雷神機 ライジンガー

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彼等の時間、彼等の場所。

クワァー クワァー ヒュュュュ・・・

漆黒の翼々は自らのテリトリーを誇示するかのように、声を腫らして歌いつづける。
何重奏にもエコーがかかった雑音は、未だ明けやらぬ空に少し早い「はじまり」を告げた。
人がそこに高層の街を築いたように、彼等もビルの谷間、空との境界に生活圏を広げている。
歌う事で精一杯に自分の存在をアピールしているのだ。
高貴な歌声が、街から街、ビルからビル、人から人へと伝わってゆく。
あと3時間もすれば、周囲は通勤通学中の人に埋め尽くされ、彼等の時間は終わるだろう。
声は、時間が時間ならたいそうに盛況しているショッピングモールを含んだ、超高層のオフィスビルのガラス窓に反響して飛び散り、消えた。

そして、夜が明けた・・・。


Phase1「遠野 空」
安住(あずみ)の朝はいつも早かった。
何か決められたタスクがあるとか、授業の出席率を気にしていると言うわけではない。
ただ、単純に駅前広場の木陰の鉄柵に腰掛け、スケッチブック片手に行き交う人を眺めているのが好きだっただけだ。
通勤通学ラッシュともなれば、それだけ多くの人間を観察する事ができる。
二つの私立高校と一つの私立大学の最寄駅となっているこの場所では、滅多に人の足が途絶える事はなかった。
安住は毎日同じ場所に座って、これまた同じような風景画とも人物画ともつかない、行き交う人の群れをスケッチに収めている。
だいたい平日は朝の7時から昼過ぎの1時くらいまでをこうして過ごしていた。

「珍しい色だな・・・」

などと独り言を呟きながら、スケッチに目を落とした。その時である。
スケッチの上に黒く長い影が落ち、安住から太陽の光を遮った。
視線を上げてみると、そこには制服を着た長い黒髪の少女が覗き込むように立っていた。
化粧気のない幼い感じの健康的な少女だった。

「やっ!」

少女は目が合うと、友達に会った時のようにさも親しげに手をあげて挨拶をしてみせた。
それも満面の笑みのオマケ付きときたもんだ。
安住と少女の面識はない。

「や、やあ・・・」

しょうがなく同じポーズで挨拶を返してみる事にした。
安住のリアクションに満足したのか、少女は自然な動作で安住の隣にチョコンと腰を下ろす。
身の丈、風貌から中学生くらいだと予想したが、見覚えのある制服と校章が彼女を高校生だと決定付けていた。
この場所からさほど遠くない場所にある、洗手女子の1年生だろう。
安住の横で、先刻まで彼がそうしていたように行き交う人々を凝視していたが、やがて、それにも飽きてしまったのか、安住の表情を覗き込むように見つめる。
異様な息苦しさを感じたが、少女を無視してスケッチを続ける事にした。
「・・・・・・・・・」

「フンフン・・・・・・ウン」

一体何に肯いているのだろうか?
隣から送られてくる少女の視線を気にしないように、気にしないようにと神経を人込みとスケッチに集中させる。
夏の暑さのせいもあって汗が頬を伝うのを感じた。
心頭滅却すれば何とやら、と言うが一朝一夕に出切る事ではないらしい。
・・・きっと言えばわかってくれるに違いない。
意を決して、安住は引きつった笑顔を少女に向ける。

「何か用・・・?」

「おかまいなく〜」

?ァハ(゚Д゚)ハァ?

少女は八重歯を見せてニッコリと微笑む。
安住の目論みは満面の笑みの前にあっさり挫かれた。
駅ビルの巨大な液晶画面からは12時を告げる規則的な電子音が流れている。

「もうこんな時間か。僕はそろそろ・・・」

しかし、立ち上がろうとする安住のYシャツの裾を少女は握って離さない。

「嘘。お兄さん、いつもはお昼過ぎまでいるでしょ?私、毎日見てるから知ってるよ」

毎日見ているから知っていたらしい・・・。
「毎日って、今夏休みじゃないの?」

「部活だよ。行きと帰りに通りかかるとずっと同じ場所で同じ顔してるから・・・」

「してるから?」

「声かけてみた、エヘヘ」

声をかけてみたらしい。
安住は呆れて返す言葉もない。

「・・・簡単に知らない人に声かけたりして、僕が変な人だったらどうするの?」

「変な人、なの・・・?」

少女は心底怯えたように後退る。

「そうじゃなくて・・・。ふぅ、もういいや。で、用は済んだんじゃないのかい」

「あ、まだ」

気付いたようにそう言い放ってから、少女は安住の手からスケッチブックを強引に取り上げページをめくった。
そこには前述したように、ここから見える景色を緻密に描写したラフが幾重にも並べられていた。
ただ一つ、その絵には誰の目にもわかる違和感があったのだが。
「どうして、人間が、人がみんな違う色をしているの?」

安住が描く人間はどれも統一感のない、到底人間の色とは思えない色で塗りつぶされていた。
ある者は全身を赤く染め、またある者は黄色く、青く。

「げーじつなんですか?」

少女の問いに安住は答えない。
ただただ、無作法な少女を睨みつけているだけだ。
悲しい事に少女は全く空気を察してくれない。
極め付けは、

「変な人?」

ヤレヤレと頭を抱える安住。
しょうがなく自分から口を開く事にした。

「それ、返してくれる。もう気が済んだだろ」

ようやく気が付いたのか、少女は自分の腕と胸の間に抱えている物と安住の顔を交互に見つめる。

「ごめんなさい!すいません!」

顔を赤らめて、半ば突っ返すようにスケッチブックを返した。
彼女なりに悪気があったわけではないようだ。
「別にいいけどさ・・・」

「絵、上手いじゃないっすか。美大の人、とか?」

「違うよ。それに上手くなんかない。見たまんまに描いてるだけなんだから」

「でも、色が・・・。こんな風に見えるわけないですよね?」

彼女が何を言おうとしているのかはわかった。
だが、理解に足る答えは持ち合わせていない。

「どうしてみんな色が違うの?」

「教えてやらない」

「そんな、意地悪しないで教えてくださいよ!」

その時、携帯の着信音が間近で鳴り響いた。
それはデフォルトで収録されている「G線上のアリア」に間違いなかった。
安住は携帯を持たない主義(ポリシーなどではなく、単純に面倒だと言う理由で)だし、そうなると答えは一つしかない。
少女は鞄から飾り気のない携帯電話を取り出すと、覚束ない手つきで熱心にボタンを押してゆく。
どうやらメールが着信したようだ。
「友達待たせてるんで、もう行きますね」

少女は立ち上がると、ふぅと呟きながらさほど短くもないスカートをぽんぽんとはたくと、安住に向き直った。

「言い忘れましたけど、私、遠野 空(とおの そら)って言います。明日も部活あるんで、また〜」

最後の台詞は聞き流して、手を振って見送る。
空の歩みだした人込みの向こう側に、見覚えのある長身の少女が立っていた。
空と同じ制服、右手には携帯が握られている。
敵意ある眼差しでこちらを眺めている、「赤い」少女だった。

・・・そういう事か。

安住はその少女から逃げるようにして、その場を退散した。