何不自由のない暮らし
私はきっと幸せ
でも、たまにわからなくなる
誰かに認めてほしい
私は間違ってはいないって
それだけ
あ?
小さい頃、ずっと願っていた事があります
下の部屋から聞こえる、父と、当時の母親の罵声を聞きながら
二人が掴み合って言い合いをしてるせいか
たまに起きる、振動におびえながら
布団の中、ひとりで泣きながら願ってたこと
将来、大人になって
またこんな風に涙を流してる時
隣に誰か、いてほしい
そう思っていました
憎めよ
決して恵まれた家庭環境では無かったし、
寂しい思いもたくさんしたけど、
親を憎んだことはありません。
片親だった分、父親は大事に育ててくれたと思うし
離婚した母親も、再婚して新しい母となった人も
みんなに大切に思われていたとは思う。
だからここまで、誤った道に進むことなく、
まっすぐに生きて来れたんだと思う。。
朝起きたら母親が朝ご飯を作っていてくれる・・・
ってすごい、憧れます
再婚した母親は、仕事をしていた為か、分りませんが
朝はずっと寝ていました
寝ている父と母を起こさないように
物音を立てないように一人で焼いて食べたトーストは、
あんまり美味しくなかったです
今は、それも全部遠い想い出
本当の親が離婚したのは、私が小学2年の終わりでした
それからは、父親が代わる代わる女性を家に連れて来ていました
そして、ある日
また今日も知らない女の人がいる・・・と思っていたら
父親に「今日からこの人がお前のお母さんになるんだよ。」と言われました
拒絶心とかはなかった
あまりに唐突すぎて、ああ、そうなんだ・・・と思うだけだった
それが、小学5年生くらいの時だったと思います
うちの父親は昔から、女癖が悪くて
その事でいつも父と母は口論していた
口論だけじゃ済まない時も多くあった
そんな二人を止めようとして、母にお腹を蹴られた時もあった
父はそれを見て逆上し、母に手をあげ・・・
・・・その後はもうよく覚えてない
布団の中で、痛むお腹をさすりながら
夜が明けるのを、待ってた
どの朝だったか忘れてしまったけど、
たくさんのガラスが割れて、
その中、床に包丁が置いてあって
そんな事が何度かあって
その度、私包丁をそっと、台所に戻して・・・
もう、やめてくれればいいのにっていっぱい願った
学校は小学校も中学校も全然楽しくなかった
母親のことで色々言われるのすごく嫌だったし
指さして「気持ち悪い」とかケラケラ笑われたりして
そんなのが毎日で正直辛かった
何してても、誰かが自分の事見て笑ってる気がして
怖かった
だから、高校はうちの中学の人が誰も行かないとこを選んだ
偏差値も低くてすっごい悪評しかないような高校
そんな高校に行くの、ためらいもあったけど
今思えば行って正解だった
大好きな友達がたくさん出来た
高校は一番楽しかったよ
高校一年の時に、
それまで長女と同居していた祖母を引き取るため、引越しをしました。
都内から都内への引越しだったので、学校はそのままで。
長女と祖母は、もう親子の縁は切った、と聞かされました。
同居を始めてから、ほんの数ヶ月
母親の別居が決まりました
祖母に対するストレスと、父に対する不信感
当人ではないので分らないけど、色々あったんでしょうね
母は、家を出てきました。
それから数年
高校は嫌な事もあったけど、大好きな友達がたくさんいたから楽しかった
バイトもたくさんして、社会のことたくさん教わった
恋愛もいっぱいした
失恋して、どうしようもなくなった時もあった
でも、今振り返れば、
みんなみんな、幸せな日々だった
去年の10月4日
バイトから帰って、疲れて寝てたら
祖母が私の名前を呼びながら部屋のドアをノックしていて、目が覚めた
どうしたの?と聞くと、今までに見たことないくらい
ものすごい動揺している。
そして下の階の祖母の部屋から、ずっとずっと電話のベルが鳴ってた
この状況に、ただならないものを感じて、祖母にもう一度訊ねてみる。
混乱状態の祖母から聞き取れたのは、
父が事故に遭い、病院に収容され、今病院から電話がかかってきているという事
どうしたらよいのか分らないので、なんとかして欲しいと・・・
とにかく、急いで電話を出なければと思い、祖母の部屋にかけました
電話から聞こえてきたのは、冷静な看護婦さんの声
父が病院に運ばれたので、来てくださいとそれだけ
容態については、まだ何とも言えない状態なので
とりあえず病院へ来てくださいと
病院の名前を聞くと、家からは車で1時間も離れた場所にある病院だった。
時計を見てみると、時刻はまだ朝の4時前
タクシーを使えば、いくらかかるか分らない
あまり持ち合わせの無かった私は、原付のバイクで病院に行く事に決めた。
まだ、激しく動揺している祖母に
「大丈夫だから、ちょっと病院に行ってくる」と声をかけ、外に出た。
その言葉は、自分自身にそう言い聞かせるためでもあった
一人、まだ車の通りも疎らな道を走りながら
頭の中は、ぐるぐる混乱していた。
祖母を落ち着ける為に、冷静を装ってみたけど
本当は私だって、どうしたらいいのか分らなかった。
とにかく、容態がどうなのか、それだけ
祖母の動揺ぶりに、私も不安にかられたけど
案外大したことはないに違いないって、思った。そう願った
病院に行ったら、父がいつもみたいに
「やっちゃったよ。。。」なんていいながら、バツ悪そうにしてるんだろうって
きっとそうだろうって、思ってた。
2時間位走って、病院に到着した。
緊急用の入り口から入り、父の運ばれた病室を訊ねる
ICU
父は、救急病棟に運ばれていた。
アルコール消毒をし、ICUに入ると、そこは静まり返っていた
近くにいた看護婦さんに声をかけると、父のいるベッドへと案内された
そこで見た父は、私が想像していた姿とはまったくかけ離れた姿だった
ベットに力なく横たわり、体にはたくさんの管を通され、
所々に血がこびりついていた。
顔は腫れ、口が切れていた
酸素マスクに血がたくさんついていて、それが痛々しくて、拭ってあげたかった。
私はそんな父の姿を見て、
ただ、呆然とするだけだった。
看護婦さんに大声で名前を呼ばれて、うっすらと目を開ける
でも、それだけ
言葉は返ってこない。
お父さんは自営業をしていた。
スナックの経営
それで、今日も大量のお酒を飲んでいて
今はそのせいもあって、意識が混濁しているのだという
そして、しばらくして、担当医に呼ばれ
私は一室に通された
先生に「他に親戚はいないの?」と言われた
思い当たる親戚はいなかった
唯一思い当たったのは、数年前まで祖母と暮らしていた長女
私から見て、伯母さんにあたる人。
でも、もう何年も前に祖母と親子の縁を切った人
とりあえず、今ここに来れるのは私しかいないです、と答えた。
すると先生は、「じゃあ、あなたにお父さんの容態などは全てお話して良いのですね?」と言った
そんな、深刻になるくらい、父の容態は悪いのだろうか、
私は不安になった。
ドラマでよく見るような、脳の内部のレントゲン写真を見せられた。
先生は、私に分るように、事細かに説明をしてくれた。
父は、いつものようにお酒を大量に飲み、
自分の店から帰る際に、階段で足を滑らせたらしい。
大きな物音を聞いたビルの警備員が駆けつけ、
倒れている父を見て救急車を呼んでくれたそうだ
階段から落ちた時、父は運悪く顔(頭)から落ちてしまった
頭部を強く打っていた。
外傷ですめばどれだけ良かったか。
父は、脳を激しく傷つけていた。
病名は、頭を強打した事による、急性くも膜下出血と脳挫傷でした。
そして、その後、先生から無情な言葉をつきつけられました
今はまだ意識がはっきり戻っていない
でもそれは、まだ体内に残っているアルコールのせいかもしれないし、
もうしばらく様子を見ないとわからない。
だけど、万が一の最悪の事態も考えておいて欲しいと
そして、仮に意識が戻ったとしても、
脳に障害が残るかもしれない
それが、改善されるかどうかはわからない
いつ、良くなるかはわからない
後遺症は残ると思ったほうがいいと・・・
先生のお話を一通り聞いたあと、父の所へ戻る
相変わらず、ベットに力なく横たわったままだった
父の笑顔がよみがえる
もう、あの笑顔は戻らないかもしれない
そう思うと、涙が溢れそうになった。
でも、今私がしっかりしなければ、誰が父を助けるのと思った
ここで泣いていても仕方ないのだと
私は意識の戻らない父の居るICUを後にし、
とりあえず祖母に電話をかけることにした
私、あまり人と深くかかわらない
これを聞いてもいいのかどうかって分からないから、深く詮索したりはしない。
でも本当は
胸の内をさらけ出しあって、お互い支えあってる人、
人に頼りにされている人を羨ましいって思う。
なんか、私は一人取り残されたみたいな感じにおそわれる。
そして、他人の事なんか、関わらないのが一番なんて
苦しい強がり言ってみせる
なんかバカだよね
人を支えてあげられる人間になりたいんだ。
私はまだまだみたい
人の苦しい気持ちが分からない
どうして苦しいのか分からない
今までたくさん助けてもらったから、
私も助けてあげたい。
分かりたいのにな
少しでもいいから
私じゃ役不足なの分かってるけどさ
今日、夕空に虹を見たの
友達が、電話で教えてくれた「虹が見える」って
すごく綺麗で感動したよ
なんかね、嬉しかった
>>26 待合室の公衆電話から、祖母に電話をかけた。
時刻はもう7時になろうとしていた。
電話口の祖母は、だいぶ落ち着きを取り戻していた。
私は父の容態を告げた。
・・・
「そんな、もう、ダメじゃない・・・」
という言葉
私も、それは頭の片隅で考えていた。
その病名の重さはよくわかっていた。
でも、それを口に出してしまったら、
それが事実に変わってしまうのが怖くて
口に出せずにいた。
その言葉を、祖母が発した。
電話越しに、祖母が泣いているのが分かった。
励まそうと思ったけど、私もそんなに強くないから、
ただ、こう言いました
「あのね、私も今、結構いっぱいいっぱいで辛いんだ。
だからね、おばあちゃんも一緒に頑張ってほしい。
今、おばあちゃんに体を壊されたら、もう、どうすることもできなくなっちゃうから、
だから、二人で頑張ろう」
って。
私も、今にも泣き出しそうだった。
声が震えた。
でも、祖母はそうだね、そうだね、とうなずいてくれた。
がんばらなきゃ、って思った。
それと同時に伝えたことがある。
5年程前に、連絡をたったままになっている伯母さんに連絡を取ってほしいと。
どんなしがらみがあるのかは、私には計り知れない
でも、今の状況は、そんな事を言っていられる状況ではないから。
そして、連絡を取れる親戚がいるのなら、連絡を取ってほしいと。
どんなに強くあろうと思う自分だって、まだまだなんの知識もない。
頼れる人が欲しかった。
祖母は分かったと言ってくれた。
そして、ひとまず家に戻ると伝えて電話を切った。
バイクで来た道を戻る。
頭の中は、色々なものがうずまいていたけど、
何も考えないようにして、家に帰った。
家に着いて、祖母にまた父の容態の事を話す。
意識も戻っていない今は、まだそこには希望というものはなかった。
祖母はきちんと、連絡を取っていてくれた。
思ったよりたくさんの親戚と、
そして、親子の縁を切ったままになっていた、伯母とも
何人かと、電話で話した。
みんな心から心配して、私の事を心配してくれた。
そして、一人
「周りに頼れる大人はいないんでしょう?だったら僕に頼ればいい。」
と言ってくれた叔父さんがいた。
思いがけない言葉だった。
その叔父さんとは、幼少の頃に会っていたらしいけど
私は全く覚えていなかった。
私は顔もろくに覚えていないのに、叔父さんはすごく頼もしくそう言ってくれた。
頼れる存在ができて、私は心から救われた気がした。
---------------------------------------------------------------------
その叔父さんには今でも本当に心から感謝しています。
ほとんど面識もなかった私に、あんなに良くしてくれて、
本当にありがとうございました。
なんか文章が意味不明だなぁ・・・
今日もいい天気。
頭がいたいの
なんかね・・・
邪魔なのかなって思うの
私がいなかったら、みんな嫌な思いしないで暮らしていけるのかな
気を遣われるのって辛いよ
本当の事言って欲しい
>>34 そのあと、入院に必要な物を持って、叔父さんの車で病院まで送ってもらいました。
これから、仕事中に時間のある時は病院まで送っていってあげると言ってくれました
車だって、決して近い距離ではないのに、本当にありがたいなぁって思いました。
今日、二度目のICUです。
父の姿を見に行くと、隣には看護婦さんがいました。
大きな声で、看護婦さんが父の名前を呼ぶと、父はうっすらと目を開けました。
よかった・・・と安堵につつまれました。
わかりますか?という問いかけに、父は小さく頷きました。
私には、他にするべきことがありました。
父は自営業でスナックを経営しているのですが
父があのような容態ですから、当分の間お店をお休みにしなくてはなりません。
父の代わりにお店をまかせられる人がいればよかったのですが
父の他にはアルバイトの女の子が数名いるだけでした。
とりあえず、お店の電話帳から、アルバイトの女の子の電話番号を調べ、
一人一人に連絡をしました。
いつ回復できるかは分らないので、当分の間お店は休業させて欲しいと。
申し訳ないですよね、彼女たちにしてみれば、収入が急になくなるわけですから・・・
その場でアルバイトをもうやめますと申し出てきた人もいました
当然ですよね
その後、お店で叔父さんと今後どうしていこうか、と話していると
一人のお客さんがやってきました。
このお店の常連客で、名前をTさんと言いました。
お父さんの容態を話し、しばらくお店はお休みだと伝えると、
自分はこのお店の常連なので、
他のお客さんにもお店はしばらくお休みだと伝えておくと言ってくれました。
私は、このTさんの話は父からなんとなくは聞いていました。
お店の常連客で、毎日お店に足を運んでくれているお客さんがいる、
どこかの会社の社長をやってる人だと・・・
そして、お父さんに大きな額のお金を貸してくれた人でした。
お父さんは6年か、もっと前くらいに職を失い、
自営業を始めたんです。
そのころは、新宿歌舞伎町に、今のお店よりずっと大きいお店でした。
資金は、祖母のお金を借りて、お店をはじめたそうです。
でも、自営業
ましてやスナックなんて、そうそう上手くいくものではなくて、
それからはどんどん規模を小さく、
あちこちを転々としていきました。
もちろん、儲けなどなかったでしょうね。
そして、ここ1、2年くらいからだったか
家に、金融会社からの手紙がよく届くようになったんです。
嫌な予感はしてましたけど、とくに父に問うことはしませんでした。
そして、ある日のことです。
父に借金の保証人になってほしい、と言われました。
お店の存続の危機らしくて、お金が必要になったそうです。
祖母のお金はもう散々使いこんでしまったので、祖母には言えなかったんだと思います。
私は、迷いました。
父のことは、助けてあげたいと思いました。
でも、友達にその話をした時に、こう言われたんです
「保証人になる、ならないはお前が決めればいいけれど
保証人になるっていうのは、自分がその額を借りるのと一緒の事だよ」と。
お父さんの根拠のない「大丈夫だから」という言葉
私はとても信用できなかった。
そして、借金の額が300万をこえているという事を聞き
父には
「申し訳ないけど、保証人にはなれない」と言いました。
父の落胆した表情に、私はどうしたらいいか、わかりませんでした
どうしようもなくなった父は、お客さんであったTさんからお金を借りたそうです。
それだけは避けたかったけれど仕方がないと言っていました。
そして、そのお金で、今の場所にお店を移しました。
それからは、お店をつぶさせまいと毎日のようにTさんが来るようになったらしいです。
夜、家に戻り、体を休める暇もないまま、
私は父の部屋の片付けに取り掛かることにしました。
父に借金があることは知っていたけど、
今その金額がどこまで膨れ上がっているのか知ることが必要だと思いました。
家にはほとんど帰ることの無かった父の部屋はめちゃくちゃで、
書類や金融会社からの手紙は、あちこちに散乱していました。
それをひとつひとつ、会社ごとにまとめていきました。
幾度にもわたる、再三の借金取立ての手紙
父はこれを、どんな思いでみていたんでしょうね・・・
生活費を稼ぐために、休みもとらずに働いていた父
会えば、体調が悪いと言っていました。
私がもっと、父の力になってあげるべきだったと思いました。
あの時私が保証人になっていたら、父は苦しまずにすんだのかもしれないなんて思いました。
ベットで苦しそうにしている父の姿が何度も脳裏に浮かびました。
私のせいで、私のせいで・・・
何度も何度も、自分を責めました。
金融会社に電話してみて、事情を話してみたらどうかと叔父さんに言われていたので、
父の所持していたカードの番号を見て、一件一件電話していきました。
大手の金融会社には、一通りお金を借りていました。
そして、あまり見かけたことのない会社名もいくつかありました。
なんか、もう、気が狂いそうになりました。
一軒一軒に事情を話しましたが、どこも結果は同じ
私は借りた本人ではないし、父の体調が回復するまではどうすることもできません。
支払期限を遅らせることはできません、と言われました。
ノートに、父が借りている会社と、額を書き出してみました。
Kさんに借りた額は300万
金融会社からはだいたい500万くらいの借金をしていました。
父の「借金」はそれだけではありませんでした。
まず、お店の家賃や、おしぼりのレンタル代など、
未納なものが多々あったのと、
あとは国民健康保険や、住民税、年金などは全く払っていない状況でした。
私はまだその頃、父の扶養家族に入っていたので、
私の分も払われていなかったし、
祖母の分もまかされていたようですが、祖母の分もずっと未納になっていました。
父の容態も思わしくなく、
目の前にあるのは多大な借金
私はどうしたらいいのか、わからなくなりました。
あまりに、やらなければならないことが多すぎました。
今まで、父の苦しみを見ておきながら見ないフリをしていたツケなのかなと思いました。
その時、私には絶望しかありませんでした。
誰かに必要とされたいよね
嘘の言葉でもいいからさ
私が必要だって言って欲しい
この世の中に不変なものなんてない
変わらないものなんて何一つとしてない
嘘をつかない人間なんていない
心の闇を吐き出す場所が欲しかったんだよね
そして、全てを知った最後に言ってほしいの
ただ一言
「お前は間違ってないよ」って
今日も一日終わった( ´∀`)
今日も頭痛かった
嘘つかない人なんかいないって分ってても
嘘つかれるとやっぱりさみしいよね。
ここんとこずっとあたま痛い
ただの寝不足ですけどね( ´∀`)
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
身体をお大事に
59 :
夢見る名無しさん:03/08/20 15:18
生きてますか?
過去のことかいてたら、どんどん暗くなってきて
ちょっと放置気味でした。
( ´∀`)えへへ
文章が変なのは、なれない言葉使ってるからですね
自然体でいこう
ICU(集中治療室)は2週間しか居られないんですよね
お父さんが病院に運ばれて、次の日には意識は戻っていたと思います。
でも、お父さんの口から発せられるのは
「う〜」とか「あ〜」とか・・・
ちゃんとした、言葉にはなってなかったです。
ただ、看護婦さんに自分の名前を呼ばれて「わかりますか?」と問われると
ちゃんと頷いて応えていました。
自分のことは、ちゃんと分っているみたいでした。
お父さんが、暴れるのが一番辛かったです。
体が痛くて辛かったんだと思います。
苦しいんで、点滴とか、管とか、取ろうとしちゃうんですよね。
だから、お父さんは常に、手足は縛られた状態でした。
私自身も、お父さんの足とか腕を、縛ったことあります。
看護婦さんも、誰もいなくて、仕方がなく・・・
仕方ないとはいえ、自分の父親の手足を縛るなんて
とてもいい気分ではありません。
あれは、本当につらかったな。
あとはね、伯母さんが始めて一緒にお見舞いに行った時です。
憎しみあって別れた兄弟なんですよね。
色々あって・・・
だから、はじめて行った時
お父さんが暴れちゃって、ろれつのまわってない口で
「もうくるな!」ってずっと叫んでて・・・
切なかった。
今だから、って親戚の人とかみんな言うんだけど
みんな
「もうだめだろうな」
って思っていたらしいです。
私も、そう思っていたもん。
みんな、私を励まそうと、大丈夫!って言ってくれてたけどね
どうみても、、
今までどおりのお父さんには、戻んないんだろうなって
覚悟はしてたよ。
そりゃあもうね、すっごい泣いた
色んな感情でさ。
お父さんがこんな状態になってしまったこと、
自分がお父さんを助けてあげなかったからだって自分を責める気持ちと、
もう、昨日までのお父さんはどこにもいないってこと、
そして、これからももう、今までいたお父さんは戻ってこないってこと
もう、そんなかんじでね
あとはね、お父さん自分の事は分ってるんだけど
今、自分が置かれている状況はまったく分らなくって
あと親戚の人が来ても、誰だかは全然覚えてないの。
それでもね・・・
私の、娘の事はちゃんと覚えててくれたの。
看護婦さんも、私が来ると期限がよさそうになるんだよー
なんていうからさ
×期限
○機嫌
一番、感動しちゃったのがね
お父さんが死にそうにしてる時にさ
私の名前呼んで
「愛してるよ」って
こんなん、書くのはずかしいけどね
親に愛してるなんて、こういう状況じゃないかぎり
キモチワルクていやだけどね
だけどね、それが本当に死ぬほど感激しちゃったの。
だからね
何があっても、お父さんは助けてあげようって思ったよ。
だけど、結局は・・・
私は、助けられませんでした。
そんな自分を、責める毎日です
借金の件では、法律相談所に相談しにいきました。
でも、どこに行っても帰ってくるこたえは無責任なもので
結論はいつも
「あなたの借金ではないんだから、放っておくのが一番」
てことでした。
確かに、そうなんですけどね
本人も、自分の名前は年齢は分ってるとはいえ
判断能力はまったくない状態です。
本人の代わりに動こうとも、本人の承諾がなければだめだし
本当に、どうすることもできない状態でした。
そのうち、家にまで借金取りがくるようになりました。
なんか、ヤバイとこから借りちゃったみたいで・・・
でも、親戚の人や、相談しに行った弁護士さんに
弱気になったり、かわりにお金を払ったりは決してしてはいけない。
と言われていたので
ひたすら強気でいくことにしました
「私の借金ではないので、私は払いません!」
って。
でも正直怖かった。
留守電はいつもローン会社からでいっぱいだし
電話越しに「じゃあいつはらってもらえるんですかねぇ」とか
ドスのきいたおじさんに言われたりして
もう泣きそうでした。
逃げ出したかったもん。
私が借金したわけじゃないのに・・・
お父さんは、入院して一ヶ月くらいで
体はすごく元気になりました。
もともと、外傷はほとんどなかったですしね。
問題は、頭でしたね
体は元気なんですけど、言ってる事がおかしいんですよね
日付の感覚も、いくら教えても戻らないし。
お父さんの中では、日付が、その事故に遭う前の日くらいで
とまったままになってるんですよね。
お店は手放すことにしました。
契約を続けていても、家賃などはかかっていくわけですから・・・
お父さんの思い出の品っていうか、
お父さんががんばってきた証を、処分するのが辛かったよ。
ごめんね、お父さん
がんばってきたのに、私、助けてあげられなくてごめんねって。
助けてあげられないどころか、
この手で、お父さんの希望を・・・
それを何度お父さんに話しても、
「あぁ、そうなんだ・・・」とすごくさみしい顔をするんだけど、
数日後には、忘れちゃうの。
「そういえば、お店はどうした?」って。
そのたびに、お父さんの辛い表情みなきゃいけなかった・・・
お父さんが、電気シェーバーを
「これは携帯電話だ!」って言い張って聞かない時期があって
どんなに、それは違うよ、電話はかけられないよ。って言っても
「かけられるよ!見ててごらん。」とかいって
あちこちいじくってみて
「あれ?あれ?」って言ってる姿みて
その時に、本当に
「お父さん、もうだめだな」って思った。
そんな状態になりながらも、
お父さんなりに、色んな事を考えていたんだよね。
借金の事、お店の事
いっぱい、どうしようって思ってたと思う。
言ってることは支離滅裂だったけど、ところどころに
お店の事、借金の事を言うの。
何にもない方指差して、
「あれ、とって。あの中に書類とか全部入ってるから」
って言うのね
それで私が「なんにもないよー」っていうと
すっごい怒って
「あるでしょうがー!そこにボストンバックがー!」って言うの。
お父さんにしか、見えてないんだよね。
すっごくすっごく、気にかけてるから、
そんな風にして口にするの。
お父さんも悩んでるんだなって。
だけど、脳が自分の思うように動いてくれない。
体も動いてくれない。
お父さんが苛立ってるの、よく分った。
そんな日は私も結構鬱になった。
私だって、がんばってるんだよ!
いっぱいいっぱいなんだよ!ってね。
この先、どうすればいいのかをずっと話してた。
とりあえず、借金取りから逃げる為と、
家賃を少しでも安くするために
それまで住んでた家は引っ越そうってことになった。
私は、最初おばあちゃんを引き取ると言っていた。
そして、お父さんが回復したら、またみんなで一緒に暮らすって。
お父さんが私にむけてくれた愛情
「愛してるよ」って言葉。
私の方を見て、涙をながして、
手を力強く握ってきたお父さんを、見捨てることなんて、できなかったから。
でもね、まわりの大人の意見は違ったの。
最後に決めるのは私自身だけど、それは間違っているよって言われたの。
おばあちゃんを引き取ることに関しては・・・
おばあちゃんは、あまり健康ではなくて
(自分で生活する分には問題ないんだけど・・・)
いつ、どうなるかはわからないって。
そうなった時、私が介護することになるんだよって言われた
お父さんのことに関しては・・・
お父さんは、いままで散々おばあちゃんの財産を使い果たしていた事がわかったの。
そして、今回の借金。
親戚のおばさんたちの意見はこうだったの
しばらく、親子の縁は切った方がいいって。
私が借金を払えるわけでもない、
私がおばあちゃんを養っていけるわけでもない、
私はまだ若いのだから、自分の人生を大切にしなきゃいけないって
そう言われました。
でも、親子の縁を切るって・・・
そんなこと、出来るわけないよ
一緒に暮らしてはいたけど、
私はおばあちゃんとも、お父さんともほとんど顔を合わせることなかった。
だからこそ、こうなってしまった事に
すごく責任を感じていたし
だからこそ、これからは助けてあげたいって思ったの。
お父さんにね、愛しているって言われたの
だから、私はお父さんを見捨てることはできないって言ったら
「辛いことを言うようだけど、あなたのお父さんは、とても信用できる人ではないの。
それだって、もしかしたら、計算して言ったことかもしれないの。
娘をずっと、自分の側においておきたいからって、言ったんだと思うよ」と言われました。
お父さんの実のお姉さんにね、言われました。
過去に、本当に色々あったそうです。
何千万ていう、おばあちゃんの財産を、
使い込んだこととか、はじめて、ちゃんと聞かされました。
そして、以前にも借金していた事
そのお金は全部おばあちゃんに返済してもらっていた事など
全部聞きました。
つかれた
あんまり好きな言葉じゃないけど仕方ないこともあるよ・・
なんていうかあんま思いつめないようにね・・
もう、一年前のことになるので・・・(´▽`)
いまはもう大丈夫です!
ありがとうございます!
さいでっか(´∀`)
この流れで「つかれた」やったからどきどきしますたw
まあがんがって〜
ありがとうございます(´▽`)
またぽつりぽつりと語っていこうと思います・・・(´▽`)
まだ落ちてない(*´ω`*)
おわっちゃったよ・・・
悲しいよ・・・
一番大事だったもの
一番大切にしなきゃいけなかったもの
無くしちゃった・・・
hosyu
娘として、父親を助けてあげられない
支えてあげられない自分がすごく嫌だ
私には私の生活があるって分ってるけど
たまに、悩むよ
伯母さんには、
あなたのお父さんはあなたが思ってるような人ではないのよ
って言われた。
だから、お父さんを助けるために、自分の人生を無駄にしちゃダメだって言われた。
辛いことを言うようだけど、当分は親子の縁を切るくらいのつもりでいた方がいいって。
お父さんが私の事「愛してる」って言ってくれたのも、
私を放さないため、同情をかうために言った台詞かもしれないんだからって
だけど、私にはお父さんのあの態度を、
計算でしたことなんて思えない。
他の誰のことも、分らなかったとき
私のことだけはちゃんと覚えててくれた。
私のこと娘だって言ってくれた。
親子の縁を切るなんて、わからないよ。
涙が止まらなかった。
けど、お父さんは入院をしている身だし、
容態もいつよくなるのかなんて全然わからなかった。
入院費の手続きとか、どうしても、私の名前を書かざるを得なかった。
親子の縁を切るなんて、そうそうできることじゃないじゃない。
そのおかげで、今でもうちにお父さんの未払いの入院の請求書が
私の住所あてにくる。。。
お父さんに、支払い能力がないのよくわかってるから、つらい。。。
保険とかもね、入ってたの
お父さん全部解約しちゃってたんだよね。
家族、全員の分。
そして、借金にあててたみたい。
自業自得っていえば、そうなんだけど
だから、私が支払ってあげる義務なんてきっとないんだけどさ
結局、私たちはみんなばらばらに暮らすことになりました。
おばあちゃんも、きっと色んな人に言われたんだろうね
お父さんに散々財産を使われちゃって
もう、親子の縁切った方がいいって。
私にすら、新しい引越し先の住所教えてもらえなかったもん。
今、どうしてるんだろう。
ひとりで、ちゃんと暮らしてるのかな。。。
思い出したくない気持ち、
ずっと忘れちゃだめだって気持ちが
ぐちゃぐちゃになってるなぁ
思い出したくないっていうのは、ただの現実逃避だから。
でも、もういやだよ。
本当に辛かったんだもん
全部、忘れちゃいたい。
もうやだ。。。
年末も近づいた頃、
お父さんの症状はどんどんよくなっていきました。
頭痛もなくなって、判断能力もしっかりしてきて
ほとんど、事故に遭う前の状態に戻っていきました。
ずっとずっと本当に、酷い状態だったから、
まさかここまで回復するなんて信じられなかった。
お父さんの回復と共にやってくるのは、現実
以前に住んでいた家は、もう解約の手続きも済ませてしまったし
お父さんの戻る場所、どこにもなかった
娘として、私の家に連れてかえればよかったのかもしれないけど
そんなことしたら、私の家にまで借金取りがくることになるんだよね
それだけはいやだった。
私は私でちゃんと暮らしてるんだ
私の幸せは私でちゃんとつくっていける。
それをこわしたくはなかった。
だから、私は自分の幸せのために、父親を見捨てました。
ほしゅ
ほしゅ
今日はお父さんの誕生日
連絡のひとつでも入れてあげればいいのに
どうしてだろうね
連絡取るのが怖くて
まだ仕事決まってないこととか
そういうの聞くの嫌なんだよ
私ひどいね
ひどくないよ
大切な人の悲しい姿を見たり
そういうのは辛いから
避けたがって当たり前だと思う
>>110 ありがとう。
誰かがそう言ってくれるだけで、すごく自信になります。
いつも自分の事責めてばかりだけど
すごく救われます。
本当にありがとう。
+
へ へ +
//',',\ /,⊂⊃ヽ
_//〃',〃≪)\)\| +
ゝ'〃',〃.,/';"ミ ・▽・ミ .・.・:☆ <
>>111 !!
´〃///〃⊂;;; つ
∠;;;ミθ…θ +
+
za
あげられちゃった(´▽`)
今日も頭痛
あたまいたいな
今携帯見たら、メールが来てた
とある金融会社が倒産したらしいよって内容のメール
家にしょっちゅう来るし、電話では脅してくるし
弁護士さんも「そこはヤバイよ」って言ってた
やっぱ悪徳金融だったのね
お父さんの借金、どうなるんだろう・・・
もう10月か
今年はわりと幸せな一年だった
あと残りの3ヶ月何もなければね
とにかく、21歳22歳と人生の底辺だったから
今は浮上の時かもね(*´∀`)
お父さんの病院へ向かっていたある日のこと。
地下鉄の階段を駆け下りてたら
足を滑らせてしまい、階段から転がり落ちました。
「ああ、ヤッチャッタ。もうダメかも」と思った。
どのくらい転がり落ちたのか、わかんないけど、
気がつくとすごい下の方にいました。
私より前を歩いてたおばさんが、
ずいぶん上の方から「大丈夫?!」って声をかけてきました。
正直全然大丈夫じゃなかったけど、
「だ、だいじょうぶです」って言ってヨロヨロ階段おりて、
電車に乗って何駅か先まで行った
でも、足がすっごい痛くて、もう全然歩けなくて
折れてるとかそこまでの痛みじゃなかったけど
これ以上は無理って思って、駅員さんに救急車呼んでもらった
こんなことで救急車呼んでいいのか・・・
でもそれしかないようだったので呼んでもらいました
結局足をくじいただけだったんだけど、
くじくのって、逆にたちが悪くて
一ヶ月くらいずっと足痛いの治らなかった
それからしばらくは階段降りるのが怖かった。
昔一段抜かしとかやってたけど、今絶対できない
でも、この時軽症で済んだのは、お父さんの着替え(入院してたからね)が
パンパンに入ったショルダーバッグ背負ってたおかげ
これがクッションになってくれて、他の場所打ったりとかしかなった。
運がよかったね( ´∀`)
人生の底辺っていっても、
最悪な出来事から生み出された幸せもたくさんあったな
そう考えると、底辺ってほどでもなかったのかな
でもあんな辛いのはもう懲り懲りだよ
今日でちょうど
お父さんが事故に遭ったあの日から、
ちょうど一年です。
タダイマ タイヨウケイ ダイ3ワクセイ ヲ チョウサ チュウ
マタモヤ ヒトリゴト シテイル セイブツ ヲ ハッケン
・・・・マケナイデ ホシイ
わぁ、Ω星人さんハジメマシテ
アリガトウゴザイマス!
(´▽`)ガンバリマス!
毛糸 サマ
ワタシニ ハンノウ スル カタ ニハ ナンノ シンパイ モ イタシマ セン
ゴ メイワク ヲ オワビ イタシ マス
デハ オゲンキ デ
Ω星人サン モ オゲンキ デ
(´▽`)ノシ
___
ヽ=@=ノ
/ ´_ゝ`) すいません、ちょっと締まりますよ…
| ̄У フ
|=秘=|
// | |
U U
>>128 おまわりさんかな?
ずごく体調が悪いです、ダルイ
でも出かけます。
10月4日、事故からちょうど一年の日は、
元彼さんに会ってました。
元彼は、私のこと、ずっと支えてくれていた人
別に、あの日から一年だから会おうとか
そういうんじゃなかったんだけどね
でも会えてよかった。
色々辛いこと思い出さないですんだよ。
元彼さんがずっと隣で支えてくれていた思い出
たくさん思い出しました。
( ´Д`)ダル〜