pc4・・・現在のエヴァ板はもはや危機的な状況
作品そのものが過去ものとして忘れられてしまった向きもあるが
あえて、ここで、やろうとおもうのです。
一つの時代は終った。しかし実存は残らなかった。
なぜなら、実存が一つの時代と分かちがたくあったからだ。
名まえいれんの忘れた・・・
私はエヴァについて解釈しようとはおもわない。
その正しさにもきょうみがない。製作者サイドの発言を真理のことばと
して、ありがたがる人間もいるが、作品そのものの―このテクストこれが
第一次資料でなくてなんなのだろうか。
そう、ただしさなど問題ではないテクストして―エヴァという物語を紡ぎ
だされるのみである。
なぜ、独り言なのか。
そもそも、なぜ書くのか
これについて考えて見なければならない。
ただ、神は死んだ。
我々には二つの受容があったように思う。
それは80年代にサブカルの洗礼を受けた世代と、90年代を生きた
世代。そのどちらにもこの作品はある種の物語を提供した。
エヴァを80年代のさき特に置いて読む向きはあった。東浩紀や、吉沢嘉博もそうだろう
「80年代は終った」後の物語である。ただ、これらはいささか、物語化しすぎている
気もする。
やはりアニヲタ・・・いやエヴァヲタだったか
だれだ、「ポストモダン」なんていってたやつは。
80年代のいわゆるニューアカブームは「消費社会の知的意匠として世俗化」した
ことはよくしられている。「消費社会から浮遊した記号の消費」という
戯れ、面白ければイイという相対主義・・・・。そしてサブカルチャーの細分化。
それらのものがたるのは一つの爛熟なのだろう。―いや、恐らく私の語ってることが
すでに繰り返された陳腐な不完全な言辞の焼きまわしにすぎないだろことは
十分に想像できます―一つの爛熟、それは一つの破滅でもあった。
>>10 ここにまで突っ込みにきてくれてありがとう。
80年代に―
ある時代が終末を迎える。宮台らの指摘した「うる星」的な日常のぐるぐるまわりと
「北斗の拳」「AKIRA」的な核戦争後の共同性というやつである。
なんともわかりやすい話ではないか、戦後我々は戦後民主主義といういびつな
ものをかかえつつもアメリカ式の豊かな社会を目指した。今は「努力・ガマン」
をして「輝かしい未来」がまちうけているという神話を信じられた幸せな時代があった。
しかし、輝かしさとともにある「未来」はなくなった。
われわれはかつてのような共同性と、「未来」をうしなったのだ。
(・・・・「私には何もない」物語としてエヴァをみることもできる)
15 :
夢見る名無しさん:03/07/17 21:49
おまい、いかにもな熟語、特に
社会学的なキーワード抜きに語れないのか。
恥ずかしくないのか。
道端でチンポ出すより痛いよ。
あ、露出狂ってのも世の中にいるもんな。
個人の自由でした、へいすいません。けっ。
>15
まったくそのとうり。(それって私がかつて誰かにも似たようなことを言ったような・・・)
ほんとはこういう語り方はしたくない。
#このことについて真剣になやんでっから大学いけんのだよオレは!
現代思想オタクみたいなひともいるが
本読んでその言葉を信じられるど私は幸せじゃないもの
ぶっちゃけていう、ムツカシイ言葉をつかうのは照れ隠しというか、緊張してんだよ。
∧_∧
( ´Д`) 続きまだー?
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_ | | もなー| |_..∬
|\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 旦.\
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\ ..ノ 出前迅速落書無用 \
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'\ ....\
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縮小再生産、パロディー、リミックス、プリコラージュ、ミクスチャー、カバー・・・・・・
GAINAXは最高のコピー作品を作った。コピーしか存在しえなかったからだ。
そのところを竹熊健太郎の比喩をひこうとおもう
「もはやこの世にオリジナルなど存在しない。あらゆる音楽はすでに
作曲しつくされ、演奏しつくされたのだ。」
音楽をアニメにおきかえればいいだけである。この悲壮でペシミックな
時代認識は後の「ライブ感覚」によりいっそうの必然性と、悲壮さを感じさせる。
それは「閉塞したアニメ界」の庵野にとっての臨界点である。
繰り返すが、ここに示されるレスが正しいかどうかは問題ではない。
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/////// (~) チリンチリン
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/////// ( ´∀`)( 厨 ) )) < 夏だなあ〜
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/////// //△ ヽλ ) ) 旦
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2chの夏。厨房の夏。
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/////// (~) チリンチリン
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/////// ( ´∀`)( 厨 ) )) < 夏だなあ〜
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2chの夏。厨房の夏。
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2chの夏。厨房の夏。
批評というのは未来を必要とするように思う。なぜなら生産的な行為だから。
そしてその先に何かある(という幻想)を抱かせるからこそ作品について
論じることが出来る。そういう面があるんじゃないか。
いま、我々の世代はただキャラに「萌え」るだけで、作品の縦の関係(つまり
通時的な歴史とでもいうか)を知らない。ただ、好きな、こんなキャラを作りたくて
アニメーターを目指しました。といった女の子にあきれた専門学校の講師だったかがいた
がいたとう話を聞いたことがあるが。
このあたりにもエヴァの受容にかんして当時年代による差があったように思う。
ところで、なぜ私がこんなことを延々と言い続けるのかというと
エヴァを位置づけるのに必要なコンテクストだからである。
あるコンテクストに置かれたときエヴァはある位置価を持つ。
そう、われわれにはなにもない。80年代のお祭りも、「未来」も
オタクですらないわたしにはエヴァのどこどこがこの作品からの引用だ
なんで元ネタさがしにもきょうみはない。オタクのような空虚であえて
たわむれることのない人間によこたわっているのは、臨界点を迎えたかのような
90年代だけである。
不安なの。
不安なの。
みんなに嫌われるのが、怖い。
自分が傷つくのが、怖い。
でも、ヒトを傷つけるのが、もっと怖い。
でも、傷つけてしまう。
好きなヒトを傷つけてしまう。
だから、ヒトを好きにならない。
だから、自分を傷つけるの。
嫌いだから。
だいっキライだから。
好きになっては、いけないの。
だから、自分を傷つける。
優しさはとても残酷
心を委ねたら、私は壊れてしまう
心が触れ合えば、あの人は傷つく
だから、私は壊れるしかない
無へと還るしかない
無へと還ろう
無へと還ろう
それは、優しさに満ち満ちたところ
そこは、真実の痛みのないところ
心の揺らぎのないところ
無へと還ろう
無へと還ろう
無へと還ろう
無へと還ろう…(リピート)
ほんとうは成功が怖い。失敗して安心する。
世界に対する安心感を得られなかった。
そう、逃げちゃダメだ。
この誰も見てないスレを存続すべきか―
いま、神さまがつづけんな・・・とおっしゃったきがする。
神「止めちゃダメだ止めちゃダメだ止めちゃダメだ止めちゃダメだ止めちゃダメだ」
おお、神だ。
ああ、また鬱がまわってきた。
無へと還りたい。
神託をうけたので、またエヴァについて論じよう・・・
でも、補給が必要・・・
「未来」なきわれわれに「批評」は無用だ。
実存として無用なのだ、そう、世代的な実存。
世代とは幻想である。幻想とはその内部に居るものには
限りないリアリティのある壮麗な大伽藍だが、外側から見れば
とるにたらないリアリティのもたないものにほかならない
われわれはこの点で世代による矛盾対立を経験した。
エヴァが戯画的にうきぼりにしたのだ。
80年代組(第二世代くらい?)はいわゆる「サブカル」を経験しただろう。
彼らはそして、終焉を経験する。「サブカル」終焉。私たちのお兄さん世代。
一部の人間はサリンとともみずから世界の終焉を願った。
そこに横たわる、―ある種の終焉
しかし、われわれ90年代組(いわゆる第三世代)にあるのは「ネタ」では
ない「ベタ」としてのエヴァである。
そして、「ベタ」としての「90年代」である。
それが、私にとってのエヴァである。
もっと欲望・欲求に素直になることができたならよかった
碇シンジは少年の皮をかぶった少女だ。
エヴァ自体にも実は「少女漫画」という指摘はあったが
これも「少女論」に入るのだろうか
そんなことはどうでもいい、ただうつくしい少年だ
だめで、弱虫で、弱くって・・・
有用性の空間からはじかれた人間はなぜうつくしいのだろう。
自分でもわからないがとにかくうつくしい。
澤野雅樹氏の「左利の戦い」
これはまさに「有用性」に関する評論だった。
左利の戦いそれはチルドレンの戦いにほかならない
しかし、小さな、臆病なたたかい。
最近性欲がなくなった。女の裸をみると動物のよう
肉体の具体的な形式は空虚そのものだが、まるで
その中身が感じられない。
肉体のアウラ(?)いや、観念の倒錯、それこそ性欲と呼ぶにふさわしい
私にはそれがない。
シニフィアン(肉体)には性欲を刺激する要素がない
もんだいは、自分の脳みそのなかにしかない
「私には他になにもないもの」
「ぼくには他に何もなかったから」
「もっと自覚するべきなんですよ、我々には他に何もないってことを」
comic3に戻ったぞ。
( ・_・)知ってます
47 :
夢見る名無しさん:03/07/26 01:40
まだエヴァオタなんていたのか…
きれいにデコレートされた闇鍋といった印象
その表現ウマイな
さて、とりとめもなく書き綴ってきたので
ここらで、壱話ずつ振り返りながらスレを進めようかな。
本家の板にもそんなスレはあったけどな・・・