俺が哲学的思い付きを書くスレッド
2 :
夢見る名無しさん:04/01/11 05:29
人生とは?>1
>>2 ちょっと待ってね。
俺今、人と対話する以前にまとめたいことがあるから。
(まとまるかどうか知らないけど)
4 :
夢見る名無しさん:04/01/11 05:39
こんばんわ
アスファルト、コンクリート、ガードレール、標識、
店の看板、電灯、看板のデザイン・・・・
絵描きにとって、新品と古びたものとでは
どちらが魅力的だろうか?
>>4 ばんわ。っていうかもう「おはよう」に近いかw
ひび割れたアスファルト
歪んだガードレール
よく切れ掛かる電灯
錆び付いた看板・・・
これらの方が描きごたえがある。
これらの方が絵描きにとっては贅沢であり、
恵まれている。
今までも見ていた筈だ。
だが、見ていながらそれには気付けなかった。
そういうものがある。
その時は意識していたが、単に忘れてしまっていたか、
それともその時意識さえしていなかったかである。
「物を見る」ということならば、
その見られた範囲すべてを意識していたのではないのか?
と言っても良さそうだが、
「物を見ていて、その見られた範囲すべてを意識していたわけではない」
という事が有り得るのか?
有り得る。
「ぼーっとしている」という言葉が存在することからいっても。
「見ている」ようで、実は「見ていない」又は「そんなに見ていない」のだ。
自分では、「よく見ている」と思っていたものでも、
後々見たら「こんなものがここに存在したのか!」というような事が
有り得る。
ここで、何を問題にしようとしているのか?
その「記憶力」の問題?
「集中力」の問題?
「物を見ること」の「快楽」の問題?
俺は最初に何故「絵描き」を問題としたか。
「絵描き」又は「詩人」の「世界を見る目」が何とも優れたものに
思えたからだ。
では、本当にそうなのか?
「オーソドックスな絵描き」ならば「世界」を見るとき、
「物」を見るとき、「絵の具」を思い浮かべるだろう。
その「絵の具」と、その「名称」を。
だが、その「名称」は必ずしも必要とは限らない。
「絵の具」の「色」のイメージ、これは必要である。
まず、「物」を描くならば、どう描くかという意識から始まる。
そして、自分の肉眼で見られた「物」の「色」と、
自分が知っている(又は記憶している)「絵の具」の「色」とが
「ぴったり一致するものであるのかどうか」が判断される。
多くの場合、それは「一致」しない。
大抵は、その「絵の具」の「色」とは若干は違う。
そこで、「絵の具」の「色」と「絵の具」の
「色」の「配合」(組み合わせ)が思考される。
この「イメージ」は具体的にどのような「イメージ」だろうか?
「絵の具」という物の場合、
その「色」だけが「性質」として有るのではない。
「軟らかさ」や「硬さ」という性質もある。
「粘土」に似ているという表現は適切かどうかは別として
「視覚」だけではなく、「触覚」をも含めて
イメージによって混ぜ合わせるのではないだろうか?
人によって「絵」の描き方は様々だろう。
今俺の考えている「絵」の描き方が一般的なのかどうかは知らない。
だが、多分「写実主義」だと思える。
俺の場合、基本的にどこから手を付けてもいい。
例えば、「キーボード」の「絵」を描くとする。
この時、先に一つ一つの「キー」を描いていってもいいだろう。
でも先に「キー」と「キー」の間の「埃」や「汚れ」から描いていってもいい。
あるいは、「キー」と「キー」の間の「影」を塗りつぶすことから始めてもいいだろう。
「影」ではなく、「光」から先に描いてもいい。
この時、「ここに、こういう埃が、こういう汚れが有ったとは・・・」
と初めて気付かされる。
それまで、「見ていた」筈なのに、それには気付いていなかったのだ。
それは、言い方を変えれば「見ていなかった」という事だ。
俺はいつも「絵画の事」、というよりも、
「絵画を実際に自分で描く」という「意識」を持つとき
この事に気付かされる。
それまでは、見る必要もなかったアスファルトのひび割れや
中央の白いラインのペンキがかすれている事などを新しく発見するのであり、
それまで、自分の意識には存在していなかったものが存在しだす事に
驚かされるのである。
それだけではない。
それは実に心地良く、世界が美しく輝いて見えてくるのだ。
一度、そのように「発見」されたものは場合にもよるが、
比較的長期に記憶を保てるだろう。
この「記憶」と、次に又その「現物を見る」という事との「対面」は、
何か「嬉しさ」を伴わせる。少なくとも俺の場合。
その「記憶」は「完全」とはいえないが、その「対面」の「刺激」によって、
「完全」に近付いてゆけるだろう。
もう、眠いから寝る(-_-)zzz
>>2>>4 レスサンクス。
おやすみね!
「そもさん。」
「せっぱ」
何だか、俺としては上手くまとめ過ぎた。
もっと、支離滅裂に書くべきだったか。
これじゃあ、このあと、書きづらい。
つか、このテーマはもうういや。
そもそも、「支離滅裂でない」というのは、
もう既に固まってきている考えという事だ。
もう石ころに近い。
俺にそんなもの必要だろうか?
自分で考えるとき、支離滅裂なのに、
こういう公共の掲示板だと、無意識のうちに
体裁を整えてしまうな。
んー、誰か何か話す?
こんばんは。
支離滅裂でなく固まることに対してどう思う?
>>30 これは、俺個人の嗜好かも。
俺今情緒不安定だから、それを解決する事が望み。
そうじゃない人は、固まっている方がいいかも。
あるいは、俺の言う支離滅裂なところが、
常人にあるのかも分からない。
>>31 わたし、滅茶苦茶情緒不安定だったときがあったんだけど、
解決したいと思ってはいても、出来なかったです。
色んな理由があるんだけどね、それが問題をさらに複雑にする。
今は、固まってきたんです。解決されたのかな(笑)
ばらばらな自分が、ひとつになったきた気がします。
>>32 そうなんだあ。。
そういう時って、まとめて書こうにも書けないのが普通かな?
そういう時に上手くまとまったら、喜ぶのが普通だとしたら、
まとまったことを自分で悪く言う俺は、「何考えとんのじゃあああ」もんかも。
>>33 そうだよ。
いや、書けないこともないような気がするよ。
書くときは、その対象に集中しなきゃいけないし。
不安定なときってまとまりたくない!って思ったりしない?
あ、見方、色んな見方をしている、というのは伝わってきます。
>>34 すべての自分の思考の欲求にある程度のまとまりを
見出せれば自分でも相当すっきりすると思う。
でもほんの一部だけがまとまったというだけでは
何というか、「遠回り」しているような。。。
でも、そう思えるだけで、絶対通過せざるを得なかったのかもしれない。。。
そういう錯覚かも。
うーん。何を言ってるんだろw
>>35 妥当なレスになるかわからないけれど。
どんなに不安定でも、納得するまで、落ちきるまでか、
安定すべきと思えるときまで、様々だと思うけど、
すっきりしないだろうと思う。
すっきりさせようとも思わないと思う。
たぶん、「遠回り」にはならないよ。そう思わなくていい気がする。
なんかね、こういうのってかなり時間がいるようなんだ。わからないけど。
>>36 確かに時間が掛かると思う。
ところで、話題変えません?
>>37 ね。
あ、ごめん。突っ込んで話しすぎてしまった。
配慮に欠けてるね。ごめんなさい。
いいですよ。
いや、配慮はたぶんこれから
俺の方が遥かに欠けてゆくのではないか(~_~;)にっひっひ
なんだ?(笑)
でも、レスの雰囲気で、少しほっとしました。
他のスレみても分かるけど、
何か俺まじめ過ぎ。
このスレの流れが固まってきたことに対する
反旗を掲げたいという欲求w
そう?色んなひといるよ。
だけどね、そう思うんなら協力しよう。
まあね、寝て起きたら同じな自分なわけですよ。
どこかにかわいい子いないですかね。
横にかわいい寝顔があったらちょっとマシかもしれないな。
もっと砕けなきゃ駄目だよな。
>>42>>43 とはいえ、そのまま真面目に続行するかもしれない俺w
42さんと43さんは「哲学」だと思う?必要でないと思う?
あっ間違った
ん?何?
「哲学」だと思う?必要でないと思う?
↓
「哲学」必要だと思う?必要でないと思う?
>>47 難しい。
どちらでもいいんだと思う。
それぞれのやり方があると思うし。
んー。「哲学」は必要だと思う。その傾向のあるひとに。
別のやり方をしなさい、と言っても出来ないんじゃないかな、と思う。
考察する傾向のあるひと。
>>48 なるほど。
ところで、ハンドルネーム付けられます?
43=49?
今夜の名無しは、全部わたしです(笑)
これから「48さん」と呼んでいいですかい?
>>53 うん、そう(笑)
わたし、男っぽかった?上手く協力できたってことかな(笑)
>>54 いいですよ。
あのね、真面目な話をしていると、
くだけた話にもっていくの難しいね(笑)
>>56 くだけた話にもっていくかどうかは今のところ保留してくださいw
ある意味、この「真面目な話→くだけた話」ってのは相当深い問題として
面白いかもしれない。
>>58 はい。保留に(笑)
あなたのカキコの進み方で、どうなっていくのかわかると思う。きっと。
おやすみなさい。
何つーか、「DQNな考察」する1が居て、それに浴びせるっていうパターン
「クソスレ」、「終了」コールが掛かる場合と、そうでない場合の「差異」を考えるのは
めっちゃ、難しいかもしれない。
あ、寝るんだあね。おやすみー。
>>60 なんか悲しいね。
そうならないように願ってる。終了なんて。
慎重に、でも気を使わずに進むといいね。
>>62 このスレのことではなくて、そういうケースを問題にするってことなんだけどね。
このスレに関してはまだ、どうとか先を考えれない。
つか、何だこれ?
何かつまらない。
やっぱり、やめた。
>>63 そっか。
考察するスレって、真剣になればなるほど、
茶茶が入るでしょう?なんか納得いかないんですよね。
リアルでは言えないことを書いてたりするのに、
そっとしておけばいいのに、と思う。
面白いテーマになるかもしれない。
>>65 何か今、どうしても知りたいことってある?
>>66 そうね。
ひとと心を通わせられるかどうか知りたい。
そもそも無理なのか、それとも可能性はあるのか。
>>67 あぎゃーー難しいw
まあ、「すべての人と可能であるかどうか?」
であれば、可能かどうかは、まずは別として、
まず、「たぶん不可能」とはいえる。
少なくとも今現在の経験(テクノジーなども含む)からいって。
将来、それが「可能」になるかというとその気配もない。
「ある、神秘主義的な方法で現在それは可能にならなくもない」という主張は
有り得る。でも、根拠はない。
では、「誰一人心を通わすことは出来ない」という命題だったらどうか。
>>68 でも、すごく話が広がっているよ、レス。
すべてのひととは不可能ですよね。でもそれは仕方ない。
神秘的な方法。これは具体的には書けないけれど、経験あるよ。
外から見れば、根拠はないけれど。わたしには歴然としている。
そして、懐疑的である必要も感じてる。盲目的にはなっては
いけないから。
「誰一人心を通わすことは出来ない」は、どうだろう。
しているひとはしていると思う。
この場合、「熱烈な恋愛をしている人は少なくとも心を通わせているはずだ」
という解答はありそうである。
ここで、意地悪く「いや、そういう二人でも心通っているとは言えないのだ」
という返答があるとする。
これは妥当か?
この場合、「心通っている」というのを「めっちゃ高いところ」に設定していると考えられる。
その場合、それが、どれほど高いハードルであるのかを定義する必要がある。
そんな「定義」が可能であるかどうかは知らないが、「一般人」はそこまで
高いハードルを必要とはしていない。「一般人」の「定義」に従えば、それで、十分
心が通っているといえると思う。
あと次の場合も言わせて。
「心を通わせられるある程度の素質を持っている人ならば、
確実に心を通わせることが出来るある方法は存在するか?」
>>71 了解。
>>70 わたしもそう思うな。
思いやりの気持ちは、心を通わせる。間違いないと思う。
話さなくても、コミュニケートできたり。
その場の密度も全然違うと思う。
それが永遠に続くか、はわからないけれど。
ちょっと違うけれど、
そのとき、食べたい物が同じだったり、とかね。
こういうのは証明にならない、か(笑)
>>72 そのほうがテーマはわかりやすいかもしれない。
あると思う。
まず、心を通わせられると知っている状態であること。
その概念に執着しないこと。
>>73 うん。
「心が通っている」定義だけれど。
一秒一秒、お互いが同じ考えでいる、というのはあり得ない。
同じ考え方をするよになっている、というのはあると思う。
>>76 「実際に心が通っているとき」は、「心を通わせられると知っている状態の概念」
に「執着」しているわけではなく、寧ろ「無心」に近いという事かな?
>>77 それは「意気投合」と全く同じ?
それとも微妙に違う?
>>78 そう。
熱望や、願望ではない状態、もしくは、なくなっている状態だと思う。
もちろん、お互いのコンディションもクリアされてる場合よ。
「無心」なんだろうな。そして、「無心」であることも知っている。
>>79 「意気投合」の面もあるかもしれない。
元々資質が似ているか、恋愛がそうさせているか。
まったく別の面から言うと、
どこかの地点で、そうなり始めるのかなって思ったりする。
考え方が似通い始める。
何ていうのかな。
俺としては、最初のよそよそしい感じと比較して、
お互いがある程度仲良くなり始めれば、
「仲良くしよう」という「努力」する必要がめっちゃ少なくなり、
何か、「流れ」というか何かが、勝手にひっぱってくれるという
感じがあるかも。(自信はない)
うん、そんな感じ。
わくわくしているとき。素晴らしいときですよね。
目がきらきらしてるかもね(笑)
慎重になってきます。
どこにでも話をもっていけるし、最適なものを選びたくなる。
>>84 それだと、(厳密に言えば)
「考え方が似る」以上のもっと「多大なもの」があるかも。
多分「多幸感」が有るか無いかが大きな鍵なのでは?
>>86 なるほど。そうですね。
少し悲しくなってきました。
その「多大なもの」はコントロール出来ないものに思える。
本人としては、自分でそうしたという気持ちを持ってたいから。
実際、そうではあるのだけど、その「多大なもの」は、
未来をコントロールしてしまう気がする。
>>87 そうですね。
その「多幸感」は進む道を示してくれますね。
切なくなってきますね。
>>88 むむ・・難しい
「悲しい」というのは自分で「コントロール出来ない」からですよね。
でも、そうであるとしても、自分で「コントロール」出来ない色々な人の
労働によって、知らぬうちに「生かされている」事実が既にある。
自分の意志ではなく、何だか知らないが上手いこと生きている。
これは、「不思議」かもしれないとしても「悲しい」ということになるかな?
的外れなことを言ってたらスマソ。
>>91 このことについて、ちゃんとレスしたいです。
もう寝ようと思うから。またレスしに来ます。
おやすみなさい。
保守しとく。
>>91 そうだと思う。コントロール出来ない。
的外れではないよ。「生かされてる」と考えるあなたは、
不安定から解放される日はすぐそこにある気がする。
うーん。わがままなだけなのかもしれない。
別れとか、上手くいかない、とかばかり考えてしまうんです。
だから悲しいって書いた。
時間とともに変わるのを自然と思う。悲しいって思う。両方。
もう終わりなのか。