神経質問答
第一章性格の特長を生かせ
1 神経質とはどんなものか
森田博士 かつて私が定義を与えたところの“神経質”というものについてお話しいたします。
これはもと、神経衰弱といいならわしてきたもので、この神経衰弱は複雑なる生活から
起こる文化病とか、心身過労の結果起こるものであるとか一般にいわれていますけれども、
これらはみな誤った考え方であります。
神経衰弱という病名は、むかしアメリカのベアードという人がつけたもので、それいらい
いろいろの病理説がとなえられ、物質的あるいは精神的にほとんどかぎりのない治療法が
試みられていますけれども、そんなことではけっして治りません。治ったようでも間もなく
再発して、慢性不治のものとなります。ところが、私がこの病気の本態を発見していらい、
ようやくこれを根治することができるようになりました。
一口にいえば、この病気は精神的に気のせいで起こるもので、けっして神経の衰弱から
起こるものではありません。これは主として、ある特殊の気質の人に起こるもので、私は
これを“神経質”と名づけて、神経衰弱という病名を否定したのであります。
せんじつめれば、じつはこれは病気ではありませんから、これを病気として治療しては
けっして治りません。ただこれを健康者としてあつかえば容易に治るのであります。
これから起こる症状は種々雑多で、ほとんどきわまりがありません。頭痛もちとか、女の
“血の道”、持病の癪とかいうものも、この中に属します。普通ありふれの不眠、耳鳴り、
めまい、心悸亢進、脈搏結滞、胃のアトニー、下痢便秘、腰の痛み、性的障害、その他頭が
ぼんやりして読書ができないとか、手がふるえて字がまったく書けないとか、あるいは赤面
恐怖、不潔恐怖、その他さまざまの強迫観念があります。中には、まる二年来まったく眠らない
とか、鼻の先がチラチラして気になるとか、あるいは口の中がムズムズしていつも心がそのこと
ばかりに執着していることが数年にわたるとか、ほとんど思いもよらないような症状がたくさんにあります。
つづきまだ〜?
これらの症状は、従来の医学が考えたように、けっして神経の過敏でもなければ、
神経の衰弱とか意志薄弱とか、精神の変質とかいうものでも何でもありません。
これはじつは、何かの機会に、普通の人のだれにでも起こる不快の感覚をふと気にし出したと
いうことから始まり、のちにはこれを神経質の性質、つまり自己観察がつよくてものごとを気
にするということから、つねにこれを取り越し苦労するようになって、あけくれそのことばかりに
執着するために、だんだんにその不快感覚が憎悪するようになります。
のちにはそれがあたかも夢におそわれているときのように、事実でないものをその本人の
身にとっては実際に重い病気にかかっているような苦悩にかられるようになるものでもあります。
それは神経質の患者がつねに申し合わせたように告白するところの、
“他人からはまったく病気でないように見えて、ただ自分ばかりが苦しい。こんな損な病気はない”
というとおりであります。すなわち実際の病気ではないということは、これによってもわかるのであります。
この私の発見は、コペルニクスの地動説にも比較することができるかと思います。それは従来の
医学では身体の変態、異常から他動的に起こると考えられていたのが、じつは自分自身の心から自動的に
起こるということになったからであります。
この理論によって、神経質の、従来きわめて難解であったいろいろの複雑な症状が簡単に説明されて、
容易に全治することができるようになりました。この発見は、もとより私でも、けっして一朝一夕に
成功したものではありません。医者になってから二十余年の間は、従来のいわゆる神経衰弱に効果が
あるといわれる物質的、精神的な療法はもとより、通俗療法、迷信療法までもやりつくしてのちに、
はじめてその苦心が報いられたのであります。
2 七種の気質の長所と短所
草光(学生) 神経質の人はあまり慎重な態度をとりすぎて、他人に不快な感じを与えるようです。
私の知人に大学の文科を出てまだ職につかないでいる人がいますが、神経質で、たとえば家庭教師
をたのまれても自信がないといってなかなか応じません。それで頼む方が不愉快になります。
それに反して、もう一人の友人は非常に快活で、いっしょにいるだけでも世の中が明るくなった
ような気がします。
井上(旅館支配人) 一人がそうだからといって、慎重なのが神経質全体の傾向とはいえないでしょう。
ヒステリー性の人は気が軽いから、いっしょにいると気持ちがよいように感じるけれども、大事なときに
信用がおけません。やっぱり神経質がいちばん信用できるんじゃないかと思います。
森田 こんなことは議論すれば限りがありません。神経質は一つの気質であって、それが常識はずれに
ば「変質」といって、病的なものになります。常人の程度にとどまっている場合に「気質」という
のであります。
私は人の気質を七種類に分けていますが、それを簡単に説明すると、次のとおりです。
神経質は、自己内省的で、何かにつけて自分のことを観察し批判する傾向がつよく、用心ぶかくて石橋を
たたいて渡るというふうであります。いったいに理知的で、感情を抑制することがつよい。したがって軽はずみ
はありませんが、ヒネクレです。自己中心的で他人に対して情愛がうるわしくありませんが、責任感がつよくて
信用を置くことができる、というふうであります。
ヒステリー性は、ちょうど神経質とは反対に感情過敏性ということが特徴であります。感情のままで
ありますから、自己内省が少しもできず、理知の抑制というものがありません。
移り気で、新しい人と親しみ、旧友とは反目する傾向があります。なぜ新しい人と親しむかといえば、
新しい人はよくお世辞をいってくれるからであります。
若い人は恋愛の相手としてよくヒステリー性の人を好むことがありますけども、結婚すると間もなく
喧嘩して離婚沙汰になることが多いのであります。
おもしろいことに、人のうわさ話などを聞くときに、神経質の人は悪い方面のことだけを自分にあてはまる
ように思って反省し、ヒステリー性の人は良い方面のことだけを自分のことのように思ってうぬぼれ、
つけ上がるというふうであります。
意志薄弱性の人は人生の欲望、向上心に乏しく、そのために目先の欲や下等な感情に支配されるものであります。
常習犯罪者や不良少年などがそれです。
発揚性気質の人は、陽気で愉快な人で、あっさりしていて交際上手で、よく人の世話をやくタイプです。
その半面、うわべばかりで、人に対する深い思いやりなどはなく、自己内省などもできません。人が笑って
いれば、単に喜んでいるぐらいに考えて、泣き笑いとかえしゃく笑いとかの見分けがつかないものであります。
抑うつ性気質の人は、陽気の人とは反対に陰気で気のふさぐ方で、何ごとにも消極的であります。
ときどき神経質と区別のむずかしいことがありますが、この方は単に気が沈むというだけで、
神経質のように自己内省が深く行われません。
偏執性気質の人は、物ごとにこり性でありまして、やたらに自分の権利義務を主張するとか、学問や発明に
熱中するとか、哲学にこり、宗教に惑溺するとかいうタイプで、一般の人間味が乏しくて、何かひとつのことだけ
執着する人であります。
精神分裂性気質の人は、表面から見たその人の言行と、内面から見たその人の気持ちや考え方との関係が、他の
人からは想像のできないようなタイプで、十年同棲してもその人の気心が知れないというような人であります。
つじつまの合わない行動が多く、学校では不勉強で成績が非常に悪いのに、思いがけなくラテン語の達人で
あったりします。これも心が内向的であるとか、ひねくれているとかいうことで、神経質とよく似ている場合
がありますけれども、神経質と分裂性気質の人を並べて見ると、スイカとトウガラシがちがうように
はっきりした違いが感じられるのであります。
なお、精神修養とか求道とかいうことについては、神経質者には多かれ少なかれ、それを求める心があり、
偏執性とか分裂性とかには一部分の人にそれがありますが、ヒステリー性、意志薄弱性、発揚性の人には
まったくこの志がありません。たとえば、このような本を読んでも少しもその意味がわからず、強迫観念
の心理などの説明を聞いても、まったく馬鹿げたことと一笑に付すばかりであります。
以上あげたように、人の気質はそれをさまざまに分けることができますが、そのそれぞれに長短があり、
趣きがあって、そのよしあしを決めることはできません。いろいろの宝石にそれぞれの趣きがあって、
そのよしあしを決めることができないように、ただその人の好みに応じて好き嫌いを定めるよりほかは
ありません。
水谷(学生) 私は以前に本で精神分裂症のことを読んで、自分はそれに違いないと考えてずいぶん心配
したことがあります。感情純麻という点がとくにそうであり、自分にはたしかに分裂症のところがあると
思ったのであります。
森田 精神分裂症はすでに感情純麻になっているのでありますから、けっして水谷君のように自己内省
して自分のことを心配することはないのであります。
私どもも昔から、医学の勉強中、肺結核の講義を聞くときには自分にもそれにあてはまるようなさまざま
の症状が感じられて、自分もその病気にかかっているような気になりました。
そのほかさまざまの病気のことを知るたびに、いろいろのことが自分の身に思い合わされて
心配になりました。
とくに精神病学をやるようになってから、すべての精神病の特徴が自分の身に思い合わされて
心配になりました。それが年をとるにつれ、劫を経たというか、しだいにすれっからしになり、
心配がぼかされてしまった形であります。しかし今でも、自分は変質者である、低脳である、
と思っていることだけは昔と変わりないのであります。
3 神経質は欲ばりである
山野井(会社員) 入院中二十日ほどおくれて香取さんが入院してこられました。
臥褥中には、私がよくご飯を運んだものです。そして起床第一日目に私といっしょに入浴したとき、
「何か入浴の規則があるのですか」と聞かれました。「べつに規則はありませんが、早く、
そしてお湯をよごさぬようにはいればよいでしょう」と答えましたところ、香取さんは非常な心づかいで、
そのとおりをやられました。その真面目さ、あのご年配と地位の方でこんなのかと、大変感激しました。
香取(会社社長) ほめられましたから、私のダメなところを一席やらしていただきましょう。
七年来の不眠で困りぬいたあげく、東京から大磯の貸別荘に家族づれで引越ししたことがあります。
それでもよく眠れませんので、こんどは自分で別荘を建てました。万事、睡眠に都合のよいように
建てたわけです。(笑)
庭を宅地のまわりに大きくとって、朝夕歩き回りました。散歩は睡眠によいと聞いたからです。
また風呂にはいると眠れると聞きましたので、夜中でもはいれるようにいつでもわかしてありました。
また舟に乗るとよく眠られると聞いて、毎日乗り、雨の降る時でも乗りました(笑)
そうやって苦しんでいるとき、偶然ある人に教えられて先生の著書を読み、それと同時に
治ってしまいました。一週間後には、七年もつづいた不眠が完全にとれました。
それからはげしい頭痛の発作も本を読んだだけでよくなりました。恐怖に突入するということを
実行したからです。次に疲労感も先生に一度診察していただいただけで治りました。
入院しましたのは、もっとさかんに活動できるようになりたいためでした。入院中は、
それはもうえらい元気で、庭中走りまわって仕事しました。起床第一日目には五時に
飛び起きて、皆さんがまだ寝ているのを、ガンガン戸をたたいて起こしてまわりました。
あまり騒々しいので、ある人は婆やさんが死んだのかと思ったそうです。
こんなふうで、自他共に働き者として許すほどよく働きましたが、さて家に帰ると入院中の三分の一も
働けません。あまり私が悲観するので、家内に「もういっぺん先生のところに行ったらどうです」
といわれたこともあります。
しかし考えてみますと、自分の家ではだれるのが当然で、それはたとえば先生のおそばや
会長席におれば自然に精神が緊張しますが、一般席にすわれば“だれる”のと同じです。
それでも入院前にくらべるとたしかに違っています。目つきでもやさしくなったそうで、
むかしはずいぶんきつかったのであります。いまでは、一週間の三分の一は入院中の程度で
働き、三分の一はいやいやながら働き、あとの三分の一は
どうにも“だれ”て仕方がないありさまです。
森田 実際は香取さんは、普通の人の三人前ぐらいの仕事をしているのです。それでいて、
仕事ができない、仕事ができないとこぼしています。これもやはり、自我を主張して自分ばかりが
苦しいと考え、人の苦しみを思いやらないということの結果であります。
私どもも香取さんと同様に、いつも欲張って、あせってばかりいます。香取さんだけに限ったこと
ではありません。とくにここで全治した成績のよい人は、山野井君でも、井上君でも、だれでも
みな欲ばりで一杯になっています。
私は今日は、思いがけなく患者が多くて、今朝六人の診察をしましたが、これは患者がきたから
診察するという行きがかりのことで、これだけでは、何だか仕事をしたような気がしません。
ときどき助手の古関君などにも、「今日は何も勉強しなかった」とこぼして笑われることもあります。
こんなこともみな、香取さんなどと同様な気持ちであります。
なお私は、身体は弱く、年はとっていますが、それでも四角八面に欲ばることをやめません。仕事に
くたびれて横になる、それが読書の時間です。夜中でも、目がさめたら本を読みます。そのとき一番
いやなのは、目がまぶしくてショボショボと痛むことです。本がおもしろいと、時には目を片方ずつ
休めるため、かわるがわる片方の目をつぶって読むようなこともあります。少し功利的に考えてみると、
老い先の短い年で、やたらに知識を貯えこんでも、あの世に持ってゆくばかりで、何にもならないはず
であります。しかしなお深く自分自身を観察してみますと、それは私どもが死ぬまで食うことをやめないのと
同様であります。知識欲も食欲もともに、私どもの本来の性情であるからであります。
私どもは、人がすしを食べているのを見ればそれが欲しくなり、ようかんを見ればまた
それが食べたくなります。あれもこれもと食欲がさかんであるときに、みずから活気を感じ、
楽天的になります。食欲がssまないのをこぼす人はあっても、食欲がすすんで困るとかいって
こぼす人はめったにありません。食欲がなくなると、何となく心細くて、悲観するように
なるのであります。香取さんや私どもは知識欲や仕事欲、あれもしたい、これにも手を出したいと、
限りない欲望に満ちています。この希望の心が、私どもの光明であり、元気であります。
山下(学生) 私は先生から全治といわれてガッカリしたことがあります。なぜなら、未知であれば
自分の無能を病気のせいにかこつけることができますが、全知といわれるとかこつけるものがなく、
それで自分の才能はたったこれっきりかとガッカリするわけです。
森田 ヒステリー性や発揚性素質の人は、ほめられるとあっさりとそのまま喜びますが、神経質は
なかなかそう簡単にはゆきません。妙なものです。神経質の人はほめられるとお世辞ではないかと
疑い、またほめられるに値するだけのことがあったとしても、ほめられる以上の責任を感じ、なおその
上にもし将来、その期待に反するようなことがあってはかえって信用をおとすことになる、と先々の
ことまで取り越し苦労をするのであります。
素質のちがいというものはおもしろいものです。「勝って“かぶと”の緒をしめよ」ということがありますが、
神経質の人にこんなことを教えたら、寝ても“かぶと”をぬがなくなりますから、ずいぶん首筋が
痛くなりましょう。一方、ヒステリーや発揚性の人にこのことを教えても、
馬耳東風で何の効能もないのであります。
神経質の人は、私が「全治した」といっても、「ほんとうに治ったかしらん。また再発するのではないか」
などと心配します。十の症状が八つよくなっても、残りの二つをいい立てて、まだ治らないと主張し、
けっしてその治った方をよろこぶということをしないのが特徴であります。
ある対人恐怖の患者で、退院後に手紙で「百分の三治った」とかいってきたのがあります。これが着眼点が
変わって、心機一転の状態になりますと、一つの症状がよくなればその一つをよろこび、二つ治ればその
二つをよろこぶというふうになって、日ならずして全治するようになるのであります。
4 優越感と劣等感
坪井(僧侶) いつか先生は、「自分は非常に頭が悪いと思っている」といわれ、水谷さんもまたそうだと
いわれましたが、私はそれを聞いたとき恥ずかしく思いました。今でも私はえらぶっているようですが、
小さい時、まわりの者から利口だとほめられたので、いつの間にか気位が高くなり、自分で自分をえらいと
思うようになったのではないかと思います。
小学校で中学入学の模擬試験を受けた時は十三番でしたが、それは自分がほんとうの力を出さなかったからだ
とうぬぼれていました。また中学入学の時は百三十番でしたが、私はそれを成績の順ではなく身長の順だと
思い、なおいばっていました。しかし後になって、それは成績の順だということがわかりました。
そして落第点をとるようになり、百点満点で平均四十五点のこともありました。中学三年の時強迫観念に
なりましたが、その時も自分は、実力さえ出せば成績はもっとよくなるはずだがいまは強迫観念のために
できないのだと思っていました。
しかし、いまはその反対になったようです。私の仕事である仏教の研究も、とても膨大で自分にはでき
そうもなく、非常にむずかしいと思うのですが、いまさらやめることもできないのでチビリチビリやって
います。とにかく小さい時から気位が高いので、いまの先生のお話をうかがって恥じ入っているしだいです。
森田 いまの話を聞くと、神経質の人とはちょっと趣きがちがうようにも思えますが、かならずしもそう
とは限りません。つまり自己内省がつよく、自分自身をよく観察できるという点が神経質であり、それが
ほかの気質の人には欠けているところであります。
さて、人がある特殊の性癖とか恐怖心とかを持っている場合、その原因として子どものとき、何かのことで
ほめられたとか叱られたとか、あるいは何かの事件があってうれしいとか、恥ずかしいとか驚いたとか、
強烈な感動を起こしたことがあり、それが心の中に深い影響を及ぼして、のちにその人の精神傾向を支配する
ようになることがあります。高島平三郎はそれを「第一印象」と名づけています。また九大の下田博士は、
神経質になるのは幼少時代のよくない養育の仕方により、親がその子を気を小さくしつけて、劣等感を起こさ
せるようにした結果であるといい、神経質を後天性の養育によるものと主張しています。
そして、神経質が治療によって全治することができるのはそれが後天性であるからであって、もしそれが
先天性のものであるならば治るはずがない、というように、私の治療法の効果を神経質後天説の証拠にしています。
もちろん強迫観念やその他の神経質の症状にはかならず発生の動機があり、後天的な環境の影響がきわめて
大きいことは否定できない事実であります。しかしながら私の神経質の療法は、皆さんもご承知のように
神経質という気質の特長を発揮させるのが主眼でありまして、その動機となった第一印象を取り除くとか、
劣等感をなくするとかそういうことではありません。むしろ、そのネライは、劣等感を徹底し、発揮すること
にあるのですから、私の療法で治ることが神経質が後天性であるということの証拠にはならないのであります。
神経質の第一の原因で、なくてはならない条件は、その素質すなわち自己内省的気質である、というのが私の
学説であります。坪井君の実例は、私の先天性素質説を説明するのに都合がよいのであります。一般に神経質は
劣等感から発展すると考えられていますが、坪井君の場合はそうでなく、子どものときから優越感に支配
されています。それでもなお、赤面恐怖その他の強迫観念を起こしてしまいます。それは坪井君に神経質、
つまり自己内省的気質があるからで、自己批判の葛藤から発病したものということができます。
私も子どものときは、坪井君と同様に優越感をもっていました。母の話によりますと、私が数え年の三、四歳
ごろの時、本と石盤をあてがっておけば少しも世話がやけず、ひとりで遊んでいて、そのまま時々眠っていた
ということです。
五歳のときから村の小学校にゆき、読み書きもよくできました。その時代には年に二回試験があり、近村の
いくつかの学校の生徒が集まり、試験管が出張してそれをやることになっていました。私も祖父や母に連れ
られて行きましたが、試験官が黒板にむずかしい漢字を書いて読み方をたずねるのを、他人の分までも片っぱし
から答えて笑われたり、ほめられたりしたことをおぼえています。
なお、そのころの小学校は、先生がたびたび変わり、ずいぶんつまらない先生もいて、教育の仕方はまったく
乱暴なものでした。十二歳の年に高等科を卒業しましたけれども、私の村は高知市から五里も離れたいなか
であり、中学校があることなども知りませんでした。それで年中ガキ大将で遊んでばかりいて、二年間まったく
>>66修正
なお、そのころの小学校は、先生がたびたび変わり、ずいぶんつまらない先生もいて、教育の仕方はまったく
乱暴なものでした。十二歳の年に高等科を卒業しましたけれども、私の村は高知市から五里も離れたいなか
であり、中学校があることなども知りませんでした。それで年中ガキ大将で遊んでばかりいて、二年間まったく
怠けて過ごしました。
十四歳のとき、母がはじめて高知に連れてゆき、中学校に入れてくれました。中学校にはいって一ばん恥ずか
しかったのは、手紙の返事の書けなかったことです。それが私の「第一印象」で、それから劣等感に支配される
ことがメキメキ上達しました。論語に「君子は上達し、小人は下達す」ということがありますが、私はそれいらい
グングン下達したのです。私の場合ももし順調に行っていたならば、坪井君と同じように優越感がつづいたかも
しれません。どっちにしても、私が神経質の素質であることはまちがいないと思います。
読みたかった本、ただで読んでいいのかな〜
>>69 絶版だからいいでしょうw
でも全集にはあるのかな?俺は知らんw
早川(学生) 私も子どものとき、自分を非常にえらいと思っていました。それは、習字がうまくて先生から
ほめられたからです。ところが小学三年ごろから兄弟の中でも字が下手になり、それいらい劣等感を起こし
はじめました。
中学校(旧制)へゆく自身がなくなったほどですが、兄にすすめられて思いっきって受験しま
した。思いがけなく及第して、みんなはよろこんでくれましたが、私は泣きたいほど入学がイヤでした。
入学したときの成績は百五十人中の十二番でしたが、私は発表を見たとき百二十番の零を書き落としたのでは
ないかと思いました。
その後、先生の著書を読み、神経質は上等の素質でえらいのだということを知り、自分もいまは一時的に
頭が悪いように見えるけれども、ほんとうはえらいのだと思いこむようになり、そのため不勉強がつづく
ようになりました。
森田 早川君はいつも何かにつけて思いこむクセがあってこまります。思いこむと、かならずそれが
執着になって、心の自由な働きはなくなってしまいます。以前にも早川君に「見つめよ」と教えたことが
ありますが、すると同君は「見つめていなければならない」ということを思いこんでしまって「心ここに
あらざれば見れども見えず」のたとえのとおり、自分は何を見ているのか一切わからなくなってしまった
のであります。
指導する私の目的は、何でも見つめていさえすれば、かならずそれに対して何かの感じがおこり、それか
らいろいろ心の働きが導き出されてくるというところにあるのですが、早川君はただかたくなるばかりで、
ちっとも素直な心の働きが起こってこなかったのであります。
この「思いこむ」ことをやめさえすれば、何かにつけて腰が軽くなり、すばやく物ごとに手が出るように
なるのであります。たとえば何か仕事の見積りをするようなときでも、まずそれに関係したことに手をつ
けて、仕事をしながら考えれば、かならず思いがけない妙案が出てくるものであります。
何もせずにすわりこんで目をつぶって考えこむこと、ただ考えがドウドウまわりをするだけで、実際
生活に即した考えはけっして浮かんでこないのであります。
布留(学生) 谷崎潤一郎の「痴人の愛」という小説に、主人公と女とが西洋将棋をやるところがあり
ます。もともと主人公が強いのですが、初めわざと負けてやるのです。すると、こんどはいくら勝とうと
しても勝てません。そうしたことは、私どもの日常生活にもよくあるようです。
たとえば人と競争するとき、初めに負けると、その後はいくらがんばってもなかなか勝てません。
反対に、初めに一等をとると、その後はいつでも一等がとれるようになるようです。
また、最近困っていることですが、昨夜原稿を書いたのですが、三時間もぶっ続けにやっていると疲れ
ます。それで、途中で「仕事の転換をしたら能率が上がるだろう」と思い、本を読みはじめたのですが、
すると本の方がおもしろくなって、なかなか原稿を書く仕事にもどることができません。絵を書いても
同様で、一度やりはじめたらもうほかの仕事ができません。このような場合、ムリにでも転換して勉強に
とりかかった方がよろしいでしょうか。
森田 その「ムリにでも」ということが、私がいつもいう「思想の矛盾」であり、強迫観念の形になる
からいけないのであります。つまり、「こうしなくてはならない」ということが心の葛藤になり抵抗に
なって、自然の心の流動をふさいでしまうことになるのです。
たとえば絵を書くとかいう仕事にあぶらが乗っておもしろくてたまらないとかいうときに、他の仕事に
転換しようとすることは当然むずかしい。だからその気持ちはそのままにして、それに対して反抗を
こころみるようなことはしないでおき、一方で気がるにウーンと身体の伸びをするとか、立って、
帯を結びかえるとか、ちょっと引出しの中を整理するとかします。それは仕事の能率には関係しない
わずかの時間のことですから、抵抗なしにできます。
この時、「ムリにでも」という心の反応がなければ、伸びをした拍子にフト額の字が目にとまるとか、
あるいは縁先にきた犬に気がつくとか、かならず何かと心が開発されて、簡単に仕事の転換ができる
ようになります。これは体験を積まなければ、理屈ではけっしてわからないことです。
とにかく仕事の転換にもっとも必要な条件は、「こうしなければならない」という心の抵抗がなくなる
ことであります。 なお、このようなことを体得するには、自力的に努力するよりは、他力的に環境を
選ぶということがかんじんです。
たとえば、布留君が私の近くにいて勉強しているとすれば、ときには私に話しかけられたり、用事を
たのまれたりしますから、他力的に仕事の転換をさせられることになります。水谷君はこのことを
知ってかどうかわかりませんが、いつも私に接近し、私のいる部屋の近くで勉強しています。その方が、
かえってよく勉強ができるのではないかと思われるのであります。
これによって考えても、家がゆたかで大事にされ、わがまま一杯で静かな部屋を占領して勉強して
きたような人は神経質になり、心の自然の活動がにぶくなるので進歩しませんが、苦学して人の世話に
なりながら勉強した人は、そんなわがままが許されないので、かえって実生活に活用できる勉強ができ、
仕事の転換なども自由にできるようになるということが想像されるのであります。
私も以前に、原稿をまったく休息なしに八時間もつづけて書いたことがあります。その時は万年筆を
持つ指がへこんで痛くなり、指もこわばって動かないほどになりました。前にもお話したことですが
神経質の人は惰性がつよくて、仕事の転換などもなかなかむずかしいものです。それは価値批判に
とらわれるために心の葛藤がつよいからであります。
私の甥に土居光知という英文学者がいますが、学生時代しばらく私の家にいたことがあります。その
勉強の仕方を見ると、一時間ぐらいやっているかと思うと、ちょっと庭に出たり、あるいは私ども
夫婦のところへきて話をし、五分か十分するとサッサと切り上げてまた勉強にとりかかるというふう
です。上手な勉強の仕方ですが、神経質の人にはこんなやり方はなかなかできないものです。
また布留君がいった勝負ごとの話ですが、兼好法師の「徒然草」に、「碁を打つとき、勝たんとす
べからず。負けじと打つべし」ということがありますが、どうもどちらもよくないのではないかと
思います。勝とうとあせれば自分の手ぬかりに少しも気がつかなくなりますし、負けまいとがんば
れば相手の手が見えなくなります。
ところで、勝ちグセがつき、調子に乗ったときには、勝とうとか負けまいとかいう勝敗の心を超越
していて心に少しも葛藤がなか、よく周囲の状況がわかりますから自分の力量を充分発揮することが
でき、したがって、よく勝つようになるのだと思います。しかしそれも、やはり自分の力量以上では
ありませんから、あまりこのことを重く考えすぎてはいけないでしょう。
水谷 私もひところ、学校の教科書を読むのがどうもイヤで、小説や文学論など自分の好きなもの
をよく読んだものです。かんじんの学校の勉強はあまりできないので、自分を意志のよわい、努力の
できないあわれな人間と思って苦にしていました。
ところが先生に、「おもしろいものは当然やめられないと覚悟すればよい」といわれ、小説なり何なり、
おもしろいものをドンドン読んでいると、何だかそれがつまらなく、物足らなく感じられるようになり、
もっと有益なものが読みたくなってきて、いまでは小説などめったに読むことがないようになりました。
布留 いまの話で、ひじょうによくわかりました。
続きまってました!
でもこんな重労働してまでカキコしてるのは何故?
講談社新書の「森田療法」好きだな〜
アテクシはヒステリーざんす。
3.14159265358979323846264338327950288419716939937510582097494459230781
6406286208998628034825342117067982148086513282306647093844609550582231
7253594081284811174502841027019385211055596446229489549303819644288109
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私は書記恐怖症。
いろんな神経症の人がいるもんだ。
で、続ききぼんぬ。
キリ番げと強迫。なんちて。
絶対癌だ・・癌に違いない・・
>>94の続きから
森田 私も中学時代、イヤな課目は手を出すのがおっくうなのでツイツイ後まわしにし、とうとうやらずに
しまうという傾向がありました。それで、数学などはいつもひどく成績が悪くて、やっと及第するという
ありさまでした。ところが中学四年のとき、「もし数学がほんとうにできないようであれば、将来とても上級の
学校に進学できる見込みはない。ここで一奮発しなければダメだ」と決心しました。そこで、次のようなやり方
をしました。
まず数学の勉強について、五分間でもよい、イヤになったらすぐやめることにして、とにかくとり
かかるということにして、自分で自分をだますつもりでやりはじめたのです。そうすると、いつの間にかおも
しろ味ができてきて、勉強が苦しくなくなりました。それで、中学五年と旧制高校とでは、数学に「優」をとる
ようになったのです。このような体験を重ねているうち、物ごとは何でも気軽く、まず着手することが
大事だということがわかったのであります。
布留 私はちょうどそれと反対のことをやっているのですね。おもしろいことを五分間やってやめよ
うと思ってとりかかり、ツイそれに深入りしてしまうのです。
5 暴力肯定論の誤り
早川 神経質は欲望が大きくて負けぎらいで、空元気で強がろうとしますから、人から普通の“わん
ぱく”と同じように思われるのではないでしょうか。
古閑(医師) 神経質も、何かの機会に自分の欠点に気がついて劣等感を起こすまでは、内気でない
ことがあります。たとえば、学校で人に笑われたとか、試験にしくじったとかいう時に、それが機会的
原因となって、いままでかくれていた素質が外面にさらけ出されるというふうです。神経質でも子ども
のときに乱暴なのはいくらもあります。
井上 腕白の話が出ましたが、子どものときはもちろん、中学の終わりごろまでなかなか乱暴をやっ
た人が形外会員の中にもいくらもいます。また坪井さんのように、子どもの時は劣等感とは反対の優
越感にひたっていたという話もありました。私自身も子供の時には腕白坊主でありましたが、先生から
は神経質と診断されました。自分としてはヒステリーじゃないかという疑いが起こることもあります
が、先生から神経質だといわれれば仕方なしにそうかと思うだけのことであります。
ところで簡単な自己批判をやってみようと思います。私は乱暴者で、現在でも自分は硬派に属する
と考えられます。旅館の番頭になって紀州の白浜温泉に行っていたころ、例の宝塚の踊りも見ましたが、
あんなハイカラなものは、サッパリおもしろくありません。ダンスより柔道の方が興味があります。
現在熱海には柔道場がないので、弓をやっているという状態です。近ごろはかなり暴力が横行してい
ますが、私はめんどくさい議論をするより実行が好きな方で、ある場合には暴力を是認してもよいと
いう考えをもっています。
坪井 私は僧侶ですが、必要とあらば暴力をもってやった方がいいと思っています。仏教界も過渡期
でありまして、とくに私どもの宗派では正しい者が没落して、金力のある者、あるいは“悪らつ”な者
が高い地位を得てきています。選挙でもあまりおとなしくしていると、正しい者も打ち負かされること
になります。きわどいところは、議論するより暴力でやる方が、話が早くつくようです。
古庄夫人(中学教員) 楠正成はその旗に、「非理法権天」という文字を書いていました。非よりも
道理が勝ちます。しかし道理に合っていても、法にそむいた時には負けます。ところが法に定められた
規則でも、権には勝てません。暴力も権だと思います。しかし権も天の裁きには負けます。結局の
勝利は天にあるわけです。正成はこの信念で吉野朝廷のために奮闘しました。私は、一時は暴力が
勝ちを占めるようなことがありましても、やはり究極は正しい者が勝つと思います。
森田 真正面から攻撃するとかいう理想を神経質の人がもっていても、それを直接に実行することは
なかなかむずかしいものです。発揚性気質の人ならば、こうしたことがアッサリいえるし、実行もでき
ます。ところが神経質の方は直言し、直接的に実行することはできないで、遠まわしに相手をやっつ
けるのであります。現に井上君でも坪井君でも、暴力を振るうことに賛成しても、実際に直言し、暴力
を振るうことはやっていないことがそれを立証しています。
布留 私はごらんのとおり身体も細いし、力もありませんが、負けるのはやっぱり人並みにくやしい
のです。友だちと議論して、相手が暴力でおどかすようなときには、くやしくてその場でもやっつけた
いと思います。しかし手を出せば、私の方が負けることはうけあいなので、うまくごまかして逃げてし
まうのですが、あまり愉快なものではありません。それで、負けて勝つということを、いろいろと工夫
したものであります。
宇野浩次さんがひところ無抵抗主義をとなえていました。相手からタンをはき
かけられても、だまっていたそうです。ここまでくると、負けるのも張り合いがあって、かえって痛快
です。またある坊さんは、「自分は暴力は振るわないが、どんな乱暴な狂人でも自分に対しては抵抗し
ない。それは自分に邪気がないからだ。狂人でも、子どもには乱暴しないものだ」といっています。
こんなことから、一時は無抵抗主義を大いに賛美しました。しかしいまでは、腕力もなかなか必要なも
のだと考えています。陰険な奴や、“わからずや”はなぐるにかぎります。
森田 暴力の話がしきりに出ましたから、それについて話してみましょう。私は中学と高校時代に
柔術、撃剣、居合をやりました。これでも、柔術と居合は初伝の免許をもています。柔術では、ぶっつ
づけに十四名にケイコをつけてやったことがあります。しかし私は、この年になるまで、暴力を振るっ
たことは一度もありません。おそらく、井上君もそうであろうと思います。私どもがむかし、武道を
やったのは、もし自分に対して暴力を振るう者があればいつでも相手ができる、というイバリと安心を
得ることが目的でありました。
じつは血気さかんのころには、暴力者に出会ってみたいという気分も大いにありました。またある時
には、暴力なしに相手に勝ったこともあります。暴力を加えたことはありませんけれども、酔狂者を
とりおさえたことは二度ばかりあります。
さて井上君の話を批評してみますと、私どもが理屈をいったり、主義を立てたりするのは,ある目的
に対する希望をあらわすものであります。その目的は、多くの場合、自分にとってなかなか得がたい
こと、あるいは自分にはできないことであります。ふだん自分に平気でできることには、なにも理屈を
いったり、主義を立てたりする必要はありません。だから、金持ちの息子が倹約主義をとなえたり身体
の頑健な人が衛生の理屈をいったりはしないものであります。
それと同じ関係で、学者や知識のある人は知識欲がつよいために、つねに自分を愚者のように思い、
柔順な人はいつも自分を不真面目で不徳義ではないかと反省するというように、その人の実際の事実と
理想とはちょうど反対になることが多いのであります。ところで私どもは、あまり自分の理屈や主義
主張にとらわれると、その間の矛盾に気づかずに、理想や主義を自分に実際にできることと思い込む
ようになるものであります。それが、普通の人の思いちがいやすいところであります。
井上君が暴力を肯定するというのも、ほんとうはなるべく暴力なしに勝ちたいからであろうと思われ
ます。また布留君の暴力の無抵抗主義も、結局は人に勝つのが目的でありましょう。ところでこの暴力
肯定論が一歩脱線すると、自分は気づかないで、なるべく他人に暴力を振るわせて、自分はその危険か
ら遠ざかるということになって、「ケンカのわきでモチを拾う」というようなずるい態度になります。
左翼あるいは右翼の扇動者には、とこどきこの種の人がいるように思われます。私自身もひそかに自分
を反省してみると、多分にそれと同じような考えがあることを自覚するのであります。自分は暴力を
振るう危険は避けたいけれども、他人がやってくれればいい、と思うことはたびたびあります。
暴力は、一口にいえば世の中の事実であり、現象であります。正邪はあとからくっつけた理屈です。
事実でありますから、よくともわるくとも仕方がありません。ここの修養で大事なことは、こうした世
の中の事実をありのままに認めるということであります。それは、わかりきったことのようで案外むず
かしいものです。事実をありのままに認めようとしないで、理屈にあてはめようとすると、矛盾におち
いります。
井上君が、自分ではまだ一度も暴力を振るったこともないのに、思想をもって暴力を肯定しようとする
のも、事実と違う点であります。
世の中には、デモクラシーとかヒューマニズムとかを論じ、宣伝する学者、道徳家、宗教家などがい
ますが、しかしその宣伝するその人がみずから民衆のために進んで犠牲になる人であるかといいますと、
なかなかそうではないのです。強調し、宣伝するのは人びとをはやし立て、けしかけることでありま
して、世間の人びとに正しいことをさせるのが目的であることが多いのです。こんな都合のよいことは
ありません。理屈の便利さはそこにあります。理屈ばかり知りすぎると、人の欠点ばかりとがめて、
自己内省はお留守になることが多いものであります。
著作権法の遵守
>>124 これからが本当は面白いんだけどなあ・・・。
君がそう言うならやめた。
いやああああ
やめないで・・・
127 :
引用について:03/06/07 11:57
著作権法
(引用)
第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
129 :
ニュー強迫:
2chが生む新たな強迫神経症は?