家に遊びに行く頃には、もう遠慮がでる年だったからだろう。
母は元々祖母と犬猿の仲だったので絶対に行かなかった。
祖母は真面目な仏教徒で、僕が遊びに行っても機会さえあれば
墓参りに僕を連れ出した。
そして「上の子」に作った前掛けを水子像に被せて、
同じ墓地にある水子像や無縁仏にも揃いの前掛けを作って被せていた。
僕がいるときには、決まって僕もその仕事を手伝った。
おおよそ僕が連日泊まりで遊びに行く時は盆のさなかなので、
家の仏間には回り灯篭が置かれ、墓地に参りに行くと、
提灯に迎え火を焚いて家に持って帰る。
祖父と、「上の子」の二つ分。
この提灯は七夕祭りか地元のスーパーで買える。
この行事は僕にとって、「上の子」を家に連れて帰る不思議な儀式だった。
心なしか帰り道車の中で提灯の炎が揺れると、誰か一緒にいる気がした。
車は父が運転し、祖母と僕が後部座席に座っていたので、
決して口にはしなかったが、僕は脳内で助手席に祖父、
自分の隣に「上の子」を座らせる決まりを作ってたぐらいだ。
助手席の祖父はシートベルトはどうするんだろう?と勝手に悩んで。
上の子がいるという意識はしょっちゅう感るものじゃなかったが、
折に触れると僕は考えている。
学校で友人たちがおばけや幽霊の話をしてるさなかも、
おばけが全部怖いわけじゃないのに、
と一人考えることもよくあったこと。
ある年の春先に、水子像の前掛けの下に蜜蜂が小さな巣が出来ていて、
刺されると危ないから。ということで取っ払ったことがある。
そして翌年も同じように蜜蜂がまったく同じ場所に巣を作ったとき、
父と祖母が感慨深そうに「寂しいんだねぇ」と言って
その年は巣を取らずに残した、ということがあった。
そのときは僕は内心で上の子を誉めていた。
蜜蜂と友だちって訳だね?と。
別にそんなことがあったからといって、
特別な体験も恐ろしいことも今だかつて起きたことはない。
あったのかもしれないが、全く鈍感な僕らは気付かない。
年を重ねるごとに祖母の家も訪れなくなり、
上の子とも次第に疎遠になっていって、受験や入学式など節目の時期に
お参りにいく程度になってしまった。
でも年齢があがるうちに、実際は墓地の場所が昔僕が思っていたほど
遠い場所にあるわけじゃないと知った。
駅から家に帰るまでを、少し遠回りするだけの道にある。
時々墓参りに行くと、前掛けはさすがに頻繁にはかわらないが、
花は大抵の場合新しいものが飾ってある。
祖母はまだ墓参りに訪れているようだ。
去年秋ごろ、急に思い立って僕は一人で墓参りに行った。
花も供えるものもなしに出かけ、近くの雑草の花を千切って添え
たまたま持っていた飲みさしのオレンジジュースを上の子と祖父の水杯に注いだ。
当然だけれど、墓はあまり変わり映えなかった。
祖母の家は一緒に住んでいる叔父夫婦によって現在は立て替えられたけれど、
此処は残るんだとそのときぼんやり思った。
試験の余った時間のような、そんな無価値な時間にも、
ぼんやり思い出される記憶となって残るんだろう。
昨日の夜の激しい雨で、朝から空気が冷えていて涼しい。
アイスクラッシュを投入した薔薇レモネードを片手に庭で煙草を吸っていると、
たまにやってくる猫が目の前を横切る。庭の敷地の中を平気な顔をして歩いていく。
露に濡れた草で足がしっとりと湿っていた。
こちらをじろりと眺め、不満顔で軽快に去っていく。
菫の花鉢が食い荒らされている。
ひょろひょろ伸びた茎だけで花と葉が完全にない状態。
原因は数日前に大量発生した毛虫。
なにかと思えば、蝶の幼虫らしい。20匹はついている。
ここのところふらふらしてるオレンジ色の蝶が、卵を産んでったんだろうか。
母親が気味悪がって毛虫を全部とってケースに移し、水をかけてしまった。
しまいには成体の蝶まで「あれは絶対に蛾!毛虫がすごいついてるし」
と言い出し、飛んでるものも叩く始末。
蛾か蝶かという問題で殺すのはどうかと思うが…
蝶の名誉挽回の為に今ネットで調べていたのだけれど、
ツマグロヒョウモンという蝶だと分かった。
パンジーの葉っぱを食べるとある。そのものじゃないか。
後で母親を叱っとかなきゃいけない。
チェルシーの画像を出してみました。
ケータイで撮ったのでわかりにくいと思いますが。
http://venus.aez.jp/uploda/dat/upload8561.jpg
裏の敷地で家を建設中。うるさくて目が覚める。
土台つくりでかなり時間がかかっていたが、
建物の建築に移ってからは作業が早い。
作業員の男らがあれこれ話す会話が筒抜けだ。
なんとなくだが気さくな人たちのよう。頻繁に笑い声が上がる。
部屋の真向かいに家が出来るのは正直歓迎できないけど。
ちなみに右隣の敷地にも家が突然建つことになり、
コンクリートを流し込んでいた。
住み出して十年目にして建築ラッシュに遭う。
(我が家もかつては引っ越してきた組)
何か時代の煽りでもあるの?
午前中にNHKで鏡の国のアリスがやっていた。
イギリスのBBC放送を吹き替えしてるのか?
という雰囲気だけどどうだろう。
映像からすると、わりと新しいものだと思う。
朝食をたべずにお茶を飲みながらぼうっと見ていた。
ここのところ寝起きに喉がやたら渇く。口を開けて寝てるかもしれない。
昨日の話を兼ねて。
近所の菓子屋でヤーウィを格安で購入。
オーストラリアのチョコエッグのようなチョコレート菓子。
卵型とは言えない(?)チョコを割ると、
中からプラスチック製の動物が出てくるというものだけど、
その質感はかなり雑…でも包装紙のキャラクターにはなかなか味がある。
---キャドバリー(ヤーウィ製造メーカー)
http://www.cadbury.co.nz/yowie/ 日本のキャドバリーというとキシリトールガムのイメージしかないが。
チョコも結構作ってるんだな。
公式サイトは初めて見たけど、パッケージのイラストとなんだか違う。
(パッケージの外観が載せてある個人のHP↓)
ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~gora/yowie.html 中のおもちゃはかなりの低い確率でこのYowieが入ってるらしいが、
二つ買ったうちから出てきたのは鳥とワニみたいな生き物だった。
正直ヘボイ。
更に文句をつけると、外側のチョコが究極にマズイ。
キンダーサプライズも相当にマズイが、こちらもなかなかの酷さ。
これはyowieキャラが出てくれないと割が合わないだろう…
海外のお菓子は気を惹かれるものが多いが、
実際に買ってみると、「これは食べれるのか?」
思うものが山ほどであって困る。
極彩色のグミやキャンディは見てるだけで虫唾が走る。
31アイスクリームは案外うまいけれど、
見た目的にはかなりやばい。モンスターズインクのサリーを博したものしかり。
簡単に手に入る外国産の菓子で、これはおいしい!と思ったのは
"juiceful"というドイツ産のキャンディ。ソニープラザで普通に売ってるはず。
形状はメントスに似たバーになっていて、味も種類も選べる程度にはある。
キャンディ自体は色合いも美しくて宝石の粒のよう。
中にとろりとした液体が入ってる。
それのあたりで好き嫌いが分かれそうだけど、
気になるようなら一度お試しあれ。
僕はラズベリーが好き。
問題は僕自身が電車を乗り継がないと、
ソニープラザには行けないけどね。
夜風に当たりに外に出た。十時を過ぎている。
日中に薬局に行き、前に書いたダーハンの睡眠改善薬の
ちらしを見つけて何気なくもらってきたのだが、
その時後ろにいた客の目が忘れられない。
眠剤を手にとる人間の印象は、
そんなに哀れで惨めそうなものなのか。
本当は家族は僕が夜出歩くのを快く思っていない。
一応小学校も近くにある住宅地なので、不審がられるのが嫌なんだろう。
考えてみればひと月ほど前に、殺人を目論んだ放火も近くの町で起きている。
夜中に散歩に出歩くだけで人目を気にしなきゃならない。
嫌な世の中になったものだ。
日常に狂気と、疑心暗鬼が混じりこんでるんだから。
今夜は曇り。
昼間が晴れるのに対して夜はあまりすっきりと晴れない。
公園の桜の木の下で、持ってきた文庫本――宮沢賢治の銀河鉄道の夜をめくる。
何度も読んだ本。星の話が出るが、空に星は見えない。
遠くで静かに救急車の音がするだけ。
代わりに公園の端に別の徘徊者の姿が見える。
ぼろぼろの服を着た痩せた男。縮れた髪と顎鬚で不潔なのはすぐ分かる。
入り口で突っ立ってこっちを窺ってる。恐ろしいのでそのまま逃げた。
話し掛けられたとしても、答える勇気はなかった。
単なる臆病者だ。僕は。
小学校の周りの花壇の一つに、季節はずれのダリアを見つける。
こんな夜の間に咲いてるのか、見当違いとしか言いようがない。
等間隔で設置された白熱灯の光に青褪めて見えた。
遠方の工場地帯のほうを眺めると、緑と赤の光が決まった点滅を繰り返している。
火力発電所のある方角だ。鉄塔の光だろう。
チューペが気味悪がっていたのも、あの光と同じだろうか。
気分が悪いが、それでも尚眺めていると、一瞬動悸が早くなった気がした。
冷や汗が出る。体調の変化じゃない。少し恐怖心で焦ってるだけ。
時おり、夜出歩いてることが急に恐ろしくなる。
人のいない場所でも、人の溢れてる場所でも。
そうなると誰にも見られないよう、なるべくトイレに駆け込むが、
そんな時は天井の電灯がやたらと眩しく感じる。
特に黄色かオレンジの物は頭痛がする。
明るさと暗さが分からなくなる。
でも焦るのが一番よくない。呼吸が荒くなって立っていられなくなっても、
三十分ほど大人しくしていれば必ず良くなるから。
最悪床に座り込んで洋式便器に凭れるけれど、どうしようもない。
吐こうとするが出ない。波が去るまで待つのが一番の安全策。
動悸が出たのが自宅に戻ってからで良かった。
帰宅したのが十一時過ぎ。両親はとうに寝てる。
気分が悪くなるのは高校時代以来なので本当に焦った。
台所で水をペットボトル一本分近く飲む。
シャワーを浴びて暫く横になった。
そして眠れずにパソコンの前。
誰かのどうでもいい書き込みを見てるとかなり気分が落ち着く。
それからここに書くことで今自分を整理してる…
高校のとき、行きの電車で同じ事をやって、救急車を呼ばれてしまったことがある。
てんかんじゃないかとか、遺伝か、精神的なものじゃないかと言われたし、
単に朝食を抜いて駅で猛ダッシュしたからじゃないかとも言われた。
でもいまいちよく分からなかった。救急車に乗るまでのたうち回ったが、
診察の時には平然としていたので結局謎のまま。
この発作みたいなものは中学から始まったが、
そんなに頻繁に起こりはしなかった。年に一度あるかないか。
高校の時は必ず夏休みから夏休み明けの間に起きてた。
でも高校を出て数年全く何もなく、
夏に力仕事のアルバイトをひと月ほどしてても問題なかった。
完全に治ったと安心していたけれど。結局なんだろう?
治るもんじゃないんだろうか。
ただ、人前でこれをやると、過剰に周りを心配させるのでよくない。
救急車を呼ばれるぐらいだから、周りから見て結構酷いんだろうとは思う。
それでも正直、知らない人にまで心から心配されるのは
なかなか悪くない。
普段電車の中では、乗り合わせた人たちは全く無関係な感じだが、
これをやると本当に親切な人は沢山いるんだなと実感する。
上着を縫いで被せてくれたり、席をあけてくれるよう頼んだりしてくれる訳だ。
列車がが走ってる以上はどうしようもないが。
(こんな時も電車は止まらない。終点まで我慢してねと言われて我慢してた)
なので実は構ってもらえると、断然後で気分が良くなる。
書いてるうちに機嫌がよくなってきたので、
変なことを書かないうちに寝ることにしよう。
このスレにる皆さん、おやすみなさい。
昨日の夜の分の自分の書き込みを見て、なんだかなぁ。と思ってしまう。
夜中に文章を書くと、どうもやっぱり、やってしまったなぁという感じですね。
わざわざ書かなくていいような事を長々と書いて。
夜中に書くのは控えよう…反省。
でも実際、今日はすこぶる気分が良かったりする。
小学生は連休前に夏休みが始まったんだとばかり思っていたが、
実は今日が終業式だったらしい。
いつも駐車場のそばに立っている緑のおばさんが教えてくれた。
暑い中ご苦労様です、とねぎらう。
白い積乱雲が紺青のの空の大半を占めると、夏休みの始まり。
球体の中心にいくほど青が濃い。夏らしい空。
この時期になると、いつも必ず朝顔を埋めとけば良かったと後悔する。
今からでも遅くはないんだろうけどなぁ。
どうせなら朝鮮朝顔みたいな無駄にでかいものがいいのだけど。
小学校のそばを自転車で通ると、プールから歓声が聞こえる。
授業ではなくて水泳部の子供が騒いでるらしい。
普段から泳ぎなれた子供でも、夏日の水泳はやっぱり楽しいんだろう。
昨日行った公園の前も通ったが、まるで昨日夜とは様子が違った。
半袖半ズボンの男の子たちが、蝉を狙ってヘタクソに虫取り網を振り回してる。
僕が脇で「ヘタクソだなぁ」とぼやくと、「じゃぁ取ってよ!」と言い返される。
やってみると僕も同じぐらいヘタクソだった。無駄に汗が出ただけ。
お詫びに近くのコンビニでアイスを奢ることに…
奢ったアイスは「蝉アイス」と勝手に命名された。
だからといって、別に蝉は入ってない。ただの選んで買わせたアイスだ。
蝉がアイスに化けたということだろうか。
どうでもいいが、地面に落ちた分のアイスを虫かごに入れて
「カマキリ、アイス食べろ」というのは良くない。
いくらなんでもアイスは食べないだろう。
小学生と別れてコンビニで立ち読みしていると、
チューペから電話がかかってくる。
電話は嫌いなので出たくないが、しぶしぶ出た。
用件は「明日暇なら買い物行くのついてきてよ」とのこと。
買い物は一応の名目。要は運転手をしろという意味。
チューペは自分で車も免許も持ってるが、男と一緒に出かけるなら、
男が運転するものだと思い込んでいる。
チューペ王国で勝手に施行されてる謎の法律だ。
昨日の今日で、明日運転。でいいのか?と思ったが、
まぁ大丈夫だろうと思って「いいよ」と言う。
(免許を取ってから気分が悪くなったことが無かったので、
少しは心配がある。でも連日気分が悪くなることも絶対に無かったので)
試験ノートの感謝のお返しもしとかなきゃならないだろうし。
ということで帰宅してからは車の掃除を始める。
カーステレオにはラジオとカセットしかないので、
前に録音したカセットを引っ張り出してきて
mumのfinally we are no oneを聴きながら掃除。
アルバムのタイトルは暗そうだが、曲は明るい。
アイスランドの五月、若葉の頃という雰囲気。
green grass of tunnelなんて、曲名が「となりのトトロ」っぽい。
歌詞カードもなしに勝手に想像して書いてるだけだが。
ダッシュボードからぞうきんと正露丸とドラえもん切手の
お知らせ(広告?)が出てくる。なんだこれは。
後部座席の下からはエロ本とラジコンも出てきた。
兄のものだと思う。エロ本は結構えぐい内容。
母親やチューペを平気で乗せてたと思うと冷や汗ものだ。
ちなみに車は乗らないとエンジンの調子が悪くなるというので、
兄が乗ってもガソリン代を僕が持つことで、乗っていいという許可が出た。
あと、洗車とワックスと掃除もしとけということ。
正露丸とエロ本は部屋に返しておいた方がいいのか悩むところ。
母親に見つかっても俺は知らない。
今日はチューペと出かけたが、
そのことについて書くのはまた機会があればにしようと思う。
ここの所、女友だち関係+母親のことでちょっと疲れてる。
母については既に少しづつここで愚痴ってしまっているが。
別に彼女らに目立った問題があるわけじゃないのだろうけど、
なんとなく僕のほうは拘束されてる感覚がある。どうしてか分からないが、
僕の周りにいるそういう人に限ってそう感じる。僕の自己卑下なのか?
それからそういう人たちに限って、グループでどこかに行ったりしよう
という動きが無いし、完全な一対一で丸一日一緒に過ごしたがる。
彼女らが僕が気に入ってるのか、他の人間が嫌いなのか知らないが。
故意じゃないのかもしれないが、結果的にそうなる。
正直そういうのは、結構疲れてしまう。
まるで空き地に捨ててある猫の顔色を、
女が数人、かわるがわる様子伺いに来てるみたい。
他の捨て猫はさっさと自力でどこかに行き、変に空気を読む僕だけが
逃げないようにと紐で杭に打たれてるような感じ。
表面的には「勝手にどっかいっちゃうと危ないよ」と理由をつけられて。
でも本心では何らかの都合で、自分の手元に置いておきたいだけ
なんじゃないの?と思う。運転手だとか、気休め相手とか、そういう理由で。
感じ悪いな僕も…知り合いの愚痴話になりつつあるのでこのあたりでやめ。
平日は兄がいないので、兄の部屋との仕切り扉を外して寝ている。
裏の家の建設工事の音で目が覚め、
兄の部屋の南向きの窓越しに、
ほんの少し、庭の樫の木の頭が見える。
そよ風で葉が擦れてカラカラ鳴る。
トントンという金槌の音とあいまって、
眠気が再び戻ってくる。
昼前になって二度寝からの目覚め。
そこから外出。18時前に帰る。予定より早い帰宅。
なにもすることが無くはないのだけど無くて、
夕食の後にパソコン。
なんだか急に海外に行きたくなって、
旅行サイトや海外の観光サイトを見たりする。
オーストリアはなかなか良さそう。
ドイツもマニアックそうな国で気になる。
知り合いでスイスに行った奴がいるが、
スイスも景色がとてもいいらしい。
高山列車に乗ってゆったりと巡っていくのは楽しそう。
スイスまで行かなくても、
日本の黒部、アルペンルートあたりでも面白そうだと思う。
おばさんに囲まれながら観光ツアーバスででも、
一人で行ってしまおうかな。
とうとう噂のペプシブルーを購入。
恐ろしいぐらいに澄んだ青。本来はどす黒い飲み物が
どうやったらこんな色になるんだ。
(当然着色料の関係。でも濁った色を透明にするのは可能なの?
それとも普通のコーラ自体あの色に染めてるのか?)
飲み口を傾けると、中身が紫色になってるように感じる。
味ははっきり言ってまずい。クリスタルガイザーで口直し。
ペプシレモンは案外うまいのに。残念。
昨日の観光話のついで。
サイトを見てるうちにウィーン少年合唱団の記事を見つける。
たまに新聞の隅にライブ告知も載ってるが、
やたらしょっちゅう見かける気がする。
彼らは年がら年中、世界を回って歌ってるのか?
前にウィーン地元だかコンサート会場では、
プロマイドも販売されてるらしく、
いわゆる日本のジャニーズっぽい役割も担ってるご様子。
なんだかなぁ、という感じはあるが、
そういうのはやっぱりどこでもある事らしい。
以前授業で、イギリスでは昔から教会が一種のコミュニティだった、
という話をしていた。
毎週日曜の集会に決まって人が集まれば、
当然教会は暇な奥さん方の噂話の宝庫の場所になるし、
他人の服装チェックの場にもなってたり、
かっこいい男や美人女の品定めもやっていた、とかなんとかいう話。
参考までに書くと人気があったのは、
若くて声のいい説教上手な牧師だったり、
独唱のうまい男だったとか。
(教会以外のところでは騎兵隊も人気があったとか)
確かにビョークやトム・ヨークのような美声隊がいきなり教会で独唱したら、
いっぺんに注目されるだろうね。
僕が授業をとっている教授の中にはオックスフォード大出身の教授がいるが、
その人の喋りはリズムがあって、失礼ながら聞いてるとなんだか眠くなってくる。
僕らが聞き取り下手なので、余計にゆっくり喋ってくれてるとは思うが、
教授が詩の朗読をする時は教室は静かになる。大半は机に突っ伏すので。
後々聞いた話によると、オックスフォード大学ではオックスフォード・イングリッシュ
というのがあって(オックスフォード大学特有の綺麗な喋り方?)
それが出来ない生徒はいじめやハバにされるんだそうだ。
けっこう陰湿な世界。
余談だけど、その先生の授業でイギリス紹介のビデオを見たとき、
朝食を作ってる親父が、一つのフライパンで同時に
ハムと卵とトマトの輪切りをいっぺんに焼いてるのが驚きだった。
つっこみどころは色々あるが、なによりトマトを焼くんだなぁと…
今日は昼にお目覚め。
牛乳無しのシスコーンを齧って朝昼食にする。
どうせ間食するんだから難を食べても一緒という感じ。
コーンフレークに牛乳をかけた後に残る甘い牛乳が嫌い。
フレークにヨーグルトをかけて食べるのは好き。
はっきりいってそれは食事というよりも、お菓子だけど。
日曜に就職関係の筆記試験があるので、
その準備として洋服箪笥からスーツを引っ張り出した。
大学の入学式の時に購入したものだ。
防虫剤の匂いがしっかり染み付いている。
このまま出しておけば匂いは消えるかと心配。
白のワイシャツは何度か洗濯を潜った所為で、
それ自体の色より少し青白い。
近くの自販機まで煙草を買いに出る。
まえに買った分は、結局全部吸わないうちにしけってしまった。
兄が家にいた頃は兄にたかればちょうど良かったけど、
今は自分で買って、週末に余った分を兄に押し付けている。
煙草ひとつ我慢すれば、ハンズで売ってる
鉱石標本の一つぐらい買えそうだとたまに思うけど、
たまの週末に兄に煙草を渡すのが妙な兄弟コミュニケーション
になりつつあるので、なんとなく煙草を買いつづけている。
実際僕が吸うのは、買った時と、それから三日に一本吸うかどうかという程度。
あまり吸うと食べ物の味が変わるので嫌だったりする。
元々が煙草を吸ってる雰囲気に憧れて
吸い出しただけだから、自分でも馬鹿だなと思う。
兄はもうやめられなくて、我慢できずに吸ってるそうだが、
僕は気分的にたまに吸ってるだけだ。
鉱石といえば、小学校の学研の付録以来
ちょくちょく買い集めてる。
そうは言っても、石自体そんなに詳しくないので、
気に入った色のをたまに機会があれば買うという感じだけど。
大学で博物館実習に行った時、
博物館の土産物屋で売っていた水晶クラスターが
あんまりに激安だったので握りこぶし大のものを買ってしまったけど、
後になってどうするんだと思って暫く机に仕舞っていたが、
そして最近ちょうどチェルの遊び場にいいんじゃないかと気付く。
今はチェルの住んでるケースの中でチェルの休憩所の石になってる。
氷山に乗っかった亀という雰囲気もそれなりにオツ。
前も小型の金魚鉢に小さな蛍石や瑪瑙を入れて、
祭りで取ってきた金魚を飼っていたが、
親におまえほんとに石が好きなのか?と疑われた。
どうやら蛍石は水につけると良くないらしい…
やたらと何か集めだすクセは父親からの遺伝だと思う。
父も昔から切手やら記念コインを集めていた。
そのせいで未だに我が家には、
百円札やオリンピックコイン、価値が不明なコインがある。
父は切手あたりは結構本格的に集めていたらしく、
父の本棚を漁ると切手帳が何冊も出てくる。
(勝手に触るとかなり嫌な顔をする)
僕も小学生ぐらいの時は、休日に桶に水を張って
使用済み切手を剥がす作業を手伝わされた。
ちなみに母親は、結婚する前に集めてたという
少女漫画や雑誌を今もひそかに秘蔵してる。
(こちらも暇な時に勝手に見ようとすると本気で怒る)
近頃単行本が再販された西村祥子さん?という
漫画家が好きだというのを前に物凄く語られた。
他にも当時のジャノメミシンの使用説明書だとか、
服飾雑誌もあるが、服の雑誌はやっぱり凄い。
中でもウエディングドレスの写真は色んな意味で相当凄い。
でも今でも充分通りそうなものもたまにある。
そういうのは派手でなく、かつ案外奇抜なもののだったりする。
全体的に飾りが無く、長袖の純白のワンピースドレスに手袋、
頭に小さい帽子を載せて、その下に髪がほとんど隠れる
白いベールの布を被ったような格好のウエディングドレスを見て、
「教会の人みたいだけどこれならいい」と母に言うと、
「あんた将来に向けてお嫁さんのために作ってあげれば?」と
無茶苦茶な事を言われた。
86 :
夢見る名無しさん:04/07/24 15:31
夏期休暇入って最初の土日連休というので、
父方の祖母の家に顔見せに出かける。約一年ぶり。
去年の年末は、なにかと用を作って避けていたけど、
今回はどうしても逃げ切れなかった。
でも日曜(あす)が試験日なので、早めに引き上げればいい。
実際にそれを理由に帰ろうとしたが、引き止められることも無かった。
祖母の家は同市内の古い町にある。
途端張りの家がひしめき合って隣接する、
山の斜面と、工場密集型の狭い海沿いの町。
県内に数多くある、山車を使う祭りの有名な場所の一つで、
それなりの歴史がるが、町全体も古い。
あちこちに細い脇道と袋小路がある。
家と家の合間の2メーター幅の小道を抜けて、
両側の家の庭から出たクスノキの枝葉を日傘に
夕方気持ちよく歩く人たちを見かける。
祖母は元気だった。
うるさいぐらいにがなりたてて喋るのがちっとも変わらない。
急に部屋の奥へ入っていったかと思うと、
おこずかいだといって小さな袋に札を折って入れて差し出す。
さすがにこの年で小遣いなんて貰えないと僕は遠慮したが、
祖母は正月に来なかった分だと言って僕の手にねじり込んだ。
封筒に僕の名前が走り書きしてある。ただ、名前の漢字が違っている。
祖母はいつまで経っても僕の名前を正しく覚えてはくれない。
たいていはこの家に訪れても、父と祖母が独壇で喋るだけで
僕はあまり話さない。一人でテレビを見たり、
二人の間で気のない相槌を打ってるだけだ。
顔見せと言っても来る意味があるのかは、ちょっと疑問だ。
よく遊んだ従兄弟たちも、今はもう家を出たり、
会ってももう挨拶するだけの間柄になりつつある。
祖母は現在、本宅を叔父夫婦に譲り、
いまはひとり昔からある”はなれ”でのんびりした生活をしている。
それでも――何も喋らない僕に祖母は煎餅やらミカンを勧め、喋りかけてくる。
そして僕の返事なんかちっとも待たずに、
「学校の先生が一番ええ仕事だよ」と言う。
僕は大学で教員課程さえ取ってないが、それは黙ったまま笑顔で頷く。
祖母がお決まりの戦後すぐの話を始めたところで、
(「わたしらが子供の時はねぇ。奉公に出て…」)
僕は上半身を逸らして奥の部屋を覗いてみた。
仏壇の前に対になったニ脚の回り灯篭が今年もあった。
水色の提灯の中で、赤い金魚の描かれたランタンがくるくると回転し、
祖父と、僕の上の子にあたる水子の位牌を、青く赤くちらちら照らしている。
回り灯篭を見ると、きまって夏祭りの夜を思い出す。
どうやら僕の中では、祭りの出店の光景と
灯篭の色合いが一つのセットになってるよう。
――多分あれの色だ。
露店に吊り下がっていた、五色の鮮やかな水飴の色。
夏祭りに出る夜店の商品が、今と昔ではかなり違うと感じる。
今はなんだか観光地やハイウェイ・パーキングにもある
つまみ系の食べ物がけっこう多い気がする。
僕の記憶に残ってる当時の露店は、
もう少しいかがわしい雰囲気が漂っていた。
今でこそ無いが、動物関係の販売が目立っていたように思う。
夜になるとやってくるヒヨコ売り。
橙色の裸電球で露台を照らし出し、
ぎゅぎゅうの箱で押し合うヒヨコを売る光景。
(「売れ残ると、ヒヨコは焼き鳥屋に売っちまうんだよ。と
店主の男が店先の子供を捕まえて言っていた)
大型のポンプを付けて、盥やビニールプールに
泳がせて売られていた錦鯉。
(金魚すくいに乗じてか、鯉釣りというのもあった)
そしてその地域に限って必ず現われる謎の玩具屋と、
(扱っている玩具がやたらと古臭い)
上にも書いた五色の飴を売る水飴屋。
(ピンク・ミドリ・水色、透明のグラデーションに
容器の大きさ順に積んで並べた蛍光色の水飴は、
細かい気泡が浮いてとても綺麗だった。
でも価格は明らかにぼったくりだし、
絶対に一家族でも食べきれる量じゃない)
そして僕のお気に入りはオランダ・ポテトという
フライドポテトの露店だった。
じゃがいもを一度すり潰して甘く味付けし、
形を整えてフライにするポテト。
これは今でも売ってるものだと思う。
そしてさっき家に帰宅し、明日の試験に必要な道具の準備をする。
一度着てみろと母親に言われて着てみたが、
通りがかった兄に「似合わんな」と笑われた。そして兄に
「ネクタイがおかしい」と言って、結び目を直される。
兄弟で向き合うと異様な感じがする。
スーツ姿を直されるなんて、特に息苦しい。
「さっきこずかい貰った」と言って祖母から渡された封筒を見せると、
兄の目つきが怒りの色に変わる。
「いくら?」と聞かれて僕も中身を見てなかった事を思い出す。
封を開けると二万入っていた。兄は黙っていたが、
明らかに機嫌が悪い。
そこを通りがかった父が、
「お前と半分づつ分けろってばあさんが言ってたぞ」と兄に言った。
そんなこと祖母は一言も言ってなかったはずだが、
僕も頷いて半分渡す。兄はちょっと拍子抜けな顔をして、
「ふぅん。じゃぁもらっとく。明日お前試験なら、
そこまで俺が乗せてってやる。ついでにフィガロもたまには運転するから」
と言って部屋に戻っていった。現金な人。
父が後で、スーツを脱いでる僕の隣に来て、
「黙っとけば二万貰えたのに。高い運賃になったな」と
言って庭に水遣りに行った。
試験日当日、兄の運転で試験会場へ向かう。
場所は家から遠くはない。兄は僕を置いてそのままドライブに出かける。
試験が終わったら連絡を寄越すようにと言い残して去った。
会場に大勢のスーツを着た男女が集まる。
年齢は同じ年頃の人間を中心に、
少し離れた印象の人もちらほら。
手続きに手間取った後席につくと試験用紙を配られるが、
すでに意識が散漫している。
行きがけに兄が、「この車、俺が手放したら次は配車だ」
とフィガロのハンドルを握りながら言っていたのが頭によぎった。
試験自体は休憩なしで一気に行われた。
黙々と動く鉛筆の音。時間が経ち、西日が眩しくなると、窓にカーテンが閉められた。
揃って同じような服装をした人たちが並んで必死に問題を解く姿は、
ある意味で高校の授業を思い出させる。カーテンの隙間から降る
金色の縦筋がテーブルを二つに裂く。この筋が合否の分け目のよう。
でも、誰もそんなものに気を惹かれやしない。
上層から降りた一本の光に、誰も見向きもしないのを想像すると、
ちょっと滑稽で楽しい気持ちになる。
僕は一通り問題を解いた後、鉛筆をその縦筋に沿って置いてみた。
鉛筆そのものが新しい生き物のように、眩しく輝いていた。
試験終了後、受験者は五分もたたないうちに一斉に帰っていった。
僕もふらっと外に出る。兄に電話はまだしない。
会場の真隣りにある市民病院に入って、売店を物色。
幸運か意外というか、僕は入院したことがないから、
病院には興味津々なのだ。
商品は様々。食玩から絵本に雑誌、着替えや生活用品におにぎり。
その他にも高血圧者向けのジャム・ポーションや、
(ジャムは気になって買ってみた。
チョコレート・スプレッドとオレンジ・マーマレード)
壜の牛乳、各種新聞、歯ブラシ、大量のあんぱんとメロンパン。
しまいにはコンドームらしきものまである。外来者用?
休憩所に行けばファーストフードやガム、アイスの自動販売機。
下手なコンビニより必要なものが揃いそうな勢いだ。
僕は菓子ブレッドとジャム、牛乳を買って店を出る。
回廊は入り組んでいて静謐。人は少ない。
まだ外来見舞いの受付を始めて間もない時間。
壁に個人サークルが描いた絵が掛かっている。
外の休憩所で医師が煙草を吸っている。
日曜にスーツで病院をうろつく僕はそれなりに異様。
便所を借りて間もなく外に出た。
外の光を浴びて病院は窓が少ないんだな、と気付く。
窓が多いのは患者のいる部屋だけだと思う。
病院の周りには様々な施設が集まっている。
団地や郵便局に保健所に小学校。
どの道路も平坦で整備が行き届いている。
小学校は特に最近出来たもので、デザインが周囲に対して逸脱した感じ。
凝ってる分周りから浮いてるのだ。
シルバニアファミリーに出てきそうな学校。
僕はふらふらしながら団地の周りの花壇の木陰に座ることにした。
そこでパンを食べる。
変な人だが、どのみち他に場所がない。
それに木陰は思ったより涼しかった。上着を脱いでネクタイを緩めると、
胸元が涼しく感じられる。
パンにジャムを塗りつけて食べていると猫が寄ってきた。
病院の外来食堂の裏に住み着いてる猫だと思う。
パン屑を分けてやり、パンが無くなって、花壇のどんぐりをなんとなく
コンクリートにすりつけて潰していると、
僕と同じ年頃の男性が小さな女の子の手を引いて近づいてきていた。
「パパ、猫がいるよ」
女の子がが猫を気にして近づくのに対し、同じ年頃の彼は
どんぐりをつぶして喜んでる僕を、
子供を見るのと同じような微笑みで眺めていた。
なんだか急に僕は泣きそうになって、立ち上がる。
猫にだけ顔を向けてバイバイを言い、早足にその場を去った。
家に帰って家族に試験のことをいろいろと聞かれたが、
曖昧に濁して部屋でごろごろする。
薔薇レモネードがまた飲みたくなったが、
どうやって作るのかいまいち分からない。
作った本人は僕がテスト期間中の時に自宅まで持ってきてくれた。
確かレモンの蜂蜜漬けを作るとか、
ローズヒップが入ってるとかなんとか言ってた。
渡されたのは濃い原液で、勝手に薄めて使ってくれというものだった。
「レシピとしてけっこう有名だと思う」と言ってたが、
ネットで調べても微妙に違うレシピしか出てこない。
一瞬それでもうまければいいか。と思うけど、
根本的に出来上がったものが紅茶寄りだと僕が飲めない。
(冷たいレモネード寄りになるものを求めてる)
結局それではダメという結果になる。敗北。
紅茶にレモン味を足すんでなく、レモンに薔薇味を足して欲しいのだが。
晩は母親に代わってカレーを作る。
その間母は昼寝ならぬ夕寝をしていた。
父親が怪訝な顔をする。
夕飯を母親が作らず、息子が作ってることが本当は気に入らないのだ。
雑誌の立ち読みでドリームペッツの販売を知る。
ドリームペッツは簡単に言うとモダンペッツの元祖みたいなもの。
ttp://www.dreampets.jp/frameset.html 実は何ヶ月も前から売ってたらしい。知らなかった。
それにしてもサイトの妙なプロフィール設定は
つけないほうが良かったのに。
4,5体まとめて置いたらよさそうだ。
昨日から今日の昼にかけて、なにもない一日。
朝起きて、食事をして、昼寝して涼んで日が暮れる。
夜はごそごそしたが、0時前に就寝。
翌日母親に買い物に乗せていかなくていいのかと聞くが、
母は洗濯物に取り掛かって出かける気配は無い。
今朝はバナナと牛乳。昼は前夜のカレーの残りを食べる。
台所に出たゴキブリを洗剤まみれにして、皿の角で叩き潰したが、
それ以外はこれといって何もなさそうな日だった。
夏は日暮れ時が好き。
昼間の熱気が窄んでいく様子が、秋を思わせるから。
地面からの熱気が冷める頃、父が帰宅して水撒きをしてやると、
海老色の竹格子に絡んだ蔓草が頭を持ち上げるのが好きだ。
巻き蔓の先っぽを指に絡めながら、
”昼間は暑くてどうなるかと思いましたが、
やっと一息つけて安心しましたよ”
という蔓草の言葉を勝手に想像して、微笑ましく思う。
庭の水を張った甕の一つで、布袋葵が紫の花を咲かせている。
完全な夏の盆休み生まれにして僕は、どうも暑いのが苦手だ。
夏の間中だけ、水の中で暮らすというのなら話は別だけど、
こうジメジメ暑いのはどうにもイヤだ。
木陰を持ち歩けるとか、水辺を引っ張って歩けるとか、
なにか暑さ避けの裏技でもあればいいんだけど。
そんなくだらない事を考えながら、日が落ちた後に
家から離れた本屋に自転車で行くと、
中学の時に好きだった同級生がカウンターでレジ打ちをやっていた。
化粧と染めた髪で雰囲気は随分変わっていたけれど、
顔を見てすぐ初恋のその人だと分かった。
僕の初恋はとても苦いものだった。
当時僕は初めて彼女と同じクラスになって、彼女に片思いをはじめ、
半年ほどして僕と彼女は頻繁に目が合うようになった。
彼女は確実に僕の気持ちに気付いていたと思う。
けど一方で、偶然にも僕の親友と彼女の親友も僕らと別のクラスで
同じクラスになり、僕らとまったく同じように、片思いと思われる関係
というのをやっていたのだった。
ただ、僕らと親友達の片思いでは違った点があった。
親友達の噂はすぐに学年中に広まってしまったということと、
親友達は彼らの友だちである僕たちに彼ら自身の微妙な関係を知らせたけれど、
僕と彼女は自分たちの親友に自分たちの関係を言わなかったことだ。
多分彼女もあの時の雰囲気からして、彼女の友だちに伝えていなかったと思う。
噂が広まったせいで、親友達の友だちである
僕と彼女は、お互いにとても肩身の狭い思いをしていた。
それでも僕らはお互いの親友の恋愛に一生懸命動き、
僕は友だちを助ける名目で彼女との接点を探していた。
それでも彼らの仲がいまいち悪い方向になった時点で、
いつの間にか僕は友人の前で彼女と彼女の親友の悪口を
言う立場になり、
彼女も同じように友だちの前で僕らの悪口を言う立場になっていた。
それで結局僕は、彼女が好きだけど、彼女の嫌な部分も見た気がした。
本気で嫌気がさした。でも気持ちは収まらなかった。好きだった。
それでいて絶対に告白なんてするかという気分だった。
僕は自分を振り回した自分の親友も少しずつ嫌いになってた。
でも、普段ほとんど口も聞かずただお互いをちらちら見るという
僕と彼女の変な関係は、中学時代を終えてるまでずっと続いていた。
告白なんて当然のように無かったが、卒業式の日に僕と親友。
彼女と彼女の親友でいつまでもだらだらと学校に残っていたのだけは覚えてる。
結局僕はその時の親友とは縁が切れて、まったく会わなくなった。
本屋で彼女を見た時、そんな長い前置きが一瞬頭をよぎる。
僕は逃げるようにして雑誌で顔を隠していたが、
隠さないでも彼女が全然気付いていないのにすぐ気付く。
結局本も読まず直ぐに店を出てしまった。
声を掛けようかという気も起きたけど、
変に焦る必要もないと感じたから。
僕はだいたい焦るか、じらしすぎて失敗する。
それに正直彼女に話し掛けて何がしたいのか
自分でも分からない。
車を使わずに大学に行く場合、ご存知のとおり僕は
電車に乗って学校まで行く。その間山間部を通り、
トンネルを抜け、海辺の小さな遊園地を眺めながら
四十分近い時間を僕はをやり過ごさなければならない。
といっても、これは僕にとって楽しい時間だけど。
通勤ラッシュ時と重なる一限目を外して電車に乗ると、
車内は異様なほどガラ空き状態になる。
反対側の窓際席で中年男が眠り、
別の席で出かけの鞄を持った女の人が窓から外を眺めている。
時速100キロを越える快速列車の中で窓際の席の
に座って、ぼんやりするのはちょっと贅沢。
誰も見ていないところで足をそっと床から浮かすと、
半円を描いた路線を大きく走るところで、
少しだけ宙を飛んでるような気がする。
山間部はゆったりと広がって大掛かりな絨毯の毛並みのようだし、
(夏場に限っては、ブロッコリーの群生地にしか見えないが)
滑るようにしてその山並みを巡った後、バンッと音を立てて
トンネルに突入し、一気にブルーの海辺の景色が開けるのはちょっと感動的。
はっきり言ってしまうと、そこで見える海辺の遊園地はラグーナ蒲郡だ。
僕は東海道線の上り、静岡方面行きの快速列車に乗り込んで、
光が帯状に差し込む光景をいつも楽しみに眺めてる。
快晴の日の海面の照り返しと、観覧車の回転。
車内に斜めに差し込んだ光が座席の影を延ばしている。
暮れ頃に電車に乗るのも格段に綺麗。
電車の走る向きが変わるごとに、赤い光の差す位置がぐるりと回る。
霧立った日や大雨の時も結構面白い。
水田も沢山ある。五月初めは前面張りの鏡みたいで、
秋末になると彼岸花を添えた金色の起毛敷きに変わる。
電車では変な経験がある。
路線は上に書いた場所とはまったく別の場所だけど、
帰宅ラッシュの混雑した列車に乗り合わせたときのこと。
僕はずっと知らない人に手をつながれていた。
たぶん、女の手。
はじめ痴漢かと思ったが、顔も手の主もお互い見えない状況で
ずっと身動き取れず、なぜか手をつかまれ、指を組まれた。
ただ、これといって不快感は無かったので僕もそのまま手をつないでた。
(チューペに話したら、そこで離さないのがおかしいと突っ込まれた)
これに何か意味があるの?冗談?それとも何かの象徴?
と思い巡らせて、握った手を小突いたりしたけど、反応は全然無かった。
それで一駅越して、握った手と反対側の手に隙間ができたところで、
僕はポケットから持っていたガムを取り出して、
つないでいた手にねじ込んでそっと離した。
相手も驚いたのか、そこですぐ手は離れた。
それから後は知らない。電車が空くまで手の方を目で追ったけど、
相手は途中で降りたのか結局最後まで分からなかった。
正直自分の書いたものが、
人に見られてるという感覚があまりない。
実際ずっとここを見ている人がいるのか謎だし、
普通にレスがつかない場所なので、しょうがないのだけど。
今まで人に話したことのない話を、
平気でどんどん書いてるのが、
自分でも大丈夫だろうかという不安もある。
でもここなら、
「今まで書いたことは全部嘘でした」
と書いて、ふと消えればいい気がする。
それが少しだけ心の頼りになる。
実際にやるかもしれないからね。苦笑。
でもときどき保守してくれる人たちには
心から感謝しています。
ささやかですが、八月の若葉のような
輝かしい健康を祈ってます。
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夏休みを機会に、自分自身の気持ちの整理を兼ねて、
これからもう少し突っ込んだ話を書こうと思っています。
これまで以上に、理解を求めるのも申し訳ないような
メンタルヘルス、妄想的な不快な表現も出るかと思いますが、
その辺を考慮して見守ってもらえると嬉しいです。
ちょっとした決心と区切りを兼ねて
決心を書き込んだところで、早速バイトと就職試験の面接と
遊ぶ用事で書き込む暇が無くなってしまっていた。
モチベーションが一気に低下。
やっぱりいつものことをいつもどおり書いておこう。
ウソの決心なんかしてごめんなさい。
ちまたで美味しいと噂のHARIBOグミ購入。
ベースタイプは、クマの形をしたドイツ産のフルーツ・グミ。
これが期待以上においしい。そしてこわい。
(こわい≒固いの意味。僕の地元の方言)
一袋200円はちょっと高いが、バケツ売りサイズのグミを
家の菓子棚に置いておくのはちょっと魅力的。
前にクルスマス近い頃、松坂屋でクリスマスのお菓子展
をやっていた。そのときにデンマークの缶クッキーを
買ったが、あれも家の戸棚にあったらいいだろうな。
(唐沢寿明が出ていたクッキー「マリー」のCMで、
子供を戸棚のマリーを取ろうとしてる時に、何気なく
そのクッキーが奥に置いてあったのをよく覚えてる)
僕がその時買ったのは400円の一段缶だったが、
一緒に売っていた二段缶を買わなかったのを
今でも後悔してる。
(一段缶の樽状の缶が二段分くっついていて、
形は雪だるまのよう。缶の印刷がリボンを巻いた
クリスマス・ベアの体の図案になっていた)
今年のクリスマスこそまた物色に行こう。
その時買ったクッキー缶は、今はプレイモービルの
いい収納庫として活躍してる。
母が農協に墓前の花を買いに行くというので、
車に乗せて出かける。農協の花はとんでもなく安い。
墓場前の花屋で売ってる花は、値段まで知らないが、
やたらと高い。一束少なくとも千円はするだろう。
それに比べ、農協は一番安い花束が百円で売ってる。
勿論花屋ほどの見栄えはないが、
対で売られているし、それなりに品質もいい。
母は白百合とホオズキの入った花束を選んで買っていた。
それと家の仏前に供える小ぶりの菊を買う。
盆休みにちょうど花が開きそうな蕾を選ぶ。
蕾の尖端がほんのり白く色づいて上品だ。
家を出たついでに、帰りみちブックオフに立ち寄る。
CDを物色するが、気になるのがない。続いて本の物色。
前に読んで結構気に入った平山啓一郎と、
一昨日ぐらいに亡くなった中島らもと、
同じゼミの子に勧められていて、ずっと見つけられなかった
M・ドラブルの碾臼を見つけて購入。
平野啓一郎は名前がやたらかっこいいという理由で最初は買った。
――啓一郎とか、清之介とかいう三文字の名前が
僕の中でツボ。僕もそんな名前にして欲しかった。
中島らもは今まで読んだことがない。
作者が亡くなってから本を手にするなんて、
気の利かない読者だと思う。
母も本を物色している間、
暇なのでねこぢるを立ち読みする。
カヌレ(を焼いてくれた友人)の家は漫画だらけで、
彼女の家に遊びに行くと、必ず漫画読み会になる。
ねこぢるはそこで読んでた漫画。
今年の春頃、サイタマと僕とで彼女の家に遊びに行った時、
鳩山郁子と、ダンナが外国人という四コマ仕立ての漫画と、
妖怪漫画と、ねこぢる、バカボンドを三人で半日回し読みしていた。
漫画は全部カヌレの持ち物だ。
僕は漫画を買っても一度しか読まないので、
滅多に自分では買わないので重宝する。
けれど半日漫画漬けは正直疲れる。
漫画を読む合間に誰かがハリッポッターを
ビデオで再生するが、誰も見ていない。
その後でレンタル屋で借りてきたバッファロー’66と
八人の女たちを僕とサイタマがぼんやり見ていた。
バッファローは良かったが、八人の女たちは
ちょっと映画から外れた映画で見ていて非常に疲れた。
僕とサイタマは翌日ふらふらになって帰った。
確か目が腐りそうだとか言ってたはず。
僕の家族は、僕やサイタマみたいないい年した男が
女友人の家に徹夜で遊びに行くのは、不謹慎だと思うらしく、
あらかじめ知っていたら、絶対に僕を行かせはしない。
当然と言えば当然だが、お節介もひどい。
女の家に遊びに行くのが、例えウチの家族でないサイタマでも、
「行くのを止めさせたほうがいい」と両親は言って
僕からサイタマを行かせないよう電話させるだろう。
そもそも両親は僕が夜中に出かけていっても
後でどこに行っていたかと必ず聞いてくる。
これは我が子を心配してのことのようだけど。
僕は両親を心配させないよう「その辺の散歩」と言っておく。
大体は嘘じゃない。本当にその辺をうろうろ散歩してるだけだから。
ただ、僕ら友人間では、お互いに”同性扱い”なので
まず両親が危惧するような問題は無いと思う。
そういうことはもちろん、口でいくら説明しても
当事者たちにしか分からない話だけど。
漫画読み会の三人にスイレン女、キッチン男を含めた五人は、
高校時代に知り合った友人だが、この人たちは
どれもお互いを異性扱いしてない。
女軍団はそれが気楽だと言う。
男どもは飲み食いのサーブ役がいて便利だと思ってる。
煙草と飲酒さえしなければ、この関係はうまく回っていく。
だらだらして一日が過ぎるのがとても幸せに感じる。
だらだら過ごしたり、たまに揃ってどこかに出かける以外
のところで、僕らはあまりお互いに干渉しない。
実際、いま五人ともやってることがバラバラだ。
浪人生の引きずり、アルバイト専門、名目だけの大学生、
まともな社会人に大学中退者というメンツで、知らないうちに誰かが
会社を変わっていたとか、何かを始めたというのが、
本人の口からではなく遠巻きの噂話として先に伝わってくる。
趣味なんかも合ったり合わなかったりで、
僕と同じ食玩を集めに凝ってるかと思えば、
そんなもん集めてどうするの?と平気で言ってくる奴もいるし、
突然手芸に凝り出したとか、家でゲームばかりしてるのもいれば、
サッカー狂いで毎週チケットがどうこう言ってる奴もいる。
何らかの用で誰かの家に集まると、
誰でも共通して話題が盛り上がるのは、
その場の実食を兼ねた食べ物の話ぐらいで、
あとは皆同じ部屋の中でバラバラのことをやる。
漫画、映画、ゲーム、料理、小説、落書き、
布団を出してきて寝る、おもちゃのコレクションの見せ合い、
インターネットなどなど。
僕はたまに音楽の話もするが、誰も興味ないらしく半分聞き状態。
それでいて突然全員で読んでいた漫画を放り出して
広告の裏にうまい下手関係なく落書を始めたり、
普段興味なんかない人間も混ざって一緒にスポーツ観戦を始め、
スポーツの分からない者は選手の髪型がおかしいとかそんな話をする。
そして夕飯になれば皆で分担して何か作り始めたり、
(必ず成形の段階で変な形のものが混じってたりする)
全員でぶらぶら歩いてコンビニに買いにいったりして、一日過ごす。
いつもそんな状態なので、問題があるとすれば、
男女がどうこうよりも、自己主張の押し付け合いで
話が纏まらないことのほうが問題なのだ。
前に僕はスイレン女に”私はサイタマとなら結婚してもいい”
と打ち明けられて、戸惑った。
しかし、よくよく聞いてみると、「あいつなら男女として生活しなくて済むから」
という話で、思わず笑ってしまった。
ちなみに僕は依存が強いからダメだそうだ。
「タマくん(僕のあだ名)は友だちとして、居て欲しい人間だけど、
一緒には住みたくない」とのこと。
なるほどね。
考えてみたら僕も僕みたいな人間と暮らすのはウンザリすると思う。
それでいて僕はこの人たちといて時々物足りなく思う。
気楽だけど、一緒にいてもなんとなく寂しくなって、
一人布団でフテ寝してることがある。
そういう時は感傷的になってブツブツ言うが、
誰も僕の言ってることは「よくわからない」言う。
そういう時チューペみたいなお節介に、たまに甘えたくなる。
そう、それで先日チューペと「試験のお礼」として遊んだ時、
思いもよらず彼女に告白された時は、なんとなく自分の都合で
彼女に甘えてたのが彼女をその気にさせたんじゃないかと
罪悪感を感じて、このスレで拗ねてたのだ。
振り回しておいて、振り回されてると書いて拗ねてた。
最低なのは僕。でもそれは今はまだする話じゃないのでここまで。
とうとう八月に入った。
このスレも、なんとかひと月もったという感じ。
昨晩は台風が過ぎて綺麗な月が出ていたけれど、
昨日もそう、今日もそう。風がすでに秋めいている。
台風が夏の気配みたいなものを持っていったんだろう。
まだ日照りは残暑になって残るけれど、
アスファルトに亡霊が立つような、強烈な熱気はもう無くなる。
そして入れ替わるように、盆と一緒に、誕生日がすぐ来る。
僕の誕生日は静かに過ごすのが決まりみたいなものだ。
前にも書いた、僕が生まれた時、
僕を病院に運ぶために使ったという編み籠はいまだに家にある。
編み部分の丈の長い、ピーナッツ型の藤籠だ。
今じゃ腕一本も入らない幅だ。
近所のタマゴ屋が廃業するまでは、
タマゴを持ち運ぶタマゴ入れとして活躍していたが、
それ以降は何にも使われず棚の上に押しやられている。
僕は時々子供がほしくなる。
決して自分の子が欲しいとは思わないが、
自分の腕に抱き上げて収まる小さい子供が
欲しいと思うことがある。
そういう想像を巡らせているときは、
決まって籠のことも思い出す。
街中で小さな子供を持つ家族とすれ違ったとき、
思わず僕は子供に微笑みかけるし、手を振ったりもする。
すると大抵の子は嬉しい反応を見せてくれる。
それに反して、親が冷たく子供をあしらってる姿を見るのは
少し寂しい。
でも僕が求めてるのが、父親としての
子供への愛情じゃないというのも自覚してる。
ただ、小さくて素直なものが好きなだけなのだ。
僕はたぶん子供に真っ直ぐ向き合って
叱りつけることは出来ないし、
怒りを感じても、自分がその場から逃げ出すことしかしない。
スーパーで泣き叫んで母親を怒らせている子供を見たとき、
僕は複雑な気分になるし、自分が母親の立場だったら
どうしたらいいのか思いつかない。
高校のとき家庭科の授業で、自分の子を持つ
女教師に言われたことがある。
「子供がお店なんかでグズったら、あなたならどうします?」
僕は黙り込んで答えられなかった。彼女は言った。
「その答えは今は言いません。あなたたちが子供を持つように
なって、親になったら、一生懸命考えて見つけなさい」と。
その後でカヌレが「私なら問答無用で殴り飛ばす」と冗談っぽく
言ってくれたが、後味の悪い苦い笑いになった。
午前中に書いたことがもう裏切られた。
昼からは快晴。入道雲が出る完全な夏日となる。
マシュマロをほぐしたみたいな雲の横を、
白い鳥が弾むように飛んでく。
上空から入道雲を見たら、大きなクッション・プールみたいに
見えるんだろう。その中で遊べたら、なかなか贅沢だね。
チェルシーを日陰に避難させて、餌をやる。
今更な話だけど、先月父がまた会社のそばで
小亀を二匹見つけて持ち帰ってきた。
だから今は総勢三匹にもどった。
三匹になったところでまた、三匹まとめてチェルシーになった。
更に今更な話をすると、チェルシーはこのスレのタイトルも含め、
あの有名なキャンディからとった名前だ。
昼前には母親がバテていたので、
昼食用にパン屋にパンを買いに出た。
自転車で充分に行ける距離だったが、
あんまりに暑かったのでズルをして車で出る。
店頭には色々な種類のパンがあり、
硝子製の冷蔵庫の中にワッフルも置いてあった。
昼食用にはサンドイッチを買ったが、
迷わずおやつとしてワッフルも取る。
種類が幾つかあって、普通のチョコやイチゴ味と一緒に沖縄砂糖、
レモン餡、オリエンタルチョコ、というのがあった。
オリエンタルというのがどうオリエンタルなのか謎なのだが、
その中で一番気になったレモン餡を購入。
自分の分だけ買っていくと母が怒るので、
もう一つはオリエンタルを購入。
飲み物はスーパーでグレープフルーツ飲料を買う。
前もって牛乳を頼まれていたが、汚い話で申し訳ないが
今朝僕は夢精したので飲む気になれなかった。
家に帰って昼ごはんを食べる。
僕はトマトのサンドイッチ。トマトには目が無いので。
チーズも好きだが今日は買わなかった。理由は上記のとおり。
そしておやつ。レモン餡は結構な当たりだった。
餡の中にレモンが皮ごと擦りこんであって、
柑橘系の強い酸味と、甘党好みの餡の甘さが
合わさってとてもおいしかった。
オリエンタルチョコの方はどうだか分からないが、
なんとなくフルーツっぽい味がしたとの母のコメント。
それから久々にメッセンジャーにサインインする。
偶然カヌレが居た模様。そして僕の知らない人も
彼女の誘いで追加して少し会話。
そこで海で歌を歌って人を眠らせるのはなんだっけ?
という話題になり、カヌレが「セイレン?」といい、
僕が「ローレライ」と言い張っていたが結局どっちがどっちだか
分からなかった。
調べようとしないのが僕らのだらしない性格。
母方の祖父が死んだ。
午前中に電話連絡があって、午後から運転の出来る
叔母と一緒に母は実家へ帰っていった。
母方の叔母なんて始めて見た。母に本当は五人も兄弟がいた
なんて話も今日始めて知った。
僕は家に一人残る。混乱してる母の横で僕が運転をしようか
と尋ねたが、母は頑なに拒否した。
僕は家で一人留守番することを命じられた。
父方の祖父は僕が物心つく前に亡くなっていたが、
墓前にかかった写真で顔を知っている。
母のほう祖父はずっと生きていたそうだが、
一度会ったきりで僕は顔も覚えていない。
そして母は実家に帰ったことが無い。
理由は知らないが、なにか軋轢があることだけは分かる。
悲しみも感慨もさして無いまま半日を過ごし、
家族の夕飯は手早く準備しておいた。
仕事が終わって帰ってきた父に母のことを告げると、
少しそわそわしながらも「そうか」と言ったぐらいで
あまり話そうとはしない。
父は踊るさんま御殿を見て夕飯を食べながら
微妙な笑いを浮かべてる。
大丈夫なのかと尋ねると、僕よりも母本人から
話を聞くと言われて会話は切れた。
僕が部屋にいる間に両親がなにやら話し合ってる。
その後に母が簡単に僕のやらなければならないことを告げにきた。
父と一緒に、親族ではなく参列者側で焼香をあげて
すぐに家に帰ること。葬儀の場所は近所の公民館を借りる。
実家の人間に関わらないこと。
母だけは二日ほど葬儀に出るので、その間
家のことは任せるという話。
僕は黒のスーツだけ準備しておくようにという事。
それがすべて。
焼香の時に祖父の顔は写真かなにかでも
見れるのか気になったが、
それを尋ねる空気は微塵もなかった。
母が昔の極端に神経質な態度に戻っている。
僕は少し怯え気味なのを隠し、何も関心が無いフリをする。
夏休みの間連絡すまいと思っていたチューペに
僕はメールを送ろうとした。
でもなんて書く?
それに彼女に会ってどうするというの?
僕は彼女とは付き合えないと断っている。
ケータイを寝床に放った。
でも落ち着かない。
そして僕はパソコンの前にいる。
ボクもパソコンの前にいるよ
久々の書き込み。
それほど落ち込んでた訳じゃないが、
動揺していたと思う。
でも今はもういつも通り。
今日はアザラシの消しゴムなんか買ってしまった。
>>122-123 (・<_,・ )<TakTak !! 心強いです。
今日は葉っぱの日ですね。
通りがかりの家で白の凌霄花が満開でした。
オレンジ色以外のものをはじめて見て驚きです。
葬儀のことは祖父に失礼ながら、
なかなか興味深い体験だった。
その時のことを書こうと思うけど、
その前に今日の買い物話でも。
先日薔薇レモネードを別のつてから一つ頂いた。
これは販売されてるものらしい。母が貰ったので
どこからやって来たのか分からないのだが。
今回貰ったレモネードも、原液を他の飲みもので薄めるタイプ。
それでサイダーで割って飲むために
ダイソーに二本百円の格安サイダーを買いに出かける。
この辺で勘がいい人なら気付くと思うけど、
上に書いたアザラシ消しゴムはダイソーで惚れて買ったもの。
野菜や動物の消しゴムもあった。
僕が小学生の時もこんなのは売ってたが、
当時よりも作りは全然いい。
写真は暗い場所で撮ったので見辛いと思いますが、
パソコンの明るさをMAXにすると、
それなりに見れると思います…
(いい加減でごめんなさい)
柴田理恵もこういう消しゴムを集めてると
テレビで言ってたけど、このアザラシも持ってるんだろうか。
他にも贈呈用のモノを入れるらしい小箱を買う。
といっても僕はただの小物入れとして使用。
家に帰ってあれこれ入れてみると、
雑多になっていた鉱石を入れるのに丁度いいことが発覚。
ということで入れてみた↓
http://smash.s68.xrea.com/uploader/filez/1161.jpg 我ながらキリンが置いてあるのが、なかなかわざとらしい。
鉱石用の標本ケースがもっとあれば、
もう少しうまく収まるんだけど。
ネットの繋がりが不調なので、掃除をしながら気長に書き込み中。
そういえば一つのスレッド、500KB程度まで
しか書き込めないんじゃなかったか。
――この調子でいくと半分ぐらいでスレ消費しそう。
葬儀は物凄くあっけなく終わった。
気が滅入っていたが、参拝に行くと
他の従兄弟も親族席に居ないと知ってほっとした。
直属の親子だけでのこじんまりした葬儀にしたらしい。
孫にあたる子供達はみな僕と似たような扱い。参列者参加だった。
遡って話すと、こんな感じだ。
会場は家の近所の場所を借りて行われたので、
父と僕は歩いて葬儀に向かった。
ちょうど四国のあたりをひねくれた台風が横断してた日だ。
暴風で髪の毛をぐちゃぐちゃにされながら会場に向かう。
会場で父が叔母の旦那と顔を合わせて挨拶をする。
どうみてもタヌキの風貌の小男。僕は離れた場所から
にやにやして二人を見守っていた。
交通整理は同年の年配の男たちがやっている。
年が年だけに、悲壮感がない。
「俺らももうすぐだわっはっは!」と豪快に笑ってる。
受付にて、ようやくお経と御悔みの言葉が聞こえてくる。
父に「まず親族に頭下げて、焼香して、数珠でお参りして、
最後にもう一度親族に頭下げるんだぞ」と言われる。
けど、みごとに僕は間違えた。
僕は数珠で二回お参りをやってしまった。
それでも咎められる空気も無く参拝終了。
僕らは再び歩いて家に帰る。
帰りはスーツの上着を脱いで歩いた。荒い風が気持ちいい。
祖父の顔写真は、そこらにいる普通のおじいさんの顔だった。
それ以外の感想はない。母伝いから聞いた話だと
随分きつい性格の人だったそうだが、
想像するには情報が少なすぎる。
母が子供の頃から長年祖父は豆腐屋を営んでいたが、
最期は豆腐の角に頭を…なんてこともなく、
脳溢血であっさり亡くなった。
二日の間洗濯以外の家のことは僕がこなし、
父は二日目も親族に挨拶に出かけた。
そしてご霊前の残りでバナナが三十本近く家に持ち込まれ、
果物がスーパーの袋三つ分やって来た。
さすがに食いきれないので父方の祖母に
香典などと一緒に三分の二ほど持ってくことになった。
祖母は顔が広いので、その気になれば誰かに配ればいい。
母親は疲れたとぼやいてたが、悲しそうでもなかった。
実感がないとかなんとか。実家帰りすることもほぼ0だったから、
感覚が鈍ってるのか。母は、母の祖母が無くなった時は
二日泣きつづけていたことがあるので、
単純に祖父のことが嫌いだったんだろうとも思う。
一言、「肩の荷がおりた」といっていた。
とても懐かしい夢を見ていた。
夢の中で、「この夢を見るのは久しぶり」と思ったぐらいに。
だけど目が覚めると、それがどんな夢だったか全く思い出せない。
一時間ぐらい寝床で思い出そうとぐたぐたしていたが、
結局夢に逃げられてしまった。
裏の家の建設の音で震え上がるように目が覚めて、
眠いのに頭が冴えている状態。
ここのところ、車か電車に乗る夢を交互に見ている。
今日もそうだった。電車かバスを待っていた。
覚えてるのはそれだけだけど。
点けっぱなしの扇風機で体が冷え、
筋肉が固まってる感じで動き辛い。水を飲む。ストレッチをする。
午前中は暑さが退いて、秋の気配。僕の好きな気候。
家族は既に起きていて、
いつの間にか開けられている窓から新しい空気が流れる。
部屋から見える廊下の窓の奥の空が、済んだ藤色。
あの空が粉末になって部屋に流れ込んできているよう。
からっぽの部屋から、からっぽの階段へ。
行きたいように歩く空気を邪魔しないように眺めて、
僕は部屋の隅でペットボトルの水を飲む。
clienteleを小さな音で流す。Violet Hour.
固まった指先をほぐす。
evianの水のおかげで渇いた唇と喉が生き返って、
ぼんやりと二階の窓から庭の全体を眺める。
団栗に取り付けた壁掛けの木枠に小鳥が止まり、
木の実の付いた枝を咥えて首を傾げている。
ジョセフ・コーネルの箱のよう。
clienteleにもJoseph Cornellという曲がある。
画集が見たくなってきた。午後から本屋にでも見に行くか。
今日はmice paradeのライブに行くので、
名古屋のほうに出て行く予定。
必要なものの買い足しも兼ねて。
あのキャンディを買おう、と今思ってるところ。
あちらの建物は、だいたいが空気巡回させた、密閉空間。
二本立ての人工的なタワー。上階から見下ろすと、
飛び降りたくなるようなところ。
悪い意味じゃない。ただ垂直に高い場所にいると
僕は飛び降りてみたくなるだけ。上昇気流に乗れる気がする。
ライブ終了後も終電に間に合わなくて、朝まであちらで
ぐたぐた過ごすのが目に見えている。
高島屋の絨毯敷きの広い本屋が、夜通し開いててくれれば、
一晩ぐらいどうってことないのだけど。
仕方ない。文庫本でも持っていこう。
ファミレスかなにかで一晩過ごそう。
訂正を幾つか先に。
高島屋の本屋に行ったが絨毯は敷いてなかった。
勘違いだったかな。
そしてライブも大して遅くならなかった。
文庫本はただのお荷物になった。
0時前に帰宅。気兼ねしてたのがバカみたい。
名古屋に向けて午後に出発。
電車を乗り継いだ後、ライブの時間まで適当に
ぶらぶら過ごして菓子購入。
偶然クレープ屋でクレープが特価の日だったが、
男一人でクレープ買う勇気がなくて、あえなく挫折。
地元では、もう甘党男として顔が知れてるので平気だが、
さすがにあちらでは無理だった。
それでもケーキ屋には平気で一人で入る。
クレープの腹いせにミルフィーユを注文。
待合に出された水に檸檬の味つけがしてあった。
気が利くなぁ、と思う。
一人で本を読みつつケーキを食べていると、
水を飲み干すと店員が注ぎに来るのが
他の客から窺える。
親切だが、男が一人でケーキを食べて、
年の変わらない男の店員に水を汲んでもらうのもちょっと異様。
店員が客のグラスをいつも気にしてるのが、
客のこちらも気になる。
といいつつも、それなりに満足して店を出る。
高島屋の玩具売り場をぶらぶら見て回る。
かねて期待していたドリームペッツを探してたが、
予想していた東急ハンズのフロアに置いてなかったので
思い切って玩具売り場に行ってみたという流れ。
あった。でもなんだか思ってたのと違う。
それで結局買わずに、これまた偶然やってた
幼児玩具のイベントに潜入。
するとnaefやらヨーロッパの玩具が沢山あった。
これはいい!と喜んであれこれ見るが、値段も半端じゃない。
両手に収まりそうな二両ぐらいの汽車の玩具が三千円、
三十センチ四方の箱に詰まったネフの積み木が
1万2千円という世界。
木製玩具は趣味で集めるにはお高い。
パンフレットが八百円で売っていたが、
ネフのほうが無かったので結局何も買わずに退散。
こういう時小さい子供がいたらなぁ、と思う。
(自分の物欲を満たしたいだけだったりするけど)
しょうが無いのでこちらで我慢。
penta.comさんのアイコン。
---penta.com<icon basics>
ttp://www.pentacom.jp/icon/list.html 汽車とおもちゃのアイコン2種類の商品が
ちょうど高島屋で売ってたのと同じもの。
キンダーサプライズの人形にこんなのあったのか。いいなぁ。
突然兄が帰宅して、書き込みが半端になってしまった。
最低なことに、盆休みを機に一人暮らしの場所を出払って、
実家に完全に戻ってくるという話が出ている。
これから毎日顔を合わせるのか。嫌な予感がする。
夕方は相当鬱で、すこし泣いてしまった。
たかが兄ぐらい。週末に来てると書いてたじゃないか。
と言われるかもしれないが、
毎日家にいるのと通いで来るのとでは全然違う。僕は兄が嫌いだ。
子供の頃ブランコをぶつけられて唇を縫ったし、
内股に火傷を負わされたことがある。どちらも故意にやられた。
当時子供のする事だからと慰められたが、
五歳も上なら良し悪しの判別もついてたはずだ。
兄も僕が嫌いだったはずだ。今はどうか知らないが、
内股の件は、病院でも恥をかいた。
それらの事を思い出すと、強い憎しみが湧くとともに、気が滅入る。
そして兄と母が蛇と蛇のような関係なのだ。
二人揃っただけで家が荒れる。
何事もなく自分の住処に帰ってくれることをひたすら祈る。
これからは書き込みもまた夜中に戻るかもしれない。
昼間の書き込みの続きで、ライブのちょっとした報告。
折角なので雰囲気も書こう。マイスパレードの名古屋公演。
僕は開演ぎりぎりに入場。すでに人が鮨詰め状態だった。
場所は思ったより狭い会場。端の椅子に
演奏するアーティストなんかが普通に座ってる。
入ってすぐの場所でグンナル(mumの―だと思う)がDJをやっていた。
観客も気になったような、そうでもないような反応でちらりと彼を見てる。
男女比の割合は男9割という感じか。煙草をふかす人間が目立つ。
集団の中から人を避け、ふっと煙草の煙を天井に向けて吹き上がる男の
白い息が、いくつも重なって天井で堂々巡りを続けていた。
ライブ開始。前座の人たちが演奏から始まる。
なんとなく水をたっぷり貯めた電車にガタガタ乗ってるような、
ゆったりした曲に合わせてゆらゆら揺れる。月の歌だったけど。
次いでHIMが出たあたりで周囲の盛り上がりが一変する。
一方でこのあたりから堂々と写真を撮る人間がやたら目につく。感じ悪い。
HIMは思ったより短く終わった気がする。
僕はHIMが一番良かったと思う。
そしてマイスパレードが出て、観客が前方に押し寄せる。
前の方に小さい女の人が居たが、野郎どもに潰されててかわいそうだった。
mumのメンバーも加わっての演奏。新曲もやってた。
アンコールはなんだか前方の人たちで話をしてたようだが、
後ろの僕にはよく分からなかった。よくわからないまま拍手のリズム
が巻き起こり、そのまま一曲のアンコール。
正直会場の前方があまり見えなかったので、
メンバーがあまり確認できてない。
mumのクリスティンはあちこち動き回っててすぐ分かったが。
時間は十時には終了。「来て良かった」という声がぽつぽつ聞こえてくる。
帰り際もグンネルがまたDJとして回してる。店が居酒屋朝までの経営に
切り替えても回すのかな、と気になったけど、
僕は田舎の終電に間に合うよう、後ろ髪を引かれつつ退散。
話は飛んで、盆休みという事でサイタマも
実家に戻ってきていた。さっき電話が掛かってきた。
にしても、相変わらずこちらが寝てるかもしれない。とは考えてない。
サイタマが地元を離れてからの間の僕の出来事を、
手短に説明する。友だちに告白されたとか、
スイレンと公園まで行って愚痴をきかされたとか、
就職のこと(多分落ちた)兄のこと、あとはなんだろう?
最悪な誕生日が13日に待ってるという具合に。
考えてみれば13日の金曜日が誕生日か…予期不安だ。
兄のことはご愁傷様と言われ、話題はやはり告白話になる。
僕は”その場の流れで香水壜を買ってあげた帰り”だった
というと、「お前が気があるみたいだわな」と言われる。
そうだろうか。香水壜といっても、それほど高価なものでもない。
チューペが香水を買った後に寄った、雑貨屋にあったインドの香水壜で、
自分が欲しいぐらい綺麗なものだった。
だから試験のお礼も兼ねてあげた。という感じだったのだが。
告白は断ったと言うと、サイタマにバカ扱いされた。
高校のときも似たようなパターンのことを僕はやってたからだ。
その時は気に入ったオルゴール入りの硝子細工を夜店で買ったのだ。
カヌレやスイレンがその子の友だちで、誕生日に何か買うというので、
僕が勝手に選んで、ついでで出資しただけだ。選ぶのは好きだから。
でもその時の子は、友だちという程の関係でさえ
なかったから、「誕生日にプレゼントくれてありがとう」
という流れで告白されて、こっちが驚いて、当然のように断った。
そこからなんだかカヌレたちも含めて気まずくなってしまって、
彼女らに僕が文句を言われたという思い出。
チューペがどんな子か?と聞かれ、普通の元気な子。と
答えると、あんまり気がなさそうだね。と返される。
実際気がない。告白を断って以来連絡してない。
彼女とは仲良くしていたいのだけど。
それ以上の関係は気が進まない。
なんだか誰とも付き合いたくない。
気が付いたら結婚していて、かわいい赤ん坊までいた
というのが僕の理想。我ながらアホか。
でも告白は断っておきながら、僕は酔って絡んできたチューペと
一度だけキスしているのを思い出した。
どうせ覚えてないだろうと高をくくっていたが、
今になって急に不安になってきた。忘れてたのは自分のほうだ。
とりあえずサイタマとは今度会って話すことになった。
今日はもう寝る。おやすみなさい。
今日は一日中家にいた。
盆休みで家族がみんな家にいて、
昼間は買い物に出て行ったが、僕は家に一人残った。
することが無くて暇な日。
同年の知り合いたちは、連日アルバイトか就職活動か、
それとも夜にかけての遊びに出かけてるんだろう。
チューペもそうだ。会いたいといえば時間を作ってくれそうだが、
普段は色々なことをするので毎日が忙しいに違いない。
彼女は銀行への就職を目指して努力してる。
本当は僕に構ってるどころじゃないだろう。
逆に僕は暇にかまけて、亀にエサやりをしてる。
亀はなんでも食べるというので、魚肉ソーセージを
やってみた。よく食べてる。ザリガニを食べたりするんだから、
やっぱりこういう食事も好きなのかな?
そういえば、前に飼ってたインコは南天の若葉をやるとよく食べた。
噛んで遊んでただけかもしれないけど。
以前僕はインコは三匹飼ってた。一匹が小学校低学年に買った
成鳥のオス。他の二匹は五年生の夏休み買った姉弟のこどもだ。
小鳥は二週間ぐらいですぐに成長する。
それで夏休みの間、僕は母親代わりになって二匹を育てた。
湯で温めた餌を鉄のスプーンでやるのが日課だ。
毛の生え揃わない胸元から胃が膨れるまでしっかりやる。
あとは適度な運動。飛べるまでは二匹して部屋の中を毎日走り回ってた。
レモン・イエローのハルクイン種。柄は少しづつ違ったが、
胸の毛が鮮やかな碧だったのは、三匹とも同じだった。
霧吹きで水浴びさせたり、睫や足を見たり触るのが
僕は好きだった。鳥は多分嫌がってたと思うけど。
僕はメスに気に入られていて、オス二匹には好かれてなかった。
鳥の世界にも焼きもちがあるんだなぁ、と小学生にして実感。
そもそも鳥も(?)人と同じでメスのが断然気が強い。
メスは強かった。特に兄弟をあんまりに噛んだりしていじめるので、
鳥かごを分けてたぐらいだ。
そういえば高校のとき、誰だかに言われたことがある。
僕は、いわゆる「痒いところに手が届く人間」だそうだ。
多分変なところに細かいからだと思うが、
それが付き合いが浅いうちは、とても気の利く人と思えるらしい。
でも付き合っていくうちに、お人よしだと分かると思う。
そんな訳で、痒いところに手が届く僕は、
雌インコの頬っぺたをかく役も当時やらされていた。
笑ってしまうけど、彼女らの嫌いな餌まで僕はちゃんと知ってた。
菜っ葉、塩土や貝は食べながら遊べるので好き。
殻のよく出るカナリーシードが嫌い。
殻つきのエサはやるなと本に書いてあったけど、
鳥達は嘴で嫌いなものはちゃっかし除けて食べていた。
中学のとき、メスが巣箱に入るようになったので
学校の木工室に行って木屑を貰ってきたのを覚えてる。
本当はそんなもの無くてもいいのだけど、
メス鳥が気に入って巣箱に運んでたので僕は僕で満足してた。
でも結局メス鳥は卵を産む前に怪我で死んでしまった。
最初に飼っていたオス鳥も後を追うように死んでしまって、
なかなか懐かなかった弟鳥だけ生き残った。
それからつかず離れずの関係で段々彼とも仲良くなれたけど、
今年の冬にとうとう彼も亡くなってしまった。
でも12年生きていたので、大往生だったんだろう。
普通7〜8年の寿命だと言うから。
亡くなる数日前元気が無いと思っていたけど、
泊まりに出かけてる間に死んでしまって
死に目に会えなかったのが心残り。
鳥は三匹ともうちの庭に埋まってる。
三匹とも近い場所に埋めてある。猫が掘らないように、上に石を乗せて。
書きながら今ちょっとどうでもいいことに気付いた。
墓石って、掘り返されないように、
あんな重いものを埋めた場所の上に置くんだなぁ、と。
違うかな?
昼間まで寝ていたせいで眠くない。困った。
150越えるまで書こうかな。
昼間にソビエトの昔話という子供向けの本を読んだ。
出版が昭和53年という、僕が生まれる前の古い本。
(それゆえ「ソビエト」だったりする)
うちには何故かこういう極端に古い本が存在する。
芸能人の告白本ぐらいしか読まない文盲の両親が
買ったとは、ちょっと思えないのだけど。
ジャンルも滅茶苦茶で、ジィドの文庫本と一緒に
官能小説があって、僕は両方とも高校のとき拝借したが、
あれは凄い。エロ小説は。興奮しながらも、
ありえないシュチュエーションに爆笑して読んだ。
話をソビエト昔話に戻す。
話がどんどん展開していくもののが面白いと思う。
幾つかの話では共通して出てくる人物がある。鳥の女だ。
鳥の女は決まって普段は鴨や白鳥といった渡り鳥なのだが、
羽根を脱ぐと美しい娘に変わる。羽根を脱ぐ。というのが
僕のとても気になる部分。
どうも話からすると、服を脱ぐみたいに羽根を脱ぐらしい。
そして、おおよその話で、若者がその娘に恋をし、
知恵を使って強引に”捕獲”して結婚。(笑
結婚してからはお嫁さんと仲良く暮らす。
案外男らしくていいかもしれない。
もう一つ面白かったのが、月が娘をさらいに来る話。
月がトナカイのソリに乗って、娘を追って地上に降りてくる話だ。
少し足穂っぽい。
実はこの話、可哀想なのは月の方だったりする。
娘に恋をして追いかけてきたのに、娘を探すうちに痩せ細ったところを、
逆に娘に縛り上げられてしまう。そのうえ、
「お前を攫おうとした私が悪かった。おまえに殺されても構わないから、
命が尽きる前に少しだけベッドで寝かせておくれ。
寒気がするんだ、暖めてくれないか」
という頼みも「あなたに家などないはずでしょう。
このまま外に居ればいいのよ!」
と、あっさり娘は撥ねつける。冷たい…
このあと月は、娘を二度と追いかけない約束と、
娘と彼女の仲間に月を知らせる約束をする。
この教えてあげる約束をした月の種類が、とてもいいのに。
「年取った雄牛の月」「仔牛の生まれる月」「水の月」
「若葉の出る月」「あたたかい月」「角の皮をぬぐ月」
「野生のトナカイの恋する月」「初冬」「日の短き月」
娘はそのまま月を空に突き帰す。踏んだり蹴ったりだ。
本来は、ここから月による季節読みが始まったんだという話だけど、
なんだか妙に身につまされる。
自称詩人じゃやっぱり駄目なのか。
僕は自分で自分を暖めるためにベッドに潜り込むことにします。
今日はここまで。おやすみ。
恥ずかしい間違いを見つけた。
いつもは間違いに気付いてもほったらかしだけど、
今回は訂正。
>>148 × シュチュエーション じゃなくて、
○ シチュエーション ですね。
約束したとおり、今日はサイタマに会った。
サイタマは幼稚園から高校まで、僕と全く同じ進路を辿った人。
しかしその割に友だち付き合いは案外浅い。今年で5〜6年か。
それでも僕らは記憶の中で、同じ背景を多く共有してる。
普段電話やメール連絡では何も感じないのに、
実物に会うと、なぜか15年ぐらい前の感覚が
僕の中から引っ張り出される。
授業中の突然の時間割変更。
曇り空の日のプールの授業。
落雷日の教室の停電。
台風の日の早退。
――頭の上で大きな渦が、暴風を回転さて
雲をどんどん吹き飛ばした日のこと。
そんなのが、今体感したばかりの出来事
みたいになって、戻ってくる。
その所為でか、今日の僕はかなりおかしかった。
いつも以上に多感で、簡単に物凄く幸福な気分になれた。
おもちゃや菓子のことも頭からすっぽり抜けて、
目の前の景色にずっと気を取られている。
通りがかりにある、あらゆる物がとても好きな気がした。
カラス麦の草を千切り、その先っぽで色々な草を
とんとんと叩いていく。もたげた草木の頭をカラス麦が撥ねる。
僕の頭の中では、水辺を飛ぶ蜻蛉のイメージ。
草が揺れるのと合わせて、頭の中では水を打ち、水面に環が広がる。
次に、水面を跳ねてるのは実は蜻蛉でなく僕なんだ、と思う。
順番に広がる草木の揺れは、僕が踏みつけて跳ねていった印なのだ。
サイタマに機嫌がいいね、と言われた。チューペの事を聞かれる。
僕はあまり考えないで「彼女のことは凄く好きだよ」と言った。
嘘じゃない。彼女は彼女として凄く好きだ。ずっと仲良くしたいと思う。
そしてその時は、いつもよりあっさりとその事が口に出来た。
「いつもその子、『もう!』とか言って大騒ぎしてるんだけど、
そういうとこが面白くて好きだよ。二人一緒に居ると、
トムとジェリーみたいなんだよね、僕ら」
楽しく笑いながら言う僕に、サイタマは肩すくめてみせた。
一昨日のキスの心配も、嘘みたいに無い。
あれはあれで僕も喜んでしたんだ、という感じ。
僕はキスが好き。多分本当にそうだと思うし、それで十分。
調子にのって僕はその話をサイタマにする。
サイタマは首を傾げた。「トムとジェリーでキスしたのか」と。
「今ならおまえ、誰でも好きになりそうだな」
実際そんな勢いだった。時々こういう波が僕にはやってくる。
でも好きなんだからしょうがない。
おもちゃやお菓子みたいに人が好きになるんだもの。
僕は子供の頃、外国のテレビドラマに出てきそうな
親子の風景に物凄く憧れていた。
母親が泣いている子供の頭に軽くキスしたり、
なんだかとても素晴らしいことを言って、
子供の悲しみを逸らすという場面に憧れていた。
自分の親には絶対やって欲しくなかったが、
そういった環境が自分の知らない、別の世界に存在することが
カルチャーショックだったんだと思う。
だから
それでなにを書いてるんだ僕は?
珍しく嫌いなはずのビールを飲んで、
すごく酔ってるので、変なことを書いてるだろうけど、
戒めのため書き込み。きっと次貝ここを見て
恥ずかしくて死ぬんだ僕は。(笑
今日は中津川に行く。誕生日になんで中津川なんだ。
おみやげの写真いっぱい撮ってきますね。
綺麗な景色も面白いものもいっぱい探そう。
自分にプレゼントしよう。それから誰かにもあげよう。
おやすみなさい。
おみやげ期待してます(・∀・)
昨晩書いたとおり、恥ずかしさで死にそう。
なにが戒めだ。どうして後悔すると
分かってることをわざわざ書き込んでるんだろう。
この際きりが無いので気にしないでおくしかない…
--酔った勢いで書いたことの訂正と、ちょっと言い訳--
実際には中津川ではなく、愛知県瀬戸市に行ってきました。
愛知万博予定地の付近です。あまりパッとしませんでした。(苦笑
そのことは後ほど。
珍しく酔っ払ってたのは、昨日の文章を書いている途中に、
再度サイタマに呼び出され、
「きつけ薬」としてビールを無理矢理飲まされたからです。
(頭がおかしかった僕に、お灸を据えたんだとか)
おかげで翌朝は頭痛と吐き気で最低でした。
>>157 ということで、中津川には行きませんでした…
代わりに瀬戸市の岩屋堂公園という、滝のある場所で
何枚か写真は撮ってきたので、近いうちに何処か纏まって
上げれる場所を見つけたらupします。
今朝は二日酔いらしき頭痛のまま、七時に兄に叩き起こされる。
普段二日酔いの経験が無いので、今朝の気分の悪さが
二日酔いなのかがイマイチ謎。行く気がやや萎えていたが、
兄が父と二人きりで出かけるのを嫌がって、僕を引きずり起こす。
折角の盆休みなので、何処かに家族で出かけたいという
前日の父の言い出しで僕らは出かけることになった。
でも母親は「山なんて、」と言って、家で留守する運びになる。
僕は中津川に行くと思い込んでいたから、密かに鉱石博物館に期待していた。
兄は連休中ずっと家にいるよりはマシだといって、行くと言っていた。
しかし案の定、現地に到着しても兄だけはあまり楽しそうではなかった。
父の軽ワゴン車は、結構な年季が入っているので
途中で止まると困るという話。そこで兄のフィガロに男三人、
ぎゅうぎゅう詰めで出かけることに。
こんな風景はなかなか気味が悪い。
行きは父が運転席に座り、運転を面倒がる兄を後ろにして、
僕は助手席に座っていた。父は運転が荒い。
カーヴでの遠心力が、頭痛と吐き気を同時に外側に引っ張る。
地震の間、魚が水の中で波の揺れに振り回されてるみたいな感じ。
おかげで10時ぐらいまではずっと吐き気が消えず、
僕はずっと秤の上のマグロ状態だった。
確実に混雑する名古屋の中心街は避けて、
少し回り道をする形で車は走った。
市街地を抜けると広めの道路を通るようになり、
次第に両脇に山並みが広がってくる。濃緑の波形。
中津川じゃなく、瀬戸市を目指してると気付いたのは
そのあたりでコンビニに入ったときだ。
僕はシートベルトに引っかかりながらも、
車が大きな山道の波に乗るようになると、
やや気分が楽になった。
細かな凹凸のあまりない道。
道に吸い付くように車が走るようになったから。
瀬戸市には2時間ぐらいで到着。
予想以上にスムーズに入った。途中、山の中に
知り合いが通ってる大学を見つける。
毎日こんなとこまで来てるのかという気分。
(実際は交通の便が悪い僕のほうが通学時間は長い)
市内の町並みを目で追う。瀬戸市は瀬戸物で有名な場所。
駅前に瀬戸物の店が建ち並んでいる。
そこを離れて、父は看板を確認しながら山道に再び入る。
間もなく岩屋堂公園というところに到着。
車を降りると、滝の音と同時に紅葉の若葉が鮮やかに広がっていた。
父は写真が趣味なので、風景を写真に撮りたくてここに来たらしい。
写真仲間に場所は教わったんだそうだ。
兄は車を降りてすぐに煙草を吸っている。
少し奥まった場所に市営プールがあるらしく、
親子連れが沢山歩き回っている。
曲がりくねる斜面になった散策路を辿り、
展望の開ける山道を歩くことに。
40分間のねじくれた激しい石段道。
僕と父親はすぐに息切れ状態。
兄が難なく登ってくのが以外だった。
心臓が悪かったのももういいんだろうか。
疲れてるので、この続きはまた明日。
山を下った後、その足で河原に行く。
水着姿の人々の合間をぬって上流に進んだ。
水辺から離れた高い位置からでも、
その水の透明度が解る。
空の色合いと白銀の照り返しの共存。
空から見下ろすようでいて、空を見上げついるよう。
水蓋そのものが天上にも見える。
その強靭な一枚の硝子板を、
子供が勢いよく飛び込んで壊す。
環が重なるように広がり、上流からの流れに消えていく。”水に流す”ということ。
そこには穏やかな容認がある気がした。
つまるところ、僕はその頃になると
それなりに楽しんでいた。
水に足を浸し、蟹をつかまえて
蜘蛛の糸に水滴を散らす。
極上のスパンコール。
父親も靴を脱いで水に入っていた。
蟹を捕まえたのも、実は父なのだ。
僕が栗を拾ったり、写真を撮ったり
するのを一番に喜んでくれるのも、
実はこの人だったりする。
昔はよく川遊びに連れていってくれた。
僕のことも忘れて魚採りに
熱中するような人だったから、
あまりに相手にされないと僕が拗ねて、
父の心配を引きつけるために
わざと浮輪に乗って下流まで流されてたぐらいだ。
兄だって昔は僕と同じだったはず。
川に出掛ける前日、はりきって
「タモは?」「バケツは?」と言っていたんだから。
「お前は母さんといろ」
「俺らが深い場所の魚採ってくるから」
そう言っていた。
今は水にも入らずに木陰でぼんやりしてる。焦点の合わない目。まるでなにかが奪われたていうよう。
網を振り回してつかんだ鰻を、
水槽で飼っていた純粋なキチガイだったのに、
一年以上飼った末に料理屋に持ち込んで
食べてしまった人。
「天然鰻だから、身がしまってるって
店のオヤジに褒められたよ」
川に逃がすことの出来たはずなのに、兄はそうしなかった。
それも兄なりの餞別だったのかもしれない。けど、僕は素直に同情出来ない。
トンネルを抜けた先の光が、
もう見えなくなったんだろう。
彼の手にある煙草の弱い光だけが、今は唯一の兄の道しるべの光。
兄は仕事熱心な人。貪欲な人。
甘党からヘビースモーカーに変わり、
煙草が無いともたない人間になった。
でも煙草があるば、なんとかなる人間にもなった。
それはきっと、ある面では優れてるんだろう。
戦いとか、競争とかいった場所で、
兄は粘り強く生きていくんだろう。
でも何故そういう人に限って、
言いようのないがつがつしたところが
あるんだろう?他人を抑圧する、
やり込める雰囲気が常に漂っている。
今の兄には父も舌を巻いている。
力でも、口でも今は勝てないから。
だからってそれが、父越えでは決してないはずなのに。
兄の強靭な態度はなんなんだろう?と思う。
帰り道の運転は、僕がさせられることになった。
父の乱暴な運転が気に入らなかったらしい。
行きも「車が悪くなる」としきりに兄は愚痴っていた。
確かに父の車の扱いはひどかった。
でももっと刺のないやり方は出来ないんだろうか?
運転そのものは別に嫌じゃなかったが、
なんとなく父に対して後ろめたい気持ちがある。
僕は平坦に走った。兄は何も言わなかった。
言わなかったけれど、ただ僕等家族には
何もないというけだった。
それでも帰宅してから、父は母親に、
ああだった、どうだったとじっくり話していた。
少しこちらも安心する。
僕も「栗拾った」と言って、母に投げて渡そうとする。
母はギャアギャア騒いで避け、
仕返しに僕に投げ返してくる。
手に当たってかなり痛い。
でも、「結構楽しかったかな」と僕がうと、
父がやんわり微笑んでいた。
父と兄は今日から仕事に戻っていく。
兄の実家に戻る話は、一時保留になった。
きっと、帰ってきても居心地が良くないと
思ったんだろう。
そして就職活動しない僕に、そろそろ
母親がいらついき始めてる。
育英会の奨学金の振込通知が来て、
来年の夏から月々の返済が始まるという
通知が同封してあった。
金額については前々から話してあったが、
通知書という具体的な形を目にしたところで焦りを感じたんだろう。
――保証人の名前は両親なので。
先月一緒に出掛けて以来、チューペの事も
ずっと放ったらかしにしている。
向こうからも連絡は無い。かといって、
去年だって休暇中はそれほど連絡はしてなかった。
でも僕の誕生日には動物園ぐらいには
行ったはず。キリンの置物を僕は買っている。
「動物園?」と首をかしげながらも、
一日つきあってくれた覚えがある。
キバタンが檻の横にあった木から花を
もぎ取ろうとしていて、
係員が居ないうちに僕らが摘んで渡してやったんだ。
とにかく今日ひとつメールを送ろうと
思っていたけど、兄と両親のやや険悪な
雰囲気の中で僕が率先して昼食を作ったり、明日の夕方には埼玉に帰ってしまう
サイタマと会ったりするうちに、
またそれも延びてしまう。
サイタマとはまた明日も会うかもしれない。
ほかの友人たちとはあまり会いたくない
みたいなので、どうしても僕が呼ばれる。
僕も好きでついていってるが、
家族には「毎日遊び歩いてていいなぁ」と
厭味も食わされた。
皆元の生活に戻る為に、エンジンを
かけ始めただけなんだ。と思うより仕方ない。
彼等だって好きで戻っていく訳じゃないだろうし。
そういえば八月になってからずっと、
サイタマについて此処に書き込もうと
思ってたのに、それも今日まで間延びしている。
四年になってから、ずっと僕には時間が
足りない気がしてならない。
就活のこともあるが、実際にはほぼ
就職活動なんてやってないんだし、
授業時間も減ったのだから実質的にも
僕は暇な時間が増えてるはずなのに。
今日こそは チューペに電話しよう。
それから明日はサイタマのことを書こう。
またやってしまった。1.5時間くらいかけて
書き溜めたものをうっかり全消去…
そのため一時間ふて寝。
ついさっき起きて風呂に入ったばかり。
パソコンだと打ち込むのが早いけれど、
書きかけを保存出来ないのが難点。
かといって、携帯だと打つのが面倒で文字変換がお馬鹿だし。
それでも携帯のほうが、案外スムーズに書き込める。
パソコンだと、他のこともついついやってしまうので、
頭が散漫になってるのかな。
連絡してみたチューペのことと、
ゴミの分別の話とCD注文のことを書いたんだけど。
仕方がないから、今からはサイタマのことを書こう。
彼女のことは、また近いうちに。
夕方にサイタマと会う。夕飯を一緒にしただけ。
前回も、それほど長い時間一緒にいたというふうでもない。
彼は今夜埼玉まで車を飛ばして戻っている。
出かけたのは市外の適当な場所。
目的が無いので、意味も無くうろうろ走り回るのが殆ど。
途中で駐車場がガラ空きの寂れた喫茶店に入る。
70〜80年代に流行って消えた類の、
埃っぽい佇まいの店だ。
中に入ると、中年男の客が一人二人、週刊誌を手元に
まばらに座っている。各テーブルには観光バスに付いてそうな
小型のシャンデリアが天井にぶら下がり、
狭いテーブルも、ファミコンが出る前の時代に流行ったような、
麻雀だかインベーダーゲームが出来る基盤のテーブルだった。
サイタマは「この店大当たり」と笑っていた。
注文を聞きに来た所で、サイタマは煙草を吸いながら
コーヒーを頼んだ。煙草とコーヒーなんて、
ノン・スモーカーの一番嫌う組み合わせだ。
彼は注文のついでに、テーブルのゲームが使えるか?と
おばさんに聞いていたが、あっさりと「壊れてます」と返された。
画面は稼動しておらず、真っ黒なブラウン管に
僕らの暗い顔が映っているだけだ。
僕はグレープフルーツ・ジュースを頼み、
サイタマに煙草を一本分けてもらう。
サイドメニューにはウエハースとチェリーが乗っかった、
さも可愛いらしいアイスがあったけれど、
その写真が日に焼けて下品だったから、
とても頼む気にはなれなかった。
さっきまで雷が凄かった。
おかげで雷嫌いの母親に、
強制消灯させられる。
家の中を照らす唯一の光は、
外から差し込む雷の白い光だけ。
階段のそばの南の窓が見える入口と、
北の窓から同時に光が入る。
僕の座る部屋の中央だけ避けて、
光は瞬間的に前後に来て去った。
風が急に吹き込む。
その後に激しい雨が来た。
昨日はサイタマの事を書きかけにして、
居眠りしてしまった。
変な姿勢だったので背筋が痛い。
サイタマについて書きたいと思っても、
なかなか思うように書き進められないから
参る。あの人には、"何も無い"からだ。
僕が何もないというのは語弊がありますね。
ただ、サイタマ自身が自分のことを何も無い人間だと
考えてるらしいのは確か。
高校のとき、僕は幼稚園の時のバラの刺を抜くのが流行った
という話をした時、サイタマは僕が同じクラスに
いたことさえ何も覚えていなかった。
(高校になるまで僕はサイタマと仲良くはなかったが、
幼稚園は二年同じクラスで過ごしていた)
僕がベラベラそんな話をした時、
サイタマが落ち込んでたのを覚えてる。
でも彼は彼なりに魅力的なところが沢山ある。
先日からその辺を書きたかったけど、
結局うまく説明できないので諦めるという形で
今書き込んでいる。
僕の高校生活はサイタマのおかげで随分気楽になれた。
家がかなりゴタゴタしていて、家ではどん底気分だったのに、
学校生活は大学を含めたうちで一番充実していたと思う。
僕の通っていたところは、定時制と被服科が合体した学校だったので、
そういう意味でも面白いところだった。
話が逸れてるが、とにかく僕にとってサイタマは
とても大きい人だということが言いたいんだけど…
彼のことになると、どうしてもこんな調子になる。
また書く気が乗ったときにでも、ちゃんと書ければいいなぁ。
八月も半ばを過ぎた。残暑の気配がまたぶり返している。
オリンピックの放送が連日のように続き、
僕も父親と一緒に、それなりに一喜一憂してるという感じ。
僕が一番好きなのは水泳だけど、
「筋肉や体型が見れていい」と言うと、必ず誰かに変態扱いされる。
今朝は柔道で金メダルを取った女子選手のハイライトを見た。
表彰台に立った彼女に、月桂樹の花束と冠が授けられていた。
今日の暑さで久々に冷房をかけた。
クーラーはないので、冷風扇というやつだ。
冷房をかけると、ついつい室内を冷やしすぎて、
持ち込んだ掛け布団に包まってしまう。
疑似的な秋の日気候作り。
皆が働いたり勉強をしてる間に
こんなことをしてるのが、
少し幸せだ。
高校のとき使っていた子供用の数珠が出てきた。
元を辿れば、僕が子供の時葬式で使っていた数珠だ。
当時祖母に買ってもらった。
高校の時点で男が数珠をするのが流行った時に使っていたが、
(数珠が流行ったのは、一部の流行かもしれないが)
いまだにあったのか。我ながら物持ちがいい。
机の奥から発掘。
そしてそんな物の写真を撮る。
(
>>163のサイトにup)
結構おもちゃみたいな一品。
緑の玉と玉の間の結び目が水晶になってるが、
他はすべてプラスチック。
繋いだ紫の紐が、すっかり焼けて色落ちしている。
黒猫が宅急便を持って来た。
注文したCDかと思ったが、違った。
書類にサインし、「ご苦労様」と声を掛けて
品物を受け取る。配達員が一礼して門を出た。
盆踊りのお囃子が、団地のほうから騒がしく聞こえている。
紺色を基調に、銀の麻の葉模様が描かれた
和紙調の包み紙が箱には巻いてあった。
母親になにか来たと告げて、中身を確認すると、
京漬物が出てくる。仕出し屋のいとこからのお中元だ。
夕飯を漁りに戻ってきていた兄がそれを見てうめく。
彼は典型的な肉食動物なので。
宅急便を受け取ったついでだか分からないが、
コンビニまで自転車で出る。
昼間の暑さがやや引いて、薄暗いような薄明るいような
心地い気だるさの中をゆったり自転車で走る。
坂道を下るのは相変わらず羽根が生えたよう。
捩じれる程の湾曲をノー・ブレーキで滑り降りていく。
僕の家は、緩い山道の中腹あたりにある。
おかげで学校や駅に向かうには、
この坂道を滑り降りるのがまず始めの出だしにとなる。
おおよそ年中を通して、それは気持ちのいい出発。
――真冬の寒い日を除いては。
公園のそばを通ると、盆踊りの太鼓の音が大きくなり、
浴衣を着た子がちらほら見える。
盆休みが終わった後の、間の悪い盆踊り大会。
でも子供は夏休みだから、あまり問題は無い様子。
大変なのは子供会の父兄だろう。
盆踊りをする前から、アイスキャンディの箱に
子供達の視線が集まっている。
セミ採りをしていた小さな姉妹が、
虫取り網の長い柄を引きずって
運動場に細長い道しるべを残していた。
その跡を、大人に手を引かれた小さな子供が辿っている。
続けざまに蝉の悲鳴と姉妹の歓声が上がり、
一匹のアブラゼミが狂ったように夜空を飛んでいった。
コンビニでの収穫はイマイチ。
お菓子も食玩も、前に出かけた時と変わり映えが無かった。
それでも何も買わないのは気が引けて、
復刻版のメロー・イエローを買う。
僕はアンバサが好きだったのに、アンバサは置いてなかった。
それにしても、メロー・イエローは58年代に出てたのか。
僕が始めて中学の時に飲んでいたのも、既に復刻版だったらしい。
帰り道、古びて点滅する蛍光灯の下を通って
少し迂回する。苦しげな電灯の明かりの真下には
小さな蛾と小虫が飛び交っていた。
照明に眩まされたように引きつけられ、明かりの周りを
しつこく回転しながら飛ぶ蛾の一匹が、急落下してくる。
慌てて避けると、蛾の羽根の真っ黒い目と目が合う。
欧米では蛾と蝶の区別無く昆虫採集をするらしいが、
こんなものを集める気が知れない。
行きとは対照的な、地味な坂道を登ったところで家に到着。
アイスを買ってこなかったことで家族の批判を浴びる。
そうはいっても、汗だくだし、持って帰るまでにどうせ溶けてしまう。
代わりに飲み物と一緒に買ったクッピー・ラムネを差し出すが、
「もういい」と、軽く一蹴された。
実はオレンジ・シガレットもあったが、聞くだけ無駄だろうな。
冷凍庫から氷を出して、メロー・イエローをキンキンに冷やして飲む。
そのまま冷房の効いた部屋へ直行。
当然、おなかを下すのは覚悟して。
でも半分は用意周到なのだ。
僕は、レンジで沸かした熱いお茶も、ちゃっかし持ち込んだ。
消灯してからなにか飲みたくなって、
冷蔵庫に麦茶を汲みにいった。
なるべく家族を起こさぬよう、
少ない明かりで台所に入る。
暗がりを手探りで歩き、橙色の小さな光のみをつけた。
ぼんやりとした柔らかい光は、
壁掛けの時計の――あるいはテーブルや
食器棚の陰影を深く引き延ばす。
光の中で極細かく散らつくものが、
ミクロの微生物であるかのように漂っている。
188 :
碧ティムニィ:04/08/19 01:08
昔は、寝る前に両親が気遣って
点けおいてくれたこの光が恐かった。
光自体が恐かったのじゃなくて、
薄明かりの所為でかえって見えてくる、
沢山の”おばけ”の存在が恐かった。
窓に映った橙色の室内や、目玉に見える天井の木目。
そしてカチカチカチカチ…と、何分の一秒
刻みで動く、壁時計の秒針の音が恐ろしかった。
面白い事は、当時僕は僕なりにそのおばけたちと
戦っていたこと。布団を頭まですっぽりかぶるか、
(これは自分の息が布団の中で充満して苦しくなるので、
せいぜい五分しか持たない技だったが)
橙色の光をじっと見つめて応戦する。
橙色の丸い電球は、じっと眺めることで
明かりが逆に黒い影に見えてくる。
そうすると、他の恐いものも暗闇に埋もれてしまう。
暗転。<フェード・アウト>
そして大体は、いつも戦いに疲れて
ぐうぐう眠りこけていた。
それから朝起きると、同じ場所なのに
窓から射す光のおかげで、夜の間とは
全然雰囲気の違う場所に見えたものだ。
東の空から赤っぽい光が差し込んで、
屋根に遊びにきた小鳥が鳴くと、
自然に目が醒めていたのだからとても不思議。
今は、自然に朝目が醒めたとしても、そんな新鮮味を味わうことは出来ない。
そもそも寝起きする部屋が、日差しの
入らない部屋に移ってしまったのも
原因かもしれないけれど。
訳あってblogとこのスレの内容が一部被りそうなので、
このまま並行して続けるかどうしようかと考え中。
正直こちらに書けても、あちらに書けないこともあるので――どうしよう。
どちらも携帯からもパソコンからも書き込めるので、
そんなに僕自身は労が無いんだけど。
折角二ヶ月近く続いてるし、このスレを落とすのも
ちょっと惜しいかも。
悩む。
秋めいた朝のおかげで穏やかな気分。
涼しくなると、自然に色々なことが収束していくから不思議。
アルバイトに電話する。知人の勤めているところ。
自分の時間は無くなるけれど、
行き慣れない少し離れた場所なので、
朝夕の景色が見れればそれはそれでいいと思う。
勝手な自己結末だけど、
ここのところごたごたしていた事が
少しづつ纏まってきた気がする。
毎日のことを書いて書いて、書きつづけたのも
僕の中で役に立ったと思う。
六月のはじめの頃の書き込みを、改めて見てみる。
顕わになった気持ちの浮き沈みが、とても恥ずかしいけど、
天気や気候のことは書いておいて良かったと感じる。
毎年ある季節ある季節が過ぎた後になって、
梅雨頃の寂しい感じも秋の始まりも、
結局のところ、違いなんてそんなに無いんじゃないか
と不安になっていた。
特にここ数年の異常気象の所為で、
変化なんか起きてないように思えたから。
夏らしくない夏。冬らしくない冬に始まって、
年間の違いが段々と薄れている。
そして僕が四季のイメージにしがみついてるだけのように
感じて仕方なかった。
「日本は季節ごとに全然違う、」と前にカナダ人に説明したけれど、
言いながらどうだろう?とよく思ったもの。
四季の変化そのものなら、他の国にだって存在するんだから。
でも、どうやら季節の変化はまだ大丈夫だという気がする。
僕らは四季の変化に振り回されて、相変わらず笑ったりうんざりしてる。
誰かが前に、
今の時代は「あらゆることが出尽くした不毛の時代だ」と言っていた。
確かに僕らはあらゆる既存のものに頼って生きている。
新しいものも、既にあるものが形を変え、進化したものばかりだ。
でもそうだからって、必ずしも不毛じゃない。
僕があらゆる遺伝子の組替えでしかないとしても、
僕はその組換えによって出来た、「新しいパターン」そのものなんだから。
感情は既存じゃない。感情は繰り返さないだろう。
僕と同じ人間は何処にもいやしないのだ。
そして、それでいいという気がする。
それで僕は充分幸せだ。
僕は今までに無い人間で、今までになかった
感じ方をしてるに違いない。
mumにYesterday was dramatic-today is OK
というタイトルのアルバムがある。
僕もそう思う。
子供の頃――昨日までのほうが断然素晴らしかったかも
しれないけど、今日は今日で、多分大丈夫なんだ、と。
そんな訳で今日勝手に自分で、
一つの区切りをつけてつけてみました。
書き込みは続くと思いますが。
今日からの僕を今まで通り、
どうぞ気長に見守ってください。
久々に悪夢を見る。
暗く拾い部屋で、バラバラに散らばった
自分の身体を拾い集めていく夢。
手の無い手で、床に落ちている自分の腕や脚を拾い、
胸に抱きかかえて歩く。
とても素敵な感じがした。
だって僕は、地面に落ちた星を拾うように
自分の手足を拾っていたのだから。
それじゃあ何が悪夢だったのかというと、
夢の後半になって倦怠感と頭痛とが
付き纏ってきたからだ。
何でこんなに調子が悪いんだろう?
と自分で思い、ふと自分の抱えているものを
見て、身体ではなく腕が10本近くある、と
感じた所で目が覚めた。
僕は体調不良になると必ず悪夢を見る。
目覚めてからも後味の悪さが抜けない。
現実の落ち着きを取り戻すまで、
布団にくるまって大人しくする。
一番嫌いな夢は、突然足場が失われて落下する夢。
感覚を説明すると、足場無しのジェットコースターで
急落下する時と、階段で躓いた時の不意打ち的な
縮み上がる感覚を足した感じ。
心臓が萎む感覚。
その時は本当に死ぬんじゃないかという気がする。
その瞬間と同じぐらい嫌なのが、
必ず落下するときの体勢と同じ姿勢をして、
全身硬直したまま目が覚めること。
目が醒めても身体が感覚を覚えている。
目覚めた後になって、じわりと時間をかけて実際にやってくる苦しみの感覚。
心臓が手でつかめそうなほど鼓動が早まり、呼吸が乱れる。
身体の床に接する面が重く痺れていて、
反った背筋から尻にかけ、じっとりと汗をかいている。
突然落下する夢は本当に嫌だ。
まるで経験者みたいで気持ちが悪い。
高い場所に行くと飛び降りてみたくなると
前に書いたけど、あれはまた少し違う感覚のもの。
安全策がされてることへの安心感が
心のどこかにあるのかもしれない。
僕にとっては夢の中の落下の方が
よっぽど現実的に思える。
呆けてるな。
携帯からの書き込みだと名前がちょっと変わってる(苦笑
余談だけど、携帯からの書き込みだと
通信エラーが出ると書き込みが全部消えてしまう。
どっちで書き込んでも良し悪し。
198までの話の続き。
悪夢の通り、今朝も調子が悪かった。
昼頃には本格的に腹痛が始まり、悶えるほどに。
前日の晩に食べた鰯のすまし汁が効いたらしい。
腐ってるかもしれないと思いつつ、調理して食べたのが敗因。
先日にスーパーに出かけたとき、銀色の鱗の鰯を見て
どうしても欲しくなって買ってしまった。
母は連日の夕飯のおかずを決めて、買い物を済ませていたので、
僕が鰯を買うと言い出したところで随分イヤな顔をしたが、
僕が料理して自分で食べるということで押し切って購入。
食べたかったと言うよりも、鰯を見て触りたかったというのが
本音だったけど。
その後1〜2日忙しくて結局料理も間延びしてしまい、
昨日の夕食の後にやっと取り掛かる。
三枚下ろしはやり方が分からないので、母親にやってもらうことに。
鱗を包丁で削いで、光沢の体に指で触れる。
鱗が残ってる所為もあり、魚の体は思ったよりザラついている。
鳥と一緒だ。鳥の翼のも、見た目以上に骨ばってガサガサしている。
鳥は胸と腹の毛が一番柔らかくて気持ちいい。
――すまし汁じゃなくてつみれ汁だ。
そして母親が魚を捌いてる間、
僕は出てきた内臓なんかをいじっていたが、
母親に汚いからやめろと言われた。
一通り魚を分解したところでつみれは僕が作った。
中学の調理実習で作ったから、大体覚えている。
出来上がりはまぁまぁだったのだけど、
夕飯後だったので僕以外誰も食べなかった。
それで僕だけ今日になって腹痛になったという訳だ。
先ほど部屋でごそごそしていたら、寝る前に戸締りにきた母親に
「今日大学事務のバイトが新聞に載ってた。
あんたが行くとこより割がいいよ」と言われた。
ちょうど朝にも父に同じことを言われた。
大学事務なんか夏休み明けに続けられるわけ無いだろうが。
確かに僕が行こうとしてる所は、
遠い上に分が悪いかもしれないが、
折角僕がやる気になってるのに
どうしてわざわざ気を削ぐようなことを言うんだろう?
秋が近づいている実感。
窓を開けておくと、秋の気配が通っていく。
乾いた心地いい空気が擦り抜けてていくと、
自分の身体にも透明感が湧き出てくる気がする。
そして人肌が恋しい。
無償に誰かに会いたいような、
そうでもないような、複雑な気分になる。
青い犬を思い出す。
夏場の木陰でじっと身を潜めていた
短毛の黒いラブラドール。
相変わらず僕は季節の変わり目に
寄り掛かって、感覚がついていかない。
調子狂いで壊れてるみたいだ。神経も感覚も。
それでいて幻想的というか、幻覚的な感じもする。
木が赤い、木が黄色い。当たり前のようだけど、
当たり前じゃない気もする。
だってそれなら、犬だって青いぐらい
ちっともおかしくないんじゃない?
全体像が一本腑抜けたみたい。
肋骨を一本取り出して、近くにいた子犬に
あげてしまったみたい。
二、三日前から開けっぱなしの、オート麦の
チョコチップクッキーを頬張る。
適度な湿り気が口の中でもさもさする。
甘い土を食べてるよう。
デンマーク王室御用達の、
泥と麦殻入りの甘い土。
朝食を抜いて、眠ったり、書き込んだりして
午前を過ごしている。
半覚醒のときはいつもこんな調子。
現実と非現実をいい具合に混ぜた場所を
漂っている。
ベランダを横切る近所の毛並みの綺麗な猫。
あれがデンマーク王室の秘蔵息子という訳。
城で王冠をして、玉座に座ってたりするんだろう。
ロシアンブルーっぼいから、
ロシアの皇太子かもしれない。
他の人は寝起きにどんなことを考えるんだろう?
仕事のこと?今日一日の予定?
前にviserやらsigmarionのサイトを見たら、
朝一に端末で今日の予定を確認し、
通勤中に新聞の記事を端末で読む人の話題
が書いてあった。
そんな人からすれば、僕は軽蔑されるのかな。
こんな話は今ならいくらだって出来る。
白地に並ぶライトブルーの直線の羅列。
海平線の単純図。奥の方を重量級のタンカーが走る。
白いのは雲か霞。
世の中毎日晴天ばかりじゃないよ。
ちなみにこれは僕のボーダーのシャツを見て
言ってるんだけど。
強い風が吹いている。
ご覧のとおり、寝起きの僕は脳天が逝ってる。
そういえば去年、洋書売りの航海本屋が
どこだかの国から名古屋港にきてた。
行けば良かったなと後悔。
支払いは日本円でいいのかな。
ユーロもポンドも持ってない。
強烈に眠くなってきたので
また寝ます。
今から出掛ける人、おやすみ。
風が強いと思ったら、台風の影響なのか。
当分雨降りは続きそう。
車の水飛沫を上げる音が、近づいては遠退いていく。
裏の建てかけの木造住宅の屋根を、雨粒が跳ねる。
斜交いのマンションの風鈴もまだ鳴ってる。
それにしても、雨の日に靴でアスファルトを歩くと、
絶対に小さな白い泡が、足跡に残るのは何故だろう。
薄暗いアスファルトに映った自分の影を見て歩くと、
今でも小学生に返った気分になる。
肩に掛けた雨傘、耳の高さで近づいて遠ざかる車の音、
手を伸ばして届くドアノブ、120センチの視界。
そういったものは二度と戻ってこない。
ここのところ自分でも書き込みが多いと思う。
寂しいからだろう。なんだかとても人恋しい。
気の置けない人と、ここの所ちっとも会えない。
自分から誰かを呼び出せばいいとは思うけど、
社会人組の人たちを中心に、みんなを煩わせたくない。
誰でもいい。妙に誰かと話したいけど、叶わない状態。
毎日一人であれこれ感じて、
一人で納得してると思うと、気味が悪い。
もしかしたら、不健康な偏った食事を
僕は喜んで食べてるのかもしれない。
好き嫌いの独りよがり。
チョコが主食。と平気で僕は思い込んでるのかもしれない。
今は誰もそれを注意してくれない。
僕は大してうまくなくとも、うまいと思い込んで
チョコレートばかり食べてるんだろうか。
こんな例え話も半ば冗談じゃないのが辛い。
おもちゃ好きも、菓子好きも、モノを集める癖も
物足りなさを別の物で埋めようとしてるからかもしれない。
今日オークションとCD屋でCDを買いあさってしまった。
オークションの所為で、長い間手を引いていた切手集めにも
また手を出してしまった。良くない兆候。
チューペとは実は既に仲直りをしてる。
とりあえず、卒業までは今までどおりでいようと約束した。
卒業には改めて答えを出さないとならないと思うと、
やや気が重いけど。
そういえば今日、此処のそばを通った。
---廃墟訪問記(苦手な方は見ないでください)
ttp://zousetu.hp.infoseek.co.jp/handa.HTM 地元では有名な紡績寮だった。現在ではもう建物は
取り壊されて跡形も無い。
前から気味悪がられていたから仕方ないだろう。
県内市内にはこんな場所が結構残っている。
僕の住む町からも数十分走った山道にも、
横穴の防空壕がぽっかり残っていて、
丁度いい洗濯物干し場になってたりする。
市内には戦時中に航空機を作っていたという工場もある。
(現在も同会社が経営してるが、勿論作っているものは
戦時中とはまったく違うもの)
新興住宅地と戦争の跡が混在した状態。
でも下手に嫌煙したり、馬鹿丁寧に保存するよりは
よっぽどいいという気がする。
時代の形跡を受け入れて乗り越えていくのが、
一番の慰霊だと僕は思う。
疲れたから寝る。おやすみなさい。
元気ですか
夕方帰宅。とても疲れてる。
でもここ数日のことを今からまとめて書きます。
>>213 身体も心も、この夏休みで一番疲れてます。苦笑
兄が帰って来たので、書き込みは後で。
25日の午前中は、気が乗らないからという理由で
ここに書き込むのを省いていた出来事で、
いろいろ考えていて、その合間にスイレンからメールが来ていた。
ポラリスのライブに行こうという誘いだった。
それ自体はなんてこと無かったのだけど、
あまりその気はなくとも二つ返事をして、チケットを取ってもらった。
その後に彼女が仕事を辞めるという話を聞いた。
何故か僕は嬉しいのと嬉しくないのと入り混じった気分になって、
あまり返事もせず、壜詰めの蜜柑のコンポートだとか、
お金を鞄に詰めて出かける準備をしていた。
午後には何処かに行ってしまおうという気持ちで。
実際に昼過ぎぐらいには僕は電車に乗って、
静岡のあたりにまで行っていた。
サイタマの住んでる場所まで、黙って押しかけるつもりだった。
それからニ、三日泊めてもらおうと思った。
どうして急にこんな意味の無いことをしようとしたのかというと、
意味不明な反抗心があったから。
何に対しての反抗?それは漠然として自分でもよく分からない。
ただ、僕は自分で思い立ったことを、
自分一人でも出来るんだと意思表示したかったのかもしれない。
僕は人に左右されてるんじゃない。
やろうと思えば、僕だって自分ひとりでなんだって出来る。
そんな気持ちで。
僕の場合、こういう行動をするには下準備がとても重要になる。
決心を最後まで守ってくれる道具がとても大切。
壜詰めの蜜柑のコンポートはそのための一つ。その他にMDウォークマン、
デンマークのクッキーや、気に入っている銘柄の煙草を持っていく。
火はライターでなくマッチを。それとポケットサイズの本をひとつ。
家族には黙って家を出る。チェルシーに短いお別れの挨拶。
庭の山百合を一本手折り、自転車の籠に乗せて走り出す。
人とすれ違うごとにその人の視線が百合にいく。
ちょっとした緊張感と歯がゆさが綯い交ぜになって気分がいい。
秋風が気持ちよくすり抜けていく。
本当になんでも出来る気がした。
そういった小さなことの積み重ねで"出かける"気分を高めて、
僕は電車に乗った。電車に乗ってからはとても簡単。
朦朧とした気分のまま外を眺めてぼうっとしてればいいのだから。
東海道線の直通に乗ってしまえば、
嫌でも静岡までは順調に運んでいってくれる。
車窓を眺めてる間ずっと、突然押しかけたら
サイタマはどんな顔をするかと考えていた。
迷惑がられるか、驚いてくれるのか、その時には全く
予想がつかなかったから、それこそ予期しないことが
待っていそうで、冒険という気持ちが強くなる。
僕にとって冒険は、一人で知らない場所に行って、
期待に気持ちを高ぶらせることなんだな、と今になって思う。
とても単純なことだ。
肌寒い冷房と安定した揺れで眠くなる。
この電車は大学に行くまでの道とほとんど同じ。
慣れたように入眠する。
一時間半も電車に揺られたところで、
電車は予定を狂わさず静岡に着いた。
でもそこで肝心なことを忘れていたのに気付く。
サイタマの住所を調べてきてなかった。
これには本当に何やってんだ、という気持ちがあったけど、
僕自身はそのときは希望に満足してる状態だったので、
そんなものサイタマに電話すればなんとかなると簡単に思った。
そして静岡でフラついてみたくなり、そのまま下車する。
電車に乗ってる間に見えた、海とか茶畑?のある場所へは
どうやって行けばいいんだろう。
皺を寄せたフィルムみたいに鈍く照り返す海へ行きたかった。
そのときbroadcastのhaha soundを聴いていて、
とても眩しい幸福感があったので。
窓際のベッドで小鳥の鳴き声に目を覚ましたような、
爽やかな気分を背負って駅周辺を歩く。
(そんな曲を聴いていた。4曲目)
鞄の中で壜のぶつかる音。花壇に植わった茶の木。
静岡駅は僕が思っていた以上に小奇麗な立派な場所で、
少しあてが外れたけど、そんなのもあまり気にならなかった。
海も茶畑も簡単には行けそうにないと分かると、
サイタマに渡すお土産を買って、再び電車に乗ろうと決める。
焦りが全然無くて、大らかな気分で、とてもゆったりと時間が流れていた。
喫煙所で持って来た煙草を吸う。僕がマッチを擦るのを、
隣りで煙草を吸っていた年寄りの男が面白そうに眺めてる。
僕はまだまだ面白いものをもってるよ。と心の中で笑いながら、
炎を上げたままのマッチを暫く目の前に翳す。
赤い火が、立ち消えて煙の糸になる。
紙縒りに似た細い煙。淡い煙草の煙の合間を
縦にまっずぐ昇っていった。
燃え滓を灰皿に捨てて、僕はしおれてきた百合の入った買い物袋を
引っさげたまま、冷たいコンクリートの柱に凭れる。
百合の花をサイタマの部屋まで持っていくのは、どうやら無理みたい。
ちゃんと銀紙に水を含ませて切り口を覆っておけば
もったかもしれないけれど。
不思議なのは、何か目的をもって動くよりも
何もしないでぼんやりしている方が、
よっぽど時間の進みが早いこと。
ウォークマンを取って、目を閉じて柱に身を沈めていると
自分が柱の一部になった気がする。
構内アナウンスと途切れない足音が、何よりの光景。
人目が無かったら、冷たい床の上にも素足を乗せたい気分だった。
なんとなく気後れして、駅周辺の店を巡る。
考えてみれば、サイタマの仕事が終わる時間に
埼玉に着くようでなくちゃ、サイタマに部屋の位置を確認することなんて出来ない。
近辺を一人ぶらつく。
夜のお菓子、鰻パイもばっちり売ってる。
ショーウィンドウの照り返しに自分の顔が映る。
僕はとても嬉しそうな顔をしてた。
出かけます。
この続きはまた後ほど。
駅前をうろうろしていると、思いがけず声を掛けられて驚いた。
後ろを振り向くと、同じゼミのhpが立っている。隣りに女の人を添えて。
「こんなところで何してんの?」と僕が言うと、
それはこっちの台詞なんですけど。と言い返される。
彼らはデート中。そうか、hpは浜松から学校に通ってるんだ。
隣りに居るのは、幼馴染じみの恋人だ。
そう思った時には、逆に僕が一人で何をしてるのかと
尋ね返されてしまい、しどろもどろに答えた。
「埼玉に友だちに会いに行った帰りなんだよ…」と。
今から「行く」と言えなかったのは、
鞄の中の壜と、煙草と、クッキーだとかそういったものが
頭をよぎった所為。
突然現実の知り合いに会ってしまったことで、
そういった道具が一気に”見せられないもの”に変わってしまう。
今思うと、「行く」と言った方がよっぽど彼らと簡単に別れられたのに。
でも引け目があったのでそう言ってしまった。
22歳の大学生の男が、"今から冒険" "一人で"
"百合を持って" "遠くへ行く" なんて考えてるなんて
死んでも知られたくなかった。
「帰りついでに、ちょっと静岡に寄ってみたんだよ」
と言い、さっき買った物の入った買い物袋を見せた。
静岡茶の文字が顔を見せる。さすがタマさんは渋いねぇ、とhpが言う。
萎れかかった百合は手前に入っていて相手には見えない。
(百合は気付かれないよう、後で構内の時刻表置き場に置いていってしまった)
hpは「もうこの辺回ったの?」と聞いてくる。
僕は「駅周辺を歩いただけだよ」と言った。
「あんまり調べてきてなかったから、何があるか知らないし」
すると彼女の方(彼女にニックネームを付けると、ypかな)が
「じゃぁどっか一緒に行けばいいんじゃない?今からお店とか行くんだけど」と言う。
僕はたじろいたけど、hpも「うぅん、俺らも暇だもんね」と言って、
気にしない様子だった。
「二人だけで遊んでるんでしょ?邪魔すると悪いからいいよ」と
遠慮がちに言うが、相手も引かない。
「いつも一緒にいるから平気だよ」という。
思わず、「いつも一緒なのか…」と僕はこぼしてしまったけれど、
「うん。いつも一緒だよね」「幼馴染じみだからね」と、
二人は当然のように頷き合っていた。
結局断りきれず、十分もしないうちに
僕は彼らの運転する車に乗っていた。
元々サイタマに連絡してなかったことが幸いしたのか、
僕の意思が弱かったのか、その後は彼らについて
ショッピングセンターに行ったりご飯を食べたりした。
普段の生活に一気に引き戻された気分。
それでも気遣って、道を茶畑のほうに迂回してくれたりしたのが嬉しい。
カップルと出かけるなんて正直どうかと思ったけど、
その日は案外居心地が良かったのだ。
それでも引き回されて少しへとへとになり、
(カップルって、普段からあんなにあちこち行くものなのかな?)
九時過ぎまで一緒に過ごして、埼玉に行くにも帰宅するにも、
中途半端な時間になってしまう。電車がもう鈍行ばかりなのだ。
無理矢理鈍行を乗り継いで帰ると、三時間はかかった挙句、
最悪地元のローカル線の終電が無くなってる時間。
仕方なく二人に、ネットカフェかロイヤルホストのような
一晩過ごせるところはないかと聞くと、あっさり
「ウチに泊まればいいじゃん」と言う。
「ウチ?」
「ウチだよ。僕ら部屋借りて同じ所で住んでるから、
親父とかいないから大丈夫だよ」
「夜中まで起きてても誰も怒らないよ」
二人で自宅近くで同棲してるらしい。
その事にもびっくりだけど、そこに僕を誘うのにも驚いた。
兄妹鳥みたいに仲良く話してる姿がなんだか憎めない人たち。
可笑しくて僕が笑うと、彼らもにこにこ笑ってる。
許してくれるなら、僕もその仲間に入れて欲しい気分になる。
「本当にいいの?(こっちからは)何も出ないよ」と僕が言うと、
「いいよ。誰か来ると楽しいもんね」
「うん、いいよ。オリンピック耐久観戦しようよ」
ところころと二人して笑っていた。
ということで、僕はこの日彼らの部屋に泊めさせてもらった。
ピアノ弾けるんだね。羨ましい。
自スレに誤爆してしまいました…ごめん。
hpとypの薬指には、揃いの銀色の指輪が光っている。
穏やかな関係の中にある約束の印。
そういう結束は心強いのかな。
僕は指輪を一度もしたことがない。
部屋には皇帝猫(偉そうで気品のあるヒマラヤン)がいて、
二人を召使みたいに顎でこき使っているけれど、
見守ってるみたいでもあった。
彼らはオリンピック中継を見るためにかなり起きていたようだけど、
僕は先に寝かせてもらった。彼らの寝る隣りの部屋。
猫も騒がしい二人から離れて僕のところにやってくる。
歩きながら直立させた尻尾をそっと触ると、
僕の手に沿って尻尾をしならせる。
その後に僕の寝床はヒマラヤンの寝床にも認定した。
一晩一緒に寝させていただき、身に余る程の光栄です、と背中を撫でる。
翌朝26日は二人が眠っている間に、
僕と猫とで先に起きてピタゴラスイッチを見る。
アルゴリズム体操には小柄なロボットが出ていて
とても可愛かった。なんてロボットだったっけ。
キューンとか、ピノではなかったと思う。
とにかくそれが一生懸命体操してる姿が面白かったので、
猫にも無理矢理やらせようとしたが、
こちらは嫌がって逃げてしまった。皇帝退散。
昼過ぎに彼らが起き出して、お昼に何を食べよう?
と相談して買い物に出て行った。留守番は僕がやらされる。
いくら知り合いでも安心しすぎだよ、と思ったけど、黙っておく。
余計な心配の無い人たちを煩わすようなことはしたくない。
今幸せな人たちは羨ましいし、ずっと幸せでいいと思う。
その日も結局夕方までずるずる居座ってしまい、
(彼らのペースが僕以上に遅いのも原因だけど)
五時を過ぎにhpに浜松駅まで送ってもらった。
カップルの良い見本を見せてもらってごちそうさま。
と、サイタマへのお土産にするつもりだったお茶をあげる。
え、いいの?と言いつつも、「お茶漬けいっぱい食えるね」
と喜んでるのがhpらしい。
今までそれほど仲良くしていなかったけど、
これからはもっと仲良くなりたい人だと思った。
翌日の話がまだあるのだけど、
書き込む前に初めて夢板の他のスレをいろいろ見ていたら、
なんだかクラクラしてしまった。
気力があったら夜中に書こうかな。
今思うと、英会話教室の話のところ以外では
肝心なところを外して僕は書き続けている気がする。
一番言いたいところに辿り着くまでの、
前書きが長いのと、持続力が無い所為なんだけど。
(新しい話題の書き出しでいつも救われてる)
でも長い前述を書かないと、
それはそれで消化不良になるだろうなと思う。
そんなの僕一人の判断に過ぎないけど。
このスレッドが750分の1というのを改めて実感。
僕が他の場所を今まで知らずに書いていたように、
同板内にも、此処の存在も知らない人は沢山いるんだろうね。
有り難いような寂しいような話だ。
今になって言うのもなんだけど、
誘導してもらうまでは僕も夢板に来たことがありませんでした。
だから夢・独り言という板がよく分かってなかった。
それで最初にほのぼの板にスレ立てをしたけど、
結局こちらに誘導されたというわけです。
――駄目板に立てるのも密かに考えていたんですが。
夢板もいろいろ見ると、
一人で書き込み続けてるところも結構多いんですね。
特に誰かの書き込みを嫌っているわけじゃないのに、
あまり相手にされてないあたり、
黙々と書き込んでていいのかな?という不安もあったけど。
とは言いつつ、随所で手を差し伸べてくれる人がいる事をとても嬉しく思う。
(庭に咲いた鷺草の花を、冠にして差し出したいぐらいの感謝)
前から定期的に見ているスレが幾つかあったけど、
そのほかにも面白そうなスレを見つけた。
昨日の予定では泊りがけ一日目のことは
もっとあっさり書くつもりだったのに、
書いてるうちに間延びしてしまうのが僕の良くないところ。
あまり種明かしはしないで、
自分の言葉できちんと書きたいと思っているけど、
サイタマの件に関しては大失敗だった。
どこから手をつければいいのか分からずお手上げ状態。
サイタマとは思い出がありすぎる。
スイレンも似たところがある。彼女についても書きにくい。
サイタマの話は、核心を単純に書くと、
僕はサイタマの"思い出の保管係"をやっているという話を
書きたかったんだけど。
自分だけで消化して満足してしまって、結局書けませんでした。
また機会があればちゃんと書こう。
珍しくいつもと毛色の違う話をしたけど。
それでは夜中まで、暫くさようなら。
26日夕方、浜松からいつも使う大学近くの
駅まで戻った頃には、辺りが暗くなっていた。
構内は帰宅ラッシュで溢れ、
出張だったらしきのサラリーマンが、
よくあるように時刻表を眺めている。
ホームは電車待ちに手持ち無沙汰な人間で溢れ、
怒り肩で乗合口に立つ五十絡みの重役らしき男が、
真っ直ぐに向かいのホームを見つめている。
確か台風の影響が既に風に出ていて、
荒れ気味の初秋の風が髪を乱し、
手にした夕刊を乱し、人並みを乱していた。
そして日常を取り戻した人並みの間を、
まだ休み中のこんな大学生がふらふら歩いている。
僕らは夏の残し者。休暇は九月も続く。
サイタマの言っていた言葉を思い出す。
「学生はのんびりしてればいい」
その裏に隠れた意味を否応なく知る。
自由の猶予がもうすぐ終わるという事。
僕は今年で大学を卒業する。
きっと台風が去ったら、秋は一気にやって来るだろう。台風は気候を切り替える。
六月末もそうだったのを覚えていますか?
台風の後、途端に晴れ上がった空を覚えていますか。
そして僕は戻ってきたという気がした。
日常に、ただの大学生の自分に。
この日の旅行は完全な失敗だったけど、
おかげで夏休みの狂気が抜けていった。
手をつけなかった菓子もコンポートも、
日常を彩るありふれた雑貨となって鞄に
収まっている。もう恥ずかしさも歓喜も無い。
八月ももう終わる。
漸く僕は二十二歳になる気がする。
もし今回の冒険がうまくいって、
すんなりとサイタマに会っていたら、
きっと僕はサイタマが愛知に戻ってきた日と
同じ事をやっただろう。
異常なハイテンションと子供染みた行動。
感情の塊になって見る物全部に笑ったり
泣いたりする。とても素敵なこと。
そしてとても惨めなことだ。
そんな事を考えるうちに脱力してしまった。
僕はホームから構内に戻り、
備え付けのベンチに腰を降ろしていた。
御影石でできた冷たい椅子。
僕は人波を見つめる。
ホームレスは人を見ない。
会社員は急いでる。
時間の流れが違う。
一つも噛み合わない。
噛み合わないものはお互いに作用することもない。
ただ、集合的にそこに在るだけ。
僕らは結び付きの無い単体。
どんな生き方をしたところで、
死への競争にはならない。
生きる価値は自分しか決められない。
だから強烈に愛する物があっても
人は自殺する。
どうして金も権威愛する人があっても
人が死ぬのか。
それはとても簡単な事。
自分に価値を見出だせないから。
大学生を取り戻すにつれ、
考えに陰りが出てくる。
数時間そのままぼうっとしていた。
泣きたくはならなかった。
そのかわりに、感情が停滞して
そこから動く気も起きなかった。
流れに逆らわないのが良いように感じる。
ずっと人の流れを見ている事。
淋しくても悲しくはない。心に安定がある。
たぶん僕は当分死のうとは思わないだろう
と漠然と感じる。
サイタマやスイレンを筆頭に、高校時代の
友達がいる間は僕は自殺なんて考えないだろう。
彼らの緩やかな束縛がある限りは。
僕が彼らの記憶の貯蔵係である間は。
嵐の前の静けさでなければいいけど。
と、落ち着いた気持ちで時計を見た時には、
また鈍行ばかりの時間だった。
地元の終電が危うい時間。
暫くどうしようかと思った後で、
ためらった後にチューペに電話した。
「もしもし、今学校のそばの駅にいるんだけど
良かったら泊めて欲しいんだけど」と。
彼女は一時間程して車で迎えに来てくれた。
彼女の部屋まで行くのは初めて。
でもあまり喋らずに僕は助手席で寝そべってた。
彼女は親戚の家の近くで下宿している。
実家は此処より二つ程離れた県だが、
親の心配があって、強制的に下宿先を
家の親戚の近くに決められたらしい。
彼女の不便な通学はそれが原因だ。
頼んでおいてなんだが、
そんな所に僕が泊めてもらっていいのかと尋ねると、
「滅多に来ないから平気。それにあんたが
困るんでしょ?」と言う。ごもっとも。
「でも別に何もしないよ」とぼやく。
するとチューペは笑っていた。
「始めから何もする気無いくせに」
持っていたMDを車のプレイヤーに挿し込む。
オリーブ色のマーチが僕の知らない道を
突き進んでいく。
MDが一周したところで彼女の部屋に着く。
普通の部屋。普通に散らかって普通に片付いた部屋だった。
彼女の部屋に着いた所で、クッキーと
煙草とオレンジ壜を出す。
オフホワイトの綺麗なテーブル。
一人で使うのにちょうどいいサイズ。
用無しになったので、煙草以外はお土産と言ってあげた。
「なにこれ。今日何してたの?」
「静岡に行ってた。(hp)のとこに泊まってた。お前のお土産も買ってこれば良かったね」
「なんで?――行った理由はなんで?」
「成り行き」
彼女が呆れてる。呆れつつクッキーの封を開けている。
「じゃあ私のとこにも成り行きで来たって事?」
そうだな…うん。と頷く。
「なにそれ」
怒っている様子。悪いと思うけど、
嘘をついてもボロが出そうだったから諦めていた。
「じゃあお風呂入ってないの?」
「一昨日もね。二日目だな」
「じゃあ沸かしてあげるから入っておいで」
いいよ、と断ったが、追い立てられて風呂に入る。
その間に着ている物も洗われた。
乾燥機で乾くまで長風呂すれば良かったのに、
女もののシャンプーや石鹸を見て
落ち着かなくて早々出てしまう。
仕方なくタオルを股間に二重巻きにして
居間に行く。彼女は特に何も言わなかった。
前に家にパンツ一枚で歩き回る兄がいる
と言ってたから、多分平気なんだろう。
僕が入浴してる間に彼女は折り紙で鶴を
折っていた。従姉妹が入院してると言う。
僕も一緒に折るのを手伝う。
タオルを腰に巻いてチューペの部屋にいる自分が
情けなくなった。その分心を込めて丁寧に折った。
チューペが風呂に入ってる間に、僕だけで40個は折った。
だからといって別に褒められもしなかったけど。
風呂上がりに既に寝間着を着た彼女に、
乾燥機で乾いた服を投げられ、
風呂場でそれを着る。
まだ残っている熱が気持ちいい。
その間に彼女が布団を敷いている。
彼女はベッドがあったが、僕はその隣の
床のカーペットの上にごろ寝になった。
隣の部屋でいいと言ったけど、
余分な敷き布団はないし、隣はキッチン用の
コーティングをした板の間だったので
さすがに「風邪ひくよ」と却下される。
しょうがないので言われるまま隣の床で寝た。
前日からの疲れで眠くて、もうどうでも良かった。
冬用の掛け布団に包まってさっさと寝る。
それでも横になるとなかなか眠れなかった。
家のと布団の匂いが違う。
窓から赤い明かりがちかちかして見える。
前に言っていた鉄塔かな。
そんな事を考えていると、ベッドから手が
伸びて来て頭を撫でられた。
ただの夢だったかもしれない。
前に彼女は、僕が電車で知らない人の手を
握りかえした話を変だと言ったけど、
自分だってあの女と似たことをしてるじゃないか。
そう思って、また手を握ってやろうと
思ってるうちに僕は眠ってた。
翌朝、彼女より先に目が覚める。
目覚めは肌が敏感になっていて、
起きた時すでに、慣れない布団の感触と
匂いに身体が反応していた。
股間が熱い。
心臓がもう一つあるみたい。
八月になってから兄が頻繁に帰ってくるようになり、
しばらくの間処理出来ないでいたのも原因だと思う。
もう少し布団で夢心地に包まっていたかったけど、
そっと抜けだしてトイレに向かう。
気付いてないといいんだけど。
と、何度か振り返りながら。
そのまま同じ部屋にいると、
また気分が高ぶりそうだったので、
その後は煙草だけ持って部屋の外に出て行った。
テーブルから煙草を取るときに壁掛けの時計を見る。
鉄芯の針が音もなく動き、とても静かだった。
確か五時半だったはず。
昨日のお返しで、彼女の頭を撫でて部屋を出る。
外は風が無くて穏やかだった。
駐車場の前の小さな花壇のスペースに座って、マッチを擦る。
花壇には貧弱な鉄線の花が咲いていた。
結構長い間土に指を差し込んでいじっていると、
日が出てきて、雀が鳴きだし、チューペも近くまで降りてきた。
逃げたかと思った、とぼやかれた。
人聞きの悪い。脱走兵じゃあるまいし。
そのまま僕が煙草を吸い終わるまで二人とも黙っている。
涼しい朝だった。あれだけ早く起きたのは何日ぶりだろう。
吸い終えた後に煙草をほぐして、
中身を花壇の土に混ぜた。
もっと沢山撒けば、コーヒーと同じで、
猫や虫避けになるよ、と説明する。
猫は来てほしいな、とチューペは言っていた。
「28日には成績表を貰いにいかなくちゃ」とか、
「朝は何を食べるか」ということをそのまま話し、
ふと思い立って僕は両親の話をした。
僕の両親は親の決めた見合い結婚で、昔から仲が悪かった話。
だから両親が関係を持って僕ら兄弟を生んだという
事実が、中学まで信じられなかったという話。
(父親は僕が小さい時から平気でアダルト漫画を見せていた人だったし、
別に純情じゃなかったけど、両親に関しては
あれだけお互いを罵り合いつつも関係を持っていたというのが、
単純に信じられなかった)
だから嫌ってても長い間ずっと一緒に生活してれば
子供は出来るもんだと思っていたという話。
そして僕がそれだと思ってた事。
笑われるのは分かってるけど、本気で信じてた。
だから帝王切開のエピソードも、"上の子"の存在も、
「あんたは母乳で育てなかったんだよ」と言っていた母親の言葉も、
無機質なイメージがある時期までぴったりと僕の中で当てはまっていた。
中学生にもなると同級生の間で出る性関係の話も
すんなり聞いていたけど、それは愛情のある家でのみの話で、
ウチはまた別だ、と口にしないなりに思い込んでいた。
当時の両親はそう僕に思わせるだけ冷め切っていた。
だから同級生が「俺らもそうやって生まれてんだよな」と
渋そうに言うのも、僕は違うけど。という意識があったし、
彼らに軽蔑と羨望の気持ちが少なからずあったと思う。
でもそういった純朴さも気位みたいなものも、間もなく崩れた。
ファミコンを隠されて父親のタンスをさばいている時に、
服の下からコンドームを見つけて漸く気付いた。
本当に究極の馬鹿。
今では自分でもこの話は笑ってしまうけど、
当時は本当にショックで泣いてしまったぐらいだ。
しかもサイタマに初めて話すまで、
ずっと自分のなかで引っかかっていた。
なんでか分からないけれど、
僕は朝からチューペにその話をしていた。
「兄貴が重い交通事故で入院してから、
どうしてか分からないけど両親も急に落ち着いてさ。
それから家の中の雰囲気も変わってって。
帝王切開で子供はもう産めないって言ってたから、
多分俺が生まれてからは、
本当に両親は一回もやってないんだと思う」
だから俺が両親にも自分にも馬鹿な幻想を抱いてても、
しょうがなかったと思ってよ。子供の時のことだし。
と、情けない話の終わり方をした。
だからどうしたんだという話。でも言いたかった。
一晩一緒にいて、それを言っておきたくなった。
そして喋りながら僕は逆のことを考えてた。
兄は両親のそういう現場を見たことがあるんだろうかと。
それだけ喋っただけで、僕はぐったりした。
ぐったりしていたら、またチューペに頭を撫でられた。
自分より体の小さい人に撫でられるなんて可笑しい。
でも頭を撫でらるのは、すごく好きだ。
それから夕方まで二人で買い物に出たり、
ご飯を作ったりした。
安かった新物の秋刀魚と、
キャベツを丸ごと一つトマトスープで煮込んだもの。
その間に秋刀魚の鱗が、水に溶いた絵の具みたいに
透き通って青いことを発見した。
カラーコンタクトみたいで面白い。
白銀の腹が美しいのと、頭の筋から唇にかけて硬いこと。
筋肉のしなり具合。舌も口同様にプラスチックみたいだと知った。
そして、その日にやっと僕は家に帰った。
両親の居る元に。兄の帰ってくる家に。
チューペとは今日会ったけど、
夏休みの前と同じ。何も変わってなかった。
もうすぐ秋からの大学生活に僕も戻る。
しばらく休憩保守
休憩保守
今年は久しぶりにフィンランドのサンタに手紙を出そう。
サイタマの家にも着くよう、サイタマの名前でも出してやろうかな。
彼とは無理だろうけど、誰かと見せ合いなんてしてみたい。
また手紙を出す時期になったら
送り方の話を此処でしよう。
11月の終わりごろ、ちゃんと覚えてればだけど。
日本にも一人だけ北欧のサンタ協会に認定された、
公式(?)サンタがいるそうです。
サンタになる試験がちゃんとあって、髭が伸びてるかとか、
屋根に登って煙突から部屋に入れるかという項目があるらしい。
僕も年取ったら目指そうかな。
もうしばらく休憩。
バイト休憩中。
車内で時間を潰す。日中はまだ暑いな。
湿気は無いけど、焼けるような熱さがある。車内で外の熱気は遮断できるが、
陽射しは窓を突き抜けてくる。
バイト作業自体は冷房の利いた部屋で
行ってるけど、なんとなく気が滅入る。
窓がひとつも無い部屋。
ちょっと無機質な人たち。
――僕だって散々無機質気取ってたのにね。
以前に住宅地図調査のバイトを
したことがある。
物凄く大変だったけど、
自由に外を歩き回る楽しさもあった。
今晩にはその話を書こうかな。
ブログに運転席のハンドルと
スピードメーターの写真を送った。
リンクアドレスは帰ったら載せます。
時間が無いのでここまで。
アドレス載せると書いたけど
今日は無理でした。上のほうにある
ブログのアドレスを開けば見れます。
と投げやりに書いてみる。
反省。明日にはちゃんと載せます。
なんだか僕も少しづつ擦れてきたかな。
きっと大人たちは、忙しくて自分の感情に
構う時間がなくなり、感情が無くなって
いくんだろう。
人間は使わないものを削ぎ落としていく
性質があるというのは、きっと本当の話。
でもそれは、その気になれば取り戻せる。
感情が必要なら、素直になればいい。
好きか嫌い。それさえ分かれば
感情はやってくる。
地図調査のアルバイトをしてた時、
いつも見知らぬ町を歩き回っていた。
地図を持って歩くのは、ちょっとした探険。
だから疲れても雨が降っても、
「探険にはつき物」だから当然。
と割り切れた。
見知らぬ人を毛嫌いする新興住宅地は
苦手だったけど、
(家は小洒落てるけど、住人は冷たい。
用心してるのは分かるんだけど…)
見渡す限り水田の田舎道や、
酒屋や農家のの巨大な旧家に地理を尋ねに
行く時はとてもどきどきしたのを覚えてる。
見渡す限り水田だった場所で、
不意に顔を上げると、
分厚い風の槽が空の流れと同調して
全身にぶつかってきた。
まだ稲が青いころ。初夏の話。
酒屋の旧家には大きな漆塗りの木造の門が
立っていて、木製の標札が上のほうに
嵌め込んであった。
強烈に眠いので続きは明日
リンクを張ると書いた
>>257の写真
http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=200409/03/48/b0011548_13522358.jpg フィガロは日産が出した、マーチがベースになってる
限定車(だったはず)。
10年ぐらい前に出たそうだけど、
僕の記憶には無い。12歳くらいの時の話か。
確か何年か前に(川崎)カイヤも乗ってると言ってた。
でもそれより後に、フレンドパークという番組で
パジェロ当てていたから、
もう処分してしまってるのかもしれない。
日産はたまに変わった車を出してる。
パオも日産だったはず。こういう車は好き。
ミニクーパーは最近モデルチェンジしたけど、微妙。
以前のデザインのものは、兄が今乗っている。
そういえば中村一義は自動車免許持って無いのに、
生産中止になるからって、
ミニクーパーを買ったとか言ってたっけ。
どうしてるんだろ。奥さんが運転してるのかな。
あの人はウサギも飼ってるはずだから、
兎を後部座席に乗せて奥さんに運転してもらって
ドライブに行けたら、すごく楽しいだろうな。
とは言いつつ、さりげなくトヨタのwillやwillサイファも
僕は好きだったりする。
>>260の話の続き。
門を潜ると並じゃ無い広さの庭があった。
季節柄、膨らんだ風船蔓やヘチマが
竹柵の支柱に絡み付いていた。
コンクリートの駐車場には子供の
片付けなかったキックボードや
砂場遊びの玩具が散らかり、
中が少しだけ覗ける、住居とは別の建物から
木製の桶や見たこともない道具が
姿を見せている。
仕事を忘れ、興味津々になってあちこち
見ていると、納戸からお婆さんが出てきて
用向きを聞かれた。
昔から変わらない地域は、
道筋が複雑な場合が多い。
小路や袋小路が複雑に絡み合い、
あっても意味が無い道もある。
(意味が無いといっても、用途はある。
こどもたちのいい遊び場になっている)
その辺りのことを交えて、その人に
住所確認をしてもらった。
言おうか言わずにいるか迷ったけど、
綺麗な庭ですね、とさりげなく言うと、
「あたしが手入れしとるんですよ」
と自慢げに言って、なってまだ青い
ホオズキを一つ分けてもらった覚えがある。
なんだかイマイチ書き込みに気が乗らない。
アルバイト先で一日パソコンの画面を見てるから、
目がしょぼしょぼする。
事務所のパソコン画面が目先から近いのと、
照明が明るすぎるのも原因だと思う。
ついこの間までは、丸一日画面を見てても平気だと
思ってたけど、実際はそうでもないらしい。
頑張ればついていける仕事だとは思うけど、
これを長期でやってくのはちょっとどうかな?という気持ちもある。
念を持って提出書類をまだ出してないので、
辞めるなら今のうちなんだけど。
そしてここのところの書き込みは、
あまり考えずに書き込んでるので反省。
ギスギスする前のまえの自分に戻らなくちゃ。
目先のことで一喜一憂して、わざと特別なものの話をして、
平穏を保ってるように見せかけてる僕が此処にいる。
身近に好きなものが溢れるほどあることを、
ちゃんと僕は知ってるはず。
おもちゃがある。お菓子がある。
去年父と祖母と出かけた先で、一生懸命集めた昼顔の種もあるし、
一人で海に出かけて拾った巻き貝も、
(――男の子も貝を拾うのね。と笑われた、あの時の貝)
まだちゃんと引き出しに入ってる。
僕には約束がある。
今まで暇があっても働かなかったし、だらしなかったけれど、
誰も責めなかったのは、ある約束を守っていたからに違いない。
とても簡単なこと。
そして、とても難しいこと。
「何やってもお前はずっとお前のまんまでいれば、それでいいんじゃないの」
「あんたはずっと変わらない気がする」
就職してからサイタマとスイレンが言った言葉。
のんびりと学生をしている僕に向けられた
嫉妬と応援の言葉。
ある感覚を変わらず持ちつづけること。
それが暗黙の約束。
試験日の間にスイレンに呼び出され、
公園に出かけた日の話がしたい。
遡って見てみると、彼女のことはあまり此処で書いてなかった。
本当は話すことが沢山あるのに。
彼女と僕は、性格に鏡合わせな部分がある。
彼女は男の精神を持っている。
僕らはどちらも社会を馬鹿にしてる馬鹿。
――もっと重要なものがあるはずなのに。と内心うめいている。
そしてお互いが"まだ生きている”か、心配している。
順に説明すると、
まず僕らは互いに根暗で(今までのレスを見てのとおり!)
些細なことに敏感だということ。
でもこういうったことは、他の人とも共通する。
高校時代の友人は基本的にみんな根が黒い。
鏡あわせというのは、根本的な感覚がよく似てるという事。
何気なく身の回りで起きた出来事の話をするとよく分かるのだけど、
僕らは別の場所にいても、同じ物に注目し、
同じようなことを考えることが多い。
一番共通するのは、人を見るとき。
電車や町で気になると人が居ると、
僕らは大体目をあわせて、思ったことを反応にしめしてる。
――あの人のネクタイはなかなか凄いよ。
――ドラえもん柄だね。でも私の担任も前してたんだよね。
ニヤリ、と笑ってこの程度の会話なら成立。
買い物に行くときもこの手の関係はとても便利。
複数で迷ったものがあると、迷わず相手が
「これが一番欲しいって顔してた」と言い合えるから。
その分、お互いの性格が見えすぎていて嫌悪感も抱く。
男の精神というのは、同性愛者という意味じゃない。
見た目は普通の女なのに、彼女にはなんとなく、
男っぽい気丈さがある。男っぽい気丈さなんてとても
説明できないけど、ある種の独断的な強さが彼女にはある。
彼女はその精神でわが道を行き、わが道で挫折した。
知らぬ間に受けた推薦入学で大学に合格し、
知らぬ間にそれ蹴って退学してた。
でも誰も知らなかったし、迷惑も同情もいらなかった。
逆に僕は女々しい。
そんな僕らは高校のとき、一緒になって美大に行きたいと
よく話してた。そしてお互い美大を受験もしなかった。
そんなお互いのことを僕らはよく分かってるし、嫌だとも思ってる。
公園に出かけた日、僕らは不二家でケーキを買って
彼女の運転する車に乗って出かけた。
初夏の気持ちのいい日で、アスレチックで子供が沢山遊んでいた。
木陰でケーキを食べ、
僕が園内の草や花の話をして、
散歩をしながらのんびり過ごしていた。
近くの公園で睡蓮を見て、
こんな時間ばかり過ごせたら僕らは
仲良くやってけるのにと思った記憶がある。
18禁は別に全裸がいけないわけじゃないか。
消えていない鉛筆の線や下手なところはご愛嬌で。
すこし元気を取り戻した。
もうとっくに平穏の中に戻ってると思っていたのに、
ぼろは色んな所から出てくるんだなと思う。
余計な心配を表に出さずに、
普通にやり過ごすのが一番いいのかもしれない。
連日のように台風と地震が来ている。
この夏は台風も地震も多いんだろう。
音叉のグラフ表示のように、地震と台風の波が
交差して繰り返しやってくる。
今朝の地震と台風情報で、「最悪両方同時に来るかもしれない」
と思ったのは僕だけじゃないと思う。
連動するうねりと揺れ。
津波が心配。
昨日薬草園で見た子猫のことが、今もぼんやり気になってる。
町立の運動公園に昨日は出かけていたのだけど、
公園の片隅に作られた粗末な薬草園に子猫が二匹いた。
目が透き通る水色のシャムの雑種のような奴と、
黒灰色の猫の兄弟だと思う。
まだ本当に小さくて、甲高い声で頻りに鳴いていた。
大人の猫も何匹か居たけれど、その子猫の親は
いないようだったから心配になってる。
とても人懐こい子猫。
石段に座り込んで、写真を撮ろうと携帯を
いじっているところで、僕の肩に触ろうとして、
石段から飛び降りようか迷っているようだった。
触りたかったけど、サイタマに止められてしまった。
子猫に人の匂いがつくと母猫が寄り付かなくなるぞ、と。
そんなのは僕だって知ってる。
でも連れて帰ることも出来ないから、
触れずにそっと写真だけ撮った。
せめて目やにで張り付いてしまった片目を
開いてやりたかったんだけど…
昔団地で猫と犬を一緒に部屋で飼っていた友だちが、
道端で拾った猫を家に持ち帰って、年の離れた姉に見せていた。
その時に目やにの取り方を僕も教わった。
(その後その姉は、飼う予定も無い子猫を病院に
ちゃんと連れて行っていた)
別れ際に子猫鳴きつづけられて、後ろ髪を引かれる思いがする。
残念だけど、我が家は母が完全な猫嫌いだからどうしようもない。
今朝は荒れた空気の中を散歩に出て行った。
朝方に雨が降って玄関先が濡れていたけど、
午前中は風が強いだけで、空はよく晴れていた。
丸底フラスコに空を詰め込んで逆さにしたみたいな、
綺麗な円弧が天上に感じられる天気。
疎らな雲がどんどん吹き飛ばされていく。
鳩もカラスも、面白いぐらいに吹き飛んでた。
電線の弾みと深い空のコントラスト。
意味もなく、傘をさせば空中を人が歩けるんじゃないかと思う。
本屋で文房具のデザイン誌を立ち読み。
表紙のスタビロの鉛筆削り、僕は持ってる。とか、
一人であれこれ思う。
日曜大工で親子が作ったような、木製の備え付けの椅子に
座ってしばらくページを捲っていた。
遠くで電話のベルが鳴る。
懐かしい黒電話の音だった。
雑誌を捲りながらも、地元のNTT局のビルディングのことを考えていた。
僕の親世代の人とたちは、なぜか地元のNTTのことを電電公社と言う。
たぶん昔の呼び名だと思う。
家も僕が高校生の時にFAXを買うまで、黒電話が活躍していた。
悪戯電話が多い時は受話器を外しっぱなしにしておくんだが、
だんだん通信音が大きくなってくる、というのぐらいなら今でも覚えてる。
他にもJRのことを国鉄と言うし、
自動車学校に通っていた頃、僕がエンストのことをエンコと言ったら、
教官に「あんた古い言葉知ってるね」と誉められたこともある。
(でも、エンコが何の略なのかいまだに分かってない)
それにしても「往生こいた」は、未だに身近な人には誰にも通じない。
その後は地元のドライブ案内雑誌を捲りつつ、
実はまた実家に戻ってきているサイタマにメールして、
今度また何処かに行くかという話をする。
詳しく話してしまうと、昨日はサイタマとスイレンを誘って
近くの運動公園までぶらぶら出かけていた。
僕はバイトを病気と言ってさぼった。
後ろめたい気持ちはずっとあったけど、
久々にふっと息抜きして楽しかったから後悔してない。
一人じゃやっぱり駄目だな、と思う。
結局気の休まる誰かがいないと寂しいらしい。
昨日の公園への遠出で、
サイタマが意外と喜んでいたのが、僕にとっての意外だった。
スイレンはそういう所に率先して行きたがるけど、
サイタマは行く場所が無いから、今までも
そういう場所に付き合ってくれてるぐらいだと思っていたから。
「寺がツボ」なんだそうだ。運動公園の隣りには大きなお寺があった。
「今度は為三郎の家に行こう」とメールの返事が来る。
「為三郎?」と尋ね返すと、ヘラルドコーポレーションの社長だった
人の元家もとい、記念資料館かなにからしい。
サイタマは行ったことがあるとかで、茶室とかあって、なかなかと誉めてた。
--為三郎の家
ttp://www.mc.ccnw.ne.jp/nagoya-taikan/furukawa-teinai.html ちなみに饅頭が美味しいらしい。
僕もサイタマも餡子嫌いだけど、
サイタマがうまいと言うんだからうまいんだろう。
僕も饅頭嫌いと言いつつ、鯛焼きだけは食べるしね。
今日はとても暇。
でもやる事なんて、探せばいくらでもある。
でもやらない。僕に選ぶ権利なんて無いはずなんだけど。
卒論のテーマのことを少し調べる。
テーマは四月に決めた。イギリスの某女流作家の作品について書く。
先日ゼミの教授から電話が掛かってきて、
(僕の手続きミスの為)
その修正の話と、休暇中のことで何か話した。
四月にテーマを提出した時、
「男の生徒でこの人をテーマにするのは珍しいね」
と言われたのをなんとなしに思い出す。
そして掛かってきた電話では「期待してるから頑張りなさい」と言われた。
多少は僕も気にされてるのかな、と勘ぐる。
この教授はチューペが一番のお気に入りだ。
授業中、チューペが生徒として可愛がられているのを
隣りに座っているだけで強く感じられる。
二年のとき、僕にも贔屓にしてくれる助教授がいたけれど、
ゼミクラスへの誘いをあっさりと蹴ってしまった。
英会話で授業が進むような高いレベル設定と、
英語で卒論を書かなきゃならなかったのが嫌だったから。
教える当の本人が英語のネイティブスピーカーだったので
当然と言えば当然だったけど、腑抜けの僕には無理だと思った。
それに当時、僕は引きづられてゼミを決めるわけじゃない
という下らないプライドが湧いていたし、
恋愛詩を中心にしたゼミになるというところで、決定的に避けてしまった。
今のゼミはそれなりに好きだ。
内容的に好きなことが出来るから。
でもあの時の誘いを断ったことにも後悔してる。
あの教授は好きだったから。
体が二つあれば、きっと僕は迷わなかった。
だから別のゼミを選んだ時に、
その事を伝えないままにしてしまったのも
心残りになっている。
その助教授は去年の暮れから
博士号の勉強だかで、本国に一度戻ってしまった。
帰ってくるのは僕らが卒業するふた月ほど後らしい。
その教授も、帰国することは本人の口からは何も知らせないままに、
去年の最後の授業を終えてしまった。
まるで英会話教室の時と同じことを、
この年になってもやるとは思わなかった。
僕は提出物のプリントの裏にメモ書きをして提出した。
でも、周囲の生徒の目も気になって、
伝えたいことはあまり書けなかった。
単純に帰るという噂が本当か尋ねただけで、
その日程についての返事をもらっただけ。
ゼミに誘ってくれた時の熱烈ぶりが、嘘みたいだった。
とてもあっさりした返事。
これじゃぁ、イギリス人はみんな、別れ際はあっさり行ってしまうんだ
という偏見が僕についちゃうよ。と、その時思わず苦笑してしまった。
たった二人のサンプルしかないのにね。
そしてまた、僕は惜しまずにプレゼントを作った(苦笑)
折り紙にちょっとしたメモを書き、その紙で鶴を折って、
また鉱石と花の種と日本の珍しい切手を一緒に紙袋に詰め込んだ。
書いた文章に気付かなかったとしても、
それはそれでいいやと思った。
まるで理科標本みたいなパッケージの
プレゼントを、助教授の部屋の提出物入れに投函。
その時パチパチとタイプライターに似た音が
部屋の奥から聞こえていた。
後になって、もっと別の物が良かったかもしれないと
心配したけれど、助教授の方は僕の趣味を知ってたから、
無記名で出すにはそれで充分だったと思う。
無記名にしておきながらも、
贈り主が自分だと分かって貰いたかった。卑しいな。
その代わり助教授が出発まで半月ほどあったけど、
その後は二度と会いに行かなかったし、
昔みたいに本人が受け取ったかも確かめには行かなかった。
卒業式にその先生は来るのかな。
そこまでやった以上、会いたいような、
会いたくないような複雑な気持ち。
プレゼントと言いつつも、
もう二度と会わないことを前提に
勝手に贈りつけてるんだから性質が悪い。
もし次に会って、あのプレゼントは嬉しかったとか、
ちょっとね…とか口頭で言われてしまったら、
もう二度と誰にも贈るのはやめるだろうな。
実際その方がいいのかもしれない。
でなければ、また僕はそれをやろうとするだろうから。
僕ははっきり言われるまで、それがいいことか
悪いことか気付かないだろう。
でも叶うことなら、貰ってもどうしようもない
このプレゼントを、机の奥に突っ込んでおいて、
時々思い出しては引っ張り出してくれたらいいなと思う。
僕にとっても、今年の誕生日にもらった石が今その状態だから。
たとえ人が忘れても、記憶はいつまでも残ると信じてる。
もしも突然僕が消えたとしても、
此処に記憶の断片が残っていることを
忘れないで欲しい。
「忘れないで」じゃ、言ってること矛盾してるね。
忘れてもいい。
でもたまに、ふっと思い出してくれると嬉しい。
287 :
碧ティムニィ:04/09/09 11:44
可能な限り保守。
帰宅。数日戻らないつもりだったのに、すぐ帰宅した。
わざわざスレを上げるほどじゃなかった。
昨晩は深夜に外を出歩く。
肌に冷たく感じるほどの夜風が心地良かった。
道を歩き、高架路の下をくぐり、
頭の上をちらつく蛍光灯の光を見上げる。
灯った明かりの周辺が白くぼやけ、
電子的な光線を地面に落ちていた。
淵のぼやけた白円の輪郭が足元にある。
その中に逆光を浴びた黒い僕がいて、
足元にも間延びした黒い影の僕がいる。
ぴったりと向き合った関係が、ある均衡を保っているよう。
単純に、くっきりと割れたツートン・カラーが
騙し絵にも見えた。
翌朝、肌寒くて朝早く目が覚める。
ちらりと窓から紅葉と亡霊が見えた。
あの時見えたのが亡霊かどうかは、どうも嘘っぽいけど、
紅葉と亡霊、という組み合わせがなんとなく気に入ってる。
紅葉とお化け。赤い紅葉を頭に飾った
シーツみたいなおばけ。どう?
僕より後に起きた家主に従い、家事を手伝わされる。
またしても僕は人の家に泊めてもらっていたので。
午前中から午後にかけてベランダ布団を干した。
家主の離れた隙に思い切り飛びつく。
昔からこれが好きだった。
いわゆる、「お日様のにおい」にダイブすることが。
ベランダで半分に折れた形の布団に沿って、
僕も折り曲がって布団に抱きつく。
小さい頃は、布団を干したベランダで
枕やタオルケットに埋もれて
ずっと日向ぼっこをしたり、空を見てた。
季節や時間によって、雲の形は全然違うもの。
それで一時期、科学の雲の本を読み漁ったことがある。
今思うとなかなかマニアックな子供だった。
今覚えてるのは、もこもこしたのが夏の積乱雲で、
平ぺったくて切れぎれなのが秋の雲というぐらいだけど。
でも日向ぼっこなんて、よく考えたら
小学校でもよくやってた。
気持ちのいい午後、窓際のカーテンに包まったり、
教室の後ろで、昼の休憩にみんなでごろ寝してた。
太陽に焼けた匂いを嗅ぐと、不思議と幸せな気持ちになれる。
投稿時間の表示、秒単位まで出るようになったんですね。
明日の予定は無い。
時間があるし、落書きでもしよう。
リクエストがあれば、描けるものなら
何か描くんだけどな。
おやすみなさい。良い夢を。
ブルー・マンデーという言葉があるけど、
僕も日曜から月曜にかけての時間が嫌いだ。
本来なら週末の休暇を終えて
毎日の生活に戻っていく事の憂鬱を指すけど、
休暇にとり残されていくほうの人間だって
それなりに辛い。
残りの時間を計画的に楽しめるような性格なら、
辛くなんて無いのだろうけど、
遊びも手につかない状態では何をやっても楽しめない。
胸の隅っこに引け目が付き纏うだけ。
九月に入って、僕の周りの人間も
どんどん自分の居場所に戻っていった。
そういう流れの中でも相変わらず
休暇気分の僕は、調子のいい話題で
しんみりしてるけど、
友人たちはそんな暇もない様子で
自分の仕事に集中してる。
会話している間にも目を泳がせて、
「それで?」「なんだっけ?」と
言われると、こちらも黙らざるを得ない。
相手の頭から仕事の事が離れないのが
手にとるように分かる。
疲れてる表情が責任をもって努力を
してるいい証拠だと思う。
そういうのを目の当たりにすると、
自分がクソみたいな人間に思える。
僕の言葉は話す価値が無いと思い知る。
それで僕は僕なりに、「目指してるものがある」
「努力してるん」と自分に言い聞かせるけど、
そんな事したって虚しいだけ。
自分の怠けぶりは自分が一番分かってる。
そして形にならない限り、
努力なんて大概認められやしない。
製品の製造過程に目を向ける購買者なんて
ほんの一抓みしかいないという事だ。
製造者が消費者への気遣いで、
いくつもの小さな工夫を施したとして、
一体どれだけの人がそれに気付く?
目を向けられなきゃ、
誰だって手抜きをするんだよ。
自分の提案に自分が縛られる。
眠れない日が続いている。
本当は一日中布団を被って
抜け出したくない。
誰かのぬくもりに触れていたい。
キッチンもリビングも空っぽで、
秋らしくも寂しい感じ。
いかにも今までそこにいた人たちが
一人も居なくなってしまった。
そこが僕の立ち位置。
自分で望んで自分で荒廃させた場所。
でも誰も邪魔だったんじゃない。
それでも僕が我を通す為には、たまたま
その場所をどいてもらうしかなかったというだけ。
しかし周りに誰もいないのは当然の酬い。
ある点で僕は決して折れたくなかった。
それを諦めると、僕は僕でいる必要もなくて、
人間のうちならどれでもいい
一つの単体でしかないように感じられたから。
周囲の人間がざくざく倒れていき、
再び起き上がって鋼鉄の心臓を持つ。
僕は祝ってあげなくちゃならない。
自らの蚤の心臓を恥じて、
彼らを讃えなくちゃならない。
他人と比べる必要はないよ
個の形成の仕方はそれぞれなんだから
ってそれが分かってるから寂しくて悔しいんだろうけど
まあ、せっかく秋なんだし、美味しいものでも食べましょう。
>>297 そう言ってくれると気が楽になります。
でも自分単体で考えても、
やっぱり僕は可能な努力をしていないと思うんです。
例えば大学生の最低限やらなければならないことも、
僕は放棄してるし、今より居心地悪くなるのが嫌で、
ドロップアウトするのだけは避けて、毎日を細々やっている。
じゃぁその代わりに何をするか?
有意義なものをどうやって作り出すか。
というところで行き詰まる。
僕にも望みや願望があります。
でも僕の望むもは、人とっては
無意味で金にならないものなんです。
よほど大きな結果が出せれば、
金銭的なことも付いてくるかもしれない。
でもその前に、結果を出す為に
莫大な時間が必要なんです。
そして、何か他所ごとをしながら、並行して
その結果に近づくいう器用なことが僕には出来ない。
結局、妥協できないんです。
大学進学前に僕はその努力に時間を費やせる
進路を望んでいたんですが、
あっさり両親に鼻で笑われて終わりました。
それを諦めての大学進学に切り替えた時も、
中卒の両親には「そこまでする意味がわからない」
「いつも勉強嫌がってたじゃないか」と渋られて、
それでも意地になって勉強して入学した結果が、今の僕です。
そして皮肉にも、僕は今の大学生活の中で
昔とは別の目標を見つけました。
漠然とだけど、少しずつそこに近づこうとやってきたつもりです。
でも直に、その猶予も終わります。
それで先日、両親に進路のことで叱りを受けて、
「親をなめてるのか」とか「嫌なら死ね」と言われたりして、
翌日腹を立てて、朝から友人と遊びに出かけ、
でも就職してる彼らと自分をぼんやり比べていて
情けなく惨めに感じられ、つい愚痴ってしまいました。
ごめんなさい。
恥ずかしい話、今まで僕は何度も自殺を考えたことがあります。
でもその都度思うのが、死にたいという願望より、
死んだ自分を見て周囲がどんな反応を示すか
見てみたいという欲望が強いということ。
僕は周囲の反応に依存して生きていると改めて実感しました。
ここのところ家に居るのが憂鬱で、
でも遊び歩いていると思われるのも嫌で、
丸一日家に居て、まさにヒキコモリ状態。
家族の足音や気配にも苛々している。
一度頭冷やしてきます。
揺るがない決心と、
周囲に惑わされない自らの道なんて、
簡単には手に入らなくて当然だと思う。
大変だろうし思えば憂鬱になるだろうし、
思い通りに行かないことも多いだろうけど、
本当に好きな道なら、この山を乗り越えて、
焦らず、じっくりと、自分の人生を作っていってください。
いつか後悔しないように。
>情けなく惨めに感じられ、つい愚痴ってしまいました。
>ごめんなさい。
こっちこそ人のスレでおせっかい焼いてごめんなさい。
応援してます。
そうですね。
もう一度ゆっくり自分を整理して、
どうするべきかを考えてみます。
すぐに結論づけようとするのが僕の悪い癖。
これがなかなか治らない。
というか、本質的な性格なんだと思う。
僕の感情の上下が、無駄に周囲をを振り回してるんだろうな、
きっと。
自分にお灸を据えている間も、
昨日あれだけ怒り散らしてた母親が
部屋にこもってる僕を気にして、
怒った顔のまま夕飯を持ってきた時には、
ちょっと申し訳ない気分に変わっていたし。
でも、更に恥をしのんで言ってしまうと、
僕は今まで自分がやってきたことが
それなりに好きです。
あれだけ愚痴を書き並べておいて矛盾するけど、
自分のとってきた進路に、運良く
今のところ後悔はしてないんです。
僕は進学に関しては、
今まで随分いい加減な選択をしてきたけど、
高校も大学も今のところで良かったと思ってる。
不満があるとするなら、もし他の進路にしていても
同じ不満はきっとあったと思う。
>自分の人生を作る かぁ。
レゴブロックの組み立てみたいに
小さな細かい期待が沢山あるといいな。
>こっちこそ人のスレでおせっかい焼いて〜
おせっかいとは思いません。
応援してくれる人が目に見えているのは、
何より心強いです。ありがとう。
さて、いつものペースに戻ろう。
今日は思う存分引きこもっていたけれど、
昼過ぎまで気が重く、本当に何もしていなかった。
朝昼食べず、何の作業にも手をつけず、
いつもの妄想も止まって、緊張状態がずっと続いていた。
胸もいつもより心拍が早かったと思う。
精神的に追い立てられているのに、何も出来ない状態。
でも、人に恩を感じる行動は一切したくない。
無職引き篭もりは辛いだろうな。
実はアルバイトも無断欠勤してしまった。
朝になったらすぐに電話しなくちゃならない。
昼の三時を過ぎた頃に、
母親が文句をいいながらも昼食だか夕食だか
分からないものを持ってきてくれた。
朝最初に顔をあわせたときに一言声を掛けたが、
完全に無視されていたので、気分的にかなり参っていた。
それでも母親のほうにも少しは和解しようとする気持ちが
あると分かって、そこから一気に気持ちは楽になった。
母親の重圧には無条件で僕は弱い。
昔から母には陰険な叱り方をされてきたので、
いつの間にか僕は口ごたえさえしなくなった。
母は話下手で、自分の言い分をひっくり返されると
全く別の出来事を持ち出し、
あくまで自分が勝つまで相手を打ちのめす。
だから揉め事の原因がなんだったかという問題は
最終的にはどっかに行っている。
でもその滅茶苦茶責めは、本人が思ってる以上に
キツイ効果を発揮してるのに、母自身は気付いていない。
僕は母が兄を叱る言葉を聞いて、腹を壊したことがあるぐらいだ…
話を戻すと、それで夕方から気分が楽になって、
ブログの更新や落書きをできるぐらいにはなった。
そしてその時の落書きがこれ。
http://hibinoccc.s7.x-beat.com/up/img/089.bmp なぜフラミンゴかというと、月曜に公園に行ってみかけたので。
あとはライト、ライト、という言葉が頭に残っていたのでライト。
(後で気付いたのは、ライト違いだったみたいという事)
今日はここまで。
明日は早く起きなくちゃならない。
寝る前に翌日の起きる時刻の数字だけ
枕を殴ると、その時間に目が覚めるそうです。
おやすみなさい。
枕を殴ったおかげか、朝は予定どおりの時間に目が覚めた。
たぶん、枕を叩くことで時間を意識して
目が覚めるんだと思う。
実は枕を殴らなくても、僕は目覚ましが鳴る数分前に、
自然に目を覚ますことが多い。
枕元の時計をじっと見つめながら、
寝起きの体勢のままアラームが鳴るのを待ってたりする。
眠りながら時間を気にしてるのかな。
その後また寝てしまって遅刻するのもよくある事。
そういう目覚めをするときは、必ず夢を見る。
そのまま二度寝すると、夢の続きを見ることもある。
今日見た夢はいつもと違って変だった。
内容がかなり具体的な夢だった。
あんまりに変に感じたので、メモまでとってある。
夢診断スレにでも出してみたいけど、
メモは詳しく書きすぎて長文になってる。
機会があれば誰かに見てもらおうかな。
今日は仲直りした母親と買い物に出かけた。
もう来週には学校が始まるので、
車で出かけるなら今のうちなんだろう。
「明日は米を買うから」と、帰りに早速約束を取り付けられる。
僕はスーパーの買い物で大きなプリンを買った。
スーパーの買い物袋からプリンが顔を出している幸せ。
日中は物凄く暑かった。
昼間には夏日が繰り返しぶり返してくる。
運転中にだけかける眼鏡で目がちかちかする。
目薬を忘れたので、買い足したミネラルウォーターで目を洗う。
精製してないんだから、決して目にいいとは思わないけど。
水面の扉が間近に迫った気がした。
黄色のライトの絵が気に入って、気が向くと描いている。
大学生になってから明りに対するイメージが定着していて、
裸電球の明るすぎるぐらいの黄色い照明が、
僕の頭にイメージとしてある。
勿論そういう場所に行った実物を見たわけじゃなく、
高校の時の世界史の図説に載っていた写真が、
今でも印象に残っているだけ。
詳しいことは忘れたけど、それは確かトマト工場の栽培風景だった。
機械が自動で給水し、一晩中眩しいハロゲン・ライトがトマトの苗を
照らしつづけている写真。
世界史にはあまり関係ない一枚だった。
でも何故か僕はその写真は引きつけられて、
何枚かスケッチし、色を塗ったのの一枚をサイタマにあげたことがある。
といっても、トマトなんて殆ど描いてなくて、
やたらと黄色に染まっている天井と電球ばかりが描いてあるだけの絵だった。
渡したはじめは「意味がわからん」と言われたんだけど、
2〜3日して、「なんかあの絵が好きだ」と言ってもらえた時には、
落書き冥利につきる言葉だと思って嬉しくなった。
狭い倉庫の古本屋に今日行って、
裸電球が吊り下がってるのを見上げて
なんとなくそのことを思い出したので書いてみた。
電車が通るたびに轟音がして、
電球が僅かに揺れて光景が回った。
雑誌の字もぐらぐら揺れてて、
もっと揺れたら面白いのに。と思った。
三半規管が弱い人間の思うことじゃないな。
肌寒さを感じながら起床。
朝晩はもうすっかり秋の気配。
日中の空気も随分落ち着いたと思う。
まだ陽射しだけは強いようだけど、
それも秋分を過ぎれば一気に変わるはず。
涼しくなるにつれて、ごちゃごちゃした町並みまでも、
すっきりと一つのトーンに纏まる気がするから不思議。
秋晴れの空は、見上げるととても遠い。
思うところあって、九月の行事を調べた。
九月ってあまり何かある印象が無いな、と思ってたけど、
やっぱり行事自体があまりぱっとしない。
敬老の日と秋分ぐらいかな。
家柄のせいか、家族と接する行事は
いまいち印象に残っていない。
月見がしたいと思ったけど、
日にちが決まってたっけ?と思って調べたら
満月の日によって変わるらしい。
今年は28日が中秋の名月。
お団子を買って、ススキを取って来て、
その日は部屋かベランダでぼんやり月見をしよう。
まずはこの日を忘れないようにしなくちゃ。
中勘助の、銀の匙を読む。
実は僕は本を読みかけにしたまま、
他の本に手を出すことが多い。
きりがついたところで一旦離れると、
なかなか同じ本に戻っていかないのだ。
読むときは一気に読むのが理想。
そして一度読んだら、二度目に手を出すこともあまりない。
教授に「良くない読み方」の見本だと言われてしまったけど、
本当に好き本は、特定の場面だけ引っ張り出して
何度も読みかえす。
銀の匙も、そんな本。
高校まで僕はあまり本を読まなかった。
読むときは集中して十冊ぐらい平気で読んでいたが、
今思うとあまり誉めた感じの本じゃなかったと思う。
基本的に、自分に合った本になかなか遭遇しなかった。
そのくせ教科書に載ってる話は、必ず先読みしてた。
教科書の小説には、好きなものが結構あったと思う。
でも授業でやる以上に深追いもしなかった。
そもそも、教科書に載ってるのが単行本で出てるのさえ
知らなかったぐらいだ。
文庫がハードカバーより後に出ると知ったのも、
大学生になってから。
だから僕の読書暦は、はっきり言って浅い。
なのに読書感想文では、商品を貰うぐらいの賞を
僕は獲ったことがある。
たぶんあれは、読む本の選択と書き方の問題なんだろうな。
今でもなんとなく読みたい分野の本はあるのに、
その分野に触れた内容の本を探すのが苦手。
教科書みたいに、肝心な箇所を端折って
内容を紹介してくれる本があればいいのに。
今思うと、教科書ってなかなか便利なのかもしれない。
小学生・中学生の頃読んだ本で、
タイトルは忘れたけど今も探してる本がある。
一冊目は小学四年ぐらいに教科書で読んだ話。
手品師の叔父が外国に行ってる間に、
甥っ子にプレゼントを贈ってきて、
その贈り物の中身が花の種。
そこから話が展開して、叔父は今世界中で
花を咲かせて回っている。というような話。
端折って説明すると、あまり面白くなさそうだ(苦笑)
もう一つは、図書館で借りた本。
一冊に短編が幾つか入っていて、
エナメルの靴の話と、老齢になった未亡人女性が、
かつて若い画家とその家にお使いをしていた
女の子(若い頃の老女)との思い出話をする、というのをうっすら覚えてる。
この本は物凄く今探してる。
昔から通っていた図書館だったけど、
配置換えしたせいで覚えていた場所から本がなくなってた。
あと一つ、月光が照らす他の世界?の丘を
歩き回るような冒険ものの本あったけど、
それはもう殆ど記憶がない。
青い鳥文庫とか、そんな児童向け文庫の系統だと思ったけど。
どれも話は殆ど記憶にない。
ただ、夢中で読んだ記憶だけが頭に残ってる。
だからもう一度読んでみたいんだけどな。
あと、作者は全部女の人だったと思う。
そういえば先日本屋で児童向け文庫を
見ていたら、嵐が丘が入っててびっくりした。
(ブロンテ姉妹の名作とされてるが、
砕いて説明すると、まどろっこしい恋愛話)
本屋の置き間違いでなく、ちゃんとルビを振った
児童向けの本。
いくら名作でも子供が読んでいいのかと思った。
案外他にも子供向けらしからぬ子供向け本って
あるのかな。
探してる本分かった方いましたら、ぜひ教えてください。
一冊目の教科書の話は、竹下文子の「花と手品師」かな?
たぶんそうだ
>>317 調べてみたらその通りでした。
教えてくれてありがとう!
でもアマゾンで花と手品師で検索しても
本としては出てこないんですね。
作者名で検索すると、逆に物凄い数がヒットする。
この竹下文子さん、他にも沢山書かれてるですね。
それにしても、花と手品師は
別タイトルの本に収録されてるのかな。
また探してみよう。
二冊目のほうも「画家」や「女の子」「児童文学」なんかで
検索にかけてみたけど、引っかかるのは
フェルメールと外国の児童文学ばかり。
(この話も似た設定の話なのかな)
僕が読んだのは、設定も日本の話だったと思うんだけど。
確か、本の間に結構挿絵が入ってた。
そういえばタイトル話が骨董屋の話だったかな。
それで「物を大切にしなきゃいけない」みたいな事を
結びつけた内容の、読書感想文を書いた記憶がある。
表紙が印象的で借りた気がするんだけどな。
分からない…
十年近く前に読んだものだし、
もしかしたら単純に絶版になってるのかも。
ついでだし、児童書つながりの話でも。
僕の地元は新美南吉の生地に案外近い。
新美南吉の書いたものが、全国でも読まれているのか
地元付近の人間としては分からないけれど、
「ごんぎつね」や「手袋を買いに」なら読んだことが
ある人もそれなりに居るんじゃないかな、と思う。
(地元では南吉事業が盛んで、小中学校で
あまりにも当然のように読む機会が設けられているので、
全国規模ではどうなのか、かえって分からない)
半田市には南吉資料館というのがある。
5〜6年前に出来た資料館で、今でも割と小奇麗な場所。
その近くに、ごんぎつねが鰻を取る場面の元となった
小さい川があるのだけど、その斜面では毎年
彼岸花が大量に咲いている。
--南吉資料館(彼岸花、今の咲き具合?ページ)
http://www.nankichi.gr.jp/jouhou/jouhou.htm
今日父親が仕事の合間にその辺を通ったらしく、
「もの凄い咲いてたぞ」と、はしゃいでた。
多分近いうちに写真を撮りに行くつもりだろう。
僕も便乗してぶらぶら歩いてこようかな。
あの辺一帯は、僕が小学生の頃は完全な田舎道だった。
彼岸花は以前からよく咲いていたけれど、
何年か前から整備工事が資料館設置と
並行して進められ、気付いた時には近辺一帯
かなり整備が行き届いた場所に生まれ変わっていた。
彼岸花の数も急激に増えたように思っていたら、
どうやら親族の人たちが、ちゃんと管理なんかもやってるらしい。
春先には資料館の向かい側もコスモス畑になっている。
僕もその近辺では結構遊んだ思い出があって、
父親の車に乗って出かけてきて、
田んぼの隣りのドブ川でタナゴやカラス貝を
よく取ったなぁ、なんてぼんやり思う。
なんだかどんどん話が飛んでいくので、
一旦このへんでやめとこう。
風呂に入ってくる。
「トムは真夜中の庭で」 フィリパ・ピアス
夏前に教授に勧められた本。
子供向けの本が読みたいと何気なく言った時に
教えてもらった。かなり有名なようだけど、
近所の本屋で見かけたことが無い。
それでも検索すると沢山出てくる。
探せば簡単に見つかるはず。
キーワードは「時間」。
ここのところ夜出歩かなくなったのは、
単純に禁止されてるから。
近隣の家の建設が佳境に入ってきて、
いずれ何か揉め事の種にでもなるといけない
という理由で両親から止められている。
ただでさえ昼間に自転車で出かけ、
十分か二十分で戻ってくると、
いい年して昼間から何してるんだ?という顔を
内装工の親父にされる。
自転車の籠から覗けたものが駄菓子だったりすると、
尚更という感じ。
部屋を暗くして、telefon tel aviv の
Fahrenheit Fair Enoughを聴く。
(綴りはtele"f"onで合ってる)
硬質の澄んだ音。
コップに歯をカチリと打ちつけた気分。
違うな。なんて言ったらいいんだろう。
手抜きして書くと、エレクトロニカ。
兄が帰ってきて、今はもう隣りの部屋で眠ってる。
なんとなくだけど、兄は以前より枯れた感じがする。
気力・精力の問題じゃない。
微々たる空間的なこと。兄の持つ空気の問題。
五才上という威圧感が最近は全く無い。
労働者と、非労働者の関係。
(僕はこれにやたらと執着してるようだけど、
今はこだわって使ってるつもりは無い。
この分け方をすると、楽に自分と兄との境界線が引ける)
そういった分別が一番しっくりくる。
気力・精力に関しては僕のほうが断然枯れている。
大学には金木犀と栗の木が沢山ある。
秋頃になると、どちらも花の香りがピークになり、
電車待ちしながら栗の木陰で突っ立っている間は
複雑な気分になる。
男なら仕方ないというか、なんというか。
金木犀の黄色い花弁が、
アスファルトに散りぢりになって落ちてる様は
とても綺麗なコントラスト。
アスファルトが小雨に濡れた日は特にそう。
落ち葉が積もる前の薄暗い日和、
暗紺色の地面に、鮮やかな茹で卵の黄身を
ほぐして散らしたみたいになる。
でもどうしても性的な発想も付きまとう。
タマゴとか、タマゴとか、匂いとか、タマゴとか。
僕の脳味噌が腐ってるだけなんだろうけど。
そういえば腐った玉子の匂い=硫黄の匂いというのを
小学校の理科の実験でやったな。
生理的にあれも受け付けられない匂いだった。
前にもうっすら書いたけど、
僕は自慰するとたまに気持ち悪くなる。
多分匂いが一番の原因なんだと思う。
一番興奮してるときは匂いなんてどうだって良くなるんだが、
頭が冷めてくると同時に、匂いを感じて息苦しくなる。
やっぱりあれだ。
プール上がりの蒸れた更衣室と似た、
気持ち悪く息苦しい感覚。
はっきり言ってあれの所為で、
中高の水泳の授業はサボりまくっていた。
硫黄や玉子の腐った匂いにも通じるものを感じる。
風呂場で自慰する人の気も知れない。
こういう事を考えると、誰とも関係なんて持ちたくなくなってくる。
持ちたいけど、持ちたくないというか。
っていうのは、いかにも
未経験者らしい発想なんだろうな…
連日お恥ずかしい書き込みばかりです。
あっさり読み流してください。
高校の時はクラスの男子の中で
「報告会」なるものがあった。
体育の時間や体育祭の暇な時間が充てられる。
内容はご想像どおりの下品なもの。
夏の検診の時、キッチンは多分その時のことを思い出して、
僕が話題に入っていかない人間だったと考えたんだろう。
入る入らない以前に、持ち話が無かったっていうのが
一番の理由だと思うけど。
でも怖気づいてもいたのかな。
自分の無知が晒されるのが嫌で。
夜中に何書いてんだか。もう寝ます。
ご飯中に読んでる人、さすがにいないと思うけど
飯が不味くなる話ですいません。
朝からNHKを見て、
ウニの幼性に釘づけになる。
まるで透過質のロケットだった。
ハンカチの中心におもりを載せて、
そのまま投げた時の形のような
体型をしていた。
体の後方には何本かの足があり、
探査機の軸足みたいにくっついていた。
そいつが生体になるまで小規模の
ぐるぐる回転をゆったり繰り返し、
水中を漂い続ける姿は
人工衛星そのものだった。
ウニのタマゴは受精後30時間で
64の細胞に分裂し、
それから水中でくるくる回りながら、
消化器官?を作り、次第にロケット型に
なっていくとかなんとか。
足には細かい毛があって、
自力で泳ぐこともできるそうだ。
海胆にも水中を自由に泳ぐ期間が
ちゃんとあったんだな。
細い毛=泳ぐというのは、
それで水掻きができるので泳げるということ。
風呂上りの爪先が冷たい。
じっとしていると夜の空気でどんどん冷える。
秋だなぁと思う。
秋がとても好き。僕は秋を愛してる。
夜に爪を切るなという話をどこかで聞いた気がするけど、
親指の足の爪切りを開始。
器用不器用なので、爪切りを使わずに
爪切り鋏を使用。刃が湾曲してて、
簡単に爪が切れるというスグレ物だ。
夜爪を切ってはいけない理由として、
僕が知ってるのは、「爪切り」が「詰め切り」に通づる
言葉だからという理由。
死を連想するので良くないとの話。
「するめ」も確か同じような理由があって、
縁起良く「当たりめ」と呼ばれるように
なったんじゃなかっただろうか。
とにかく爪を切る。
足の親指だけはやたらと伸びがいい。
きれいな三日月型に切り取れて、なかなかの満足。
日中は家族で買出しに出かけた。
家族で出かけると、買い物と言うよりは
買出しの印象が強い。
軽のワゴン車で大の大人たちがあまり喋りもせず
買い物に出ていく姿って、他人から見たらどうなんだろう。
父が会話の相槌を打ちながら運転、
助手席で兄が足を投げ出して煙草中。
その後ろで僕が窓を開けて黙って外を眺め、
その隣りで母親だけがずっと喋りまくっている。
強い結束も無いのに、週末にはいつもこんな感じ。
家族ってそんなもんなのかな。
でも僕が煙草を兄から貰うのを、母親は許さないんだ。
「(僕)にまで煙草を覚えさせんじゃないの!」と兄を叱。
でも僕が煙草を兄から貰うのを、母親は許さないんだ。
「(僕)にまで煙草を覚えさせんじゃないの!」と兄を叱っている。
中途半端な修正の連投失礼。
それからは何とも無い一日が過ぎた。
というのも、家族と過ごす間は、気分の波が微妙に違っている。
良くも悪くも無感動になりやすいので、
記憶に蓄積されていかない。
その代わりに夜になってからが、
長く感じられる一日だった。
悪い意味じゃない。
秋の夜長を感じる落ち着いた時間が続いている。
今日は見ず知らずの誰かと話したい気分。
あとで何処かのスレにでも潜入してみようかな。
今夜はいつも以上に間延びした書き込みをしてる。
自分の中での感覚での話だけど。
話が飛び飛び。
誰か他の人ともやりとりしてる所為かな。
秋の夜長に、深夜まで起きている人に
何かご褒美を差し出したい気分。
僕ももう少し起きていよう。
朝から断続的に原因不明の腹痛が続く。
今日は一日寝床で横になっていた。
頭から爪先まで掛け布団を被りつつも、
扇風機を回し、窓は開けたままにして床に着く。
秋頃に病気をすると、
なぜか夏目漱石を思い出す。
何年の時だったか、国語の教科書にこころが
はしおって載せてあった。
それで、病気で学校を休んだ日に
布団の中で読んだ覚えがある。
それをやったのが、たまたま秋だったのかもしれない。
他の話だって読んでいる筈なのに、
なぜか決まって思い出すのは夏目漱石。
ぼんやり起きていつの間にか眠るのを
繰り返す。それだけで十時が一時に、
一時が四時になった。
時間が壊れてる。日が狂ってる。
起きる毎に外の様子ががらりと変わる。
こんな事あっていいのかと思う。
起きてる間は少し食べ、排泄を済まし、
薬を飲んだ。汗が冷えて寒い。
出掛けていった家族を見送って、
玄関の施錠をする。
また寝る。
静かな日曜日。
自分の呼吸が聞こえ、
暗い室内に窓の外が明るく感じる。
停滞した空間。
至る所に散らばる、
家族の集めたがらくたと同様に
僕はひっそり眠り続ける。
昔から女は、酒乱と病気男とは
結婚してはいけないもんだ。と祖母がよく言っていた。
とくに病気男は良くない。食うに困る。
戦時中も病弱は出征に行かれなんだで、
辛い立場だったでね。
おまえは体が弱いけど、お婆さんが仏さんに
よう拝んどいてやるから、丈夫になりやぁよ。
お爺さんみたいに元気にならせなさい。
そう言って祖母は神社でお参りし、
墓参りには僕をよく連れていった。
あいにく風邪と腹痛は引きやすいままだが、
重病には一度もかかった事のない体ではある。
お蔭であちこちの神社仏閣にもよく連れてかれた。
僕も何処か出掛けて行けると思って
誘われるままについて行ったが、
今思うと自分の為だったのかと思う。
昔の事だし、場所と名前が一致しないが、
何処かの寺の庭で石積みをしたとか、
紙の人形に願かけして水に溶かしたとか、
それなりに有名そうな場所も行っている
気がする。
なのにやっぱり鈍感で、お化けが見たいと
願掛けしてもお化けは見えなくて、
(上の子や、僕が幼いうちに亡くなった
父方の祖父が見れるなら見てみたい)
代わりに茶金色の珍しいイタチを見たとか、
脱皮しかけのままうろついてるトカゲを
見たという半端な経験しかないのが悲しい。
健康祈願に行ってお化けが見たいと
願うのが、そもそも間違いかな。
でも当時、なんらかの気配は感じていたと、
僕なりに勝手に思ってるんだけど。
小学生の時、周りにお化けが見えると
言う友人が二人もいた。
教室の隅に立ってる。男の人がこっちを
見てると彼らは言って、
僕は興味本位で同じほうを見て
びくついていたけど、
本当は僕には何にも見えないし、
気配も感じられなかった。
それで上の子の話は、当時の友人には
一切話さなかった。
だいぶ大人になってから、
もしかして僕の気分的な病だったのかな。
と考えたこともあったけど、
それはそれでそっとしている。
楽しい思い出だったから、
これ以上掘り下げる必要なんてない。
それになにげなく、今も上の子の存在を
僕は信じてる。
僕にとって重要な位置づけを持っていた
には変わりないんだから。忘れたりしない。
そろそろ寝ます。
灯台の夢が見れるといいな。
おやすみ。
Hallo darkness, my old frends.
I've come to talk with you again.
Because a vison softly creeping.
Left its seeds while I was sleeping.
And the vision that was planted in my brain
Still remains
Within The Sound Of Silence.
And in the naked light I saw
Then thousand people, maybe more.
People talking without speaking.
People hearing without listening,
People writing songs that voices never share
And no one dare
Disturb The Sound Of Silence.
The Sound Of Silence/Simon&Girfunkel
灯台の夢は見られなかった。
その代わりに、人身事故の夢を見た。
あまりいい目覚めじゃない。
寝起きに出涸らしのお茶を啜る。
枕元に置きっ放しだった緑茶。
飲んでから埃が溜まってたことに気付く。
水の表面に密集した塊が、微生物の塊みたいに歪む。
体調は復活した。ただ、気分が停止したまま。
辛くも嬉しくも無い。
隣りの家で下水道工事が始まり、
母親が騒音と砂埃で発狂している。
なので母に代わって僕が昼食の準備。
キャベツとネギを刻みながら、現代文と英語の長文読解の
試験問題について何故か考える。
塾通いしてたとき、別教科の担当がそれぞれ
どちらも同じような説明をしたのを覚えてる。
「第二段落が”しかし(however)”なら、それに続く内容は
それ以前の段落の内容と反するものがくるので、選択肢からは…」
いちいちそんなことを考えて文章を読むなんて、
馬鹿っぽいな。と、当時は思っていた。
そして、そんな事を勉強する為に僕らは勉強してるのかと思った。
パターン化した文章を読めるようになりたかっただけだったのかな。
そんな考えに浸っていたら、
包丁で親指の爪を刻みそうになった。
流し台の上からタコ焼き機を発掘し、
タコ無しのタコ焼きを作る。
居間では休暇の兄と母とで、
ゴミ袋の投げあいをしてじゃれている。
珍しいようでいて、たまにある光景。
昔は僕と母親が逆の立場だった。
二人はお互いに「いい年して馬鹿!馬鹿!」を繰り返し、
ゴミ袋を投げられては投げ返す。
往復する塊が感情そのもののよう。
透き通った袋の中で、菓子袋やパッケージ包みといった
ごたごたした内臓物が透ける。
とても楽しそうだった。
僕がたこ焼きが出来たから、置く場所をあけてくれと言うと、
「あんたが馬鹿なことしてるから、タマが笑ってるじゃんか。
早くどかしてやれよ」と兄が言い、
「あんたが笑われてんだよ」と母が言い返す。
なんだか分からないが、仲間外れの子供の気分になった。
僕もさすがにそんな事で拗ねたりはしなくなったが、
やや皮肉はこめて、「仲がいいねぇ」と言った。
すると今度は二人してその否定合戦に入る。
昼食を済ませ、足早に僕は居間を出る。
裏のマンションの方から、大音量のテレビの音が聞こえてくる。
お昼のニュースの、アナウンサーの整った話し声。
内容は殺人について、その動機について。
そして犯罪者の心理についての分析にまで話が及ぶ。
死んだ人の感情は何処にも無い。
なので代わりに僕が一通り想いを巡らせ、
お悔やみを想う。
そして外に出掛け、ぼぅっとして夢想にふける。
何事も使わないと、劣化していくという事を考える。
枯れた凌霄花、垣根の猫じゃらしの生え放題を眺めながら、
黄金色の稲穂の脇を歩く。
草萩の卵形の葉を千切る。しっとりとした柔らかい葉。
指に巻きつけ、細かく切って紙吹雪のように散らす。
信号で停まった幼稚園バスとすれ違い、
窓から顔を出す子供らに手を振る。
小さい子は食いつきがいい。
一気に五人ぐらい一つの窓に吸い付いて、
にこにこしながらこちらの反応を窺っている。
バスの先頭で担任の先生が心配そうに彼らを窺っている。
僕は素早く足元のどくだみを千切って
窓から子供の一人に渡した。
白い花が小さな手に乗る。
甲高い歓声が起こり、誰かが「この花くさいぞ!」と、
笑い叫ぶと同時に先生が立ち上がったが、
信号が青に変わり、バスは走り出した。
最後部座席にきて手を振る子供らに手を振り返す。
また一人になって僕は歩き出す。
その後は痴呆症のことを考えながら散歩していた。
保育士の仕事を考え、介護の仕事を考え、
辿り着いたのがそれだった。
痴呆症の人は話したこと、やったことを忘れて
何度も同じ事を繰り返そうとするという。
痴呆症についての映画を、前に学校で見たことがある。
タイトルは「折り梅」だったかな。
映画の終盤で主人公の主婦が、痴呆の義母が、
自分が何処に居るのかさえ分からなくなった場面で、
初対面の旅人を扱うように義母に話し掛ける場面があった。
その場面を想いながら、痴呆症の人の考えは、
何かを忘れ、何かを思いつき、行動するたびに真新しい
行動をする感覚になるのかな?と考える。
いつも新しい物に接する感覚があるんだろうか。
そんなに簡単な喜びも痴呆には残らないのかな。
辛さと引き換えに、ほんの僅かな幸福が
受け渡されることはないのかな、なんて考える。
たまにそんな話を思いついては、誰かに聞いてみたくなる。
でも突然そんな質問をメールするわけにもいかず、
またその話の僕の言いたいことに辿り着くまでに
随分と時間と文字がかかりそうで、到底説明できそうになくて、
やっぱり伝えるのは諦めてしまう。
だから僕は散歩している間も、
キャベツを切って爪を切りそうになっている間も、
ただのぼうっとした僕で、自分が想う以下のなんでもない
人間でしかない気がする。
でもこんな考えを披露したところで、どうする?
履歴書にでも書く?と自分に意地悪したくなる。
自己卑下してるつもりはない。
でも、自分が一番の自分の理解者なんだと思う。
でもいつか、自分の口で誰かに話せるといいな。
話す内容について分かってもらえなくても、
「僕はこんなに話したい」
と思ってる気持ちが伝わるといいな。
Are you going to Scaborough Fair:
Parseley,sage,rosemary and thyme.
Remember me to one who lives there.
She once was a true love of mine.
Scaborough Fair/Simon&Garfunkle
昨日から通常の大学生活に戻る。
後期はほとんどが前期からの授業の延長なので、
出席をとると直ぐに内容に入っていく。
インターバルを感じる暇も無い。
それでも、生徒たちも直ぐにその流れに馴染んでいく。
その様子を眺めながら教授はコーヒーをすすり、
「若いっていいね」と笑っていた。
遅れてきたhpが窓際の席に座り、
まったくの反対側に座っていた僕に気付いて軽く手を振った。
僕の隣りにはばっさり髪を切ったチューペが座っていて、
彼女は彼女の隣りに座る丸鋏が「鬱陶しい」と言って
僕を小突く。
僕は僕で筆箱と電子辞書を忘れたと言って、
彼女にディズニーの子猫のキャラのシャーペンを借りて、
プリントの隅に落書きしている。
――p.68のl.12を開いて。
「あ、教科書も持ってきてないや」
と僕がぼやくと、チューペがしらけた顔をしてた。
授業が終わると、それぞれの生徒たちで一通り
「久しぶり」「涼しいね、もう秋だなぁ」「何してた?」の挨拶を交わし、
夏休みの話でそれなりに盛り上がる。
大体がバイト、彼・彼女と、サークルで。という話。
「ライブ行ったなぁ。あとはだらだらしてただけ」と僕が言うと、
丸鋏に「冴えないなぁ」と言われた。
じゃぁお前はどうなんだという話になると、
「おれは泊りがけで男友達と高原にサッカーに行った」と言った。
なんだそりゃ。と皆して突っ込む。
そしてチューペが「タマくんうちに泊まりに来たじゃん」と、
あまりフォローにならないフォローを入れてくれたので、
おぉ!っと歓声が上がった。
が、絶妙のタイミングで、「うちにも泊まりにきたよ」とhpが言う。
するとだれた歓声が後に続き、
「やっぱりなぁ…」
「タマ様は男女の分別無しにお召し上がりですか」
「hpを傷物にするな!」
と、妙な盛り上がりになった。
勘弁してくれ。
そのまま、僕が弁解する前に解散。
変な誤解がなければいいけど。
帰り際チューペに午後から暇か?と尋ねられたけれど、
昼からはスイレンと会う約束をしてたので、
無理だと伝える。
昨日は誘われてたポラリスのライブがあって、
ついでなので昼ご飯を一緒に食べて、
周辺で買い物なんかしようか。と約束していた。
チューペは不満そうだったけど、
早めに遊べる日にちを決めておいてくれれば
出かけられるよ。と言うと、分かったと納得した。
「何処に行くつもりだったの?なんで髪切ったの?」
と、思いついたことを並べて尋ねると、
「何処ってことはないけど、どっか行きたいなと思っただけ」
と彼女は言ってた。
「髪は邪魔だから切っただけ」
「ふぅん。長いの結構好きだったんだけどな。
縛ってると尻尾みたいで、触るの好きだった」
と僕が言う。
僕は彼女と並んで歩きながら、
よく尻尾の部分を掴んで遊んでた。
「切る前に言ってくれればとっといたのに」と彼女は言ってた。
学校から帰りの電車を乗り継ぎ、昼の一時からスイレンに会う。
前日に連絡がくるまで、ポラリスのライブの事はすっかり忘れてた。
平気で必ず遅刻してくる彼女を駅のホームで待って、
そのまま名古屋方面まで電車に乗る。
昼にハンバーガーを食べて、パルコや地下街、
その周辺をぶらつきながら、なんとなく気がかりだったチューペに
度々内容の薄いメールを送る。
無印良品でかぼちゃとさつまいものバウムクーヘンを
それぞれ買い、半分折って交換して食べる。
なかなかうまいと思ったが、スイレン曰く、
「ふつうのイモとカボチャの味」だそうだ。
「スーパーで売ってる安い奴もそれなりにウマイよ」
とのこと。
確かに剥がしながら食べるには、
安い奴のが剥きやすいが。
その後はライブが始まるまでタワーレコードで時間を潰し、
視聴機にへばり付く。同じくライブ待ちらしい人が他にもちらほら。
彼女が野本かりあや小島麻由美の視聴をしてる間、
僕は洋楽の棚に行き、mumの絵本CDを見つけて、
こんなに小さいのか。二種類あるけど内容は違うのかな?
と思って眺めてた。とりあえず買わずに保留。
ポラリスのライブは思っていた以上に良かった。
激しさも兼ねた、多幸感のあるライブ。
ドラムセットが二つ、大型のドラムが一つ。
左寄りに居た僕は、低音で右耳がおかしくなったが(笑)、
MCで今日は皆楽しそうでいいね。と言ったり、
偶然目の前にいたカップルが、
不意に手を繋いだりする姿が印象的だった。
途中、激しいフラッシュ・ライトの所為で、
全体像が駒送りのフィルムのように見えた。
ちょっと慌てて書いたけど、とりあえずここまで。
眠れない。
前に申し込んだ会社の面接の日が
近づいていて、緊張してるのかな。
胸に突っ掛かったものがあって取れない。
以前喉仏に魚の骨が刺さった事があるが、
あれ並の欝陶しさがある。
ここのところ交遊関係が充実してるのに反して、
何をしていても心から楽しめない自分がいる。
遊び回っている割に満たされる実感が無い。
何気なくそれを口にしたら、とある友人に
あっさりと「セックスしないからだよ」
と言われてしまった。
冗談だったんだろうが、どぎまぎした。
今まで近くにあった筈の満足が、
一瞬、ちゃちな贋物だったような
気にさせられたから。
思わぬ場所に谷底を見た気分。
そして昔はそんな事言う奴じゃなかったのに。と、
少し腹がたった。
朝方の続きを書こうと思ったけど、
下品話で暗い話になるのでやめ。
案外この話題が好きなのかな。好きなんだな。
でもいいや。やめた。
昨日紙に一度メモしたのを書き込むことにしよう。
学校のこと。内容もないし、なんだか小説風だけど。
校内の銀杏が大分黄色く色づいてきた。
直立した大木の黄色を纏った腕が、
校舎の四階の窓からもよく見える。
ときどき鳩が翼を体に打ち付けて飛び立ち、
穏やかな薄青の空に消えていく。
大教室での授業は早くも倦怠感が溢れてて、
生徒たちも、大体が喋るか寝ているか。
それでも一人ブツブツ言いながら授業を進める教授。
机の下に携帯電話を隠してメールを打つ女子生徒。
逆に、教卓の前に陣取って、授業を丸暗記でもする勢いで
板書する元社会人の男子学生。
そして天井を巡回する蝿と、それを見ている僕。
まとまらない空間がいかにも大学の授業らしい。
僕も卒論の為に、本を隠して読みはじめる。
授業も終盤迫ると、途端に生徒の数が増えてくる。
終わりがけに配られる出席カードが目当て。
あるいは身代わりで、仲間の為のプリントを集めにやって来る。
僕は素早く出席カードを出して、ごった返しの教室から足早に退散。
そのまま、情処理教室――パソコンの使える部屋に流れ込む。
二、三のメールと卒論の為のワードの設定を確認をしに来たのだけど、
この時期は一人暮らしの四年生
(卒論を書きたいが、パソコンの無いという学生)
で溢れ、空席なんてある訳が無かった。
仕方なく図書館に行って、卒論に必要な本を数冊借りる。
ネクタイを必ず胸ポケットに突っ込んでいる図書館管理の人は、
いつも僕が鋏と糊が必要になると、親切に借してくれる人。
その人と少し話をすると、貸し出し処理をしながら、
「あんたももう卒業しちゃうの?」と、しみじみ言われてしまった。
図書館の新聞置き場にも、一人暮らしの学生が
朝刊とスポーツ誌を読む為にたむろしている。
硝子越しに差す西日が、ある角度で七色の光を
絨毯の特定の位置に落とし、不思議な日焼け跡を作っている。
その上に手足を翳す。
七色のグラデーションに染まった手足がちょっとだけ誇らしい。
ただ、どれだけ動かしてみても、その虹を捕まえることは出来なかった。
教授の居る教員棟に足をのばす。
学校の建物の中で一番日の当たらない棟。
多分設立当初、教員棟はわざわざこの場所を選んだんじゃないかと勘ぐる。
ひっそりした薄暗い場所。
夏場も冷房無しに、空気が重く冷たかった。
罅割れた白い壁が独特の匂いを放っている。
教授の部屋の前に行き、中に通してもらう。
奥に洗面台があり、部屋のスペースを確保するために
入り口すぐに、目隠しを兼ねた書架が設置してある。
大抵が古い黴臭い本ばかり。
書架の奥まで行っても、雑然とした空間は殆ど本ばかりだった。
この中で先日、僕が貰うはずだったプリントが紛失されたの
かと思うが、当然のような気もした。
今日はそのプリントを受け取りに来た。
積み上げた書類をさばいている教授の横で、
○○先生は僕らの卒業式のときに戻ってくるんですかね。と、
話を持ちかけると、どうだろうねぇ。と首をひねる。
「そうそう、○○君(僕の名前)。卒業式の日には学部ごとでちょっとした
パーティをやるから参加してね。あなた飲み会なんかも、
いっつも逃げちゃうから」
とやり返される。
「お酒がダメなんですよ」というと、
「お酒は強制じゃないから。来なさいよ」
と釘をさされた。
夕日が間延びする。
今は学校をとうに離れ、相変わらず効きすぎの冷房の電車の中。
手の甲を真っ赤にして会社員たちがぐっすり眠りこけている。
電車が走り出すと、刈り入れの始まった田畑の脇で、
彼岸花がしおらしく咲いてる。
駅から駅へ。辿り着くたびに目にする人影が、
どんどん伸びて電車の中へと到達する。
鈍行待ちの人の、歪んだ黒い形だけが
急行列車に乗り込んでいる。
だけど列車が出ると、その影もホームに置いてきぼり。
そんな様子を眺めながら今日は家に帰った。
>>360 h抜くの忘れてた…
紛失したと思っていたシガーロスと
ブロードキャストのCDを、本棚の裏から無事発掘。
でもジャケットが折れ曲がって少し鬱。
シガーロス今月末に日本でCDという形として
出回っていなかった1stアルバムが出るそうで、
楽しみなので、まぁ良しとする。
sigur ros公式
ttp://www.sigur-ros.co.uk/ mediaから試聴可。
特にdownload videosの上位二つの
PVは素晴らしいです。
vidrar vel til loftarasa のゲイ少年の映像で出てくる
赤ちゃんの被り物が、レモンみたいで可愛い。
上二つとは別の、
olsen olsen in alafossのヴィデオでは
曲にあわせて踊りだす子供がとてもクール!
芸術面で才能のある人が羨ましい。
でも今は、何より集中力と持続力が欲しい。
飽きっぽい性格を直して、
一定の努力を持続できるようになりたい。
だからなるべくこのスレは毎日書き込むようにしてる。
書く内容に意味がある無し以前の問題で、
持続していることを形に残したい。
たまに他の用事を放ってまで書いてるのが、
本末転倒ではあるけど。
連日雷が鳴っている。
今朝も白い閃光がしきりに雲を横走りして、
建物の窓硝子の表面を白く点滅させる。
そして直ぐさまどっと雨が降り出して、
網戸を突き抜けた水滴に教室の窓辺が水浸しになった。
雨が降る瞬間、窓から雨粒が湧いたように
見えたぐらいの激しい雨。
午前中の学校での出来事。
窓から覗くと、傘を忘れた生徒や教員が
悲鳴をあげながら早足に駆けていく。
同じ授業を受けていたhpが横にきて、窓の外を眺める。
夏休みのことと先日の馬鹿騒ぎがあってから
話題が出来て、お互いに早い歩み寄りがあった。
たいして話さなくても、隣りに居る事で馴染む空間。
本当のところ、仲良くなれる人間は
ある程度直感で分かるものだと思う。
夜の公園。黒い空を見上げると、
片隅に見える電灯は白い円形の靄に包まっている。
今夜も雨が降りだした。
濡れた空気が一瞬にして辺りに立ち込め、
近くの四階のマンションの窓辺では、
かけっぱなしの風鈴が何度となく
雨粒に打たれている。
リン。と鳴るのは風が吹く日よりも
うんと高くいい音。
水滴は風鈴の表面を伝い、一つの雫となって
駐車場のアスファルトまで急直下する。
それは激しい衝撃。透明な体は四方に割れ、
そしてすぐさま、光沢ある夜の
アスファルトへと沈みこむ。
電灯の明かりに道路は白らむ。
その道は坂道。見下ろす方向には学校がある。
坂の突き当たりにある学校まで、
雨水はゆっくりとゆっくりと流れる。
細密に巡らせた針糸のよう。
細かな粒子が暗い床全体に広がり、
時折翻る光りが魚の鱗を思わせる。
濡れた直線の硬質の輝き。
道端の端々では閃光が捩れ、濁流を思わせる。
通り掛かりにそれを見た猫は
紙のボートを思い浮かべる。
先日通り掛かった家の子供が、
折り紙で折ったかわいらしいボート。
それとも自分が乗り込める大きさの舟が
いいだろうか?
悩む猫をよそに、流れは次第に大きく深くなる。
坂道を下るごとに水かさは増し、
魚が泳ぐにも十分な深さになっていく。
非常に良くない。
卒論の関係で、死についての本を
何冊か読んだり、話を聞いたりしていたら
また情緒不安定になった。
気分の変化の波が激しい。
風呂に入る前はいい気分だったのに。
ちょっと頭の中のものを吐き出します。
以下、次の区切り目まで。
-------------------------------------
某氏に某理科系の大学についての話を聞いた。
概ね就職前に不安になったその学校の
生徒たちがするという、自殺の方法について。
○○式という名称があって、電極を両手に握り、
タイマーをセットして、時間が来るまでの間に
睡眠薬を飲んで眠るという方法。
セットした時間がくると、感電して死ぬ。
苦しみもない。
そこに生死の境目は無い。
中学の時、塾の講師が死について
話したことがある。
理系の数学教師で、特徴のある話し方が耳に障る人だった。
「じゃぁどうして私は死なないの?という質問があったら、
それは私は死にたくないから。そうでしょ?―そうだよね」
と言っていた。
その時は誰も反論しなかった。
説き伏せられた感じがして僕は嫌だった。
今もう一度その質問を自分に繰り出してみる。
どうして僕は死なないのか?
僕は痛みも知らずに死ぬ方法をこうして知った。
でも生きている。人生にも結構失望してる。
就職に関しても恐怖心を持っている。
今、人生がうまく途絶えたらそれはそれで
楽になれるような気がする。
それだけ死ぬ理由があるのに、
なんで僕は生きているのか?
生きる決心が固いかといえば、
それには答えが出せない。
まず一般的な話になると、
親族への心配、迷惑などのごたごたした事。
そして苦しみと同時にある、幸福を知っているからということ。
守りたいものがある、愛してるものがあるから生きる。
それは最もな理由。死に対抗する素晴らしい理由。
死に見合う生だと思う。
でもそれが完璧に人を守る理由になる訳じゃない。
幸福に見えて、突然死を選ぶ人はいる。
実際に幸福でも命を断つ人もいると思う。
幸福は死を押さえるが、
ある不幸が幸福を凌駕することも、当然ある。
それじゃぁ根本的な生きる理由
(愛してる、死にたくないなど)があって、
死ぬのは一体どうして?
生きる理由を納得しながらも、
ふと死ぬ人についてはどうかというと、
それは「手」だったり、「物」だったりする。
手や物。つまり、何かに特定せず、
その辺にありふれた物がある時死の理由になる。
文字通り、ありふれたもの理由になると思う。
それでもそれが致命的な死を人に与える。
それは敏感な人間ほど読み取る事のできる
死の要素。
精神病患者は、ある意味敏感であるに過ぎないと思う。
何でもかんでも気が狂ったと思う健康者もまれにいるが、
実際は、患者はある特定の負の因子に関して
過剰敏感になっているんだと思う。
負の要因とは何か?
それは様々なものが対象になる。
人間の死因だって一つには絞れないように
負の要素は想像しうる限りいくらでもある。
負の要素に異常敏感という意味で、精神病患者は病人だ。
でも、それ以外は健全者と同じ生活を必要としてることを
考えなくちゃならない。
話を戻す。
手や物の話。
たとえば、日常で接してる人たちには
動作だけで考えている事、しようとしている事が、
読み取れる相手が、僕の目から見ても沢山いる。
本棚の高い位置にある本を見つめる人。
ゴミを手にキョロキョロ辺りを見回している人。
そういう人の次に起こしたい動作は、
僕以外の人にでも大方想像はつくと思う。
ただ、気が付くか気がつかないか、のアンテナの精度が、
ここでは重要な話になる。
そして、今ここで自分が読み取る側の人間になってみる。
無線機のよな電波を暑かったことがある人なら
分かると思うけど、感度を高設定にして強い電波を
拾おうとすると、激しい電波でハウリングみたいな
激しい音声を受信することがある。
書いたとおり、これをやるとかなり不快な感覚を
人は感じる。
それじゃぁ、負の要素に関して一般的な感度以上の
アンテナを持った人間がい居るとする。
そうすると、その人は他の人よりも
多く負―死の要因を感じる人間であるといえる。
これは精神病患者の説明にだぶってくることだけど。
それじゃぁ、とまた戻ってくるが、
死の要因と、いわゆる「手」や「物」の関係はなんなのか。
どうして生きてるのかと、
どうして死ぬのかという問題は必ず相対する。
生と死にはある種の均衡がある。
昔やった、目盛りの丈が0〜100%までと決まっている
棒グラフのような関係。
0歳から死までの目盛りの中を、
生の丈が、死に至るまでどんどん伸びていく。
-------------------------------------------
書きかけですが、自分考えは自分の中で
一旦整理できたので、ここでやめます。
僕の気味悪い自己満足は話はここでまで。
読み飛ばした人、失礼しました。
じきに28日にやってくる月見の日を楽しみに、
今夜は秋の心地い眠りを楽しんでください。
僕も僕なりに晴れるお祈りをします。
ぐっすりおやすみなさい。
今日はいろいろある日だった。
いろいろありすぎて、一喜一憂して、
一日の締めに、電子辞書を椅子の脚で踏んで壊した…
物凄いショック。
当時3万したのになぁ。
3万の働きはもう充分してくれたと思うけど、
液晶は死んでても機能は生きてる。
隅っちょにはドラえもんのシールまでついてて
愛着があるから絶対に捨てたくない。
修理できるだろうか?
明日問い合わせてみるか…
明日一時面接なのに。
本当落ち込む。
自己PRでの自分の魅力を書け。
という設問で、どつぼにはまる。
書類上ではいかにも体裁を保ったように
書けるけど、一方で自分が中身の空っぽの
空き箱だと感じる。
スカスカだ。
スポンジみたいに。
僕の本当の性格を知りたいなら、
このスレを読んでください。って言えば
何よりもよく僕が分かると思う。
でもこのスレを読み尽くした人のいる
会社には是が否でも入りたくなんてないけど。
会社は社員として魅力があるか見るんだろうから、
このスレを見たところで
やっぱりどうにもならない。
自分の性格。
博愛精神旺盛。
なんだこりゃ。
履歴書記入例の人はすごい。
何が凄いかというと、
経済学部に入ってTOIC780点で、
剣道が強く、得意が絵画(都知事賞受賞)の22才。
逆境に立つとファイトが出て楽しいそうだ。
マゾだ…
しかもマッチョっぽい。
マッチョでマゾで知的青年か…
実在しない人物に真面目にケチつけてる
僕も相当アホだけど。
今度から名前欄これでいこうかな。
真面目に自己PR書かいてきます。
今夜は猫でも人でもウサギでも
胸に抱いて眠りたい夜。
bonnie prince billyでも聴きながら寝ます。
おやすみ
0時前に寝たので、今日は早起き。
出かける前に書き込み。
昨夜は秋らしい夜。
夜から朝方にかけての冷え込みが好きで、
寝床に包まっていい気分で眠る。
散らばったシーツやタオルケットに埋もれると、
落ち葉の山に潜り込んだ時のことを思い出す。
なんだろう、潜り込むと安心する。
肌寒い日に、温もりのあるものを抱えると
幸せな気分になる。
だから手元に何か居て欲しかったな。
暫くはこんな夜が続くんだろう。
きっと寒くなるにつれ、誰かの肩に寄りかかったり
軽く抱きついたりすることも増えるんだろう。
コートを着たりして厚着になれば、
そんなことも平然と出来るようになる。
朝はブランケットに包まって過ごす。
キャンベルスープに火をかけて、牛乳を投入。
鍋が温まるまで居間で丸まる。
中秋の名月は今晩か、とか考えながら。
天気は上々なので、月が出る可能性は高い。
早めに帰って来られるといい。
ススキでも刈って。
昨日は沢山のことがあった。
少し抜粋して書くと、
スズメバチと電子辞書の話かな。
他のことはまたいずれ。
家の軒下にスズメバチの巣が出来た。
玄関先から近いところで、巣を覗くと
巣穴からスズメバチがこちらを偵察している。
母親が保健所に電話すると、害虫駆除業者を紹介してくれた。
処理を委託しているのは、いわゆるシロアリ業者らしい。
言われてみればそうかという感じ。
話を聞けば、今年は雨が少なくてスズメバチの巣があまり落ちず、
あちこちで巣がこさえられているとのこと。
相場はおよそ1万〜2万。
結構するんだな。と思う。今日業者が来るらしい。
1万といえば、電子辞書。
液晶の修理を電話で問い合わせたところ、
扱っていますとのこと。その修理代が九千円。
思ったよりするんだな、とこちらでも思う。
そして電話相手の「なんでわざわざ直すの?」といった口調。
何か変なことでも僕は聞いてるのか?と思った後、
母にそれを言うと、もう少し出せば新品が買えるんじゃないの?
と言われる。そこでヤフオクなんかで相場を調べる。
安い。滅茶苦茶安い。
同じタイプのものなら、1万で充分なのが沢山ある。
愛用してる電子辞書も4年ぐらい前に、
ヤフーオークションで店舗出品してる店で買った。
だから当時も底値と思われるのを買ったつもりだったけど、
今はそれどころじゃない。
広辞苑、英和和英はデフォルト。
英英辞典や漢語林も当然。
そこから家庭の医学だとか、とっさの一言、手紙文、季語
なんてものがどんどん追加されている。
(実用性はともかく)
70冊入った電子辞書にはさすがに疑問を感じるが…
修理に出すのが珍しく思われても仕方ない。
それにしても、新しく買い換えて
今までのをポイ捨てはちょっとなぁ、という気分。
携帯電話はなぜか平気で買い換えてしまうんだけど。
ということで、辞書は保留。
広辞苑と英和辞典を普段からよく使うから、
無くても平気とまではいかないけど。
個人的には角川の新ナントカ国語辞典
(家に昔からあるなかなかマニアックな辞書。
辞書といいつつ、季節の木や季語集、特殊漢字
月の読みなんかが載ってる優れもの)
とフェイバリット英和辞典を電子辞書に入れて欲しい。
今日はビオソ・トォプ見学に行くらしい。
夜帰って来れないときの為に、
「よいお月見を」
月見えないなぁ
一つ前の書き込みは僕です。
結局昨日は月そのものが見えず、
夜には雨まで降る始末。
その日の授業での遠出も打ち切りになって、
暇潰しに、気分転換にチューペと熱田神宮
まで足をのばす。
気分転換の割にかなりの遠出になった。
人のあまりいない境内を歩きつつ、
今日は中秋の名月だとか月見団子の話を
するが、相方はあまり乗り気じゃなかった。ふと彼女の見る方を僕も眺めると、
暗天の中ウェディングドレスを着て
芝生の上で写真撮影をする新婦がいた。
天候の悪さが、却って絹を眩しく浮き立てている。
よく見ると、神宮隣の会館では割合
人の出入りが激しい。
揃って肩越しまで髪を伸ばした女性が
数人、楽器の入った小さな鞄を手にした
男性が早足で奥に入っていく。
巫女さんと楽隊かな、と話す。
結婚式そのものは和風なんだろうか。
新婦の幸せそうな笑顔に当てられて、
二人して長いこと立ち止まっていると、
写真を撮り終えた彼女に一瞥された。
「私は結婚するんですよ」という顔。
「あなたたちもお幸せに」と言わんばかりだった。
その幸せそうな表情に僕もややうかされて、
今から速攻で結婚式をやるなら、
このままチューペと結婚してもいいや、
と一瞬思う。
そうして隣の彼女をうっとり見てみるが、
チューペは眠たそうな顔でぼぅっとしてた。
あぁ、モチベーションが全然違うな。
と思ったところで、浮かれ気味から醒める。一人苦笑い。
「何笑ってるの?」とチューペが尋ねたが、
別に。と答えた。
そして新郎が見たくなった。
でも暫く待っても新郎は出て来なかった。
その後おみくじを引く。
彼女が大吉、僕が吉。
"鏡の如く心に一点の曇なき人には大吉なり
少しでも利欲心ある人には大凶なり"
だそうだ。重いお言葉。
彼女はくじを枝に縛り、
僕はくじを持ち帰る。
帰りに向かいのマクドナルドで
月見バーガーを食べ、
雲行きを眺めながら月が出ないと思った。
それからぼんやりと、結婚式があったのは
月の日和を選んだのかと考える。
生憎の天気ではあったけど、
あのドレスの白い光沢は、
却ってしっかりと僕の目に焼き付いている。
末永くお幸せに。
東海地方は、夜中から朝方にかけて台風が抜けていくらしい。
今も時々暴風で家が揺れる。
チェルシー三匹は玄関に避難させた。
金魚は水鉢が重すぎて移動不可能。
雀蜂の巣は、昨日帰宅した時点ですっかり取り払われていた。
スズメバチの蜂蜜が舐めれるものなのか、
密かに試してみたかったのに、
巣は業者が丸ごと持ち帰っていってしまった。
でも後で調べたら、スズメバチは肉食なので
"蜂蜜"と言えるものは作らないらしい。
野望破れたり、という感じ。
今日は部屋に篭って卒論関係の作業をする。
ほとんどが読書。あとはメモ書きとパソコンの往復。
昼間の書き込みが昨日したことのような、
ついさっきのような気がする。感覚は麻痺してる。
知らぬ間に色々なことが荒んでる。気分的には落ち着いてるのに、
僕自身に前ほど余裕が無い。
サイダーを飲んだとか、チョコを食べたとか、
そういった話さえ今は殆ど出来ない。
捻じ曲がってる。
なんでだろう。これがマンネリ化というの?
昨日だって月見バーガーの黄身を見た瞬間、
何かを思ったのに頭に残っていかなかった。
何かが抜け落ちてる気がする。
剥離したパズルのピース。
本当のことを言うと、ここ3年近くもうずっと
何かが剥がれ落ちている気がする。
僕はこれ以上無くさないようにするのに必死。
今日は雨の中を鳩が鳴いているのに気づいた。
でもそれだけ。
それだけじゃ足りない。全然足りない。
感情が次第に動かなくなっている。
一番恐れてることがじわじわとやって来てる。
それが分かりやすい形で出てるのが、僕の落書き。
年を追うごとに描けなくなってしまった。
回数をこなすことでの上達はあるけど、
今は全然面白くない絵しか描けない。
僕の絶頂期は高校生の時だったと思う。
毎日激しく感情が動いてた。
好きな事と嫌いな事が入り混じって、
友だちと居るのが最高に楽しかった。
最低な時も最高の時も、めくるめく波のように訪れてた。
謎の発作で電車の中でぶっ倒れながら、
「このまま死ぬかもしれない」と思ったのも、
今では恥ずかしくもいい思い出。
むしろもう一度あれをやりたい。
滲み出るような自分の素の感情をもう一度感じたい。
単なる思い込みにしろ、本気で死ぬかもしれないと
思いながら苦しみ悶えるのは本当に辛かった。
でもそれと同時に、全くの他人に本気で心配されることに
物凄い幸せと快感を感じた。
「結局のところ、他人は他人。人の事なんてどうだっていい」
と信じていた疑心暗鬼がぶち壊された。
冷たい床と、電車を降りていく大勢の足の光景。
その中で僕を心配し、慌てて車掌を呼びに行く
サラリーマンの姿。
僕に呼びかけつづけている女の人。
羽織っていた服を脱いでかけてくれた人。
接点のないはずの人に心配されるのは不思議で、
繋がっているようで、心地よかった。
そしてそれが嬉しくてこのまま死にたいと思った。
普段は人に触れられるのが大嫌いだった。
なのにあの時、知らない人が眩しく思えた。
額に張り付いた髪を払ってくれた人。
顔は思い出せないけど、その指の感触はよく覚えてる。
呼んでもらった救急車の中で、
サイタマが同乗しているにも関わらず、
堪えきれずに僕は泣いてしまったんだっけ。
なんか今また泣けてきた。
そうして泣きながら涙の雫が睫に付いてるのを感じて、
目に映るものが本当に輝いて見えた。
涙に滲んだ景色が、凄く綺麗で、
雨の日の夜にライトを見るのが好きだったのを思い出して、
子供のときケンカしたり、叱られて泣く度に、
最後はこの滲んだ景色が綺麗だと思ってたんだと思い出した。
その時、綺麗な世界が
まだ自分の前にあるのが嬉しかった。
堪えきれない思いが、今はなかなか無いのが寂しい。
それだけ落ち着いたのか、不感症になったのか分からないけど。
でも、自分で書いておきながら、今かなり久々に動揺してます。
いい意味で。
初めて好きになった人との事もついでに思い出しつつある。
片思いで終わったけど、本当に胸がぞくぞくするぐらい
誰かを好きだった時期が僕にもあったんだ。と思ってしまう。
本当に好きだったな。
あの時は、名簿で名前を見るだけでも落ち着かなかった。
同じグループにいたクセに、大して喋ることも出来なかったな。
なんて浸りつつあるので、今日はここまで。
392 :
夢見る名無しさん:04/09/30 10:31:09
病気です
>>392 僕の事ですか?それなら万年病です。
あなたの事なら、体お大事に。
メープル・ミルクティーというのが美味しいそうです。
紅茶に砂糖代わりとして、熱して固めたメープル・シロップを
入れるそうで、甘い香りの紅茶が好きなら元気になれそうです。
僕は紅茶が飲めなくて根本的にダメな訳ですが、
メープル・シロップはたまらなく好きで、
冬場はレモネードに入れたりします。
紅茶は種類もフレーバーも沢山あるし、
傍目に見てても惹かれます。
喫茶店でのケーキセットも紅茶ばかりだし、
そういう時ムカつくほど紅茶党人間が羨ましいです。
メープル・シロップは冬になると、つい買い込むんだけど、
毎年使い切れずに余らしてしまう。
お菓子を作る人間ならいいんだけど、
自分はホットケーキの生地が湿って潰れるぐらいかけるか、
飲み物に少し入れるか、舐めるぐらいしか芸が無いです。
ハーシーのチョコ・シロップも、買って使い切ったことが無いな。
無印良品のメープルクッキーは好き。
匂いがたまらなくいい。
風呂にでも入ってこよう。
お気に入りに入れていたスレを巡回していたら、
夢板にあった一つが落ちてしまってた。
さっき来た時に気付けば保守できたのに…
また此処にスレを立て直して書いて欲しい。
たまに書き込みしても名前なんて使わないから、
スレ主さんは僕が見てたのなんて知らないだろう。
だからこのスレで僕が訴えても伝わらないと思うけど、
一言書くと、保守できなくて申し訳なかったです。
昨日の一人勝手な夜の盛り上がりのおかげで、
今日は一日いい気分で過ごす。
台風一過の風が吹き上げて、
徐々に増えてきた枯葉が飛ばされ、降り注ぎ、
散り積もってくさまがいい。
大学の校庭では、立ち並ぶ巨大木の合間から
斜に差した木漏れ日が筋状になって並び、
まだ房になる前の、艶のある金の薄を
明るく照らし出している。
街は随分黄色い色調に変わってきた。
水藻で緑になった池に、ゼミの合間に貰った
ドングリとクルミのクッキーを撒きながら、
囲いのコンクリートの上をぐるりと一周した。
池には鮒のような魚がいて、水面に顔を出すたびに
整った円形の環が広がっていく。
細い囲いをふらふらしながらぐるりと回り、
クッキーを撒くというのが、生温い儀式みたいで面白い。
そして僕に合わせて魚がついて回り、
円形の環があちこちで広がるのも思いのままで、
さながら、猛獣使いならぬ淡水魚使いといった感じで
楽しかった。
帰宅してからは自転車で古本屋に出掛け、
山を切り開いた斜のきつい坂道を一気に滑り降りる。
舗装せず固めただけの斜面には、
草萩に彼岸花、コスモスやらが生え、
麓の日陰の方には蓬やセイタカアワダチソウが
びっしりと生えていた。
運がよければキジやタヌキにも遭遇する場所。
脇の整った車道を眺めながら風を切って進むと、
もしもあのど真ん中をスケードボードで突っ切れたら
どんなに気持ちいいだろう?と思う。
車の代わりにスケボーが走る街。
そういうのも作って欲しい。
久し振りに煙草を買った。でもライターを紛失して、
結局吸えないままテーブルの上に放ってある。
吸わなくても結構平気なのが曲者で、
一度吸わないと、雑貨みたいにその辺に
放ったらかしにしてしまうのが良くない。
どうせなら菓子でも買えばよかったと
大体後悔する。
後悔しつつ、久々にガチャガチャにも手を出した。
ディズニー系のもの。大きな声ではいえないが、
ミッキーやらなんやら、主要キャラクターが
実はあまり好きでない。
逆に、サブキャラが結構好きで、
ピノキオに出てくる金魚や、
人魚姫?と一緒にいる丸い魚や
とんすけ(サンバー)というウサギなんかは
かなり好きだったりする。
フロリダオレンジのキャラクター、
オレンジバードもかなり好き。
ガチャガチャはディズニーのキャラの
ファスナーマスコットの入った缶のやつ。
魚系を狙ったが、ティンカーベルが出てガックリ。
仕方なしに、車のキーチェーンに付けておいた。
前に同じタイプのがちゃがちゃで、イギリスの小麦粉屋の
キャラクターのフレッドのシリーズも何個かやったが、
一回300円する割に、思うのが出ない。
そういえば同じシリーズで、キャンベルと
パワーパフガールズもやったな…
今、机の引き出しを引っ張り出したら
役に立ちそうも無い缶がごっそり出てきて、
ちょっと青くなった。
余談だけど、パワーパフガールズは
アメコミのツボを押さえてて面白かった。
家では見れないが、今も専門のチャンネルでは
放送されているらしく、その主題歌が
apples in stereoがやってるそうだ。
僕はアルバムのほうで聴いたけど、
なるほど甘くて元気そうな曲。
applesのロバートは何気なく僕の中で
アメリカ人の理想像だったりする。
陽気で包容力があって、強そうなくせに優男に思える。
話をディズニーに戻すと、
最近ハロウィンの広告で、ナイトメア・ビフォー・クリスマス
が大々的に押されていてびっくりした。
ナイトメアもディズニーの傘下だったの?と、
先日驚いていたら、ゲーム好きの友人に
キングダムハーツ?(ディズニーキャラが主人公と絡みつつ
冒険するRPG。結構前に販売された)に、
ナイトメアのジャックが既に出てたと教えられた。
やっぱりナイトメアもディズニー傘下なのかな。
ディズニーvsUFJ、
ティム・バートンvsスピルバーグみたいな形が、
暗黙のうちに漂ってる気がする…
UFJ→USJの間違い。
素で間違えてしまった…
このスレももう400になるのか、としみじみ思う。
十月にも入ったし、スレそのものが約3ヶ月ぐらい
続いたというところですかね。
段々砕けた文章になってるので、
グダグダにならなければいいけど。
梅雨から秋まで越えてきたのか。
もう季節を二つほど越えたことになる。
一年を通して、明確な四季を潜り抜けられるのは
世界中で日本だけなんですよね。
思うところはあるけど、
今日はここまで。おやすみなさい。
二十時ごろ一度寝る。
寝そべって本を読んでいたら
急に眠気が襲ってきてそのまま眠ってしまった。
二、三十分の浅い眠り。
木製の椅子に座っている夢を見る。
起き上がると口が渇いて唾液がネバネバした。
昼間に買った爽健美茶を飲んで、
本格的に布団に潜り込む。
自分の温もりが染み付いてて丁度いい。
犬みたいだな、と思う。
最近人と連絡する回数が減った。
自分から発信しないと連絡は来ない。
忙しいを理由に連絡しないけれど、
その気になればメールするぐらいの時間
なんていくらでもある。
チューペも近頃はあまり連絡してこない。
本当に好かれてるのかな、と疑わしく思う。
いいや、本当のことを言えば、
新学期に入ってから僕らの関係は
大分落ち着いて冷めてきた気がする。
単なる僕の思い過ごしなのかな。
その方が自分にとっては都合がいい筈なのに、
しょんぼりしてる自分が此処にいる。
単純な生き物。本当に犬みたいな人間。
草むらで眠って、虫が鳴くのを聞いて、
夜はぼんやり星を数えてるなんていえば、
自由気ままな野良犬みたいでそれもいいけれど。
「秋になったら、また海に行きたい」という願いが
なかなか叶わない。
工夫すれば、時間も行き方も捻出できるのだけど、
延ばし延ばしにしたまま、放置している。
夏場の賑やかな海より、寒い日の薄暗い海が好き。
水は冷えて、触れると手が痺れるような冷たさがあるが、
そのきりっとした感覚が好きだ。
疎らなひと気の、物悲しさもいい。
人だかりの中での孤独は気が狂いそうになるけど、
誰もが物悲しくなるようなそんな空間では、
素直に従うことで癒されるような気がする。
それに何故か、海というと昔から僕は
秋に出かけることが多かった。
夏場は川によく水遊びに行った。
海はなぜか秋。目の届かないところで沖合いに
流されるのを親が嫌ったのかもしれない。
粗目のような砂浜をざくざく歩いて、
砂に埋もれて咲く夕顔や浜木綿を避けて歩いたり、
打ち上げられた海月を枝で切り裂いたりしていた。
時には靴を脱いで岩場を歩き、
引っかき傷で血を流しながら生き物を捕まえてた。
父がそういったことには無頓着だったから、
僕も多少の怪我をして当然のように遊んでいた。
海辺の軟体動物や節足動物は気味が悪くて、
どうしても好きにはなれず、
無闇やたらに殺していた気がする。
殺意が湧いた訳じゃなくて、
どうしても見ているのが耐えられなくて、
かえって手を出していた。
見慣れない貝の中身や、フナ虫、イソギンチャク。
そのあたりの生き物は未だに苦手。
宝石色の海水とか、星砂とかいうキーワードには
とても惹かれるけれど、実際に僕が見たいと思っている海は、
そういった言葉から離れたところにある。
父とハゼ釣りに出かけて、ゴミや木材と一緒に打ち上げられた
小さな赤いゴムボールを拾って持ち帰ったとか、
靴の片方を落としてきてしまったとかいう類のものばかりで、
あまり美しい思い出は残っていない。
川については透き通る清流に行って鮎をつかんだ
思い出もあるんだけど。
今度海に行くなら誰かと一緒に行きたい。
その時は何を持ち帰ってくるんだろう?と思う。
407 :
碧ティムニィ:04/10/03 19:59:19
終わりない雨のように言葉があふれ
紙コップへと流れこむ
そして滑るように進み 宇宙を横切って消え去っていく
悲しみの海と喜びのうねりが心をとおり
わたしを捕らえ、わたしを愛撫する
Jai guru de va om
何もわたしの世界を乱すものはない
何もわたしの世界を乱すものはなし
わたしの前で踊る壊れた光の形
それは100万の瞳のよう
そして宇宙のそでからわたしを呼びつづける
とりとめない思いは郵便受けの中の風に似て落ち着かず
むやみに突き抜けて転げ落ちる
宇宙を越えて
Jai guru va om
何もわたしの世界を乱すものはない
何もわたしの世界を乱すものはない
大地の陰影の笑い声が鳴り響き
わたしの見開いた景色をすり抜ける
わたしを誘い 呼び覚ます
限りない不朽の愛が私の周りで輝き
100万の太陽のように 呼びかける
宇宙を越えて
Jai guru va om
何も私の世界を乱すものはない
何も私の世界を乱すものはない
Across The Universe/The Beatles
間違えて上げてしまった。
そして昨日のつっこみを入れると、
節足動物じゃなくて甲殻類でした。
雨が止まない。
アスファルトは黒く水浸しで、
冷たい空気に凍りついたよう。
それでいて表面に映る光が、
現実を裏返し、二つ目の世界に
影を写し出しているようにも見える。
手にさす黄色い傘が映り、
白熱灯の白がぼやけ、
肌色の僕の顔がじわりと地面に反射している。
雨粒が落ちるたびに部分的に
鏡映しが崩れる。
穴だらけの風景。
これからどんどん寒くなって雨が降り、雪になり、
時間が過ぎて一年を越していくんだろう。
僕ももう長袖を着て過ごしてる。
その間にチェルシーたちは
藁の合間にくるまって眠るのかな。
冬眠させるべきか、池に放すべきか迷ってる。
今は小さな石の上に身を寄せ合うようにして
うずくまってる。
温が下がってきたせいで、
彼らも信じられないぐらい動くのをやめてしまった。
昨日のドラゴンズ優勝の煽りを受けて、
店に出かければどこでも「中日優勝!」
の垂れ幕が下げてセールをやっている。
落合監督の背番号にちなんで66円セールをしたり、
(長ネギが66円だった。でも玉子は100円だった)
CDを処分に行けばカード入会料を無料にしていたり、
実際優勝にかこつける必要も無さそうなセールが
次々出迎えてくれる。
こんな場面、前もあったけど何だったかが思い出せない。
古本屋で売っぱらったCDで三千円を手にする。
安売りで買ったマンサンやカジヒデキが八百円で売れ、
当時の買値以上の売値がついた。
シングルCDはゴミ状態。邪魔なので引き取ってもらう。
手にしたお金でtortoiseのTNTを買おうと思ったが、
急いでいたのでそのまま店を出た。
ヤフーオークションで先日dovesを買ったので、
その支払いのことも頭に置いておかなきゃならない。
本も今日は買わなかった。
先日にアムステルダムという本と
M.デユラスという人の本を買った。
まだ片方を半分読んだだけ。
本当は村上春樹の訳本のバースディ・ストーリーズ
という本が欲しかったが、CDを買う欲望に負けて
買わなかった。
いまいち、CDより本につぎ込むという頭が僕にはまだ無い。
図書館に行けば借りられるから、という感覚があるのかな。
その割に図書館には行かない。
返すのも面倒なら、
貸し出しでカウンターに本を出すのも少し恥ずかしい。
好きな読み物の傾向を知られるのが恥ずかしいから。
知らない人に趣味を知られるのはなんだか恥ずかしい。
高校のとき、なんでもいいから授業でやった作家の本を読め
という宿題があって、友人に森鴎外のヰタ・セクスアリスを借りて読め
と言われて何も知らずに借りたことがある。
その時堂々としてた僕に司書のおばさんが複雑な顔をしてたが、
読んでその意味がよく分かった。
そういう自分の知らないところで誤解を受けるのは
特に恥ずかしい。
かわいらしい水玉模様の小箱のおもちゃだと思って手にとってみたら、
実はコンドームだった、という経験もあるけど、
恥ずかしさは同じぐらいだな…
(最近のコンドームは雑貨に普通に紛れて売ってる!)
blogで村上春樹が小説を書いてる頃に、
僕はおしゃぶりをしてガラガラを
振ってただろう。という話を書いた。
その続き。
を書くつもりだったけど、
眠いので明日に持ち越します。
明日は一日中雨だそうです。
街中水浸しの日だね。
おやすみなさい。
気にしていた夢板のスレが、新しくなって
復活したようで何よりです。
そこのスレ主同様、僕も勝手にそのレスが
自分宛だと思い込んで書くと、
嬉しいけど照れ臭いというのが正直な感想です。
認めてもらえた事がとても嬉しいですが、
赤裸々な箇所も読まれてるんだろうな…と
改めて思うと、なんとも複雑です(苦笑)
これでスレ主さんも僕も、全く見当外れな
人に返事を書いてるんだったら、
本当に笑ってしまうんだけど。
新しいスレに触発されて、僕も棚から
フィッシュマンズを引っ張り出して聴く。
アルバム「空中キャンプ」
全体に広がる湿った気怠さが心地いい。
フィッシュマンズを狂ったように聴いてた頃、
フリッパーズギターや中村一義、
初期のLR(峯川貴子が居た頃)なんかもずっと聴いていたな。
フィッシュマンズもポラリスに変わってから
良くも物足りなくも、怠さが消えた。
やっぱり佐藤の存在が大きかったんたろうな。
僕が知った頃にはフィッシュマンズも
フリッパーズも既に解散してたと思う。
HEY!HEY!HEY!でオザケンが観客に騒がれ、
マフラーを投げてる姿だけ、
今でもやけに覚えてるが…
昨日の書きかけた話の続き。
村上春樹の話は、
時間の感覚のズレことを言いたかった。
村上春樹が新人賞を獲った頃が二十代後半だそうで、
丁度その本が出版されて僕の父親が読んでいた頃、
親父は三十代に突入していた。
そして三十代の父親の横では0歳の僕が、
おしゃぶりを咥えて親父の邪魔をしてたという時が
たぶんあった。
それが1980年前後の同時に起きていた事だけど、
当時その本を読んでいた父親は当然主人公に感情移入して
二十代の彼頃の親父の姿に戻っていたに違いない。
そしてそれを書いた村上春樹自身も、
書きながら彼の二十代に遡ったと思う。
それから何十年と経って、やっと二十歳を越えた僕も、
漸く同じ本をどこかから引っ張り出してきて、
二十歳の感覚で同じ本を読んでたということになる。
そういったことを考えていて、
僕は村上春樹の古い小説をあっさり今の感覚で読んでたけど、
改めて思うと、物凄く錯綜してるな、ということを昨日考えてた。
――と思う。
眠かったから、イマイチはっきりしないんだが。
短く今日のこと。
ゼミの教授の奥さんの話で盛り上がった。
というのも、僕のゼミの教授の奥さんは、
実は同じ大学で教授をやっている。
公立の中学高校は同じ学校に夫婦で赴任しては
いけない決まりがあるはずだけど、
私立大の教授はそういう決まりもないらしい。
女子軍団がしきりに「なんで○○先生と結婚したんですか?」
「プロポーズはなんて言ったんですか?」と聞いていて、
教授も根負けして、とうとう答えた話によると、こんな感じだ。
元々別の大学で勤務していたが、学会かなにかで
同じ分野の研究をしてるのを知り、ある論文の話題で議論するようになった。
それでなかなかいい感性をしてるな、と双方で思うようになり、
教授の「私に毎朝味噌汁を作ってくれませんか?」
で結婚が決まったらしい。
「味噌汁は大事だよ。この学校の食堂は味噌汁インスタントだから
わたし食べるの止めたんだけどね」
と教授は言ってた。
食堂の味噌汁は1杯30円だから仕方ないと思うが。
プロポーズにも味噌汁は大事だそうです。
今日は気持ち良く晴れた日。
適度な日差しがあって、風があって、
転がるように木の葉が舞う。
日中はそんな感じだった。
天地をひっくり返すと、どこまでも奥深く
自分が落下していきそうな程、空が深い。
空が地面じゃなくて良かった。と、変に安心する。
それでも携帯電話で写真を撮って見てみると、
水溜まりを覗き込んでいるような錯覚を覚える。
たぶん、前にそんな写真を撮ったからだ。
池の水に映ったくすんだ空の写真。
僕の通う大学の校内は緑が多い。
学校そのものが古く、昔は陸軍の訓練校だった
という話も聞く。
その為か何十年ものの巨大木も多く、
銀杏はとりわけ、古くからある木のメインになっている。
前に校舎の四階から銀杏が見えると書いたのは、
見下ろす感じでは無くて、四階の教室と
平行して銀杏が見えるという事だ。
冬休みに入る直前、銀杏が散り始めると
校内の地面は一面黄色になる。
それこそ天上に青の空があって、
地面は一面黄色の絨毯というのは綺麗だ。
その景色の中に立つと、なんとなく
七夕の短冊のイラストを思い出す。
上に紫の雲、下に朱の地面がある奴だけど、
絵と絵に挟まれた中央に人(願い事)が
立っているというのが、ちょうどイメージに重なる。
でも清掃員のおじさんたちにしたら、
掃き出さなければならない手間が増えて
あまり歓迎するものじゃないらしい。
土の地面では放置すれば肥料になるが、
コンクリートの上では、腐敗するから放っておけないのだ。
でもまたその一方で、掃除のおばさんたちは
ギンナンを拾うのを楽しみにしてる。
校内の栗もギンナンも、全部彼らが拾ってく。
忙しい時間の合間を縫って、芝生の上で
実の選別をやってる姿のは結構微笑えましい。
そしてたまには、と昼食を持って木陰に出ていくと、
久々に学校に住みこんでいる猫たちと顔を合わせる。
パンやおにぎりを千切って分けてやり、
その代わりにふかふかの体に触る。
マフラーにしたら極上だよな、とぼそりと呟くと、
僕の顔を見て、身を引くようにしながら食べ続けていた。
ご飯を終えたところで枯れ葉を振り掛けて遊ぶ。
初めは猫も面白がってじゃれてたが、
暫くすると一匹が離れ、残りの二匹も一緒に
ついて行ってしまう。
僕もヤケになって後を追ったが、
校舎を回り、林を抜け、裏門の傍にまで
行ったところで金網をかい潜って
出ていってしまう。
くぐり抜けた網の向こうから、灰色の一匹に
「もう来ないのか?」という顔で見られた。
行きたくても行けない。
彼らは外の世界でも生きている。と思い知る。
枯れ葉がふっと舞う中で、
三匹は網の向こうに消えていった。
台風がまた来る。今年は当たり年なのかな。
明日には東海地方に直撃予定らしい。
うちは高い位置にあるので浸水することは絶対無いが、
ぶっ壊れる可能性はある。暴風でよく家がぐらつく。
台風が来る時の落ち着かない気分は、
今年はあまり感じられなかった。
昔とは立場が微妙に変わってきたからだろう。
昔はただ、非常事態にわくわくしてた。
今は非常事態の興奮に加えて心配事がつきまとう。
心配事が付きまとうと、ここのところ必ずと言って
いいほど夢に反映する。
今日の夢見もわるかった。
左手首に意味のわからない瘤状のものが出来て、
こぶし大に膨れ上がる夢を見た。
そのついでに、心の片隅で気にしていた
試験の合否結果も出たのだった。結果は不合格。
夢の合間に、現実で受けた試験の結果が出る夢を
僕は良く見る。そして大概が不合格。
不合格だから実際に不合格になるということもないし、
逆夢じゃないかと考えても、その通りという感触も無い。
試験の結果を受けること自体に意味があるのかな。
この類の夢は本当に良く見る。
別段仲良くも無い親戚も、夢によく出る。
R-capの結果を受け取った。
僕は受けるのが遅かったので、
結果を受け取るのも皆より随分遅れた。
その結果、僕に向いてる職業は順に、
1.作家
2.芸能人
3.受付事務
喜んでいいのやら悲しむべきなのか…
R-capは受験者の向き不向きの傾向を、
上から50並べた結果を出す。
勿論、向いてるからといってもあくまで傾向だけど、
僕の結果の上位を占めてるのは、
なんとも微妙な路線が多い。
受付事務って――何故?
向いてない職業のほうは、銀行員、プログラマー、
建築家、営業など。
堅実な要素が必要なものはダメらしい。
A型の面目丸潰れだ。
確かに血液型の話になると、
僕はすぐO型だろうと言われけど。
獅子座のA型はプライドが高い小心者らしい。
そう言われると合ってる気がする。
今はそれほどプライドが高いとは思わないが、
小学生の頃は確かに僕はプライドが高かった。
友だちと遊んでいる最中に、何かヘマをして
友だちに笑われたときに、腹を立ててそのまま家に
帰ったことが3回はある。
笑われたことが許せなかったからだ。
そんな事があった後は、たまたま個性の強烈な友人が
僕の周りに集まっていた為か、僕も段々落ち着いてきた。
今思うと、その友人達は殆どがABかB型だった。
今でもA型の人は周囲にほぼいない。
なにか因縁でもあるのかな。
でも血液型で性格判断をするのは日本だけの事らしい。
占いそのものが元々は統計学だそうだけど、
その統計を出すサンプルを、
一体どこで集めてきているかが謎。
でもまぁ、星座に比べたら血液型ごとに
決まった遺伝子が入ってるんだろうから、
サンプルさえ多ければ信憑性はあるのかも。
星座占いは、生まれる月っていうのは、
決まってる訳じゃないからちょっと怪しいと思う。
何事も50/50だとは思うけど。
台風はいま、学校を直撃するコースにあるらしい。
台風で学校が潰れたらどうなるんだろう?
古い大学なだけに、可能性は無きにしも非ず。
興味津々。
母が家の雨戸を全部締め切ったので、
どの部屋に行っても夜のように暗い。
灯かりも消してしまうと、足元もおぼつかなくなり
浮遊感さえ漂う。
天井が下に、足元が上に。
そうこうしながら、午前中は母親を買い物に
乗せて行った。懐中電灯の電池が無いとか、
食べるものが無い(!)と言っていたので。
風はまだ無いが、雨の量は相当だ。
G.S.が沈没し、水の溜まった通りを
人が膝まで浸ったまま歩いていく。
田んぼの多い見開いた地帯では、
薄く引き延ばしたように霧が覆い、全景がぼやける。
決壊間際の川や用水路が茶色に濁り、
少しだけ決壊させてみたいという欲望に包まれた。
車を運転しながらも、浮き足立った気分。
それを母親が嫌がって、しきりに何か話し掛けてくる。
電池は一番大きいのが要る。うちには鮭があるし、
シチューの材料もある。ところで学校は卒業できるの?
水買って来いって○○(兄)が言ってた。
ガソリンスタンド、消防車が来てる等など。
「ガソリンが流れちゃったらえらい事になるからね」
と僕が言う。
「どういう風に?」
と聞き返されて困る。
単純に、ガソリンまみれになるんじゃないかな。
「分かんないけど、消防車がきてるぐらいだから大変なんでしょ」
といい加減に答えた。
僕の脳裏には、既に水浸しの町と、その浸した水の表面に
ガソリンの気味悪い七色の照りが浮いた映像が見えていたけれど。
そのまま走っていくと、川の濁流の中に僅かに残った岸辺の上で、
悠々と白い鳥が立っているのが見えた。
濁った光景の中で、凛として白い。
頭をもたげた木蓮の花みたいだ。
そして、あれは僕だと思う。
そう思う理由は特に無いけど、ああしてぼんやり岸辺に立って、
車を運転する僕をあそこからじっと眺めてると思った。
そういえば、凛という字が最近やっと人名登録されたらしい。
ちょっと意外。凛ってリンとか読めなかったっけ。
リョウとも読めるなら、凛一とか凛介なんて名前があっても
違和感ないんだけどな。
個人的な意見を言えば、凛のみ、といった一文字の名前は
あまり好きじゃない。
昔は少し憧れたけど、今はそういう名前が本や漫画に
溢れてて現実味が無い。
一文字の名前に人という実感が薄れてきてるように感じる。
(一文字の名前の人、ごめんなさい)
家に帰宅すると、兄がレトルト食品を、
温めもせずにご飯にかけて食べていた。
温めなくていいのかと尋ねると、構わん。と言って
かきこんでいる。
杜撰なところは誰かさんにそっくりだ。
雨の日になると、鳥はどこかに行ってしまう。
いつも何処に隠れてるんだろう?と不思議に思ってる。
渡り鳥は結構濡れても平気で、水辺に居座っているけれど、
謎なのは雀やヒバリやセキレイといった小鳥たち。
鳩のように軒下に姿を見るでもなく、
鴉みたいに背の高い木の茂みに隠れてる訳でもない。
雀は雨の日どこに居るんだろう?
知ってる人、教えてください。
今日は部屋に引きこもってネット三昧になりそうだな。
既にパソコンに張り付いて過ごす予定。
ここにも大量に書き込みするだろうな。
何か面白い場所を探してみよう。
描きかけの紙を家族が見たら、
その気があると思われるのかな。
見つかるようにわざとらしく隠しておいて
見つかったら、引くだろうか。
冴えない。
なにかとやる気が停滞気味。
毎日生活そのものが停滞してるはずだけど。
気の持ちようなのかも。
携帯電話のメモリに溜まった写真を選別して
どんどん消していく。
でも、消すものと残すものの基準が
自分の中で非常に曖昧で、
これを消すならそれも消そうとか、
そっちを残すならこっちも残そう。と思っていくうちに、
最終的に目的と違うものが残されていく。
いっそメモリに余裕があるなら、
曖昧なのは全部残せばいいと思う。
思いつつも、歯止めがきかない。
結果、画像は三分の一にまで減った。
ふと気が付くと、今年もう十月になっている。
もうすぐ卒業なのかとぼんやり思う。
執行猶予のタイムリミットまで…という月の数え方が
徐々に浸透してる。
何がしたいだろう、自分。
小学から中学、中学から高校へと新しい学校に変わる
初めごとに、時間の流れが遅く感じられた。
その一方で、一年の後半や、
馴染んだ学校生活から離れるときが近づくにつれて、
時間の流れは速く感じられる。
新しい場所に移って行くのは好きじゃなかった。
新しい場所に行くのはとても不安です。
人間は順応していくものだと分かっていても、
自分がそうだとはなかなか思えなくて。
自分の身の丈に合った場所なのか、そうでないのか。
そういった事がいつも気になって、
「そんなの杞憂だ」と思う面も何処かにあって、
双方の折り合いを一体どこでつけたらいいのか分からなくなると、
自分で自分を消耗してしまう。
おおよそ、僕はそういった折り合いでいつも失敗してる。
くよくよするのが一番無駄な時間だという
考え方もあるけれど、確かに日々に慣れて振り返ってみると
「あれはなんだったんだろう?」と思う場面も多い。
でも、それが無かったとしたら、僕はやっぱり
今の僕でなかったような気がする。
この話はやめ。
グダグダで授業を切り上げて帰宅。
発表の当番も、来週から再来週に変更してもらった。
昼下がりの電車には人が少ない。
四人席で教科書を投げ出して横になっていても
誰も文句を言う人はいない。
膝から先を通路側に投げ出して寝そべると、
直に背中から響く揺れが地鳴りのようだった。
抱えられて運ばれていく感じ。感じたことのある感覚。
眠る前、子供のとき眠りかけた僕を、両親が
抱きかかえて寝室に運んでいったときのあの感じ。
右腕で瞼を覆っていたところで、車掌に起こされて注意された。
ごめんなさい。気分が悪いんです。と半分嘘、半分本当を言う。
すると車掌は困ったような心配した目つきをして、
「じゃぁ横になっていてください」と言った。
去っていく後ろ姿にごめんなさい。を言う。
二度目は本気で謝った。
座席の底から見上げた車窓からの景色は、
暗く、曇っている。
今どこを走っているのか分からない。
断続的に続く曇り空だけがガタガタ揺れ、
地響きになって、僕の体の中に吸収されていく。
吊り輪が列を乱さず動き、天井が揺れる。
そのまま五分ほど寝た。
五分ほどしたら全身が痺れてきて起きた。
ガランとした車内は相変わらずで、不意に目が覚めても
自分が何をしているのか分からなかった。
それは五分の合間に見た、グロテスクな夢の所為。
学校の校庭の土に和式の便器が埋まってる。
その中に汚物と黒ずんだものと、女性用の
大人の玩具とが入っていて、顔をしかめていると、
親戚の子(ここでは同級生だった)が
近くの土に違和感を感じで突然掘り始める。
掘り起こしていくと、次第に何か出てきた。
半分以上出たところで僕は震え上がった。
全身灰色の、鰻のように艶やかな女の腐乱死体が出た。
僕は絶句して、座りこんだところで目が覚めた。
不快な夢に、全身を強張らせたまま目を見開いていた。
次第に「目が覚めたんだ」という意識がはっきりしてくると、
僕は開閉する扉を見つめていて、
乗り降りする僅かな人たちを眺めていた。
頭がはっきりするにつれて、
昨日蛇のサイトなんか見たからだと後悔する。
とはいっても、ここのところ夢に頻繁に出るのが、
汚れた便器と親戚と、死体関係だ。
特に前二つは物凄い頻度で出る。
何か気になってるのかな。
このままだと脳ミソがいかれそうなので、今調べてみた。
[トイレ]
トイレの夢は、排泄、解放、不要なものを洗い流すこと、
プライバシー、体調・セックス関係等を表す。
→汚れたトイレ
友人とのトラブル、健康不調の暗示。
→排泄物が残っている
大発展運。
[排泄物]
→いやなにおいがする排泄物
強い不安感の表れ。
→他人の便を見る
他人に関わる厄介ごとの暗示。
[親戚]
家族に関係する予兆。
→年下の同棲の親戚
悪い暗示(凶兆)または自分の性格の側面。
[死体]
自分にとって不要な感情や情熱の残骸。
過去の失意や別離、気持ちの整理・再出発・転身
秘密などの象徴。またチャンスや自分自身の中にある
可能性が失われると、死体として示されることも。
なんだかよく分からないが、
とても良くない感じだな。
段々気味悪いスレになってきて
我ながら凹む。
最初の頃の文に戻りたい。
>>443のoculartはコラージュFLASHのサイトです。
でも美しいのと不気味なのが混在してる。狂気ですね。
僕はこういうの結構好きなんですが…
暫く旅に出ます、というのは大袈裟だけど
数日の間ネットから離れます。
気持ちの切り替えと、忙しいのとを理由に。
その間にこのスレが落ちても後悔しないよう、
その昔書いた恥ずかしい童話小説が出てきたので
それでも残していきます。
あんまりいいものじゃないですが、
少なくとも上のような気持ち悪い終わりにはならないだろうし、
このスレの初めの頃応援してくれてた人には、
今の暗い・重い・落ちがない話よりは
こういうもののが好かれるんじゃないかと思うので。
まだ見てるか分からないけど。
応援してくれた花向けに…なるかな。
檸檬皿
空の天盤がすっぽりと地上に覆い被さった夕べ、
茜色の空が西に退き、群青の空気がゆっくりと
東から押し寄せてきた。
吹き抜ける空気も冷たくなり、つい先ほどまで元気だった
夕顔の花も、今ではひっそりと眠りにつく準備をしている。
川淵に建つ木造の一軒家で飼われている二匹の黄色い
セキセイインコが、もう静かになって随分経つ。
徐々にやって来る夜気を嗅いでか、今ではもう、黄色の体を
明かりを灯したように、ぽぅっと輝かせているだけだった。
空を見上げると、今夜は艶やかな満月が浮かんでいる。
その陰影は町の北に流れる用水路に映り、水面を
煌びやかな金に染めた。一見、水面は空を映し出す鏡のようにも見えるが、
よくよく眺め、その水鏡を光の要領で突き抜けてみると、
水底に小鮒やタナゴの子供たちが集まって
ひそひそ談話をしているのだった。
「一体どうしたことだろう?今夜は空が深く青く、水にとても似ている」
「空の中央に黄色の穴が空いている。あの周りだけ青が薄い」
そう言って魚の子供らがぱくぱく水泡を上げて、
不安そうに水面を見上げていると、水草の影にまどろんだ薄暗い場所から
一つの低い声が聞こえてきた。
「皆さん、今夜は仲秋の名月です。御覧なさい。ふつふつとした光が
あの中に吸い込まれていくのが見えるでしょう?あれは月というものです。
あれは夜空のお皿で、あたりに散らばった金平糖を盛り付けるものなのです」
魚の子供たちは突然響いた低い声に怯えた。
しかしながら、その声の言う月というものを見上げてみると、
確かに今、自分たちが吐いた泡の銀に光るのが、月に向けて
立ち昇っていくのを見たのだった。
「あなたはどなたですか?月とは一体なんなんでしょう?」
泥鰌の子供がびくびく怯えながら土に潜り込んで尋ねた。
すると低い声が、再び暗闇の奥から重く響く。
「月とは光のお皿であり、甘い菓子でもあります。時折柔らかい
綿のようなものが天上を掠めるでしょう?あれは綿飴です。
綿飴というのは、上等な繊維で織り込んだ空の織物です。
暗くなると細かな繊維を吐き、私たちが済むこの水の表面で
溶けてしまうのを見たことはありませんか?」
低い声はそう言うと黙り込み、水の中はしん、と重い静寂が
再び訪れた。子供たちは誰とも無く、「あれは何処かの偉い先生なんじゃないか」
と、ひそひそと言う。
また一方で、子供たちは天上の甘いお菓子のことを考えて、
いっぺんに溜息をついた。そしてあれこれ想像を膨らますのだった。
「川淵に住む、檸檬色のセキセイインコよりも甘いかな?」
「ばか、あいつらは稗や粟ばかり食べてるんだ。稗やら粟っていうのは、
あんまり甘くないんだよ」
二匹の小魚が小競り合いを始めたところで、
低い声がっそれを遮るように言った。
「月のが何千倍も甘いのです。そして酸っぱいのです」
魚の子たちは喧嘩をやめ、その言葉に惹きつけられるにして
再び天上を見上げた。
声は続けて喋り始めた。
「月というのは、あそこで一緒に浮かんでいる綿飴よりも、
金平糖よりも、まったく甘くて美味しいものなのです。
そして美しい。月というのは、先ほども申しあげたように、
世界中の光という光を集めているのです。
それであの暗い夜の中で、一等に眩しく光るのです」
魚の子供たちは、さすがに先生は物知りだと感心した。
その為、開いた口から同時に幾つもの気泡が浮き上がり、
天上に向けてきらきらと浮かび上がっていくのだった。
とりわけ大きな気泡を吐いた鯉の子は、いつの間にか
仲間に加わって、のんびりした口調で尋ねた。
「先生、先生は月を甘くて美味しいといいますが、先生は
月を食べたことがあるんですか?」
すると低い声は、突然「カツン、」という甲高い悲鳴をあげて、
しん、と静まり返ったきり長いあいだ黙り込んでしまった。
心配になった魚の子供たちは、「先生、先生」と何度も呼び、
水草の影の、暗闇の一番傍までやってきて身を寄せ合った。
すると先ほどよりも随分小さな声で、再び低い声は話し始めた。
「皆さん、今のような質問を決して月の光のさす場所でしてはいけません。
月は自分の光の中に、耳を持っているのです。
月は自分を食べようとする者を恐れ、いつもあのようにして空から
地上を見下ろし、月を食べようと企む者を探しているのです」
魚の子供たちはその話を聞いて震えあがった。
「月を食べようとする者が月に見つかると、どうなるんですか?」
と慌てたように白目高が尋ねる。
「月は甘い餌で我々を水面におびき寄せます。とても美味い、
避けるのが耐えがたい餌です。そしてその誘惑に引き寄せられた
ところで、我々は瞬間的に水の上へと引き上げられてしまいます。
すなわち、我々は死ぬのです」
子供たちはわっと声を上げて震え、今度は恐怖で口をあけ、気泡を
幾つも天上のほうへと吐き出したのだった。
しかし低い声は、落ち着いて言った。
「けれども心配はいりません。此処にはもう月の光は届かない。
それに、私はあなた達と少し違うように出来ているのです。
暗闇に導いたのは、あなた達魚の為なのです。
皆さん安心なさい。私は今から本当のことを言いましょう。
実はあるのです。私は月を食べたことが、一度だけあるのです」
低い声は、やや先走って言った。低い声は実のところ
月の味について、話したくて仕方なかったのだ。
魚の子供たちは、話の続きを聞くか聞くまいか決める前にこの結論を
聞いてしまったので、恐ろしくなって身を寄せ、震えていたが、
低い声は留まることなく話を続けた。
「月はそれはもう美味いのです。そして直ぐに溶ろけてしまいます。
月とは、矢張りこの世で一番の美味しい菓子なのでしょう。
あの金平糖のよりも上品な口当たりで、あの綿菓子よりも甘く柔らかいのです」
低い声は話しながら興奮し、心の中で「もう一度あの月を食べてみたい」
という欲求が湧いた。子供たちはもう、低い声に圧倒され、黙って
その話を聞くしかない。
「それではどのようにして私がつきを食べたかをお話しましょう。
――あの時私は、庭で月を見上げていました。今宵のような満月の夜です。
あの時私は純粋に月の景色を楽しんで下のですが、
そのとき不意に月が私の体に映り込みました。そして、」
その時、水面を覆っていた水草が不意に動き、黄色の閃光が水底までもを
はっきりと照らし出した。
すると同時に、水面近くに檸檬色の大きな羽根が羽ばたき、
天上が、突き割れるような轟音を立てて激しく揺れて破れた。
魚の子供たちはあまりの恐怖で一瞬にして散り散りに逃げたが、
低い声だけは、話し掛けていた口を閉ざすことが出来ず、
身動き一つ取ることも出来ないまま、全身に黄色の光を浴びて、
溢れ散る水泡の濁流の中に飲み込まれ、一気に泥の中へと埋没した。
満月の明るい夜、用水路の脇の砂利道を二人の兄妹が歩き回っている。
そして小川のほとりに、逃げ出した檸檬色のセキセイインコを見つけ、
安心したように声を上げた。
「ああ、やっと見つけた」
兄は妹より先を歩いていたが、妹の声に振り返って、
用水路に浮く睡蓮の脇へと近づいた。睡蓮の葉から滲み出る水に
はしゃいだようにして遊びながら、檸檬色のインコは、
自分が何か悪い事をしたのか?というふうに首をかしげ、
何度も羽ばたく真似をした。
兄妹は別段インコを責めることもせず、兄が手をゆっくりと
小鳥の前に差し出すと、インコは手に悪びれも無い様子でその手に飛び乗る。
兄は苦笑いをして、捕まえたセキセイインコを妹の肩に乗せてやった。
レモンイエローのハルクイン種のセキセイインコだ。
そして兄は、インコが大人しくしたところを確認すると、
改めて別の作業へととりかかった。
睡蓮の傍で一瞬水の中に見えた光。それが先ほど気になって、
兄は今度は手を水の奥、泥の積もった水底へと伸ばしていく。
妹は不思議そうな顔をして、
「どうしたの?」と、兄に尋ねた。
しかしその返事を聞く前に、妹は兄の引き出した指先に
濡れた陶器の欠片を見つける。
その表面は、月を映してしっとりと輝いている。
艶やかな陶器の表面には、満月の月の残像がくっきりと
浮かび上がっている。
「まるで月を皿に盛ったみたいだ」
と、思わず兄は呟いた。
彼はその閃光の元を追って夜空を見上げた。
天上には艶やかな丸い月が煌々と輝いている。
暫くさようなら。
そしておやすみなさい。
おやすみなさい。
さようなら!
また会う日まで
未練たらしく保守
ご無沙汰です。
此処のところ急に冷え込んできましたね。
おかげで風邪をこじらせました。
前にもこんなこと書いた気がするけど(笑)
先に書いておくと、まだ此処を続ける意思はあります。
ただ再開までに、もう少し間を置くことになりそうです。
書き込みやめてせいぜい三日ぐらいですが、
夢板は圧縮行きが早いそうなので、少し心配しています。
僕が来ぬ間に、狙ったようにアマゾンが
玩具販売を開始したそうで。
playmobilも割安で扱ってるらしい。
海外の玩具も入荷してるのかな。
ここのところだるくて23時には寝てます。
今日は短く、この辺で寝ます。
熱と薬で朦朧とすると、
一日中断続的に寝て起きてるような変な気分です。
それなので、もう暫くおやすみ。
お大事に。
>>466 ありがとう
昼夜逆転気味です。
僕は今からが活動時間ですが、
今から眠る人たち、おやすみなさい。
スレが中途半端に上がってる。
何回か圧縮があったのかな。
>>464 digitonalはバイオリンを取り入れたエレクトロニカ・ミュージックだそうです。
サイトのmusicから試聴可能で、この人たちの殆どの曲が聴ける。
[-188j]のcome and playは絶品。
中盤のバイオリンの荒々しい弾きのところがいい。
エレクトロニカと言われるものが何かと言われると、難しいのだけど、
コンピューターや電子音を使いつつも、生楽器ともうまく合う音楽
と言えばいいのかな。このスレでメモしてきたmp3は、
多分すべてエレクトロニカだったと思う。
僕が頻繁に書いてた、mumやtelefon tel aviv
なんかが有名どころです。
Λ,,Λ
(:::´・ω)。 な,泣いてないよ!
(::::::::..つニフ
 ̄ ̄と とノ
チャーハン作るよ!@ほのぼの
http://human5.2ch.net/test/read.cgi/honobono/1096735499/ このスレ大好き。
超大型の台風が来た為に、控えていた予定が
明日に延期した。
考えてみれば、こんな日に出かけようというほうが
間違いだけど、折角その気になっていたのに
予定が狂うとやる気が削げる。
何事もそうだけれど、僕は自分を波に乗せるまでに苦労する。
逆に乗ってしまえば、割と好調に進む。
ただし、途中で食事なんか入って手を引くと、
二度目にその波に乗るのは、最初より断然難しくなる。
こうして僕はよく落書きを途中で投げ出す。
それでも、このスレには戻ってきました。
>>464でmp3メモなんてしてることから分かるとおり、
実は完全なネット断ちを僕はしなかった。
言い訳すると、僕の思ってる以上にインターネットは
身近に普及してるということと、調べものの必要に
関わっていたから。
なので結局、2ちゃん断ちしていたというのが
せいぜいいいところでした。
風邪のことも書きましたが、勿論風邪で寝込んでいた
というのも1日〜2日程度の話です。
そして極力インターネットから離れていたと言って、
現実の世界の居心地は良かったかというと、
そうでもなかったです。
逆にインターネットが必要かと言われると
返事に詰まるところ…
それでも友だちと服を買いに出かけたり、
すっかりハロウィン仕様にになったトイザラスを歩いたり、
あるいは本屋でのんびり立ち読みする。という時間が
何気なく戻ってきて、「最近付き合いがいいね」と
言われるような日は続いていたようです。
「顔が痩せた」と妙なことも言われたり。
そして何より煮詰まっていたのも、単純に部屋に
閉じこもっていたのが原因だったのかなと思いました。
ここを離れると書き込んだ翌日、
大学の飲み会に強制参加させられ、
僕は一人ぽつん。と座敷の片隅で
おしぼりを伊達巻にして遊んでた。
少し趣向を凝らして、包みのビニール袋で、
のし袋の包みみたいに縛っていたら、
隣りにいた教授に「これいいね」と、誉められて
あぁ、なんか僕はこういうのを求めてた。と思いました。
それはもう、満面の笑顔で喜んでたのが先週の僕です。
今週に入ってからは、寒気を感じつつ
風呂に入り、風邪をこじらせ、薬を買いに行き、
本を読み、寝込み、落書きし、また寝て翌日
用事で出かけようと思った日には台風が…という流れ。
特に変わったことはないです。
いつもどおり。
それにしても今回の台風は凄い。
まだ上陸していないのに、雨風の強さが
前回の比じゃない。雨戸を閉めに階段を走ったら、
二階の窓から見える光景が凄まじかった。
横殴りの雨が屋根瓦の上を走り、
交通標識の頭を横振りせている。
家にも会社から父の電話があった。
出かける予定だった僕の事を気にして、
「行ったのか?こんな日に?」と母に話すのが
受話器から音漏れして聞こえてくる。
僕のほうは訪問先に電話をして確認したところ、
明日に変更するようにと指示されたところだった。
すっかり寒くなって動かなくなったチェルシーたちの隣りで、
玄関の戸を開けると、吸い出されるように髪が舞い上がる。
甕で咲いていた布袋葵が一斉に花を閉じ、
家一番の大木の樫が、一心不乱に荒れ、
弛んだ電線に頭を擦りつけている。
雨戸を閉めた後、家の中は暗くなった。
居間はいつものようにテレビの音で騒がしいのに、
玄関から突き当りまでの廊下が重く冷たい。
ひんやりした廊下を足の裏で辿るように歩くと、
何処に居てもテレビの声だけは聞こえるのに、
自分は一人きりのような気がした。
ただ、どうしようもない孤独というよりは、
突如異質な空間に入り込んだような気分だ。
人気の無い豪邸の重い扉を開けた時、
暗い室内が見渡せる。そんな感じに似てる。
その昔、近所の市営団地に住む友達と、
団地の空き部屋に忍び込んで隠れ家を作ったことがある。
ひと気の無い暗い日の朝、その子とよく遊んでいた
同じ団地に住む小さな子たちを引き連れ、
トイレの小さな小窓から体の小さな子を送り込んで
ベランダの窓を開けさせた。
友人がベランダを登り、鍵が開いたのを確認すると、
僕が他の子たちを抱き上げて、友人がベランダの柵を越えさせた。
最後に僕がベランダを登って、人に見つからぬようカーテンを閉めた。
僕が小学校の高学年の頃の話。
室内は埃っぽく、畳が全部裏返しに上げてあり、
僕らの生まれる何十年も前の新聞が被せてあった。
活字が角張っていて、いかにも古めかしく感じた記憶がある。
部屋のキーは室内にスペアが置かれていた。
まさか管理人も誰か入ってくるとは思わなかったんだろう。
僕らは一通り部屋の様子や物品の探索をして、
それからは普段の学校生活では考えられないぐらいの
掃除を短時間でやってのけた。
覗き窓を確認し、誰もいないのを確認して玄関を開け、
団地に住む子供達が色々な持ち物を持ち込んだ。
新しく買い込むなんて頭は当時の僕らにはなかった。
新しいものを買うお金も無ければ、
心の隅にある後ろめたさも消えなかったから。
結局そこで、僕らがせいぜいやる悪い事と言ったら、
せいぜい塾をサボって持ち寄ったお菓子をみんなで食べたり、
家では飼えない猫や子犬を連れ込んで世話したり、
何処かで拾ってきた共有の漫画を仕舞いこんでおくこと。
兄弟の上の子が下の子に「母さんに言ったら殴るからな」
と言い聞かせたり、
「家出するときは絶対此処に集まるんだぞ」と
仲間内で約束をしておくぐらいのことだった。
中学生の頃わりかし噂になった、
室内で花火とか、AVを持ち込むということが思いつきもしなかった。
僕らはまだ子供過ぎた。
僕らはそこで1週間ほど熱心に遊んだ。
けど、次第に団地の主婦で空き部屋から
動物の鳴き声が聞こえるという噂が飛び交い、
湯人が「やばい」と言い出した頃から
どうなったか僕は知らない。
僕は元々彼らと深く仲良くなかったので、
別の子と遊ぶうちに、気になりつつも
隠れ家には通わなくなってしまった。
最後に遊んだ日の、玄関の鍵を閉め、
ベランダから出た時のことはよく覚えてる。
薄暗い、重く冷たい空気と、
こっちを見る子猫の顔が忘れられない。
そして隠れ家のおかげで一緒に遊ぶようになった
年下の中国人の女の子に、「チャラ!」と言われて
どういう意味?と尋ねた事があったのも覚えてる。
「"どいて"ってこと!」と怒ったように言ってた。
それが本当の意味なのか、未だに僕は知らない。
そういった場面が、家の廊下に立った時、
一瞬蘇った。
台風は行ってしまった。
雨戸を開けると、まだ風はあるけれど、物が飛ぶほどじゃない。
草むらから鈴虫の鳴き声さえ聞こえる。
窓から顔を出すと、冷めた空気が吹き付けてきて
秋というにはちょっと冷たく感じられた。
なんて言ったらいいんだろう?
一年のうちに必ず感じはするけれど、
なかなかめぐり合えない、馴染みの薄い空気が広がってる。
窓辺から離れると、戻って来いとでも言いたげに
窓がガタガタ揺れた。
振り向くと風に吸い込まれそうになる。
今日、頻繁に感じる感覚。
どうせなら、本当に外まで吸い出して、
夜の天上高くまで、勢いよく突き上げて欲しい。
ヤフーの天気予報を見たら、台風は今岐阜の辺りにあるという。
だとしたら、実はまだ台風の目の中にいるんだろうか。
雨は無い。空は普段より一層綺麗に晴れ上がっている。
そういえば、台風の目の中は風も穏やかで、
必ず空が晴れるんだと父親が言ってたっけ。
暴風が雲を巻き込んで、中心部は空洞状態になり、
空は澄み切った空気になる。
外をよく見ると確かに、星がいつもよりはっきりと見える。
ここのところ晴れてても、はっきりしない天気が続いていた。
星を見るのは何日ぶりだろう?
見渡して見える住宅は雨戸を閉めたままなのか、
明かりが消え、街灯だけが並行して白い光を灯している。
静かな夜。
車の通りもなく、
近所の何かしら聞こえてくるはずの雑音も無い。
開けたままの窓から、足元にかけて冷たい空気が這う。
それこそ本当に空まで突き上げてくれたら
心地いいんじゃないかと思う。
僕はそうしたら、空高くから地上を見下ろす。
上空50メートルぐらいの中途半端な高さを散歩しながら
家の灯かりの数を数えるよ。
それから星座みたいに光と光を線で繋いで、
変な落書きを作って、誰かに見せびらかすよ。
たまに高いビルがあったら、
その上を飛び移って隅っこに座って休憩する。
それでコートとウォークマンと、
クッキーを持ってこなかったのを後悔するんだろう。
あと、誰か一人、一緒に連れてこなかったことも。
仕方なく「雲ぐらいなら持って帰ろうかな」と
独り言を言うんだけど、
雲なんて近くに行くとただの水蒸気だから、
がっかりしながら、大して珍しくも無い電飾を
高い場所から一つくすねてくる。
それでも東の空に星が凄いので、
満足して帰宅。電飾は僕のガラクタに追加される。
我ながらなかなか妄想が働いてる。
というか、こういう妄想が僕の十八番だったりする。
空を飛ぶ夢は小さい時によく見た。
だから、変なことを書いてるというのは
充分承知のつもりだけど、感覚はつかんでる―と思う。
僕の空を飛ぶ夢の飛ぶ条件はなかなか厳しい。
高い確率で、重力の変化か「自転車」がいる。
これは僕としては結構面白い話なんだけど、
今日は長くなったので、その話はまたの機会に。
とても寒い。
夜風で体が冷えたのか、
重い疲れを感じる。耳がキンとする。
昼間の間に用件を済ませ、
足早に電車に乗って岐路についた。
すぐ帰りたい気分だったから。
出かけに駅そばのショッピングセンターの駐車場に、
乗りつけた車を停めていたので、
電車を下車した後、車を停めた場所まで少し歩く。
革靴で砂利を踏みしめながらとぼとぼ歩いていると、
携帯電話がメールを着信した。
相手はカヌレとスイレンだった。
「ヒマなら海までおいで。今から駅から砂浜まで歩いていくから」
という内容。
海というのは、僕らの住む町にある海岸のこと。
僕らが海と言うと、普通半島の南端にある
海水浴場のことを指す。
地元にも海岸はあるにはあるが、一帯が工場地帯で、
花火や海水浴は禁止されている。
数年前に浜辺が整備され、今でこそ臨海公園になっているが、
車を停めるスペースも少なく、来るものを拒むような海岸に
気軽に足を踏み入れることはあまり無い。
しかし彼女らが僕を呼び寄せたのは
その工場地帯の海だった。
昼間の間、町の中心部の喫茶店で昼食を採り、
お茶を飲んで、近辺を歩き回り、
電車に乗って今からその海に行く。だから来い。という話だった。
「なんで急に海?」と返事を出すと、間もなく
「(スイレン)が、海が見たいって急に言い出した」
とカヌレから返事がきた。
彼女らは車に乗れない。
というのも、スイレンは車が使える日と使えない日があり、
カヌレは免許すら持ってないから。
彼女らの行動範囲がJRの駅周辺伝いの場合、
今日は車で移動できないんだというのがなんとなく分かる。
今日も、「今から電車で」という言葉から
電車移動なんだと思った。
「駅まで迎えに行こうか?」と尋ねたが、
「歩いて行くからいい」と返事が来る。
僕は車に積んでおいた普段着に車の中で着替えた。
(誰も見てなかったことを祈る)
本当は出かけ先のトイレで着替えて、
帰りは十分に繁華街をぶらぶらしてから
帰ってくるつもりだったのだけど、
そんな気力も無くてそのまま持ち帰ったが、
結局ひとの居ない駐車場の車の中で着替える羽目になった。
スーツ姿は絶対にスイレンたちに見られたく無かった。
サイタマやキッチンもそう。昔の僕を知ってる連中には、
なぜだか分からないけど、スーツを着た姿は絶対に見られたくない。
二十分も車を走らせて地元の海岸に辿り着くと、
辺りは薄暗くなってきていたが、近所の中高校生が
波打ち際で制服のままはしゃぎまわっていた。
男子中学生たちが岸辺の岩場でじゃれ合い、
女子高生が砂浜手前のコンクリートの石段で
音楽を聴きながら密に話し込んでいる。
その奥に二つの人影が見え、
スイレンとカヌレが僕に気付いて手を振った。
人工浜の砂浜にハイヒールの踵を埋めながら、
「ハイヒールで海に行きたいって、馬鹿だ」と
スイレンはカヌレになじられていた。
二人とも普段着だった。
此処に来るつもりなんて毛頭無かったのか、
どちらも薄着で、寒い。と、うめいている。
砂浜は台風の爪痕として、大きな波線を何重にも描いていて、
凝り固まった表面をスニーカーで潰すのが楽しかった。
僕が到着して間もなく空は暗くなり、
海面では波の編み目が月明かりに照らし出されていた。
表面のてらてらした輝きが、七夕の折り紙の天の川によく似ている。
僕らはパン酵母の話や、カレーの辛さ、キムチの辛さ、
マスタードの辛さ。といったどうでもいい話を一時間ぐらいして、
最後までいた女子高生たちが帰っていくのを、
遠めに見守っていた。
いよいよ人が他には誰も居なくなったところで、
僕らは女子高生の座っていた場所に腰を下ろし、
近くのコンビニで買い込んだ肉まんやポテトを頬張る。
対岸側の工場群の赤い目のような光を見て、
スイレンが「あれは何?」と尋ねる。
二人の間に座った僕が、あっち側の市は何市だっけ、と
カヌレに尋ね、何市か分からないけど鉄塔だという話になった。
僕らが座っている近くにも赤い目の鉄塔が立っている。
対岸側からは、鏡映しのように見えてるのかもしれないと
ぶつぶつ喋りつつ、僕は車に乗せたままの飲み物を取りに
行くとと言って立った。
二人も駐車場近くのトイレに行くと言い立ち上がる。
車の荷物をいじっている間、先に用を済ませた
スイレンがやってきて、後部座席の革靴と
スーツの一式の詰まった袋を見つけて黙り込む。
僕も苦い顔をしたが、観念して言った。
「今日面接に行ってた」と。
大学中退、現在無職の彼女と、在学中四年の僕は、
お互いの就職活動に対して強いわだかまりを感じてる。
互いに応援はしつつも、置いていかれたくないという気持ちが強い。
そしてそう思ってるのを知りつつも、口にはしない。
「でもボロボロだったよ」というと、スイレンは更に困った顔をした。
「最終的に面接官に同情された。たしなめるような優しい口調で
"別の会社を受けられたほうが良いのではないですか?"って言われて、
なんだかこっちが申し訳なくなった」と無理矢理笑ってみせると、
彼女は地面を睨んだ。
後からきたカヌレが、どうした?またタマが変なこと言ったの?
と言い出し、僕が今日の昼の用、前日出かけると言っていた誘いを
断った理由を話すと、彼女は大して気にしない素振りで
「四年だから当然だね」と軽く言う。
すると自然にそうだね、だよね。という流れが湧き起こる。
それが彼女の持つ強み。
泥沼化した空気からカヌレはあっさりと僕らを引き上げることができる。
この楽観に僕らは救われた。
また砂浜に戻り、話題は就職関連の話に自然と流れた。
カヌレは三年生の医療系学校を卒業し、今は働いている。
彼女は何もしていないようで、肝心なことは
しっかりとこなしてきている女だ。
高校の時、自衛隊の漫画を読んで自衛隊に入るとか、
医者の漫画を読んで医療の道に進むとか、
結構いい加減な発言をかましていたが、
ついには思惑通りのことをやっているから凄い。
――というか、楽観的に見せているが、
彼女は本当の目標や努力を決して人に見せない。
僕らはいつも彼女の馬鹿発言を間に受けていた訳じゃないけど、
彼女がそこまで意思を持ってる人間だとも思ってなかった。
しばらくひっか理も感じずに就職についてだべり、
それからカヌレは用があるからと言って先に駅に帰っていった。
「野球中継があるから」とか言っていたが、
たぶん、本当の用は別にあるんだろう、と漠然と思う。
カヌレが帰った後で、
スイレンは先日にカヌレに会って、
「社会人舐めてんの?」と説教を食らったという話をしてくれた。
カヌレはスイレンと二人になると毒発言も平気でするらしい。
全く知らなかった。
カヌレがスイレンに説教をして、僕には何も言わないのは、
たぶん、僕が男でスイレンが女だからだと思う。
寒いと言いつつも、砂浜の脇の舗装された歩道に
無防備で僕は寝転んだ。ごつごつした小石が痛くて、
地面が冷たい。
「このまま寝る」と言って、スイレンを放ったらかしにしたまま
僕は目を本当に閉じていた。
轟音が聞こえる。
近くから、遠くから。
人工の、貝もない浜辺のそばで、
打ち上げられた木屑とごみに混じって
靴が落ちていた。ボールもあった。
いつだか拾ったスーパーボールのことを思い出す。
赤くて丸くて、家にまで持ち帰ったお土産のボール。
何処か遠くの知らない子が落としたボールが、
その子の知らない僕の町にまで流れてきたんだと
昔は勝手に想像して喜んでいた。
今、目を開くと鉄塔の赤い光が見える。
あのボールは赤い目だと思う。
もう何処かへいってしまった。
随分昔に。
「このまま干からびるまで此処で寝る」
と、目を閉じたまま一人でで喋った。
返事は無かった。
だからそのまま暫く横になってた。
すると、耳の傍でガサガサ音がして、
唇に異物感を感じた。
驚いて目を開けると、スイレンが僕に口紅を塗りたくってた。
物凄く驚いて、「何してんだよ馬鹿!」と荒い声で怒ってしまい、
スイレンがビクッとする。
怒りよりも驚きのが強かったので、彼女のびくつきように
こちらも慌てて、「何してんだよ…」と弱弱しく言い直した。
「怒らない?怒らないなら言う」
というので、怒らないと言った。
後で思ったが、口紅をつけたまま叱ったところで間抜けだったはず。
「就職活動用の化粧と普段の化粧って違うの知ってる?」
とスイレンが言った。
「地味めにするんじゃないの?」と言うと、
「そうそう。だからいつもと違う自分な訳じゃない。そういう顔で
面接に行ったりすると、なんとなく後ろめたいんだよね。
表面だけ取り繕って、中身空っぽでも見せ掛けだけは
中身ありますって顔をするのが。知ってる?女子アナの履歴書って
顔写真じゃなくて全身写真なんだよ」
「まぁ、スーツ着てるとき俺も違和感はある」
「女の子は服装もそうだけど、化粧もそうだよ。
面接に行って家に帰ってきて化粧落とすと、
肩の荷が一つ降りる感じがするもん。
好きな化粧と取り繕いの化粧って全然違うんだよ」
「で?」
「で、面接に行ってきたタマの荷が下りないなら
化粧して洗い流せばすっきりするかもと思ったからさ」
失笑。
「ヘリクツだな」と僕は笑った。
その後、なすがまま好きにさせておいた。
トイレにも鏡が無かったので、自分では一度も見なかったが、
コンビニでスイレンが後で買ってきた小さい容器に、
クレンジングオイルというのを分けてもらい、
「オイルで化粧落としてから、石鹸をよく泡立てて
お湯で洗うこと。お風呂で洗うといいね」
そうすれば毛穴が開いてなんとかかんとかだそうだ。
僕はその顔面のまま、スイレンを駅まで送った。
対向車線から僕を見た人はどう思っただろう?
スイレンは「あんまり分かんないよ」と言いつつも、
「コンビニ一緒に入ってこうよ」とはしゃいでた。
鋏の形をした睫を上げるのが、やってて恐ろしかった。
それから帰宅後、家族に見つからないうちに
さっさと洗面所に行って顔を洗った。
洗顔が気持ちの上で効果があったかは謎だけど、
スイレンの謎発想で、今日は暗い気分が飛んだ。
気分のいいうちに寝ます。
おやすみなさい。
朝。いつもより寒い朝。
家には人気はない。しかし、窓が開いている。
間もなく父親に揺り起こされる。
父は今日、休日だった。
母は朝刊に入ったちらしを見て、
カーテンの特売に並ぶ為に出かけていた。
兄は分からない。兄は何処かに行ってしまった。
いつの間にか裏返った掛布団が冷たくて寒い。
身悶える。渇いた喉がひりひりする。
10時半には父が母親を迎えに行くと言って
出かける準備を始めた。
僕も起き上がる。
日が差し始めた昼前、場違いな厚着をして
僕は車の後部座席に乗り込む。
見慣れた町並みを眺めて、
人を乗せた個体が淀みなく進む。
あちらにもこちらにも。
固体は動く。
見た目以上に溢れ返った人並みを書き分け、
車は突き進むのだと思う。
乗り物から人間をすべて降ろして道端を行き交わせれば、
一体どれだけの人がいるんだろうと思う。
目指すは市街地のカーテン屋。
10分も走ったところで辿り着いた。
折りたたんだカーテンと母親を車に詰め込み、
買い物を済ませ、
岐路につく。
沈着した空気。
いつもより出来事が3時間ほど早く進んでいるのに気付く。
隙間の出来た時間を埋めるように
PCを立ち上げる。
いつもと違うものを見る。
人のスレッド。人の文章。
自分とは違う句読点の区切りに詰まり、
人の呼吸、喋りを感じる。
同じ場所で行う別の走行法。
気分を変えて、いつもと違う書き方をしてみる。
でも、これは不評かな?
文章を書くとき、僕は迷う。
英文の学科ということもあって、実際のところ
僕は英語そのものの勉強よりも、文章を読んで
自分なりの意見や読みを文章にまとめて
レポートにして出す機会が多い。
はっきり言ってそういった場合、
要点さえ伝えられれば提出物としての問題は
クリアされるので、書きようは色々ある。
しかしながら文字数制限というのが一応にあって、
「最低A4レポート用紙○枚以上○枚以下!」
という規定に沿って文字数を切り貼りするので、
短い、規定の上下差異が1枚程度しかないレポートで
文章そのものの書き方についての評価をされるのは
ちょっと心外なのだ。
そういう生徒側の試行錯誤を知ってか知らずか、
教授から前に提出したレポートが昨日戻ってきた。
僕の手元に戻しつつ教授の言った一言。
「(僕の名前)君は、あっさりしすぎなんだよね。
折角素晴らしい場面なんだから、もうちょっと情感を込めて
書いて欲しかったなぁ」
…それなら最初からそう言ってくれよ。
そうしたら努力はしたよ、と。
夏休みごとに読書感想文を書けという宿題が出るたびに、
皆どうやって書いてるんだろうと当時思った。
自由に書いていい。読んで思った事を書けばいいという
触れ込みが前提にあるが、あれは絶対に嘘。
優秀作の作品の傾向って大体が決まってる。
だから読書感想文の書き方という本まで出ていて、
「丸写しだったのに賞をもらっちゃった」という子供まで出てくる訳だ。
賞を与える作品になると、暗黙のうちにある部分をクリアした、
一定レベル以上の作品でないと賞は与えられない。
当然と言えば当然だけど、そんなのはいきなり読書感想文を
書けと言われた子供からすれば、さっぱり思い及ばないところの
話だと思う。
子供も子供なりに、出来のいい作品を読めば、
その作品のどういうところがいいか分からなくとも、
「自分のがそれではないらしい」というのはなんとなく分かるだろう。
でも、結構傷つくと思う。
どうして自分の書いたものが誉められないかと疑問に感じても、
そのはっきりした理由は大概述べられないまま終わっていくから。
そうなれば、書いたものそのものが良くなかったと捉えるしかなく、
「要は自分が下手なんだ」としょんぼり納得するしかないからだ。
「暗黙の了解」や、「一般常識」というのはなかなか鬱陶しい。
暗黙の了解も一般常識も、知っていて当然の年頃になる以前でも
その立場はやっぱり暗黙の了解であり、一般常識だった。
つまるところ、知ってて当然なことは
知る前から知ってて当然のこととされているが、
その割に表立って出てこない話題なので、
ずっと知らないまま過ごしてしまう場合が案外多いと思う。
つまり、一般常識は一般常識なんかじゃないと思う。
一般常識なんて明確な分類があるものは
「一般常識」という項目で調べることができるからまだいいけれど、
「暗黙の了解」という奴は、それ以上に混沌として厄介だ。
読書感想文の話はほんの一例で、この鬱陶しい性質には度々ぶつかる。
努力しているのに、何故か成績が上がらない子供の勉強法を
どう変えたらいいか。
どうして同じあやし方をしていても、赤ん坊が懐く人と懐かない人がいるかとか、
はたまたペンのインクを最後まで残さず使うにはどうしたらいいかとか。
分かる人にはその理由が分かるが、分からない人には
なぜだか分からないという類のこの問題は、
暗黙の了解として考えられると非常に面倒なことになる。
もしあなたが当然だと思っていることでも、
他の人には分かり辛いかもしれない。
現に学校の授業で子供達は教師の話を100%理解することはない。
「だから先生、そういう文章のことで不満があるなら
先に提示しといてください」
という愚痴を次のレポートに書いたら、
今回はいい評価が貰えました。マル。
うわぁ、こんなことだらだら書いてたら
クイーンのDVDインターネット試写見忘れた…
アホすぎる_| ̄|○
夕方にとうとう口を突いた本音が
出たところで、気分低迷中。
別に夕方の事はさほど気にしてる訳じゃない。
――そもそもそんなに見たかったという代物ではないし。
やらなければならない事を無理矢理引き伸ばして、
余所事をして時間を潰している自分にちょっと嫌気がさす。
しかも、相当切羽詰っている状態だというのに。
今日ここに書き込みするのはこれで二度目。
前に比べ、追い詰められるほどに余所事に手を出すようになった。
確実に夢板依存症。読書量も増える。
自分が覗いているスレッドに更新が
なかなかかからないのも寂しい。
みんな何処に行ってしまったんだろう?と思う。
みんな、に当たる人たちの立場を考えれば、
自ずと予想はつくが、それぞれの人の
実生活についてはあまり考えたくない。
週末の夜、家に居るかいないかを考えると、
出かけているほうがある意味健全なんだろうな。
505 :
夢見る名無しさん:04/10/24 10:41:15
>>505 保守――と勝手に受け取っておきます。
ありがとう。そして505おめでとう。
昔から40+5円の賽銭で神社にお参りすると、
「始終ご縁がありますように」という意味合いに
なるそうですが、残念ながら405ではその事を
すっかり忘れてて自分で書き込んでしまったので、
おまけ話として献上しときます。
今月中に済ませなければならない書き物が
なかなか進まない。パソコンでの作業なだけに、
すぐにインターネットに逃げてしまう。
本で調べて書面に起こす作業なら集中しやすいものの、
パソコン自体が娯楽道具感覚があるから、
余計はかどらない。
ストレスか、病み上がりにして初のチョコレートを大量消費。
懐かしの五円チョコを大人買いした。
18ぐらい食べたところで気持ち悪くなる。
合計90円か。100円ぐらいは頑張りたかったな。
先日の空を飛ぶ夢の話。
空を飛ぶ夢は今までに何度となく見てきたが、
二十歳を越えたぐらいから全く見なくなった。
一番初めに見た空を飛ぶ夢ははっきりと記憶に残っていて、
箒に乗って友だちと空を飛ぶという、ややありきたりな内容だった。
それでもテレビ塔頂点ぐらいの高さを飛んで、
吹きつける風が海辺に吹く風ぐらいの強さだったのが
なかなかリアルに感じた。
空を飛ぶ夢で面白かったのは、
家の前の坂道で勢いをつけ、飛び上がって
そのまま宙に放り出されるように飛ぶという奴。
一定のスピードが必要なので、
知り合いが自転車を全速力で漕いで、
僕が後部座席の荷物台を掴み、猛烈に走る。
現実にもそうだが、家の前の坂は小学校の正門で
突き当たりなので、突き当たりぎりぎりまで下ったところで
勢い良く飛び上がると、自分の体が空中の
ある一定の高さまで吹き飛ばされる。
高さはおよそ四階建ての校舎を縦に二つ並べたぐらい。
ある一定の高さ――空中の天井というのかな。
その高さまで達すると、ぴたりと体が昇るのを止めるので、
あとは宇宙飛行士が無重力で動くのと同じようなやり方で
前後左右にのみ移動していける。
初めは昇ってきた時の惰性があるので、
少しずつ前進するが、空中で完全に止まってしまうと
自分でじたばたやらなければならない。
横に現われた建物の壁面を蹴ったりだとか、
他に飛んでる知り合いをバネにして(突き飛ばす)
押し返される勢いで動いたり、
一番最低なのは、手にもっていた下敷きでバタバタ仰いで進む。
今思うと小学生ならではの発想だったと思う。
夢の内容としては、上空から校庭を
見下ろすというのが多かった。
内容そのものの意味はあまりなくて、
勢いをつけて飛ぶものでなければ、突然自分だけ重力が引っくり返り、
上空の天上部にあたる場所まで吸いつけられるようにして持ち上がったり、
自分だけ逆さまになって校舎の天井を歩く夢もあった。
地上を歩く友人に会うと、地面に降りられるよう
引っ張ってくれるが、体が風船みたいに浮力に
持ち上げられてうまくいかない。
自分だけ浮き上がる、っていうのが結構あったな。
でもその後のことも風船と同じで、
浮力が切れる(?)とゆったりと地面に降りてこれた。
繋いだ手を辿り、地面に引き返してくる。
地球は引力で物を地上に引きつけてるそうだけど、
引力が切れてきたら、多分夢の中の僕みたいに
皆なるんだろうね。
でも木や動物や水まで同じように浮かんだら、
終始つかなくなる気がする。
もし誰かが浮かび上がって地上に戻れなくなる夢を見たら、
今度は僕がその人を引き戻してみたい。
あと、新潟地震に遭われた方々。
ご無事を祈ります。
チェルシーが父によって逃がされてしまった。
前々からそんな話は出ていたけど、突然いなくなって寂しい。
腕や足の付け根の柔らかいところを触るのが好きだったのにな。
放した先は、前にブログで写真を上げた大きな公園にある、
大きな池だそうだ。
彼らにとっても、広い場所のが住み心地もいいのかもしれない。
自由に生きて好き勝手に暮らせばいいと思う。
でも結構凹む。
自分が思ってた以上にショックを受けてることに、自分でも驚き。
可愛がってた、と言えるほど可愛がってたとは言えないのに。
何に対してショックを受けてるのか、
自分でもあまり分からないが。
前の書き込みから立ち止まり、
それから一時間で悪い塞ぎこみの波が来たようです。
変なことを書かないうちに引っ込みます。
おやすみなさい良い夢を。
My mind's eye
I sit here every day ,looking at the sky ,ever wondering why
I dream my dreams away and I'm living for today in my mind's eye
Things are clearer than before ,showing me the way ,asking me to stay
I'll never close the door to all these things and more in my mind's eye
Everybody I know says I'll change ,yeah
laughing behind their backs ,I think they're strange
People running everywhere ,running through my life
(people running everywhere) I couldn't give a care
because they'll never see all that I can see with my mind's eye
--- Small Faces
実はbeatlesはあんまり曲を知らないのだけど、
(CMなんかであまりにも頻繁に耳にするので、
かえって気を向けて聞く機会が無かった)
small facesはとても好きです。
この人たちの曲を聞くと、
兄がモッズもどきを目指してた時のことを
思い出します。僕が高校の頃で、
その時ちょうどスカなんかもちまたで流行ってました。
リーヴァイスもモッズに引っ掛けたCMを打っていて、
元ピチカート・ファイヴの小西さんの編集した
モッズ関連のCDアルバムも出たりで、
我が家にもその波が食い込んでた時期だったなぁ。
と今になって思ったり。
ベスパが我が家に来たのも多分その頃だったけれど、
今は可哀想に、車庫で風化してます。
125ccなので原付しか乗れない僕には乗れない代物。
当然購入したのは兄ですが。
モッズが何か?と言われるとちょっと困るのだけど、
映画「さらば青春の光」に出てくる若者たちの纏う
ファッションを兼ねたムーヴメントというか…
スモールフェイセズやザ・フー、ポール・ウェラー
はたまたクラプトンおじさんも多分昔は
そんな感じだった気がします。あやふや。
当時兄はフレッド・ペリーとか着てた気がする。
(フレッド・ペリーは別にモッズと関係ないと思うが)
所詮はもどきなので、ゴーグルや乗馬ヘルメット、
スーツまでは着ていませんでした。
(欲しいとはぼやいていた)
ただ、ベスパの改造は少ししていたようです。
スクーターの上で昼寝してそのまま倒れ、
硝子のウィンカーライトを割ったのを僕は密かに知っている。
マニアックな話やめ。
昨日の夜は同性愛について書こうと思ってたけれど、
何故か別の流れでアスペルガー症候群のHPを見て、
気分が悪くなったので、速攻で就寝してしまいました。
そのアスペルガー症候群のサイトに非は全くありません。
症状と心理状態のところを見て、部分的に
自分の思い出と感情を重ねて辛くなりました。
僕はアスペルガーという診断は特にありません。
(というか、その関係の病院に行ったことがないので
判断が及ばない)
昨日書こうと思っていたことをちょこっと書いてみると、
「同性愛について書こうと思っていたが、
同性愛板で見た分類にちょっと思うことが合って、
そのままアスペルガーHPを見て偶然同じ引っ掛かりを感じたので、
その事も含めて書こうと思ったが、その前に自分が沈没した」
という感じです(苦笑
病状や同性愛そのものの話じゃなかったのだけど、
僕は症状の話を読んでるうちに撃沈してしまいました…
同性愛や症状そのものにも思うことは
いろいろとあるけれど、うまく説明できなくて
誤解を招きそうなのでやめときます。
そもそも僕が首を突っ込むのもお門違いだろうし。
共通して不安に感じたことというのは、
症状やカテゴリーの分類についてです。
分類の仕方がどうとかいう話じゃなくて、
分類することはいい事なのかな?と疑問を感じた。
症状やカテゴリーの分類っていうのは、
自分が今の状態が不鮮明で、不安を感じている人には
「名前を与えられる」という行為で安心するのかもしれません。
でも逆にグレーゾーンであるのが居心地良く感じてる人には、
その分類や症状がある事を知ったときに、
かえって不安を煽られるんじゃないかということです。
各スレやHPをぼんやり見てると、
「こうこうなりましたが、私もやっぱり○○なんでしょうか?」
という類の質問が結構目につく。
明らかに今まで自分がどんなタイプなのか
心配してなかった人も、自分を無理にカテゴリに
当てはめようとしていたりして、
かえって誤解を招いてるような気もする。
かぎりなくグレーゾーンの人を、
カテゴリという枠が吸い寄せてるというか。
となると、実際の志向と病状から逸れて、
必要以上に誤った場所にカテゴライズされて
しまうんじゃないかという不安を感じたわけです。
病気区分が人を吸い寄せる、人を異性愛者にする。
そんな事を昨日黙々と考えていたけれど、
今思うとそういった「私は○○かもしれない」と
思ってる人は、やっぱり不安要素が元からあるんだから
いずれその分類の篩いにかかる機会に接するだろう。
だからやっぱり僕の妄想は余計な心配なのかなぁ、
と思った。
なんだかここのところ、
このスレも独り言らしくなってきたように思います。
日記じゃマンネリ化してきたかな。
――この変化がいいのか悪いのか。
これまた疑問だけど。
地震はまだ続いているらしい。
すっかり忘れていたサイタマに今日電話して、
そちらは大丈夫だったかと尋ねると、
「すぐ電話を掛けてこないのが冷たいな」
と、鼻で笑われた。
悪かったと思うが、テレビやネットやらで
おおよそ危険だった場所から外れているらしいのは
分かっていたので、あまり心配しなかった。
とにかく無事で良かったとこちらが言うと、
少し機嫌悪そうに
「そうでもないよ。あの人らじゃなくて俺が死んでたほうが良かった」
と言う。
「お前以外は連絡さえして来んよ」
25日の夜半、NHK-FMで新潟地震の安否情報が
延々と流れていた。いつもは曜日ごとに変わる
ラジオ深夜便のキャスターが、その日は一時間交代で
安否情報を読み続けていた。
異なる安否情報のメッセージは、殆どが
一字一句違わない同じ内容だった。
『心配です。連絡ください』
僕はそのくだりを延々と聴きながら寝た。
寝ようとしても目が冴えていた。
被災の苦痛が喋りつづけているように感じた。
その間にサイタマの事は一度も頭に上らなかった。
僕は受話器を握りながら、他の友人のことを考えた。
彼らは彼らなりに、誰かへの連絡を急いでたんじゃないだろうか。
「忙しかったんだよ」と言おうとして止める。
それは事実だけれど、伝わらない前置きがあり、
その所為で彼には最低の言葉として響くと感じたから。
「みんな焦って頭が回らなかったんだよ」
早く連絡できなく悪かった。と僕が言うと、
お前はいいよ。連絡してきただけな。と、
それでもまだ不満そうに言っていた。
寂しさと怒りが力の篭もった声に響く。
僕は手元の携帯電話で、『後でそれとなくサイタマに
安否確認の連絡をするように、』と
他の友人にメールを打つ。
意識がそちらに集中して、
僕はサイタマとの電話では相槌に専念した。
テレビでは夕方の被災地の映像が再度回っている。
あるいは、バラエティ番組の放送が始まり、笑いが起こっている。
「今家で兄貴が愛エプロン見てるよ」と僕は無意識に喋ってた。
電話越しのサイタマのほうは、しんとしていた。
「世の中って冷てぇな」
とサイタマが愚痴った。
「番組は災害前に撮ったやつを放送してるんだろうよ」
と嗜めるように言うと、
「分かってるよ」とサイタマは拗ねた。
被災地に悲劇が起きた一方で社会は回り続けている。
当然のことだ。支援をせず過ごすことに避難を飛ばす
人間も居るが、社会の流れ止めて彼らを支援すること、
無駄に押しかけることが必ずしも彼らの為になるかというと、
そうじゃない。経済が止まれば、いずれ彼らが復興してから
その影響が痛手となって戻っていくのだから。
一見何もしていないように見える人へのもどかしさを
感じるのも理解するが、同じように何も出来なくて
もどかしく感じている人のことも考えなければならない。
居間に母が入ってきたので、自宅電話から携帯に変えて
部屋でサイタマと話す。僕もしんとした場所にきた。
そして今度は僕が愚痴る。
「俺だって何にもやってないよ。社会貢献もしてないし。
俺こそ手伝いに行けよって感じだよ。家でぐうたらしてるだけだから」
それから言うまいとしてた事を、ぽつんと言った。
「俺こそ死んでりゃ良かった」
自ら自虐スパイラルに嵌まったと感じる。
ここから「俺こそ」論が発達していくと、
どんどんお互いを貶めてくだけになる。
そして結局時間の無駄だと後になって気付く。
分かっていても貶め合いは嵌まり込むから性質が悪い。
寒い。今日はとても寒い夜だ。
けれど、サイタマは捩じれに嵌まらずに抜けた。
僕が死んでりゃ良かった。と僕が言った時点で笑ってくれた。
「まぁ、二人とも今此処で死んだわけだ。
死人同士、できることしような」と言った。
「そうだね」と言った後電話を切って、
ぼんやりドラえもん基金に電話してみる。
電話を掛けながら、カイロを贈る企画もきっといいと思う。
暖かいものが必要だと思う。
ただでさえ、寒い時期は暖かいものが
何かと必要になるのだから。
新潟の人たちが、より早く
いつもの生活に戻れますように。
感傷的な事を書いてもあまり責めたてられないのが
過疎板の強みですね。
自分の事は結構気を揉むけれど、
他の人の話だと案外簡単に受け入れられる。
面白いと思う。特に独り言は。
脳みそが半分とろんとした状態で読んでても
傍観者の態度は知られないので、気楽というのもある。
書いてる人が気に病むほど文章も内容も酷いとは思わない。
むしろ自分も書いてる身からすると、
才能を感じるさせられると、かえって凹む。
どうした急に?と思われると、
「いや、別に」としか言いようがない。
気分の問題としか。学校に行く前の気だるさというか。
今日はさぼっちまおうかな。
締め切りまでの作業がまだ終わっていない。
Arab StrapのElephant Shoeを聞く。
色々言われてるようだけど、
arab strapは気だるさがたまらなくいい。
どのアルバムも気だるい。
全体的に、グラスゴー出身の人たちは
気だるい曲を作る。偏見だろうか?
mogwaiもbelle and sebastianも気だるい。
「だが、それがいい!」だっけ。
だが、それ故に他者を隔絶する。
今朝がた物置を漁っていたら、銀の編み格子の
鳥かごが出てきた。ご存知のとおり、以前僕が
飼っていたセキセイインコの住処。
格子が錆びて赤く焼け爛れたようになっており、
触ると錆びが指につく。格子の縦筋に沿って。
指先に傷口のような刻印が残った。
僕は鳥が埋まってる場所を見た。
平然と草が生えている。
蟻の巣を想像する。
小学校で必ずといっていい程やる蟻の巣の研究。
巣のある地層の、あの断面図を思い浮かべる。
じゃがいもの根茎が間延びしたような空洞の部屋が
幾つも下に延び、その中で蟻がせっせと働いている図。
そして大体の場合、蟻以外の他の生物も
土の中の空洞に潜っている絵が描かれていている、
という事も想像する。
蟻の巣の近辺に潜り込んでいる幼虫や、
モグラの図も加味。
そしてインコ。僕のインコも穴倉の中で寝てる。
インコといえば、携帯電話の着信音に反応してよく鳴いた。
僕がヘタクソな鼻歌を歌うと黙って聴いてくれた。
そんな時、動物との会話は可能だとよく思った。
赤ん坊と話すのによく似ている。
言葉じゃない言葉、感情そのもののやりとりのように話す。
前に絶対に書いた気がするのに
検索で引っかからないのでこの話を書いてしまうけれど、
重複だったらごめんなさい。
信じてもらえるか分からないが、
僕には生まれて一年経たない頃の記憶がある。
今の家に引っ越す前の家で、真新しい布団のうえで
父親のいる方に這っていく記憶だ。
畳部屋の土壁の部屋。
一人分の布団がやけに大きく感じられた。
父親の若い顔まで覚えている。髪がまだ全部黒かった。
勿論当時の僕は言葉なんて分からなかったが、
父親が笑って呼び寄せているので、
自分も喜んでそちらに行こうと這っていた。
その時の感じが、どうも動物と意思疎通をしようと
するときに似ていたと思う。
素で湧き上がってくる感情。説明しようのない感情
というのがあるけれど、その時はそれがすべてだった。
やっぱり学校にいってくる。
遅刻だろうけど。
もの凄く馬鹿な愚痴と泣き言を書きます。
読みたくない方は読み飛ばしてください。
--------------------------
なんだかとても疲れてしまった。
行きに電車に乗っているだけで泣けてきた。
授業に遅刻した揚げ句、三十分居ただけで保健室に行った。
保険医に病院に行くかと言われて逆切れし、
様子見に来てくれたチューペに当たって
泣かせてしまった。
うまくいかない理由を全部兄が原因だと仕立て、
兄が死ねばいいと本気で思った。
そして今でも望んでる。
僕は最低。俺が死ね。
明日皆に謝りに行かなくちゃならない。
兄を除いて皆に謝りたい。
そうしてもう僕を見捨てて欲しい。
兄は昔格好よかった。
単純で馬鹿ですぐ僕を殴ったが、
昔の兄はこだわりを持って生きてた。
僕がまだ高校生になったばかりの頃、
金が無くて好きな服装も出来なかった自分に比べ、
とうに働いてた兄は服も車もスクーターも
自由に手にしていた。
家族にわざわざ告げはしなかったが、兄には恋人もいた。
朝まで家に帰って来ない日は糞野郎と
思ったけれど、僅かに誇らしい気持ちもあった。
偶然家の前で兄と話しているその人とすれ違ったとき、
興味はあるのに緊張して目を逸らした。
綺麗な人だった。
なのになんで今はそんなに落ちぶれたんだ
ばか野郎。
もうなにもかも母親の言いなりになりやがって。
無意味に流行りの音楽聴いてヘラヘラして
平気でオナニーの話まで母親にする。
それを聞いて笑ってる親も親だ。気持ち悪い。
煙草がないとじっと座ってる事も出来ずに
寝巻姿で平気で昼夜うろうろする。
車庫のベスパはもう蜘蛛の巣まで張ってる。
ウィンカーぶち壊したままほっといて可哀相だと
思わないのか。フィガロだって僕が乗らなきゃ
ほっとくつもりだったくせに、恩を当てこすりしやがって。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
一応ここまで。
言いたい事はきりがないぐらいで
逆に書けない。怒りが余計奮い立ってくる。
愚痴を人目にさらすのは
気分を害しますよね。ごめんなさい。
でも言う相手が居なくて書き込むことで
気を紛らわす淋しい人間です、僕は。
本当に言う人が誰もいない。
寂しい。
なんで皆変わってくんだろ。
昨晩の腐れ具合から一転、回復。
我ながら携帯からの書き込みは末恐ろしいな…
傍若無人という奴です。
文章として書いて吐き出すという作業で満足すれば
いいのだけど、誰か一人相手を見出さないと
すっきりしないという、嫌な習性が身についてきた。
それにしても、書き込み姿勢の違いっていうのは
僕にとっては大きい。もう不貞腐れて布団に入りながら
携帯電話でメールのように打ち込むのと、
パソコンデスクの前に座ってカチカチ打ち込むのとでは
気分的な差に開きがある。言い訳ですね、そうです。
昨日の書き込みは無かったことに、とできないのが、
この掲示板の恐ろしいところです。
今までヘマした回数を紙に書いて、パソコンと携帯画面にでも
張っといたほうがいいのかもしれない。
サイタマにでも「ちょっとあの書き込みは…」と言われれば
止められる気がするけれど、もう後に引けない内容まで
書いてしまっているので、ここの存在を彼に知らせることは
これからないだろうと思う。
匿名が故に、僕は守られ堕落してます。
そう言いつつ、絶対にまたやると思うけど。
そして、自分の書いた事をあまり気にしないことにした。
一方で、それが諸悪の根源のような気もする。
反省ならぬ反省文終わり。
徳川園で野村萬斎父子が狂言の演目を
無料公開でやるとのことで、先日新聞に
観覧者募集の要綱が載っていたのに
すっかり出すのを忘れてた。
友人、根子市<ネコイチ。当然今つけたあだ名>は
萬斎が妙に好きだそうで、去年BS放送でやっていた
萬斎のオイディプス王をカヌレに録画してもらっていた。
確かに飄々とした雰囲気が面白くて、人物そのものも
面白い人だと思う。
僕もオイディプス王はカヌレ家で見た。
それから僕も結構萬斎が好きになって、
去年の冬場にやっていた野村家の
ドキュメンタリー番組をNHKで見て、
狂言師の長男は大変だなぁ、とぼんやり思った。
そんなことがあって今日新聞の中刷り広告を
見ていたら、徳川園の記事が載っていて、
あな、しまった。と思ったところ。
根子市に応募したかメールで尋ねたところ、
新聞もろくに読まない人間だから、
「そんなの知らん!なんで教えてくれなかった」
と逆に怒らる。ごめん。言わなきゃと思ってたけど、
面倒臭かった。
徳川園に関しては事前公開でスイレンとカヌレが
行っていたらしく、庭園が綺麗なところだよ。
と話していたので、彼女ら、その時に野村家が演じるのを
知らなかったのかな?と思う。
どうも一般公開というか、完全な招待制で
チケットそのものが売ってないんだとか。
「しくったな」と根子市に言われ、
「お前は愛地球博でもしくる!」と謎な宣言をされた。
僕は地球博に密かに期待してる派だけど、
どうなるのかな。地球博。
今日は動きすぎで疲れた。
女の人は買い物で歩き回る時やたら体力がある。
疲れを知らないのはなんでだろう。
今日は朝から一日中雨が降っていた。
それでも久々に自転車に乗りたくて、駅まで自転車で向かう。
電車に乗り、待ち合わせていたスイレンと
短期バイトの登録に出向き、そのついでで紅茶屋に寄る。
僕は菓子を買って、彼女は騎馬兵のイラストのついた
イギリスの紅茶を買った。
僕は紅茶に関してちんぷんかんぷんだが、
ただイラストを見て「これがいいんじゃない?」と勝手に言う。
スイレンはそれを知ってか知らずか、
「そうだね」と言ってその紅茶を買った。一体何を買ったんだろう?
アールグレイというのをやめたのは見てたけど。
紅茶の種類は茶葉の種類で変わってくるんだと思うけど、
茶葉が違うと味と香りが違う。でいいのかな。
僕は紅茶の持つ味そのものよりも、香りが苦手で飲めないんだが。
一時期日本茶に色々な種類の茶葉が混ざっているのが
ブームになった。爽健美茶はその代表的な生き残り。
その頃に、お茶でも花の香りの強いものが結構出回っていて、
そういうお茶はどうしても飲めなかった。
烏龍茶も、香りが強いもの苦手。
基本的に香りの強いお茶と相性が悪い。
紅茶の話に戻ると、お茶に砂糖やミルクを入れるのが
やっぱり違和感を感じる。
特にお茶に牛乳なんて狂ってる…
ちなみに僕はココアも否定派だった。
これは努力して改善したが、好きで飲むものじゃない。
飲めないものだらけで昔は辛かった。
砂糖は日本茶や烏龍茶には入れないじゃないか!
と言いたいところだけど、そこは僕が甘かった。
外国人は日本茶に堂々と砂糖をいれて飲むそうだ。
例のように、紅茶の良さが分からない。と言いながら
ブックオフまで歩く。他に嫌いな食べ物の話をした。
子供のころ嫌いorあまり好きじゃないもので克服したもの
―チョコやガムを包むマーブルコーティング、板ガム、
(つまり、マーブルガムはどうしようもない代物だった)
固い煎餅、スルメなどなど。
要は、噛んで味が出るものが駄目だった。
全然噛まない人間だったから。
煎餅やスルメは好きだったけど、食べるのが面倒で
あまり食べたがらなかった。
尚且つ今もそうだが、食べ物を右顎で噛む癖がある。
おかげで僕は左顎だけが顎関節症気味で、
昔から歯科検診で注意されていた。
注意されつつも直らず、結局今も左顎だけ外すことができる。
話を戻す。
ブックオフでarab strapのelephant shoeを買う。
今日は本屋まで足を延ばすと思わず、小銭しか持っていなかったので、
それを支払ってかなりの貧乏になった。
帰りの電車賃を払うと、十円玉以下の小銭しか財布になかった。
それでも家に帰るにはまだ早く思えてぶらつく。
その気になればATMもあったし、スイレンにお金を
借りることもできたが、貧乏気分をやや堪能。
名鉄百貨店の菓子売場で、ショーウィンドウから
ケーキやハロウィン菓子を一生懸命眺めて我慢する
僕の姿を見てスイレンが大笑いしていた。
それから二人でだらだら歩きながら、
昼間に紅茶屋で僕が買ったhariboグミを二人で食べながら歩く。
古い公団団地の狭い公園で寒い中雨宿りし、
「修行」とか言いつつグミを咥えて濡れたブランコを漕ぐ。
雷が鳴ってる。地響きを伴った激しいのが。
篭もった感じの音が空をこだまし、
僕のパソコンを置いた机にまで伝わる。
水槽を振るわせたような音。光に出遅れた鈍い音。
窓の外に光が走り、何処か近くに落ちた。
山を砕きそうな激しい音。
続けざまに雨が強く降り始める。
そして湿った空気がひんやりと流れ込んできた。
落雷されると嫌なので、電力をあまり使わないように
極力電気を落とす。真っ暗な部屋。
けれど、雷の光は充分に部屋を照らし出す。
地上には沢山の電波が飛んでいるので、
実質家の電気を切ったりしてもあまり意味がないと聞く。
確かに家一軒の電力全体よりも、電柱や
鉄塔、変電所にある電気のほうが、
溜まっている電力は多いだろうと思う。
それでも気分的な問題だと知りつつ、消灯。
小学生の時に友達と二人でディズニーランドに行き、
日帰りのバスの帰り、出発を待つ間に真隣りの山に
落雷したのが、今でもトラウマ気味だから。
そもそも家は、山だった場所を削って建てられた。
おかげで水害はないが、木は多い。
落ちる可能性だって無くはない。
やっぱり小学生の頃、同級生の子の家の前の電柱に
落雷し、電柱が倒れたということがあったから満更でもない。
雷の電力は相当なもので、世界中の落雷を
電気として保存できるようになれば、
原子力発電所なんて一つも無しで充分
世界中で必要とされる電気が賄えるらしい。
今の時点で雷の電気をフル活用できないのは、
世界中の落雷分の電気を貯める場所がないことと、
雷がどこに落ちるかが予測不能だからだそうだ。
たぶん将来は雷で電気をすべて賄う日が来るんだろうなと思う。
綺麗な循環社会になるのかな。
イラクに行っていた青年の遺体が確認されたとのことで、
親族の人たちが「お礼と感謝の気持ちでいっぱいだ」と
答えたらしい。
絶対嘘だ。
大事な家族だったなら、やりきれないはず。
でも世論に対してそう言わざるを得なかったのかもしれない。
そう思うと胸が痛い。
今回の人はどういう意思でイラクに行ったんだろう?
バッシングを受けるのは分かっていたはず。
彼はホテルで現地入りする事を止められていたという。
それでも行こうと決めた理由は何?
決断の理由は?何を見ていたの?
攻め立てはしないから、教えて欲しい。
でももう決して知ることのないこと。
会った事の無い人が、行ったこともない国で亡くなった。
はっきりした事実はそれしかない。
ご冥福を祈ります。
今日一日中紙と携帯電話と睨みあいだった。
ハロウィンの賑わいなんて欠片も無い。
それでいて明日締め切りの作業にも
結局間に合いそうもない。脱力。
昨日フラフラなんてしてるから、と遠い声が聞こえる。
レポートのメモ書きが昂じて、メールに
一生懸命メモをしていたら、ボーダフォンの
スーパーメールが本体に保存しきれなくなった。
メールの受信は相当保存できるのに、
未送信は大して保存が利かないものだ。
実用性ないじゃないか。
手元に文面を残したかったが、そのままパソコンに送信。
送信メールは保護できないので、
容量の多いメールはすぐに消えてしまうんだろうな。
もうそろそろ、サンタに手紙を出す準備をしなくちゃなと思う。
今年はWEBマネーがなぜか余ってるので、
それで一般申し込みの方もやってみようかな。
違いを比べてみたい。
前に僕が送ったのは、フィンランド宛です。
スウェーデンでも受け付けてると
聞いたことがあるけれど、送ったためしがないので
帰ってくるかは不明。
-------------------------------------
[宛先]
Mr.SantaClaus
JoulupukinKonttuuri
Napapiiri、96930Rovaniemi、Finland
-------------------------------------
(おおまかな話、ミスターサンタクロース、
フィンランドの部分を書くだけでも届くそうです)
普通郵便で使えるサイズの封筒に手紙を入れて
国際返信用切手を二枚同封て送ります。
(封筒の表面にair mailの明記もしておく)
自分の住所(Japanから)と名前はローマ字書き。
手紙の文面そのものはイラストでも日本語でも大丈夫です。
僕は前回、いとこに書かせました。
航空便送料に関しては局で聞けばいいんですが、
こちらを参照。
--国際郵便料金
ttp://www.post.japanpost.jp/fee/simulator/kokusai/index.html 第二地帯だから25g定形郵便なら110円かな。
-----------------------------------------
国際返信用切手は郵便局で買えます。
切手というか、印紙に近いものだったかな。
国際返信用切手は、様々な訳があって切手無しで送ってくる
子供たちの為にもサンタから返事が出せるよう、
少し余裕のある人が負担してあげるという意味合いのものだそうです。
トイザラスなんかで受け付けてるのは
業者が仲介しているもので、仲介会社が基本的に申し込みを
まとめて同じ場所(フィンランドサンタ宛?)に送る
というような話を聞きましたが…どうなんだろう。
あぁいうのは返事の文面や対象年齢も
指定できるらしいから、別のところなのかな。
あと、業者者は返事がクリスマス近くに帰ってくるそうです。
僕が前に出したものの返信は、前も書いたとおり春先でした。
(でも12月頭に出したので、出す時期そのものが遅かっただけかも)
雷がずっとすごいけど大丈夫かな。
今日はここまで。おやすみなさい。
ねむい。相当ねむい。
でも飴を舐めてるから眠れない。
花の口づけという飴。
僕には恐ろしく似合わない…
コケモモミルク味に惹かれて買ったけど、
思った以上においしい。
ただしこの飴を舐めながら100%オレンジを
飲んだら、シャコ(海老の仲間のあれ)の味がした。
シャコよりなんだか生々しいぐらいの味。
思わぬ発見?
昼間天気が良く暖かくて、
庭でひなたぼっこをしていたら
カタバミの花が咲いてた。
葉が三ッ葉の黄色の花。唐辛子みたいな
形の種の入った鞘も付いている。
続きは明日。
どうしたんだろう。やたらねむいです。
おやすみなさい。
平野レミが凄い。
マシンガントークもさることながら、
NHKの番組で料理しながら
「料理なんてテキトーでいいのよ!」を連発。
話は脱線。今回は昔の「今日の料理」に出た時の
映像が流れたが、眼鏡は無く、まだ若くて髪も長く、
外見の印象はかなり違ったが、喋り出すと
中身は変わってなかった。
やはりマシンガンな女。すごい。
レミの父親がフランス文学者だそうだけど、
一体どんな家庭だったんだろう。
謎の夫和田さんも気になるが、
平野レミの息子はたしかピロウズのメンバー
な人だった気がする。
家で三世代揃ってもいつもあんな感じだったんだろうか。
ケンタロウというイラストレーター兼
料理研究家の人も、実は料理研究家の
小林カツ代らしい。
母親が料理が上手いと、なにかこう、
アーティスティックな感性が磨かれるんだろうか。
息子らにしたら、「関係ない話」なんだろうけど。
レミの息子は
トライセラトップスの和田唱だよ。
>>557 そうかトライセラだったか!
まぁ、どっちにしてもあのメンツで
食卓を囲んでるのはあんまり想像つかない…
>>556 >実は料理研究家の小林カツ代らしい。
彼の母親が、ということです。
ボケボケだな昨日今日と。
いや、白状すると天然なだけですね。
目がぐるりと回る錯覚。
日の光が眩しい。そんな暖かくて社交的な一日だった。
日中過ごしている間でも、漸く秋らしさを実感。
学校の帰り道、郵便局で国際返信用切手を買う。
デザインが変わったのか、紙のサイズが以前より大きく感じる。
おかげで、そのままの状態で封筒に入れられない。
同封する時、折り曲げてしまってもいいのかな?
用紙の左上に薄っすらと印刷された、
地球の周りで手紙を渡しあう人たちのイラストがなんだかかわいい。
帰宅したら、僕に対して゛夕飯作れ令゛が出てた。
母親が「疲れた」と言って、居間で寝てる。
疲れるほど何したんだろう。と思ったら、箪笥の位置が変わってた。
まさか自分ひとりで持ち上げたんだろうか?
かに玉丼を作るべくスーパーに玉子を買いに行くと、
近くのATMに「新札がご所望の方は銀行のATMでお願いします」
と張り紙がしてある。
ATMで新札なんか出して貰えるのかと驚いた。
相変わらず野菜が高くて、スーパーにいた主婦も
困ったようなことをこぼしてた。
大根は今からが本来は安くなる時期なのに、
1本300円じゃおでんも厳しいな。
そこで大量に売れていたのがもやし。
僕も買ったけど、使い道があまり思いつかない。
もやしっていつもどうやって食ってたか分からない。
ラーメンの具にしても3袋は…
(まとめ売りだった)
何気なく550を越えたんだな。
スレも漸く折り返して少しきたようです。
近頃レポートに気を回して、やっと一時的に解放されたので
脳みそを極力使わないまま思った事をそのまま書いてますが。
もやしはやはり炒め物でしょう。
>>561 ですかね。ただ、もやしの炒め物は
僕が作ると下手クソで、水っぽくなるとイマイチ。
ラーメンスープに大量投入して3袋食べるという
裏技も提案しましたが、家族に「余さずお前が食え」
と言われたところです。
今日は2ちゃんしてPRIDE見て2ちゃんして、
の流れでなまけてます。
レスまで付いてて嬉しいやら珍しいやら。
今までにないスレの流れを満喫中。
∧_∧
⊂⌒( ´・ω・) ふぅ。
`ヽ_っ⌒/⌒c
⌒ ⌒
これ以上はレスはつかないか。
さすが過疎スレ。
ブログも似たようなもんだけど。
漠然と今日は地球の青色の話を書こうと
思ってたけれど、もうそんな気分じゃないな。
明日はきっといつもの調子に戻ります。
おやすみなさい。
初めまして、猫のニーチェと申します。
スレッドのタイトルは以前から何度か拝見していましたが、
見にきたのは今日が初めてです。
率直に考えてることが分りやすく書いてあり、
いつも支離滅裂な文章やフレーズを、
思いつきで書いている自分も少し見習いたいと思いました。
内容に関するコメントではなくてすいません。
内容に関しては、心動かされるものがありました。
それでは。
おはよう。昨日は久々にチャットに入り浸って
五時まで起きてました。おかげでかえって早起きです。
でも昨日はものすごく面白かった。
新しいバンドもいくつか教わって満足。
という訳で昨日は完全なさぼりです…
>>565 初めまして。僕のほうは既に何度か
夢板でニーチェさん見かけてますよ。
内容はまぁ、……ですので、お気になさらず(笑
レスありがとう。
地球が青い理由を初めて知ったのは
学習帳の裏表紙に載ったコラムからだった。
表紙に必ず蝶や花、動物の写真が載っているあのノート。
当時は野暮ったく思われて嫌いで、
むしろ中に印刷されたブルーの罫線が好きだった。
地球が青いのは海が青く見えるから。
じゃぁ何故海が青く見えるか、皆知ってるだろうか?
それは海中での太陽の光の反射が原因らしい。
色は元々、物質ではなくて光に含まれているものらしい。
光の中の波長の違いによって、色の違いが生まれる。
七色のグラデーション。水を撒いたときの虹や、
スペクトルを使った虹も、その原理によるものらしい。
日中、海に降り注いだ太陽の光は、
赤色の波長を海中で吸収されてしまう。
そして逆に青は海中で反射が起こるので、
海は青く見えるそうだ。
それを知るまでは、地球が桃と水風船のあいのこ
みたいなものだと乱雑な教えかたをされていた。
中心に芯があって、周りに薄い膜がある。
その中に水という果肉が詰まってて、
重力が無くなれば丸ごと破裂するんだというふうに。
これはなかなか的を得た教え方ではあったけど、
説明としてはちょっと複雑性に欠けた。
おかげで僕の中で出来たイメージはこんなものになった。
「空から海にかけて、グラデーションを帯びた青の場所」
それが地球。
いくら小学校の低学年だったにしても、
僕だって空と海の分別ぐらいはその年にはちゃんとできてた。
それでも地平線がぼやっとしてる日には、
「海と空の素は同じなのかも」と考えてた。
今考えると、そう思った一番の原因は
共通する青のせいだったんだと思う。
同じ頃海辺の水族館に家族ぐるみで旅行に出かけたとき、
僕は水時計を買ってもらった。
上下が薄い水色らしい水色、そして時計の部分が透明の
プラスチックでできた円筒に、透明の油が詰まっており、
筒の中心から外側にかけては、目に見えにくい
透明の螺旋状の坂が据え付けてあった。
時計を引っくり返すと、強烈な青いインクが
一滴一滴滑り落ちる。
均等な形を保ち、坂の上を等間隔一秒刻みで
落ちるのは幾何学的で美しかった。
買ってもらって暫くの間は、僕は時計を目の前に置いて
三分の間ずっと身を固めたまま眺めてた。
それから慣れてくると、三分経つ前に
むやみに引っくり返すようになった。
更に慣れてくると、下に落ちたインクが
底の収納されていく穴に落ちないよう傾け、
青がたくさん溜まるのを楽しんでた。
そうするようになってから次第に扱いも悪くなって、
透明板の坂の隙間にインクのカスが張り付いたり
インクが細かく分散するようになっていった。
僕は何度か水時計を軽く振ったことがあったからだ。
水時計を使ってるうちに、不思議に思ったことがあったから。
もしこのインクと透明の液体をめちゃめちゃに混ぜたら、
一体どうなるんだろう?と。
そして最後にとうとう僕はそれをやった。
水時計が壊れる覚悟で。
元に戻るとはなんとなく思わなかった。
「僕が思い切り振ったらきっと壊れる」
漠然とそう思っていたので、それまで振ることができなかった。
でもとうとう僕は思い切り水時計を振った。
それはもう想像以上でした。
血痕みたいに崩れたインクが粉々になって飛び散り、
水時計の中は吹雪のように青で荒れた。
透明の板に吹き飛ばされないよう張り付いた青を見て
僕はもっと振って、青と無色とでめちゃめちゃになった
光景にとても満足した。
水時計はそれから均等にインクが出なくなり、
インクのカスも至るところに張り付いて取れなくなった。
壊れたと思ったけど、妙に僕は満足だった。
それでも、僕は捨てずにそれを暫く取っておいた。
べつに取っておきたいという感傷的な気持ちが
あった訳じゃないけれど、
折角買ってもらったものを目茶目茶にして壊したのが
両親に知れたらとても恐ろしい気がしたから。
僕の両親は滅多におもちゃやお土産を買ってくれなかった。
でもその時は僕が水時計を欲しがってるのを見て、
父親が「買ってやりたい」という顔をして買ってくれたのだ。
水時計を壊したのが知れたら、水時計だけじゃなく
別のものも壊れる気がした。
だから、どちらかといえば僕は
隠すようにして水時計を机にしまっておいた。
ニ、三日して何気なく机の引出しを開けたとき、
忘れかかっていた水時計が目に入った。
無視できなくて手にとると、
混沌としたインクがいまだに中で舞っていた。
それから全体的に色が変色していた。
黄ばむかと思っていたが、むしろインクの色が抜けて
完全な透明になりつつあった。
もうすぐインクと油の区別がつかなくなると僕は思った。
そこにあったものが、すべて無くなると思った。
その時決心して僕は水時計をこっそり持って、
何処か遠い場所に置いてこようと思った。
捨てる勇気は無くて、どこか家族の絶対目につかない
遠い場所に置いてこようと思った。
何処でも良かったんだけど。両親にさえ見られなければ。
結局、僕はそんなに遠くはない住宅地の一角で
塀の上にこっそり置いて帰ってきたと思う。
物凄く露骨なおき方だったけど、
それが両親に見つからない保証だけは
なぜか自分の中であった。
それに僕は、誰か知らない人に
見てもらいたかったんだと思う。
水時計のぶっ壊れたところを。
なぜだか分からないけど。
話は随分遠回りしたけど、
僕の中では地球の青のイメージと
水時計のその話がなぜか直結してる。
地球=水時計
それもたぶん、青が原因になって。
桃の芯と水風船の話を聞かされてから、
小学校の文化祭で水風船の係をやらせてもらった事がある。
僕はその時、余った透明な水風船に、
丸い石と、絵の具で青に染めた水を入れた。
石は中心には残らず、水風船の底でぶよぶよ浮いていた。
青色だって大したことなくて、風船の外からじゃ
なんだか色もよく分からなかった。
それでも最後に壁に投げつけた時、
破裂する瞬間が地球を思わせた。
僕はそのうち何かとてつもないものをぶっ壊す気がした。
そういう気持ちが、今でも僕にはある。
鯖落ち保守
保守
昼起き。
目が覚めたら既に部屋の窓が開いていて、
温まった陽気が布団を横断しする。
日影のせいで、少し冷えた風が吹き込む。
寝ている間に母親が来て、
空気の入れ替えをしていったらしい。
容赦ない昼間の光が眩しくて目を細める。
三時間だ。昨日寝たのは三時間。
一旦目が冴えた状態で床に着くと、
僕はすぐに眠ってしまうけど、そんな時は
目覚めるのも早い。夢も見ず、
眠りと目覚めが直結したような気分で目を醒ます。
寝足りないと感じるが、寝付けない。
けれど一度きっちりと目が覚めてから
また眠気の波が来る。
そこから昼まで寝た。
それでも五時間か、寝たのは。
昨晩もチャットに溺れてた。
ポストロック、シカゴ系というのかな、
その辺りの音楽を物凄く語ってくれる人
がいて、話込むうちに朝方だった。
最近のチャットは音楽も流せるらしくて、
紹介してくれる時とても便利。
チャット部屋に居座ったまま本人は寝て、
音楽だけを流しっぱなしにしている人も
いるらしい。面白いね。
これはまた、一時のはまっていた時の
ように入り浸りになる予感。
迷惑メールがに大量に携帯電話に来る。
昨日は30ぐらい来た。
単純なメールアドレスが良くないのは
分かってるけど、気に入った名前があっさり
とれて喜んで使ってたのにな。
メアドも新たに変えなくちゃならないかな。
勘弁してほしい。
クリスマスの手紙は昨日投函した。
今回は余裕を持ったつもりだったけど、
世界中から手紙が届くことを考えると
それほど早く出したという事でもないんだな。
イオンやトイザラスでも手紙の受付を
始めたらしく、申込用紙を店頭で見掛けた。
子供らどのくらい申し込むんだろう?
ショーケースのおもちゃもクリスマスに向けて
いつもより華々しく飾られている。
あの人に会いたくなってきた。
次に会えたとき、何を話そうか考えている。
今日はいつもと変わらないはずなのに、
今日もあの人に心が乱されている。
あの人と自分が、これからどうなっていくのかが
気にかかる。
あの人の気持ちがこちらに向くよう、
毒を吐いて仕向けてる。
僕がそんなやり方をするのは見当違い。
でもあの人に僕はずるくなる。
罠を仕掛け、あの人が捕まるのを
にやりとしながら待っている。
気持ちを掻き乱されるのが嬉しい。
もっと罵倒されたい、そして
もっと意地悪く接して、苦しめてやりたい。
そして最後には僕の思うまま、
あの人このを掌に転がしてたい。
悪い所がみるみる出てきた。
独占欲の強さが。
このままじゃいけない。
やばいな、もしかしたら僕はあの人が
好きなのかもしれない。しかも悪い方向に。
まずは、自分自身を静観しなくちゃいけない。
一旦落ち着いてみるべき。
これが恋愛じゃありませんように。
恋愛じゃない
ザ・ギバーという本を読んでます。
一応児童向けの本らしいのですが、
これは大人にも充分メッセージ性があるなぁと思います。
まだ3章ぐらいしか読んでないけど。
今のところまでで分かってるのが、
生殖まで管理された世界で、それまで何の
違和感も感じずに生活してきた男の子が十二歳になり、
じきやってくるコミュニティでの審判で
「職業分類」されることに対して不安を
感じ始めている、というあたり。
内容に似つかわしくない表紙のおっさんの写真が、
今のところは???ですが、
久々にのめりこみそうな本です。
-------------
ザ・ギバー 記憶を伝える者
ロイス・ローリー/掛川恭子 訳
昨日まる一日遊びほうけて、帰ってきたら思った以上の
用件が僕の手元にたまっていた。
此処やあちらへの書き込み、読みかけの本、
書きかけの作業、卒論のマンネリ化とチャットのお誘い、
注文しようと思っていたCD,そして友人からのメールの返信。
書き込み関係に関しては午前中に済ませるつもりだったけど、
ちっとも終わらない。書きたいことや何かしてきた時ほど
書くことそれにかかる時間が増えて、なかなか思うように進まない。
感情と動作が反比例する。
少し急ぎ気味の走り書きに今反省してるけど、
ペースは変わらない。急ぎ気味の書きこみ。
昨日はスイレンやカヌレ、根子市にキッチンという
大挙で一日中遊び回っていた。久々に散財してしまう。
でもこういうのが今の自分の世代のフツウの遊び方なのかな、とも思う。
喫茶店でポタージュスープを飲み、
他の連中が紅茶やコーヒーを頼み、
僕の隣りでキッチンが、ぼんやりしながら天井に向けて
煙草の煙の輪を吹き上げてるのを見ていた時にそう思った。
キッチンは恋人と別れたそうだ。
分かれたと言いつつも、始終茶化していたから
どういう流れでそうなったかは最後まできけなかった。
突っ込んだ質問もしたくなかった。
ただ本人が言うには、相手は同じ職場の人だったらしい。
つまるところ、今も同じ場所で働いている。
そして「クリスマスや正月一人はイヤだ」とぼやいては
「タマ、今年は忘年会を俺とやろう…」と言う。
「そんでエロ話大会とかやろうよ。その後みんなでヘルス行こう」
僕が答える前から女子連中からブーイングが飛ぶ。
勿論、みんな冗談だと分かって言ってるのだけど。
たぶん冗談のはず…
僕はやたらくっ付いてくるキッチンから身を引きつつも、
去年は恋人と過ごしたのかと尋ねると、そうだと彼は言った。
職場では気まずくないの?と尋ねると、
「気まずくはないね。友達感覚で今でも接してる。
そうじゃないと仕事もできんからね。もう大人の割り切った関係」
と珍しく真面目に答えた。
僕は、根掘り葉掘り尋ねる自分が子供っぽく思えた。
「合コンやるんだよ。お前もおいで」
「俺はタマのこと心配してんのよ。分かる?タマタマちゃん」
しかしここまでくると余計なお世話だ。
それでも彼は彼なりに元気に喋ってたので、少しほっとした。
キッチンの行動力はすごい。
昨日の友人集めや出かける場所の手配も、
彼が一人で全部やっていた。
僕は当日呼び出されて身一つで行けばいいだけだった。
そして彼は人に尽くす。
団体で集まる時に誰を呼んだら気まずくなるか、
誰と誰が一緒に居るとどんな盛り上がりになるかまで考えて遊びに誘う。
スイレンはそれほど根子市とは親密じゃないが、
ちゃんと彼らの潤滑剤の役目になるように
キッチンは僕とカヌレもを呼んでいたような様子があった。
勿論、純粋に一緒に遊びたいという意味合いでも
誘ってくれたのだけど、
そのあたりのメンバー調整はお手の物だ。
もしカヌレと根子市とキッチンで遊ぶなら、
キッチンは平気で部外者(僕らの知らないキッチンの方面の友人)
を誘っていたと言っていた。
僕みたいに好きな相手とだけ遊ぶというのじゃなくて、
時には友達と友達を引き合わせたりもやっている。
だからキッチンが僕の心配をしてるというのも、
満更じゃないのかもしれない。
彼は人の面倒を見るのが好きだ。
それでも、親分肌で接する訳じゃないので
自然と皆が馴染んでいく。
「好きな人がいると絶対いいよ」とキッチンは言う。
「相手のために頑張ろうと思うし、そういう自分も好きになる」と。
僕は、キッチンは結構間抜けなことを言うやつだと思っていたけど、
彼は何度もそうやって自分を高めてきたんだと思う。
何かに燃え尽きられるのが正直羨ましい。
キッチンの場合、それが恋愛だったという話だ。
僕にもまだそんな気持ちはあるのかな。
僕は今、自分でもよくわからない場所に立っている。
夕飯を食べようと思うけどもう少しあとに。
ここ数日の夕暮れ、日が落ちた後の夜空が
とても秋らしく感じる。どこをもってそう思うの?と
聞かれると困るのだけど、まだ薄明るさがあったり、
雲が高い位置にあったりとか、そういうところで秋を
感じるんだと思う。
天気もずっと良くて、高い空の下を歩いているだけで
結構気持ちよく感じる。
僕は高校のとき、担任の勧誘で実は科学部に入っていた。
元々は中学からの継続で美術部に入ったのだけど、
あまりにも活動がなく、ほぼ美術の課題をやるだけの
帰宅部に近い状況だったので、毎日暇だった。
それを見かねてという訳じゃないけれど、
たまたま科学部顧問だった担任が、部員がないと
部が潰れるということで勧誘に躍起になっていたので、
名簿貸し状態でもいいという話だったから
僕は科学部に入った。
正確に書くと、カヌレやスイレン、キッチンという
例のメンバーがことごとく科学部に名義貸しをやってた。
キッチンに関しては元がアルバイト生活の帰宅部だったし、
サイタマは運動部にいて科学部には所属さえしてない
完全な部外者だったのだけど、科学部行事には参加してる
という変なかかわりをもっていた。
そういう訳で、一応高校生の時に固まっていた僕らは
実は科学部仲間という変な繋がりも持っていた。
中学時代に僕が入っていた美術部は、油絵やら
硝子絵などの共同制作をやらやるで、
部外者から見ても精力的な部活だった。
しかもほとんどの部員が一度運動部に所属して
挫折してきたという人の掃溜めの場でもあったから、
面子がまったく訳のわからない顔ぶれで面白かった。
それはともかく、僕らが高校で科学部に入った理由も
一応はあって、(名義貸しだけにしても、科学部っていうのは
マニアックな集まりの印象が当時強くてイメージが悪かった)
それが春夏の連休に行われる星座の観測会だった。
観測会は春休みの終わり、ゴールデンウィーク、
夏休みの前半に流星群がやってくる頃合に合わせて
毎年三回ほど行われていた。
毎回下準備に学校の美品である毛布を出し、
屋上にはこたつを出して決まった日の夜から翌日にかけて
部員と顧問が深夜交代で流星の数を観測する。
いかにも科学部らしい活動に思われるけど、
観測自体は2時間交代な上に部員も男ばかりだから、
さして期待するようなロマンチックなものもない。
(屋上に毛布をひいてコードを引いてきたこたつで
観測っていうのは、情けないものがあった)
それでも名義貸しをした僕らは、勧誘の時点でその話を
聞いたとき、全員が全員同じ事を考えていたのが後で分かった。
つまり僕らは、「なんでもいいから夜の学校に
一晩泊まってみたかった」わけです。
観測当日、連休にも関わらず部活をしていた
野球部員たちと入れ違いに僕らは学校に行った。
一応は制服で行って、夕飯を買い込んで学校に到着し、
私服に着替えて時刻になるまで好き勝手に過ごした。
いつもはとうに帰っている時間に夜間生がやってきて
授業を受け、その邪魔をしないようにしながらも
僕らは黒板に落書きするやら、宿題をやるやらして
適当に時間を潰す。高校の自動販売機は飲み物の
販売時刻が決まっていたので、時間を見計らって
コーンポタージュを買ったりして過ごした。
その後に昇降口が閉ざされ、一階と三階の渡り廊下が
封鎖される頃には僕らの気持ちも高ぶってくる。
学校中の入って構わない廊下の電気を全部つけて歩いたり、
一つの階を全部使ったかくれんぼやら、廊下を全部使って
嫌いな奴の体操着の袋でサッカーをしたりと、
なかなか宜しくないこともやって遊んでいた。
おかげで観測そのものの思い出は物凄く薄い。
元からの部員でプレステやノートPCをこっそり
科学室に持ち込んで遊んでる奴らもいて、
その辺はバレなければ自由といえば自由だった。
僕らは観測前になると科学室に集合して
説明をきいたりしたけれど、それ以外の時間は
比較的に何処にいても平気だったので、
部室近くの教室に居座って、
机を寄せてその上で平気で寝たりしていた。
大体が皆奥手なので変な事態になるということは
決してなかったけど、かえって一晩しんとした場所で
一緒に過ごすことで、進路の話をしたり思わぬ話に
至ったりで、共感するものを感じ取っていたと思う。
存外バカ行事じゃなかった。
さすがに素の煙草を持ち込むといったようなことは
誰もしなかたけれど、カヌレが禁煙パイポを持ってきて、
全員で吸い始める、という光景は凄く面白かったな。
煙草嫌いの人も一緒になって吸って、妙な連帯感があった。
そして僕が一番好きだったのは、
夜中から朝方にかけての時間だった。
だんだんと空が薄らいでいく中で
肌寒さを感じ、校庭に鳩が集まってきて
地面を突きはじめるのをぼぅっと眺めているのが
好きだった。
校舎の影で四角い影が横たわる中、
藤棚の零れ日が糸のように広がって
新しい印象を与えていた。
日で地面が暖まるにつれて雀が飛び回り、
鳩が飛び去り、眩しい地面だけが残る。
外に出て、その場所まで行ってみんなのいる
この教室のほうを振り返ってみたいと思った。
でも昇降口は施錠されている。
僕らはある意味で閉じ込められていた。
一方で、東からの光を前面に受け、窓の形をした
四角い光の橋を、一歩一歩辿るようにして
廊下を辿るということもやった。
昨晩の狂ったサッカー、大笑い、狂乱が嘘のよう。
限りなく上がっていたテンションも何処かに消え、
一夜明かし、疲れ切った人たちは口数が少なく、
睡眠不足のままぼんやり朝日を眺めている姿は、
夢見心地のようだった。
明後日、同じ場所で授業が始まっていくのも
本当か嘘なのか、判別がつかないといった感じに。
そんな場所で、うかつにも僕は、
「日っていつもこんなに明るかったっけ?」と、
何のためらいもなく言ってしまう。
そうして自然と、まだ起きていた誰かがそばに立って、
「眩しく感じるよね」と答えてくれる。
あの時はそんな人が、同じ場所、すぐ隣りにいた。
青春なんて、と馬鹿にしながら
ちゃっかり僕らは青春を謳歌していたと思う。
今日はバイト。ちょっと気味悪い会社だった保守
夕飯後2時間ほど寝て目覚める。
今日の出来事を少し。
今日の変な腹の立つバイトのあと、
おなかが空いたので、近くにあった古めかしい
パン屋でパンを買った。
入り口の外に。「焼きたてパン」と書いた
山形食パンのかわいい看板がある店。
店内はオレンジ色の照明が灯り、
オレンジの花形トレイの上にパンを取る。
小さな昔からの個人店らしく、内装が70年代風。
花やコカ・コーラのステンドグラス・ステッカーが
窓硝子に貼り付けてあり、客足も無く、
売り子が妻で、職人が夫というそんな店だった。
僕は五穀パンとハムタマゴサンドを買って、
近所の神宮の境内で食べた。
鳩にパン屑を分けながら来訪者を眺めていると、
平日に案外多いのはカップルとサラリーマンだと知った。
カップルは何しに来ているのかがいまいち分からない。
サラッリーマンは、出張に来たついでに参拝してるらしい様子。
その神社がけっこう有名で大きな場所だからだと思う。
賽銭をなげた後、砂利石をわざと引きずるようにして
歩いて遊んでいたら、猫がこちらを見つめながら
通り過ぎていく。美しい灰色の毛並みの猫。
こちらを一瞥し、「何か」で目を伏せて、「来た」という顔で
そっと木立の中に消えていく。
その様子を横目で長めながら鳥居を潜り、
柱に貼り付けてある榊を振り返りつつ眺めていた。
おみくじやお守り売場には巫女さんが座っている。
懲りもせずにおみくじを引いてみたところ、
吉が出た。先月に引いた時と同じ結果だ。
でも、開運色が銀色と出た。
すぐに此処の事を思い出して、少し嬉しくなった。
おみくじの箱を返す時、巫女さんが袖の袂を
物をつかむ方と反対の手で押さえる仕草が印象的だった。
神社の巫女さんは、一応処女じゃないとなれないらしいと
聞いたことがある。とはいっても、まさか経験者か
そうでないかなんて、面接の時に本人に尋ねやしないだろう。
未婚者か既婚者かで巫女さんの採用不採用を決めるんだろうか?
そういうのは宗教上の決まりではあるにしろ、
セクハラ問題に相当はしないのかな。
そこには男性の袴履きのお遣いさんもいたから、
僕も雇って欲しいと思った。
男性はおじさんばかりだったから、
童貞かそうでないかの判別は関係ないと思うけど、
僕はどっちでも構わないから採用して欲しいな。
昨日今日とアルバイトがあったが、
あまりにもふざけた会社だったのでブチ切れて帰宅。
明日ちゃんと辞める電話をしなくちゃならない。
本当に酷いところだった。
何がひどいかというと、そこのお偉方が人間として
本当にクズだった。十分に仕事も教えないうちから、
「これだから学生は何にも出来ない」と文句を垂れて、
仕事の説明の代わりにソフトにまつわる話ばかり
だらだら説明する。
ソフトというのもその会社がプログラマーを雇って
自社製作したもので、非常に分かり辛い。
ショートカットキーを使わないと怒る。
(ショートカットキーが慣れない人間にとっても早いもの
だと思い込んでいる。しかもキーの割り振り説明が曖昧)
そしてそのソフトが使えないことで僕らが使えないやつだと言う。
情報処理科の青年の打ち込みが遅いからという理由で、
影で「あいつは履歴書を詐称してる」と言いはる。
お前がまともな説明一つできないからだろうが
クソオヤジが。
ふざけてるのが、求人内容と実態が全く違っていること。
時間の融通の利く、簡単な文字入力のできる人募集という
ちらしだったのに、全て向こうの都合で出勤日を決める。
五分ほど練習しただけの入力が遅いだけでキレる。
入力を1時間前に教わった人に10分ほど教えてもらっただけ
の操作が出来ないことに腹を立てる)
仕事も三種類あって選べると言っていたのに、
こちらに選ぶ権利など無い。予定が一切知らされない。
時給も不鮮明。解雇も相手の気分次第。
大バカ野郎としか言いようが無い。
僕がこの男らを審判にかけれるなら、間違いなく
地獄の業火で焼き尽くしてやるのに。
このオヤジはかくあるごとにイヤミを言う。
「昨日のどこかの大バカのせいで仕事が」云々、
「もう辞めてった奴もいるが―-」
「あんたは手(打ち込み)は早いけど頭の回転がバカだね」
等など、フツウに人と接していて言う言葉じゃない。
一番可哀想だったのは、気の弱そうな女の子だった。
作業のグチに絡めて、外見の良し悪しを
このクソ野郎になじられていた。
外見なんか仕事と全くもって関係ない話なのに。
そこで僕も限界が来て、余っていたプリントに
全部そのクソ男の悪口をペン書きして、
そ知らぬ顔をして帰ってきた。
今思うと破って捨ててやればよかったと思う。
外見に文句をつけられた子は、美人じゃなかったが
子供っぽいかわいい人だった。
その子は我慢してその場では笑っていたけれど、
帰りは一人で泣いて帰っていくのが窓から見えた。
あのクソ野郎のせいで心に傷を持ってしまったなら、
とても不憫に思う。僕もせめて何か言ってあげられればよかった。
書いてても段々腹が立ってくるだけで
気持ちが収まらない…
なんであんな奴が「努力してきた人間」
という自信と誇りを持って生きてるんだろう。
それが自己顕示欲と我のごり押しだと
さっさと気付けないのかな。
「俺が会社を興した」
「俺が作り上げてきた」
腐った自負が自分を助けてくれた人々を殺す。
無かったことにする。
そしてさびれた町を歩いた時、わき道でひっそり経営する
小さな店を鼻にかけて笑う。
自分との違いを笑っている。
ああいう店は確かになぁなぁな部分があるけれど、
愛すべきところがある。愛嬌がある。
軒並み並んだ商店街が、のんびりした微笑ましい一つの雰囲気を作る。
そういうのをああいった男は理解しない。「負け犬」とか言う。
負け犬という言葉をもった人間が実際は一番の負け犬じゃないのか?
これだけ文句を言ってもまだ収まらないぐらい
いいたい事はあるが、
あんな奴の下にも同僚や社員がいるから不思議だ。
しかも、そういう人たちはとても親切で優しかった。
その人たちの事を思うと複雑な気持ちになる。
そして、彼らはパソコンが出来ない人だった。
明日はその人たちのどちらかが、きっと電話に出るだろう。
あのオヤジは地獄に落ちて欲しいが、
他の人たちにはあまり迷惑かけたくないな。
-------------------------------------
激情にまかせて愚痴を連ねてしまいましたが、
愚痴はここまで。あまりに腹が立って、
愚痴を書き始める前に注意を呼びかけるのを
忘れてしまいました。不快に思ったひと、ごめんなさい。
今日はベビースターの札幌みそラーメンと
噂のチョコレート菓子、ショパンを買った。
みそラーメンはかなりの感動。本当にみそラーメン味だ。
ショパンは何かのチョコ菓子に味が似てるなぁと思う。
今日は明日に備えて早く寝よう。
光輝く銀色の夢を見たい。
おやすみなさい。
保守
昨日は朝方まで傷の舐めあいをしてた。
お陰で膿が出て、あまり思うことが今は無い。
それが良いやら悪いやら、やや謎なところ。
今日はミスタードーナツで昼を食べる。
数年前スイレンと高校近くの駅で待ち合わせをして
夕飯をミスドで食べようとなった時、
行きの電車に乗り合わせた男子高校生三人組が
なぜか話し掛けてきてた。
「今からミスドにメシを食いにいくんだよ」と言ったら、
「そんなんオヤツじゃん!」と言われ、全員で大笑いした。
夕飯にドーナツ食べた訳じゃないんだけどな。
頼んだのは飲茶系のセットだった。
今日はシロップケーキを食べる。これがとても甘くて美味しい。
僕の中で今までメープルマフィンが一番だったけど、
これが出てから、好きなドーナツ一位が入れ替わった。
帰りの電車の中で、久々に車窓の景色を見る。
まだ四時に少し遠い時刻、たなびいた薄い雲に太陽が
見え隠れし、柔らかい光を地上に落とす。
東の車窓からは離れた町並みが太陽に向かって
立ち尽くす人の群れのように見えた。
背後に薄く影を背負った群集。
西には昨日の雨を貯めた、田畑の凸凹が光を反射し、
空の薄青を映している。
コンバインが通った後の三日月型に反った窪みに、青の反映。
時おり光の筋が地表に降りて、
空の景色を散らすように見える。
自然とあの人のスレタイを思い出した。
寒くなってきた所為で、
道端のあちこちの木の変化を実感してきた。
古めかしい家屋の生垣に立つ、
万両の木の実が赤くたわわに実っている。
街路樹はドングリの実をつけたり、
木の実を破裂させて、その罅割れた割れ目から
黒の種の顔を覗かせている。
先日車でショッピングセンターに出かけたとき、
店から駐車場までの間にある街路樹から
硬い木の実を一つ毟り取って、車の中に放って置いた。
家の庭にでも埋めようかとその時はおもったのだけど、
硬くて中身が取り出せず、結局そのまま忘れてしまって
2〜3日車内に放って置いたものだ。
そして車にまた乗る機会があって、何気なく木の実のことを
思い出して見てみると、見事に殻が割れて種が顔を出していた。
原因は多分、車内が暖かかったせいでの乾燥。
何のことはないけど、僕は一人でかなり感激した。
かなり感激したせいで、サイタマに「実が割れてた!」
というメールしたぐらい。
この季節でも元気な強い木は、
深緑の強靭な葉の木ばかりだと思う。
その他のものは赤や黄色に色つき、散り落ちて茶色く濁る。
ヒイラギの尖った暗い葉に、寒い気候を強く見る。
17:34
今はもう外が真っ暗。
今年はまだ温かいほうだそうだけど、これからもっと寒くなるだろう。
そろそろマフラーを引っ張り出してこようかな。
保守
保守ありがとう。
最近サボりがちなので、反省してます。
学校帰りにチューペとミスタード−ナツで時間を潰す。
僕が大抵の温かい飲み物が飲めない所為で、
学校帰り、冬場になると大抵ここに通い詰める。
彼女は八穀小豆とお茶のセットを注文し、
僕はスープを頼んだ。
紅茶やコーヒーが飲めないと不便を感じる。
友人同士で何気なく立ち寄った店で、
「僕は飲めないから」と言って店を変えてもらったり
自分だけ先に帰るのは、場の空気を悪くする。
スターバックスには当然行けず、
名古屋人御用達のコメダ喫茶に行っても頼みたいものがない。
間に合わせとしてメニューに置かれたコーンポタージュにも、
さすがにそろそろ飽きてきてしまった。
そこでミスタードーナツが重宝される。
少なくとも常に二種類はスープがメニューに載っているから。
今年は深茶セットというのもあって、いいなと思ったけど
それは餡もののドーナツしか注文できない模様。
常連のよしみでなんとかしてくれないだろうか。
チューペは店の席で、ずっと彼女の友達の愚痴を
こぼしていた。「その子の彼氏がね、」という話。
僕の方は夏休みの告白があって以来、そういった話を
彼女とする時は多少やきもきさせられるのだけど、
彼女のほう屈託が無いから、平気で恋愛話を持ちかけてくる。
まだ僕と付き合う気があるのか無いのかが、
普通に話してるだけじゃ分からない。
彼女は皆といる時も、僕と二人でいる時も、
平気で「タマ君と私結婚するんだよ」と冗談っぽく言う。
彼女は真剣に言った試しがない。
告白された時も、冗談っぽくさらりと言われて、
「無理だよ」と言った時点でさらりとかわされた。
それがどこまで本気なのかが、僕にはよく分からない。
名前入れるの忘れてた。
そういう軽い調子が、彼女といて楽になれるところ。
でも、その所為でか分からないが、
僕は彼女とのそれ以上の関係が想像できない。
とても近いと感じるのが、幼稚園ぐらいの子供が
「おおきくなったら結婚しようね」と軽く約束してしまうあの関係だ。
異性という事を気にし始めて、
あの話は有効なの?無効なの?と、
後々になっても気を揉んでるのが僕なわけだ。
それでいて、彼女は何気なく僕を独占しようとする。
独占というのはなんだけど、何人かで話をしている時に
彼女は僕だけを引き抜いて別の場所で喋ろうとする。
つまり、今日のミスドでの時間潰しがそれだった。
そしてその話の内容が、「その子の彼氏がね、」
というものだったということ。
彼女と話すのは好きだから別にいいのだけど、
どうせ大した話で無いなら皆で喋ればいいのに。
と思ってしまう。
そんな事を考えながら、話を半分聞きで
僕がぼんやりしてたら、チューペが「お茶飲む?」
と空になったカップにお茶を次いでこちらに回してきた。
僕は「うん」と言って飲む。
それを見て彼女が嬉しそうに笑う。
それを見て微笑返しをして、なんとなく
もしもこんな雰囲気で彼女が強い押しをしてきたら、
僕は知らないうちに彼女と結婚することも
あり得るんだろうな。とぼんやり思った。
そして「そんな訳ないか。」と思い直す。
散々曖昧にしときながら、結局は最後に断るんだろうな。
その結婚が自分の意志と反したものだったら。
ジンジャエールの金色の入ったグラスをかき回しながら、
彼女の手に持った深茶の淡い湯気を見つめて、
「湯気と冷気、」と思う。
一見似てて、簡単に馴染むようでいて、
僕らはまったくの異質だ。正反対の性質。
本心をなかなか表に出さない。
感受性が強い。誕生日さえ近い。
でも近くて遠い人。なんでだろう。
でも彼女は一番素直に僕が甘えられる人。
象徴的な事項が目の前に並んでる。
ちょっとハッとした気持ちになって、
会話が途切れてる間、「もっと喋ってよ」と僕が言った。
「なんでもいいからもっと喋ってよ。なんか聞きたいから」
「いきなりどうしたの?」と、チューペは笑ってた。
「別に」と言ったら、
「アナタいっつもそればっかだね」と言って、また彼女が笑った。
その後は相性占いの話になる。
何か感づいてるのかな?と思いつつ、
探るように僕も話す。
「タマ君獅子座でしょ。私乙女座なんだよね」
とチューペが言った。
知っていたが、ふぅん。とだけ言った。
相性占いが当たるのかも半信半疑。
彼女が携帯電話でどこかのサイトで占いをやる。
結果は最悪。思わず二人で爆笑する。
「でも大丈夫だよ。占いってテキトウだし」
そう言いつつも、彼女は気にしてるようだった。
思わず「俺ら相性いいから関係ないわな」と付け足しておく。
その後、彼女が僕の目を見て、含み笑いしてる姿が
可愛いと感じた。
傷を癒さないと毎日を過ごせないように思うよ
傷ですか。
結局今の馴れ合うような関係が無くなるのが、
僕は嫌なのかもしれないです。
満足とは言わないけど、居心地の良さも感じてる。
だらしない馴れ合いの居心地の良さというか…
そんなものですが。
少なくとも卒業式まで返答保留にしたのは、
学校に行くたびに彼女と顔を合わせて、
気まずくなるのが不安だから。
でも、なんて言うんだろう。
本当のところ、僕の中じゃ彼女との関係を
どうするかはもう決まってるんです。
今すぐ付き合うか別れるかはっきりしろ。と言われたら、
おそらく僕ははっきり答えることができる。
ただ、いまのところ彼女を見ている限りは、
返答は曖昧にしておきたいような雰囲気があるので、
今は保留してるんですが。
何書いてるんだろう俺は…
623は気にしないでください。
線路沿いを車で走っていると、
金色の埃っぽい穂を膨らませたすすきと
セイタカアワダチソウが交互に並んで揺れていた。
寒くなってきたところで雑草がどんどん生え変わっている。
猫じゃらしや線香花火みたいな形の雑草が
いつの間にか生い茂り、とうに枯れて道端に埋もれてる。
雑草の中に所どころ円形の渦出来ていて、
鳥が巣を作ろうとした跡のようなものがあった。
買い物に寄った近くのコンビニエンスストアの脇を
少し歩き、刈り入れのすっかり終わった畑の淵を歩いてみる。
根元で切れた稲の跡。
まばらな枯れ草の積もったものが一面を覆い、
針の折れた剣山のような面があちこちに並ぶ。
雀や鴉が地面をついばみ、コンバインが分別した後の
稲のもみ殻が畑の隅に山積みされている。
それを勝手に手に救い、感触を確かめた。
金色のからからした抜け殻が、ふっとした風で舞う。
セーターに着く。スニーカーに入る。
強風を見つけて宙に投げ、紙吹雪みたいに散らして満足する。
罅割れた薄い色合いのアスファルトの上を
虚しく走り、また何処かの雑草の中へと混じりこむ。
今日はあんまり何も考えない日だった。
頭の中をいろいろなことが思いつく割に、
そこから先、どうしようこうしようという考えが湧かなかった。
いわゆる、「ぼうっとした」日。
ぼうっとするのは好きだけど、これでいいのかなという
不安も付きまとう。
先日チャットをしていたとき、二時を過ぎても僕は
時間を気にしていなくて、話していた相手に
「(僕が平日いつも通りに起きて学校に行くのを知っているので)
いつもあんまり寝てなさそうだから、今日はもう寝ようか」
と言われた。
僕は寝ることにたまに不安を感じる。
睡眠不足は耐えられないくせに、
明日が来て欲しくない日がある。
いつも自分を取り巻く空間と、
たまに全く別のところに居たくなる。
誰か知らない人が、
どこか遠くに連れてってくれないかな。
やや気分沈みがち。
どうしたの?
いつもの気分屋です(・く_,・`)
心配かけてすみません。
連日の雨で寒さがきつい。
部屋にあるちっとも温かくならないファンヒーターを
出そうか出すまいか迷いつつ、二日ほど過ぎた。
ラベルをコーティングしたゴム質のシールが溶けて、
粘着状の粘りを帯びて埃を纏っている。
使う気が更に半減した。
ガスファンヒーターが欲しいけれど、
僕の部屋にガス栓はさすがにない。
家に居る間、約束していた手紙や年賀状の準備を始めた。
自分が年賀を出す相手の数は、たかが知れているけれど、
家族の分もまとめて僕が刷る役割分担なので面倒は面倒。
それでもまとめてみると四十枚ぐらいしかない。
何かを見るには五十人分の目が必要だ。と彼女は思う。
五十組の目でも、あの一人の女性を十分に見るには
足りないぐらいだ。
一番欲しいのは、空気のような感覚。
精巧にできた、人には見つからない感覚。
Virginia Woolf 「To The Lighthouse」
/ヴァージニア・ウルフ 「灯台へ」
家族が家にいない。僕は一人で家に居る。
どういう偶然か、今朝から家族がみんな病院に行っている。
しかもそれぞれ違う診療科。風邪がうつった、という類じゃない。
母親に「悪いけど、ごはん炊いて食器だけ洗っておいて」
と言われ、ついさっきまでシンクの生ゴミの処理をしていた。
くしゃみが出る。
お湯を使わず我慢して水を使ったせいで、
僕も風邪をひいたかな。
>>631は、僕がいま卒論でテーマにしている本。
初めは僕には難解に思われたけど、
読み返して分かっていくうちにどんどん好きになってくる。
分かれば分かるほど、雑然とした動作、感情が感じられて
それぞれの人たちの姿が明確に思い描ける。
登場人物のリリー・ブリスコは理想的な人だな。
全体を見守る姿勢と、自分の意志を尊重する姿が好きだ。
この人は最後まで独身を貫く人だけど。
雨上がりの朝、空は晴れ渡って暖かい陽射しが降り注ぐ。
日向の温まった場所にのんびり居座って、
擦り潰して、氷入りのグラスに入れたオレンジ・ジュースを飲む。
毛布にくるまって、半分うとうとしながら。
以前より白く汚れた窓硝子に陽射しの光が分散され、
薄らいだ眩しさが見える。印象派画家の絵のよう。
ルノワール、スーラが描いたような、
淡い色調の光景がそこにはある。
窓を開けるのはもう少し後。
締め切った部屋で、埃が日に焼けるような匂いを嗅ぐのも
僕は嫌いじゃないから。
「結婚しようよ」という言葉は、ある種の呪いだと思う。
先日の飲み会の席で、僕は笑いが止まらなくなるぐらい
ある人に「結婚しよう」と言われた。
本当に僕は浮かれて爆笑してた。
当然、相手の頭はすでにアルコールに冒されていて、
僕はしらふでそれを聞いていた。
そしてその相手は男だった。ゲイじゃない。
彼女がもいる。友達のように仲良く付き合ってる。
でもその日は、ふらっと飲み会に顔を出した。
ただの冗談だと分かってるけど、
妙な気分にさせられた。
「もういいよ」
「結局さ、本当に自分を好いてくれる人がいるなら」
「男でもいいと思わない?」
「ねぇ、タマさん」
酔って傾いた頭を少しあげて、そう話しながら
にやりと彼は笑ってた。僕はどう言ったものかと迷った。
学部関係の飲み会となると、
時々とんでもなくナイーブな人と会う。
僕も男の中では神経質な類に分けられているが、
上には上がいる。下には下がいるように。
「今のひと(彼女)はのんびりしてて好きだけど、
あんまり(気持ちを)分かってくれないんだよね」
と彼はぼやいてた。
突き詰めると、思想とか物の考え方。あるいは
もっと些細なことの話だ。
「好きだから分かってもらえるっていう問題じゃ
ないよね。好きなものは好きだからしょうがないけど、
分かってもらえるかっていうと、ずっと分かり合えない
人はやっぱり分かり合えないで終わってくんだよ」
とも言ってた。
「だから、分かってもらえる人が欲しいみたいな」
男は同時に二人以上好きになれる。
という話をどこかで聞いたことがある。
そして前にスイレンが、
「女の人は好きな人と結婚したい相手が、
絶対に同じとは限らないんだよね」
と言っていたことがある。
好きという要素だけでなんでも解決する
なんていうのは大きな嘘だ。
好きだからなんでもうまくいく訳じゃない。
生活面のこと、経済のこと。かえってそういう要素が、
好きという関係も壊していくケースをよく見る。
だから好きな相手が最高の人とは限らない。というのは、
男だからそう考えるとか、女だからそう考えるという問題じゃない。
男女の違いで、観点が違うというのはあるだろうけど。
単純に好きな相手ではなくて、パートナーとしての
役割が出来る人が彼は欲しいらしい。
分からなくもない。
僕はそのへんの折り合いが下手クソで、
(下手というか、理想が高いのかな)
好きな人と別に親しい人間と作るというのが
現実の上でには「とてもじゃないけどムリ」
という状態になっている。
ただ彼の場合、それを恋人とは別の人で求めてるということ。
でもそういう三角的な関係ってうまくいくものなのかな。
考えがまとまらなくなってきたので、
話の途中だけどとりあえず今日はここまで。
今日はあったかいですね。
散歩に出よう。
携帯電話のアプリソフトからメモを残してるうちに
電話がかかってきた。知らない番号。放置する。
すぐ切れた。留守電も残らず、不用の電話だったと思う。
おかげで中断されたアプリからメモが全部消えた。
思いついて、卒論に挿入しようと思い書き込んでいたメモ。
勘弁してくれよ…
迷惑電話どころか迷惑行為そのものだ。
もう掛けてくるな!
私が嫌いなら拒否ってよ.
出来ないのですか?
宙ぶらりんにしておくのは何故?
どうしたの?へキさん大丈夫?
以前はメールで保存していたけど、
メールの保存数が越えたのでアプリを使っているのだけど…
メールの未送信箱のメモリが僕には全然足りない。
どうでもいいことだけど、暇だし腹が立つので数えてみた。
[未送信メール総パケット]
120+6404+8050+290+727+424+838+90+2082+
1910+104+4598+706+1108+3058+96+3268+
724+218+488+1490+2272+5152パケットぐらい
で、未送信はもう保存できない。
でも結構あるかな…
でも2パケットで全角一文字。
原稿用紙換算すると、そんなに多いわけでもないはず。
スーパーメールは一通一万字打てるというのが売りだったと思うけど、
実際一万通を5件保存したら送信箱いっぱいじゃないか。
5000字×5通で25000÷400で原稿用紙にすると62枚ぐらい?
保存とメモとあわせると、大した量じゃないと思うけど。
普通1万字打ってメール送る人なんていないか。
気持たせてゆらゆらゆらゆら付きまとうなよ。迷惑だ。
いつも覗かれてるんだ
キョひれよ
悪質なアラシですか。。
とうとうここにも荒らしが来ましたか…
暫く潜伏します。
心配してくれてる方、ありがとう。大丈夫です。
自分の事ばっかだな
キョ平ないのは私が心配だからって言ってた。口は上手いね
答えろよ〜お〜い。。
まだゆらゆらしてる。よしメールしたろ
やっぱり私が悪かったんだね・・君はいつも正しいよ
ノイローゼになってお亡くなりになりました。
離してあげる優しさが足りなかったのかもね。
あなたが出来ないなら私がやるわ。あなたのメルアドは捨てました。
もうしたくても出来ないわ。さようなら。
If you want me I'll be there
A boy to deal with all your problems
But part of the deal
Is for you to feel something
If you want me look me up
I don't exist in usual places
Subtle as the wind is grey
御用とあればあなたのところに行くよ
どんな難題もお任せの男の子だからね
でもね、この協定には
あなたが何か感じてくれることっていうのも入ってるんだよ
会いたければ、ぼくを探して
当り前のところにはいないけど
灰色がかった風のように微妙なところだよ
Simple Things/Belle and Sebastian
(山下えりかさん訳)
煮豆か
落ち着かれましたか?
ええ。
そう、それは良かった。
じゃぁ前のように再開していいですか?
駄目なら暫く待ちます。
どうぞ。失礼しましあ。
>>661 許可ありがとう。再開します。
午後三時半。以前に比べて日が随分傾いてきた。
部屋のお国まで入り込む光も、夕暮れの茜色の光ではなく
午後の柔らかい光に変わった。
それでいて空気が凛として冷たくて、
こうしてパソコンの前に座って文章を打っている間も、
だらんと垂らした爪先が冷たくて仕方ない。
椅子の上に膝を立てる。
肩からは毛布をかけて。
座りっぱなしが辛くて、時々背中を伸ばす。
椅子の背もたれに沿って背中を伸ばし、天井を見上げる。
電灯があって、歪んだ木目のはいった板が並列して並ぶ。
その体勢を保ったまま、部屋を見回すと、
天井が床のように感じられた。
逆さまになった空間が、直立した電灯の傘が、
自然と視界に馴染んでくる。
上に張り付いた箪笥や敷布団。
なにかを取り上げてみたいけれど、やめた。
手を伸ばした時点で、現実が戻ってくるとわかったから。
見せかけの逆さまの世界だと感づきたくない。
一方で、旋回する蝿は何処でも関係なく
足をつき、器用に手足を擦り合わせている。
意外なことに、僕の期待する場面を
守ってくれたのは一匹の蝿だった。
いつもなら平気で叩くか、窓から外に
追い払うのだけど、今は好き勝手に飛ばしておく。
蝿は鳥や他の昆虫よりも、ずっと器用に飛ぶ。
急激に空中旋回し、上昇、下降。
ぴたりと銀メッキのCDプレイヤーの上に停まって、
デジタル表示の文字を隠す。
my bloody valentineのlovelessが流れる
スピーカーを横断し、また飛び立つ。
轟音に絡まって、足元になった天井の床板と相俟って、
そこにはちょっとした狂気がある。
東海大地震に備えてつけた、プラスチック製の
白いポールが、家具に生えた足のよう。
ハンガーに掛けた服は、空間に逆らって直立する
草花の格好によく似てる。
あとの物は、逆さに張り付いたコップ、
文字を逆に映すパソコンの画面、
グラスからこぼれない筆記具、玩具、
水底から水面に向けて泡立つように揺れる
結晶柄のビーズカーテン。
そういうものが此処にある。
僕自身が逆さだという実感は無い。
陽射しが頭上を這う。
昼下がりの午後。
寒い。外は完全に冬の気配。自転車に乗って
とおりを走ると、電飾の飾り付けを始めた家が脇に
ちらほら見えてきた。まだ12月前の、
遠慮がちなライトアップが微笑ましい。
今日は久し振りにダイソーに行った。
短期アルバイトの面接に行った帰りの寄り道で、
コントレックスと寿司屋の緑茶なるものを購入。
我が家には電気ポットがないので、温かい飲み物を
飲むときには必ず小さな鍋で湯を沸かす。
電子レンジの湯は僕が嫌いなので、
冬場は寒い台所に立って五分ほど。
キッチンのテーブルについて待つ間、
決まって震えながらうとうとしてしまうから危ない。
666は不吉番ですね。
僕は好きだけど。
今日は幸せな一日だったし。
ダイソーの帰りには地上階にある
スーパーマーケットの食品売場で、
ブルーベリージャムの乗ったバタークッキーを買った。
寿司屋の茶と合わせて、今夜の夜食の友の予定。
売場にも徐々にクリスマスムードが現われ、
買い物袋を詰める場所には、
例年どおりのクリスマスケーキの予約用紙が積まれている。
おそらく今年のクリスマスに僕はアルバイトをしてるだろうけど、
下手に飲み会にかり出されたり、
家でなんとなく家族と過ごしながらチキンを食べてるよりは
のんびりクリスマスの夜に町並みを通り抜けられるのは
楽しいんじゃないかな。
バイトの面接が凄く良かった。
正月にまつわる短期アルバイトだけど、
副店長に物凄く気に入られた。
駐車許可証を記入している間にフィガロの話で
喜ばれ、簡単な計算テストでも満点だったことに喜んでもらえた。
なにより僕の人柄を気に入ってもらえたらしく、
帰りがけには「待ってるからね」と、にこりと微笑まれ、
僕も「はい」と笑い返して店を出た。
前のクソバイトからすると天と地の違い。
そういえば前のバイト、給料渡す連絡を後日にするといいつつ
いまだに連絡が来ない。
最近、周囲の人にやたらと好かれて僕は幸せ。
ワールドカップの年にドイツに行こうなんていう、
珍しく積極的な話まで出ている。
もし行けたら、お土産はどうしようかな。
今日はとてもいい夢が見れそうです。
脈略もなく、今年のクリスマスは雪が降るんじゃないかと
思ってしまうぐらい。
このスレを見守ってくれてる人たちへ
いろいろ思うことはあると思いますが、
気楽に見守ってやってください。
そして何か感じられたら、指摘してください。
僕の性格からして解決は約束できないけど、
何かが僕の意識に残るっていうのは
僕にとっても大きいことなんです。
そして何より
>>656 But part of the deal
Is for you to feel something
を僕は期待しています。
少し早いですが、おやすみなさい。
みなさん今夜はよい夢を。
よい夢を。
よい夢を。。。今ごろ見ているのかな
周りの人から好かれるのは幸せなことですね。
>>670-671 お陰様で面白い夢が見られました。
石田靖が番組「駐在君」の中で、山田花子に向かって
「危ないからもっと道路の隅に寄れ!」
と注意する夢です…
やたら眠くて先ほど五分ぐらい寝ました。
まだ寝ぼけてます。
>>671 以前は「自分の好きな相手にだけ好かれればいい」
と思ってましたが、年をとって落ち着いたのか、
「一人でも多くの人に好かれたい、好きになりたい」
という気持ちが出てきました。
でもその分、自分自身のことも以前より
随分好きになった気がします。
好きという感情は、どこかでループしてるのかもしれない。
おそらく以前の僕は、自分が「他人」と思う相手には
感じの悪い男だったと思います。
そういえば心底嫌いな相手がいたころ、
自分自身のことも嫌いで仕方なかったな。
+α、自分も周りの人間も、いつもピリピリしてた。
母親とは特にそんな関係だった。
一線を越えるような暴言を除いて、
平気でお互いを憎んだり罵り合ったりしていた。
向こうは僕の生活面のルーズを馬鹿にしてたし、
僕は母親の低学歴世間知らずを見下していた。
実のところ、僕が家事の手伝いや料理をするようになったのは
その辺のことが解決し、歩みよりがあったのが切っ掛けです。
まともに家の事をやるようになったのは、
大学に入って半年ぐらいしてからかな。
料理なんて工作みたいなもんだ、という変な解釈が
僕の中で出来たのも理由の一つだけど。
温かいものが飲みたくなったので、
果汁30%程度のオレンジジュースを沸かした。
実際はオレンジとは言い難い甘い味の飲み物。
果汁の少ない飲み物や菓子類に多い、
香料だけで果物の風味付けをしてある甘い食料品だ。
100%果汁の飲み物をさすがに沸かすことはしないが、
ふと冷蔵庫にあるもので温かいものが飲みたくなると
安物のジュースを沸かして飲む。
今日買ったコアラのマーチのスウィートポテト味を
頬ばりながら毛布にくるまる。台所は寒いから。
換気が強く、汚れを取りやすいよう特殊下降された
板張りの床が、足の芯までを冷やす。
そして手元に温めたオレンジ。
頭から被った桃色の毛布と冷えた素足が、
きっと奇妙な亡霊のように見えるはず。
今日も体が温まってきたところで、
再び眠気がやってきました。
もう暫くしたら寝ます。
可能なら、一日二十時間ぐらい
眠れるようになりたい。
おやすみなさい。
今夜は息を飲むような美しい夢を。
――眠る前に、少しだけ夢のヒントを。
夢は強く意識していること、
心に引っかかっている事が
結構映像になって現われるそうです。
美しい夢は自分に対する癒しであるとか、
恐ろしい夢は、未来に起こるかもしれない不安な出来事に対する
抵抗を作っている作業でもあるそうです。
予知的な夢については僕も判断しかねますが、
おそらく夢は、精神面を絡めた生きていく為の
必要機能みたいなものじゃないかと僕は勝手に解釈しています。
怪我をしたら痛みを感じる。という事と同じように、
夢も一つの身体機能として働いているんじゃないかな。
だから自分の体調不良が夢に警告で出るっていうのは、
自然なことじゃないかなと思います。
以前に書いた、「枕を叩いた数の時間に目が覚める」
というおまじないも、時間を自分の中で
強く意識することが関係してるように思います。
枕の下に写真を置いて眠ると、その夢をみる。
という話も聞きます。
つまり本当に必要なら、綺麗な夢も
案外簡単に見れるんじゃないかな、と。
ちょっと無謀ですかね。
だから僕は眠る前に見たい話を書いておいて、
意識に留めておこう。
この結果は明日のお楽しみ。
-------
此処のところカシオペア座とオリオン座が
夜空にはっきりと見えるようになってきた。
それぞれの星の並びは、Z型の配置と
横向きのTの形をしていて、僕の住むほうでは
南窓から電柱の弛んだ線のすぐ上の辺りに
この二つの星座を見ることが出来ます。
僕は小学生のころ、今と同じように家の前の坂を
下ってすぐの突き当たりにある小学校に通っていました。
通学時間にしておよそ五分。
そして馬鹿馬鹿しくって面白かったのが、校内に入り、
鯉の住む噴水を通り抜け、昇降口から三階の教室まで行くのにも
通学と同じぐらいの時間が掛かってたことです。
僕は家から学校が近いのを理由に、
夜半に学校に行って友達と待ち合わせるということも
結構平気でやっていました。
目的もなく星の出る時間に学校に出かけ、
友達と誰もいない学校周辺をうろうろするのが
とても好きでした。僕の放浪癖は昔からあったわけですが。
その頃は婦人会のバレーが体育館で行われていて、
校門も問題なく開いてることが多かった。
締め切った暗い校舎の合間にも、職員室と体育館だけは
明るい光が外までこぼれている。
体育館からは主婦の歓声やシューズが床に擦れる音が聞こえていた。
僕と友達は、彼らに見つかって叱られないようその光を避けて潜り、
運動場で、昼間は人気があって遊べない遊具を乗り回したり
コンクリートの山に登ってただ話し込んだりしていました。
僕の学校は遊具が校舎から離れていたので、
そこまで行ってしまえば、教師にもまずばれることはなかった。
そしてそういう事をしてしまう日は、なぜか冬が多かった。
親には当然「用があって学校に行く」と言っていました。
おかげで水筒に熱いお茶を入れて持たせてくれた。
時々贅沢を言ってホット・カルピスを水筒に詰めていくのが、
冬場の夜、学校にこっそり出かける僕の一番の贅沢でした。
その頃、小学生の僕らには自販機で小遣いから飲み物を買うという
習慣さえ無く、まだお茶じゃなくカルピスを水筒に詰めて
行っただけでも、クラスで噂になるぐらいだったから。
小学六年の冬、担任が理科教師だった事もあって
夜の天体観測会が行われたことがあった。
高校の時もそうだったけれど、許可証として担任が印刷した
プリントに家の人のサインと印鑑を押して提出し、
その日は僕も、許可有りで天体観測しにいった。
当然今までも夜学校に行っていた理由は
「天体観測の宿題があるから」
(実際にその宿題があった。それから夜歩き癖がついた)
というものでした。僕はなんとか友達の親が来るから平気だ
と言って親を丸め込み、その日は保護者として学校に
来させないようにしたけれど。
その日の夜空を、どうしてなのか今でもはっきりと覚えている。
担任が無意味に白衣を着て、「寒さ避けだ」と言っていたのも覚えてるし、
普段集まらない人たちが集まって、
星を見て「あれだ」「北極星だ」と言ってる光景も不思議だった。
友達の親と家族みたいに喋ったり、
少し気になっていた相手の親を
暗がりの中ちらりと見た夜。
偶然にも凄く星が綺麗に出ていた日で、
帰り道、皆が家族で帰っていく中
「僕は近くだから」と言って、空を見ながら一人で
帰っていったのは、心にしんとした物を残した。
そのとき南の空にはっきり見たのがオリオン座。
Z型の並びが、凛とした寒い夜、点ちらちら輝いてたのを思い出す。
今晩はその夢が見たい。
書き込みの間に随分時間が経ってしまったけど、
今度こそ寝ます。おやすみ。
で、結果はいかに
今日から始まったバイトが10時過ぎに終わるんで、
報告遅くなってすいません。
結果はダメでしたね…
部屋の中で誰かと待ち合わせる夢を見ました。
今日から店頭で立ちっぱなしのバイトをしている。
元々は立ちっぱなしのバイトをするつもりじゃなかったが、
なんだかその場の流れで今日はずっとレジのそばにいた。
案外このスレを見てる人と対面してるかもしれない。
今日、どこかの店頭でクリスマスラッピング用のリボンを
黙々と作ってた男を見かけたなら、それは僕です。
レジのほうからお客を眺めているのは、それなりに面白い。
でもバイトしている間は、あまりそういう話は
書かないほうがいいのかな。とりあえず自粛。
書きたいことがあるけれど、今日はとりあえず寝る。
僕はだめでしたが、みなさん昨日綺麗な夢はみれましたか?
今夜もよい夢を。おやすみ。
お気に入り登録していたスレがまた一つ落ちていた。
ここのところ忙しいので、他の所まで保守出来ないのが辛い。
夢板内は、770ほどスレが立ったあたりで、
書き込みの古いほうから順に圧縮落ちするそうです。
最速二十四時間前の書き込みで圧縮落ちしたものもあるとか。
圧縮が起こるのは、大体三日間隔ぐらいのようですが。
スレ乱立が起きるとその間隔も早まるようです。
スレッド数が増えてきた時は、
事前に気になるスレには書き込みを。
前日の夜に母親に年金の話をされたせいか、なかなか壮大な夢を見た。
昔ながらの商店のような、
狭い店舗のひしめき合うショッピングセンターに僕はいる。
そこは近代的な洒落た造りの店ばかりだけど、
中で働いているのは老人ばかり。
パン屋の店員もカフェのウェイターも、
50を過ぎた男が平気でアルバイトとして立っている。
僕は病弱で車椅子に乗る生活をしていて、
厄介者だけれど、若年層だという理由だけで
重宝されていた。僕はアルバイトをしたくて
そのショッピング街に、同年代の
アルバイト希望者と団体でやってきた。
その中にバイオリンの勉強をしていて、
将来その種のプロになりたいという女の子がいて、
その子と友達になる。ただし彼女の演奏はかなり下手。
その夢の中では、若者の数が非常に少ない
という理由で若い人たちはとても丁寧に扱われていた。
アルバイト一つにしても、働くというよりは
職場体験をやって賃金を受け取るに近い。
その為に老人の働き手たちからは厄介者として
目に映り、僕は裏で車椅子を蹴られたりする。
ちなみに流行りの言葉を日常的に使うのも、
彼ら老人たちだった。
僕らは写真現像のアルバイトに集団で
研修に入った。そこの店長がやはり老人で
頑固で融通がきかず、若者を見下している。
僕ら若者ははあらゆる生活面で保証が手厚い。
だからわざわざアルバイトなんてする必要は
実はないのだけど、希望者は斡旋してもらえるという仕組み。
ただ、切り詰めて働く人たちにとっては
仕事増やしの給料取りの僕らは、
居るだけ欝陶しい存在でしかない。
この夢で小説一本書けそうだな。
もうすぐバイトなので、続きは夜に。
夢を忘れないように
少しだけメモ
-----------
・雨とバイオリン弾きの女の子
・ゾンビパウダーと昏睡状態
・車椅子不要
・祖母と身体不自由な僕の会議
なかなか時間がとれない…保守
>>692の続きを書く気力がなくなってしまったので、
書けたら後日に続きを書くつもり。
でも、そう書いておいて続きを書いたことが殆どないですね。
ネタばらしのように短く説明してしまうと、
夢の中で僕が仮死状態にされて、
色々あったという夢でした。
昨晩は重い話をした。
重い話をして、「もし○○なら、」
「自分たちの関係も、もう終わりかもね」
という話の流れにまで達した。
僕は「終わり」と言われたほう。
案外素っ気無く言われて、
実は、僕の方がショックを受けているのだと気付いた。
「もう終わりかもね」と言われた直後、
次の僕の返事ですべて決まると分かった。
相手が僕に対して未練があるのも分かっていたし、
僕の返事でどうするか決めるという雰囲気がありありとあった。
僕はその人と親友でいたかったけれど、
もし今の関係を清算したら、
二度とその人と関わりたくないという気もした。
自分が会いたくなっても、絶対に自分から連絡もしないし、
会おうとはしないと思う。
たとえ校内ですれ違っても、もう喋りたくなくなる。
極端なのは分かってるけど、その辺は自制がきかない。
「やっぱり合わないみたいだから、ごめん付き合えないや」
ぐらいの言われ方をすれば、それからも友達として
普通にやっていける気がしたけど。
曖昧に探りを入れ、判断を委ねられるような、
駆け引き的な言われ方をして苛々した。
いつも自分だって曖昧にしてるくせに。
やっぱり僕はプライドが高いのかな。
やめた。
また愚痴レスになってすみませんでした。
LRのCDをを引っ張り出して聴いてる。
なんだか急に聴きたくなってきたので。
一番売れたKnockin' On Your Doorが入った
Let me Roll it!というアルバム。今では
ブックオフで280円ぐらいで買えるCD。
オザケンも昔のアルバムは同じぐらい
安価で売られているようだけど、
どちらも280円の価値は十分あると思う。
LRは初期の方が好きだけど、
このアルバムの最後の曲は冬場になると
妙に聴きたくなる。
「Lime Light」ですね。
ブログのCD紹介に貼り付けておいた
High Llamas のBeats, Maize and Cornも
冬場に聞きたくなるアルバムの一つ。
ジャケット写真とは全然イメージの違う、
聖夜を前にした静かな雪の夜のようなイメージの曲
ばかりで、去年の冬はクリスマスを前後して
もうこればかり聴いていた。
---Highllamas.com(公式に近いファンサイト)
ttp://www.highllamas.com/ 一番新しいアルバムの音源がないのが
残念ですが、mediaページよりライブ音源も聴けるようです。
アマゾンの試聴でも十分雰囲気がわかると思うけど。
十二月中でうまくこのスレが終わったら、
次スレはもう立てない方がいいのかもしれない。
行く行くは僕にはフリーター生活が待ってそうな
感じがするし、そんなの読んでてもつまらないだろうし。
暫くは毎日の出来事について書けそうに無いし、
(気分的な問題と、時間の都合で)
それでも何か書きたい気分なので、
当分はある事無い事混ぜこぜで書いていきます。
クリスマスにうまく内容が掛かればいいなと思うけど。
-1-
アルバイト先の店舗には窓が無い。
広い通路を通して開放感があるにも関わらず、
売場には窓が一つも無い為に時間感覚は狂う。
向かいの家電売場に置いてあるつけっぱなしのテレビを眺め、
おおよその時間を知る。
商品棚の時計を見上げると、
十組はある時計の針がそれぞれ狂った時間を指しており、
やや暖房の効き過ぎた店内の空気に入り混じって
緩い、延び切った流れを蔓延させていた。
一日にメリハリが無い。
弛んだ空間を、一瞬通り過ぎる程度の
客たちがどう感じているのかは分からないが、
僕の感覚は数日の間で妙な感じになってきている。
年上の販売員に肩を小突かれ、
「今6時」と言って、僕は時刻を知らされた。
『休憩に行って来い』という意味。
十二月を目前にして、店内はとうにクリスマスの雰囲気に徹している。
一日のうちに同じ曲、同じ放送が何度も回り、
メーリークリスマス!という掛け声と疑似音のベルが
繰り返し響き渡っている。
催事場のレジには女店員が居座り、ジンジャーマンの飾りをいじる
子供をぼんやり眺めていた。クリスマス飾りは美しく可憐で、
通りがかった客の素直な歓声によって、自然と色めきを与えられる。
あと一つの赤い硝子飾りが人を呼び込み、
大型ディスプレイに入ったナイトメビフォークリスマスの
サンタクロース・ジャックが、にやりと笑って客の呼び込みをやっている。
休憩の間、僕は夕飯を食べる為に食品売場に向かう。
そこにはやはり窓が一つも無くて、代わりに人目を引く
菓子や惣菜がずらりと並んでいる。
平日の薄い人垣を縫って僕はパンとオレンジチョコを買って、
売場の裏に入っていった。すれ違いざまに先日レジ打ちを
してくれた高校生の店員とすれ違う。機嫌悪そうな疲れた顔。
店の裏では店員が忙しく歩き回り、商品の箱を引きずり出し、
学校の生徒同士のように冗談を言い合って笑っている。
空元気がばれた。今日も最低の日。
振り回してるつもりが、振り回されてたんだな…
今夜は此処で素直に泣きます。
今日も沈んでた。
仕事に絡めて中年の女にナンパされ凹んだ。
(教えないなら、これ買うのやめるわね!)
尚且つ、執拗で鬱陶しいので嘘の電話番号を教えて
追い払ったら、後でトラブルになると言われて先輩に叱られた。
確かにそのとおりだけど、何故か腑に落ちなくて不貞腐れ中。
俺が悪いね。お客様申し訳御座いませんでした。
でも帰り道の月は見ました。
雲が一つもなく、水溜りに落とした
レモンキャンディーのようで綺麗だった。
でも文章書く気力がありません。
この頃嘘の予定ばかり組む僕をどうか許してください。
きれいな言葉でつ
>>707 ありがとう。そう言ってもらえるととても嬉しいです。
昨晩はなかなか寝付けなくて朝方まで起きていた。
長引くチャットが深夜の会議のよう。
時間が経つごとに部屋から人が減っていき、
残りの二、三人で黙々と会話するのが楽しい。
大人数で囲んでいたテーブルから
狭い席に移り、気持ち離れていた椅子を引き寄せて
話すような、そんなひそひそ話しに似た会話が面白かった。
他愛ない話題とお互いの探りあいが相俟って、
窓の外から明け方の青が浮かび上がってきた頃、
僕らはおかしなテンションで会話を続けている。
新聞配達のスクーターが近づいては立ち去る音。
うっすらと明るくなってきた外の空気。
(五時にはもうだいぶ明るい)
休み泣く小さく唸り続けているパソコンのファンの音が、
朝の静けさを強調しているようだった。
同い年の男の子との会話がとても面白かった。
気にとめないような些細な嘘ばかりつくヒネクレ者で、
それでも最後に「なんでも答えますよ」と言って
僕の質問に素直に答えてくれたのが印象的だった。
俺も綺麗な夢を見たいです。
>>709 おはよう
夢はコツを掴むと、好きなものを自由に見られるそうです。
そのコツがどんなものか分からないのだけど。
あまりにコントロールが利きすぎて、
突拍子もない夢が見れなくなるのも、少し寂しく思いますが。
朝方にすごい圧縮があったようで、
ageてもいないのにこのスレが100番台にあるのが驚き。
そしてまた一つお気に入りスレが落ちてしまった…
自分のスレがしぶとくて申し訳ないです(苦笑)
風邪を引いてしまったので、薬を飲み、
昨夜就寝してから今の時間までずっと眠っていた。
十三時間ぐらいかな。
フリッパーズギターの「海へ行くつもりじゃなかった」
を聴きながら、頭覚ましのエンジンをかけているところ。
その間に目覚ましが鳴ったり、喉が痛くなったり、
人の声が聞こえたりするたびに目を覚まし、
また眠るということを繰り返した。
おかげで一日に五つ夢を見た。
ただし、新しいものを覚えようとするたびに
前に見た夢が記憶から抜けてしまって
今じゃほとんど覚えてない。
今覚えている一番新しい夢は特に変な夢。
ショッピングセンターとアトラクションと地下室を
合体したようなビルの中で、僕を含めたお客たちが
ゴールを目指して険しい順路を登りつめていくという夢。
通常店の入り口からスタートし、順路を巡っていくはずなのに
僕だけがなぜか三階の洋式個室便所からスタートしてしまう。
しかも下半身だけ下着一枚。間抜けすぎる。
(トイレに入っていたから?)
そこで僕はトイレからスタート地点までを見学しつつ、
下の階にある布製品の土産売場目指して順路の逆行を始める。
ズボンか、何でもいいから都合よく下半身が隠せるものを探して。
通路そのものがアトラクションなので、お化け屋敷や
アドベンチャーものの通路のように、チューブ状の道筋に
色々な小細工が施してある。
カラービニールのひだが無数に垂れ下がっていたり、
蛇腹のような斜面に生えた、ごつごつした岩の突起を下って
下の道へ向かう。途中で知り合いに合ったり避けたりながら。
そんな道筋の途中にも店があるのだけど、
とおりがかった友人に聞いたところ、やはり服のようなものは
入り口のスタート地点にしか売ってないらしい。
そしてなんとかして辿り着いたスタート地点は、
デパートのトイレが奥まったような何飾りのない廊下。
その片隅にスターティング・テープが胡散臭く張ってあり、
小脇にアジア民芸品売場のような露店があって、
そこで布製品があることはあった。
でも、ちょうどいい隠すモノがない。
仕方なく褪せた七色の麻でできたようなポンチョで
妥協しようかと思っていると、
友人が「それいいよね」と誉めてくれてそれを買う決心をする。
(ポンチョとして使うことを前提に誉めてたわけだが)
そしてそれを腰に巻いたところで、彼らと一緒に
再び上の階を目指す。
という夢。
夢としてうでしょうか。
今日はその他にレズビアンになる夢と、
上に書いた夢と同じような、薄暗い密閉された場所で
ぐうたらする夢をみたのだけは覚えてます。
文章が所々おかしくなってますが
勘で読んでください…
フリッパーズを聴きながらサリンジャーのライ麦畑の
解説・書評を読んでたら機嫌が良くなってきたので、
今日はもう少し書きます。今はいつもより陽気。
「フリッパーズ」と「ライ麦畑で捕まえて」の二つのキーワードで、
僕がどんな事を思ったかは、妄想して欲しいところです(笑)
僕がフリッパーズギターを知ったのはそう昔のことじゃない。
元々が高校生の頃にコーネリアスのファンタズマを買って、
コーネリアスの作品、レーベルもの等をを遡っていくうちに
そこから自然とフリッパーズギターの存在を耳にして
こちらも聴くようになったという流れです。
だからはじめ、フリッパーズギター時代の小山田氏の
イメージとコーネリアスのイメージとが、
僕には全く結びつかなかった。
その頃はインターネットも微妙にに普及しておらず、
我が家にはパソコンそのものが無い時代。
古本屋の雑誌で五年以上前の雑誌を見かけては
手にとって見てみるのが関の山。
そこで根拠もなく、歌ってるのが小山田君だとも思わず、
「これはオザケンが歌ってるの?」と勝手に僕は信じていました。
耳がおかしいんじゃないか。と言われれば、
それまでのことですが。
CDは細々と再販されたものを購入し、
それ以外のものは、何があるのかも知らない状態。
それでも二人が相撲取りのきぐるみを着た写真を
見かけた辺りから、漸く当時の空気が僕にも飲み込めてくる。
音楽雑誌を見かければ、見開き二人の写真をぺらりと捲ると
髪を刺のように立てた同世代のバンド達が笑ったり拗ねた顔をしてる。
異色ではあったのかな、というイメージ。
フリッパーズギターの記事での発言も他人の罵倒が多く、
それが人を惹きつけたり傷つけたりしてる。
彼らの発言行動だけでなく、そんな彼らに夢中になったり、
温く見守っているファンたちの様子まで
雑誌からしっかりと読み取れるのが面白い。
この辺がメディアの功績なのかな。
そして僕は風邪引きで部屋に布団を敷き、
箪笥を背もたれにして日向ぼっこをしてる。
授業で購入させられたデイヴィット・ロッジの
「小説の技法」を読むとも読まず読書。
実際のところ、頭になんか入ってこないのだけど。
背後にフリッパーズギターを流していて、
今ではキーボードを打ってよそ事に気を取られてる。
それでも何かに対して引け目を感じるのか、
誠意を見せようと思うのか、ページぐらいはペラペラと捲る。
そこでサリンジャーのページにぶつかる訳です。
”ティーンエイジ・スカース”という言葉。
”その文体にしても、通常の文額的基準からすれば、”
”極めて貧しいと言わねばならない”
”だが詰まるところ”
”この文章はスィングしているのだ”
なるほどなるほど。
階段の窓辺に、僕が誕生日にもらった
なんだか不用のぬいぐるみが母親によって日干しされている。
ガチョウとクマ。
クマのほうには名前も付けたんだよな。サンチェス。
当時有名だった女テニスプレーヤーの名前だ。
さっき母親が来てぬいぐるみをひっくり返していった。
そして一応は病床の僕に缶詰のミカンを置いていった。
「風邪にはビタミンがいい」とかなんとか。
「一緒にあるプリンは何にいいの?」と聞くと、
「冷蔵庫に余ってたから」だそうだ。
「このぬいぐるみ意外とかわいいよ。使う?」
と言って、母親は満足そうに縫いぐるみを撫でてほくそえんでいる。
僕の部屋では、背後にフリッパーズギターがまだ流れていて、
僕もにやりと笑う。
もうすぐ午後四時を回るところ。
「午前3時のオプ」にはかけ離れた時間。
――蛇足。
フリッパーズギターは90年代はじめに一斉風靡した若者二人組みの
ギターポップバンドです。
この二人はかなりのヒネクレ者で、メディアをからかったりファンをからかったりと、
各方面からも話題性に富んだバンドだったそうです。
コーネリアスというのは、元フリッパーズギターの小山田君の現在のソロ名義です。
一方、サリンジャーの「ライ麦畑で捕まえて」は読んでもらえば分かるのですが、
現代っ子の少年が、身の回りにある大人社会をイマドキの口調で
延々と揶揄していく青春小説です。
こちらもまた、ヒネクレ者の多感な主人公が魅力的な作品。
そしてどちらとも、現在もファンによって熱烈に支持されています。
雑誌の注意書きみたい(笑)
病床。熱が引かない。食欲もない。
母が付けていった電灯の橙の
小さな光を見つめながら、
ぼぅっとした頭で携帯電話を打つ。
Boards Of CanadaのHigh Scoresを聴く。
怠さが助長される。
じっと床に横たわっていると、
胃の辺りが不自然に動いてむかむかする。
人の声がするけれど、
それが曲に含まれた音なのか
家の外から聞こえるものなのか、
判断がつかない。
睡眠不足が響いたのかな。
最近はあまり寝たくない。
寝て起きてから、対応しなくちゃならない
事柄が山積みになっていると思うと、
欝陶しく思われてなかなか寝付けない。
どのみち対処しなくちゃならない事だから、
どうせなら早いうちにしっかり準備して
処理できるようにした方がいいはずだけど、
そういった作業が以前に比べて段々出来なくなっている。
その場に自分は不要かな、という気持ちが
先に出来上がってきているから。
自分が失敗して自分だけが痛い目に合うのは
割と平気で、立ち直りも早いのだけど、
人にまで迷惑を掛けてしまうと思うと
僕は引っ込み思案になる。
そういえば僕は小さい頃、自分が叱られると泣き、
兄が叱られるのを見ても悲しくなって泣くという
変な子供だった。
父親はそんな僕を「あんたは気の優しい子」
と言ってくれたけど、
僕自身は他人と自分の感情に線を引けない
不器用な子供だったと思う。
風邪薬が効いたのか眠くなってきて
可笑しな妄想が頭の中に回ってる。
ウサギが草むらのトンネルから出てきたら、
そこはゲートボール場で、おじいさんに
玉と間違えて打たれそうになってるという
可愛いやつ。
そのまま続きが夢で見れるといいな。
おやすみ。
724 :
夢見る名無しさん:04/12/04 19:36:24
☆
五つ年上の尊敬していた人が
猛烈なテレビ狂だと知る。
部屋にテレビが三台。録画デッキが二台。
好きなのは構わないけれど、
お笑い番組の話になると
周囲が引いてるのにも気付かないのが辛い。
それなのにアニメ狂いの人をやたらとコケにしてる。
ヨンジュン追っ掛けやマツケンさんブームも
お嫌いのようだけど、対執着度は
同じじゃないのかな?
別に流行りの流れに乗れという意味じゃない。
スイレンが前に「スプーンを取って」
と言った時に、投げやりにテーブルに
放って渡すような大ざっぱな男が嫌い。
と言っていたけど、納得した気分。
身近だった人がどんどん居なくなっていく。
僕が離れていってるだけで、
僕が下らない事に執着してるのかな?
新時代風の妻(Marriage a la Mode) Katherine Mansfield
あの客がまた来た。店頭の立て札を引っくり返して
こちらの気を引こうとする姿に思わず笑い返してしまったけど、
正直これが暫く続くかと思うと気が重い。
少しづつ気持ちが整理されている。
思い悩むほど身近だった人たちを、
ほんの少し遠ざけた立場に置いてやることで
悲しみが半減する。
尊敬を好意に、好きとも友情ともつかない気持ちを、
完全な友情に引き戻すことで。
悪い言い方をすれば、
「結局あの人もそれまでだったんだ」と悟った。
僕が相応以上に求めすぎてたんだと反省もしてる。
その影響か、いまは軽い調子の音楽ばかり聴いてる。
暗いのを聞くとどん底まで落ちかねないからか。
昨日の夜はそれなりに元気だった。
帰宅すると父親が007(だと思う)を見てて、
その吹き替え音声だけが僕のいる隣りの部屋にまで
聞こえてきて、「もうこうなったら○○しか方法はない!」
「だめよ!そんなの危険すぎるわ!」という
黄金パターンに僕は一人で吹き出してたんだから。
夕方の休憩に買った、まるごとバナナを
丸ごと一本食べながら。
mud mud world /Indian Rope(沖野俊太郎)
突然だけど、沖野俊太郎はvenus peter時代から好き。
ここのところ気に掛けていなかったので
何をしていたのか知らなかったけれど、
最近アニメの主題歌や音楽を手がけていたようですね。
アニメはこちらではやっていないアニメのようなので
なんともいえないけれど、沖俊氏には
これからも頑張って欲しいな。
--Indian Rope(公式サイト)
ttp://www006.upp.so-net.ne.jp/indianrope/ 上レスに書いたmud mud worldを含め、
音源が沢山あって驚き。良いですね。
disco.とsoundで聞けるようです。
soundからは一時間級のライブ音源も聞ける様子。凄いな。
real playerとmedia playerを入れないと聞けないようなので、
winamp派の自分は、他のプレイヤーを削除しているので
どれ一つとっても、今すぐ聞けないのが辛い…
後々のお楽しみかな。
今日、たった今この瞬間。オンライン上で
チャット仲間を待っているけれど、どうも来そうにない。
したはずの約束が置いてけぼり。
それでも人を待つ。
ブログの更新も完全に放置している。
ブログのほうは、もしも楽しみにしている人がいたなら
申し訳ないとしか言いようがないです。
本音を言うと、
僕自身も現在精神的にかなり参ってる。
よく目を通しているスレの主も
今かなり参ってるようで気になるが、
どこまで介入していいものか分からない。
とりあえず、出来るだけ保守する事は約束します。
23時を過ぎた頃、澄んだ暗い空に金の星が張り付いていた。
星座の刺繍とスパンコールの光。
それは心持ち励ましになってくれたけれど、
僕に新しい気持ちを持ち込んでくれる程
賢明で新鮮なものじゃなかった。
冷たい夜気に触れて自動車の幌はすっかり凍てついていた。
爪で霙を剥がす。
樹脂シールのようにあっさりと剥がれ落ち、
儚く地面に弾け飛ぶ。
僕はガードマンが白い息を吐いている横を通り抜け、
車内でも白い息を吐きながら身を縮めていた。
湿気で曇ったフロントガラスを指で拭く。
至極、大雑把なやり方で。
そこに自分の顔が映る。
水から浮き上がってきた魚みたいに。
一瞬のこと。
しかしそれは脳裏に焼きついた。
彼がしていたのは哀れなほど不安げな表情。
しかしもう片方で、僕は落ち着いている。
つまらないぐらいの安全運転。
時々は思い切りハンドルを右や左に切ってしまえばいいのに。
巻きこむ者は、少なくともその時点で隣りには居なかった。
それなのに僕はかじかんだ指先で、
静かに、器用にハンドルを操る。
隣りに座っているのは、
浮き沈みの激しい僕の感情だ。
半笑いしたそれを隣りに座らせて、
制御の利いた僕が信号に従って運転を進める。
事務処理的な作業。
信号が青になれば進み、赤になれば停まる。
当然の動作だ。
助手席の奴は、顔を歪めているけれど。
CDプレイヤーがぶっ壊れていて、
暗い曲を掛けることもできない。
FMラジオで間髪無い冬の話題が飛ぶ。
むかつくほどクリスマスの曲がかかる。
感情の加速だけが止められる。
ラジオを切る頃には家に到着する。
隣りの彼が、うんざりした顔でそっぽを向いている。
暗い夜道に人は居ない。
明かりも車道を照らす街灯のみで、
家々の眩い漏れた光も無い。
驚いたことに、夏場の光景によく似てると感じた。
一人深夜に出歩いて、文庫本を片手に雑草の茂みで
寝そべっていた時の風景。
今はそれに、寒さも加わって物悲しく思われた。
それでもあの夏場の気だるい狂気とは少しかけ離れ、
自我のしっかり据えられた自分がそこにある。
寒さで引き締まった自分が、
不機嫌の自分を助手席に取り残していく。
フレッドペリーの黒と白のチェックのマフラーを
口元まで引き上げて、
自分は馬鹿らしいほど冷静だと感じる。
もう寝る。おやすみ。
まだ此処落ちてなかったんだな。
身近なものをいくつも投げ出した。
そろそろ取り返しがつかなくなってくるはず。
やっぱりな、と笑ってやってください。
僕はいつも自滅するタイプの人間。
「自分の事ばっかだな」というレスが身に染みる。
そのとおりです。
振り回しておいて遮断するのが僕のやり方。
こんなどうしようもない奴は
早いうちに見切りつけてやった方がいい。
保守荒らしですぐスレも落ちるだろうと
思っていたのに、しぶとく生き残っていて
変だと思っていたら、サーバ移転があったんですね。
ついでにiMONAもおかしくて使えない。なのにこのスレときたら、まだ残っていました。
昼間の書き込みは自分を追い込むつもり
だったけど、なんだか今見返すと虚しいだけ。
普段の調子に戻ってきた。
今日、悩まされていたことに完全に決着がつくはず。
12日に昔の友人が突然会いたいと言ってきて、
その予定が済めば、僕は完全に元のペースに戻れると思う。
それが済んだら自分の時間を取り戻そうと思う。
モモに出てくる”時間どろぼう”に
ちょっとの間だけ時間を盗まれただけのはず。
クリスマスの準備もしっかりやり直して、
充実した新年を迎えたいな。
景気付けにクリスマスカードを買ってみた。
誰に出すわけでもないけど、
クリスマス気分を高めるには持って来いのアイテム。
--ここは私信です----
青さん、
どん底で辛い状況をお察しします。
そうは言いつつも、人は同じ状況に立たない限り、
他人の辛さなんて決して知ることはできないと
僕は思います。
だから外野がどうこう言ったところで、
あなたを苛立たせるだけかもしれません。
僕自身がそういう性格で、
結局は自分の中で凝り固まった決断を
最終的に押し通すことしかできません。
たぶん、これからどうするべきかか決めるのは
周囲の判断でもなく、自分を取り巻く流れでもなく、
自分自身の中から出てくる決断でしかないと思う。
そしてそれがもし、今までと変わりない生活になろうが
なるまいが、逐一あなた自身の判断があった
という事実を僕は理解します。
ただ、いずれにせよ自分を追い詰めないでください。
ここをずっと読んでるならご存知のとおり、
僕は友人の一人に大学を辞めるのを促して
結果、彼女はそのとおりにして気は晴れたものの、
後悔もしてる状況です。
僕ももっとうまく助言出来なかったのを後悔しています。
だからまずは、今の自分に逃げ場を作ってください。
それから小説を読むように、広い目でその話の主人公が
どうするといいのかを考えて欲しいです。
そして僕はあなたに生きていて欲しいです。
僕は直接的に何もできません。自分を非力に思います。
それでも僕がこう書くことであなたが生きるなら、
僕は我を通してもこう書いておきたいです。
--------私信終わり-------------
放置してるわけじゃないけど、
毎日が段々忙しくなってる保守。
昼間に障子紙を買いに行った。
昔は僕が指を突っ込んで破り、母親に叱られていたけれど
最近は部屋の掃除をしている合間に、不注意が原因で破ってしまう。
おそらく、来週の日曜にも父親が張替えをやらされるんだろう。
僕は膝を痛めた母親を乗せて、ホームセンターまでの運転手。
どうせならこっちにしようと持ちかけ、独断で柄物を選ぶ。
雲龍、桜、竹林、無地、紅葉と種類のあるうちから紅葉にした。
選んだ後で、「こぎつねこんこん」の童謡が頭の中で回りだし、
母と別れて筆記具を見ている間、小声で歌っていたら
すれ違いざまにおばあさんが笑っていた。
草の実潰してお化粧したり
もみじのかんざし つげの櫛
という歌詞の部分が好き。
こぎつねは女の子なんだろうね。
ガーデニングコーナーでは季節がらか、真紅のポインセチアが並ぶ。
金糸が縁に縫いこんである赤と緑のリボンが飾り付けてあり、
中央には小柄な金の鈴が居座っている。
家の周辺でも電飾の店頭を始めた家も多く、
店頭ではしめ縄を手に取りつつも頭はクリスマスに傾いたまま。
12月の変に忙しい雰囲気は、日本特有のものなんだと思う。
クリスマスの準備と正月の準備を
並行にやってくのはなかなか大変なのに。
忙しいのが本来からして好きなのかな、日本の人は。
名古屋に出かける機会があり、
例のように雑貨屋をあたふた回ったりしたけれど、
今年はソニープラザでプレイモービルのクリスマスグッズを
全く見かけなかった。下火になってしまったのかな。
サンタクロースと天使とトナカイのソリのを買おうと思ったのに。
モビの代わりに、モビの場所を占めていたのは
海外もののクリスマスオーナメント用のチョコだった。
ローリィ・バニーやら金の子豚の包み紙のイラストが魅力的で、
映画の「ロッタちゃんの赤い自転車」で出てくるようなチョコが勢ぞろい。
ロシェやハーシー・チョコレイトのパッケージも山積みされていて、
行き交う人が手に取り、顔を上げて商品に見入っていた。
それにしても今年の冬は暖かい。
12月の半ばを過ぎてもまだコートがいらない。
去年までなら秋頃に着ていたはずの
深緑のベッチンのジャケットを羽織って、
マフラーを巻いてれば、寒さも感じない。
日中はそれでも暑く感じる時があるし、
夜になって冷え込んでも、耐えられないほどじゃないと思う。
今年の冬は眼鏡を新調したいな。
店頭で見かけた、黒ブチの細長い四角のやつに
いま目をつけてる。
それを買ったら、普段じゃまで掛けもしない眼鏡だけど、
掛けて歩くようにしたいんだけど。
そうしたら髪も物凄く短くしたいな。
今はかなり伸びてきて、冬のソナタのペさんに
近いけれど、今度は勝俣ぐらいに…
どうしたんだろう。眠れない。
もうすぐ四時を回るところだけど、
眠気が全く来ない。
窓は夜の稗田空気を帯びていて、
指で触れると氷みたいに冷たい。
その奥に見える夜空が前に見上げた時よりも
一段と冴えているように感じる。
空に銀の星が散らばり、辺りを静寂が包む。
往来の派手な電飾に馴れた目が
しんみりと自然の明るさに馴染み、
こびりついていたしがらみとか、
貪欲になっていた心の滓を掃いのけてくれる。
余計な飾りの無い冷たい光。
この時間は車も通らない。
ここはとても静かな場所。
朝方のパーキング・エリアに似た
もの悲しい空気がここにある。
車の中で眠っている人たちを横目眺めながら、
朝方、なかなか寝付けずに外へ出歩く時の気分だ。
車中か、あるいは土産売場と食堂のごちゃ混ぜになった
店内にでもいれば暖かいのに、
無理をして寒い外を出歩く時のあの感じ。
見知らぬ人がどこかしこ居て、
半端に気を使いながらも
放り出されたみたいな孤独感がある。
「今から○○へ出掛けます」
「●●から帰るところ」
そういった興奮からいったん一歩退き、
冷たい朝を感じる合間、冷静さが人々支配する。
双子座流星群がいま来ているんだっけ。
五分ほど立ち尽くしてみたけれど、
星は流れそうもない。
諦めるにはあまりにも短気だけど、
足元から身体の芯までかけて冷え切ってきた。
板の廊下に裸足で立ち尽くすには限界がある。
寒さに限界を感じたところで、
冬の本格的な寒さを体で感じ始める。
兄の部屋からは兄の呻きともいびきとも
判断つかない声が聞こえる。
起こしたほうがいいだろうか?
起こさないほうがいいに決まってる。
でも今ならなにか話したいようにも思えるから不思議。
今年のうちに雪は降らないだろうか。
先日の夜の雨は雪になる気配もなかった。
白の綿雪が街の奥まで一面に降り出し、
薄い新雪を積もらせて欲しい。
晴れの日の夜よりも一層明るくなった町並みを
夜のうちに歩きたい。
しんとした白い夜が待ち遠しい。
おやすみなさい
12/14
クリスマス前に連続する期末試験のなか日を終えて、
僕は机の横に掛けた鞄を掴み、急いで校舎を出た。
12月の半ば。白い息がすっと唇から湧き出しては消え、
ばらばらと歩く同級生達の合間を縫うようにして残像が残る。
正午のチャイムが、僕の頭を打ち鳴らすかのように背後から聞こえてくる。
今日は試験最終日の半日授業。
一日の短い日程を終えて、学校周辺は制服を着た
同じような背丈の生徒たちの姿でごったがえしている。
男女揃いの濃紺の制服。冬用の上着までもが同じ色合いだ。
統一されたカラーが、散布剤のように校門から外へと
散らばっていく様子は不気味なくらい面白い。
でも僕もその中の一人だってことは分かってる。
この色は個性を限りなく塗りつぶす為の色なんだ。
校門を出て10分も急ぎ足で歩いてみると、
市街地の並木通りにでる。
辺りはふざけてるのかと思うほどがらんどうだ。
等間隔に並ぶ樅の木だけが、華々しくクリスマスの飾りを纏っている。
銀に統一された綺麗なのか下品なのかイマイチ分からないクリスマスツリー。
そして一緒になって翻っている派手な広告。
更に言えば、ガラスのショーケースや軒並みの店頭も
異様に感じられるほど華やかだ。
けれど何故か、そこには人の姿だけが足りないように思われた。
僕が密かに期待していたクリスマスの光景っていうのは、
簡単に説明するとこんな感じになる。
金や銀のリボンのかかった赤や緑を基調にした
ラッピングのプレゼントを抱え、笑いあう親子連れの姿。
サンタに扮した白髪の男が陽気に歌を歌ながらベルを鳴らし、
道行く子供に風船やオーナメントチョコを配る。
どこに行くにしろ人でごったがえしているけれど、
みんなうきうきした表情をしている。
キリストに見立てた蝋燭の金色の光が花壇に並べられ、
日曜学校もすっぽかすような連中も、
この日ぐらいは清らかな気持ちになる。
これはまぁ僕の作り上げた素敵な妄想なだけだけど、
どちらにしても、そういうクリスマスを心の中から
感じさせてくれるようなものが今この町並みにはないように思う。
夫を送り出した後に、片手間あいたといった感じの母子連れが
数えられる程度出歩いてるだけ。
母親と一緒に歩いているのは、幼稚園にも上がらないような
小さな子供なのだけど、その子がオーナメントに
触ろうとするのだって母親は嫌がるんよ。
「壊れるからやめて!」って言う。
僕はそういうの見てると、結構傷つくんだよ。
なんで?って尋ねられると、答えたくないんだけどね。
空はどちらかというと冷たい水色に晴れていて、
ただの「冬場の昼下がり」という雰囲気が漂っている。
乾いた空気に聞き飽きたクリスマスソングが流れるありふれた一日。
菓子屋の向かいのパン屋からは、年中変わらない
焼きたてパンの匂いが、そっと漂ってくる。
少し調子外れの町並みを気の抜けた気分で僕は通り抜ける。
別に、見慣れた町のこの景色に僕はこれといって期待はしてない。
今日は目的があるから、友達とも別れて足早に学校を出て
ここを歩いてるだけだから。
クリスマス・イヴに祖父が遠方から尋ねてくる。
僕は今日からその準備をしたいだけ。
僕の爺さんは北方の半島で普段は一人で生活してる。
厳寒な地域で、冬場は夜中に出歩いてると
凍え死ぬようなとんでもない場所だ。
余談で一つ面白い話をすると、そこでは冬の夜に
外を出歩いている人に気付いたら、家の中に入れてあげて
温かい食べ物を提供しなくちゃならないという法律がある。
それぐらい、そこは夜の冷え込みが厳しい地域だ。
もう一言付け加えると、人助けが法律化されてるけど、
命が危険な人を見つけたら助けてあげるのは
当然のような気もするんだけどね。
話を戻すと、僕の両親も昔はそこで爺さんと一緒に暮らしていた。
だけど僕の兄が生まれた時に、僕の両親は父の仕事の関係も兼ねて
爺さんの暮らす国より南方の、この比較的過ごしやすい国に移民したらしい。
おかげで僕は生粋にこの国に馴染んでる。
今以上の寒い生活は、とてもじゃないけど僕には耐えられない。
それに向こうには向こう特有の言語があって、
どうも僕にはおぼえられそうにない。
両親は爺さんと会うと、決まってその言葉で会話する。
両親はバイリンガルだからどちらでも話せるけれど、
爺さんは向こうの言葉でしか会話が出来ないからだ。
だから僕と爺さんは、実はまともに会話が成り立たない。
前に失敗したことがあって、お茶を淹れて欲しいと言われたのに
分からなくて適当にコーヒーを淹れてしまったことがある。
しかも僕は甘いのが好きだから、トルコ・コーヒー並に砂糖をたっぷり
入れて出したんだけど、爺さんは嫌な顔せずに黙って飲んでくれた。
そして吐きだした。
悪気はなかったけど、悪いことしたと今でも反省してる。
だから両親が居ない間、爺さんと僕の二人で過ごすのは
とてもスリルがあるんだよ。
そんな苦労はあるけれど、爺さんは僕をとても気に入ってる。
今年のクリスマスにどうしてわざわざ遠方からやって来るのかというと、
家族で過ごしたいというよりは、他でもない僕に会いたいからだ。
僕の兄は既に成人していて一人暮らしをしているから、
今のところ爺さんに一番可愛がられているのは
僕一人というわけだ。
僕のほうは、爺さんの訪問は大歓迎というところかな。
爺さんがお土産に持ってくるスモーク・サーモンはとても美味しいし、
前にもらったあちらの”イッタラ”というメーカーの食器も
ハイセンスでかなり格好いい。
でもそういうこと抜きで、今年のクリスマスの訪問をとても楽しみにしてる。
僕の語学力じゃそのことを口で伝える事も出来ないけれど、
僕も爺さんのことをとても気に入ってるから。
書き込み一つ目から堂々と内容を矛盾してしまった…
でも修正は、一通り書いた後ということで。
僕は一人でハイ・ラインという通りを突き進み、
突き当たりにある一軒のフラットへ急いで入った。
くすんだオレンジ色の屋根が目印の僕の家だ。
先月末に置いた玄関脇のスノーマンをいつものように蹴って、
首から下げた銀の鍵を取り出し、僕は乱雑にドアを開けた。
ただいまは言わない。
家の中に誰も居ないのは分かっていたから。
母さんは週末の昼には家に居るが、
今日のような平日授業の変則時間には僕は家で一人になる。
僕はここぞとばかりに鞄を玄関先に投げ、まずはキッチンへと急ぐ。
急にお腹がすいた気がしたから。
戸棚からインスタント・ミールのパッケージを取り出し、
ラッピングを破いてオーブンにぶちこむ。
五分間の辛抱。
その間に僕はテレビをつけたり、スプーンを準備したりする。
色々な食べ物がごっちゃになって温まった匂いが
部屋に充満する頃、タイミングを見計らってオーブンから
そいつを取り出す。
トレーに小分けされているグラタンとミネストローネの匂いが、
隅っちょに添えてある茹でブロッコリーにしっかりと染み込んでいる。
まるで今日はみじめな都会っ子のような昼食。
人が見たら、なんておもうのか分からないけど、
でも普段は決してこんな食事ばかりしてるわけじゃない。
僕は好き嫌いは少ない方だから、結構なんでも食べるんだよ。
とはいっても、大体は学校でまずいランチを
クラスメイトと一緒に食べるぐらいだけどね。
ランチは二十分で食べ終え、
食べ掛けはごみ箱に捨てて外に出かける準備を始めた。
グラタン臭いブロッコリーは、口に入れる気にもならなかった。
先ほど投げた荷物を手に階段を駆け上る。
鞄なんかはちゃんと片付けておかないと
後で帰ってきた母さんに叱られるので、そのへんは抜かりない。
着替えも手早く済ませ、お気に入りの赤と白のボーダー
マフラーを口が隠れるほどぐるぐる巻きにして準備は完了。
ふと落ち着くと、少し頭がぼうっとする。
これからの予定が一瞬頭から飛び、
これから友達と何処かに遊びに行く
準備でもしている気分になった。
着替えをした子供部屋から、部屋の十字窓を
ぼんやりと見上げると、外の景色が白くくぐもって見える。
本当の事を言うと、寒いはあまり好きじゃないから
出て行くのはちょっと億劫に感じる。
それでも僕はレゴのプラスチック製の腕時計を
腕に巻き、壁の時計と見比べて時刻を確かめた。
13時少し回ったところ。狂いは無い。
クリスマスの準備を整える為に、
これからある人と僕が会う約束をした時間までに
まだ三時間以上も時間はある。
馬鹿みたいだ。それだけ時間があるのは
頭の中で大体計算できていたはずなのに、
僕はこうして意味もなく急いで家に帰ってきてるんだから。
この準備のことで、実際僕は心の中で相当焦ってる。
爺さんとクリスマスを迎えるためにしなくちゃならない
作業のことで、僕はここ暫く相当混乱している。
部屋の中の一点をなんとなしに見つめてみると、
締め切って淀んだ空気が、しんと静まりかえっていた。
時間が停まったように思う。
時間が鬱陶しい。時間がうるさい。
するとこうして家に居るのがなんだか居た堪れないように
感じだして、僕は急いでここから出る決心をした。
13時11分11秒を壁掛けの時計が指したのを
一瞬目に止め、早足で部屋を出た。
ダイニングを横切るとき、窓の脇に置いた赤のポインセチアを
ふと一枚千切って、僕はすぐ家を出た。
もう少ししたら戻ってくるつもり。
年明けになるかもしれないけど。
それまでもつかなぁ。
待ってます。
良いクリスマスをお過ごしくださいね。
>>761 ありがとう。
あなたも良いクリスマスを!
>>759 約束の定刻までの時間をどう潰そうかと考え、
僕は悩みながらもガレージから自転車を引きずり出した。
まだ平日の昼下がりは続く。
北東の大きなクリスマスツリーの立つ駅で
待ち合わせているが、待ち時間がとても長く重い。
あの人は時間があるはず。
一体どうして、あの人はすぐに会えるよう
約束してくれなかったんだろう?
駅の近辺には大きなショッピングモールも
いくつかあるけれど、僕は考えあぐねた挙句、
駅とは反対方向の住宅地の奥へと向かうことにした。
「しょうがないな」と独り言をしながら勢い良く自転車をこぎだす。
赤いポインセチアの葉をポケットにしまった事は
すっかり忘れていた。
同じ頃、少年の兄のジュバは暖房の利いた部屋で
時計をちらちらと気にしていた。
壁掛けの時計は、一昨年新調する折に
弟に選ばせたキャラクターものの時計だ。
15時になるとピカチュウのパターンが出てきて休憩の時間を知らせる。
今はまだ13時。ピカチュウは当分出てきそうもない。
それでもジュバは書斎の上の書きものに手をつける気分には
なれそうもなくて、キッチンのレンジでお茶の湯を沸かそうと立ち上がった。
ポケット・モンスターもいまは大分下火になったか?などと考えながら。
また、不思議と流行りものは簡単に廃れるが、
そのときに夢中になったものの思い出は
しっかりと残っているものだ、と妙に感心もしながら。
一昨年の冬、ジュバはまだ実家で家族と一緒に生活をしていた。
壁掛けのキャラクター時計はその頃に選んで買ったものだ。
当時自分の運転する車の助手席に弟を座らせ、
後部座席にはいつも無駄に笑いながら
会話に割って入ってくる恋人のサリーも乗せていた。
まだジュバが学生だった頃の話だ。
ちょうどその頃サリーは3年勤めた職を辞めて
両親の住む家に戻り、パート勤めを始めたところだった。
おかげで家が近くなり、二人の会う時間も今まで以上に
作れるようになっていた。
サリーはジュバよりも年上の女だ。
面倒見の良さと寛容な部分に惹かれて付き合うようになったが、
そういった性格が自然と、まだ小さい弟にも合ったのかもしれない。
弟とサリーはうまがあうのか、とくにジュバがけしかける必要も無く
自然と仲良くなっていったのを覚えている。
そのうちに彼女と気軽に会う時には弟も一緒についてくるようになり、
ジュバの部屋の壊れた時計の買い替えの折にも
そうして当然のように三人で出かけたのだった。
まず、ピカチュウの時計を選んだのは弟だった。
選んだというか、弟は自分が欲しくて兄にせびったのだった。
キャラクター商品は正直言えば、全くのジュバの趣味ではなかった。
ジュバは当時からシンプルで落ち着いたデザインのものを好んでいたし、
そうでなくともピカチュウの時計は子供っぽくて持つのも恥ずかしく感じた。
普段ならば、絶対に選ぶことのない商品だ。
しかし、そのときジュバはあっさりとその時計を選んだ。
「いずれ結婚して子供がができれば、家の中って
こんなものでいっぱいになるんだろうね」
とサリーがいったのをジュバはよく覚えている。
彼はその時は口ではあれこれとありきたりな不満を述べたが、
内心早くからそれを買う決心を固めていた。
弟が一生懸命にその時計の良さをサリーと彼に説明し、
サリーがそれを面白がり、「買ってあげたら?」の
アイ・サインをジュバに送る。
そんなやり取りにジュバは笑った。
ピカチュウの時計そのものは、やはり魅力的には思えなかったが、
彼の欲しいものが既にそこにはあった。
銀色の文字盤に見入っている小さな子供と、
それを見守る愛する女性がそこにいて、
その輪にしっかりと自分がはめ込まれて、
調子よく良く会話が回転する。
文字盤で時計の針を抱えたポケット・モンスターの
キャラクターが時間の輪をぐるりと一周して繋ぎとめ、
ジュバは「しょうがないな」と言って笑った。
弟が手をたたいて喜び、
ジュバの顔も思わずほころばせた。
その時彼は、ピカチュウの時計に温和な家庭像を見たのだった。
帰り際、ジュバが大きな包み紙を抱え、
その前をサリーと弟が手を繋いで歩く姿がそこにあった。
すれ違う人たち――とりわけ親子連れの客の子供が、
ジュバのもつ荷物を指差し、その子供の親が促されるようにして
彼らを見ているのを感じるのが快感だった。
「ピカチュウの時計!」という言葉が所々で聞こえてきて、
続けざまに「いいなぁ」という声がする。
その言葉に省略された、”あの家族が羨ましい”という意味合いを
読み取ってジュバは快感を覚えた。
家族と思われることに快感を感じ、
まるで自分たちが家族であるかのように感じることに快感を感じ、
つまるところ、ジュバは将来サリーとこんな家庭を持つのだと信じて
その時胸を震わせたのだった。
しかしながら実際はそうはならなかった。
移民である両親との考え方の違い、年上の女、
元からあった両親との諍いであったりして、
彼女とは結婚にまで至らなかった。
そして結婚の代わりにジュバは家を出た。
悲しいことに、今は弟ととも離れて一人で冬を越し、
こうしてレンジで湯を沸かす生活を送っているのである。
希望に満ちたように思われた恋も終わり、
ふと誰も居ない部屋の隅に人の気配を感じて振り返るような、
そんな生活に今では入り浸っている。
未練は無いし、気楽ではある。しかし、時折不安が綯交ぜになる。
冬場はとりわけ孤独で、馬鹿らしくて人には言えないが、
自分の遺体が埋もれていて、春の雪どけに
ひょっこり道端で発見されるという想像を
たまにしないでもないというふうに。
770 :
夢見る名無しさん:04/12/31 19:03:54
今更感
ほんと今更ですね
もう書き込み辞めます
今まで見守ってくれた人たち
ありがとうございました
来年は皆さん良いお年を
こんばんは
というよりは、
謹んで新春のお慶びを申し上げます
という方が適切でしょうか。
もう書かれないんですね。
残念です
説明無しに突然辞めると書いて
終わろうとしてすみません。
正直に話すと、大晦日の書き込みは自暴自棄でした。
辞めようと思った理由は僕なりにあるのだけど、
ここに書いてしまうと後々にも残るのが気になるので、
ここには書きたくありません。
ヤケで辞めると書いたにしろ、このスレについては
先月中なかなか書き込みが進められず
やはりどうにかするべきか迷っていました。
それでも残しておけばいいのか、
それとも無駄なものは無いほうがいいのか、
自分ではよく分かりませんでした。
今でもよく分かってない状態です…
>>279 新年早々気分を悪くさせたならご免なさい。
ブログリンクしてもらったのに申し訳ないですが、
あちらは完全に削除してしまったので
もう僕の手元にはログさえ残っていません。
ブログに関しては、もうどうにもできない。
->ブログに書いたのチャットルームについて
ブログでやると宣言してた音楽部屋は予定どおり
ヤフーチャットで今日21時からやります。ROM歓迎。
どれかは部屋名でおそらく分かると思います。
カテゴリは音楽=ユーザールーム。
気が向いたら聴きに来てください。
一応保守。
さらに念押し保守
また書くかもしれない。保守。
>777
スリーセブンおめ。楽しみにしてます。保守
>>778ありがとう。
ところが今日書きかけデータが飛びました…
>>779 面白くて綺麗なサイトですね。
僕も張り切って結晶何個か作ってみました。
書きかけの物が気がかりだけど、
前のように毎日や大量に書き込む時間が
無くなってきてしまいました。
書いてるものも段々長くなってきてどうにもなりません(苦笑)
いつか完成したらまとめて出したいです。
暫く書き込まない間、
僕自身は友人関係ががらりと変わってしまいました。
就職活動の方は内定も一つ貰いましたが、
まだまだ活動しなくちゃならないようです…
こんばんは、それからお帰りなさい。
就職活動頑張ってくださいね。
>>782 こんばんわ、ありがとう。
迎えてくれる人が居るととても嬉しいです。
漸くスーツ姿で電車に乗ることに慣れてきた。
のび放題だった髪も大晦日前に短く切り直し、
そのついでに、五年ほど使っていた眼鏡も新調し直した。
気付かぬうちに随分と視力が落ちていたらしく、
新しく出来た眼鏡のレンズの厚みは、目に見えて厚くなっていた。
はじめに視力検査をしてくれたとき、
店員が古い眼鏡を洗浄器にかけながら
「今までよくこれで過ごしてきましたね。
あまり見えてなかったでしょう?」と言っていた。
中村一義をそのまま白髪混じりの年齢にまで
押し上げたような、不思議な顔つきの童顔の男性。
僕はそうですね、と苦笑いしておいたけど、
実際は取り立てて不便に感じたことは無かった。
むしろ新しい眼鏡を掛けて、
今までぼんやりとしか見えてなかったんだと気付く。
僕が選んだのは、表面が黒く、
裏面が安物のプラスチックの玩具のような素材の
碧の透き通った色合いの眼鏡。
以前に比べて眼鏡も頻繁に掛けるようになったので、
フレームと髪の色が被るのを避けて、
とうとう髪も黒から栗色に染めてしまった。
おかげで童顔が強調されて、それでスーツを着ると
殆ど品のいい子供のような顔立ちになる。
洗面台の鏡の前に立っていると、兄が覗きに来て
「("いつもここから"の)菊地じゃ無くなったな」と、
捨て台詞をされた。
髪型が菊地だったのは、とうに前のことなのに。
正面をじっと見つめると、
以前よりも表情が硬い印象になった眼鏡男が鏡に映り、
無表情に唇を閉ざしてぼんやりと立っている。
オレンジ色の光が陶器の洗面台や壁面を照らしていて、
レンズ面でも光、眼鏡の奥の表情を隠してしまっている。
その時はこれで良かったのかな。と思ったが、
良かったのかもしれないと今は思う。
元日にはこんな夢を見た。
京都のような古風な町並みを観光でやってきた僕が、
堀沿いの川岸に沿って建物を眺めながら歩いている夢。
炭色の壁面に他の観光客が触れて、そして感動している横を
僕と、僕の父親とで追い越していく。
僕はブログに書く為に、写真を撮ることばかり考えていて、
殆どゆったりと見学はしていない。
父は案内順路の最後まで急ぐようにして歩いている。
そしてそんなありそうな光景の中に異質なものがある。
足首までを浸して流れる、銀の絹糸のような水。
魚が足の間を潜る。
それを僕は写真に収める。
勿論夢の中では違和感は感じなくて、
堀沿いの川と足元の水が次第に繋がっていくのにも
なんの抵抗も感じなかった。
順路はタワーやテレビ塔にありがちな古めかしい
ゲームセンターに繋がり、そこも水浸しになっていた。
コインを投下し、途中の穴に落ちずに一番下のゴールまで
落下するとお菓子が景品にもらえるゲーム機のコンセントを抜く。
電気の点灯する部分など一つもない機械のはずなのに、
コードを抜いたところでお菓子が景品受けに出てきた。
保守
足きりが微妙なので保守。
>>786-787 保守ありがとう。足切りも圧縮のタイミングも謎ですね。
スレの位置も、age,sageに関係なく変動してるようだし。
夢板のスレ保持数(?)が増えてから
大きな圧縮っていうのは一度も無かったのかな?
土日に掛けて全国的な大雪が降ると
騒いでいた割に、家の周りでは雪は降らなかった。
雪が降るのを期待して夜半頃にヒーターで
部屋をしっかり暖め、熱い緑茶を沸かそうと
薬缶に火を掛けておいたけれど、
それも空回りに終わる。
夜には雨が降り出し、暗い光景に黒く艶のある
道路がしっとりと濡れていた。
心なしか街灯も暗いように思われ、
家から車、車から家まで移動する間に
眼鏡はすっかり白く曇る。
少し暇のある休日で、乾燥した指で
必要な手紙を何通か書いた。
黒紺色のインクのペンで用件と文章を書く。
いつの間にか、随分書く字の感じが
変わったもんだと感じながらペンを滑らせる。
黒糖ミルクのキャンディを頬張る。
独特の黒糖の甘味が、栗を思わせる味。
先日の二次面接で、面接官に
「大分落ち着かれましたか?」
と言われてふと顔を上げた。
彼は勿論僕のプライベートについて
言ってる訳じゃなかった。
その面接を始めるほんの数分前、
僕は自分から"とても緊張している"旨を相手に伝えていた。
彼はその事を指して言ったのだけど、
ほんの一瞬の隙のに、僕はここの所の自分の
生活について言われているのかと勘違いした。
面接の始まる、そのまた数分前に、
僕は妙な感覚を経験していたからだと思う。
駄目だな。
前書いていた時のような調子が戻ってこない。
素直に言えば、その事でこのひと月ずっと悩んでる。
就職活動がまともに進むようになってきて、
尚且つ新しい人との出会いがあった。
今その人に物凄く惹かれている。
でもそれが影響してか、僕も次第におかしくなってる。
僕が彼女と親しくなりはじめた頃、
以前のあの、どろっとした黒いような
甘ったるい妄想を平然と喋っていたのだけど、
ある時あるやり取りをして以来、
なんだか今までのようにうまく考えられなくなってきた。
そのやり取りは、こんな感じのものだった。
「日本が全部埋まるような銀箔みたいな
綺麗な雪が降ったら、富士山から家までそりで滑って帰ってくるよ。
そうしたら、山の斜面に甘いチョコレートで文字を書いて、
写真とって雪の降らない南国の子供に送ってあげるね。
"日本のかき氷というお菓子です"ってメッセージを添えて、
雪と一緒に詰めて送ってやるんだよ」
そんな事を僕は確か笑いなが言ってたと思う。
すると彼女が何も言わなかったので、
僕があんまり面白くないか。と言うと、
「妄想では大胆なんだね」と言い返された。
「妄想ならいつでもおれは大胆だね」と僕が笑っていると、
「もったいないね」と彼女は言った。
「想像はそこで終わっちゃうけど、
現実で積極的になれば、それは叶えられるのに」と。
名古屋方面に出ることも最近ではかなり増え、
他の友人と会うよりは彼女と会うほうが増えてきた。
それでも僕は彼女と会う時、友人の話ばかりしているらしく
「友だち大切にしてるんだね」とよく言われる。
実際は反対だと思う。
ときどく不安に駆られるようにしてメールを
こちらからするけれど、何を書いて送ればいいのか分からない。
それでも無理に送り、返事を貰う。何度となくその繰り返し。
そんな中でサイタマに「年末には一応戻る」という返事をもらった。
そして戻ってきたので、僕は会いに行った。
その日の帰り際に
「なんかあったの?変だけど」と言われた。
どこがおかしい?と尋ねてみると、
「無理に合わせてる感じがするな。場は盛り上がってはいたけど、
妙だった。お前はその場に一緒に居ても、
普段、自分は自分って感じだからな。おかしい」
あまりにサイタマらしい的を得た言い方だったので、
思わず笑ってしまった。
それから自分でもおかしい気がする、と僕は話した。
そして最近仲良くなった人の話もした。
するとあからさまにサイタマは嫌な顔をし、機嫌が悪くなった。
「女か、」とぼそりと呟かれた。
胸を引っかかれたみたいな気分だった。
友だちだよ。と言ったけれど、
「でも実際ペース崩されてるんだろうが」と言われて、
返す言葉が無かった。
サイタマは更に続けて言った。
「結局お前も、枯れるんだな」と。
僕は前にサイタマとケヴィン・シールズの話をした事がある。
ロスト・イン・トランスレーションの映画が解禁された頃で、
ケヴィン・シールズがサントラに楽曲を提供したという話で
話題に持ち上がったのだった。
僕も聞いたけれど、はっきりいって噂どおりの不評だった。
そこでサイタマと文句を言いながら、
どうして彼は活動をめっきり辞めてしまったのかという話になった。
そこで僕が言ったのが、「才能の枯渇」という言葉だった。
「就職活動を真面目にやり出したっていう辺りから
心配はしてたけど、結局そういう事だったな」
と言ってサイタマは機嫌悪く煙草を吸っていた。
何度か力をこめてコンクリートに擦りつけたので、
先が捻じ曲がってしまった煙草を
腹立たしそうに吸い続けていた。
――そのねじくれが僕だ、
とその時は思わなかった。
思うどころか、頭に思い浮かびもしなかった。
今思うに、その時点で僕はもう駄目になってたんだと思う。
自分らしさが何処かに行って、
感傷に浸るよりも明日の予定のことを
考える頭が残ってしまい、次に彼女と会うのは
いつだったか、と考えるようになってた。
前のようにだらしなく弱音を並べた後に
「だけどこんな自分が好きなんです」とは
とうに言えなくなっていた。
「俺はそんな終わり方して欲しくないけどな」
とサイタマは言った。
僕が「元から才能なんて無かったと思うけど」というと、
「そういう言い方しない才能はあったよな」
とサイタマが言う。
「人間の魅力や才能って、一つじゃないって
言ってたのもお前なのにな」
「よくさ、結婚したり仕事に就くと駄目になってく奴いるだろ?
まさしくそれだよ。お前自分が軽蔑してたくせに、
自分もその穴にはまりかけてるんじゃん。
どれが直接の原因か俺には分からんけど、
それで自分捨てて欲しくないね」
「だったら就職しないで今のままで好き勝ってすればいいのかよ」
「そんな事言ってない。付き合うのも勝手だとは思うよ。
でもそれで自分を変えるのはどうかと思うよ。
納得してるならともかく、自分でおかしいと思ってるんだろう」
「思ってる…」
「思ってるなら、それでいいのかって事だな」
自分でどうしていいのか分からないのが
正直な感想だった。
「とにかく、あんまり色々と急ぐなよ」
とサイタマは言った。
「あと自分に妥協するな。お前自己嫌悪ばっかりだけど
自分に厳しいのがいいと俺は思ってたよ。
だから何しても成長するの早いもんな」
僕は頷くしかできない。
「新しい人付き合いで得るものも多いと思うよ。
でもそれで自分見失ったら意味ないだろ。
才能枯れたっていうのも、今の時点での話だから
後でもっと良くなるかも分からんよ。
何が変わったか、何が無くなったかをよく考えてみれ」
こんなやり取りがあったのが、去年の年末でした。
除夜の鐘が鳴り響いて、何処かしこも賑やかな夜に
僕がしてたのは反省とブログ削除です(苦笑)
まだ前のペースは掴めないけれど、
少しづつ元に戻したい。
前以上の自分を掴めるようになりたい。
これが暫くの目標。
午前中に自然と目が開いたのも久し振りなら、
窓を開けて空気を自然に流すのも久し振りだった。
部屋に一通り掃除機をかけ、手が痒いと感じた頃には
昨日机の上に置いておいた眼鏡が埃まみれになっていた。
以前の自分に上乗せにされていく変化ならば、
こんなに心配にはならないと思う。
むしろそれは喜ばしいこと。
それでも、今の自分は直に今までしてきたことを
否定してしまうんじゃないかという不安がある。
今まで必死に目で追ってきた光景が、
間延びした影が自分の目の前を延びていくのを
ぼんやり眺めてた時間が、
「無駄だった」とはあまり言いたくない。
その時に聴いていた音楽を聴いてみたり、
その時に見ていた光景をもう一度同じ場所から
感じ取れたとき、ふわりと元の感覚に戻る場合がある。
例えば風通しの為に外した襖戸の奥の、
日焼けしたレースのカーテンが網戸に吸い付く光景。
もう何年も僕はこれを見てきた。
日が照ってくると蜜色の窓の形をした四角形が浮かび上がり、
年中比較的暗い僕の部屋まで明るさが増す。
これも何年越しにも渡って眺めてきた光景。
けれど、すぐその事を忘れてしまう。
当然の眺めだと感じたり、
意識さえしなくなる。
漸く今朝また、眺めたところ。
寒いと言って遮断していた外の風が、
思ったより暖かかったと思わずほっとした。
家庭に篭もりきりになってしまった主婦が
世間ずれしていると時々揶揄される。
各家庭にできた小さな世界に入り浸って、
それが全部だと感じてしまうからだと言う。
100万あった目が、1つになる。
もしもそのたった一つの目が審美眼だったとしても、
100万の光景を知っている目よりも本当に重要なのか?
と疑問に感じる。
京都や香港、ロンドン、アムステルダム、様々な被写体を
抱え込んだ目玉と、県内から滅多に出ないが、世界を計算した目。
どちらがいいんだろう?
分析する脳が別にあって連携するなら、
どちらをとるだろう?
おそらく、現実的に考えれば誰だって
1と100万の中間をバランス良く取る事を考えると思う。
僕もそうする。
それでも、そのバランスがうまく掛け合っているかが疑問になる。
僕は傾きすぎじゃないだろうか?と。
変わることとそのままで保つことの釣り合いが、
今何処で均衡を取ればいいのか
どうしたら上手く均衡を持てるのかが分からない。
木製の机に降り積もった埃を今朝払い取った。
僕の机はこんなに綺麗だったのか、と唖然とした。
玩具がある。携帯電話がある。
左脇にミネラルウォーターを置き、
右側に取り外した襖越しの部屋からの光を感じ、
三ヶ月前に熱心だったvelvet teenを聴いて、
あとは少し寒いだけで、同じ環境が今も残っている思う。
それでも感じ取れるものは同じじゃないのか。
前にあった、傲慢で安心のある気持ちが
見つからないように思う。
蜜色のレモネードは、エキゾチックなお菓子は
何処へ行ったんだろう?
この時期は試験期間の終盤で、
大学に行ったところで人の姿が少ない。
通路脇に立った巨大な銀杏からも
すっかり木の葉が抜け落ちて、
秋頃は掃いても掃いても散り積もる葉に
辟易していた用務員の人たちも、
今ではその姿さえ見掛けなくなりつつある。
閑散とした中でも事務員が私立入試に向け
案内表示の貼紙をだし、
一つ仕事を終えたという達成感のある顔をしている。
おそらくこれからもっと忙しくなるんだろうに、
と思いながらも、その隣をすれ違っていく。
効き過ぎた暖房、回廊を回って硝子扉を押し、
外に出た。割と良い天気。
椿の生垣の隙間から雀が出て来て
頭を傾げている。
学校という安全の確保された敷地で
平和ぼけしてるのは、生徒や職員だけじゃない。
小鳥もパン屑を投げれば平気で近づいてくるし、
猫は触ってもなんとも嫌がりもしない。
守られいる意識があるからだろうか。
今巨大地震が来たとして、真っ先に死ぬのは
案外と健康で丈夫そうな大学生たちかもしれない。
学食で売っているパンの事を思い出す。
値段の割にまずいパン。
学食で売られているからもっているような味のパン。
これも守られてしまってるのかなと思う。
怒りや不満よりも、なぜか親しみを感じてしまうけれどね。
文学の勉強をしてきた成果なのか、
時折ほろりと素直な感情が言葉になって
口をつくようになった。
思う事を包まずに口にする。
人の性質や性格そのものを平気で
「好き」と言ったりする。
研究者が性的な会話を研究対象として
恥ずかしげもなく話すように、僕も
「お前のそういうところが好き」
と平気で言うようになった。
良い点に関してだけど。
どうやらそれはとても相手を安心させるらしい。
前は自分の感情をどこまで出していいのか
分からなくて黙り込んでいたけれど、
いい事はどんどん言った方がいいらしい。
当然かもしれないけれど、
漸く出来るようになってきた。
それが案外このスレの書き込みのお陰だったりする。
思う事をなんとか伝えようと書くようになってから、
自分のこともかなり整理がついてきたように思う。
素直に思うことを談判出来るのはいいですね。
書いてて良かった。
不採用通知をもらった。
仕方ないけれど、やっぱり凹む。
此処で発散。
氷山の連なりが北に見える。
冷たい色をしたコンピューター・グラフィックの
平面を奥行き方向に辿っていくと、
粗いスケッチ調の回廊が現れる。
白黒のネガを眺めている気分。
現実味が未だに無いから。
裏を返せば、垂れた黒い墨の雫が、
雪山の中の木や道筋に見えてくる。
そこを僕は辿る。おそらく、一人で。
現実で何らかの形で自分が、知り合いが
被災したなら、僕は助けようとするだろうし
助けられたいと思うだろう。
でも魂一つで異次元に行ってしまうなら、
自由に、孤独に埋もれて進んでいくに違いない。
それとも、実体の伴わない幽霊のような
友達なら引き連れて行けるかもしれない。
オンライン上の人、真ん中の兄、
etc
etc・・・
薄ぐらい雪の降る日の空の、
随分と高い場所から地上を見下ろす。
早いスピードで雪が降っていて、
思っていた程雪は優しくはないんだと思う。
作りものの狂気とわかっているのに、
結構うろたえている僕がそこにいる。
熱い湯舟にじっくり浸って、
空想で被った雪を溶かしてきます…
保守
保守ありがとう。優しいね。
昼頃出かけるついでに買い物を頼まれ、
重い野菜を多く買い込んだついでに
まろ茶を購入。随分前からだと思うけど、
伊藤若沖の絵が現在ラベルになっている。
この人の描く鳥がとても好き。
新しく買った眼鏡がいまいちきつい。
一日掛けているのが結構苦痛で、
鼻の付け根に当たる眼鏡の支え?の部分で
擦れ、眼鏡を外すといつも赤くなっている。
暖房の利いた狭いゼミ部屋で
僕が目薬を指す為に眼鏡を外していると、
教授が面白そうにこちらを見てるのに時々気付く。
他の誰かが発表をしている中で、
室内にポットで沸かしたコーヒーの香りが漂っている。
カップこそ紙でできたコップであるけれど、
コーヒーは教授が海外に出かけた折に
買い付けてる質のいいもの。
”樫の木”という学校近くのケーキ屋でかいつけてる
アーモンド入りのクッキーを頬張る。
誰かが席を立って湯を注ぐ時、
白い湯気が立ち込めて湿った空気を感じる。
時々は、”たけのこの里”なんかもおやつで出る。
やる事さえすれば、比較的親しみのある自由な空間が提供される。
「host」という言葉を前に教授は使っていた。
もてなすということ。
日本のそれとは意味合いがやや違う。
「pub」も日本では悪い印象があるけれど、
イギリスなどでは飲み屋ぐらいのイメージだったりする。