僕は此処に居る。

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1デカメロン
僕は此処に居る。居るんです
2デカメロン:03/05/07 18:28
うまいぐあいに下がるまで。。。
3夢見る名無しさん:03/05/07 18:30
>1
「私」と言う朧な定義。「此処以外の場所はあるのか?」と言う
不可思議。「居る」事の証明。その全てが他人には理解し得ない。

どうぞ、自己中な真理のまま、そこに居て下さい。
4デカメロン:03/05/07 18:31
理解し得ないか。
理解してもらえたらラクなんだろうけどな。
そうもいかん。
5デカメロン:03/05/07 18:34
いかんな、
逃げちゃだめだ。
逃げちゃだめだなんて決めたのが僕でも逃げちゃだめだ。
折角逃げない余裕があるんだもんな。
逃げちゃだめだ。
6デカメロン:03/05/07 18:38
あー。
筋なんて通さなくていいのにな。
7デカメロン:03/05/07 18:41
天使とケモノのあいだか。
理性だけ完全でもな。やっぱ天使にはなれん
8デカメロン:03/05/07 18:58
僕の中になんか邪魔な奴が住んでる。
受け売りの文句だけど。

泳がせておくのも楽しいけど
握りつぶしてーなー
って時もあったりして

でも余裕を気取ってたいから当分潰さんよ。
9デカメロン:03/05/07 19:10
孤独を気取ってたいのと
普通に笑いあってたいのが、こう、コンクリフトしてさ。
再起動して機能拡張マネージャでどっちか外さねーとなってときに
コイントスで決めるのって秩序の負けみたいで好きくない。

晴れてて
あー、空が青いなーって思ったら後者
あー、太陽があちいなーって思ったら前者
とか
テキトーにででも理由付けしてさ。
10デカメロン:03/05/07 19:11
あー
なんも見えてねーなー
11デカメロン:03/05/07 19:16
あ、動詞は「外す」がかかってるから>>9の前と後は逆か
12夢見る名無しさん:03/05/07 19:23
世界は俺のもの。
13デカメロン:03/05/07 19:23
気取る
って言葉いいなあ

幸せを気取る
とか。自分に使うとさらにいい。僕分かってますよー的な雰囲気が出て。
分かってないのか分かってんのか自分じゃ分からんけど
過去の僕はもう自分じゃないから分かってないなーって思える
14デカメロン:03/05/07 19:23
世界は僕のものです。
the world is mineか
くるりは好きだ
けだるく生きてけそうな気がして好き。
ああ、僕のものなんだなって実感できる。

少しきれいごとを混ぜて言えば
僕のものだからって他人のものじゃないってわけじゃなし
世界がひとつってわけじゃなし

世界か。世界ってなんだ。

せかい 【世界】
存在する事物・現象の総体。「現実―ばかりでなく可能―も考えて」「立場によって―の見え方が異なる」
<ア>宇宙。▽「世」は過去・現在・未来、「界」は上下四方の意。
<イ>地球全体。そこにある人間社会。万国。
<ウ>同類のものの集まり。その範囲。「歌舞伎(かぶき)の―」
[岩波国語辞典第五版]

あれ
僕の考えてる定義が書いてない。辞書は結構頼りにしてんのにな。
存在する事物・現象の総体か。

存在って何だ、現象って何だとかの個人の所感を埋めていくと
その人のもってる「世界」観が浮かび上がるようになってんのか。

あえてぼかして書いてるんだな。
政治家的頭の良さが国語辞典も蝕んでる。
悪い気はしないけどね。このケースは。
内容のないような文章でも
なんかの乾燥したアルゴリズムとかでつくったもんじゃなければ
ダーっていっぱいあったら
書いたのが個人ならその人の、団体ならそのコミュニティの
性格ってなんとなく分かるはず

あー、こいつは腐ってるなとか
あー、こいつは○○気取りだなとか
あー、こいつやる気ねーなとか
あれ、これってやっぱなんかの乾燥したアルゴリズムでできた文じゃねーのとか

怖ぇな。
でもまたなんか書こ
おーい、誰かなんか書いてくれ

ナンバーガールのDRUNKEN HEARTEDみたいだ



sageて言うセリフじゃねーな

19夢見る名無しさん:03/05/07 19:56
デカメロンは俺の奴隷。
20夢見る名無しさん:03/05/07 19:57
デカメロンは俺の掌で踊っている。
21夢見る名無しさん:03/05/07 19:59
おいデカ!ケツが痒いぞ。
お前らだれ?怖ーぞ。
むしろいいやつなのか。分からん。

僕は奴隷じゃあねー。
まあ、でもしばらくおまいの掌で踊っててやるからみとけ。
僕が掌で踊ってるか。
そー思ってる奴もいんだろうなー。ていうか、既にある意味踊ってるしな。

ケツが痒いって、掻きゃあーいいじゃねーか
あれだな
俺悩んでるんですって奴に悩まなきゃいいじゃねーかって言ってるみたいななげやりさだな

案外俺悩んでるんですって奴は悩むなとか言って欲しいんかな?
腹減ったー
って苦しみがなかっても
それでも食事はうまいもんなのか。

絶対うまくないよそれ
いいもん喰ってないってわけじゃないと思うけどなー

あ、おやつはOK
いくら他人が僕をどう思ってるか考えるのは意味をもたないとか言ってもさ
悔しいけど
やっぱ誰かに何?あいつとか思われるのは怖い
言われるのはもっと怖い
あー、でも本当に怖いかっていうと
思った以上は言ってくれよって感じ
だって何?あいつとか思われるの怖いし
直さなきゃいかんでしょ、そこ
暇だから>>3に醜い抵抗をしてみようっと

「僕と言う朧な定義」か。
これが僕だなんて僕以外の奴にしか言い切れない。
ところが、僕以外の奴は僕のすべてをとらえられはしない。
ダメじゃん。

次。

「『此処以外の場所はあるのか?』と言う不可思議」か。
すべての場所がそこにいる人にとって此処であり、
すべての此処がそこにいない人にとってあそこだ。
此処なんてのは独り善がりな暫定にすぎない。
ジコチュ〜♪

次。

「『居る』事の証明」か。
証明ができたとしたら、そんなのはとりあえずでしかない。
すべては、僕の感覚によって定義されているのだから。

すべては、僕の感覚によって定義されている。
だから、僕を含めすべての人は
彼が自己中であることを否定しえないから。


だから、僕は「理解」に抵抗したんだな。なるほど
あー、いかん

理なんてもんは糞に劣る。
くせえくせえ。

要はさ
形而の境をどこまで上げられるかよ。
27夢見る名無しさん:03/05/07 22:10
>>3
1にはそんな文章理解できない
28夢見る名無しさん:03/05/07 22:18
Σ
29抹茶 ◆MACCHAqh7A :03/05/07 22:41
(゚Д゚)<ほら 書く事から始まるってゆーし 見守り気味で コンバンワ
いいやつがふたりと、なんだかいいやつがひとり。
まずまず。

>>3がもろいな。つっつくならそこだ。
って判断できるってことは、つまりそいつのあれに理性があるってこと
ロゴスだロゴス。
2chって楽しいね。みんな鋭いし。

っていうかさ
シグマ!
とか書かれてもさ
え、
としかいえねえ。いえねえよ。僕アタマ悪ーし。
なんか、こう
  自 分 、 必 死 だ な ( 藁
てかんじ

コンバンワ。
書くってのはさ
こう、轟々とうずまいているものやら、ぽこんと出て来るものやら、
あるいは、波一つない
あれ、明鏡止水だね
みたいなそういう様子を、なんだか神がかり的なルーチンで
規格化とか、方向付けとか、ある程度形而下にひきおろしてきて
ってことだから
よく練習しないとね。
書く事から始まるってゆーし
秩序か。

あー、なにもねーなー、ラクだなー
ってのがそうなのか。
そしたら
僕が此処でしてることってのは
いかに無秩序に近付けつつ、秩序でいつづけられるか。

整ってるのは気持ちいい
けど、
雑然とした、とか荒涼とした、とか
おいおい、やる気ねーんじゃねーの?みたいな
そういうのも気持ちいいことがあって

常にやる気出しまくり、もう整いまくり
とか
常にやる気ねえ。おれぞ混沌
とかは
やっぱ本能的にあれなのかも
甘いもんばっか喰ってるとなんか飽きて来るみたいなさ
こう、
いまいちやる気ねえ文体で暇人気取ってても、
やっぱ常に精一杯なわけで、
常に
あー、いまいちやる気ねーなあ
っつってほんとにやる気のねえ奴とかは
うらやましい。

なんかかんかで余裕ができたりしたら、
ちょっと普段ではできないこととかして
必死で余裕があったことを確認するとかじゃなくて、
ああ、余裕あるなあ
って感じるだけ
みたいに超然としていたい。

べつにさ
余力のこしたっていいじゃん
俺アタマ悪ーから
とかいうのって

卑屈で言ってんのと
謙遜で言ってんのと
マジで頭悪りいって思ってんのと
なんかいまいちやる気ねーってのをもっともらしく言ってんのと
あるけど
常に三番めでありてえけど
>>30でいってんのって
若干三番めも入ってるけど
四番めだな。

お前さ、四番目じゃねーの?
って言われたくないしな。
なーんで人見知りすんだろ。。。

絶対いい奴だって分かってて
ヤな奴だったらヤな奴だったで逆に嫌われたい
のに
どーしてもなあ
もう、無意識に

かといって
逆にヘンに人類を信じてたりして
あいつはヤな奴だから知らん
とか
あいつはイカれてるから知らん
とか
お前どーせてきとーに言ってんだろ
とか
それ、意味ありげだけど、全然ただの落書きだぜ
とか
こう、ばっさりと簡単に切り捨てられねーところがあって
なんでだろーなあ
やけに下降愛だけ豊富で

どっかで
こっちが世界を見捨てたら世界が僕を見捨てるみたいな考え
があるんかもなあ

でも、やっぱどっかで
そーいう生き方に満足もしてて

人なんてさ、てめえじゃ変われねーよ。
禅問答に答えはいらん、か。
あんだけ向井秀徳ががっぱになってがなってるのに
今日はじめて納得した

なんか
とんでもないフレーズでも
なんでもないフレーズでも
誰か僕以外の奴にさ
面と向って言われたら
信じるよな
「おまえなら大丈夫だよ」とか
絶対他人にしか言えない台詞だし
でも
そういう台詞を僕が言ってるかっていうと
言ってないなあ。。。
ってのが半分
知らんうちに言ってるかもなあ。。。
ってのが半分弱
残りちょっとは
ていうかまず何言ってほしいか分からんしなあ
みたいな弱音

けど
さすがに
一升瓶、三本!!
みたいなフレーズには
たぶん意味はないわな。
「少女よ
 大きく、おおきく
 飛べ。
 真夜中が笑い出す、狂いだす
 時間に
 飛べ。
 そうすれば
 あなたの
 完全勝利。」

なんでもかんでも振切ることが完全勝利なのか。

結局さ
誰にも気付かれずに
自己中にどーっぷりつかって生きていけたら
それで勝ち
誰にもけどられない自己中
最強。
37夢見る名無しさん:03/05/08 20:00
居るだけならば誰でも出来る。そこで何を成すかが問題かと。
僕は此処に居る。
けれど、
僕が「此処」に
居なかった時期もある。
それは単にコドモだったのかもしんねーけど
結構マジに悩んでちゃったりした時期もある。
今でこそ
僕は此処に居る
なんて
胸とか張って言えるけど
あんときの僕を
僕には嘘とは言えんよ。
言えんし、
誰にも嘘とは言わせない。

だから、
どんだけ当たり前の腐った言葉だったとしても
言う。

僕は此処に居る。
いくらさ
人は流れに乗ればいい
なんつっても
ベクトルもたずにただ流されてたんじゃー気持ち悪いわな
ふだん世渡り人のつもりでいても
たとえば
どっかからの帰りで一時間ぐらいチャリ漕いでると
途中でいきなり
夕焼けと青空の境あたりが妙に
あー、きれいだなー
なんて気付いたりして
かちっとスイッチが入って
どこに行きてーのか分かんなくなって
街とか人とかチャリとか
NOVAのカンバンとか
全部透明に見えたり極彩色に見えたりいきなり光りだしたりして

あー、僕ってどこ行くんだろ
どんな自分目指して行くんだろーな

とか

けど、
あ、ここ左折
みたいな冷静なコトバが聞こえて
途端に一寸マトモになって
左折
「人を憎んで生きてく事ほど辛いことってねーよ」
なんて言ったけど
べつに本当はそう思ってねえとかじゃねーし
あんたにそう思って欲しいとかでもねーし
じゃあお前ナニ言おうとしたのよ?
っていうと
何だろなあ、多分
僕は、ただラクして生きてーし、実際ラクして生きてんよ
っていう告白
ていうか
誰でもラクして生きてーし、ラクして生きてんだろーよ
他の奴には
なんだあいついらねえ苦労してんなー
とか言われてても
実際
それって絶対
そいつの中で一番ラクだってことになってる生き方だし
そいつ自身
あー、うぜえなあ
とか思ってても
ちょっと考えてみれば
サイコーにうぜえ道と、わりかしうぜえ道と、ビミョーにうぜえ道のなかだったら
いま歩いてんのって絶対三番目の道だし

憎みかた忘れててろてろと生きてんのも
アリなんじゃね?
なんて
一寸言い訳

自分のラクな生き方観が
法にも道徳にも触れないってのが
サイコーにシアワセなんだろ。きっと
ま、そんな事言ったら
道が分かれてて
賽でも振ってテキトーに行き先決めても
自分で自分に責任負わしたくないから
うんたらかんたら
とか
人間に思考と発想がある限り
その方法が最善である理由なんて無限に挙げられるし

まあ、だから
大概そうなんじゃねーのってこと
ガキの頃
バスで学校に通ってた
起きて、飯喰って、家出て、バスに乗ると
うんこのしたくなる生体リズムとバスの時間がぴったりかぶる
かといって
早起きする気力はねーし、遅いバスじゃ間に合わねーし
しょうがないからガマンしてた
おかげで、今でもうんこをガマンすることにかけては
並々ならぬ自信がある

まず、
あ、これはうんこをがまんせねばならんことになりそうだな
と思ったら
下腹部に注意を払っておく
奴らが直腸の手前まできたら、そこで踏みとどまれ
だいたいの人々は菊門にくるまでガマンをしないが
直腸入口で一回踏みとどまるだけで
時間にして通常の2倍強はもつ。うまくいけば3倍もつ。
時は流れ
直腸に侵入を許して、菊門のところまできて、それも限界だと思ったら
無理な抵抗は禁物
もうハミ出すんじゃねーの?ってぐらいまで締めるのをガマンする
下手に締めると、奴らの動きにスパートがかかる

あとは、念のため
人目を盗んで尻の所にちり紙をいれておく
これで完璧

重要なのは、
出かける前にはトイレにいっておくこと。
憂鬱なふりして
自分から来て
行き先は自分で
その感傷の甘美なこと!
鬱って漢字一字だけで
あらゆるものが購えた

やっとこさいつからか
それをガマンすること覚えてさ
当然自分が始発の辛いことはなくなるから
辛いことなんてほとんどなくなって
腹減ったなあ、眠ーなあ
とか
目が痛えや
ぐらいしか言わなくなって

けど、なんで僕は禁欲を始めたんだろ、とか
いつから自傷愛好会辞めたんだろ、とか考えてっても
結局
わかんね
思い出した
長いあいだ自傷に酔ってたのは
快楽のためとは一概に言えなくて
じゃあ何でかって言うと
追撃の手を緩めれば、僕はダメ人間になっちまう
徹底して自分のうらなりになってる房をもいでいけば
いつかは自分で誇れるぐらいの奴になれる
って信じてた
いいふうに言えば
低次元だけど、具体的な
「どう生きたらいいか」を
がっちり抱えて生きてた
そういえば
ちょっと面白い、特別な日があった

その日チャリに乗ってて
そろそろスイッチ入るかなーなんて頃に
ガクッと視界が歪んで
一瞬だけ、街がすっげえ整って見えた
信号待ちしてるオッサン
客引きのオッサン
服着て歩いてる犬
バックしてる車
シュールなぐらいに整って見えた

とうとうその日スイッチは入らずじまい
あれ、明鏡止水だね
なんて
自分で笑ってしまうぐらいおだやかで

案外
その日が契機だったのかもしれない
どうも
よくわかんねー、いまいち確信もてない
みたいなこと
それも、特に
こないだのあいつのあーいう言動ってさー
みたいなこと

勝手にいいように解釈しすぎるなあ

ヒトなんてさ
ただのココロのいれもの
っていうけど
ぎりぎり、オマケの及第よ
ココロのいれものとしては
て感じ
コトバとか動作とかじゃ足んねーよ
て感じ
不完全性がコトバの新たなアイデンティティになるんだ
それが文学なんだよ、ワトスン
なんて言っても
コトバにアイデンティティはいらん
あー、ただいま反対意見がありました
ぜんぶコトバのせいにするのは
いかがなものか
なんでも
かんでも

おまいのコトバが弱いのは、
おまい自身が弱ーからじゃねーの?
そうだよなあ
コトバが不完全だって決めてかかるのは
言い掛かりというか
知性の敗北だよなあ

──臆病でためらいがちな人間にとっては、いっさいは不可能である
なぜならばいっさいが不可能なように見えるからだ──
いい言葉だけど
引用元がジョークサイトってのがな。ちょっとあれだけど。


分かりあえない人生もタイクツしなくて面白いんかもな
あと
アンタとは分かりあいたくねぇーなあ(プ
なんて言いてーような奴もいるしな
アキレスは、前を歩く亀を永久に追い抜けない。

うまいのは『絶対に』とやらなかったところ。
あとちょっと
あとちょっと
あとちょっと
あとちょっと



考えれば考えるだけそれこそ永久に瞬間は出てくる。

これ、ゼノンのおっさんが言ったんじゃなきゃあ
考えることへのサイコーの皮肉だぜ。
だって、一行目を俺が訳すときっとこうだ

おめーら、何イロイロ考え込んでんの?
生きる意味。人生。ふーん。
それ、ほどほどにしとかねーと意味ねーぞ?(プ
なんだこれ。
発言欲。発言欲。発言欲。発言欲。
発言欲。発言欲。発言欲。発言欲。
テレビを見ている。
イラク攻撃に関する報道論みたいな。
画面上部に流れる「視聴者の声」がうざい。
やたらと
哲学談義の好きなやつが居る
今日のテーーマは
自分が自分でありつづけるというのはどういうことか
物好きな奴。
早速「禅問答に答えは要らん」を使ってみた
けど
その台詞、すなわち知識の敗北
悔しいので
チャリに乗って答えを考えてみた
言ってやろ
明日
いやに誇らしげに
自分が自分であるということ
即ち
常に
一本の道じゃなく
選択肢として、色んな方面に
未来が見えるっつーこと

もしくは
時間の進行が
前進
ではなく
選択
としてとらえられるっつーこと

その多角性こそが
“自分”
自分で戒めた縄を解いてさ
自由んなったはいいけど
あれっ
飛びかたも知らんのに
空に放り出された
って分かったら
正直
ビビるよな

正直
ビビってます
この世にゃ
エネルギーっつーもんがある。
集まり
流れ
薄くなって
また

悲劇に
理由なんてねえ
けど、僥倖にも
理由なんてねえ

理由のない衰退は、理由のない隆盛が押し潰す。

理由なんていらん。
ただ、存在。
それ自体が欲しい。
いい商売を考えた
人の持ってる全部
モノとか、人間関係とか、価値観とか
何でも預けられる貸し倉庫
一旦全部預けてしまって
思い出したものから手元に戻って来る
利益は
客が思い出し損ねた
モノとか、人間関係とか、価値観とか
を、いただく
客は
本当に必要なもんだけ持って
身軽に生きてける

けっこう需要あるかも
欠点は
運営サイドのふところに
ほとんどカスみてーなもんしか入って来ないトコ
憎しみは愛の対義語じゃなくって
愛の本当の対義語は無関心なんだそうな

最近
昔なら何日でも凹んでたろーな
ってことどもにも
ふーん、そうなんだ
なんて
涼しい顔して話し掛けられるようになった
感じがする
けどそれって
認めるふりだけして
印象に残らないようにして
なおざりにして
ただ
必死になって悩むまい、苦しむまいとしてるだけ
とも言えんことはない
涼しい顔して話し掛けてるようでいて
十把一からげに、見境なく
おめーらに価値なんかねえ
おめーらはただの妄言だ。
とか言い渡して、
ただ僕という国家の現在の安泰のために
ただ冤罪によって投獄される
印象、意見
すなわち
形而上の自分

それって
まずいような気がする。
自分やら僕やら
とにかくその意識の主体を考えるとき
そいつは必ず二人いて
今なにしたいか
今どうありたいか
っつう方向性と
あとでするなにかのために
あとでこうありたいために
っつう方向性との葛藤
つまり
判断

予測
もしくは
表質

本質
の葛藤
難しい所は
この判断は、予測をも満足するかどうか
表質を満たすと考えられるものが、本質を満たすかどうか
つまり
今望んでいるものが、本当に望ましいものなのかどうか
というのの判断

っつっても
そんなん
自分ひとりじゃ分からねーよなあ
57デカメロン ◆lB6O5uZ46Q :03/05/15 18:51
age

誰かなんか書いてくれ

テキトーに何か書いてくれれば
テキトーに何やら書くかもしれん

人助けだと思って
な?
58夢見る名無しさん:03/05/16 01:43
何か起こればいいって思う
戦争でも
大地震でも
他人事なら話のネタ
話題は多いほうがいいだろう?
退屈しないしな

俺は糞野郎

寒気がするから俺より不幸なやつ探して安心したいんだ
人助けをした今日は平穏であればいいな
59デカメロン ◆lB6O5uZ46Q :03/05/16 03:08
おお
いいねいいね


善とは、最も卑劣な自己満足である
ってのは誰の言か。

「疑わしきは被告人の利益に」
これ以上に人類愛ってやつを表現した句を
僕は見たことがない
疑わしい以上の事をいわれず
赦される被告人が手に掛けた死人は
われわれが冤罪を問われないためのイケニエ
全ての善良な市民への愛は
屈折した、最も一途な自分かわいさ

他人の不幸を喜ぶことを忌むのは
自分の不幸を悼んでもらう理由づけ
僕達がしたたかにたたずむこの世界に
いったい、この世の中に純粋な自己犠牲なんてあるのかい?
この世の中に相対的でない幸福なんてあるのかい?
60夢見る名無しさん:03/05/16 03:36
日本には拷問制度を導入すべきだ。

特に少年に対してはきびしいいいいいいいいいい拷問を!

あんなクソガキどもばかりの社会になっちまうのはかんべんじゃ!
見せしめに拷問刑にかければガキドモは拷問を恐がって犯罪なんかしなくなるだろうさ
強者が弱者をどうのこうの
という光景は、あって然るべきだ
けど
誰もがそれをいわず
誰もが秩序を高くかかげるのは
誰もが
弱者である瞬間をもっているから

プロレスラーは武装した兵士に
武装した兵士は爆撃機のパイロットに
爆撃機のパイロットは彼の妻に

この街には
誰も
反秩序をかかげる者はいない
光の流れが内から外へ
僕たちは夜に生きて整然
黄色が点滅をつづける
だれもとおらない交差点の付近
夜の殺伐に震えた体は
怖がってる?奮い立ってる?

昼間を生きるあいだは
笑ってあの娘だけが頼りさ

光の流れが外から内へ
恒星が赫く衛星と輪舞
赤と青はせわしなくまわって
下をとおってゆく者もあるだろうよ
朝の瘴気が人間を殺して
僕たちだけ、夜に生きて整然

昼間を生きるあいだは
笑ってあの娘だけが頼りさ

朝の瘴気が人間を殺して
僕たちだけ、夜に生きて整然
僕たちだけ、夜に生きて整然
いつも
どこまで突き放したもんかな、
って思う。
どの程度までだったら
遊び心で、わざと、こんなことしてんだ
って
分かってもらえるだろーか。
僕は、
絶対にあんたらを
わざと傷つけたりはしまいって
いつも
思ってんだ。
それでももし
傷つけちまった時は
僕も
同じぐらい傷ついてるんだって

そう言ったら、信じてもらえんのかよ
いいんだ
無関心に生きたって
正確には
自分に無関心に生きたって

天上の、観念的抽象的非論理的戦いにゃあ
下界のイモくさいゴロゴロした武器は歯が立たん
ケージ上の敵には
ケージ上の戦術で対処せにゃあならんのさ

何かの表紙に
知らないうちに少しずつ疲れてて
疲れたまってっと
よくわからんゆらゆらしたもんにまで
気を配ってらんねーんだよ。。。
拍子だ、バカヤロゥ
66山崎渉:03/05/20 04:20
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
山崎駅通過ー。
68山崎渉:03/05/21 22:06
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
69山崎渉:03/05/21 23:07
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
何だおい、最近は爆撃が多いな
ニュートラルでありてえ。
せめて
感受性ぐらいは
自分でどうにかできるところぐらいは
つねに
ニュートラルで。

なにもない所に
あるいは
無機的な所に
醜い
という文字は存在しない。
醜いのは、常に
誤った有機体。
間違った自己。

そーだ
間違えた自己を
確固として持っているやつは
醜い。

自分のイデオロギーは消さねーでいいけど
否定したがる自己を消すことぐれーはできんだろ。
不完全でありたい
という欲望は
実際、僕の中にあって
けれど、それは
デストルドー
だとか
安っぽいヒューマニズム
じゃなくて
より完全な完全への欲求

早熟というのは
たぶん
危険だ、そうにちがいない
いまの僕は
自分を固めてしまう
には
まだ、まだまだ、早いんじゃね?

んー、そんな気がする
羽根削がれしツバメは
失った世界の広さを呪う
もし、彼にふたたび
空を与えたならば
しかし、彼は
越えるべき海を呪う


結局
どんだけ
忙しいイソガシイって言って
涙ながしてもさ
心の底ではさ
楽しいっつうか
充実してんのよ。
だって
死にてーほどイヤだったら
ホントに死んじまうもんな。

あえてこんなこと書くのは
今日じゃなくていいけど
やっぱ
経験則として
そうだよ。そんなもんだ
世の中にはさ
馬鹿ってのはまあ
色々タイプがあるわけで、
なんにも知らねー、カラッポ
つう馬鹿と
すっげー程度の低いもんで満足
つう馬鹿がいて
いや、でも
あとのほうの馬鹿
って
いいなあ。

目が上をむいてない、前を見据えてない
ってのも
まああれだけど
たまに
下見て、後ろ見て
ほっとして
やれやれ、まあなんつー遠い高いトコまで来たのやら
なんて
やわらかくタメイキついて
つう瞬間があって
また前見る

それがあってこその

じゃねーのかなぁ
下向きループの自問が
なんでいけないかっていうと
まず、見ててウザい
てのもあるけど
消耗するわりに得るもんがねーんだよな

けど、たとえば
ココロの自虐的なトコに
正面きって
抗える力があんなら
ワザと、戯れに
そいつとかかわりになるってのも
あり

やっぱさ
どーーーーーんだけ達観しても
何故か、ぜってー
ゆううつな時、気ののらねー日
みたいのは寄越されてきて
ハガクレの理論でもよけきれんことがあって
じゃあ、ってんで
そんな場合は
仮想敵を自分で作って
ボコボコのグチャグチャにすりつぶしてやればいい

だから、それが唯一得るものになんのかも知れん
76夢見る名無しさん:03/05/24 22:30
なんつーかな。
機嫌がいいと何も書くことが思いつかん。
別に上機嫌っていうほどでもないけど。

何も思いつかないのならそれに越したことは無い。
何も考えていないやつはある意味幸せ。

でも自分がそうありたいとは思わない。
あー。わかるよそれ。
最後の一行はまあ僕とは違うけどな。
違うんかな。
違う。たぶん。

あまり知られてねーことだけど、
あー。ゆううつだー
っていう時間は
楽しい
それで語弊があるなら
すごしがいがある
っつうのは
事実であって。
だから、
何やら開眼して
ゆううつ振り切っても
清々しく、完全に
うおっしゃー
とかばっかは言ってらんないわけで。
いいまわしが>>75とかと被るけど
地上を制圧したなら、今度は何やらよくわからん奴
すなわち、天上の住人が
攻めて来て。

今、まさにそれだ。

天上まで手中に収めたらどーなんだろーな
ある女の子にささぐ。


人ヲ信ジルッテ、難シイヨネ♪
なんて
爽やかに言うやつもいるけど
言ってしまえば
こっちから話し掛ける
っつーことも
人を信じたってことの発現で。
それだとしても、やっぱり、
人を信じるって、難しいよね。

あんたはさあ
どうしてそんなに簡単に
僕を信じられちゃうわけ?
数々の傷のむこうに
今のその場所に立っているのかい?
それとも、
こんなことはただの妄言だって
僕に伝えるために、あんたは生まれて来たのか。

もちろん、僕はあんたを裏切るつもりはねーし、けれど…
なんて
いくらそう言ったってさ
僕があんたを信じきれないことへの
言い訳にはならんよな。分かってるよ。

だから、だけど、
あんたの内に僕を信じようって部分があんなら
どうか
そのまま、そいつを信じ続けて欲しいんだ。
79デカメロン ◆lB6O5uZ46Q :03/05/27 01:14
どうなんだろ

一旦age
80山崎渉:03/05/28 14:02
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
81デカメロン ◆lB6O5uZ46Q :03/05/29 20:12
絶対に忘れちゃいかんことって
ある。
どれだけ
成長しようが
心が更新されようが
絶対に
妄言だっつう
商品札を張ったらいかんことは
あるっしょ。

いくらさ
コンプレックス克服して
悩まなくなっても
その「克服」が
「悩まなくなった」っていうだけの意味なら
自分の本質は
なーんら変わってないわけで。
そいつが自分に投げかけて
答えの出せなかった問いは
一生
可愛らしく抱いていかねばらなん、
いくべきだ。
必要な時に適宜呼び出すぐらいでいいから。

だって
自分観と実際の自分って
やっぱちがうっしょ
コンプレックスの克服は
こだわりの放棄では、ありえてはならん

あげちまったよ
唯識論ってのは
あんま好きじゃない

ただ意識っつう孤島が
次元の海にぽつんとある
そんじゃ
その島はなんで海底から盛り上がってきたのやら

僕の意識が生まれてきたことに
意味を求めるつもりはねえ
けど
すくなくとも
何のために行動していけばいいのか
ぐらいは
知ってたいんだ

解脱って考えも
あんま好きじゃない
魂の平安ってのは
もっと、こう
闘って、そのあと得られるもんじゃなきゃならん
逃げるだけじゃダメだ、
自分の心の中だけが平安じゃダメだっつーこと
ことばは
それすなわち
意味

だけど
誰につたえるともなく
手を離れ、空をとんでゆくことばは
ことばのもつ
意味それ自体は
かぎりなく透明なゼリーであって
ほんとうの意味はなくて。
ことばの
色、かがやき、かたち
そういったものと
意味
そいつらの
いかにきれいなマーブル模様をつくれるか
ってこと
自身を信じてやること
それこそがすべて

すべて
なんだけど
けれど、自分で自身を信じるからには
そいつが信ずるに値するもんじゃなきゃならん
なーんもないところへ踏み出す一歩
それ、すなわち


信ずるに値するかどうかは
誰にもわからん
けれど、
無理せずに
なにも悟らずに
違和感なく
一切の妥協なしで
信じるカンジがわいてきたら
たぶん
それで良しとしていいんじゃねーか
ただし
自信っつう精密機械には
微塵もゴミが混ざっちゃいかん
ドブは
まっさらになるまで
あくまで厳格に、完璧に
さらえ
生きてくのに
宗教だとか、神だとか
超自然、超人間的なもんが出て来た時点で
オシマイ
まあ
哲学やら心理学やらも
ある意味超自然、超人間だけど
とにかく
ヒトのココロが主体性を失った時点で
アウト
まー、そういうこというと
ユダヤ、キリスト教やらイスラム教と違って
初期の仏教ってのは宗教っていわんのかもしれん
そこはOK
けど
何でも
一切皆苦!色即是空!
とかっつって片付けちまうのは
アウトだよな。
迷いとか煩悩とかそーいうのって
どんなことしたって、ぜってえ
一発じゃなくならねーって。
悩んでるやつがいたら
そいつなりの方法で
一匹ずつ、一発ずつ
シラミをつぶしてくしかねーんだよ
現代人がさ、イロイロ考える時間をちゃんとって
そのうえで
現代っつう時世を生きてったらさ
きっと
坊さんなんてメじゃねえ
たぶん最強
文章がさ
完全である必要なんて
全然ない
達観してなくたっていい
壮麗でなくたって全然いい
水増しだとか、うそ吐きだとか、そもそも味がしねえとか
そんなんじゃなけりゃ
ひとことでいえば
マジんなって書いた文章なら
あとになって見てみたら恥ずかしいぐらいに愚直に書いた文章なら
なんの関係もねえ他人もそれなりに
お、いいねえ
なんて思うだろうし
自分でだって
恥ずかしくても
やっぱり
お、いいねえ
なんて思うはず
つーか
思うような文を書かにゃいかんよ。

そんでもって
あとから思い返してみて
お、いいねえ、なんて
思うような時間を生きにゃならん。
認めるってことは
肯定とは全然違って
だだ、その認められるモノが
そこにあることを知って
そこにあっていいぞ、と宣言することで

だから、
「俺は、全てを認める」
とかふれまわって
全てを認めるのはおおいに結構だけど
全てをやみくもに肯定すんのは
単なる
バカであり
臆病者

肯定も否定もするな。
判断をするな。
ただ、認めればいい。
卑怯だっつってののしるのは
自分はこんなに公明正大にやってんのにっつう
まあ、単なる
甘え

そいつが卑怯だっつうのは
なんか行動を強要する根拠にはならん
けれど
そいつが卑怯だっつうのは
鉄槌を下すことには
正当な
理由となる。

要はさ
力よ。
肉体、精神、社会、その他もろもろの。
卑怯なやつがいたら
ただののしるんじゃなくて
ひねりつぶしてやればいい。
90夢見る名無しさん:03/06/01 23:55
よくもまぁ短時間にこういろいろと考えられるな。
どっかに書き溜めているだけかも知れんが。

賛同できるもんもあれば、そうでもないものもありきで。
っつーか大半は分けわかんねぇ。
っつーかあんまり読んでなかったり。

まぁこれからも頑張ってくれ。

僕は(たまに)此処に居る。
おお
読んでくれてるやつがいるとはな。

まあ、あれだ
ここがその
書き溜めてる場所
だっつーこと

分けわかんねえかなあ。。。
まあ
取りあえず
読め。

僕は、此処に居るよ。
うーん
どこまで
どこまで認めて
どこまで唾棄すればいい?

明らかに
愚にもつかないもんってーのは
ある、たとえば
馬鹿ポエム
詩っつーのは
苦労せずとも形式が満足できるってんで
一番間違いやすい種類の芸術
若人よ、いくら創作に飢えても
詩だけは書くまいよ

けれど
間違った情熱をもっといれあげて
いろんなもんを作る奴がいる
そのなかで
ちょっとだけ支持者がいる
そんな間違いぐあいのやつ
そいつをどうするか、だ
>>93につづく
行為者が若いっつーのは
さまざまなことに
正当さ、理由、そーいったもんを与えてくれる
反対に
オトナだ、中年だってなってくると
あきらかに間違ってる行為とあきらかに正当な行為のあいだの
グレーゾーンのなかの境界線が、行為者に対する
それはおめー、間違ってるよ
っていう評価を増やす方向にずれていく
こと、音楽やら文学やらそういった大衆芸術の価値判断においては
そーいう傾向は、すっげえ顕著

今、若い僕が(ティーンエイジャーだ、一応)
なにか小説やら音楽を
食わず嫌いでなく否定したら
その判断は、まあ正しいとしていいかも知らん
だって僕、けっこう偏食ないつもりだし
僕の行う肯定が間違ってはいても
僕の行う否定が間違ってない自信は
正直、ある
けれど、僕が405060代になって
どーしても気に入らん若者芸術が出て来たら
僕は、それが怖い
まあ、芸術を
間違ってるか否かっつう
二元論で語ろうってのがそもそも無茶なんだけど
間違ってるか否か、あるいはグレーゾーンか
っつう問いに拡張しても、間違ってるって思うもの
けれど、少数支持者がいるなら
それはそいつらに共鳴する部分があるってことで
そいつら全員を
間違ったやつらだって言い切ってしまうには、若さっつう自信が必要だ
あー
改行制限がうざい
文のキレが奪われちまうぜ

変人と
間違っちまった人ってのは
違うのであって
前者は
まあただ個性の発現が著しいってことだけど
後者は
人間の根本が腐ってるのを
世に阿って
さぞ正常であるかのような自信を持ってる
そんな感じ
みんな同じ
はなして
人類は(少なくとも現代、冷凍都市に住む人類は)
みな同じなのだろうか
子供のうちは無邪気に、あるいは反抗して過ごし
思春期にさしかかると自己存在についてとりとめなく思いわずらって
成人すれば意識は青春と老後をいったりきたり
やがて、老うことをおそれ
やがて、老いた自分を認め

ドント・トラスト・オーヴァー・サーティ
大人が「みんな同じなんだよ」って言うんだから
僕たちはことごとくみな違うのだろう
少なくとも
違うと思っていなきゃならん
熟すにはまだ早いなら
独りよがりで
未完成、不完全で
前後不覚
支離滅裂
そんなような
けど
研ぎ澄まされた
感覚で、感性で
生活を切り取っていくのだ
なんてこった
僕もとうとうオリンになっちまった
だからって
明け方の街につっ立って
何をすりゃあいいんだ
非力で
高慢な
この両の腕じゃあ
地球はおろか
女ひとり抱けやしない
なまじ満たされることを知っているからこそ
僕は満たされるっつーことに貪欲なわけで
くずれるくらいに疑問かかえて
より完全に、より厳格に
満たされたいと思う

自己存在を立証するのに
他人を使えれば、それは簡単な事で
そんなもんいらねーよ、なんて言えれば
そいつは、もっと簡単
けれど
自分だけで一生闘って
傷だらけんなって
やっと、達成して
そんな生き方をせにゃならん奴もいる
たぶん、僕もそーだ

きっと
永遠に満たされないとしたら
その永遠と闘う姿勢こそが
すげー大事で、美しいことなんじゃねーのか
禅問答に答えはねえなら
答えそのものはあきらめても
問答をあきらめちゃいかん
ココロがさ
主体性を
野望を
失った時点で、きっと終わりだ
なにが怖いかっていうと
刃が鈍るのが怖い
言葉が
ココロが
ありふれた、腐ったもんに
知らねーうちになってる
ってのが
一番怖いんだ

自分自身
腐っちまったら
まあ、それはしょうがない
けど
せめて
自分で自分の腐臭ぐらいは
かぎわけられてねーと
なぁ
99夢見る名無しさん:03/06/07 02:00
おっ、>>98はビンゴ。
俺の信念のど真ん中にきたな。

俺は年を重ねるにつれだんだん尖ってきた。
ストレスとか絶望とかと無関係に。
極自然に、内側からじわじわと。
普通の人間とは逆に。

それが嬉しい。

「くだらなく生きるなら死んだ方がまし」
むかしの青臭かった自分の言葉は今でも過去の戯言じゃない。

それが嬉しい。


まぁ社会生活には不適合だが。
はたして
鋭いままのオトナっつーのは
本当に社会ってのと折り合えないもんなのか。
もちろん、切れるってことすなわち
反体制、反秩序
もしくは独善
とは、一概には言えん
だけど
なまじ、皆にはキャッチできないような
微量の悪意、透明な違和感
そういったものをはっきりと受け取ってしまうから
社会を過ごしにくく、辛い
ってことはある。
それにしたってやっぱり、
俺はちょっと皆と違うんです
だから、皆といっしょに整列なんてできないんです
なんて言って、集団から外れていってしまうってのは
それは、甘えなんじゃねーの?って思う
鋭い感覚をもっちまって、どーせ生きるのが難儀なら
難儀ついでに愚民どもにあわせてやっても
それはそれで、いいことなんじゃねーのか。
やっぱ、自分の心の中だけの平安じゃダメなんじゃねーのか。
どうなんだろ。
がんばれ、鋭いオトナ、>>99
「波は ただおしよせる
 引いてはまたすぐ おしよせる
 まわりを囲まれて
 あちらこちらから 肩をたたきに
 ああ 水びたしの
 わたしは またほら ひとりぼっち
 ああ 気がつくと
 沖の方へと 流されていた」

「わたしは 浜辺に座って
 銀の波にゆれる わたしを見てる
 にごった 水は深く
 流れにのまれて 引き裂かれそう
 ああ そろそろ
 岸の方へと 帰らなくちゃ
 ああ 二人が
 そっぽを向いてしまう前に」

『わたし』がひとりぼっちなのは
だれかのせい、ってわけじゃなくて
ただ、『わたし』が自分で沖のほうへ泳いでいったからで。

そうだ、いつまでも沖にただよっているわけにはいかん
僕は、岸の方へ帰らなくちゃいけないんだ。
えーと
僕には生まれ持ったとりえがねえ
探しゃひとつふたつあるだろうけど
まあ、ないってことにしとく
じゃあ、どうしような
って話

じゃあさ
もう
行動で示さな格好つかんやん。
やっぱさ
人間
何かしら誇りがないと生きていけんよ。
励みがないと。

でさ
どーするかってえと、>>97の結論みたいなことになるわけ。
つまり
常に跳び続けられるし、跳び続けてるっつーことが
僕の
生存意義、存在理由、アイデンティティ、
まあ、そういうもん
だっつーこと
>>103へつづく
人生っつう原っぱにはさ
地雷がたんまり埋まってて
しかも、その地雷のひねくれてるところは
踏んだって分からない奴は
どんだけ踏んでもダメージを受けねえってとこ
だから
のほほんと生きたかったら
馬鹿なことに気付いてしまわない馬鹿さ
ってのは、重要
けど
僕の場合はヤんなるくらい敏感で
他の奴が踏んだ地雷の爆風によってまででも
吹っ飛ばされちまう
だったらしょうがねえ
逃げつづけるか、闘いつづけるかしかねえじゃんかよ
平和には生きらんねえよ
でな
逃げるっつーのもまあそこそこ大変だ。
闘うっつーのはもっと、死ぬほど、大変だ。
けど、闘いつづけるやつってえのは
逃げるやつより、平和なやつより、はるかに
格好がつく
ていうか
どんなに意味のねえ自己満足的行為であっても
苦行をつんでるやつってのは、すっげえ格好つく
だから、僕の場合は
どんだけくたくたでも、ボロボロでも、
ことさらに地を這いずって生きることだけはしねえで
潔く、力強く跳び続けて

だから、跳ぶことが美しいんじゃなくて
跳ばねえと僕はただのイキモノになっちまうから
manっつーのは
もともとヒト全体をさすことばだったが
性差をことばで表さにゃならん
ってときに
子宮(womb)をもつほうのmanが
便宜的にwomanと呼ばれた
っつうことらしい

と、中坊のころのうさんくさい英語の先生が言ってた

だったら
fireman(限firefighter) chairman(限chairperson) policeman(限police officer)
っつう単語も
女性軽視の現れじゃねえんだよなあ
看護「婦」とか保「母」とかならあれだけど
別に言い換える必要ないじゃん。。。

言い換えるといえば
フレンチキスをフリーダムキスと言い換える必要はないそうだ
フリーダムキスて。どんな接吻だ。
つうかフレンチのかわりになる語に
フリーダムを選ぶってのが
いかにもアメリカ人らしくて面白いよな

たまには軽い内容で。
ネタ切れだ。
どうして
こんなに
人格がしっかりすんのが遅かったんだろ
わりと早いほうなのか、それとも

明日がなくても、今日がなくても
昨日があるじゃん。後ろ向いていこうよ

シアワセは
たまに、ちょっとだけ
耐えきれなくて破れそうなとき
だけでいい
僕らは
いつだって
寂しくなくちゃいけないし
ゆううつでなくちゃけいない。

ことばは積分しなきゃいかん。
微分したままじゃあ、ヒトにはわかってもらえんから
けど
うまくやらねえと
ありふれた、腐ったもんになっちまう

シャンパンのグラスには、
美しく発泡させるために
わざとキズがついてなくちゃいけない

完成しちまうのはまずい。
まだずっと作り続けなきゃ。
ずっと。ずっと。
今日は宴だった
その後
男三人膝突き合わせて語った
さも当然のように議題は人生論に収束。

僕たちは
どんな形であれ、僕たちのエネルギーの高い状態を望む。
ずっと振動していたい。
そういった欲望の発現、もしくはそのエネルギーの昇華
それがつまり
恋愛欲であり、努力欲であり、関係欲であり
そーいう投資的行動の根拠だ(恋愛が投資的か否かはこの際議論はしない。)
そして、それらの投資的行動こそ、
その投資という行為自体が、あべこべに人生の利潤であり
投資によってうまれる利益や損失それそのままもまた
生きるうえでの潤沢となりうる。
少なくとも、消極的に無為ではあるまいと心に決めている者にとっては。

だからこそ
生活におこる不条理なエネルギー磨耗を
どのような方法で埋め合わせるか
それに対する方法論が
一日の精神的感情的形而上的な糧を毎日食い繋いでいくためには
不可欠

不意に失ったエネルギー
そいつを回復するための手段は
僕は、今のところ、もたない。

そしてage。
精神衛生のための倫理として

不用意な楽観、悲観主義
デストルドー気取り
若年における自己の完成・確定

これらのことは、さけねばならない。

数学において
証明できない公式を理論として完成し、これを利用するということは
無意味であり、むなしいことで
それと同じ

なにものにも裏打ちされない確信をもち、決定をなすぐらいなら
まだ
ゆううつであったり、自分が嫌いであったりする
ことのほうが断然すばらしいし
そもそも、きちんと力を持ったやつには
ゆううつであったり、自分が嫌いであったりするということは
むしろ望ましいことでさえあるのかもしれない。
殊、おのれ自身のこととなれば
自己は
昔、自己として機能していたものでさえ
くだらない現象のひとつと数えてしまうため
進むことをためらうことは正義でさえある。

賢人達よ、迷え
なんとなれば、
迷うことは、選択を断じてしまわなかった者のもつ
特別の権利なのであるから。
立ってられねえほど
消化液もどしそうなほど
存在するっつうことがつらいとき
僕たちには
未来がある
厳然としてある
もちろん、明るい未来ではないにしろ、だ

どーしてだろ
闘うって決めたのに
跳びつづける奴こそ俺だって
そういってもろもろをかたしてきたのに
それが
『つらいような気がする』ってのは、どーいうことだ
逃げない意味ってなんだ

「心の鈍らぬうちに、悲しい声をこの声を投げ付けて」
流した涙を、ひらいた傷を、滴る血を
それでも進む姿を
自分がそのままの状態で
いとしく思えるようになればいいなあ

進むさ。
進まねば。
求めて、手に入れて
けど
手に入れたとして
それが本当に一番ほしいもんかっつったら
そうじゃない気がする
すげー失礼なんだけどね。

求めることの正当化を
デノテーションとしてもつシニフィアンは、腐るほど挙げられる
けど、まあ、だいがいは人間の情ってやつだ
その関係下においては、
普通の乾いた関係にならわず
求めることは相手への思いやりであり
与えることは自分を満足させてくれる
っつう逆転がある。
だから、もっとも欲しいものを要求しないってことは
相手にたいする引け目となりうる。

けど、自己弁護しておくと
どーにもならんことってのはある
本質的にはないのかも知らんが
努力に報いる結果が得られなくなっちまった領域は
どーにもならんとみなすのだ
そのボーダーラインをまたいだギリギリの妥協ぐらいは
それでいいんだ、って思わねえと
辛すぎるぜ。そいつはよ。

相手が
自分がこの罪を抱えてるってことを知らん以上
罪は、自分がそいつを抱えてるってこと自身から発生するんだ
最悪自分を騙してだって
きっと、この罪は放り投げてやるさ
昔、むかし。

ある所に、男が住んでいました。
男は、この世で一番
ナルシストと
エゴイストを
嫌っていたし、憎んでもいました。

ある日。
男はノミ市をとおりました。
露店には、本や、なべや、装飾品や、
さまざまなものが売られています。
そのうち、男は
無造作に置かれた二枚の絵を目にとめました。
一枚は、ナルシスト。
もう一枚は、エゴイスト。
おぞましいまでの筆致で、生々しく描かれています。

「すばらしい絵だ。誰の作だね」

露店商はこともなげに答えました。

「お客さん、そいつは鏡ですよ?」


男は、その日のうちに首をくくったということです。
うりゃ
うりゃうりゃ

ふつふつとリビドーが湧いて来るのがわかる。
パトスにもエトスにもなり得ない純粋なエネルギーが。
来いよ
今なら十でも二十でも同時にひき肉にしてやれるぜ

そうか、マイナスのエネルギーっつうのはこうやって使うのか
波が引くのを待ってちゃいけない
ちょっと誘導してやれば
オセロのごとくバタパタ、だ
脆弱は美徳ではない。

うわ。。。
好きだ。この言葉大好き。
厳しいよね。すごく。
甘えを許さないところとか。
ちょっと強者の論理って感じもするけど
確かに
弱さってのは単なる欠点で。
誰にも愛でてもらう資格なんてない。
ただ、愛のほうが勝手に
脆弱さをその理由に拾い上げるだけ。
そんなもん
愛の手にかかればどんなもんだって美徳さね
逆に
愛に頼らなきゃなんねーってのが
そいつの価値のなさだって

強さって
なかなか人には分かってもらえない
けど
そいつは、人にわかってもらえるまでに
強くなればいい
ってこと
そうなんだよな
なんでも心のなかでかたづけちゃいかん

いままで
「己にタリナイところがあるんなら
 そいつを埋めるような行動をすればいい」
っていう理屈は
なんだかペテンまがいのような気がして
嫌ってたけど
そうじゃいけないんだ
自分になにもないから
なおさら行動で示さな格好がつかんのだ

タリナイことを気にする自己を亡きものにするんじゃなくて
そうだ、心の中が平安なだけじゃだめだ
心なんて、無限の力もってるけど
そのちからを頼んで逃げることだけはしちゃいかん
核だって
その力を頼んで爆弾にして
人々の頭上におっことしちゃいかんだろ
力を
悪をもって動かしてはならん。
いままで経て来た考え方のなかに
『第三機関説』
という考え方があって

こころには
こう、ぐらぐらといろいろな思索が揺れてて
すべての根源、根拠となる動的な部分
まあ、名付けて『人格部』と
そこからあがってくるタスクを
体に配信したり、吟味して人格部にフィードバックしたりして
こう、受動的にいろいろ処理する『挙動部』ってのがあって
意識、無意識の両方で活動してるわけなんだけど
ゆううつなとき、無気力なときってのは
人格部から
自傷的だったり悲観的だったり
いかにも鬱っていうタスクばっかりあがってくるとか
そもそもタスクが全然あがってこないとか
そういうときであって
これじゃあ、外界からなにか刺激があるまで
再始動はできん
そこで
意識上の領域にちょっとがんばってもらって
そういうときに、快方にむかって走りだせるようなタスクを
人格部から汲み上げて来る第三者的なポンプ機関を設置しよう、
というのが、『第三機関説』。
まあ、
「悩んでないでさ、やってみればいいじゃん」
なんて無責任な言葉に
責任をもたすための理論みたいなもんだ
>>115につづく
まあ、根本のところは性善説者なんだけど
こころってのは基本的に
怠けもん
だから
こう、何もしないほう何もしないほうに
傾向が流れてく
そんなときに
例の『機関』ってのが重要なわけ
まあ、機関もこころの一部だから
その傾向に負けないわけがない
けど、俺は
その「傾向」に逆らうの大好きだし
逆らわねえとって思ってるから
苦しくても、それ以上に
やっぱり、逆らった先にあるもんが欲しいんだな

苦しみが苦しいんじゃなくて
苦しみをもたらす原因を包含する自分が苦しいんだから
だから、苦しみなんて厭わんよ。
ふふ。苦しみなんて厭わん。
斬りつづけてやるさ。
どんなバケモノがこようとも。
その日見たゆううつな夢は、
昼過ぎになっても、良純のあたまを離れなかった。
ゆううつな夢である、と
断言してしまえることは、良純にとっても
不条理でありながら
一方では、当然のようにも感じられた。

良純は、たびたび涼子に触れることを許された。
しかし、そのたび常に
涼子と良純のあいだを隔てる、
厚さ数ミクロンのポリ塩化ビニリデンを強く意識せざるを得ないのだった。
であるから、その夢は、逆説的にではあるけれども、
隔絶に改めて気付かざるをえない良純を、確実に映し出していた。
その主張は、噛んで含めるようにやさしかった。

「……フォルマリズムはきらいだ」
ぽつりとメタ的な発言をして、
しばらく間をおいてから、
良純はハンバーガーにかじりついた。
僕が憧れるもののうちのひとつに
正直な、率直な物言い
ってのがあって。
というのは、
僕の口や手から滴ることばは
どうも、何だか少し屈折してる感じがたびたびして
そのせいでうまく人に伝わらねえ
っつうことも、ままある
ので
そういうときに改めて
率直できっぱりしたことばっつうのに
憧れる気持ちが出て来るわけ。
とくに、
僕になかなか表現できない
もどかしい感じを
そう言われてみれば、って感じの
単語一語でぽっと言われた時の
あの尊敬と嫉妬でぐちゃぐちゃになった感じは
すごくあざやかで、
かなわないこころざしだと知りつつも
やっぱり、いつも、
きっぱりとした言葉を、
っていう心掛け
心掛けっていうとやればできるみたいなニュアンスだから
きっぱりとした言葉を、っていう憧れを
密かに持って、話して書いているのです。

そしてage。
そこまでして
人に
好かれるとか、愛されるとか
するべきかっつうと
どうだろ
個人の好みなんだろうけど
「べき」じゃあ、もちろんねーだろうよ
けどつまり、考えたいのは
もともと素じゃあ好かれないようなやつが
意識的に好かれるような人格をまとう
ってことは
是か、それとも非とすべきか。
もちろん、多くの間違ったやつの例にならわず
その人格はきちんと、完璧に人に好かれるものであるし
そいつの着こなしも完璧であって、
というのが大前提

まず、人格をまとうっつうこと
こいつを
自己の偽りととるか、成長への努力ととるかで
そりゃもう、結論はぜんぜん違う

>>119につづく
人と交接するっつうことは
なんだかんだ言って
素でもけっこうエネルギーがいる
それを
偽った自己で受けて立つとなると
こいつはもう、バカみたいに辛ぇ
おそらく、それって
人と仲良くできるぶんの利点には、絶対見合ってない

一方、自分自身を「聖域なき構造改革」するために
とりあえず外面を整えてから、自分の本質をじっくりと
っていう方向に努力がふるわれるなら
たぶん、それって楽しいことだし
そーいうふうに人と溶け込んでいくってのは
まあ、絵に書いたような成功だわな

まあ、こーいう議論以前に
『大前提』が全然なってなくて
結局世の中のフトコロに甘えることになるやつは
正直、多いがね
友よ
あんたは最近まるくなったな
悪い事じゃねえ
けど
昔のさ、何にでも噛み付きかねない
ぴかぴかに尖った論理の剣で武装したあんたも
僕は好きだったさ
壁際に座って
「馴れ合うまい」
なんて思えるあんたや
国語のテストつかまえて
「程度の低い文章で助かった」
なんて言えるあんたも
僕は、好きだった

なんでも否定することを肯定するワケじゃない
ただ
気高さって、すげえいい匂いがするんだ
自分が無価値であることの肯定。
僕は
つねにこいつに抗ってきただけかも知れん
けれど、それでだっていい

人間は、ココロがすべて
そーいう主張も、だいたいにおいて正しい
けど
価値判断における心性の至高性
これは、僕は断固として否定するよ

ココロに従って生きる
ということは
そのココロっつうもんの魔王のごとき刹那性の名において
それは、
どうしたって刹那主義的、享楽主義的に生きることに他ならん
そのときココロの望むものが
あとあとココロの望むもんかどうか
それは、アタマに判断をゆだねるしかない。つまり
心性至上の本質に臨むためには
永続的にココロを満たすためには
何らかの信念、理想、詭弁、
そういった
本来なら心性至上主義的懐疑自身によって排除されそうな
理屈っちゅうもんを
ココロの動きのカギとして、判断材料として
逆に、持ち続け、使い続けなきゃならん

ココロは、力だ
世界を好きに動かす力がある
力を善く治められるものだけが
まやかしでない時間をみることができる
正太の自転車が、今日も街をゆく。
流れる街にならって犬を連れた小父さんが流れてゆく。
横を通り過ぎようという時、
その老いたラブラドールが振り返った。
「この時間に満足してるか?」
そう言った犬の目は、ひどく逆説的な光をたたえていた。

正太の自転車が、今日も街をゆく。
灰色の空が灰色の街に振りまく光はやはり灰色。
誰か、口笛を吹いてる人がいる。
口笛は正太の耳にささやく。
「理想の場所なんて、そこにあることに気付けばいい」
正太は初めて街の灰色を見た。

緑の植え込みの、赤い空きカン。
「カラッポでもいい、って、あれ嘘だろ?」
不機嫌な猫の声。
「否定には意義がない。知ってるでしょ」


正太は、自転車に乗るのが大好きだ。
辛い。
辛いよ。
いままで、これから。

どうしてだ。
些細なことなんだろ。分かってる。
僕にとっちゃあ些細なことでも、
……でも、僕にとってはあまりに大きすぎる。
強さを放棄するのが早過ぎたんだ。
けど、
無防備である必要があったんだ。
否、自分で戯れに無防備になったんだもの。

いいさ、このまま信じ続けよう。
ただ求めることをだけやめればいい。
そのほうが。
まだ。
まだ、逆転してないんだもの。
与えられることは、いつだって嬉しいにちがいないさ。

わかってる。
僕の本当にほしいものは、
僕が僕のままであるかぎり(そうでなくたって)
干し草の山から針を探すようなもん
さらに悪いことには
その山には、針なんて入ってないかも知らん

矛盾同士の拮抗。
本能に逆らい続ける
のは、
あまりにも
辛い。

どうだ。
見てくれてるやつがいるなら、
また、何か書いてみてくれんか。
たのむ。
結局
僕は、僕の正当化に終始していたような気がする
ずっと
力がついてきたように思ってたのも
単なる浮かれ気分だった
と、今なら言えそうな気がする
きっと
余裕を装って
超過分のエネルギーを
もっと大切な部分から拝借して
徳川埋蔵金をあてに
アコムから金借りるような
宝なんて
手に入れば、世話はないわけで
変に力なんかがあるから
ふみはずした、道なき道だって
自分を騙して進んでいける
挙句
迷子になって

結局
どう生きたらいいんだ
なんて
ありふれた人間なのさ
でも、そればっかりは認めはしない
間違ってても
認めはしない
126夢見る名無しさん:03/07/08 01:22
たぶん覗いているのは俺ぐらい。
レスのほとんどが俺のだし。
このスレ自体かなり奇抜だからな。
一般人とベクトルがかけ離れているように思える。
美学とか価値観とか。
(難解だし)
まぁ俺とは近いな、多少。
(俺はもっと容易だけど)
近いから観察しているわけで。

自分は自覚しているよりさらに異端だったいう話。
きゃあ、どうもね
ここはさ
あるスレに出会って
感動して
ちょっと真似て
やってみたわけ。
でもなあ
どーだろ
しばらく何も書かんでも
「デカメロン◆lB6O5uZ46Qを探すスレ」
とかは
立ちそうにないわなあ
そういえば
跳び続けてって話
宴のあと語りにしたら
「なにそれ」ってリアクションだった
え、つーかみんな
どーやって生きてんの?
って感じ
思考の放棄じゃなくて、詭弁の盲信じゃなくて
前向きな意味での
考えない、直感的な生き方
なんてもんがあって
それをやってんのかなあ
難解だっつう評価には
実は、ちょっとそれでもいいなあって感じもする
けど
わざとはぐらかして書いてるんじゃない以上
つまりそれは
僕が言語障害だってことだ、要するに

わかりやすくて、陳腐でなくて、しかも形而上のこと
っていうのは、有り得るのか
例えば、あなたに逢いたくて、とか、そういうあれか
それはけっこう適格かも知らん
けど
恥ずかしながら
僕にはそういう健全な女性関係っつうものの経験がねえ
じゃあ、健全じゃねえのかっていうと
それもまあ語弊があって
まあ、恋愛障害だってことだ、要するに
つまり、そーいう簡単なテを使うってわけにもいかん

つーことは
どうしような
とりあえずやってみるしかないんか
言語っつうものの可能性と
僕のアタマの可能性に
一丁、賭けてみっか
129夢見る名無しさん:03/07/08 13:14
昔、そんな歌があった。

僕は此処にいる。いつだって此処にいる。
君が傷ついたらComback
comback again

LOOKというバンドの歌。知っていますか。
その歌が気になってのぞいてくれたんかい?
けど、ごめんよう、知らねえよ。。。
オリコンで検索かけてみたら
シングル0件、アルバム7件
そんなバンドなのな。。。

けど、まあ
言えることがひとつあって
ここのタイトルの
僕は此処に居る。っつうのは
ポジティブさはやっぱり
どうしたって含んでるけど
それは、その詞みたいな
そんな力強い、外向きのもんじゃない
僕が
欺瞞なしで
やっといい切れる、せいいっぱいの強がりだってこと

僕には、まだ
人を励ますなんてことはできんよ。。。
あるいは、なにかを認めてあげる
みたいなことは、できるかもしれんけどな。
ナンシー関。
死んじまった人のことをあげつらうのも
ちょっとあれな気がするけど
彼女は天賦の才をもつ本当の天才だったんじゃないか。
ていうか
今日初めてこの人の本を読んだんだけどな。
なんつーか
どこか中道的でありながら真空ではなくて
何つっても
読みが鋭い。

こーいう人にはなりてえもんだ。
テレビコラムニストにはあんましなりたくねえけど。
僕なんかは
人は強く生きるべきだと思ってるけど
でも
主観を抜いて、もういちど
強いっつうことの意義や必要性について見てみれば
それはどーだろ、っつうことになるんじゃねーのか。

強い奴は
結局、自分が強くねえと自分で耐えらんねえから
強くあろうとするし、事実強い
けど
強いってことは辛さを排除してはくれん。
どころか、強くありつづけること自体が辛くさえある。
その辛さに耐えらんねえ奴は
逃げて
甘えて
けど、ラクに生きてく
まあ、そのかわりラクに生きてく分の
リスクというか副作用を背負うことにもなる
自分の美学や考えや企みのためっつう奴もいるけど
結局強い奴はその副作用怖さに強いのであって
けど、自分が辛さを黙認するように
弱い奴は副作用を黙認してるんだってことが
強さという(見かけ上の)倫理的アドバンテージに酔ってる奴には
とんと分からんことなのだ、たぶん

弱い奴をなじる奴よ
辛ぇのはわかる
けどさ
ほんとうに憎むべきは、強さでも弱さでも辛さでもねえ
その、何で俺だけ苦労せにゃならんのだ、とかいう
人の苦労を察しない、中途半端な甘えた根性なのさ
<言い訳的補足>

まあ、世の中に
たしかに
「弱い奴」って呼ぶのもおこがましい
赤ん坊みてえな腐れ甘ちゃんも
吐き気がするほど多いっつうのは
事実であるけどな。
きちんと弱い奴を
それと混同しちまってはいかんよ。
奇跡。奇跡っつうのは、その起こった内容よりも
有り得ないことが起こったっつうこと
それ自体に価値があるんじゃねえのか。
古い茶碗が、古さに応じてバカ高くなるみたいに
何かが起こる確率の少なさに応じてそれに価値が出て来るってことだろ

「だって本当に価値のあるものなんて愛だけでしょう?」
この場では以降愛っつうのを成就した恋っつう意味で一時的に使うことを断っておくと
同じように、愛だの何だのというのは
やっぱり、普通考えて有り得ないことが起こる
っつうことに、その価値があるんでないのか。
すなわち
社会の皆が狂ったようにながりたてる
愛の価値っつうものの
大きな一角を担ってんのは
その「成立のしにくさ」だっつうのは、正直あるんじゃねーだろうか。
ゆるぎないものと噂される愛の価値のもとには
ゆるぎない基盤として
フられたやつ、捨てられたやつ、モテないやつ
そういった、恋に破れたやつらの
死屍累々とした世界が拡がってるはずだ。
極論にすれば
そういった『負け組』の存在こそが
愛の価値ってもんの根拠だと
言ったっていいはずだ。
「成立のしにくさ」のもとに、感涙にむせび泣くやつもいれば
「成立のしにくさ」のもとに、我が身や運命や神や、世界の全てに絶望するやつもいる
なんて
恋愛って、なんてルードで暴欲的なたしなみごとなんだって言っても
共感してくれるやつもいれば、
はっとしてくれるやつもいれば、
一笑に付すやつだっているんだろうなあ
135日本の人:03/07/10 23:28
けっこう見てます。たまに泣いてます。へへへ。
自分に問い続けて、自分に負けたわたしにはいたすぎる。
体と心でわかりすぎるくらいわかってることを、他人の言葉として目で見て
頭で理解するのは正直すげしんどい。
自分を正当化することと、他人との関係だけを糧に生きていければ
思い込んでいければ、すごくいいなあ。
もっと粗野にならないと。
けど、そんな粗野になっちまった自分は好きじゃないんだ。
そーだろ?

問うのって、凄く簡単なのな
でも、答えるのは凄く難しくて。
何故って
疑問を見つけるには、ただ状況の非整合が見えるだけでいい
けど
それに答えるには、状況っつう原始の森──僕らを取り込もうとする脅威の象徴としての──に分け入って
混沌に七つの穴を開けて来なきゃいかん。
つまり
ある時点において自分の全力をもって自分に問うたこと
それには、そこより進んだ場所から対処するしかないから
問いっつうのに真剣なやつは、問いをさばくのにはずいぶん骨を折らざるを得ん
っていうのは、あたりまえのことであって
それでいて、「答えが見つからない」っていう泣き言は
そいつが聖人君子の、まあ曾孫ぐらいではあるっつうことの証拠なのな。

どっかのスレに書いたけど
どんなにボコボコにやられたって
KO取りに来たレフェリーにファイティングポーズとれる間は
無駄じゃないし、負けじゃないし
一回だか百回だか負けちまったって
その負けは、あんただけが気にする負けのはずだぜ。
「いちいち壁に真剣に対応しとったらイカンぞ」
基本的に
僕は、この考え方には反対で
それによって何かが得られるとしても
それを得ようとは思わん
あくまで基本的には。

何のために壁を破るかっていうと
もちろん
僕のためであり
僕の人生、生き方、そいうったもののため
だから

今、僕は
けど
こーいう、ある種刹那的な「生き方」を放棄してだって
その価値がある時間を生きていて
だから
そんな下らん意地や論理やアイデンティティーは捨てにゃいかん
その時間が終わるまで
何があったって進む。進みます。

ネットのさいはての板の下層のスレで
だけど
誓ってやる。
神だか誇りだか愛だか、あまねく世界で最も崇高なものに
僕は、進むことを、誓う。
138山崎 渉:03/07/12 11:36

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
139夢見る名無しさん:03/07/14 17:43
             \        .∧_∧                  /
              \   ピュ.ー (  ^^ )<これからも僕を  /     ∧_∧
 山崎渉は      \   =〔~∪ ̄ ̄〕          /∧_∧  ( ^^  )
    かっこいい。     \ .= ◎――◎            / . (  ^^ ) /   ⌒i
           从// . \     ∧∧∧∧     /.  /   \     | |
   (  ^^ )     n      \  <.      >.. /.   /    / ̄ ̄ ̄ ̄/ |
  ̄     \    ( E)      \< の 山. >/.   __(__ニつ/  山崎  / .| .|
 フ     /ヽ ヽ_//         < 予.    >.         \/       / (u
―――――──―――――――< 感 崎. >―――――──―――――――
                      <. !!!.    >
        山崎渉age(^^)   <     渉. >  1 名前:山崎渉 投稿日:02/
    ∧_∧.             /<..     >\    (^^)
  ∧(  ^^ ).           /   ∨∨∨∨.   \
 ( ⊂    ⊃.        /                  \  3 名前:山崎渉 投稿
 ( つ ノ ノ       /. ―━[JR山崎駅(^^)]━― \.    >>2
 |(__)_)     /                     \   (^^;
 (__)_)      /. ―━―━[JR新山崎駅(^^)]━―━― \
         ./                            \
140にっぽんじん:03/07/14 21:27
壁には真剣にぶつかんないと(少なくとも真剣に反応しないと)
自分の中で今までやってきたいろんなことが
全部わたしにとってのみの(ひとりよがりな)意味を失う。
から、ぶつかったら骨とかイタいけど、たいがい理解しようとか、
どうやって穴をあけてやろうかなあとかかんがえます。
そのうち骨がぼきぼきんなって、あきらめて世の中をのろいながら死ぬのかな。
でも、彼等と同じ土俵にすらあがれなかった自分が一番情けないから、
骨ぼきぼきでも自分のために涙を流しながら死ねたらいいや
かっちいく死ぬことをここに誓う!
そのために、死ぬまで生きよお。
スレ汚しゴメ。
そいつがさ
僕に対しての警告だったとしても
僕は、大丈夫
この一時的な姿勢は
あくまで
より完全な完全への欲求だから
手放すのは、余計で無意味なこだわりってだけ
ただしく言えば
余裕のないところに現れる不必要な仮想的余裕ってだけ
大丈夫、僕も
何があったって
それこそ、何もかもぶっ壊すようなもんが飛んで来ない限り
寝転がってねえで
跳び続けてる筈さ
142山崎 渉:03/07/15 13:24

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
山崎でないのも来てるかと思ったら
何でぇ、マルチポストかよ
僕らは
僕らが生きてるのは
僕らが辛うじて無意識の海に身を投げてしまわないでいるのは
愛しいから
自分でも女でも、あるいは食べるということでも、生活自身だっていい
生きていればそこにあるものが愛しくて
僕らは今日も露命をつないでる

自我に目覚め
やがて死のもつ可能性に気付くようになって
それでも生きる理由ってのは
広い意味での、愛ってやつだ
そーいう意味じゃ
恋愛が深まったものとしての「愛」の価値ってやつだって
多くのヒトが生きているっつう事実を盾に
述べたてることができるんだろう
けど
その、生活上の愛すべきなにかを見失ってしまったやつが
絶望して、無意識に身を投げてしまうっつうことは
果たしていけないことなのだろうか。
たぶん
そいつ自身が、他の誰かにとっての「愛すべきなにか」であった場合
それはダメだ。
少なくとも、他人の生の水面に安易に石を投げるのはダメだ。
けど、全然そうじゃないって場合、どうなんだろう。

そして
僕は果たして
「愛すべきなにか」たりうるのだろうか。
「自分を苦しめた奴が、苦しめた分だけ有利になるんや」
僕は
今は勉学が仕事だし
スポーツだってやってたから
このふたつの領域においての
自分を苦しめるっつーことのもたらす恵沢っつーのは
よーく分かってるつもりだ
じゃあ、たとえば
純粋に論理や理想だけで自分を苦しめる
つまり
骨の折れる生き方をするってことって
やっぱりなにかをもたらしてくれるんかな
どーだろ
市井の考えかたでは、それはなんか空しいことだって感じがすると思う
実際空しいのかも知らん
それはたぶん
具体的な目標、こえるべきラインってのがないから
スポーツでいえば
挑むために何やらいろいろ訓練する相手が
無限に強い奴だって分かってるから
そーいう底なしってことへの空しさなんじゃねえだろうか

つーか
そんな生き方してて明らかに有利になる場面って
来るんかなあ
「変わり始めてる青い鳥の声 音が揺れたとて誰が気付くか」

青い鳥のうたう辛苦のビブラートに
進んで耳を傾ける者はおらん
僕たちが自分達で制限した
空に放たれる限られた内情を聞いて
誰が、僕たちの歪曲を知るだろうか

鮮やかに焼き付いた黒く冷たい影が
大きな崩壊をこちらに転がす音が
聞こえる

僕は
確かに
血みどろで闘って
けど
刀折れ矢尽きる時は
それは、来るだろうよ
そん時まで増援を信じて闘うことと
今すぐ潰れてしまうことに
何の違いがあるんや

全然、少しの違いしか
いかなる種類の
いかなるものへの挑戦であっても
正当な絶望なしに
挑戦を諦めることは許されない。
対義的である(とされている)ふたつのテーゼのジンテーゼを探す旅も
万策尽きると分かっていたって
尽きるとこまでとりあえず行けよ。
刹那的な何に浸ってもいい
不明をただ不可能に塗り替える作業に見えても
一部でも塗り残しを見つけたんだったら
可能のペンキも用意して、喜び勇んで塗りに行けよ
主観的でいい、実践理性に浸れ
どうせ世界を変える気なんてないんだ
「なにはなくともトイレがあるさ

 夢がない、生きる楽しみがない。しかしお前の家にはトイレがある。
 それだけで
 いいじゃないか」


笑った。
そーだよな。
トイレがあるんだもの。
世界征服だってできる。
僕と、トイレで。
150日本:03/07/24 22:45
よし!うちにもトイレならある!ユニットだけど・・・
明日から世界征服にむけてとりあへず実践。わたしとトイレは。
ともあれ明日は金曜で。
自分にとって意味をもつことを探し続けることがわたしの生きるみち。
とりあえず、トイレからW
とりあえず、まあ
生きてるっつうことは、希有なことなんだろう
泣く泣くでも生きていける余裕があるなら
意味のあることや
生きる意味
人間存在の意味とか
どーせ生きてるんだし
探し出そうとすればいい
見つからなくたって何も変わらねえし
見つかれば、ほくほく顔で生きてけんだろ
あるいは探すっつうこと自体も楽しい事だろうし
どーせ生きてんだから
楽しいことやら嬉しいことやら
探して、そのために生きたってさ
どっかの変なストイシストが非難するほど
罪な生き方じゃねえーよ。
幸福なんざいらん。
と、思ってる自分に気付いた。
もちろん
うまいもん食ったり、すげえ音楽聞いたりして
しあわせだー、っつう瞬間は好きだ
でも、そうじゃなくて
もっと
こう
変に永続的で、変に絶対的な幸福
麻薬的っつう言葉から「依存性」っつう意味を抜いて麻薬的'って呼ぶと
麻薬的'な幸福
そう、悪しき快感を伴う幸福
そんなもんあるんかっつうと
あるんだよね、これ
仁義礼智忠信孝悌、あとは恋愛とか
情に根拠を置く幸福。
あとは
絶対真理のようでいて、じつは間違ったもの
けど、僕はそれに気付いてなくて
そういうものに基づいた幸福。
いらねえ。
僕は常人(あるいは駄目人間)だから、たぶん、そんなもんに浸かったら錆びちまうよ。
常人たるもの
常に自分の肉に刃を立てて
血を流しながら、痛みにおののきながら生きるんでなかったら
動く肉塊として生きざるを得んだろうよ。
シアワセ探しながら
シアワセなんていらんなんて馬鹿げてると思うかい?
僕も、そう思う

だから、僕はきっと
そこらへんの肉塊がすがるような幸福に恵まれてみたいんだ
本当は。
けど
恵まれてねえのよ
そーいう方面には。
だから
そーいう欲を吹っ切るために


…そのために、僕は闘って来たんか。
くそ。
バカじゃねえか、それ
単なる防衛機制じゃねえかよ。

違うって言ってくれ。

僕に提示された幸福をはねのける気概がなかったとしても。


欺瞞でいい
違うって言ってくれよ
ああ
でも
気付いてよかった
今晩がなかったら
永遠に馬鹿のまま生き続けただろうに
それにくらべりゃ
アイデンティティーの崩壊なんて
安っすいもんさ
また、もとにもどっただけだ

ごまかしやら強がりなしに
こんなことが言えるなんてことが
いままでの大回りの
せめてもの収穫ってことで
ファイナルアンサー?
「自分」ってもんなんて
風船みてーなもんだ
正直な欲としての、動物的な「自分」たる内圧と
理性や美学や信念やあるいは世間の目で動く、人間的な「自分」たる外圧の
その
内圧と外圧が均衡する場所にただ居て
その内と外のバランスをどーいう割合でとるかとか
その割合のとりかたに関する考え方が
世に一般に、アイデンティティーなんて言われて
それが変に神格化してるってだけ

そーいう意味でいうとしたら
結構なんでもねえもんなんだな。
時間を航る力が欲しい。
どうやら
流れる時間を流れるまま流れていくことさえ
僕には難しくなってきちまったみたいだ

日常を日常として生きられるエネルギーが欲しい。
辛いものでも
楽しいものでもなくたっていい。
日々に変化を望んだとしたら
平均するとマイナスになっちまうよ

永遠に未分化な意識をさまよっていられる目が欲しい。
最強の矛と
最強の盾は
ふたつの物体に分化しているからまずいのであって。

完璧な文章が欲しい。
いくらなんでも、それに「遺書」って記号がつけば
みんな
分かろうとしてくれる筈だし
分かってくれるだろうになあ

動けない。
待つしかない。
何もしないのに
何待ってんだろーな。
157にほん:03/07/26 01:02
普通の人の普通のシアワセはのどからてがでるほどほしい。
向かないのはわかってるけど。
わかってるからこそ、いろいろ考えてこじつけたくなる。
そいでもわたしはやっぱ弱いから
できるだけ、みんながしてるように、自分を型にはめてはめて生活をする。
「普通って何だ」とか「オメー何様だよ」とか言われるに決まってるけど。
普通ってゆうのは維持するのが大変だし、難しいし。
わたしみたいなハンパモノから見ると
うらやましくってしょうがない。
でもそれをわかってない彼等が普通の人なんだなと思うと幻滅だけど。
それでも普通の人にアコガレルのはなんでだろ。
普通に、きちんと会社行って。通勤電車も文句いわずに。家族のために。
おとうさん、かっこいい。すごい。目標。

「もっと楽に生きられたらいいね」
とか、そういう無責任なアドバイスはしないでくれよ。>善意の悪人
「I am God's child この腐敗した世界に落とされた」
ああ、そういえば誰かが言ってた
内にこもる人々は、世界を向き合う価値のないものと断じてしまって
自分の内なる世界にのみ価値を見い出すから…ってやつ
いや、でも
僕もそれはかなりそうなんじゃねーかと思う。
プラグマティズムってわけじゃねえけど
自覚的たる自分だって
根源的には世界に属してるわけだから
自分を高みに置きたいってときに
それは、世界の中において、っていう観点なしには
やっぱ成立しねーんじゃねーの?ってこと
だから
こんな腐った世界でも
不条理の海にだって
どんなに難儀だったとしても
つきあってやらにゃならんのが
マトモな人間の義務というか、常というか、なんというか。。。

人生なんて
独り善がりなやつとする会話みてーなもんだ
ただ、その会話をやめるっつうことに
並々ならぬ覚悟と手順がいるってだけ
結局
「普通の人」に会ってみたいってのはあるよ。
僕たちはそのへんの「その他大勢」より強いはずなのに
もしくは、より姿勢が真摯なはずなのに
どうして「その他大勢」のほうが
何の疑問もなく幸福を享受できんだよ。

あるいは
幸福を享受できんから
姿勢が真摯になってんのか
そしたら
報われねえーよなあ。。。
なんだかさ
もっと
世界のフトコロとか
よくわかんねえけどたぶんあるだろう人の好意
なんて不透明であやふやなものにも
ちょっと依存して生きてけばばいいんかな、
って思った
渡る世間に鬼はなし
なんて、わざわざ言うってことは
フツー考えているだろ、鬼
ってことなんだろうけど
鬼がいるってわざわざ言うってことは
そこらじゅう鬼だらけじゃねえってこった
だって、明らかに鬼だらけだったら
おーい、鬼が居るぞーなんて叫びは
馬鹿馬鹿しいもんになっちまうもんな

だったら、
渡る世間に鬼はなし
って
渡る世間にゃ
鬼もいるけど
善良なる市民だって
腐るほど居るに違ぇねえだろうよ。
頼った奴が鬼だったら諦めればいいし
善良な市民だったら頼ったまま幸せに生きていけばいい
ってことじゃねーの。
やっぱさ
どんなに辛くとも
とは言えねーけど
やっぱ、どんなに無意味でも
自分で
エエカッコすんのはやめまいと
改めて思った。

個性を主張しながら、普通でありたい若者
なんていうのは
“若者”を発言と行動の矛盾の担い手として貶めようって狙いのフレーズなら
そいつぁ、ナンセンスだろ
普通でありたいってのは
普通のラインには達したいってだけで
普通のラインを守りたいってことじゃあねーだろ
だいいち、普通っつーのを
無個性、無自覚、無感動の象徴だっつって
鬼の首を取ったみてーな気になってんのは
motherからmをとって
other、「他人」です
なんつって自信満々にいいふらすみてーなもんだ

まあ、motherの先頭にsをつけると
smother、「窒息死させる」です
だけどな
ピッタリじゃん

「こんな時代の普通になるな!」
って言ったって
最低限普通のラインは満たそうぜ
そこんとこ勘違いしてる奴
ダメよ。気付けよ?
「人は病気を繰り返す
 (中略)
 病気はどんどん進行 病気はどんどん進行
 はやり病に冒された 多くの人が死んだ
 はやり病にかかっちまった 俺はまだ 生きている」

「病気」って
性病のたぐいともとれんことはないだろうけど
キルケゴールのいう『死に至る病』なんだろうなと。
まあ、死に至る病っつうのは絶望だ。精神の死だ。
現代っつう時代は
近代でいう飢餓の代わりに
こいつを乗り越えることを、多くの青年に要求する
少なくとも、近代より多くの青年に。
これ、ぶっ潰すのすげえ大変なわりに
乗り越えたところで
おめでとう、君は普通だ
なんて祝福の言葉もねえ
だからさ
こんな時代の普通って
こんな時代だからこそ
なるの大変だっつうーの
だからこそ
はやり病にかかっちまったけど、俺、まだ生きてるぜ
なんて
言えるやつになろーぜ
真摯で苦しい自省的生き方
ってのは
得られない幸福への言い訳というか
幸福の代わりに生まれて来るものなんだろうな。
誰だって享楽的でいてえよ
けど
恋愛なんつう享楽と違って
そのへんの享楽は退廃的だっつうもっぱらの噂だし
実際金もガバガバかかんだろ。
そーいう点で恋愛っつう享楽は社会倫理なんて卑怯な後ろ楯があって
だけど、そのかわり得られんやつは徹底的に恩恵にあずかれねえ
だから、同じく倫理が肩入れする「知」や「哲」に
屈折した享楽を見い出すんだろ
そんなさ
幸福願いながら真摯な生き方して
そういうのって
ジーザスやら何やら宗教がかったもんに救いを懇願するのと
崇めるための偶像がねえってぐらいしか違わんだろ
真摯な生き方は否定しねーよ、もちろん
けど
ほら俺真摯だろ、お前ら幸福くれよ
って言う主張はただの横暴だし
そもそも畑違いだぜ

でもなあ
幸福なくって
どーやって生きてくんだっつって言われると
屈折した享楽観だって認めるべきなんだろうなあ
不幸にして幸福がねえ星のもとに生まれた奴なら
後の世代の人類のために死んでくれ
なんて
自分は幸福だっつう立場からしか言えねえよなあ。。。
僕たちは
欲望にたいして
ただ透明であるべきなのであって。
ただ、欲望が通り過ぎたあとに
体が欲望色でべたべたになってなかったら
それで良し
多くの欲望は
無理して拒むほどのもんでもないさ。
常に
いつだって、ニュートラルで。
「わたしは
 どこかで
 間違えたかしら」

「たぶん、(デカメロン)さんは通り過ぎたんだと思います」

「こんな僕が変われるなら
 今しかないって気がするんだ」

「怖がらないで 闇の向こうへ
 手を伸ばす前のまわり道」

「『戻れない』
 『否、戻らない』
 『道がない』
 否、道を知らずに明日へと旅立つ」

「灰色の太陽 静寂と哀しみ
 ありのままいたいのさ
 不器用でも しょうがないでしょう?
 Do well」

「僕達はみんないつでもそうです
 女の子の事ばかり考えている
 女の子はわがままだ よく分からない生きものだ
 でもやさしくしてしまう 何もかえってこないのに」

「愛だの、平和だの、戦争だの、テロだのよ、誰も俺等の青春はァ殺せやアしねえんだよ!!!」
もし
僕がどこかで曲がる角を間違えたんだとしたら
ていうか、すべての人は
遅くとも青年期が終わるまでには
間違わずには生きられんと僕は信じてるけど
どうやら、僕はどこかで間違えたらしいから
安吾のいう「堕落」をやらなきゃならん

僕たちは
いうまでもなく皆、無知という言葉も知らないで生まれて来る
そんなのさ
生まれて来るっていうより出て来るってだけやん
それからは環境と宿命に従って成長して
だんだんと時間の流れの一部を内側にひきいれることができるようになる
そんな行き当たりばったりな流れかたでさ
間違わんわけないやん

だからさ
やっとそこそこしっかりしてきた所で
生まれ直す必要があるんだ
どっかの女の腹からでなくって、この自分の腹からな。
カーナビ風にいうなら
ルートを外れたんなら
現在地から目的地までのルートを再検索すればいい

その方法がさ
安吾においては堕落だったし
僕においては、なんだろうなっつう話
くそ
ある人といってることが被っちまった
それも、相互不干渉な状態にあるのに
まあ
その人はかなり非凡な人であって
そんな人と同じよーな見解に立てるっつうことは
まあ、いいことではあるよな。
けど
それと同時に
俺ってば単なるステレオタイプでしかないのか
っていう落胆への疑いは出て来るわな。
…まあ、ステレオタイプってほどに大衆的でないにしても

僕は、ある群の一例として数えられたくはない。
ありのままで。
なにもいらない。

確信を確かたらしめているのは
何もない理屈の空虚さであって
所詮全ての思索活動が
閉じられた幾億の脳の世界の
ローカルで再帰的な作用に過ぎないのなら
生半可な理屈、中途半端な共通前提で
その隔絶を仮想的に超えようとする
そんなことには必要の欠片もねえ

あらゆる理のない確信には
人間がつくった変な理がない代わりに
戦争だって背負って立つ義がある

激情を肯定するわけじゃねーけど
理なんてもんは糞に劣るっつうの。
ちょっとあげてみよう
170ショコラ ◆8vJiw0bx/6 :03/08/02 00:49
完全な物を追い求めるのが人間なのかも、
でも、完全は追求しても人間には得られない。
それでも、努力をする、その、姿は美しい。
何が中途半端か生半可なことより、
心配や、優しさ、きびしさを人か受けた方がいい。
その方が自然だと思う、
そして完全への追求を共にあるけばいいと思います。
焦点がずれてて、ごめん。(^^ゞ
     ∧_∧  ∧_∧
ピュ.ー (  ・3・) (  ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
  = ◎――――――◎                      山崎渉&ぼるじょあ
172夢見る名無しさん:03/08/02 17:40
昔、そんな歌があった。
僕らは目も当てらんねーほど傲慢で
だから
常に寂しくないと
何か欠けてるって思わないと
なーんにもしねえ
自分で完全だと思っちまったら
簡単に完全体になれちまうのさ
だから
不完全なものこそ人間だ
っていうフレーズは、不完全な人間ってもんの
人間はどーせ神にはなれねーんだ、それでいーんだ
なんて後ろめたい肯定じゃなくて
不完全であるやつにこそ
=自分で不完全だと思い続けるやつにこそ
人間が人間たる恩恵
=進化より因果的でなく、成長より自動的でない、進歩っつう恩恵
が降って来るんだよっていう積極的な是認だ

まあ、けど
To err is human,to forgive divine.
なんてーのは
ただの酔いどれのタワゴトだ
>>172
なんだい?またLookのお客さんかい。
けど、残念なから
ウチの「僕は此処に居る。」は
Lookさんとこのやつよりよっぽど非力だよ。

そしてageだ。
…と思ったけどもうちょっとで着底なのでさげ。
と思ったらあがってた
某所での、某君の、さんざん彼女がおらず寂しいと繰り返した上での
「あー、オレいつか切なくて死ぬんじゃないかな…(涙)」
という発言に。

僕のレス:
死ぬほど切なくなるのは人間だけだし、
切ない世をそのまま生きてくのも人間だけよ。
人間、満たされてちゃダメんなるっつうのが僕の持論です。

真意:
おまいはアフォですか?
死ぬて。サルみてーなことをわんわんわめいてんなよ。

まあ、こんなに毒を含めたつもりはないけど
誰かこの変換を汲み取れるだろうかな。
もっとさ
きっぱりした
婉曲な
皮肉でない
表現手法が欲しい。欲しいんです。
「それは、一方的で歪んだ愛情だった」
一方的でない愛情が果たしてあるのか
とか
歪んでない愛情が果たしてあるのか
なんて
いかにも構造的なことは言わん。
けど
お前が持ってんのは「一方的で歪んだ愛情」だって
誰かに(あるいは皆に、マスコミに)断じられたやつは
どーすればいいんだ
あきらめろってのか

もし、愛されないやつがいて
そいつの愛されなさが不当で、境遇の不運によるものだったとしたら
そいつは
愛されないばかりか
罪なき罰にあえぐ必要まであるのか

救われねえ。
誰だって分かってることとはいえ。
これから引用句には引用元を書き添えよう。

「僕は此処にいる。いつだって此処にいる。
 君が傷ついたらComback
 comback again」
(combackって原文ママなんかな。。。 >>129

「今までは、俺は誰かに頼られるような人間じゃないんだから、誰かに向って手を広げることなんて、しちゃいけないと思ってきた。
 だけどそれは間違いだったんだ。俺は根本的に間違っていたんだ。

 誰かに向って手を広げ、俺がついてるよ、一緒なら大丈夫だよと声をかけた瞬間に、
 人間は、頼られるに足る存在になるのだ。」
(小説「模倣犯」下巻オビ裏)

けれど、やっぱり頼られるようなやつになんて
自分がなろうと思ったらすぐなれるもんでもないよなあ。
搾取されるんでなくてただ頼られるって
前に書いた愛の確率論ってわけじゃねえけど
なかなかねえよ。
いままでの引用元総まくり。

>>36 「少女よ…」ナンバーガール向井のライヴでのMC
>>101 「波は…」クラムボン/波は
>>108 「心の…」the brilliant green/そのスピードで
>>134 「だって…」浜崎あゆみ/ourselves
>>137 「いちいち…」ある国語教師の言。
>>146 「自分を…」同じ国語教師の言。
>>147 「変わり…」ACIDMAN/造花が笑う
>>149 「なには…」スレ「なにはなくともトイレがあるさ」の1。
>>158 「I am…」鬼束ちひろ/月光
>>161 「こんな…」某専門学校のCM。
>>162 「人は病気を…」Number Girl/はいから狂い
>>165 「わたしは…」YUKI/プリズム
    「たぶん、…」ある女リストカッターの言。
    「こんな僕が…」スーパーカー/(Am I) confusing you?
    「怖がらないで…」スピッツ/けもの道
    「『戻れない』…」eastern youth/泥濘に住む男
    「灰色の…」rough laugh/誰が為に鐘は鳴る
    「僕達は…」くるり/男の子と女の子
    「愛だの…」GOING STEADY/童貞ソー・ヤング
>>177 「それは…」東北郵便局放火心中事件のマスコミ報道。

すげえ。
詞からの引用でアーティストがかぶってねえでやんの
決意。
やっぱ、これからも自問は諦めまい。
苦しいからっつって
浮かんだ問いに短絡的な答え抱かせて
また闇の彼方へ沈めるのはやめだ

自分の最表層とか
自分外存在とか
そーいうのも、オノレの根っこになってんだって
そーいうのなしにこの現在の時間なんてもんはねえんだって

一度否定を乗り越えた精神による肯定は
ただの肯定より説得力があって
だから
効率や他人にそっぽを向いてでも
愚かなままのスタイルで

真実を見る目
は、そこから始まる。苦から始まるんだ。
この瞳は曇ってしまったなんて
それこそ、瞳の曇った奴の言いそーなこった

駄々でいい
欺瞞でいい
ある時から自分がニセモノとして作り上げたもんでも
きっとそれは、今僕にとっては自然な事なのだ
そんだけ
記録。

世界がかくもいわれのない隆盛に満ちたものだなんて!

ふふ。
山積みの不確定要素の上を
引けたままの腰で
進むのだ

いまでも
いつだって
あの匂いが漂ってる

まあ、そんな日もあるってこった
あー
もう

なんで
何かあった日は
いーことでも厭なことでも
そのあと、調子わるくなんだ

わかんねえよ
なんでだ

あれか
幸せな気分ってのは
時間単位の配給制か
もっと詩的に生きろ。

行動や思索を
余計な
社会規範だと自分が思ってるもんに
かってに縛りつけて
それじゃあ
せっかく一個人として生まれたのに
自分から
その他大勢っつう個に融けあって
個の数が減っちまうよ
表面だけ法や道徳や世の中ってもんにへつらってても
柔らかいとこの力は落としちゃいかん

自分が自分だからっつうのは
なんかをやる
理由になる。
Death is simple,live complex

死ぬ、亡くなる、お隠れあそばす
っつうことは
生か死か
なんて世の中で多く語られるように
生と対になる言葉じゃあ、
断じてない。

無限の大地におちた
そいつの行ける限界のラインには
物言わぬ、姿も見せぬ
けれど、たしかに壁があって
その壁の囲う領域が
そいつの可能性であり、母体であり
生そのものであって
時間はベクトルになって
その生をそいつ独自のベクトルで謳歌するに従って
それと逆方面にある壁がこちらに迫って
領域がゼロになるとき、そこが寿命
そうでない死は、ただ単に立ち止まって地にひざをつくってだけ

生はその宿命に死を包含し
けれど、死はただの個なる要素に過ぎない
人間には全てに価値があって
っつっても
愚鈍な教師なんかのよく言う例の安っぽいヒューマニズムじゃなくて
あまねく個人には、そいつに見合った価値の値が設定してあって
まあ、もちろん
気張って自分の価値に値を超えさせる事もある程度可能だし
怠けちまって…っていうのもあり
けど、それはあくまでポテンシャルな言い方であって
実際は
けっこう頑張ったとして「値」のちょっと下ぐらいで
そこを実効的な「第二の値」と言えるだろうけど
けれど、いつでも好きな時に「第二の値」までは頑張れないといかん

どこまで頑張るかなんてのは
完全に個人の肩にかかっているのであって
だから、誰かに叱られるっつうことは
自分の現在の価値よりもっと潜在的な価値をもってるって
そいつから信じられてるっつうことで
そして、個人のクズ度は
価値の絶対的評価でなく
価値がどれだけ「値」を満たしてるかで決まる
すなわち
できねえやつと
できるけどしねえやつの
どっちがクズかっつったら、異論なく後者だっつうこと

実はこの「第二の値」こそが普通の基準であって
普通でいることに疲れた
なんて言って怠け出すやつは、それこそクズだってこと
自覚も知も、無自覚も無知も関係ねえ
最後は
どんだけ頑張れるかってことなのさ
186Sleep:03/08/08 11:01
>>184
死と生が同じステージに必ずしも在るとは確かに思いませんが、
「生⊇死」と思うかというと俄かに賛同しかねる意見ですね。
デカメロンさんは力・活動の面で言ってらっしゃるようですから
多少論点外れな上に、死の定義の仕方でも変わるのですが、
生は死から産まれて、死へ還るという見方も出来るはずです。
寧ろ、『死の状態が続いている上に、生としての状態が覆い被さっている期間があるんだ』くらいにも思えます。
187西園伸二 ◆KzHEAVYI1M :03/08/08 11:54
デカメロンはごまかし屋
死やら無っつうのがデフォルトで、そのうえで一時的に生があるんだ
とね。
それは正解なんじゃねえかな。
おそらく、そこを盾にとるのがいちばん生の価値ってもんを語りやすいだろうし
事実として僕もそういう実感はある
けど
陳腐な言い方になっちまうけど
あんたも自分で言ってるとおり、視点や定義によって変わるよなあ。
けれど、僕にはそのあんたが最後に挙げた見方は
あまりにも超人間的な気がする。
好きくないのです。
人間っつうのは
あくまで生まれ、生きることによって人間たれるのであって
死んだやつはまあ皆の記憶にあるあいだは人格が消えないとしてもいいだろうけど
受精卵になる前からその人間が存在するかっつうと
それはないよなあ
って感じ
まあ、簡単に切り捨ててしまえば
あんたの言う「死」は生きてない状態、無っつうコンセプトだし
僕の言う「死」は、生から無への一瞬の渡航ってこと
なんだな。
ごまかし屋か…。
ごまかし屋。考えたことなかったな。
待てよ。
すげえ、なんかこう、来そうな気がする。
少なくとも
僕は
逃げねーように
ごまかさねーように
っつって
それが深層ではごまかしであったとしても
一応、意識的な部分では
自分に懐疑的には生きてきたつもりで

けど、最近
幸福についての主張が二転三転してるのは
それは、ごまかしかもしらんなあ

いかんいかん
おてんと様のもと
胸はって生きれるような生き方をせにゃあな。
あー、とくに深くはこなかったなあ
またの機会に期待するか
192夢見る名無しさん:03/08/09 00:08
いろいろ考えるけど、結局核のとこは単純なんだとおもうなぁ
そうゆう意味では「ごまかし屋」かもね
でもしぬほど考えて、ごまかして、二転三転して、それで単純なことにたどりついた人ってつよい。

でも、だからこそ生きるってもっとカンタンなことで、
そんでやっぱ「生きてる」っていうそれだけで意味なんてない。
なんかコスモゾーンみたいな宇宙の意志みたいな、
そういうものが許してくれるまで辛いけど生きなきゃいけない。
明日土砂崩れで死ぬかもしれんし、そしたらそれでおわりだし
死を身近に感じることなんて、めったにないかもしれんけど

幸福なんて皮膚で感じてナンボじゃない???????
人が死ぬっていうのは、何食っても味しねぇなぁとか、なんとなく息がしにくいなぁとかそういうことだし

イヤでかめろん殿がおっしゃってることとは全然ズレてしまうんですがね・・・

たとえば「死」についてわかりやすく、できればワンセンテンスで
書いてみてほしい(読んでみたい)
こうゆう対話形式もたまにはいいかな
イヤだったらスルーしてくらさい




そうだねえ
取急ぎ死についてだけ


イコール
挫折

かなあ
まあ、イコールというより矢印かな
挫折イコール死じゃあ、もちろんないものな
ダメなんだよ
この肉旨いなあとか
今僕はこの娘と手を繋いでるんだなあとか
そーいうの、幸福って言わないんだよ
なんでシアワセかなんて
明文化できるよーなシアワセなんて
そーいうのは、憂鬱たら腹痛たら、気まずいなあ。。。たら
ただのムードと変わんねーんだよ
すぐ消滅しちまうんだよ
ムードとしての幸福の消滅は
それすなわち、ゆううつの入り口であって
だから
短絡的な、ムードとしての幸福を
僕は
全霊を賭けて憎むんだっつーことなんだよ
195nihonjin:03/08/09 14:34
うーん、そうかも。
じゃあどうゆう幸福がほしいですか??
>>192はあんただったのか
それはさておき


なにが幸福かって
それを探す旅じゃなかったのか?
まあ、最終的な幸福なんて
じじくせえけど
自分の過去や現在に対する満足からぐらいしか
得られはしねえだろうよ
だから、そのために
僕だって、あんただって
闘ってきたし、闘っていくんだろう?
怖いのさ。
また
いつ僕の欲望が爆発するのか
爆発して
現実や、ココロや、妄想や、食欲や、呼吸や、生理や、
そういったもんを巻き込んで
いや、生理っつっても例のお月様じゃないんだけど
巻き込んで、自重で光さえ喰い潰していくのか
闇が。
黒く冷たく鮮やかな影が。
わずかな光に喰らいついて
そこは海になる。
鮮血のうねりと、醜い有機のにおいの支配する
今日とあの日に満ちた世界…

僕の原風景でありながら、僕の絶望の世界。


わかってる。
濁った瞳で真実は見えない。
けれど
澄んだ瞳はいつだって
血の代価に飢えてやがるんだぜ。。。
だから
こんなに
恐れて生きたことって、いままでねえよ
なつかねえ暴れ仔犬抱いて
雲にわたされた綱を
ひとあし
ひとあし

綱の上が
正しいわけじゃねえことは、わかってる
どうせ
僕が光を見つけるのは
血の結晶のなかでしかないってことも
そりゃあ、わかってる
不安定を包含しうる安定が
少なくとも臆病の上にはないってことも
わかってる。分かってるよ。

分かってるんだよ。。。

仔犬は棄てねえし
けど、バランスとることもやめられそうにねえな。。。
変えられるか
世界を変えられるか
この閉じた世界だけでも変えられるか?


進む先に待つ
輝かしき予定調和を信じて
200Sleep:03/08/11 23:05
>>199
死の状態からメッセージを送る。
あなたは充分に、充分すぎるくらいに変わりゆく世界に生きていて、
なおその世界を変えようとするのか。

期待しているんです。
使い古された表現だが、僕にはそれが『若さゆえの傲慢』に見えても
君が世界をどう変えようとしたのか、君の世界がどう変わるのか
とても楽しみにしているんですよ。
200げとおめ。


他愛もないことなんだけどな。

それでも、僕にはそのあとが見たくて
見たくて、見たくて
見たくて
無限力(ちから)なんてものは
僕に微笑んでくれるんか
なんて

そして、大衆化してしまった僕は
一体どんなものを見るんだ
なんて


…成功すればのハナシだけどな。
凡人としての僕は、成功を願ってるよ
僕は。

僕は、きちんと持って来れているのか。

一見安穏とした暮らしも
単なる有意識のベールにすぎないと
そんなことはないと、断言なんてできやしない
時々
ふわりと恐怖に煽られて
後の道を振り返るけど
僕の落としたもんなんて、そんときゃ既に見えやしない

僕は、きちんと持って来れているのか。

あの日、あの時の雨の代価を
涙といっしょに捨ててはいまいか。
少なくとも
鋭さは失っているような気がする。。。

「毒が必要だ。」
過去を背負って生きねば。

ヒトの宿命として以上に
単なる道程の記録として以上に
こぼれ落ちるもの、失くしてしまって良いものだって
記録なくして手放すものか。

進むだけが能じゃねえ
そこにいた証って
どんな遠くからでも見返せるよーなもんのはずだぜ

「急げ悲しみ 翼に変われ
 急げ傷跡 羅針盤に変われ」

急げなんつってる悠長なヒマはねーんだ
いつだって
悲しみで飛びつづけ、傷跡で先を見続けなきゃいかん
平穏。
憎むべき平穏。。。



(中島みゆき/銀の龍の背に乗って)
204山崎 渉:03/08/15 17:34
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
強者の糧が弱者では、もちろんない
けど
弱いやつは死ぬあるいは自棄になる
結局、この世の苦労より甘美な無を選ぶってだけだ
強いやつは、けれど二種類いて
漫然とそうあるやつ、必死でそうあるやつ
あるいは、その過渡期にあるやつも中にはいよう
そいつらはやっぱ
なんだかんだ言って、甘美だと感じるのはこの世の苦労なんだな
勘違いしちゃいかん
世界こそがこの世の総体じゃあねえ
その、てめーで持ってるオノレってやつが全てなんだっつうの
そいつがどうあろうと、そこにどんな感じが渦巻こうと
停電しようと、肺病が流行ろうと、もろもろが破綻しようと
ラーメン喰ったって靴下穿いたってピアス開けたって
オノレ以外のもんにはどうこうしようもないし、されようもねーんだっつうこと
ただ、それは
あくまで自傷さえ厭わん懐疑主義者の理屈であって

本当に、心からそんな事を言うやつは、“オノレが全て”とだけ嬉々と繰り返すやつは
そりゃお前、ただのクズさ
“オノレが全て”っていう自信は絶対的じゃない。負の場があって初めて成立するのさ
“オノレが全て”って
いわば、僕の責任は僕で背負ってけるから、ってことだろ?
それでいて、がんばらにゃならん僕たちのための人間讃歌なんだろ?


不思議だ
絶対と絶対的じゃあ意味が違うんだな
灰汁は捨てろ
個性は捨てるな

刀を抱け、刃を研げ
抜き身を晒すな、錆を許すな

ただ静かに尖ってればいい
いつでも現実を切り抜けるよーにな。
メンヘルってメルヘンのアナグラムだと思ってたぞ。。。
あるんだな、メンヘル板。

お世話にはなるまい。。。
208tati:03/08/17 21:18
           (\,,/)  桃も食いたい。
       *     ミ ゚w゚彡    *
        (( ⊂    つ ))
       *   ミ   ミ
           ''とノ''    *
209tati:03/08/17 22:02
君に救われたよ。この刹那・・・
>>208-209
そいつはどうも。

何かあんたの見にあって
何か思うところがあったんなら
何かしら書いてってくれ
人助けだと思ってな?
身にあって、だな
212tati:03/08/18 08:13
さらっと目を通したよ、目に留まるところがあってね・・・
デカメロンはルパン三世に出てくるよねって 昨日買って来た本に載ってた
もうちょっと読み返したい、言葉が揶揄しているところが多いから
自分なりの解釈による印象でしかないですけどね。
不完全さゆえの完全性とか、臨機応変な
今というこんにゃくゼリーに四苦八苦な まだ こんな感じ。
213夢見る名無しさん:03/08/19 19:34
死にさらせ
>>212
言葉が揶揄。
というのは
文学的表現ととっていいのか。

>>213
死にさらせ。
215tati:03/08/20 09:20
詩にさらせ と いいたかったんでは。。。
言葉と言葉の接着剤で固まってる気がするが 内容は好き。
「時々私は自問するが、私たちをして
 『かるい』人間たちの『素直さ』に対する軽蔑と嫌悪を
 感じさせる原因にはたして嫉妬は混じってないのか。」

僕は
なろうと思えば
かるい人間にだってなれる
なれるはずさ
ただ
そのかるさ故の
無為を厭い
そして
かるくなるという変化は
不可逆なのであって
かるくなってみるリスクを
背負う勇気なんてないんだ
そんな無謀はいらんし
この今の辛さは
在りつづける動機でしかない

在りつづける動機でありたい。
存在が意志による平衡であれば。
未分化でありたい、と。
このまま
強引で不器用で、それでも沼を長靴で進んで。
目に映るのは
にぶい色のままで
右手の安っぽい真理よりも
左手の甘美な闘争の苦痛を


ことばでなくて
匂いをもってゆけたら。
大丈夫、
まだ忘れてない
218tati:03/08/21 15:53
(^д^)におい。くんくん♪
219Sleep:03/08/21 20:03
選んでない。という状況がある。
選択肢が在った。どれを選ぶのも厭で選ばなかった。
「選ばない」という選択肢を選んだに過ぎなかった。
『このままで在りたい』と想う事は、時に傲慢な規則破りだったりする。

僕にとやかく言う必要は無いんですけどね。
人間が眠る限り
そこに感受があるかぎり
僕達の記憶は
思索に対して驚くほどデジタルで
けれど
明確に整理された思索なんて
そこに思索があったっつう証でしかねえ
それ自体で価値なんてねーんだっつうこと

切実なる願いの言葉なんて
多くの場合、それを許さない世界構造への補償でしかねーんだっつうこと
    ∧∧ ∧__   
   (´ー`)/ *゚ー゚)  中村一義さんのここにいるを思い出したよ
   (   ,.つ |" ̄     めいきょくだよ
〜/ ̄てノ   |     
  |  __  /       
  | | |   | | |        
  |_|_|   |_|_|,,
""""""""""""""""""
「ただの平々坦々な生活に潜む、敵を越え行くみんなが、
 今、そこにいる。見えないし、行けない。
 けど、僕等、今、ここにいる。ほら、ここにいる。」

敵とは。
僕達は一体、何と闘ってんのか。
何を憎み、攻撃し、潰して、消し去って。
忍び寄る大衆の影か。
然り。
オノレってもんの弱さか。
然り。
傲慢か、盲信か、妥協か、恋愛か、幸福か、無知か、金か、命か、心か。

それは、自分の内の生なるものとの闘争だ。
無自覚な時間という変化が生であり
自我の生存ではなく注意深くその生のみを死ぬこと
生が現れるたびの
死につづけるその行為こそが
闘いの目的であり、結果であって

僕達は。
二元論者の蒙昧、次元の軛と闘っているのだ。


(中村一義/ここにいる)
マジモードで登場w

ログ全部読んだよ
みんなきっとけっこう読み飛ばしてるんだろうけど、俺はすげぇいいこと言ってるな、と思いました
舞城王太郎さんって小説家の作品、読んだことあります?
絶対気に入ると思う。少なくとも俺はかなり考えさせられた

ある人が自身の作中で登場人物にこんなこと言わせてます(うろ覚えだから正確ではないけど)
「だから今は走るの。行き着く先とか、走る意味とか、走るだけ走ってその後で考えたらいいの」
いまの自分の心境はかなりこれに近い

俺は小説家目指してるんだけど、自分の書きたいものってなかなか見えてこない
ただ、書くためには書くことしかないんだよねぇ
それって、つまりは今の俺の前にいる俺を信じることに他ならないんじゃないかと思う
いまを生きるのが大切なんじゃなくて、ほんの少し今の自分より前の自分を生きること、これが大切なんじゃないかと思う
アキレスと亀の寓話が出てたけど、先を行く亀ってのは、きっとアキレスの願望であり希望なんだよね

一つだけ確実にいえるのは、
もしまた人間に生まれ変わって来世の自分が前世の自分の小説を読んだときに、
来世の自分の中にテロルを起こさせて、小説家を目指してみようかな、と本気で思わせる小説を書きたいということ


誰も言ってないようだから俺が言っときます
あなたは、いま、ここにいる
224tati:03/08/23 17:55
(・Д・)<君の読者その1です★よろぴく。
舞城王太郎。
メフィスト賞受賞。
実は
メフィスト賞ってーのは信用してないんだよなあ。。。
偏見ながら。
時間が自由になるようになったら読んでみるか。
けど
小説の面白さなんて
日頃どんだけ闘って生きてるかで決まるって
僕はそう信じてる。
自分の文章に
「文章は、書き手の不幸を喰らい、成長する。花を咲かせる。書き手が死を空想するたびに、より大輪の花を。」
なんて書いたこともある。
少なくとも、どうやら才能の足りないらしい僕にとってはそうで
だから
頑張れ。

そして、ありがとう。
僕だってまだ
一人のまま自然には
生きてけやしないんだろう。。。
僕は、これから
「動物化」し果て始めた社会のなかから
きっと
僕みたいに、善くあろうともがくやつらが
わらわらと現れて来るんじゃないか
と期待してる

自己について語る時に

そのおおもとの、自己の本質ってやつには
世界(社会)と、その世界に隷属する世界的自己っていう分断があって
その両方を
存在たる自己が覆っているのではないか
と、考えることはできまいか。
社会が腐った故に絶望するやつらのなかでは
その世界という対立項が抹殺されて
本来は世界的であるはずの自己が肥大して
そこに、新たな閉じた世界とその世界に隷属する自己がうまれる
その自己完結の似非世界が「動物化」したやつの世界であって

そして、腐った社会が絶望の対象でなく憎悪の対象ととられるとき
世界への憎悪とともに世界的たる自己へも憎悪がふりそそぎ
より高次の、世界とは独立しているはずの実存的自己というのを発見して
それが腐ったもんにならねえように、まあ頑張るわけだ
つまり反面教師ってやつだな

世界やオトナたちが腐れば腐るほど、
傲慢で野望だらけの、プライドを持った若いモンどもは
おそらく、善くなってゆく筈だ。。。
この
生理的嫌悪に基づく反面教師というやつは
人々に自発的な努力を促すもっとも確実な方法の一つで
だからこそ
オトナが不粋で無価値で無為で無自覚で無個性で…なんて
だんだんと腐ってゆくのは
それは、実は遺伝子に刻まれた教育の秘訣に従ってるのかもしれない

教育という手段自体を否定するわけじゃねえけど
教育によって授受されるものは
至高のものでは、常にありえねえ
っていうのも
レベル1のモノがあって
それを思いつくには、レベル1でなければならん
それを自分で整理するには、ひとつ高みのレベル2からそれを見る必要があって
それを体系立てて他人に分かるものにするには、もうひとつ高いレベル3が必要なのであって
教育者は自発的に高みに登って、それでいて教育をおこなわにゃならん
自発性のないところには、現状維持っつう言葉さえなくて
どうせ自発性がそこにあるんなら
教育なんて必要ないのさ
僕達は常に
進むための障害を
捨て去るための理由をだけ
探してるんだろーか

何の吟味もなしに棄てることと
さんざん曵きまわされてやっと見限ることと
辛さ以外に違いがあろうか

けど
僕はまだ、
なにもなしには棄てられない
君の顔が好きだ 君の髪が好きだ
性格なんてものは僕の頭で 勝手に作りあげりゃいい
君の肩が好きだ 君の指が好きだ
形ある物を僕は信じる
(君の顔が好きだ/斉藤和義)



どう反省しても、どう謝っても、それが人に伝わらなければ全く意味がないなんて、
それってなんか間違ってる
逆に、上っ面だけの反省や謝罪であっても、人に伝わってしまえば本物になるなんて、
それもきっと間違ってる
だからといって、目に見えるもの、実感できるもの、そういうものを得ようとするだけ、
それだってどこか間違ってる
でも、世の中の不条理に対して手を拱いて見ているだけ、
そいつも絶対間違ってるわけで

こんな間違いだらけの世の中で、みんなは何を信じていますか?
残念ながら
忌み
嫌い
憎むことでしか
何かを避ける事でしか
今の僕には、もう
今の僕には、まだ
どちらの方角が明るいのかなんて
言うことはできねえ

いつか
いつの未来にか、
否定でない善を手に入れられたらなあ
っていうのが僕の願望だし
けど、やっぱり手に入るだろうっつって
僕は可愛らしくも信じてる
ぱっくり開いた漆黒の淵
溢れ出した、そのつめたい禊は、やがて
丘をくだり
平原を進み
山を登って
全ては、そこにそれがあるそのままに
気付けば
仄暗い水の底へ

沈没し始めた世界の
それがいつからか
なにものによるものなのか
それを知るものは、どこにもいない
水の底にも
おそらく、無限に近い時間のむこうにだって

悪しき哉、暴欲なる禊
悲しき哉、無為なる世界
きっとこの世の中には
換金できない価値観があって
けど、それは
愛が金で買えるとか買えないとか
そんなうすっぺらくて使い古されたような物言いの類いじゃねえ

絶望と寄り添ったままでも
多くの人々はあえて生きてくし
たまには多少の自己犠牲にだって目をつぶっていくし
自分に厳しい試練を課して、
それでもそのまま闘って“いかなきゃいけない”

下につづく
「人生なんてそういうもんなのさ」
「道徳や人倫で決まってるんだもの」

なんて紋切り以下の答えが破綻してるってことは
僕らはおろか、10円玉一枚の価値もないような大人達だって知ってるし

「僕には愛しいものがこの世にあるんだ」
「自分が消えてしまうのが怖いから」

なんて不安定で特殊(=particular)でゆらぎやすい答えは
程度の軽重こそあれ
あくまで凝り固まった俺イズムと同列のもので
やっぱり、虚ろなニセモノの胸を打つ
ただヒロイックなだけの答えでしかねえ

“いかなきゃいけない”の根拠にはならない


下につづく
死という選択を、否定はしない
いまはまだ
いまはまだ、僕だってそれは超えらんねえ
けれど
辛く、苦しく、我慢して、闘って、おのれに厳しく
そういう聖人的な選択肢を選ぶ意味があるとしたら
怠惰で、人にたよって、自分から人のためには何もせず、ただ気に入らないものを拒否しつづけて
そんな“クズ”的生きかたが人から何かを奪うとしたら
それは、おそらく価値だ

多くの人は勘違いしているが
道徳なんてお人好しで甘くて何の意味もないものを可目視化した
それが価値だって主張するのは
シブヤのド真ん中で
「我こそ偉大なる創造主にして世界の原点である、さあ皆、我にひれ伏すのだ」
と叫ぶのとどこも微塵も変わりはしねえ


下につづく
そして、これも多くの人は勘違いしているが
自己犠牲をはらいながら、傷やコンプレックスを負いながら
「ああ、可哀想なボク、こんなにボロボロにされちまって」
感傷に浸ったり
「わたくしの不幸でみなさまが幸せになるならば、わたくしはそれを厭いませんわ」
独りよがりな悲劇に自己満足したり
「右の頬を打ちましたね、左の頬もお打ちなさい」
敗者の思考で開き直ったり
以上のような倒錯的思弁の附随するそれは、自己犠牲でも傷でもなんでもなく
ロリヲタが赤ん坊の写真見てするオナニーと
どちらが価値があるかなんて、天秤にかけたって微妙なもんだ


下につづく
つまり
誰からみたって素晴らしい、ということが価値があるということで
誰からみたってヘドが出るぜ、というのが価値がないということで
「幸福」が他人との関係によってしか生まれ出得ない以上
何の根拠もない愛ゆえの狂信が
それが自分の行為であるという最強の色眼鏡が
感受性を盾にして全てを美に変えてしまうまえに
ときには誰かの満足のために
喜び勇んで自分で苦労をするし、
誰かの目に美しく清潔に映るために
風呂にもはいれば自分に厳しい生き方もする
けれどそこにあるのは、他人本意な「二言目には世間」的生きかたなんかじゃねえ
風呂を拒んだ臭ぇカラダは
この世にそいつ一人でだってやっぱり不潔で価値のねえもんだ
風呂を拒む臭ぇ奴は、道理で急速に嫌われていくし
まわりの皆のいなくなったそこに
虚しさを孕まない幸福なんてありえねえ
そしてわざわざ言い添えておけば
この風呂ってのは聖人的生きかたのメタファーなんだぜ、っつうことだ


下につづく
そうやって毎日せっせと風呂に入って
やっと貯まったあるまとまった量の「価値」は
福沢諭吉が7グラムの純金に変わるように
明らかに、まとまった量の「幸福」と兌換なんだぜ
っつうことなワケよ。
まあ、つまり
聖人は幸福欲しさに聖人であり
逆に幸福が欲しけりゃ聖人になりゃあいい
クズは幸福のないことを覚悟してクズで居んだし
逆に幸福がないんなら、あんたはクズなんだぜ
ってことだっつうんだ。



「風呂は命の洗濯よ」なんて言葉に
ある深い隠喩を発見できるとしたら
…僕が世界初なんだろうよ、おそらく
…ああ、ちょっと超越的過ぎたかもなあ。
不完全、不完全。
へへ。
239にほん:03/09/01 01:22
やあ。
なんかみんながむずかしいこと書いてるからかけんやった。いくぢなし。
「一言めには世間が」って言える自分を好きでいつづけるために、いろいろ考えて悩んで結構がんばってるのだよね。多分。
ばかだけど、可愛いよね自分!って言いたいと思える人間でいたいと思う人は、多分ここをみて
共感してうれしくなって、けどたまに辛くて涙を流したりしてるだろーな。
他人以外の何かを信じて楽になれるなんて欺瞞だ。
いくらそれが狂気だと断罪されても、わたしは信じた他人のために。単なるオナニーで終わらないように。がんばるんだ。
232−238、ひさびさに泣けたよ。明日からまたのうのうとがんばれそうさ。ありがと。
オレは、オマエのことが、たぶんだいすきだ!
240にほん:03/09/01 01:33
たぶんわたしは強い。自分の行動を一番客観的に見られるから
でもこの冷静さは邪魔になることの方が多くて、そのへんがなやみどころ。
社会で生きることの、一番の難関。
社会で生きる上で「こうありたい」自分と、素の自分、どっかで折り合いをつけないといけないのがむずかしー。
もしくは、自分の感覚に合わない何かを毛嫌いするとか???
清濁併せ飲めるようなオトナになりたい早く楽になりたい。

・ ・ ・ホ ン ト か よ ・ ・ ・ ?
241Sleep:03/09/01 02:13
>>234
道徳は便宜の異名。「左側通行」のようなもの。
道徳に因る恩恵は時間と労力の節約。道徳に因る損害は完全な良心の麻痺。
妄りに道徳に反するものは経済の念に乏しく、妄りに道徳に屈するものは怠け者。
強者は道徳を蹂躙し、弱者は道徳に愛撫され、強弱の中間者は常に道徳の迫害を受ける。

昔の人は良い事を謂うものです。

>>240
清濁併せ呑めるような大人は亦 その事自体に苦悩し、楽ではないでしょう。
あらら、おひさしぶりね
>>239の前半で
ちょっと危険なこと言ってる気もするけど
こういろいろ考えまわすのは
要は、気張って生きてく理由づけをしたいのであって
それで誰かが気張って生きてくっつうのは
それは、本質からの肯定だよなあ
書いた意味がもうひとつ現れたってことだ
普通僕らが嫌うところの
誰かの行動、なにかのモノってのは
きっと、自分と相反する情熱のもとに動いているから
けれど、そいつ自身の素直な情熱に推された行動であるから
それが自分と合えば好きになっていたはずで
その行動の背景にある素直さだけを汲み取ったなら
清流だって濁流だって飲み干せんことはないはず
ただ
あくまで
そこに欺瞞がなかった場合のハナシだけどな。
欺瞞やら甘えやら、そういうのまで飲んじまうと
そりゃあ、10円以下の大人だっつうことだよ
そうして自分の安さに気付いた大人なら
そりゃあ苦しみもするってわけさ
>>241
そういうのを道徳とは
僕は、思ってない
そういうのは、ただの
コニュニティーにおける不文律であり、掟であるだけなのであって
まさにただ「左側通行」ってだけだ
どこにも(どこにも?そいつはどうかわからんが少なくとも道徳という言葉には)敷衍はできんよ。

僕の引用した道徳ってえのは
正に、小学校の道徳の時間でやるようなあれだ

かえってきたテストを、ぼくはかきなおしたけれど、ねこはずっとぼくのことをみているようなきがした
「おはようございます、おばあさん」そのひはいちにち、とてもきぶんがはれやかでした
「ママからの請求書 毎日のごはん代 0円 いままで買ってあげたおもちゃ代 0円 病気になったときの看病代 0円」
おとうさん、おかあさん、生んでくだすってありがとう

僕は今でも、そのうさんくさいエピソードどもを覚えているよ
どうやら僕は
鋭く、鋭くあれっつって
本当に鋭敏になっちまったら
こんどは繊細で不安定になって
辛い辛いって泣きわめいて
けれど、そのなかの流れに嘘なんてないから
それってもんはただゼロから生まれるプラス1とマイナス1の
マイナスのほうだなんて理解してたけれども
そのマイナスなんてのはただの生地であって
こねて丸めてふっくらと焼き上がった虚空を嗅ぎ分ける力は
マイナスをゼロに補って余りある価値を孕んでるんだな。

要は使い方次第ってことかい。。。
見える。
見えるぞ。
全てが透き通って見える。
247夢見る名無しさん:03/09/05 01:49
>>246
それは微妙に深読みして厭な言葉だ。
248にほん:03/09/05 03:17
なんつーか、そういったうさんくさい道徳にも、ひとすじの光明みたいなものを感じる自分はやはり堕落してるんだろうか。
世間にあふれてる、ウソクサイ、ことの中に真実はあるのかなとか最近おもう。
わたしはいままでシアワセな人生をおくってきたからだとおもうけれども。
ただ、そこに存在する「虚空を嗅ぎ分ける力」と人のこころを感じ取る力を持っている人々にだけ、許される
とてもデリケートな、ちょっとバランス崩しちゃうとすぐ見えなくなる世界ってあるし、それが見えるってゆうことはほんとにスバラシイことだし
(なんかしゅうきょうちっくだけれども・・・)
全てが透き通って見えるってゆの、たまにある。

深読みなんてせずに、もっとそれ自体を味わってみてほしー>247
たぶん、ここをみてる人って、ことばを味わえるひとだと思うから。

>>247-248
透き通って見えるっつうのは
僕の
ある状態をあらわすために
透き通って見える
なんて言葉の
行宮として仮に降臨してるのであって
これ以上の意味もなければ
かといって
その内に状態をかくまってもいるのであって
門の前で天子の威光を感じることだって
宮に上がって天子と相対することだって
そんななあ、どっちだって天子への畏敬に差はねえよ

そしてまあ
じっさい、厭なことでもあるのだけれど。
世間のなかに真実があるっつーのは
真実ってのが
僕や、あんたや、他の少なからぬやつたちが求めてやまねえ
ただひとつ、道の向こうにある、すばらしき光明
なんて意味なら
それあたぶん、そんなものはねえよ
それでもさ
それでも、ありふれた、ウソくさい、にやにやした、
そーいうものから何かを感じるやつがいるとすれば
それは、そいつが本当にただの人だったのか、もしくは
世のガラクタ共は、光明そのものでなくって
そいつの持ってる
真実に近付くための“浪漫回路”をまわすための
扁桃体やら感受性が選んだ
ただのキッカケではあるっつうことなんだろうな
だからたぶん
あんたは安心していいんじゃないかな.
どうにもならないことなんてねえ。
それって
強者の論理なんやろうか。。。

まあ、けど
高校24年生まであったら…って
そうだよな
自分の可能性を自分で見捨てる事はないよな。
自分が特別で選ばれたやつだ、だなんて
僕が信じてあげんで誰が信じてくれるんや。
だんだん
僕のことばは支離滅裂になってゆくのか
それはもちろん
僕のなかではこれ以上ないくらい美しく結ばれているんだろうけど
それは強固であるってことじゃなくて
それでも
僕は“美しく”ことばを結んでいかないことなんて
そいつは、できねえよ。

いうまでもなく
もっとも意味の通ることばなんてのは
その内容を無視するならば
どこにも価値なんてなくて
けれど
どんどん大衆と離れてゆくならば
行き着く先にあるのは
純粋な僕の独り善がりなのか。。。
ひとは
ひとりでは生きてゆけねえ
なんていうけど
そしてまた、
俺は強いから、ひとりでだって生きてゆけるさ
なんていうやつもいるけど
ほんとうに強いやつは
ひとりで生きていくうち、ひとつの疑問に出会うはずだ

僕たちは、僕たち自身の脳からは一歩も外には出られねえ
だから、外向きの自分をみるためには
だれかひとり
鏡を持ってくれるやつが要るんだ
だから
誰しも、“実りのある人生”を生きる誰しもは
ひとりでなんて
生きてゆけねえよ
恐れるな
恐れるんじゃねーよ
人が人の痛みを
骨身にしみて知るなんてことが
何だって僕らに要求するものかよ
利己的なやつらの利己的な願いを
利己的な僕の行動で遮って、それでいい

いつまでーも弱者を気取りよるわけにはゆかん
僕は、僕の意志で人を不幸にする覚悟だ
255Sleep:03/09/14 19:00
>>253-254
激しく同意。
誰もが出られない場所が在る。
一人を除いて誰もそこには入れない。
突然
僕がどうでもいいと思ってるやつには
僕はとんでもなく冷たいってことを実感させられて
けれど、これははたして普通のことなのだろうか?

あたりまえのことをあたりまえにするってだけじゃあ
実際、それがいくら難儀なことであったとしたって
それは誇っていいことじゃねえんだろ
けど、どうでもいいってのは単に他人なんじゃなくて
僕が価値がねえってわざわざ判断したそいつらにまでわざわざ配慮をしてやるなんて
それは、誇るべきことと言えるのか?

世界は、おしなべて拒否すべからざる存在なのだろうか。
たとえば、遠い未来に
愛する人を僕はもっていて
それがきちんとこのうえないものであって
けれど、その人が事故や病気で死んでしまったら
その後を追わないにしろ
自分が死ぬまでその人の墓にのみ頭をたれつづけることを
誰が未練や感傷と切って捨てられるだろうか
そうでなくたって
人は知己の死を悼むために生きているっていうのに
彼女の死を理由に“愛”を他へ差し向けることが
いったい、この地球上で、不貞以外の何であろうか!


「愛するものが死んだ時には、
 自殺しなけあなりません。」

人間の存在は結局、彼の生死に縛られることはないのだろう。


(中原中也/春日狂想)
僕たちの欲望や願望なんてものは
やっぱり根拠のないものなのであって
まあ、それはいい
けれど、願望っつうのは厄介なので
ある程度出来上がった僕たちの
高断熱、高気密のリビングに
どっからかまぎれこむ自傷の雰囲気なんてもんは
多くの場合
願望と現実なんてプリミティブな衝突ではありえねえで
その火花を散らすものは
いつも
願望それ自身のアンビバレンスに違いねえ
認識から注意深く願望を退けねえと
洞察が狂うばかりか、深く渦の中へ落ちていきかねねえ
昔、人類はたしかに
ひとつの共同体として生きて
けれどもやがて、その結ばれた束を
知能や倫理や宗教や哲学や
あらゆる知性でもって、孤高と個性の名のもとに
一本一本孤独に裂いていった
個性をもった人々は、その断絶にひどく怯えて
けれど、その断絶こそ知性の証と
人々はただただ自他差別に専念して
けど、どっかで聞いた話だけど
本当に断絶が怖いなら
類似点のなかから立ち上がっていくしかねえ
どんだけ考えめぐらしても
どーせ違うやつは違うし、凡人は凡人だっつう事だろ。
わかってる部分から攻めていけよ。
思索の偏向をおさえるなんて
そう難しいことでもないハズだぜ。
僕らはいつだって
この、油断を許さずそれでいて間断なき日常を生きていて
それはそれで構わないし
かまわないどころか
日常を乗り切っていけるってだけで御の字で
だから、意識的に自分のありかたを規定する事なんて
まさにそれに適した「そのとき」
陳腐に言い換えれば
「転機」において
自由意志で選択をすることでしかできえねえ
しょーがねえよ
ほとんののヒトは全く土台のない所へなんて
踏み出していける才能は持ってねえ
けど、「転機」の価値はだからこそ大きいのであって
できるんなら、そんときに高くジャンプするしかねえんだよ

僕はもう、歳は取らないって決めたんだ。
あー。。。「ほとんのの」だってよ。。。
「ほとんどの」だ。
弱くなった。
明らかに僕は弱くなっちまったよ。
実体は無いものをあてにして、
それで今までのことを空虚だなんて

無いとわかったときの落胆がないために
だから人間は、何も手に入れるべきではないのかもしれない
何かを手にしてシアワセだなんて
そう感じた分だけ、失ったときは落胆するだろうに

きっと形而上の話でいえば
なにもないことは最強なんだろうよ
「後悔が臆病に姿を変えていく 嫌な日も
 孤独につかまらない 強さ忘れないで」

僕たちをつかまえるものなのか。
孤独はただそこにあるんじゃないのか。
つまり、孤独なんてものは幻想で
事実じゃなくて認識だというのか。
たしかに孤独ってのは
その正体はまわりへの高望みであり、単に欲求不満なんだろう
けれどそれを虚しいものと断じてしまう“強さ”は
それ自身もさえ
やっぱり事実をともなわない幻想じゃねえのか。
孤独でないことへの欲望を、一見不可能な高望みを
強引にやめちまうことなんて
普通のままじゃできねえし、そもそも頭のいい方法じゃねえ

下につづく
ていうか強さってナニよ?って話だわな
なにかを目指すための強さなら
そりゃあ、どんな逆境にも自分を信じぬいて
向い風を強引に無視して、どうにか目的地にたどり着けるってことだわな
そこには何ものにも優先される絶対的な目標が君臨してんだからよ
けどさ
欲求の不満とか、突如降り掛かる不幸とか、そーいうものへの対処
日常を生きる強さっていうと
今度は逆に、すべてを無視してっていうのは
愚か者のやる安易なだけの方法論で
戸惑い惑って立ち尽くすのと
愚かさっつう意味では同じことであって
それを法印としてかかげる“強さ”は
それは、空虚なもんなんだろうよ

下につづく
そんじゃあ実を伴った強さってナニよ?ってことなんだけど
全てを認める、とかいえれば聞こえはいいかもしれん
けどそれってアキラメでなくて何なんだっつう話だわな
それじゃあ古典仏教とかわんねえよ
認めるってコトバには似てるとこはあっても
本当の強さって
結局、全ての不和にいちいち絶望できるってことじゃねえかなあ
世の中では見通しから自分の未来への希望を失うなんてていう
そんな甘ったれたことを絶望なんていうけど
ここでは、不可能を完全な不可能として体感し、実感するってことで
まあ、べつに
不和そのものを幸福に解消できんだったらそれでいいんだけど
とりあえず
虚しいものの上にたつことだけは
ねえようにしねーとな。


(the brilliant green/rainy days never stays)
僕と目線を合わせたそのままの眼に
僕はなにを受け取ればいいんだ。
可能性を捨てろ。絶望と寄り添ってこそだったんだろ。
可能性を捨ててなにも悪い事なんてない。
今の僕の行動を司っているのは可能性なんてファクターじゃない。
行動は既に決まっているんだ。
結果が変わらないのなら
絶望に寄り添って損はない。損はない。損はない…

…怖いんだ。
もう、甘えとともに生活なんてしたくはない。
現在の発電のために、未来へ廃核燃料を送るなんて
僕の世界と存在としての世界との
ズレを直すことは、あまりにも、辛い。
気づけるときに潰しておくんだ。
甘えは潰す。甘えは潰す。甘えは潰す…
少なくとも僕は、生きなきゃいけない。
ある簡単な事実を確かめるまでは。
愚かなもんさ
限界状況でないと
可能性を棄てられねえってことさ

ああ、もう
なにもない、波瀾に満ちた日常のなかで
簡単に可能性を棄てられたら。
心の奥からだけ排除して、それでいて
表層の部分だけでその存在を認められたら。
甘えか。
未来にまわしたツケは、いつか払う日が来るんだ。
甘えさえなければ。
言葉を抱いて、何ひとつ落とさなければ。
僕は僕のまま、そのままで生きてゆけるのに。
得体の知れない情動は
時間によってゆっくりと薄れてゆくだろう
けれどもそれをことばにすれば
それは、即座に
短期記憶の彼方、だ
それを記録するとしても
記録という行為は自己暗示を産み出して
結局
正しくあとに残るのは、匂いだけだ
だからさ、絶望的観測がもつのは
いっつも絶望でなくたっていーんだよ
絶望的観測は、ひとつのイージスであって
けれど、世に絶望的観測が嫌われるのは
可能性を捨て、行動を縛り、あった可能性さえ潰しちまうから
けれど
簡単な話
絶望と寄り添って、それでいて行動を行うってことは
パーフェクト
行動なんて簡単だ、理性が「行う」とだけ決めればいい
そして可能性を棄てない事は
俗人ならだれだってデフォルトで可能だろ
まあ、行動と絶望のアンビバレンスをどうエレガントに崩すかだな
あー、もう
ぐちゃぐちゃだ
自分でぶっ壊すことはできんでも
ぶっ壊れた過去の自分の上に平気で立つ事はできるんだな。

いや、まあ今になって分かったことじゃねえんだがな。

「信じているさ だからもう何も話さなくていい」

信じているさっつう言葉はさ
その後の全ての波風を僕は被るよってことなんだろ?
その気迫がないんだったら
信ジテル
なんてさ、言えねえよ。


(空気公団/融)
何故だ。
僕が強くなればなるほど
弱いやつへの理解と憎悪があらわれて
いや、じっさい
憎悪のほうがいくら多いことか

けど
それだって
どうして弱いやつは
その「理解」を拒もうとするのか。
いや、そんなものは理解じゃねえのかもしれんが
弱いやつは弱いそのまま組みかかって来て
弱さなんてのは、強いやつに大しては
無限大に強いくせに

見つめられないやつは嫌いだ。見つめられないやつは嫌いだ。見つめられないやつは嫌いだ…
「対しては」。
僕はちょっと狂ってるみてーだな。
すごくゆううつな顔をして、死にそうな目で
必死でチャリ漕いでるときは
絶対どっかで楽しいと思ってっし、
自分のなかの衝動に
ちょっと普通じゃないぐらい声を挙げて笑ってっときは
必ずどっかで
ああ、僕は最低だって思ってんだ
じっさい
僕がそこまで笑うのは最低な理由によるものだし
僕がそこまで落ち込むのはつまんねーからなんだぜ。

あは。っはは。っへへへへ。っははははははは!
僕はさ
どんなことがあったって
笑ってけるんだろう
例えそれが愛にみちた笑みでも
そうでなくたって

問題は“分岐点”だ。
笑えるか否か。一瞬が勝負を分けるんだ
その一瞬に強くなるだけでいい。
僕にはその才能があり、自信があるんだからよ

「愛してんぜ。」


(松本大洋/ピンポン)
276:03/09/24 21:24
いたいよーないたよ。ひさびさに。
笑えるかどうか
その一瞬だけ強がりでもいいから笑えればいいんかな おしえて
自分で答えが出せない、自分を許せない
笑おうとしても、涙がでる
わたしはたぶん
カチカチと針が進むような毎日をがんばって、がんばって生きるしかない
くうきこうだんはなにげに歌詞がしみてくる

ああもう、ことばが、でてこない
のうりょくが、なくなってる
足先から、しんでいってる

めーるちょうだい
おくりました。


必要なんだよ
あえて、人を否定する事だって
曖昧の酸にすべてを溶かして
これなら誰だって傷付かないだろ
なんて
おどけてみせたって
それは人を逆撫でするだけなんだよ。

僕の目を見ろよ。
そして否定するんだ。
278夢見る名無しさん:03/09/25 17:51
というか否定だって、応答の一形態ですし。
応答は存在を肯定する事に他ならないですし。
そうか。。。そうだな。
そりゃそうだ。
僕はきっと
存在ぐらいは肯定されてるだろうなんて
ただの高慢な勘違いなのかも
知れなかったのかなあ

。。。そうか。

うーん、いや、でも
やっぱりさ
この場合には、勘違いじゃねえと思うんだけどなあ。。。
あんま目新しい主張じゃないけど
ココロに、
壊れただの大丈夫だのといった評価は
通用しねーんだな。
ていうか
壊れ得るってことは、そいつには形があるんであって
壊れれるような定量的なもんじゃなくて
あくまで、今の自分のもつベクトル量的な
ひらひらした、ただの作用なんだろうな。
そこにあったひとつの狂熱が
緊張の嵐と津波のために
抑圧されて
風解しちまって
あとには、爽やかな風しか残らなくても
ただその風が爽やかだってことにおいてしか
その抑圧を評価することはできねーよ。

まともなやつは
人生に満足してしか
生きていけねーのかなあ
ヘッドホン耳にかけて
ナンバーガール聞きながら、眠たそうに俯いてても
横で慣性の法則に揺さぶられてる小学生の女の子見て
席を立とうか立つまいか
なんて悶々とできるうちは、まだ大丈夫なんかな

結局その娘はすんでに席をゆずるところで
開いた席に座っちまったんだが。

他人に対する配慮を
今世界で一番迫害してんのは
“親切”なんつういかにもな言葉なんだろーなあ
それをためらわせんのは
利己心なんかじゃねえで、“親切”をやってる自分への嫌悪なんだろうよ
282夢見る名無しさん:03/09/28 23:42
自分の思いのままに動けば良いのに。

という言葉にすら捕らわれる年齢であるって事じゃないでしょうか。
別に、自分が親切やるのに わざわざ嫌悪感感じる必要は無いでしょ。
他人の目よりも自分の目が気になるのは判りますが、悩むだけ無益ですね。
ひとつ、年齢か。重要なのは年齢か。
ふたつ、自分の価値観をふりきってまですべきほど“親切”は必要か。
みっつ、>>281で僕が問題にしたのは他人の目であったか。あるいは、他人の目と自分の目に一体何の違いがあるっつうのか。
よっつ、そもそも「感じる必要が無い」ってただのひとつの主観以外の何かであろうか。


答えは全てノオ。
ああ、やべえ
みっつめは「問題にしたのは自分の目であったか」だ
なにかひとつあれば
それはどんなものであれ形を残すし
すべてを
投げないで
ずばらしき現在のために
受けきれる自信があるんだったら
自分の悪戯だって、自分のためになる。

幸いにして
とくに大きくはねじ曲げられずに
ここまで来れた
愛してるよ、カミサマ
これからの正真正銘の僕の時間は
年齢が疲労に追い付かれるまで
最大限に
フルスロットルで。
やっぱ経験だよなあ
当たり前だけど
経験のないところ、認知や思索はなくて
つまりそこは
無防備でやわらかくて
そこはさあ
せめて聞きかじったり何かしたりして
ちょっとでもどうにかしてえなあ。

そーいうイミじゃあ
齢も確かに価値になりうるわなあ。
冷てえなあ。
どうしようもねえよ。
何なんだろう
僕はまた
関係ねえなんて
そう言うしかねえのか。
そこに愛なんてねえよ。
ねえけど、
じゃあどうしろっつうんだよ。
じゃあ、
冷たくていいのかよ。
偽りでいいのかよ。
いらねえなんて言うのかよ。

ああ、もう
僕は
いつからこんな独り善がりを吐くようになったんだろーな。
そりゃあお前
独り善がり始めてからだろうな。
足のない鳥は
それでも
止まれる木を
いつだって探してる
恋人やなんかを求めるやつ
哲学の類いを極めるやつ
変な神崇め奉ったり
仕事や考古学や数学や、そういうもんに身を捧げるやつだって
どんな御託宣を見せびらかしても
最後には
自分が正しい方に向ってる
その確信が欲しくて
欲しくて、欲しくて
それで
可哀想にも、必死にその身を削って
一瞬だって迷いを思い付かないように
息もつかねーで走ってるわけだ
そりゃあ間違ってないよ
どんなことにだって
身を捧げられるほどのもんなら
少なくとも正しい面はある
少なくとも、自分が途方に暮れずにはいられるってわけだ
ただ
必要以上に
迷いに対峙し、恐れおののいて悩み抜くことを
ただ迷いを迷いとして迷いぬくことを
怖がっちゃいけねえ
いけねえ
混沌のなかにも居場所はあって
混沌のなかにこそ居場所はあるんだ
居場所はあるんだ。。。
291夢見る名無しさん:03/10/07 17:09
漏れにはあんたが「混沌のなかにこそ居場所はあるんだ」って言葉で
何一つ極められない自分の中途半端さを正当化してるように見えて仕方がない。
もっともらしいこと言ってるようで、ルサンチマンの塊じゃねえか。

「〜がなくたっていいんだもん」って言葉は
裏返すと「〜がない自分だって間違ってねーよ」って開き直りだと思うがどうか。
292夢見る名無しさん:03/10/07 17:28
ついでに言うなら、あんたは自分以外の人間を見下し過ぎだと思う。
宗教屋は漏れも嫌いだが、市井の人々全員に「可哀想にも」って。
あんたは一体何様なんだと訊きたい。
そんな人らが全員悩みなく、幸せに毎日をルーチンで塗り潰して過ごしてると
ティースプーン一杯でも本気で思ってるんだったら
あんたは決定的に想像力が欠如してるってことだ。
自分が決定的に正しいと思える人間なんて普通に考えてそうそういるもんか。
自分と極一部のセンシティブな人間だけが悩みつつ生きてる清い存在で
他の大人一般は十円の価値もないなんざ、そう思いたいだけの青春妄想。

あんた、流石に二十歳は行ってないよな?
二十歳過ぎでこんな下らん三流ポエムを垂れ流す人間は
正直どこに出たって使えるわけねーよ。人間関係とか色々さ。
何一つ極められない、か(「極める」は「きわめる」だよな?)。
それがどういう方面について言ってんのかはわかんねえけど
仕事やら学問やらについて言ってるんなら
言ってる事は正しくても
そいつは全然筋違いだよなあ。
まあ仕事やら学問やらを引き合いに出した僕が悪ーんだけど。
それ以外のもっと形而上的なことについてなら
自分を「固まった」と感じないことによって
ていうか
刺激を刺激として、苦痛を苦痛として受け取りつづけ、処理しつづけることによって
それは「極まる」方向にむかうのであって
ていうか僕はそう信じてんだけど
それが
混沌のなかに身をおくって表現になるっつうわけだ。

だからおそらく、
僕は何かがなくたっていいなんて言ってねえし
あるいは、そうでなかったら
僕はもとのところから全部腐っちまってるってことなんだろうな。
ポエムか。。。
あんた、詩を読んだ事あるかい?
きちんとした本物を知ってるんだったら
ただの文と詩の見分けはつくはずだぜ。

まあ、そりゃあ
馬鹿ポエムがネットに氾濫すんのは
憂慮すべき自体だわなあ。

まあ、いつかは誰かが言うんじゃないかって
実はけっこう心配だったんだけどな。
「可哀想にも」。
可哀想にもってさ
そんなまずい言葉だったか?
僕以外の特定の誰かばっかりに向けられた言葉だったか?
なんで僕が
オトナは十円以下だなんて
本気で思ってなくちゃいけないんだ?
自分とあのひとと、それからまああのひとぐらいだろうな
こんな生活してんのは
だなんて
ティースプーン一杯でも本気で思ってるやつが
あんたがかみつきたくなるほどの
極端で、危険で、尖った表現を
わざわざ公衆の面前に晒すものかよ。

…そりゃあ本当に晒すやつがいるから僕はこんなこと言われてんだが。。。

…難しいな。
文章の組成は。
どこまで記号でどこまで表現であればいいやら。。。
まあ
手厳しいこといいつつ
けっこう読んでくれてるみたいだし

けど、前半のほうは読んでないな?
お察しの通り僕はまだ20にも満たん若造だよ
そう書いてあるんだけどな。
297夢見る名無しさん:03/10/07 20:19
名前: 夢見る名無しさん
E-mail: sage
内容:
「混沌のなかにこそ居場所はあるんだ」ってことで
逆に「自分が正しい方に向ってる」っつう安心感を得ようとしてないかい?

>刺激を刺激として、苦痛を苦痛として受け取りつづけ、処理しつづけることによって
>それは「極まる」方向にむかうのであって
>ていうか僕はそう信じてんだけど

その確信が、「仕事や考古学や数学」に身をやつす人たちの
「自分が正しい方に向ってる」確信とどう違うよ?究極的には何も違わねーよ。
どっちも何の証拠もなくそう信じてるだけだ。

>足のない鳥は
>それでも
>止まれる木を
>いつだって探してる

まさに馬鹿ポエムだ。
そしてあんたがここに書き散らしてる文章と
ネットに氾濫してる馬鹿ポエムは書かれる動機においても内容においても
ほとんど同一のもんだ。自覚的でないなら、あんたの方が性質が悪いよ。
まぁこの板にあるスレのほとんどがそうかもしれんが。
298夢見る名無しさん:03/10/07 20:20
>僕以外の特定の誰かばっかりに向けられた言葉だったか?

じゃあ仮にそれが「自分を含めた人間一般」に向けられたものだったにせよ
漏れは実態がどうだろうとあんたに哀れまれたくなんかないね。
それとあんたは「極端で、危険で、尖った表現」を
「わざわざ公衆の面前に晒」してなんかねーよ。
精々2chで一人善がってることをそんな言葉で飾るもんじゃない。
ちょっと気が利いた人間なら誰でも一時は陥るような野弧禅を
たまたまスペースがあったのをいいコトに吐き出してるだけだ。

>けど、前半のほうは読んでないな?
>お察しの通り僕はまだ20にも満たん若造だよ
>そう書いてあるんだけどな

スマソ。
まあ、そんなにまで否定されたら
そりゃあ反論はできんわ
>>291-292
すげえいいこと言ってると思ったけど
そのあとは
否定が目的になってんじゃん
矛盾点の指摘と
“僕の文章と同じ”主観の押し付けでしかねえよ
あまねく平凡な文がそうであるようにな。
けど、ひとつだけ言っておけば
足のない鳥の話は
深夜に韓国映画で
そっくりそのままやってたんだよね。。。
まあ、知らねーよって話だが

変なトコに改行いれんのはいかにもそれっぽいけどな

「足のない鳥はそれでも、止まれる木をいつだって探してる 」

「足のない鳥は
 それでも
 止まれる木を
 いつだって探してる 」

そりゃあ
下の方が臭いわな。。。

…他に臭い所はなかったよな?

300げと
切ないなあ
なんやよう分からん、破綻したやつとならまだしも
僕は
正しいやつとさえ
分かりあえやせんのか。。。

分かれよ
なんて強要するのも
不粋で傲慢で、そのうえもっともだし
分からねーよ
なんて
分からせることを強要するのも
不粋で傲慢で、そのうえもっともで
不粋で傲慢だっつって責められても
もっともなやつを責めかえすことはできねえよ
粋とかエレガントとか
概念を知ってるだけでも駄目だし
拒否にも許容にも使えるその万能さゆえ
力があるだけでも駄目なんだよなあ。。。

僕に力のほうはねえみたいだけどな。

エレガントに
完全に
人を否定する方法なんて
人類には必要ねーよ。。。
一番上から読み返してみた
けど
初期のころのほうが
全然いーこと言ってんじゃん

文章ルネサンス計画
発動。

反省しる!
何でもできる。
どこにも解決策はあるんだ。
ただ
それを産み出す常任理事ファクターが
全員GOサインを出してりゃあいい
プラレールから
列車が外れなけりゃあな

まあ
そいつこそ
自分の手を離れたところなんであって
けど
みんながそう望むことがあれば
望みから出発した時間が
解決にたどり着く
そのまえに迷っちまうことなんて
ねーんだ。
ありえねーよ。
きっと僕には
なにかや
だれかを
否ぶことなんてできねえ
ポテンシャルな意味でも
権利やら義務やら
そーいった意味でも、だ

悲しくなるんだ
愛しくだってなる
それは、作為のもとにはなくて

ほんとうに、どうにもならない
人知を超えた硬直化の向こうにすむ人々よ
あるいは
僕だってそうかもしんねーけど

「つまらない日々を小さな躰に
 すりつけても減りはしない
 ただ淋しくなるだけ    」


(くるり/ワンダーフォーゲル)
メタファーってのは
そりゃあ、ただの平叙文じゃあねえ
でもやっぱり
もっと象徴的で
示唆に満ちていて
完成されて
推敲されつくしたもんだ
詩は
なぜって
詩はそれらの固い結束によって初めて
オノレのアイデンティティーを獲得できるっつうんだ
つまり
彫刻刀に感動するやつはいねえけど
そいつから産み出されるもんは
誰をも感動させることだって
そりゃあ、できるよ
必要だなあ
慣れるってことも
ものごとに
悠然とむき合えて
それを的確に処理できるためには。
そういう攻撃的な慣れは
僕らに武器をもたらしてくれんだ

…とくに、スポーツにおいて、とか。

いや、まあ入試もそうなんだがね。。。
ゆううつを
ただひとつ消し去り得るのは
それを決意したオノレだけで
誰の存在も
誰のことばも
心に届きはすれ
ゆううつを
直接は
融かすことはねえ

だれかの言葉に笑顔を強制されて
その笑顔が
連鎖として心からの笑顔を生むとしたって
その誰かに
また明日、なんて言って別れて
ゆっくりとひとりに戻ったとき
その笑顔の代価は
やっぱ支払われてるんよ
だから
「笑ってごらんよ 歩いてこらんよ」
なんつっても
笑っていいときと、いかんときはある
前向ききっかけなるときと
あとまわしの方法となるときがあるんだ
その、笑ってみるっつうことはよ。。。
「歩いて『ごらんよ』」だな。
「前向き『の』きっかけ『と』なるとき」だ。

何やってんだ俺;
『「僕はもう、誰かにすがりつきたくって、仕様がない。誰もないのです。」
 (中略)
 「しかし、君、そういうところから人間の生活は始まるのだから、
  あなたもそろそろ始まって来たのですよ。なんでもないのだ、それは。」
 「そうでしょうか。」
 「誰にもすがれないところへ君は出たのさ。零を見たんですよ。(以下略)」』


(横光利一/微笑)
登り終えた山のむこうに
新たな山を見つけつづけ、
次々と
見つけしだい登り終えつづけるんだ、みてーな
超人志向のやつらにとって
山なんてのは数限りなくて
けど、登り終える度にオノレに深度は降り積もって
っていうのはまあ、見たまんまそうなんだけど
新たな山見つけて、ひるみそうになって
って、その恐れもやっぱり
何回目まででも
人間が始まってきた証拠とされちまうんだろうか。
とどのつまり、登山の苦しみこそが人間だよ
なんて
実際そうであって
誰もが実感としてそう分かってるにしても
誰が、誰に向ってだって
言えやしねーよ。
傲慢やら自慢やら、そんなニュアンスなしにはよ。
あー、つまり
加速度なんだな
人間はよ。

座標を微分すると
速度になって
速度を微分すると
加速度になるみてーに

行動を微分すると
思想、思念、意志、イデオロギー
みたいな
そんなもんになって
そのイデオロギーを微分したものが
人間
っていうか
いわゆるdas Mannとは違うほうの
ひとつの理想的“ありかた”としての人間
てことになんだろうねえ
きっとさ。
分かった。
僕が何に耐えらんねーかっつうと
悪意に耐えらんねーんだ。

ふつうは
悪意の源を
憎んで嫌って
さようなら、またいつか会えるといいねってんで
また
好きなほうに歩いていきゃあいいんだろうけど

できねえ。
僕はできねえよ。
なんでか知らねーけど
それってすげえ下賤な行動みたいな気がすんのかな?
じゃあおめーは高貴な身分なんかっつうと
そうでもねえんだけど
何でだろう
こんなに囚われてるとは思わんかったな。
思わんかった。
やっぱ
誤解誤読を招く言い方なのは分かってっけど
改めて
混沌のなかにこそ、居場所はあるんだ
なんて言いたい。
ヒトなんてのは
一度固まってしまったらそこで終わりで
まあ、いいとこに固まるんならいいんだけど
それでも
不可逆って意味では、たしかに終わりなんであって
荒波にもまれて
周りからボコボコ殴られて
それでも航っていけるようにって必死になって
それで
どうにかやっと
マトモたれるんじゃねえかなあ
だから
平穏なトコには
通り過ぎる中継点して以上の意味は
ねえんじゃねーかなあ
「中継点『と』して」。
318Sleep:03/10/13 12:52
僕と君では平穏に限らず
ほぼ全ての抽象的な言葉の定義が違うのは了解していますが、
それでも君に尋ねたいと思います。

「平穏なトコ」というのは、どこにありますか?

人というのは誰しも自分の存在に疑問や苛立ちを感じる動物なのだと思っています。
誰しも、です。
僕は青春の葛藤を絵に描いたような君の文章が好きです。
しかし、先の名無しが書いたように年が若いというのは関係が無いと思います。
人は情熱を忘れなければいつまでもその青春を謳歌していると云いますが、
悩みぬく限り、それも青春だと僕は思うのです。
青春というのは時期ではなくて状態、もしくは感情としての行動だと捉えます。
「カオスから生まれてコスモスに辿り着く」と知り合いの女子高生が最近言ってましたが、
僕はコスモスなんてカオスの草原の中に置いてある飛び石だと思うんですよ。
一見安定しているように見えても少し足を踏み外せば、すぐに混乱する。
余裕の有る人間は、いつまでもそんな地面を見ています。
生きる為に必死になれば、足元なんて見ていられなくなりますけどね。
僕は平穏な場所に生きる人間を見たことがありません。
何かの神を崇めて心の平安を得ようとしている人たちも日々どこかに向かって動いています。
そもそも人生をマラソンに譬えるのは嫌いなのですが、
人は向かう所など決まっていなくて、それでもゴールを欲しがり自分で作ります。
しかしどのゴールもその場限りです。
ゴールを設定した時の自分と設定したゴールに辿り着いた自分は違う状態にあるのですから当然ですよね。
君が「マトモ」と呼ぶものも他の視点から見れば、固まってしまったものかもしれませんよ。

僕は走り続けなくても良いと思うんですがね、どうせ後戻りは出来ないんですから。
全ては変化であって成長でも後退でもない。そして生きる限り変化以外はない。
でもまぁこうすると全ての価値は詭弁によって崩されてしまいますから、
君は僕の言う事なんて気にしなくて良いんですよ。
ただ、君たちの遣り取りに思うところがあって同じステージに書いてみたかっただけの独り言ですから。
まあ
平穏なトコってのは
うーん
つまり、万事がうまくいっていて
機嫌が良くて
自分をさえぎるものはなにもないし
自分の行く先に陰りがない
ような気がする
そういう安楽な時間をさすわけです。
躁期とでも言やあいいのかな。
磐石な平穏なんてのは
全てを超えたじいさんになるまで訪れないとしても
そんな気のいい数日間は、そりゃたまにはあるだろうよ
というわけで。
うーん。。。
けれど
そうだなあ
そんな事言えば
誰が言うまでもなく
平穏は、定義から飛び石であることを背負わされちまうよなあ。。
それでいいのか。
いい気がして来た。
生きる限り、そこにはデフォルトで濁流が渦巻いてんなら
みだりに平穏を憎んだりしねえで
荒れた海も、穏やかな海も
喜び勇んで航っていけばいいのかなあ
けど
やっぱり、時間のもたらす強制的な変化とか
人間が宿命的に持つ
社会やら個人やらの互いの運動の結果とか
そーいう押し並べた変化を変化として論じるのは
それは、ナンセンスだと思うよ
地球は時速167Kmで回ってるし、
けど、僕らは椅子にすわって動いてねーんだ。

なにがマトモなのかなんてのは言葉にゃあできねえけど
僕は、僕の目線でしか
自分や全てを見ることはできねーから
せめて
どうにか自分で頑張りつづけて
どっから見てもマトモに見えるようにって
そう頑張り続けるままでありたいよ。
怖いんだ
もし
ふっと立ち止まって
次の瞬間に
「動きたくない」って
心から思ったりしたら

全ての人間は
いつも
自分の存在に疑問や苛立ちを感じるのかって
それは
僕にはまだ、にわかには信じられねーんだ。
明らかに
ホントに明らかに
そうでないやつを、僕は何人か知ってるから。
だから、僕がその素質を持ってないなんて
あまねく人間は普通にいけば自分を疑っていくんだなんて
言えない。
まだ、言えねーよ。
独り善がりで、構造が弱くてさ
不完全な言い種だってのは分かってるよ。
けど、そこは僕の
言葉になりきれない部分を信じて
今日のところは勘弁しといたるわっつって
吉本新喜劇的な寛容さで
許して欲しいんだ。
だって、僕がすべてを言葉で言えれば
こんなスレはここまで伸びてない。
まだまだ
言語中枢と闘っていかなきゃあ。
僕らは
誰かの不幸や、僕ら自身の不幸に対しては
あまりに無力過ぎんだ

正しい言葉もかけらんねーし
正しい手段も選べねえ
だから、馬鹿みてーにでかい不幸抱えちまってたって
虚ろな思考と並行して
冗談も言えば、笑いもしなきゃいけねーんだ

他人の考えたどんな言葉だって
誰かひとりの心を満たすことはねえし
だったら、自分で自分を慰めることだって
完ペキな聖人のウツワのねえやつなら
ぶっ壊れねえで
聖人的生きかたをつづけていくためには
うーん
…必要悪、なんじゃねえかなあ。。。
17歳最後の夜。
僕は
この一年間を
本当に、今までになく
満足に歩いて来れたんじゃねえかな。
このまま。
ずっとこのまま。
あるいは、これ以上。
常に
昔の自分を
至らねー恥ずかしいものとして思えるように
必死に
つまらない日々や
切ない声や
悲惨な状況や
自分も含めた人間たちの
残酷な生きものたる本性とだって
手をつないで歩いて
時には悲しくなくちゃあいけないし
淋しくないといけない。

切羽詰まったり、余裕にだぶついたりしながら
そんでも
跳び続けることは忘れないで

…そうやって生きてければいいなあ。
327枕の下:03/10/16 00:05
常は不調なのだ。
だがまたに、風邪をひくように、好調になる。
そういう状態は、その人のよい部分といやな部分を最も際立たせ、
だから私はいつもそういった時期を後悔と恨めしさで振り返る。
人間は誰にでも止めることはできねーけど
機嫌のいい人間は自分にだって止めることはできねえ。
そうだなあ
人間なんて
そのときあるがまま以上では
あれねえのかもしれねえなあ
いいよ。
そのままでいればいい。
誰かに言えば大嵐を呼ぶような選択でも
僕に告げたなら
僕だったら枯れ木に花を咲かすぐらいのことはできる
それでいいんだ。
傷付きたくなくて放り投げた言葉が
どれだけ鋭利で
どれだけ効率的に誰かを傷つけうるとしたって
そして
僕がたとえ全ての刃を受けたとしても
僕は
あんたと笑いあうことは忘れねーよ。
罪を背負って歩くのもいいし
放り出して歩くのもいい。
もちろん、なにも知らないまま、純粋なまま歩いてくのもいいよ。
だけど、どうしたって僕は
あんたの喋る冗談を可笑しいと思っていくだろーよ。
表情の裏を読みたきゃ読めばいい。
どっちにしろ僕は
全くのリスクを背負っても
あんたの態度を信じていくんだから。
な?
最後には
意味のねえ自信抱いて
足場のないとこへだって
踏み出さなきゃあいかんのかも知れんな。

踏み外してもともとで
その足が空を切らなかったら、それでハッピー
なんていう価値観は最強で
その強さは
踏み外したときに
落胆を呼び込まないことの難しさに根ざしてる
けど
そういう乾坤一擲の瞬間だって
生きてく上では
頻繁に必要なんかも知れんなあ。。。
寂しいなあ
愛と無関心とからかいと
どこに区別があるっつうんだ

いくらがんばって意識に愛をもっても
否、持とうとしても
それは多くの場合
行動に思慮があるかないかの違いしかねえし
思慮があんのは素晴らしいとしても
それが対外的な運動である以上
やっぱり
行動の動機にだけ満足すんのは
主観的だっつう批判は免れ得ねえよ
そして、他人の行動に愛を探そうとしたって
自分の力じゃあ
正しい積分定数は決まらんし
そいつは結局願望と混じっちまって
破滅と崩壊の素にしかならねえ

結局
ふたつの断絶した意識、送り手と受け手は
ふたりの頑張りも虚しく
きちんと心を受け渡すことはできねーのか。
愚かなるリスクのうえに
「信じるよ」とだけ言って
荒々しく誤差を振り落として
それが精々
最善なんかもしれんなあ。。。
もっとなんかこう
あるはずなんだよ。
人間なんて、言葉なんてさ
そう無力なもんでもねえはずなんだよ。
全てのやつとは分かりあえなくたって
皆の半分とぐらい
分かりあえたっていいはずなんだよ。。。
334ai:03/10/21 23:40
ことばのむずかしいとこは、一つのことばに対して、
たとえば千人いれば、まあ999の解釈があるとゆうところ。
それはことばを発する側に技術がどんだけあっても。

重要なのは、妥協。
そこまでわかっていても苦しむんだけどね。
その先になにがあるのかわかんないけど
それを探さないと。生きてるうちに。
そつなくなんて
ならなくていい

愚かなままで
辛いままだっていいから
そこで投げちまっちゃあしょうがねえんだよなあ
だから
大事なのは妥協と知りつつ
そいつは
いつかどーにもならん瞬間までとっとくんだ
『俺は。俺ねえ、
 俺は思い出します。
 その日は一日雨が降っていて
 俺は耳掛けヘッドホンからナンバーガールを聞きながら
 誰かが納豆アイスを吐き出すところを見ています
 橋の上で記念写真に映った俺はそのとき
 その運河が濁流をもよおすところを想像しています
 タクシーを拾ってホテルに帰ると
 そのホテルの俺のいた部屋には大勢があつまって
 愚痴や冗談を言ったりして、それでも
 夜になるとみんな泣いてしまいます
 声にもださないし、涙も流さないけれど
 けれど、俺もみんなも泣いています
 ひとりだけがベッドで眠っています
 窓は少しだけ開いて
 ビルの壁と街の明かりが見えるのです
 電話の向こうで、誰かが泣いています
 …
 俺は何故か
 何故か、思い出します
 なんでやろ?
 まーいいわ』
「こころに 錆びついて
 とれない あの日の言葉を
 落とし物を してしまったことを
 はやく気が付いて
 あなたの光で あたしをみつけて」

言えない。
見つけてくれなんて言えねーよ。
傲慢だからとかそーいうんじゃなくて
落とし物は
みつけらんねーから、つまんねーもんだから
大事にもされねーで落とされちまうんだろ?
そんなさ
落とされちまったらさ
こっちからなに言ったってどーしようもねーよ。

…まあ、それを分かって唄ってんのは知ってんだけどさ。
おっと

(あたしをみつけて/JUDY and MARY)
うんざりだ。うんざり。

心とか本性(ほんせい)とか
衝動やら本能。あと願望、欲望。
うんざりだ。
理性やら良能なんてのにもうんざりです。
いなくていいのに。
“本当の自分”も、そいつに抗う自分も。
まあ、そんなもんが本当の自分だなんて思ってねーけどな。
結局ココロや感情なんてのは
外界刺激の安っすい受け皿でしかねえよ。
かといって理性なんてもんも
どこまでいったってただの野狐禅にしかなんねえ
あるいは
どこで止まったってそれは完全に正しいはずだ。
結局
主観も客観も
何だって、何のたよりにもなりゃしねえ。

自己実存なんて
とうの昔に見失ったよ。
一万年前、日本列島ができたころによお。
愛をもつことは利点になる。
その愛は──利点とされるべきものとして生まれた愛は
それを享受するものにとっての脅威となる。
愛あるひとは
愛あるゆえに
すべてを否ぶチカラをもつ。

簡単だ
母親が息子に
食事作らねーぞなんて脅しかけんのと同じこった

けど、そいつが
脅威になんてならんほどに
情けねえ、貧弱でつまらねーもんだったとしたら
そいつに意味なんてあんのか。
聖人のウツワのねーやつが
聖人的ふるまいをこころがけることには
意味なんてねーのか。
どーなんだ。
僕らは
わかってあげて
うなずいてあげて
「そうだね」って言ってあげて
心から、もしくは
ときには作為的にでも笑ってあげて

…そこで終わりだ。

とはいいつつ
ことばや行動が
すとんとひとすじ、
心まで届くことがあるのだって
そりゃあ、知ってる
それでもこんなこと言うのは
何もできねーでクチビル噛むことばっか多くて
たまに、全ての可能性を忘れちまいそうになっからだよ
忘れんな
忘れたら終わりだ。
なーんにも
確かなもんがねえとこで
いろいろをなんとかしてくれんのは
唯一、問いだ
なにかを問うこと
なにかを考え、求めることっつうのは
有機的で動的なひとつの行動で
だからこそ
不確定で神出鬼没、強力無比な状況っつう怪物を
ぶった斬ってねじ伏せれることができんだ。
確かなものにすがろうなんて
そいつあ、甘いぜ
甲板の手すりがいくら強固で確かでも
タイタニックは沈んじまったさ。
動くしかねえ。
いつまででーも、動いてくしかねーよ。

「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」

そうとも。
あきらめちまっちゃあ、そこで人生は終了さあ。


(スラムダンク/井上雄彦)
膿が出んのはしょーがねえよ。
体質だ。
どんだけ痛くて泣き叫んで
血が出たって構わねーんだ。

痛む傷にも喜んで笑いかけてやんよ。

最後には
どってことねえ
フツーの皮膚になるんだろうよ
344枕の下:03/10/29 22:19
手紙を書きはじめ、また頭から書き直す。
そのうち、誰宛かすら分からなくなる。
その場に必要な調子を瞬時に見つけ、そして保っていられるのは
情熱か利害が絡んでいるときだけのようだ。
不幸か、ゲダツは言葉への無関心に等しいようで、
用いるべき語への無頓着そのものであるとも言える。
人は言葉との接触が疎になるにつれ、存在との接触も失うらしい。
…わからねえ。

結局
どこを見たらいいのかさえわからねえ。
何が必要で
どれが素晴らしくて
…そもそも、僕の目にはどんなものが映ってんだよ

弱いままのコトバ抱いて
時間の波にさらわれちまっても
息が苦しい限りは、僕はそこに居るから


「ここが世界の中心だと
 右手を上げて 私に示して」


(鬼束ちひろ/Beautiful Fighter)
わかる。
閉じてってるよ。

開いたままでいんのは辛えよ。
きっと、どんどん全てを取り込んじまうだろうし。

けど、今を乗り切れるほど窓閉めちまったら

…なんにも見えなくなんじゃねーの。
明らかにそうだよな。
そうだ。。。
涙か。
やっぱ、どっかから見れば
涙なんてのが
ヒロイックなエゴの結晶だっつうことは否定できんだろーな。
涙は、悲劇によく似合う
けど
僕らの現実は
それほど気取ったもんじゃなくて
もっとイモくさくて
くだらねえ
つまんねえ
そんなようなもんだから

結局、涙が似合うのは女の子だけだ。
怖いんだ。
力の源は恐怖で
闘わなきゃいけねえ
逃げちゃいかん
いくらそう分かってても

いつだって自分では見て来た
小さいねえ
くだらねえなあ
なんていう評価も
あえてそれを乞うてから、受け止めるなんてこたあ
できんわけじゃないだろうけど
怖ぇよ
自分を追い詰めるのは、良くない
…『良くない』?

自分の外側にあるもんに頼っちゃいかんのは
それが
不確かで、そもそも勘違いかもしれなくて
そんな弱い足場から
上に登るわけにはいかねーんだ。
けど
自分のなかにあっては
強欲で寂しがりな役を担う
一番主観的な自分は
片言隻語にわたって叩かれまくりで
僕は自分のなかにさえ、何処にも行くところはねーんだ。

まあ、べつに行くところなんていらねーけどな。
辛いけど
辛けりゃ辛いで、それもいーよ
思い通りにならん明日が
思った通りにいかなくたっていいなんて

望みが叶えられんでいいワケがねえじゃねえかよ。。。

言うなよ。
高望みだなんて言うなよ
僕に価値がないなんて言うなよ
それはそういうもので、それであたりまえだなんて言うなよ。

現実が冷たいのは当たり前でも
限度ってもんがあんだろうよ
その残酷な神の見えざる手の暴挙を喰らって
それでいて
『逃げた』なんてなじられにゃならん理由はねーだろ。。。

まあ、言いながらも
そいつを拒否はしねえし
僕は逃げた自分を叱責していくだろうよ。
【立場A】

希望を受けとめる役割か、
希望を送る役割か。
この世の人間を二種類に分ける方法のひとつだ。
僕は受け止める役割なのであって
送る側の不条理は
こっちで抑えてやんよ
だって、そう生まれて、そう自分で育ててきたんだからよ。
けど
それは心の奥が望まねえもんで
それは立派な苦労だよ。
【立場B】

すべては僕の内的行動であり、
他の誰にも罪なんてねえ。
僕にだって罪なんてねえけど
たとえそれが
誰かの責任によるものだったとしても
誰かの罪によるものじゃなかったとしたら
“責任”なんてなあ自分勝手な言い種なんで
自分勝手な行動や衝動のオトシマエは
てめーでつけろってんだ。
わかってんな?
【討議】

いくら慣れて、痛みに鈍くなってるとはいえ
僕の外の不確定性全部を飲み込んじまうことなんて
そいつは、できねーよ。
けれど
僕の勝手を勝手と断じて
自分の部屋ん中で斧振り回して暴れまわんのも
正直もううんざりで、きちんとやりきる自信もねえ。
僕のほうに見かけ上アドバンテージがあんのはそうだ。
けど、他人のことだし、現実のことだから
言えるコトバは
“できるだけ、勘弁してほしいよなあ。。。”
ぐらいなんで
そのときそうあるがままにしかなれねーよ、なんて
無為の未来へ身を投げる事しか
結局
不本意ながら
できねーのかもしんねえな。
「優しいものはとても怖いから
 泣いてしまう、あなたは優しいから
 誰にも傷が付かないようにと独りでなんて踊らないで
 どうか、私とワルツを              」

僕は
こんなにぴったり合わねーよ。
少なくとも今のここの現状とは。
悲劇は
すべてが、あるいはほとんどが合ってこそ
“劇”たれるのであって
そうでなかったら
濁り塊った血が流れ、床は人の脂にまみれて
そこに広がるのは
ただ破壊的でブラッドスプラッターな情景で
そこを通れるのは
ただオバケ屋敷だと思ってられる
無邪気で爛漫で残酷な女の子、男の子で

だから
僕はただ死体の役で
ワルツを踊る誰かふたりを
床を脂で汚しながら
見てるわけにしかいかねえ。


(鬼束ちひろ/私とワルツを)
できた。
覚悟しました。
もういいです。OKです。
誰かが必要ないって言おうが
僕はそうする必要があったからそうするのであって
世界をいつも現実とちゃんと同期させるためには
何を潰したって自分との約束だけは守り通していきたいなら

自分への勝手な言い訳は、人間愛の名のもとに
現実に許してもらうためには、頑なだった全てを手放して
我が愛すべき実存には
“甘美な呼び声は、もう僕には聞こえない”
そう宣言して
些か狂った酸ででも、僕のなかにあるものはひとつひとつ、やさしく溶かしていきます。
のちに残るものが炭素の屑でも
むしろゴミクズでさえ残らなくたって
僕はただヒロイックな陶酔に浸って生きていければいい。
それが今の所僕に残された最後の甘えで、
僕は人間で、聖人にはやっぱりなれなくて、
人間は最後には甘えるしかない。

…いつかそれさえ、許されなくなるまで。
357枕の下:03/11/03 01:37
いつでも、自分が望んだときに即座に死ぬことができるという確信が
あいまいなものになっていくにつれ、はじめて未来をおそれた。
虫を素手で握りつぶせないと気付いて、怖いものが一つ増えた。
裸で外を歩ける自信がなくなって、怖いものがまた一つ増えた。
かつて私にあった「強さ」は赤子か胎児のそれだった。
ソフィスケートした結果は「女」だった。
呼吸の度に上下する胸はふるえているようだ。
へへへ。
僕の甘えと欺瞞を壊しに来たのは女で、
それから身を護るための逃避を遮ったのも女なんだぜ。

…まあ、ありがたいっちゃあありがたいけどな。

だから、そーいう世間擦れの方法はとれねーんだ。



あと、不粋ながら言っておけば、ソフィス“ティ”ケートじゃないのかい?
359枕の下:03/11/03 09:27
ソフィスティケート。
どうも。
悲しくても
それは激情ではなくて
涙をたたえたつもりでいても
笑いかけることは、もちろんできて
内なる絶望はここにあって
求めることさえ、遮ってしまうから

けど、その笑顔は覚えておくよ。
いつまででも抱かせておくよ。
昔むかし、17歳だった僕に。
オトナ達は知らねえ。
…知らないフリしてるだけか?

いや、確かに
知ってる人も居るよ。
きちんと
自分がどこからきて
そして僕らが居るのは、どっかヘンな所じゃなくて
だだ、そこなんだっつって

忘れちまったのかい?
それとも単に想像力が足りねえのか。


やっぱ報道なんてのは信用できねえな。
欺瞞、欺瞞って
いちばんごまかしてんのはてめーらじゃねえか。。。
幸運に護られない人間は不幸で
けれど、幸運に護られた僕らは不幸だとわめく
振り返ってみろよ
そこには、業火が柱となって
いつでも僕らを飲み込もうとしている
言葉に吐き出さずにはいられない

僕は、見てしまった

針の山や血の池や地獄の釜は
僕らの寝てる部屋の、壁一枚隔てた向こうには常に準備してあって
もともと幸運に不自由なく生きていけるほどは幸運の力が強くない僕は
それから目をそらして生きる事はできないんだ。
それは義務?
ただ自分に課せるのが楽しいだけのヒロイックな苦行?
違うね
いっそ僕らの寝てる隣の、そっち側の部屋で寝る方が
掛け値なしにラクなんだ

苦しくて怖くはあるけれど
それは、僕が今得られるなかで一番ラクな状態で
けど、そのマシなだけの状態なままで
幸運に護られない命は
生きて行かなければいけないのか

いつかの未来に幸運が訪れるまで
それとも
不運におののいたまま生命が力つきるまで?
よかった探しは楽しいけれど
僕はそれで満足はできねえし
後に待つものが怖いから
ダチョウの真似で土に首を突っ込むワケにもいかねえ
視界を潰すわけにはいかねーんだ。
どれだけ腐った世界であっても。
世界や僕の意志なんてもんのなんとアンビバレントなことか!
今でも十分怖いのに
ただ恐怖に恐怖しつづけて
そうだ、それはまるで
恋に恋する少女のようで
けど、ひとつだけ違うのは
少女は美しいけれど、僕はそうじゃあない
だから
少女は昨日までと同じ部屋で眠り
僕は隣の部屋で眠ろう。

ほら、吐いたらラクになった。

もうおまえの甘美な呼び声は聞こえないよ。
僕と一緒にいたいなら、僕んトコまで来いよ。
来れないだろ?
僕は知ってる。おまえには実体がないんだ。
良心の呵責のなかで
それでも、自分のためにっつって“悪い事”をやるってことは
例えば、人を信じるってことと同じで
つまり
全面的に信じちまうことによって背負うかもしれないリスクを
その対象となる人の顔に免じて不問とするってことと同じで
“悪い事”をすることで
放棄せにゃならん権利やその他のもの
例えば
「わたしは悪くない、悪いのはあんただ」
なんて言う権利もそーだけど
そういう色々のものを
“悪い事”がもたらしてくれる恩恵と引き換えに
不問とするってコトなんだよなあ。
だから、そのあと“悪い事”を根っことするさまざまな苦労に
どんだけ苦しんで、どんだけ後悔しても
誰にも「君は悪くないよ」なんて言えねーし
ましてや僕にだって言えやしないよ。

覚悟がないんなら勝負しなきゃいいのに。
苦しみたくないんなら、その原因を自分の内にもっちゃダメだよ。
そりゃあ、無責任かも知れないよ。
無責任な言葉でも
白痴のごとき定型文よりはいくらかマシだろ?
だってさ、わかんねーよ
僕が意識にクローンを作ってしまえるほど単純なのか
それとも、僕なんかの想像は到底及ばないほど複雑なのか
僕に何を求めてるのか
あるいは何も求めちゃいねーのか

そこから助け出してあげられるのは
僕か?
それ以外の誰かか?

…それとも、そんな奴はいない?
「どこにもお前の想像するような『本当の自分』なんていない!
 それは理想主義的で甘えに浸かった都合の良い偶像に過ぎない。
 愚かな甘えた考えで自分の悲劇に酔いしれて、自分を可哀想だなんて思うなよ。
 お前には何も見えてない。クズが。」

…果たして本当にそうか。
そう断じてしまっていいのか。

確かにあんたの言った対象は愚かだったよ。
けど、あんたはその言葉を
言ってはいけない人にも言いそうで。。。怖い。
その言葉には自分への不安が見えないんだ。
自分の握る刃への恐怖が。

あるいは、ただそいつが気にいらねえだけで
言葉は何でも良かったのかもな。。。
きっとそうだ。
せめて
自分の葬式の状況を見てから死にたい。
弔辞のネタに事欠かない故人になりたい。
死んだら
皆を思いっきり苦しめてやりたい
というか
苦しんで欲しい。
訃報を聞いただけで
死に顔を見るまでもなく
泣いて欲しい。
いつか自分の墓が無縁仏になってもいいから
せめて皆の墓に記憶を持っていってもらいたい。
ああ、もう
今日葬式があったんじゃなきゃあ
どうせ適わないって分かりきってる望みで
現実から甘えてるだけじゃねえか

でも、本当にそう思ったよ

会場の外に立ってまで
僕は悼んでもらえるだろうか?
…へへ、そうなるよう頑張らねーとな。
『叶』わない、だな
なんかよう分からんくなって
立ち止まって
後ろ振り返って
今もあの娘はあそこにいるけど
僕はこっちに来すぎて
笑ってんのか
俯いてんのか
分からんくなっちまったなあ

どっちへ行けば良いんだ。
見ないようにしてたちょっとそっちのほうの道も
今は願望とかは振り切ったはずなのに
ちょっと一考の価値がありそうな気がして

夕焼け雲のはざまに
惑星が光って綺麗だなあ、なんて
そいつは
自分じゃあ捌ききれないほど
強大で頑固な問題で
だけど
そんなのは
僕の抱えるだけの
極めて些細な、くだらねえ不調で
だからつまり
それの存在は他人たちにとっては煩わしいだけだよ

まあ、いくらそう言ったって
自分は納得してくんねえのが辛いよなあ。

全部戯れで
意味なんてなくて、結果なんてなくて
それは僕の本質には関係ねーんだろうな。
たぶん。
「こんなになる前に自分の気持ち止めとけばよかった。」

たとえば
年齢を使わないオトナの定義って
取り返しがつかなくなる前に
多少惜しくても
否、かなり未練が残っても
気持ちを止められるってことじゃねえかなあ

見え見えの壁があって
それでも、そいつが幻である可能性も一部ある
だから
それに突っ込んでいくか
鼻で笑って引き返すか

どっちがいいかは、そりゃあ価値観の違いだけどよ
「僕が何千マイルも歩いたら
 手のひらから大事なものがこぼれ落ちた
 思いでのうた口ずさむ
 つながらない想いを土に返した

 今なんで曖昧な返事を返したの
 どうして君はいつでもそんなに輝いてるの
 翼が生えた
 こんなにも悩ましい僕らも
 歩き続ける

 つまらない日々を小さな躰に
 すりつけても減りはしない
 少し淋しくなるだけ

 ハローもグッバイもサンキューも言わなくなって
 こんなにもすれ違ってそれぞれ歩いてゆく
 強い向かい風吹く
 僕が何千マイルも歩いたら
 どうしようもない僕のこと認めるのかい
 愛し合おう誰よりも
 水たまりは希望を写している

 矢のように月日は過ぎて
 僕が息絶えた時
 渡り鳥のように何くわぬ顔で
 飛び続けるのかい

 ハローもグッバイもサンキューも言わなくなって
 こんなにもすれ違ってそれぞれ歩いてゆく    」

(くるり/ワンダーフォーゲル)
ハローやらグッバイやらサンキューやら
言わなくなったのは
ひょっとして僕のほうか?

そうかも知れない。
つまらないのは僕のほうで
認めてもらおうとしないのも
勝手に眩しがってんのも


…なんでだろ。
けっこう頑張ってるつもりなのにな。
なのになんで皆の態度は
足りない足りないって言ってるんだろ。

……本当に足りないのかな。きっと。

悲しいよ。
僕は何言ってんだ。

「吐き気に潰れて行く中で 柔らかな手の平に触れる
 どうか完全なものたちが そこら中に溢れないように」

それは
「彼」の言葉であって
「僕」の言葉であってはいけない。

いくら
日々生まれる勘違いが
「完全なもの」をそこらじゅうに産み出すとしても
ニセモノの「完全」の臭気に
鼻が曲がって困ったとしても
もっともらしい理由を盾に
自分を護ってはいけなかったんだ。

自己卑下や自傷と
自己礼讃や自慢は
何の違いもないんだ、結局。
考えもなく信じていいもんなんて
そんな都合いいもん、あるわきゃねーのによ。
へへ。
カワイソウになることなんかじゃあ
何を得る事だってできんよ
そりゃあ、通常だっつう看板は下ろす事ができんだろーけど
誰かが
『カワイソウ』って言って大切にしてくれるときは
大切にしようとして
そのために『カワイソウ』なんて言うのであって
べつに
大切にされてねーやつは
カワイソウになっても
ただカワイソウなだけだ。

それは忘れちゃいなかったし
これからも忘れちゃいけねえな。

おまえはまたひとつ言葉を失ったよ
その甘美な声を完全に抹殺できる日はいつだ?
いつまでも
でけー面して、そこに居られると思うなよ?


>>378
(鬼束ちひろ/we can go)
たとえば
あの日、あの時に戻ってやり直したい
っつう欲求があって
けど、本当に戻れたところで
今以上にうまくなんてやれねーよ
って僕が思って
それは
非現実の“非”の名のもとに
あるいは
無意味な自己卑下によって
強引な思想統制が行われてるんだって

はたしてそれで全てだろうか?
もし
結婚なんてものをする機会があったら
僕がその相手に求める事は

理にのっとって口論のできること

それさえありゃあいいよ
そのうえ、自分のぶんの非を認められればなおいい
別に子供もいらねーし
顔が悪くても
料理がヘタでも
気が効かなくても
おっぱいがちっちゃくても


あー。。。でも体が弱いのも困るんだけどな。
だからアタマとカラダがしっかりしてて欲しい。
東京ってよお
ありゃ人の住む所じゃねえなオイ。

新宿駅南口広場見てりゃあ
どーして少年犯罪が増えるかなんて
一目瞭然じゃねーか
「逃げ出した猫を 探しに出たまま
 もう二度と君は 帰ってこなかった
 今頃君は どこか居心地のいい
 町を見つけて 猫と暮らしてるんだね」

この文には
どうして
やさしさが潜んでいるのだろう?

その曲解が
やさしければやさしいほど
本当はきっと
まざまざと現実を見て来たんだろーな


(中央線/矢野顕子(作詞:宮沢和史))
たすけてくれ。

真っ赤な僕は右に
真っ黒な僕は左に
どんどん離れていって
けど
たぶんきっと、そのうち赤いほうが勝つよ

その赤いほうが
もし現実に負けたら。。。
いいんだ
僕も結局それを望んでるんだ
ちょっと戸惑うことになっても
僕は全然構わないよ
だから
僕がちょっと戸惑ったせいで
ちょっと冷たく感じても
それはただいっときの記憶として
次の日にはまた僕を戸惑わせてくれりゃあいいよ
そんなもんだ

もう、五寸釘踏み抜いたってわかんねーよ
387Y:03/11/27 21:57
安心したよ
388白い狐:03/11/27 22:00
もっと勃起するようなハナシねぇの?
みんなでキまろうぜ!!!!!!!!!?
な?な?

もうちょっとで着底だったのによ

ま、いいけど
ヒーローは本質的に
ヒロイズムや理想主義を語らにゃならんよ。
ヒーローでなくとも
扇動者や、たとえば誰かに相談をうけてるやつも
なんつーか
人を諭すのには
多少地に足が着いてなくても
みんなは意外と理想主義が大好きだから
そいつをもってやらないと
満足しちゃあくれんよ。

言う側が満足してちゃあだめなんだよな。
リスクも何も全部熟慮したぜ、みたいな顔で
いかに説得力をもって言うか、だ


「言いたいこととかあったらさ、いつでも聞くから。」
どうしてそんなに
あんたは輝いていて
どうしてそんなに
あんたは微笑んでいて
どうしてそんなに
僕はあんたを恐れるんだろーな。

本当だ
どーして僕は
恐れてるんだろーか。。。

けど、それはガッチリとした事実で
──僕には、覆しようがないんだよなあ。。。
おい
欲張ってよかったな
僕だって
こんなにつつがなくなるなんて思わなかった
ていうか
知ってたのかもしれんな
互いによ。
まだまだ
十分とは言えねーかも知れんけど
僕は
たとえば、すぐ思い当たれるよ
たとえば、弱者の立場に。

たとえば、そいつを嗤う冗談じゃ笑えねーし
たとえば、そいつを誹る言葉は僕にだって傷口をつくるよ

余計なお世話で、不必要な能力でも
それをそう判断するのは
僕に見えるよーなものも見えない人達で
けど
みんな
足りてないんじゃねーかなあ
それって、冷たいんじゃねーかなあ。。。
「俺を止めろ 奴を止めろ 奴を連れ出す
 俺を押さえ 奴を押さえ 何処までも追い抜け
 つかむ嘘 先のことなど 全て見えている
 なんだかかなしい              」

やりてーこととか、なりたくねえものとか
そりゃさ
色々あるけど
激情的で強欲な個としての動機は抑圧するけど
けど、少なくとも
自分が本当に感じてないんじゃなかったら
抑圧のこちら側、真っ赤な鼓動があるのを
見つづける事自体は必要だろ?
そこにあるものは
結局そこにあるのであって
そこから出発したって、きっと行きたいトコには行けるさ
だから
事実を認めて、けれどそのうえでだって
僕は、諦めないでいい


(bloodthirsty butchers/なんだかかなしい)
『悲しみに涙は要りません。
 悲しみは、心からの笑顔と共存することもできる。激情でない悲哀だつて存在するのです。
 けれどその笑顔は、全てをやさしく拒絶してゆきます。だんだんと人を独りにしてゆくのです。
 可能性とか能力といった意味で云へば、誰にだつてそれを遮ることはできます。
 併し、誰もそれを遮る者はありません。
 多くの場合、それは誰にも気付かれる事無く進行してゆくのですから。
 人が独りであることは、全体間違つたものではありません。
 けれどもそれは大層淋しい事です。
 どなたか、こちらへ来て僕に云つてはくれませんでせうか。
 あなたの名に於いて、
 僕はそれと寄り添って生きる必要などないのだと。     』
たとえば
周りにあふれる愛すべきやつらについての
何かを僕が知ったとして
それが
『衝撃の事実』だったり
知ったあとには思い込みでしかねえ僕の確信ってやつを
ひっくり返すよーなことだったりして
それから僕は
そいつを
愛すべき存在のままにしておけるだろうか?
あるいは、そうでなくとも
一時的には否定的な感情の海に投げ出されても
もう一個別の愛すべき理由を見つけて
そいつの地位を回復させてやれるだろうか?
人には
少なくとも僕には
『衝撃的』だった何かを忘れて
好き勝手に生きてくことなんて、どーせできやしねえ
けど
それでも、そいつを愛すべきやつだと思うために
あるいは
いつも愛すべき存在に囲まれて生きるために、なんて言い換えてもいいかもしんねえけど
そのために
強引で勝手だっつって罵られてもしょうがないような
理由探しをやることは
人生に“潤いを与えてくれる”だろうか?

ていうか
僕は
そうしたいと思うし
そのほうがいいと思うし
ただ、問題は
僕にそんだけの覚悟と、そのための資質があるかどうかってことと
理由をみつけきるまで
僕は耐えられるだろうか?
ってこと
それは違うか。
理由っていうのは正確じゃなくて

……方法?
耐えるもんでもないな。

耐える対象があるんなら、
そいつは日常ってやつかな。

結局
それのせいだけでどうにかなるわけでもなさそうだ。
……あくまで理論上はなw
どうだろう
やっぱ
そのまま受け入れちまったらオシマイじゃねーのか。
自分ってやつだけは。

いくら
自分に厳しい目を向けることと
自分にたいする評価が不当に低いのと
それって、同じことじゃねえっつっても

ぶっちゃけた話
それができないでいる時って
穏やかで、ある意味幸せでさえあるけど
けれども
たまらなく不安ではっきりしねーからこれは言ってるんで

まあ、自分が疲れきっちまわねえ程度に
そこそこ
僕にだって
分かるもんはあるよ
言葉とか
そぶりとか
態度とか
そーいうの、そういう意味ありげなもの
何もなくたって分かるもんは分かる

たとえば
ココロがつめたく縮む音、とか
僕には聞こえたんだ

へへ
こんなに破壊力のあるもんだって
思わなかったわけじゃないけど
たしかに
忘れかけてたよ

忘れてちゃいけねーんだな、僕は
だって、そんなことは許されちゃあいねーんだ。