又、無駄に独り言が溜ってしまったので呟かして下さい。
ピュ.ー ⊂⌒~⊃。Д。)⊃ <これからも俺だけを応援して下さいね。(笑
=〔 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄〕
= ◎――――――◎ 俺様
なんかよく愛についてよく語られているけど。
みんな、愛の一側面の事についてしか語られていないんですよね。
例えば、愛は幻想だとか。愛は与えるものとか。ほとんど無限状態で存在する。
全て、言葉という一つの断片的な存在からそのような物を求めるから困惑する。
自分は愛(それ以外も)というものは一つの経験則によって成り立っているものだと考えているから。
いろんな愛というのが存在すると思う。しかし、それは親や第三者によって、
与えられてきた経験(愛、環境等)がその形を裏付けると思う。
又、愛というのは私見として申しますと、愛というのは受けるものだと思います。
恋愛と言う言葉があるように、恋と愛と言うのは全く正反対の意味を持ちます。
恋と言うのは与える方、愛は説明したとうりであります。
だから、人は愛されて恋を知るというのが持論であります。
故に、愛の形がその人の恋の形になると思います。
そんなこと呟いたって意味がないがな、、、。
駄目だな、、、。
さて、明日は学校だ。寝るべ。
6 :
夢見る名無しさん:03/08/31 23:46
>5
はよしね
寝る前に一言、彼女欲しいよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!
男子校なんてほんとに、監獄です。(後悔)
人生迷ってばかりいるなあ、どうしたらいいもんだろうか。
9 :
夢見る名無しさん:03/09/01 22:19
電通3億円水増し社員は寺田アナの夫
関本元NEC会長の息子が懲戒解雇に
大手広告代理店「電通」で広告費3億円余りを水増し請求し、21日に懲戒解雇された社員が
元フジテレビアナウンサー・寺田理恵子さん(39)=写真左=の夫で、関本忠弘NEC前会長の長男、関本雅一氏(40)=同右=であることが
関係者の証言で明らかになった。寺田さんは、雅一氏と今年元旦に再婚同士で入籍したばかりで、4月からはキャスターの仕事を引退し主婦業に専念。
さまざまな“障害”を乗り越え、家庭生活を充実させようとしていた矢先の大事件となった。
そういえば、何もしない人間ってある種賢いけど。
又一つの馬鹿だね。なぜなら、世間的に彼の存在を表立てようとするから。
彼にいろいろと他人が物事を仕向けようとする。
逆に、ほどほどに物事をこなしている人間の方が当たり障りなくて。
生きやすいのではないかなと思う今日この頃。
まあ、分かりゃあ後悔しないな。駄目だな、、、。
就職先はロポンギをキボーン
人生楽なし、苦〜ばっかりと。
幸せは歩いてこない。だから、求め続けるんだね〜と。
何となく質問、本一冊読むのにどれだけ時間いる?(新書とか、二百ページ位の)
13 :
夢見る名無しさん:03/09/01 22:44
200P位なら二時間も要らないくらいかな。
せっかくdat落ちしたのにまた戻ってきたのかよ。
それにしても前スレの女に関するコメントを見る限り、
当分
>>1には彼女などできそうにないな。
>>13 自分は、百ページをおよそ一時間で読みますから2時間ちょいですね。
>>14 せっかく、脱兎落ちして一週間ぐらい普通?に生活していたら、
又、無駄に独り言が溜ってしまったので帰ってきてしまいました。
まあ、当分彼女なんかできないですね。
自己中心的な考えしか持っていませんから。
それはそれで、又駄目だな、、。
もうだめぽ
最近聞いて?となった言葉があって、それが地球文化と言う言葉なのですが。
地球と文化というのはあまりにも規模が違い過ぎると思うのです。
地球というのはあまりにも大きな規模(意味)を持ち又、漠然とした言葉ですます。
しかし、文化というのは一つの枠組みを決める言葉(意味を持つ)であり。
あまりにも、漠然とした広いものを無理矢理枠組み化させようとする魂胆が見えるのです。
こういう、言葉から国際人という妄言が生まれるのでしょうが、、。
そんな事を言う自分の言葉も又、妄言だがな。駄目だな、、、。
そういえば、ちょっと前の報道で韓国の市民団体が北朝鮮側の人間に、
罵倒されたとかで、喧嘩になったという報道がありましたが。
その時、丁度家族で夕食を食べていたのですが。
その時のNHKアナウンサーが韓国の保守系市民団体がと言っていたのですが、、。
その後の、マンギョンボン号が新潟港に着くのを反対する人たちを、、、。
右翼といっていました。これはなぜ問題かと言いますと。
単純に言うと湾曲報道なんですね、左翼を市民団体と言うように、、。
右翼は保守系の市民団体と言うのがある種のきちっとした報道だと思います。
自分は結構エゴスチックな人間ですが、思想や思考はいろんな概念があっていいと思っています。
でも、それ以前の片方を土俵にあげないような報道はしてほしくないと思います。
あくまで、勝負は両方居ないと勝負にはならないんですから。
といっても、呟いたって意味がないがな。駄目だな、、、。
生きるとはどういうことなんだろう?
それを求めるのも切りがないがな。まあ、おもしろいけどそういうのを考えるのも。
20 :
夢見る名無しさん:03/09/02 23:54
いろいろ考えて悲しい徒労に終わるスレ
だけど私には良スレ
自分は考えるという行為自体が一つのマスターべーションになってる。
今日、親父に生きるというのはどういう事?と聞いてみたら。
「程々に楽しんで、程々に苦しんで、前向きに生きて死んでゆく事だ。」
と言われ、なんか妙に納得してしまいました。
それにもう一言あって。
「お前の年ではこういう事は理解できないかもしれない、
若者は野心的でエネルギッシュというのが若い事の凄みだからな。
ただ、歳を取っていくとそれが辛くなっていく。
だから、このような考え方をするようになっていくのだ。」
といわれ、絶句してしまいました。
自分は、まだ若いから攻撃的な概念を出し創っていく。
だが、天才、能才といわれている人物は精神的に若く、攻撃性を持っている。
その分、経験的にたくさんの物事を知っているから物凄い力を持つ。
それは、言葉に表せないような力だと自分は思う。
でも、自分はそのような人物ではないからどうでもいいがな。駄目だな、、。
20です、こんばんわ(^^)
>>21って、レスしてくれたと勝手に考えることにしようっと。
最後の、「駄目だな、、」ってところが、非常に気に入っています。
23 :
夢見る名無しさん:03/09/03 23:01
ダメダメだ〜・・・。
>>22 あの、最後の駄目だな、、、。はわざと反語を使って自己否定して。
その次の自分の思考のためなのです。
そういえば、平和ってなんか一円玉みたいな存在に思える。
一円玉って、たとえ道に落ちててもあまり拾う人もいないし、
拾ったら拾ったでなにか自分が卑しい存在に思える不思議なお金です。
でもなかったら、なかったで非常に困り不便な存在です。
だが、あくまでも、自分は平和というのは人工的な存在だと思います。
人の体というのは根本的には獣のように戦えるように体の機構ができています。
体の基礎もあくまでも戦闘が前提でできているのです。
平和は戦いたくない、そこまで自分の利益を求めないという暗黙の共通了解内で
なりたっています。故にあまりにも、平和というのは崩れやすいものです。
自分は左派の人間のような絶対的共通了解なんぞ求めてはいません。
自分の周りさえ平和であればいいと思っている人間です。
でも自分は外国と戦争になったら、戦うは覚悟ができています。
なぜなら、自分の周りの平和を犯されたくないからです。そのためだったら、
自分は相手を喜んで殺すでしょう。又、その中でもう一人の自分がはっきり見えるかもしれません。
自分は平和というのはこういうものだと思います。
まあ、そんな事ほざいても全く意味ないがな。駄目だな、、、。
そしたら、なんで奇形児とかできるのだろうか。
不思議だな、神なんか存在しないから。いろんな形があるような気がする。
まあ、高々人間の思考だからなあ。神なんかそれを無限的に越えて解釈(思考)するのだろうが。
駄目だな、、。
まあ、自分の息子が元気なら。明日も元気という事でくくっちゃえ。
とりあえず生きる事を楽しむ事だね。明日もがんばろう。
20です。駄目人間さん、妙な考えに自己オルグしていませんか?
ところどころにチラッと、人として魅力的な言葉を言ってみたり、
とても極端すぎる部分もあったりで。
気持ちのバランスの不均衡なカンジが、駄目人間さんの面白い
ところでもあったりするけど。
まぁ、あんまり極端な思考はイクナイ!とは思うけど。
私も駄目だな、、、(^^)
解除?
はあ、やっとitscom規制が解かれた。
もうやんなっちゃうよ
-― ̄ ̄ ` ―-- _ ……俺もうだめぽ。
, ´ , ~  ̄" ー _
_/ / ,r ` 、
, ´ / / ,ヘ ヽ
,/ ,| / / l| i ,/
と,-‐ ´ ̄ / / r( j' く
(´__ 、 / / `( u ,ヘ ヽ
 ̄ ̄`ヾ_ し u l| i _>
,_ \ ノ(`' __ -‐ ´
(__  ̄~" __ , --‐一~⊂ ⊃_
 ̄ ̄ ̄ ⊂ ̄ __⊃
⊂_____⊃
>>27いやあ遅くなってすいません。
自分は自分という考えがいつでも変われるからです。
又、自分は感情挿入をよくしてしまいます。
だから、極端な思考にはまってしまう事もありますし、
同様に極端な事をいった事を後悔してしまう事もあります。
まあ若いからなのですが、、、。駄目だな〜。
ネカフェに13時間いました
自分という自分は過去に存在し、未来には存在しない。
それは過去の自分ではなく未来の自分であるからだ。
又、その未来の自分は予測が可能な範囲と不可能な領域がある。
大抵に人はその予測不可能な領域に夢という価値をつけがちである。
その夢さえ大抵は妄想に過ぎない、大抵の人はその夢に飲み込まれるか、諦めるかのに分極化する。
自分も夢という妄想を飼っている、その妄想がいかに狂気に飲み込まれないように抑制するか、
それが一番難しいのである。人は結局は夢を求めるのではなくその夢自体に価値を求め、
そこに飲まれて無駄に後悔したがる。考える動物に生まれてきた事が最大の後悔なのに、、、。
人は狂気、又は寄りかかれるものに依存したがる(神等)。
しかし、それは自分の無価値さをただ助長して、ニヒリズムに飲み込まれやすくしているだけなのに。
自分も含めて駄目だな、、、。
そういえば、覚醒剤(医薬として)の使用量が一番多い国って日本らしいね。
確かに、日本人というのは物事の先の先を読みたがる人種だと思う。
また、これという確実性を無駄に求める人種でもある。
自分の存在なんて、確定できなくて当たり前なのにねえ。
結局人は人に交わなければ、自分の存在なんて創れない。
そんなの当たり前なのにね。駄目だな、、。
とりあえず、程々に開き直っていかなければ、自分の精神状態なんて、
壊れてしまう。
程々に求めて、程々に諦める。
まあ、ひとによっちゃあ程々というのが違うけど。
自分にとってどれ位が程々かというのを探すのも楽しいけどねえ。
まあ、生きてみなきゃ分からんから、自殺なんか全く意味ないというのが、
持論だけどねえ。駄目だな、。
絶望には絶望を
このダメ人間が言うのだから、間違いない
さぁあなたも、書いてきなされ
「世界を終わらせる詩」を。(そして残酷な批評を。)
自殺なんて、無価値なもの。
もともと人間自体無価値なのにそれをわざわざなおさら無価値にするのかい。
ただ生きている事自体、無駄と否定されているものになおさら否定的にするのかい。
だから、人は自己欺瞞だと分かりながらも自分というのを求める続ける。
結局は将来や夢なんていって一々自分をだまし続けるのかい。
全くの無駄だろ。あくまでも、〜ためという希望観測は捨てなさい。
ただ、より自分勝手に生きる事ができる道を探し続けなさい。
絶対にないから、、。駄目だな、、、。
自分を鍛えよう!!
物事はそうやって切り開けるよ!!
元気出して少しずつ 良い方向に向かいますように!!
頑張ってください。 お休みんさい。
(^○^)
こういう事を書くと、ヘーゲルの不完全性理論を思い出すな。
確か、システムSが正常な場合自分の無矛盾性を証明できない。
という事だった気がする。
そうしたら、人間は自分達人間が日々の物事が矛盾し続けるだろう。
だって、反戦といい続ける妄想ハンセン病者もいれば。
死地にこそ自分の意味があるという壊れた人もいる。
これがといえるような正しいものは探すと全くない。
何とおもしろい事にだよ!
みんなみんながこれが正しいとただ信奉しているだけなんだ。
でもそう何かを信奉しないとその空間に自分を入れる事ができない。
何かに自分を入れなければ、自分という自己同一性は立つ事ができない。
その自己同一性というのもただ信奉なんだ。
そう矛盾のしまくり、あり得ないぐらいにだよ。
っと言っている自分も矛盾しているのだよ。駄目だな、、、、、。
>>38ショコラさんお久しぶりです。
相変わらず自分は電波ですいません。
では、おや『スイミー(』というのを小3の国語教科書でならったきがする。)
すいません、訂正します
ヘーゲルではなく、ゲーデルでした。
大変失礼しましたもう駄目だな、、、。
俺、本当ダメ人間なんです。
本当に本当にダメダメなんです。
皆さんで私を罵倒してください。
罵倒していただけないと、私の存在価値はありません。
すでに存在価値がないなんて、分かりきっていることを言わないでください。
罵倒していただけることで、私の存在価値が生まれるのです。
踏みにじってください。
踏んでいただけることが私の生きがいです。
さぁ心置きなくお願いいたします。一生のお願いです。
>>42 それは無理矢理あきらめ過ぎ。いかに自分をうまくだましていくかを知らなすぎです。
大抵、人を踏みにじる罵声はただの今一時の言葉に過ぎない。
まあ、それをいつも思いながら自分のルサンチマンを養う事もできるが。
しかしながら、あなたの文体を見る限りあなたは受動的すぎます。
マゾヒストも悪くはありませんがそれでは受け入れ過ぎです。
逆に自分はサドぽいから、又これはこれでまずいのですが、、、。
駄目だな、、、、。
何か憂鬱だな、何か精神的に病んでいるのかな。
いつもだけど。
ひとつの寓話。―認識のドン・ファンというのはいまだ、哲学者にも詩人にも
発見されたことはない。認識のドン・ファンは、彼が認識する事物を愛していないが、
しかし認識という狩と陰謀のなかにこそ―しかももっとも高いところ、もっとも遠い
ところにある認識の星に至るまで!―精神と、むずむずする快感と楽しみを置くのである。
そしてついには、狩の獲物として手にするのは、認識における絶対的に苦痛を与える部分で
あって、こうなったドン・ファン的認識者は、最後にはアプサンや硝酸を飲むようになる
酒飲みのようなものである。そうすると彼が行きたくて矢も盾も堪らないのは地獄だけである
―まさにこれが彼を誘惑する最後の認識である。ひょっとするとすべての認識されたものと同様、
地獄ですら彼を幻滅させかねない!そのとき彼は永遠に立ち止まったままその幻滅に釘付けされたあげく、
自分で石の客になって、認識という晩餐を欲しがらざるをえなくなるだろうが、しかしその晩餐は決して
彼に与えられることはないのだ!―というのも、事物の全世界は、この飢えたる人間に与えるべき
一口の食い物とてもっていないからである。(F・ニーチェ『曙光』)
そういえば、最近男でもできるのではないかなと思う事がある。
ズリネタは当然ながら女なのだが、セックスはどっちでもできるような気がする。
まあ、どっちにしろ挿入しているわけであまり変わらないのだが。
こういうのをバイセクシュアルというのだが。
でも、自分はホモセクシュアルとかレズビアンがいるというのはあまり信じられない。
根本的に〜じゃなくてはだめという概念を頭っから否定しているからかもしれんが、、。
駄目だな、、、。
「現代思想」の原点といわれるニーチェの文章です。
ある文芸批評家がよく、ハイデッカーが『存在と時間』を書くとき
文学的なテクストを参照せずにかけなくなった、20cのはじめに
哲学の世界でそういう変化が起こったんだと言ってました。
ニーチェは20cを迎えるまさに直前に亡くなってますがハイデッカーより
すこしさかのぼればニーチェもまた―非常に文学的な言辞です。
ひとことで言えば哲学は「真実」から身をひかなければならないということです
それだけではありません20cの問題意識は
アインシュタインの「相対性理論」(幾何学的真理の崩壊)ソシュール言語学、
ゲーデルの「不完全性定理」、ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム論」などなど
「真実」からはとうざかりました。ひとことでいえば「決定不可能性」という
ことでしょうか近代合理主義という物語はことごとくうちやぶられました。
つまり、「意味」や「真実」といったコトバの蹉跌です。
僕は2次元の男の子はすきだよ。現実でも可能かと思うけど
実際に目の前にするとどうかなフフフ
>>45やっぱ、ニーチェはおもしろいね。
でも、その文だと認識というのを絶対的な存在にしているから、
その認識自体どこまで信じられる存在か定義していない。
逆に、人間の限界は自己認識を信じてしまう事にあるし。
人間自体、人間認識には絶対的な限界が存在する。
又、認識のドンファンが発見されなかったのは、人間の限界を知っていたからであり。
限界がないものは存在しないからである。
また、そのように飢えてる人間は何が何でも満たそうとする。
それで、神という存在を創るのだ。
それが、自分が飢え死にしないための処方箋だからな。
でも、自分の稚拙な文で馬鹿な事をいうのも滑稽だな、。
もう駄目だな、、、。
逆に自分は現実から見ているから駄目なんだな。
>>47確かに科学は人間限界を否定する事から始まっていると思う。
そうすると、自分の考察は全く無意味になるわけか。
さてどうしたもんだか、、、。
決定不可能性か面白いなあ。
もう分かんない事ばかりだよ、性欲を感じるとなぜ海綿体が充血するか分からんし。
なぜ、人類の脳みそは多目的思考性を持つのかも分からんし。
やっぱ、分からない事があると楽しいね。万能マシンの存在もゲーデルが否定したしねえ。
ちなみに自分はロリとショタはほとんど同じだと思っています。
かわいいという事はね。フフフフって、駄目ジャン俺
認識とは性的快感のようなもので認識の対象なんか愛していないが
認識そのものが快感であると。つまり、XとはなんであるとかのXの内容より
それを認識する行為そのもの方が優位なんだってことだよ。認識を絶対的なものに
してるわけじゃなくね。いわばニヒリズム・・・といっていいかどうかわからないけど
「真実」と「真実は得られないがそれにいたろうとする認識」を両天秤にかけたとしたら
認識の方がいいってことさ、それはドンファン(漁色家)のようにね
結局、たとえば学者の真理探究動機なんて色好みであって、真理より認識が気持ちいいんだと
本末転倒みたいなのがあるでしょ
あれっ、ということは決定可能性を求めるのはなぜだ。
そこで、無理矢理領域を求めて自己を潰していくのか。
あれ、見えないぞお何もかもが。むしろ、領域を求めて自己を作るのか。
わからない。もう駄目だ、、、。
konnnatokoroni toukoudai
近代に真実を求めたのがつまずいたからあれこれあがいたわけさ
差延とか脱構築とかなんとか・・
>>53 やっぱ最終的にはニヒリズムに飲まれてしまうのか。
ということは、認識する行為自体が目的になってしまっているわけで。
真理なんかどうでもよく、又それによって求められた真理でさえ快楽に過ぎないのか。
確かに、真理をいえというのは使い古された言葉をいえと言うのと同じだ。
という言葉があったような気がする。
結局は無意味からは誰も彼も逃れない、しかし、その意味を求めるのはあまりにも
人間的な姑息な思考なわけか。
そういえば、ニヒリズムにも段階があるらしいね。
受動的ニヒリズムと普通のニヒリズムと能動的ニヒリズムだっけ。
まあいいや、学校があるから寝よう。
寝る
ごめん寝る前に一言。
真実はどこにも存在しない、ただ存在するのは作った真実を真実だと
思い込む人間しか存在しない。
そう、だから西部のようにニヒリズムからの脱却とかいって伝統(サブライム)をもってこようが
簡単に逃れられるもんじゃない。
「かのように」とか「ふりをする」とかいってごまかさなきゃw
>>55
うれしいね〜、相手してくれる名無しさんもいなくなったことだし
変なレスつけてすまん。
駄目人間さんに相手してもらってうれしそうだね
見当ちがいもはなはだしいな。
>>59自分はどっかというと西部さんの考えは好きなのですが。
伝統では逃げ切れませんね、無意味というのは精神的な物の奥底に存在する物ですから。
あくまでも、伝統は自己同一性が存在するという仮定で認識しうる物ですから。
その認識という存在を飛び越えて存在しているのが無意味(ニヒリズム)であるから。
確かに西部氏の考えは少し理想論ですね。
差延は切りがなさ過ぎで合理主義を放棄したみたいですね。
脱構築はただの逃げ言葉のような気がする。
駄目だな、、、。
今日はあり得ないほど憂鬱。
髪の毛が目のした辺りまで伸びきっていたので。
昨日なじみ(幼稚園児から行っている)床屋に行ったら。
思いっきり、坊ちゃんがりにされて、、、、。
学校では笑われるし、購買のおじちゃんには中学一年生にしか見られないと言われるし。
バイトの先輩からも笑われるでもう最悪でした。
悪かったな、どうせ小学生の頃とあまり顔が変わらないとよく言われるよ、くそっ。
もうあり得ないよ。本当にこれではもうだめぽのほうがあっているよ。
高校二年生というのに、、。
もう駄目すぎです。
そういえば、先週の金曜日ひさしぶりに真剣十代しゃべり場を見たのだが。
あからさまに若いね、夢や将来なんていっちゃって。
夢なんて妄想に過ぎないんだから。まあ、人間の自己同一性や存在を肯定するためには
絶対必要なものだのだが。夢が叶ったというのはそれは過去を回帰する事によってなる。
それまでの間は叶わないという、精神負荷を与え続けている期間なのだと思う。
結局は個人の認識能力によって別れてしまうだろうが。
そういえば、時というのは青い鳥のようなものだとおっしゃった人がいたけど。
まさしくだと思うな、時という青い鳥を求めて捕まえてみれば灰色だった。
又、時という青い鳥を発見したけど捕まえてみたら、また灰色の鳥だったという、、。
捕まえられない存在なのだと思う。
続き
また、将来というのはただ未来に自分を委ねて現実から逃げる言葉だろ。
ほんと言葉というのは便利だよ、そういう理想主義的な言説は全て現実逃避なんだ。
結局はあそこに出て偉そうな事いっていた秀才のお嬢ちゃんは何もかも御目出度い程知らない。
自分も、小学生の頃はあのような感じではあった。
何もかも知れると思っていたし、何もかもできるような意味のない万能感に取り憑かれていた。
それを完全に壊してくれたのはニーチェだった。
講談社新書のこれがニーチェだというのを読んで非常に驚いた。
いかにも、自分がひ弱で無意味な存在か気付かせてくれた。
まあ、代償として半年位人間不信に陥ったがな。
そこから、新書で出ている思想の入門本を読みあさった。
今も、ちょくちょく読んではいるが、最初読んだ時の驚きにはかなわない。
さて、あのテレビに出ていた御目出度いお嬢ちゃんはこのような感覚があるかな。
何が看護士になって、NGOで国際看護士になるだ。それで、自分の価値を見つけた振りをするのかね。
確かに、人の価値は人が交わり会わないと発生しない。
でも、人の価値はただの決め付けであり、また利用に過ぎない。
人はその人が自分にとって便利だから、価値を重くする。そう利己主義的な観念に過ぎない。
そう皆、ドンファン。認識という快感と自分がここにある事で快感を感じる哀しい存在。
故に人は一人では生きていけない、他人に視姦され続けなければ生きていけない生き物なのである。
もう駄目だな、、、、、。
自分の妄想と狂気は恐ろしい。
多少、このスレに狂気と妄想を吐き出す事によってでしか存在できない自分が
哀しい
69 :
リウ ◆h8L70CPIp6 :03/09/09 22:34
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
でも怖がるものではない、誰でも持っている一つの狂気だから。
だが、この狂気も人の心という莫大な規模を持っている空間に存在する。
たった一つの狂気に過ぎない、年をとるというのは狂気を知っていく事だ。
その狂気を飼う事によって人は自己を安定させるのだよ。
自分の狂気というのは、知らない人間には恐怖の対象だが。
知っているものではその狂気は一つの自分なのだよ。
狂気は面白いよ、非常に哀しいけどね。
駄目だな、。
71 :
スベスベマンジュウガニ:03/09/10 00:00
字が多いスレだな
そういえば、知り合いの2ちゃんネラ〜に自分のスレ見てもらった事があるんだけど。
そのさい言われた言葉が、
お前は元々変な事を言う奴だけど、このスレ見て恐怖を感じた。
と言われた事がある。そんなに恐い事言っているかなあ。
はてねえ?
73 :
リウ ◆h8L70CPIp6 :03/09/10 00:05
話はむずかしぞ。
君、すごいこと考えてるんだね。
>72あなた高校生さんでしょ?ガンガレ〜
>>73 難しいですかねえ、自分にとってみれば学校の英語の方が難しいけど。
まあ、世の中分かりやすい事なんてほんの一部しか存在しませんから。
だって考えてみて下さいよ。例えば、どこの店にも置いてあるレジ。
あの構造を考えてみて下さいよ、いろいろな金具がびっちりとつまっている。
みんな、レジという存在は知っているけど、実際それを認識しようとする人は殆どいない。
自分は馬鹿だから、存在論的に考えれば簡単な事を認識論的に話しているから。
他の人は分かりずらい、故に難しく感じる。
簡単、難解というのは存在として考えるか、認識で考えるかの違いに過ぎないんですよ。
といっても、難しいかなあ。
>>74 本業は高校生の勉強なのに、毎日こんな事を考えているのですよ。
ほんと全く無意味なのですがねえ。
本業の勉強にこの力を生かせたらなあ。
駄目だな、、、、、、、、、、、。
まあ、性欲と食欲さえあれば人生多少はどうにかなるな。
さあ、寝るべ
78 :
夢見る名無しさん:03/09/10 18:59
同級生で、駄目人間さんと同じ様な男性がいました。
進学校だったのですが、彼だけが自衛隊入り。
頭がすこぶる良かったのに(顔も)、防衛大にも行かずに、
自ら自衛隊へ。私の七不思議の一つです。
なんかその2になってから人間味が出て来たな
もっとさ
自分が特別で価値があるとか
誰しも皆辛いんだぜとか
そーいう自動化された主張にだって
その、あんたの立ってる、そういう有象無象よりか2段も3段も高い場所から
ひとかけら思推の恵沢をたれてやってもいーんじゃねーの?
絶望に寄り掛かってけるっつうのは
非凡を証明してはくれるけど
ただ非凡ってだけなんて
あんたの目指すところじゃないんだろう?
僕は、あんたは、その先に行ける力を十分持ってると思うがね
…ひょっとして全然ズレてたりすんのかな?
>>78よくいるよね、思い詰めちゃうタイプ。
それはそれで、いい方にいく事が多いけどねえ。
>>79いや、最近自分が馬鹿らしくなる事が多くて、自分が特別と思う事に少し疲れたのですよ。
自分は、人間が故に人間以上の概念を生む事は絶対的にできない。
だから、自分もそこら辺の有象無象と殆ど変わらない。
ただ、そこら辺の有象無象より無駄に考える能力がある。そうただそれだけなのですよ。
そう自分はただの凡才に毛が生えた程度、非凡だとか、天才とか自分には関係ない話。
前に書いたと思うけど、天才というのは作られるもの。
ただ自分は、その天才とか非凡とかで象徴的な存在にはなりたくない。
続き
その象徴的存在が最終的にどうなったかね?
そう一つの崇める存在として宗教化した。
ただ、その個人がなした事が誇大拡張され、偏重した解釈をされ曲げられた。
しかも、その個人という存在と意志を完全に無視してだよ。
自分はそうやって人がさも醜い部分をあまりみたくない。
ただでさえ、自分の行動や考えにあまりにも絶望して生きる事を喘いでるなかでだよ。
自分はその先を見たくない、結局は人の一番醜い部分が自分の存在を利用しようとするのだ。
そう、存在だけを見て認識しないマスターべーションで幸せなんか言っている図何か見たくない。
自分は自分という存在を認識しようとしてるので精いっぱいなのに、
自分を拡張なんかできやしない、そのようなただ小さくて醜い一つの個体なのだよ。
駄目だな、、、、。
そういえば、ニヒリズムを突破するためには。
ニヒリズムをニヒリズムしニヒリズムの存在自体を矛盾させ、
そこから、無意味という有意味にかえてしまえばいい。
しかし、これは通常の人間では絶対に越えられない。
なぜなら、ニヒリズムというのは最強の存在なのだ。
しかし、存在論であれば最強であろうが、認識論に変えれば脆さが見える。
あくまで、ニヒリズムを認識するのは人である、逆に人であれば矛盾性が絶対に出てくる。
そこをついて、ニヒリズムを知るためにはその概念を有意味にしなければならない。
という概念を悪用すればいい。しかし、それを完全に自分のものにするには長い年月が必要。
そこで、宗教的な概念を利用しなければいけないのだが、大抵の人間はそこで飲まれている。
まあ、こんなことができれば正真正銘の天才ものだけどねえ。
俺には無理だ、、。駄目だな、、、、。
そんなにまで言われちゃあ、どーしようもねえじゃねえか。。。
実験で、あまり大きくない公園で暗い場所にあるベンチに座ったら。
ヤバい程、考える事ができた。
もし自分が、ここで寝てもう2度と太陽が見れなくなったらとか。
もしここで自分の存在が消えてしまっても、ここに自分がいたというのを
認識する人何ぞ居ないのだろうな、とか。
いろんな事を考えてしまったよ。
ほんと若いよな我ながらそう思うよ。駄目だな、。
>>83自分はそのような些少で卑小な存在なのです。
その卑小さを偽ったら自分という存在は認識できないのです。
その卑小さを認識できないからカルト宗教とか安易な方向に進みたがる。
自分はそのような自己認識ができない精神ゴキブリにはなりたくない。
それが自分の理性と狂気のバランスを保っている一つの認識なのです。
おいおい、それじゃああんた
あんたは僕がゴキブリだっていいたいのかい?
あんたが些少で卑小なオノレだっつうのは
理由にならない。
理由にならねえよ。
あんたが狂気だと思ってるのはさ
きっと、ただ力なんだぜ。
87 :
リウ ◆h8L70CPIp6 :03/09/10 23:25
(゚д゚)<・・・。
>>86 いや、自分もゴキブリのような存在とも言いたかったんだけど。
一つの自己否定として自分の今現状を見てゴキブリのようと思える。
だから、自分はなんとかしてそこを覆したいが無理。
でも、なるだけこれだという存在に依存したくないという若さ故の傲慢なのかもしれない。
狂気は力とその力に対する恐怖、そして追って懸ってくるニヒリズムが混じった存在。
が自分がひしひしと感じてくる。
ただ、言えるのはニヒリズムを感じられる環境があるというのは特殊な環境だと思う。
金持ちや貧乏人は哀しさやニヒリズムの一歩手前を感じられても。
日々生きている事が精いっぱいであるからそのような概念を感じている暇がない。
そう考えると日本に生まれてきてほんと良かったと思うよ。
自分の存在の虚ろさを知っている人が多くて良かったよ。
でも、考察する事ができるというのはある種最大の不幸なのだがね。
駄目だな、、、。
(゚д゚)(考えたら頭痛くなりそう。駄目だな。)
さて、明日も学校だ寝るか。
おやうい〜
というか、もう明日じゃないしね駄目だな、、、。
94 :
夢見る名無しさん:03/09/11 04:15
富樫幹男 黒鳥の湖のスター。
金返せ。コラ。
自分という存在自体がはてしなく重い、という事を最近良く感じる。
自分という認識自体が自分を拘束し、自分を飲み込む。
そして、自分という存在の限界を感じる。
むしろ、限界というのは作られるものかもしれない、一つの思い込みとして。
しかし、それとは違った限界。絶対限界というべきであろうか。
そのような、限界が自分を襲う。
駄目だ、、、。
最近生きている事が異様に辛い。
なぜかいつもいつも朝起きたばかりのあの憂鬱な感じだ。
自分は醒めているのか醒めていないのかまったくわからない。
まるで、胡蝶の夢のような感覚。
そして、体が妙に重く感じ何か体にいるかもしれないような感覚。
客観的な体重は相変わらず同じところに針を指しているが。
主観的な体重はその一週間前とはまったく違うところをさしている。
もしかして、躁鬱病なのかもしれない。
精神的な感覚がよくあるような相対主義とは違う相対主義を持って殴り合っている。
自分という精神が精神というものに宣戦布告して、殺しあっているようだ。
重い
もしとある人が自分の存在を立てている。
夢、将来、希望、絶望、経験、感情等を捨てきったらその人はどのような存在になるのだろうか?
人が人として認知されない人工的な存在になるのだろうか?
否だ、その将来や絶望等は捨てるという人間的な行為をしなければ放棄できない。
でも、精神的には人間という共通了解内を確実に越えている。
ただそれだけ、ただそれだけでその存在の人間であるという事は大抵は否定される。
駄目だな、、、。
最近神という存在がなぜか気になる。
よく、神の話になるといるとか、いないという子供チックな単純な理論になるが。
根本として、そのような無駄な一元論は考えない方がいいという事はいえる。
なぜなら、神というのは認識もできない。存在でさえ明晰されてはいない。
ただ、それを認識しようとする人がいるだけ。
だから、その存在を認識しようとする人はいると思い込んでいるし。
認識しないという人もいないと思い込んでいる。
また、愚かな事に数学的というあまりにも人間的合理主義でその存在を求めようとするものさえいる。
しかし、皆確実性を持っていない。そして、自己認識内に持ってこようとするからそこで矛盾する。
ただ言える事は、わからないこの不確定さだけがたった一つの答えのような気がする。
それでさえ、認識という自己洗脳である事が多いのだが、、、。
駄目だな、、、。
難しい
見えない自分という存在が
101 :
夢見る名無しさん:03/09/11 21:59
ん〜〜エントロピー
そういえば、今日はテロの日だね。
白豚どもの象徴がつぶれた日だ。
非常に目出度い事にだ。
この五百年間は黄色人種、黒人種には屈辱であったろう。
あの汚く太った、白い奴らは屈辱を2度しか知らない。
それは、日本の東南アジア諸島の台頭と貿易センタービルの崩壊だけだ。
しかも、白い家畜共はたった千匹しか屠殺していないテロを。
その後戦争という名目で豚共は人を何百、何千万人と一方的に殺した。
ちなみに、自分は白い奴らが極端に嫌いだ。
非常に差別的な概念を自分は奴らに対し持っている。
しかし、それは当然ながら自分の心の中にある一つの概念に過ぎない。
それだけは言わせてもらう。
自分が憎みきれるたった唯一の存在があの白い奴らなのだよ。
悪いがこの事に関してだけは感情的にならなくては言えない事が多い。
まあ、仕方がない面は非常に多いのだが、、。
_, ._
( ゚ Д゚)・・・白人に恨みある?
( O┬O
◎ヽJ┴◎ キコキコ
自分は彼等が生んだ概念や考察というのは知りたいと思うし、認識もしたい。
しかし、自分は奴ら自体は悪いが嫌う。
ただそれだけだ、だから奴らが作ったものは評価し、一つの糧とするが。
奴らの実際の存在は非常に嫌悪しいやみ嫌う。
ただそれだけ。
>>103恨みというか、存在自体がいや。
あの、キリストという無駄な自負と汚い一神教的な概念が嫌い。
あと、白人という存在しかにとめない奴らの存在自体が汚らしい。
それに、白人至上主義という前提で汚いマスターベーションしてるのが汚い。
それによってでしか、自分の存在を出せない奴らがいや。
しかも、合理主義であれば何もかも求められるという概念が汚い。
あと、西洋思想、哲学のあまりにもあの独断さに嫌悪する。
まあ一つの糧とはするがな。
それに、侮蔑されない言葉が一つも見当たらないのがすごいいや。
106 :
夢見る名無しさん:03/09/11 22:36
WASPやKKKには嫌悪感あるけど。
キリスト持ってくるのオカシクナイ?
どうでもいいけどパイレーツオフカリビアンかっこいいよ。
>>106 ごめん、自分の私見だと絶対的な概念あるのいいんだ。
だが、この概念が普遍性だと説くその元凶がキリスト的な一神教の概念だと思っているから。
その概念が基本としてクークラッククラウンが存在していると思っているからです。
. .: : : : : : : : :: :::: :: :: : :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
. . : : : :: : : :: : ::: :: : :::: :: ::: ::: ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
. . .... ..: : :: :: ::: :::::: :::::::::::: : :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
/:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
/ :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
/ :::/;;: ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄ ̄ ̄ ̄
・・・・てんてんがついてない。
俺確実にもう駄目だな、、、、、、、、、、、、、、、、、、。
111 :
夢見る名無しさん:03/09/11 23:15
>>108 一概にキリストって言ったって、バプテストやらなんやら
いろんな宗派に分かれてますよね。
そのなかのどれかの延長線上ってこと?
>>111まず、元本のカトリック的な解釈は嫌いだし。
プロテスタントは逆に純粋すぎて気持ち悪い。
ロシア正教とかはサクラメントとか聖書に書いてある概念をこえている。
ユダヤ教は民族宗教だから、一般性を持たないから非常にどうでもいい。
まあ、偏見の固まりなんだよね。駄目だな、、、。
今日はとても恐いことに気付いてしまった。
もし、本当の孤独にいるのであれば人はどのようなことを感じるのだろうか?
ということを考えていたその瞬間。一瞬自分の心はスーッと何かが落ちてきたみたいに空白になった。
その一瞬、気付いていけないことに気付いてしまった。
人は直接人に会っていなくとも、本を読む、何かを聞いたり、考えたりすることで。
間接的な何かの干渉を求める、そのような半孤独的空間が人が一番求めている。
しかし、完全な孤独ではない。
前にも書いたが、自分が何の存在からも干渉されずにただ浮いている存在になったら。
ということを考えたことがある。
ただ他人から干渉されないだけで、なかなかの絶望に陥った。
だが、今自分がいっているのはその上の段階である。
自分が無意味とも自覚できないようなニヒリズム、
いわゆる、ニヒリズムという概念を捨てたニヒリズムの空間である。
本当に何もかも捨てた状態である、そう自分の心でさえも。
そのような境地(悟り?)をふと見てしまった。
非常に恐かった、心の底からゾッと化け物みたいなのが出そうになった。
もう駄目だ、、、、、。
なにか、恐怖の境地を味わってしまったような気がする。
後は、としをとることの恐怖と本当に死ぬことの恐怖だけだと思う。
でも、ちゃんと飯食って普通に暮らしているだけなのに、、。
こんな事に気付くのだろうか?はて不思議だな、、。
結構駄目だな、、、。
>>115 普通に暮らしてる(生活に大して苦労がない)からこそ
ウダウダ思考や妄想に浸れるんだろうに。
それが悪いって言ってるんじゃないぞ。
それはともかく、仮に立派なことに気付いたとしても、
お前は普通に暮らしていれば養われるはずの
想像力がまるで欠如してるみたいだし、
帳尻合ってるんでないのかな。
>>116 確かにあっているね。
でも、想像力は逆にあり過ぎるのです。
元々いろいろなことを考える癖がついているから。
自動的にマイナス的なことしか考えることができない。
まあ、悲観論という奴ですね。
考察をどんどん積み固めていけば結局はペシミストになってしまう。
なぜなら、本当に物事を考察した後に想像すると大抵ゾッとするから。
今日牛丼食ってて気付いたんですが、。
この一杯二百八十円はどのぐらいの重みがあるのだろうかと。
大抵の人はそこでそのことを考えることを放棄する。
逆にいえばこのどのような状況でも考えてしまう能力はある種の才能のような気がする。
例えば、支那の内陸の農村は年収が(税金を差し引いて)約五百五十円だそうな。
この格差はすごい、まあ仕方がないといえば仕方がない。
元々日本の常識と支那の常識は違うし、持っているものも違う。
こんなことを出して、偽善的な嘘を言う気ではない。
だが、その後自分は何を求めて生きているのかがふと分からなくなった。
人は人を断定付ける能力はない、又自分が自分に答えを出す能力も当然ない。
では、自分とは?自分ではないか、というのが一番の答えだと思っていたが。
この牛丼を食っているから自分なのか、自分だから牛丼を食っているのか。
それとも、二百八十円を払って牛丼を食おうとしているのが自分なのか。
どれも自分、だが本当の自分ではない。
それはその時そう思いがあった自分であって、今の自分ではない。
大抵は時のせいにしてしまうがそれ以外の要因がある。
それはそういう、基礎的な概念。
自分の根本にある牛丼は二百八十円でくるという概念が存在する。
それ以前に、腹が減ったら食うという概念も出てくる。
そうやって、人は色々なことを次々にこなしているのである。
といっても、無駄な考えだがな。駄目だな、、、。
それにしても、今日は本当に空の青さと夕方の空がきれいだった。
自分の人生の中で後何回このようなきれいな空が見れるのかが気になった。
非常に悲しい気持ちになった。もう駄目だ、、、。
そういえば、自分の家の近くの神社が今日明日とお祭りなので行ってきました。
相変わらず、笛や太鼓の音が軽快に音を立て回りは楽しんでいる。
人は自分を気付かせないようにそのような雑踏の中に行きたがる。
自分も含めてだ、しかし彼等にはその雑踏の中にいるとき。
自己が自己であることを一時的に放棄する。
わざわざ、自己を放棄して自分を孤独におきたがらない。
逆に自分は雑踏にいるとストレートに自己というのを直視してしまう。
まあ、自分は他人とどっかに行くというのがあまり好きではないからであろうが。
大抵自分は一人でどこかしら行っている。
渋谷やら、自由が丘やら、溝ノ口やらいろんなところに行っている。
アニメイトやら、ゲーセンやら、どっかに座って雑踏を見るとかしている。
笑っている人、陰気な感じな人、無表情な人、、、。いろんな人がいる。
しかし、彼等は自己以外の何かを考えている。又は多元的な視点から自己を見ている。
まあ会社からとしての自分とか、仲間からとしての自分とかを見ているだけで。
自分を全く見ていない、そこに存在してその存在自体からの自分は全く見ていない。
まあ確かにそれは処世術だと思う、しかしその処世術に飲み込まれ過ぎて自己を完璧になくしている。
しかたがない、それが現代社会という肩書きの強さでもあるから。
って、無駄だな。駄目だな、、、。
でも、自分は個性というものを信じない。
個性というの存在しているようで存在していない虚ろな存在である。
確かに個性というのもあるかも知れない、しかし、それはそう信じているものである。
あくまでも、個性というものも崇められている存在に過ぎない。
養老先生のように体にこそ個性があるというのも自分は信じない。
あくまでも、自分の体がそのような才能を持っていただけであり。
そのように体の能力が出せたのは一つの運命でありそれは個性の産物ではない。
又脳みそにも個性は存在しない、ほとんど自分達が考えられることはほとんど出てしまっていることだ。
あとは、技術と直感の進歩で進んでいくだけだ。
逆に現代というのは個性というのはほとんど創られない空間である。
これは、何もかも程よく進歩していったからであろう。
その進歩によって人間という存在は小さくなっていった。
それが、ニヒリズム、実存主義の勃興だと思う。
人はもうこれ以上の爆発力を求められないと思う。
それによって、個性という存在が宗教化された。
その宗教化、象徴化は個性という存在がほとんど皆無になったことを裏ずけていると思う。
哀しいことにね。ちっとアルコールを浴びているから少しおかしいけど。
許して下さい。だったら書くなよ俺駄目だな、、、、、。
明日はバイトださて寝るか。
はあ、疲れた
はあ、疲れた
>>124 今日の用事はバイトしかなかったんで、早く帰ってきたっす。
どうやら、少し風邪っぽいみたいっす。
顔がほてっている。
たまには短いレスもあるんだね。
バイト中もいろいろ考えたりすんの?
人生って面倒くさいね、ただ生きるだけで十分だっていうのにね。
>>129 ああ、いろんなことを考えるよ。
生きるとは何だろうとか、なぜ自分はここにいるのだろうとか、
なぜ従順に仕事をなしているのかとか。無闇矢鱈に何か考えているね。
まあ、全てはどうでもいいことだけど。
ただ、バイト中に気付いたことは、、。
よく、〜君って頭良いんだねとか言葉があるけど。
ああゆう言葉って本当は褒めているのではなくて、一つの罵倒語なんだよね。
なぜかというと、その人がその言っている人をある種見下していたり。
その人が自分より上思えているから、そのような言葉が出るんだろうな。
でも結局は、自分の曲がった一つの視点でその人を推し量ろうとしているのだから。
結局は侮辱なんだよね。こういう、見えない侮辱というのは追求しないと見えない。
だから、人は見ないようにするんだろうが。
まあ、意味ないから駄目だな、、、、。
今日も自分の家の近くで祭りをやっているから。
いってこよう
楽しんできたまえ
ごめん、俺もう駄目だ、。
お祭りいって絶望してしまった、、、。
自分の家の近くだから、まあ地元の人間が多いのだが、。
ここで、自分の話になってしまうのだが自分は人の名前はすぐ忘れるが。
人の顔は非常に良く覚えている。
だから、相手は覚えていなくともこっちはそいつがどういうやつだったかをほとんど覚えている。
故に、大抵の奴は今風の格好にして、しかも全く似合ってないという奴らばっかだった。
そこで絶望。
その次は、小さい子供を持っている親。ガキが騒いで他人に迷惑かけているのに何もいわない。
そこで、そういうガキを祭り中三回ほどそういうガキを叱った。
そこで絶望。
なぜか知らないけど、年々お祭りというのが面白くなくなっていく。
俺が年をとったからかなあ?もう駄目だ、、、、。
>>135 君にとってお祭りのどんなとこが楽しかった?
雰囲気とか?
せめて、楽しもうと思うと思いっきり考えさせてくれる連中ばかり。
もうアルコール摂取して、ハイテンションになってやろうかと考えてしまった。
そのようなバカバカしい格好して、自分という存在を自負したいのかね?
それって、自分はそのような下らないよくいるような存在ですといっているようなものではないのか。
自分も下らない存在だし、それ故自分は考えるという下らないことをしている。
だが、自分は他人にはそのようなことを宣言するようなことはしない!
むしろしたくない、自己というのは最大に空虚であるが。
自分はそのような存在であることを認識することを放棄したくない。
だから、自分は苦しみ続ける。運命として、、、、。
駄目だ、、。
そう、精神的に酔わしてくれるあの雰囲気
とりあえず、俺はもう寝る疲れた
∧ ∧
<*`∀´> )y─┛~~ 世の中に本当に駄目な人間なんていないニダ
ニダにだ〜☆
今日は昼から、バイトだったよ疲れたよ
∧ ∧
<*`∀´ > )y─┛~~ お疲れ様ニダニダ〜
そういえば、阪神優勝したみたいだね。
でも、まったく個々の日常には何も関係ないがね、。
影響するというバカなことをいわないでくれよ。
それは、阪神優勝することでおきる副産物に過ぎないのだから。
だから、阪神優勝自体には人の心理状況に何も及ぼさない。
普通はね。
ああゆう、寅吉という気違いでその存在自体で自己満足している奴らは放っといて。
それより、自分はバント職人川相がいなくなったことの方が悲しい。
これは、巨人ファンという下等な問題ではなく、。
個人として、名人芸というのがなくなったこと自体が悲しいのだろう。
例え、阪神という集団は後優勝しても、川相という個人が持っていた名人芸がなくなること自体
結局自分がいいたいのは、集団というのは半永久的であっても、
川相という人はいずれ死んで、同時にその芸というのも消えてしまう、、、。
そっちの方が、悲しくはないのかなと思ってしまうのだが、。
駄目だな、、、。
145 :
夢見る名無しさん:03/09/15 22:09
駄目人間さん、お祭りは一人で行ったの?
それと「頭良いんだね☆」って言われたら、素直に
褒め言葉と受け取ったらいいのに。
まぁ「おだてないでくださいよ〜」とか返事したりして。
自分は人という生き物は考えられるから故に哀しいのだと思う。
でも、人は死ぬことができる、それに悩むことを放棄するかの如く。
人というのは自分を狂わせる存在を好む。
しかし、それは自己という絶望を直視させないためでもある。
だから、人というのは繁華街とか騒がしい場所を好む。
自分は孤独を好む人間ではない、でもなぜか何時も孤独になってしまう。
小さいときからそうだ、人と遊んでいると思ったらふと気付いて見ると何時も孤独だ。
自分も繁華街とかいろんな用事でよく行く、。
でも、繁華街に行くと自分という存在が痛烈なほど孤独であると気付く。
この、人が作り上げてきた文明は孤独化でもある。故に人はわざわざ自分を狂わすのだろう。
恋とか、自己存在とか、宗教とか、学問とか、でも結局は孤独から逃げているだけ、、。
他人が多くいるところにいると自分という存在が空虚であることを認識し過ぎる。
彼等は、此処に来ればと思っているのかもしれないけど。孤独という認識を捨てているゴキブリ、、。
自分も、一匹のゴキブリに過ぎない、、、。でも、ゴキブリが群れてしまったら汚いだろ。
ただ一匹いるだけで、存在を全否定されるというのに、、、。
もう確実に駄目だ、、、、、、。
147 :
夢見る名無しさん:03/09/15 22:26
本当はものすごい寂しがりや人間だったりして。
>>145 当然ながら一人ですよ、友達とかとはあいたくないし、。
一人でああゆうところに行った方が何かと面白いのですが、、、。
全く予想に反した結果になってしまいましたが、、、、、。
頭がまともに良かったら2ちゃんなんか来ていませんから、、。
そのような存在だったら、自己という絶望を直視しないですんだのですが、、、。
駄目だ、、、、、。
>>147 自分は寂しがり屋ですね、だから、他人とは無難な線で行きたい。
だから、いつも他人に対しては自分を作っている。
でも此所では違う、ペルソナを剥がして話している。
それにしても不思議だ、現実より仮想の方が楽なんて、、。
駄目だな、。
∧ ∧
<*`∀´ > )y─┛~~
>>149 夢板はそれが許されている板だから思いっきりぶちまけるといいニダ
そういえば、最近本当に怒ったことがない。
大抵、馬鹿な他人を卑下して見ているか、軽蔑しているか、無視している。
うざいガキは多少怒鳴ればどうにかなるし。
下等な大人は無視するか殺してしまうかすればどうにかなる。
最近躁鬱病の気が最近するから人を殺すことに罪悪感を感じないような気がする。
そうただ、人がゴキブリを潰したようにね、、。
もしマシンガンなんか持たせたら嬉々として人を虐殺しかねない。
むしろ、そのときの脳内では虐殺ではなく、屠殺かもしれないがね。
人の一番恐いところは本当はこの部分にある。
心理学的なことではなく、その口に表せないこの曲がりくねった狂気、、。
それは、さいきんあるような心理小説では絶対に表すことができないもの。
そこにこそ、最大の恐怖と狂気が眠っているのだと思うが、、、。
152 :
夢見る名無しさん:03/09/15 22:46
>>148 2チャンやるのに頭の良し悪しは関係ないしょ。
私は暇つぶしにやるけど。まぁ、人それぞれ。
駄目人間さんのレスは、見ていて面白いよ。
内省型の人は、いろいろ考えちゃうもんだよ。
でも、本心からは自分はゴキブリ、なんて思ってなさそう。
頭がいいと、精神年齢と実年齢が釣り合わなくて、
自分で持て余しちゃってるんじゃないのかなぁ。
だけど、彼女が出来れば、彼女のことばかり考えたりして。
153 :
夢見る名無しさん:03/09/15 22:52
>>149ペルソナって、一人って意味でしょ。
ペルソナを剥がすって、どういう意味かおせーてください。
私も駄目だな、、、
人間という存在は至上に馬鹿な存在であるくせに、。
なんでもかんでも、表せるという下等な妄想に付きまとわれている。
言葉というのはあくまでも、他の動物と同じように鳴き声である。
人は、生物的な進化から、内面の進化そして、表面の進化を遂げた。
確かに、ひょっと見てみればここまで進化を遂げた生命体はそうないだろう。
しかし、その進化という謙遜が無駄な傲慢と尊大に変わってしまった。
そこで人は、ダーウィンの進化論とうで自分達という存在を動物という基本から逃げようとした。
そこでひとはしてはならない錯覚を起こしてしまった、、。
宗教的な錯覚である、キリスト教などの一神教を悪用し全ては人のためにあるとしてしまった。
だから、自分は諸悪は一神教的な概念にあると思っている、、。
人権や市民主義、偽善という善、精神マスターベーション、自己欺瞞等。
これらは、全てが人間的で悪とされていたものである。
しかし、これらは人が気付かない間に言葉というきれいごとに騙されて。
善とされてしまった、言葉を利用するのが利用されてしまったのである。
自分は断言する、人間には未来がない、自分達が作ったものにいつの間にか飲み込まれてしまったから、。
駄目だ、、、、、、、、、、。
>>151 >下等な大人は無視するか殺してしまうかすればどうにかなる
殺すっていうのは良くない。無視しておきましょう!
>>152むしろ、ゴキブリと否定しとかないと自分もどのような形で、
自己欺瞞に飲み込まれてしまうかわかりませんから。
一つの処方箋だと思います。
>>153確か、ペルソナって仮面という意味だったと思うのですが、、、。
確かに、大辞林では自己同一性と一人と人体像それに仮面という意味と明記されています。
157 :
夢見る名無しさん:03/09/15 23:05
>>156 ペルソナはイタリア語だと思うよ。
仮面はマスケラ。
>>155まあ、殺してしまうのは良くないのは分かっていますが、。
ふとした時に、プツッと云ってしまったら、、、、。
まぎれもなく、殺してしまうと思います、。
だから、ここで自分の中に溜まっている毒をはいているのです。
ただでさえ、無駄に感受性と考える力があるから。
いろんなことを考えてしまう、じぶんで毒を作ってしまうのです。
だから、吐かなければならない。溜まってそのままにしてしまうと、、、。
最終的な自分の結末が分かるからです。
駄目だな、、、。
>>157 心理学書でペルソナについてというのがをおおひいているからだと思います。
もう駄目だな、、、、、。
160 :
夢見る名無しさん:03/09/15 23:17
こういう頭の良い人とお友達になりたいです。
いろいろ教えてもらいたい。
はぁ・・・。
たいへんだ。
>>160無理ですよ、他人といるときは自分を飾っていますから。
本性は見せていません。
とりあえず、明日は学校だから寝よう。
それではまた明日。おやすみなさい
ペルソナはラテン語だよ。
英語で言うpersonの意味でそれが転じて仮面ってなったんでしょ。
164 :
夢見る名無しさん:03/09/16 00:06
ダメな時はダメさ
165 :
夢見る馬鹿:03/09/16 01:05
俺は幼女さえ居れば幸せさ!
残念ながらぼくには駄目人間のレスを検証できるだけの知識がない。
体系的に学んだものはないし、系統的な知識もない。おそらく駄目人間にもさほどないだろう。
ときおり、垣間見えるおどろおどろしいような過激で内向的なレスは若さゆえだと思う。
2chでも時おりお目にかかるが「現代思想」オタクみたいな人がいる。ラカンを読み、デリダを読み
ドゥールズを読み・・・それがオタク化してしまっている人。そういう参照先にコミットしすぎの人。
だれでも陥りがちな陥穽。駄目人間にはそれがない、その点は評価したい。
だからといってそれで何かを生み出しているかどうか、ぼくには分からないが。
ぼくは真実という神経症的な病、あるいはことばの病。それこそ一神教的な概念に基づく・・・
それに罹っていた
ただ、それは、西洋中心主義の近代は西洋の内部から批判された。
―日本のポストモダンブームという戯れの中でぼくはその病とその差異性それ自身に苦しんだ
だから、勉強はやめた。わからなくなったから。
駄目人間はどう思う?真実のありか、それを求める人間の現代的な意味を
ところで、はなしは変わるけど、永井均の「これがニーチェだ」は読んだらしいけど
(ぼくは、これ途中でよむのやめた)。同じ講談社現代新書で西尾幹二の「ニーチェとの対話」
ってよんだことある?
167 :
青い海 ◆tFnc9LJloc :03/09/16 21:24
駄目人間がんばれ
今年の夏休みも、無駄にすぎていったヨ…
東狗大のおっしゃる通りだと思います。
自分は体系的なものや系統的に師事等はまったくしたことがありません。
ただ、本とか読んでその人の概念を自己解釈してしまうというところです。
自分は真実は存在しないと思います、むしろこの現代空間が真実を拒否しているのだと思います。
根本回帰すると哲学というのは知恵への愛です。
だが、人は近代、現代といくにつれ哲学を〜学と細分化し始めた。
それによって、知恵への愛が知恵の利用となり堕落し始めた。
その象徴がポストモダンだと思います、結局は自己欺瞞と無駄な程の自己尊大。
そのポストモダンの病理が今もなお続いている。
自分は高沢秀次氏の本を読んだ事があるのですが、全くと言っていいほど、
何が言いたいのか分からなかった。それは自分の言葉の欠如が出ていると思います。
このような知識人が知と識の人をやっているわけですから、もう終わりですね。
そのような空間が本当の知識を愛せる訳がない!
だから、言葉という詐術で自分達をごまかしている。
故にもう自分達は外れてはいけない道に外れてしまった、、、。
もう帰れないのです、知恵を愛するという純粋的な行動に、、、。
駄目だな、、、、。
西尾幹司氏は国民の道徳でしたっけ、あれを読んで感激しましたが、。
ニーチェとの対話は読んだ事ありません。
古本屋で明日探してきます。
自分は無知な徒です。
故に自分を言葉で守るという事を知らない。
言葉で攻撃することしかできない、だから強いのかもしれませんが、。
駄目だな、、、、。
漢字間違えているもう駄目だ、、、。
自分にも真実や意味なんぞ完全には理解できない、
ただ言えるのは自分が此所にいてベッドに寝そべって2ちゃんやっているのは真実だと思う。
全ては意味を持たないし、又持てないでも自分は此所に存在している。
それだけで十分じゃないかな?ある種、開き直った方が幸せと言う面少なからずもある。
でもそれって、自分を踏み違えない人間ではないとできないがね、、、。
ただ言える事は、現代的な視点から真実を見よう何ぞ全くの無意味。
現代こそ人間至上主義に置き換えて、これが真実だ自分は特別だと自負している大馬鹿者ばかり。
その現代という進歩によって人はバラバラに孤独化されそのつけが今来ている。
ただそれだけ、真実なんぞ人それぞれだし、誤認や誤解等がつく。
でも、それが真実だろ。真実なんぞ結構探そうとすればほれどこにでもある。
自分を無理矢理高尚な立場に置こうとしていること自体が最大の詐欺だと思うよ自分はね。
まあ、どうあれこうあれ駄目だな、、、、、。
自分でも、いろんな言葉を持っているどれが真実かはわからない。
それでも、人は生き続けるんだよ、、、。
さてもう寝さしてもらうよ、、。
ほんじゃあ
175 :
夢見る名無しさん:03/09/17 00:10
嗚呼ダメ人間として生きる愚かさを
遍く全ての人に伝えたい。
そしてダメ人間の王国を作ろう
王様は僕だ 家来は君だ
>> 169・173
すばらしい意見だと思うよ。
アリストテレスは殺されて当然だと思った。
無知の知と言う言葉があるがそれは知という前提が存在するからだ。
それ故、アリストテレスは無知ではない、且つ言葉遊びの達者なゴキブリである。
他人が言っている1をわざわざ皮肉って、まったく空味な議論にしてしまう。
それによって自分がその人間より上であるという自己愛に発達する。
それによって、他人をいちいち皮肉ることによって自分の概念を喪失してしまう。
そこで、なぜという疑問しかできなくて。自分から概念を生もうとすることを放棄する。
まったくといって、他人依存であり非常にこういう人間は気持ち悪く、嫌悪する。
それが、うちの母親が持っている基礎概念だから全くと言って議論が進まない。
しかも、親だからこのような率直な答えは出せない糞っ腹立つ。
ああああああっっっっっっっっっっあああああああああああ
歴史の時間は、物語の時間。
誰かが考えたつまらない話。
実際に見たわけでもないものをどうやって信じろというのか。
少なくとも、自分のこれから先にはまったく関係の無い事。
無意味なことが多すぎる、、、と思った2時間目
179 :
ジョヴァンニ・ジョースター ◆dZRCft90gY :03/09/17 23:30
俺の人生ってなんだ
認識知を放棄するとアリストテレス的な詭弁の世界に簡単に飲み込まれてしまう。
まったくといって哲学というのは知恵を愛することである。
アリストテレスは確かに生半可な知識をヒッペガエスには非常にいい論法である。
もし知を愛する基本的な者にこの論法を用いたらどうなるか?
それは、完全な詐術となる。このような詐術を使う人間があがめたてられているわけだから。
なんという空虚ではあるまいか。
まず前提として、人は知を求めるさいに認識知の前提というのが存在になければならない。
彼の認識知は無知の知、そこの時点で矛盾する。
知は建前として完全性を求める、それはしかたがないそうでなければ認識知はたてられないからである。
その前提に批准していない知は全くの詭弁に過ぎない。
故に、自分はアリストテレスを信じることはできない、それも宗教的な物になってしまったからである。
それにしても、まだ腹が立つ。あああっ糞っっっっ
>>178 歴史は大切だと言うあからさまなことはあまり言いたくはないが、、。
確かに、自分達は過去にあった歴史は知らない。
あくまでも、自分達が生きている間が今であり現在である。
自己を見るためには歴史知識(過去)と現実の経験が必要不可欠である。
人の人生は自己との格闘である、と仮定するならば。
その過去の人間が為した、自己との格闘を自分の知識とするならば。
それは非常に有意味な存在になる、特に古い物は古いほどいいとは言わないが。
下手に自己の知識で着色をあまり為していないから非常に面白く興味深い物が多い。
過去と現在と未来というのはなぜかしらないが関係性を持っている。
その関係性は一概に無意味と括れる物ではないと思う、、。
無意味から、有意味を見つけだすのも一つの有意義だとは自分は思うのだが、、、。
全く無駄なことだな、駄目だな、、、、、。
とりあえず寝る
184 :
夢見る名無しさん:03/09/18 01:05
ああもうみんな市ね
>177・181
凡ミス・・・
186 :
夢見る名無しさん:03/09/18 01:24
187 :
夢見る名無しさん:03/09/18 03:56
いつでも戻れると思っていたけれど
あれから6年が経ちどうにもならないことに気付いた。
本当はもっと前から気ずいていた。
なのに放っておいた自分。いよいよ酬いがくるらしい。
もうだめ。
188 :
夢見る名無しさん:03/09/18 04:25
こんな時間にこんな板にこんなことを書き込んでいる自分がバカ。かなりバカ。
ていうか夏休みで脳味噌とけそう。バカ完成。
そういえば、地震が来るという話があるけど。
結局はどうなのかねとあるスレでは明日の午前中に来るといわれているようだが。
人というのは科学という物でそこまで予想できるのかね、、。
はて、科学という仮定によってどれだけの人が狂ったか。
さて難しいねえ、人という生き物はどれだけ信じることができるやら。
190 :
夢見る名無しさん:03/09/18 22:22
駄目人間さんって、どんなバイトしてるの?
自分はお馬鹿さんだから。
可能な領域と不可能な領域との差があり過ぎる。
さて真理という物はいかなることか、、。
まったくわからないねえ。
駄目だな、、、、。
>>190 ああ、ローソンで働いている。
自給八百五十円高校生にしてはいいほうかな。
どれほどの夢を僕らは捨ててきたんだろう
自分はお酒も飲むし、タバコも吸ったりする。
そうやって自分を違う領域に置いて。
又、飛ばすことによって安定しているかな。
一番飛んでいるときはカキコしているときだけどね。
駄目だな、、、。
195 :
夢見る名無しさん:03/09/18 22:28
コンビニの店員さんですか。
学業とバイトと2チャン、大変ですね。頑張ってね。
196 :
ジョヴァンニ・ジョースター ◆dZRCft90gY :03/09/18 22:28
sageてゴメンよ
197 :
ジョヴァンニ・ジョースター ◆dZRCft90gY :03/09/18 22:33
世間知らずだった少年時代から
自分だけを信じてきたけど
心ある人の支えの中で
何とか生きてる現在の僕で
弱音さらしたり グチをこぼしたり
他人の痛みを 見て見ないふりをして
幸せすぎて大切な事が
解りづらくなった 今だから
歌う言葉さえも見つからぬまま
時間に追われ途方に暮れる
愛すべき人よ 君も同じように
苦しみに似た 想いを抱いてるの
>>193 ううん、人は夢を捨てながら又一つの夢と現実を知っていくんだよ。
だから、いつの間にか補完関係になっているんだよ。
夢なんか一つの妄想なんだから、その夢をいかに現実の中に持っていくか。
それが、夢と現実の差ではないのかなあ。
よく、夢がない人間といるのがいるけど。
それは、その人の夢がより普通の人より現実的であるからなんです。
ただそれだけなんです。
だから、夢を求めるのではなく夢を創るしかないのです。
より現実的な夢をね、、。
駄目だな、、、。
まあ、現実的というのも難しいけど、、。
でもいえることは、自分の可能範囲を知っている人間だと思う。
それはやっぱり、経験則によって求められる物だから仕方がないのですが。
駄目だな、、、、。
なんとなく
200
おめ〜
202 :
ジョヴァンニ・ジョースター ◆dZRCft90gY :03/09/18 22:45
窓に映る憐れな男がいとおしくもあるこのごろでは
朝っぱらから、いろんなことを考えてしまったから。
頭が空白、もう駄目だ、、、、、、。
駄目板いた?
205 :
ジョヴァンニ・ジョースター ◆dZRCft90gY :03/09/18 22:48
駄目人間がどのFFが好きかによって駄目人間度がわかる
>>201ありがとう、でもう駄目だということで
>>202 それはただの自分の姿でしょう。
今は頭がすっかり空白状態だから勘弁してくれ。
はははぁー俺の方が間違いなく駄目人間だなw
>>204いないよ行ったことがない。
おれは妄想家だから、単純にいうとパラノイアだから。
その存在だけでもう駄目ではないのかなと思う今日この頃。
でも気持ちは解るけど、駄目駄目と自分に
いいきかせない方いいよ!といらないアドバイスw
元名無しですがなにか?(*´Д`)
これからもよろしくねp*゚ー゚)
はらいてぇ・・・
吉田さん悪いけど、自分を駄目だと言い聞かしているのは自分の奥底にいる。
リビドーを否定して、自己反省をするためなんだ。
だから、自分を駄目人間と否定しないともろく肥大した自尊心が暴走しかねない。
前も書いた気がするな、、、。
駄目だな、、、、。
>>210 よろしくおねげえします。
人は夢を持ちながらその夢に狂いたいという願望さえも持っている。
さて、夢の拡大は幸せなのだろうか、不幸せなのだろうか。
その夢に狂っているならば夢の拡大は幸せだろう。
しかし、自分を意図しないで夢が膨張してしまったら、、、、。
それは、その人がいつの間にかおこった膨張がその人に恐怖を与えたなら。
それは幸せではないだろう。
人はいつの間にか自分がこれに狂えるもの(自分の場合、電車)
という保険をかけて生きているそれが趣味等の非合理的な行為だろう。
しかし、その非合理性が人を支えているのもまあ一つの答えでもある。
たくさんの答えがある、自分にはわからないことが多すぎる駄目だな、、、。
うちに帰ってきました。
これから塾です、かなり憂鬱です。
214 :
fushianasan:03/09/19 16:41
実験
siでしょ?
>>212 (*^ー゚)ノ ぃょぅろしくねw
むずかしいことはよく分からないけど・・・
おまいはいい香具師だ・・・・゚・(⊃д⊂)・゚・。
217 :
h219-110-044-001.catv01.itscom.jp:03/09/19 23:02
実験
218 :
駄目人間 h219-110-044-001.catv01.itscom.jp:03/09/19 23:04
>>216 俺は全然いい人じゃないですよ。
電波ですから
悪かったよ協調性無くて。うざいんだもんよ。女同士でいちいちつるむの。
その場にいる奴同士褒めあっていない奴のことにしゃにしゃ笑ってけなしあって
そのうちの誰かが中座すりゃあそいつの悪口大会。わけわかんね。めんどくさいんだよ。
陰口きかれても痛くも痒くもないけど、そうしてるあんたがたの顔の醜さには我慢できない。
親父が買ってきた、週刊現代をなんとなく読んだら、。
宅間守容疑者の書いた文章がテイサイされていて。
何となく意味深に読んでみたら、、。
確かに共感できる部分はあった、でも同情はできない。
共感できる部分は小学生という精神養成が一番大切な時に、
エリート教育という、大人の自己欺瞞を表した形を子供の時に強要すればどのようなことになるか。
自分は電車に乗るといつもいつも絶望する、、、。
まず、マナーモードにした携帯でも堂々と使っていいという理由ではないし。
それに、恥も外聞もなく化粧する女性、殺したくなる。
いきなし乗ってきては席を独占する餓鬼共(老人には絶対、席を譲らない)
人に思いっきりぶつかっても謝らない非常識ども(下上関係なく)
これらを思いっきり見せつけられて絶望しないのは感性が鈍いとしかいえない。
まずこれを教えなくて何がエリート教育か!
それはただ人を蹴っ飛ばして快感を得るような低俗なゴキブリ共を作る機関にしか思えない。
あくまでも、日本の強さというのは集合体としての強さである。
だから、日本は中級階級意識(又は自分を下と見るか)の強さはそこが一番重要なのである。
故にエリート教育なんぞ行ったら、そこの基礎概念が崩れたら日本は絶対に崩れる。
しかも、子供のときの教育だこれがいろんな拘束具となりどのような形として出るか。
自分はそこが恐い。駄目だな、、、。
>>219 そりゃあ、女性というのは嫉妬深くてめんどくさい生き物です。
又、非常に外っ面がいい生き物です、逆に非常に合理主義といえますが、。
さて、しゃべり場では何がはなされるかな?
下手なことをしゃべったら思いっきり否定してやる。
はははっ。だめだな、、、。
子供部屋というのは。
子供の成長をまじまじと見れる一つの軌跡じゃないのかなあ。
むしろこんな議論水掛け論のような気がする、、、。
224 :
夢見る名無しさん:03/09/20 00:11
シゴトシヨ・・・
なんでだろうね、生きるということがこんな億劫な事なのだろう。
又、死ぬという事も馬鹿らしい。
はて、何を求めているんだろうか?わからん
刺激?はて、刺激というのは慣れてしまえば刺激にならんしな。
逆に、刺激されない事が刺激になるかもしれない。
わからん。
オレも部下が30人近くいるんだけど、わがまま・中傷・売上があがんなくて・・怒鳴りたいんだけど、イマイチ踏ん切りつかない。32才になるけどオレ駄目だなあ。女同士の陰湿ないじめ?そんなかわいい悩みじゃないよ!
渋谷の町って不思議だね。
匂いが染み付いているところと染み付かないところがある。
都会は人がコロコロ変わり、人というのが全く住み着かない、。
だが、人は多くいる。
しかし、全て彼等はただ求めているだけでそこに内在する空虚さは誰も知ろうとしていない。
人が多くはいるが、そこでは何もかもが虚無になる。
確かに都会というのは何でもある、だがそれはただあるだけでそれ以上もそれ以下もない。
外面的な物欲が満たされるだけで、内面は何も満たされない。
都会では、人が人としてではなく。ただの座標系の点になってしまう。
それを知らない人間が集まり、希望や期待等を織りまぜて来るも。
その都会の無味差を知ってしまうと絶望と幻滅が襲う。
だが、その無味乾燥が一つの麻薬となり依存症となる。
都会というのは快楽には満ちていれども、幸せは存在しない。
むしろ、幸せを求めていないでただ一時の快楽を求める人間が多いから都会は人が多いのだろう。
幸せというのは、快楽からは存在しない。快楽の後にある物は絶望だ。
絶望を直視したくはないが故に快楽を求めに都会にいる。
幸せはどこにあるかって?
そんな物はないよ、だって幸せと快楽を一緒にしているからそのような疑問しか出ないんだよ。
疑問するより、自分で解け。
だってそれだけが答えではないのかな、、、。
駄目だな、、、、、、、、。
231 :
夢見る名無しさん:03/09/20 22:11
もう駄目です。漏れは。氏にまつ
>>231 そんな事、言わないでね。
元気だそうよ、少しでいいからさー。
(^○^)
漫画喫茶に、毎日¥壱万ツギ込んでいます。。。駄目だな
>>321 そうだっ!生きろ !!
宮崎駿が言うからじゃないぞ !!
マジだよっ★
悩むって、、。
悩む事を悩むのではなく、答えが欲しいから悩むのでしょう。
では答えを求めない人間はいるか。
確実にいない、これという仮定としてでも人は答えを求め出したがる。
一+一が2になるようでならないといっしょ。
どこかの数学者がこの答えが2とするために何百ページという論文を書いたそうな。
馬鹿というか天才というかまあ難しいところだけど、、、。
でも、その答えがそのような答えになるのは一つの限定された特別状態上でしょう。
自分もいろんな自分がいる、この心境ならこれはこういう答え方をするだろう。
またはあのような心境なら自分はああいう答え方をするように。
自分でさえ全く違う物を出す。
これは矛盾といって切り捨てられる物なのだろうか?
もし盾と矛を知らない人にそのような事を説明しても、、、。
全く意味の通らない話になる、矛盾でさえ矛盾する、、、。
これは一つの自然原理のような気がする。
ああ、わからない、、。駄目だ、、、、、、。
>>231 死にたかったら御死になさい、、。
絶対に死ねないから、、、。
それで自分がどれだけ苦しんだが死んでも地獄しかないのだよ。
楽にはなれないんだ!
死んだら楽も苦しいも何もないから、、、、、、。
もう駄目だ、、、、。
>>234 漫画喫茶って、そんなに高くないでしょう?
>>229遅くなったけど、、、。
その状況を開き直ってしまったら?
どうせ、今の若い奴らは自分も含めてゴキブリ共に過ぎない。
諦めるしかないんだよ。
いやかもしれないけどね、、、、。
同時にインターネットもやっているから高くなるのではないかなあ。
>>236 元気だしてね、駄目人間さんも心配だよ!!
(^○^)
ちなみに数字での難解なのは、自分は0だと思います。
0は数字のようで数字でなく。負でも正でもない。
正にいれる事も多いけど。0とは凄い発見だよね。
(ーー;)
よく、芸術とか美しいとかいわれるけど、、、。
美しいというのはそのようなものではないような気がする、、。
よく印象派といわれる、人たちの絵って実際の風景でしょ。
又はよくグロい絵とかもあるけど、自分の心の中を絵として具現しただけでしょう。
それは結局は美しさなのだろうか?
絵というのはその人の心のフィルターで通されてそれを自己主張の一つの形。
その形を具現させたのが絵というだけではないのかなあ。
結局絵とか小説とかを見たり読んだりしたりする人って。
自分で具現能力がないのをただ開き直っているだけのような気がする。
その小説等だって、ただの自己主張に過ぎない。
そう自分がここにレスをうっているのも全く同じだ。
結局は空虚な話だ、、。
駄目だな、、、、。
>>239 確かにすごい発見だけど。
根本的にそれがないというのはすごい事だと思う。
しかし、それがないというのはただの仮定に過ぎない。
それという言葉自体が1であって0ではない、。
0は0という存在自体が否定されてしまうから。
すごいのである。
恐ろしい話だね。駄目だな、、、、、。
244 :
夢見る名無しさん:03/09/20 22:41
∩ Don't Mind!
( ⌒) ∩_ _
/,. ノ i .,,E) /(∞))∧
/ @@@ / /" (´<_` ∬
_n ./ /#_、_ @/ ノ' ∬ヽ__ノ∬). n
( l 彡⌒ミ / (. ノ` )/ /´⌒`ヽ /(::::†:::::::/ ヽ( E)
\ \ ( ´_ゝ`)( ^ /i i〈((リノ)))〉. )n:::::::(. \_ノ
ヽ___ ̄ ̄ ノ ヽ |人从 ・∀・ノ!リ ( E) ::⌒ヽ
/ / \ ヽ ((⊂)丕(⊃=━┛ :::⌒ヽ
絵もすごいものや、心を具現化したものもあれば、
象徴的描いたものもある。美しいものもあるし、醜いものもある。
小説も同じだと思う。受け止め方だと思うよ。
僕は人間の創造性の凄さを感じます。
(*^_^*)
>>245 そりゃあ、創造性はすごいけどそれを野放しにしたらどうなるのだろう。
クルッちまうだろうね
>>246 感受性が高い人なんですね。
素晴らしいですね。そこまで考えるとは流石です。
(^○^)
自分はそんなに感受性が高くはありません。
ただ、その場その場考えた事を書き込んでいるだけですよ。
さてもう寝ようかなあ。
寝なかったら次ぎ書き込んだレスが最終レスになるだろうな、、。
お休みなさい♪
その場、その場で瞬時に言えるのは感受性が高いよ。
だから、駄目って言うんだね。
いい夢みようね、今日はありがとう♪
(^O^)/
全く無意味なんて言える事自体が幸せだね、、、。
ただそう言って、全てをきってしまって何もかも捨てられる事は幸せだと思う。
そういえば、人って自滅とか躍進するとかそういう極端な事を好むね。
そりゃあ、生きるという事自体緩やかな進歩だ、、。
しかし、その緩やかな生き方が許されない人もいる。それが、一握りの特別な人なんだよ。
それは、世間は天才という事もあるし、気違いという事もある。
まあ、それは人一人その特別な人間の評価なんてまったく異なるがな、、。
そういえば、人は極端な事を空想して自己満足するけど、、。
それが、実際おこった場合みんな狂ってしまうよね、、、。
その、極端な自体が起きても冷静でいられる人なんてほんの少ししかいないけどね、、。
ただいえる事はいずれ人は死ぬ、それが今か明日かの違いに過ぎない、、、。
だから人はより長生きしたいと思うのだよ、、、。
自分がこの時この場所で〜している時に心臓がおかしくなったら死ぬだろう。
それはいつでもある脅迫概念だ、それを一々無視して生きていくのが人だ。
そう生きるという前提がいつの間にか自分を飲み込んでいるのも気付かないでね。
もう駄目だな、、、。
252 :
夢見る名無しさん:03/09/21 03:04
だめだめ
253 :
LOVERS:03/09/21 05:16
また今日も眠れない。。。
目を閉じると空は曇っててでもきっとその上は晴天で、一気に上昇して奈落の底
目をあけて四角い天井にはもう飽きた
>>251 それはよく考える。もしかしたら、明日死ぬのかもなーとか。
でも別に死んでも構わないと思う。
私にとって人生の最後の楽しみが「死」。
こう言ったら悲しいとかおかしい思われるかも知れないけど、そうじゃない。
だって死ぬ時っってどんな感じか気にならない?
それが唯一わかるのが自分が実際に死ぬ時。
まぁ、「楽しみ」っていう表現は適切ではないけど、
「死」がそんなに怖いと感じられない。
今は、だけど。
訂正
>だって「死ぬ時っって」どんな感じか気にならない?
死ぬ時って
駄目だ。
>>254 でも、死んだら楽しいとか苦しいとか全ての感情がなくなって、、、。
自分にとって自分という存在が消えてしまう、、、。
それはやっぱり哀しい事ではないのかなあ、、、。
駄目だな、、、。
何もかも存在しない空間は人にとって恐怖の賜物以外にほかない。
むしろ、自分という存在自体自分は忘れてしまって、、。
何もかもなくなってしまうのではないのかなあ。
大切も、無駄も、無意味も有意味も何もかもなくなる、、、。
死とか、生の理由は人では絶対に求められない。
むしろ、人以上の知能生命体でも見つからないだろう、、。
いや、見つけるとか見つけられないという事自体、、、。
科学という、あまりのも人間的で肯定的で無理矢理な求め方はないだろうね。
見つからないからないのではなく、求められない事はわからないという。
答えを放棄してしまった、科学というのは全てにおいて毒ではないのかなあ。
駄目だな、、、。
死者の言葉は永続に残り続ける、、、。
そういえば、デカルトは死者の言葉は無意味だと言い放ったが。
その彼の言葉が今も残っているというのは皮肉な話で、
人は生命体としての形として死ぬが、
彼が残した物は半永久に残り続ける。
そう考えると天才という存在は最高に不幸な人たちだろうね、。
自分はもう形としてはもう死んだのに残してしまったが故に完全に死ねない、、、。
例えば、普通の人だったらいずれ忘れてしまう、、。
しかし、天才はその存在自体が強烈で周囲の人たちが彼を神格化してしまった。
キリストもそうだし、仏陀もそうだ彼等は至上に不幸な人たちだ、。
ニーチェも彼は神という存在をニヒリズムという諸法で否定しようとした、、、。
だが、彼でさえいつの間にか周りの人が祭り上げ神格化してしまった!
何という皮肉だろうか!
神を否定した立場の者が神になってしまった、、、。
これこそ、真理なのではないであろうか、、、。
人は人という存在という元本がない限り真理は見つけられない、、。
それが真理になってしまうのだ、、。
もう駄目だ、、、、、。
人を殺す事は罪だけど、
人を虐殺する事は罪ではないんだよ、、。
大抵、歴史というのは殺人史であり虐殺史でもある。
宗教的に立ちばが違う人間同士が殺しあい、それを神の予言として肯定する。
そうやって、殺しあうことによって自分を肯定する。
砂漠の民は仕方がない、自然とかが人間にまったく身方にはなってくれないからだ。
周りが敵にしかならないから、契約思想とかができたのだと思うが、、。
それが故に白人至上主義とかがなり得たのだろうが、、。
その白人主義やカトリック至上主義が何億、何十億人と虐殺したのだろうが、、、。
しかも、彼等は栄光の歴史として開き直っている、さてそれは幸せなのだろうが、、、。
そう嬉々として神という名の者にもたれて人を殺す、、、。
そうやって、自己を肯定する物ということで神に追随して自分がない奴らだ。
哀しい存在なのだよ、キリスト教徒はそうでなければ自己が見えない存在なのだよ、、、。
もう駄目だ、、、、。
虚無だ空しいな、、、。
>>256 自分っていう存在が消えるのは寂しいかも。
でもやっぱり気になる・・・
死ぬってどんな感じなんだろなー
・・・どうせ答えは出てこないから今考えても仕方のない事だけど。
わからないね、まあ感覚がなくなってしまうからねえ、、、。
とりあえず、明日学校うだ寝よう。
台風で学校が休みになりますように、、、、。
オヤスミー
ごめん寝る前に一言。
俺の独り言ってまじめに読んでいる人がいるのだろうか?
電波な事を言っているからなどうなのだろうか。
まあ、いるわけないだろうが。駄目だな、、、、、。
いままで出て来たやつは皆まじめに読んでねえってことかw
たまに・・・。
長すぎたりカタカナがいっぱいだと・・・。
>>266 やっぱり、、、。
はあ、自分に要約能力があったらな、、、。
駄目だな、、、、。
自分はいろんな事を知りたい。
宗教から思想、科学から数学、生物から天文等色々ある。
しかし、それをやるには学生の自分では時間が足りな過ぎるし。
これという形もできていない、。
高校生って忙しいとは思われないけど結構忙しい。
部活から宿題から、受験諸々あって忙しすぎる。
どんなにがんばっても、休みの日に新書を五冊読み終えるのが限界だ。
休みの日以外は二日、三日に一冊程度どうにもならん、、。
ああああっっっ足らな過ぎる知るという行動のために時間が。
そういえば、自分には要約し過ぎてしまう事と足らな過ぎる事が多い。
普通の暮らしの中では要約し過ぎてしまうのだが、、。
いわゆる、結局〜まあこういうことなんだよ、というのを多用してしまう。
この空間内では、無理矢理結論を出してしまわないとまとまらない。
駄目だな、、、。
>>267 でも別にそれでいいと思う。
駄目ではないよ♪
自分らしさ(? が大事。
・・・意味わからんね、わたしの言ってる事。
人生って本当に悲劇だね。
まず生まれてきた事自体が悲劇だし。
それで、自分の環境、自分の親の立場、思想等を植え付けられて。
それ以上にその概念に一生捕われ呪われ取り憑かれ続けるしかないのである。
キリスト教者の悲劇というのはそういう事だ、自分は一神教の宗教圏の人達をあわれ蔑む。
確かに、砂漠の民の人間は人間を信じられないから至上な存在(神)を具現化するしかなかった。
それで、その具現化した存在で人間を統合しようとした、、、。
矢張り面白いもので悲劇は新たなる悲劇を生んだ、、、。
自分達の具現化した存在を対立しさせあって、自分達がもっている統合を絶対とおいてしまったのである。
そこで、アングロサクソンという略奪者の子孫が開発という空虚な大義名分で
異なる事を持っている者達を虐殺したのである、まあ奴らはそれを正義と思っていたようだがな。
そしてアフリカ、中東、南北アメリカ、インド、東南アジアとより違う概念を持つ者を人と思わないでね、、、。
そのような狂者の宗教を崇めるのは全くの無意味であり、自我と自己の拘束に過ぎない。
まあ、日本人は根本的に神を信じない利己主義的な民族である。
それを表しているのは捨てる神あれば拾う神ありという言葉がより表していると思う。
又、日本は人に味方をする土地でもある。
水はあり、森もあり、適度な自然と水がある。
これは一つのバランスだろう熱帯でもなく、乾燥帯でもないという非常に特殊な土地、、。
それだから、ひとを信じる事ができたのだと思うそれはほとんど敵がいないからである。
その敵となる存在、又は敵となった存在に恐れという概念ができ、
それを崇めたり、霊という存在を創ったのではないかと思う。
出雲に大国主という神がいるのだがこれは最大のタタリ神である。
それ故に、いろんな神様を出雲に集める月がある。
それが10月神無月である、出雲では神有月というそうだ。
今の現代日本人はこの神代の事を一つの概念と捉えている人たちが圧倒的だろう。
しかし、キリスト教圏イスラム教圏の人達はこのような概念が絶対になってしまう。
その束縛の差は非常に圧倒的な差になりやすい、だから日本人は道徳等で束縛を創ってきたのである。
なぜなら、こういう束縛が放たれてしまったら人は確実に無法で無道な行為をするからだ。
それ故、自分は自由何ぞ信じないしそれも一つの宗教に過ぎない。
左翼も右翼も一つの固定概念に逃げたがる宗教者に過ぎないのである。
そう大衆、大衆は庶民にならなければならない、土台を持っている強い庶民に、、、。
もう駄目だな、、、、、、、、、。
>>269 自分らしさよりも、他人と殴り合わない人の方がいいと思うけどな、、、。
わかっているのにできない。俺もう駄目だ、、、、。
さってと寝るか、さて明日どこ行こう?
アーケードのΖガンダムが出るのは26だもんなどうしようかなあ。
溝ノ口の五十円ゲーセンでも行くかなあ。
さてどうしようかなあ、、、、、。
休みだから、、、。
自分が書いた事を一通り読み直したのだが、、、。
俺こんな事思って書いたんだと自分に感心してしまうときがある。
昨日の自分と今日の自分は違うし、明日の自分はまた違うだろう。
でも、自分という存在は自分が死ぬまでかわらない、、、。
むしろ、後世に名を残してしまったら半永久的にかわらないだろう、、。
過去というのは一つの座標点みたいな物だ。
そして、線は自分が生まれて死ぬまで伸び続ける。
自分が自分という認識においてはね、、、、、。
さて、死ぬというのはどのような事だろうか?
アリストテレスは最後に死ぬという事を嬉々として知った。
しかし、自分は死ぬという事を嬉々として受け入れる事ができるのであろうか?
今の自分ではまだやる事があるし、親の先には死ねない。
まだ、嬉々として死を受け入れられる状況ではない。
逆に嬉々と受け入れられるのは一つの悟りであり、現代人は悟る事ができるのであろうか?
今自分は、パソコンという人間の利便性の固まり(欲)でインターネット(同じく)をして。
2ちゃんねるという掲示板(寂しがり屋の固まり、鬱積のはらし場)に書き込んでいる。
これは一つの私的な考えに過ぎないが、一つの面から見るといぬいている部分はあると思う。
これは一つの例に過ぎないがほかの例から見ても、、。
人間の欲望からは逃れられない、、、。
むしろ、生きている限り人は自分の欲望からは逃れられないし。
それに、束縛されてしか生きられない。
ただ、近代、現代とへて見ていると人間の最低限の欲という限度が、
どんどん膨張し拡張しているような気がする。
このような、状況で悟れる事もできないし悟りという事を求める事ができない。
元はといえば、仏陀やキリスト言った事がどんどん拡張し勝手に解釈され続けた、、。
これは、解釈というのは自分の私欲から出る物であり、
普遍的な解釈などあるわけがないし、出てくるわけがない。
そして、その解釈の違いが殺戮になり、虐殺にもなった。
過去でさえ、そうなったことが現代で修正が効くわけがない。
はて、昼から無駄な考察をしてしまった、、、。
もう駄目だ、、、、、、、。
276 :
夢見る名無しさん:03/09/23 16:58
>俺こんな事思って書いたんだと自分に感心してしまうときがある。
>昨日の自分と今日の自分は違うし、明日の自分はまた違うだろう。
ここだけ激しく同意しておくヨ
うん!! 頑張ったね。
(^○^)
ああ疲れた
今日はあまり物事を考えたくない。
こういう日である事が普通なのに、、。
自分では非日常的な事になる、、、。
さてこの格差は何なんだろうか?
はて
ちなみに、今日は五十円ゲーセンでいやになるほど連邦VSジオンやってたよ。
俺がよく使うのは連邦では陸戦GM、陸戦ガンダム、GMとガンキャノン。
ジオンではザクとドム、時々ゲルググを主に使う。
根本的にはアッガイとボールは使えない。
最近ゴッグの強さに気付いた今日このごろ。
Ζ版が非常に楽しみな今日この頃、、、。
さて今日は早めに寝るか。
正しいって何だろうね、、、。
自分が正しいから正しいのか?
相手が間違っているから正しいのか?
では、正しいと間違っているの差は隔絶した差があるのだろうか?
人の思い込みというのは小さい頃の思い込みが体に染み付いている。
例えば、自分の場合夜見た蜘蛛は潰す事にしている。いわゆる夜蜘蛛は縁起が悪いという事だ。
科学的にはなんの実証性もない事だ。それでも、自分は信じているし正しいと思っている。
人というのは非常に面倒くさい生き物だ、、、。
自分の信念がいつの間にか何かを傷付け、何かを殺している。
ほれ自分だって、たった一つのしょうもない縁起を担いだせいで蜘蛛一匹普通に殺した。
信念というのは持たなくてはならない時と切り捨てなければならない時がある。
それを見極める事ができないから、人は永久に何かを殺し続けなければならない。
いや、全ての生命体が日常茶飯事何かを殺し続けている、、、。
その生命体でさえ何も信念という概念が持っていなくとも何か持っている。
その持っている事が完全に分かりうるなら、人という事を少し解明できるような気がする。
駄目だな、、、、。
こんばんは
正しい事って、その人が正しいと思うから正しいんだと思う
正しいか間違ってるか明確なモノなんて無いかと
この国に生まれたことによって植え付けられた考えが一般的な基準になってるとは思うけど
その考えすら教える事のできない親増えてるね
めちゃくちゃな文章でスマン
いつも考えさせられる事を書いてるね
これからもイロイロ考えながら見させてもらうよ
今日は自分の精神状態がヤバいような気がした、、、。
いつもの満員電車の中、学校行くのカッタリ〜と思った瞬間。
心がまたヤバい動きをした、その瞬間周りの人間がゴキブリに見えた。
うんっ?と思った時心の中の躍動が一瞬のうちに治まり。
また、通常の満員電車の風景にかわった、、、。
はて、最近この心の衝動が自分の意識を侵し続ける、、、。
まだ、この衝動と躍動が意識的にまだ分かるからいいもの見えなくなったらどうなるのだろうか?
自分の意識が崩壊するのだろうか?
最近自分の狂気が感じる段階から、分かるという一段階進展してしまった、、、。
多分、まだ精神病の段階ではないとは思うがほんの一歩手前ぐらいになってきた。
でも、死にたいとは思わない、むしろとんでもない復讐をなしたいという気持ちに襲われる、、。
これが自分がいう狂気である、、、。
ほんとバランスの悪い俺の精神だな、、、。
ははは、もう駄目だな、、、、、、、。
>>283 やっぱりそうですよね、でも多少ながら断定しなければならん事がある。
それは、道徳とか諸正義です。犯罪者は悪とかそういう偏見断定が功する事が多い。
まあ高々人間がなす事ですから矛盾ばかりですがね、、、。
286 :
夢見る名無しさん:03/09/24 23:36
オレが学校に行きたくないのは何故?
そういえば、今日小論文のテストがあって心の美しさについて六百文字で書けというのがあったんだけど。
まあ、書いた事を書いてしまうわけだが、、、。
自分は世間一般に言われている心の美しい人こそ非常に心が醜い人間と思う。
ボランティアや無政府組織これらの人間は最大の偽善者である。
いや、無政府組織は一部はしっかりやっている所はあるからそれは省いて。
偽善者と言うのはその善行と思っている行っている事が人を傷つけている事に気付かない。
それなのに自分が善であると言う事を人にあからさまに固辞する人間である。
そして、他人を保護する事で自分がその他人より上であるという事を見えない形で固辞する汚い生き物である。
誰でも、偽善の心を持っている。自分も持っているし自分もその心が非常に良く分かる。
なぜなら、自分も恥ずかしながらボランティア活動というのをやった事がある。
それ故、自分が何となく大きくなったように感じる心も非常に良く分かるのである。
又逆に、偽善と分かってても何もらやない人間はただの悪人である。
それはニヒリズムに取り憑かれたただの徒に過ぎないのである。
人を守らなければならない時、人を無情に切り捨てなければならない時、、、。
これがどっちか一方という人間は非常に危険な存在である。
それを、肯定し続けたのが現代空間である。
この二つが理解できない人間は全て自分の空間内に言葉を持っていって自己肯定する。
例えば、市民団体等は人権とか弱者の権利とかバカな事をほざく。
では、人の権利があるならその義務は?
税金と血税でしょう、しかし市民団体等はそれをあからさまに否定する。
あまりにも自己空間内に物事を持ってきて自己勝手に解釈する奴らだ。
こういう奴らは大抵、ボランティア団体等をなしているほんと下らない話だ。
もう一つはリストラ論とかアメリカ流とかほざいている奴らだ。
こういう奴らは自分が悪人ぶっているくせに企業のせいとか国家のせいとかいって。
自分では悪という立場を背負いきれないからこのように合理化してしまおうとする。
非常に汚い奴らだ、、、。
このような奴らが普通に日本を跋扈している、、、。
それを絶望せずにいられるか!?
ははは、話がかなりづれたな戻そう、、、、。
そういうわけだから自分は心の美しさ何ぞ信頼できない。
ただ心を美しい人間がもしいるならば、、、。
それは、その悪と善を見極めて悪を背負う時と善でなければならない時を見極められる人間だろう。
まあ、確実にそんな人間いないがな、、、。
ははは、駄目だな、、、、。
さて寝るか、、。
ごめん、寝る前に
>>286 一々馬鹿な奴らを相手しなければならないから。
馬鹿な奴ほど、人にちょっかいしてくるしいっその事。
殺してしまおうかな、ゴキブリを三匹ほど殺すだけだし。
どうせ、自分の家角材に生コンクリート、ドラム缶に電気のこぎりあるからなあ。
まあ、そういう心を毎日抑制しているのですよ大変っすよ、、。
正義って、、、。
正義を自称する者は大抵、反正義的行為をなす。
反正義的行為とは、利己主義、自己尊大、などの利己的な正義(卑小の正義)を差す。
正義というのは非常に不安定な存在である、又正義というのは非常に権力者によって利用されやすい。
大抵は大衆はその正義によって酔い、庶民はその正義を無視する。
なぜなら、庶民にとって上の人間がいう正義なんぞ自分達の正義とは違うからである。
この庶民の正義こそ、一番普通の正義の意味を持つでしょう。
庶民の正義は道徳、日常、規律等の本当の元本としての正義である。
正直いうと国家体系としての正義で一番強いのは、
この庶民の正義と国家の正義が一致する事だ。
大抵としては国家政策で庶民だった者を無理矢理教化等の難癖をつけて、愚衆(大衆)化し、、。
それで、煽動するのである。
ナチスもそのような政策をとり、ほれ今もアメリカ、北朝鮮、支那、韓国もそのような政策をとっている。
なぜなら、国民が愚かであれば愚かであるほど使いやすいからね、、。
駄目だな、、、。
292 :
夢見る名無しさん:03/09/25 23:09
好きなように生きればいいんじゃないかな
みんなの言ってる事が難しくてわからん・・・・
ちなみに私見としては自分は小泉首相は独裁者になりかねないと思う。
それは、歴史的に独裁者が生まれやすい空間にあるからである、、。
まず一つ、それはマスコミが完全に小泉に味方をしているからである。
これは昔、フランスに一人の国民に非常に人気が高い将軍がいて。
まあ、単純にいうとその将軍の取り巻きがその人を独裁者にしようとしたんだけど。
そのクーデターが露見して、その将軍は追放されたという話なんだけど、、。
現代というのは情報で人を見てしまう、それ故情報が先走りして人を見る事がない、、。
それが第一の問題である、、、。
その2に、そのマスコミの作用で大衆がほとんど煽動状態にある事。
大衆というのは非常に傾きやすく、世論というのに異常に敏感である。
その3に、派閥を壊してしまった事にある。
歴史的に封建政治には独裁者が生まれた事がない。
なぜなら、右往左往に派閥がありその派閥が戦いあう事によって。
独裁という物を未然に防いであるからである、、。
逆に派閥がなくなれば、その相互監視力がなくなるから。
勝手な事を為す、しかもそれはいつの間にかにそのようなかたちになっているのである。
しかも、大衆はマスコミによってそのような事を隠されているから盲目的になる。
そして、狂信的になるのである。それが一番の恐怖なのである、、、。
俺にいわせれば、あの小泉がきてやった事は株価の低迷、長期不況の混乱化、
自殺者の増大、犯罪の増大、その他もろもろを上げればまったく何も為していない。
あのマスコミによくたたかれていた、森総理でさえ株価を多少戻していたし、、。
あのIT事業等だって最初に行ったのは森総理である、、、。
これがマスコミの実情なのだよ、結局は責任を全く持たない利己主義。
これがどれだけ危険か。これを気付かなくなれば終わりである。もう駄目だな、、、、、。
とりあえず、猫をなでて考えたら幸せになれるかもと考えてしまう。
俺はもう駄目かもしれない、、、。
幸せというのは、、、。
非常に難しいね、幸せというの自体何も形を持っていないし。
又、非常に多様な形を持っている、、、。
ただいえるけど、幸せというのはない、、、。
それは、一つの保護機能であるが故に幸せというのは一つの偶像崇拝でもある。
でも、これは非常に極論で非常に哀しい事である、、、。
それが故に幸せというのを認知し続けなければならないという業でもある。
悲しい事言ったな、、。もう駄目かもしれない、、、。
明日にいよいよΖ版がでる。
さて寝るか、、、、。
自分はまず最初に考える事にしているのが反戦平和の否定から物事を考える事にしている。
この反戦平和というのをひとつひとつ考えてゆくと矛盾にぶつかる。
反戦によって平和になるのか、平和によって反戦になるのかを考える事にしている。
反戦というのは戦わない事を唱える事であって、実際に戦わない事ではない。
あくまでも、口上の文句みたいなものでその口上の文句からでは行動的な物(平和が生み出されない)
よって矛盾する、、、。
また、逆に考えてみよう平和から反戦は成るか?
平和というのは単純にいってしまえば国内外の治安が守られている事を表す。
では、平和から反戦という唱えごとが出るのであろうか?
当然出るわけがない。あくまでも、平和という仮定でさえ軍事力等のバランスによってなっているからである。
よって矛盾する、、、。
言葉というのは一つの詐術である、言葉というのはうまく扱えばそれで半永続的に洗脳し続ける事ができる。
それ故非常に言葉というのは危険なのだが、、、。
駄目だな、、。
後、自己存在の価値とか意味とかあるけど、、、。
これも非常に面倒くさい話になるんだけど、、、。
もし仮定として神が存在するなら、神というのは非常に合理主義的な存在である。
神というのは人間の認識外の存在である、それ故高々人間がその存在を知ろうとしても無駄な行為である。
確かに、神という存在を語る事はできるでもそれを認知できる事はまずない。
無理という事である、だから存在しないといえない事もないのだが、、。
でも結局は何も答えが出ない、、、。
そりゃあ、答えという物がまったくでないこの世の中で答えを出そうとするのは、、。
この世で最もおばかな学者という者以外出さないだろう。
逆に、答えを出そうとしなければおまんま食い上げになってしまう、、。
非常にかわいそうな者たちかもしれないけどね、、、。
その合理主義という名で拘束されてしまったかわいそうな人たちである、、。
まあ、俺みたいな庶民とは隔離しているから違う存在だけどね、、。
駄目だな、、、。
果て幸せとは何だろうか?
ふと気付いてみると、自分の足下は血で染まっている。
それは歴史によって裏付けられた血である、、。
それは、自分達が子供の頃何となく潰したトカゲの血であり。
それは、自分達が食べた動物の血でもあり。
それは、過去の戦いによって得た血でもある。
これらは、間違いとか正しいとかの領域で決着が付く領域でもなく。
常々、創っていかなければならない領域でもある、、。
人は領域が大きくなればなるほど大量の血を求める、、、。
又、自分達もいずれかの形で血を流し、
その血は後を人間にまわされて、その血が固まり礎となる。
そう考えてみるならば、
自分達の上にも大量の血があるではないか!
そして、自分の血もいずれ固まり一つの礎になるではないか。
そして、その血がどのような形で語り継がれるのだろうか?
でも、それは自分達が語れる事ではない、、。
常々、語られるという事は嘘と欺瞞と自己尊大のために悪用される、、。
そこには主観しかなく、その血は自分という考察という水で血を薄められてしまうのである。
そう、血という非常に濃い物を人は飲む事ができない、
だから、人の解釈によって薄められて飲む事によってやっと飲めるのである。
その薄めた水自体が毒水であってもね、、、。
もう駄目だな、、、。
それ故、血という物自体を飲める人間は大抵否定される、、。
それは、奇人変人狂人とな、、、。
でも、人というのは面白い物で世間的に肯定されれば。
その人間の評価は180度変わる、それが世間の強さである。
血というのを理解できない人間は全否定される対象に過ぎない。
あくまでも、自分が生まれてきた理由も血のためである、、、。
多分血が途絶える事はないだろう、又血が流れなくなる事もないだろう。
それを恐れる人間はいるかもしれない、しかしそれを恐れてはならない。
その血は自分の一つの血であり形でもある。
その形が評価の対象となろうが、否定される対象になろうがその対象化事態。
その人の血、形の最大なる肯定なのだから、、、、。
人は知る事によって、恐怖を持つこともあれば、恐怖を捨てる事もできる。
ただ、今いえる事は血を知る事によって恐怖を捨てる事ができると思う、、。
でも、その血自体を飲む事ができるのであればの話だが、、、。
駄目だな、、、。
そういえば、今しゃべり場をちっと見たんだけど、、。
もっと政治に興味を持とうよとか言っているけど、、。
むしろ、政治と庶民が隔離している事はある意味良いではないのかな?
前にも書いたと思うけど、庶民というのは日常、慣習、道徳で人を見る。
政治というのはあくまでも利権である、、、。
政治家は利権と庶民のバランスの良い幸福を与えなければならない。
単純に言ってしまうと、政治家に利権がはいってもその利権以上の庶民に利があればいいのだから。
確かに政治家が為している事は正義ではない、でもそれから悪以上の正義がなれればいいのである。
これは、官僚でも同じ事が言える。官僚でも小悪は大義によって消される。
その大義という部分をうまく見せつける事によってその人を正義付けるマスコミは非常に危険だがな。
国益というのはその大義の部分を為した一つの形である。
それを放棄してしまったのが、チャイナスクールとか親米派とかいう物ではないのかな。
全て、小悪に飲まれてそのまま考える事を放棄し、単純な利権に飲まれてしまう。
そういうものではどうにもならない、、、。
正直いって、政治家の数なんぞ半数でいいし、官僚の数も半数でいい。
どうせ、寝ている人間がいるならその人間を切ってしまわなどうにもならん。
政治というのは口喧嘩みたいな物である、その口喧嘩さえできなくなってはどうしようもない。
まあ口喧嘩には頭が必要だからな、頭が回らなければどうにもならん。
駄目だな、、、。
さて明日も学校がある。
寝るか、、、。
自分というのは見えないものなんだ。
人というのは他者の視点から見ようとすると大抵自分に対して否定的に思っているだろうと自分は思ってしまう。
逆にズケズケしい人っていうのは、他者が自分に対して肯定的に見ているのだろうと思っているのだろうと思う。
それ故、他者と付き合うという事は思考的人間には非常にストレスがかかるものだ。
だから、精神病者等が非常に増えた。考えなくてはいい事を考えるようになってしまったからね。
しかし、それは昔の人が愚かだったと言う事ではない、。
むしろ、考えていい事と考えてはならない事の差をしっかりと持っていたから、賢かったと思う。
逆に、考え過ぎであるという事も言える。
例えば、普通の社会人であるならば、、、。
会社、家庭、生活、金銭、対人関係等色々なものがある。
だが、人というのは面白いものでこれらが満たされている人はまずいないし、
どこかしら不満足な点がある、それ故自分を不幸な存在にしたがる。
そう不幸である事が幸せなのである、それは他者との間の中で自分が弱ければ、
その弱いという他者の断定により人が自分に対して同情的になるからである。
でも、その同情的というのは卑下と侮辱がおり混ざっているものなのだが、、。
それに気付かない者はそうしてくれる事によって自分が大切にされていると思い込むからである。
はて、それに気付かないというのは幸せなのだろうか不幸なのだろうか?
自分には分からないがな、、、。駄目だな、、、、、。
自分の頭というのは非常にこまったちゃんで。
まじめに授業を受けている時になんとなくふとした事を思ってしまうと、
いつのまにか頭が回転している、、、、。
これは非常に他人の意見をしっかり聞きたい時にこういう事が落ちてくると非常に邪魔なのである。
そして、言葉一つ一つに注文をする俺の脳がいる、、、。
でも、脳は一つの俺であり、全ての俺ではない、、、。
手足の感覚を持っているのも俺だし、体の動きだって俺のである。
そんな事はまあ一つの極論に過ぎないのですが、、、。
まあ、一つの概念である事は確かです。
むしろ、身体的なものと精神的なものというのは結構さがあるのではないかと思います。
例えば、まあ自分はコンビニのバイトをしているわけだけど、、、。
あれって慣れてくると体で覚えてしまう、、、。
体はしっかり仕事(レジから、品だし、掃除等)をしているんだけど。
頭は全く違う事を考えている、いやそうなってしまう。
なぜなら、考える事を人はどのような形であろうと求めているからである。
無意識的にという言葉で括ってしまうにはあまりにも単純過ぎるだろうと思う。
意識的に求めてしまう、いやそうなってしまう拡大していく他者との関係の中で生きてゆくには。
そのように、身体的なのと精神的なものが乖離しなければやっていけないのである。
そう生きていけない、そのように町を創り人を創りそうしなければ現代を生きていけないからである。
はて無情な事よ、、、。
もう駄目だな、、、、、。
このような事を書いていると自分というのが非常にあやふやになる。
そう分かんなくなってしまうのである、、、。
まあ、理解しようとする自分が馬鹿なのだがな、、、、。
駄目だな、、、、、。
さて寝るかな、、、、。
寝れねえ、、、、、。
こんばんは♪
駄目人間さん
(^O^)/
高校生の俺がこんな事を考えられる自体、恐怖を感じる。
自分の心のグレーゾーンはここまで膨張しているのか、、、。
そしたら、俺は年とったらどうなるのだろうか?
確実に精神病院行きだと思う今日この頃、、、。
もう駄目だな、、、、、。
>>310 こんばんわ、おひさしぶりでございます。
睡魔がやっときたから寝る。
はーい!! おひさぶりですね♪
(^○^)
おやすみなさい♪
駄目人間さん!!
いい夢みてね♪
(^○^)
今日は何も書き込む事はないから、
寝る、、、。
たまにはこういうのはいいものだ。
そういえば、平凡な事を嫌う人間って大抵平凡なんだよね、、、。
これという、特殊能力もなし、あれという才能もなし。
でも、それってすっごい幸せな事なんだよね。
なぜなら、自分の領域をわきまえて生きていけば確実に幸せに生きる事ができる。
だから、そのような人たちが不幸な理由は自分達が自分以上の形を求めるからなんだよね。
それ故苦悩する、でも苦悩してもそれ以上の才能がないから自分なりの形を求める事ができない。
それは非常に不幸ともいえる、自分なりの形を求める事ができないからである。
そのため、そのような人達はこれという思想に偏りたがる、依存するのである。
そこで自己同一性を求める、まあそれは良くも悪くもあるわけだが、、、。
それは置いといて、確かに平凡というのは難しい、、、。
自分を平凡を置いている人が本当は非凡だったりする事もあるし、
自分を非凡と置いている者が本当は凡人だったりする事もある。
まあその、本当というのも他者からの視点に頼ってしまうわけだが、、、。
でも、そういう才能という問題はいつも他者というのが絶対条件であるからそのような断定が必要なわけだが。
まあ、駄目だな、、。
最近、これという思想を求める事がなくなった、、、。
一番衝撃的であったニーチェもなんか哀しくなった、、、。
あの超人というのもニーチェ自身をさしているわけだし、、、。
あのルサンチマンだって、又ニーチェ自身弱者の立場の人間だったわけで。
結局はニーチェもただの狡猾な狐の一匹に過ぎない。
そう自分が作った、言葉で人を騙す狐、、、、。
でもそれは誰でもそういえるだろう、、、。
人を自分の方に向けるためには狡猾にならなければならない。
そして、常に自分が相手より上の立場に立ち続けなければならない、、、。
人って哀しいな、、、。
もう駄目だな、、、、。
さて寝るか
ツァラトストラの正午ってのはそういうもんでしょ。
太陽は真上にあって影はできず。
己の足によって立つのみ。
疲れた
修学旅行にいってきたわけだが、、、。
沖縄ではあからさまな偽善的な話を聞かされ、
そして、完全人間不信になるわでもう駄目だ、、、。
私にとって他人という存在はロボットであり、ただの自分の精神を疲労させる一つの物に過ぎない。
しかし、人は人と交わってしか生きる事ができない、、、。
自分にとってこの矛盾は非常に痛烈な矛盾。
狂気の一筋が自分を飲み込み襲い続ける、、、、。
これは力というにはあまりにも言葉が足らな過ぎる、、、。
性欲、嫉妬、怒りなどよくあるような人の感情と欲望、そして
個々に内在よくわからない力が自分を襲う。
もう駄目だ、、、。
人が善性であると思える人間、公言している人間は幸せだね。
自分はどうもトラウマがあるのか分からないが人を完全に疑い続けている、、。
自分は他人に対しては優しいといわれているが、それは自分の領域内の物事が自分にとってうまく行くようにするための
保険であり、人を信じて行っている行為ではない。
そういえば、ボランティアとか市民団体とかあるけどあれは自分が小さい存在を認めたくないからなんだよね。
逆に自分が小さい事を見える人間は確実に卑小な人間になり人に媚びたりする。
又逆に、異様な思考を為して自己肯定するもの。神の存在に寄っかかるもの。
ほんと幸せな人たちである、これらは非常に簡単にできそうで中々できない。
それは自己の尊厳等を捨て去らなければこのような醜態はできないからある。
むしろ、その存在に自己の尊厳を置いているから関係無いのかも知れないが、、、。
自分もいつの間にかこのような存在に自己の尊厳を捨てているだろう、、、。
哀しい事にね、、、、。
多分もう駄目だ、、、、。
自分が嫌いな国家の一つに韓国である、、、。
よくあの国は隣国とかいわれたりするけど。
自分としてはあの国ほど日本に近いようで遠い国、むしろ韓国人の民族的ナショナリズムが遠くしているのかもしれない。
あの国はレイシズム(人種主義)が強く、又事大主義、小中華思想等がナショナリズムをより硬化させている。
それにあの国の大統領は何か悪い事があるとその民衆の力を反日ナショナリズムに全て転化する。
そのような国がわが国と常識的な事を望む事は確実に無理だろう、、、。
根本的に日本人というのは個々の良識に頼りたがる。
でも、これはこれ自体は全くの問題では無い、逆に良い面であると思う。
だが、これが対外的に通用するかが問題なのである。
実際通用していない、その期待のせいで変な外交を為しているのだと思う。
外交とは非常に醜い事を非常に綺麗する事であると思う。
それ故、日本人は外交というのは正直あまり向かないと思う。
ちょっと外れたな戻して。
元々あの国は愛郷心はできても、その一段階上の愛国心ができにくい。
なぜなら、文化や宗教等は全てにおいて支那の国からの物であり。
支那の国が国が変わる度に反乱や独立等を為してもすぐに潰されてしまった。
そして、強者に媚びてしまう癖がついてしまっている、これが事大主義である。
日本統治時代も3・1独立運動が起きたが結局は日本を事大主義の的にして。
悪名高い創氏改名も事実は朝鮮人が日本名にかえたがって朝鮮議員に圧されてなった事である。
そんで、今は北朝鮮は支那、韓国は米国と事大主義をかえているだけではないか。
でも、それではまずいから朴正煕大統領はボラだらけでもナショナリズムを台頭させた。
むしろ、させなければならなかったそうでなければ容易に事大主義で国家の主体をすぐになくしてしまうからだ。
そしていつのまにかボロだらけのナショナリズムがいつのまにか民衆の傲慢と無知によって変革してしまったのである。
自分は、韓国には未来が無いと思っているこのような屈辱史でもそれを受け入れる力をつけない限り。
そのボロだらけの歴史を自覚し愛せるようになった時こそ韓国に栄光のときが来るだろう。
高々、高校生がこんな事を述べても全く意味ないがな、、、。
駄目だな、、、。
ぼろだらけだし。
もう駄目だ、寝よう。
高校生でこれだけのことを考えられるのはすごいと思うよ。でも、色々考えすぎて
逆に自分を追い詰めていってるな。何も考えず、脳天気な香具師ほど毎日楽しそうに
生きてるしな。
>>328 本当にそうなんですよね、、、。
何も考えたくない時に頭が勝手に回転するそれで自分の心が憂鬱になる、、、。
自分は、同年代の人達を見ていると真面目に絶望する。
それを自分の形だと思い込んでいるのだなと思うと失望してしまう。
自分の存在をいちいち限定して生きる事は非常に楽な生き方だ、、、。
うらやましいよ、、、。
俺には無理だから、、、。もう駄目だな、、、。
この世で一番大切な物はね、、、。
正直言うと自分の命と金なんですよ。
この二つさえあれば、一様生きていけるんだよね、、、。
そのかわり、自己の尊厳とかをなくしてしまうケースが多いが、、。
それでも生きていけるんだよね、、、。
自分はこの生き方は哀しく思うがね、、、。
それでも、この生き方は非常に正しい生き方なのである。
あくまでも生きるという行為は個人の世界であるから、利己主義的であればあるほどうまく生きれる。
自分は世間に流布されているような偽善論は全く信じない。
それは、洗脳でありその人間のマスターベーション後の液?みたいな物である。
そのような汚い物を自分は触れる気が知れない、、、。
その偽善論のなかで生きてしまっているから、その悪臭ただよう液?の中で生きる事ができるのかもしれないが。
それもそれで哀しい事だな、、、。
はあ、もう駄目だな、、、、。
331 :
夢見る名無しさん:03/10/07 08:06
あぁもうだめ
自分で墓穴ほってばかりで馬鹿みたい
所詮誠意なんて通用しないのが2ちゃんねらーなんだ
332 :
夢見る名無しさん:03/10/07 08:23
ダメダメおやづが今日もゆく〜♪
あぁあダメダメ♭
脳みそうにゅっ!
なんでもかんでもダメぽ(´・ω・`)
・・・(`・ω・´)
>>331 そうですよ、誠意なんてこっちのゴリ押しである場合がただでさえ多いのですから。
何もしないというのも相手のためになる事もありますから、、、。
人と人とが交わるというのは非常に辛くおもっ苦しい事だ。
故に、心理学的に内向的な外向的な人と分かれるのだろうが、、、。
内向的な人が行き過ぎた形が引きこもり、
外向的な人が行き過ぎた形が携帯人間ならば、、、。
さて、自分はどのような存在になるのだろうか?
人前ではポジティブ、我空間ではネガティブ、、、。
こういうのをA型人間と言うらしいが単純に人をそう振り分けられるのだろうか?
むしろ、科学等は人間的な曖昧さを根本的にいやがる、、、。
いや、その科学的な概念を作ったのも人間であるが故にその概念は人間的なのだろう。
特に心理学ではその面が非常に出ている。
例えば、エディプス理論等を考えたフロイトだって。
あのエディプス理論にたどり着くには親の影響が非常にあったそうだし。
また、フロイトと家庭環境が違ったユング、コフート等の心理学者はこのエディプス理論に懐疑的だったとよく言われる。
それは、ユングとコフートの家庭環境(人間的な)等が違ったが故にそれを信じる事ができなかったともいえようが、、、。
だとしたら、自分達は科学的合理性という仮定をただ信じているだけではないのだろうか?
その合理性というのも人間的な感情、自己解釈等によって歪められて個々によって違う形となる。
俺は一つの形には集束しないと思っているがそれは人が生きていくために常々何かを勝手に解釈をしているからだと思う。
自分は合理性というのは最終的に一つに集束してしまう物だと思っている。
それ故、自分は合理性というのが全く見えないし切りがない、、、。
でも、たった一つの合理性というのは、、、。
万事万象その一つに集束しないという、一つの集束形なのだろうがな、、、。
もう駄目だ、、、。
本当に俺は一つの物事を無駄に飛躍してしまう癖がある。
さっきこんな事を言っていたのがどんどんネズミ算式に増えていく、、。
そして、他人には絶対に解釈できないような形になってしまう、、、。
なにせ自分でさえも解釈できなくなったしまうのだから、
まず他人には無理なもんだろう、、、。
正直、日々日常そんな感じに暮らしていっている、、、。
普通に会話する事もあれば、このような事をはなす事もある。
でも、このような事をはなし出すと確実にとまらない、、、。
なにせ、中一の頃歴史について先生とはなしていて気付けばそこで2時間もはなしていたという事があったくらいで。
その悪い癖があるから、話を早く区切るためにまあそんなもんだよと区切る事にしている。
そうじゃないと確実に終わらないから、、、。
後なぜか知らないけど、ディベートとかになるとなぜか知らないけど勝ってしまう。
単純に言うと相手が完全についていけなくなってしまうからだそうだ、、。
相手曰く話が拡大し過ぎて自分の頭じゃついていけなくなってしまうからだそうだ。
自分は前も書いたけど体系的に習った事は無いし、知っているというのもほとんどない。
でもなぜか相手がついていけなくなってしまう、、、。
はて?なんでだろうか、、、。
とりあえず、もう駄目だな、、、。
さて寝るか。
337 :
夢見る名無しさん:03/10/08 01:16
てゆーか僕駄目人間っすわ!
338 :
夢見る名無しさん:03/10/08 04:20
俺の方が駄目人間ですわ!
俺よりはまし
340 :
夢見る名無しさん:03/10/08 06:09
でも胸張って生きますわ!
秋休みだるっ。二期制の学校だから休みで、、、。
そういえば、愛というのはいつの間にか共通了解化しているけどその本質を見ようとはしない。
前も愛について持論をさらした事があるけど。
確か愛の形というのは、、、。という形になって一様けりを付けたと思うのだが、、、。
ニーチェのいうルサンチマンだと確か弱者が嫉妬や憎しみの代償としてできるのが愛とか、
キリスト教的な宗教とか言ってたような気がするけど。
それも、愛の解釈のひとつの形である、、、。極論だけど、、、。
元々、愛と言うのはその人の言動によって常々違う形を為す、、。
行動的な愛や衝動的な愛、又はこのようなルサンチマンとか思考によってなす愛の解釈等。
いろんな形を持つ。
ほとんど、無限に近い、、、。
逆に愛を共通了解になっている事はそれはただの逃げに過ぎない、、、。
そりゃそうだろ、愛何ぞ人の情緒によってこの形という定める事はできない。
でもいえる事は規模の違いだけである、確かに形は色々変わるが容量は変化しない。
引きこもりの人間は自分の小さな空間しか愛せないそれ故容量は少ないだろうし、
又メル友何百人という人も愛の容量が少ないから常に人の関わり(愛等)を持ちたがる。
この前者と後者の違いはその愛の消費力の違いに過ぎない。
ちなみに一番小さな愛というのは何だと思う?
それは単純、自己愛という物ですよ。
その自己愛を満たすために相手を出汁に使っているだけでそれ以上もそれ以下も無い。
でも、普通はこの自己愛というものから愛される(幼児期からの積み重ねによりなる)事によって。
思春期にその集大成を知る事によって、恋というのが起きるのである、、、。
逆に、偏愛されることによって偏恋になってしまう事も否めない、、、。
とりあえず、頭が思考停止状態になってしまったからここんとこで、、。
はあ、もう駄目だな、、、。
>>340 そう結局は胸はって生きていかないと、、、、。
ということになりかねないからね、、、。
もう駄目だな、、、。
進むも退くもどっちにしろ地獄、
進むも進むでただのあがきになってしまう、
また退くも退くで自分が卑小な愚かな存在に思える。
人というのは見えない事を嫌う、又見えてしまった事で自己嫌悪する。
なんだろ、この矛盾は本当に限りない、、、。
この限りなさが自分の精神を病ませ、疲れ果てさせる。
そして、この限りなさによって自分が自分という物を喪失させ。
無理矢理、探究して喘ぐ事を強制的にさせられるのである、、、。
これをほぼ毎日一々為しているのである。
自分を自分として考えなければ自分が見えないなってしまう、、、。
自分が一番恐れているのはこの自己喪失である、、、。
この恐怖を知らない人間は安直な形を求めたがる、、、。
それは前々からいっているように、宗教とか偏狭な思想等である。
人というのは快楽を先に求めたがる、知るという行為自体も快楽のためである。
しかし、自分もこの快楽を受けて暮らしている。
だが、この快楽は自分に一つの絶望をもたらしてくれる。
この絶望が安直な形を求める事を完全に否定してしまっているのだろう。
だが、この否定が自分の精神を病ませるほど疲れさせる。
この矛盾は非常に辛い、、、。
もう駄目だ、、、、。
さて寝るか
346 :
夢見る名無しさん:03/10/09 00:09
今日も駄目明日も駄目だから明後日も駄目なわけ
>>346 そう駄目さというのは全く変化しない、、、。
どんなに日常の生活を変えてもその駄目さというのは全く変化しない。
例え、いきなりとんでもない大金持ちになっても、
人をただごう慢な存在にするだけであって、元々の精神は何もかわらない、、。
むしろ、金があれば逆に悩みは増えていくだろうがな、、、。
よく、貧乏人は無知だというけど、金持ちほど無知なる存在はいない。
まあ、金持ちになるという事は非常にエネルギーが必要な行為である、、、。
だが、人の心理を無視したり、考察する時間を完全に放棄するのである。
逆に貧乏人は喰うに困っているが故にそのような考察の余裕が無い。
でも、人の心理はよく読めるだろう、なぜなら卑下されている存在は人の直線的な行為にさらされるからである
それにしても、偉大な哲学者や学者というのはすごい金持ちや貧乏人からは出ない。
差は非常にあるが、いわゆる中間層の人間ばかりである、、、。
そうするならば、この今の日本の体系はたくさんの学者等を排出する力が非常にあるではないか!
むしろ、それを放棄し続けたのが日本社会というものではないか!
思考停止、思考停止の嵐、、。
確かに、この空間は並大抵の人間には生き地獄だろう、
それ故、自己を依託しなければならない。
自分はそこで考えてほしい事がある、依託してしまったらどのような形になるか。
それこそ一番危険な自己放棄である、その自己放棄が今の日本を覆いかぶさっているのである。
この空間が一番自分には辛い、、、。
この自己放棄は自分に内在する毒を飲めずに何かで覆いかぶし完全に無視しているのである。
そして、この毒はいずれ形なく腐っていつの間にか跡形もなくなる。
そこで、その人間は何を見いだすか?自分というものが見えなくなってしまうのである。
その毒こそ自分なのだ、いや正確にいうならばその毒が自分の心を濃くしたものなのだろう。
駄目だ、今の俺では言葉が足らな過ぎる。
ああ、この無知なる自分が非常に憎たらしい、、、、。
>>駄目人間さん
学生さんだったんだ、しかし難しい文章をよく書くね。
すごい〜
JOJO広重か屍みたいな香具師だな......。ネガティブパワー全開じゃねえかよ
350 :
夢見る名無しさん:03/10/09 14:54
民主党、政権取らねーかなー。
351 :
夢見団子さん:03/10/09 15:27
ふうー・・・
何で人間は弱い者をいたぶりたくなるんだろうかナー・・
自分は強いって威張ってるアホに言いがかりつけられた。
まあ、ボコボコにしたけどね。
結局俺ってこんなんでエクスタシーを感じてストレス解消になるのか
低い程度の自分だ・・・ダメダメだな・・・。
まあ、ダメって思えるうちはまだ幸せだよ・・・。
352 :
夢見団子さん:03/10/09 15:32
続き
ダメって思えるうちは考える余裕があるから良いんだよな。
まあ話し変わるけど・・・
夢なんて・・・叶うって思えるうちは幸せさ・・・。
>>348 おひさしぶりです、そう高校二年生です。明日から学校です精神的に辛い、、、。
>>349 ネガティブパワー全開というか毎日こんな感じですから、、、。
>>350 民主党ですか、、、。
>>351 弱い人間はその弱さをなにかで覆い隠したがるのです、、、。
しかし、強者はそこを敏感に感じとらえる事ができる、、。
むしろ、弱者とか強者と無理矢理置く事自体おかしいのかもしれないが、、。
何かを卑下したり、自分の力を誇示したりする事はものすごい快楽である。
それは、元々だれもが背負っている一つの業みたいなものだ。
そう、しかたがないといっちゃしかたがないもの。
あっ、大正解。気付いているうちが花と言う言葉があるけどまさしくだね。
むしろ、一番恐いのは覚めた時だからね、、、。
だから、常々何かに覚醒されていないと人は非常に恐怖を感じる、、、。
それが、人の脆さなのだろうが、、、。
駄目だな、、、、。
そういえば、日本人はよく無宗教と言われるが、、、。
最近そのことに非常に危機感を感じる。
それは、宗教観の空白は偏狭な宗教(カルト等)を信奉させる形となりやすい。
自分は宗教自体極度の偏狭性を持っていると考えているが、
しかし、その偏狭性は一つの道徳としての概念等を成立させた。
また、その偏狭性が他宗教の人間を虐殺し、殺しあったというのもあるが。
それは、確かに宗教の悪点ではあるが、
だが、その点を受け入れながらもやはり宗教は道徳性を持ち得るがために非常に重要なものである。
逆に、カルト宗教と基礎宗教の違いはこの道徳性の有無である。
話はそれるが、元々日本人はこの道徳性を空気と思いがちである。
だが、この道徳性は宗教と集団としての規律(世間)によってなったものであり、
ある種の半強制的に成り得たものである。
特に、日本は人に優しい土地であるが故にユダヤ教のように強制的な宗教はならなかった。
その変わりに世間というのが強制力を持った、人の交わりが一番強くなったのである。
その優しさ等が、日本人に諸善説を信じたがらせたのだが、、、。
まあ、それはそうとして置いといて。
もしに、その世間性が弱くなったのであればその代わりの強制力を人を求める。
それが宗教である、特にカルト宗教は人を酔わせ酩酊状態に落ちさせる、、、。
しかも、支離滅裂であればあるほどそれに真理を求めたがるのである。
そのためには常に人は矛盾し続けるという事を念頭に置かなければならない。
結局は、仏陀やキリストも人間だったのだからである。
むしろ、人間であったが故に考えられたのであろう、
神は直感的に感じるが故に尊いのであり人間のように無駄な思考などしない、
むしろ、人間的だからそのような宗教的なものを作れたのであろうが、、、。
駄目だな、、、。
さて寝るか
356 :
夢見る名無しさん:03/10/10 02:37
駄目人間、、、それはそれで個性ですよ。
良い所だってきっとあると思うし。
>>356 個性があるよりは相手となんも問題を起こさない人間になりたいと思う、、、。
いや、自分には良いところは無いですよ、、、。
鬱が酷くて、性格も黒い、あっでも顔は真面目で良いといわれるけど、、、。
でも、全ては黒いからおれは駄目だな、、、。
明日は休みだから。
今日は早く寝よう
最近、鬱気があまり出なくなったまあ非常に良い事なのだが、、。
それにしても、自由というのはほんと不自由な事だね、、。
自由というのは慣習、規制から逃げる事である。
しかし、日常を生きるためにはこの慣習と規制からは逃れられない。
それ故、自由というのは本質としては詭弁なのだが、、、。
言葉上ではこの自由と言う言葉は非常に使いやすい、、。
親からの自由、学校からの自由、人からの自由等、色々形容しやすい、、。
でも、本質としては自由という詭弁に過ぎない。
自由もあくまでも、規制や慣習等に内包されて存在できる小さなものである。
その自由を異常に声を上げてほざく気違いどもがいる、、。
しかもその自由はその規制、慣習、歴史的なものから逃げるべくいっているのである。
その自由の概念を実践した実験国家こそ、アメリカと旧ソ連なのである。
この国の違いはただ資本主義と社会主義の違いに過ぎない、、。
よく似た者同士は憎みあうというだろ、本質は同じなのだから、、、。
逆に確固たる歴史を持っている日本人が自由を唱える何ぞ念仏みたいなものだ。
そう、結局はカルト宗教ただの狂信に過ぎない、、、。
そういえば、狂うというのは理性がなくなったから狂うのではなく、
理性しかなくなってしまったから狂ってしまったのである。
という言葉を思い出してしまった、、、。
結構もう駄目だな、、、。
昔ダメ人間というと、上司に怒鳴られ部下にバカにされ、
家では女房に叱られ、子供にバカにされというのが定番だったが、
最近は30台後半で、上司に怒鳴られるのはもちろんだが、
その歳まで部下がいたこともなく、女房子供もなく、彼女もいない
うだつのあがらない私のような独身男を言うのではないか。
私が子供のころいじめられっ子で、今の上司に怒鳴られてばかりなの
は、いじめっ子や上司の前世に、私の前世がいじめていたせいだと母
が本気で思い始め、その前世にあやまる行をはじめた・・・・。
361 :
夢見る名無しさん :03/10/11 22:49
すいません。360は私、通りがかりの者の投稿でした。
駄目人間さん、ご迷惑おかけしましたm()m。
ここ数ヶ月、クソ部長のおかげでストレスがたまっているもので・・・
現代というのは人と人との区切りの点がよく見えない時代である。
多分に単体としての情報量がとんでもなく多いのだろうが、、。
それ故、個人という最小の人間単位がどんどんあやふやになってきた。
元々、個人というのも歴史や文化に集束され、
その上で存在できる一つの形であったのだが、、、。
それが、グローバリズムと高情報化社会という詭弁の上でいままで走ってきたが故に、
歴史や文化に縛られないという形としてあり得ない個人主義というのが台頭してきた。
個人というのは家族、公共によってうらずけてなるものである、、。
だが、その公共が歴史的なもの文化から逸脱してしまったら、、、。
まあ、それを人工国家というものなのだが、、、。
このような人工国家は一つの機構として新しいものを作り続けなくてはならないという、
宿命を持っている、、。
その、宿命に飲まれなかったほうが残ったというだけなのである、、。
まあ、話を戻して、、、。
今は情報から人を見るような形になってしまった、、、。
それ故、個人の存在が非常に希薄になってしまった。
しかもそれに会心の一撃を食らわせたのが、グローバリズムや高情報化だと思う。
崩壊したものは戻す事は難しい、見ればロシアは未だ旧ソ連の傷がまだ付いている。
この、グローバリズムというのは一つの快楽である、、、。
快楽であるが故に、その存在が嘘であっても人は酔い続けるだろう、、。
そう絶望から逃げて猿のオナニーショウを催し続けるのだろうが、、、。
哀しい事だな、、、。
もう駄目だな、、、。
>>361 まあ、駄目という解釈も非常に広いですから難しいと思いますが。
自分もうだつが上がらない事は非常にありますし、いじめを受けた経験もある
でも、それを倍返しにするぐらいの心の狂気や心に力を内包しているのです。
ただ、自分は自分が知っている上での知でここに言葉を綴っているだけなのです。
まあ一つのルサンチマンだね、、、。
にわかに悲劇的ともいえるが、、、。
人はこのような狂気を飼い続ける事によって自分を掘り下げる事ができるようになる。
そこにこそ、普通人が見ないものが内在しているのだろうが、、。
自分はそれを見る、いや見てしまうと言った方が適切だと思うが、、。
それ故、怒鳴られてもそれぐらいの説教しかできねえのかとか、
お前のため、なんぞ俺を踏み台にする文句に過ぎないのは分かっているんだよ。
など、言葉の裏をついつい読んでしまう、そう自分の言葉でさえもね、、、。
とりあえず、その存在を完全に卑下してみる癖をつけましょう。
そうすれば、ああ、あんたはこれぐらいのことしか言えないんだなと、
心の底から馬鹿にしてあげましょう。
そうすると、腹が立ってくるのがだんだんかわいそうに思えてくるから。
後、行とかをやめさせましょう、現実を受け入れさせるのです、、。
むしろ、最近の親って精神的に現実から浮いているような気がする、、。
といっても俺はまだ餓鬼だからなあ説得力が無いが、、、。
駄目だな、、、。
駄目だ、頭が元々おかしいがどんどん酷くなっていくように思える、、。
とりあえず寝よう、ちっと口から何かが込み上げてきた(嘔吐物等以外)
う〜ん、もう駄目だ、、、、、、。
私があなたの彼女になってあ・げ・るっ☆★☆
都内で二期制の男子校ってどこだ?
>>366 欲しいけど、思考する事が今一番幸せな行為ですから、、。
>>367 まあ、それは言えないとしても、、、。
都内で男子校なんか結構限られてきますからねえ、、。保善やら、武蔵工業大学付属とか、、。
さっき、NHKのニュースであなたは何を信じますか?というアンケートに同年代の子の約半分が奇跡、
と言ったというニュースがあったけど。
何となくふ〜んと思いましたね、、、。
奇跡というのは因果律の中で偶然性を持つものである、、。
まあ、あの中であからさまに馬鹿そうなガキが針小棒大な事を奇跡なんぞいっていたが、、、。
それは精神障害者としても、何か偶然的なもので左右されたいという依存心が自分には少し見えた、、。
確かに自分達の世代は甘える事が絶対みたいな空間内で育った気がする、、、。
何か甘える事が当たり前のような、、、。ある種不自然な空間だが、、。
自分達の世代で思いがいかない事はほとんどないような気もする、、。
まあ、行動論的な裏付けがかなり必要な事もあるがな、、。
とりあえず、世間並みに求めている事は大抵なってしまうような世代。
非常に不自然な世代と思える、、、。
自分は奇跡というのを信じる事はまったくできない、なぜならそれは一つの概念に過ぎない。
一つはそれは偶然性を元と置けば何もかもが奇跡だろう。
例えば、道ばたで知り合いと会う。これも非常に考えていくと天文学的な数字になるだろう。
それは、まず自分がそこにいるのもなぜそこにいるというのを考えていくと切りがないし、
相手も相手でそこになぜいるというのも考えていくと全く切りがないだろう、、、。
なぜなら、これは行動論的な問題だからだ、それ故このように思考的な問題にはしないからである。
思考的問題にすれば、起らないくらい低いからである、、。
また、もう一方に必然性というのも存在する。
このようなあまりにも広すぎる世の中は逆に偶然性ではなく一つの必然性で塗られていると思う。
いや、そう解釈しなければ解釈しきれないからだと思うのだが、、。
まあ駄目だな、、、。
はて、幸せというのはいかなるものだろうか?
気付かない事も幸せだし、気付く事も幸せだろう、、。
又、鬱病になれるというのはそこまで自分を追いつめなくてはならないというのは不幸だろうし、
そこまで自分を追いつめる事ができないというのも不幸だろう、、。
世の中というのは非常に多面性を持つ、、、。
この多面性は必然的に矛盾というのが確実に起るのである。
そう、色々な形にかえてだ、、。
この形というのはやはり個性的なものが出てくる、いや出てしまうのだろう。
似ているという事はよくいわれるが、似ているといわれるには違うからだろう、
違うが故に似ている。
何か今日は悲しくなってしまった、、。
といってもよくある景色だが、バスの席が空くとすぐに子供が座る、、。
よく、塾の鞄を背負った子供が無理矢理移動して席に座ろうとする、、。
又、帰りの電車に乗ると私立の小学生がすぐに席に座ろうとする、、。
何か常識が無いというか、。こいつらの親はこの程度かとか、、。
非常に悲しくなってくる、、、。
俺はこういう景色を毎日見させられているからもう怒る気とかなくなってしまった、、。
ただただ、こいつらとこいつらの親を切り無く下賤な存在として見下す事で集束してしまう形になってしまった。
だってそうだろ、ただ社会的是正を求めているだけで、その上にある何かを求めて考えやしない。
奴らは限界というのを教育しようとしない、それ故限りない希望という前提内で生きようとしようとする。
そのため、顧みないという人間として最低な形になってしまうのである、、。
その前に顧みるという事を教育、いやそれ以前の躾というのをされていないだろう。
そういえば、今低学年の学級崩壊というのが世間を騒がせているが、、。
それは当然な状態だろう、親がまずそういう基礎的なしつけを全くしないからである。
むしろ、今の世代は他者からの無言の圧力が自己空間内の人間以外に通用しないという、
痛烈な欠点がある、多分一概にはいえないがね
さてねるか
あのクソガキ連中の親って、40代だよね…
昔は体罰なんて言葉なかったし、先生も生徒がアフォな事したらどついてたしな(俺はどつかれまくってた)
今じゃ、ちょっと小突いただけでエライことになるから、先生も怖くて指導できないしな。
親は基本的なしつけもできないのに、学校に文句ばっかだろ。終わってるよ。
疲れた
>>373,
>>374 多分、三十代から四十代ぐらいだと思う、、、。
この親の年代はものすごく開きが出る、
自分なんかいい例だけど、自分とまあ渋谷でよくたむろしているような奴らではこのような差が出るし、
ヒキコモリと自分とも差がある、、。
この年代はまあ一概に悪いとは言いたくはないがゆとり教育をまともに受けた世代である、
又、学校での先生の差が痛烈なほど差が出る小学生の時の先生は非常に個性的だったと思う。
特に小学六年の先生はすごかった、世界を旅行した事があるらしく知識も豊富だったし、
叱り方も殴られる事もあった、非常にきちんとした先生だったと思う。
中学は中学で結構いろんなタイプの先生がいて非常に先生付き合いが面白かった。
逆に詰め込み教育は良い意味でこの二つが出るような気がする、、。
なぜなら、国力で一番大切なのは教育力だからだと思う、、。
そのためには知と人間関係(識)が一番重要である、、。
引きこもりは自己空間を勝手に作ってその中で自分を作ろうとする、
その時、引きこもりは自分の特殊性を持ちたいが故に知をつけようとする、
しかしそれは識ではない、また人との関係をたくさん持つ人間でも識は育つだろうが、
人間関係で自己を完全に満たしきっている人間は知を求めようとしない、、。
結局は中道なんだろうな、、、。
駄目だな、、。
でも、結局は詰め込み教育やゆとり教育をいかに解釈するのはやっぱり親である、、。
その、解釈の差でいろんな形、いろんな議論になるだろう、、、。
やはり子は親に従ってしまうものでどのように親に反抗しようが全くどうにもならん。
親からの躾と教育は後々自分の形として、その教育を子に躾けるのである。
では、その親がその親から甘い躾や教育が仕切っていなければ、、、。
当然どうなるかはもう言うまでもないだろう、、、、。
よくある教育理論は結局は理想論に過ぎない、
又、人の心は論理とかでは多少ながら着色できても、、、。
人の心は必然としてその小賢しい論理等の上にある、、、。
どのような形であれも人が全ての事を知りうる事は不可能であり、
それを求める人間は漫才師のネタぐらいにしかならないだろう。
ファウスト的なものを求める続ける事が合理主義であるのならば、
そのような合理主義は信奉以外の何でも無いだろう、、。
人は宗教の否定をしても、その上で信奉するものを求める、、、。
永久機関か、、、。人の心は合理的ではないからな、、。
もう駄目だと思う、、、、、、。
でも、結局は詰め込み教育やゆとり教育をいかに解釈するのはやっぱり親である、、。
その、解釈の差でいろんな形、いろんな議論になるだろう、、、。
やはり子は親に従ってしまうものでどのように親に反抗しようが全くどうにもならん。
親からの躾と教育は後々自分の形として、その教育を子に躾けるのである。
では、その親がその親から甘い躾や教育が仕切っていなければ、、、。
当然どうなるかはもう言うまでもないだろう、、、、。
よくある教育理論は結局は理想論に過ぎない、
又、人の心は論理とかでは多少ながら着色できても、、、。
人の心は必然としてその小賢しい論理等の上にある、、、。
どのような形であれも人が全ての事を知りうる事は不可能であり、
それを求める人間は漫才師のネタぐらいにしかならないだろう。
ファウスト的なものを求める続ける事が合理主義であるのならば、
そのような合理主義は信奉以外の何でも無いだろう、、。
人は宗教の否定をしても、その上で信奉するものを求める、、、。
永久機関か、、、。人の心は合理的ではないからな、、。
もう駄目だと思う、、、、、、。
最近なんか技術の発展が異様に早いような気がする、、。
今さっき、テレビで携帯のCMでテレビ電話ができるようになったということを
CMでやっていた、、、。
それに最近のCG技術というのは非常にものすごくほとんど人間のような状態、、。
それを考えると自分達というのははてこの先どこに行きたいのだろうか?
多分、科学と技術というのが先行して一つの形態を作っていくのだろうが、、。
さて、それが自分達が求める形になっていくのだろうか?
分からん、、、。
もう駄目だな、、、。
380 :
駄目人間 ◆TX.Dz2qTUo :03/10/17 22:36
実験
今日から、トリップつける事にしました。
382 :
駄目人間 ◆TX.Dz2qTUo :03/10/17 23:39
最近、躁鬱病の気がまた出始めた、、、。
なぜか妙に忙しくてその忙しさがなくなると、、。
心が空白になって、考えてしまう事がある、。
死ぬ事や生きる事、自分の存在理由など考えていくと切りがない、、。
ネタにつきる事がない。
本を読むと読むとでまた切りがない知りたい事ばかりあって疲れる、、。
むしろ、疲れさせようと自分がしているのだろうか、
自分の体と精神は常々相対して自分を襲い続ける、、。
そういえば、自分にとって光は一つの凶器として自分を襲う、、。
しかし、それは自己が闇の存在である事を示唆しているのではない、、。
人というのは闇と光をうまく使い分けて生きているのであってその極端に生きようとするのは
まったくの無知と無謀と極端が絡み付いていく、、。
下等で単純な勧善懲悪の思想で生きる事が全く不可能なのが人道というのである。
正直いって、近代思想の中で人道、人権等の思想は一つの純粋思想であり、
歴史によって裏付けられたような、歴史思想ではない。
むしろ、その思想自体もう歴史思想化しつつもあるが、、、。
本当の意味での人道というのは人の感情からみとっていくしか無いのである。
それ故、人道は色々な形をとる人らしい醜くさや美しさ、嫉妬もあれば尊敬もある、
まったくきりがないのである、その面を見てこそ人道ではないのではないのかなと思うのである、、。
まあ駄目だな、、、、。
383 :
駄目人間 ◆TX.Dz2qTUo :03/10/17 23:55
人は人を傷つける事でしか自分を表す事ができない、
それはどのような形でもある、軽蔑、侮蔑、暴力、支配言い出したら切りがないだろう、、。
上は上で憎みあい、自分より下のものを軽蔑する、また下は下で憎みあい軽蔑するものを求める、。
これは弱者であれも強者であれこの真理は変わらないだろう、
いや強者、弱者というのも正直その差も結局は勝手に作り上げたものだろうが、、。
駄目だな、、、。
384 :
金くれ ◆dnqrykELEg :03/10/17 23:59
まじで金無いです。
死にそうです。
お金下さい。
ジャパンネット銀行
店番号001
口座番号3646036
シバタ トモヒデ
おねがいします。
385 :
駄目人間 ◆TX.Dz2qTUo :03/10/18 00:34
なんとなく今日もしゃべり場を見てしまうわけだが、、、。
教室でグループをつくるなか、、、。
全く馬鹿な事を言うわけで本当に頭が悪いか精神障害者なのだからかわいそうでしかたない、
では、なんでグループと言うのができるのは、、。
それは元々そういう集団性を持たなければ自分は他者との関係によって自己ができるのである。
また、孤独さというのは前もいったように他者との関係の空虚さに一時的に気付く事である。
そっから、少し発展して疎外感を感じるのである、、。
人は成長する事によって、この人付き合いが進んでいく事によってこの二面性に気付いてくのである。
僕は友達という仮定を持っているが自分はそれを正しくだとは思わない、
なぜなら、友達というのを一つ利用をしあっているのである、、。
確かに感情としては友達という存在をある程度までは信じたい、
しかし、信じるというのはその人間を利用する又は利用される関係になるという事である。
又、相手を仮定としてでも信じる事によってそれに裏切られると非常に感情的な怒りが出てくるのである。
そうこれも宗教的なものが絡んでくる、むしろ宗教的なものは人の奥深くに眠っている物だろう。
一つの強制的なもの、一つの感情的なもの全てが形として結集される事によって宗教という概念ができた、
一つの濃縮体みたいなものであろう、そう人の心の大きさを形としてみやすくするために小さくしたもの、、。
さて又戻して、、。
そういえば、日本には対話が無いといった中島義道先生は非常に的を射てる面があると思う、
確かに、今の日本は異様に言葉が散乱し、一つ一つ掘り出していけば切りがないだろう。
又、元々日本人の深層に眠っている村社会の思想は絶対にひっくり返らないだろう、
いや、村社会が悪なのではないのだろうその村社会も自分の行動力を広げれば絶対的に拡大する。
しかし、この行動力はやはり才能と環境に左右されてしまうものであり意図的に身に付くものではない。
だから、ある程度人間関係の範囲を決めて生きていくのである、、、。
そこで、色々なグループのなかでの自己価値観を見いだすしかないのである、
自分にも固定されたグループはある、でも根が野良猫なので色々グループを見る事が多い、
386 :
駄目人間 ◆TX.Dz2qTUo :03/10/18 00:37
さて寝るか、、、。
387 :
駄目人間 ◆TX.Dz2qTUo :03/10/18 01:02
すいません寝る前にひとレスを、、、、。
死ぬ事が恐いのは当たり前だと思う、、、。
それは、自分が自分ではなくなり形をなくし、
又、それまで築き上げたものが一瞬のうちになくなってしまう事でもある。
でも、自殺というのはまったく違う意味での自分の生の確認行動でもある。
それは、彼等は死ぬ事によって自分が生きているという事を見いだす行為なのである、、。
若いものは若い者でこの先続く未来や生活に絶望して、自殺するものはあるし。
又、中年は中年で自分が背負って生き甲斐を感じてたものがリストラ等で全否定され、
そこで発生する空虚さとニヒリズムが彼を一時的に襲う、その一時的なものに飲み込まれて自殺する。
老人は老人で全ての事がほとんどやり終えて指標がなくなった時、
後の自分の生価値を見失ってニヒリズムに飲み込まれ衝動的に自殺をする。
そこで、自分が生きていきたんだという事を身にしみて思うわけである。
自分はよくあるような自殺否定論は言わないし、又言えるわけが無いだろう、、、。
ただ、自分の身内の人間が自殺をしようとしたらやはり止めようとするだろうが、。
それは、自分と近かった人間がいなくなると言うのは自分のためにそいつがいなくなると
自己存在を作ってくれる人間が一人欠けるのである。
それは非常に利己的ではあるが、その利己性が他者を救う事もある一つの一例でもある。
死ぬという事が一つの恐怖として人間いやその前の時から本能として内在しているのだろう。
心理学的にいえば集団的無意識の中に共通にあるものなんだろうが、、。
ヤバい眠くなってきた、、、、。
以降は今日の夜にということでお願いします、、、。
多分駄目だな、、、、。
388 :
駄目人間 ◆TX.Dz2qTUo :03/10/18 18:36
でも結局は、死にたかったら死ねばとしか言い様がいないよね、、。
そう、他人は自分ではないのだから、、、。
その人を無理矢理とめる事で自分も相手も傷付く、そして険悪になる、、。
だったら、仲が良かったという形にしたいのなら、、、。
止めない方が良いのかもしれないがな、、、。
駄目だな、、、。
本当世の中って何が良いのか悪いのかがようわからん。
駄目人間さん、
女性と話すのと、男性と話すのどちらが苦手ですか?
ざっと読んだけど高校生としてはずば抜けた思考力を持っていると思う。
ただ政治関係の話については全く論外のレベル。
このまま伸びればスゴイ領域に達すると思われる。
今日このスレ見つけて読んでたらかなり共感する呟きが多々ありました。
私はかなり駄目人間です。
同じ年代でここまで考えてる人を見ると、どうも妙な安心感みたいのがわいてしまいました(笑)
影ながら応援ロムってきます。