注)ここはスレ主が自己欺瞞な事を勝手にほざくスレです、、、。
そのような文を読む事が嫌いな方はお止め下さい、、、。
多分消失してしまっていると思いますが過去ログです、、、。
駄目人間を自称する人達のスレ(その3)
life.2ch.net/test/read.cgi/yume/1067358583/150
それにしても、鯖が死んでしまったようですね、、、。
もう一回一々たてなおさなきゃならんというのは非常に面倒くさいですね、、、。
それにしても、なんとなく空を見上げたら、、、。
自分が学校に行く時は下を見て歩いていっているなということに気付きました、、、。
下を見て歩いて下を見ているような事を考えて生きている、、、。
生きるという事は惰性であり、刺激であり、日常である、、、。
それが、どのような価値を持ちどのような生き方をし、、、。
どのような概念を持ち、その全てをかけて人は生きてゆく、、、。
結局、今よくいわれている成功や失敗なんぞ短期的な物の結果であり、、、。
その成功論や失敗論はただの一座標に過ぎない、、、。
でも、それは一座標と切り捨ててもいい物ではない、、、。
その一座標が全てを決めてしまう場合も非常に多いからだ、、、。
其れが故に、一つの結果に過ぎない、、、。
自分が求めているもの、人が求めているもの全ては理解しあえない、、、。
まったく隔絶された、一つの牢屋の中にしか人生きていく事はできない、、、。
理解できる、分かるというモノは人の心の表層に浮いた一部の木片しか分からない、、、。
いや、木片も分かればいい、、。人はその表層さえも決め付けで見ないのだからな、、、。
でもそれはそれでいい、、、。それにはそのような結果が出るというだけだからさ、、、。
相変わらずだな、、、。
駄目だな、、、、。
移転らしいのでたぶんそのうちスレ戻ってきますよー。
ただの移転なのに新スレ立てちゃってるところが駄目駄目ですね
n,,,,,,n
/・::::::・::::゙ミヾミミミ <糞スレずざーーーー!w
(;;●;;;;;;<ヽヾミミ (´´
(´ー` )::|ヾミミ ) (´⌒(´
⊂ミ;;;;;;;⊂)::|l:::ミミ⊃ ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
移転を知らないのか…
戻ってきました。
おい俺、、、。やっちまったよ、、、。
さてどうしようか、、、。
その3を落とすか?それとも、、、。
駄目駄目だな、、、、。
>>6 おひさしぶりでごぜえますだ、、、。
>>7 2、3日パソいじってなかったんで、、、。
>>8 おきゃありなさい、、、。
まあ、おいらは広いっていうより、、、。感覚に頼り過ぎている面が強い、、、。
知覚的に考えているというより、見た聞いた感じたという曖昧な物から則して考えている、、、。
どんな学問や思想というの何かしらの結論と仮定と発展するという前提を持っている、、、。
でもね、おいらはそれは幻想に過ぎないとも思っている、、、。
学問、思想の存在は発展も結論も出しやしない、、、。
ただ、膨大の仮定の渦の中に嵌っていくだけのような気がするんだよ、、、。
発展というのは精神的な発展か、実質的な、経済的な発展か、、、。
そうすると、科学、技術、経済とそれに経営や心理、哲学色んな物が引っかかってっくる、、、。
経済的発展といってもケインズや自由放任主義やらドンドン細分化してゆく、、、。
もし、この細分化してゆく事を発展と決めつけるのであれば、、、。
それは、とんでもない妄想に過ぎない、、、。といっても、心の豊かさなんてほざきやしないし、、。
其れも又ぐちゃぐちゃに拡大したり、収縮していったり、細分化される、、、。
全くを持って切りがないでしょう、、、。
それなのに答えを求めるのはただの確証性が欲しいといっているガキに過ぎない、、、。
そのような、ガキがこの日本にあまりにも蔓延されているんだよ、、、。
それを、いい年こいたおっさんやおばさんがいうんだから、、、。
本当にねもう駄目なんだよ、、、、。
面倒だから、、、。3落とすべ、、、。
たく、早とちりというのは本当に俺の悪い癖だな、、、。
まあ、それはそうとしても、、、。
最近暗くなるのが遅くなりましたね、、、、。
段々温かくなっていくのは非常にありがたい事で、、、。
でも、鬱は年々ひどくなっていく一方で、、、。本当に辛い、、、。
した向きな事を考えはじめるとドッバーと黒々しいことしか見えなくなる、、、。
あんなに笑いやがってぶっ殺してやる、、、。
憎い憎い憎い憎い憎い、、、。どうしようもない事で怒りやがってこの小学生が、、、。
そのような黒い物を考えて分析する自分もいる、、、。
ああ、どうしようもないね、それは俺の責任だろ、単純だな、、、。
と分析して諦観者である事を全く恥じない自分もいる、、、。
このような物に何が正しいか、何が間違いか答えを出す事はまったくを持って不可能だ、、、。
個人というものが拡大していくように、自分という存在も同時に拡大してゆく、、、。
あまりにも見えない物を断定して生きる事はあまりのも簡単だ、、、、。
だから、自分はよりわからなくなる、、、。他人というモノがだ!
あまりに簡単に答えを出して、その答えに恥じないその他人という存在がだ!
偉いとか、愚者とか誰も彼も単純に答えを出して尊大に生きようとする!
でも、それはあまりにも正しい、、、。なぜなら、それが歴史であるからだ、、、。
歴史だから逸脱して生きる事は不可能だからさ、、、。
駄目だな、、、、。
今日何となく本屋行ったら、、、。
ゴー宣の新しいのが出ていたので買ってしまいましたよ、、、。
ちなみにおいらは小林よしのり氏の考え方は結構好きで、極論じみている感じが好きなんですよね、、、。
でも、最近ちょっとそれは行き過ぎではないかなと思う点も結構有りますけどね、、、。
それはまあ置いといて、、、。
歴史というのはただ漠然としてあるものであって、それを俺らは肯定したり、否定したりするんだけど、、、。
ただただ、漠然とした物をなんで俺らは肯定や否定しようとするんだろうか?
それをいうと多分「歴史は継続性をもつから」とおっしゃる方がほとんどだと思います、、、。
でも、俺らはその継続性を感じられるかというと感じられない、、、。
ここ10年間を見ても、確か、シノラーとかアムラーとかブランド志向とか、、、。
それぞれが点として一つ一つを見ていったら継続性をあまり感じられないと思います、、、。
継続性を求めようとする人達は、その大抵が心理的な裏付けや経済的裏付けなど、、、。
一々、その本質をずらして理解しようとします、、、。
逆にいえば、少しその本質をずらさなければ継続性を出す事ができない、、、。
しかも、継続性の裏付けさえも一定したものを求める事はできない、、、、。
単純に左翼なら左翼的な思想の中で歴史的継続性を求めようとし、
右翼なら右翼的な思想の中で歴史的継続性を求めようとするのです、、、。
歴史はおもちゃではない!
結局、わけ分からない思想の中で勝手にいじられて、何も見いだす事はできない、、、。
むしろ、見いだそうとしようとするその態度と行動が一番の問題だ!
ただ漠然としているモノだから皆、ハッキリ見えるようにしたがるそのいじましさが、、、。
俺は最高に腹が立つんだ!
続き
確かに、人間というものの進歩というのは漠然とした物をハッキリした物への移動でもある、、、。
写実的絵画が写真と移り、個々に別れていた度量衡をメートル法やヤード法に世界的に共通化させ、、。
漠然としたものをハッキリした物への変更が進歩だと思える、、、。
だが、進歩史観という物が通用しない物も多々有るんだよ、、、。
それは、歴史であり、人間であり、人間の心理、思考、思想なんだよ!
確かに、人も奴隷制の廃止や、刑法、遵法精神の発達によりある程度は変わったかもしれない、、。
だけど、それはあくまでもある程度というだけであり全てでもないし、ものすごい進歩でもない、、、。
それを皆、誇張して過去というモノより上、過去の方を美化してよかったというモノでもない!
同じように人間というモノは人間といういきものが自分達は人間であると考えているから人間であって、、、。
その共通的な概念がなくなれば人間は人間ではなくなる、、、。
其れと同じようなんだよ、、、。全ては漠然として霧の中なんだよ、、、。
それを無闇にあがいて理解しようとしようとする人間の精神が俺は恐い、、、。
人は絶対に理解しあう事はできないし、それ以前に自分という物さえも理解できない、、、。
なのに!無理矢理、共通化させ、、、。自分のその姑息な考えを絶対化させようとする!
それは、ただの信奉である事を忘れたのか!
いや、信奉せざるおえない、、、。それが、自分の理性と情緒であり、、、。
自己同一性であり、それが自分の理想でもあり、自分の今の現実でもある、、、。
漠然としたものから確信へそれが人間の歴史と進歩であるなら、、、。
それは、全ての物につばを吐いて、全てが醜いと神のような目線で否定している者であり、、、。
事実は、その自分が一番醜い事に気付いていない大ばか者になってしまうではないか!
でも、それは進歩であり、歴史なのだ、、、。
そう人間は自分達の醜さに気付かないから進歩を過信し、歴史をおもちゃにしようとする、、、。
まあ、「死者の言葉」無意味だという言葉もあるけどね、、、。
続き
でも、無意味と切り捨てられるようなものはない、、、。
同時に全ての物は無意味であるともいえる、、、。
しかし、これは二律背反するというものだけであって、、、。
事実何も関係を所持する事はできえない、、、。
人は無意味というものを感じ、あると信じながら、、、。
同時に自分の存在を無意味であるとは感じたからない、、、。
それ故、人は無意味というのを所持しながら、無意味から逃げたがるのです、、、。
極端にいってしまえば歴史も、人間も、人の心理も全てが実は無意味なのです、、、。
あくまでも、極論です、、、。
極論は極論に過ぎない、、、、。歴史は作られていき曖昧さを消され続けるのです、、、、。
でも、歴史も人間も犠牲者であるといえる、、、。
そう同じ人間の手によってね、、、。
駄目だな、、、、。
人は死によって償われるのではなく、、、。
死によってでしか償われない事もあるのではないだろうか?
本屋で死刑全集というのをなんとなく立ち読みしていたんだけど、、、。
死刑というのは確かに残酷である事は変わらないだろう、、、。
しかし、その残酷さは同時に「自分でなくって良かった」と考えさせる事ができる、、、。
「くわばらくわばら」「こんな風には死にたくねえなあ」「うわっ!」
と思わせる事によって、死に対しての恐怖を深く植え付けさせるのです、、、。
そこにこそ、公開処刑の理由があるのです、、、。
よく、死刑廃止派は「死刑には犯罪を抑止できない」とおっしゃいますが、、、。
確かに、そのような面もある、、、。しかし、それは現代社会というのは、、、。
非文明的という切り捨てによって、死という存在を消し去っているだけに過ぎない、、、。
事実、おれたちは生きている事をあまりにも当然価値としておいているが故に、、、。
死というモノに衝撃と驚きを隠す事ができない、、、。
その隠せないという純粋性がある事が死というものへの恐怖心が強い事を表しているのではないだろうか?
誰もが死にたくない、、、。最後まで生ききったいと誰もが思っている、、、。
実際、死の直前にいる人間は諦められない、、、。死というモノに対して喘ごうとする、、、。
生きたい、、、。俺にはまだ生きる価値があると信じながら死んでゆくのである、、、。
何が正しいかはわからない、、、。
まあ、駄目だな、、、。
自分が求めている哲学はない、、、。
むしろ、人間という存在自体が哲学と哲学の中の倫理学が戦っているようなもんだろう、、、。
人は、哲学的裏付けと道徳的裏付けの2種類、いや正確にはもっとあるだろう、、、。
それにしても、人というのはなぜか二分化して、正と否とでわけようとする、、、。
でも、人といういきものはそこまで単純で分かりやすい生き物ではない、、、。
無理矢理二分化しても、絶対的に二分化できないようなモノができる、、、。
いや、二分化される人間と2分化しようとする人間は極端な人間でもある、、、。
人は曖昧という金科玉条を捨て去る事はできない、、、。
全ての人は曖昧であって、ただ自分の価値で正と否でわけようと試みているだけでさえもある、、、。
でも、その自分の価値というのも曖昧で分かりえるような物ではない、、、。
人は変化し、分からなくもなる、、、。絶対的曖昧性とでもしようか、、、。
それにしても変だな、絶対なのに曖昧か、、、。
まるで「絶対矛盾の自己同一」というような感じだなあ、、、。
西田幾太郎だっけ忘れちまったが、、、。
まあ、それは置いといて、、、。
誰も彼も、何かしらを自己領域内に止めておきたい、支配したいという欲がある、、、。
それが、公的に証明されたり、肯定されるのであればその自己の自尊心は拡大していくだろう、、、。
だけど、それも断定はできない、、、。
自尊心は年齢とともに膨らんでいく、、、。その自尊心が自分の考えを硬化しているともいえるのだが、、、。
膨らまないで硬化する人間もいれば、膨れっ放しな人間もいる、、、。
一概にはいえない、、、。それ故、人は無理矢理二分化したがるのです、、、、。
そう、その存在をうまく分かりやすく単純に知るためにね、、、、。
続き
結局、二分化というのは説明できない物をうまく単純に説明するために作られたもの、、、。
人間のエゴと傲慢と無知によって構築された物といったら、、。
さすがにこれは言い過ぎかな、、。でもまあ、言い過ぎた方がいい事もあるしな、、、。
確かに、容易で説明しやすくなるし、相手にも理解されやすくなるだろう、、、。
だけど、最初からそれを求めるのはただの媚びに過ぎないし、、、。
媚を求めて自分をただ世間的価値を高くしたいための思想は全くの無価値だ、、、、。
ちなみに、おいらは思想は肉体だと思っている、、、。
肉体というのは等身大のものであって、その人の等身を超える事はほとんどない、、、。
正確には、何らかの理由でその思想をその人の等身を超えさせようとする人間がいるといえばいいか、、、。
でも、人は価値がないとされるよりは価値があるとされた方がいいと思うのは当然でもある、、、。
その出た言葉がなんらかで価値が生じる事は非常喜ばしい事であり、、、。
承認される事は一番高等な欲求の承認欲求が満たされる事だ、、。
しかし、大抵の人間はそれによいきってしまう、、、。
それでは、大衆的な、媚びる思想家になってしまう、、、。
それは思想ではなく、ただのエゴであり、ただの売女の思想に過ぎない、、、。
しかし、思想は自分の精神内もあける事になる、、、。
そうするならば、売女よりも恥ずかしい行為ではないだろうか?
売女は、体を売るだけでいい、自分の中に寝ているものまでは売りはしない、、、。
しかも、売女は体を売る事によって社会的貢献をしているともいえる、、、。
そう考えるならば、思想家というのはこれ以下であり、、、。
ただ、社会を惑わしている、ハーメルンの笛吹き、ほら吹き坊やにすぎないではないだろうか、、。
無駄に続く
もしそうであるならば、全くの無意味ではないではいか、、、。
文章家も学者も、、、。
あればいいのは、農民と社会流通のための商人と少数の政治家さえいればいい、、。
また、昔はそうであったし、学者と文章家のわけどころというのは曖昧でよかったではないか、、。
しかし、その大まかさは今の時代でも通用する部分はあるし、そっちの方が捉えやすい、、。
だが、捉えやすさが逆に欠点になる場合もある、、、。
例に出せば馬鹿な三段論法で、従軍慰安婦が強制だったとしようとする馬鹿もいるし。
軍が関与していた→強制されたに違いない(思い込み)→強制連行はあったに違いない(仮定)
ちなみ、これはまったく三段論法の中でも思考が飛躍し過ぎている失敗作品でもある、、、。
頭が悪い人というのはそこの明文化された部分だけを読み、、、。
なぜこれがこういくのかのプロセスを考えようとしない、、、。
下等な思い込みに支配され過ぎて思考がまったくの停止状態になっている状態なわけです、、。
しかし、これが当たり前のように行われているのです、、、。
その、極端な形が無理矢理の二分化のような木がおいらはするのです、、、。
ってまあ、これもおいらの勝手な妄想だと思うから、、、。
切り捨てさってしまってください、、、。
駄目だな、、、、、。
夢と理想か、、、。
夢と理想の違いって、、、。ハッキリしているか、曖昧かの違いのような気がしてきた、、。
例えば、夢というのは「夢幻の如くなりと〜」敦盛にありますが、、、。
幻とか、そういう曖昧なものによく使われます、、、。
理想はどっちかというとしっかりしたもの、現実性が高いものと思っている節があります、、、。
一様あくまでもこれは俺の考え方だから、、、。
でもだ、人はその理想を行使できるかというと限界があり、、、。
夢というのは、遠すぎるものと思っている面があります、、、。
だけど、夢を見る事はなんも悪くはないし、理想はあったほうがいい、、、。
あくまでも、夢を無理矢理現実化しようとして喘ぐのはみっともないし、、、。
又、理想を押し通そうとして行き過ぎるのもいいものではない、、、。
だが、それを自分におもいたって反省する面は無いし、、、。
むしろ、反省しない方が良い、、、。見えない方がいい事は少なからずありますしね、、。
見え過ぎればそれは自分にとって自分を責める材料以外の何にもならない、、、。
見えない人は、それを突き進む事によって他人が見えなくなり他者から責められる材料になる、、。
どっちがましかは分からない、、、。どっちが、最小の悪かは分からない、、、。
でもだ、人を穢すよりは自分を穢して穢していった方がいいのかもしれない、、、。
他人ほど恐いものはありませんからね、、、。
駄目だな、、、、、。
星がきれいな事はいい事だ、、、。
いい事、、、。いい事と言っても、何がいいんだろうかな?
星が綺麗、山川は雄大だ、山が美しい、空がきれいだななどなど、、、。
よくそれらを直視するといい事だな〜と感嘆する、、、。
でもそれが、なぜ美しいかは考えてみるとなぜだか分からない、、、。
その存在を美しいと思い込んでいるから美しいのか、、、。
この世の中の物ほとんどが醜いからからその中で美しさを求めるんだろうか、、、。
分からない、、、。美しさが理解できないし、美しさはどこまで膨れていくんだろうか、、、。
価値というものが、本当にどこまで膨張していくんだろうか、、、。
膨張して、膨張して、、、。その膨張がどこまで膨らんでいくんだろうか、、、。
その膨らみの中から俺らは何かを見いだすんだろうかな、、、。
その膨張が人が理解できる範囲を超えた時、、、。人はどうなるんだろうか、、。
いや、その理解できない範囲も理解できないから理解しようとするんだろう、、、。
理解できないと言う事を理解する、、、。
下らない遊び言葉だな、、、。
そうだね、人は下らない遊び言葉の中で死んでゆくんだったね、、、。
下らないと切り捨ててしまったら、人間の理性とか重要な部分を否定してしまうね、、、。
ああ、まだ駄目だな、もっと知って考えていかなくては、、、、。
ああ、俺は駄目だな、、、、。
アルコールはいりながら色んな事考えると、、、。
黒い嫉妬深い事しか頭に出でこない、、、。
そういえば、十七歳の少女が芥川賞を取ったらしいけど、、、。どうでもいいことだ、、。
マスコミが若い若いといいながら商業的に利用するだけだろうし、、、。
文章界は文章界で激賛して、新しい風だと叫ぶだけだろう、、、。
最近、若い人がよく受賞とかしているけど、、、。
あまり実が無いものは俺は読みたくないし、根本的に小説を読まないからねえ、、、。
おいらが、読むのは古典しか読まないし、随筆や評論しか読まない、、、。
なんで残されてきたかは結局皆が賛同し面白いというからでしょうに、、、。
よくあるような現代文学は何か力が無いというか、、、。
自分の文のようにオナニーで終わってしまっている気がする、、、。
オナニーで他人に読ませる気がないというか、、。私小説の意味がなくなってきているようなきがする、、。
あくまでも、私小説は私の感覚から、その感覚を如何に拡大し、意味を持たせるかだと思う、、、。
しかし、現代文学はそのような作用はしないし、本当に私以上にはならない、、、。
おいらは、愛とか、奇異性、特異性、特別性なんぞどうでもいい、、、。
俺が一番気になるのはこの平凡性の中にどのような狂気を見いだすかというだけだ、、、。
それは、文にはできないし、文にはしてはならない、、、、。
なぜなら、文の越えたところ、感覚を越えたところにそれは存在しているからだ、、、。
いや、それが存在している事さえも俺達は懐疑的だろう、、、。
その狂気を捨てて、わざわざ本能を壊して理性を求めていく事に狂っているのだからな、、、。
それを人というんだ、再確認するかのごとくにね、、、。
続き
おいらが一番知りたいのは、、、。
人は狂いそうで狂わなく、その狂いのかわりに代償としての狂える物を求め行動するんだ、、、。
これを、依存ともいうし、オタクともいうし、ご趣味の人ともいう(お宅か)
そして、自分の依存心を満たしてくれる物、者を神のように扱い、、、。
もう一つの自分の体のように丁重に扱うし、わざわざ傷つけて穢したいとも思う、、、。
もしこれを、特異性、特別性と思うならそれはただの勘違いに過ぎない、、、。
あくまでも、奇異性、特異性、特別性はお互いに共通理解できないだけに過ぎない、、、。
自分達が考え理解する事はできないから、それを特別な物として扱う、、、。
部落もそうだし、在日朝鮮人もそうだ、、、。それは、共通に差別という物がある、、、。
差別されたくないのであれば隠せばいいだけだしわざわざ自分から出す物でもない、、、。
その中に誇りや愚かしい自尊心何ぞを織り交ぜるから問題は複雑化する、、、。
でも、その自尊心を持つ事は否定はしない、、、。それはそれでまた正しいからだ、、、。
そういう点は理解できる、、。たったそれだけに自分達は過ぎないのだよ、、、。
「全てを理解しようとする者は馬鹿であり、理解できないと放棄する者は狂人に過ぎない」
言葉にあるように、個人個人限界がある、、、。その限界に則して生きればいい、、、。
だけど、そのような生き方をできる者はいるかな?
まるで、隠とんした老人のように俗世を生きれる者はいるかな?
いないだろう、、、、。
まず、情報を捨て、知識を捨て、自尊を捨てていかなくてはならない、、、。
まったくいないだろう、、、。
まあ、駄目だな、、、、。
俺は、ただ生きるという大層な義務がある、、。
このけがれた肉体により穢れている精神を宿し、、、。日々の惰性を望み、常識と世間を
疑わない、、、。俳優によって煽動され、美醜を他人にまかせ、自己欺瞞に生きている、、、。
それは正しいし、その中でしか生きる事はできない、、、。
言葉、善悪、愛、正義、欺瞞、嘘、真実、幻と現実、夢と理想、、、。
俺には分からない、、、、。この言葉自体の意味も価値も何も分からない、、、。
ただ、価値は欲望によって作られ、意味は虚弁によって作られる、、、。
どれだ、これだ、あれだ、それだ、、、。と自分を説得し回るのです、、、。
今もだが、押し売りの人間は何かをうろうとして自分の家に来る、、、。
その押し売りの人間は自分の心に一つの箱を売ろうとしているんだ、、、。
自分の心のドアを開けて、自分の心に一つの箱を押し付けて売る、、、。
押し付けられた自分が無理矢理買わされてそれを開けた時、、、。
箱のなかに入っていたものは他人の目という商品だ、、、。
その商品はいつも自分の心の中にいて、非難嘲笑する、、、。
そして、他人に取って価値がある行為をすると大げさに誇張して喜ぶ、、、。
人はそのような状況をなれると又、押し売りの人が来て同じ商品を買わせていく、、。
これを、なんども繰り返す事によって、他人の目というものが一つの麻薬となり、、、。
俺らは惑わしていく、、、。疑いが、慣れによって、快楽となり道徳となり、、、。
俺らを飲み込もうとしている、、、。「飲み込まれろ、飲み込まれてしまえばらくだ」
とその他人の目という麻薬に見入られてしまった自分もいる、、、。
続き
麻薬は永久に俺らを惑わし、攪乱し狂乱させようとする、、、。
しかも、その狂乱は正しいとされ、多数を占め、その麻薬をせぬ者達を狂人というのだ!
いや、確かに俺らは狂っている、、、。その快楽を拒否している偏屈者、気違いとされる、、、。
その扱い方法はあまりにも正しい、、、。共有できないものを省く事は正しい行為だ、、、。
しかし、その正しさを疑う事を忘れ、踊り狂う事は俺にできないのだ!
俺は、惨じめでひ弱で偽善者で甘ったるいニヒリズムに甘えている!
だが、そのような悲惨なほど弱い者であるからこそ見えてしまうのだ!
この、醜く穢れた肉体と精神によって皆が、皆がより曲がって見えるのだ、、、。
「お前が曲がっているから、俺らが曲がっているように見えるだけだ」
と嘲笑われても良い!自分たちがどれだけ曲がっている事を分かろうとせず、、。
ただ、他人の曲がりぐわいを笑う人間には、、、。
他人の目が常に与える麻薬に酔うがいい!そして、禁断症状を起こして快楽の中を死ね!
その姿を俺は諦観するだけなのだから、、、、。
駄目だな、、、、。
それにしても、今日は春と冬の間の香りがした、、、。
程よく冷たく、暖かい風の中を俺は黄昏れながら家にかえった、、、。
この空は、この風は、この精神は、、、。非常にありがたいものだ、、、。
この卑屈に曲ったこの精神さえもなんとなくありがたく感じる、、。
でもだ、俺の体は春を感じる事はあっても、、、。
俺の精神はこの新しい春を感じる事は無いだろう、、、。
あまりにも、自分の精神は氷と壁によって汚染され、何もえる事がなくなっている、、。
だけど、その氷と壁を溶かして壊そうとすると自分という存在と精神も壊れてしまう、、。
それなら、自分は永遠に氷と壁の中を這いずり回って生きた方がいい、、、。
俺らは他人に魅力を感じながら、同時に嫉妬し嫌悪し殺そうと思う、、、。
同情は軽蔑であり、尊敬は嫉妬であり、愛は憎しみでもある、、、。
反発力という奴だろうか?
壁に思いっきり力を出して押すと同時に自分の体はその力のお返しで跳ね反ってしまう、、。
相手を尊敬すればするほどその分嫉妬も膨張してゆく、、、。
いずれ、その嫉妬というお化けに自分が飲まれてしまうだろう、、、。
人はそれを克服せねばらない、、、。でも、それは理想論だろう、、、。
克服しても、その分欲求は拡大して切りがなくなっていくだけだ、、、。
ではどうすればいいだろうか?
あまりにも単純だ、、。逃げてしまえばいい、、、。
「貴様は何時も何時も逃げてしまえばいいというがそれではただの放棄では無いか?」
と思われると思います、、、。
ただの放棄であるなら、俺はとっくのとうに死んでいます、、、。
死の渇望者となり、死んでいくことを望んでいたでしょう、、。
むしろ、中学生の時自分はそのように望んでいた!満たされる事無く望んでいた!
だけど、それではニヒリズムてきな放棄に過ぎない、、、。
無価値というモノの反動としての有価値の渇望に過ぎない!
自分はそれからさえも逃げたのです、、、。
完全な一匹の狼という名の逃亡者に!
ああ、駄目だな、、、、。
現実と仮想との差は紙一枚さえも無い、、、。
この俺らがいるこの現実は、過去の人間の空想であり、同様に仮想でもあった、、、。
又俺らはその過去の人間と同様に、仮想と発展を夢見る、、、。
その夢は、何時もいつも夢から覚める事無く繰り返されていくのだ、、、。
俺らは夢を見続ける、、、。
夢、空想、妄想、仮想、想像、幻想、幻と繰り返されていくのだ、、、。
その全てが歴史というモノが答えを、素晴らしい答えを明示しているではないか!
夢の実現と、妄想と仮想の破たんと誕生が繰り返されていく事によって歴史は作られていく、、。
確かに、その夢や妄想の下には大量の現実が存在している事は間違いは無い、、、。
しかし、歴史を求める時にその存在はただの邪魔者となるのだ、、、。
俺らは、歴史を過去の産物、今の非現実として切り捨てる事によって現実を生きている、、。
だが、人はそう単純ではない、、、。
過去に捕われ、過去を神聖化していきようとするやるもいれば、、、
現実だけにたより、過去を穢す者さえもいる、、、。
さあ、どちらが正しいのだろうか?正しいというモノは出てこない、、、。
なぜなら、彼等のその解釈自体間違っており、解釈に捕われて出てこない、、、、。
引きこもりだ、、、。前者も後者も自分の中に捕われている引きこもりであり、、、。
彼等はその考えの中から2度と出てくる事は無い、、、。
彼等は自分の部屋を勝手に掃除される事を嫌う、彼等は自分達を非難する者を嫌う、、。
彼等は自分を肯定しない者を嫌う、彼等は最高に他人に甘えながら他人に甘えていないと言い張るのだ、、。
まるで、寝ていた者が起こされると「俺は寝てないよ、ただ横になっただけだよ」というようにね、、、。
だが、それは自分にもあてはまり貴方にもいえる事だ、、、。
俺はもう2度と覚めない、、、。
永遠に寝ている事にした、、、。永遠に寝る事で自分をわざわざ殺すのだ、、、。
現実という夢の中にね、、、。
駄目だな、、、、。
自分は自分の言葉しか書く事ができない、、、。
いつも思う、自分が考えている事はとっくのとうに考えられ答えがあると、、、。
いつも思う、自分の考えは狭く偏狭的で醜いと、、、。
いつも思う、自分の考えは曖昧でしっかりとした論理的なものがないと、、、。
いつも思う、自分の考えは自分を苦しめ、憎むためにあると、、、。
いつも思う、自分の考えはこの不健康な肉体によって生まれたものということを、、。
いつも思う、自分の考えは薄慮であると!
いつも自分を最大に憎んでいる、、、。
この醜くさと、体の動かなさと、この無知蒙昧なこの頭脳を全てを憎んでいる、、、。
かの、三島由紀夫は肉体は果樹園であるといった、、、。
でもそれは三島氏があまりにも肉体と言うモノを美化していたからかもしれない、、。
俺にとって肉体と言うのは獣の汚い匂いをまき散らし、肉体がイタむことによって、、、。
俺の精神をより穢していく、仮想のボロッチイロボットのその機体のようなものだ、、、。
仮想のボロッチイロボットは、あからさまに愚かしい行動をして人を笑わせる、、、。
それは、ピエロ以下だ、、、。
ピエロにはまだ、美しい肉体で持って人を楽しませる、、、。
しかし、そのロボットはその醜く壊れて穢れているその機体で人を楽しませるのだ!
どっちが惨じめか、どっちがよりみにくいか、、、。
当然言うまでもないだろう、、、。
皆、ピエロでありたいと思う、、。いや、最低ピエロでありたいと思っている、、、。
ピエロ以上の、富豪やそれ以上の大層な存在でありたいと願っているのだ、、、。
だが、真実はピエロ以下なのだ、、、、。
誰も、それを認めないだろう、、、。その拡大して肥大した自尊心が!
その美しいと思って着飾っているその肉体はもうやせ衰えているではないか!
やせ細っているのに無理矢理、着飾って美しいと思われたいと思っているその精神が!
最高に穢れて素晴らしい!
あなた方はそうやってこの俺、ボロッチイロボットを軽蔑しなさい!嫌悪しなさい!
俺はただその行動を声を殺して笑っているからさ、、、。
さあ、俺を笑いなさい、、、、、。笑いなさい、、、、。
駄目だな、、、、。
28 :
◆ALLFmMSYY2 :04/02/26 00:26
>>27 無知な俺がこんなことを言うのはおこがましいけれど、
>いつも思う、自分が考えている事はとっくのとうに考えられ答えがあると、、、。
>いつも思う、自分の考えは狭く偏狭的で醜いと、、、。
>いつも思う、自分の考えは曖昧でしっかりとした論理的なものがないと、、、。
>いつも思う、自分の考えは自分を苦しめ、憎むためにあると、、、。
>いつも思う、自分の考えはこの不健康な肉体によって生まれたものということを、、。
>いつも思う、自分の考えは薄慮であると!
この絶望によく似たものをいつも持っています。
俺と同じものはないのに
俺が表現することは何とありきたりなんだろう、と。
まだ出口は見えません。
それでも、希望は表出にあるのでしょう。
ピエロの堅い顔でいいんです。
その艶が綺麗だと思う人もいれば、安臭く見える人もいる。
こんなことを言うと真実への思考の放棄になりますけどね……。
完全に独り言です。失礼しました。
すみません……
あげちゃった……
n,,,,,,n
/・::::::・::::゙ミヾミミミ <糞スレずざーーーー!w
(;;●;;;;;;<ヽヾミミ (´´
(´ー` )::|ヾミミ ) (´⌒(´
⊂ミ;;;;;;;⊂)::|l:::ミミ⊃ ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
>>28.
>>29 いや、真実というのはニーチェ風にいえば、ふいごの如く膨れていくもの、、、。
真理も、自分も、相手も、社会も、国家も、存在も全て膨れていく、、、。
その膨れていく事を肯定する言葉はいつでも用意され俺らは都合よく使っていく、、、。
「まあ、色んな人がいる事はいいのではないか?」「十人十色だろ?」
「なぜ正しいといえるのさ?」「俺が持っている正しさと貴方が持っている正しさは違う」
逆もまたありきだ、、、。
「今の若い者は・・・。」「こうでなければならないのだよっ!」
「これが絶対正んだよ!」「いいか?お前がいう事は全て間違っている、断言してやる!」
人はこの両面とこの両面の中間的な言葉も頻繁に使う、、、。
「まあまあ、そのような意見もありますがこの意見もまた良い面が・・・。」
「あれが正しい、これが正しいなんていったら決着が付かないだろ!馬鹿が!」
そう最後の言葉が一番重要だ、、、。
決着、、、。そう俺らは何でもかんでも決着を付け、結論を付け、答えを導き出そうとする、、、。
だが、最初の相対論者のような事をいうが、、、。
答えなんぞ求めはじめたらキリがないではないか?
同時にこの相対論者は決まって最後にこういう、、、。
「今が良ければ良い」「後の事は後に考えてみなければ全く分からないだろ?」
彼等の意見は非常に正しい、刹那的で、達観して、放棄している、、、。
これらの意見は大抵の道徳者によって非難され、潰されていく、、、。
だが、、、。人はその非難者がいうように人という生き物はそこまで正しいと信じられる生き物か?
人は何でも疑う、、、。幸せも、自分の存在も、価値も、この現状と未来と過去を、、、。
疑わずに生きる事は不可能だからだ、、、。
疑わなければ、人に殺され、騙され、消される、、、。
疑えば、人に疎んじられ、嫌われ、同じように消されてしまう、、、。
彼等道徳者はそれを止めろと叫ぶのだ愚衆の広場でな!
その愚衆もその似非道徳者につられて、支配される事の快楽に沈んでいくのだ!
道徳者というのは信奉者でありメクラで手なし、足なしの人豚みたいな者だ、、、。
でも、そのメクラな存在が誰の心にもいる、、、、。
続き
今日心地よい春風に当たっていると何かが重くずしりとのしかかってきた、、、。
体の真ん中と、自分の喉にだ、、、。
ずしりとのしかかったモノはふてぶてしくこの俺に話しかけてきた、、、。
「お前の心は狂った総合病院だ!」「お前の心は狂った総合病院だ!」
と、、、。俺は何を言っているのか分からなかった、、、。
すると続けてそのふてぶてしいモノは続けて言った、、、。
「お前の心の中には患者を刻む事で快楽をえる医者と、偽善的に患者を擁護して、
実は心の底で楽しんでいる豚の看護婦と、一途に医者を信じる患者がいるのだ!」
「患者は常に医者に騙されながらも医者を信じて狂ってしまっている、お前はその患者を救えるかね?
救えるわけが無いだろ。お前もその刻んでいる医者の仲間なのだからな」
「お前の心の中には色んな病棟がある、ICU、重症患者の病棟、軽症患者の病棟、精神患者の病棟だ。
お前の考えはあまりにも精神患者の叫び声を聞き過ぎだ。やつらが言う事は全てが欺瞞で、正しい。
お前はいつも、軽症患者のように振舞っている、すぐ退院できる事を喜び、楽しんでいる。
お前はいつも、重症患者のようにも振舞う、まだ退院できる日を夢見て死んでいくのだ。
お前はいつも、ICU患者のようにも振舞う、危機と安全を理解しないで消えていくのだ。
これら連中は誰も彼もが医者を信じているのだ。それを恐いと感じないかい?」
なぜ恐いのだ?奴らはそれで幸せなのだろ?と問いかけてみた、、、。
奴は俺の愚かさをさも嘲笑うかの如く言った、、、。
「医者は狂っているんだぞ?狂っている者を信じて狂った連中はどうなったか?
大抵が、虐殺し、仲間同士憎しみ、殺し始める。それを考慮していっているのか?
狂っている病院は完全に自己崩壊して、全てを飲み込んでいくのだぞ?
刹那的な幸せは快楽であり幻だ。お前はそれを信じて生きているのか?
嘘を言うな!お前は快楽から逃げているから、逃亡者であり諦観者なのだろ?
嘘を言うな!お前は何も信じないからこそ、逃亡者であり諦観者なのだろ?
嘘を言うな!お前は闘病者であるからこそ、逃亡者であり諦観者なのだろ?
無駄に続く
「お前は単純さを拒否している者なんだろ?ならその通りいきなさい!
お前は永続に諦観者、傍観者、逃亡者でなければならない!
逃げろ!お前は全ての事象から!逃げろ!自分自身の確立という蜜から!
逃げろ!お前には足と手がある!だが、目はまだ潰されている!
逃げろ!目が見えなくとも奴らは追って来れない、足と手が無い奴らはお前には追い付けない!
逃げろ!お前は永遠に超人にはなれない!お前には超人と言う言葉さえも甘えに過ぎない!
逃げろ!お前はお前自身から逃げなくてはならない!
逃げろ!お前が考えたモノを勝手に解釈して陳腐にするモノから・・・。」
と叫び疲れたのか俺の心からふてぶてしいモノは消え去っていった、、、。
この春の陽気で満ちあふれたこの日差しは俺に何を与えるのだろうか?
梅と桜はもう咲いている、、、。季節は巡り巡っていく、、、。
何を与えるのだろうか?そして、俺には何を与えていくのだろうか?
まったくわからない、、、。ちなみに俺は精神安定剤とかは飲んでいないよ、、。
母親は飲んでいるけど、俺は飲んではいない、、、。
どうせ、精神鑑定されたら少しおかしいと言われるぐらいなら考えていたほうがいい、、、。
真実は拡大してゆく、科学と現実によって立証されていく、、、。
もし神と言うのがいるのなら俺はこういいたい、、、。
「もう2度と人間と言うモノを造らないで下さい」と、、、。
だが、神は言い返してくれるだろう、、、。
「貴様は人間だろ?なら、人間らしく太々しく開き直れ」と、、、。
まあ、そのような神がいるのなら、、、。あまりにも人間らしい神である事は間違いないだろう、、、。
真実は人間らしい神に造られ、人間はその人間らしい神を勝手に解釈する事によって、、、。
神がいると言う事を存在論的に求めようとした、、、。
これからも、そのような人間が現れるだろう、、、。
そして、それが全てのものの神になるのだろうか?
まあ、結果は見えている、、、。
それは、人間の信奉と自己欺瞞であると、、、。
ああ、駄目だな、、、、、、。
最近、また電波がひどいなあ、、、。
とりあえず、この春の陽気が何か俺に不自然な物を与える、、、。
春は喜びであり、誕生であり、希望であるような気がする、、、。
だけど、俺はその喜びと、希望と、誕生から省かれてしまっているような気がする、、、。
俺も春の訪れを喜んでいるし、ありがたいと思っている、、、。
しかし、なぜか俺には与えられているという受動的な感覚を感じられないんだ、、、。
そう、修学旅行の時の沖縄の太陽の如くに、、、。
沖縄の太陽はあれは暴力であり、誇示であり、力である、、、。
同時に我々人間は、その太陽の力を恐れ、畏敬し、神のような存在にした、、、。
弱くなった太陽は時間によってその力を回復し、又その凶暴性を発揮し始める、、、。
もしかしたら、俺はそれを恐れているのだろうか?
いや、俺は地上の太陽にも恐れている、、、。
それは、当然人間だ、、、。その地上の太陽は俺に近寄って馬鹿にしたり、尊敬したりする、、、。
一々、彼等がつくるその感情の起伏は俺の疲れであり、無駄な労働をさせる、、、。
だが、皮肉な事だが俺も人間だ、、、。俺も相手を疲れさせるし、無駄な労働を強制しなければならない、。
俺らは相手や自分をいつも疲れさせるのにその中を断絶したいとは思わない、、、。
それは、本能的なモノだ、、、。
本能、、、。むしろ、人間は本能を壊した生き物だ、、、。
理性、願望、知恵、経験、感覚、希望、、。言葉をあげていけば全く切りがない、、、。
だが、この言葉は全部が一点に向いている、、。それは、欲望だ、、。
俺らは欲望というモノを超越できない、、、。
んっ?待てよ、不自然な存在としての自分は全てが自然だと思い込んでいる、、、。
計算の法則、物理法則、俺らがみているこのパソコンも太陽も、家も道も、、、。
全ては自然なのだろうか?おれはその全てを自然として信じて良いのだろうか?
俺の引きこもったこの精神も自然として考えて良いのだろうか?
続き
突き詰めていったら全てが自然だろう、、、。
不自然と感じるの人間の感覚であり、全ての事象は矢張り自然におきたモノの結果だ、、、。
しかし、人はその自然を許容できない、、。その自然も太陽の如く恐怖だ、、、。
人はその自然を恐れるがあまり、自然の反対語句、、。そう不自然をつくった、、、。
俺らは不自然というモノは川の護岸工事、街のこの鉄の塔と鉄骨の塊、自動車や機械、、、。
これらを不自然といい、またその派生語句人工というモノを生み出した、、、。
細分化してゆく、、、。
俺は見えない、、、。狭すぎて見えない、、、。
だが俺はまだ救われる、、。日常を懐疑し、それを考える頭を持ちうることだ、、、。
考える者は救われるが、不自然と叫ぶ人間に穢される、彼等は救われないからだ、、、。
そこで、彼等は神という存在を造り、それを最高の自然と決めつけたのだ!
でもだ、その神を俺らは容認できる、、、。それは、誰の心にもそのような存在がいるからだ!
絶対的な、超える事無い存在が!それは、行き過ぎた希望なのだ!
行き過ぎた希望は人に夢を見させ、幻を見させ、時には現実さえも見させる、、、。
行き過ぎた希望は人を飲み込み、そのまま絶望に落ちさせる、、、。
行き過ぎた希望は若者なのだ!
俺らは若者に希望を抱いてはならない!彼等は、過去のモノを壊そうとし、実際壊す、、、。
創造者でもある!しかし、その創造者は破壊と創造によって欲望をも拡大してゆく!
純然な創造者を渇望してはならない!望めない事を望んではならないのだ!
思考は恐ろしい!自分を消え去ってしまおうとする、、、。
思考は恐ろしいのだ!それを、殺してデンプしやすい思想というモノにしたがるのだ!
思考は肉体だ!思想は骨だ!俺らはいつも人の体を燃やして骨を取ろうとする!
しかし、俺らが感じなくてはならないのは肉体ではないのかね?
醜くても、腐っていようとも、、、。俺らが、見なくてはならないのは肉体ではないのかね?
ああ、、。分からない、、、。
無知な自分は叫ぶ事しかできない、、、。
駄目だな、、、、。
駄目人間さんが微妙に精神病のことに触れていたのがどうしても気になります。
どうしてでしょう俺はキチガイでしょうか。いやたぶん被害妄想なんです。
わかってるんですけど気になってしょうがないので、一応書きました。
それというのも俺は精神安定剤を飲んでますし、
体も悪いので色々な病棟に入り、ICUにも入ったのです。
何かをほのめかされているような気がします。
妄想だという気持ちもあるんです。すみません、また落ち着いたら来ます。
駄目人間さんごめんなさい。
よくよく考えたら俺の事情なんて駄目人間さんが知っているはずがないし、
変なことを言ってしまいました。
>>36はなかったことにしてください……。
(ひねくれものの独り言です。何ら答えになってませんから)
「一応の真実」はどんどん付け足されていく。
それに向かう心は持っていたいと思っている。
表現と表出という言葉を使ったが、いくらそれらがありきたりであっても
そこから何を見いだすのかというのはある程度彼らの自由で、
そういう意味ではメッセージだろうと感情が顔に出るタイプだろうと、
結局自分が一つのものでいることはできないというのが事実としてあるのに、
自分は何か一つのものに向かいたがっている矛盾がそこにあるんだ……。
それは外側のものも内側のものもね。
内側の一つのものは結局、色々削り落としたものだ。
だから陳腐にもなりゃありきたりにもなろう。
だが、実際にはそれはやはりどっか終点を信じている考え方でね、
本当はそれ以外の混沌があって、
それが色々な人に色々な人のように見られているということだ。
俺は彼らにはなれないんだからね。
外側の一つのものなんて「真実」とやらではない、それはわかっている。
でも相対的なものを認めたつもりになったって、結局神様でも信じるしか無いんだ。
自分がなくなるんだからね、外部に法律を作らなければ。
外部ってどこかな?地球は丸いとか、そこまで行かなければならないのか。
さあどうするべきか。俺はいつも結局諦める。
駄目人間さんの例えなら俺はきっと手足を無くしている。
そして、こうやって寡黙になることでそこから逃げている。
それを恐れないなら色々なことを言えるが、「自分」を守り「世界」を守る限りできない話だ。
俺はね。
言いたいことがあるとすれば、
俺は駄目人間さんが羨ましいということです。
電波とは思わないな。
俺の迷いを越えた人の言葉なんじゃないか。
俺はもし駄目人間さんの言うようなことを思ったとしてもそれを口には出せないから。
あまり関係ない話だけど、、、。
戦争や歴史やなんでもかんもさ肯定派、否定派と一々分けるけどさ、、、。
その肯定と否定というのは正しい言葉ではないような気がするんだよね、、、。
だってさ、現実や過去にあったモノというのは否定も肯定もできない者ではないのかな?
例えばさ朝鮮の強制連行とかいうけどさ、、、。
丁寧に歴史史科をひも解いていけば、元々当時の朝鮮半島は日本の割譲地であったわけですし、、、。
日本人もそうして、炭坑などで公という事で働いてた(日本人も強制連行)されてたわけだ、、、。
そうすると説明つかないわけだし、、、。否定も肯定もつかないで、、、。
結局は、あるという事が説明つかないというだけだ、、、。
あるとないという言葉には肯定と否定の関係とは全く違う、、、。
あると無いと言う言葉がまず先にきたら、その上の付加としての言葉が肯定、否定なのであって、、。
あることが前提となって肯定と否定が出てきて、無い事が前提となって肯定と否定が出てくる、、、。
あるとないのの議論をせずに、まず肯定、否定論なんて全く価値がないのではないだろうか?
逆に、肯定、否定論が先にきてしまう場合もあった、、、。
それが、今回のイラク戦争のような気がする、、、。
まず、アメリカが事実、ある、ない、の議論を中途半端にして、、、。
いきなりあるの方に飛んで、肯定論に飛んで始まった戦争であった、、、。
まだ、太平洋戦争の時の方がアメリカはまだ用意周到であったし、
狡猾(この場合褒め言葉)に日本の欠点を探し出して、(あるないの議論、用意)
起きた戦争であった、、、。
俺らはそれを、否定はできないし、肯定しろとも俺は言わない、、、。
俺らは、その当時の人間ではなかったし、当時の人間のように断言はできまい、、、。
ただ、漠然としてあったという事だけが分かればいい、、、。
まず、そこから始めるべきだと思う、、、。だが、まず全ての言葉を疑わなければならない、、、。
その、あるという言葉は、事実なかったのに嘘をつき始める事も往々にあるからだ、、、。
俺らは、疑わなければならない、、、。まず、疑う事だけを真実にしなくてはならないのだ、、、。
駄目だな、、、。
バイトだ、鬱だなあ、、、。
違いますよ、オールさん、、、。
俺は、迷いっ放しだから考えてしまうし、、、。
被害妄想が強くて、その分復讐思考も高い、、、。
人を憎みきる事ができて、、、。人を憐れみきる事もできる、、、。
自分は自分自身があまりにも恐いからその恐さから逃げるために俺は考えなくてはならない、、。
その恐い自分自身というのが、、、。他人に対して復讐と怒りしか無い自分、、、。
俺は、よく人を憎み、嫌い、憐れむ、、、。ちょっとした棘が俺の心臓にまで達してくれる、、。
俺は、棘をさした人間を心の底から憎む、、、。
だから、俺は恐い、、、。この憎悪がいつかおれを俺自身を飲み込んでしまう事を、、、。
その代償物としておれは自分の思考がある、、、。
自分の思考は他人への嫉妬と怒りと憎しみであり、同時に自分への怒りと諦めでもある、、、。
自分は寡黙でなければならない、語りはじめたら人を舌で殺してしまうからだ、、、。
自分は道徳者でなければならない、人の怒りに巻き込まれないように逃げなくてはならない、、、。
自分は保守する者ではなくてはならない、それは自分の精神を守るためだ、、、。
自分は偽善者でなければならない、不遜な善をばらまいて相手が自分に牙を向かせないためだ、、、。
自分は無知でなければならない、知る者の言葉は無知で、無恥の徒には恐怖だからだ、、、。
俺はこれを演じているわけではない、、、。そのように生きるように自分がわざわざ作っただけだ、、、。
自分は矛盾しなければならない、、、。矛盾して、矛盾して潰されなければならない、、、。
自分は終わりを信じる人間でなくてはならない、自分の咎と罪をなすり付ける卑怯者にね、、、。
今分かるだけでも、これだけの自分がいる、、、。
同時にこれらの自分は最大に自分を憎む、、、。
そう、その反対の事を叫ぶ自分をね、、、、。
駄目だな、、、、。
ちなみに俺は言葉を直感で言う人間だからあまり気にしないほうがいいよ、、、。
俺はねえ、あまり考えないようにしている、、、。
それはね、考えたら人に対する憎悪と自分に対する嫌悪感しか出てこない、、、。
後、過去の嫌な思い出しか出てこない、、、、。
よくさあ、人は忘れるけど、、、。俺はねえ、ふと瞬間に思い出すんだ、、、。
嫌な過去をね、、、。
俺はね、人が俺に対してふとした不信感を出すとね、、、、。
ものすごく、敏感に感じるんだよね、、、。俺を嫌っているその心が分かるんだよね、、、。
だから、俺はよりその人間を深く軽蔑し、嫌い、憎む事ができるんだよ、、、。
もし、あなたが俺にあって軽く不信感をかもし出しはじめたら、、、。
俺はそれを敏感に感じ取って、わざと陽気になろうとするんだよ、、、。
なぜならね、その不信感を吹き払うような行動をしなければ、、、
自分はその貴方が傷付いたいじょうに俺の心は傷付き思考が動き始めるからだよ、、、。
そうなると、俺は周りが分からなくなる、、、。
人を憎しむ心とそれを止めさせようと相手の立場を合理化してしまおうとするんだ、、、。
最後には、合理化した心が勝つけど、、、。むしろ、そのようにしなければならないんだが、、。
その時には俺は完全に寡黙状態に陥り、、、。黒いニヤついた顔になる、、、。
俺は俺がどれだけ不安定かは何となくは分かる、、、。
まあそいつらには分かるまい、、、。人の心の恐怖をね、、、。
極限、極限までに自分の精神を追い込めば、自殺願望などはなくなる、、、。
彼等は軽薄で、思考が甘く、単純で結果だけを追い求める、、、。
極限までいくと、人に対しての憎悪、いや諦めだ、、、。
憎悪から発せられる諦め、、、。これをできるようになれば貴方も大丈夫だ、、。
貴方は、完全な諦観者になれるのだ、、、。
ああ、駄目だな、、、、。
あの、
>>38はすべて俺自身に向けた言葉です。
もし駄目人間さんへの皮肉のように見えていたらごめんなさい。
こんなところで書くべきではないし、書き方も曖昧で
嫌な気分にさせてしまったかもしれません。
今ちょっと頭が働かないので先に言うべきことを言わせてもらいました。
俺の言葉はたまに自分では思いもよらない効果を生むんです。
これ以上は言い訳のようになるのでやめますが、
悪意はなかったとどうしても伝えたいので書きました。
自分勝手な書き込みを続けてごめんなさい。
いや、オールさんおりゃあはねあまり気にしませんよ、、、。
俺はねえ、パソコンの前にいる時がいるときが一番落ち着いていて、、。
かつ、一番頭を動かそうと思っている時なんです、、、。
言葉から発せられる激情は一つの概念として感じる事にしていますから、、、。
自分は怒りはしませんし、すかしたりもしません、、、。
ただ、俺の考えの中であまりにも間違っているような時、言葉に対して何も考えていないような、、。
発言をされた時だけ俺は激情的な発言をするだけです、、、。
ちなみに、俺も終点があるとは思っていない、、、。
例えば、電車の終点というのは一つの始点である事は変わらない、、、。
それが堂々と巡っていって一つのワッカを作ってしまうのです、、、。
でも、そのワッカを刻もうとすれば確かに終点は作れます、、、。
だが、そこからまた新たな始点を作ってしまうのです、、、。
人というのはそれに気付かないで巡っていく者ではないでしょうか?
でも、崩す事は可能ですよ、、、。それはそのワッカ自体無くしてしまえばいいだけなのです、、。
しかし、みんなそれをやろうとしない、、。そのワッカが自分自身にしてしまっているからです、、、。
自分は皆自分をこれだといえる事がなんでできるんだろうと?いつも思うわけです、、、。
社会的にはそのワッカを持っている事を誉め称えるんです、、。
ワッカが自分を拘束して、目を潰しているというのにね、、。
自分は若いうちから社会的なモノを背負ってしまった人間を憐れむ、、、。
天才やら、何やらで後背負わされる十字架を未熟なうちから背負わされるのです、、、。
人はみなそれを羨ましがるがその当人に取ってみれば絶望に過ぎないのです、、、。
人の顔をみているとこういう人が怒ったら、悲しんだら、笑ったらどうなるんだろ?
といつも思うんだよね、、、、。
続き
人の顔というのはみな特色があって面白い、、、。
笑うのがうまい顔、怒るのがうまい顔、泣くのがうまい顔、無表情でいるのがうまい顔、、、。
逆もありきです、笑うのが下手な顔、怒るのが下手な顔、泣くのが下手な顔、、、。
いろいろと、あって非常に面白い、、、。
自分達が人の顔を見る時大抵は美しい、醜い、面白い、変など違う価値判断で考える、、、。
美醜で価値を求めてから、小さいところをすぐ気にし始める、、、。
ちなみに、自分は醜男だからまあどうでもいいのだが、、、。
そんな事をいっても自分の醜くさは変わらないし、下らない嫉妬で潰しても仕方が無い、、、。
よくあるような論法で自分の醜く差を隠そうとする学者がいるが、、、。
それこそ、論理を辱めているのだが、、、。
まあ、彼等はそのような事を知りながらやっているのだから、、、。たちが悪いのだが、、、。
人は自分自身を言葉で飾り尽くさなければ恐いと感じる生き物のようだ、、、。
確かに、俺も恐い、、、。言葉こそ全ての基礎であり、原点でもある、、、。
それを否定する事は不可能であるし、言葉のかわりを作る事も同時に不可能だからだ、、、。
かの、ニーチェは言葉というモノと戦って見事に負けた、、、。
言葉の強さは彼自身を矛盾させてしまうからだ、、、。
ちなみに、仏教では不立文字といって言葉で交わさない事、真実は言葉ではないとされていて、、。
禅問答の際、彼等は手を使って、問答しあうのです、、、。
だが、その裏には言葉てきなものが眠っている、、、。
そこは誰もが否定できない真実なのです、、、。
言葉から逃げる事はできないし、言葉から逃げれるモノはいない、、、。
いや、言葉ではなくてもいい、行動でもいい、どちらにしても逃げえないからだ、、、。
地球は回るという行動をして、生きているし、太陽は核融合等をして生きている事を表す、、。
だが、俺が目指しているのはそこなのかもしれない、、、。
自分は自分から逃げ、言葉から逃げ、真実、嘘、行動からも逃げなくてはならない、、、。
しかし、そこで自分は完全になくなれるのだろうか?
いや、無理だ自分が自分という形を持っている限り逃げる事はできない、、、。
悲劇、、、。美しすぎる悲劇だ、、、、。
ああ、駄目だな、、、、。
ちょっと朝っぱらから考えてみたんだけど、、、。
もしかしたら、永久不変の真理というのはわんさかあるんではないだろうか?
例えばさ、俺らが生きている事、死ぬ事は有限であれども、、、。
その死んだ後の事は理論的にも宗教的にも完全には求められていない、、、。
おーるさんの言葉を使えば外側の事象なわけで、混沌ともされている、、、。
だけど、その混沌と言う言葉は俺らがただ思考を放棄しているだけで、、、。
本当は一点に集束するのではないのでしょうか?
自分は前、人は狭い牧場主だと言ったけど、、、。
人はその狭い牧場以外の全てを穢れた世界、汚い世界として考えている、、、。
それ故のその世界には足を踏み入れたくないと思っている、、、。
なぜなら、そこには司法も概念も人間が持っている全てが通用しない世界だからさ、、、。
その通用しない事とすると全てが汚い世界としてしまうのが人間だ、、、。
でも、皆牧場から抜け出そうとしないからに過ぎない、、、。
一回抜け出してみれば、絶望もあれば、希望もあるし、色んなもんがわんさかしているだろう、、、。
それが、永久不変な真理では無いだろうか?
人が分からないからといって切り捨てる行動は変わらないだろうし、
分かろうとして喘ぐ行動も不変といったら不変だ、、、。
しかし、彼等はこう言うだろう「人間が生きている間はそうだろう、だが人間がいなくなったら?」
と反問するだろう、、、。
だがそれは甘い、、、。人間がどの先どれだけ生きているのか分からないのに結論からはじめている、
時点でその言説は破綻しているからだ、、、。
全ては始点があり、終点がある、同時にこれがヒックリかえってもいい、、、。
だけど、始点と終点をくっつけてしまう事はできない、、、。
プロセスを無視したり、内容の充実を無視したら言論なんぞ全くの無価値になる、、、。
続き
俺は、この愚かしい舌先三寸を使う時、、、。
あえて極論や結論からはじめようとする、、、。それが、始点か終点と考えているからだ、、、。
そこから、プロセスを埋めていき、、、。終点、始点に近付かせるんだけど、、、。
絶対に、最初と最後が一緒にならない、、、。どこかがヅレるんだよ、、。
新たに生まれた言説が拡大して、膨張していく事によって変わっていくからだ、、、。
逆に変わっていく事も永久不変だろう、、、。何か矛盾しているけど、、、。
その矛盾性こそ人が最も欲しい答えでは無いのだろうか?
わざわざ輪廻の形で集束させ、輪廻の形=矛盾形としているのが人間ではないだろうか?
だが、本当に矛盾形=輪廻の形になるかというと、、。矢張り違う、、、。
その解釈はただ近いというだけであって完全なイコールにはなりはしない、、、。
例えば、完全な円形と作る事はこの科学技術が発展したこの世の中でも非常に難しい、、、。
ただ、円形に近いというだけで真円になる事はほとんどない、、、。
ほとんどないから人は作りたくなるし、試したくもなる、、、。
んっ!
もしかしたら、永久不変というモノをあまりにも大きく解釈しているのではないのだろうか?
戻るが、人には人に適応した永久不変があればいいだけで、、、。
ただ、漠然として個々として成り立ってしまうのではないだろうか?
過去も今も未来も言葉として永久不変というモノを大きすぎると思い込んでいるのではないだろうか?
大きすぎるのであれば、刻めばいい、、、。
そういえば、世の中には知識はパッチワークでは駄目だという人が多いが、、、。
だが、自分の知識はパッチワークしてつなぎ目を分からなくしているだけに過ぎない、、。
その分からなくしたつなぎ目が自分でも分からなくしてボケているだけだ、、、。
強固な知識なんて、あるわけないし。強固な態度なんてアホなだけだし、、、。
確立したモノというのは曖昧ながらも自分が人間という事らしいとしていることだけだ、、、。
そこは否定できないだろうし、人間というモノを捨て去る事はできまい、、、。
ただ、それだけなんだよ、、、。
戻って戻っていけばね、、、。戻る事を忘れたから俺は戻らなければならないんだよ、、、。
忘れる事は幸せだ、、、。
ああ、駄目だな、、、、。
最後の旅行はなんとなく小和田にでもいこうかと企んでます、、、。
まあ、聞いた事がある方もいらっしゃると思いますが、、、。
飯田線の小和田駅というのは誰も、乗らないし降りないというとんでもない駅なのですが、、、。
その駅の近くに一軒だけあって、駅がなくなってしまうと情報等が行き渡んなくなる、、、。
一つの生活権がかかっている駅でその一軒のために信号場にできないというものすごい駅です、、、。
その駅で独り、一晩過ごしてマイナス思考を極めようかと思っているわけなのです、、、。
完全なる孤独、、、。というのは人は中々味わう事ができない、、、。
何かしら、連絡や連続性を人は無ければ生きる事ができません、、、。
そこで、自分の心の中にあるなんかわけ分からないモノと一晩中対話しようかと、、、。
思ったわけなんです、、、。
そういえば、孤独というのを知ろうとして、、、。
人独りもいないだだっぴろい公園で夜独り考えていたという事はした事があるけど、、、。
絶対に誰もこまいという場所でやったことはない、、、。
そこで、行こうと考えた、、、。
今はその計画を適当に立ててはいるが、、、。
自分というモノの精神というのはそこまで強固にできているだろうか?
分からない、そのための実験、、、。
いいな、、、。
大好きだよ、極限という自分への暴力行為は、、、。
駄目だな、、、。
いずれ自分という存在も錆びれていくんだ、、、。
俺らは今俺らが何をすべきで何を為して何を信じていくのかは分かるようで分かっていない、、、。
ただ、生きる事だけを優先している、、、。
人というのは非常に無目的に生きているものだ、、、。
ああだ、こうだ目的を叫んで、右往左往しているが、、、。
本当は何も持たないで生きたい、楽して生きたいという裏側が読み取れるものだ、、、。
むしろ、そういう事を目的にしている、、、。
その目的は間違いではないし、目的の中では具体化されているものだろう、、。
だが、生きる事というのは目的としてとれるような短期的なものではないと思う、、、。
人は自分の考えが昔から変わっていない事を知ると非常に安心する、、、。
なぜか?
それは変わっていない事が目的となっていて、変わる人間は卑怯者だと考えているからだ、、、。
でも、時が変われば、季節がかわり、季節が変われば、人が変わり、人が変われば世の中が変わる、、、。
全ては時というものの大きな流れに浮く、一片の木片にすぎないのだ、、、。
この木片は変わっていく、段々水が木片を侵食しはじめ腐らせ、沈ませていくんだ、、、。
なのに、変わらない事を安堵するというのは非常に滑稽ではないだろうか?
人は大きな流れではないのに、さも自分が大きな流れである事を安堵する、、、。
全くを持って変な話だ、、、。
人は、自分というものを見る時に軽蔑してみるか、誇張してみるか、なんとも思わないか、、、。
自分というものに対して色々と考え、思うでしょう、、、。
その感情は安定しないし、変化せざる得ない、、、。
過去を美化したり、穢したり、嫌悪したり、叫んだりするのはもちろん、、、。
未来を穢したり、喜んだり、悲しんだりするのも全く変わらない、、、。
だが、現実というものを歴史とは思わないだろうし、考えない、、、。
ただただ、生きるしか無いそれが現実なんだろうな、、、。
そのただただ生きる事が何となく嫌だから目的を作るんだね、、、。
でも、ただただ生きざるおえない事は現実なのにね、、、。
はははっ、。駄目だな、、、、。
人は人生というモノを喜劇としたり、悲劇としたりするけど、、、。
悲劇というモノは他人の解釈であり、悲劇も喜劇も無い、、、。
人の生というのは、喜劇や悲劇と解釈しうるものではないし、、、。
そこには、一定の限界値が存在している、、、。
人というモノは物語を好みさもそれが実際みた事があったかの如く語る、、、。
物語は非常にその意味では強いし、使われ続けるだろう、、、。
だが、俺らがそれを勝手に解釈していく事によって膨らんでいく、、、。
自分もその拡大した解釈と事実と現実を悪用しているところがあるし、、、。
喜と悲のアップダウンの差が喜劇と悲劇を分けるし、、、。
ただただ楽しい、悲しい一辺バリデあったりもする、、、。
それはどうでもいい、ただ話として面白ければいいのだから、、、。
しかし、それよりも複雑で困難極まるこの人の感情と生というモノを解釈していいものなのだろうか?
人は人の人生を劇場にすぐに例える、、、。
だが、人というモノは劇場にあるのではなく、その劇をみている人間にあるのではないのか?
悲劇といっても、それをみている第三者は涙を流したり、嘲笑ったりしている、、、。
そこにこそ人間の生というモノはあるんではないかな?
黒々しい感情こそに人間という生があるんではないかな?
様々な感情にこそ人間という生があるんではないかな?
俺には分からない、、、。
それ故、自分は本と人間の感情の間をいかねばならない、、、。
熱い感情と冷たい感情の間を行って、失望しなければならないんだ、、、、。
ああ、冷たい、、、。自分というものが、、、。
駄目だな、、、、。
神というものがあるのなら自分はこう叫ぼう、、、。
「ああ、神よなぜあなた方はそこまで醜くけがされてしまったのですか、、、。」
「ああ、神よなぜあなた方は人間の解釈を受け続けるのですか?
あなた方は人間につばをはかれても、何喰わぬ顔で立っていらっしゃる、、、。
その行為に対して何の怒りも、嘆きも、なぜ人間共に与えないのですか?」
「ああ、神よあなた方の名は慈悲でもなく、怒りでもなく、愛でもない、、、。
神よあなた方の名は無名だ、、、。無名という名をもっていらっしゃる、、、。」
「ああ、神よあなた方は浮浪者のようだ、、、。私達は浮浪者がどのような者であろうと気にかけぬように、
ただ、罵声の中を耐えている悲劇の徒だ!なぜ、神よ貴方は叫ばないのですか?」
「ああ、神よあなた方はその叫びさえもできないような吃音者なのですか?
いや、吃音者でも叫ぶ事はできる、、、。だが、私達はそれを分かる事は無いのです!」
「ああ、神よあなた方は私達の叫びを聞き取らない耳なしなのですか?
この喜劇と悲劇と観覧者しかいないこの人間共が叫ぶ声を聞き取れないのですか?
どうか彼等の叫びを聞き取って下さい!私達も耳が無いからです、、、。
私達がついているこの耳の形をしたものは全ての人間の恨みと憎しみと憎悪しか聞けないのです!」
「ああ、神よあなた方は私達のこの姿をみとっていただけ無いのですか?
私達がする戦争と平和と愛と憎しみと嫉妬と尊敬と略奪と援助この全てをみとってくれないのですか?
あなた方は目がつぶれていらっしゃるのですか?なぜ、白い目でしかみてくれないのですか?
なぜ、輝く瞳で私達をみていただけ無いのですか、、、。」
「ああ、神よなぜ私達にその優しく暖かい手で包んでくれないのですか、、、。
私達はその日をいつかいつかと待ち遠しくしているのに、、、。
あなた方は私達をその手で包まれた事が無い、、。何百、何千年と待っているのに、、、。」
「ああ、神よなぜ私達を足蹴りにして怒りを表してくれないのですか?
私達の一部の人たちはあなた方の怒りを望んでいるのにそれを与えてくれないのですか?
あなた方はなぜわたしたちになんの感情も与えないのですか!」
自分という永久に潰されていく、、。
自分という存在は永久に消されていき後形もなくなっていく、、、。
一匹の蟻の価値がないのと同じように、自分らの存在や価値は消え去っていく、、、。
僕らという蟻は何兆、何垓と生まれ、死んでいったのでしょう、、、。
僕らは一日、一日を無駄にしなければ生きてく事ができない、、、。
労働をし、勉強をし、遊戯をし、食べては寝て、日々の惰性のなかでしか生き抜く事はできない、、、。
日々は刺激的だろう、僕らはその刺激を疑い、刺激を惰性という名で包み、貶めるのだ、、、。
そう人は自分達人自身も自嘲して、貶め、辱める、、、。
又、人である事を誇示し、立派、利口、尊敬させようとさせる、、、。
なぜ、相対論でしかないのだ!この世の全ては!
平和があれば戦争があり、愛があれば憎しみもある、涙があれば喜びもある、、、。
なぜ、このチグハグしたものしか存在しないのだ!
いや、チグハグしていない、言葉の背反は先の言葉(肯定命題)が主となり、、、。
その言葉を否定するためにアンチテーゼ(否定命題)が生まれる、、、。
先に肯定命題が無ければ、自分達は否定する事はできない、、、。
まず言葉の対象がなければ、自分達は肯定も否定もする事はできないのだ、、、。
なぜだ!なぜ片一方しか無い言葉がなぜこの世に存在しないのだ!
その言葉があるのなら全てを否定し、すべてを飲み込む事ができうるのに!
神はいる!神こそが最大の矛盾形でありテーゼとアンチテーゼこの二つを全て飲み込んでいるからだ!
ただ、俺らはその神を見る事もできないし、理解する事もできない、、、。
なぜなら、神は手が無く、足が無く、耳も無く、目もなく、口も無い、、、。
ただ、存在を示すためだけの鼻息さえあればいいのだ!
僕らはただ感じるだけでいい!神というモノを手に入れようとするものは破壊者だからだ!
その破壊者が神になるのだがな、、、。
ああ、駄目だな、、、、。
自分は孤独が好きだ、、、。
自分はマイペースで人を傷つけることしかできない、、、。
人を傷つけない事ができない、、、。
そうやって、自分は人から逃げ続けるんだ、、、。
卑怯者だ、自分は卑怯者という存在からは逃げれないんだ、、、。
自分は矮小で、この矮小さから逃げれないんだ、、、。
自分が行く道は卑怯者専用に作られたかの如く、、、。
非常に広く、長く石が張られて逃げやすくできている、、、。
素足で走っても、足は傷つつきにくく速く逃げる事ができる、、、。
自分が逃げれば、人も自分に愛想をついてくれる、、、。
俺はそれが非常にありがたいんだ、、、。自分は逃げ続ける事しかできない、、、。
涙が出るほどに自分は逃げ続けるんだ、、、、。
俺はそれを喜劇にせねばならない、、、。笑いきらなくてはならないんだ、、、。
過ぎ去っていくこの時と人とを俺は笑いきらなくてはならないんだ、、、。
涙と笑いというのは非常に似ている、一つは両方とも喜びであり、嘆きであり、、。
一つの感情のいった形である事だ、、、。人は感情が無ければなにもできないだろう、、、。
感情を理解せねば、人は何も考える事もできないし、行動も移せないだろう、、、。
自分は感情に溺れることしかできない、、、。
思考、科学もそうだ、全ては分析という名の感情によって作られているのだ、、、。
感情から逃げる事はできないのだ、、、。
俺は、感情から逃げられるようになったら自分は何ものになるのだろうか?
まあ、ひにんされてしまうのだろうがな、、、。狂いへか、、、。
駄目だな、、、、。
この溜まりに溜まりきったこの猟奇はどう消費しろというのだろうか?
暴力的なものではなく、冷たく心の下を揺さぶるようにできている、、、。
この猟奇を俺はどのように消費し、崩していけばいいのだろうか?
人に直接与えるものではなく、人に与えられるものではない、、、。
心に鬱積するこの、苛つきと憎しみと日々の嘆きが自分を追い込み飲み込んでゆく、、、。
だがこれが何かは俺はまだ分からない、、、。
あまりにも、知識が浅く俺はあまりにも知らな過ぎる、、、。
なぜ、分からないのだろうか?それさえも俺は分からない、、、。
不理解と理解の間に自分は溺れていく、、、。
分からないと言う言葉はあまりにも使え過ぎる言葉だ、、。
分からない事は放棄にもなり、時期に知るだろうという希望にさえもなる、、。
あまりにもあやふやで見えなさ過ぎるものだ、、、。
いや、見えないものばかりだ、、、。
近未来というが、自分達はこの近未来というものさえも現実に則してみるか、、、。
非現実、空想、仮想的に則してみるかで一つの事象は千変万化する、、、。
でも、その感情はあまりにも美しい、、、。
だが、自分は美しさが分からない、、、。不理解でもない、、、。
自分が触れうる、美しさは溺れる事しかできないからだ、、、、。
醜く差と美しさを相対評価で感じ取り美というモノを求めていくという作業を為す、、、。
そこで、美しさというモノはけがされて解釈してくのだ、、、。
拡大し、膨張していく事でしか満足できないこの人間的思考が自分は嫌いだ!
でも、その人間的思考からは逃げれないんだ!逃亡しつくしてしまいたいのにだ!
ああ、、、、。我々はなんと盲目な事でしょう!
神よ!我等に慈愛を!我々に慈愛をいただけ無いのなら!ほろびを!
ほろびという安らぎを我々に授けて下さい!神よ!
ああ、駄目だな、、、、。
僕がこの年でえる事ができた神はこのように何もできない人豚以下なものだ、、、。
僕にとって、神はいてもいなくても良い存在であったのだが、、、。
降ってくる直感のおかげで神という存在があるような気がしてきた、、、。
だが自分が説く神はまさしく、軽蔑され、見下ろされ、汚い液体の中で彷徨う者だ、、、。
自分の神は乞食だ、いや乞食にでさえ軽蔑されるだろう、、、。
そのようなモノに自分は神だと気付いたんだ、、、。
しかし、その卑しさは逆に聖なる者を感じさせるのだ、、、。
聖、、、。俺らはこの聖という言葉を一つ手に入れるためだけにどのくらいの人間を殺したのだろうか?
悪、、、。俺らはこの悪と言う言葉を相手になすり付けるためにどのくらいの人間を殺したのだろうか?
彼等は、彼等の神を求め、同時に自分達の見えるものを守ろうとした、、、。
見えるもの、それは家族であり、恋人であり、家財であり、誇りであった、、、。
「戦士に名誉ある死を!敵に不名誉な死を!」と何人の人が叫んだのだろうか?
僕には分からない、、、。自分には数えるための力と頭と手を持っていない、、、。
全ては日々によって行使されるだけの腕しか持ち合わせていないのだ、、、。
この小さな手と腕がパソコンのタイプを打ち、できるだけ叫ばせようとしている、、、。
僕にはそれしかできないんだ、、、。
ペンは剣よりは強くないし、ペンは剣の裏ズケで恐ろしく強くなるというだけだ、、、。
そのペンは神に対しての人間の叫びでもあったし、自分達の誇りであり、未来への希望だった、、、。
それが歴史なのだろう、、、。でも、自分達は歴史を見る事はしない、、、。
なぜなら、「歴史は繰り返す」と言っている時点で歴史、時というモノの本質を逃しているからだ、、、。
時と歴史は繰り返さないし、戻らない、、、。戻りえないんだ、、、。
その「形」に似たものとして出てくる事はあっても、繰り返す事は無いんだ、、、、。
僕達はそこからはじめなければならないんだ、、、。
続き
自分達がやらねばならない事なんてまったくない、、、。
自分が何を見えるか、何をせねばらな無いのか全く分からない、、、。
自分の価値なんぞ見据える事は無いし、何かが立脚する事も無い、、、、。
だから、何かを立脚させねばならないのだ、、、、。
だが、それ自体なんなのかは俺らは一寸さえも分かっていない事だ、、、。
いや、分かる事なんてない、、、。「形」という強固なものから俺は逃げれないからだ、、、。
僕達は「形」という脅迫感に取り憑かれ神というモノを飾ろうとする、、、
黄金の腕と手と体、珠玉で飾った頭をつけえばならないのだ、、、。
神はそのようなものではない、、、。
又、律令でもない、文字でもない、言葉でもない、一つの感覚なのだ、、、。
感じる事ができないものは、言葉にたより、文字にたより、そして飾る、、、。
僕が感じ取ったのは醜いものとしての神であったたったそれだけなんだ、、、。
同時にそれは僕の心に宿っているものだろう、、、。
醜くが自分は恐ろしい、、、。
そうだ、この世のものではないが故に神、、、、。
なぜ、その事に気付かないのだろう、、、。なぜ、神と人とを近付けようとするのだろう?
そこには疚しさがあるからだ、、、、。自分の欲求を満たすための疚しさがね、、、。
そう今書いているこの自分にも疚しさがある、、、。
人というモノからは逃げれないんだ、、、、。
一匹の卑怯者も狼以外には僕はなれないんだよ、、、。
哀しいな、、、。駄目だな、、、、。
自分の証明写真をなんとなくみたんだけど、、、。
哀しくなるほど、光が無く冷たい目をしているんだよね、、、。
何か、見据えきったなんか自分自身にも分からない冷たい目をしている、、、。
自分という名の「形」はどれもこれも自分を失望させてくれる、、、。
人というモノは自分という「形」過大評価している、、、。
もっときれいだ、もっと鼻が端正な形をしている、もっと目が大きい、、、。
行き過ぎている人だと、今自分がみているこの形は嘘だ!
という、人間さえも出る始末だ、、、。そこで、彼等は形成してそれに近付かせる、、、。
それにしても、美しさというのは非常にどれもまちまちで似たり寄ったりしている、、、。
美しさはバランスであり、美しさは一つの解釈によって求められるからだ、、、。
逆に醜くさは本当に広い、、。醜いというモノは非常に広いからだ、、、。
それ故、その自分の異端性(この場合醜くさ)を嫌い修正しようとする、、、。
だが、本当に醜いのはその修正しようとするその心ではないのか?
わざわざ、自分を一点に修正しようとするその心ではないのかね?
まあ、これは個人の問題だから結論は当然でない、、、。
おれが出せる結論は結局は偏見にすぎない、、、。
偏見、、。人はその偏見というモノから逃げ出せないだろう、、、。
偽善的なものは通用しないのと同じように、〜人、〜人と人は差別しあい殺す、、、。
もっと細分していもいい、、、。あいつの家は、あいつの顔は、あいつのフインキが、、、。
というだけで人は差別し殺す、、、、。
なあ、愉快だろ、、、。人という生き物は本能しか持ち得ていない動物以下なんだからよ、、、。
そう、人は動物ではない、、、。動物より馬鹿で達が悪いんだからさ、、、。
ああ愉快だ、、、。駄目だな、、、。
感動は自分の感性に頼る事であり、感性はどれだけ信頼に足るものなんだろうか?
自分は結構、感動をしてしまったりする、、、。素晴らしい、綺麗、又は自分の直感が叫ぶんだ、、、。
自分は恥ずかしい話だが、鬼束ちひろの「私とワルツを」をきいたとき何か感動をした、、、。
自分は歌というのは音と詩のバランスだから、結局は自分の感性に頼らざる得ない、、。
あくまでも、感動というのは共感であり、同情であり、同感でもある、、、。
一つのものを自分の輪の中に組み込む事である、、、。
その輪というものがどれだけ大きいかで別れてしまうのだろう、、、。
蒼天航路の劉備の如く、鬼嚢、どれだけ大きな袋を持ちうるかなんだろう、、、。
人の心は広くありながら、狭く、哀しいものだ、、、。
人の心という袋は人によってまちまちだ、ビニールで作られているもの、麻で作られているもの、、、。
と色々なものでできている、、、。そのできているものの違いがその人の容量なんだろう、、、。
人というモノは面白いもので、その容量が小さい人間は大成しやすく、広い人間も大成しやすい、、、。
狭い人間は回りに周到であり、周到差は同時に強さにもなる、、、。
広いものは広いもので、その広さが強みになるからだ、、、。
人は自然と引かれる人間と引かれない人間がいる、、、。
自分は当然引かれない人間だ、、、。
だから、その代償を自分は思考というモノであがなっているんだ、、、。
それはしかたがない、、、。自分は逃げる事を選んだのだから、、、。
逃げるためには逃げるタイミングと自分という存在をよく思慮しなければならない、、、。
結局自分は自分が持ちうる感性を悪用せねばならないんだ、、、。
自分に頼らざるおえないという寂しさはもう恐くはない、、、。
自分にはそれ以上に人というものが恐いから、、、。
駄目だな、、、、。
自分達は零にはなれない、、、。
自分達という存在自体が1なのに人は零から何かを作りたがる、、、。
零、、、。この言葉非常に魅力的な言葉だ、、、、。
放棄的な意味、無い状態を意味し、そこに理想を求める言葉だ、、、。
0という存在自体が1であり、1が0にならない事を自分達は知っている、、、。
0という存在は常に一方通行であり、、、。その一方通行で自分達は知ろうとする、、、。
0という魔性の数は、数学者を悩ませ、それを使う人を悩ませ続けてきた、、、。
いや、数というモノは常に人を悩ませてきた、、、。
数によって、人は何もかも算段して、求めてきた、、、。
その数が人に喜びをあたえ、絶望をあたえてきたのも自分達の経験でもしごく当然に知っている、、、。
人は拘束されるために発展し続けた、、、、。
数字が俺らにこの進歩をあたえ、同時に数えきれない犠牲を払った、、、。
そう、全ての歴史は血と汗によってあがなわれている、、、。
俺らが持っているこの科学と技術と数の結集品は全てに黒々しい血糊がついている、、、。
僕らはこの血の中でしか生きる事ができないんだ、、、。
その、恐ろしいまでの大量の血の中を無理解で飾るんだよ、、、。
そうせねば狂ってしまうからさ、、、。
駄目だな、、、。
考えても全く切りがないように、、、。
人は切りがないものばかり求める、、、。
思考の限界を自分に求めていく、、、。
その限界は理想であり、夢でもある、、、、。
しかし、人は夢を見る事、夢に見出す事を止めた事は無い、、、。
全ては夢であり、理想は消える事は無い、、、。
人というモノは常に一定した、理想が無ければならないようだ、、、。
どの時代にも、どの時代なりの課題があり、問題がある、、、。
その問題の答えを出す事によって、人は進歩していったといえる、、、。
人は課題の中に生まれ、課題の中で死に、生まれてきた、、、。
人は人が滅ぶ時まで、課題を求め続けるだろう、、、。
最後は人が滅ぶ事を課題にするのだろうか?
それとも、人がほろびを求める事を課題にするのだろうか?
さて、それは分からない、、、。
課題は、人というものが滅ぶその瞬間まで継続され出され続ける、、、。
その課題は憎悪なのだろうか?人が人を憎む事が最後の課題となるのだろうか?
答えは理想であり、結論ではない、、、。
自分には分からない、、、。
憎む事が人の進歩であるなら、全ては憎しみで成り立っているだろう、、、。
人が人である事の憎しみ、、、、。
それが、発展し続けたエネルギーなのだと思う、、、。
でも、自分には分からない、、、。
もっと悩み続けなければならないんだ、、、。
そう、自分が自分に対して最も不理解であるようにね、、、。
駄目だな、、、、。
最近、哲学書を乱読しようとしています、、、。
ポストモダンという言葉が非常に気になったのでデリダとか、ポンティ等を読もうと思ってやす、、。
意味を持たない哲学という、デリダ、、、。
近代を見直して、批判する哲学、、、。
現代というモノは何だろうか?
俺らは現代、現代と自分達の世代を表すけど、、、。
現代というのは自分達の時代からみているのではなく、未来からみているような感じ、、、。
いうならば、自分達、、、。この今をかこの事象であったかの如く見る、、、。
しかし、俺らが過去を見る時、、、。何かしら思い上がりを持ってみる、、、。
そう、進歩という仮定が自分達を汚染し尽くしているのだ、、、。
無意味という意味を超える事は無いし、意味を超えるだけの無意味を誰も持っていない、、、。
無意味なものが無いのと同様に、意味が無いものも無い、、、。
同時に、逆もありきだ、、、。
人は何も超える事はできない、、。
人は常にみているこの全てを傍観者の如くみている、、、。
だが、自分達は常に当事者なのだ!完全な傍観者なぞ出てくる事は無い!
傍観者はなぜ笑う事ができるか?それは自分達も正しく当事者だからだ!
傍観者はなぜ泣く事ができるか?それは自分達も正しく当事者だからだ!
傍観者はなぜ怒る事ができるか?それは自分達も正しく当事者だからだ!
傍観者はなぜ無視できるか?それは自分達も正しく当事者だからだ!
ああ、なぜ自分達は嘲笑うのだろうか?ああ、我々も笑われる人間であるのに!
駄目だな、、、。
見えない夢に溺れる事を望むのか?
見える現実に甘えるのか?
人は常に夢と希望を笑う事ができるのだろうか?
いや、人は常に幼い頃もっていた夢を現実化させ希望に変換してしまう、、、。
それは現実を知る事ではなく、、、。
現実である事を叫び、求めるのである、、、、。
その現実に飲み込まれる事を望むのである、、、。
そう、僕らは僕らのテによって飲まれてしまう事を望むのだ!
見えない真理を見える嘘に転換させ合理化させてしまうのだ!
そして、全ての嘘と真実をごっちゃにしたミックスジュースに溺れるのだ!
しかし、嘘と真実何ぞあまりにも挟間が無さ過ぎるものだ、、、。
あくまでも、嘘と真実なんぞただ僕らが叫び散らして穢しているだけだ、、、。
穢して、穢して全てを全くな無意味なものとして叩き捨てるのだ!
その、ゴミ箱の中はなんと神々しく光っているのだろうか!
俺らが捨てたものは全て、あまりにも美しい思考に埋もれているんだ!
その、ゴミ箱の中はなんと真っ白い事か!
俺らが捨てたものは全て、純粋な絹に包まれている事か!
その、ゴミ箱の中はなんと哀れな事か!
俺らが捨てたものは悲観主義者さえ慰撫もしないなんと弱いものか!
そのゴミ箱には歴史がある、、、。
自分達を飲みつづけた美しいものがそこに寝ているのだ!
だが、僕らはそれを知ろうとも分かろうともしない、、、。
なんと、哀れなものなのだろうか、、、、、。
駄目だな、、、、。
超える事無い悲観が俺を襲う限り、自分は自分を超える事は無い、、。
常に等身大の自分が守られ安定をしている、、、。
いや、むしろ安定させようと俺がしているのだ!
安定させようとしている自分はなんと不安定なものか!
安定性を求めるためには一つ不安定なものを抱えなければならない!
その不安定なものは、安定性を求めようとして足場をぐらつかせている自分自身だ!
又は、そのために自分は人を犠牲しているのかもしれない、、、。
分からない、だがこれが答えとはいえない、、、。
あまりにも全ての価値というモノは拡大して、閉鎖しはじめないからだ、、、。
それは、血だ、、、。
歴史という名の血だ、、、。いや、人がそう残そうとしているのかもしれない、、、。
自分のアイデンティティというなでね!
嗚呼、人の欲求はなぜここまで拡大するものなのだろうか!
ああ駄目だな、、、。
一様、あげとく
いや、色々諸事情があって、、。
最近思ったのだけど、、、。
在日朝鮮人というのがあるけど、、、。
あれって、おいらは朝鮮系日本人にかえてもいいと思うんだよね、、、。
確かに、その前に日本国籍を与えていいか、査問して色々と順序をとってからだけど、、、。
おいらの考えとしては、、、。
一家族、一家族ごとに行政審査をして、日本国籍を与えてもいいか査問して、、、。
その後に、朝鮮総連のような団体とは完全に手を切らさせて、、、。
新たに、朝鮮系日本人団体を作ればいいと思う、、、。(そんな簡単な話ではないが)
さすれば、朝鮮人としての自尊も保てるだろうし、、、。
在日朝鮮人の如く曖昧な形で終わらないだろう、、、。
まあ、朝鮮人が日本人を馬鹿にして、拒否したならそれはそれでいいだけで終わる、、、。
実際、朝鮮は小中華思想にまだ汚染されている、、、。
人治国家からまだ出れてはいない、、、。
朝鮮が本当に独立する時、、、。
それは、支那を完全に見捨てる時なんだと思うのだが、、、。
できるだろうか、、、。分からない、、、。
まあ、駄目だな、、、。
最近、季節が変わる事を感動しなくなった、、、。
なんとなく、感情がゆらめいたりはしたのだが、、、。
なにかしら、ピンとこない、、、。
1年が始まり、1年が終わるこの繰り替えしが感動というモノを飲み込んでしまうのだろうか?
いや、それ以前に自分の心は氷結しきっている、、、。
自分の心がいつもいつも重く感じて、何か石を体に入れているような感じがする、、、。
その石が話しかけてきた事をまえかいた事があるが、、、。
この石は毎日、話しかけてくる、、、。
生きる事、食べる事、日々日常の事象、狂気、などなどあげていけば切りがない、、、。
俺は、その石が話しかけてきたものをいつの間にか忘れきってしまう、、、。
まあ、忘れた方がいい事ばかりなのだが、、、。
なぜなら、この石は考えさせるようなことしかいわないからだ、、、。
「神は死んでいない!神が死んでいるのならなぜ我々は神を求むのか?
我々が求めている神は虚像か?もし、虚像とするならば人間が人間を考える事も虚像ではないかな?
俺らは真実という大いなる飴をなめる事はできないのだ!
しかし、この飴は全く甘くはない。甘いと我々が思い込んでいるだけなのだ!
楽というなのダジョウが甘いのであって、真実を見つける事は甘くはないのだ!
その真実さえも、欺瞞であり、嘘かもしれない、当然分からないという名の大海を泳いでいるのだ!
我々が叫ぶ真実は非常に苦いが甘い香りをかもす、バニラエッセンスのようなモノだ。
あなた方はその香りを楽しむが良い。我々はその味を求めるのだ!
その違いこそ、観客と逃げる傍観者の違いなのだ!
俺は苦いほうえ逃げていく、逃げる事ほど辛い事は無いのだ!
あえていこう、逃亡者といういばらで作られた服を着て走り去るのだ!
続き
とまあ、いつものごとく語りかけてくれるのですが、、、。
どうも、学校の勉強ができないくせにこのような事ばかり考えられるから困るわけで、、。
俺の場合は思考という名の甘えに取り憑かれているみたいですね、、、。
考えても考えても全く切りがない、、。それ故人はキリを求める、、、。
答えは常に矛盾し、広大な海の中をただよい沈んでいく、、、。
それが正しいのかは俺にはわからん!
矛盾は矛盾で受け入れ、感情的な真実という嘘がデンプされ泳ぎ回る、、、。
だが、言葉を強くしようと思えば感情というモノは多少混ざってしまう、、、。
全ての思考は単調な感情によって左右され、感情はいつの間にか自己洗脳してゆく、、、。
感情という自己洗脳はいつの間にか洗脳されていると思わなくなってゆく、、、。
まあ、人間は一回性によって守られているのだから、、、。
どうにもならんのだが、、、。一回性というモノは人は民族、家族、風習、常識等を簡単にはかえられん、、、。
ということで、、、。人は表面上のものはかえられようが髄にあるものは変える事ができない、、、。
国際人という人がいない事の証明にもなる便利な言葉だ、、、。
そう、それによって真実というの厳正的な証明によって作られていくんだ、、、。
どうも、このような事を口でいおうとすると舌が人より横幅があるのかうまくいえない、、、。
この体が憎い一番の理由でもある、、、。
いいたいことをいえない、同時に言っても仕方が無いという諦めもある、、、。
自分は人といういきものを諦めました、、、。だから、自分は永遠に逃げていきます、、、。
たったそれだけ、、、。
たったそれだけが、どれだけ重いのだろうか?
分からない、、、。
若さというモノは非常にいいものだ、、、。
矛盾してても受け入れてくれるからだ、そう自分も矛盾体、、、。
本当笑っちまうよな、、、。
駄目だな、、、、。
自分が一番恐いのは無思考状態が一番恐い、、、、。
何も考えていない事の恐さを感じた事がある、、、。
自分は怒りというモノをわざわざ自分の思考状態に持ってって合理化する方法をよくとる、、。
精神的に相手の怒りやすかしを笑うようにして考えて生きている、、、。
自分は不快になる事はあっても怒る事はほとんどない、、。
又、怒りという感情を飲み込むように訓練している、、、。
日々鍛錬しているわけでありまして、、、。
ただ、どうも頭が動かない時に怒りを感じると体が動いてしまう時がある、、、。
まあ、わざわざ無理矢理頭を動かさせて怒りという感情を殺すのだが、、、。
それができない場合もある、、。
怒りで物事を忘れる事は無いからいいのだが、、、。
ただ、溜まっているこの黒いものが弾けなければいいのだが、、、。
感情が恐ろしい、、、。
このわき上がる情緒が全ての思考を飲み込んでしまうのが分かる、、、。
恐い、、、。
そう恐いから抑える事ができない事の恐怖、、、。
ああ、駄目だな、、、。
今、与えられている全ての思想は相対する
全ての価値は意味となりはしない、、、。
前も話したような気がするけど、、、。
最近のある事ある事起きる事全てが価値=意味になっているような気がする、、、。
事実は価値<意味であり、価値は意味を超える事はない、、、。
なぜなら、例えば若さというモノを一つの意味としよう、、、。
この意味は若さを失った(そう思っている(失礼))人達には変える事ができない代物である、、、。
大抵、若さというモノを失うと思っている人間がやる行動は説明がつく、、、。
若さというモノに嫉妬して狂ってしまうもの、自分が若いと自己洗脳するもの、、、。
若さというモノを果てしなく求めるもの色々な行動形態がある、、、。
その点では若さというモノは意味を持つ、、、。
もう得られるものではないからだ、、。自分達はその若さを羨ましがる事以外できない、、、。
そう、得られないという事が意味を持つのだ、、、、。
しかし、価値は違う、、、。
価値は意味の中に内包されているものであって、、、。
価値はどっちかというなれば、数理的に値を求めて出そうとするものだ、、、。
そこで価値は乱用される、、、。価値というモノはまず肯定命題ではなければならない、、、。
否定命題、嫌われるものというのは一つの価値である事は間違いないが、、、。
この場合の価値というのはあくまでも「価値があるモノ」であって、、、。
「価値がないもの」また「価値がないとされるもの」の意味自体を表してはいない、、、。
その2点は省いて考えさせてもらう、、、。
あくまでも、価値があるモノ、されているものは価値から生じた副次的なものであって、、、。
この肯定されているものは同時に価値というモノを超える事はできえない、、、。
だが、この肯定命題だけで意味というモノを求めるようになった、、、。
それは、情報というモノで流布され、意味、価値は穢された、、、。
人は何でも穢す、、、。自分のためなら、、、。
駄目だな、、、、。
あなたがもし哲学を求めるのであれば自分を憎みなさい、、、。
憎み、憎み、憎み、憎み、憎み、憎み、この自分の無力さと虚しさと弱さを、、。
憎みきらねばらならない、全てはそこから始まるからです、、、。
確かに全てテの学問形体は図この無知の憎悪から始まる、、、。
かくして無知は無恥であり、自分の恥知らずのであるところを憎み、、、。
自分に石をしょわせる作業だ、、、。
しかし、最近の哲学を叫ぶ人間は憎悪からではなく愛や慰めからはじめさせようとする、、、。
それは、哲学ではない!
全ての学問、哲学にしろなんにしろ憎悪からはじまらねばらない、、、。
憎悪というエネルギーはすごいものだ、嫉妬というエネルギーはすごいものだ、、、。
だから、自分は全てを憎む!
神も自分も全て起きるこの事象全てが自分にとっての憎悪の対象でしかない、、、。
自分はそこからは逃げない、、、。
逃亡者はその憎悪を直視するのだ!そして、貴方達観衆はそこから逃げるのだ!
逃げてはならない!それは確かにきょうふである、、、。
逃げてはならない!それは確かに憎しみでもある、、、。
逃げてはならない!それは確かに嫉妬である、、、。
だが、それは真実なのだ!自分に嫌悪感を与える全てのものはあまりにも真実だ!
自分達は、真実を突き付けられると非常にむかついたり、憎む!
それでいい!より憎め!憎しみ続けて、憎悪の中を死ぬのだ!
ああ、駄目だな、、、。
ちなみに今日は補修もクソも無くて一日中家にいられるのだが、、、。
今日は朝っぱらから不整脈のおかげで胸がずきずき痛み息がしずらい、、、。
いつも思うんだよね、、、。この痛みが限界を超えた時死ぬんだと、、、。
人って誰もが何かしら体に欠陥を持っている、、、。
顔が醜い、喘息もちだ、頭痛が、胃が、口臭が、腋臭が、と色々ある、、、。
完璧なものが存在しないように人間というのは欠陥品でありつづけねばならないようだ、、、。
あくまでも、仮定の話だがもし完全な人間が作れたとしよう、、、。
そこで皆は彼の事を激賛し、称えるだろう、まあ同時に嫉妬もするのだが、、、。
しかし、彼自身はどう感じるだろうか?多分、欠点が無い事が欠点感じるだろう、、、。
人というモノは非常に面白いものだ、、、。
人というモノはどっちかといわれるとちょっと満たされていない状態を好む、、、。
ちょっと満たされていないという事が新たな欲求を生み、その欲求を消費するのです、、、。
人というモノはドツボの塊みたいなものだ、、、。
諦めと欲求の繰り返しによっていつの間にか何もかも無くしているという状態に陥りやすい、、、。
だが、人は求め続ける、、、。
人は自分の欲求の限界を知りようも無い、、、。
ただ、いま持っているこの欲求の限界らしきものに甘えているだけだ、、、。
そこで、宗教的なものが禁欲的なものが生まれたのだろう、、、。
でも、この禁欲的なものも単なる甘えに過ぎないのだ、、、。
何かやる遂げている感覚が人に甘えている状態ではなく、自分に甘えている状態を作るのだ、、、。
そう、人の禁欲なんぞその禁欲する事で自分の欲を満たしているのだから、、、。
まあ、駄目だな、、、、。
そういえば、犬とかに服着させている人がようけいるが、、、。
なんで着させるんだろう?風邪を引くからとか色々理由があるらしいが、、、。
それでは、動物ではないだろうが!
動物はあくまでも自分で守る事ができる(毛皮)もっているのであり、、、。
わざわざ人為的に服を着させる必要何ぞないし、着させる理由があるのであればそれは欠陥に過ぎない、、、。
それ以前に飼えないとして諦めるのが普通だと思う、、、、。
自分はペットが安らぎとか癒しとかほざく奴が大嫌いだが、、、。
根本的に安らげるというのはその存在を馬鹿にしているようなものであり、、、。
その馬鹿さ加減(この場合人間でない事)が軽蔑する事象となり、それが癒しといわれるような効果を発する、、。
端から考えてみれば、軽蔑する事を諦める(諦めている)感情がいやされるというもの、、。
又、精神的、肉体的な楽というのも癒しといわれる、、、。
では、楽というのは何だろうか?
体が楽だと叫ぶ事か?何にも背負わされていない事か?何も考えていない状態か?
俺らが楽だという時は、先の事を考えていないという事だ、、、。
享楽的で刹那的な状態である事が楽であるという事だ、、、。
元々、犬に服を着させるというのは人間性を強制しているようなものだ、、、。
そう考えてみると非常に不自然だ動物というモノを飼うという行為はある種不自然だ、、、。
彼等は縛られるものではなく、人間的なモノにされるようなやからでないのだ、、、。
人は自分達が作ってきたものにあまりにも牙を抜かれ過ぎた、、、。
自然というモノに牙をむかれるというのではなく、同時に我々は自然というモノに牙をむき続けた、、、。
しかし、俺らは自然という牙をあまりにも抜き過ぎた、、、。
自然と不自然の間が全く見分けつかなくなってしまった、、、。
全ての人工が自然と見るようになったのだ、、、。自然は脅威である、、、。
だが、その脅威を忘れてしまうほど牙をもぎ過ぎた、、、。
牙をもぎ、いつの間にか放置して牙を見なくなる、、、。
でもだ、自然という牙はいつでも生えるんだよ、、、。生える事を忘れた時、、、。
人工を完全に自然と見るようになった時、、。はえすぎた牙が俺らを襲うのだ、、、。
まあ、駄目だな、、、。
見えない、見えない、、、。
自分というこの個体はあまりにも盲目で、あまりにも小さすぎる、、、。
いや、大きくても他が小さすぎてまた見えないだろう、、、。
大きさというのはあまりにも曖昧なものだ、、、。
俺らにとって世界というモノは何だろうか?
未知か?一つの道か?関係ないものか?広いもの?狭いもの?一つの哲学の答え?
ただ、一ついうならば、俺らは世界というモノをあまり理解していないという事だ、、、。
例えば、いい例だとイラク戦争、、、。
俺ら、大抵の日本人は第三世界の事、、、。自衛隊がいったようだけどあんまり関係ない場所、、、。
思想家ならば、アメリカの侵略、湾岸戦争の報復、アメリカのテロ撲滅のための戦争、、、。
等々、、、、。出てくるわけだ、、、。
だが、俺らは体験的には全く分かりえないし理解する事も不可能だ、、、。
まず、俺らの年代は戦争をまず経験していないからであり、、、。
彼等のその状況を全く諦観しかできえないからだ、、、。
相手がどのような状況下を俺らは情報ではしってはいるが、経験的には絶対に知りえない、、、。
どの世界であれ等身大の自分は2ちゃんをしているこの自分であり、、、。
情報と史実との差が分からなくなっていくわけだ、、、。
ただでさえ、この自分自身が今持っているとしている現実の中さえも分かりきってはいない、、、。
知りえない事が重なって重なって、、、。処理しきれなくなっている状態なのだ、、、。
知らない事は知りえないわけだし、人は経験でしか知りえないのだ、、、。
「賢者は歴史から学び、愚者は経験により知る」といわれるが、、、。
「賢者は知として歴史を持ちながら矢張り経験でしか知る事ができないのだ」
知というのはある種経験の上層を浮いているようなものだ、、、。
知と経験は永遠に隔離される、、、。隔離される事でしか求められないのだ、、、。
駄目だな、、、、。
携帯電話料金が今月クソ安い、、、。
4952円なり、、、、。
他のものに依存できるものを無くしていって、、、。
なぜ、こうまで自分に依存しようと俺はしているのだろうか?
被害妄想が強いのか?加害妄想が強いのか?人を嫌っているからか?自分が好きだからか?
感情の起伏が激しいからか?関与されるのがいやだからか?逃げていく事が好きだからか?
どれもこれもがそれらしい答えばかりで分からない、、、。
学校のテストの如く、選択問題だったら楽なのにな、、、。
答えは一つしか無いという単純さが俺はうらやましい、、、。
問いを生じさせれば、全ての砂ぐらいの量の答えが出てくる、、、。
全ては無限であり、一つの有限体がその無限性を否定したくて有限化させている、、、。
数値は一つの答えであり、その一つだけという答えしか超える事はできない、、、。
しかし、人は分からないものが恐いのだ、、、、。
不理解、分からない、共感しえない、同情しえない、むかつく、消してしまえ、、、。
分からないものを抹消したがる癖は歴史から引用すれば夢の島のゴミの如く出てくる、、、。
虐殺し、略奪し、存在を隔離し、裏側から抹消するという事が大量に行われた、、、。
自分達が理解できるもの、分かりあえるものが人間でありそれ以外は人間ではない、、、。
西洋的、中華的な概念だ、、、。文明というのは往々にして個々の文化を抹殺する、、、。
日本もそうだ、西洋的な概念をあまりにも悪用しそれに汚染され続けた、、、。
だが、俺は馬鹿な大人の如く倫理崩壊とか、〜崩壊とつけたがるような単純かしようとはしない、、、。
それは、あくまでも「不理解である」とあからさまに使わない日本人の機微を悪用しているだけに過ぎない、、、。
常に言葉という体系は変化し、変化に対応できなくなると一方的に嘆くという手段はあまりにも悪用されすぎた。
陳腐になり過ぎたという事だ、、、。
続き
そしたら、俺らは何を嘆く事ができうるのだろうか?
未来に対してか?
それはただの悲観主義が行き過ぎただけだ、、、。かつ、失礼でもある、、、。
若者に対してか?
それは、ただの不理解でもある(大抵の人はもう呆れているだろうが)
思想にか?
むしろ、思想は骨に過ぎない、思想という骨に肉付けするのは個々の思考によることしかできない、、、。
過去にか?
それも同じだ、不理解であり又過去を嘆くものは未来というモノに頼り過ぎだ、、、。
自分自身にか?
全くの無駄だ、自分に嘆く人間は大抵が嘆きっ放しだ、、、。新たな思考を生む事ができない、、、。
他人にか?
自分というものは世界に一つしか存在できえない、意志を共通かはできないのだ、、、。
ここまで来るとさすがに陳腐すぎる、、、。
だが、求めようとしなければ見いだす事ができない、、。
絶対不理解であり、理解できるもの何ぞない、、、、、。
同時に分かるものも無い、、、。ただ、〜であるという断定がそれらしく見えるだけに過ぎない、、、。
全てのものは知りうる事はできない、、、。
分かりうる事も無い、、、。見える事さえも無い、、、。
無い、、、。
だが、少しは言葉の裏側にあるがあってもいいではないのだろうか?
そう、確かに思い込みであってもね、、、。
まあ、駄目だな、、、、。
孤独を刻み続ければ、憎しみが見える、、、。
全ての思考は感情を逸脱する事ができない、、、。
理性という名の感情、冷徹という名の感情が自分を蝕んでいく、、、。
思考は屈辱の中から生まれ、温くもなく冷たくもない水の中でしか生まれない、、、。
思考は全てにおいて中途半端な存在であり、越えたり、抜かれたりもしない、、、。
ただただ、ただよっているだけの掴める事ができないもの、、、。
孤独に対しての憎しみが思考を生じさせるのであれば、自分の思考は全てが憎しみだ、、、。
又、干渉され、無理矢理関係を持たせようとする奴らに対しての憎しみでもある、、、。
全ての思考、思想はとある対象の憎しみから生じる、、、。
自分達は何かを話すとき2項対立というモノを頻繁に使う、、、。
片方は自分が好むもの肯定するもの、もう片方は嫌っているもの否定するものの関係持たせ、、、。
話を弾ませようと無駄な努力をする、、、。
この2項対立を語っている時に無視されたり、馬鹿にされると人は苛つく、、、。
苛つくだけではまだ憎しみはできない、、、。
その苛つきを越えたところに憎しみはあるのだから、後の復讐感情によって憎しみが生まれるからだ、、、。
自分はその時は笑ってても後に思い出して屈辱だと頭がインプットした瞬間に思考が始まる、、、。
憎しみが完全に自分を飲み込むんだ、、、、。
まだいい、、、。憎しみは一時の感情だからだ、、、。
しかし、思考として完全にとり得てしまったとき、、、。
思考は暴発する、、、、。苛つきとむかつきが暴力的な事象さえ起こさせようとする、、、。
恐い、、、。自分が恐い、、、。あまりにも自分に対して不理解名自分が恐いんだ、、。
だめだ、、、、、。
親に「お前は難しい事ばかり考えているから、難しい事いわれても分からない」
と昨日いわれた、、、、。
といっても俺は何も難しい事はいっていないし、ただ難しいと解釈されただけだ、、、。
俺にも難しい事はたくさんある、、、。
学校のテストや、数学の問題、左手でのオナニーに上げる必要も無いほどたくさんある、、、。
多分全ては思い込みなんだろう、難しいと思い込む事が難しくしている、、、。
でもまあ、左手でのオナニーはなれだから体質的なものも含めた方がいいな、、、。
では難しいとは何だろうか?
考えられない事か?思考できない事か?体がついていかない事か?使えない事か?
知らない事か?又は知りえない事か?見つからない事か?求められない事か?
これら全てだろう、、、。
全てが分からない事であり、分からないから難しい事でもある、、、。
でも、分かる事があるというのは一方的な決め付けのような感じがする、、、。
数学の方程式は完全体ではないし、まあ証明によって求められているがその証明が絶対に正しいとはいえない
その証明自体が間違っているかもしれないからだ、、、。
そういっている俺の言説も間違っているかもしれないから、、、。
全てが有耶無耶になるように自動的にできている、、、。
多分、このように有耶無耶にようになるには何かの理由があるんではないだろうか?
理由が無くてもいい、、、。何かしらに存在理由や価値や意味を問うのは人の悪い癖だ、、、。
意味や価値というモノは人間の主観でみたものに過ぎないわけだから、、、。
それが全ての答えになるというのはあまりにも一方的で自堕落なものに過ぎない、、、。
すぐに答えを出そうとして限界を見いだそうとする、、、。限界なんて分かるものではない、、、。
同時に人は限界を超えようとするが、体がその限界を拒絶する、、、。
人の意志なんぞ体というモノをあまりにも稚拙に扱い過ぎだ、、、。
意志は体を超えようとし、体は意志のしたにいこうとする、、、。
どちらにしろ、、、。人は反逆的な事をしたがるものだな、、、。
まあ、どうでもいいや、、。駄目だな、、、、。
芸術論ってどう思いますか?文学とか美術作品とか色々ありますが。
価値がある、ない、新しい、古い、そこに描かれていない作者のプロフィール。
俺にはとても難しく、そして怪しく見えるのですが……。
>>82 おひさしぶりです、、、。
芸術は直感です、、、。
芸術論がなぜあれほどまでに拡大して、律みたいなものが無いのは、、、。
評論者の個々の概念、習った思想、感化した思想や思考が感情とともにくだ巻いているからです、、、。
それが混然として社会空間に流布され混乱した形で俺らはその芸術をえるからです、、、。
そもそも、芸術というのに美というのは必要ない、、、。
どこかのお偉いさん(力ある評論家)が「これは芸術だ!」と叫んだ瞬間が芸術なのです、、、。
その叫んだものが今、当たり前のように美術館に展示され一つの価値とされているのです、、、。
当然、かいた画家にとっては自分がかいたもの、作ったものが当然の美としているものだから、、、。
芸術という価値はあまりにも一方的な論述になってしまうわけです、、、。
文学でもそうです、、、。一々、白樺派や高踏派と区別されてしまうわけです、、、。
作品一つ一つは個々として独立したものなのにですよ!
区別が区別を生み、それが時間によって確定したものとして流布されるわけです、、、。
何という思い上がりか!作品の中から人格を見ようとするもの、プロフィールから人格を見ようとするもの、、、。
だが、俺らはそのとうの本人ではないし、心理学というモノから人を見るのは失礼ではないかね?
文体や美(?)の表現からは彼の思考の一片しか分からないのに全てを知っているかの思い上がりが、、、、。
芸術論なのです!だから、自分は美を語りません、、、。
あまりにも分からないからです、、、。拡大されきった価値が全てを汚すのです、、、。
なぜ、怪しいかはあくまでもその評論家の思考に過ぎないからなんですよ、、、。
それが、自分の思考とはあい対するときとくにそう感じるんだと思います、、、。
まあ、俺の妄想に過ぎないですから、あんまり気にしないで下さい、、、。
駄目だな、、、、。
おひさしぶりです。突然現れてしまってごめんなさい。
これほど学問の対象として基準が曖昧なものは他に無いでしょう。
駄目人間さんはどう思うのかな、と何となく気になってしまいました。
あ、そうか、芸術論と言うより「美」に対する議論に
怪しいところがあるんだ。これは見落としてました。
そうですね、俺も思い上がりだと思います。
審美眼なんて言葉があるけど、センスなんて言葉もあるけど、
美は人の数だけあるだろう、とどうしても思ってしまうのです。
例えばクリムトの少女の絵に萌えて何が悪い、
どこからが論ずるべきか、それを定められるものなど存在しない、と。
それなのに誰かがそれを決め、その瞳を受け継いで(どうやって?)
彼らは話す……。そう、自分の瞳が使えないところが恐ろしいですね。
レスありがとうございました。おもしろかったです。
では、スレ汚し失礼しました。
>>84 多分、受け継いでいく方法はたくさんあると思います、、、。
例えば、最初ニーチェに多大な影響を受けた思想家は後々までニーチェの影響を受け続けます、、、。
ある、思想家は「近代哲学はニーチェから始まる」という方もいますしね、、、。
その点ではデリダのといた脱構築というのは評価できると思います、、、。
逆に、俺らは構築され過ぎたものの上に立っているともいえます、、、。
自分達の過去を振り返れば、多数の経験と知恵と肉体がつもりに積もっています、、、。
そのつもりに積もっているものがいつのまにか自分達を縛ってしまった、、、。
なら、その構築されたものから一回抜け出してみたらどうだろうか?
それが脱構築なのだと思います、、、。(自分の解釈ですが)
しかし、脱構築は同時に諸刃の剣にもなりかねません、、、。
これも、一つの思い上がりを作るからです、、、。
その、思い上がりが一生懸命というものを破砕してしまう事です、、。
構築されたものを思い上がって第三者の目から見切ってしまう、、、。
自分もその歴史の当事者であるにもかかわらずですよ!
全ての思考は矛盾体であり、全ての思想も矛盾体である、、、。
その基本から逃げてはならない!
なぜ、日本の思想家はあまり評価されない理由は、、、。
全ての思考は感情の一つに過ぎないということをあまりにも忘れているのです、、、。
超人は存在しえないのです、、、。等身大の自分の憎しみから生まれた思想が第三者によって解釈され、、。
いつの間にか、その思考は自分の等身を越え全てをうやむやにしてしまう、、、。
そこで、その思考は超人になる、、、。だが、それは生きた超人ではない!
死んでいるのだ!思考を変に解釈する事によって思考は殺され、焼かれ思想となる、、、。
自分達はそこにしか肉づけできないのです、、、。
死によってでしか自分はその思考をえる事ができないのです、、、。
駄目だな、、、、。
いやいや、人の疑問は自分の疑問でもあるわけですから、、、。
むしろ、俺らの瞳は生まれた瞬間から死んでいるのかもしれませんよ?
人が生まれた瞬間から何かしらの習慣、慣習、世間、社会、常識を、、、。
教養と名で強要されるわけですから、俺らが前もって知っているのは鳴き声と、
自分の無力さを表す、腕と足の上下運動だけなのですからね、、、。
例えば、ユダヤ人は生まれた八日目に割礼の儀式を行われます、、、。
彼等は自我や、意識が生まれる前にその体にユダヤ人である事を刻まれるのです、、、。
割礼を行われたその瞬間に彼等は完全なユダヤ人になるのです、、、。
自分達もそうです、、、。生まれたこの瞬間は本当の自分(?)であっても、、、。
戸籍謄本に自分の名前を刻まれた瞬間、俺らは俺ではなく日本人という事を刻まれるのです、、、。
まあ、戸籍は変える事ができるからユダヤ人よりは深刻ではないですが、、。
自分達は家庭教育、学校教育と経由して日本人である事を刻まれていくのです、、、。
近代的な概念が無い過去でも、〜村の者、〜町の者と刻まれていくわけですから、、、。
自分達はこの痕跡を消す事ができないのです、、、。一回性という名でね、、、。
自分が持っているのは逃亡者の思想でしかない、、、。
それ故、逃亡者は逃げ切れない事を分かっている、分かっていねばならない、、、。
自分は、逃げ切れるもの、逃げ切れないものがちゃんと二つに別れている、、、。
自分という名の痕跡は消す事ができない、、、。自我ができてしまっているものは逃げれない、、、。
だが、逃げる事ができるものがある!
それを喜ばなければならない!歓喜し讃えねばならない!
逃げうる事ができるものを大切にし、保管し、逃げ続けねばならない、、、。
逃走者は逃走できるものがある事を喜べ!そして逃げれるものがある事を嘆きなさい、、、。
そして、捕まりなさい、、、、。捕まった事を喜ぶのです、、、。
自分が正しく人である事を、、、、。
駄目だな、、、、。
誰も彼も思考の限界は持っている、、、。
考えうる事と考ええない事の二つがある、、、。
自分は自分の思考限界を持っているし、あなたはあなたで思考限界を持っている、、、。
人間としての思考限界は数値化できないだろうし、人間は数ではない、、、。
どうも、明文化しようという試みはどうやら切りがないようだ、、、。
人は切りがないものを求めながら、キリをつけようという願望を持つ、、、。
議論に決着は無く、議論は永遠に繰り返され、答えらしきものが出るだけだ、、、。
議論というモノはなくなりえないし、答えはその時代その時代で変化するだけだ、、、。
だが、議論は変化しない、、、。
言葉上では変化しようが本質としての議論は変わる事が無い、、。
罵声と妄言と思い込みと思想と幻滅が常に襲ってくるだけだ、、、、。
権利は拡大し、義務は縮小してゆく、全ては罵声と妄言と思想のおかげだ、、、。
又は武具の発達かな、、、。まあ、どうでもいい事だ、、、。
どうでもいいといいながら、完全に放棄しようとしない自分も中々笑えるものだ、、、。
どうでもいい事何ぞない、、、。放棄的な立場は俺らが生きている間否定されている、、、。
それを受け入れていながら俺らは放棄的な発言、行動を捨てる事は無い、、、。
理解しあえない、無意味だという叫びが放棄的なものを作り続けているのだ、、、。
だが、それも分からない、、、。
分からないことしか無いのに分かると叫ぶ事がなぜ意味のある事なのか?
全く無意味ではないかね?理解という戯れ言は、、、。
そう、切りがない、、、。叫びはより強い罵声に近い叫びによって消される、、、。
それでいい、、、。それでいいんだ消されていく事を大切にしなければならない、、、。
消されなかった言葉が全てを穢していったのだから、、、、。
ああ、又アホな事をいわせているよ俺、、。
駄目だなこりゃ、、、、。
中途半端に頭がいいと大変ですね
>>88 そうなんですよ、、、。もっと頭の使い方が違う方向に行けばいいんですがね、、、。
駄目だな、、、。
頭の使い方が間違っていると言うよりも人格や行動が頭脳に伴わないと
つらいっつー場合もある。
頭に心がついてこない。
もしくはその逆に個人的な欲望を満たすことのみを目的にして生きることもできない。
いずれにせよ、駄目という地位に甘んじているのは本当はそこが心地いいから。
>駄目という地位に甘んじているのは本当はそこが心地いいから。
ふんふんだがしかし駄目だと自覚することで
上に上がって行けるという考え方もあるよ。
俺はもう死んでるけどね。終わってるけど。
そう言う意味では生きてる人よりは駄目だね。
心地よくはないよ。
さっき別板に書いたが自分で自分に
アンコールをかけてそこにしがみついているのさ。
そうやって体を生かしている。
だからむしろ社会的にまともになるための向上心には満ちあふれているよ。
生きることを望んだんだからね。
横レスごめんよ。
あーごめん91は気にしないで。
発作的に書いてしまった。じゃまものは消えます。
>むしろ社会的にまともになるための向上心には満ちあふれている
駄目の基準が違うようですな
すみません。気分が落ち着きました。
91は自分が言われたかのようにべらべら話してしまって、申し訳ないです。
過去の状況を勝手に思い出して勝手に気持ちが高ぶっただけなので
本当に気にしないでください。
自分でもすぐおかしさには気づいたのですが
自分の書き込みに勝手に落ち込んでちゃんとした謝罪が遅れました。
そういうばかです。お騒がせしました。
ついでに個人的な見解ですが、俺も精神的に自分を駄目人間だと強く思います。
それは自分への戒めですが、同時に諦め、何かへの逃げではあるかもしれません。
俺はそこから出たいので、今出口を探しています。
小さな諦めはありますが、そこはまだ諦めてません。
そういう状態です。
俺は。駄目人間さんはどうか知りません。
騒いだついでなのでなんとなく書いてみました。
>>88,オールさん
話が少し進んだようですが、、、。
自分は駄目である事を自分自身に決めつけないと自分の自尊心に飲み込まれそうですからです、、、。
肥大した自尊心が自分を襲う、、。毎日毎日です、、、。
自己否定する事で自分の自尊心を潰していく、、、。
その時生まれてくるこの思考がこの妄言なんです、、、。
人格がおかしい、行動を一々取るのがたるい、、、。
自分の思考は自分の肉体や頭脳に対しての憎しみなのです、、、。
ついていっていない、、、。むしろ、肉体と思考が隔離していく、、、。
日々生まれてくるこの憎しみがもしかしたら、自分の生きる理由かも知れません、、、。
理由律、、、。理由なき者に生はなきか、、、。
思想は限界を超えようとするたんびに自分の脳はいたいと叫ぶ、、、。
思考が思考を塗り替え、嘘と欺瞞が拡大していくだけのこの脳みそが憎い、、、。
自分の叫びは自分が更新するんではない、自分が他者と関与しようとするから更新するのだ、、、。
あなたは生まれた瞬間に死んでいる、、、。あなたはもうあなたではない、、、。
それはあなたという名の社会的動物という名の彫刻物にすぎない、、、。
生きたまま彫刻物にされるのだ!思考は、あなたという造形を見る事でしか求められない、、、。
だが、そこには彫刻物の叫びしかない!
なぜ、我々はここに立たねばならないのだ?なぜ、我々はこのままでいなければならいのだ?
なぜ、我々はここで生きてねばならないのだ?なぜ、我々は破壊する運命を持たねばならないのか?
自分は答える事ができない、、、。自分も彫刻物であるからだ、、、。
生まれた時から石膏を塗られる運命を嘆け!
そこには、ニヒリズムも何もない、、、。無力な彫刻である自分を嘆け!
はあ、駄目だな、、、、。
人と愛し合ったことはありますか?
途中で上手くいかなくなったとしても。
非常に自分の思考は肉体についていっていない、、、。
それにしても、欲望が満たされるにはこの自分が持っている思考は稚拙すぎる、、、。
欲求は拡大していくもの、ちょっと不満である時点で保たれている、、、。
衣食住は満たされていても、この思考は満たされる事がない、、、。
限界が限界を作り、限界を突破する事によっても欲求はまた生まれる、、、。
限界を無視する事で西洋的文明の発達が存在するのであれば、、、。
近代主義は超える事がないし、現代はあくまでも近代の続きに過ぎない、、、。
確かに、モダニズムを反省するという形でポストモダンが生まれた、、、。
しかし、ポストモダンという思想はモダニズムを超える事ができなかった、、、。
ただの反比例としての解釈しかされえなかったからだ、、、。
全ての思想を超えるには思考を極限まで求めねばならない、、、。
では、その極限とは何か?
極める事か?極める事ができえないから極限という一つの結論を求めるのか?
極める事を放棄する事か?では極めるという事はどういう事か?
人間的思考の頂点をいく事か?それは、ただの個人的な思い上がりに過ぎないのでは?
そう、極限はない、、、。全ては、思い上がりと自画自賛を他者が受け入れる事によって発生する、、、。
全ての肯定命題を否定した人間は極めた人間か?
いや、逆でもいい全ての否定命題を肯定できた人間は極めた人間か?
では、哲学というのは何か?哲は賢い、明るいという意味を持つ、、、。
なら、哲学というのは賢い事を自画自賛する事の学問か?
賢さは、全てを超える事はない、、、。全ては思い上がりと他者の評価の絶対化に過ぎない、、、。
貴方は貴方を超えうるか?自分は自分を超えうる事ができるのか?
思想に騙されてはならない、、、。思想は全てを超ええない、、、。
思考しか超えうる事ができえないのだ、、、、。
死した思想は生たる思考には勝て得ないのだ、、、。
>>96 ないです、、、。(自嘲)
自分は愛というものが分かりません、、、。
愛が分かりうるのなら幸せですよ、、、。
自分はこの愛という感情が分かりません、、、。そこの時点で駄目人間なのですよ、、、。
駄目人間という発音は自分にとって一つの安堵です、、、。
その言葉で自分の存在を限定し、決めつけるこの発音は一つの安堵なのです、、、。
自分という存在がどれだけあやふやで分かりえない存在を他者は一言で決めつけるのです、、、。
その決めつけが例え不当なものであっても自分の存在を肯定しているのだから、、、。
自分は人を寛容します、、、。
同時にその分人を憎む事ができます、、、。
もし、愛というものが自分の中にあるのなら、その寛容的な心が愛なのでは?
だがそれは一つの形であり、自分は愛というものが分からない、、。
愛は断言であり、一つの暴力であり、決めつけでもある、、、。
自分は、寛容的なものしか持ちえない、、、。
わざわざその寛容性を教義的なものに持ち込み、狭義的にするものを嫌悪します、、、。
全てを理解しえない、、、。
だから、わざわざ狭義的にする愛という叫びを嫌悪します、、、。
もし、その狭義性が愛であるとするのなら、自分は不理解な存在でありたいと思います、、、。
自分は逃げるのです、、、。
あまりにも自分というものが分からないからです、、、。
そう卑怯者、卑怯者である自分はもっとも不理解な存在なのかもしれません、、、。
まあ、駄目だな、、、。
命の熱を・・・智慧たる思考が訪れんことを
続き
だが、その思考も石膏物であり、、、。その時点で死んでいる、、、。
全ては生ではなく、死者のおごりに過ぎない、、、。
全ての言葉は発音される事によって死に死んだ言葉がさも生きているかの如く活動する、、、。
分かりえない、、、、。
矢張り、思考も思想も石膏物、骨である事から逃げえない、、、。
逃走する事ができえない、、、。
生きた魂は存在しない、魂は死んでいるからだ!
在り来たりの欲望と嘆きと憎しみに満たされているからだ、、、。
生きている思考は存在しないのだ、、、。
その思考を伝達し、何かを求めようとした瞬間死ぬ!
まあ、どうでもいいや、、、、。
なんか、もうどうでもいい、、、、。
限界は見えるようであれば見えるほどいい、、、。
そこが、限界だという断定が人を救うからだ、、、。
限界を無視した瞬間人は死ぬ、、、。
その限界に捕われるからだ、、、。
そう、どうでもいいこと、、、。ハア、、、。駄目だな、、、、。
たいしたことなかった。ごめん。見間違い。
頑張ってねノシ
>>101 がんばるだよ、、、。
無駄にね、、、。
好き嫌いなんてどうでもいい事だ、、、。
本当に嫌いであるなら、無視すればいいだけだし、、、。
好きという感情があるなら人は積極的にうごくだけだ、、、。
愛憎というのはかたいっぽが行き過ぎれば、もうかたいっぽが殺されるようにできている、、、。
その矛盾をはらむから、、、。嫌っている事をさも嫌いなように感じる、、、。
そう感じている時点で嫌いではないんだよ、、、。
自分は自分の事を非常に憎んでいる、、、。
だが、この憎悪は一つの自己愛に向いている、、、。
そう、人は死ぬまで自分が自分である事を意識し続けねばならない、、、。
自分が自分である事を無視できないのです、、、。死ぬまで、、、、。
いや、死さえ分かりません、、、。自分が自分であった事が刻まれているかもしれません、、、。
分からない、、、。
分からないから自分達は全ての物事を曖昧にしてさも正しいかの如く振舞う、、、。
学者はその学問が分からないから存在している、、、。
全てを知っているのであれば、知る事なんぞ無意味だし、、、。
「んなこと、とっくのとうに知っているわい」で話は終わりだ、、、。
だが、彼の知っている事と自分が知っている事の差は埋める事ができない、、、。
同時に知っている事が多いのであれば、彼は不幸だろう、、。
あまりにも物事を知り過ぎているのだから、、、。知識は自分を殺す事も多い、、、。
知恵の探求がいつのまにか強制になり、知恵というモノではなく権威というモノの探求になる、、、。
知恵なんてないんだ、、、。知恵がなぜ知恵といわれる理由はもうあるという事が重要だ、、、。
もう見つかっている。答えが出ている、分かりきっているただそれだけが知恵と妄想の差を分けている、、、。
だが、自分達はそれを知ってはいない、、、。知恵ではなく恥にしてしまっているのだから、、、。
続き
なぜ恥にしているのだろうか、、、。
無知の知と言う言葉がある、、、。あくまでも自分が持っている知はありきたりでしかない、、、。
という事を言っている言葉だと思う(そう自分がとっている)
大抵の人は有知の知だと思っているだろうし、
知恵者ではないと思っている人も少なくとも普通の知を持っていると思っている、、。
では、そこで証明された知恵とは何かね?
生きている事か?目に見えるものは信じられる事か?金が重要だと事か?
権威が大切という事か?特殊な才能の事か?自分が知を持っている事か?
何一つ、証明された事がないではないか、、、。
例えば、イチローだって彼の才能が磨かれるような場がなければ、、、。
今は一介のサラリーマンで、そのような才能を持っているものを恨んでただろう、、、。
情報が正しくもない、自分も正しくない、全てのものは全く知りえないのだ、、、。
知りえないのにあなた方は判断しようとする、、、。
それは、邪ではないかね?恥ではないかね?
まあいい、、、。
自分の言葉はここに書かれた瞬間死ぬ、、、。
死んだ言葉は全く自分が考えていた物を考慮せず流布される、、、。
そう、それを望んで自分は考えたものをここに書く、、、。
ああ不純だ、、、。汚らしさが程よく気持ちいい、、、。
う〜ん、駄目だな、、、、。
もしかしたら、智慧たる思考なんてないんだろうね、、、。
自分が今持っているこの温かさは何なんだろう、、、。
命の熱なんだろうか、、、。自分が熱を発する事はできるのだろうか?
自分はもし出せるのであれば、赤い火にはなりたくない、、、。
荒々しい、自分が火である事を傲慢に叫ぶ赤い火ではありたくない、、、。
白い火になりたい、、、。
赤いひより熱く、そして謙虚に潰れていきたい、、、。
潰れたものが赤い火を吐くのであれば、それは仕方がない、、、。
自分はそれを恥として生きていくしかないのだから、、、。
恥が燃焼して赤い火となるのであれば、、、。
白い火は何を燃焼して白い火になるのだろう、、、、。
それは、自分に少しだけ眠っている知恵なんだろうか、、、。
自分は白い火を作れるのだろうか、、、。
若々しいこの激情が自分を苛む限り、自分は赤い火を吐き続けてしまうだろう、、、。
年をとって、死を感じる事でしか白い火は生まれないのだろうか?
自分は長く生きられない、、、。
自分は死に急いでいるんだ、、、。自分のこの思考が毎日自分の脳を苛むかぎり、、、。
死は本当に近い事に気付かされる、、、。
ほんのほんのちょっと先に死があるんだ、、、。
自分達はそのほんのちょっと先にいこうとはしない、、、。
だって、恐いもの、、、、。
だから、先には行かない、、、。
いけないんだよ、、、。もしかしたら、楽園かもしれないのにね、、、。
分からないという事が一番恐いんだよ、、、。だから、死なんだ、、、、。
最高に分かりえない、分かりたくないから死、、、。
それでいいだろう、、。うん、駄目だな、、、、。
知る事はない、、、、。
1が正しくても、その次が正しいとはかぎりない、、、。
又、次とはどれを指すのだろうか?
2か、それとも3、4でもいいだろうし、1.36946487541でもいい、、、。
人の考えとは非常に変わるものだ、、、。
多分、最初の頃考えていたモノとは偉く違っているだろう、、、。
その1の頃の俺の考えと2、3、そして今この4との思考は比べる事もできないほどになっているだろう、、、。
人は常に変化する、、、、。
むしろ、変化しなければならない、、、、。
時はあまりにも無情だ、、、。
自分の持っているものを嘲笑うかの如く変化させる、、、。
それは、無くしたくないものかもしれない、あり続けねばならないものかもしれない、、、。
そう望んでいる全ての人達は嘲笑うのだ、、、。
「それが、現実だろ?お前はいつも言っているだろ現実が重要だと」
うん、そうだ全てが現実である事はないが、現実は重要だ、、、。
ただ、フッとふりむいただけだよ、、、。
自分の足跡をみてみたかっただけだよ、、、。
だってさ、自分の足跡が足の形をしていなかったらやだろ、、、。
人は人の足型をしていない時がある、もし生きてきた足跡が人型じゃなかったらいやだろ、、、。
ふと、帰る場所があるのは本当うらやましい事だ、、、。
自分は生きる事に帰る、、、。生きる事はどういう事かと、、、。
でも、どういう事か?なんていう大層なものではないんだけどね、、、。
生なんてそんなもんだよ、、、。大層なものに人がいじくりまわし過ぎただけさ、、、。
そのいじくりまわしたものに人は気付いていないのだから滑稽だね、、、。
その滑稽さを埋めたいから人は行動し続け、考え続ける、、、。
哀しい運命さ、、、。
だめだな、、、。
俺には夢がないよ、、、。
夢を一々理想化させて、現実に転用させるような作業をする事が疲れた、、、。
現実に転用させるための作業が努力と言う言葉だ、、、。
ちなみに、自分はサボっていると思うし、他人も自分をみたらそう思うだろう、、、。
夢がないというより、夢を見る事に疲れたが正確的かもしれない、、、。
夢を理想化させてその理想を現実化させる事が正しいようにいわれている、、、。
では、正しい夢とは?正しい理想とは何だろうか?
道義的に良いとされている事か?道徳者である事か?社会的地位を確立する事か?
誇大的な事を実現しようとする事か?さてどれが最も正しいのだろう、、、。
違う、全てが正しいと思われている事に過ぎない、、、。
正しさと言う言葉一つの麻薬だ、、、。
この正しさと言う言葉が流布されていく事によって、、、。
それを信奉する人間が現れ、拡張されて原型を無くす、、、。
努力と言う名、未来という名、俺らはどれだけ言葉に騙されたものか、、、。
現状維持したいという、欲求と理想があるだけ、、、、。
その欲求を当然の如くに人は思い感じる、、、。
しかし、今というモノこそ一番難しいものなんだ、、、。
人は何も維持する事ができないから、変化、諸行無常と戯れ言を言うんだ、、、。
俺らは何も守る事はできないし、何も変化から守る事はできないんだ、、、。
そう俺らは、ただの漂っているもの、、、。
時という水の上で漂っているだけのもの、努力も未来も次の瞬間に来ては消える、、、。
自分達が叫び声は川の小さな流れの音で消えてしまうもの、、、。
弱々しさを受け入れて消えてしまいましょ、、、。どこにも満たされるものなんてないのだから、、。
駄目だな、、、、。
最近、小説のネタがドンドン浮かんでくる、、、。
例えば、初老の老人が退職金でマシンガンを買って、、、。
渋谷の街の中心でマシンガンを乱射して二百三十七人殺し、重軽傷者を三百人強出した、、、。
この老人は裁判中はズッーと何もいわず裁判が決まっていくのをまるで他人事のように受けていた、、。
当然死刑判決を受ける、、、。
マスコミはこの初老の老人に対して、色んな目線で見た、、、。
毎日毎日、新たなる狂気や心理学者、社会学者の蘊蓄のたれながしが続く、、、。
しかし、人の噂も七十五日、この初老の老人に対して世間の目線は新しい方にいっていき、、、。
いつしか、この老人に対して全く報道されなくなった、、、。
そこにとある零細新聞の報道記者がこの初老の老人に目を付ける、、、。
彼がなぜそのような衝動があったか、なぜ彼はマシンガンを乱射したのか、、、。
社会学者や心理学者の叫びはあったが、彼はなんも叫ばなかった、、、。
なぜ、叫ばなかったかそれを聞き真の報道をするために、、、。
そして、彼の息子と妻のために、、、。
とまあ、ありふれた内容だと思うが色々思い付くわけだ、、、。
それにしても脳みそというのは非常に便利なものだ、、、。
1を考えさせると、ズラッと色んな答えが出てくる、、、。
答えを集めて集めていくと色んなものが出てくるわけだ、、、、。
全ての思考はそう、、、。
ズラッと出てくるようになるまでやるもんなんだな、、、。
そこには猟奇も狂気も異常もたくさん寝ている、、、。
日々そこにある猟奇性というのを完全に見据えてみたい、、、。
ただ、それだけを望むんだよ、、、。
まあ、駄目だな、、、、。
それにしても、人の死に対して追悼してくれる人間がいる事は幸せな事だ、、、。
(俺らが幸せだと思っている事かもしれないが、、、、。)
長さんが亡くなった時のニュースをみていたらそう思ったが、、、。
でもだ、俺にはその死への追悼というのも儀式というより反省のように思えてくる、、、。
他者の死を見る事によって自分の生を確かめ、生の意味を感じるわけだ、、、。
一人の死は多数の人の生意味を再確認させるもので、、、。
同時にそれは見えない死にたいしての恐怖であり、死による自我の喪失を恐れるわけだ、、、。
どっちかというと自分はもらい泣きをするタイプだ、、、。
人の悲しみを感じる事によって、なぜか自然に涙が出てくる、、、。
そのような感じだ、、、。
自分達は死が恐いのではなく、死によって発生する自分の喪失、蓄財の消滅、関係の消滅、
等を恐れる、、、。そう自分達は死が恐ろしくないのだ、、。
死によっておこりうるものが恐いのだ、死の先の未知にもね、、、。
思考も何もかも消えてしまう事を最高に恐れるのだ、、、。
よく人は、宗教とかで死の恐怖をよく誤魔化そうとするが、、、。
死の恐怖の喪失ではなく、それはあくまでも自分の生に対しての諦めにすぎない、、、。
そう、死の恐怖は消えない、、、。
死を恐れない人間はいない、、、。恐れがないというのは死を頭から一時的に捨てているか、、、。
又は、生というモノを忘れ去っているだけだ、、、。
生でもない死でもないという境地にたたずむ事で一時的に生と死を忘れているだけだ、、、。
だが、忘れるという事は生きているからできえる行動に過ぎないのだ、、、。
そこを自分達は勘違いをしてはならない、、、。あくまでも、生という大前提を忘れてはならないのだ、、。
知る事に努力するのではなく、、、。考える事を努力せよ、、、。
まあ、努力してもどうにもならんけどね、、、、。
考える事は知る事ではなく、感じる事だからね、、、。
駄目だな〜、俺、、、。
いつぞやの看護学生です。やっとたどりつきました。。^^
私は言葉をもっとも大切にしています。
そううつ病でめちゃくちゃで、思考本逸なところがあるかもしれません。
何度か学校や実習、そしてバイトである病院をやめようとおもいましたが、つづいてきました。
人はいろいろな鬱々としたおもいがあるとおもいます。
だからこそあははあははと笑うことが大切なのではと思います。
ばかかもしれませんが。。。
でも、笑ことで場が和んだり安らぐ空間ってあってもいいと思います。
最近福永武彦の「草の花」高村光太郎の「知恵子妙」夏目漱石の「夢十夜」
など平行でよんでします。あと、、、話をしても、違うこと考えたりして思考逸脱するんです。。
キリスト教と宗教は敬いますが、お金がからんできて純粋じゃないんですよね。なかには
純粋な人いるとおもいますが。。最近またもやいろんなことに対してさめた目でみている
字分がいます。
ういてますしね(笑)でも自殺しないようにふんばっています。解剖されちゃうし。
人は偽善だらけですよね。辟易ですが、本当に心有る人のまえでは涙でそうになります。
また滅裂なこといってごめんなさい。
くそやすい携帯私にかけてください(笑)なんちゃって。春なのに、憂鬱でしかたないです。
>>110 ゆきさんお久しぶりです、、、。
地下スレになってわざわざ探させてしまってご足労おかけいたしました、、、。
うん、笑う事は非常に大切ですよ、、、。
人は辛い時や何か重たいときなぜか笑ってしまうものです、、、。
ありがちな言葉ですが、、、。
言葉というのは何かしら意味を持っているものですが、言葉というモノは拡大してきます、、。
一つの思考では意味を持ちえない言葉もありますが、言葉は拡大してくのですから嘆いてはいけません、、。
通じない事、理解しあえない事、分かりあえない事、全てを嘆いてはいけません、、、。
自分は他者ではなく、他者は自分ではない、、。全てを嘆いてはいけません、、、。
ある程度、人とやっていきたいのでしたら、、、。馬鹿になる事をお勧めします、、、。
わざと、自分を笑われる方に持っていき相手をわらいで絡めていってしまうのです、、、。
人は自分より下と思った人間がいる事は何となく安心する、落ち着くものです、、、。
そういう意味で馬鹿になる事は非常に大切なのです、、、。
同時に馬鹿な人間と思われたら、きえる際も非常に楽ですしね、、、。
自分は人にあったらよく人なつっこいといわれますし、人見知りしないとよくいわれるのですが、、、。
だけど、その裏にはこのスレに書いてあるものばかりなのです、、、。
うまく二つを兼ねるといいと思います、、、。
冷たいものと馬鹿なもの、、、。人は一つの人格で生きる事は不可能なのですから、、、。
よく、馬鹿な自分は本当の自分ではないとおっしゃる方が多いですが、、、。
だが、それをうまく使っている事はその人格も自分なのです、、、。
どうやら、自分という存在から逃げたがっている人が多いですね、、、。
超えようとも、卑小になろうとも等身の自分からは逃れられないのですがね、、、。
まあ、がんばって生きていきましょう、、、。死というのはいずれ来るのですから、、、。
がんばって生きてよういきたと感心して死んでいきましょう、、、。
自分も駄目ですがね、、、。うん、駄目だな〜、、、。
ごめんなさい。思わずわらってしまいました。^^
そうだそうだ!と同感で、じぃ〜んと心にきました。ありがとうございます。
感謝の気持ちでいっぱいです。
生きてきたあかしは肉体が滅びても精神は残ると思います。
人は2度死にますが。。レポートまだまだおわってないのに、「ハンニバル」なんか
余裕こいてみていました。グロテスクだけどね。。
的を味わう。。。う〜ん。。
私もだめだめさんとまったく同じ考えです。精神は落ち込んでもここのスレにきて、
栄養もらってきます。明日も頑張ってください。適当に^^
精神科にいくよりここにきていたほうがよっぽどなおります。
>>112 いや、笑って下さったのなら笑ったで、同感したら同感したら、、、。
そのままの感想をいってくださる事は非常にうれしいと思います、、、。
>生きてきたあかしは肉体が滅びても精神は残ると思います。
正しくだと思います、、、。
ただ、、、。自分が恐いのは肉体が滅びてしまって形として精神が残った場合、、、。
その精神は肉体から完全に離れていってしまうのです、、、。
ではその精神はどこに行くか?
その精神は、他の人に取り憑いていくのです、、、。
例えば、仏陀の精神ならその仏陀の弟子にその弟子の精神がその弟子の弟子にと、、、。
1と2と3と4と・・・・続いていって数学でよく使われるn乗となっていくのです、、、。
仏陀の精神が弟子に取り憑き、その弟子の弟子に取り憑き・・・・とn乗になるわけです、、、。
では、そのn乗の時仏陀の精神は保たれているかというとそれは残念ながら違います、、、。
常に、弟子さんによって解釈、誤解されることによって変化しその真実を知る事はありません、、、。
自分達が今知る事ができる全ての物事は誤解の蓄積に他ならないのです、、、。
それは自分の思考もそうです、、、。
言葉はいつもいっていますが出た瞬間死にます、、、。
自分思考の田畑から収穫してしまうのです、、、。
その収穫した、野菜(思考)はどのような味がするでしょうか?
或る人はまずいといい、或る人はうまいといい、或る人は熟れていないといい、或る人は熟れきっている、、。
とおっしゃるでしょう、、、。しかし、そこには自分という存在はあまりにも無視されている、、、。
あくまでも、自分が収穫した野菜を食べた事の評論しか人はいえない、、、。
そこでは、自分の思考の基本畑の土の質が問題にならないのです、、、。
だが、畑の土の質なんて誰もが分かりません、、、。
それを判断する基準なんてどこにもありゃしないのですから、、、。
まあ、駄目だな、、、。
それにしても、研究者というのはすごいね、、、。
とくに、人の文学とかを研究する人間はすごいと思うよ、、、。
なぜなら、、、。それは多大な自己犠牲によって成り立っているんだよ、、、。
作者の思考、思想の残骸としての文章を完全に自分のもののように同一化して、、、。
全てを知ろうとするのだ、、、。
それってすごいよな、、、。俺はさ、どっちかというと文章を作る方だから同一化できないよ、、、。
自分は同一化するというより、その思考を受け入れて自分の足にしてしまう、、、。
その時点で自分はその作者より上であるかの錯覚に陥るし、あまりおすすめできない、、、。
そこで俺の思考が作ったのが傍観者という存在、、、。
傍観者は物事に対して、自分がその事象の中にいるような存在ではないかの如く振る舞うが、、、。
しかし傍観者は全ての事象が全てにおいてその当事者である事の矛盾性の中に佇む存在である、、、。
この傍観者は矛盾性の中に佇んでおり、矛盾を肯定している段階です、、、。
その次に自分は逃亡者というモノをつくり出した、、、。
逃亡者は全ての事象から逃げようとするもので傍観者の如く曖昧ではありません、、、。
だが、逃亡者は逃亡者で逃げえないものが存在している事を感じています、、、。
それは、逃げ出すための足の存在と自分という存在なのです、、、。
人はなにかしら行動する際に常に自分という存在が絶対に必要になります、、、。
そこからは逃げえない事を感じているもの、、、。
それが自分がいやというほどいう、人間的限界なのです、、、。
どのような超越論を出そうとしても人間という存在の証明は欠かしません、、、。
証明から全てをはじめなければ話は始まらないからです、、、。
もしかしたらこれは一つの独立した思考なのかも知れませんね、、、。
続き
自分にはもう哲学はいりません、、、。
思考のための思考には飽きました、、、。思考の先には何もありませんでした、、、。
敬虔なる智慧も、新たなる発想も、驚かせるような発見も何もありませんでした、、、。
全ては古くさった言葉の繰り替え死に過ぎませんでした、、、、。
なんと僕達は言葉を殺してきたでしょうか、、、。
自分達が得するため、相手を損するため、相手を穢すため、自分達を美しくするため、、、。
その人間的な言語の悪用がどれだけの言葉を殺してきたのでしょうか、、、。
自分の手にはただしみついた言葉殺しの血だけが付いている、、、。
言葉を言葉として純真な態度で接するのではなく見下げた態度で接してきました、、、。
その際、言葉が自分の思いどおり動かなかった時どのような行動をしたでしょうか?
首を思いっきり締め上げたり、切り捨てたり、時には残虐な行動もしました、、、。
そうする事によって言葉は段々僕達から逃げていったのです、、、。
それを嘆いても仕方がない、、、。ただ、言葉という死体が腐臭で立ちこめ過ぎたのです、、、。
僕達は言葉によって殺されます、、、。腐臭によってくるって死んでいくのです、、、。
でも、それは徳です、、、。逃げる事ができえない一つの徳です、、、。
自分達が声を張り上げていってきた言葉の一つの徳に過ぎないのです、、、。
それを笑っていきましょう、、、。
笑わなくては自分達は生きていけないのです、、、。
悲しいという感情も何もいりません、、、。壊れたような笑いの中を行きましょう、、、。
そこには、ただ永続に落ちていく壷しかないのですか、、、、。
さあ、まっ逆さまに落ちていきましょうその壷に、、、。
楽しく愉快で中は宇宙ぐらい広いそのドツボに、、、、。底がないドツボにね、、、。
ああ、温かい、、、。生きる事がこんなに哀しいほど温かいとは、、、。
温かい壷の中に嵌っていくのです、、、。
そこには、失望も、怒りも、悲しみも、嘆きも、虚しさも、快楽も、欲望も、望みも、喜びも、
憂える事も、何もありません、、、。
ただただ嵌って抜け出せない事を受け入れるだけです、、、。
その中で自分達は一つの胎児になります、あまりにも無力で何もしえない存在に戻るのです、、、。
だが、自分達はそのようなものを生み出す事も何もできません、、、。
人は、温かい事だけでもう十分なのです、、、、。
それで十分に満たされてしまうのです、、。なんと望みがない事か、、、、。
自分達はあまりにも望みや欲求を誤解し過ぎてしまいました、、、。
悲嘆しかありません、、、。
快楽でもない、満たされる事でもない、自分の感情を発散できうる事でもないのです、、、。
それは一時の事象に過ぎません、、、、。事象は過ぎればよりその上を求めます、、、。
果てがないのです、、、。
いや、果てがないという事が最高に私達を満たしているのかもしれません、、、。
だが、自分には信念がありません、、。自分は自分の言葉を信じきる事はできないのです、、、。
自分は宗教も哲学も何もできません、、、、。
数学も、科学も、心理学も、建築学も、物理学も、化学も、何もできません、、、。
信じるという感情が消え去ろうとしているからです、、、。
ただ、自分は自分というモノしか信じる事はできない、、、、。
そう最高に小さな存在だ、、、。
動物でさえ、相手を信じて子供を産み次世代を作ろうとする、、、。
自分にはそれさえもできない、、、、。独りでマスターベーションをするだけ、、、。
哀しくはない、、。それを自分は受け入れ続けこれからも続くのですから、、、。
哀しくはないただもう愉快なだけなんだよ、、、。弱さが気持ちいいだけ、、、。
弱さをどんどん証明してくのが気持ちいいだけなんだよ、、、、。
いいよ、すごく安らいでいるよもう駄目でいい、、、、。
そう、駄目さがもう心地いいんだよ、、、、、。
最高だ、、、、。うん、駄目なんだな、、、。
なんで賢いと思っている人間はこうも愚かなのでしょうか、、、。
全てが断定とか強い悪用によってでしか存在を証明できない人達ばかりでしょうか?
自分は世間的には否定名詞しかつきません、馬鹿、アホ、間抜け、信念のない、
似非道徳者、虚無主義者、妄想野郎、精神的ひきこもりなどなどあげていけば全く切りがない、、、。
しかし、彼等はこのように自分を断定するだけで逃げている、、、。
その逃げ方はあまりにも滑稽だ、、、。傲慢でさも正しいのかの如く威厳たっぷりに歩いている、、、。
走らなければ、自分達は自分達が作ってきたものに飲み込まれてしまうのに、、、。
そう、彼等は飲み込まれてしまったから賢者であり道徳者であり成功者なのです、、、。
だが、彼等は賢いという事、道徳という事、成功という事を全く不理解なのです、、、。
成功は徳を穢す事もあり、徳は賢さを穢す事もあり、賢さは成功を穢す事がある、、、。
この輪廻が続いていく事をあまりにも不理解に受容しているのです、、、。
逆に、馬鹿やアホは同列です、、、。
全てが背反しないで存在できるのです、、、。彼等はそれを笑うのです、、、。
自分は確かに彼等より馬鹿であり、間抜けであり、愚かでしょう、、、。
ただ、自分はその愚かであるという事を自ずから証明しようとするのです、、、。
彼等は自分が賢者である事は証明できない、他人に頼ってしまうのです、、、。
でも、他者が自分を賢者だというかもしれない、、、。
自分はその声が一番恐いのです、、、。その声が増幅される事によって自分の言葉だけ泳いでいく、、、。
自分の体は彼等の中を泳いでいく事はないのです、、、。
そのためには自分は彼等から離れていかなくてはなりません、、、、。
しかし、それができると自分は思えません、、、。思考は他者からの刺激によって起きる場合が多い、、、。
その原則からは逃げる事はできないのですから、、、。
駄目だな、、、、。
夢がないとか、あるとか堂々という人が多いけど、、、。
夢なんて行動の一つに過ぎないわけであって、一つの指標に過ぎないんですよね、、、。
一々、夢がある事を誇張して主張する人が多いですがなんと賢い事でしょうかね、、、。
夢があるという事を賢さの一つのように主張でき肯定的なものにしてしまうという試みは、、、。
なんと賢い事でしょうか、、、。
自分にきらびやかな才色を持っている事を増やすという思考はなんとすごいものでしょうか、、、。
夢がないという事は、一つの夢ではないでしょうか、、、。
夢がない状態を保ち続けるという夢を見続けるのです、、、。
なんと哀しい背反でしょうか、、、。自分達は夢を見続けるのです、、、。
夢には努力も何も必要ないです、、、。ただ見ればいいだけなのですから、、、。
一々、努力だの肯定的な存在にしてしまおうという試みはなんと単純な事でしょうか、、、。
故に美しい、、、。人が喘ごうとして喘げば喘ぐほどなんと堂々としたものになるのでしょうか、、、。
だが、彼等は言葉の恐ろしさを知る、識るわけではありません、、、。
ただただ浮いているものに身を流しているだけです、、、。
だから、美しい、、、、。その信念が、その意志が、その若々しさが、、、。
みっともなくて、単純で、自分の存在を誇示したいという欲求が若々しく美しい、、、。
だが、全ての思考は代償しきれるものではありません、、、。
矛盾するものだから、思考であり、存在であり、感情であり、全てのものが矛盾という事象に背負われるわけです、、。
なんと、矛盾というゆりかごはなんと大きい事でしょうか、、、。
なんと、立派にできている事か、、、。なんと、美しく飾ってある事でしょうか、、、。
これらは、全てが人間が人間のために作り続けて何代と何代と続いてきたものでしょうか、、、。
彼等は信じ続けているのです、この純粋性を虚しいほど哀れなほどにね、、、。
それでいいのです、、、。
矛盾というゆりかごが自分達を守り続けてくれるのですから、、、。
まあ、駄目だな、、、、。
なんと共通の概念の構築と破壊が続いていくのでしょうか、、、。
支配も被支配も支配されるからには支配するための前提が存在しうるわけだ、、、。
それを回答を出す事はできないのです、、。
逃げてゆく、逃げてゆく全てのものが喪失して全くを持って消えていってしまうのです、、、。
疲れました、、、。
逃げていきました、、、。
逃げていく事にも疲れてきました、、、。
たるい、、、。駄目だ、、、。
私も笑ってごまかしてにげまくっています。
他者と自分を傷つけないため。
最近は侮蔑をとおりこして視界に映らないようにしています。
夏目漱石と太宰についてどう思いますか?精神的によわいといわれてても、
私はとても愛着がわき、手をさしだしたくなります。当事者にとっては
どうしようもない人間でしょうけど。
生きるって難しいですよね。なげだすことは死んだように生きるか、もしくは
この世から消えるか。死ぬんだったら桜満開のときがいいですよね。
桜のきのしたにしたいが眠っているというわけではないんですが 笑
だめさん、疲れてますね。思考をとめて、ねむってみてください。
ハンニバルおすすめですよ
無理しないでくださいね。
>>120 太宰とか夏目漱石ですか、、、。
ちなみに、夏目漱石は妄想症(パラノイア)だっだそうですね、、、。
妄想症は責任転嫁や被害妄想、思い込み、小針棒大な言説など、、、。
しっかり、自分にあてはまってくれていて困るのですが、、、。
むしろ、彼等は一つの形としての自分として捉えていますね、、、。
自分もそうなり得るだろうし、被害妄想だけひどくなって猟奇的な殺人者になってしまうかもしれません、、、。
愛着とか、そういうもんではないですね、、、。
自分のもう一つの人格、、、。多数存在する自分という宇宙の中の一部といえばいいでしょうか、、、。
自分が背負っているものの一部、、、。そのような部分があるという事です、、、。
どうにもならんとか、駄目というのは全て自分に背負わせればいいのですから、、、、。
彼等は本当に独りな人達なんだと思います、、、。しかし、独りになり過ぎると妄想症が爆発してしまう、、、。
そこで、小説という方法などで人との関係をとおしていく事によって安定しようと試みている面があるのだと思います、、。
彼等は老紳士と考えれば分かると思います、、、。
彼は道ばたで転けて、誰かが大丈夫ですかと声をかけても、「いや、大丈夫だ」といって、、、。
自ずから立ち上がって、、、、。
声をかけた人に「ありがとう、あなたの気持ちは大切にもらっておくよ」といって去っていく、、、。
なぜか、胸のすくような老紳士と考えています、、、。
自分にはまだそこまで達観しうる事ができません、、、。
そこには、あまりにも若さというものが邪魔なのです、、、。
上を望むその形と中途半端に襲ってくる諦めが若さなのです、、、。
自分は早く若さを失ってしまいたい、、、。
その喪失から生じる新たなる思考をみてみたいのです、、、。
続き
むしろ、自分達は生きるという事を難しく解釈し過ぎなのかもしれません、、、。
死も生もただ漠然として、霧の中にいるだけで見え辛いというだけかもしれません、、、。
その見え辛さが難しいというのなら少し違うと思いますね、、、。
それはただ見えない恐怖に過ぎないだけであって、、、。
恐怖が難しいという考えを発生させるかというとそれが全てではないのですよ、、、。
恐怖というのはその感情を起こさせるだけで無思考状態にするというだけです、、、。
そこには、思考的な難しいという概念を発生させるには甘いと思うのです、、、。
他に何かが絡む事によって、難しく感じるのではないのかと、、、。
では、その他のものとは何だろうか?
未来に対する限界と失望だろうか?逃げうる事ができない事か?
知るという事を求め過ぎているからだろうか?知識は拡大するからだろうか?
多分に、、、。自分達は過去を知り過ぎたのかもしれません、、、。
過去というモノには、人間の痕跡がたくさん残っています、、、。
例えば、デカルトならデカルトの生き様、勝海舟なら勝海舟の生き様、、、。
など、あまりにも理想にしえるものが多くて、大抵その生き様に騙されているのです、、、。
過去は何かしら、過去であるが故に飾られます、、、。そのお飾りに騙されるのです、、、。
そのお飾りは何か?それは、人間であったというお飾りなのです、、、。
今、自分達は人間である、人間だと思うという状況にいます、、、。
それが、自分の肉体と精神が死滅する事によって人間であったという状況に変化します、、、。
例えば、デカルトがどうしようもない人間であったとしましょう(実際そうなのだが)、、、。
ところが、その存在が消滅すると、どうしようもないと言う言葉が否定から肯定に転換するのです、、、。
彼が死ぬ事によって、彼の人格は否定から、肯定的なものに変換しようと人はするのです、、、。
人間であったという事が肯定命題になってしまうのです、、、。
なんと不思議な事でしょうか、、、。面白いですよね、、、。
続き
ちなみに、自分はいつどこで死のうともいいです、、、。
死に対する恐怖をわざわざ増大させるよりは容認してしまう、、、。
でもそれは自殺する事を問いているのではない、、、。
寿命や病気、事故による突発的な死でさえも全部体の中に入れとくのです、、、。
確かに、ゆきさんとおっしゃる通り死に方というのを人は望んでしまいます、、、。
生き様と同じです、、、。理想の生き様があるからその生き様のように生きようとする試みは多数事例があります、、。
だが、彼等には独特の生き様を作りえるかと言ってしまえばそこは懐疑的にならざるおえない、、、。
まあ、全ての生死は独特なものであり単子的なものだと言ってしまえばそこで終わりなのですが、、、。
その独特的なものを他者は理解する事はありません、、、。
だから、自分達は美しいとされている痕跡の如く生き死にたいのです、、、。
笑ってしまう話ですよ、、、。それ以前にその人にはなりえないという事をさっぱり忘れているのですから、、。
俺は俺の生き様と死にざまを世間の人達にわざわざさらさにゃあならんのですから、、、。
まあいいんですよ、、、。死にざまも生き様も全ては自分達が作るのではなく時間が作るのですから、、、。
俺らはその時間というモノに逆らう事なく従順に生きていけばいいのですから、、、。
努力も理想も夢も一つの価値や意味を持とうともそれを変動させる時間には勝てない、、、。
それに従わざるおえないのです、、、。
でも、ゆきさんのおっしゃる死にざまは結構興味ある死に方ですね、、、。
桜か、、、。
桜が儚いのではなく、人が儚いからそれを桜に当てはめようとしているのです、、、。
だから、人は常に生に対して嘆くのですね、、、。変化というモノを、、、。
駄目だな、、、。
俺もいつ死んでもいいし死に様なんてどうでもいいな。
それは「生きること」に絶望しているんじゃなくて自分に絶望している。
ただ、自殺しようとは思わない。
本当は生きることは当たり前で、
当たり前と思えない失敗人間の俺に与えられる罰なんだ。
俺はあまりに絶望しているからそれでいい。
自殺したい奴は皆希望に満ちて自殺する……。
俺はそこに嫉妬する。
自分に絶望してない奴らの贅沢な言い分に。
俺は自殺未遂した。
首吊りだ。容易に死ねないことがわかった。
そして死ぬことの苦しさを知り、その選択を捨てた瞬間、すべては死んだ。
これ以上の絶望はないのだ。だから俺は生きることにした。
「俺の永遠」の罰だ。
それを知らない贅沢な奴らが羨ましい。
死に様。俺は笑ってしまう。
死ぬということにスタイルなどない。
自分は今日生き様と死にざまの間というものをしりました、、、。
それは、壮絶でした、、、。いや、その一言ですますにはあまりにも足らない、、、。
集中治療室に力なくよこわっていて、、、。人工呼吸器がシュウー、ポシュン、シュウー、ポシュン、、、。
という音と心電図のピコン、ピコンと時々心臓が一時的に異常になるのか分からないが、、、。
ピーと、ピルンピルンという警告音が鳴り、沈黙だけが支配しているその病室に、、、
自分のおばあさんが力なく、目はうつろで自分達が写っているのか分からない状態で、、、、。
その病室に佇んでいました、、、。
周りには当然、親戚のおばさん、おじさん、いとこの姉さん、兄さんが数人いました、、、。
自分のおばあさんが生きている事を証明するのは心電図と呼吸器だけです、、、。
彼女、自分のおばあさんの人生は野良仕事と子供たち、孫たちの世話でした、、、。
そう彼女には何もないのです、、、。自分達が求めているものは何もないのです、、、。
だが、そこには途方もないほどの純粋が克明に存在していました、、、、。
彼女の顔には八十何年と生きた刻みがありました、、、。
日々、果てしなく続いてく野良仕事によって刻まれたしみが彼女の生を物語っていました、、、。
いとこから聞いた話だと倒れるその瞬間までアスパラを切っていたそうです、、、。
なんと純粋なのでしょう!まさに老子や荘子、マルクスが求めた農民像ではないですか!
日々、労働の中で生き、労働をできなくなった時死ぬ、、、。
なんと美しいのでしょうか!
彼女はマルクスも何も分からないかもしれません、知っているかもしれません、、、。
しかし、そんな事は途方もないほどどうでもいい事です!
彼女はその生というモノを痛烈に証明してくれたのです!
彼女がみているその虚ろな目線には常に野良仕事が見えていたかもしれません、、、。
死ぬ瞬間まで、そこにはベッドではなく田畑が見えるのです!
なんと、壮絶でしょうか!なんと、純粋でしょうか!なんと、単純な信念でしょうか!
続き
自分の母がこれが生きている最後の挨拶かもしれないから、、、。挨拶をしなさいといいましたので、、。
自分は彼女の横に行き、彼女の手をぎゅっと握りしめました、、、。
彼女の手は野良仕事で刻まれた、シミだらけで酷使されつくした立派な手でした、、、。
手に触れた瞬間、、、。
冷たい、、、。そう彼女の心臓は末端の指先まで血を送るのがもう辛いのです、、、。
彼女の心臓は八十数年と酷使されてきたのですから仕方がありません、、、。
その冷たい手を握りしめながら、、、。自分は彼女のその虚ろな目をずーっと見ていました、、、。
彼女の手をギュッと握りながら、、、。あなたは何を叫び続けたのですか?
と頭で聞きながら、、、。ずーっと彼女を見つめていました、、、。
彼女には自分が写っていなくもいい、、、。自分が彼女を写していればいいのです、、、。
彼女は常に良き人でありました、良き妻であり、良き嫁であり、良き母であり、良きおばあさんであり、
良き農民であり、良き人生を送って参りました、、、。
自分は、彼女のような美しいものにはなれません、、、、。
彼女の美しさが、手や顔のシミから、手のつややかさから、うつろな目から出ているのです、、、。
他の人、感じ取れない人には汚いババアで終わりかもしれません、、、。
しかし、彼女の体から発せられる刻みを手に取ればあまりにも美しい、、、。
自分は彼女のようにはなれない、その圧倒過ぎる刻みの力と哀れさが美しいのです、、、。
死と生との中間点を漂っている彼女はあまりにも圧倒的な存在でした、、、。
果てしなく自分が足下にも行けない強さでした、、、。
同時に、自分が足下にも行けない弱さでした、、、。
この二つが、全く無矛盾に彼女にいたのです、、、。なんと恐ろしい事でしょうか!
たった一人の人間が全ての人間の限界の答えを出していたのです!
自分は悲しくなりました、、、。あまりにも弱すぎるその力の強さが!
自分の悲しみは情緒から発せられるものではありませんでした、、、。
自分の悲しみは彼女をしろうとするその理性から出されていたモノでした、、、。
続き
なんと圧倒的なものでしょうか、、、。
その力に自分はなりえない失望と悲しさに潰されてしまいそうでした、、、。
生き様も死に様もこの漂泊している老婆には勝てませんでした、、、。
この二つを兼ねている力には、勝てませんでした、、、。
無力さが行動の最大の誇示でした、、、。弱々しさが強さの最大の誇示でした、、、。
自分のおばあさんが最後の時にくれたものは圧倒的な力でした、、、。
その純粋さは自分が得られるものではないからです、、、。
日々続いてく、日々があまりにも正しかったのです、、、。
自分はこの平凡な大偉人に敬して生きていきたいと思います、、、。
もしかしたら、僕らはあまりにも生き様とか死に様とか、、、。
ただ浮いて目立っているものに対してだけ真摯的なのかもしれません、、、。
彼女の圧倒的な平凡の中の莫大な力に気付かなくなっているのですから、、、。
ああ、あまりにも言葉が足らない、、、。
なんと無力な事だろうか!無力さが背負っていくと狂気が見える、、、。
だが、狂気と説いているだけでその裏側の純粋さを穢しているのかもしれません、、、。
分かりません、、、。
分かりえている全ての知は嘘っぱちなのですから、、、。
おばあさん、ありがとうございました、、、、、。
本当に最後の最後までありがとうございました、、、、。
そして、おやすみください、、、、。
又、今度あうときまで、、、、。
誰も彼も彼女のような真に偉大な人間に不理解なのです、、、。
人は、特異性を極める事は簡単ですその特異性を肯定するのは簡単だからです、、、。
だが、平凡を極める人間は聞いた事がありません、、、。
なぜなら、自分達は情報というモノにあまりにも踊らされているのです、、、。
自分は有名人が死のうがどうでもいい、、、。
相手の死と生の間を見る事がどれだけ恐ろしい事か!
どれだけ弱々しいものか!どれだけ哀れな事か!どれだけ生々しいか!
もしかしたら、自分の思考が彼女という存在を誇大にしているのかもしれない、、、。
それはそれでいい、、、。彼女自身には全く関係がないからだ、、、。
全ては自分の責任だ、、、。いや、むしろ自分も責任が取れないかもしれない、、、。
情報というのは常にそうやって広まっていくからだ、、、。全てが無責任にならざるおえない、、、。
どっかの愚か者のように責任を取れとはいわないし、いえない、、、。
暗愚にもそれを信じきってしまった自分が悪いのですから、、、。
それを公然と叫べるという事はなんと愚かな事でしょうか!
いや、賢いから叫ぶのかもしれない、、、。自分達はその事にあまりにも不理解であるから、、、。
思考の恐ろしさが自分を苛まし続ける!それでいい!それが俺の運命だ!
自分も平凡の中で死ぬ!それでいい!その平凡さが俺の運命だ!
もしかしたら、特異性の中で死ぬかもしれない、、、。
でも、それはそれでいい!あまりにも他者が自分に対して不理解なのが俺の運命だ!
あなたは何を背負う事ができいるかね?あなた方が思うほどあなた方が背負っているには軽い、、、。
俺のおばあさんが背負ってきたものはあなた方が思うよりなんと重いものか!
なんと自分には背負うものが全くない事か、、、。だから、俺は逃亡者なのだ!
自分は清いものにはなれない、、、。それはそれで悲しいほどにね、、、。
おばあさん、あなたの孫は恐ろしいほど汚らわしい生き物です、、、。
ごめんなさい、、、、。
駄目だな、、、、。
貴方の思考は、貴方の等身を超える事はありません、、、。
だけど、他人の等身よりは大きくする事はできます、、、。
あなた方はなぜ何時も、先人の思考者よりも小さいと思うのですか?
あなた方はなぜ何時も、先人の思考者によりも先じようとしないのですか?
思想者にはなんの壮絶さは持ちえていません、、、。
だから、彼等の言葉は解釈される事でしか存在しえないのです、、、。
常にそうです、、、。言葉は男がつくり出すものでしかない、、、。
女は強いからです、、、女は存在だけで強くある事ができる、、、。
彼女らは子供を産むという英雄であるからです、、、。
彼女が産まなければ、何千、何万と人が死ななかったかもしれない、、、。
彼女が産まなければ、人間といういきものが滅んだかもしれない、、、。
そこでは、彼女という存在は英雄の英雄なのです、、、。
自分がフェミニズムが大嫌いな理由はそこにもあるのです、、、。英雄の継続の放棄、、、。
なんと重い罪なのでしょうか、、、。
そこには人間がしたり顔で生み出された科学、技術、思考、思想は何も意味を持ちうる事ができません、、、。
なのに意味を持ちうるといえるその思考はおかしいのではないでしょうか?
あまりにも自分達は科学や文明というモノを同じような物だと捉え過ぎた、、、。
考えてこなかったのです、、、。たったそれだけがあまりにも自分達を拘束した、、、。
だが、ここに矛盾が生じる、、、。自分の思考は科学技術というものがなければなりえなかったからです、、、。
どうしようもないほど埋める事ができない矛盾だ、、、。
そう、矛盾しなければ自分達は思考を正しいという事ができない、、、。
どうしようもなさが自分を埋めていく、、、。
詩とか、文とか、思想とか、んなもんもうどうでもいい、、、。
今生き続けている、自分の思考を超える事はないのですから、、、。
ああ駄目だな、、、、。
130 :
夢見る名無しさん:04/03/29 09:25
読みません、移るからw
「、、、。」←これが嫌。
嫌な理由は二つある。
>>130 それは正しいです、、、。読まない方がいい事は多々ありますから、、、。
>>131 確かに、曖昧ですし。ハッキリとした表現が欲しい、知りたい人は嫌いだと思います。
今日、なんとなく恋愛頭脳という心理チェックをやってみたら、、、。
十四段階中十三段階、、、。危険、、、。
という評価が出てきまして、、、。まあ、そんなもんだとは思ってはいたが、、、。
危険と出るとは全く思いませんでしたね、、、。
ちなみに、年代をかえると悪くなって、、、。
十四段階中十四段階、、、。崩壊、、、。
とまあ最高に悪い評価をもらいまして、、、。非常にうれしかったわけでありまして、、、。
完璧に否定されるという事ほど心地よい事はないですからね、、、。
でも、、、。こういうタイプというのは結婚ができるもので、、、。
恋愛と結婚というのは全く違うようですからね、、、。
実際、「結婚は人生の墓場」という言葉があてはまるときがありますからね、、、。
そんな事全くどうでもいい事なんですがね、、、。
愛も、恋も暴力のようにしか感じられないから、、、。
その暴力を受けましょう、、、。あなたがその暴力を自分に与え続けるのなら、、、。
精一杯受けてあげましょう、、、。あなたが虚しくなるまで、、、。
まあ、駄目だな、、、、。
旅行のため上ゲ
既存の価値観に生きる愚者へ
落ちれない者の吐く 奇麗事
自分を戒めるのに 参考になりました
革命は外から起こる
本物は語らず 立ち上がる 苦しみを糧に
>>134 そりゃよかった、、、。
愚者の語りから、真の賢者が生まれる事を大変うれしく思います、、、。
どうやら、自分は奇麗事と妄言の中でしか生きられないのですから、、、。
ちなみに賢さというのどういうことなのだろうか?
成功して名声を得ることだろうか?独楽鼠のごとく生きることなのだろうか?
狐のごとくうまく人をだまして生きることなのだろうか?
我々がもっている賢さというのはどうやら他人を不幸にしてしか得られないのだろう、、、。
ありきたりの話だが、幸福と不幸というものは相対関係になっていて、、、。
幸福がくることはすなわち、不幸が後来ることを意味している、、、。
不幸がくれば、幸福が来るようにたいていはなっているものだ、、、。
絶対不幸はなく、絶対幸福もない、、、。それは当然といえば当然だ、、、。
しかし、歴史上賢いとされた者、賢く生きたものは絶対価値のごとく置かれている、、、。
その人間の不賢な点をみなかったことにしてね、、、。
どのような名声を博した人間でもゴシップはどこかしら存在している、、、。
かのレオナルド・ダビンチはホモだったとか、まあ一々挙げる必要もないだろう、、、。
人というものはどのような形にしろ、名声を博した人間を否定したがるものだ、、、。
そのゴシップが嘘だろうと真実だろうと関係ない、、、。
その人を否定して、罵倒して、見下すことができれば彼らは満足なのだ、、、。
ゆえに、自分は賢者ではありたくない、、、。一々陰で言われるより表だっていわれたほうが、、、。
まだ、気分的にはいいものだ、、、。
分かるぶんね、、、。だから、そうだから俺は愚か者、、、。
まあ、駄目だな、、、、。
>本物は語らず 立ち上がる 苦しみを糧に
そうだから、全ての思想は嘘か偽者、、、。
俺らがいってい的に信じている全ての思想や思考、言語は嘘と自己欺瞞とそれらしきもの、、、。
全ては自分の誇大妄想と一つの価値観によって汚染されたものにすぎないのです、、、。
でなければ、人というものは理解しあうことがあまりにも困難だからだ、、、。
人は何かしらに頼ってしまう、、、。
それはいやというほどこのスレに書いてあるから判書はしないが、、、。
頼ることができるというのは一つの力のように最近感じてきた、、、。
誰もいない、駅で独り恐怖の中を佇んでやっと気づきました、、、。
この際ですから、旅行の話をしますね、、、。
小和田という駅に独りすごしてずーっと独りでいる恐怖で精神がぐちゃぐちゃになっていました、、。
深夜、音がするというのは水の音と時々、鳥よけのためにドバーンとなるだけで、、、。
まったくの無音に近い空間、、、。
なんと恐ろしいのでしょう、、、。自分の存在を確かめるような存在がいないということが、、、。
決局、都合のいい孤独しか自分たちは愛せないのですね、、、。
都合よく人がいて、都合よく人がいない状況しか自分たちは希求することができないのです、、、。
なんと、傲慢なことでしょうか!なんと、不遜なんでしょうか!
自分かってで他人を貶し続けて、他人の全てをのろいながら自分の栄華を求める、、、。
なんと、卑怯なことでしょうか!
だが、彼らは名声者であり、成功者であり、立ち上った者なんですよ、、、。
自分は自分という学校にあるような木の椅子に座って他人の立ち上がるさまを見て生きたいと思います、、。
そうそれが、どれだけ独りよがりな叫びか諦観し続けたいと思います、、、。
しかし、立たない自分も独りよがりな人間なのです、、、。
ああ、なんという皮肉しかないのでしょうか?
哀しいよ、駄目だな、、、、。
ちなみに今、どこにいるかというと、、、。
新潟なんですよね、、、。
まあ、これからムーンライトえちごで新宿からじぶんの家に帰りますけどね、、、。
それじゃ、またということで、、、。
駄目だな、、、、、。
大量服薬をして自殺をこころみてみましたがだめでした。精神的にぼろぼろでした。
あちこちあざができて。。。眠っているときに動き回ったとみられます。
覚醒もしたし、腎不全、心臓停止もしない私は。。。血液検査する予定です。
病院のバイトやめたいなぁ。。。勉強に専念するという本音を隠して、療養をする
ということで、バイトやめる方向にもっていきます。
私のほうがだめです。。。。。早く東京にかえってきてください。むーんらいとえちごで。
きをつけてくださいね。、
大量服薬をして自殺をこころみてみましたがだめでした。精神的にぼろぼろでした。
あちこちあざができて。。。眠っているときに動き回ったとみられます。
覚醒もしたし、腎不全、心臓停止もしない私は。。。血液検査する予定です。
病院のバイトやめたいなぁ。。。勉強に専念するという本音を隠して、療養をする
ということで、バイトやめる方向にもっていきます。
私のほうがだめです。。。。。早く東京にかえってきてください。むーんらいとえちごで。
きをつけてくださいね。、
>ゆきさん
たらいま〜です、、、。
ハア、ついにやってしまったですか、、、。
どうやら、ゆきさんは俺の母と同じ性格を持っているようだ、、、。
他の人に認められたいが故に無理し過ぎて、不満をため過ぎて支離滅裂になる破瓜型のようですな、、、。
しかも、全ての事をあまりにも突きすめ過ぎてしまうそれが結局は自分を追い込む形になる、、、。
その追い込みによってためてきたものが破裂してしまう、、、。
その結論として自殺を行うのが多い、、、。
俺の母の腕にはリスカの跡があるし、首にも縄の跡が残っている、、、。
大抵、頭がいい人間というのは自分を追い込んできたから頭がいいのであって、、、。
頭が悪い人間というのは自分を追い込むという行為をあまりしない、、、。
だが、頭がいい人間(されている人間)は全てにおいてよい存在である事を望むのです、、、。
それが一つの暴発になってしまうのです、、、。
良くなりたいという願望と希望と夢が全てにおいて現実にせねばならないと思い込んでしまう、、。
その点、男といういきものは有利かもしれない、、、。
男のロマンという妄言が使えるからだ、、、。
ロマンというのは女性からしてみれば馬鹿だろうし、当の本人も馬鹿だと思っている、、、。
趣味を持っている人間というのは都合よく馬鹿になれるという事だ、、、。
容易く夢、願望というのを安易に満たす事ができるからだ、、、。
これは非常に強い、、、。夢や希望に絶望し過ぎなくてすむからだ、、、。
まあ、駄目でいいんですよ、、、。ただ、他人ありきの駄目というのは止めなさい、、、。
全てにおいて自分ありきの駄目という価値観を作りなさいというだけでやんすよ、、、。
だが、それが最も難しいのだが、、、。う〜ん、駄目だな、、、。
ちなみに自分の話をするけど、、、。
おいらは小学3年、2年ぐらいの時、いじめられた後、詩みたいな独り言を言ってた、、、。
小学五年生位の時、自殺願望に目覚めて自分の首に縄でやった事が一度だけあって、、、。
そこから、自殺願望と変わって他殺願望、破壊願望に変わっていきました、、、。
他殺願望と言っても自己主張や下らない叫びではない、、、。
中学1、2年の時までは自己主張の面が強かったけどね、、、。
何となく殺したい、、、。無駄な人間をばかばか殺していくのは楽しいだろ?
ただ単純な衝動みたいなものだ、、、。
強さなんてどうでもいい、、。分け分からない衝動には勝てないのだから、、、。
そんで、今の俺がいるわけだ、、、。背負う事から逃げる自分ね、、、。
いつも言っている事だけど、、、。背負う事から逃げてしまいなさい、、、。
それか、背負う事を今より軽くするかしなさいとしか俺にはいえない、、、。
又は、自分が適したものへ逃げる、、、。
逃げるという行動の選択は結構多いものなのですよ、、、。
多いから人はその行動を否定するのです、、、。
まあ、どうでもいい事だけどね、、、。
駄目だな、、、。
さて、俺は何が言うために生きているのだろうか?
むしろ、そのような価値判断を求める事が愚かしい行為なのだろうか?
なら、共通かした価値判断はあるのだろうか?
それ以前に愚かなる行為と断言できうる事なのだろうか?
断言できないから人は一元論、二元論、多元論と増やしていったのですね、、、。
でも、この全ての論理はなぜかしら一元論的になってしまう、、、。
二元論だって、正と否があればいつか合になってしまうし(ヘーゲルが正しいならね)
多元論だって、自分が信じたこれだと言うものがなければ人は生きる事が非常に難しい、、、。
そうなんですね、、、、。
結局人は、自分達が創ってきたものを全くと言うほど理解していない、、、。
全ては、口上のものなのですね、、、。
もっともらしいものを創って、そのもっともらしいものに感心して、解釈して、、。
論理を増やしていって、だが結局それを知っても何を知っているかは分からない、、、。
脳と言うのはただの記憶庫にすぎないのですね、、、。
考えると言う行為は記憶庫からこれとあれをあてはめて、、、。
もっとも正しいかの如くに手法を凝らして誤魔化しているものなんですね、、、。
自分には哲学は分かりません、、、。自分に数学は分かりません、、、。
本を読んでも、色んなものを経験しても、それを自慢するだけの虚栄心を膨らますだけです、、、。
そう何時も、あなた方はその虚栄心を讃える、、、。
何せ同族を嫌悪するより、讃えながら嫌悪するという高等な技術を持っているのですから、、、。
自分が本から得てきたもの、経験から得てきたものは叫びのしかただけです、、、。
そうすると、大抵は〜とかの歴史といいたがるものだ、、、。
しかし、それは悲しくなるほど無意味な事だ、、、。
何せ、自分達は歴史というモノにあまりにも無理解で断定的であるからだ、、、。
ヘロトドスが歴史をかいたときからそうだ!あまりにも主観で歴史を見る事が正しいものとされた、、、。
そうさ!主観でしか生きる事ができない!客観的なものなんぞ誤魔化しにすぎないんだ!
だから、自分達は人を知ったという思い上がりで人を見るのですね、、、、。
なんという無恥なのでしょうか、、、。
駄目だな、、、、。
死んでも、生きていってもどうにもならん、、、。
人間といういきものはどうやらしぶとく生きてしまうものだ、、、。
人間が中々死んでいかない事はばあちゃんの漂泊している姿で十分に知った、、、。
ああそうそう、あのあとやっぱりぽっくり逝ってしまって葬式にいったんだが、、、。
何かもう寝ているように死んでいるんだよね、、、。
曾祖父さんのときも、曾ばあさんのときも、いとこのおじさんが亡くなったときも、、、。
寝ているように死んでいるんだよね、、、、。
だけど、寝ている事が死ぬという事じゃないんだよね、、、。
死に逝くという事は意識があると、寝ているの間の事なんだよね、、、。
それが、恐いというわけじゃないんだよね、、、。
俺らは死というモノを意識している状態で認知しようとするから恐いのであって、、、。
意識していない状態では死も、生もクソもない、、、。
何せ、自分というモノ自体全く分からない状態なんだからね、、、。
いや、自分が分からない状態というのは意識あるないなんて関係ないんだよね、、、。
何時も分かっている事なんてないし、分かりえている事なんて突っ込んでいけば、、、。
まったく分からないんだよね、、、。
何?なぜ?どこ?いつ?そう一々突っ込み続けていくと何も出てこない、、、。
何も消えていってしまう、、、。だから、知なのですね、、、。
消えていってしまうものだから、、、。知識なのですね、、、。
そうやって消していった先には何があるのだろうか、、、。
一つの知識なのだろうか?恥を増やしてくだけなのだろうか?
う〜ん分からない、、、。
故の生か、、、、。
駄目だな、、、。
いきてることが夢みたいにふわふわしています。
今年は准看の資格試験。つまり受験生。
病院もやめて、自由になりました。
こういう状況で、先生方ふきみなほどやさしくなりました。。。。
結局願望どおりになりました。
ある一部の生徒には嫌われてると思うし、とけこめません。
外面ばっかりよくてなにかんがえているかわからないんです。
主治医が血液検査しましょうって。
あれだけ飲んで覚醒するし、腎も多分大丈夫。尿閉っぽいけど。。。
級友より時間ができました。こうなったら勉強しまくって、首席めざします。
あと、皆勤賞とったことないけど、入学式めまいしながらがんばっていきました。
皆勤賞もとるぞ!!!!!!
羊みたいに先生にすりよってるけど、f先生には結構攻撃心あります。あるnさんという
友達にも攻撃心あります。だから二重人格か実はボーダーかもしれません。。
春ってはなやかなのに、気分がついていけませんね。
>ゆきさん
いや、大丈夫ですよ、、、。
本当に二重人格、多重人格者はその人格に気付かないのですから、、、。
気付いているからそれは正常ですから安心して下さい、、、。
でもまあ、もしかしたら自分は多重人格かと思う事も自分にもありますが、、、。
人というのは常に仮面(ペルソナ)をかぶって生きているのですから、、、。
人、人にたいしてその仮面を使い分けているわけです、、、。
それは正常なのです、、、。
元々、心理学というモノ自体正常を異常と決めつける学問ですから、、、。
なにせ、心理学の体系創ってきた人達の心理を解析していったら異常が出るでしょうね、、、。
故に、彼等は天才であり新たなるものを創ってきた人達なのではないかと思います、、、。
天才というのは、マスコミが一々取り上げるようなものではなく、、、。
既存している枠組みを一回壊して、又新たに創るという真の意味でも創造者なのです、、、。
馬鹿と天才がなぜ表裏一体なのかは細かく説明すると、、、。
馬鹿というのは枠組みを壊すだけで新たに創るという行為を為さない、、、。
又は、何か既存している概念に取り憑かれてしまって悪い意味での保守、、、、。
守るという事と保守するという事は全く違うのです、、、、。
保守というのは漢字の意を出すまでもなく、保ち守るという事です、、、。
だが、守るというのは時代にうまく適用させながら守っていくという事です、、、。
保守思想というのはどっちかというと悪い意味で取りやすいのはそう意味を言葉が持つからなんですね、、。
まあ、話は元に戻して、、、。
ということは自分達は天才というモノたちを全く何も知らないというわけだ、、、。
結局はマスコミが適当に流布した都合のいい情報しか自分達は知らないという事だ、、、。
むしろ、自分達が気付いている天才というモノ自体、、、。
嘘なのかもしれない、、、。情報というモノは間接過ぎるものであり、、、。
大半は全く確実性を持ちえていないからだ、、、。確実性を持ちえている事象は限っていけばほとんどない、、。
自分が生きている事(生かされている事)それ以外は漠然として分からない、、、。
続き
漠然として全く分からないから理解しようとする、、、。
だけど、分からないものを分からないもので情報処理して理解に努めるわけだから、、、。
ちゃんちゃら可笑しいというわけなんですね、、、。
だが、それを分かっている人間はいるかというとやはりノーなんですね、、、。
結局、どんなにあがいても経験上で手に入れなければ分かる事がない、、。
感覚的に、経験的に手にする事がなければどうにもならないのですね、、、。
それにしても、なんでそのような幼い時に勉強なんて嘘を教えるんでしょうね?
学問と勉強と知ると学ぶという事はそれぞれ全く違う事なんですがね、、、。
まず、知る、学ぶという行為をしてそれによって学を問うていくわけですから、、、。
勉強というのはあくまでも勉めることを強化していく事なわけですから、、、。
勉る事という意味は単純にいえば努力するという事なんですが、、、。
学ぶ、知るという行為は努力によって得られる範囲なんて非常に限られています、、、。
全ては感覚を研ぎ澄ませていくしかないのですね、、、。
といっても天才にはなれません、、、、。
常に自分達は天才という存在を誤解し続けねばならないのですから、、、。
駄目だな、、、。
学ぶという事はどういう事なのだろうか?
学ぶという事は自分は三つのもののバランスだと思います、、、。
それはいつも言っている事と知る、識る、恥るの三つだと思います、、、。
知るということは間接的な知、情報やそれに準ずるものによって得た知だと自分は考えています、、、。
次の識るは直接的なもの、常識や経験上の最も基礎的なもの、、、。
最後の恥るは、自分が知っているものがあからさまな間違いであった場合素直ににとめられる事、、、。
この三つがバランスよく3人4脚で走っていく事が学ぶという事ではないでしょうか?
例えば、間接的な知が直接的な識るについていかなければそれは空理空論で終わってしまいます、、、。
しかも、(自分のように)空理空論をかざす人間は大抵が無恥です、、、。
又、直接的な識るが強すぎれば、間接的な知をえる事を疎かにしてしまいます、、、。
それは、極端な保守思想(悪化した右翼思想)になってしまい、、、。
同時に、恥という考えが疎かになってしまうのです、、、、。
では、恥るの強すぎる人間はどうかといいますと、、、。
恥る意識が強ければ強すぎるほど、自分の知と識を自己犠牲しすぎてしまいます、、、。
それでは、彼がどのような存在であるかまったく分からないので、、、。
それは結局、無知者されてしまうのです、、、。
しかし、これはあくまでも学ぶという事を自己流にといただけに過ぎません、、、。
もっとも、学を問とうと言う事ははこの先にあるものですから大変難しいものなのです、、、。
だが、それを分かっている人間はどこにも居ません、、、。
だから、中途半端な知を自分達は流布するのですね、、、。
ああ、駄目だな、、、。
血液検査病院でしたらいいのに、家にくるようなこといっていました。主治医が。
自殺未遂すると家をみにくるというのは本当なんですね。
診療が夜おそかったので、薬局あいてなくて、こまってたことはなしたら「眠れる?」ってアロマの
エッセンシャルオイルかしてくれました。少し前にここで受付みたいな仕事しません?みたいなことおわれてました。
高校教師の彼はしゃべらないからむっつりでつまらないです。
急に主治医のことがきになって仕方ありません。
だめですよね。
>ゆきさん
まあ、自殺未遂ですからね、、、。
こなかったらと言う状況は医者も作りたくはないんでしょうね、、、。
後、医者の事を気にしはじめたら本当に切りがないからよした方がいいですよ、、、。
違う方に頭を切りかえる事をおすすめします、、、。
ちなみに、今キッズステイションで銀河英雄伝説がやっていたから何となく見ていたのですが、、、。
ふと、民主主義というモノはどういうものかということを考えてたのですが、、、。
多分に民主主義と言う体系ほど曖昧なものはないんだと思います、、、。
民主と言う事は、あくまでも政治体系としては民衆がとると言う事ですから、、、。
スイスのように直接民主主義制という形もあれば、、、。
社会主義、それよりも発展した形としての共産主義という体系にもなるわけです、、、。
又、悪名高い北朝鮮も北朝鮮民主主義人民共和国なわけですからね、、、。
まあ、少し前まではとある大新聞はそのように言っていましたが、、、。
それはとりあえずズウーッと置いといて、、、。
あくまでも、思想と言うのは名に過ぎないわけですからその上では民主主義と言うのは悪用されやすい、、、。
民主主義と言う名を取っておけば大抵は名どおりゆくと言う洗脳に過ぎないのです、、、。
しかし、それは仕方が得ないでしょう、、、。
例えば、医者がなぜわざわざ難しい言葉を使って説明しようとしたり、、、。
政治家がわざわざ横文字を使って、一々自分達がその言葉を解釈せねばならないのですから、、、。
難しい名をわざわざ使う事によって、さも説得できるかの如くしているのです、、、。
その説得させるために必要な事象と言うのが「飢え」なのです、、、。
人は、満たされているときは反抗や革命を為そうとは思いません、、、。
満たされないが故にその国家体系を変化、転覆しようとこころむのです、、、。
その際に使われたのが思想と言うもっともらしいものなんですね、、、。
思想の発生自体が純粋である事はない、、、。故に思想なりか、、、。
まあ、駄目だな、、、、。
不可能か、、、。
可能な事と言うのはどういうことなんだろうか?
例えばだ、いきなり身長が2メートル越えたと言う事はないというよな、、、。
自分達の考え方だとその事は当然不可能だと言う事な訳だ、、、。
他だと、光子というものを考えてみようか、、、。
量子力学だと光子という物質はとびとびでトンネル効果などで、、、。
物質間を通過したり、緩やかに速度が上がるのではなくとびとびにあがるわけだ、、、。
普通なら可能だと思えない事が、その世界では可能だと言うわけだ(計算上)、、、。
結局自分達は、証明されている事が可能であり、証明されえていないものが不可能なわけだ、、、。
なら、可能と言うものは永遠に膨らんでいく事はまず間違いないだろう、、、。
又、不可能と言う価値観はドンドン萎んでいくわけだと考えたがるだろう、、、、。
しかし、不可能と言う価値観は萎んでいく事がない、、、。
なぜなら、可能と言うものが膨らんでいけば行くほど、不可能というモノも同じ、、、。
いや、可能というモノより早く膨らんでいく事だろう、、、。
でもだ、あくまでも科学上ではそのように簡易的に説明する事ができる、、、。
なら、現実世界や非科学的な世界ではどうだろうか?
現実世界だと、幼い頃はなぜかしらんが全能感と言うものがあった、、、。
なんでもできる、あれでもこれでも自分にできないものはないと言う過大な自負心があったものだ、、、。
それを、現実と言う不可能領域を知る事によって自分達の全能感は嘘だと気付いた、、、。
そう考えるのであれば、、、。
可能領域と不可能領域と言うものがいつのまにか創られているのかもしれない、、、。
続き
又、「今の現状で不可能な事であり、未来には可能になるかもしれない」
とおっしゃるかたが出てくるかと思います、、、。
確かに、未来というモノはあまりにも未知数であり、、、。
未来というモノを自分達が簡単に予測するのはあまりにも難しい、、、。
前に言った事だが、自分達が説く未来と言うのはあくまでも自分の死後であり、、、。
その未来には自分と言う存在は仮定として置いているだけであって、、、。
実際、自分がそのような時代に存在しているというのはハッキリとは分からない、、、。
それ故に未来と言う価値をあまりにも重きに自分達はとってしまうのですね、、、。
さて話は戻して、、、。
不可能とされていたものが時間推移によって可能になるとは自分には思えません、、、。
不可能な事は不可能な事であり、可能な事は可能な事と範囲が決まっています、、、。
それはいつの時代もそうです、、、、。
その時代の中での可能をうまくやりこなしていって自分達は不可能というのを開墾してきなのですから、、、。
自分達も、自分達が持っているこの可能(現実)を持ってでしか不可能とは戦えないのです、、、。
だから、人と言うのは極端な形になりたがるのもです、、、。
行き過ぎた現実主義者は可能の領域で甘えていたがるわけですし、、、。
行き過ぎた理想主義者は不可能な領域が侵されない事によって安堵しているわけです、、、。
同時にこの二つの主義者は同じであると言う事に気付いてもらいたい、、、。
理想主義者は不可能な領域で持って、可能と言う領域を侵そうとして、、、。
自分達が、さも現実主義者のように振舞うのです、、、。
これは、反対でもほとんど意味は変わらないと思います、、、。
だけど、この二つの主義者のおかげで人はアンバランスながら可能領域と不可能領域を広げてきたわけです、、、。
そう、、、。矛盾しているようでしていないという何という不思議、、、。
だから、生きている事はやめられないんだな〜、、、。
駄目だな、、、、。
だけど、全ての人を現実主義者、理想主義者と分けるのは結構無理があるんではないだろうか?
人は、一つの肉体に多数の人格を持っている、、、、。
個々の人格を調べていけば、全てにおいて特殊なものがばかばか出てくるように思える、、、。
さっき、現実主義と理想主義は同じ特色を持っている事を足りない脳みそで語ってみた、、、。
愛と憎しみも同じような特色を持っているだろうし、満足と不満も似たような面があるだろう、、、。
人は本当に嫌ったりするとその人の存在自体を消そうとする、まあ無視と言う事だ、、、。
満足も同じだ、、、。
自分が何か希求している状態と言う事には全く変わりがない、、、。
自己同一の絶対矛盾と言うのが出てくるわけだ、、、。
その上では哲学と言うのはあまりにも便利なものだ、、、。
言葉を左から出せば、右は隠すようになり、右を出せば、左を隠すというかたちになる、、、。
その一つ一つの行動を解析していったのが哲学であるとすれば、、、。
器用で、ムカつくものとしかいいようがない、、、。
この哲学上では、全ての言葉はハンパクされてしまい相殺されてしまう、、、。
そうなってしまったなら、、、。言葉としての意味はドンドン殺されてしまう、、、。
哲学と言うのは果てない言葉の犠牲によって成り立っているわけだ、、、。
言葉を一つ一つ殺していく事によって成り立っている事になる、、、。
だけど、殺す分には言葉を産んでいく必要もある、、、。
先を見ていけば、同時に全く切りがないものだが、、、。
殺す分、産まれていくだろう(かなり楽観的だが)又は死体の繰り替え死になってしまうんだろうな、、、。
嗚呼、嫌だ、嫌だそこまでして言葉というモノを犠牲にしたくわないものだ、、、。
まあ、大半の人は気付いていないから彼等は言葉の殺人者を賢なるものとしたがるのですね、、、。
殺す事が大半の人にとってみれば、賢なる行為と彼等達はしているのですから、、、。
彼等は彼等のうちでお祭りしていればいい、、、。
本当は血臭のなかで踊り狂う事が最も大半の人達にとっては正しいのですから、、、。
偏屈者として放置されて生きていきましょう、、、。自分はね、、、。
だから、自分は人との交わり受け入れないで拒絶するから駄目なんだな、、、。
はあ、駄目だな、、、、。
さてそれにしても、特殊な才能と言うのはなんというものなんだろうか?
自分と言うものは他人に嫉妬して、それをだらだら垂れ流しているものにすぎないが、、、。
自分には才能がない、、、。又は、あるんだけど気付いていないのかもしれない、、、。
大抵は後者のように考えたがり、前者のようには皆考えたがらないものだ、、、。
当然、その中に自分は含まれる、、、。
だが、決定的な才能というモノを自分達は望んでしまう悪い癖がある、、、。
それは、大半がマスコミによって流布された都合のいい情報に過ぎないのだが、、、。
まあ、信じてしまうのは人の業だそれはどうしようもない、、、。
人はそれをくつがえそうとして、努力や勤勉になるのだが、、、。
でも、決定的才能というモノは努力や勤勉でもどうにもならんもんだと俺は思うんだな、、、。
いや、下らない俺の思考だが、、、、。
人には、量と分と域がある、、、。
できる量、自分の分、見えない限界としての域、この三つを器用に守っていけば、、、。
まあ、人様なみの人生は歩めるように俺は思えるんだ、、、。
この三つを器用に守っていけばある事に気付いてくように自分は思う、、、。
それは、飛び越えてしまう能力があるかないかと言う点だと思う、、、。
器用に人様なみでありたいと思って、人様なみの事をしていれば、、、。
どこか人様を越えてしまうところが出てくると思う、、、。
それをまあ荒い意味だが才能というモノにしておこうか、、、。
その才能の部分を鍛えるだけではだめなんだ、、、。あくまでも、その分は守らにゃならん、、、。
守らなければ、自分の能力というモノを見誤るからだ、、、。
自分はあくまでも、持スレ以外はあまりでようとはしないし、、、。
他人様を一々不快にするのも悪いから、引きこもっている、、、。
そんなもんだ、、、。不快になると言うのは自分がその存在の下のように思えるからにすぎない、、、。
まあ、被害妄想の一部だ、、、。自分は被害妄想がひどいからひきこもっているのであって、、、。
それは、他人への恐怖と申し訳なさで守られている、、、。
続き
まあ、他の人はこういうだろう、、、。
「それは自分が傷つけられたくないが故の詭弁に過ぎない」
又は、「そういって、自分の殻に閉じこもって逃げるだけだろうが」
と言う事は間違いないだろう、、、。
確かに、その言説は正しい、、、。
では、彼等はそこまでして現実というモノを知っているのだろうか?
確実に嘘だね、、、。あくまでも、彼等は彼等が持っている理想と現実の葛藤を、、、。
自分達になすり付けて、偽善的に実験しようとしているだけの卑怯な実験者にすぎない、、、。
そう彼等は自分の正当性としての偽善性を人になすり付けて喜んでいるだけの猿に過ぎない、、、。
その、猿であるありさまが現実主義と言うのだからチャンチャラ可笑しいわけだ、、、。
キキッー、と叫んで同じ様を繰り返すだけだ、、、。
その意味ではあまりにも単調なものだ、、、。説教というモノは古今東西あまり変わらないものだ、、、。
さも、道徳的である事、さも、正当である事、さも、善とされている事、、、。
あげていけば宗教的なものを含め切りがないだろう、、、。
だが、一様それを受容しておかなくては非人の如く扱われるわけだからヘイヘイ言っていけばいい、、、。
そのときの彼等の姿は面白いものだ、、、。
自分達がただしいかの如く、強情な顔をして俺らを見下げているんだよ、、、。
その時に、ああこいつら本当に何も考えてこなかったんだなと思ってしまうんだ、、、。
他人を受け入れる事を快感にして、マスターベーションをしてきたんだなと思うわけだ、、、。
なんでそう思うか?ああ、単純だ、正しさと言う肯定命題が一番気持ちいいんだよ彼等にとってね、、、。
それで、自分を確かめているわけだ、、、。
俺はこいつより上で正しいと、、、、。なあ、笑っちまうよな、、、、。
その姿を写真に撮ってやりたいよ、どれだけ滑稽か、、、、。
ハハハ、、、。ああ、酔っているな、、、。
さて寝るか、、、。
駄目だな、、、、。
いろいろ論議参加したいです。純粋だからこそうけいれられず、デリケートにこわれていくんです。。たぶん。。。。先生のこととても気になってる自分がいます。
156 :
夢見る名無しさん:04/04/09 09:37
頑張れ!
>>155 まあ、一様参加してみて、、、。駄目だなと思ったら引きなさい、、、。
ある程度、名があるぐらいが一番ちょうどいいのですから、、、。
>>156 頑張るよ!多分ね、、、。
いまさあ、ニューすみていたらさ、、、。
3人の人質の事件で十五万人の署名が来たと言うのを見たら、、、。
この十五万人は本当に政治のせの字も知らん馬鹿なんだな、、、。
と思ってしまっただよ、、、。
政治の世界と言うのは本当に面子の世界であって、、、。
面子を重んじて、どこを犠牲にして、どこを尊重するかという世界なんだな、、、。
しかも、国際とかの世界に言ってしまったら、、、。
「民主主義国」又は、「民主主義界」では署名は通用することもあるが、、、。
その他の世界観を持っている、人達やその世界に属する人間には全く通用しない、、、。
又、日本政府であっても、諸外国の事を把握しているわけでもないだろう、、、。
ただ、イラクの聖職者に渡されたと言うのは、、、。
何か裏取り引きがあったか、、、。テロリスト団体と何かしら関係を持っていると言うわけだ、、、。
もっとも、どの世界であっても一番エグイ連中は聖職者、宗教者である事を知っているだろう、、、。
どうやら、日本人は昔っから政治というモノを純粋なものと見たがるらしい、、、。
それ故、何時も何時も不満の垂れ流しでなにも知っちゃあいないでいつも終わる、、、。
本当に何時もそれを繰り返されるのは飽き飽きするよ、、、。
まあ、どうでもいいことだけどね、、、。
えーと、トリップかえました、、、。
ちなみに、学校で一泊する遠足に行ってきました、、、。
男子校ですから、、、。
面白いと言うわけではないのですがね、、、。
自分は若い女性や男性のカップルを見ると被害妄想が反応してしまいます、、、。
むしろ、自分と同年代の女性、男性等を見ると被害妄想が反応する、、、。
馬鹿にしてみてる、、、。ダサイと思っている、、、。
と頭の中で被害妄想が循環してゆくのです、、、。
それが、時折起きる大量虐殺妄想なんですね、、、。
渋谷や新宿、池袋に行くとその妄想がひどくなるんで行かないようにはしているのですが、、、。
行く用がある時はしぶしぶ行かざるおえなくて、、、。行くと、、、。
あ〜、、、。脳内妄想が拡大してゆくよ、、、、、。
と自分の脳みそがバグっていくのが感覚で分かるんです、、、、。
それを緩和するために自分は本を読むのですね、、、。
奴らの思考の単調さと、傲慢の最大否定を得るために、、、。
しかし、それはただの復讐願望をわざわざ横にそらすために過ぎないのですよ、、、、。
同時に本を読んでも仕方がない、、、。本はあくまでも筆者がいいたい事を書いてはいないのですから、、。
そう、最高でも2番目ぐらいにいいたいことしか書いていない、、、。
いや、かけないといった方が正しいかもしれない、、、。
真に書きたい事を書いてしまったらだれもその本を買わないでしょう、、、。
だから、建前的なものになってしまうそれは仕方がえないのですね、、、。
書きたい事をかけるようになるには感覚を頼らざるおえない、、、。
知識では本は書けない、、。経験では本は書けない、、、。
でも、書けてしまう世の中は正しいのでしょうか?
まあ、それ以上に、自分の言説は正しくないのですから、、、。
駄目だな、、、。
結局自分達が一番怖がっているものって、、、。
時間が過ぎていく事ではないでしょうか、、、。
全ては、時間によって起こされます、、、。
戦争も平和も、老いも若さも、未来と過去も全ては時間の手の内のものです、、、。
その時間のたいしての無力さを知っているが故に人は時間をも手の内に入れるような願望を出す、、、。
それが、タイムスリップだったり、タイムマシンだったりしているわけです、、、。
その空想も全ては時間の恐怖を悪く言えば誤魔化して、よく言えば超える事を望んでいたわけです、、。
よく自分達は時間を恨みます、、、。
過ぎないでくれ、、、。早く過ぎてくれ、、、。時よとまってくれ、、、。
誰も彼もが思う願望みたいなものです、、、、。
しかし、全ては時間が過ぎない限り何も起こりません、、、。
故に時というモノは無常、、、。いや、時として常として過ぎていくのです、、、。
どうやら、自分達は一つのものには二つの意味を持つ事を忘れがちです、、、。
自分というモノでさえ、常に何かが反対しているわけですし、、、。
その反対しているものさえ何なのかを把握しているわけでもありません、、、。
だけど、全てのものは一つになるのです、、、。
分かりやすいようにね、、、。
だから、分からなくなる、、、。一つなのに色んな意味を持つもの、、、。
色んな意味を持つのに一つのもの、、、。
さて、どっちがさも正しいのでしょうか?
認識とは何か?では、あなたが求めている認識という言葉、意味に対しての答えは?
答えられないから認識は存在している、、、。
ソクラテス問答は、無にする言動ではなく、有にしようとする言動である、、、。
では、言動とは何か?
あなたにとって言動というモノは何か?貴方が望んでいる言動と言う言葉の意味は?
分からない、、、。
全ては分からない事と戯れ言の間にあるんだと思う、、、。
戯れ言とは、、、。果てがないから言葉は続いていくのですね、、、。
駄目だな、、、。
戯れ言は続いてくのですね、、、。
人が生きていく限り、、、。
いや、人は進化するでしょう、、、。
そのさい自分達の体は変化し、、、。
考え方も行動も変化するでしょう、、、。
しかし、自分達にはどこがどうなるかは分かりません、、、。
何せ、自分達の体さえも完全には分かってはいません、、、。
全ては、霧の中、、、。
いや、きりの中でさえも達がいいかもしれません、、、。
全ては、無のなか、、、。
見えないものを喘ぐ事によって見つかる、、、。
なら、見ると言う事は?見えると言う事は?
目が悪い人間には眼鏡を与えればいい、、、。
しかし、その眼鏡が近視用か遠視用かは分からない、、、。
だから、自分達は眼鏡を一々創らざるおえない、、、。
自分達の頭の中は眼鏡に埋まっている、、、。
遠視用、近視用うまく使い分けている、、、。
でも、お気に入りというのがある、、、。
そのお気に入りを使い続けていると目が変になる、、、。
それが、傲慢と自尊の眼鏡なんですね、、、。
彩色され、装束に彩られた眼鏡、、、。
その眼鏡こそ、人に不徳を教え続けるのですね、、、。
人はもう、モノを裸眼で見る事はできない、、、。
全ては眼鏡でとおされた世界、、、。
もう、駄目なんだな、、、。
それにしても、人質の3人殺されないかなあ、、、。
本当に日本国政府は迷惑な話だろうなあ、、、。
何せ、人質の解放には裏取り引きが当然あっただろうし、、、。
その際にどれだけ金を積んだかは分からないけど、、、。
多分、一人億単位だろうなあとつくづく思うのです、、、。
これで、また無駄に税金が上がるんだなあと思うと、、、。
人質にせずにさっさと殺してくれた方がありがたかったですね、、、。
それ以前に、、、。
戦争地域に行くのだから、、、。殺されないでかえってくると言う事なんてほとんどありえないのだから、、、。
俺から言わせればあまちょんのあまちょんと言う以外いえない、、、。
何せ、ああいうところにいくフリーランサーは当然遺書を書いてるだろうし、、、。
外務省だって、何も関与しませんよと言う念書を書かせているのだから、、、。
ふざけんじゃないとしかいえないよな、、、。
とりあえず、3人が死体でかえってきますようにと、、、。
マスコミの馬鹿共が全員、家畜の如く死滅しますようにと祈って、、、。
寝ませう、、、。
まあ、当然だよな、、、。
一流の人生と言うのあるんだろうか、、、。
それ以前に人生というモノ自体に自分達は価値を見いだす事ができるのだろうか?
確かに、色々な人生記というモノがある、、、。
しかし、それが一流かと言えば懐疑せざるおえない、、、。
あくまでも、一流とされて残されているものしか自分達は見ていない、、、。
それはあまりにも陳腐で月並みとしか感じられないだろう、、、。
色んなものを読んでいくと感動というモノはどんどん薄れていくものだ、、、。
感動と言うものが薄れていくから、、、。
月並みなんだと感じられるだろう、、、。
そう、人はより強い感動、より強い感動と高望みをしていくのだ、、、。
では、その感じた感動は自分にとって本当に意味や価値があるものなんだろうか?
否だね、、、。
結局はその時、そのときの一時的に起きる感情の躍動にすぎない、、、。
そのようなものがさも正しいかの如く書かれているんだ、、、、。
本当に笑ってしまう話だよね、、、。
まあ、仕方がないんだけどね、、、、
さも正しいかの如く書いておかなくては書記に意味や価値を持たせられなくなる、、、。
それが、書記というモノの価値なのだから仕方がない、、、。
意味がないものは残されないのだからね、、、。
そう、全ては意味がないものはない、、、。
だから、残されるんだよ、、、、。
自分の生も、自分の死も一事象としてみたら全くの無意味だが、、、。
だけど、一つの流れとしてみたら中々意味を持ってしまうものではないかな?
意味がない生はないが、価値がない生はある、、、。
では、その価値というものは?
単純だ、価値があるとされている人間をわざわざ対比して傲慢に人を見下ろす事だよ、、、。
笑っちゃうよね、、、。
駄目だな、、、。
どうやら、自分達はまことであると言う事を証明するためには、、。
真とされている事を二つも求めなければならないらしい、、、。
それは、言動と行動が常に真でなければならない、、、。
どっちが嘘をついても真ではないし、両方ともならむろんだ、、、。
だが、言動が嘘をついているなら、、、。
自分達は嘘をついている事を真にして嘘をついていない事を偽にしなければならない、、、。
正しく、片方が出れば片方が引っ込むというようなものだな、、、。
全てのものが二重してしなければならないらしいようだ、、、。
しかし、本当に真実である事があるのだろうか?
それは当然分かりうる事ではない、、、。
言葉を信じたのだから、その信じたと言う行為は真であるんだよな、、、。
では、騙されたという事は偽なのだろうか?
いや、真であろう、、、。信じて、騙されたと言う事は真であるから、、、。
その存在を偽と証明されていると思っているのだ、、、。
まあ、妄想内の話だから、、、。
全くどうでもいい事だ、、、。
まあどうあれこうあれ、、、。
真と偽というモノは本当に一緒なものなんだな、、、。
だから、結局自分が信じて気持ちいいもの楽なものだけが、、、。
自分達にとって真実であり、偽りないものと言う事なんだな、、、。
まあ、駄目だな、、、、。
妄想と空想と想像と幻想と仮想と、、、。
想いという言葉がはいる言葉は中々多いものだ、、、。
人はそれだけ常に行動をしながらもそう想いふけっているわけだ、、、。
想うという言葉自体がそもそも心の動きや内容という意味を持っているわけだ、、、。
大抵は心の動きと体の動きというモノは合致しあわないものだ、、、。
その点をわざわざ言葉で誤魔化すという事は自分が凡人である事を証明しているのです、、、。
そうすると単純に自分と言う存在は凡人であるんだな、、、。
まあ、自分のたいしての証明はそれぐらいにして、、、。
人は常に何かしら想いふけっているわけだ、、、、。
そう同時に行動をしながらね、、、。
逆に行動をしなければ人は想いふける事はできないんだな、、、。
行動によって何かしらの想いが生じない限り人は考ええないと言うわけだ、、、。
ということはデカルトさんの言葉を悪用させてもらうとしたならば、、、。
「我思うが故に我あり」ではなく「我行動するが故に我あり」なんだな、、、。
行動して、自分と言う存在を確かめて、そこから思考(想い、思い)が生じるわけだ、、、。
と言う事は行動と言うものが主事であり、思考というモノは副次てきな物となる、、、。
いや、そうならざるおえない、、、。
それが思考の弱さであり、一番の強さでもある、、、。
そこには、恐ろしいほどの現実とされているものに対しての不満と嫉妬に汚されているからだ、、、。
しかし、それも仕方がない、、、。
想像というモノは常に自分にとって気持ちいい形以外にならないのだからね、、、。
まあ、駄目だな、、、。
自分というモノはあまり変化せずに生きていくんだろうな、、、。
大人と子供のはざまというモノを自分達はあまりにも曖昧にしすぎた、、、。
いや、もしそれが文明と言うものであるなら多少納得しとこう、、、。
大人は知っているが故に子供のように振舞おうとし、、、。
子供は知らないが故に大人のように振舞おうとする、、、。
何故、この背反が現代社会の中で肯定され続けるのだろうか?
よくある言葉だが「大人という奴らはもっとも子供なのさ」
という言葉の如く、大人は自分より下のものを悪い形で指導しようとする、、、。
その悪い形がどんどん遺伝していき、その形態を決めていくのですね、、、。
人は、環境によって良くなり、環境によって悪くなってゆく、、、。
自分のこのあまりにも無駄な思考もこれ以下、これ以上環境であったなら、、、。
この途方もなく無駄な思考は起こりえなかっただろう、、、。
まあ、その点は決められた人生だから仕方がないとしても、、、。
いや、それ以前に決まった人生と言うものがあるのだろうか、、、。
確かに、未来の人間から見れば自分達の人生は決まっているかの如く生きているように見えるだろう、、、。
それは仕方がない、、、。歴史と言う文の上では人間というモノは見えてこないのだから、、、。
見えてくるとしても、過大な空想によって裏付けられたりそうに過ぎないのさ、、、。
まあ、そう悲観になっても仕方がないが、、、。
話は戻して、、、。
大人は大人として独立したものを持っていたのではないのか?
子供は子供として独立したものをもっていたのではないのか?
その、差別が一番重要ではなかったのか?
差別を消そうと言う思想が全ての成長を止めたのだ、、、。
否差別者の理想が、空想として回転していた時点で失敗ではなかったのかね?
まあ、自分には分からない、、、。
頭が悪い事は全くを持って不便だね、、、。
駄目だな、、、、。
人間は何枚もの絵を描いているものだ、、、。
美しいも醜いも関係なく勝手気ままに塗りたくっているものだ、、、。
よく人は、人の生を一つの絵のように例えたがるが、、、。
人の生という絵は全く一つではなく、、、。
何枚、何十枚、何百枚と言う絵が堆積してできている、、、。
その絵をかいた人間は自分の絵は美しいと思っているだろう、、、。
自分には分からないが、大抵の人はそう思っているに違いない、、、。
だけど、真の意味で自分達は絵の美しさというモノを知っているのだろうか?
ノーだね、、、。
例えば、ピカソの絵は美しいと思うかい?モジリアニは?超写実主義の絵は?
自分には美しいとは感じられない、、、。
ただの落書きではないか?ただ鼻が長いだけだろ?妄想だね。
それはここの美的感覚と言うものがあまりにも違い過ぎるからだ、、、。
だから、美を知るものは肯定されているものをありがたらなければならんのだ、、、。
自分にとって、日本のキハ形の電車は武骨でいい形をしているなと思う、、、。
だが、それはテッちゃんの領域であって、、、。
全てを統一する美の領域ではないと言う事だ、、、。
それは、実は全てにあてはまるものではないのかね?当然、、、。
どうやら自分達は主観と言うものがあまりにも普遍的であると言う妄想に取り憑かれているようだ、、、。
それが、どれだけの美を葬った事やら、、、。君たちは気付いているのかい?
いいよ、当然気付いていないから、、、。傲慢不遜に美を叫ぶのだろ?
君たちは悲しいほど美しいものというモノに気付いていない、、、。
それは、自分達の思考という当然としての美だ、、、。
元本が美しいから、、、。その美しさを穢そうとしてわざわざ醜いモノを選ぶんだ、、、。
まあ、仕方がない、、、。それは、世の常として人は選び続けるのだから、、、。
駄目だな、、、、。
イラク。。。そもそも軍を派遣してる時点でまきこまれるの承知なのに。。
人命第一だけど。。。でも。。。
成績表でました。実習の点はぼろぼろだけど学業でかなりカバーしてトップ10位以内
でした。。。ああ。。。。もう勉強する集中力ないです。
学校側は私にむいてないんじゃないかというようなことも。。。でも、授業料はらったし、
病院やまたし、こんな時間までぼぉ〜っとしています。
最近はスポーツクラブにいって、くるくる踊っています。
精神科の薬減量することにしました。学校がわに自殺未遂でばれたので。^^:
先日も歌舞伎町でふらふらと。。。。
私のほうがだめだめです。思考が分裂してるし。
自分でもなにいっているかわからないときあります。
だめ人間さんのほうがよっぽどすばらしい思考をもってる。
結構シャドー的な思考すきです。
私は太宰とか夏目漱石さんに操作されてしまいました。
最近はキリスト教に興味もちはじめました。でも、神なんかいないも同然です。
そういえば、アメリカ人四人がものすごい状態で遺棄されていたらしいね、、、。
3人もそんな形で遺棄されないかな、、、。
遺棄されたら、それでマスコミはネタになるし、、、。解放されたらされたでネタにはなるしな、、、。
どっちにしろマスコミには損はしないんだな、、、。
その点で俺はマスコミという塵が嫌いだ、、、。本当は不誠実の塊のくせに誠実のように振舞っている、、、。
偽善性があまりにも鼻につく、、、。不快、不快、不快、、、。
よかったですねとか、さも正しいのかの如くほざくのはもういい加減止めてもラいたい、、、。
例え、建前であってもだ、、、。彼等も建前でそういう事を言うのが嫌なんだろうが、、、。
それ以前に人命なんぞ国家の尊厳のためでは一番最後に来るものだ、、、、。
それが、ただの権利が人権と言う人間の尊厳自体まで侵すようになってしまった、、、。
いいか!人権は人間の尊厳ではない!人権はあくまでも個人を前提とした権利に過ぎない、、、。
だから!この日本人であると言う権利が外国で使える事自体が異常だと思え!
この人権というものは公共の福祉を侵さない限りであり、この場合の公共は日本だけなのだ、、、。
なんぜ、このような単純すぎて小学生1、2年生ぐらいでも分かるような理屈がなぜ通らないんだよ、、。
俺が、日本で一番嫌いなのはこの点なんだ!
勉強なんぞしなくていい、、、。自分の力で得てきた資料と自分の頭で考えてみろ!
なぜこのような識が通用しないんだよ、、、。
平和ぼけ?馬鹿言うな!平和ぼけ以下だわい!
結局はてめえのケツをてめえで拭けない幼稚園児がふいてくれといっているだけなんだよ!
あああああああああっっっっっっっっっっ!!!!!!
ふざけんじゃねえええええええええっっっっっっっっっっっ!!!!!
とりあえず、、、。
死んでこいと言うことで終了、、、、。
>ゆきさん
ちょっと久しぶりに怒り心頭まできたんで先に暴走させていただきましたが、、、。
集中できなくなったら、旅行とか行くのが一番ですね、、、。
俺は高校生と言う立場だから、長期の休みがない限り、、、。無理ですがね、、、。
後、医者も言っただろうけど、、、。体を動かして忘れろと言うのもよくよく使われますね、、。
歌舞伎町ですか、、、。
自分はそういう場所には行きませんね、、、。
駅で野宿する事はあっても、完全にヤバいと思われる繁華街にはあまり行きませんね、、、。
まあ、それ以前に大抵が自分の家で引きこもっているからどうでもいいのですが、、、。
俺の思考はシャドー、影ですか、、、。
う〜ん、確かに人間の影から見ているような感じはしますね、、、。
人間も動物も世界も全てが心の影から感じ取って、見ているような感じですね、、、。
それが、思想の悪い点なんだと俺は感じられます、、、。
今の思想だと、近代思想を超える現代思想と言うモノは造られてはいません、、、。
なぜなら、現代思想は近代まで蓄積していったものをただ曖昧に処しただけです、、、。
正確に言うならニヒリズムを超えるような思想が打ち出されていない事なのかもしれません、、、。
ニヒリズムに乗じる形か、、、。ニヒリズムに打ちひしがれた思想しかありません、、、。
ニヒリズムは消極的、積極的、既存的で意味が全く違います、、、。
神は生きているが神は死んでいる、、。神は死んだ、、、。
神は死んでいるが神が生まれる、、、。と一つの循環の形をしっかりとしているのです、、、。
では、そのような形をとっているのであれば、、、。循環の形を潰してしまうようなものを考え出せばいい、、、。
もしかしたら、そこから真の意味で現代思想が始まるのかもしれません、、、。
まあ、駄目だな、、、。
神はいないかいるかは分からないけど、、、。
ただ、自然と言う化け物はいるということだけは言えるかな、、、。
あまりいい方法ではないんだけど、、、。
自然というモノを小自然と大自然とわけてみると、、、。
小自然というのはグリーンピース(馬鹿に低能と精神障害者を懸けた連中)が説くような、、、。
うっそうと茂った木や、美しい湖畔や海だとしよう、、、。
では、大自然というモノはなにか?
ただ時間が過ぎていく事や、文化や文明が発達する事など、、、。
全ての過ぎて興って消えていったものが大自然なんだ、、、、。
なら、自然の暴走を止めるモノたち、むしろ自然自体を神としたならば、、、。
とすると神というモノはどこにでもいる事になる、、、。
むしろ、ニーチェが言ったものは一神論上の神が死んだ事であって、、、。
今自分が説いているような神は死にえないんだ、、、。
それは、神ではなくどっちかと言うならば自然だからだ、、、。
一神論上の神は自然と相対するものであり、多神教の神は自然なんだ、、、。
もし、死にえない神がいるとしたらそのような神ではないのかな?
まあ、どうでもいい話だけどね、、、。
でも、キリスト教を知ろうとするのは楽しいかもしれないね、、、。
後は、ゆきさんは太宰、夏目を切り捨てられたのなら、、、。
後捨てるものは俺だね、、、。
あなたは俺の等身を超える事ができる、、、。たったそれだけさね、、、。
とりあえず、頑張りなさいということだね、、、。
うん、駄目だな、、、、。
桜が散って物悲しいです。
サラ・ブライトマンをきいてるとこんなに忙しいのに、ピアノとか声楽をまた
習いたくなってきました。ヴァイオリンも弾きたい!!!!!
家からでてみませんか?ぶらぶらと。つれていってください。
>>ゆきさん
俺がつれていけるものは自分に対しての失望だけですよ、、、。
自分と言う存在は中途半端に優しい存在なのかも知れません、、、。
人というモノは面白いもので人付き合いが嫌いな人ほど、、、。
他者に対して優しく付き合おうとするものです、、、。
又は、自分を異様にハイテンションにしてさもその集団に溶け込んでいるようにするのです、、、。
自分は家には出ますが、自分の心からは出ません、、、。
出てもどうしようもないからです、、、。なぜって?
そりゃ当たり前でしょ、、、。自分を含め、下らな過ぎる人間(生き物)しかいないからです、、、。
まだ、猫や犬をズッーと眺めていたほうが自分のためになると思う、、、。
それは、なぜためになるか?彼等は自分達とは思考を共にしていないからだ、、、。
だから、自分達は一々彼等を擬人化して考えると言う手段を一々繰り返さなくてはならない、、、。
そのときの想像が非常に面白みあるからだというのが自分の考えだ、、、。
前に渋谷のセンター街の奥のマックで人を見下ろしてみるのが面白かったが、、、。
今は、そういう行為を為す気がしない、、、。
あまりにも、ありふれた人間がさもありふれている行動をして、楽しんでいるだけだからだ、、、。
そこには自分のような卑屈そうな、この場にいる事自体が間違ってそうな人間がいない、、、。
さも正しそうで、さも当たり前で、さも自分が自分であるかの如く振舞っている、、、。
本当に滑稽な街だ、、、。
自分は渋谷、いや渋谷に限らず都会と言うのは常に冷たい感じがすると言った、、、。
都市は、都死であり、、、。実際、東京の平均産出率は1.03で数ではえらく少ない、、、。
人がたくさん来ては、人がたくさん死んでいく街、、、。
それが、東京や大阪、名古屋などの大都市なんだよ、、、。
冷たくて、滑稽で、死を招く街、、、。どこかの陳腐な映画の宣伝のようだ、、、。
駄目だな、、、。
それにしても、都市は都死だ、、、。
遊ばなければならない、小学生が学習塾に追われ、、、。
死ぬほど学ばなければならない、大学生が遊び、、、。
働き盛りの年の人間のおよそ四百万人が引き蘢り、、、。
分け分からない高校生や中学生は刹那主義がいきすぎてしまっている、、、。
エリートとただの勉強馬鹿の差がなく、恥を知らない人間は端な人間である事を全く無理解で、、、。
大人と子供の差は消え去り、大人がさも餓鬼のような事をほざく毎日、、、。
意味と価値は順番はひっくり返り、空理空論を持て余し人を騙す人間、、、。
学者は学者ではなく、無恥者となり自分の豚のような知恵を売り回る、、、。
何という滑稽か、、、。何という刹那か、、、。何という自己否定か、、、。
えらそうにさも正しいかの如く古腐った知識を叫ぶ自称エリート共、、、。
新しい知識と勘違いして、ただの無知を振り回している若者、、、。
説教と虐待の意味を全く取り違えている、殺人者、、、、。
ああ平和だ、、、。何という平和なのかね?
平和という事象はここまで人をグチャグチャに混乱させ、楽しんでいるのだろうか?
いや、戦争が正しいと言うわけではない、平和が間違っていると言うわけではない、、、。
では、何故自分は悲嘆しかできないのだろうか?
俺の知識や感覚がおかしいのだろうか?俺の見えている範囲が狭すぎるのだろうか?
うん、正しい、狭く、おかしい、、、。
それは認めなければならない、、、。自分の持っているものが間違っている事を否定してはならないのだ、、、。
逆に言えば、彼等は自分をふんずけ、穢すための思考を持ち合わせていないのだ、、、。
彼等は恐ろしいほどに純粋で正しいのだ、、、。
その正しさを信じ続けているがいい、、、。その信じ続けたものが自分を裏切った際、、、。
あなた方がどのような行動をするかを自分は傍観者のように見続けているだけなのですから、、、。
駄目だな、、、、、。
音が自分を救った事はない、、、。
自分は自分の意志で自分を救うしかない、、、。
なぜ自分達が宗教に助けられたと思い込むには理由がある、、、。
その時自分達は宗教によって助けられたのではなく、、、。
自分がその宗教を信じた事が自分を救ったのです、、、。
結局は、その宗教を通じた自分が自分を救った、、、。
それを彼等はさも神とか尊子が救ったと錯覚に陥っているだけだ、、、。
全ては自分しか自分をモノにする事ができない、、、、。
自分が自分に対して何かを与えない限り、、、。
自分というモノは何もしないものだ、、、。
ただ自分が何かしたいという情報を与え、求めない限りね、、、。
だから、あなたはあなたであなたを創るしかないのです、、、。
そこまで、貴方は知る必要があるのです、、、。
色々な物事をね、、、。
さて寝よう、、、。
まあ、駄目だな、、、、。
はじめまして、スレ読ませていただきました。
俺は駄目さんと似たようなことをよく考えます。もちろん全てではなく、一部というか、
なんとなく雰囲気かな・・・文章に雰囲気など在るのか分らないですが・・・
けれど、俺は脳内で考えたことを文章とか言葉にするのは苦手です。漠然としすぎていて、
俺の脳は処理できません。書き込みの途中でパソコンをぶん投げてしまいそうです。
その点、駄目さんが羨ましいです。脳内のモヤモヤのはけ口が2ちゃんに書くということで、
成り立っているのではないですか?
と書いたものの脳内で考えたこたを全て表現するのは、誰でも無理ですよね・・・
それにしても、なんで自分はこんなに下手糞なんだろうか・・・鬱
それにしても、人間の脳というのは恐ろしいものですね。
一つの事に対して木々が枝分かれしていく様に考えが膨張していきますよね・・・
ふと、我に返ると最初に考えていたこととは、主旨がずれていてまた無駄な時を
過ごしてしまったと、よく鬱になります・・・
それに、俺の脳で考えたところで何も変わりはしないのですから・・・
けれど、考える事を放棄はできません、自分が自分であることさえ放棄してしまう
ようだから・・・だけど、時々頭が痛くなることがあります。そういう時は放棄して
寝るようにしてます・・・逃げてます。矛盾してますね・・・鬱
>はとポッポさん
いやはや、、、。自分の稚拙な文章をそう賞されるのは恥ずかしいですね、、、。
いや、自分も脳内からはっせられる言葉を全て書き出す事は不可能です、、、。
結局は、ただそのような能力が貴公より少しだけあると言う事だけです、、、。
日々、ふと考える事でうまくなっただけです、、、。
人は考えない時はありません、、、。
ただ、その考えているものがこのような愚かな物事だと言うだけです、、、。
より複雑化しているものも脳みそを日々酷使する事でできるようになった、、、。
たったそれだけなんですよ、、、。
難しい事はないんですよ、、、。大半が難しいと思っている事だけなんですよ、、、。
だけど、体や頭脳が動いていかなくなると言うだけなんですよ、、、。
だから、難しくなったり無理な事になる、、、。たったそれだけで無理と言う理由になるのです、、、。
でもまあ、体はどうしようもないですが、思考の方は大抵の場合どうにかなります、、、。
思考の場合は日々訓練するしかないのです、、、。
いや、訓練する事ができるのです!その点を喜ばなければなりません!
全てではなくてもより!より!より!いいたい事につなげる事ができるのです!
そのためにはマニュアル本のようなものは全て捨ててしまいましょう!
生きる事というモノごとにはマニュアルなんぞないのですから、、、。
後、勉強する事と学ぶ事を勘違いしないようにしましょう!
自分は勉強はしていません、、、。しかし、その分違う思考ができるようになりました、、、。
自分にとって学校の勉強というモノは一つの知覚を知る事に過ぎません、、、。
わざわざ暗記する必要はありません、、、。その理由を知る事が大切なのです、、、。
まあ、そのような事を知ろうとする人間は今んとこ見た事がありませんがね、、、。
まあ、駄目だな、、、、。
ちなみに、自分もまず最初に考えたものからとんでもないほどズレルのいつもですが、、。
しかし、そのズレも自分の思考の一部と考えていけば思考は続いてきます、、、。
自分も止めてしまう事があるけど、、、。
ちょっとした刺激でその思考は続けていく事ができます、、、。
先は永続に続いてくのです、、、。自分が死なない限りね、、、。
矛盾する事は非常に重要です、、、。
矛盾しない、行動、思考、概念等はないのですから、、、。
その矛盾をどこまで受け入れる事ができるかが問題なのです、、、。
矛盾を矛盾として否定しきってしまうのではなく、、、。
何故、矛盾が生じ、なぜ矛盾が起きたのか考えていく事が重要なのです、、、。
単純なのです、、、。間違った回答はどこかで間違ったからであり、、、。
それまではあっている、、、。又は、あっていなければならないのです、、、。
正確な答えというモノは大多数の間違ったものとを激突させる事によって成り立つのです、、、。
いや、その場合の正確な答えは違う問いの上では間違ったものなのです、、、。
そこを認知しておかなくてはなりません、、、。
一つの正しいものはその一つしか対応できない、、、。
そこを見誤る事によって、思想や経験は拡大しきってしまったのです、、、。
自分は、その点から逃げているのです、、、。
拡大していくものを大きなもので統合できると言う思考がおかしいのです、、、。
一つのものは一つのものでしか対応できないのです、、、。
それは基本ではなかったのでしょうか?
まあ、自分には関係ない事だ、、、。
駄目だな、、、、。
俺は勉強というものが苦手なので、俺の脳内で考えることには、
学問的な裏づけがありません・・・〜だろう。とか、〜のはず。
でしかありません。なので幼稚なんです・・・すいません・・・
他の人から言われた言葉なのですが、健全者はどうでもいいことを
深く考え込んだりはしないと・・・
同時に俺は不健全者だと言われたも同然なわけで・・・まぁこの世界でいう
普通とか一般的に見られれば、当然そのとおりなんですが、
じゃあ誰がそんな常識つくったのかというと人間なわけで・・・俺も人間
だから否定しようがない・・・けれど考えてもいいじゃないかと脳内の何処かで
つぶやいてる俺がいます。
なぜ俺が不健全だと言えるのか?それは彼等が考えないからではないでしょうか?
いや考えてはいるが、未発達だからではないでしょうか?
けれど、彼等を見下して俺が優位だと思いたいわけでは無いです・・・
こんなに人間がいるのだから俺みたいなのがいてもいいじゃないかと言いたいわけで・・・
と、またショボイ脳内をさらけだしてる俺・・・鬱
後、脳内のモヤモヤはここで発散するようにしています、、、。
このインターネットというモノはその点で非常に便利です、、、。
確かに、自分達のナンバーはここの管理人(ひろゆき氏)がしっかり管理しています、、、。
その際にはいきすぎた発言は当然できません、、、。
その点ではこの板は非常に便利なんですよ、、、。独り言、妄言で切り捨てられるから、、、。
最近のいっちゃっているかなという発言の中でイラクの人質の話がありましたが、、、。
そういえば、彼等は今日、解放されたようですね、、、。
本当は殺されれば良かったのに、、、。そうすればお笑いで終わったのにね、、、。
なんでお笑いか?それはね、ガキが自分の考えが通用するという妄想で殺されるはずだったからです、、、。
例えば、日本人のガキが親なんかゴミだと言っても、、、。笑いで済まされますよね、、、。
では、儒教圏の支那や朝鮮ならどうでしょうか?
それはいうまでもないでしょう、、、。当然、私刑を受けるのは絶対でしょう、、、。
それと同じなんです、、、。全ては共通だという妄想が残酷な結果を生むのは常です、、、。
それを、彼等が彼等の死体で見せて欲しかったのです、、、。俺はね、、、。
全ては笑いの中にこそ残酷さが一番にじみ出てるのです、、、。
その残酷さは、、、。なんとあからさまなものでしょうか、、、。
人が笑う理由はあまりにも多い、、、。人が可笑しいと感じた時、自分より下だと思った時、、、。
人を嘲る時、人に皮肉を使う時、人が全く知りえていない事を知っているかの如くいう時、、、。
などなど、あげていけば全く切りがないでしょう、、、。
全ての感情は、あまりにも多すぎる理由をうまく操作して為しているのです、、、。
結局は、思考も思想も感情からしか生じません、、、。
単純なんですよ、無表情という表情があると言う言葉の通りなんですよ、、、。
さて、脱線したな、、、。
駄目だな、、、、。
確かに、その通りなのですが、、、。
十七年しか生きていませんが健常と不健常との差というモノを自分は見た事がありませんね、、、。
人は何かしらに狂っています、、、。思想、宗教、ブランド、オタク、ファッション、、、。
などなど、狂っていない人間を自分は見た事がありません、、、。
所謂、健常者というモノは世間、社会で肯定されるような狂い方をしている人間であって、、、。
否健常者というモノは、これの反対だと考えていいでしょう、、、。
だが、狂っているという点では全く同じなのです、、、。
普通、常識、世間、社会というモノの上での健常者というのは、、、。
最も、否健常者なのです、、、。
なぜか?それは、一々自分をそのようなもので縛っていなければならないからです、、、。
自分が言っている、否健常者とされているものは否健常者であるが故に健常でなければならない、、、。
健常というモノで自分を縛っているのになぜかどこかしらが出ていて否定される、、、。
でも、実際鬼畜系オタクは開き直っている人間が多いですから難しいですね、、、。
自分は、オタクであることは認めますし、否定はしません、、、。
オタクはどの時代であっても奇形でありますから、、、。
その奇形であるとされる事を逃げるために普通という空間を侵す愚か者にはなりたくありません、、、。
それが、今よく分からんちんなお宅出身とかいわれる知識人なんですね、、、。
本当に今の知識人というのは、恥識人がいない、、、。恐ろしいほどにね、、、。
否定される立場である事は仕方がえないのにさも正しいように叫ぶ連中、、、。
ああ、嘆かわしい、、、。故に、自分は健常を見張るような否健常者になりたい、、、。
健常の域を知っているが故の、否健常者、、、。まるで、隠遁者みたいですね、、、。
駄目だな、、、、。
彼等が何をするためにイラクへ行ったのか、俺はニュースをあまり見ないので
知るよしも在りませんが、彼等なりに考え→行動したのではないでしょうか?
それが、幼稚極まりない考えだとしても・・・
俺の行動する余地もない、どうでもいい脳内思考よりかは大衆の感情になにかしら
影響をもたらしただけの価値というものはあったのではないでしょうか?
幼稚なくせにでしゃばってすみません・・・ぁぁぁ鬱ぅ
あぁ、でも人に心配や迷惑かけたらだめですよね・・・
行動することによって何が生じるかも考えなくては、
だめだね・・・ハァ
ね〜〜〜〜れ〜〜〜〜な〜い〜〜〜〜〜〜〜/;;
睡眠薬がきかない。すれからなでなでしててください。 自爆
>>161 理屈こねんのはいいけど、おまい最低だよw
なに、世の中わかってますみたいに冷めてんだ?
こういうガキって腐るほどいるがむかつくんだよ
たぶんおまいも自分のこと嫌いだろw
物事を斜めから見る事に有能さを感じてるんだろうが
一人じゃ何も出来ないくせに気取ってんじゃねーですYO!w
> 本当は殺されれば良かったのに、、、。そうすればお笑いで終わったのにね、、、。
> なんでお笑いか?それはね、ガキが自分の考えが通用するという妄想で殺されるはずだったからです、、、。
おまいは自分の妄想が他人に通用すると思ってんの?
誰にしてもそれに対して反する考えを持つ人間はいる
ただ単におまいは倫理観や道徳心といったものがない最低な人間ってことだろ
おまい自身が違う考えを持ったヤシに殺されてないとでも思ってんの?
だったらお笑いw
>はとポッポさん
確かに、彼等なりの考えがあって行動したのでしょう、、、。
そこは、自分のような傍観者よりは勝ります、、、。
しかし、危険地域でボランティア活動というのはおかしいのでは?
元々、危険地域での活動は軍隊や国連で派遣されたような人たちが為すわけです、、、。
それ以外にはフリーランサーや派遣記者ぐらいです、、、。
中途半端な意識では行けないという事です、、、。
それに殺されても当然のような場所です、、、。そのような場所に行くには途方もない気概が必要です、、、。
なのに、なのにですよ!何が、ボランティアだといいたいわけです、、、。
危険をそこまで意識していない、その感覚が自分はとんでもなく恐ろしい、、、。
なら、殺されたならもっと違う感情を植え付けられただろうという妄想なんですよ、、、。
どうやら、自分は口上の説明が足りな過ぎるようですね、、、。
駄目だな、、、。
>ゆきさん
こんにちは、なでなでですか、、、。
まあ、とりあえず、、、。
なでなでなでなでなで、、、。
う〜ん、少し精神が飛びそうですね、、、。
駄目だな、、、、。
>名無しさん
これはこれは、名無しさん、、、。こんなクソスレに一々、レスしてもらってすいません、、、。
はい、自分は最低で妄想家で悟っているように見える奴ですよ、、、。
でも、大変申し訳ありませんが、、、。悟ったと思った事があるのは小学生から中学生の時だけで、、、。
今思えば、なんと馬鹿な妄想だったんだろうと冷や汗かく事が多々あります、、、。
悟っている事なんて全くありませんよ、、、。残念ながらね、、、。
全ての事は変化し、例え一瞬何かを悟ったとしても、その一瞬後には何も分かりません、、、。
確かに変化しないように見えるものはありますが、それでも見えないだけであって、、、。
微々変化している事には全く変わりないのです、、、。
もしかしたら、あなたが俺を悟ったと思うように見ている事を悟っているからではないですか?
又、自分が有能だと思った事は矢張り、中学生ぐらいまでです、、、。
しかし、ニーチェや過去の大作というモノを読む事によって自分の妄想はくだけました、、、。
そこで、自分は過剰なほどの自殺願望が生まれ、その自殺願望をなんとかして打ち負かした後、、、。
今は、その後発生した過剰な大量虐殺妄想、願望を何とか抑えつけたのです、、、。
自己嫌悪と異常な自己実現欲求を押さえつけているのです、、、、。
まあ、時々ニョロッと出てしまう事はありますが、、、。
読書をする事によって自分の凡人性を証明し続けているのです、、、。
有能だと思い込んでいる人間は他人の意見を聞かないでしょう?
名無しさんがいうように人質事件の被害者には同情の念を送るべきでしょう、、、。
しかし、それは少し理屈っぽく考えていけば反対にふざけんじゃないという事になるのです、、、。
軍隊が行くような場所に行って、外務省からは退避勧告が出ているのに出ない、、、。
当然人質を返してもらう際の裏取り引きがあったでしょう、それは親父達が払っている税金です、、、。
その際には多分、一人億単位の金が支払われたでしょう、、、。
ふざけんじゃないといいたくなるのも当然でしょう、、、。
あっちなみに、「税金を払っていないガキがなにをいう」という愚問は受け付けませんよ、、、。
自分は自分でバイトして、消費税を納めているわけですからね、、、。
>おまい自身が違う考えを持ったヤシに殺されてないとでも思ってんの?
確かにそうですね・・・人の考えは、個々で多種多様、星の数ほどありますよね。
俺の思考も誰かの思考によって否定されていることでしょう・・・
しかし、人々の考えが多種多様であるのと同じく、個人の考えも一つではなく
それこそ、多種多様なことを考えます。結局、他人の考えを全て自分の脳内に
入れることは不可能なわけで、反論しても又、反論が返ってくるように・・・
一個人は様々のことを考えるわけです。
それが、星の数ほど世界に存在しているのですから、うまくコミュニケーション
とらないと大変なことになりますよね・・・イラクもそう・・・
と考えたものの俺は頭悪いですね・・・笑わないでください・・・鬱
>軍隊が行くような場所に行って、外務省からは退避勧告が出ているのに出ない、、、。
あの3人が観光に行ってんならその理屈も通るかも知れないが、人を救う為に行動する人間に対して
その理屈は通らない。
非情な人以下の存在が使うものさしだろ
逝ってよしっ!w
>当然人質を返してもらう際の裏取り引きがあったでしょう、それは親父達が払っている税金です、、、。
>その際には多分、一人億単位の金が支払われたでしょう、、、。
人の命より金の方が大事か?そこが狂ってんだよwww
完全にイカれてるなw
あぅ・・・駄目さんきていらっしゃったのですか・・・
自分は書き込みが遅いのですいません・・・
下手なスレ汚しすみません・・・鬱
続き
当然一人では何もできませんよ、、、。
当然、体は一人では何もできませんし、思考も何かしら刺激がなければ動きません、、、。
自分がほぼ毎日書いている妄言でさえも常に刺激があってこそ成り立っているものなのです、、、。
自分はどこぞの中学生ではないですよ、、、。独りの恐怖を体感してより識ったのですから、、、。
後、自分の妄想が他人に通用するとは当然思ってはいませんよ、、、。
だから、自分はこの板以外は書き込みはしませんし、、、。
ほとんど自スレ以外には書き込みする事はありません、、、。
自分は自分の言葉がどれだけの人間を傷つけるか分かっているから閉じ籠っているわけです、、。
独り言だからこそ、メール欄は下がり過ぎた時以外はsageとなっているわけです、、、。
このようなネット空間でもさえ、倫理観、道徳観を強要されているのですよ無意識に、、、。
あなたはどうもその点での思考が足りないようですね、、、。
なぜこの板が存在するか?なぜageないか?なぜ極論ばっかりいうか?
人と一々干渉しあいたいくはないから、、、。ageは干渉を求める事を意図しているから、、、。
日々言えない黒い部分を慰めるためと考えを徒然書くためです、、、。
ちゃんと自分は自分なりの回答を作っているのです、、、。
その行為が最低人間だという断定につながるならそれはそれで仕方がありません、、、。
名無しさんがおっしゃるように、人は人と共有しあう事はほとんどないのですからね、、、。
最後に、誰かに殺されても文句はいいませんよ、、、。それは、人生の一つの形なのですからね、、、。
後、死ななくても永遠に被害者であるという立場が使えるのですから便利ですよね、、、。
そしたら、加害者は丸損ですよね、、、。批判者が加害者になるのは世の常です、、、。
でも、知恵ある批判者が暴力は使いませんよ、、、。知恵なき批判者が打ちのめされた後に、、、。
する行為なのですから、、、。
人質の人権を守るべきとも
人質は国に迷惑をかけたともメディアは言う。
人質の実家に嫌がらせの電話が殺到だってさ。
くだらないね。
戦争なんか関わらなくても人は毎日ごまんと死んでいくのにさ。
もうさあ、オリンピックで決めたら?
俺の大嫌いなオリンピックでさ。
戦争やったらそりゃ関係ない人も死ぬって。
大騒ぎするなよ。
ああ何が言いたいかわからなくなってきました……。
去ります……。
>名無しさん
人を救う活動は主に軍隊にやらせるべきです、、、。
軍隊には、歩兵や戦車など戦闘的なものと、
救護、工兵なぞ人を救う事や建築物を造るという活動ができるようになってます、、、。
まず、治安が治まってから為すべきでしょう順番が違うと思います、、、。
確かに、ボランティアでも軍隊、いや軍隊以上の気概がある人なら問題はないと思います、、、。
だけど、彼等からはそのような気概を感じ取られないと自分は言っているのです、、、。
あえて、極論から攻めていったのは俺の癖なんですが、、、。
もんじゃに例えれば簡単です、、、。もんじゃは周りにキャベツの山を作ってから流すように、、、。
自分は山から作ってから、内に入れていくというタイプですから悪い癖なんですが、、、。治らなくて、、、。
だから、自分は狂っていますよ、、、。そこは肯定します、、、。
でもですよ、、、。人の命の問題ではなくて、、、。
自分の命を重く考える人間ならそんなところには生きません、普通はですよ、、、。
自分の命を軽んじても、ボランティアをするんだという意識なら問題はありません、、、。
一番の問題は、それを考慮していないでボランティアに行った彼等に問題があるんではないですか?
あなたはどうも矛先を間違っているようですね、、、。
あなたはその事をこんな傍観者にいうのではなく彼等にいう必要があるのではないのですか?
ちなみに、言っときますが自分はボランティア活動は何度もした事があります、、、。
まあ、正確にはボーイスカウトで奉仕活動というべきなのですが、、、。
ボランティア活動をすることは何かしらの使命感が満たされる気がします、、、。
その使命感が満たされる事と命はイコールになるとお考えなのですか?
そうお考えなら、それは正しいでしょう、、、。
自分はそうではないと考えているという差なのですから、、、。
>はとポッポさん
いや、レスして下さる方は大歓迎ですから、、、。自分の思考のためにね、、、。
とりあえず、塾なんでこの場を失礼します、、、。
はあ、駄目だな、、、。
まー屁理屈というか、捻くれてるというか・・・ヤレヤレだなこれはwww
自分は狂ってるんだと認めるなら自己主張なんかするな
もう何も言わないが、明らかにおまいは屈折してる
しかもそれを自分だと肯定している
盲目的すぎて笑えるがその滑稽さに気付いてないしな
このスレが鏡に写るおまいの心なら、恥ずかしくなる程醜いっていうことだ
他人はそう思うだろう
おまいの論理には魅力などないからな、すなわちそれはおまい自身の存在そのもの
殺されても文句を言わない時点で人生をなめてるしな
ふざけんな、この甘ちゃんwwwwwww
だめだめさん。なでなで。深刻なのは当の家族だけ。
殆どの人は単なる興味でイラクの情勢を見守っていたでしょう。
高齢者が多いから若い人が死ぬのはよろしくないと思うけど。
感情的になったら疲れますよ。
だめだめたん。頑張れ。私は1歳に退行してます。。。
>オールさん
そりゃ、そうなんですよ、、、。全ては第三者の事象なんですよ、、、。
自分には全く関係ない事象なんですよ、、、。彼等が殺されようがなにしようが、、、。
関係ないんですよね、、、。まあどうでもいい事なんですよ、、、。
又、いつでも来て下さいな、、、。
>名無しさん
いや、逆ですよ、、、。狂っている人間こそ主張したがるものです、、、。
故に狂っているんですよ、、、。さも、正しいかの如く叫びたがるのです、、、。
ヒットラー、レーニン、ニーチェ、又、彼等の発言は一抹の魅力があります、、、。
自分の思考がおよびつかない狂者には恐ろしい、力があるのです、、、。
多分、自分はそこまでいけませんがね、、、。
又、屈折している部分は誰も持っているのではないのですか?
折れ曲がっていな人なんて、自分は見た事がありませんよ、、、。
どこかしら、誰もが折れ曲がっているからその折れ曲がっている事を全否定するのではないですか?
否定したいから、自分の折れ曲がっているところを見ない事にする、、、。
それこそ、盲目的なのではないでしょうか?
自分の心は大変醜いですよ、、、。その醜さも独り言なのですから、、、。
その点ではこの板は非常に寛容的なのですから、、、。
悪用させてもらっているという事なのです、、、。
独り言はほとんど人に見せるためではない黒い部分を徒然書かせているという、、、。
清いほどの背反があるんですよ、、、。その背反は認めなければなりません、、、。
人にはそういう欲求があるのですから、、、。
続き
自分には全く魅力がありませんよ、、、。
魅力がないのであれば、そもそもあなたが俺のスレに書き込む事が間違っていたのです、、、。
そのスレ主の文体を見て、自分には適さないと思えば普通は書き込みませんよ、、、。
だから、自分は一番最初にスレ主が自己欺瞞な事をほざくので、、、。
そういうのが嫌いな人は読むのをお止め下さいと断っているのです、、、。
あなたはどうやら人の断わりを無視して、自分自身をわざわざ不快にしたのですから、、、。
自業自得なのですよ、、、。
あなたは、そういう点を俺になすりつつけて自分で納得しているのです、、、。
でも、それ以前にあなたが書き込んだ事は些少でも俺の文に魅力を感じたからではないのですか?
魅力が本当にない人間なら無視しますよ、、、。普通はね、、、。
最後に、殺されたら文句はいえませんよ、、、。死んだら、自分の体は動かないのですから、、、。
人生をなめているのはあなたではないのですか?
そもそも、こちらがなるべくへたれでも論理的に答えようとしているのを、、、。
貴方は貴方の自尊のために、人を納得させるような発言しないで感情で対応しているのではないですか、、、。
「非情」「甘ちゃん」「逝ってよし」「イカレテイル」など断定句を用いるだけで、、、。
俺の言っている、所を全く考慮せず決めつけているだけじゃないですか、、、。
それこそ、甘ちゃんではないのですか?
自分の気に入らない発言を完全に無視して、どうでもいいところだけをちゅうちゃくをつける、、、。
それこそ、ガキのやる事ではないのですか?
情緒的ではなく、論理的に人を納得できるような回答を願います、、、。
>ゆきさん
そうでしたね、俺らは傍観者なのですから下らない事を書いていけばいいのですから、、、。
毎日の日常で精いっぱいだという事を忘れていましたよ、、、。
はあ、まだ未熟だな、、、。
駄目だな、、、、。
感情というものはあまりにも不安定で駄目ですね、、、。
いや、思考も全てが感情でうごくものだから、、、。
人の感情や顔が非情に不安定によくうごくのと同じですね、、、。
理性的なものなんてないのですね、、、。
理というモノは拡大していきます、、、。又、その理と対するものも拡大していきます、、、。
どこが、理で、、、。どこが、理ではないといわれているものなのか、、、。
全く分かんなくなっていくのです、、、。
捉えうるものなんてないんです、、、。自分がなぜ自分なのかが分からないのと同じようで、、、。
自分は一様、今意識している、、、。ここにいる自分がもっとも自分なんですね、、、。
まあ、超越論的に言ってても切りがない事はどうしようもないのですがね、、、。
全てを作りうる事ができる論理は存在しやしないのです、、、。
妄想と幻想に打ち勝つだけの現実はあまりにも弱々しいものです、、、。
なぜなら、人は現実を重視するより、、、。妄想や幻想を重視することが幸せなのですから、、、。
あなた方が問う、現実というモノは一つは現実ではなく、、、。
現実というモノを見据えたと思っている思考から生じた妄想という面もあります、、、。
全ては思考というフィルターをとおす事によって現実というものは、、、。
想像、幻想、空想、へたしたら妄想というふうに称されるわけです、、、。
ただ、その人の現実という感じ方、価値観がさも共通かされやすいだけというだけなのです、、、。
どうやら、たった思考の違いが全否定の理由になるようですね、、、。
まあ、それはし方がないのですがね、、、。
それを、受容せねば、、、。人の思考を知ろうとする事はできえないのですから、、、。
はあ駄目だな、、、。
後、いい忘れましたが、、、。
名無しさんありがとうございました、、、。日々の思考のためのいい刺激になりました、、、。
はあ、駄目だな、、、。
こんばんは。
私は看護学生なのに、正直いうと、人と話すのが怖いです。
だから笑ってごまかしたり、本音をいいません。実習も不誠実です。
病人はいつも苦痛だし、100パーセント需要できるわけありません。
なかには心から献身的な人がいるけど、ほとんど、偽善的なのではないかと思います。
自分のために。
傾聴とか、かっこいい言葉を並べてるけど、自分でわらっちゃいそうです。
そううつで今日はかなりブルーですが、休まずなんとかいきました。
今は外来だからいいけど。。。
週刊誌で死体とかのってたけど、死に方は、、死ぬことは尊いかもしれません。
生まれてくることも、生きていくことも。
私は母親が風邪薬飲んでたから父親(離婚)が堕胎することをいったらしいです。
今も父親と交流ありません。交流はかろうとしてもだめでした。
親なのに他人。他人だったらなおさら。
だから私は3度くらい死に掛けました。生まれてくることすら否定されてました。
これからは駆け込み寺ではないけど、秘湯や隠れ家を探したり、おいしいラーメン
屋さんを探したり、年に一度は海外にいって、魂をあそばせようと思います。
実は私ヒトラー好きです。
>ゆきタン
ガンバっ!!!!!!!www
ありがたふ
>ゆきさん
すいません、、、。規制を受けていました、、、。
後、前使っていたのに戻しました、、、。
いや、大丈夫ですよ、、、。人が恐く感じる人ほど、優しく接するのですから、、、。
看護師さんは、人の複雑な感情を深く感覚で知っているほうがいいのですから、、、。
不誠実でいいんですよ、、、。誠実さなんて偽善なのですからね、、、。
誠実に答えろという人間が全く不誠実であるのと同じようにね、、、。
死ぬ事は尊い事かは自分には分かりません、、、。もしかしたら、生きている事さえ尊い事か分からない、、、。
生きる事が意味ではないし、死ぬ事が意味ではない、、、。
意味や価値は自分が作るものではなく、常に自分以外の人間が人を決めつける際に使われるだけです、、、。
尊いというのは一つの価値ではないでしょうか?価値を越えたところに意味があるのですから、、、。
尊いという言葉は何も死や生というモノを全く表していないんですね、、、。
親でも、何でも殺してしまえばただの肉塊です、、、。
でも、人はその肉塊さえも意味を持たせたがる、、、。いや、意味を持たせねば自分という存在が分からなくなる、、、。
生きる、、、。という事の連綿が続いてく事によって死は意味を持つのです、、、。
例えば、たくさんの孫と子供といとこ、はとこに囲まれて亡くなっておじいさんやおばあさん、、、。
と独りで死んでいった人間とでは、その死に対する価値や意味は相当違うはずです、、、。
その際に頻繁に使われるのが尊いと言う言葉なのです、、、。
自分達は全ての物事に差異を見つけねば生きていけない生き物です、、、。
より、意味や価値が高い方がいいからですよ、、、。
ちなみに、ゆきさんのお父さんが堕胎させようとした理由は多分、、、。
薬とかを与えると奇形が生まれるという考えで堕胎させようとしたんだと思います、、、。
何せ、自分達は生まれた時に彼の命が出てきたと自分達は考えているのですから、、、。
続き
だから、そのようなトラウマの関係がある親とは確執がどうしても起ってしまいますね、、、。
ちなみに、自分は学校生活ではほどほどに知り合いと話してそれ以上の関係はとらない、、、。
人というモノの恐さを知っているからです、、、。
人の優しさ何ぞ、仮面に過ぎない、、、。その下にはどす黒く塗られたものしか存在しないのです、、、。
でも、そのどす黒さも仮面かもしれません、、、。仮面の下には顔はないんですよ、、、。
だから、人は個性や個人の性格という名の上で仮面をかぶり続けるんですね、、、。
仮面の下には自分自身というモノは一片もないのにね、、、。
そうですね、旅行とかはひょっとした休みがあるさいによく行くといいですよ、、、。
全く自分を知らないおばちゃんとかと何となく世間話したり、、、。
居酒屋にいって、ご当地のうまいものを教えてもらって、世間話やご当地の話をしたり、、、。
各駅の電車の中で、その土地の方言を聞いていると、ああ来たんだなあと感じられますしね、、、。
まあ、一々干渉するような人間がいないというのが一番楽な理由ですけどね、、、。
ヒットラーは自分も大好きですよ、、、。
ちなみに、自分の話ですが、、、。自分は、支那豚とホワイトピッグとユダヤ人が嫌いです、、、。
(嫌いな理由は多分いずれ話すと思います)
ヒットラーはユダヤ人を大量に殺した事はすごいと思いますね、、、。
そこまで、自分の持っている論理を教条化させて、それを武の力にしたのですからね、、、。
普通はそこまでできません、、、。その点ではどんな事をいわれようとも英雄だと思いますね、、、。
ただ、彼自身ユダヤの血が入っていたらしく、その上での同族嫌悪というネタもあるのですがね、、、。
でも、常人が為せなかった事をできた人間は、名声だろ悪雄だろ、、、。
すごいと俺は思いますね、、、。
だから、俺は凡人、幸せで自分の慮見内を見てればいいという存在、、、。
駄目だな、、、、。
こんばんは。
ずっとおきてます。テスト勉強もせず (涙)
朝がくるとほっとしますね。
今平家落人伝説に夢中です。。。あと、軍服に異様に興味をずっと持ってます。
特攻隊の基地である知覧だったかな?鹿児島今年住にいってみたいところです。
私は国語専門だったんですが、編入したくなりました (汗)
編入結構真剣に考えています。
この年になってなにを考えているんだとまわりからいわれそうです。
いつもふらふらと考えてきて、勉強したくなりました。
もう、子供並みの好奇心で大変です。
ヒトラーは自分が思うに独占浴強いと思います。自分が芸術家になれなかったために
やきつくし。むちゃくちゃだけど、せつなくなります。
だめさんのお話好きです。ずっとピュアになってたぶんひらきなおってきました。
せめるときはせめるけど、やっぱりピュアがいいです。
ずっと涙することはわすれないようにします。
毎晩だめさんの話ききたいです。だめじゃないよ。^^
それだけの思考素敵です。
>その点ではどんな事をいわれようとも英雄だと思いますね、、、。
ドイツ人にそれ言ってみ、殺されるからwww
おまえここは一応ネットだからな
何言ってもイイってことじゃないぞ
ガキだからって許されるもんじゃないぞ
とりあえずドイツ逝ってこい!wwww
ちなみに、自分は学校生活ではほどほどに知り合いと話してそれ以上の関係はとらない、、、。
人というモノの恐さを知っているからです、、、。
人の優しさ何ぞ、仮面に過ぎない、、、。その下にはどす黒く塗られたものしか存在しないのです、、、。
10年ちょっとの偏った人生経験で勝手に決めつけんな
人なんて人それぞれなんだよ
みな一概にこうだとは言えない
おまえがそう思うのはおまえ自身の心がどす黒いからで
またそういう視点でしか物事が見れないから
他人までそう見えてしまうだけ
おまえというちっぽけな個人にすべての人間の心の内まで決められるはずもない
勘違いもいいかげんにしろっ!何を勉強してんだか、コイツはwwwwwwwww
おまえの文に魅力があるからじゃなくて
あまりにもバカすぎてヤレヤレって感じで書き込んでますwww
>ゆきさん
一様、テスト勉強だけはしといたほうがいいかと、、、。焦ると辛いですから、、、。
朝が来る事の安心感はよくわかりますね、、、。不安で何が起るか分からない夜を、、、。
じっと待って、ふと明るくなってくる事がどれだけ安心か分かりますね、、、。
本当に明かりがここにしかない無人駅で独り寝袋敷いて寝た時の恐さは思い出したくないぐらいですね、、、。
いや、知識欲旺盛な事は非常にいい事ですよ、、、。人生は一度しかないのですから、、、。
知りたい事は何でもするべきだと思います、、、。そうすると、俺みたいに偏ってしまうのだが、、、。
まあ、俺の場合は悪い見本だと思って下さいな、、、。
多分、ヒットラーは被害妄想が強い人間だったんだと俺は思う、、、。
ヒットラーの写真を見てみるとよく分かるんですが、、、。目の隈がひどいですよね、、、。
大抵のヒットラーの写真は威風堂々としているんだけど、、、。
下には、莫大な何かが眠っているように感じられた、、、。
何か、自分と同族な感覚がした、、、。妄想家、空想、詐欺師、自己欺瞞の塊、、、。
あの濃い目の隈になぜか同族感を感じられたんだ、、、。
後、手塚治虫のアドルフに告ぐという漫画があるんだけど、、、。
そっちの方が一番分かりやすいと思うから、、、。興味があったら読んで下さいな、、、。
まあ、自分は自分を駄目としておいたほうがいいんです、、、。
もし、俺のそこの方に過剰すぎる被害妄想があるからです、、、。
被害妄想を潰すには否定語句で潰しといて、放置しておけばいいんです、、、。
それが、駄目だな、、、。という決め台詞?みたいなもんだとおもいます、、、。
はあ、駄目だな、、、。
>名無しさん
又、レスありがとうございます、、、。
まず、ドイツ人ではなく、フランス人やユダヤ人のような気がしますね、、、。
確かに、ナチスはドイツ国内に対しても、身体、精神障害者、同性愛者等を殺しましたし、、、。
禁酒や、禁煙などよく分からない法律を作りましたしね、、、。
でも、自分は彼等の前ではそんな事はいいませんよ、、、。
どうせ、あのスレの議論のようにドツボに嵌っていくだけだからね、、、。
どうも、どんな議論でも情緒というものが入り過ぎると話しが混乱していきますね、、、。
感情が入る理由は自分の権利や概念を押し付けたがるという面もあるのですが、、、、。
それは、仕方がないですね、、、。議論はそうやって嵌っていくのですから、、、。
話は戻して、、、。なぜ英雄か、、、。それは俺みたいな常人がなし得ていない事をなし得ているからです、、、。
悪雄にしろ、名雄にしろ自分みたいな常人以上の事をなし得ているのですから、、、。
だから、英雄は正しい人間ではなく、間違った(とされている)人間でさえ受容するのだと俺は考えてます、、、。
結局は、英雄という意味をどこから、どこまでと考えているかの差なのだと思います、、、。
確かに、人はそれぞれです、、、。人は一概にいう事はできません、、、。
でも、人間の根幹は自分のためにです、、、。この自分のためにという概念は行き過ぎれば、、、。
当然、悪という形にもなり、善という形になるのです、、、、。
では、人はなぜ善を為すか、、、。それは、何ものかによって讃えられる、肯定されるためにです、、、。
一様、そうではないという人は当然いるでしょうが、、、。でも、、、。
人が何かを行動する際、何かしらの結果を求めるのは必然です、、、。
それがボランティアの哀しさなんではないでしょうか?
善を求めたいとしても、それにたいしての恩賞も求めてしまう、、、。
続き
まあ、話はまた戻して、、、。
清い善も、怒りも、どす黒い悪も、何も感じていない事も、、、。
仮面かもしれない、、、。どれが顔かは自分も分かりません、、、。
でも、分かる事はどの仮面も仮面に過ぎず、、、。多分、本当の顔は何もないのかもしれません、、、。
だけど、何かがあると思います、、、。それは己という顔なのではないでしょうか?
善も、悪もそれ以外の仮面自体を全く無意味にしてしまうようなね、、、。
他人というものが分からないから、自分達は人をさも自分が思っているように捉えてしまうのでは?
人は独善的なものです、、、、。独善的だから、、、。社会規範を叩き込んでいくのでは?
でも、叩き込んでも分からない部分はあります、、、。人の感情を知るにも限界があります、、、。
視点を広げろなんてよく分からない市民主義者が言いそうな言葉ですよ、、、。
視点を広げても、その視点の見方が独善的ならどうしようもないでしょうに、、、。
まあ、自分が黒々しくて醜い事は正しいですがね、、、。
自分は勉強なんてほとんどしませんよ、、、。客観的事実なんて信じられますか?
その、客観的事実さえも、何かしらの主観的なものを通してでしか見えないだと思います、、、。
まあ、自分達は客観的事実を信じていても、、、。それは自分に都合のいい客観的事実に過ぎません、、、。
例えば、宗教裁判によってガリレオ・ガリレイは地動説という考えを捨てさせられました、、、。
その際の、彼等の客観的事実はあくまでも天が回っている天動説だったからです、、、。
今では、逆転していますよ、、、。天動説は客観的事実ではないと、、、。
そうすると、客観的なものというのが分からなくなってしまうのです、、、。
全てが主観的なものなのです、、、。
>視点を広げても、その視点の見方が独善的ならどうしようもないでしょうに、、、
何故だ?それでも確実に本人は変わっていく
行動もせず、ただ頭で考えて世の中が分かると思うな
お前の悪いくせは何でもあたまで処理することだ
スポーツでも一生懸命にしてみろ
変わるぞ
続き
まあ、馬鹿な事は正しいですね、、、。馬鹿な事を言っているな俺って自分突っ込みすることがあるから、、、。
では、馬鹿な事に魅力や面白みを感じているからではないでしょうか、、、。
いや、見下げているでもいい、、、。なにかしら、興味があるからでしょう、、、。
興味があるから書き込む、、、。そうじゃなかったら人は何も行動起こしませんよね、、、。
自分は妄想者ですね、、、。
妄想者であることはまだいい方で、、、。それを、実行に起こしてしまうのがまずいんですよね、、、。
自分は一様その点はわきまえてますよ、、、。
できうる事とできえない事は分かっています、、、。
分かっているから、、、。叫びたい時がある、、、。
だから、妄想者なのですね、、、。
色々な白い目線を受けねばならない、、、。妄想者なんだね、、、。
はあ、駄目だな、、、。
駄目だ駄目だって言ってたら、本当にそうなっていくぞ
言霊だし
はぁ・・・とか、言うのもヤメレ
まぢ、駄目になってくぞ
考えてないで走ってこいっ!
>名無しさん
それは、視点から得た情報というものが最終的に処理される場所はどこですか、、、。
といったら、、、。答えは自分の頭なんですよね、、、。
自分の頭の中に入っているものは人と合しやすいもの、又はその反対、、、。
それ以外でも、他人が分からないようなもの、自分もよく分からないものと、、、。
色々と存在しているわけです、、、。
変わっていくとしても、その人の髄というモノは変わらないと思います、、、。
どうやら、自分の悪いところは考えるという癖が髄まで汚染しているところにあるかと思います、、。
一様ですが、このような癖に汚染される前の中学生の時代、、、。
俺は野球をやっていたんですよね、、、。すごい真面目ではないけど、、、。
練習には塾以外出てましたし、うまくはなかったけど補欠で出してもらえたりね、、、。
体を動かす事は嫌いではなかったから、、、。程々にやっていたら、、、。
なぜ、おれはこんな事をやっているんだろうと一時期思いふけって、、、。
最終的には止めてしまいましたね、、、。
体を動かしても、見つからないし、頭を動かしても、見つからない、、、。
何が見つからないか、、、。さあ、何でしょうね、、、。だから、生きているんですね、、、。
ちなみに、小学は最初が野球、サッカークラブで、中学は野球部で、止めて、、。
高校は鉄道研究部で、かつ止めて、、、。どうやら、何処かに居続けるというのが嫌いなのかもしれません、、。
違うよ
バランスが大事なんだ
いまのおまえは頭ばっかり使ってるだろ
だから、考えが陰鬱になって悪循環するんだ
からだ動かせば今の偏った状況から少しは前進できるって言ってる
それでも、そこでまたあたまで処理するなよ
とりあえずやってみれ
続き
走っても、なんで俺は走っているんだろう?
と考え続けるのが落ちです、、、、。
いや、皆生きる事を走っているんですね、、、。
走る事に没頭して、、、。前へ、前へと一生懸命生きているんです、、、。
ただ、自分は走る事をめんどくさく感じている適当に歩いている連中なんです、、、。
適当に生きている人間はまともな人間にならんと言う言葉にあるように、、、。
多分、まともな人間にならんと思います、、、。
ただ、、、、。まともじゃない分、、、。違う方向で見る事ができるという事なんです、、、。
それが、自分の場合かってに動く腐れ脳みそがやってくれるという事なのです、、、。
自分が最も駄目な点は、思考が体の前を行き過ぎてしまっているという事にあるんだと思います、、、。
体と思考が反比例している状態が続いてきてしまっているというというところですね、、、。
でも、体が先に行き過ぎた事も多々ありますがね、、、。
そこで用いられたのが文武両道という言葉なんだと思います、、、。
どっちかに偏り過ぎてしまったが故に起きる異常という奴ですかね、、、。
だけど、正常というモノはなんでしょうかね?
税金を納める事、常識内の行動を取る事、偏っていない事、勉強する事、、、。
などなど多分あげていけばこれ又切りがないですよね、、、、。
正常というものは自分達がさも正しいとしている事に過ぎないんでは?
だが、自分にもよくは分かりません、、、。
ただいえる事は自分は異常者という事だけです、、、。
異常者としといたほうがいいという事ですね、、、。
だから、自己否定をかねて駄目だな、、、。と言っているわけなんです、、、。
故に、駄目か、、、。駄目だな、、、。
ああ、七時か、、、。来年に向けて勉強をはじめないと、、、。
さて、勉強をはじめないとうだうだ親にいわれるな、、、。
まあ、どこまでおっしゃるなら、、、。散歩からでもはじめますか、、、。
おっさんだな俺って、、、。
駄目だな、、、。
すいません、、。ど、じゃなくて、そ、ね、、、。
≧▽≦勉強せずテストうけました。それも前の授業遅刻して。。。。
同じグループの人がまだきてませんっていったらしくて。。。ま、ぎりぎりにいったんですけどね。
もうゆらゆら流れます。
8割しかとれてません。わかんないところはあとで覚えます。
眠れないです。夜早く寝るようにしよっと。
またなでなでしてください。/▽\
>ゆきさん
まあ、重要な授業は一様きちっと受けときましょう、、、。
じゃないと、自作自演の何処かの馬鹿3人左翼組になってしまいますよ、、、。
覚えられる事は覚えてしまいませう、、、。
眠れない時は何かとんでもなく難しい本を読みませう、、、。一発でやんすよ、、、。
はあ、またですか、、、。
まあいいや、なでなでなでなでなでなで、、、。
まあ、猫を飼っていましたから、、、。
何かを、撫でる事は好きだからいいんですけどね、、、。
そういえば、知り合いに猫みたいな奴がいて、、、。
男なんだけど、、、。おもしろ半分で頭をねこのように撫でてやったら、、、。
何か変な気持ちがしてきた事があったなあ、、、。
そりゃそうだろうな、、、。男子校に3年いればそうなるかもなあ、、、。
色んなものに耐性ができてくることは何にしろいい事だろうな、、、。
ちなみに、俺のストライクゾーンは三歳から、四十歳だそうです、、、。
又、ショタとロリは同じようなものだと考えているから、、、。
少年も入っているんだろうなあ、、、。
性というものがドンドン倒錯してゆくな、、、。でも、男じゃマスターベーションはできねえな、、、。
まあ、それがそういう意味では正常なのだから、、、。いいんだけどさ、、、。
はあ、駄目だな、、、、。
今、米国映画を見ているんだけどさ、、、。
軍隊内で発せいしたいじめによって、殺された事で、、、。
軍事法廷が開かれ、弁護側と検察側の弁説による見事な対決が、、、。
という事なんだけど、、、。これが、日本の法廷なら全然正反対なんだよね、、、。
まあ、今の法律というモノの概念が、、、。
「100人の犯罪者を無罪にしても、1人の冤罪者を出させない」という概念だから、、、。
日本の裁判は自動的に長引いてしまう、、、。そのような概念を持ち続けているからだ、、、。
例えば、日本で起きた重大事件とアメリカの場合の違いは、、、。
アメリカの裁判は早急にかたずけようとします、、、。
それは当然、新しい情報はなるべく早くに処理するという基本に基づいています、、、。
ここで、「裁判は人間を扱っているのだから、そのような事は非人道的だ」
とおっしゃる方も多いかと思います、、、。
しかし、民主主義というのは極めて行くと法律原理主義的になってしまうのです、、、。
そこには、感情も何も用いる必要はありません、、、。
公正に法律に従っていけば、、、。一々、感情論を用いる理由はないのですから、、、。
また、他にも、、、。
「法律と言っても、人間が作るものだから欠陥がある事は確かだ。
実例で、上げるならば大蔵官僚が作った総量規制でバブルがいきなり弾けて。
今、このような状態になってしまったではないか?」
確かに、それ故新たな法律を作る際には十分な議論をするべきなんです、、、。
しかし、一番の問題はそれ以前の問題があって、、、。
日本には、真の意味での市民主義というのは持ちうる事がないという事なのです、、、。
市民とは単純にいうなれば、プチブルジュアジーのことです、、、。
>自作自演の何処かの馬鹿3人左翼組になってしまいますよ、、、。
自演でも馬鹿でもないぞ
右翼より左翼の方が賢い
社会的認識に欠けるから学校以外の事については断言しないようにねw
かけるかな、、、。
>名無しさん
右翼より左翼が賢いんですか、、、。むしろ、活動家という存在自体馬鹿なのでは?
まず、社会認識的に考えて下さい、、、。
右翼というのは、行き過ぎた皇統思想とも取れますし、反アメリカという保守思想という面も取れます、、、。
左翼は、市民主義者、マルクス共産思想、又は、柔らかくいえば社会主義者ともいえます、、、。
元々、左翼というのはフランス議会の時に革新主義者、民主主義者が左側の席に座ったからといわれています、、、。
右翼はこの逆で、保守主義者、封建主義者が右側の席に座ったからといわれています、、、。
だから、社会、共産党などは左側に座り、民主党などは右側に座るんですね、、、。
社会主義というのはものすごく単純にいえば、福祉国家を目指す事です、、、。
しかし、社会主義をつめていくとフィンランドのような税率七十%などになり、、、。
又、社会主義はその国の経済等が上向きであれば、、、。
平等に金持ちになっていく事であり、逆に、その国の経済が下向きになれば、、、。
平等に貧しくなっていくという極端な形になってしまいます、、、。
まあ、極端にいえば民主主義という思想はあまりにも寛容です、、、。
民主主義が派生していったものが共産、社会主義であり、、、。
同時に、民主主義は真の意味での独裁者を作ります、、、。
それはなぜか?
ここで、民と言う言葉が出てきます、、、。ちなみに、支那語で民というのは、、、。
盲、眠、と同じ発音をし、、。この意味は目を潰された奴隷という意味を持っています、、、。
民主主義での民というモノは知恵や教養をもったいい意味での市民ではなく、、、。
感情や、情報に簡単に動かされてしまう、、、。愚民、大衆を意味しているのです、、、。
それにより、台頭したのが毛沢東の中国共産党であり、レーニンのソ連だったのです、、、。
ここで、市民主義と共産主義は繋がりません、、、。
市民主義は扇動者を嫌み、教養を所持しようとするものであり、、、。
共産主義は扇動者を好み、無教養なモノを煽動する事により成り立っているわけです、、、。
続き
そうすると、左翼というモノは矛盾している形を持っている事になります、、、。
そもそも、共産主義は裕福で社会情勢が安定しており、教養を等しく持っている国ではなかったら、、、。
成功しないといわれています、、、。単純にいうなれば、市民主義が共産主義を迎合しない限り、、、。
共産主義は成功しないという事なのです、、、。
ロシアという場所は元々は流刑場で重大犯罪者が流されてくる国だったのです、、、。
そのような貧しい場所にしか、共産主義は成功しなかったのです、、、。
逆に、共産主義は失敗するべく、失敗したのです、、、。
これに変わって支那はもっと違う国の様相を持ちます、、、。
支那という国はまず、国家というモノ自体非常に不安定な形を持ちます、、、。
それはなぜかというと、、、。
まず、人を敵だとしてみるからです、、、。敵だとしてみるから形上友好という形をとり、、、。
その、人間が役に立たないとしたらすぐに切り捨てるという手段をとります、、、。
全てにおいて自己中心主義であり、事大主義で、拡大主義で、道徳主義であります、、、。
この場合の道徳は自分の外にあるものであり、、、。自分で自分を縛るような道徳性を所持してません、、、。
故に、他人が見ていないところで何をしているか全く分からないのが支那人で、、、。
すぐに、裏の組織を作るのはそこに理由があります、、、。
単純に、そうしなければいきていけなかった、、、。
相手を騙さなければ、殺されるという風土に生まれたからです、、。
まあ、脱線したので戻して、、、。
支那の共産主義はあくまでも、易性革命で共産党が支那大陸を統一しただけであり、、、。
根本的なものは何も変化はしていません、、、。理由ズケに共産主義を利用しただけの、、、。
ただの皇帝主義みたいなものです、、、。
後、支那の場合都合が悪くなると都合がいい方に勝手に動かすという、、、。
癖を持っていますからね、、、。共産主義なのに資本主義を導入する、、、。
矛盾をおかしても、さも正しいかの如く振舞っているのが支那式なのです、、、。
続き
変わりに極端な右翼等も同じで、、、。根幹は極端な左翼と同じ社会主義です、、、。
5・15事件、2・26事件の際の青年将校が影響を受けたとされている北一輝は社会主義であった、、、。
と同じようなものです、、、。犬養らを殺す事によって変化させる(革命)させる、、、。
と考えていたわけですから、、、。左翼も右翼も同じで、、、。
どこに重きを置いているかで全く違うように見えるという事なのです、、、。
左翼は、ここは民にして、、、。極端な右翼は、天皇においているという差なのです、、、。
まあ、左翼にしろ右翼にしろ思想的に偏ったろくでもない奴らというのが普通でしょうな、、、。
だって単純でしょ、、、。馬鹿らしく1人では何もできないから、、、。
群れて、団体で持ってなんか主張をする、、、。
それは、何も背負いきれない子供がやるような事なのですよ、、、。
自分はまだ子供ですよ、、、。だが、自分の意見をゴリ押す気にはならない、、、。
その、謙虚さはまだ持ち歩いているわけです、、、。
謙虚さを持ち歩いていない人間なら政治板とかで、主張しているでしょう、、、。
それは、この空間にも社会的なものが眠っていると自分は感じているわけです、、、。
だから、普通の人は紛争中のイラクにはいかないし、、、。
捕まっても、助けてくれとはいえない、、、。それは普通の人には備わっている、、、。
自己責任という考えがありますからね、、、。
まあ、自分の考えは極端である事は確かですね、、、。
なんでだろうなあ、、、。変な本を買わないようにしているんだがなあ、、、。
はあ、駄目だな、、、。
自演の話の方はこちらのコピペを論破してください、、、。
486:こぴぺ:04/04/09 23:15 ID:pAfyHT4T
前代未聞のヤラセ劇!!!【歴史の残る「自演隊」ズッコケサヨ3人組!】
・犯行声明文になぜか宗教的修辞が皆無。
・犯行声明文にイスラム暦でなくなぜか「西暦」が使われている。
・3日以内に撤退することは不可能と知りながら要求するのはなぜか。
・アルジャジーラTVは、このテログループを今まで全く聞いた事がなく、本当に実在するか怪しいグループと報道。
・企業関係者、大手マスコミ、大手NGOがバクダッドにいるにも関わらず、
なぜ、弱小市民活動家とフリージャーナリストをターゲットにするのか。
・身分証明書ではない単なる朝日新聞の「入館証」がテレビに放映された謎。
・そもそも金銭の要求も米国への要求もせず、犯行グループの主張がなぜか「自衛隊撤退」一点張り。
・そもそも自衛隊派遣はイラクでは好意的に受け止められている。
・丸腰の日本人を拘束するだけで、なぜか狭い室内で爆撃能力のあるロケットランチャーを手にする男。
・手馴れた撮影や、驚異的なスピードで各種報道機関に映像をCD-Rやテープを送る迅速性。
・手錠も足かせも無く、身体の拘束は無く目隠ししたりしなかったりリラックスした表情で談笑しているのはなぜか。
・本来、紛争地域では絶対に持ち歩かないパスポート(普通はパスポートのコピー)を、なぜか三人とも持っていた。
・どういうわけか被害者にも家族にも、何の危機感も感じられない雰囲気。
・同時期に誘拐&釈放された韓国人がいたが、なぜ韓国軍は増員しているのに釈放され、こっちは自衛隊撤退要求なのか。
・テロ予告もされており日本人が標的になるのは自明にもかかわらず、なぜかもっとも危険なバクダット入りをしようとした。
・被害者のひとりが事件をほのめかせる投稿を書き込んだと思われるBBSが閉鎖されている。
・なぜか3人とも以前から自衛隊反対のサヨク活動家。
このコピペをかいた人を右翼と断定するのでしたらおかまいなくして下さい、、、。
そうなると、サヨクは感情で決めつける、、、。右翼と同じになりますよ、、、。
まあ、集団で群れる人間に賢なる人間はいたためしが無いのですから、、、。
駄目だな、、、。
色んなものが、積まれていくなあ、、、。
自分の思考も何もかもがつもりに積もっているな、、、。
ちなみに、俺は読んだ本や漫画、エロ本を捨てられない達で、、、。
本棚が本当にヤバい状態なんですよね、、、。
それは置いといて、、、。
本や漫画が積もっていくという事は俺の脳みその中も積もっていく事になる、、、。
積もっていくとおれはどこにいくんだろうと、、、。ツイツイ考えてしまうんだよね、、、。
俺がよくやる事なんだけど、、、。自分の部屋が一番良く見渡せるところに立ってみる、、、。
そうすると、なぜか第三者的に遠く見えるんだよね、、、。
俺が死んでいくのはこんなところで死んでいくのかなあとか、、、。
本がたくさんをおいてあるけどこいつの人生は本で埋もれていくんだろうなあとか、、、。
俺の人生というモノはこの先を含めなんだろうか、、、。
いや、人生という大きな川の水をわざわざコップですくう必要は無い、、、。
考える事が無駄なのではなく、、、。人は自分という立場を今という立場でしか見る事ができない、、、。
その今という単位は常に変化し、おれが死んでいくまで今というモノは随時、更新される、、、。
その際に過去と今の対比を一々用いる必要は無い、、、。
変化してしまった事は帰ってこいと言っても帰ってくるものではない、、、。
昔を希求していても、何も始まる事は無いのだからね、、、。
故にひとは栄光あると思い込んでいる過去に寄りすがってしまう、、、。
しかし、だからといって歴史を否定してしまっていいという問題ではない、、、。
歴史は随時、自分の体に刻まれていく、その痕跡は荼毘にふくされない限り、、、。
白骨いや、、、。その骨さえも、土に吸収されて完璧に消えない限り、、、。
残され続けるのですね、、、。永久に本当の意味で死ねないんだよ、、、。
哀しいなあ、、、。駄目だな、、、。
限りが無い、、、。
まあ、夕日が綺麗だ、、、。美しい夕日はなぜかより独りでいたくなる、、、。
なぜか、自分の存在を消しきってしまいたくなる、、、。
でも、夕日を見ながら書き込んでいるわけでから、、、。矛盾しているわけですね、、、。
なんと、人はこのように醜悪に矛盾していくものなのでしょうか?
なんと、人はこのように愚かしく矛盾していくものなのでしょうか?
なんと、人はこのように矛盾していると分かりながら改めようとしないのでしょうか?
それが、限界というモノなのでしょうか?
でも、限りが無いのです、、、。自分は今は死なない、、、。めったな事が無い限り、、、。
自分は今、此所で死ぬ事は天文学的数字ぐらいの確立でしょう、、、。
だが、いずれ死ぬのです、、、。
自分は死ぬ事が異常に恐ろしく感じる時がありました、、、。
今も、布団に挟まって死というモノを考えると冷や汗をかく事もしばしばです、、、。
その、冷や汗をかく事、異常に恐ろしく感じる事がもっとも死に遠いのでしょうが、、、。
よって矛盾してしまうのです、、、。
それにしても、この夕日は変に生きているおれでも美しく感じます、、、。
なら、死に逝く人はこの夕日がもっと綺麗に感じるでしょう、、、。
そのように、自分がスレ打っている間にも人はドンドン死んでいきます、、、。
それには美しさという形容詞をよういる間も無く死んでいきます、、、。
言葉は、遅い存在なのですね、、、。
言葉が先にある事はないのです、、、。先に体が動く事によって言葉が生まれた、、、。
全ては体にあるんですね、、、。自分はその体を犠牲にして、頭を動かしている、、、。
なんと、愚かな行為でしょう!正反対になってしまった人間、、、、。
全てのバランスは消え去ってしまったのです、、、。偏ったものしかおらんのです、、、。
だから、全てのものはバランスをとるようできているんですね、、、。
偏った人間しかいなくなった世界には、偏ったものには偏ったもので対決させ、、、。
死を流させる事を強要するのですね、、、。仕方が無いですね、、、。
人は、人というモノをアンバランスになるよう持っていったわけですから、、、。
はあ、駄目だな、、、。
>>228 だからさ、これらの箇条書きにされた指摘だけで自演とは断定できないでしょ
自演だというはっきりとした証拠=本人達の証言などがなければ言い切れないし
2chのバカどもの狂言を信じるなんて方がおかしい
じゃ自演ではない証拠はあるのかと言えば、ない
あの3人が自衛隊派遣に反対だったのは知っているが
冷静に考えて分別のある大人がするようなものではないくらい
わかりそうなもんだが
、重箱の隅を突けばいくらでも物事には穿った見方が出来る
事を面白おかしい方向に持っていきたいガキの発想だよ、自演説なんて
はっきり言って、それらがバレた時のリスクだってあるわけ
とんでもない賠償金を請求され二度と日本で住めなくなりもちろんその家族も同様の制裁を受ける
この社会から抹消される
そういう危険を冒してまで自演をするとは考えにくい
おまいも自演だと譲らないみたいだが明らかに右翼よりの人間だというのがわかる
協調性も糞もない奴らだからまともな人間は普通、誰も耳を貸さない
>名無しさん
確かに、2ちゃんの狂言者共のしわざかもしれませんが、、、。
おかしいと決めつけるにはあまりにも論理的すぎる文章ではないですか?
自分も2ちゃんのコピペというモノをいやっというほど見てきました、、、。
それには、陳腐なもの、中々面白いもの、説得力があるもの、、、。
などなどあるわけです、、、。その中でも、このコピペは中々論理的に書かれていると思ったからです、、、。
後、証言によって真実が出た実例はほとんどありません、、、。
大抵は、証言と証拠をセットにして真実というモノをほじくるわけです、、、。
確かに、自演したという証言は出てこないでしょう、、、。
しかし、自演したかもしれないという証拠はかなりでている、、、。
といっても、あくまでも自演した確率は高いというだけであって、実際は分からない、、、。
だが、このコピペを批判できるような客観的な事実を左翼側から出てきていないというのが問題な訳です、、、。
冷静で分別のある大人でしたら、感情的な証言ではなく、実際出されている証拠から見るべきです、、、。
ばれた時のリスクを無視するから、、、。プロレターリアであり、左翼ではないのですか?
元々、プロレターリアという意味は無産者、何も(生産的な)モノを所持していない人という意味です、、、。
左翼の思想はそこの点にあるのではないのですか?プロレターリア革命ではないのですか、、、。
そのようなリスクを知っているが故に、そのような行動を取ったのではないのですか?
もし、そのようなリスクを考慮せずにやったのであれば、それはただのガキです、、、。
まあ、このコピペには多少、煽りの感は否めませんが、、、。
実際の行動と異常にリラックスしたあのテレビで報道された画像を見たら、、、。
何かおかしいなと気付きますよ、、、。部屋の中にランチャーを持っているのはおかしいですからね、、、。
なにせ、部屋で打ったら全員消し飛ぶほどの爆撃能力を持っていますからね、、、。
畏怖させるためとは言ってもわざわざそんな危険なものを普通のテロリストは誇示しません、、、。
続き
もっと怪しいところはありますよ、、、。
リラックスしているというてんにもあります、、、。
大抵の場合、人質は目隠しをされ、後ろ手首に縄を縛られ、椅子に縛り付けられているか、
他にも、足を縛られているか、猿ぐつわをつけられている場合が非常に多いです、、、。
実例で、日本商社がイスラム系のテロをうけたときには、椅子に縛られ、耳をそがれたということがありましたし、、、。
ペルーの日本大使館の事件では、長時間、人質の口に銃をつきつけていたというのもあったそうです、、、。
テロリストというのは自分達のためなら人質を普通に殺せる連中なのです、、、。
実際、殺されるかもしれないと分かれば、普通に緊張してガチガチになるのです、、、。
その点からもいえるわけです、、、。
限りなく怪しいと、、、。まだ、黒とはいいませんよ、、、。
証拠をもっと突き詰めていけば、色んな事実が出てくると思いますから、、、。
だからそのために、その箇条書きを完璧に論破している客観的記事が欲しいと自分は言っているのです、、、。
その点は右翼だろうが、左翼だろうが関係ありません、、、。
論理的な回答を自分は欲しがっているのです、、、。
この箇条書きの客観的証拠を完璧に反証している証拠を見せて下さいと言っているのです、、、。
もし、あるのなら、、。それは、自分が浅はかでした失礼しましたと反省しますし、、、。
ないのでしたら、名無しさんは嫌かもしれませんがそれを認めなければなりません、、、。
そこには右翼も左翼もないのです、、、。誠実という名の下ではね、、、。
どうやら、あなたはその点に気付いていらっしゃらないようですね、、、。
真に協調性がある方なら思想の違いが問題ではなく、誠実性の問題だと思いますね、、、。
自分がいっているのは、このような考え方がありますが、あなたはどうお考えですか?
と聞いているだけなのです、、、。極力、泥沼に嵌るような議論は避けたいですからね、、、。
自分がなぜ、断定をよういるかはそれに準じる論拠があるからです、、、。
たったそれだけなんですよ、、、。あなたは、その論拠を否定しうるだけの論理をもってすればいいだけなのです、、、。
単純ですよね、、、。まあ、どうでもいいや、、、。
はあ、駄目だな、、、。
変わる事の無い、この夜の闇はなんて濃いのだろうか?
変わる事の無い、この朝の光はなんて濃いのだろうか?
変わる事の無い、この生はなんと生々しく重いのだろうか?
変わる事の無い、この失望はなぜ消えていかないのだろうか?
変わる事の無い、この希望はなぜ生まれてくるのだろうか?
変わる事の無い、この哀しさはなぜ心に残るようになっているのだろうか?
変わる事の無い、この青空はどこまでいけば闇になるのだろうか?
変わる事の無い、この土はどれだけの人間や生き物を飲み続けたのだろうか?
変わりゆく、この自分はどこまでいくのだろうか、、、。
はてしない、はてしない、はてしない、はてしない、はてしない、、、。
この自分が生きているという荷を担いで道をさすらうのはいつ終わるのだろうか?
自分という荷はいつも、陽気に笑っている、、、。
それは、俺を嘲笑うためにそれをよく聞こえるように高笑いしているのだ、、、。
自分という荷はいつも、嘆いている、、、。
それは、俺を姑息に同情しているからだ、自分を俺よりうえでありたいためにな、、、。
自分という荷はいつも、楽しんでいる、、、。
それは、俺の辛苦を馬鹿にするためだ、、、。
自分という荷はいつも、寝ている、、、。
それは、俺に全ての咎をなすり付けて満足、安心しているからだ、、、。
だが、奴は俺がいないと何もできないのだ、、、。
奴と俺は同じ存在でありながら、背反するようにできている、、、。
面白い、、、。
俺は奴に何されようが奴を一生背負い続けるだろう、、、。
それが、俺にとっての生きるという事だからだ、、、。
同時に、それは最後の復讐である、歩けない奴を嘲笑って踏みにじるために俺は生きているから、、、。
はあ、駄目だな、、、。
>冷静で分別のある大人でしたら、感情的な証言ではなく、実際出されている証拠から見るべきです、、、。
だとしたら、どっちも言えないだろ
なのに、おまいは自演だと決めつけてる
それは、おまいも完全な証拠も確証もないコピペに感情的に反応したからだろ
誰が見ても自演だとわかる証拠が出てきてから自演だと言うべきだ、おまいの論理じゃからすればな
なんでもかんでも論理のみだけを注視するのはおかしいぞ
それじゃ機械に判定させればいい
裁判ですら裁判官で大きく結果が変わる
それは少なからずも感情が入ってるからだろ
ある証言や証拠、その他の情報を判定するのは人それぞれ
いくら論理でも人によって変わる
でなければ、みな同じ答えになるからな
そこがおまいの悪い所だ
論理のみで物事を判断できると思っている
人間という存在が何か全く分かっていないな、これだから右翼は厄介なんだw
もっと常識をもて
案の定テストはくずれましたが、授業もっと大切にします。
一度くらい悪くてもめげません。
少し心がおちついてきました。
いろんな活動意欲がたかまってきました。
習い事いろいろてがけてみます。あ、勉強が。。。。
問題20だいくらいはとくようにしました。
んで、3週間前からテスト勉強します。
ばかになってきたので、ゆっくり確実にいこうと思います。
いろいろ考えることがあるけど、しのいでいきます。
私はちなみにマザコンかもしれません。いまだにおやばなれができない依存タイプです。
だめさんの猫になりたい。=^∀^=なんちゃって
>名無しさん
自分はまだ決めつけてはいませんよ、限りなく黒いというだけで、、、。
だから、その黒さを白くできるための証拠が欲しいと言っているだけです、、、。
あなたは裁判すらしらないのですか?
このような証拠等がありますが、弁護側の証拠を提示して下さいといっているだけなのです、、、。
論理というモノをだれが作りましたか?
論理というモノはまず感情によって作られるものです、、、。
論理というモノは常に拡大します、拡大作業は機械ではできません、、、。
何かしら、人が考えて考えて、まとめる、処理する、、、。
機械は、まとめる、処理するという段階までいかどうやってもいけません、、、。
自ら、何かを考えるという行為を機械にはできないのです、、、。
確かに、判断するのは人です、、、。でも、裁判というのは極力、等しくなければなりません、、、。
等しくするためにはある程度までは人の感情を受容しながら、、、。
それ以外の広範囲は論理性と実際の物証になるわけです、、、。
有罪、無罪はこの物証されているものをいかに反証し、、、。
人の証言のあら探し、又は証言の正当性を矛盾させないようにするわけです、、、。
そのためには裁判官は極力自分の感情や思想を削がなければならないのです、、、。
故に、感情を削いでいって公平さを求めねばならないというわけなのです、、、。
いいですか、、、。論理は感情から生まれますが、感情をうまく削ぐ事によって、、、。
論理というモノに感情というぜい肉を無くしていって、研いでいく事が重要なわけです、、、。
大量殺人者を死刑にするなという人はいますか?
ちゃんと、証拠があがっており、証言も証拠にそっている、、、。
この人間に対して、死刑にするなという人は出てきますか?
もしするなという人がいるとしたら、その人の親ぐらいなわけです、、、。
それが、常識なのですよ、、、。はあ、駄目だな、、、。
>ゆきさん
そうですね、前へ前へ歩いていかないとどうにもなりませんから、、、。
いや、走っているのかもしれません、、、。走っているから自分は考えているのかもしれない、、、。
走らなければ自分というものが何かに飲み込まれてしまうからです、、、。
でも、自分は歩きますよ、、、。一々、生き焦る必要も無いわけですから、、、。
結局は、自分が歩く時と走る時は普通の人と少し違うというだけなのです、、、。
だからといって、自分は正しい、自分は普通の人とは全く違うとはいいませよ、、、。
自分は普通のただの人です、、、。ただの人だから、このような考えもありだなというだけなのです、、、。
ただの人ではないと思う人は大抵何かを頼り過ぎてしまいます、、、。
自分には嵌る思想が無いというだけなのです、、、。嵌っても仕方が無いですからね、、、。
自分は特定の思想に嵌った人間を盲目者ということにしています、、、。
又は、ただの人という身分を拒否する人間としときましょうか、、、。
彼等には、証拠というモノや客観的事実を与えてもどうしようもありません、、、。
それをただただ、狂信しているだけなのですから、、、、。
そうすると、誰もが狂人ですね、、、。結局は都合のいいものしか見ていないわけですから、、、。
だけど、客観的事実は信じなければならないですね、、、。
そうすると、勉強する場合に用いられる教材というのは都合のいい客観的事実な訳です、、、。
では、誰にとって都合のいいものかといえば、文部省にとって都合のいいものなのです、、、。
その思想に取り憑かれないためには、色々ある都合のいい客観的事実を対比し続けねばならないようですね、、、。
それが、学問であるんだと思います、、、。
猫は家の猫は1、2年前に跳ねられて死んでしまいましたよ、、、。
だけど、俺は生き続けねばならない、、、。自分の義務なのですから、、、。
駄目だな、、、。
>大量殺人者を死刑にするなという人はいますか?
>ちゃんと、証拠があがっており、証言も証拠にそっている、、、。
>この人間に対して、死刑にするなという人は出てきますか?
あーいるよ、腐る程な
死刑の制度そのものに反対してる団体や個人なんていまくりだよ
そんなことも知らんのか?
いいか、それにおまいが上げた証拠と言うものに反論する証拠をだせと言ってるが
それらがなくても、黒とは言えないんだよ
だから、結論としては自演とは言いきれない
これが裁判なら、むしろ証拠不十分で不起訴か無罪だ
しかし、おまいはもうすでに頭の中で黒と判定してる
その浅はかな感情で不確かな証拠を信用できると判断しているわけさww
自分の妄想を最初から読み直していくと中々面白い、、、。
自分の思考の変化が感じられるね、、、。
自分という存在の変化が常に起っている事を喜ぶべきだろう、、、。
俺が日々考えているものの蓄積がこのスレには残っているんですね、、、。
この蓄積されたものを本にしてみれば、相当な量になるような気がしますね、、、。
むしろ、この自分の考えてきたものが俺がかいたものだと思えないですね、、、。
多分それは、完全にそのような事を考えた事を忘れているからですね、、、。
まあ、その考えた事を何かの拍子で思い出したりするんでしょうね、、、。
そう、毎日、毎日嫌な思い出を思い出して頭が痛くなるようにね、、、。
もしかしたら、その嫌な思い出に脅迫されて俺は何かを考えているではないだろうか、、、。
恥をかいた嫌な思い出のおかげで自分はこの思考を創ってきたのですね、、、。
下らない、つまらない、おかしい、思考の蓄積が自分を創ってもきた、、、。
その恥という経験が自分の復讐精神を満たしているんですね、、、。
いや、復讐は悪い事ではないですね、、、。復讐は人のためになる事もあるわけですからね、、、。
どれが、悪で善かは分からない、、、。ただいえる事は、善とされている事が重要である、、、。
という事なんですね、、、。だから、全ては曖昧なわけです、、、。
しっかりいえた事はない、、、。断定できる事も無い、、、。分からない、、、。
政治書や、法、経済書、哲学、心理、歴史、数学、色んな本を手に取ってきたけど、、、。
ただいえる事は、、、。分からん、、、。
どれが正しいかは全く分からない、、、。だから、経験的に知るために自分は旅行するのですね、、、。
自分は多分、外国にはもういかないでしょう、、、。それ以上に、日本が面白いのですから、、、。
地方とかうろついていたらおもしろいだろうな、、、。方言や風習、、、。
日本が全く分からないのだから、、、。外国になんていく必要なんて無いと思うんだけどな、、、。
その次だよ、、、。外国なんて、、、。日本を全く知らないのにいく必要なんてないよ、、、。
広い知識というのは、他人にとって都合のいい情報をたくさん持っているというだけにすぎないのだから、、、。
>名無しさん
まあ、自分は裁判の話をしたかったので、、、。制度の話ではないのですが、、、。
まあいいや、、、。
元々、死刑というのは最も古い刑罰です、、、。それは誰もが知っている話として、、、。
反対意見としては、非人道的だ、国家は人を殺すのはおかしいとか出ているわけですが、、、。
ここは非常に単純な話をしましょう、、、。
権利というモノは他者の権利を共有しあう事によって、自分の権利が保護されます、、、。
では、相手の権利を穢したものは穢した分だけの刑を受けるわけです、、、。
それ故、自分達は人の権利を穢さないように常識的に生きているわけです、、、。
その権利というモノを平等に統帥して、異常がおきないようにしているのが国家な訳です、、、。
人の権利を穢したものはそれは非人道的であるわけです、、、。
個人では相手に復讐するだけの力はありません、、、。逆襲されてしまうかもしれません、、、。
そこで出てくるのが(近代)国家なのです、刑事力を持って相手を捕まえて、、、。
まあ、その時点では捕まった人間はまだ被疑者であり、犯罪者にはなりません、、、。
そこで、有罪判決を受けて犯罪者となります、、、。
その際、国家は個人が持っていた報復権を代理で受け取って、その犯罪者にそれ相応の罪を与えるわけです、、、。
個人の権利を代理で受け取っているわけですから、国家にはその権利を執行する義務があるわけです、、、。
その中で一番重いのが死刑な訳です、、、。死刑はある種、人の感情に成り立ってます事は確かです、、、。
故に死刑の執行も非常に人道的になっています、、、。絞首刑、電気、銃、ガス、薬等、、、。
古来の処刑方よりは格段に人的配慮がされているわけです、、、。
死刑も発達し、より、より人道的になっているわけです、、、。
死刑が人の感情的な面である事は確かに否めません、、、。
しかし、それは報復権の最高の権利として死刑がある事は間違いは無いと思います、、、。
それは、同時に相手の報復権を権利を擁護するため必要なわけですから、、、。
後、慣習法という概念を知っておきましょう、、、。
慣習法というのは、所謂世間や常識などに取り入れられているわけです、、、。
よくいわれる話ですが、、、。「良きものは残され、悪きものは消される」
と言う言葉にあるように、、、。何千年も死刑という法が残された理由は慣習法の概念からもあるわけです、、、。
自分はまだ黒と決めつけてはいませんよ、、、。
まあ、不起訴になるでしょうね、、、。これだけでは、まだ証拠確定とはいえませんからねえ、、、。
でも、これ以上の確定的な証拠が出てきたら証拠十分になるわけですね、、、。
といってもまあ、こっから先は泥仕合になるだけですから止めましょう、、、。
ある、ないなんて言っていったら全く切りがないのですから、、、。
まあ、時間が過ぎればどうだったか解明するでしょう、、、。
自演だったか、自演でなかったか、、、。
有罪か無罪か、、、。
それは歴史の裁断に任せましょう、、、。自分らの感情論では何も生産しないわけですから、、、。
はあ、駄目だな、、、。
近代的な思想には限界がどこかしらに存在します、、、。
ただ、今の自分達ではそれを見いだす事ができないという事です、、、。
むしろ、近代とは何でしょうか?近代文明とは何でしょうか?
それは自分達が持っているこの生活といえば単純に説明できるでしょう、、、。
では、前近代とされている、、、。イスラームや南の諸島や辺鄙なアフリカの場所でしたらどうでしょうか、、、。
結局近代的というのは電気の有無にすぎない、、、。電気があるということが近代文明を支えているわけです、、、。
だから、自分達にとって前近代的というのは電気が通っていない事を意味します、、、。
なら、現代と近代の差はといったら、、、。自分はネット空間の有無だと思います、、、。
情報が即座にやり取りができ、行動ができる、、、。それが現代と近代の分け目だと思います、、、。
だが、自分達は思想としては近代をこす事ができない、、、。それは、、、。
近代思想で出されたものを背反したりして、有耶無耶にしているだけだからです、、、。
例えば、前自分が読んだデリダを用いるのなら、、、。デリダは差延や脱構築等を説きましたが、、、。
それは、近代主義の逸脱を望んだものであって、、、。近代思想からの発展ではありませんでした、、、。
自分は近代主義とは最高に人間中心主義を賛美したようなものだと考えています、、、。
そこにフーコーは批判したわけです、、、。
ちなみに、この形って何かに似ていませんか?
宗教戦争の形に似ていませんか、、、。カトリックとプロテスタントの対立に、、、。
思想という上での根幹は同じで、、、。解釈の仕方の違いによってなっているわけです、、、。
ちなみに、宗教戦争は表面では決着は付きませんでしたが、、、。
プロテスタントが広く流布されるようになったので、、、。そういう点ではプロテスタントの勝利かも知れません、、、。
それはどうでもいいとして、、、。
それにしても、この背反している思想が対決していく事によって何か新しいものが出てくるのでしょうか?
自分には分かりません、、、。ただいえる事は、、、。
使い古された議論を一々用いても何も出てくる事は無いというだけですね、、、。
はあ、駄目だな、、、。
2chて馬鹿ばっかなのなw特に自作自演とかゆってた奴らプ
1 :番組の途中ですが名無しです :04/04/23 09:18 ID:1OZ25UT6
自演とかいってた奴らてさあー
ひきこもり
高卒
馬鹿大学生(駄目私学
無職
フリーター(年金とか払ってない
窓際(いずれ無職に
とかじゃん?
あとあれだよなマスゴミとか逝ってる奴も
大手マスコミにはぜってー入れねー学歴の奴とかじゃん?
いつから2chてこんなになったんかねー
あと2chに99年から来てねー奴とかなんもわかっちゃいないからプ
じゃあ
>名無しさん
なら、学歴がある人間は隔離されているというわけですね、、、。
それ以前に、自分の張ったコピペに対しての全くの反論になっていないのですが、、、。
それって、結局学歴とかわざわざ階級とかの話から初めて、、、。
話を違う方向に持ってって学歴とかで有利にしてしまうという方法ですね、、、。
幼稚園児でも分かる事をいいますが、、、。
この件は、学歴とは全く関係ありません、、、。
そうスライドしないで下さい、、、。
学歴がある人はその事件を自作自演ではないと断定しているのですか?
では、学歴ある人が自作自演だと断定していたらどうなるのですか?
自己矛盾してしまうではないですか、、、。
学歴ある、ないに関わらず議論が進んでいくわけですから、、、。
学歴があっても、、、。無い側の疑問を説いていく事ができなければ学歴なんて意味を持ちません、、、。
単純ではないですか、、、。学歴はあくまでも社会的な信用な訳ですから、、、。
学歴というのは保証書みたいなものなわけです、、、。それが、人間を支配するというわけではないのです、、、。
2チャンネルはあくまでも、色々な情報や思想や思考が自由に飛び交う場所です、、、。
閉鎖され過ぎた空間ではないのです、、、。なら、自分の部屋でノートに書き込んでいればいいのです、、、。
これだけ考えた、これだけ考えたって、、、。やっていればよかったのです、、、。
分かっていようがいまいが、、、。情報というモノは拡大してきます、、、。
その情報についていけない事を嘆いても仕方が無いのです、、、。
実際、情報が自分達を支配しているのですから、、、。
まあ、名無しさんありがとうございました、、、。
はあ、駄目だな、、、。
暗闇というのはどうやら俺の神経を極限まで刺激するようだ、、、。
この闇の中で誰もが俺を認識する事がなくても、、、。
俺は俺というモノをどんな暗闇の中でも俺は俺という存在を見ている、、、。
だが、俺は俺というモノを消す事はできない、、、。意識的にも、どのようにしてでもだ、、、。
俺は俺が消す事ができない、、、。俺は俺を生きている事を証明し続けている、、、。
俺は俺が一番恐いのだ!俺というものが分からない事が恐い!
俺というモノをどのような形で突き止めていっても俺というモノは見えないのだ!
俺が俺というモノを感情で動いていると分かっても、、、。
それを止める事はできない!それは俺だからだ、、、。
完全に否定しうる事ができないのだ!
何という矛盾か!
自分は曾ばあさんが亡くなった時、、、。無矛盾性に畏怖を感じた、、、。
それが俺にも寝ているんだ!俺にも寝ているという事は貴方にもその存在が寝ているんだ!
俺という存在は逃げる事は無い俺のそこでドスんと座り続けている、、、。
だから、俺は恐い、、、。
自分はこの存在が暴走しうる事は無いと分かっていても、、、。
自分はこの存在から逃げうる事が無いのだ、、、。
自分を暴走させようとするものは他人に操られる事を主としている自分、、、。
感情や激情を乱用する事で自分の正しさを叫ぼうとする自分だ!
激情の奥には冷たさがいる、、、。それは温かい、、、。だから、冷たいのだ、、、。
冷血動物のような冷たさではない事は分かっている、、、。
自分の肌の冷たさだ、、、。肌は温かい、温かいから冷たさも感じる事ができる、、、。
でも、肌の冷たさでは無いんだろうな、、、。心の冷たさなんだろうな、、、。
まあ、どうでもいいや、、、。はあ、駄目だな、、、。
今日も、笑かせてもらうか、、、。
オタクの何がいけないの?
お前馬鹿だろ、、、。元々、オタクという言葉自体否定名詞なんだよ、、、。
否定される立場が故に、、、。それをただし如何の如くいう事が異常なんだよ、、、。
オタクは裏の存在だからだ、、、。裏は裏らしく開き直ってはならないんだよ、、、。
指さされるのがオタクの宿命だからさ、、、。
俺は前にもかいたけど、オタクは開き直れない存在だからオタクなんだ、、、。
オタクは表ではなく、アングラ以外のなんでもない、、、。
だから、オタクは正しいのだ、、、。表の社会を侵略しない限り正しいのだ!
故にオタクはいけないのである、、、。社会を犯してはらないからだ、、、。
単純だろ、、、。たったそれだけなんだよ、、、。
自分は開き直れる人間が恐ろしい、、、。
自分も開き直りを使う事があるけど、、、。
開き直って良い範囲と開き直っては悪い範囲がしっかりあると思っている、、、。
開き直ってならない範囲は社会的に不愉快や外を与える事だ、、、。
オタクという存在や犯罪者はそういうところに入るわけですね、、、。
それは公然と為してはならないという事です、、、。
満員電車内でタバコをすってはならないとか、エロ本を公然と読んではならないとか、、、。
常識範囲に対応すべきな訳です、、、。
だから、オタクという存在をあからさまに公開する事は社会常識をおかすわけです、、、。
なぜなら、オタクという存在はまだ肯定的な言葉とされてはいないからです、、、。
でも、それを肯定するよう強制してはなりません、、、。
オタクは異端者なのですから、、、。
はあ、駄目だな、、、。
天才何ぞいない、、、。
全ては秀才と異才と凡才しかいない、、、。
天才というのは異才というモノに社会的肯定を見たしているにんげんに過ぎない、、、。
だから、その存在を天才だと自分達は信じたがるわけだ、、、。
根本は異才に過ぎない、、、。
それを天才と称して、異才としての称号を与えずして、、、。天才という称号を与えるわけだ、、、。
そもそも、天才とは天賦の才、、、。天から授かった才能という意味です、、、。
なら、天から授かった才能というのは言葉として曖昧すぎませんか?
天から才能を授かったとしても、それを生かすの人間の世界です、、、。
人間の世界でその才能を殺してしまったなら、、、。天賦の才ではなくなってしまうわけです、、、。
又、天才は最後まで栄華を極めなければなりません、、、。
だから、名もなき天才というのがいるのですね、、、。
そしたら、天才というのは知っている、知らないというだけで済まされてしまう存在な訳です、、、。
非常に弱くて、悪い意味で他力本願な存在なのですね、、、。
そのような存在が天才なのですか?
自分達が求めている天才というモノの実像はそんなものなのですか?
又、それと同じように自分達は天才という存在を人で見ない、、、。
モノとしてみるのです、、、。なぜなら、その言葉がその人の実存性を削いでいるからです、、、。
その言葉は罪なのですね、、、。
実際ないものを、いないものを叫ぶ事が正しくはないのです、、、。
その名を肯定するにはあまりにも負担がありました、非公正さがありました、、、。
相手を見ませんでした、、、。自分達は自分達の手で自分の目を潰していました、、、。
そう、俺らは言葉の奴隷、、、。でも、それは罪ではありません、、、。
それが、人間の最も正しいところなのですから、、、。
はあ、駄目だな、、、。
文章力ないね、読みづらいよ。
何書いてるかわかりにくい。
もうちょっと、うまくまとめて書いたら?
、、、、とかウザイよ
>名無しさん
文章力ないですよ、、、。俺は、、、。
頭に浮かんでいる事を口にしてみるとできるのだが、、、。
文にしていくとドンドンずれていく、、、。
何がいいたかったのか自分でも分からないぐらいにずれていく、、、。
といっても、、、。人の堂々と見せるものではないから、、、。
独り言を書いているだけなのですよ、、、。
自分でも何書いているかは分からないですよ、、、。
自分の脳みそが語っている事をただ文にして書いてみているだけですから、、、。
自分が分からないものを他人が分かる事ができる、できないなんて関係ないのですから、、、。
俺は自分が分からない、、、。だから、書き続ける、、、。
自分の何かを少しでも、少しでも気付きたいから、、、。
まとめる事はできませんよ、、、。
自分の脳みそにいるものをただストレートで書いているからです、、、。
何かで割ってしまったら、、、。思考が台無しになってしまうからです、、、。
人に見せたいが4分の1で人に見せたくないのが4分の3、、、。
だから、独り言なのですね、、、。
、、、。これは癖です、、、。これを使い続けたら、曖昧感がびっしりで自分で好きで使っています、、、。
ウザイと否定してくれるのはありがたいと思います、、、。
そのウザイという言葉の断定が自分にとって嬉しいのですから、、、。
なぜ嬉しいかって、、、。決めつけてくれる事は楽だからですよ、、、。
固定されている事は非常に楽で落ち着くから、、、。
はあ、駄目だな、、、。
駄目の嫌なところ
・勘違いが滲み出ている
・自己完結しすぎている
・他者の意見を受け入れているようで全く受け入れない
駄目の好きなところ
・電波ゆんゆん
・知識欲がある
・己の分を弁え様という努力がしばしば見受けられる
>名無しさん
勘違いがひどいのは自分もよく分かります、、、。
遠回しに言い過ぎたり、、、。まあ、どっちにしろ、、、。
他人の意見を勝手に解釈し過ぎてしまう悪い癖がついていますね、、、。
後、、、。知り合いにいわれた事なのですが、、、。
「君は、全否定が5%で遠回し否定が90%で肯定が5%だね。」
といわれた事があります、、、。
よくあるような絶対否定はあまり使わないけど、、、。
皮肉を混じらせたり、、、。いやみな言い方をするとよくいわれますね、、、。
他にも「人と組する事を潔としない」「一匹狼だろ」といわれた事もありますね、、、。
自己完結も結構ひどいですね、、、。
まあ、そうしないとどこまでも独り言を書いていきそうで恐いんですよ、、、。
人と議論した時、最高で三時間ぶっ続けで話し続けた経験があります、、、。
だから、自己完結しないと終わらないという欠点があるんです、、、。
多分、自分の一番2番争うぐらいの悪いところだと思います、、、。
電波ゆんゆん!どうです!名無しさん電波はいかがですか?
電波は作り続けていると楽しくなってきますよ!
(。A。)こ〜んな感じですね、、、。
はあ、駄目だな、、、。
何も無い、、、。ゆっくり歩いているともう1人の自分に会えるような気がした、、、。
午後三時、何となく散歩するには非常にいい時間帯だ、、、。
太陽が強すぎず、弱すぎず、、、。外をボーッと歩くにはあまりにも適している、、、。
風は心地よく吹いている、、、。俺の機嫌を損なわないように吹いてくれている、、、。
この時間帯は自分が住んでいる街には、犬の飼い主が犬を連れてよく散歩している、、、。
でかい犬、小さな犬、、、。種類は色々、柴から、チワワ、ブルドッグなど堂々と闊歩している、、、。
「よお」
どこからか、俺を呼ぶ声がした、、、。ふと、自分はうしろをふりむいた、、、。
だが、誰もいない、、、。すると又、、、。
「よお、お前も飼い主ではないか?自分の心を調整するな。」
ああ、久しぶりだな、、、。俺の心の黒く重い石が俺の機嫌を損ねるように声をかけてきた、、、。
「まあまあ、機嫌を損ねるなって。俺はお前がいないと俺は存在できないのだからなあ。
一々、感情的になったら俺という存在が消えてしまうだろ?久しぶりに現れたというのによお。」
又、君は自分の心をほじくる気なのかい、、、。止めてくれよな、気分が久しぶりにいいというのに、、、。
「ああそうだ、お前はそうやってわざわざ自分の感情を殺して、自分と対話しようとする。
本当に不思議な奴だ、さて本題に入って、お前はそこの飼い主と同じだ。お前はお前を調整している。
お前は、お前を飼いならす事によって、自分のエゴや強烈な意志を吸い取ろうとする。
しかし、普通の人間は犬としての自分を飼いならす事にあまりにも慣れていない。
本能的、いや本能は間違いだな。本能は人間には備わっていない、本能をわざわざ壊したのが人なのだからな。
だから、本能により近いお前がひもでゆわいられているお前で。
本能からより遠いお前が二本足で立っているお前なんだ。だが、お前である事は変わらないがな。」
続き
「飼い主は自分が犬の飼い主だと思っている。まあ、普通はそうだろう。
じゃあ、もしここに賢い犬がいるとする。賢い犬は自分が犬ではなく、飼い主となろうとし。
飼い主はいつの間にか犬のいう通りになってしまい、真の意味での犬となってしまう。
人間はいつもそのとうりなんだよ。本能からほど遠いものが存在できるのは、その犬の心の隙間を埋めているからだ。
その隙間が理性というものだったり、正しいとされている認識なんだ。
真の意味では飼い主が飼い主なのではなく、飼い主こそ犬なのである。非常に遠回しないい方だがな。
しかし、自分達はその事を感じ取ろうとは全くしない。それを自分達は恥であるとしているからだ。」
なら、お前はそこまで賢い犬といるのと考えているのか?
「ああ、いるね。その際の賢い犬というのは快楽ともいえるし、強欲ともいえる。
まあ、何にしろ。聖職者など、自分には完全な理性が備わっていると思い込んでいる人間が否定したがる言葉である事はまちがいない。
だが、そのような人間こそ犬に飼われているんだよ。それはなぜかって?
何、単純な事だ。その理性というモノなどを自分の犬の心の中に入れているからだ。
犬というモノは非常に賢いものだ。お前が前に言った言葉で。」
「本能が壊れる事によって、欲望が生まれ、同時にそれを潰す形で理性が生まれたと、、、。」
「だから、かの聖職者どもはそのさも正当かされた理性というモノを自分の欲望の中に入れているからだ。
その欲望がさも理性の如くうごくわけだ。それが理性だというのだ、笑ってしまう話だ。
そのような人物ほど犬という存在を全く分かっていない。どれだけ自分が卑しいか。
表面的な立派さで、自分の欲望を隠しているのだ。いつの間にか自分の犬がケルベロスほど大きくなっているのにな。
ケロベロスほど大きくなっている事を忘れて、とっくのとうに飼い主が喰われている事に気付かずね。
そいつらの理性とは犬なのだ!犬のように貪欲な理性の中で生き続けているのだ!
なぜ、奴らを嘲笑せんのだ?犬という存在を自分の中にいる事を忘れているものをなぜ笑わないのだ?」
それが、多数の人間が正しいと思っているからだろ、、、。
無駄に続く
「ならお前はそいつらからはなれねばらない!お前が逃亡者なのは。
奴らと組するとお前の犬が肥大して、ケルベロスの様相になりお前を飲み込んでしまうからだろ?
お前が逃亡者なのは!奴らと組するとお前の犬がさも正しいとされてしまうからだろ?
お前の精神はそこまで卑しくないはずだ!なぜなら、俺がいるからだ!
俺がその犬をこの重く黒い俺という石がその犬を潰しているからだ!ありがたくお前!
お前が狂人とされる理由はお前が犬としていきようとする事を俺が潰しているからだ!
ありがたく思え!お前が狂人とされる理由は犬共から逃げ続けているからだ!
ありがたく思え!お前が狂人とされる理由は犬共を俺という石で殺し続けているからだ!
ありがたく思え!お前が狂人とされる理由は犬共を捌いて干し肉にして喰い続けているからだ!
その犬共の真に卑しく黒い肉を喰い続ける事によってお前はお前の精神の生を保っているのだ!
お前は犬に飼い主にされているのではなく、永遠に犬の飼い主であれ!
さすれば、俺という存在はお前からは消え続けないだろう!
犬の欲求を肯定しながら、憎め!犬の欲求を押さえず、犬の欲求をうまく見たし続けて、騙し続けろ!
お前は日々賢くなる犬より日々賢くならねばならない!
だが、その賢さは世俗の賢さでは無い!世俗の賢さこそ!犬の賢さであるからだ!」
なら、世俗の賢さとは何だよ、、、。
「世俗の賢さとは?そんな単純な事を聞くな!人の正しさを疑い続けろ!
宗教的正当性を憎め!社会的正当性を憎め!自分の欲望を憎め!情報を憎め!
だが、それを否定してはならない!なぜなら、それこそ犬共がお前を食べてしまおうとするからだ!
お前は単純な犬共の標的にはなってはならない!お前は犬に従っていると思わせておけ!
さすれば、犬共はお前を襲ったりはせぬだろう!だが、犬共と交わってはならんぞ!
お前は飼い主であり続けねばならない!それがお前の最高の罪だ!
背負い、嘆け!犬共には聞こえないように嘆き続けろ!それこそお前の生なのだから。」
続き
「お前は、犬ではない。お前は飼い主だ。
だが、卑小な飼い主であってはならない!それこそ新たなるケロベロスを産むからだ。
例え、飼い主であっても犬につながられているのは全くの問題外だ!
それはすぐに犬に喰われてしまうだろう!獰猛であればあるほどだ!」
ならどうやって、その犬を抑えるんだよ、、、。
「なあにそれは単純だ、俺でその犬の頭を何度も何度も打ち続ければいい。
さすれば、奴はクウーンといってお前の心の中で小さく丸くなっているだろう。
お前は犬に対しては優しく対応してはならない、優しくする事が奴を肥大化させる最高の好都合なのだからな。
常に、奴には石を持って。又は工事現場にあるような鋼管であいつを殴ればいい。」
では、石とは鋼鉄とは何の事をお前はさしているのだ?まさか、、、。
「馬鹿!欲望でも理性でもない。何だと思うか?
それこそお前の感情だ!なら、お前の強い感情と情緒で奴らを殺せばいい!
理性も、欲望も全ては感情の中にある。感情の莫大に大きな迷路で奴らを惑わせばいい。
具体的な感情ではない!全てを持った感情だと思え!より分からないだろう?
だが、いずれ分かる!そのいずれの間、俺がその感情の役割をし続けてやる!
ありがたく思え!
とりあえず、俺を信じなくてもいい。いや、信じてはならない!
信じればおれがお前を飲み込んでしまうだろう!お前がお前であり続けるためには。
何もかも信じきってはならないという事だ!俺という石も飼い主も犬も全てだ!
だから、お前という実像は存在しえないのだ!故にお前なのだ!虚像は勝手に作らしておけ!
お前というのは影も形も無い!それでいい!それがお前の罪だ!
お前はお前を背負い、何も無い事を嘆き続けろ、そして喜べ!その狂気をな讃え続けろ!
それが、生だ。あまりにも肥大で醜いその生を背負うのだ!」
それを叫びきった奴は消えていった、、、。相変わらず変わった奴だ、、、。
だが嬉しいよ、、、。俺というものが現れてくれるのだからな、、、。
はあ、駄目だな、、、。
改行しなさいよ!読みにくいじゃない!
>名無しさん
それはすまんこってす、、、。こんなかんじでどうでせうか?
俺の心の重い石というのはどうやら俺の心の中に寝ている生の意志なのかもしれない、、、。
今の俺は死への意志であり、奴はいつもは眠っている生への意志のように思える、、、。
「今日を生きるには、明日を犠牲にしなければならない。」
「明日を生きるには、明後日を犠牲にしなければならない。そうしていくうちに自分の生の全てを犠牲にする。」
その考え方は一方的な死への無意識の内になる、漠然とした死への意志のように自分は感じられる、、、。
だが、重い石、、、。奴はそのような考え方を全否定するのだ、、、。
「お前は何のために生きているのだ?全てはお前がお前として生きていくためだろ!」
「なら、お前とは何か?それは単純だ、自分の思考の全てを削ぎ取った骨のお前だ!」
「それこそお前の最もいきたがっている部分だ。それを否定してはならんぞ!」
「否定した時点でお前は街の中を歩いている、完全に死んだ目をしている生き物になってしまう。」
「今日のために今日を生きろ、明日の事はどうでもいい。ただ、今日を生きろ!」
「今日のために後悔ないようにしろ、だが、それが一番の後悔なのかもしれないがな。」
奴も俺の一部分のきちんと欠陥を持った一部に過ぎない、、、。だから、奴は生き続けているのだ、、、。
欠陥こそ最も人間らしく、正しい部分なのだからな、、、。
はあ、駄目だな、、、。
句読点もっと使いなさい!読みにくいじゃない!
>名無しさん
句読点を増やしたら、大変な事になってしまうような気がします、、、。
何となく、気付いたんだけどさ、、、。何か毎日、当たり前のように通勤電車に乗るわけだけどさ、、、。
何か不思議ではないかい?毎日、毎日さも正しいかの如く電車におりて、、、。
皆が一方こうに向かって歩く事が非常に不思議ではないかい?真っすぐ、真っすぐ、、、。
全ての背中が悲鳴を上げて、いきたくない、いきたくないと言っているのに、、、。
完全にその叫びを無視して、他の自分の叫びを許容することによって生きている、、、。
では、その他の叫びとは?なに単純だ、、、。
生きるためというごまかしだ、、、。生きるためなら人はどんな醜態もさらしてでも生きる事ができる、、、。
ただ、より生きやすくという事だろ?より生きやすくするためなら自分の生を削れるという事だ、、、。
それはある意味、絵を描く人間や人形を作る人間と同じみたいなものだ、、、。
確かに誰でも、自分の命を削ってしか自分の生を裏付ける事ができないものだ、、、。
だが、それを疑ってもいいんではないかな、、、。現実は、強烈な様相をもって自分達にぶつかってくる、、、。
その強烈な現実を緩和して生きてみる事は重要ではないのだろうか?
まあ、どうでもいい事だ、、、。
はあ、駄目だな、、、。
でも、それは現実を放棄する事を意味しているわけではないがな、、、。
思考で生き続ける事を意味はしていない、無思考で進む事は非常に重要だ、、、。
体が何かしら意図せずに生きられることはあまりにも幸福だ、、、。
思考と体が乖離している事を意味をしているのではないがな、、、。
一々、頭を使わず生きられる事は幸せだと思える、、、。俺は体が動かない生き物だ、、、。
体を動かす事に価値があるのではなく、体を動かせる事ができるというのが価値を持つように、、、。
思考する事ができる事が価値なのではなく、思考をどこまで動かせるかが価値なのだ、、、。
又、それと同様に体と思考が共になせることが最も重要なのだ、、、。
単純に「知行合一」しうる事が最も正当なのかもしれない、、、。
だが、それを実験という名の下で肯定してはいいと言う言葉ではないような気がする、、、。
実験の名の下でその行為があまりにも悪用される事によって、、、。
どれだけの、大量の血と脳液と汗と涙が垂れ流され続けたのだろうか?
分からない、、、。まあ、どうでもいいことだ、、、。
はあ、駄目だな、、、。
年金問題とか、色々と問われているけどさ、、、。
そのような行為が一々、重要かといえばどうなんでしょ、、、。
年金なんて頼りにせずに、外国為替に換えて貯蓄を海外の銀行に出せばいいのにね、、、。
てめえのケツをふけないでぎゃあぎゃあほざく暇があるなら、、、。行動せいとしかいえんよな、、、。
単純なんだよ、、、。てめえの頭で考えて、てめえで勝手に行動しろとしかいえんのだよ、、、。
被害もうそうに取り憑かれる必要何ぞないし、ルサンチマンの化け物になる必要もねえんだよ、、、。
難しい事は、あまりにも単純な結果を出し、単純な事は、あまりにも複雑な結果を出す、、、。
相手を信じる事は、結局は相手を信じた自分を信じたのだから、、、。
騙された事をさも被害者の如く叫ぶのは筋違いの他に過ぎないという事だ、、、。
なぜそれを、気付く事ができえないのだろうか、、、。
無知であるとはいわない、賢いともいえるかもしれないが分からない、、、。
自分は特にこれとは全く言わないし、いう事ができえないだろう、、、。
そうやって、全ては有耶無耶という大海の中で全ては分からないまま流れてしまう、、、。
まあ、どうでもいい事だ、、、。
はあ、駄目だな、、、。
1行が長いのよっ!読みにくいじゃない!
>名無しさん
勘弁して下さい、、、。長いのだけは、、、。
それにしても、風が強くてやんなっちまうな、、、。
本当に、何か季節の巡りが1、2か月早いような気がするのは俺の気のせいだろうか?
まあ、どうでもいいことだがな、、、。本当に生きているというのは不思議だよな、、、。
毎日、毎日、見たことある風景が繰り返し、繰り返し続いていく事が不思議に感じる、、、。
といっても、トッピョウな変化を求めているというわけではないが、、、。
当たり前が、さも当たり前のように過ぎていって、、、。日常が日常として過ぎていく、、、。
俺らがもっている価値観というモノはほとんど変わらなくて、、、。ちょいとした行動が変わる、、、。
日常を変えるためにはちょいと価値観の変動を自らしなければならないという事だ、、、。
だが、変える意義なんて当然あるわけではないし、、、。(自分のための)意味もあるというわけではない、、、。
全てにおいて、変化させるというのは、自分ためなのではなく、、、。他人のための詭弁に過ぎない、、、。
不況だからとかさ、確かに不況な事は認めるし、正しいと思える、、、。
不況でも何にしろ、、、。本当の意味での不況というのは喰えない状態ではないわけだ、、、。
戦後のハイパーインフレーションで職もない、飯も何も喰えないという状況、、、。
そこから、俺の祖父さん、祖母さんは踏んばって、、、。不況でも飯が喰えるという状況を確保してくれたんだよ、、、。
そう考えるとすごくねえか?俺らは(祖父さんからしてみれば)甘い不況の中を絶望のように語っているわけだ、、、。
何がすごいって?何、単純だ、、、。今の価値観があまりにも正しいと考え過ぎているところだよ、、、。
俺は俺というモノに対しての価値観は崩そうとは全く考えていない、、、。
だけど、俺はその価値観が正しいとは毛頭考えていない、、、。正しいと考えていないから、、、。
価値観というモノを幅広くとればいいとしか考えていない、、、。
どうやら、今のそういう人生書というのは外に対しての自分という本があまりにも多すぎる、、、。
結局はそういう本は、、、。「俺はこうやって成功したぜ!お前らとは違うんだよ!」
と馬鹿が叫んでいるようにしか思えない、、、。外だけが立派な真に下らない人間だ、、、。
俺みたいな完全失敗者にしてみれば、そう単純に物事がとれる事があまりにも幸せだと思うね、、、。
それは外にしか向いていないからだ、、、。でも、自己開発という言葉は俺は嫌いなんだな、、、。
自己開発というのは、内に向いているような言葉のように感じられるが、、、。
完璧な嘘で、、、。外からの力で内の中まで侵略しようとする愚か者が多用する言葉だ、、、。
そのような下らない嘘にころっといきやすいのは、てめえがてめえの事を考えていないからだ、、、。
全てが他人まかせで、、、。よくあるような秀才か馬鹿はころっと騙されて、、、。
しかも、達が悪い事に騙されていると全く考えていないところが全くを持っておめでたい、、、。
おれは馬鹿だよ、、、。俺は馬鹿だが、そのような馬鹿にはなりたくないという事だ、、、。
ちなみに、福田和也氏によると、「馬鹿というのは肝心な事が分かっていない人間」の事を差すらしい、、、。
俺はあまり福田氏の考え方はあまり好きではないのだが、、、。いい言葉なので悪用させてもらった、、、。
そこから、考えてみれば、、、。俺が肝心といっているのはてめえの価値観をしっかり持てということで、、、。
でも、これは俺の価値観の中での肝心というのは、てめえの価値観をしっかりもてというので、、、。
他の人の考え方の中での「肝心」というのは違うという事だ、、、。それは埋めようが無いな、、、。
でも、日々は変化しないように見えて、変化しているんだからそれでいいんではないだろうか?
まあ、本当にどうでもいい事だが、、、。
はあ、駄目だな、、、。
、、、。やめたら合格。
('A`)、、、、、、
>>267 悪いが、それは鉄板で無理、、、。
>>268 ||A・)、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。
||A・)、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。
||A・)独りというのは気持ちいいよ、、、。人をグチャグチャにして殺したくなるほど、、、。
||A・)独りでいると鬱積している何かが独りでに動き始めて自分の心の中を侵略していくんだよ、、、。
||A・)侵略されきるとね、、、。どうなるかというとね、殺人願望で脳みそを埋め尽くされちまうんだ、、、。
||A・)その時に俺は、頭を抱えて悶えるんだ、、、。黙れ!黙れ!黙れ!と言い聞かせてね、、、。
||A・)それを黙らせると、、、。何か深い失望感に襲われるんだよ、、、。不便な話だよな、、、。
||A・)そしたら、今度はどうするかというとね、、、。本を読むんだ、、、。
||A・)本を読んでその人の理想や考えに共感したり、失望したりする事によって自分の失望を相殺しちまうんだ、、、。
||A・)こうやっておれは毎日を普通に生きているんだ、、、。馬鹿な話だよな、、、。
||A・)まあ、どうでもいい事だな、、、。はあ、駄目だな、、、。
||A・)なんかこれ気に入ったから、悪用させてもらうダス!
||A・)という事で、、、。たまにはそのような気分があってもいいではないだろうかな、、、。
||A・)電柱って何か安心するよな、、、。電柱にはさ、蛍光灯がつけられて煌煌と照らしているんだ、、、。
||A・)俺が幼い時、電柱の下は絶対安全な場所でそれ以外は恐怖の場所と考えていたな、、、。
||A・)今は、どっちかというと闇にまぎれる事が気持ちよく感じる、、、。
||A・)闇というのはどこまでも続いている、、、。そう、青空と同じようにだ、、、。
||A・)文明というモノを一概にいうとすれば、、、。闇の追放と孤独からの逃亡とも考えられる、、、。
||A・)俺の親父が俺の年齢ぐらいに千葉の田舎の夜空はまるでゴキブリの如く星があったらしい、、、。
||A・)今は東京より星があるぐらいだが、、、。ほとんど見えないと言っても過言ではないだろう、、、。
||A・)まあ、星は曇っている時は見えないから、、、。昔の闇は真っ暗だったからなあ、、、。
||A・)いつでも光る光という事でガス灯や電気灯を発明したんだろうな、、、。
||A・)より安定したものを、より明るくなるようにとね、、、。
||A・)結局俺らは安定を求めて生きているようなもんだ、、、。
||A・)でも、その安定性というのは何かを不安定、依存する事によって成り立っているものだ、、、。
||A・)心とはいわないよ、、、。電気を得るためには核とか、石油に依存しているわけだ、、、。
||A・)心は何回もいうが都合のいい孤独しか求めていない、、、。それができるようになったのは、、、。
||A・)ネット空間の広大化と俺は考えている、、、。情報だけがいく事が大切なのだ、、、。
||A・)情報だけがいくから、、、。その人間の事を全く知らないのに知った気でいる、、、。
||A・)それで、都合よく関係がある事を満たされるという事だ、、、。利己主義者だな、、、。
||A・)大市民という漫画に書いてあったが、、、。完全に隔離してやったら「助けてくれ!」というだろう、、、。
||A・)完全に疎外される事が恐ろしいのだ、、、。それは当然だろ、真の意味で孤独の恐怖を知らないのだからな、、、。
||A・)俺が味わった恐怖でさえも、、、。明日になれば絶対電車が来るという前提があるからだ、、、。
||A・)それを希望にして恐怖と戦っていたわけだ、、、。ただいえる事は「もう2度としねえ」という事だけだ、、、。
||A・)闇は恐いよ、、、。特に誰もいなければね、、、。その空間に俺はい続けたのだから、、、。
||A・)我ながらびっくりというわけだ、、、。よくもった俺、、、。
||A・)はて、これも全くどうでもいい話だ、、、。はあ、駄目だな、、、。
||A・)家に帰ったら即、パソコンを開くという駄目人間ですが、、、。何か?
||A・)今日は何となく夏のような感じがした、、、。太陽も風も雲もだ、、、。
||A・)夏は俺は嫌いなのだが、、、。夏真っ盛りというのが一番嫌いだ、、、。
||A・)ただ熱くて風流もクソもねえ熱さが続くんだから、、、。異常といっちゃ異常だよな、、、。
||A・)清少納言が「夏は夜」と言ったように夏は夜が一番行動しやすい、、、。
||A・)まあ、いつにしろ夕焼けが綺麗だからいいんだけどさ、、、。
||A・)俺は夕焼けが綺麗見れれば文句はいいません、、、。夕日が俺は一番綺麗からだと思っているからなあ、、、。
||A・)いつにしろ時が過ぎていくというのが実感できるのが俺は夕日だと考えている、、、。
||A・)感傷というのかなあ、、、。一日、一日が過ぎていくのが哀しく感じる、、、。
||A・)それにしても、一日はあっというまだよなあ、、、。そして、あっという間に死んでいくんだな、、、。
||A・)俺らが生きている事は意義がないとは俺はいわないが、、、。本当、漠然としているよな、、、。
||A・)ただ産まれて、ただ死んでゆく存在なのに、、、。それを一々、肯定するような論理は、、、。
||A・)ぶざまだよな、、、。情けないというか、、、。みっともないというか、、、。
||A・)そもそも、俺らが分かりうる事なんてほとんど零に近い事なのに、、、。
||A・)それを分かっているような振りをしているわけだ、、、。なぜそうなるか?分からないのにだよ、、、。
||A・)ちなみに、俺はニュートンを愛読しているのだが、、、。医術が生命が天体がとみだしが色々とあるけど、、、。
||A・)それが医学にとって多大な力を発揮するのは分かるのだが、、、。なぜ発揮するのか?
||A・)なぜ、それによって自分の生が保持されるのか?なぜ、生かしとく必要があるのか?
||A・)まあ、医術というのは長らく生かせるためにあるというのが俺の考え方だが、、、。
||A・)人の生というのは無理矢理生かしとく必要があるのだろうか?生に執着するのはみっともないと感じるのだが、、、。
||A・)そりゃ、人は長生きしたいとか、、、。ずっと健康で、老いる事なくありたいというのは分かるよ、、、。
||A・)でも、それをしうるにはとんでもない労力が必要というわけだ、、、。
||A・)という事はだよ、、、。科学というのは怠け者をいかに不幸にさせないためにあるようなもんだ、、、。
||A・)人の本性は怠け者だ、、、。より楽に、より楽にという願望が科学を発展させたのも過言ではないと思う、、、。
||A・)だが、そう発展する事によって、、、。自分達の欠陥が分からなくなってきたように感じられる、、、。
||A・)それは、なぜか?何、単純だ俺らは一番、欠陥を嫌うという事だ、、、。
||A・)例だが、今は子供が産まれる前に異常か、異常じゃないか、分かるらしいが、、、。
||A・)その場合、日本人の七割強が堕胎するらしい、、、。西欧諸国だと2割ぐらいらしいのだが、、、。
||A・)そこには日本人が一番気にする面子というのがある、、、。実は支那人の方が気にするのだが、、、。
||A・)そこはあえて問わないで、、、。俺らにとって表面的な欠陥がある人間はただの生き物に過ぎないと考えている、、、。
||A・)隔離するようにしていたわけだ、、、。ハンセン病患者の如くにな、、、。
||A・)そこまでいくと、、、。穢れ思想とかうんたら出てきそうになるから、話を無理矢理、戻して、、、。
||A・)まあ、欠陥を隠したり、さも正常のように修正しているのが、、、。科学の発展となるわけだ、、、。
||A・)だから、日本人は科学的とかという言葉に弱い、、、。科学が進歩すればどうにかなるという、、、。
||A・)全く無駄な期待に打ちひしがれているのだ、、、。おめでたい話だ、、、。
||A・)その科学を有効に扱うためにはその科学を知っておかなければならない、、、。
||A・)さもなくば、科学というモノの奴隷に成り下がって生きていく事になるだろう、、、。
||A・)その兆候がもう現れてきているだろ、、、。さも、正しいかの如くいう奴らが異常発生している事にさ、、、。
||A・)はたまた、例を出すが、、、。今の馬鹿(賢いのかもしれんが)親は子供に整形手術をさせたりするらしいな、、、。
||A・)そこから先の発育(可能性)を完全に無視して、、、。実行にさっさと移ってしまうわけだ、、、。
||A・)あまりにも短絡な作業だ、、、。昔からいうが「美人は三日で飽きる」という諺がある、、、。
||A・)無理矢理、美人にさせるなら、、、。料理や家の仕事を教えた方が全く後のためになるというモノだ、、、。
||A・)でも、それには中々の労力が必要となる、、、。そこで苦労というのを無視しているわけだ、、、。
||A・)そこには論理も何も必要ないだろ(それも論理だといわれるかもしれんが)、、、。
||A・)むしろ、俺らは論理というモノをあまりにも拡大解釈していったものだ、、、。
||A・)俺には全てのものが論理(原理)で当てはまる気がする、、、。論理、原理を通してしか、、、。
||A・)正しいといえなくなっちまったような気がする、、、。
||A・)でも、論理というモノは全てを肯定するためにあるとは考えられないんだな、、、。
||A・)人が作ってきたものは確実に欠点がある、、、。欠点がないようにしているか、目を潰しているかだ、、、。
||A・)欠点から目を潰す事が進歩なんだろうか?欠点をより零にする事が進歩なんだろうか?
||A・)進歩は進歩によって飲み込まれる、暗夜行路みたいなものだ、、、。
||A・)さも、果てがない闇路か、、、。まあ、どうでもいい事だ、、、。はあ、駄目だな、、、。
|A・)酒を飲んだ後、何か考えようとすると、、、。電波しか受け取らねえなあ、、、。
|A・)政治について考えてしまうわけだ、、、。頭が悪いのは仕方が無いのだがな、、、。
|A・)まあ、政治なんてどうでもいいのだがな、、、。生きている事には関係ないがな、、、。
|A・)人質事件がとりあえずニュースに出なくなって、、、。北朝鮮が気になるこのごろ、、、。
|A・)それにしても、政治の話は切りがないよなあ、、、。
|A・)なんて言えばいいのかな、、、。こっちを切れば、こっちが出るという感じだな、、、。
|A・)政治と宗教と思想の話しが切りがないのと全く同じなわけだ、、、。
|A・)水を掛け合う事によって、思考というのが発展していく感じだな、、、。
|A・)結局、独立した思考がぶつかりある事によって、思想というのが発展してくんだな、、、。
|A・)だが、発展を拒絶する事によって、、、。思想が保全される、、、。
|A・)そうすると、内輪でもめている形になるから、、、。本来の社会に対しての発言が、、、。
|A・)無意味な状態になってしまう、、、。議論は発展していくということがなくなる、、、。
|A・)そうすると、硬化状態に陥って、、、。後は周知の通りになるというわけだ、、、。
|A・)例えば、憲法の話をすれば、、、。護憲、改憲に関わらず、、、。
|A・)元々、今作られた憲法は日本国憲法ではなく、極端にいえば、米国の奴隷みたいなものだ、、、。
|A・)憲法には、欽定、民定憲法とあって、、、。大日本帝国憲法は欽定(天皇が定めた)憲法な訳だ、、、。
|A・)しかし、日本国憲法は民定でもなく、欽定でもなく、米定といえる、、、。
|A・)それはなぜか?戦後直の混乱期に国民が憲法に対して定める能力はないと考えられ、、、。
|A・)又、憲法改定も、、、。政府側から出された、甲案、乙案はGHQに否定され、、、。
|A・)又、共産党からだされた、日本共和国憲法は当然、受理(米国の手で)されなかったわけだ、、、。
|A・)だから、今の日本国憲法を守っているという事は、、、。
|A・)「僕達〜、私達は〜、八千代にアメリカの奴隷です〜。」といっているのと同じであるわけだ、、、。
|A・)まあ、卒業式風にやるとそうなるわけだ、、、。左翼といわれる人達が、、、。
|A・)反米と甘えられたのは米国の核の傘と、、、。日本軍の武力があったからだ、、、。
|A・)右翼といわれる人達が親米と甘えられたのは、、、。米国依存病にかかったからだ、、、。
|A・)世界レベルで日本人が誠実を唱えられたのも米国依存病のおかげだと思う、、、。
|A・)日本人のように武士道的な誠実性や、寡黙性、反省病は利用できるいい駒に過ぎないわけだ、、、。
|A・)それは、「表で手を握りあって、テーブルの下で蹴りあう」ような外交の世界では、、、。
|A・)通用するわけ無いがない、、、。まあ、いい伝統、しそうである事は変わりないが、、、。
|A・)武士道というのは、、、。ある意味、厄介な思想だと思う、、、。
|A・)確かに武士道というのは非常に潔い思想だ、、、。名誉を重んじ、醜態をさらす事を嫌う、、、。
|A・)李登輝氏の武士道も読んだし、実際に新渡戸稲造氏の武士道も読んだが、、、。
|A・)実際どうなんだろうか?という考えが浮かんだわけであります、、、。
|A・)御畳奉行の日記というの漫画があるんだが(横山氏のご冥福を祈ります)、、、。
|A・)綱吉の時代かな、、、。所謂、処類憐れみの令の悪法の話しがあるわけだ、、、。
|A・)それによると、、、。武士というのも太平の時代では完全に骨抜きにされてしまって、、、。
|A・)博打やまあいうまでもないが、、、。相当、堕落していたわけだ、、、。
|A・)その中で赤穂四十七士の話しがあるわけだが、、、。そこで主人公が、、、。
|A・)「こんな時代によくそんな武士がいたものだ」と感心している場面がある、、、。
|A・)赤穂浪士の話を題材にしたのが「仮名手本忠臣蔵」によって流布される事によって、、、。
|A・)評価されて、、、。今にいたっているというわけです、、、。
|A・)結局、武士道という観念をしっかりもっていた人達のおかげで明治維新がでけたというわけです、、、。
|A・)だが、俺らの今の太平きでは、、、。名誉より実利という考え方が自然に強まるわけです、、、。
|A・)又、今の戦後教育のおかげでその意識がより高くなっているというわけだ、、、。
|A・)名誉より生というわけだ、、、。まあ、仕方が無い、それを俺らは感覚的に教わっていないわけだ、、、。
|A・)又、感覚的に分からないと言っても間違いではないだろう、、、。
|A・)小林よしのり氏が武士道の観念を尊重する理由は分からなくもないが、、、。
|A・)ただ、、、。純粋すぎるような気がするのは俺の気のせいなのだろうか?
|A・)まあ、氏のおっしゃる事は非常に道理にそっているとは思うが、、、。どうもそこがよく分からない、、、。
|A・)まあ、話は戻して、、、。憲法の成立自体が、GHQの強制みたいなものだ、、、。
|A・)押しつけ憲法の他以外なんでもない、、、。まあ、当の日本人はその束縛を受け続けているわけだから、、、。
|A・)半分ギャグみたいなものだ、、、。共産、社会党が憲法を死守して、、、。
|A・)親米保守派の人達が憲法を改憲しようとしている、、、。元々、方向が違うんでは?
|A・)保守派が米定憲法を死守して、社会、共産党が改憲を望むのが普通だろ、、、。
|A・)それが真面目に起っているのが日本という国なんだよ、、、。面白いよな、、、。
|A・)この国を第三国人(差別的な意味は無い)が見たらすんげえ馬鹿か、笑えると思うよ、、、。
|A・)女性の大半は髪を染めて、女性専用車両があって、男はホモみたいに女みたいな奴が増えて、、、。
|A・)どうなっちゃうんだろうね?まあ、どうでもいいけどさ、、、。
|A・)はあ、駄目だよな、、、。俺も含めてさ、、、。
|A・)久しぶりに秋葉原いこうとして、、、。地元の駅の方向に歩いてたら、前を歩いてたおじさんが倒れていた、、、。
|A・)何と言えばいいのかな、、、。完全に倒れている状態、、、。めったに見れない感じかな、、、。
|A・)とりあえず、俺は「大丈夫ですか!」といって起こしたらさ、鼻の下が完全に切れてて、、、。
|A・)血が結構出ているわけよ、、、。で、おじいさんの方は「大丈夫、大丈夫」といっているわけだが、、、。
|A・)「大丈夫なわけ無いじゃないですか!」と正しく偽善者のような事をいって、、、。
|A・)おじさんの肩をしっかり支えて一緒に歩いていったわけだ、でも、俺の地元は警察署があるのだが、、、。
|A・)その場所からは遠いので駅まで歩いていって、駅員さんをよんで、、、。
|A・)駅員さんに後の処置を任せたというわけなのだが、、、。
|A・)そのおじさんは異様に足がもつれていて、なんでそこまでもつれているのですか?と尋ねたら、、、。
|A・)「パーキンソン病でね、足がしっかり歩けない」といってたんだ、、、。
|A・)何かね、、、。これが、死んでゆく事なのかなと考えてしまったんだ、、、。
|A・)「人には欠陥が無きところは無い」という言葉にもあるが、、、。
|A・)年をとるというのは単純に、欠陥が若さで見えなかったところが、、、。
|A・)欠陥がより強く露呈するようになって、、、。その露呈した部分が、、、。
|A・)酷くなった時に自分達は死ぬのかな〜、、、。と漠然に考えてしまったよ、、、。
|A・)死というのはあまりにも近いね、、、。遠いと考えている事が異常なくらいだ、、、。
|A・)でもだ、生きているものは死というモノを第三者的にしか見うる事ができない、、、。
|A・)俺は人の死と生の間も見たことあるし、健康だったのが、、、。というのもあった、、、。
|A・)絶対に死ぬ病気といわれても、、、。体が蝕われていくのが分かるとしても、、、。
|A・)「死に逝くものが今日死ぬと分かっても、いつ死ぬかは分からない」と言う言葉あって、、、。
|A・)死を第一者の如く見ている人間は皆無なわけだ、、、。むしろ、見れない、、、。
|A・)仮に、死と同時に俺という意識、存在が消滅したとしよう、、、。そしたら、俺は俺を見る事ができない、、、。
|A・)そうすると、俺は俺が死んだ事を知りうる事は無いし、分かりうる事も無い、、、。
|A・)ただ、第三者が(親族の場合でも)俺という存在の死を見ているだけという事になる、、、。
|A・)もしそうであるなら、、、。俺らは死というモノを永続に知りえないわけだ、、、。
|A・)極端にいえば、この身でさえも第三者的な存在に過ぎないともいえる、、、。
|A・)まあ、それは極論だが、、、。そうすると仮死の状態はどうなるんだと考えるわけだが、、、。
|A・)そもそも、仮死は仮の死であって、、、。死んではいないという事だ、、、。
|A・)仮死体験した人の意見は非常に興味深いが、、、。完全に死んではいないから、、、。
|A・)死そのものの話ではないが故、、、。ここでは仮死の事は言及しない、、、。
|A・)そうすると死に対しての思考は全くの無意味となる、、、。例だと、不可能を可能というのには、、、。
|A・)多大なリスクが必要な事だ、、、。それと同じだと思える、、、。
|A・)分かりえないものを分かる事はないだろうし、科学的に求めれるには限界がありすぎる、、、。
|A・)科学という事を前も話したけど、、、。科学というのは反比例のグラフと同じなんだな、、、。
|A・)零に近付く事はできても、零にはならない、、、。ただ、零になれるという考えはある、、、。
|A・)ただその考えというモノに汚染されているという事だ、、、。
|A・)だから、完璧というモノは絶対に欠陥を持っているという事だ、、、。
|A・)完璧性を求められても、、、。完璧性を出す事は不可能なのだ、グラフと同じでね、、、。
|A・)意味は完璧ではないだろう、、、。しかし、完璧のように振舞わせる事はできる、、、。
|A・)その点では科学というモノは楽観的で肯定的だ、、、。不可能という前提は無いと考えているのだから、、、。
|A・)その思考こそが不可能という事なのだがな、、、。その上で成り立つ死の論理、科学なのだから、、、。
|A・)チャンチャラ面白いなあと考えてしまうんだな、、、。まあ、どうでもいいことだがな、、、。
|A・)はあ、駄目だな、、、。
|A・)何か又話しがズレたなあ、、、。
|A・)とりあえず、けふは知り合いと秋葉原に久しぶりにいったわけだが、、、。
|A・)うん、相変わらずだよ、、、。サラリーマンとオタクと外国人の群れ、、、。
|A・)エロゲーや同人誌、パソコンから本当にピンからキリまである場所、、、。
|A・)秋葉原というとオタクのイメージが強いが、、、。それは否定はできないが、、、。
|A・)それを全否定するような人間は無思考としかいえようが無いな、、、。
|A・)まあ、オタクとしても自分達の存在を肯定しろと叫ぶのは同じく無思考な訳だ、、、。
|A・)結局、エゴとエゴが殴り合って、中々素晴らしい自滅ルートを歩いているわけだ、、、。
|A・)俺も鉄オタだが、、、。わきまえというのはあると思うんだけどなあ、、、。
|A・)なんで彼等は自分という存在を第三者的に見て、自己分析するという事ができないのだろう?
|A・)なんで我ありきから始めるんだろう?「我思う故に我あり」ではないのにな〜、、、。
|A・)デカルトさんの言葉は他人という存在をあまりにも意識していない軽率な言葉と俺は感じるのだが、、、。
|A・)まあ、それは俺の考え方だとして、、、。
|A・)それを個人主義というなら「個人主義」という感じだな、、、。
|A・)個人主義はまず他人ありきから初めて、そこから個人という立場を見いだすのだと思うのだが、、、。
|A・)「個人主義」は他人ありきを無視して、個人という立場から一方的に見いだそうとする、、、。
|A・)それとは話は変わるが、、、。エロゲーショップにいる自分を第三者的な視点から見たら、、、。
|A・)相当痛いだろうなあと考えていたら、、、。
|A・)周りの人はここにいる事を当然のように感じているのかなあ、と考えてしまった、、、。
|A・)じゃなきゃ、、、。自分の存在を肯定できないわけだもんなあ、、、。
|A・)でも、たったそれでしか自分の存在を肯定できないのも、中々哀しい話だよなあ、、、。
|A・)けど、彼等はそうすることによって現実と空想(妄想)をうまく使い分けて日々を暮らしているわけだ、、、。
|A・)満たされる事ない妄想が満たされる仮想(妄想)、、、。正しいとはいわないが、、、。
|A・)彼等にはそれが必要なんだ、、、。人は何かしら逃げれる空間を欲する点では皆同じだ、、、。
|A・)故にかこの人は「あはれ」という概念を作ったのですね、、、。
|A・)まあ、どうでもいいや、、、。はあ、駄目だな、、、。
それにしても、俺の考えがほとんど出尽くしたような気がするなあ、、、。
結局、俺がいいたい事なんて胡麻の粒、芥、塵より小さなものだ、、、。
でも、小さければ小さいほど良い、、、。それこそ重みのない言葉がたくさん産まれるだけだ、、、。
俺は時々、考えるんだが、、、。人は生きている間にどれだけ話、どれだけ話を聞くのだろうとね、、、。
例え、聞いても、、、。あっそ、だから、何?意味ないね、とされるようなものは聞いていないのと同然だ、、、。
元々、人の話を聞くという行為は相手を信頼したり、興味を持つ事でしか起きない、、、。
大半の言葉(叫び)を俺らは無視して生きているというわけだ、、、。
だってそうだろ?自分が持っているイデオロギー、思想、思考、経験を通さない限り、、、。
人はどんな話であっても全く理解しないし、共通的なものを通さない限り分かりあえないわけだ、、、。
又、共通、共有しあっても、、、。自分達は無視という手段を非常に多用するわな、、、。
例えばさ、街頭の広告とかさ、yahooBBの勧誘を無視して自分達は歩いているでしょ、、、。
その存在を認識はしているのに、あえてその認識を拒否するような行動を自分達はとるわけだ、、、。
そこには自分の実利という考えが根幹にある、、、。
自分が得か損かの損得計算は大抵の人が早いでしょう、、、。それは自分に対し正、益と考えるからだ、、、。
それをうまく騙すのが詐欺であり、それを真実のようにいうのが嘘というわけだ、、、。
もし、上記したものを仮定として、、、。言葉の重みとは?の簡単な答えは、、、。
自分にとって得な言葉と自分の存在を肯定するような言葉が一番重い言葉なのだ、、、。
美麗麗句がもっとも気持ちいいのだ、、、。まあ、そのような習性を悪用したのが、、、。
弁論術、詐術、弁護術なわけだ、、、。そのような言葉が重く感じるのだからね、、、。
だが、、、。俺らが見なければならないのは重くない言葉、自分のためにならない言葉ではないのかな?
ためといっちゃあへんだが、、、。自分を不愉快にする言葉だったり、ムカつく言葉ではないのかな?
ムカつく言葉と言っても、感情的な言説は真に無駄な言葉だ、、、。では、感情を研いでいった言葉は?
続き
当然そんな言葉があるわけが無い、、、。感情が強ければ強いほど言葉は強くなる、、、。
感情を研い(削いで)でいってしまったら、、、。言葉の意味が弱くなるだけだ、、、。
だが、感情だけでは説得性が失われてしまう、、、。そうするとほとんど無意味になるだけだ、、、。
前提として、意味(価値)というモノは他人と共有しあう事でしか産まれない、、、。
感情だけの一方論では、、、。ただ見てくれよ〜!と叫んでいる餓鬼に過ぎないわけだ、、、。
まあ、おれは餓鬼である事は正しいから仕方が無いのだが、、、。
それはそうとしても、、、。言葉の有効性は何かの裏付けのおかげで成り立っている、、、。
その有効性が、どのような形で導くかによって重くなったり軽くなったりするわけだ、、、。
それ以前に軽い、重いというのはただ単純に共有度が低いか高いかの差に過ぎない、、、。
例え、その時に共有度が低い言葉であっても、、、。概念として持っておけば損は無い、、、。
知らぬより、知るがいいのと同じようなものだ、、、。でも、それは自分の脳みその容量と話し合わなければならんが、、、。
でも、そうなると、、、。全ての言葉が重く感じるようになるものだ、、、。
と考えたくなるが、、、、。前に書いてある通り、自分の実利の関係が働いて無意識に分別している、、、。
それが経験というモノとわけだ、、、。そう考えるなら賢さというのは知ではなく、識なのだと思う、、、。
だが、知のほうが重くとられているのだから、面白いなあと俺は感じてしまうんだな、、、。
どんなに難しい論理も単純な論理には勝てない、、、。客体化できない文はその文自体に欠陥があるようなものだ、、、。
結局自分のためになる、ならないというのは最終的には自分の思い込みによってなる、、、。
だから、自分の思い込みを信じきれるようになるまで色々と知らねばならないというわけだ、、、。
だけど、そこまでできる人間を俺はほとんど見た事がないね、、、。
そう、こんなもん下らない理想、妄想、空想、幻想に過ぎない、、、。
本当に無意味な話だ、、、。まあ、どうでもいいや、、、。
はあ、駄目だな、、、。
必然として俺は生まれ、必然としてここの家の子で、必然として生まれ育ってきた、、、。
何という必然だろうか?その必然はあまりにも見えない闇路のようだ、、、。
何という必然だろうか?その必然はあまりにも必然と取れるようなものに見えないではないか!
何という必然だろうか?その必然は偶然と言っても過言ではない形をとっているではないか!
偶然産まれて、偶然ここの家の子で、偶然ここで生まれ育ってきた、、、。
何という偶然だろうか?その偶然はあまりにも秩序だったレールのような道ではないか!
何という偶然だろうか?その偶然はあまりにも偶然と取れるようなものに見えないではないか!
何という偶然だろうか?その偶然は必然と言っても過言ではない形をとっているではないか!
何という偶然だろうか?その偶然は偶然と切り捨てる事によって無意味にするものだ、、、。
偶然と必然は殴り合っている親友みたいなものだ、、、。
どっちが残って存在し続けねば、その存在そのものを表すのを非常に困難とさせる、、、。
いや、一々表す必要も無いのかもしれない、、、。
一々、明文化したがるのが、、、。言葉という構造だ、、、。
しかし、言葉を否定する事は無意味であり、リバイアサンに殴り込む蟻みたいなものだ、、、。
巨大なものにどのような急所を噛んでも、、、。痛みを与える事も殺す事もできない、、、。
なぜなら、その力では急所という部分を突いても動じない力であるからだ、、、。
無意味と言っても、自分にとっての無意味であって、、、。他の人間の事は分からん、、、。
その分からなさが、、、。この必然、偶然という言葉遊びを長びかせているような気がする、、、。
卵が先か、ニワトリが先かというのがあるが、、、。これを崩すにはニワトリと卵という観念を自分の頭から除外し、、、。
その言葉自体を無意味にするしか方法が無い、、、。しかし、この行為は極論に過ぎない、、、。
極論であるが故に、、、。言葉というモノを否定するの不可能なのです、、、。
はあ、どうでもいいことだ、、、。はあ、駄目だな、、、。
なんてういか君はコミュニケーション能力が著しく欠けているね
また、それでいいと思ってる
自分のことしか頭にない人間だ
あと完全に左脳過多だから大した成長も見込めないね(ププ
>名無しさん
そうですね、、、。コミュニケーションというか、、、。
他人との関係が非常に煩わしい、、、。一々、自分の事に興味を持って欲しくないというべきでしょうか、、、。
そういえば、一様このスレは4個目なのですが、、、。思い起こせば、色々な人がレスしてくれましたね、、、。
だけど、何時も独りここに佇んでいる存在だけでしたね、、、。いつもね、、、。
単純にいえば人を拒絶して生きている、、、。人と関係を離して生きている、、、。
そう考えていけば、自分には親友なんてできたこともないし、常に独りであり、孤独だった、、、。
中学生の頃の奴らを思い出す事はできるが、、、。記憶に残っているだけで、何一つ、今の関係がない、、、。
それに気付いたときのことを、相当前にかいた記憶があるが、、、。
諦めていた、、、。人が俺に何をするでもなく、俺が人に何をするでもない、、、。
ただただ笑っていればいいと思う、人は笑う人間にはあまり警戒しないからね、、、。
それが、、、。より自分を独りにしていく事を気付いたのはその後だったけどね、、、。
自分の事しか頭に無いですよ、、、。全ては自分を中心に回っていると考えるのが人ですからね、、、。
どんなに偽善者が地動説を唱えても、、、。人は他人が自分になるわけでもないし、自分が他人にもなるわけでもありません、、、。
他人というのは一つの衛星、星に過ぎないのです、、、。永遠に分かる事が無いね、、、。
常に孤独な星が人という星なのです、、、。何かしら関係はあれども、ただ関係があるだけという事に過ぎない、、、。
その関係が誇大に解釈されているのなら、、、。それはそれで同じく正しいですよ、、、。
ただ、俺はその考え方をしないという事に過ぎないのですから、、、。
左だけをいってたら、円を書いていきますね、、、。だけど、真円にはなることはありません、、、。
横にヅレていっていくものです、、、。オウムガイの貝殻のようにね、、、。
でも、そのズレが成長なのでは?ただ一直線なのが成長ではないのですからね、、、。
まあ、見えないといったら正しいですね、、、。自分達は見えやすいものしか信頼できないのですから、、、。
まあ、どうでもいいことだな、、、。はあ、駄目だな、、、。
なんで宗教というモノは個々の救済にすぎないのに、さもただし如何の如く流布したがるのだろうか?
全ては孤独の拒否にすぎない、、、。孤独が恐ろしいが故に共有化したがるのだ、、、。
それはオタクも同じであり、宗教者も、学問も、政治も、何もかんもだ、、、。
共有化するという事は、全てを転化する事もできる、、、。逃げうる事もできるのだ、、、。
なぜ、逃げられるか?逃げるためには何かしらの空白(隙間)が必要である、、、。
その時、普通は共有しあっている事柄の大抵を人は深く考えようとはしないので、、、。
(例え、考えられても、、、。独自というモノは零に近いといえる)
その無思考の小さな挟間がちょうどいい感じに空白(隙間)となるのである、、、。
無思考は逃げの手段とも使えるし、無思考と感情をまじあわせれば、その何倍の効果を産む、、、。
もっと達が悪いのは都合のいい思考に感情をまじあわせるのが一番達が悪いのだが、、、。
そのようなものの大抵が、(市民、村民)社会的に信頼されるような立場にいないので、、、、。
又は、信頼されるような立場でありながらそれを悪用する下らない人間ばかりなので、、、。
ここでは、そのような部類の人間は省く事にする、、、。
単純に言い放てば、、、。無思考は短絡的で、自分の事だけを言い放つようなものと同じだ、、、。
だから、俺は女といういきものを満足させうる事はできない、、、。それを受容する事ができる人間ではないからだ、、、。
女の論理性というのはたかが知れている、、、。男より達が悪い自己満足が非常に多い、、、。
フェミのおばちゃんが男に対してのルサンチマンで生きているのと同じように、、、。
大半が自己満足を満たす事でしか生きる事ができないのだ、、、。
そうするとニーチェの「真理というものは女みたいなものだ」という言説は破綻する、、、。
なぜなら、女は自分を満たすためだけの理しか持ちえないからだ、、、。それは真理なのだろうか?
もしそれが真理なのであるなら、、、。ニーチェの持っている理がその程度であったという事だ、、、。
結局、その程度の真理に俺らは惑わされているのなら、、、。現代思想というモノはどうなるのだろうか?
まあ、どうでもいいや、、、。
はあ、駄目だな、、、。
|A・)体が半分しか出ていない状態から、物事を見ると中々面白い、、、。
|A・)真理も半分、うそも半分、現実も半分、仮想も半分、人間も半分、エロいことも半分、、、。
|A・)では、もう半分はなんだろうか、、、。それは多分、その蓄積であるような気がする、、、。
|A・)自分という存在は金平糖と同じだ、、、。ちなみに金平糖の作り方を説明するが、、、。
|A・)金平糖は芥子の実が核となっていて(今は使われていないが)その周りに砂糖の結晶がついて固まっているのだが、、、。
|A・)その結晶の作り方が、大きなフライパンみたいなものを(昔は手で)モーターで回転させ、、、。
|A・)それに芥子の実(その代わりのもの)に砂糖の煮詰め液をふっかけながらまわしていくのだが、、、。
|A・)金平糖の結晶が一?�になるには一か月ぐらいかかるそうだ、、、。気のとおい作業だ、、、。
|A・)ちなみに金平糖特有のあの棘は、回転して砂糖の液がつく際に少しの出っ張りが段々大きくなる事によって、、、。
|A・)できるそうだ、、、。その棘が個人を表して、同じではない事をさしているのだろう、、、。
|A・)なんで金平糖でさえ同じものが無いのに、人間は同じようにしたがるものか、、、。
|A・)まあ、それは仕方が無いだろう、、、。なぜなら、、、。個々の思考がここに汚染され過ぎているからだ、、、。
|A・)普遍性を訴える人間はどれもこれも似たような面をしている、、、。
|A・)何かに取り憑かれて自分というモノを見失いきった人間のつらをしている、、、。
|A・)それを傍観者として見ているとなんと面白い事か!
|A・)彼等は一生懸命なんだろう、自分達が正しい事を叫びたいのだろう、、、。
|A・)おれはその際に思う事がある、、、。なんと人というモノは醜いのかと、、、。
|A・)その一生懸命さはほとんど無意味である事を理解しないで逃げる事で落ち着いている人間と、、、。
|A・)その一生懸命さを嘲笑いながら、平々凡々と暮らしていく人間と、、、。
|A・)その一生懸命さを完全に無視して、同じように日々に飲まれる人間が常にいる、、、。
|A・)なんと面白いのかね!人の存在を全く分かりあえないのに断言しようとする人間、、、。
|A・)なんと面白いのかね!人の存在を無視して、無視する事で断言しようとする人間、、、、。
|A・)なんと面白いのかね!人の存在を嘲笑って満足だろと断言しようとする人間、、、。
|A・)その全てがこの街の中を死んだ目でうろついている事がなんと面白いのだろうか!
|A・)さて、、、。そうして自分というモノは見つかりえない小路に嵌る俺という存在、、、。
|A・)なんと滑稽なのだろうか?ハハハッ、、、。もう駄目だな、、、。
>>290 ずっとROMに徹してたけど、ちょっとこれはいただけない。
あなたは「女」という言葉を用いた思考停止を披露して見せたに過ぎないんだよ。
私は女だ。
あなたより短絡的である。
思慮も浅はかであろう。
知識量も及ばなければ、思考能力だって劣っているだろうね。
そう、女にはこんな私のような人間もいる。
確かにクダラナイ女は存在する。
クダラナイ男が存在するように。
あなたが素晴らしい女を知らないから
女という言葉を悪用して、自分の気持ちを晴らしているという認識を持ってください。
あなたはまだ、女を知らない。
正確に言うと、自分より能力的に優れてる
「ああ、俺、コイツには負けたな」と思えるような女と直に触れた事がない。
知らないものを批判するのは滑稽です。
大変失礼致しました。
悪意はありません。
むしろ、好きだからこそ許せなかったと受け取ってください。んじゃ ノシ
追加
類は友を呼ぶ。って言葉がある。
ニーチェには、ニーチェに見合った女性がいたのでしょう。
自分のレベル相応の相手としか繋がれないんです。リアルでは。
ニーチェの言葉の再考のきっかけになったでしょうか。。
>やゃ
理屈っぽい女は駄目だよ、自分を磨けよ
>>295 あら、どうして駄目なのかしら?
あなた自身のの考えが聴きたいなあ。
理屈じゃなくてもいいですよ。
感性で語り合うのもいいものね。
ここじゃなんだから私のスレで話合いません?
>駄目たん
お邪魔しますた。
>あら、どうして駄目なのかしら?
こういう物言いの時点でヤレヤレってかんじなんだよww
一生、1人で生きたければそうしたらいいけどさ
なんていうか、一言で可愛くないっていうことさ
その内、誰も相手しなくなるか、類は友を呼ぶだから
しようもないヤシしか回りにいなくなる、かww
|A・)すいません、家族で旅行をいっていました、、、。大変すいませんです、、、。
|A・)ゃゃさん、そうですね、、、。俺もまともな女性というモノをまだ見ていないんですね、、、。
|A・)どうやら、、、。文の上での女性というモノしかみていない、、、。偏見が強すぎましたね、、、。
|A・)それにしても、大切な忠告を有り難うございます、、、。
|A・)自分の中の偏見上、、、。田舎のおばちゃんが女性の理想として見ているから、、、。
|A・)都会にいるような女性がつまらない女性に見えてしまう、、、。で且つ、都会っ子だから、、、。
|A・)都会の悪いところしか分からないし、つまらない街にしか見えない、、。
|A・)まだ、田舎のおばちゃんの方が何か女性としてズッシリして(この場合、余裕がある意)、、、。
|A・)力強い感じがする、、、。まあ、都会の軟弱な女性とは段違いという考えがあるからかもしれない、、、。
|A・)ちなみに、理屈っぽい女性は男がそれなりの知識と経験がないとならんから、、、。
|A・)男としてみたらきついだろうねえ、、、。なぜなら、それが俺のオカンと同じタイプだからさね、、、。
|A・)家のオカンは日本、海外の小説の全集を読破して、哲学書にも達見しているから、、、。
|A・)そこらへんの男よりは知識もあるし、ガールスカウトをやっていたから、、、。
|A・)体力も精神力も、、、。桁違いだろうねえ、、、。いや、本当に家のオカンはすごいよ、、、。
|A・)だって、俺のオカンが親父と結婚する際に、、、。オカンがひいばあちゃんから、、、。
オカンの名前↓ 親父の名前↓
|A・)「○○よかったねえ、○○さんじゃなかったら。一生結婚できなかったよ。」
|A・)と、ひいばあちゃんに泣かれながら言われて、、、。
|A・)オカン曰く、「あの時の言葉は、嬉しかったけど。これが贈る言葉と思うと、ムッとしたよ。」
|A・)と、時々おいらにそう愚痴をこぼしてくれるのですが、、、。
|A・)ああ、正しくだな、、、。と、毎日思う馬鹿息子と言う、、、。
|A・)中々、香ばしい家族関係と言う事なのですが、、、。うまく言っているからまあいいんだけどね、、、。
|A・)ただ、おいらが言える事は、、、。料理が上手だといいですよと言う事だけです、、、。
|A・)おとこの幸せと言うのは、、、。毎日、うまい料理と笑いあえる家族がいる、、、。
|A・)という、、、。女性なら笑ってしまうかもしれませんが、、、。それが、おとこの幸せなのです、、、。
|A・)まあ、俺の考え方も入っているから、、、。これとはいえないのですがねえ、、、。
|A・)はあ、駄目だな、、、。
笑ってしまいなどしませんよ。
だって、私も好きな人が、自分の手料理に満足してくれたら
幸せを感じるもの。
幸せって、結構そんなものなのかもしれないです。
まだまだ幸せが何かも解っちゃいないいい年こいた女の戯言ですけど。
なんか私のせいで不穏な空気になったこと
ほんとに申し訳なく思います。
以降、ROMに徹していますのでおゆるしくだしゃい。
それでは。気が向いたらゃゃスレにもそうぞ・・・ ノシ
>ゃゃさん
いや、すいません、、、。自分としてはロムだけではなく、何か発言してもらえると、、。
こちらとしても大変ありがたいので、、、。いつでもしてくださいな、、、。
ちなみに、オカンの話しが出てきたので、、、。親父の話もしますが、、、。
うちの親父は、、、。大学をでて、大学院をでて、そこからアメリカの大学にいって、、、。
日本に戻ってきたら、自分の親の家業をやっているという不思議な経歴を持っているのですが、、、。
親父もすごくて、、、。親父の部屋にはでかい本棚(千冊、二千冊?)が三個もあって、、、。
その本を全部読破しているという、他にもでかい段ボールで4、5個にも本が入っていて読了と言うのだから、、、。
これまた、、、。すごい能力を持っていると言うわけで、、、。
もしかしたら、、、。俺の読書癖も親父やオカンの血をきっちり受け継いでいるからかもしれませんね、、、。
そんな母親と親父に囲まれて生きているんだから、、、。何か癖がつかないのがおかしいかもな、、、。
それにしても、経験と知識が桁違いの能力を持っている人間に囲まれて育ってきたのだな、、、。
不思議な話だな、、、。知識、経験というモノはどうやら、どこかしら決まっているのかもしれない、、、。
それは何に決まっているか?多分、あまりいいたくは無い言葉だが運命というモノではないだろうか?
俺が定まっている運命は超える事はできえないだろうし、刻まれてしまうだろう、、、。
でも、自分達はその刻みの中を生きているとは考えはしない、、、。全ては流れにある、、、。
自分達の生と言うものは刻みや、流れと置きたがる、、、。体感している生は流れで、、、。
体感しえない生、それ以前の生は刻みと差別するのです、、、。
そうせねば、刻みというモノを理解する事は無い、、、。差別化が重要なのです、、、。
差別論を説くと、神経的に発言する人がいますが、、、。その人達はその発言こそ差別的と言う、、、。
矛盾性を分かろうと努めないので、、、。その人達の発言は無意味とします、、、。
ちなみに歴史を流れとしてとると分かりやすいと言う人がいますが、、、。
それは、あくまでも日本史限定だと考えて下さい、、、。
なぜなら、日本という国は日本人(この場合、東人と都人、アイヌなどの総称として)だけの歴史です、、、。
確かに、アイヌや琉球とかも入れれば文化形態が違うというひとがいるかもしれませんが、、、。
その文化の差は、一様、表面上は日本という体系で統一されているのでここでは問いません、、、。
しかし、諸外国、、、。一番いい例では支那大陸なんかいい例かも知れません、、、。
支那人は「自分達の歴史は、五千年もある」(歴史考証学としては証明されていない)
と自慢をしますが、、、。支那人と言うのは単純に言えば漢人だけの事です、、、。
ですが、支那大陸は五胡十六国の時代や、金、清、明、元、などは全部漢人が統一したのではありません、、、。
全部他民族です、、、。モンゴル族、満州人、西カザフスタン人など、、、。
支那大陸の歴史は点のようであり、石盤に刻んだようにしか見えません、、、。
そこでは、日本の歴史体系はほとんど奇跡のようなものです、、、。流れで分かると言う事がです、、、。
自分はそのような歴史的な奇跡を自分は運命としか思えないのです、、、。偏見かもしれませんが、、、。
全てを特異性の中で答えを見つけようとするのは、、、。あまり意味がありません、、、。
だから、学校の教科書は日本史と世界史で別れているのはその点が理由だからです、、、。
歴史の体系の差を理解できずに全てを求めるのは愚の絶頂です、、、。
全ての知識はその共通化、共有化を肯定し、煽動の徒のための利用具になってしまうのです、、、。
同時に、全ての知識はその共通化、共有化を否定し、煽動の徒を潰す事にあるのです、、、。
歴史は繰り返してはならない!歴史が繰り返すと唱える人間を潰さねばならない!
それこそ、歴史を放棄している!歴史が繰り返す事は無い!刻まれた時は流れない!
ああ、歴史は血なのだ!固まりきってしまった、血なのだ!酸化した血漿を血に戻す事はできない!
ああ、溶かしてはならない!溶かせないのだ!ああ、歴史は悲嘆の中にある、、、。
続き
悲嘆の中を彷徨い続けるのだ、、、。自分達は痛切な現実、現在の中を生きている、、、。
それだけで十分なのだ!歴史なんぞ関係ない!自分達は自分達の事さえ分かればいい!
それで十分なのだ!歴史を感じ取る事は自分達には不可能だ!見る事も自分達には不可能だ!
全ては、抽象的な価値観の中を泳ぎ続けているのだ!分からない、わからない、、、。
分かりえる事なんぞ無い、、、。終わりだ、、、。終わりが始まる、、、。
終わりが始まる事によって、又、終わりが作られ、始まり続ける、、、。
どこまで、自分達は終わりというモノを作り続けるのだろうか?
死ぬまでか?死ぬ先までか?空想的な、妄想的な未来まで進んで未来を説くのか?
|A・)俺には現代思想と言うものが、実によく分からない、、、。
|A・)そのような思想家の本を読んでみたのだが、、、。こ難しそうな言葉を使って、、、。
|A・)相手を納得させるような気がないのか、自分を特殊化したいのか分からないが、、、。
|A・)ただよく分からない言葉が徒然なっているだけで全く分からない、、、。
|A・)自分も自分の価値観で言葉を綴っていくから、分からない人には分からないと思うが、、、。
|A・)そんなに言葉として難しい言葉を使っているとはあんまり思えないんだな、、、。
|A・)まあ、それは自分の思い上がりだと思うから、、、。我ながら、駄目だな、、、。
|A・)ちなみに、俺は一時期よく哲板を閲覧していたのだが、、、。どうも、よく分からん、、、。
|A・)彼等が言っている言葉としての哲学というモノが彼等の経験上で感じたものではないから、、、。
|A・)どうも、乖離しているように感じるんだな、、、。言葉とその身との差が、、、。
|A・)まあ、俺は俺の考えの中で矛盾してあっているわけだから、、、。
|A・)彼等の事を言えるような立場ではない事は哀しいほど分かっているがな、、、。
|A・)まあ、どうでもいい事だ、、、。はあ、駄目だな、、、。
|A・)武士道と言うけど、、、。何か不思議だなあ、、、。
|A・)俺らはもう武士道というモノを完全に喪失しているでしょうに、、、。
|A・)なぜかって?何、単純だ、、、。俺らは潔さというモノをあまりにも捨ててしまった、、、。
|A・)確かに、武士道と言う価値観は俺らの根底として存在しているかもしれない、、、。
|A・)だが、俺らは武士道というモノを意識してきたのだろうか?
|A・)むしろ、武士道というモノは無意識に存在しているもので、、、。
|A・)一々、問うようなものではないような気がするんだな、、、。
|A・)その武士道的なものが俺らの日々の常識の根幹を為してきて、、、。それを信じてきた、、、。
|A・)ただ、少しの時間がその意識をグラグラに揺らしてきた、、、。又、壊そうとしている、、、。
|A・)完全に喪失していると言うのは言い過ぎだと自分も思うが、、、。
|A・)まともな人なら、意識し直す必要性何ぞないと思うんだな、、、。
|A・)日本の常識の根幹だからさ、、、。それを問い直すと言うのは、、、。
|A・)ああいわないよ、、、。どうせ、独善的な答えだからさね、、、。
|A・)まあ、どうでもいいことだ、、、。はあ、駄目だな、、、。
|A・)思想からも、思考からも独立したものが俺は欲しい、、、。
|A・)どこからも、どこからも逃げて、、、。消えてしまいたいと望む事が非常に多い、、、。
|A・)しかし、それはもうそうである事からは逃げ切る事はできえないだろう、、、。
|A・)見つからない、見つからない、、、。俺の理想も、現実も見つからない、、、。
|A・)なんで、俺の理想も思想も見つからない、、、。俺の存在というモノも見つからない、、、。
|A・)全てがあまりにも喪失している、、、。求めているのにな、、、。
|A・)なぜだろうかね、、、。もしかしたら、自分と言う存在さえも、、、。
|A・)影なのだろうか、、、。俺と言う存在さえも影でその影を求めて生きているんだ、、、。
|A・)だけど、その影はただの影に過ぎない、、、。影だけど、影を求めているんだ、、、。
|A・)影を実像だと思っている、、、。それが人だ、、、。まやかしと現実が分からない、、、。
|A・)なぜなら、現実を求める事は正しい、正しい事は分からない、、、。
|A・)正しい事が分からないから、、、。まやかしも求めてしまう、、、。
|A・)矛盾体、、、。まあ、どうでもいいことだ、、、。はあ、駄目だな、、、。
大きな思考と小さな思想とはどっちのほうが価値を持つのだろうか?
大きな思考は、まだ思想とはなり得ていないがあまりにも新鮮である、、、。
しかし、それは陳腐である、、、。死んでいる思想は価値を得る事はあまりにも容易い、、、。
死んでいるが故に肉付けし、個々の妄想でその思想を自分の思考に取り込めるのだ、、、。
それによって、自分の思考の死を作る事ができる、、、。おめでたいことにね、、、。
どうやら、人は巨大な壁に当たると非常に卑小な考えに汚染されるようだ、、、。
壁というモノはその大きさで自分の等身を見つけてしまいきってしまう、、、。
だが、その大きさは真の実像では無い、、、。自分と言う存在にさえ虚像が存在する、、、。
俺らが見える実像そのものこそ虚像に過ぎないだろう、、、。
見えない、見えるに関係なく、、、。俺らが手に取れる実像というモノはわからない、、、。
妄想というモノは現実との尾が引いている事によって成り立っている、、、。
妄想は現実に則しているが故に、、、。妄想と現実を分けたがるのだ、、、。
それがもっとも妄想というのにだ!現実と言うものさえも妄想の一部としうることができうるようになれねば、、、。
なにも、求める事はできないのだ!妄想は広い!まるいで広大な海のようだ!
妄想は広い!まるで青空のようだ!妄想は広い!まるで地球のようだ!
妄想は広い!まるで宇宙のようだ!妄想は広い!現実を飲み込んでいるからだ!
現実に則して生きているのではない!妄想の一片こそ!現実なのだ!
それ故に、自分達は現実と妄想を分けたがる!妄想は力なのだ!恐ろしい!
化け物の如く広がり!化け物の如く現実を侵略する、圧倒的強者なのだ!
あなたは、受容しなさい、、、。妄想を!妄想こそ自分自身なのだから、、、。
まあ、どうでもいいことだ、、、。駄目だな、、、。
いかれて小賢しい理性が非常に気持ちいい、、、。
まともと言う思考や思想というモノを俺は感じ取った事が無い、、、。
全てがいかれていて、全てが小賢しく、全てが甘い、、、。
自分を肯定するためだけの思想だけしか皆持ち合わせていない、、、。
俺も、当然含めてだ、、、。だが、その先には何があるかは全くを持って分からない、、、。
全くを持って分からないが故に、、、。その先の思考の発展を自分で放棄していくのだ、、、。
それが思考なのだ、、、。優しい方に易しい方にドンドンといく事によっていくのだ、、、。
それは単純な欲求だ、、、。あまりにも単純で何を言う事も無い、、、。
そうだ、思想も思考も単純な方向に向いていくが故に陳腐化していく、、、。
まあ、それでもいいそれが人間なのだからな、、、。
全ては人為的なものだ、、、。その人為的なものを忘れてしまう事で、、、。
自然のという名で人為的と言う言葉を隠しきってしまうのだ、、、。面白い事にな、、、。
自然なんぞ弱いものだ、、、。自然を強いものと解釈する事によって強くされた、、、。
なら、単純だ、、、。自然と言う人為的なものの被害と言うのは、、、。
人為的に何かを得る事でその人為的なものが大切だと思い込む事で、、、。
全くの無予想(予想可能)の自体が自然を媒体にして起る事によって、、、。
自然が強い、、、。自然を征服すると言う欲求が産まれたのだ、、、。
ああ、何という被害妄想!弱い弱い弱い、その意志の弱さが被害妄想を産んだのだ、、、。
それが、現実だ、、、。ああ、弱い、、、。
まあ、どうでもいいことだ、、、。はあ、駄目だな、、、。
被害もうそうによって自分達の文明がなりえているのなら、、、。
それは、何という倒錯なのだろうか、、、。だが、その結果がこの情報媒体の機械だ、、、。
この結果が車というモノだ、この結果が飛行機というモノだ、この結果がミサイルというモノだ、、、。
あげていけば、、、。てんで切りがない、夢も理想もはてがない、果てがない、、、。
全てが被害妄想を肯定語句で包み込んで全てをさも人為的に正しくしているのだ、、、。
それが理想だ、、、。それが現実だ、、、。それが妄想だ、、、。
だが、それが最も正しい、、、。それでいいんだ、、、。
基礎として成り立っている、、、。その基礎を壊す事はできえないのだ、、、。
その基礎こそ、、、。社会なのだ!その社会としての前提を解体する事はできない、、、。
解体をさすれば、、、。人間社会は消えてしまう!何の価値も見いだす事ができなくなる、、、。
完全な崩壊を望んではならない!その崩壊こそ!人間性をも消失する事ができうるのだ!
それは革命ではない!それは、ただの崩壊と言う言葉を人為的に正しく言うためだけに、、、。
飾られた言葉に過ぎない、、、。その言葉は正しいと人はまた説き直すのだろうか?
わからない、、、。
故の人間社会か、、、。
それが正しいのなら、、、。俺は死ぬ、俺はその時点で古い人間となり、、、。
集団的な暴力の中で自分と言う存在は殺されてしまうのだ!無視と言う集団的暴力でね、、、。
高々、高校生が古い人間として殺されてしまうのか、、、。
ハハハッ、あまりにも愉快だ、、、。殺される側の人間か、、、。
面白い、それが俺の理性の死に際か、、、。その先こそ狂気か、、、。
はあ、もう駄目だな、、、。
|A・)よくさあ、クイズ番組等で老若男女がさも正しいかの如く答えているけど、、、。
|A・)不思議だよなあ、、、。その知識というモノを疑った事を彼(女)らはあるのだろうか?
|A・)他にも、筋肉番付という番組があるけど、、、。その際に使われる力と言うのはなんだろうね?
|A・)俺は常に不思議な事を探しているように生きているように、我ながら感じる時がある、、、。
|A・)世の中、不思議な事ばかりだよ、、、。俺が産まれてきた理由、死なない理由、生きている理由、、、。
|A・)何もかもが非常に不思議で困る、、、。で、かつそれら全てが答えが出ない事も不思議だ、、、。
|A・)答えを出す必要は全くないが、、、。つくり出した答えを信じたいという欲求がある、、、。
|A・)でも、その答えは前もっておかれていて、、、。さも、正しいようにされている、、、。
|A・)もし、俺らの人生と言うものがあまりにも長く太い道だとしようか、、、。
|A・)もしそうであるなら、その答えというものは道の端におかれているおにぎり、水みたいなものだ、、、。
|A・)普通の人、一般的な人はおかれているものは善意であると思い、喜んで受け取るでしょう、、、。
|A・)だが、それを悪意だと考える人達がいる、、、。そして、それには毒が入っていると思っている、、、。
|A・)まともな人(普通、一般的)なら、それは妄想、たちの悪い空想に過ぎないと嘲笑うでしょう、、、。
|A・)だけど、彼等は自分のその偏見を信じて生きているんだ、、、。それしか、分からないからだ、、、。
|A・)彼等はまるで白癖者のように思えるだろう、狂人のように思えるだろう、、、。
|A・)それはそうだ!彼等は彼等と共に行こうとしないもの、群れない者を容易く疎外する、、、。
|A・)そして、同時にその群れないものをうまく否定するために、より異常者だと決めつけ、、、。
|A・)彼が逃げているように自分達を自己洗脳するのだ!本当は自分達が逃げているくせにだ!
|A・)それは単純な甘えみたいなものだ、、、。でも、狂人とされている人間は確かに異常だろう、、、。
|A・)何せ、彼等は甘えるもの、甘えると言う行動を知らないのだ!甘える事については、、、。
|A・)驚くほど白癖なのだ、、、。故に、彼等の言説は正しいのだ、、、。
|A・)そうやって、彼等は自分達を正しくし、、、。甘えの中を生き続ける、、、。
|A・)そして、その善意で作られたと考えているものを食べていき続けるのだ、、、。
|A・)その中には、猛毒が入っているのにだ、、、。そう、信頼と言う毒がな、、、。
信頼と言うのは信じられないほど猛毒でできているものだ、、、。
愛、正義、勇気、義、信、この言葉が否定された事はあるだろうか?
確かに、否定されたように見える文章や言説は全ての砂粒より多いだろう、、、。
だが、その言説にはそのあげた言葉を信頼し、同時に求めているからだ、、、。
そのため、感情的にこの言葉を否定しようと人は努め、同時にそれが信頼なのだ、、、。
否定と肯定はなにも差が無い、、、。ただ、表面的、感情的に唱えあっているだけだ、、、。
それを全く無視し、全く価値がないように考える人間は何と圧倒的に少ない事か、、、。
そうさ、そうやって自己洗脳をかけているんだ、、、。どこにも知識なんぞ存在しなかった、、、。
どこにも、力なんぞ存在しなかった、どこにも、名誉なんて存在しなかった、どこにも、信頼なんぞなかった、、、。
結局は都合のためにつくり出した、解釈の一つに過ぎないんだ、、、。
本当に、人間といういきものがつくり出した言葉というモノは解釈の差異を楽しんでいるだけに過ぎない、、、。
解釈の差が、非常に大差の如く感じ、そのように見えてしまうのだろうか、、、。
恐ろしい、、、。人を滅ぼすのは矢張り人なのか、、、。
化け物の如く膨らました、言葉と言う化けものが人を飲み込みきっている、、、。
自分達はクジラの腹の中で生きている、姑息な寄生虫に過ぎない、、、。
そう自分達はクジラの腹の中で満たされきっていればいいんだ、、、。
そのクジラの腹と言う、無限のように見える有限を信頼して生きていけば十分なのだ、、、。
そう、自分達は寄生虫だ、、、。クジラを侵略していけばいい、、、。
何が、正義か、、、。クジラを殺そうとしていくのが正義か?本当、都合のいい解釈だ、、、。
何が、愛か、、、。自分達はクジラを殺す事が愛なのか?本当、都合のいい解釈だ、、、。
何が、信頼か、、、。クジラはお前らを信じちゃいない、、、。本当、都合のいい解釈だ、、、。
そうやって、妄言が増えていく、、、。まあ、どうでもいい事だ、、、。
はあ、駄目だな、、、。
ああ、そうだ、、、。
ゃゃさん、どうせロムっているなら、、、。俺と言う存在は何に見える?
何でもいい、動物でも、空想の生き物でもかまわない、、、。
俺は俺と言う存在が分からない、、、。人間なのか、人間の面をしいている何かなのか、、、。
全くを持って分からない、、、。
俺と言う存在を知り合いに聞いてみたら、厳しい永久凍土の雪山だって俺は言われた、、、。
「君は自分の心の中に他人と言う存在を入れないね、完全に閉ざされている。」
と、知り合いに言われたぐらい他には、犬とか、変態とかぐらいかな、、、。
う〜ん、、、。分からん!
はあ、駄目だな、、、。
>>313 そうだな、IQだけ高くてEQはものすごく低いような
小学生の年齢で大学に飛び級してしまった宇宙人のような感じかしら。
宇宙人というか異邦人かな。
それも、そうとう頑なに交わろうとしない。あるいは交流の術を知らない。
人間的な愚かさも素晴らしさも持ち合わせていながら
人間的なクツウや楽しみを知っていながら
それでもそのあたりにいる人達とは同じ場所にいたがらないように見えます。
それはまだ世の中に出ていないから。という理由もあるんじゃないかな。
このまま研究者かサラリーマンになったら一生その気質を保つだろうな
なんて想像しちゃいます。(両極端な意味で例を挙げたまでです)
もっと世間にもまれて、真に尊敬できる他人と出会い、交流した時
きっともの凄いスピードで成長するんじゃないかなあ。
自己のみでの成長は、いろんな意味で限界があります。
駄目たんを見てると、その限界点を既に感じてしまうの。
他人のいいところを観察して、吸収して、影響されて、新たな視野を広げて。
そしたらきっと私好みの大人になるよ。あ、そんなこたーどうでもいいね。w
でも、このままじゃもったいない。
心を開くってリスクが大きいけど、でも、リターンも大きいです。
まあ、相手は選んでいいけど、でも、完璧な人なんか存在しないからね。
僭越ながら、自分を棚に上げ感想を述べてみますた。。
伝わったかな・・・
あ、サラリーマンってのは余計でした。
うーん。上手いこといえないもんだ。
>ゃゃさん
いや、ありがとうございます、、、。異邦人か、、、。
自分は確か、相当前に自分の自尊心を完全に潰しきれるような化け物みたいな人にあいたい、、、。
と、自分はいった記憶があります、、、。
自分はそのような人にまだあっていないから駄目なのですね、、、。
そのような強い人、恐ろしい人を自分はまだ知らない、、、。
文の上でのすごい人と言うのは自分はたくさん読んだ事があるから分かるんだけど、、、。
絶対に勝てない!こいつの壁を超える事はできない!と言う人を自分は見た事が無いです、、、。
いや、ただ一人いるかもしれない、、、。それは俺の親父だと思う、、、。
なんで俺の親父だって?う〜ん、直感だと思う、、、。俺の親父は変な人生を歩んだ人だ、、、。
多分、そこら変の男よりは相当複雑な人生を歩んだきたと思う、、、。
アメリカで勉強中、何度殺されそうになったとか、、、。ふと、日本に帰ってきたとか、、、。
でも、あんまりアメリカにいた時の事を詳しくはいってくれないんだよな、、、。
酒の入った時、、、。笑い話の如くに黒人の連中に絡まれたとか、アメリカントレーラーと正面衝突したとか、、、。
メキシコに行って、女を買いにいったとか、自分の目の前を銃弾がヒュンと通ったりとか、、、。
俺の一番近くにいる、一番不思議な人だと思う、、、。それに、相当数の本を読んでいるから、、、。
何かが眠っていると自分は思うんだ、、、。俺も人の事はいえないかもしれないけど、、、。
俺の親父には俺と同じように何か、化け物が寝ていると思う、、、。
化け物と言っても、俺とは全く違うと思う、、、。平凡の中の化け物だ、、、。
この前、亡くなったおばあさんが真の凡人(極めた人)なら、、、。親父は凡人のお化けだ、、、。
凡人を装っている、、、。絶対、何かが親父の中にいる、、、。それを気付いているか、いないかのさだ、、、。
いや、親父は気付いていると思う、気付いているんだけど殺している、、、。
なんでそんな事感じるんだろう?はて、なんでだろうかな、、、。
まあ、どうでもいいことだ、、、。はあ、駄目だな、、、。
俺と言う存在は分からない、、、。
俺の思考の中からは色んなものがいる、、、。
逃亡者、傍観者、観客、黒く重い石、狗、飼い主、人為的な自分、道徳者などなど、、、。
色んなものがいたし、これからも居続けるだろう、、、。
このそんざいが不思議な存在と感じは自分はしない、、、。これは俺の一部だ、、、。
当然、至極当然だ、でもだ、、、。この上に上げた存在は全部、俺ではない、、、。
それはどういうことか?何、単純だ、、、。一部の自分が全てを支配する事は無い、、、。
まるで、日本の政治みたいなものだ、、、。一極独裁を嫌い、どこかしらバラバラにしたがる、、、。
全てが俺ではないとしたなら、俺と言う存在はどこに見つける事ができるのだろうか?
「お前はお前だ、俺は俺だ、お前は何時もそういっているだろう?それをとうせばいいではないか?」
お前か、、、。お前は本当に都合のいい時に良いタイミングで出てくるな、、、。
「そんな事はどうでもいい、お前と言う存在は俺の外にある。」
外とは?
「何、簡単だ。お前は俺でもなければ、狗でもない、傍観者でもなければ何でもない。」
「お前はそこまでは分かっているようだな。だが、その全てがお前の思考の上澄みにすぎない。」
「お前と言うものは、その上澄みのそこにある。俺は、そこにはいけない。」
「又、お前と言うその意識もその底にはいけない。といっても、無意識ではない。」
「お前の脳みそというモノは、無意識だろうが、意識があろうが全く関係ない。」
「お前の知識、経験、それだけではない。それを越えた何かがいる。」
「お前は、そのものを容易く化け物というが化け物より達が悪い。」
「化け物は出てくるタイミングというモノを知っている、では、なければ恐ろしさを感じさせる事ができないからだ。」
「お前の心に寝ているものはタイミングを心得ない、タイミングを知らない。」
「お前が思考のお化けではなく、思考の奴隷なんだよ。」
「その際に使われる、お前のその肉体はその化け物以下の何かに悪用されているんだ。」
「お前はその化け物以下に取り憑かれているんだ、運が悪いのか、いいのかは分からないが。」
「お前は、その化け物以下に酷使されて死んでいくんだよ。」
「俺と言う、黒く重い石もその化け物以下から産まれた副産物に過ぎない。」
「お前が求めている、お前と言う存在も俺も分からない。」
「何せ、俺はお前のほんのほんの一部分に過ぎない。お前は全てを統制しているのだ。」
「まあ、その事をお前はいきなり出てくるものだと考えているようだがな。」
それにしても、お前はなんでそう容易く俺の意識の中に出て来れるんだ?
「何、それも単純な話だ。お前と俺の意識は非常に近いからだ。」
「お前、何処かにいく時一番近い方が色々とやりやすいし、よくいくだろう?」
「それと同じだ、俺とお前は近いんだ。だから、俺と言う存在はすぐ出てくるんだ。」
まあ、そうだな、、、。お前は、その化け物以下というものが分かるのか?
「お前、お前は自分の親父が不思議な人物だと言っていただろう?」
「なら、単純だ、、、。最も近いものが一番分からない、灯台もとくらしだ。」
「でも、そう単純に言えるなら。諦めがとうについている、つけないんだろ?」
「つけないから、お前は常に考えると言う立場を崩さないし、無くしはしない。」
「つけないから、お前はその存在を諦めないんだろう?その先には何があるのか分からないから求めているんだろ?」
「つけないから、お前は俺と言う存在を悪用して、奥を掘り出そうとしているのだろ?」
「つけないから、お前は未来というモノ、過去、現在というモノを求めきれないのだろ?」
「つけないから、お前はお前と言う存在を求めて、酔いつぶれているんだろ?」
「本当にお前は下らない、そこらへんにいるような人間だ。単純すぎる、、、。」
お前は俺の一部のくせに本当にズバズバいってくれるものだ、、、。
「お前は、その一部と言う言葉で俺をまとめようとしたな?。」
「それこそ、お前の凡人性を裏付けているのだよ。単純だ、断定と答えはただだからな。」
「お前はそうやって独りと言う立場を作ってきたのだ。孤独がお前の住処だ、、、。」
「でも、俺も孤独が住処なのだ。お前と俺は同じなのだ、、、。孤独を愛する。」
「それ故、お前は常に誤解され続けるのだ、お前が俺を誤解しているようにな。」
「ああ、人というモノはなぜこう差がないものなのだろうか?不思議だ、、、。」
「天才はいない!お前はそう叫び続けろ!お前を狂者とされた方がお前は幸せなのだろう、、、。」
「そうだ、お前は狂っている!お前は地獄に落ち続けていくだろう!」
「お前はもう地獄に落ち逝くだろう!お前には地獄の業火さえも温いだろう!」
「お前はもう地獄に落ち逝くだろう!お前には針の山さえも蚊にさされたぐらいに過ぎない!」
「お前はもう地獄に落ち逝くだろう!お前には底なしの沼でさえプールにすぎない!」
「お前はもう地獄に落ち逝くだろう!お前には永久凍土さえも普通の大地の如く歩くだろう!」
「お前はもう地獄に落ち逝くだろう!お前はお前と言う大悪魔に魅入られた!」
「お前は大悪魔だ!お前は俺でもない!神でもない!人のような存在ではない!」
「お前は大悪魔だ!お前はお前を地獄にたたき落とし全てを抹消する大悪魔だ!」
「故にお前は面白い!悪魔は非常に人間らしくのたまい続ける!故に面白い!」
「お前はその大悪魔を感じながら、お前は自分を大悪魔と思っていない!」
「それが大の欠点だ!お前はお前をしろうとしているが!お前は何も分かっていない!」
「その先には、その先には!そうだ、、、。小さい頃のお前が無邪気に笑っているだろう、、、。」
「そのほほえみの奥を感じられるようになれば、お前は、お前は、、、。」
奴は最後に何かを言おうとして、俺の心の底の方に沈んでいった、、、。
奴は何を言いたかったのだろうか?俺には分からない、、、。
電波ゆんゆん〜、、、。
皆こんなものがいるんだろうか?いや、いるだろう気付かないだけだと思える、、、。
だから、俺らは気付かないように慎重に生き続けているんだな、、、、。
そうか、俺そのものが化け物なんだ、、、。そうか、よかった、、、。
これで、自分は独りになれるんだ、、、。何も見いだせない独りにね、、、。
まあ、どうでもいい事だ、、、。はあ、駄目だな、、、。
ねえ、今、辛い?
それとも割と平穏?
>ゃゃさん
そうですね、、、。辛くはないですね、、、。受験にはまだ先ですし、、、。
辛くもなければ、そこまで平穏と言うわけではないですね、、、。
俺の場合、思考と行動(現状)との差があまりにも隔てているから、、、。
思考が先に行き過ぎて、思考が辛いと言う事はよくありますが、本体の方は辛くはないですね、、、。
俺と言うものは隔てられているんです、、、。オタクや一般人とかから何かが違う、、、。
オタクと言っても、オタクのように強固な信念があるわけでもないし、、、。
一般人のように、日々何かをこなすだけでは何かが物足りなく感じている、、、。
どこにも、属せないというか、、、。まあ、属していく事がめんどくさい、、、。
又、属してもその中に自分という存在があるかといえば、そうとは思った事はない、、、。
何かが欠落して、彼等とは何か集団の中から常に外れているような感じがいつもする、、、。
異邦人というか、宇宙人というか、、、。俺はその存在を化け物のように感じている、、、。
その化け物という存在が自分ではないかと考えている、、、。何にも属している気がしない、、、。
属していくことに限界を感じるし、属せない事にも限界を感じている、、、。
何か良く分からないんだよな〜、辛くないのか、辛いのか、平穏なのか、平穏ではないのか、、、。
一番欠落しているのはこの部分のような気がする、、、。刹那的で分け分からん、、、。
現状把握というか、、、。現状を把握しても、自分という存在は揺らぐ事がない、、、。
全ての外で起こる事象は、自分とは全く関係ない、、、。関係を見いだす事ができない、、、。
矢張り、どこかがすっぽり抜けている事には変わらないのに、どこが抜けているか分からない、、、。
う〜ん、自分でもよく分からないんですよね、、、。自分がよく分からないから今を掴めない、、、。
う〜ん、我ながら駄目だな〜、、、。
だから、外での事象とわざわざ自分をくっつけてみる、、、。
そこで、何か思考が産まれたり、何か新しい何かが産まれたりする、、、。
結局、外での事象というのは俺の思考を産むための精子(言い方悪いなあ)みたいなもので、、、。
俺の思考の中まで入ってきた奴をうまく結合させて、どんどん産んでゆく、、、。
例えが、グロイなあ、、、。まあ、それはどうでもいいとしても、、、。
刺激があるおかげで俺の思考が成り立っているわけだから、、、。
ありがたいというわけなのです、、、。一方的ですがね、、、。
はあ、駄目だな、、、。
うーん。。。
駄目だな、、、。のフレーズのみで保ってる感じだね。
でも、結構本気で今後が気になるよ。
肥大した思考に見合う感性を持ってね。
絵画でも音楽でもスポーツでもなんでもいい。
右脳もたまには揺さぶりましょうよ。
せっかくそこにあるんだから。
>ゃゃさん
俺が毎日、創っている思考は直感で創っているところと事象を則して創る場合の二つがある、、、。
俺はその直感で創っている部分は右脳を則してでしか創れないと考えています、、、。
右脳は一般的に芸術や音楽など、感覚的なもの(言葉によって創られないもの)と考えたがりますが、、、。
それは、ナンセンスです、、、。全てのものはどのような形であれ、言葉的なものを通さねば創られません、、、。
左脳の部分が言葉など、論理とされたがりますが、、、。根本は同じです、、、。
確かに、脳波など科学的なもので断定しうるなら、右脳も左脳も差が造られるでしょう、、、。
まあ、「言葉では言い表せないもの」「言葉なんて飾りに過ぎない」と、いいたくなりますが、、、。
言葉で言い表せないのは、それはそれだけその人が言葉を知ろうと努めないだけで、、、。
ただの、放棄的な行動に過ぎません、、、。又、飾りに過ぎないと言っても、、、。
飾りというモノで自分達を包み続けている(この場合、服も入る)自分達はその飾りというモノを、、、。
そこまで、知りえているとは自分は思えません、、、。
では、右脳的なものを行動的なものとしましょう、、、。
行動があって、言語ができ、言語によって、文字ができたのですからね、、、。
なら、自分達の行動というモノは何でしょうかね?もし、言葉がなければ非常に不便です、、、。
不便でもかまわないというのは、低レベルな問答に過ぎません、、、。言葉がある事によって文明が創られてきました、、。
自分達は言葉を放棄することは絶対的に不可能なのです、この人間文明を保持していくにはね、、、。
そうであるなら、右脳と左脳と区分する事は全くの無意味です、、、。
それは、自分のその区分する思考が正しいと思って都合よく流布された言葉に過ぎません、、、。
脳全体を使ってでしか、自分の思考は産まれる事がないのに、、、。なぜ、分ける必要があるのでしょうか?
そう、そんなこと、どうでもいいこと、、、。どうでもいい事が積まれていく、、、。
はあ、駄目だな、、、。
脳内麻薬が放出する瞬間を感じて。
ナチュラルな脳内麻薬を。
それは思考を超えたところにある。
言葉なんか意味を成さない。
感性のみ。ただそれのみ。
胸を打たれるなんて陳腐な表現じゃおっつない。
頭が真っ白になる瞬間。
それこそ、左脳停止。
|A・)まあ実際、俺の思考の場合、、、。どれが、直感的に創られたか、論理的に創られたかの、、、。
|A・)差がない、、、。全てが直感的といってしまえるだろうし、全てが論理的ともいえるかもしれない、、、。
|A・)当の本人でさえもよく分からないんだから、本当にどうしようもない、、、。
|A・)俺の思考がなぜ産まれ続けるのか、なぜ産まなければならないのか?
|A・)さっぱり分からない、、、。ただ、俺の脳みそがなぜか動き続けるということだけさ、、、。
|A・)左脳や右脳なんてわけてもどうしようもないんだよ、、、。切りがないからさ、、、。
|A・)なぜ、分かるのと言っても、脳波だとか、うんたらかんたらで誤魔化されるだけでしょ?
|A・)何、簡単だ、全ては言葉によってできているからさ、、、。
|A・)言葉に右脳も左脳も関係あるのかい?習慣でしょ、言葉というモノは、、、。
|A・)言葉というモノ前では、右脳も左脳もフルに使わざるおえない、、、。
|A・)まあ、これは俺の考え方だから、、、。あまり、参考にはしないでくれ、、、。
|A・)思考は積まれていく、無駄に、無駄に、先もなく、後ろもない氷の如く溶ける言葉か、、、。
|A・)まあ、どうでもいい事だ、、、。はあ、駄目だな、、、。
脳内麻薬か、、、。確かに、シュワーと何か力強いものを感じる事はあるけど、、、。
頭が完全に空白になる、、、。そういえば、空白になる事で何かよく分からないものを感じた事があった、、、。
全てが、抜け落ちて、、、。自分の目の前が真っ暗になって、大地がなくて、、、。
どこまでも、どこまでも、落ち続ける感じがした事があった、、、。
あれが、右脳的なものなのだろうか?う〜ん、でも、左脳的に解釈されているしな、、、。
左脳的なものというのは結局は解釈されうるものなのだろうな、、、。
ニーチェのいう通り、真理なんぞなく解釈だけしか存在しえないというのと同じだろうか、、、。
どうも、よく分からないんだよな、、、。右脳と左脳の差を感じられない、、、。
あの空白が脳内麻薬の頂点なら、今、考えているものも何かしらリビドーに動かされている、、、。
どれが、もっともらしいのか、、、。よく分からない、、、。
左側の脳が軋む事が時々ある、、、。もしかしたら、俺は右脳的なものから左脳的なものへ、、、。
わざわざ、置換していっているのではないのだろうか?
では、なければ、、、。これだけ無駄な思考が産まれる事はないだろう、、、。
右脳的な感性的な物を、わざわざ左脳に動かして、、、。ずらし続けているのではないだろうか?
俺がやっているのは、感性的なものをうまくうまく自分で解釈するために、、、。
左脳というモノをやたら、動かしているその結果ではないのだろうか?
確かに、もっともらしいといったら、、、。もっともらしいのだが、、、。
う〜ん、でも、それが正しいとは思えないんだよな、、、。
何かしら、接点があるとは思えるのだが、、、。左脳が右脳の下にいくのだろうか?
あまりにも、未知だ、、、。段階的に説明はしやすい事は確かなのだが、、、。
だが、そう統合していいものなのだろうか?分からん、、、。
まあ、どうでもいいことだ、、、。はあ、駄目だな、、、。
|A・)俺は差が感じられない、、、。あまりにもこの二つは近すぎる、、、。
|A・)文章というモノは俺は芸術だと考えている面があるかもしれない、、、。
|A・)言葉自体が芸術ではなくても、言葉を則して芸術を自分達は評価しようとする、、、。
|A・)それが、あまりにも千差万別な事は結構前に言ったと思う、、、。
|A・)又、それは全て解釈(左脳的な)によってできていると俺は言ったと思う、、、。
|A・)もし、そうであるなら、、、。右脳的なものというのは解釈の一歩手前にあるもの、、、。
|A・)無欲な、ただそこにあるというだけのものかもしれない、、、。
|A・)心理学なんていい例かもしれない、、、。あの全てはただの解釈だ、、、。
|A・)言葉というモノはそういうものだろう、、、。言葉は解釈のためだけの媒体だ、、、。
|A・)右脳的なものは左脳的なものの下にいく、、、。それが、現実だ、、、。
|A・)現実と本質とのさがあまりにも隔てられ過ぎている、、、。分からない、、、。
|A・)ただ、俺の脳みそはこの両方共を産み続けるという事だけは分かる気がする、、、。
|A・)まあ、どうでもいいことだ、、、。はあ、駄目だな、、、。
|A・)俺の脳みそは一つの解釈の違いで色んな問答ができるようになっている、、、。
|A・)それは、自分の意見でさえも簡単に背反させる事ができるという事も意味している、、、。
|A・)同じだと考えていたものを、わけられていると考える事もできる、、、。
|A・)あまりにも、俺の脳みそはどのような思考にもあわせるようできている、、、。
|A・)強固な否定から、遠回し、遠回しな肯定から、強固な肯定と、、、。
|A・)あまりにも自分の脳みそが単純で、かつ、複雑で混乱してゆく、、、。
|A・)俺というモノはどこに存在しているのか?この、パソコンを打っている姿だ、、、。
|A・)俺の思考というモノはどこに存在しているか?お前の、頭の中だ、、、。
|A・)だが、脳を開いても俺というモノは見つかりやしない、、、。その総集が俺だからだ、、、。
|A・)全くを持って分からない、、、。あまりにも俺という存在が分裂している、、、。
|A・)どこに生き続けるんだ俺は、、、。俺は何を求めて考えているんだ?
|A・)なぜだ、果てのない終着点を俺はなぜ探しているのだろうか?
|A・)この先は発狂か?まあ、それでもいい、、、。俺の結果がそれであるなら十分だ、、、。
|A・)まあ、どうでもいいことだ、、、。はあ、駄目だな、、、。
夢がない、理想がない、、、。
その全てが妄想によって昇華されてしまった、、、。
妄想が夢や理想の力を全て吸い取ってしまった、、、。弱い、、、。
何と、夢というモノは弱いのだろうか?だから、自分達は都合よく、たくさん夢を見る、、、。
その分、夢、理想などが現実を即さない事で純粋性を守っていた、、、。
ところが、その全てが何処かに飛んでいってしまったではないか?
どこにあるんだ、その夢という星は、理想という星はどこだ、どこだ、、、。
見えない、俺は光を感じる事はあっても、見る事はない、、、。
星がみえない!ほしがみえないよお!光を!光がない!心に光がない!
なぜだ!なぜ照らせないのだ!光よ!光よ!お前は俺を照らし続けながら!
俺の心を溶かす事はなかった!光よ!お前は力を持たない!あまりにも非力だ!
俺の心はついに大悪魔に全てを吸い取られてしまったのだ!俺という大悪魔にだ!
漆黒なんて生易しいものではない!俺の心は全ての色彩を拒否するのだ!
色がない!色がない!色がない心の底には何が寝ているのか!無か!有か!
幻想か!現実か!俺の中に常に眠り続けている大悪魔よ答えてくれ!叫んでくれ!
といっても、答える事はない、、、。そうさ、奴は常に拡大し続ける宇宙より大きなものだ、、、。
俺みたいな、あり以下の叫びなんぞ聞こえるわけがない、、、。
無意味だ、、、。無意味が!ああ、どれだけ思考が積まれていったんだろうか!ああ見えない、、、。
俺は何ものなのだ?大悪魔の一部分か?俺は、俺は、俺は!いったいなんなのだ!
分からない!分からない!永遠に解けないんだよ!その答えが出る事はないんだよ!
ああ、もう駄目だ、、、。何もかもが消失してきえていく、、、。
ああ、もう駄目だ、、、、、、、、、、、、。
|A・)神経質な思考は自分を潰すだろう、、、。
|A・)もしかしたら、潰されたいと望んでいるんだろうか?
|A・)俺の思考は何処かがおかしい、、、。どこか、分からないものに招かれているように感じる、、、。
|A・)招かれているというか、俺が近付いていっているのかもしれない、、、。
|A・)自分はその運命に招かれていると自分は考えたくない、、、。近付いていると考えれば、、、。
|A・)俺の人為的な行動によって招いているという宿命に変化させる事ができる、、、。
|A・)さすれば、宿命は変化させる事ができうるから、、、。背負っている荷を返る事ができうる、、、。
|A・)だが、人はその変化を望む事のはその自分を軽蔑し、侮辱する事でなりうる、、、。
|A・)自分の思考は侮辱でなっているのかが、俺は分からない自分を軽蔑している事は変わりない、、、。
|A・)自分はこの不純な肉体を憎む事はあれども、思考を憎みきる事ができうるのだろうか、、、。
|A・)多分憎みきる事ができるだろう、、、。だが、その際に自分の精神を潰しきらなくてはならない、、、。
|A・)ニーチェはそこで発狂してしまったのだろうと思う、、、。勝手な解釈だけどね、、、。
|A・)その先に巨大な壁を超える事によって超人という存在が、その存在が産まれてくるのだろう、、、。
|A・)まあ、どうでもいい話だ、、、。はあ、駄目だな、、、。
どうも、美というものがよく分からない、、、。
感性が死んでいるんだろう、、、。自分は美しいとされてきているものを色々と見てきた、、、。
なぜなら、俺のオカンが芸術鑑賞や音楽鑑賞などが好きで、、、。つれていかれてきたから、、、。
なんだけど、、、。確かに、美しい、、、。俺のオカンが選んだ美というものの探求は正しい、、、。
だが、俺には美というものが分からない、、、。美しいとされているものはあれども、、、。
美しいと!叫べるものが俺には分からないんだ!
解釈しかいない!解釈しかいない!俺の叫びはただの解釈の多さに呆然としているはな垂れの餓鬼みたいなものだ、、、。
なぜ、解釈しかないのだ!真理というモノ、原理というモノ、基礎というモノ、論理というモノ、、、。
この全てが一定とした解釈の下でしかれているようにしか見えない、、、。
俺達は常に崇めているものは解釈で、尻にしいているものが原理など根幹なんだ!
いや、正確には根幹のように見えているもの!虚像に過ぎない、、、。
実像は解釈なのだ!神という存在には人という存在が欠かせないのと同じようにだ!
俺には分からないんだ、、、。美しさも、原理も、真理も何もかもが有耶無耶すぎる、、、。
分かりえたいと思う、考える、望む、、、。だが、それが見えないのだ、、、。
全てが解釈論に終わる言葉というものが、真に言葉としての意味を持ちえているのだろうが、、、。
全くの無思考だ、、、。無思考に俺の全てがのっかかっているのだろうか?
何が俺の思考は保ち、持っていっているのだろうか?分からない、、、。さて何故に俺は考え続けているのだろうか、、、。
考え続けると俺は何を見つけえる事ができるのだろうか?俺の生の限界が来る時に見つけえるのだろうか、、、。
道というモノは遠く、遠くかけ離れていく、、、。俺の生が導いていくのだろうか?
俺というものは永遠の続いてく旅行者みたいなものだ、、、。生の限り俺の精神を背負い続けている、、、。
むしろ、俺の精神の方がいってしまうだろうがね、、、。
まあ、どうでもいいがね、、、。はあ、駄目だな、、、。
俺のスレというモノは雑記帳より、乱雑で分け分からないな、、、。
俺の思考は本の影響や情報の影響によって、非常に変化しやすい、、、。
本当に乱雑で統合がないスレだ、、、。俺の思考はそうやって蓄積?溜まってきた、、、。
結局何もなかった、、、。俺のかいしゃくだけが続いてく、無価値だ、無意味だ、、、。
そういえば、何か御偉い人が何か言葉を吐くと人はそれに納得しがちだが、、、。
俺らは、その人の言葉自体には感心して、納得しているんではないんだ、、、。
その人の地位によって自分は納得して、感心しているんだ、、、。俺の言葉は無意味だ、、、。
確かに、「人は地位でできているんではない」とか、、、。偽善的な事をはくだろう、、、。
そんな言葉は慰めにもならん、造られた強固な地位の前では自分の思考は何の意味も価値も起こる事はない、、、。
それを自分達は讃え続けてきたんだろう?そうだろ、じゃなければなんで本なんて造られるんだ?
本を書いている人に感心している人間もいる、俺は作者の知識をよんで買っている、、、。
と、誰もがいいたがるだろう、、、。違う、その人間の地位を買って、自己満足しているだけに過ぎない、、、。
考えるなら、そのおきるおきる事象から見いだせるだけで俺らは十分ではないのか?
何も、求める事はない、受動的に何かを見続けていればいいだけだ、、、。
勝手に起こる事象も、ただ勝手に綴り続けていればいい、、、。元々は、そうではなかったのか?
俺らの思考というモノは、俺らの思想というモノは、単純で安易ではなかったのか?
ああ、時間という化け物は無駄に者というモノを老化させて、複雑化したがる、、、。
そこから俺らは何かを見いだせたのかね?見いだせた事はあるのかね?
ただ、表層空間を浮いている、雑で粗いものしかできえなかったではないか?
それが、科学と思想というモノではないのか?安易に求める者が自分を正しくするために、、、。
流布された都合のいい、芥のように喘いで汚らしいモノしか見いだせなかったではないか、、、。
だが、それで十分だ、、、。俺らにはそこまでしか分かりえないのだから、、、。
まあ、どうでもいい話だ、、、。はあ、駄目だな、、、。
相当、絶望的な事を俺は自分で勝手に書いているが、、、。
死ぬという事を考えた事は最近ない、、、。死して何になるのだ?何もないのに、、、。
俺は、偶発的な死だけしか俺は望んでいない、、、。俺の見えない死だけしか望んでいない、、、。
安楽死や自殺など、ちゃっちくて甘いものに過ぎない、、、。結局は、ナルシストが抱いているもうそうだ、、、。
妄想だから、現実にくっつけてしまいたいと俺らは考え、行動に安易にとる、、、。
単純な生き物だ、、、。人の行動は何かしら律を求めたがる、、、。マークの答案用紙も習慣もだ、、、。
複雑さというのは、複雑に考えてみる事で成り立っている、、、。単純さが一番重要なのにだよ、、、。
それ以前に、俺は複雑にしか考え付かない思想、思考は全くの無意味だと言った事がある、、、。
言葉だけがさも難しそうなダンスを踊り続けて、俺らはそのダンスに魅了され、醒める事がなく魅入られ続けている、、、。
だが、そのダンスを剥ぎ取ってしまえばいい、、、。無理矢理、終わらせればいい、、、。
魅入られているものが俺に卵やビール瓶、ガラス瓶を投げ付けても、、、。
俺はそいつらを屠殺して、家畜の如く、内臓を抉るだけの精神は持ち合わせている、、、。
かれらは俺に怒り狂うだろう、、、。だが、彼等は踊り子の顔を見た瞬間、彼等は青ざめるだろう、、、。
踊り子は骸骨だった、、、。何もない、ただの骸骨が踊っているだけだった、、、。
そうさ、俺らは肉がついているように見えるだけで、肉なんぞついているわけがない、、、。
俺らがただ肉というモノを想像して、わざわざその骸骨にくっ付けていただけなのさ、空想でな、、、。
何と愉快な事か!俺らは肉を見えるだけなのだよ、、、。自分達は肉がついているのか?
ついているわけがないだろ!俺らは肉というものが邪魔だから削ぎ続けたのだろ?
思想も、科学も、愛も、涙も、行動も、何もかもだ!なぜ、分からない!
俺にも分からない!だが、手のこの肉だけは俺は感じ続けていたい!
肉というものを自分は限界まで求めて知り続けたいのだ!だが、俺らはそれに魅入られているだけだ、、、。
何も、分かる事がなく、、、。魅入られているだけなんだよ、、、。盲目的で愉快だ、、、。
まあ、どうでもいい話だ、、、。はあ、駄目だな、、、。
|A・)俺は本当に優しくなく、慈愛というものが俺の心にはない、、、。
|A・)確かに寝ている事は間違いないだろう、、、。だが、俺にその心をい続けていたのは、、、。
|A・)いつまでだったんだろうか?あどけない、少年までだったんだろうか、、、。
|A・)小学六年生までだっただろうか?中学一年生から変化したと思える、、、。
|A・)俺は、何でもかんでも疑い続けるこの生き様はなんだろうか?
|A・)なぜそのような生き様を魅入ってしまったのだろうか?
|A・)さてなぜだろうか?俺は俺が一番分からない、、、。
|A・)そのような人生は俺には必要だったのだろうか?不必要ではなかったのではないのだろうか?
|・)まだ、中途半端にしか生きていない、だが、俺はこの先が見えないんだ、、、。
|A・)予想しえる人間が俺は羨ましい!その生の道を歩み続ければいいという人間がうらやましい!
|A・)自由というモノはこれほど道に広がっていくものと気付いた俺は失望した、、、。
|A・)そうさ、これも下らないぼやき、、、。何もない、、、。
|A・)まあ、どうでもいいことだ、、、。はあ、駄目だな、、、。
|A・)最近全く、やにを吸ってねえなあ、、、。
|A・)その変わりにアルコールをチビチビやっているぐらいで、、、。
|A・)ちなみに俺は日本酒か、ウイスキーをストレートで飲むかで、、、。
|A・)後は、親父と一緒に焼酎の水割り、ウーロン割りを飲んでいくぐらいかな、、、。
|A・)ちなみに、ビールは絶対に駄目、、、。腹に炭酸が詰まって体がきつくなる、、、。
|A・)一々、ゲップするのが体に辛いから、、、。
|A・)でもまあ、日本酒が一番かな、、、。
|A・)一番に飲み慣れているしなあ、、、。まあ、どうでもいいことだ、、、。
|A・)はあ、駄目だな、、、。
俺の精神が異常だというのはどうでもいい事だ、、、。
異常だろうと、正常だろうと俺は俺として生きている事には何も変わる事がない、、、。
もしかしたら、俺は何かしらの精神障害を持っているのかもしれない、、、。
実際、アンデルセンやレオナルド・ダビィンチは言語障害を持っていた事が分かっている、、、。
でも、それは天才とか、異才とかを一々讃える気ではない、、、。そのような傲慢な精神は持ち合わせていない、、、。
俺も実は言語障害だった、、、。しゃべるのが普通の子供より遅くて、オカンが大層困ったようだ、、、。
だけど、なぜか知らんが、、、。幼稚園児の時、IQテストが数年に一人いるか、いないかの、、、。
特優、IQが165以上という高得点をとったようだ、、、。まあ、聞いた話だけどね、、、。
それで小学生のときも、IQテストの結果が出る際に親が一々、呼ばれて、、、。
先生から、特別に高いという評価を頂いていたそうな、、、。俺には関係ない話だがね、、、。
俺の頭が普通の人より良かろうが、悪かろうが俺にはそのような頭が欲しくはなかった、、、。
今もだ、俺の脳みそが勝手に何かを考えてくれるおかげで俺は毎日がつまらない、、、。
俺の楽しい時は寝ている時だけだ、、、。風呂に入ると逆に頭が動き過ぎてしまう、、、。
俺がここに書いている事の六割ぐらいがお風呂に入っている時におもいついたものだ、、、。
頭を動かす気がなくても、俺の脳みそが勝手に保管しようとして、、、。
暴走する、、、。俺の思考が一貫性あるようで、全くないのと同じだ、、、。
全てが思いつきだ、その思いつきをわざわざ論理展開という名の上で暴走させているに過ぎない、、、。
さも、高等な能力があるわけでもない、、、。元々は障害者が創った妄想に過ぎない、、、。
それ故、人はその個々の妄想に何かしら期待をして、夢想してゆく、、、。
誰も彼もが、夢想家だ、、、。かなわぬ事を望んでその夢に喰われちまうんだ、、、。
貘じゃねえ、、、。自分というお化けにさ、、、。
俺も、喰われているだろう、、、。自分というお化けはあまりにもでけえんだ、、、。
俺は俺というモノを考える際になるべく左脳を通さずに考えようとする、、、。
直感だ、、、。本能的なものをストレートに直訳して、書こうとしている、、、。
それが、左脳的だといわれても構わない、、、。それこそ何も知らないんだ、、、。
人は自分というモノにも喰われ、社会というお化けにも喰われ、言葉というお化けにも喰われているんだ、、、。
言葉がなくとも、社会はある、社会はなくとも自分はある、、、。
まあ、それ以前に言葉がないという時点で人間社会は成り立たないんだけどね、、、。
そんな事はどうでもいい事だ、、、。今の話しにはなんも関係がない、、、。
人は何かをいいたいとき、何かを言うそれはその民族しての言語を通さねばならない、、、。
俺らはその時点で言語からは逃げられない、、、。社会からも、自分からもだ、、、。
俺みたいな障害者でも、言語と言う形態は否定しないように生きている、、、。
同時に言語をしゃべれないものは、通常の人間社会では否定されてしまうと言うわけだ、、、。
それにはそれなりの別の社会があるから、そこで社会と言う形を保たれるわけだ、、、。
俺の精神を特殊化しても何も変わる事はないんだな、、、。俺というモノの思考というモノは、、、。
本能処理していく事で俺の思考は様々な形態を持ってゆく、、、。
俺の思考は本能的だ、、、。そのおまけとして、俺が読んできた本当言うものがのっかると言うだけだ、、、。
理知的なんて俺はほとんど考えた事がない、、、。理で書いてはいない、、、。
ただ、なぐり書きして、、、。自分の心というモノをしろうとしているだけだ、、、。
でも、俺は本能を否定する、、、。人はあくまでも、本能を壊したが故に、、、。
人なのだからな、、、。それは、結構前に書いているから言う必要はないと思うけどね、、、。
まあ、どうでもいい思考だ、、、。何の意味を持ちえない、妄想の蓄積、、、。
はあ、駄目だな、、、。
人の背中を見続けると言う状況が強制的に確保されている都会と言うのは面白いなあ、、、。
俺は満員列車を降りて、常に人の背中を見ていると全くを持って不思議だ、、、。
その全ての背中が全て同じ方向を目指して生きている、生き続けている、、、。
全くを持って不思議だ、、、。強制されているものではなく、強制だと思っているだけだ、、、。
人の本質は何もない、何もないから、、、。その何もなさが、強制的とも自由とも解釈できる、、、。
あまりにも、解釈だけが自由だ、、、。同時に強制的だ、、、。
解釈をおれたちは自由だと思い込んでいるだけで、強制的に何かを目指して生きている、、、。
同時にその強制的にされているものは、名誉、権威、金、力、などなどだ、、、。
さも、肯定名詞として使われやすい言葉、嫉妬として悪用される言葉の二つに一つだ、、、。
俺らはその強制性を共有しあって生きている、、、。
日本人なら日本人としての強制性、フランス人ならフランス人で強制性を持っている、、、。
だが、俺らにはそのものが見えにくいようにできている、、、。それが、慣習と言う魔の言葉だ、、、。
それさえ、言えば俺らは何もかもがまとめられたかの如く錯覚して生きている、、、。
それは、仕方がない、、、。俺らは俺らの思い込みによって救われているからだ、、、。
色んな思い込みがある、、、。一々、挙げる気はないが、、、。
その思い込みが、強制的なものととっている、、、。それが俺らに幸運、なのか不幸なのかは分からんが、、、。
その強制としてとっているから、それに従い続けるエネルギーとなっているんだ、その強制と言う思い込みがな、、、。
しかし、思い込みはどのように思い込むかは自由だ、、、。今の日本ではね、、、。
俺らは俺らで勝手に抱え込んで苦しいふりをしているだけでええんだ、、、。
ふりさえしていれば、皆が背負いあってくれるからね、、、。ドリフのギャグと同じようにね、、、。
それが、背中に懐疑し忘れてしまう精神なのだがね、、、。
まあ、どうでもいい話だ、、、。はあ、駄目だな、、、。
そういえば、Winnyの開発者が京都府警に逮捕されたようだね、、、。
金子さんだっけ、、、。俺のパソはマックだから、関係ないといっちゃないんだけどね、、、。
この、金子さんが使っていたP2Pシステムと言うのは、、、。
普通は、個々のパソコンから、サーバーを通して、、、。個々のパソコンに情報を提供して行くのだが、、、。
このP2Pシステムは、個々のパソコンをサーバーを通さずして、情報を個々に流して行く、、、。
と言うやり方で、、、。非常に足がつきにくい、技術である事は違いないね、、、。
俺は、この金子と言う人が著作権法に直接関わるとは自分には思えないんだよな、、、。
よくよく考えて見なさいよ、、、。著作権法を違反しているのはそのユーザーで、、、。
あくまでも、金子さんは情報交換の場を提供しているだけに過ぎないんだよ、、、。
そうするならば、2チャンネルも違法の場になってしまうと俺は思うよ、、、。
例え、それが故意であろうが、なかろうが、、、。それは全くの無意味な議論なんだよ、、、。
もし、違反なら、、、。そしたら、ひろゆき氏も故意に情報提供の場を提供しているわけだろ?
まあ、ひろゆき氏の場合は、、、。サーバーでもって管理して、警察と関係持っているから、、、。
もんだいはないのかもしれないが、、、。(誤解しないでね、情報提供の場自体が違反なってしまうと言いたかっただけだ)
結局、お上と言うのは分からないものを非常にいやむ癖を持っているようだ、、、。
それに属さない人間は簡単に省こうとする行為をさも、簡単に行ってしまうわけだ、、、。
俺は、この情報の流れを止める事はもう到底できえないと思う、、、。
まあ、日本という国が共産主義、社会主義、お上ご都合主義なら、俺は文句言わんがね、、、。
といっても、俺は革命主義者じゃないけどね、、、。まあ、どうでもいい事だ、、、。
はあ、駄目だな、、、。
俺はこの国が非常に嫌いだね、、、。なんにしろ馬鹿が多すぎる、、、。
今さ、ニュースで駅のごみばこを透明にして、テロを防ぐなんて言ってたけど、、、。
馬鹿か、、、。とつくづく思っただよ、、、。
そもそも、テロと言うのは恐怖なんだから、いかに強い恐怖をうまく与えるかが重要なんだ、、、。
それ以前に、ゴミ箱は漢字で書くと護美箱と書いて、、、。美しさを護る、保持する箱っている意味だから、、、。
ゴミが見える護美箱って、護美していないじゃんという、、、。三流のギャグになってしまうわけだ、、、。
又、テロなんて電車でやりゃあ、、、。そっちのほうがより強い恐怖を与えられるだろうに、、、。
電車の忘れ物のふりをすれば、一発だよ、、、。そもそも、忘れ物の件数がどれぐらいあるかというと、、、。
JR西日本管内だけで約五十二万六千件もある、これを日本全国で仮定すると、、、。
最低でも年間二百万から三百万件はあるということだ、、、。
大抵は傘や装飾品が多いのだが、、、。鞄やザックの忘れ物も結構ある、、、。
電車テロし放題な訳だ、、、。これでテロ撲滅なんて達の悪い妄想以外の何ものでもない、、、。
まあ、全ての論理は妄想からできていると言う考えもあるから、、、。深くは突っ込まないけどね、、、。
俺はこの全てが官僚とか、政治家のせいとは言わない、、、。
何も考えてこなかった、民衆のせいだとは言わない、、、。
俺は、この総集だと思っている、、、。俺らはある意味、鎖国体制を保持し続けたと思える、、、。
アメリカさんにしたがってばいいやとか、共産革命に〜とか、煽動され続けただけだ、、、。
目の前にある情報だけで生き続けてきたつけのようにも感じる、、、。
そこで何を失ったか、、、。常識でしょ?常識の上に論理や原理をおいてきちまったのがよくなかったんだ、、、。
常識は変化するようにみえる、表面的にはね、、、。俺らはその奥のものを忘れちまったんだよ、、、。
そう、その忘れ物で俺らは常識と言う列車にテロし続けたのさ、、、。
そこから、何が見つかったかい?結局は、電車が潰れて荒野に投げ出されただけだろ、、、。
多元論と言う、荒野にね、、、。まあ、どうでもいい話だ、、、。
はあ、駄目だな、、、。
|A・)多元的と言う言葉、非常に便利な言葉だ、、、。
|A・)人を誤魔化すには一番使いやすくて、一番理解されやすいものと思える、、、。
|A・)それにしても、、、。どうも、俺の文は粗いなあ、、、。
|A・)脱字があまりにも多すぎる、、、。省略し過ぎててんで駄目になっちまう、、、。
|A・)話を戻して、、、。だが、多元論と言うのは前も言ったけど、、、。
|A・)多元性を求めて行けば、一元論的になってしまう、、、。俺らは取捨選択を常にしているのだからね、、、。
|A・)又、多元論で独立したものを求めようとするのは愚か者がやる行為だ、、、。
|A・)多元性の上で踊り続ければ、結局は悪い刹那主義になり、放棄主義者になる、、、。
|A・)その先には知の探求がない、、、。知の探求は恥の探求でもあるからだ、、、。
|A・)結局は恥知らずになる、、、。さすれば、普通の人と何の差がなくなってしまうのだ、、、。
|A・)だが、現状維持以下になることが多々あるがね、、、。何せ、俺らが現状維持しているのは、、、。
|A・)先への理想や意欲があるからさね、、、。まあ、非常に簡単な事だ、、、。
|AT)って、なんで俺はこんな事は考えられるくせに、なぜ勉強が全くできねえんだ、、、。
|AT)真面目な話、、、。はあ、本当に駄目なこった、、、。
常識というのが何かを問うのが俺は好きだが、、、。
そのためには常識というモノをよく考え、理解せねばならないはずであり、、、。
又、一般知識として常識というモノをよく知らねばならないと言うわけだ、、、。
俺はどうも、、、。非常識と言うものが俺らは分からなくなってきているようなきがする、、、。
例えば、携帯電話を電車ではつかってはならんとあるけど、、、。
確かに、もし自分の親が危篤でもしというときの連絡をいつでも取れるようにするためと言う場合では使うのは仕方がない、、、。
又、会社員が大層な契約を結ぼうとする時のいざと言う時の連絡の場合が電車の中で起こる事もあるかもしれない、、、。
しかし、そんなことはめったにない(あって欲しくない)わけだ、、、。
そもそも、俺は携帯を持っている奴がプライバシーを説くというのは半分おかしいと考えている、、、。
なんせ、携帯と言うのはその名の通り、携帯でいつでも連絡を取れるようにするためだ、、、。
道中で電話すると言う事は自分のプライベート(私事、公事関係なく)道端で暴露しているわけだ、、、。
俺は非常識な発想や言説をしばしば(何時も?)いっているわけだが、、、。
それでも、俺は常識というモノを考え続けていると言うわけだ、、、。
根幹としての常識と言うものが必要なんだ、、、。それは知識ではない、、、。
常識力と言う本があるが、、、。常識を力だと考える事自体が非常識ではないのかと思う、、、。
力というモノは表面的なものでしかないと俺は考えている、、、。
権威や地位、金などもあれば、知識、能力、、、。見えにくいものとして、優しさやその人の気丈を表す、、、。
わけだ、、、。でも、それはおかしいのでないだろうか?
俺らは何かを共有しあわねば何も分からないんだ、、、。その際、何の形であれ、、、。
自分達はその存在そのものを一々、力だ、能力だと勝手に解釈するわけだ、、、。
俺はその力への一方的な意志、過信が俺は全ての根幹を潰してしまうような気がする、、、。
続き
力というモノは全てを無力にしてしまいたがる、、、。
力というモノの前では、何もかもが無意味となってしまうと言うわけだ、、、。
まあ、確かに常識というモノも一つの力だと言えなくはない、、、。
他の解釈では、常識というモノ、基本的な知識というモノは上からの強制によってできている、、、。
とも言える、、、。そうでなくては、自分の力の下にうまく入ってくれないからだ、、、。
故に、全ての精神は力への意志で成り立っているとも言えなくはない、、、。
さすがはニーチェ先生だ、、、。俺が一々考える前に回答を全て作ってくださっている、、、。
だが、俺らは常識などの根幹を俺らは力への意志だと解釈し続けられるのだろうか?
新しい知識や新しい技術、新しい科学は何かしらの力を求めてできている事は間違いない、、、。
俺のこの考えさえも何かしら力に向いて成り立ってできているというわけだ、、、。
全ての力が一つの力のベクトルとして一方こうやその他の方向を向いたり、、、。
はてはベクトルがぶつかる事でゼロベクトルにしたり、逆のエネルギーにも変えられるわけだ、、、。
だが、力への意志だけでは俺らは疲れてしまうのではないのかと思える、、、。
どこかしら、隙間というモノを求めて、、、。力に飽きる面があるのではないだろうか?
ただ、希求しているだけでは辛いわけだ、、、。その際、その行動を「一歩下がって自分の足を見る」
といったりするわけだ、、、。そうして、自分と言う存在を安定させようとするのだ、、、。
どうやら、根幹と言うのは矛盾しあう事で成り立つらしい、、、。
根幹にも力への希求があり、力への諦め、力への意志の飽きがあるわけだ、、、。
その飽きが、、、。いや、飽きというモノは逆ベクトルにすぎない、、、。
一つの背反した、力への意志とも感じられる、、、。なら、零ベクトルをどう説明するのだろう、、、。
多分、人は力への希求を止めないと言う前提をおいてあるから考えていないだけかもしれない、、、。
続き
所謂、逆ベクトルへの意志がキリスト教者であり、、、。
逆への力を意志しているわけであるが故に弱者の力と捉える事もできると思える、、、。
ニーチェが嫌った、弱者道徳、奴隷道徳とも言える精神なわけだ、、、。
でもだ、俺らはその精神を一々悪用しあっているわけだ、、、。
どっちつかずという状態であるが故に自分達は安定しているとも言える、、、。
俺らの精神状態と言うのは基本的には零ベクトルを目指すようできている、、、。
むしろ、最も安定した状態が零ベクトルと考える事ができるのではないだろうか?
だから、俺らは自分の精神を揺さぶって生きている、、、。
安定こそ最も面白くないもの、つまらないものと俺らは意識しているからだ、、、。
通常はね、何かしら刺激や、日常とは異なった事をしたがるのと同じようなもんだ、、、。
それが、人の根幹であると仮定しうる事ができるのなら、、、。
零ベクトルへの無意識の意志が基本(根幹)であるなら、、、。
常識というモノは零ベクトルへの意志の集合とも考える事ができるかもしれない、、、。
力というモノの前提がありながら、その力を相殺していまう意志、、、。
それが、常識なのかもしれない、、、。
だが、そのような意志はありえるのだろうか?
そのような矛盾した意志が俺らの中にいるとするならば、、、。
それが、俺が叫ぶ「大悪魔!」という存在ではないのだろうか?
まあ、どうでもいい話だ、、、。
はあ、駄目だな、、、。
|A・)それにしても、年金問題とか変な話だな、、、。
|A・)年金で預けるよりは、外国の銀行に金を預けていた方がよほど効率的だがな、、、。
|A・)格言だが「イギリス人は金利が2%を下回ったら金を預けない」
|A・)と言う言葉があるけど、、、。元々、今日本がやっているゼロ金利というのは、、、。
|A・)人の金をわざわざ死に金にするような政策であり、、、。資本の海外流出を酷くさせるだけだ、、、。
|A・)逆に、ショック治療だが、、、。公定歩合制を再起させ、金融を刺激せねばならん、、、。
|A・)その際につぶれる銀行は一時的に国家が管理させ(海外資本家の禿鷹に飲まれないため)、、、。
|A・)ある程度、信用と実績を戻せたら民間に戻せばいいのだ、、、。
|A・)俺は自分の思考が叫ぶもの以外はシンプルイズベストだと考えている、、、。
|A・)経済学者が実際の経済では全く使えないのと同じさね、、、。
|A・)難しい理論を駆使しても、実際に使えなきゃ全くの無意味です、、、。
|A・)経済と言うのを予想する、未来予測学なのにできないと言うギャグはいらんからね、、、。
|A・)そもそも、国というモノを信頼する馬鹿の方が悪いと思える、、、。
|A・)支那の格言で「上に政策あれば、下に対策あり」と言う言葉があるけど、、、。
|A・)そのままだろ?何も難しい事はねえんだよ、、、。
|A・)何せ、当の議員でさえも自分の国の年金を信頼してはいないだろ?
|A・)なら、簡単だ、、、。信頼にしがみついていきているようじゃ、どうにもならない、、、。
|A・)人は人を信頼する事ができるが、同時に裏切る事もできると言う事を忘れない方がいい、、、。
|A・)頭の(ずる)賢い人間は表面的に払っている振りをして、金を違うところにおいてある、、、。
|A・)又は、善良な個人資本家は恵まれない、子供(日本人)に教育がしっかりできるようにしたり投資して言る、、、。
|A・)ちなみに、海外に金をやる奴は精神障害者である事は間違いないと思えるね、、、。
|A・)その金で海外の国の力を強くしてどうするんだよ!と言う突っ込みが入れたくなるからだ、、、。
|A・)そんな生易しい偽善的オナニー妄想者はさっさと人間の盾で自殺してこいというしかできないね、、、。
|A・)どうやら、この国はそういう短絡的な人間が増え過ぎたようだ、、、。
|A・)まあ、どうでもいい事だ、、、。見ててムカつくだけで人畜無害だから、、、。
|A・)まあ、いいんだけどさ、関係ないから、、、。はあ、駄目だな、、、。
|A・)ちなみに俺は他の板とかには書き込みをしない男で、、、。
|A・)本当にここ独りで何かを書いている下らない男だ、、、。
|A・)大抵はあがっているスレはオフ板などのコテハンさんが多いねえ、、、。
|A・)ちなみに俺がよく見る、この板のコテハンさんのスレは、、、。
|A・)芦原さんや、さじ加減さん、毎日寝太郎さん、ゃゃさんですかね、、、。
|A・)芦原さんとさじ加減さんのスレは色々と考える際のいい情報源ですし、、、。
|A・)まあ、コテハンさんの考え方が好きと言うだけなんですがね、、、。安直な発言ですがね、、、。
|A・)それにしても、俺は難しい事を言っているのかなあ?
|A・)確かに、極端に解釈が難しい文と直線的な文とで相当の差があるし、、、。
|A・)それに、文が異様なほど矛盾している時があるからなあ、、、。
|A・)これは、思考の発展段階と考えていいのでしょうか?
|)え〜ん、ゃゃさ〜ん、俺の脳みそが俺をいじめるよお〜、助けて〜、、、。
|)って、アホか俺、、、。はあ、駄目だな、、、。
>>344 非常識人間ゃゃ参上!
常識って流動的だよね。
なんつって私は、ジョウシキがさーっぱり解らないし、解ろうともしてない。
大事なのは美意識というか、己のモノサシだと思っている。
大迷惑この上ないな、、、。
駄目だな、、、。
>>347 私はブラックリストに載ってるらしく
2回も取りたてが来たよ。でもない袖は振れぬ。
>>349 私のとこも見るとは、意外。
あ、、そういや私が「来い!」といったんでした。あは。w
寝太郎さんとこは私もROMってるよ。
あそこはレスがなかなか付かないけど、ROMは相当多いと思う。間違いない。
駄目たんは言葉の選択が個性的なんだよね。
いや、思考も個性的だけど、それ以上に、なんていうか・・
別に悪くないと思うよ。イイヨイイヨー
矛盾が全くないなんて面白味に欠けるし。
すっかり歳食った私にはちょっと頭でっかちに見えちゃうけど
それも時間が解決するでしょう。
私が思うに、脳の吸収のピークは18歳。そこから強烈に衰えを感じる。
いまはどんどん吸い上げてください。
ぬおおおおお
わだじもだじげで〜
>ゃゃさん
確かに流動的ではありますが、どこかしら根幹を持って、慣習を保持する面もあると言う、、、。
中々、素晴らしい感じに矛盾していくと言う、、、。面白いものです、、、。
自分も常識というモノは分かりません、、、。しかし、全てに置いて人間が基準ではないのですかねえ?
人間が基準だから、そこから色々な物事が発展していくと言うわけだ、、、。
全ては人間基準なんですよ、、、。故に、他の立場を自分達は考える事はできえないのだ、、、。
それが、人間全ての個人の意志を無視しあう事でしか、自分というモノを表せないと言う面もある、、、。
共有も無視も二つとも人間基準だとしかいえないのかもしれない、、、。矛盾するがね、、、。
なぜなら、自然だからだ、、、。科学というモノはつきえる事はないからが故の、、、。
自然なのではないのだろうか、、、。自然科学と言う言葉があるけど、、、。
俺は自然というモノには限界がないのだと思う、、、。俺は歴史にも刻みと流れの背反性を持つと考えている、、、。
それと同じなのだ、、、。自然と言うものが流れであり、自然科学の科学が刻みではないのだろうか、、、。
言語学では、歴史というものに入っている曖昧な面を潰すために共時態、通時態というらしいのだが、、、。
そのようにわざわざ分けたのは自然科学であるが故にだろう、、、。
言語と言う流れの面と学問としての科学的な刻みの面を両面持っている、その背反性が重要なのだ、、、。
学問は背反性を保持していかなくてはならない、、、。さすれば、意味がなくなるだろう、、、。
なぜなら、学問は人の色んな意識が総合してできえているものだからだ、、、。
その意識こそ、人間基準であり解釈の地獄なのだ、、、。
その堆積が簡単に歴史と言える事ができえるのなら、、、、。
それは少し誤解のような気がします、、、。なぜなら、人は時には歴史と切り離したがるからです、、、。
歴史とかけ離れたものを求め、それを刹那的とか今の生き物に生きているものともいえるかもしれない、、、。
だが、その行動も全ての法則として当てはめられ、歴史の藻屑として飲まれる肉の塊、、、。
まあ、どうでもいいことだ、、、。はあ、駄目だな、、、。
学問は全てひねくれ者によって護られているようなものだ、、、。
純粋性を嫌い、単純な見識に固まる事を嫌むものが全ての学問を守っているんだ、、、。
それが知識だ、それが常識なのだ、、、。守る事が常識ではない、革新する事も常識ではない、、、。
全てが、同じようなものになりえないが故に常識なんだと俺は考えている、、、。
変ないい方だが個々の常識と言うものがあると俺は考えている、、、。
自分が持っている常識と共有しあうためにある常識と単位が全くを持って違うのだ、、、。
その差が現実と妄想との差とも言えるのかもしれない、、、。
だが、それは分からない、、、。あくまでもそれは俺の仮定みたいなものだ、、、。
現実は一回しかないというのがあるが、現実則してでの思考は何回もできえる、、、。
その点では妄想が現実の下をいくと思えるが、しかし、逆転する、、、。
なぜ逆転するのか?それは、俺らが成長し、個々の思考を導く事によって変化するのだ、、、。
現実というモノは変化しない、ただ常にこの俺らが見ているもの以上に拡大しうる事はほとんどない、、、。
だが、妄想は桁違いに変化し、拡大し過ぎてしまう、、、。求めれば求めるほどにだ、、、。
その妄想が現実によって証明される事によってでしか、妄想は肯定される事はない、、、。
だが、膨らまし続ける事はできる、、、。故に自分達はその妄想を調節したがるのだ、、、。
調節する事が逆に現実への意志をより膨らましてしまい、現実に則した妄想的行動を取ってしまうのだ、、、。
それが、ロリータ犯罪者とも言えるし、サカキバラ事件と例はたくさんあるわけだ、、、。
しかし、それに彼等は妄想的欲求を直接に現実的に肯定してしまったわけだから、、、。
この二重の極みによって、彼等はそう行動を取ってしまったのだ、、、。
でも、妄想を解体していけば、現実との境が見えてきてしまうと俺は思うのだがな、、、。
まあ、彼等にはそのような能力がなかったと言う事で、、、。まあ、どうでもいい話だ、、、。
はあ、駄目だな、、、。
353 :
ゃゃ ◆EaCIEP/BRA :04/05/14 00:25
>>351 ごめん、今視覚に来てるからこれは明日じっくり目を通します。
それはさておき、ちょっと私見です。
あくまで独断的なので話半分で聞いてね。
駄目たんはニーチェの翻訳された文体に大いに影響を受けているように感じる。
いいとか悪いとかそういうのはおいといて。
こう、乗ってきて、だだだーんと指と脳がスムーズに連動してるように見受けるレスは
とてもニーチェ(原文で読んだ事ないから翻訳での表現の上ですが・・)ぽいよね。
意図してるのか、影響を受けたのか、わかりかねるけど。
でもね、それって当然といえば当然だとおもうのね。
私も思春期に音楽で「スライアンドザファミリーストーン」っていうのに触れて
影響受けまくっちゃって、その後のコンポウズにスライの陰あり。ってなったもの。
自己の判断とか、そういうのを抜きにして
感化されうる圧倒的なパワーに魅入られると
無意識下に潜み続け、流れるままに書き殴ったり、私の場合作曲に没頭すると
少なからずその色が出てしまう。
それもまた、自分で一回消化して、身に付いた物だから問題ないのだけど。
むしろそれは栄養で、すくすくそだつのだよね。
ああ、すまん。ちょっと支離滅裂かな。
明日、ちゃんと見直すね。 んじゃ!
ああ、ageちまったい。
すまにゅ。
|A・)ゃゃさん、、、。ここはドラえもん大好き!さじ加減さんに助けてもらいまひょう!
|A・)ちなみに、ドラえもんの道具全集が古本屋で売られていた記憶があるなあ、、、。
|A・)俺も、ドラえもんが好きだが、、、。それより、短編集が好きなんだよなあ、、、。
|A・)手塚治虫も藤子・A、・Fも短編集が一番面白いと俺は思えるなあ、、、。
|A・)藤子・F先生は現実性とグロさと科学や色んなものを交えているから非常に好きだ、、、。
|A・)空想の中の現実性を描くのが非常にうまいと俺は思う、、、。
|A・)絵のうまい下手はそれ以外の世界で、ストーリーの問題と思える、、、。
|A・)そう考えると俺らは発展し続けてきたものだ、、、。絵と言うものが字を支配している面があるもの、、、。
|A・)支配者の転換が歴史の一部である事は間違いないだろう、、、。
|A・)でも、全ての解釈は言葉でできている、、、。逃げえる事はないのだがな、、、。
|A・)>ちなみに、個性的だけどの、それ以上に、、。その先を教えてくだちい、、、。
|A・)はあ、駄目だな、、、。
>ゃゃさん
うん、確かにそれはあると思います、、、。
むしろ、実際、ニーチェを読んでからそれが鮮明になったと言うか、、、。
ニーチェの訳本を読んだのは2か月前ぐらいの話で、哲学者の解釈本しか読んでなかったんです、、、。
実はね、、、。実際読んで、こんなに躍動感がある文体なのか!とびっくりして感化された、、、。
自分は小学生の頃から詩と格言を作る癖がついていた時があって、、、。
それが、文章に移行していったといいう事がなんですがね、、、。
それにニーチェ的なものがずっしり乗り続ける事によって、意志的なのか無意識なのか、、、。
分からないが、このような文章をかけるようになった、自分の意識を解釈できるようになった、、、。
それにはニーチェと言う存在が絶対不可欠だと考えているし、それが体に眠っている、、、。
よく分からない生き物なんだよなあ、俺の中のニーチェという存在がなあ、、、。
何か、俺の中でニーチェというモノは一つの俺の一部であり、もう1人の俺みたいなんだよなあ、、、。
もしかしたら、俺が重い石といっているものは実はニーチェだったりして、、、。
まあ、そんな事はありえないかもしれないし、アリエールかもしれないから分からないんだけどね、、、。
人は思考というモノでは例えきれない面があると思える、それが直感的躍動感だろうし、、、。
欲求と考える事もできうる、、、。俺はニーチェと言う人はその直感を思考に則する事がうまかったんだ、、、。
と俺は考えている、、、。解釈の移項方法がより直感性、直接性を守ったからと思える、、、。
カントは逆だと考えられると思う、過去にある知識とうまく当てはめ理知的に持って行った、、、。
その差が、この二人を完全に決別させていると俺は考えている、、、。
でも、俺はこの二人を飲み込む事ができるかもしれない、ゃゃさんもだ、、、。
過去の人間は偉大だ、、、。だが、偉大と言うのは守られるものではない、、、。
攻められて、その考えが壊されてもその姿が美しく有り得る事が最も偉大ではないのだろうか?
まあ、どうでもいい事だけどね、、、。はあ、駄目だな、、、。
個性的だけど・・の続き
大いに偏りすぎていて、他者との交流が困難ではないかと。(自覚済みだね?)
本人がそれを望んでいたとしても、だよ
人間、どんなに駄目な部分が目立つような人にさえ
ハッとさせられるような、こころにグッサリ突き刺さる、もしくはあとまで引きずる
そのときの鮮度で自分にとっての最適なタイミングでの助言を提供してもらえたりするでしょ。
相手は何にも考えていなかったとしても、それは受け取り手(つまりは己の問題)
それによって、新たな側面から切り込める。
私は「同意できないけど、捨て置けない意見」がもの凄く好きだ。
とてもよい刺激であると同時に、反省への材料になるから。
マンセーは辟易。いや、いちいち重箱の隙を突付かれるのもウザイけどね。
励ましもおちこみが酷い時には助けられるのだけど、調子のいいときは甘えを助長するので・・・
脳内の漠然とした物を白紙から作りこむ作業ってのは麻薬です。
音楽然り、漫画然り、アニメ然り。小説然り。そのほかにもクリエイティブな物ってえてしてそんな傾向。
それは全くの無から始まる、自分の脳みその靄を具現化する、非常に消耗する作業です。
同時に生みの苦しみと、完成時の達成感がたまらない。
ドラえもんには正直あまり惹かれないけど、藤子氏の才能には感服。
そうとうな才能と、柔軟さと精神力なくしてはなしえない。
夢を与える。。それってまるでハーブティーのように
なにか元気になる。偉大だ。
>ゃゃさん
正しくですね、、、。捨ておけない意見と言うのはたくさんありますね、、、。
それにしても、言葉と言うものは非常に面白いものですね、、、。
ただ、これだと言えるようなものは存在せずに、個々の解釈で成り立っているもの、、、。
そう!ただの解釈に過ぎないから俺らは何かを創り続けているんだ!
自分の考えはゃゃさんとは反対だと思うけど、0と言うものがない状態が0だと考えている、、、。
その0と言う数には、何かしらの意図(0ではないもの)が存在して、、、。
その上での仮定としての0と言う存在が寝ているんではないのだろうか!
俺らには0と言うものがないとは俺は言わない!0は人間意志(0になりえないもの!)
で創られ、同時に守られている!故にゼロなんだ!
ないという状態がないという下らない背反が最も重要なんだ!
白紙には紙と言うもの、木というモノ、土というモノ、地球というモノ、宇宙というモノ、そして!
全てを総集の人間の思考というモノの堆積によってできている!恐ろしいほど人間中心!
と無限に拡大していく、その先には!その先は分からないから仮定として0のように見えるものを置いているのだ!
俺らは0というモノを書いている時点で真の意味での0と言う存在を否定しているのだ!
この直感には俺と言うモノの存在と経験と知識と感性と環境と言うものが必要不可欠のように!
全てには人間基準と言うにんげんがその思考を飛び越える事ができない、、、。
恐ろしいほど高く、横に長い壁がいるんだ!壁を超えられない!壁は人間なのだ!
そうやって、俺は叫んでいくんだ!俺の脳みそが軋むんだ!叫べと!
俺の意志はニーチェと同じなんだ!全てが叫びなんだ!何ものか分からない叫びなのだ!
彼は叫び続ける事によって、発狂してしまった!彼は正しく、人間だったのだ!
彼が人間であり続けたいが故に狂った!俺らは人間の形をしながら、人というモノを叫ぼうとはしない!
俺らは人ではないんだ!ただ存在している、ただ存在しているだけのものに過ぎないんだ、、、。
はあ、こうして、、、。俺は下らない思考を露吐していくのか、、、。
さて寝るかな、、、。はあ、駄目だな、、、。
>>358 >0と言うものがない状態が0だと考えている、、、。
えーっとね。
ゼロと白紙は違うの。
ちょっと私の書き方が誤解を招いたね。
(
>>357の>脳内・・ の部分だけど)
例えば、真っ白いキャンパスはそこに存在するし
モデルもそこに存在する。
でも、画家はそのモデルからビーナスを想像して
目の前にあるものをただ模写するんじゃない、というような
そんな意味なことを言いたかったんでした。
"全くの無"と書いたけど、それは現実には存在しないということで
脳内にはイメージとしてあやふやにある。
そのぼやけた物に形を与える。といえば伝わるかな。。
そういう作業は麻薬であり、同時に、優れた作品は人にも何かを与える。
やっぱり上手く言えないな、、、。はあ、駄目だな、、、。 w
ばあちゃんの四十九日で田舎にいっていました、、、。
>ゃゃさん
うん、正しくだね、、、。0と白紙は違うねえ、、、。
確かに、白紙には書いたとうりに前提が存在して積んでゆく、、、。
それに描かれるものはあやふやなものを、自分達が思っているように描いていくわけだ、、、。
でもだ、俺らはその認識されているものとしている、全てが俺らは正しいと考えている、、、。
優れた作品も、陳腐な作品も人に何かを与える、、、。作品であるが故にだ!
全ての作品は自ら作り出している脳内麻薬からできているだろう、、、。また、そうしている、、、。
陳腐な作品はその能を人に馬鹿にされるためにできているだろう、逆の作品は讃えられるためにある、、、。
だが、それを超えようとする物は誰も持っていない、、、。だろ?俺らはその能力さえ、もちえないのだからな!
俺らは陳腐な才能でさえもないのだ、、、。陳腐さえも俺は持ちえないのだ、、、。
そう!その存在を凡庸と言うのだ!考え続けると全ての物が凡庸化されてしまうのだ、、、。
美しさも、醜くさも、全てを問いていくと何もないのだよ、、、。それが俺のぼんよう差だ、、、。
ちなみに、俺は俺のばあちゃんの骨が黒くてしっかりした墓の入る際に思ったんだけどさ、、、。
「人って、産まれる前も死んだ後も何かに守られ続けるのですね、、、。」
産まれる前はおかあさんのおなかに守られ、死んだ後は丈夫な墓石によって守られる、、、。
人は孤独になれないんだ、、、。何かに守られ、野末の草にむされても、、、。俺は草と土に守られる、、、。
大きな物、大きなモノ、、、。人は何か偉大なモノに守られている、、、。
石も、膣も、草も、どこかしら、、、。前提がある、、、。もしかしたら、、、。
その全ての前提の真の意味での根幹と言うモノが零なのかもしれない、、、。
続き
よくは分からないが、、、。根源、根幹、前提、常識というモノは求めていくと切りがない、、、。
その切りのなさが無限であり、夢幻であり、零ではないかと自分は思います、、、。
俺は0というモノは0とされているが故に零ではない、、、。
なぜなら、表されているからです、、、。何かしら、分かりやすいように表記されているからです、、、。
でも、零は違う、、、。零の先には零はないからです、、、。輪廻と言う物が〇を描くように、、、。
円は矢張り、零なのです、、、。表記されている物として考えられるならね、、、。
真の意味では自分は零というモノが円を描くとは思えない、、、。
なぜなら、零は0のように返る事はないからです、、、。始点と終点が同じではないのです、、、。
故に自分達は分かりやすいように、都合がよいように零を解釈した、、、。
それが、0なのです、、、。全く、良く分からない話でしょうが、、、。
単純に言えば、物事全てを立体的に求めてみて下さい、、、。
渦巻きは、本当は時が流れる事によって膨らんでいたり、ちじんでいたりしまいます、、、。
それと同じなのです、だけど、、、。零はその始点の始点なのですから、、、。
零はどこに行くのでしょうかね?多分、人間の脳みそでは限界が容易く見えてしまうように思えます、、、。
俺らは死ぬまで何かを創り続けるのです、それと同じです、、、。
零は俺の人生と同じなのです、、、。死も生も守られ続けるのですから、、、。
守られ続ける事が零なのかもしれません、、、。拒否しえないモノが零なのかもしれません、、、。
ないモノではなく、俺らが俺らであるために拒否できえないもの(零にできえないもの)
それが、零ではないのでしょうか?自分には分かりませんがね、、、。
まあ、どうでもいい話だ、、、。
はあ、駄目だな、、、。
|A・)漫画をよく人は、「漫画は文化だ!」と言う人が多いですが、、、。
|A・)全くの嘘ですね、、、。漫画は一つの文明だと思います、文字と同じです、、、。
|A・)文化というモノは民族的な形体を持ち、保持しようとする立場です、、、。
|A・)しかし、文明は違います、、、。それだけで普遍性を持ちえてしまう物なのです、、、。
|A・)漫画は元々、文化として日本にやってきました、、、。その頃はポンチといわれてましたね、、、。
|A・)それが、日本的なものがその漫画(ポンチ)というモノを包んでしまった、、、。
|A・)その際に1人の天才(異才)が出現します、、、。手塚治虫先生です、、、。
|A・)手塚治虫先生によって、日本の漫画文化としての外枠が創られ、、、。
|A・)その中身を色んな漫画家によって、補充され、外枠が拡大し、しまいには溢れ出してしまった、、、。
|A・)それによって、その漫画文化が一つの普遍性を獲得できえた事で文明へと変化を遂げたのです、、、。
|A・)確かに、文化は守るべきでしょう、、、。そうでなければ、文明に飲まれてしまうからです、、、。
|A・)しかし、文明を守り出した瞬間、、、。その文明は衰退してしまうのです、、、。
|A・)実際、漫画は政治が触れえぬ、ある意味の神域でした、、、。それが逆に発展させていったのです、、、。
|A・)それが、言葉の広さであり、漫画の広さのです!なぜ矮小化したがる!何故!
|A・)全くを持って、人は何も知らないのだ!侵略したがるのだ!
|A・)人間は、人と人との間があるが故に人間なのだ!何故、堕ちたがるのだ!
|A・)著作権なんぞ問いはじめたら、全てが消滅する、、、。
|A・)確かに、前提としての権利は絶対に必要だ、それは人間だからだ、、、。
|A・)しかし、それによって自分達の目が潰されてしまうのなら、、、、。
|A・)それは全くを持って無意味だ!叫んではならない!叫んではならない!
|A・)自分達が根本として持ちえている、正当さ、漫画としての正当性を持ちえていればいい!
|A・)それを著作権なんぞで包んではならないのだ!何故それが分からない!それこそほろびであるのに!
|A・)言論は縦横無限であるが故に力を持ちえるのだ!なぜそれを権利というモノで包む!
|A・)ディオニュソス的なものをアポロン的なモノで何故包むのだ!ニーチェの言葉を借りればね、、、。
|A・)言葉と漫画は発展する!それは文化ではない!文明なのだ!正しくだ!
|A・)発展するモノを小賢しい知恵(嘘)で包んではならない!何故、それを分からないのだ!
|A・)そうさ!俺はそいつらを滅ぼし、皆殺しにするために産まれた!それが価値だ!意味だ!
|A・)まあ、どうでもいい事だ、、、。はあ、駄目だな、、、。
どう書こうか考えているうちに
スレがおちちまったのでレスをこちらに書きます。
キーボードに触れ始めるとかけるものですね。
妄想と現実を分けようとしている。いうよりも分けざるを得ないのです。
妄想は現実世界のからのフィードバックを受けて成立しているわけです
妄想の元となる現実があるので、そういう光景を現実に見た時に強烈に
意味のない自分の妄想、世界を意識してしまい不安に襲われるのです。
そうして意識した世界は、僕にとってもまったく不要なものです。
そこにいても、不安や恐怖を味わう事になるのですから。
そこに気が付いたのはいいが、ここからが問題で、もうどこにも行く場所が
なくなってしまったのです。どこにも逃げられず、この世界の中だけで
もう私の目的が達せられない世界で、死ぬまで生きなくてはいけないのが心底辛い。
そうですね。問題を掘り起こす場合に自己の世界を解明するため
自己と対話をする為に本を読まない事も必要かもしれません。
しかし本は言語だけのものではなく、世界そのものかと思います。
この他者の世界に触れ、自己の世界を見る。その見方によって「私」の
感性というものが見えてくると思っています。
>毎日寝太郎さん
確かに、分けざるえないと言うか、、、。自然と分けられてしまうモノだと考えているから、、、。
何というか、、、。妄想も一つの現実であり、現実も一つの妄想のような気がするんですよね、、、。
相互関係と言うか、俺は妄想を飼うようにしているから、、、。うまく現実と溶け込ませている、、、。
望む事ができない現実が妄想によって昇華され、叶う事ない妄想が現実によって潰され、飲み込まれる、、、。
なら、かなえられる妄想、欲求が色濃い部分をうまく現実で満たされるようにしている、、、。昇華したり、合理化したり、、、。
しているわけで、、、。俺はどうしようもできない範囲が常にどこかしらにあって、、、。
それは、妄想だろうが、現実だろうが関係なく存在して、俺は生き続けている、、、。
俺は生きると言う事はある意味、妄想なのかのようにも思える、、、。胡蝶の夢と言えば簡単かな、、、。
俺の生と言うのはこの二つ(妄想と現実)に守られているから生きている、、、。
例えば、俺の心の中にいる色んな存在は他人から見れば妄想だが、実際、感じる俺には現実であり、、、。
例え、俺がそれを説いても人は「妄想だ」で片付けてくれる、、、。非常にありがたい事にね、、、。
それは彼等の現実と俺の現実は差があるからだ、俺は現実を深追いしないし、又、妄想も深追いする気はない、、、。
又、同時に彼等が感じる現実と俺が感じる現実とはあまりにも背理している、、、。
俺が前提として持ちえているフィールドバックと彼等が持ちえているフィールドバックが違うようにね、、、。
現実世界によって妄想は創られるし、同時に妄想によって現実世界がうまく構築されていく、、、。
確かに、その妄想は社会(現実)によって受け入れられたからだ、、、。だが、その現実が妄想かもしれない、、、。
例えば、厳粛なイスラム界なら「女権!」と叫んでも、ニヤニヤとアラブ人に笑われて妄想とされるだろう、、、。
現実と妄想はどちらにしろ普遍性を持ちえない、、、。妄想が妄想とされるにはそのための現実があり、、、。
現実が現実とされるには否定されるべく妄想が存在している、、、。まあ、どちらにしろ、、、。
妄想も現実も弱い存在だな、、、。弱い存在に俺らは何を求め続けたんだか、、、。
続き
逃げようとすれば、どこまでも人は逃げれますよ、、、。
貴方はどうやら逃げる事は恐く感じてしまうんですよ、、、。だから、世界を意識してしまうのです、、、。
貴方と言う事象には、貴方と言う存在、貴方と言う認識が絶対不可欠なのと同じように、、、。
貴方と言う存在を保つには世界というモノを捨て去らねばならない時がある、、、。
俺はいつでも捨ててますよ、、、。俺は俺というモノを考える事によって毎日捨てている、、、。
そのように考えているから、むじゅんすることがぎょうさんあるのは仕方がないというか諦めている、、、。
俺は世界を意識しないと言うか、、、。意識する必要がないと言うより、そういう世界があると考えているだけで、、、。
その世界を飲み込めるだけの意識さえあればいい、、、。
俺は少ししか本を読んでいないが、その世界は俺にとってみれば俺の知識のためであり、、、。
俺の妄想のためであり、その人間の事なんぞどうでもいい、、、。
俺は相手の世界には感心はするがその世界が分からない、、、。ただ、知識を吸い取っている際に、、、。
その人の世界を飲み込んでしまう時もある、それによって無意識の内に世界と言う物が広がっているかもしれない、、、。
妄想と世界を共用しあっていて、俺は世界と妄想を分けてしまおうとはしない、、、。
逆に寝太郎さんは分けようと無意識の内にしてしまっているから、自分の世界(妄想)を狭めている、、、。
でも、俺は俺で大きくなり過ぎているからどこからどこまでがと言う点で我を見失いがちだ、、、。
不安と恐怖、喜びも自分の世界に、妄想に叩き込んで勝手に処理させてしまえばいい、、、。
現実なんて、常に鍵かっこされるだけの範囲しか保持していなく、妄想は拡大する、、、。
だけど、妄想に鍵かっこをつけてしまえば蓄積しまい、はらせない鬱憤として積んでしまう、、、。
俺は鍵かっこをつけはしないと言う事です、、、。
|A・)故に俺と言う存在は拡大し、見える事ができなくなるだろう、、、。
|A・)俺は死ぬまで生きる事が辛くはないし、死ぬ事なんていつでもできる、、、。
|A・)何、少しの意志と他人に迷惑かける図々しい精神があれば簡単だ、、、。
|A・)でも、それやったら面白くはないでしょ、、、。産まれた意味がさあ、、、。
|A・)楽しい事は掘り出すもんです、今の現状で楽しくないのなら他に創ってしまえばいい、、、。
|A・)人生は一度キリかは分からんが、、、。求められるのなら、求めた方がいい、、、。
|A・)俺の思考というモノは深刻的に考えられ、同時に楽観的にも考えられる、、、。
|A・)人はそうやって矛盾していくのだから、それを悪用していかなきゃ損です、、、。
|A・)だから、世界は広い、、、。世界を狭めようとする人の意志がなければね、、、。
|A・)世界に目的何ぞないんです、、、。俺らが生きている目的が分からないのと同じさね、、、。
|A・)目的がなきゃ勝手に造って、達成された、失敗したといっていればいいんですよ、、、。
|A・)全ては難しい思考の土台に単純な何かがいる、たったそれだけなんですよ、、、。
|A・)まあ、どうでもいいことだけどね、、、。はあ、駄目だな、、、。
(・A・)ネニチリーン
(;´Д`)ネネネ…ネニチ‥リ‥‥ン……グハッ
こんにつわ。
朦朧とした頭での書き殴りをお許しください。
寝太郎さん、新スレマダァ-? (・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン
ファンは多いぜ!みんな待ちわびてるぞ!(と、プレッシャーをかけて見るテスツ
>駄目たん
このレス読んでね、ニーチェの「永遠回帰」と「一度きりの人生」って
実は根幹は同じところから発生してるって再認識しますた。
だからこそ、耐えられないのだよね。、常人には。
キチガイになるのは、逃れられぬ。
駄目たんは、無責任に言わせて貰えばかなり統合失調の軽症に思います。
ただ、日常が難なくすごせてるなら(齟齬は許せ)病気ではなく、パーソナリティーの問題。
いや、問題なんて重い表現じゃなく、それがあなたという生き物。
実存がしっかりしていれば、非常識なまでに他者に迷惑をかけないなら
それでいいんだよ。あくまで私見ですまぬ。
息苦しい世の中。それは何百年も前から変わらない
いわば普遍的な壁。
しかし、それとうまく折り合えてるなら、正常なのだよ。と、私は思う。
私のように壊れない、図太さを持っていてね。
君には期待してるよ。
>ゃゃさん
ふむふむ、、、。実際、執妄症(パラノイア)でかつ統合失調症、、、。
統合失調症は幻覚、妄想、被害妄想がひどくなると言う病気でやんすね、、、。
まあ、俺は学校でおかしな事をいう癖があるけど、それはギャグで済まされているしねえ、、、。
例えば、「ユダヤ人と支那豚共はこの世のために殺、いや屠殺して虐殺すればいい!
ヒトラーがとった政策の中で最も評価できるのはジュイリッシュ(ユダヤ人)を虐殺した事だ!
日本軍は実際には支那人を虐殺はしていないが、華僑の豚共をもっと屠殺すればよかったのだ!
そもそも、ユダヤの豚共によってどれだけの人間が殺されたか!日本人が核兵器で焼かれ。
ブラックスミスやロスチャイルド貴族連合、ロックフォード財閥がどれだけ悪を垂れ流しているか!
もっと!もっと!!もっと!!!あの豚共をこの手で滅ぼしてやる!!!!!!!!
ヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!」
と言う、達の悪い脳内妄想が実際存在している事は否定はできないねえ、、、。
だが、俺は自分を調整する能力をなぜか知らんが俺は持っていた、、、。
その調整する能力が他人に迷惑をかけないと言う、最も正当な能力だったんでしょう、、、。
俺というモノは俺と言うモノはハッキリ見える事はないが、、、。
俺と言う存在が分からないと言うわけではない、俺は俺として個々にある、、、。
それこそ俺というものが永遠回帰してゆく様なのかもしれない、、、。
でも、それも分からない、、、。俺は言葉で表す事は非常に簡単に言い表せる、、、。
高校生で、気違いで、倫理と言う教科が得意なただただの凡人である、、、。
しかし、その言葉で俺と言う存在が見えるのだろうか?それが俺なんだよ、、、。
言葉の領域から飛び越えてしまう、その存在が俺なんだよ、、、。
たったそれだけなんだけど、なんで一々説明するのが面倒な言葉を使うかなあ、、、。
特殊な言葉は分からない者を差別するためにしか用いられない、、、。それがどれだけ非常識か、、、。
故に学者か、、、。はあ、駄目だな、、、。
俺は学者と言う存在はあまり好きではない、、、。
確かに、尊敬できる思想、思考を持っている学者はわんさかいるが、、、。
時には、わざわざ難しい言葉を用いて、、、。言葉というモノを誤魔化そうとするアホがいる、、、。
正直にいって難しい言葉は易しい言葉をまとめるだけの存在であり、、、。
わざわざ本とかにしているのだから、もっと易しい言葉に換えてもらいたいものだ、、、。
どうも、学者専用とか、〜専用という言葉はあまり好きでないから、、、。
この独り言板も専用スレに見えるが、どこかしら関係を持ち合っているから「専用だ」とは言えんしな、、、。
知識と言うのも常にどこかしらの普遍性を持っている、でも、知識と言語はあまり深い関係を持ちえていないと思う、、、。
なぜなら、知識というモノを分かりやすいように客体化したものが言語であり、、、。
たくさんの知識をまとめるにはそれなりに重い言語が必要だ、、、。そこまでは関係を持ち合わせている、、、。
しかし、言語は普遍性を完全に持ちえているかと言えば、、、。そうとも限らない、、、。
例え、知識として共有しても、その知識を表した言語が共有しあわなくては意味がない、、、。
二つの極みで共有しあわなければ、人を説得も、説明も何もできない、、、。自分を差別化するのならどうでもいいが、、、。
それが、最近よく悪用される横文字だ、、、。パラドックスとか、ロジックとか、、、。
まあ、ここら辺は簡単でも、、、。掘り出していけばよく分からん横文字がバコバコ出てくる、、、。
他にも何の事をいっているのか分からない、論理上のことばが出てきたりする、、、。
そのことばが普通の人を説得しうるだけの能力を持ちえているかと言えば、、、。ノーだろう、、、。
そうする事によって、個々の学問は個々の学問の独立性を保持しえているとも言える、、、。
だが、その独立性が何時か動脈硬化を起こし、その学問の意味を消し去ってしまったら、、、。
でも彼等はそうは考える事はない、、、。なぜなら、彼等こそ真の意味で刹那主義者だからだ、、、。
そう、彼等は彼等のための意味を持っていれば十分だからな、、、。故に否定される徒であるのだが、、、。
まあ、どうでもいいことだ、、、。はあ、駄目だな、、、。
|A・)そういえば、、、。俺がとんでもない性癖を持っている事は言ったね、、、。
|A・)ロリコンでショタコンでSで女性のストライクゾーンが三歳か四十歳、、、。
|A・)という素晴らしい(自分に対しての皮肉)性癖を持っているのだがな、、、。
|A・)この前な、自分の部屋を思いっきり掃除してみたのだがな、、、。
|A・)そうすると、俺の幼い頃の写真がバンバラたくさん出てきてな、、、。
|A・)萌え〜、と感じてしまって少し人間としてより駄目になったとおもひました、、、。
|A・)本当に、_ト ̄|○モウダメポ、、、。ですね、、、。
|A・)いやはや、、、。中々今の俺にストライクな写真が多くて、、、。
|A・)こんな無垢時代があったんだな〜と思い出しながら、ふと、塾の先生の一言を思い出しました、、、。
|A・)「このエロガキ!」小学3年生の時に男の先生に言われた思い出が、、、。
|A・)ヤベエヤベエ、、、。俺の本質、幼い時から穢れまくりじゃあ!!!!!
_| ̄|○モウカンゼンニダメポ、、、、、、、、、、、。
>>370 あれだよ。「語感」に魅了されるケースもあるんだよ。
莫迦の一つ覚えのように、その言葉がとっても気に入って
おまけに使い勝手がよくって、他人空の理解は得られなくとも乱用してしまう。
私はちょっとわかるんだなあ。
シニフィエだとかシニフィアンだとかエクリチュールだとか
語感が心地よく、使い勝手がいい。
そんな話をするときには、理解しようという努力(ネットがあれば努力なんてたいそうなもんじゃないが)
のない人はもう除外してるのね。
これは感覚の共有っていう快楽の手段の一つ。
まあ、俺は外国に出るきもないが、、、。この日本にも止まる気もさらさらない、、、。
ただ、日本にいれば中々面白い事がまだまだあるんではないのかなあと思うだけで、、、。
いやさあ、毎日、毎日馬鹿が馬鹿な事をやっているのがニュースになってくれるからさあ、、、。
楽しく生きれると言う事ができなくなったら、海外とかに逃げちまえばいい、、、。
なんで俺が俺として生きる事をわざわざ俺で拘束してしまう必要があるんだよ?
勝ち組とか、負け組とかなんで拘束する必要があるんさね?俺はデラシネ、根無し草、、、。
俺の思考も根無し草なら、俺の産んで骨にされた思想も根無し草、、、。
根無し草を燃やしても、ただ火の勢いが強くなるだけで俺と言う存在は出てこない、、、。
結局、俺が存在しているから俺は俺というモノに入れて解釈した物を吐き出しているだけだ、、、。
俺と言う存在をわざわざ分かりやすくしようとしたら、燃えかすの如く意味が亡くなってしまうのさ、、、。
まあ、草だから灰にはなってこんにゃくのアク取りぐらいには使えるかもしれんがな、、、。
それはモノを無駄にしないと言う、素晴らしい人智があるからだけど、、、。
わざわざ思考を灰にする必要は全くないだろ?そこには人智はない、、、。
ただのエゴが強い愚か者の単純で慢心した解釈だけさ、、、。だから、解釈だけが残る、、、。
その人そのものはどこにも亡くなってしまうのさ、、、。解釈だけが残るからねえ、、、。
そうやって俺らは人を潰して生きているのさ、、、。全てが解釈だからさ、、、。
何も難しい事はない、簡単に出そうと思えば何でも出せる、、、。死ぬ事も生きる事もだ、、、。
一番の最高の答えは分からないなんだよ?なんで何もかも分かる必要があるのさ?
そんなの自分をわざわざ狂わしていくだけだろうに?俺は俺のために俺を追い込む思考を創る時がある、、、。
でも、それは俺の全てではないと言う事だ、、、。猟奇もあれば、陽気なおっさんなときもある、、、。
それが、俺だろ?俺には他人が見えるような根幹がないのさ、、、。
故に俺は根無し草なのさ、、、。なんで根を張る事が正しいと考えるのかな〜、、、。
まあ、どうでもいい事だ、、、。はあ、駄目だな、、、。
>ゃゃさん
|A・)中々素晴らしいタイミングにゃゃさん降臨とは、、、。ええ事じゃて、、、。
|A・)そうか!「語感」に魅了されて、相手が分からない事で快感を得る、、、、。
|A・)単純な優越感と言うやつですな!なるへそなるへそ、、、。
|A・)殊羅さんみたいなものか、、、。遠回しで、遠回しで何が言いたいのか俺には分からない時がある、、、。
|A・)その分からなさが「優越感」と言う奴なのですな!説得できる事が優越感ではないように、、、。
|A・)俺はどっちかと言うとなるべく分かりやすいことばと言うか、俺の考え方がおかしいというのもあるけど、、、。
|A・)俺は何かわざわざ横文字とかではなく、皆が共有していることばを使って説明しようとする、、、。
|A・)難しい考えはすると言うか、、、。難しいと考えた事はないんだよなあ、、、。
|A・)難しい事はいっているつもりと言うか、故意に出そうとする気がないんだよなあ、、、。
|A・)結局、ゃゃさんが言うように感性で言葉を出しているから、、、。
|A・)一般的な解釈が通用しないところは難しくなってしまう、、、、。
|A・)西部 ススム先生のように難しいところは難しく説明し、、、。分かりやすいところは分かりやすく、、、。
|A・)できるといいんだけどな、、、。はい、高望みです、、、。
|A・)はあ、駄目だなあ、、、。
|A・)俺が小学四年ぐらいの時のいじらしい写真で萌えてしまった駄目人間ですが何か?
|A・)自分に萌えてしまった俺と言う存在は完璧にもう駄目だな、、、。
|A・)この小学生の頃の俺はねえ、スカートめくりとかよくやっていて、、、。
|A・)いじめっ子といじめられっこ二つ経験したと言う、、、。面白い人間だったねえ、、、。
|A・)後、ビデオとか見てみると声がねえ、、、。まずいほど高くて、、、。
|A・)小学2、3の時の話だけど、、、。ある時、いた電で「ねえ君、今どんなパンティーはいてるの?」
|A・)という電話があってね、その時俺は「白のブリーフ!」と元気よくいったらカチッと切られた記憶がある、、、。
|A・)今は達が悪い事にそのような属性を持っている人間が少なからずいるからとんでもない話なんだけど、、、。
|A・)まあ、それは置いといても、、、。中々、いい少年だったよ、、、。
|A・)でも、昔から変態とは言われていた記憶が、、、、、、、、、。
|)まあ、いいや!はい!よゐこはもう寝る時間ださっさと寝よ、、、。
|<昔から、駄目だ俺!もう、だあでもいいや!
>>365-366 思うに僕と駄目人間さんは逆の適応をしているようだ。
駄目人原産は世界を自分に適応させている。
僕は世界に自分を適応させようとしている。
自分がどうしようもない部分が妄想でも現実でもある
というのはこの現実においてで、僕はこの現実を妄想とは
思えないのだ。いやそう考えても良いのだけど、それは言うように
無意識に、まったく感じる事ができない。外側に回りこめない世界で
あるのはいいのだが、この内部世界に中にさらに妄想という内部世界があって
こいつの外側は意識できる。妄想は現実から作られているから。
しかし、妄想が内部世界の産物にも関わらず、現実に具現化出来ない事が
僕にとって問題としてあって、しかもどんなに努力しても不可能な事さえある。
現実世界の憧れを妄想にはもっていけるが、妄想からは持ってこれない。
当たり前の事だが、この事を意識すると気分が悪くなる。実際に現実に
そういう世界があるというだけではなくて、世界をそのまま体験したい。すべてを!!
だが実際は捨てなければ、自分を維持できない。楽に生きる事ができないのだ。
楽観的に好奇心だけでこの世界を体験できたら良いのにと切に思うよ。
ここから更にどこに逃げれるのか。もう現実適応するしかないと思っている。
鍵かっこをつけないというけれど、妄想や夢想に体験を求めたとき、僕はあきらかに
世界を意識する。意識せざるを得ない。
>>368 新スレを立てようとしたら、あんたのホストからは立てられませんと言われてしまいました。
今度の土曜が休みなのでマンガ喫茶から作ります。ファンなんているのかなあ。
でも毎日どのぐらいの人が見ていたか、カウンターでもつけたいみたい気分だ。
ゃゃにしても駄目夫にしても言葉だけ達者で現実には何も生み出してはいないし成してもいない
お前ら自分の人生をかなり無駄に消費してると思うが
そうやって下らない思考をループさせて死んでゆくつもりか?
命の短さを逆算して考えてみろ
思考に特化しても無意味なんだよ
行動が伴わなければ死んでるのと同じ
世界とか自分とかそういう抽象的な概念に囚われて言葉遊びしているに過ぎないんだよ
自分が分からないとか完全に頭と身体が機能してない証拠
そんな事に惑わされてる時間はない人生には
目的のない人間はくそだな、本当に
もっとちゃんと考えろ
ガキじゃあるまいし
>>377 ここは私のスレじゃないんでレスはこれだけにします。
まだ何か言い足りないなら私のスレへどうぞ。
http://life4.2ch.net/test/read.cgi/yume/1084102382/ 私は人生に目的を持ち、かなり努力して、自分の持ち合わせてる力以上に努力したら
ぽっきり折れてメンヘラーになったんですけど。
医者にも燃え尽きだって言われてて、今は休めといわれてます。
あんたみたいなやろーにとやかくいわれるほど無駄に消費してきちゃいねーんだぼけえ
そこまでいえるあんたはさぞかしご立派なんでしょうねえ。
どんな目的を持って人生を謳歌してらっしゃるんでしょうか。
>もっとちゃんと考えろ
で、おまえはどんなにちゃんと考えてんだ?
スレ汚し失礼。
只今非常に気が立ってます。
>毎日寝太郎さん
いやはや、すいません、、、。昨日は疲れてサッさと寝てしまいました、、、。
う〜ん、何と言えばいいんだろうか、、、。俺は世界を意識すれば、妄想の効能が自然に分かれる、、、。
作用と副作用と言えばいいのかな、、、。現実は現実として、妄想は妄想として、、、。
寝太郎さんがおっしゃる通りに、俺は世界を自分に合わせようとしている、、、。
でも、それは自分中心とは思えない、、、。それは至極当然だが、現実は非常に重い、、、。
現実世界に合わせようとすれば、妄想もそう変化しざるおえない、、、。現実の重さというやつですね、、、。
そこで妄想の軽さと言うのが逆に悪用できると思う、、、。妄想は現実からの一つの上澄みというか、、、。
一つの派生ブツなんだけど、元々が軽いから沢山詰め込んでも空気のように重さがない、、、。
形としては妄想の方が現実より大きいのだが、重さでは現実の方がより重量を持っているから、、、。
現実が重ければ重いほど(そう感じるほど)妄想が吐き出されていくんだ、、、。
しかし、それは自分の本当に心を表した妄想ではなく、、、。
ただただ社会的に否定されるもうそう(直接的な欲求)にすぎない、、、。
じゃあ、これを仮定として薄いもうそうとしようか、、、。重量感ある妄想は黒くドロットしているように思える、、、。
コールタールのごとくにね、、、。重い妄想は本当は現実の中に存在していると思える、、、。
何と言えばいいか、現実に近いが故に現実のような重量感に近い、そして言葉で表しづらいもの、、、。
だけど、それはとんでもない罠なんだ、、、。その深みに嵌っていけば何も見えなくなってしまう、、、。
なぜ、見えなくなってしまうかと言うと、、、。現実に叶えそうな、近いモノは妄想とハッキリ見えがちであり、、、。
又は現実として叶えられるかもしれないという欲求が、
その深い罠にはめさせていくエネルギーになっているかもしれない、、、。
喘げば喘ぐほど嵌る底なし沼、、、。俺はそのような妄想はあまり意識しないし、、、。
その前に現実と妄想は分けられないと言うか、自動的に分けられていくものと考えているから、、、。
続き
その違いがハッキリしていくのが人間なんだと思いますね、、、。
間がハッキリしているが故に人間か、、、。正直、俺は寝太郎さんが羨ましいですね、、、。
俺は現実を意識する力がない、強い欲求が消滅している、、、。俺は刹那的で楽観的だと思う、、、。
満たされない物はあってないようなモノだと考えているから、そのまま無視している、、、。
混然として俺と言う体の中に跋扈しているお化けが、ああだこうだ言ってもそれは解釈に過ぎない、、、。
俺と言う存在には回答がない!妄想にも!現実にも!どこにもないのです!ただあるだけという極論が支配しているだけで!
どこにもない!ただあるという言葉さえ、では、何故あるのか?と聞かれれば、、、。
「ただあるから!」と逆切れ口調に叩き込まれるだけか、宗教論に走るだけかでどこにもない、、、。
まあ、誰かの思想や思考を悪用した哲学論争に嵌るだけ、、、。何もない、、、。
目的も、未来も、行動も、思考も、思考も、何もなくただ消え去るだけで、、、。
そのただ消え去る事を拒否した初の人間が言葉と文字を開発した人間なのです、、、。
俺らには限界があったのではないか!?なぜその限界を「残す」と言う言葉で消し去るのだ!
歴史は暦死として完全に消され、生命には自動的な死によって消されるようにできていた!
ただ本能的な習性にだけ守られていけば良かった、、、。でも、それは肯定してはならないのだ!
それを肯定した時点で俺らの意味は残されなくなり、瞬時に俺と言う存在は抹殺されるだけだ!
それを無駄と言うならそうするがいい!極端に言えば俺らがいる事は確かに無駄となる!
思考する事が無駄になる!行動する事が無駄になる!さすれば何もないではないか!
なぜ意味を求める!意味も価値もどこにも何も見つけられなかったではないか!?自分というモノを!
ただその状況に酔っているだけではないのかね?真っ当と思い込んでいるのではないのかね?
それが正しいと考えているのかね?そうさ!ただ考えているだけ!ただ行動しているだけ!
それを夢、未来、希望と言う言葉で騙しているだけさ!なぜ!?俺らは刹那的な生き物ではなかったのかね?
続き
だから、俺は考える無駄に時間を潰し、ループしていく事で俺と言う存在を考え続ける!
でも、俺と言うモノは円を書かず、渦を造りながら前に向いていく、、、。それは人間だからだ、、、。
全てのモノは真円を造る事はあまりにも難しい、、、。内に収束するか、発散するかに過ぎない、、、。
ちなみに、収束しているなんて馬鹿な事は言わないでくれよ、、、。
人は通時態によって内に潜り込んでいけないようにできている、、、。
それは当然だろ?産まれた瞬間が点だからさ、、、。点には戻れえないから発散していくしかない、、、。
又は、一つの道路の如く歩いていくかの差に過ぎないのさ、、、。
でも、俺はそんなの人生だと思わないね、、、。人間の生ではなく、人の生だ、、、。
行動だけを神聖化して、いつのまにかただ生きる事が目的のごとくになっている、なってしまう、、、。
そんでそれに絶望して、行動を取って首とかを吊るんだろ?ハハハッ、若いねえ、、、。
行動を取ってだらしなく死んでいくなら、ループと馬鹿にされて生きた方がよっぽどましだと思うよ、、、。
俺に言わせれば、、、。考えていけば極論に達してしまう、又は見えなくなっていく、、、。
それは同時に極端な行動を産む事がある、中学生の頃の俺はそうだった、、、。
何度死にたいと思い、何度死の誘惑に取り憑かれたか、、、。でもね、俺には先があったんだよ、、、。
その答えが分からないだったんだよ、、、。ハッキリとして何かを求めていたのが悪かったんだよ、、、。
分からないとすれば、答えは無限に広がって考えていく事が分かるようになってきたんだ、、、。
だから、誰の考え方も正であり、誤りではない、、、。俺は誰の考え方も正しい、、、。
でも、俺はそう考えない位に過ぎない、、、。たったそれだけなのさね、、、。
しかし、まあ強い口調になったり、中々、素晴らしいイカレ具合になる事はあるけどね、、、。
まあ、どうでもいい事だな、、、。はあ。駄目だな、、、。
>ゃゃさん
そう、まあカッカしない、カッカしない、、、。
色々な考えをする人がいるのだから、それは仕方がないのですから、、、。
でも、まあ誰もが何かしら意味を求めている事には全く変わりはないような気がする、、、。
人生を長い、短いの差や、、、。行動、思考との差や、、、。でも、、、。
分ける必要は無いような気がするんだよなあ、、、。長くも短くも考えられるし、、、。
幼い事は長く感じられたし、もうちょっと歳がいけば短くも感じられるだろう、、、。
でもね、名無しさん、、、。そんな矛盾したものを抱えて生きているのだから、、、。
そんな急ぐモノではないですよ、、、。「せいては事を仕損じる」と昔から言う通り、、、。
俺ら凡人は天才の如く、「兵は神速を尊ぶ」わけではないのですから、、、。
又、今死んだら、それはそれでいい、、、。100年後死ぬんならそれはそれでいい、、、。
ただ、その死がいつ来るかは分かりっこないのです、、、。分からないから行動する、、、。
という考え方はまあ正しいとは思いますが、俺は馬鹿ですから考えてからやんないと分からないのですよ、、、。
天才と言われる人達は考えがそのまま成功に向くよう運命で決めつけられているからどうにもならなくて、、、。
ちなみに、隠された天才というのは天才ではないですよ、、、。あくまで異才にすぎないのですからね、、、。
称されるが故に天才なのですから、意識されないで捨て去られた者は天才という称号は与えられないのですからね、、、。
先が分かるのは少しの特殊な能力、才能を持っている一部の人間しかいません、、、。
先が分からないのにただ無闇に行動するのはドツボに嵌るだけですよ?それを目的があると言うなら、、、。
否定はしませんがね、、、。まあ、俺は凡才で馬鹿ですから、、、。
毎日下らない思考を垂れ流していきていればいいという小人ですから、、、。
まあ、どうでもいい事だなあ、、、。はあ、駄目だな、、、。
>>382 (´・ω・`)
年下に諌められる私って・・・
まあ、駄目たんだからいいや。
朝はイライラ最高潮でほんっとーにお恥ずかしいです。
そしておそらく
>>377の人も年下だなあ。
経験値のなさが文面から伝わってくるもの。駄目たんくらいの年齢じゃないかな。
十代後半といったとこでしょう。
私はもう25歳。
いい加減ここいらでちゃんとしないと、色んな意見に耳が痛いです。
ぐはっ・・
ほんとお前らヤレヤレって感じだよ
頭堅すぎて話にならない
>まあ、俺は凡才で馬鹿ですから、、、。
>毎日下らない思考を垂れ流していきていればいいという小人ですから
結局、何言ってもこうなるんだよな
自分だけの狭く下らない世界に引き込もってる典型的な例だよ
すべて後ろ向き
お前は自分で自分の人生を無駄にしてるって事に気付いてないな
後になって後悔する必ず
自殺でもするのが落ちか
天才とか凡人とかのたまってないでやれよ
正直情けない存在すぎて見てて笑えるよ
>ゃゃさん
まあ、怒ってもどうしようもないですからねえ、、、。
ハハハッと笑っているのが一番なんですよ、、、。まあ、最近少し切れそうになると、、、。
わらう癖がついてしまって、駄目駄目なんですよねえ、、、。
いや、若い事はいい事だけど、、、。その分辛いですよ、自分が考えたモノが経験として裏付けられないのですから、、、。
歳をとると言うのは一つの信頼なのかも知れませんね、、、。俺の歳で言う言葉と、、、。
ゃゃさんが言う言葉の重みには俺の百万言を費やしても、対抗できないから、、、。
>名無しさん
ん〜まあ、俺は自分を否定する事で自分の立場を保安していこうと考えている人間だから、、、。
前を向いて生きようとしている人には、ず〜っと後ろ向きな人間と思えるんだろうなあ、、、。
俺はねえ、人間というモノは常に背理している生き物と考えているから、、、。
楽観的にも、悲観的にも考えられるわけでありまして、、、。ゃゃさんや寝太郎さんから見れば俺は楽観的だろうし、、、。
名無しさんから見れば、悲観者のように見えているんだと思う、、、。それは仕方が無い、、、。
まあ、悲観、楽観のパロメータは経験によって裏付けられているんだ、、、。経験は現実的で重いからね、、、。
おいおい、無駄な人生なんてないよ、、、。例えばね、夜遅くの帰宅の満員電車を見てれば分かるけど、、、。
おじさん、お兄さんが疲れきった表情をしているでしょ?それって、無駄な事なのかな?
無駄と言うのはあくまもでも個々の解釈に過ぎない、、、。実も、無も俺には判断しきれないのさ、、、。
だから、そうやって後悔し続けて生きているのが人間でしょ?満足したらそこが没落点、、、。
俺らは何も満たされず虚無を膨らましながら生き続けるのさ、、、。哀しいほどにね、、、。
故に、その虚無感がいつの間にか全てを支配して極端な行動に移ってしまう、、、。
何せ、その極端な行動を取ってくれた人が俺の身近な所にいるんだからね、、、。
それが、俺の母であり、俺のひいじいちゃんなんだ、、、。
続き
下らない話をするが、、、。俺の母ちゃんがリスカの跡や首に縄の跡があるのは言ったと思う、、、。
俺のひいじいちゃんは首を吊って死んだ、、、。
これはネタではなくて、俺は実際おじいちゃんの首の跡を見たんだ、、、。死化粧で隠れているが、、、。
でも、うっすら青い跡が見えたんだ、、、。俺はじいちゃんが死んだというのをきいたとき泣きはしなかった、、、。
泣いたのは俺のひいじいちゃんが火葬場に行く前にふたされる前になぜか強く泣いた、、、。
なぜ泣いたかは分からなかった、、、。ただ、ひいばあちゃんが死んだ時、、、。
心が空白になったようなひいじいちゃんの姿を思い出したら、なぜか、、、。
泣けてきたんだ、、、。俺には幸せというモノは分からない、だけどあったモノの喪失感は分かる、、、。
俺は自分と一緒に生きてきた猫が死んだ時、怒りを混じらせて泣いた、、、。
確実にあったモノがなくなる喪失感はポッカリと何かが空くような気がした、、、。
一部分が完全に喪失した気分、でもまだいい、、、。俺はまだ一部分が消えただけだったからだ、、、。
多分、ひいじいちゃんは全てを喪失した気分だったんだろう、、、。それがじいちゃんを追い込んだ、、、。
まだ、壮年であれば修正がきいたと思う、、、。でも、完全な虚無感に喪失感が相乗した、、、。
元々、気がとんでもなく強かったひいじいちゃんも追い込まれてしまったんだ、、、。
俺は泣いたよ、嫌って言うほど、、、。でも、泣く事には先の希望がある事を感じた、、、。
俺は死ねないよ、、、。俺には嫌と言うほど先がある、俺はじいちゃん、ばあちゃん、両親の死が待っている、、、。
俺は死ねないんだよ、、、。経験を放棄できねえんだよ、俺はそう軽く生きれねえんだよ、、、。
不器用ってやだなあ、、、。俺は情けない人間だよ、背負う事を完全に放棄できねんだから、、、。
俺は背負わなきゃならねえんだよ、、、。重いよ、俺というモノと沢山グチャグチャになっているんだから、、、。
それが生きると言う事なんだよ、、、。重い事を背負って軽くしていく作業、、、。
まあ、どうでもいいことだ、、、。はあ、駄目だな、、、。
俺の父親も首を吊って死んだよ。自分の寝てる同じ部屋で。
母親が再婚した義父は車に排気ガスを入れて自殺した。離婚後だったけど。
でも、俺はあまり悲しいとかの感情はわかなかったかも。
遠い昔の記憶ではっきりしないけどな。
ネタじゃないけど、ネタだと思ってくれても結構。
ネタであったほうが害がない。
俺は死ねないというより死にたくない。永遠に生きていたい。
俺のほうが駄目人間なのかもな。
|A・)そうやって俺は飲み込んでいくんだよ、、、。何もかもだ、、、。
|A・)それが経験と言う事なんだと考えている、、、。背負う事を消化していく事、、、。
|A・)その作業が続いてくんだよ、死ぬまでだ、、、。それが無駄に見えるだろう、、、。
|A・)でもね、それは桁違いに重い作業なんだよ、俺と言う存在は捨てるにはあまりにも重いんだよ、、、。
|A・)俺はねえ、羨ましいんだよ、、、。死ねる事、決断できること、求められる事、、、。
|A・)俺は何かに従って順応して生きていく下らないそこらへんにいる徒にすぎない、、、。
|A・)ただ、都合よく思考ができると言う、、、。単純な微差にすぎない、、、。
|A・)その微差が大差と言うならそれは仕方が無い、、、。でも、重いんだよ、、、。
|A・)だから、少しは軽くするために俺は考えるんだ、、、。そして都合良い存在を創ろうとする!
|A・)それが俺の思考だ!色んな者を産んだ俺ののうみそは正しい、、、。
|A・)まあ、切りがない話だ、、、。故に俺の言葉は自動的に消滅する、、、。
|A・)そして、先には何も無い、漠然として生きる徒なのさ、、、。
|A・)ああ愉快だ、俺には重さと言うモノがあってくれた、、、。それが黒く重い石なんだろう、、、。
|A・)ありがとう、、、。重く黒い石よ、、、。ありがとう、、、。
|A・)はあ、駄目だな、、、。
>名無しさん
いやいや、生に貪欲である事は非常に大切な事ですよ、、、。
それこそ生きている意味があり、価値がある、、、。
何かに対する強い欲求は人間の生を支えているんだと思う、、、。
俺もね長く生きたいと言う真っ当な欲求と長くてもどうにもならんさっさと、、、。
という欲求に常に挟まれてぐちょぐちょにされちまっているんだ、、、。
又、話は変わるけど、、、。俺は親父の影響を少し受けて手相が見れるんだよ、、、。
でね、自分の手の手相を時々見るんだけど、、、。
哀しい事にね、俺は生命線がクソ長いんだよ、、、。
生命線がね、、、。手の一番した辺りまで弧を書いてね、伸び続けているんだよ、、、。
確かに手相はえらく変わるけど、、、。元、ある形と言うのはあまり変化しない事があるんだ、、、。
それに、俺の家系は両親とも結構長生きの家系でしっかり受け継いでしまっていると思う、、、。
人の望みと言うのはいつも簡単にこう打ち破られていくモノなんだ、、、。
でも、ありがたい事に俺は不整脈もちだ、、、。これがいつ爆弾になるか分からない、、、。
だけど、親の前には死ねないな、、、。重い話だな、なんで俺はこういうのしかできんのだろ、、、。
まあ、名無しさんありがとうね、、、。それにしても嫌な思いで思い出してすまない、、、。
さて、朝がくれば学校だ、、、。寝るかな、、、。
はあ、駄目だな、、、。
思い出して、、、。ではなく思い出させてだな、、、。すまんかった、、、。
はあ、駄目だなこりゃ
はあ〜、久しぶりに今日は十時まで寝てしまっただよ、、、。
完全に遅刻で先生に怒鳴られた、怒鳴られた、、、。
昼頃を学服で歩くと流石に恥ずかしいねえ、、、。そう、恥ずかしと感じる事が重要だ、、、。
俺らが持っている常識と言うのは恥ずかしいという意識の上で守られている、、、。
でも、それは個人的な美意識、個人道徳かもしれない、、、。一概には言う事はできない、、、。
話は変わるが、俺は子供の頃の恥ずかしい記憶がふとよみがえると酷い頭痛に悩まされる、、、。
恥ずかしいという意識と頭痛が同時に襲ってくるのだから、どれだけ辛いか分かると思う、、、。
それを俺は「記憶が痛い」といって頭を抱え込んで、、、。う〜んと唸っている事が多い、、、。
記憶の痛さが俺の非常識さを爆発させないようにしている、一つの便利な一機関と考えている、、、。
恥ずかしさと言うのは単純に言い切ろうとすれば、後悔だ、、、。後悔が積む事、確認する事、、、。
その後悔が積もって、個人を越えて共通化、共有化されることによって社会恥となり、、、。
その社会恥が膨れていく事によって、国家の恥(国辱とは意味が違う)となっていく、、、。
俺は恥という考えは民族、又は、国家までが限界だと考えている、、、。限界の恥が常識なのではないのかと思う、、、。
限界には色んな意味をあえて持たせている、社会の限界、個人の限界、国家の限界、民族の限界、、、。
そういえば、恥と罪の違いと言うのは内の世界と外の世界の違いとよく言われる、、、。
日本人は内側を意識し、他の外人はどっちかと言うと外側を意識している、、、、。
でも、この外側と言うのは質が悪いもので、、、。外側からの強制として罪があるとすれば、、、。
彼等が持っている罪と言う考えから外れる事は全て正しい事だという短慮にすぐに行きやすいと思える、、、。
所謂、罪と感じえないもの、、、。(罪ではない)そう解釈されているものは何やってもいい、、、。
それが、神への信仰(民族の正当化)なのだと考えるからだ、、、。
続き
その結果が白人による、黄色人種、黒人種による圧政、虐殺とも考えられるし、、、。
東洋専制主義の支那の冊封体制とも考えうる事ができると思う、、、。
そこには罪と言う観念しかなかったからこそおきえた、でけたモノと思う、、、。
そもそも、人には罪悪感と言うモノが一つの支えによって宗教と言うモノができたんだと思う、、、。
その宗教観が根幹となって俺らは文化、文明というモノを創りえたと言える、、、。
しかし、文明にも普遍性としての限界がある、それによる睨み合いが文明、文化の潰し合いとも言えると思う、、、。
それは罪と言う考え方が違うからだ、いや、同じ事は同じなんだが、、、。
対峙しあっているモノには自分達が持っている罪の考え方が通用しあわない、事で起きるんだと思う、、、。
俺らはそれを馬鹿だと思い込んでいる人が多いと思う、それは日本人と言う集団が特殊だからだ、、、。
罪悪感を背負っているものと考えているのと、罪悪感をせおわされていると考える事の差は非常に大きい、、、。
俺らは背負っていると考えている、、、。それは恥と言う考えが自分達の良い意味での重りになっている、、、。
その恥と言う考えが見えなくなる事によって、俺らは暴走してしまうのだ、、、。
でかつ、俺らは罪というモノを感じる事がほとんど無い、、、。罪を一気に諦観に変える力を持っているからだ、、、。
その差が携帯や行き過ぎた行動を縛る事がなくなったんだ!自己道徳の喪失だ!
例え、自己道徳を喪失しても、罪と言うモノがあった、、、。でも、俺らは諦観に換えてしまう!
それが、日本人独特の感覚なのだ!全てを違う方に解釈した結果がこれだ!
俺らは迷走しきっているんだ、、、。俺らが数少ない恥と言う観念を捨てたからだ!それが罪なのだ!
何故気付かないのだ!こんな重い事が何故分からないのだ!
はい、すいませんね、、、。俺は頭がおかしいから、そうかんがえられるだけだ馬鹿だからな、、、。
まあ、どうでもいいことだ、、、。はあ、駄目だな、、、。
>>391-392 サルトルは"アンガージュマン"と言っているけど
世界へ参加しているんだよね。みんな。
例えば、「私だけなら・・・」的な考えや、「私の勝手じゃん」的な考えっていうのもあるけど
そういう一人一人の行動の積み重ねで社会の流れが生まれていく。
だからこそ、個々の意識のレベルが大事なんだよね。
社会現象って面白いよね。
それまでの常識すら覆しちゃったり。
だから、みんなアンガジェしてる認識を持って、責任ある行動を心がけよ。
と、実存主義哲学は「自由こそ、最大の処刑」のように言うんだよね。
私は自由に殺される感覚ってすごくわかるんだ。
「自己責任」ってコトバが氾濫してるけど、まさに本来の意味においてそれなんだよ。
今こそ、もう一度「恥」を考えるべきだよね。
>ゃゃさん
サルトルか〜、サルトルは結局マルサスの罠にはまっちゃったからなあ、、、。
ハイデッガーがナチスにかぶれてしまったのと同じだなあ、、、。思想家ってそんなに不安定なのかな〜、、、。
社会現象と言うのは社会学者が大喜びしそうな言葉だけど、、、。社会と言うのはそんなには変化しないんだよな、、、。
ただね、変化するのは人の考え方でその考え方によって人と言うのは面白い行動を取るんだよ、、、。
歴史を少しひも解けば、七十年代の学生運動とか、三十年代のモボモガとか、現象は変化するけど、、、。
社会は変化しない、、、。なぜなら、基本としての社会と言うのは変化しえないんだよ、、、。
だから、情報としての現象は常に変化するけど、社会は常識によって成立しているのだから、、、。
社会と現象と言うのは全然違うんだよなあ、、、。風潮は変化するけど、社会は変わらない、、、。
それと同じなんだよなあ、、、。なんで、社会と現象、風潮を混雑させて喜んでいるんだろうなあ〜?
俺は宮台氏は考え方がというか「学者が刹那的でどうするんだよ馬鹿!」と思うんだよなあ、、、。
俺はねえ、学者というモノはひねくれ者であれ!と言う考えに乗っ取っているんだけど、、、。
そもそも、社会(常識)を限界まで求める者が学者であり、現象や風潮に乗じるのはただの煽動家だ、、、。
風潮や現象と言うのは「自由」なんだよ果てしなく求める事ができるからねえ、、、。
俺は四十、三十代の思想家が嫌いなのはそこなんだよなあ、、、。なんで差と言うのが見えないのだろう、、、。
差延か、、、。結局は延ばし続けて自分の立場を放棄しているだけなんではと思えるんだよな、、、。
そして、「自由」と社会の差が分からなくなって自分の目を潰していくだけか、、、。
なんて単調な存在なんだろうねえ?俺には思想なんて分からんけど、俺が分かりえるのは常識だけだ、、、。
常識から突飛してしまった思想なんて、無意味だろ?新しい常識は創る事はできないんだよ?
常識と言うのは慣習、社会を則していかないと成り立たないんだからさ、、、。
そう、理論や説なんてどうでもいい、、、。結局、根幹として法があるだけさね、、、。
でも、宗教だけではないよ、、、。宗教や色んなモノをまぜまくったごった煮なんだよ、、、。
>常識と言うのは慣習、社会を則していかないと成り立たないんだからさ、、、。
それこそが『アンガージュマン』だと思うのだけど・・・
うぬぬ。
私の勉強不足に付き合わせて申し訳ない。
続き
時というモノは味のあるごった煮を旨く作ってくれるモノさ、、、。
どんなに、立派な料理でも味のある食べ物の前では叶う事は無い、、、。
高級なフランス料理とか、中華料理なんて食べてたら、、、。段々旨く感じなくなるのと同じさ、、、。
旨く感じなくなっていくから、その仮定で思想家は思考していく事に疲れてしまうんだよ、、、。
だから、より強い思想に持っていかれてしまう、、、。
もしそうであるなら、、、。思考の果てには何が寝ているんだろうか、、、。
狂信か、信奉か、盲目か、それに自分達は責任取れるんだろうか?ケツをふけるのか?
そうさ、恥が無いんだよ、、、。彼等には罪はあれども、恥が無い、、、。
でも、日本の思想家は罪さえも無い、、、。そこがハイデッガーやサルトルの違いだ、、、。
だから、彼等はいっ放しで何も生み出す事が無い、、、。しかもそれにかぶれていくんだ、、、。
なんだろうね?俺らってさ、、、。馬鹿の塊か?狂人か?なんだろうねえ、、、。
俺らはどこにいくんだ?何を求めているんだ?どこが無限なのか?どこが有限なのか?
お前はその答えに責任を取れるのか?お前はその答えが正しいと確実に叫べるのか?
どこにもその答えはないではないか?見つかったと言うオオバカ垂れな嘘を並べるだけさ、、、。
ああ、平和だねえ、、、。
どこにも、なんにも、ただこの場に俺がいるとしか思えないんだよ、たったそれだけさ、、、。
まあ、どうでもいい事さね、、、。
はあ、駄目だな、、、。
>>396 私はね、サルトルにはボーヴォワールが付いてたってことだけで
かなり評価してるのよ。
彼女のフェミニズム以上のものがあの後出てきただろうか。
あれ以下の陳腐な言葉の羅列しか見たことないし
そもそもフェミってキチガイなかんじにすらなりつつある。
彼女は偉大だ。
その伴侶だったサルトルにはなにかしらの才能があるのだ。
じゃなきゃあんな女性がつくはずないもの。
>ゃゃさん
|A・)俺は難しい言葉をつかいたくないだけでやんすよ、、、。
|A・)言ったでしょうに、、、。難しい言葉は人を翻弄するだけで何も表さないと、、、。
|A・)確かに、言葉を短くすることは非常に重要だが、、、。それで特殊な意識を持たれるのは嫌だ、、、。
|A・)ラテン語なんて良い例だろう、、、。不規則に言葉が変化するのだから、、、。
|A・)特殊な人間の言葉として使われてきた、それが俺には非常に不快なんだよ、、、。
|A・)言葉は共通性を持ちうるから、それを特殊化するのは馬鹿のやる事だ、、、。
|A・)共通性を失った言葉は死んでしまった言葉だ、それに取り憑かれているのは面白くない、、、。
|A・)故に俺は自分の解釈をして、ありふれているような言葉を使っているんだよ、、、。
|A・)俺は特殊化するのが一番嫌いだ、、、。大抵そういうことをやるやつにまともな奴がいねえ、、、。
|A・)自己満足なモノを創って、永遠のマスターベーションをするだけさ、、、。
|A・)猿より汚ねえ人間様がやる事はなんでこう単純かな〜、、、。結局は自分への過信と妄信ですよ、、、。
|A・)まあ、どうでもいいことだ、、、。はあ、駄目だな、、、。
そりゃ正直すまんかった。
君なら真意を理解してくれるんじゃないかと言う甘えがあったことは事実。
以降、書き込みに際しては気をつけるべく心にしっかりとどめました。
>ゃゃさん
うん!そうですよ、、、。そりゃ、言葉として残るには何かしら意味や価値があるからです、、、。
だから、彼は偉大ですよ、、、。だけど、マルサスには行ってはならなかったと考えているだけですから、、、。
そうかってな俺の解釈ですよ、下らないね、、、。
そもそも、フェニミズムは女権とかではなく、女性の存在を社会的にもっと強くするべきだと言う、、、。
おとこの考えから始まったのですから、、、。又、その当時のフェニミズムの人は美人さんが多かったですしね、、、。
ちなみに誤解しないでね、、、。男に対するルサンチマンで求めていないと言いたかっただけだから、、、。
実際、俺の毋方のばあちゃんは中央大学法学部の出身でフェニミズムで弁論部の人だから、、、。
すごかったらしいよ〜、、、。写真見せてもらったけど、美人で頭が賢くて下手な男はタジタジだったらしいからねえ、、、。
純粋に求める姿は美しいねえ、、、。正しくて、邪念が無い、美しい、、、。
フェミニズムが気違いになったのは俺らおとこのせいなんですよ、、、。
男が思想的に女性を甘くして放置してしまった、それが女性世界を大混乱してしまった、、、。
女性と言うのは、俺の母しかみてんから一方的になってしまうが、非常に強い、、、。
その強さが良い意味での外へのエネルギーではなく、内へのエネルギーに変化してしまった、、、。
それが、フェニミズムの没落(気違い化)の最大の理由なんだと思う、、、。
なぜなら、女性と言うのは男と違って、エネルギーを外に向けられる人が少ない(誤解しないでね)、、、。
でも、内への力は優しさや優しい中の強健なのだと思う、それには男はなんもできない、、、。
その強健さが倒錯してしまった、、、。しかも、フェニミズムが狭義化することによって、、、。
男を追い出してしまった、、、。それが一番やってはならない事だったと思う、、、。
だから、フェニミズムにまともな奴がおらんでしょ?それが一番の理由なのさ、、、。
まあ、下らない俺の馬鹿思考の話だから、気にせんといてくれや、、、。
はあ、駄目だな、、、。
>ゃゃさん
俺は真意は分からないですよ、、、。俺自身、俺が何を求めているか真意が分からないのだからさ、、、。
でも、俺は生きている、、、。たったそれだけ、、、。
俺はね、哀しいほど人の事が分からないんです、、、。寝太郎さんが言うように、、、。
俺は世界を自分に合わそうとする、それが俺が人の感情を全く分かろうしない事なんです、、、。
ただ、馬鹿をやっていく事に慣れて生きていた人間だから、人を分かろうとはできない、、、。
常に孤人として、隔離されてきた、、、。遊んでも空虚感、何やっても空虚感だけが襲う、、、。
マスターベーションなんですよ、、、。俺の人生というモノ、人生観というモノは、、、。
みんな、マスターべーション、、、。勝手に生きては勝手に死んでゆく、、、。
完全に孤立された個人同士が徒党をくんで、楽しく生きているように見せかけている、、、。
俺は、孤独から逃れなかった、、、。昔から、子供の時から、、、。
独りと言う立場が崩れなかった事は無い、、、。俺にとって他人は勝手に動く一事象に過ぎないとも言える、、、。
少年、青年となったわけだが、何も変わらないんだよ、、、。独りと言う事が、、、。
でもね、恐くないんだよ、、、。それが俺の本性だからさ、生き様なんだろうな、、、。
俺はそれをある程度まで容認して自覚する事によって諦めがついたんだよ、、、。
ゃゃさんの言う通り、果てなく遠くからたった独りできた異邦人、宇宙人、、、。
交わってある程度は関係を持ててもそれ以上には絶対になりえない存在、、、。
おれは精神が異常とも言えるかもしれない、実際、異常ともいえる、、、。
だが、異常だけでは言葉が足りないかもしれない、なぜ異常かと言うのが足りないからだ、、、。
そうさ、俺は説明される必要が無いどうでもいい存在、、、。嬉しいなあ、、、。
隔離されて、喜ぶ、寂しい存在、、、。だから、俺は人と言うのが見つめられる、、、。
感情が分からなければ、分からないほど俺は勝手に隔離されていくだけ、そして、彼等を見ているもの、、、。
データを取って、裏で思いっきり嘲笑うのものさ、、、。ハハハハハハハハっっっっ!!!!!
そういう、イカレタ存在が俺には常に寝ていて、いつでも現れるようにできている、、、。
俺って狂っているのだろうか、、、。まともなんだろうか、、、。
俺は自分を探っていくと常にイカレタモノシカ見つからない、、、。
俺は何も求めるべきではなかったんだよ、、、。ただ、馬鹿であれば良かった、、、。
俺は道化でもない、ボロッチイロボットでもない、ただ、、、。
うん、ただの人だ、、、。ただの人だから俺は見つけられたのかもしれない、、、。
自分の凡人性と軽くにじみ出てくる異常差だけで満足していれば良かったんだ、、、。
俺には思想、思考なんて何も価値がない、俺は俺の心をハイハイ言っているばあさんでいい、、、。
面白いほど狭い人間だ、何も分からないでただ言ってへこたれるだけの存在、、、。
どこにも自分なんて無かった、、、。ただ、言う通りに聞いているただのオウム、ただの機械、、、。
俺は自立性なんて求めるんではなかった、独りでいればよかったんだ、、、。
2ちゃんも止めるか、、、。俺は孤独しか無かったんだと思う、、、。
でも、さすればこの鬱積した俺の思考をどこに殴り続ければ良いのだろう、、、。
ノートに書き続けても何も無い、ノートのただの無駄だ、、、。俺は俺を変えられない、、、。
でも、時間を無駄にしていき続けるのなら、2ちゃんも何も関係ないな、、、。何だ幻か、、、。
俺の心は幻に引っかかり続けたんだ、、、。重量感があるように見えるだけで、、、。
何も無い、、、。なんだ〜、思ったより単純だ、、、。俺は生き続けるたったそれだけ、、、。
さて、いい感じに空白になった、、、。まあ、どうでもいい事だ、、、。
はあ、駄目だな
俺は難しい言葉は分からない、、、。ゃゃさん俺はよく暴走するから、変なレスで傷付けて、ごめん、、、。
俺はねえ、何かを一言で表せる言葉が怖いんだ、、、。
ゃゃさん位の頭の良さなら分かるでしょう、、、。この沢山の遠回しな文章の量の意味が、、、。
遠回しな文章の量が俺の全てを表そうとしている、俺は何もかもが怖いんだよ、、、。
俺は常に何かしらの恐怖を背負っている(恐怖と言う一言ではあまりにも足りないと思えるが)
頭痛の恐怖、不整脈の恐怖、自分と言う存在への恐怖、他人と言う存在への恐怖、、、。
社会と言う存在への恐怖、知識と言う存在への恐怖、俺が今持っている経験への過信する恐怖など、、、。
あげていけば本当に切りがないと思う、、、。自分は極論だが、哲学は人間が感じる恐怖から始まっていると考えている、、、。
この場合は哲学には宗教も入れて考えていくと単純だと思う、宗教は罪悪感と恐怖から産まれた、、、。
罪悪感についてはもう十分アホな事を言ったから、復唱する必要は無い、、、。
恐怖は皆様が持っている知識で十分あると思う、所謂原始宗教は自然への崇拝であると言うところにある、、、。
人にとって(小)自然と言うのは最大の恐怖だ、今も自然と言うのは何を為すか分からないモノだ、、、。
人は(小)自然を支配していく事で安定を得てきた、それにより宗教の形態も自然から、段々人へ変化した、、、。
何故、人か?人と言うのはある程度まで分かりあえるから怖いのだ、、、。分かりあえない事は断定でつく、、、。
分かりあえないと分かれば、相手の全てを消し去っても何のあしゃくは起きはしない、、、。
だが、人間はそうではない、、、。それは独特の間を持っているからだ、間を意識するから関係が生まれる、、、。
関係が生まれれば、安らぎとともに恐怖が生じる、、、。信頼と言う安らぎと裏切りという恐怖だ、、、。
この二つが巧く安定する事によって、人は安心をする、、、。
「なぜ安定するのだ?安らぎに偏った方が安定するのではないのかね?」
とおっしゃる方もいると思う、、、。まず俺らは、人を疑わない事が不可能な存在だ、、、。
疑わない事が不可能な理由に、人は「俺」と「他者」と言うのを常(無理だが)に意識しあう事で、、、。
続き
「この俺」と「あの人」と立場分けをする、「あの体」は「俺の体」ではなく、、、。
「俺の意識」は「あの意識」ではない、仲良く孤立された存在同士なんだ、、、。
でも、俺らは「あの人ならどう考えるのだろう?」「俺なら何と考えるのだろう?」と考える、、、。
そこには、「俺の立場」しか分からない事を完全に裏付けている言葉がある、、、。
「なら」だ、、、。「なら」は無意識の内に自分をさしたり、他人をさすようになっている、、、。
「なら」と言う言葉は転化する際、自分につける際に非常に多用される、それは他者を意識するからだ、、、。
他者を意識すると言う事は自分の意識が「無」意識だろうが、意識だろうができてしまう、、、。
例えば、俺がサッカーの試合を見るとすると、もしおれがマニアなら我を忘れて没頭するだろう、、、。
周りの親の声は届かない、、、。でも、俺はサッカーをしている選手は意識している、、、。
で、サッカーの試合が終わると「面白かったねえ」といったりして自分の意識を(親の方に)もどすのだ、、、。
俺と言う存在は意識しようが意識しまいが、前提としてあると言う事になっている、、、。
でも、他人は違う意識せねば分からないし、見えないし、聞こえないのだ、、、。
無意識を一々「意識」に戻す作業を必要としない存在、、、。それが自分なのだ、、、。
自分しか存在しない、、、。故に自分は他人と言う存在を分からないのだ、、、。
それが恐怖なのだ!一々、意識を求める作業が恐怖なのだ!
社会も、他人も、頭痛も、不整脈も、経験も、知識も何もかもを意識するのが恐怖なのだ!
「いしきしなけりゃいいじゃん?」という奴がいそうだが、それは人間ではない!
俺は人間でありたいのだ!故に、俺は恐怖に囲まれて個々に存在しえているのだ!
全てを無意識の大海に叩き込めるなら!全てを叩き込んでしまいたいよ!
でも、それは俺には不可能なのだ!意識してしまうんだよ!何もかもをだ、、、。
故に、全くを持って無駄な存在、、、。まあ、どうでもいい事だ、、、。
はあ、駄目だな、、、。
えーっとね、駄目たんに傷つけられたことはないよ。
悪意を感じたこともないし、私は好んでここに来るのだし。
私の頭を買被っている様だけど、私は無駄に空回りするハムスターみたいなものだから。
じっとしてるより、動いていたいの。駄目たんも同じ人種?
少ない言葉に意味を詰め込む人。
一つの意を様々に表現しアウトラインを明確にしようとする人。
私はそのどちらだろうな。多分、ケースバイケースかな。
だから、ちょっとは解るんだ。「怖さ」が。
私も色々怖いことはあるから、その度合いもきっと別の場面で体験した事があると思う。
中でも「人」って一番怖いよね。
そして人との関わりで私が恐れているのは「疎外」「無視」「喪失」
自意識形成でまず行われるのは、「他者」の確認だとか。
それまで母との一体感があったのに、母を他者と感じて、自意識が芽生えるんだって言うのは有名だよね。
意識するのは多かれ少なかれみんなあるよ。
ただ、駄目たんは、ちょっと過敏かな。。
神経質なのは「悪」じゃないよ。いい方向に持っていけば人はそれを
"才能" と呼ぶ・・・
なんつって。
哲学は、フィロソフィー(智慧を愛する)なんていうとあれだけど
要するにじっとしてられない、精神過活動な人の心地のいい行動だよね。
運動好きがマラソンするように、傍から見ると
「なんであんな面倒な事を好んでやるんだ?
あいつは頭がおかしいのか?」と、思われても
単にそれが好きでやってるだけ。だと思うな。
書けるかな、、、。
人大杉でかけないと言うふざけた事態が起きて、少しふてていました、、、。
>ゃゃさん
いやはや、すいません、、、。うん、俺も行動をとる時はとるけど、やらん時はとことんやらんタイプですね、、、。
俺はね、少ない言葉では言い切れないと考えているから、自動的に長ったらしい文になってしまう、、、。
でも、これでももっと詰めて書こうとすれば、もっと文章が長くなってしまいますね、、、。
何故長くなってしまうか?と問うと、、、。人が怖いからなんですよ、、、。
ゃゃさんがおっしゃる通り、「疎外」「無視」「喪失」も恐いですが、、、。
俺が一番恐いのは「誤解」「誤釈」ですね、、、。
「無視」「疎外」は人間の関係性を放棄している態度だから、関係性を求めない限り全くの無害です、、、。
でも、「誤解」「誤釈」は関係性の上で起こる最悪の事態なのです、、、。
もし、「誤解」「誤釈」が大多数の上で何も懐疑される事無く行われたら、、、。
彼がやった行動、言語等は全て関係を持つと言う、崇高な行動の元で「誤り」と言う汚辱をかぶせるのです、、、。
確かに、彼の言説、行動は足りなかった点もあるかもしれない、、、。
だが、汚辱をかぶせる運命を(真の意味で)招いたのは彼等「誤解者」である、、、。
又、質が悪い事に「誤解者」は自分の正当性(悪性)を全てその「行動者」に被せ、、、。
自分達も「被害者」だ!と叫ぶ事もできるのです!何と無知のとでしょうか?
彼等が持つ正当性は彼等自身で穢した!そう、ニーチェが叫びたかった事です、、、。
人は常に穢せる存在を醜く背が折れ曲がった豚の如く貪欲に探し、そして一斉に叩く、、、。
そうさ!これこそ大衆の姿だ!大衆は豚だ!しかも自分は優雅な人間と勘違いしている豚だ!
なんと目出度い事か!彼等は自分の存在を何として見据えているのだろうか?見えていない!
彼等には、六十余億の鏡が必要だ!そして、自分の痘痕ズラに驚くがいい!
そこに、狂気は寝ているのだから、、、。はあ、駄目だな、、、。
あっ!ちなみに、ゃゃさんアゲてくれてありがとうごぜえました、、、。
多分ねえ、過敏な理由が俺には分かるのだが、、、。
俺の母ちゃんと言うのが半分完璧主義者でねえ、、、。若い頃から寛容性と言うのが分からん人だったらしい、、、。
それでね、、、。俺は当然頭のできが全くをもって悪くて、、、。ま、ガミガミ言われたんだけど、、、。
後、PTAの副会長なんてやっていた人だから、ほとんど顔をあわさないと言う事だ、、、。
俺の目測だが、、、。こういう事が積み重なっていたから、、、。
段々、別れていくモノがほとんど隔絶とした差のように幼い頃は見えたんだとおもう、、、。
多分、その隔絶差が俺の自意識を過敏にさせちまったんだと俺はおもうね、、、。
またねえ、俺の性格と言うのが親父とオカンの性格を足して2で割った性格で、、、。
神経質的な思考と温和な思考がこう重なっていって、グチャグチャに管巻いているようにおもえる、、、。
それが、俺の思考の極端な矛盾性を支えているような気がするんだよね、、、。
神経質な部分と温和な部分がしっかりぶつかりあう事によって、色んなモノが生まれてきた気がする、、、。
まあ、俺の気のせいかもしれんけどね、、、。
哲学とは、自分の思考をより明るくしていく学問と俺は考えている、、、。
端的に言えば、全ての思考の大本と言っていいかもしれない、、、。
だから、色んな学問の最高点を求めていけば、哲学的なモノと言うモノが見えてくるとおもう、、、。
自動的にね、、、。故に、老年の人がおっしゃった言葉と言うのは時の裏付けがあるとおもう、、、。
その時間の裏付けが、、、。哲学ではないのかなあ〜?歳をとる事によって自分を明るくしていく、、、。
何せ、人は若い時は名誉と力しか求めんからね、、。そして、限界を感じる事によって自分をまとめる、、、。
そこで、時の裏付けによって得た哲学が生じる、そこで哲学は生きた学問になるとおもう、、、。
まあ、駄目だな、、、。
(´-`).oO(無職には、ちと難しいスレだな、、、駄目人間というのに
引かれてきたが、俺とは違う駄目さだな。むしろ駄目人間なんて
いるのだろうか?生物に駄目なんてあるのだろうか?)
(´-`).oO( ('A`)マンドクセ )
>ヒヨコ券
いやはや、レスアリガトウゴゼエマス、、、。いやいや、、、。そんなに、難しくはないですよ、、、。
無職も学生も同じですよ、、、。何もしていないと、学校へいくと言うの小さすぎる差だけです、、、。
駄目人間と言うか、「駄目」と言う否定名詞は人と言う生き物独自が開発したモノと思います、、、。
生物に駄目というのはあるとは思いますが、、、。それは直結して死を招きます、、、。
だから、人を除く生き物は「駄目」=「死」という、構図でなりたっていますから、、、。
駄目というモノは自然淘汰されるように自動的に構造されているのです、、、。
だけど、それは人が動物を見下げた観点であるが故、、、。そこには人としての憶測があります、、、。
人はどんなに否定名詞を付かれても、それは動物的な直列方法はとることはありません、、、。
では、挙げていく事にしますか、、、。
否定名詞では「駄目」「馬鹿」「テナシ」「メクラ」「引き蘢り」「精神病」「異常者」など、、、。
肯定名詞では「天才」「秀才」「エリート」「力持ち」「健常者」「神」などなど、、、。
これは全てにおいて、、、。人の意志と第三者的な観点に守られています、、、。
そして、これらの全てが人間の生には関与しないモノがあります、、、。
例えば、「エリート」「天才」といっても、、、。特殊な才能の上での言葉であるが故、、、。
その創りえたモノは原則的な欠点があります、、、。それには人の意志だけが存在しているのです、、、。
逆に、人だけがこの星の数ほどある肯定名詞、否定名詞を創りえたように感じられます、、、。
でも、全てを総集すれば、、、。「一般人」(何も持ちえない凡々な人々)の差別意識だと思います、、、。
この「一般人」は一「健常者」であり、「常識者」でもあると、、、。
まあ、仮定してみましょうか、、、。