1 :
夢見る名無しさん:
19歳女。10代最後の年に、独り言をいいたいと思う。・・・
わたしのティーンエイジャーが終わるーー。
20代が一番
俺は三十路・・・
3 :
夢見る名無しさん:02/03/06 21:40
2!!
4 :
夢見る名無しさん:02/03/06 21:41
俺は去年20になってしもたよ。
もう人生希望ナッシング。
5 :
夢見る名無しさん:02/03/06 21:42
1983年、神奈川県に生まれる。
いちばん古い記憶は、
まだ座る事しか出来ないときに
後ろにひっくり返って頭に衝撃を感じて、
「またやっちゃったー」
とか思っているときです。
6 :
夢見る名無しさん:02/03/06 21:44
一番古い記憶。
おしっこ漏らして半ズボンからツツーッと垂れてきて
太ももがムズ痒いあの感じ。
今21歳。
26歳です。
ほのぼのかつ気合い入れつつ
頑張りたいこの先です。
↑は1!
どこで違ったのって、何が違ったのかというと、
わたしは中高での学園生活をほどよく青春して勉強して、
現役で大学に入りたかったのだ。
そういう人を見て、とても羨ましく思う。
現実私は高校2年で学校を辞めてしまい、
今は浪人生活をしている。
10 :
夢見る名無しさん:02/03/06 21:48
一番古い記憶かどうかはわからんが・・・
和式便所にぬいぐるみのペンちゃん落とした。
マジで泣いた。泣きまくった。
拾えるものなら拾ってやりたかった。
母親の言うとおりトイレに持って行くんじゃなかった。
人生最初の後悔だ。
ごめんよペンちゃん・・・。
ガ━━━(;゚Д゚)━━━ン
私は天然です。
天然にかかわるスレを見て、
やっぱり私は天然なのか・・と思いました。
でもそんな事はどうでもいいことです。
でもやっぱり天然のためか知らないけど、
周りの人が敵と見方に分かれるような気がする。
あれは幼稚園のときのこと・・・。
私はぬいぐるみを大切にしていた。
ある日幼稚園から帰ってくると、
ぬいぐるみがなくなっている。
母に問い詰めると、
「あれはトイレに落としちゃったのよ」
と言ってた。
14 :
夢見る名無しさん:02/03/06 21:56
そういえば、私は小学校3、4年のころ
自由帳に絵を描くのが好きだった。
あれも捨てられたなァ。
16 :
夢見る名無しさん:02/03/06 22:01
よく捨てられるね。
17 :
夢見る名無しさん:02/03/06 22:02
>>12 周りの人が敵と味方にわかれるって横山やすし
を思い出す。
いまわたしが考えてるのは、
私は私にしかなれないってことと
私の場所を見つけるってこと
私の場所を極める?
周りに何もなくなった時に
「私」がいると思いたい
でも毎日って地道だよねー。。
<<17
横山やすしさんってなんの人だっけ?
20 :
夢見る名無しさん:02/03/06 22:05
折れも浪人。
ドキュソな自分がむかつく。仕方無いけど。
ま、マターリ逝こう。合格目指して・・・。
21 :
夢見る名無しさん:02/03/06 22:07
天然天然天然っていう人で、
なめてるっていうか、“このこは何も考えてないから”
って思ってるような人いるけど、
私はあんまり口にしないけど考えてるのよ。
23 :
n ◆ay5jMEQI :02/03/06 22:08
痛い
俺は天然パーマだけど、何か?
おじゃましまーす。
ちょっと前まで19だったユミです。
よろしく。わたしも天然と言われます。
うちはおばあちゃんが変わった人で
近所付合いを一切しない人だった。
キライな人はキライで、
隣りの人が帰ってくると
障子戸をピシャンと音をたてて
しめたりしていたらしい。
母が近所の人と電話していると、
「あんた、なめられるよ」
と言ったらしい。
祖母に何があったのかは知らないけど。
聞くだけで理不尽な話だけど、
祖父は暴力系だった。
病気の祖母を追いかけまわし、
お風呂のお湯に首突っ込ませたとか。
祖父は孫の私にはとても優しかった。
ひなまつりにはひなあられや砂糖菓子や苺などを買ってきてくれた。
雛人形の前はそれらでいっぱいだった。
だからわたしは、ひなまつりや誕生日などの行事は大好きだった。
わたしはお風呂で溺れた事がある。
まだ1才の時だ。お湯の色がバスクリンで黄緑色だったのを覚えている。
わたしは溺れながらお風呂の栓のボールチェーンを見ていた。
やがて母に抱き上げられ、背中を叩かれた。後ろにひとつ上の兄がいる。
わたしはその様子を天井辺りから見ながら、泣いていた。
背中を叩かれるのが水を吐かせるためではなく、
悪い事をした身体と思っていたからだ。
<<29
悪い事をした身体と
→悪い事をしたからだと
悪い事をすると「おしりぺんぺん」
と言って、お尻を叩かれたんです。
31 :
夢見る名無しさん:02/03/06 22:32
もともと父は地方に住んでいた。
父はお坊ちゃまだったのだ。
しかし、祖父の事業が失敗し、
高校が決まった時に、
こっちに逃げてきたのだ。
あとから祖母が土地を売って、
借金を返したのだ。
そして祖父は働き、
祖母が節約してお金をためて、
今僅かながらに財産があって、
わたしは生活している。
<<32
もともと母は子供っぽい性格なので、
虐待もなにもない感じです。
その後父は定時制高校に行く事にが決まるが僅か半年で、中退。
お金がないので、住み込みで働く事になったが、
何があったのか知らないが、線路をつたって家に帰ってしまった。
「人に命令れるのは嫌い」
らしい。
そして今は自営業で工事の仕事をしている。
そうですか。なんで天井から見ながら泣いていたんですか?
<<36
たぶん死にかけて、身体が分離したんだと思います。
わたしは泣いていたのに、母はぐったりして死んだみたいだったと
言ってたし・・。それよりなんでそんな赤ちゃんの時のことを
覚えているのか驚かれます・・・。
>>37 すごい。幽体離脱ってやつですよ。
1さんは、人と違う力をもっていませんか?
39 :
夢見る名無しさん:02/03/06 22:51
その次に古い記憶と言えば、3、4さいの時になります。
兄が幼稚園に通い、母が幼稚園の役員をしていたため、
遠足などの行事についていったり、送り迎えについて行ったり、
兄の音楽教室などについて行ったことです。
>>40 それは1さんがおうちにいながらのことですか?
あれは雨の日。わたしは幼稚園の迎えに行った母と兄を玄関前で待っていた。
そして何故か、おもらしをしてしまった。わたしはおじいちゃんに怒られる!
と思いそっと外に出た。わたしは傘もささず濡れたまま、
兄の幼稚園に行こうとした。道を歩いていると前から向かいのオバチャンと、幼なじみの女の子が
歩いてきた。こっちに走り寄ってきて「どうしたの!?どうしたの!?」と通してくれない。
やがて前から母とレインコーとを着た兄の姿が。
わたしは母の元に走った。
<<38
持ってません、、。
<<39
兄が母を呼びにいかなかったら死んでました。
<<41
ちゃんとした記憶です。
どうも。また来ます。
わたしは絵本や人形ごっこやままごとが好きな子だった。
母はマイケルジャクソンのファンだった。
夜いつもマイケルジャクソンのビデオがついていて
わたしはテレビが見たいのにウンザリしていた。
好きなテレビはメイプルタウンとあんみつ姫と
ポリアンナ物語とドラえもんとか、
でお兄ちゃんが、ウルトラマンとかトランスフォーマーとか
ガンダムが好きだった。
そういえばあのころお兄ちゃんとお兄ちゃんの友達のヒロくんと
ウルトラマンごっこをやった。っていうかやらされた。
わたしは怪獣の役で、バルタン星人の真似をノリノリでやっていたが、
心の中では、「クソー」と思っていた。
兄は、ズル賢かった。
ふすまに穴をあけたら、即行わたしのせいにした。
「○○がふすま破ったーーー!」
わたしは
「○○じゃない、○○じゃな〜い」
と言って泣いた。
兄は賢かった。
みんな兄を信用した。
些細なことですけど。
わたしは兄の音楽教室に母の付き添いでいつも行っていた。
窓の外には銀杏並木と、近くに公立大学があったので大学生がたくさんいた。
音楽教室はクラスがあって、みんなエレクトーンを弾いたり、
先生のピアノにあわせて歌ったり、いろんな事をしていた。
わたしはそのあいだ五線の下敷きと黒い音符のマグネットで遊んでいた。
母に、わたしもやりたいというと、「来年ね」といわれた。
家一階のおかっては昼でも電気をつけないと暗かった。
母が、暗いおかってで洗いものをしているときに、
「わたしが幼稚園に行ったらさみしい?」
と聞いたら、
「お母さん全然さみしくないわよ」
といわれ、泣きそうになった。
母が兄の幼稚園の帰りに立ち話をしているとき、
わたしはとても退屈だった。“早く帰ろう”と袖を引っ張った。
人見知りの激しい子で、よその人と顔を合わすのを嫌がった。
兄の友達のはじめくんのうちにあずけられたときも
ゴハンを残したうえにおもらしまでしてしまった。
ある日立ち話をしているときに、
バイクのふたりのりのお兄ちゃんに、
「かわいい子チャン」
といわれた。微妙に嬉しかった。
そして当時の高校生スタイルに憧れた。
幼稚園に入園する日がきた。
見るとみんな、「お母さん〜お母さん〜」といって泣いている。
わたしは泣かなかった。むしろ楽しみだった。
その日、わたしは泣かなかったので少し誇らしかった。
51 :
夢見る名無しさん:02/03/07 00:24
幼稚園では絵を描くのが好きだったし、
工作も丁寧にやった。
紙芝居と“かず”のテキストをやるのが好きだった。
夕涼み会やクリスマス会などの行事も楽しかった。
友達を作ることは考えてなく、
遊ぶ時間はいつも庭(?)で走っていた。
兄を発見すると嬉しくて、いつも兄に引っ付いていた。
行きかえりは集団で帰らないといけなかった。
班で並んで、保護者が集まったら帰れるのだ。
なのにうちのお母さんが、来ない。
はじめくんのお母さんと水商売っぽいお母さんふたり(ふたりは姉妹)
につれられて帰らなければいけなかった。
この3人は見るからに厳しく怖かった。
道を並んで歩いていると、前からお母さんが走ってきている。
わたしは優しくてきれいなお母さんが大好きだった。
でも今思うと母は毎回遅刻していた…。
54 :
名無しさんの一日:02/03/07 00:35
俺の小さいころの記憶って無いわけじゃないのに思い出せない。覚えてるのに分からない。
ある日、おじいちゃんが海につれて行ってくれた。
海水浴の季節ではないので水着は持ってなかった。
わたしはびしょびしょに服を汚してしまった。
「着替えはないんだぞ」と怒られながらうちに帰ってきた。
でもおじいちゃんと散歩に行くのは楽しかった。
おじいちゃんは「かわいいですね」といってきて
「そうですよ」と言わないと怒った。
『「そうですよ」っていいなさい』といつも言われた。
わたしは「そうですよ」と毎回いった。
家に帰るとおじいちゃんはお母さんとかに、
「○○はかわいいですねっていうと、「そうですよ」っていう」
と嬉しそうにいった。
おじいちゃんと散歩に行って、
帰りにそば屋に寄った。
わたしは、そばといえば“ざるそば”だと思っていた。
ざるそばしか食べられなかった。
おじいちゃんになにがいいといわれ、
「おそば。」
といった。すると、あったかいどんぶりにはいったそばがきた。
わたしはしぶしぶとそのそばを食べながら、
「本当はざるのおそばが食べたかった・・」
というとおじいちゃんはざるそばを追加注文した。
あったかいそばは、おじいちゃんが食べた。
家に帰るとおじいちゃんは、
「○○はそばを“これも食べるわ”と2杯も食べた。
よく食べるなぁ」
と嬉しそうにいった。
57 :
夢見る名無しさん:02/03/07 00:55
人生まだまだこれからと思っているうちに、タイムリミットに
なってしまった人。そんな人になりそうなこのオイラ。
誰かこんなオイラの子供を生んでください。
父には15才年下の弟がいた。
わたしはいつもこの人にからかわれいじめられていた。
(一緒に住んでいた)
帰ってくると、ドキッとした。
そしてテーブルの下とかすぐ見つかるようなところに隠れた。
それを見て、その人はアーハッハと笑っていた。
家は祖父、父、母、叔父、兄、わたしの6人家族で猫を1匹飼っていた。
祖母はわたしが2才のころ亡くなったらしいが、そのときの記憶は一切ない。
祖母が病気で忙しかったため、そのころの写真はほとんどない。
兄と同じ音楽教室に通い始める。
兄は楽譜を見て練習しないと曲を弾けなかったが、
わたしは音を聴いてすぐに弾けた。
作曲らしきこともやってたりした。
音楽教室では誰よりも大きな声で歌った。
でも練習するのを面倒くさく感じるようになった。
うちではエレクトーンみたいなものを使っていたが、
ある日ピアノを購入する事になった。
母が
「ピアノがきたら嬉しい?いっぱい練習する?」
といい、わたしは
「しなーい」
と言ったら本気で怒られた。
幼稚園でやった雨だれ体操ってやつを
夕食のときに家族の前でやったら、笑われた。
もう一回やって、もう一回やってというので、
何回もやって笑いをとってみた。
音楽教室で、ルミちゃんという友達ができた。
やんちゃで口の悪い子で、お母さんも口が悪かった。
道にへばりついてるガム(?)みたいなものをみて、
ルミちゃんが
「なんでこうなってるの?」
と聴くと、ルミちゃんのお母さんは、
「あんたが蹴っ飛ばして歩いてるから、こうなるの!」
と言っていた。
帰りはいつもルミちゃんとルミちゃんのお母さんと、うちのお母さんと、
4人で帰ってきた。
ルミちゃんは公団の子だった。
ある日ルミちゃんとその団地のルミちゃんの友達何人かと、親とルミちゃんの家で遊んだ。
そこで、手作りのジェニーちゃん・リカちゃん人形の服が話題になった。
それを見て、母も負けずと人形の服を作り始めた。
わたしは
「キレイなドレスを作って」
と言ったが、出来あがったものは
全身タイツのような物だった。母は、
「これはパジャマよ」
と言っていた。
わたしは人形で遊ぶ時、泥棒役に
その服を着せていた・・・。
お向かいには幼ななじみの女の子、タカチャンがいた。
勝気な子だった。
ある日マッサージ機のいすにわたしが座ると、
横から走ってきて、タカチャンがそのいすに座ってきた。
わたしが座ってるのに・・と思い、そのいすにしがみついていると、
「順番だよ!」
とタカチャンは怒った。それでもわたしはどかなかった。
すると母が
「○○!代わってあげなさい!」
と怒った。
わたしはしぶしぶといすから降りたが、
なぜかタカチャンはついてきて下から睨み付け、
「○○ちゃん悪いよ!」
「泣け!」
と何回も言った。
わたしは泣くのをこらえ、ひたすら黙っていた。
誕生日会がそのころはやっていた。
部屋を折り紙の輪っかなどで飾り、
友達を10人くらい呼んだ。
ケーキやお菓子を食べてみんなで遊んだ。
みんなプレゼントをもってきてくれた。
毎年プレゼントに囲まれて、写真を撮った。
ある日幼稚園の工作で、おひなさまを作った。
それの出来が気にいらなくて、お道具箱のなかにおひなさまを隠した。
そして次ぎの日、
「おひなさまがな〜い」
と言って子供のフリをしたが、
すぐにお道具箱にあるのをみつけられてしまった。
67 :
夢見る名無しさん:02/03/07 12:51
1さんのの記憶は小さい頃の記憶しかないのかい??
お兄ちゃんが卒園した。その時にもらう花のカタチをした飴が
とても美味しかった。
わたしは兄と、はじめくん(三兄妹)と、
スイミングスクールに通うことになった。
最初は子供用の浅いプールで水に慣らされり
“バタ足”の練習をした。
はじめくんの一番下の妹は、その日のスイミングが終わって、
ロッカー室に行くあいだ、いつも
「寒い-、寒いー」
と言って泣いていた。
帰りには必ず、自販の白い棒のアイスクリームを食べた。
スイミングスクールに行く途中、
草むらのなかに公衆トイレ(1個室)があった。
水の流れ方がおもしろいのだ。
足をつく場所のちょっと下の四方八方から流れてくる。
なぜか毎回そのトイレに入ってた。
そのあと大きな川を2回通る。
緑色をして、深そうで、怖かったのを覚えている。
あるひスイミングで
ある日スイミングでコーチに怒られた。
“バタ足”をちゃんとやっていないと怒られた。
10級から級があって、9級のときだった。
ちゃんとできないから10級に行けと
ムリヤリつれて行かれそうになった。
わたしは10級に戻りたくなかったので、
床にしがみついた。
わたしは真面目でナイーブなのに、
問題児と思われたか、そういう扱いをうけた。
同じ級に、はじめくんの真ん中の妹がいて、
帰りに、
「○○ちゃん、今日怒られたんだよ」
と言い始めた。
わたしはとても嫌な気分だったが、
なんだかしゃくなのでわざと笑ってみせた。
その時から
その場の空気を読めていないと
のんきでマイペースな子だと
周りの大人に思われた。
大人達はそれを見て楽しそうに笑った。
だからわたしは、わざと脳天気なフリをした。
そうすると周りの人が喜んだからだ。
スイミングでどんどん級があがって、
25mのプールに入れるようになったが、
友達はあんまり出来なかった。
今思うと、声をかけてくれる子はたくさんいたが、
わたしの方が閉じていた。
わたしはコーチに嫌われていたのか、
泳げるようになっても
「あんたはダメよ」
という扱いをうけた。
わたしは若いきれいで優しいコーチは好きだった。
幼稚園の後半、わたしは相変わらず
絵を描いたり絵本を読んだり、外でボールで遊んだりした。
けど、画用紙の空きもなくなってきたし、
絵本も見たやつばっかりになってきたし、
友達の下らないギャグにもだんだん飽きてきた。
年長にあがってお弁当のあとに先生が読んでくれる紙しばいが
絵本になったのには本当にがっかりした。
わたしはごはんを食べるのが遅かった。
好き嫌いが多く、でものこすと怒られるし
全部食べるまで自由になれなかった。
わたしはいろんな手を使った。
@おじいちゃんに食べてもらう
A寝たふりをする
上手くいくと抱っこして2階につれて行ってもらえるかもしれない
Bこぼしたフリして嫌いなものを床に落とす
C「トイレに行ってくる」と言ってトイレに流す。
@はおじいちゃんの声が大きくて、
2階に全部聞こえてしまいばれてしまった。
ある日、Bを実行していたら
テーブルの下からお兄ちゃんが現れた言った。
「○○、こういうのはこうするんだよ」
と言って落とした食べ物をなんと座布団の下に隠した。
ある土曜日、いつもと同じように帰ってきて
昼食を食べようと席につこうとした兄が凍りついている。
母を見ると鬼のような顔をして兄にいった。
「○○、そこに座りなさい」
いすの上には座布団が取ってあり、
カビが生えたような食べ物が潰れてくっついている。
真ん中にはのり巻きが丸々いっこ潰れている。
母は、そのいすをテーブルの上に乗っけて、
ふたりで片付けなさいといった。
「わたし、やってないもん」
と言ったが、兄はどこを見てるのか分からない顔をして
「○○もやったじゃん!」
と言った。わたしはやってないからやんない、ともめていたら
母が、
「いいからふたりでやりなさい!!」
と怒った。
わたしはしぶしぶと後片付けをした。
わたしはねるねるねるねとか、つくるお菓子が好きだった。
飛び出す絵本のガムがついたやつや、硬い紙で作る家が好きだった。
“さしこむ”とか“やまおり”“たにおり”が好きだった。
兄はカタツムリを飼ったり昆虫を探して遊んでいた。
土曜の夕方と日曜の朝、夕方にやってるアニメを
毎週見るのがすきだった。
誕生日とクリスマスには、必ず好きなおもちゃを買ってもらえた。
わたしはキティーちゃんのままごとトントンの宣伝で、
おもちゃの野菜が切れてまたくっついてっていうのを
不思議に思い、さっそく買ってみたが、
ただマジックテープがついてるだけで、
がっかりした。
そのとき兄はゲームボーイを買っていた。
それより前の誕生日でわたしは
“ポワトリン”のステッキを買った。
“これがあればいろんなことができる”
と思っていたのだ。
家に帰ってステッキを振り回してみたが、
なにも起こらなかった。
でも先端が赤く光ってきれいだったので、
気に入っていた。
クリスマスには毎年おじいちゃんがお菓子の入った
赤いブーツを買ってきてくれた。
ある日、黄色いバックにそのお菓子を全部詰めて
ディズニーランドに行ったが、
どこかで黄色いバックを失くしてしまった。
数日後ディズニーランドから黄色いバックが届いた。
(住所がかいてあった)
81 :
夢見る名無しさん:02/03/07 14:25
1さんは二浪決定したの?
兄は小学校1年生で、鳥の絵で賞をもらっていた。
写生大会でも氷川丸の絵で賞をもらった。
わたしはベイブリッチを描いたが参加賞だった。
兄が“川”とか“森”とか漢字をやっていて、
わたしも真似して漢字を描いた。
>>83 そか・・・ごめんな。どぞ続けて。
もう口出ししませんので。
幼稚園に行く時母は、
「○○は好きな人いるの?」
「内緒で教えて」
と言ってきた。
わたしは、
「だいちゃん」
とてきとうな人を言ってみた。
すると道の向かいがわにだいちゃんのお母さんが送りが終わって帰ってきていた。
母とだいちゃんのお母さんは、「おはよう〜」とあいさつをした。
その後は母は大声で言った。
「○○がね〜、だいちゃんスキなんだって〜!!」
だいちゃんのお母さんは、
「エー!!」
と大げさに驚いていた。
わたしはすきなひとがいた。
同じクラスのやすくんだった。
先生はそれを知っていたので、
遠足やお泊まり会の班などいつも同じにしてくれた。
ある日近くのスーパーでやすくんとそのお母さんに会った。
わたしはスーパーのなかでやすくんと鬼ごっこをして、
お母さんは立ち話をしていた。
帰りにお母さんが、
「“○○がやすくんのこと好きなんだって〜”ってやすくんのお母さんに言ったら、
“アラ〜、うちの子も○○ちゃんのことすきなのよ”っていってたわよ」
と言ってきた。またバラしたのかと思いながら、ちょっと嬉しかった。
わたしは背が低くて、いつも一番前だった。
そしてちゃんとならばないでフラフラしてる子だった。
で、いつもすぐ後ろのじゅんこちゃんが肩を
ときには爪を立てて抑えてきて、
本当に並ぶのが嫌だった。
わたしは幼稚園の時、にこにこがくしゅうっていう学研のやつをやっていた。
兄はなかよしがくしゅうだった。
音楽教室の帰りによく玄関においてあって、
それを見つけるとかなり嬉しかった。
ある日、なにをしたか忘れたが、
「にこにこがくしゅうもなかよしがくしゅうもやめちゃう!!」
と怒られて、やめさせられてしまいました。
じゅんこちゃんがくれた薬で、
わたしはいつもふらふらになってラリっていた♪
騙りはいって良し!( ´∀`)
夏休みには毎年、1、2周間くらい母の田舎に行った。
お菓子をたくさん買って、車で10時間くらいかけていった。
そこは田んぼと家と山しかなくて、トイレがぼっとん便所で、
近くに海があって本当に楽しかった。
いとこも泊まりに来て一緒に遊んだ。
川もきれいだし空気もきれいだし、日本らしい風情があって懐かしい感じがした。
犬がいて、犬の散歩についていった。
いとこの家や親戚の家にもまわった。いとこの家は少しだけ都会で、
ひとつは大きな一軒家でもうひとつは下町っぽい感じだった。
夏といえば田舎だった。
この幼稚園ではおとうばんの日には、みんなの前で
名前と電話番号と住所と家族構成を言わないといけなかった。
わたしは名前と電話番号はすぐに言えたけど、
住所と家族構成は、なかなか言えなかった。
お父さんとー、お母さんと〜、えーっと〜、
ってなってたが、てきとうなことを言ってもばれないので
てきとうに言っていた。
でもその後、園長先生のところに言って同じ事を言わないといけなかった。
本当は6人家族だけど、なんとなく叔父がいることを恥ずかしく思い、
「5人家族でぇす」というとすかさず、「あなたのうちにはおじさんもいるでしょ」
と言われた。みんなの前でいうときには絶対おじさんがいるといわなかった。
「9人家族」とか人数が多い人は人気者になってた。
そりゃないよぉ〜 ヾ(;゚;Д;゚;)
クリスマスシーズンには、
サンタさんの電話番号ってやつが流行ってた。
かけるとクリスマスっぽい鈴の音楽が聞こえてきて
おじいさんの声で話が始まるのだ。
それがスキで、何回も聞いていたが、
ある日かけると、
「もしもしー!」
と普通のおじさんがでた。
ビックリして電話を切った。
わたしはサンタさんの電話が大好きだったので
どうしても繋がってほしくて
何回もかけたが、何回やっても普通のおじさんだった。
最後にかけたとき、“そうだ、間違えましたっていわなくちゃ”
と思い、
「ま・・間違えました、、!」
と言った。したら
「あんたねぇ、さっきから何回も何回も電話かけてきてるでしょ!」
と怒鳴られた。わたしは泣きそうになって、
「は・・はい」
と言うと、
「ちょっと住所と電話番号おしえてくれる?」
と言われた。わたしはおとうばんで覚えた
住所と電話番号を張り切って言った。“言えたゾ!”
と思ったがあとで後悔して恐怖に怯えた。
“どうしよう!!怖いおじさんが家にくるかもしれない・・!!”
家は崖の上にあった。下に木でできたボロいちっちゃい家があった。
戦後自分で作ったような家で、電気は電球なのがわかった。
一応ガスメーターや電線がついていた。そこにはおじいさんが住んでいた。
ある日わたしはお兄ちゃんとヒロくんと探検ごっこみたいな事をしていた。
ヒロくんが隊長で私と兄は隊員だった。
食料のバナナを食べ、皮は小窓から投げろという命令がでた。
そんなことをして遊んでいたら、ある日
正装をしたおじいさんが家にやってきて、
なにやら母と話をしていた。
下のおじいさんが、
「バナナの皮を庭に投げるな」
と怒りにきたのだ。
わたしはそのあと母に怒られた。
96 :
夢見る名無しさん:02/03/07 15:51
戦後って……オイオイ
幼稚園の卒園式の日がきた。先生やお母さん方が劇や出し物をしてくれた。
メイプルタウンの絵札や忍者ハットリくんの絵札を見て
「あれお母さんが作ってたやつだ!」
と友達に得意げに話した。
友達は「すげー!」とか「うめー!」とかいっていた。
最後にひとりずつ、卒業記念の品と花の形をした飴をもらうとき、
後ろのじゅんこちゃんが泣いていた。
この先生とも結婚退職だからもう会えないし、
やすくんとも違う小学校だから会えない・・・
と思ッたら泣きそうになって、帰りはずっと泣いていた。
母はわたしが脳天気だと思っているので、驚いていた。
入園式の日のことはあまり覚えてない。
卒園式のときとおんなじ服を着た事ぐらい。
クリーニングに出したけど、目立たないところについたシミが
とれなかった。おんなじクラスに同じ幼稚園の人はひとりもいなかった。
兄の友達が遊んでくれた。
<<98
小学校の入学式のハナシ
100ゲットィ!
1年生のときの先生は、イクタ先生という女の先生だった。
字が汚い先生で、自称年齢は二十歳だった。
最初にプリントをたくさんやった。
線を引いたりするプリントだった。
学校は特有のニオイがあって、
これが学校か・・と思っていた。
初めての給食はクリームシチューだった。
わたしはクリームシチューが大嫌いだった。
口に入れた瞬間、“オエー”と吐きそうになった。
誰にも見られてないつもりだったのに、
前の男のこに
「いま、まずいからオエってやったの?」
と言われた。
わたしは“ちがうよー”と言った。
わたしは日直が嫌だった。
たいした仕事は無かったけど、ただひとつ
給食の配膳代を拭く雑巾が非常に臭いのだ。
だいたいふたりずつだったので、
わたしは他の仕事をして配膳台は
もうひとりにやってもらおうと思っていた。
しかしある日、もうひとりの手が空かず
配膳台をやらないといけない状態になった。
でも、手が動かなかった。もうひとりは、
「給食当番がくる前にはやくやれよ!」
といい、わたしは
「だってコレ臭いんだもん!」
と言った。もうひとりは
「臭くねーよ!」
と言って張り切ってやり始めたが匂いをかいで
「くせぇ!」
と失神しそうになっていた。
わたしは同じクラスの女のこと双子みたいに仲良くなった。
そのこのうちは公団で学校の目の前だった。
いたずら好きで人懐っこい子だった。
わたしは家にまっすぐ帰らないでいつも遊んでいた。
そろそろ帰ろうとおもって、走っていると
前にお母さんがあきれた顔をして立っている。
帰りが遅いから探しにきたのだ。
わたしは
「学校で居残り勉強してたんだよ」
とすぐばれる嘘をついた。
わたしはいつも通学路を通って帰らなかった。
いろんな道を探検しながら帰っていた。
すると、まえからはじめくんが歩いてきた。
はじめくんはいじめっこなので恐かった。
告げ口されると思った。
だから近くにあった家の庭の木の陰に隠れた。
すぐ見つかるようなところだが、隠れているつもりだった。
はじめくんは、
「なにやってるんだろう」
といって通り過ぎて行った。
ある日、家の叔父さんが虹が見えると言って坂のうえに連れていってくれた。
30メートルくらいある大きな虹だった。
ある日、叔父と兄と市民プールに言った。
深いところで浮き輪につかまったりはなしたりして、
そのスリルを楽しんでいた。
浮き輪を離して、また掴もうとしたところ浮き輪がどこにもなかった。
浮き輪が無い!わたしは溺れた。溺れながら叔父に助けを求めた。
近くにいると思ったからだ。しばらくして抱き上げられた。
わたしは
「遅いよ、なんですぐ助けてくれないの、苦しかったァ!!」
と文句を言いながら顔をよく見たら。したら全然ちがう人だった。
叔父はどうもすみませんと言って笑いながら水の中を歩いてきた。
宿題で数を100まで書くやつがあった。
1から100までマスにひとつずつ書いていくのだ。
なぜかひとつとばしたら横に書いとけばいいのに、
全まちがったとこから全部消して、書きなおした。
コレを数学の授業でやってたが、他の子も全部消して書いていた。
ある日、家でやってたらお母さんが今日中に全部やらないといけないのだと
勘違いして、徹夜してそれをやった。わたしも上手く言えなかった。
言ったけど、「こういうのは早目にやるものなの」と言って
全部その日にやらされた。わたしは何回もマス目を間違えた。
母はイライラして、「また違ってる!」と言って顔を殴った。
宿題でよく怒られた。
わたしは小学校に入る前、兄がやってるテストてやつをはやくやりたいとか
テスト用紙の紙質がいいとか思っていたが、即行嫌いになって行った。
このスレ読んで自分も子供の頃の思い出をぼろぼろ思い出したよ。
1さんは文才あるね〜。ヒソーリとROMさせて頂きま。
1よ頑張れ。
正直言って、はやく処女喪失の話が読みたい。スマソ。
母はお腹が大きかった。
スイミングに行く時に、
名前のことで話した。
わたしは兄に、家族のなかでわたしだけ二文字と
仲間はずれにされていたので、
絶対二文字の名前にして!
といい続けた。
わが家はみんな地方出身なので、
故郷なまりがあった。
学校でみんなと話していたら、
「○○ちゃん、なまってる〜」
と笑われた。
でもこの時は自分の親が全て正しいと思ってて
「だっておかあさんがいってたもん」
と思っていた。
わたしはよく近所のあゆみちゃんと一緒に帰った。
あゆみちゃんは、
「日曜日って休む日でしょ、
なのにお母さんはお手伝いしなさいっていうんだよ」
といつも言っていた。
ある日わたしはいつものように遠回りして帰っていると、
顔面から転んでしまった。
鼻血が出て両膝を擦りむいた。
泣きたいのを我慢して歩いていると、
うしろからあゆみちゃんと
近所のけいこちゃんが歩いてきた。
「○○ちゃん、どうしたの!?」
「鼻血でてるよ!」
ティッシュで抑えたはずが、
反対からも血が出ていたのだ。
わたしは恥ずかしかったので、
「何でもない」
と言って急いで家に帰った。
113 :
夢見る名無しさん:02/03/11 18:24
文才あるよ
オモシロイ 文章に惹かれるもん
本格的に本書いたら売れるよ
ある日友達と遊んだ帰りに、子猫を発見した。
わたしは子猫と遊んでから家に帰った。
家に帰っておじいちゃんのへやにいると、
玄関とは反対側の窓のから、その子猫が顔を出した。
ずっとついてきていたのだ。
「あ!ネコだ!」
というとニャーといって網戸をのぼりはじめた。
お腹を空かせているみたいだった。
餌をやろうとしたら、おじいちゃんが
いつも来るようになるからダメだと言った。
じゃあそのネコ飼おうと言ったら、
家にはチャコ(家で飼ってた三毛猫)がいるからだめといった。
そしてお父さんがそのネコをどこかに連れていってしまった。
115 :
夢見る名無しさん:02/03/14 22:14
兄が1年生のとき怒られて転びながら自転車の練習をしていた。
転んでケガをするうえにヒステリーな母に怒られるのだ。
だからわたしは絶対に自転車の練習をしたくないと思った。
次の年は母が妊婦だったので、しないですんだ。
116 :
夢見る名無しさん:02/03/14 22:22
わたしはどんどん“だめなやつ”になった。
“だめなやつ”だと思いこんでしまった。
“だめなやつはなにをやってもだめ”
であると思ってしまったのだ。
自分が考えた事を信じることはできなかった。
だから親や周りの人が言うことを信じた。
117 :
夢見る名無しさん:02/03/14 22:39
ある日、兄の友達の女の子がうちに来たが、
兄は不在だったのでわたしと遊ぶことになった。
内緒でお菓子屋さんに行って、お菓子を買って食べた。
ばれると怒られるので、
「口についてる?」
と確認しながら帰った。
わたしは授業中いつもおりがみとかで遊んでいた。
先生にいつも「手遊びしてる」と言って怒られた。
それとよくものを忘れたり落としたりしていた。
ある日学校の前に駄菓子やのおじさんが来ていた。
わたしは急いでうちに帰ってお金をもって、
急いで戻ってきたら、もう誰もいなかった。
学校は公団に囲まれていた。そして階段の多い学校だった。
体育のときや水泳の時に、いつも髪が茶色くて生え際だけ白髪のおばあさんがいて、
いつも校庭の様子を見ていた。その人はいつも汚れた服を身にまとっていた。
わたしは勝手にその人のことを“恐い人”だと思っていた。
“幽霊”か、“乞食”か、“誘拐犯”か、“人ごろし”か・・。
見ると背筋がぞっとした。
ある日友達と公団のなかで遊んでいた。
公団は14階くらいまであって、
離れた棟を除いて、奇数の階は全部つながっていた。
その1階で鬼ごっこをして遊んでいたところ、
角を曲がって行き止まりのところに、
そのおばさんがいた。
わたしは驚いて声にならなかった。
心臓がえぐれる様にどきっとした。
わたしは近くの階段から走って逃げたが、
追いかけてこないか恐かった。
<<115、<<116、<<117
は1。
夏休みがきた。
母はお産が近いため入院した。
そのあいだ父と祖父がごはんを作ってくれた。
わたしは相変わらず好き嫌いが多く、
嫌いなものをトイレに流そうとしていたところ、
兄が来て言った。
「いま何捨ててたの?絶対いわないから!」
と言われた。
「おにく」
とわたしは言うと、兄は食卓に去っていった。
食卓に戻ると、恐い雰囲気になっていた。
おじいちゃんは、
「食べ物粗末にちゃだめですよ」
と言った。
ある夕方、“妹が生まれた”と電話がきた。
わたしは、母が長い間病院にいたから死ぬのではないかと思っていたので、
そのとき「無事だったんだ」と思っていた。
数日後妹が家にきた。
おじいちゃんは妹を抱いて「あらあらあら〜」と言っていた。
間違えた。妹は小2のときに生まれた。
小1のことはあんまり覚えてない。
>>122 兄さん騙したりとかばっかだな・・・1さんには悪いけどワラタ
126 :
夢見る名無しさん:02/03/15 01:52
白髪のお婆さんが気になるage
127 :
1☆小学一年:02/03/16 06:39
音楽教室でのアンサンブル(合奏みたいなやつ)の発表会が近づいてきた。
私はエレクトーンで主音だった。曲がきれいだったので、
兄には内緒にしようと思ったが、兄のクラスも合同だった。
母は、
「○○は主音じゃないと覚えられないから主音なのよ」
と言った。
128 :
1☆小学一年:02/03/16 06:52
秋頃に学校内で文化祭みたいなやつがあった。
うちのクラスは“三地蔵”っていう劇をやることになった。
笑い地蔵と怒り地蔵と泣き地蔵の役があって、
泣き地蔵がおもしろいと思って泣き地蔵の役をやった。
いつでも泣いている役なのだ。
日にちが近づくと準備が始まり、
わたしは友達と落ち葉をひろいに行って
それを教室の床にばらまいた。
先生は板にお地蔵さんの首から下の絵を描いていた。
これを持って顔だけ出して赤い帽子をかぶるのだ。
劇の練習ではお地蔵さんの板で落ち葉を動かして
遊んでいたので先生に怒られた。
当日はうまくいって先生もうれしそうだった。
あなたはどうしてここにいるの?これからどこへいくの?
130 :
1☆小学一年:02/03/16 07:08
ある日あゆみちゃんとあゆみちゃん家にいく途中、
蝶が弱って道に落ちているのを発見した。
それを拾って手に持ってる花のうえにそっとのっけて
そのままあゆみちゃんの家にむかい
「このちょうちょ弱ってるの」
と言ってあゆみちゃんのお母さんに見せた。お母さんは、
「それ蛾だよ蛾!!」
と大きな声で言った。
わたしは何が起こったかわからず「キャー」と言って手を離した。
蛾と花はひらひらと床に落下した。
131 :
1☆小学一年:02/03/16 07:13
うちではザリガニを飼っていた。
夏に旅行に行ったときに兄が捕まえたのだ。
ある日おじいちゃんと夏祭りで2匹の子ザリガニを買ってもらった。
そして子ザリガニを同じ水槽に入れた。
次の日子ザリガニはいなかった。
大きいザリガニが共食いしてしまったのだ。
132 :
1☆小学一年:02/03/16 07:18
冬、誕生日会を開くことになった。
学校では招待状を渡してはいけないことになっていたので
電話で友達を呼んだ。プレゼントをたくさんもらった。
電気スタンドとかオルゴールの人形とか豪華だった・・・。
幼稚園のとき帰りに寄った店で、陶器のウサギのオルゴールがどうしても欲しくて
無理を言って買ってもらった。大事に持っていたが、なぜか途中で落としてしまい
耳の一部が割れてしまった。母に「だからいらないって言ったでしょ!」と怒られた。
幼稚園のとき、兄と虫網でアゲハチョウを捕まえた。
アゲハチョウを虫かごにいれて玄関のところに置いた。
アゲハチョウの羽根は破れてきたところで
外に逃がした。
135 :
夢見る名無しさん:02/03/16 07:29
ま、夏の幻ってヤツね
136 :
1☆小学1年:02/03/16 07:31
学校の帰りに空き地で遊んだ。そこは雑草がたくさん生えていた。
大きな石があって、それをどけるとなんと蟻の巣が広がっていた。
蟻の巣には大量の卵と花粉のような餌のようなものと
無数の通路があった。
蟻はあわてて卵を運びだしていた。
幼稚園のとき、家の庭に蟻地獄があるのを発見した。
今思うと残酷な話だけど
蟻をつかまえて蟻地獄に落とした。
上に登ろうと蟻はもがき、
少ししたらすごい速さで蟻地獄が蟻をつかまえた。
養分を吸い取られ、蟻はペシャンコになっていた。
蟻地獄を数匹つかまえて砂を入れた虫かごにいれた。
次の日蟻地獄はきれいな穴をつくった。
138 :
1☆小学1年:02/03/16 07:57
雪が降った。その日1、2時間目は雪で遊べた。
わたしは前日に友達とケンカをしたので
一人で雪だるまを作りはじめた。
ちっちゃい玉を作ってひとりでコロコロと
転がしはじめた。
別の場所で友達は同じ事をしていた。
少しずつ雪だるまがが大きくなってきて、
友達のほうを見ると、別の友達が加わっていた。
わたしは“むこうより大っきくつくってやるぞ”と思って
ゴロゴロと転がしながらまた友達のほうを見てみると、
さっきより多人数になって、先生も加わっていた。
意地をはって一人で転がしていると、自分の背よりも大きくなってきた。
友達のほうを見ると、友達はこっちに近付いてきていた。
いつのまにかみんなでふたつをつなげることになった。
先生とみんなで雪だるまの顔を持ち上げようとしたが、
あまりの重さに無理だった。雪だるまは完成しなかったが
クラスのみんなは仲良くなった。
139 :
1☆小学1年:02/03/16 08:12
ある日空き地で子猫を発見した。
子猫は4匹いてのひらにおさまるくらい小さくて、
ハムスターのようだった。
わたしはうれしくて、
友達と子猫一匹ずつを抱いてほかの場所に遊んだ。
帰ってくると、ほかの2匹がいなかった。
そして子猫を元の場所に置くと、そこをすばやく猫が通った。
猫は一匹の子猫を咥えてこっちを睨み、「ウゥー」と唸っていた。
140 :
1☆小学1年:02/03/16 08:16
ある日友達と遊んだ帰りに空を見ると、
三日月のちょうど上に乗るように星が光っていた。
不思議な光景だったので、
座って月を見た。
家に帰るとテレビにその月が出ていた。
なにやら特別な日だったらしい。
141 :
1☆小学1年:02/03/16 08:20
ある日学校がえりに猫が車にはねられて死んでいるのを
真近で見るはめになった。
ネコは目をカッと開いて、眼球に蟻が歩いていた。
家の敷地内には小さな2階建てのアパートがあった。
朝、幼稚園に行くときアパートの物置の下に白い虫が一匹動いていた。
物置の下は空洞になっていた。
数日後の朝、物置の下を見ると虫の数が増えていた。
「お母さん、あの虫なに?」というと
「あら、何かしら」と言っていた。
次の日物置の下は非常に気味が悪いことになっていた。
無数の白い虫が動いていた。白い虫はウジ虫だった。
物置の下にはネコの死体があったのだ。
おじいちゃんが子供に見せないように処理をした。
143 :
1☆小学二年:02/03/16 08:36
音楽教室の不評が目立つようになった。
辞めた子のお母さんが、
「○○先生ったら、“辞めます”っていってるのに。
“そうですか、わかりました”しか言わないのよ」
と言った。近所には口の悪い人が多かった。
そしてなぜかうちも辞めることになった。
正直面倒くさかったので、“ラッキー”と思った。
辞めて普通のピアノ教室に行くことになった。
ピアノ教室では、簡単なところに戻ってやったので楽だった。
スイミングスクールも兄の指の怪我をきっかけに
辞めることになった。
145 :
1☆小学二年:02/03/16 08:55
夏休みが来た。
ラジオ体操の場所が変わった。
少し遠くに行かなくては行けなくなった。
兄の友達の女の子(さとこちゃん・二人姉妹)と同じ場所だ。
二人が場所を教えてくれると言っていたが、
多分わかるからいいと言った。
そして朝、走って兄とラジオ体操に向かった。
“新しい朝の歌”が聞こえてきた。
もうすぐだ、と場所を探すが見つからない。
完璧迷って、坂の上から見下ろすと、
広い空き地でラジオ体操をやっているのが見える。
しかし次の日も次の日も、どうやってその空き地にいくのかわからなかった。
お母さんにばれたらは怒られるので、「ラジオ体操行ったよね!」と兄と嘘をついた。
でもその日さとこちゃんたちがうちの前に来て
「何でラジオ体操こないのー!!!」
と大声でいったのでばれた。けど怒られなかった。
146 :
1☆小学二年:02/03/16 08:58
間違えた。妹が生まれたのは一年生だった、、。
147 :
1☆小学二年:02/03/16 09:05
庭にビニールプールをしいて遊んだ。
兄とわたしと妹ではいった。
庭の外を学校の人が通ると隠れた。
プールのあとわたしは裸族を気取って遊んでいた。
したら膀胱炎という病気になった。
味の濃いものは一切食べてはいけなかった。
叔父の海外旅行のおみやげのチョコレートなどは
そのあいだに全部食べられてしまった。
148 :
1☆小学二年:02/03/16 09:12
ラジオ体操の最後の日は景品がもらえる日だった。
景品はそこの近所の子のお母さんが配っていた。
消しゴムとかのかわいい文房具だった。
景品を選ぶとき、そのおばちゃんは
「これは△×ちゃんの、これは□○ちゃんの」
と言って好きなのをくれなかった。
“よそものだからだ・・”と思った。
149 :
1☆小学二年:02/03/16 09:17
ある日夕飯が玉子丼みたいなやつだった。
わたしは玉子丼は嫌いだったので、
いつまでも食べ終わらなかった。
お母さんは怒ってて、洗い物をして二階に行った。
わたしは、おじいちゃんに、
「これたべて〜」
と言って食べてもらった。
二階に行くと、全部聞こえていたらしく怒られた。
150 :
1☆小学二年:02/03/16 09:35
このところ、母はとてもヒステリックだった。
祖父は会社勤めをしていた。帰りが遅くなっても、
帰ってきたら母が食事の支度をしないと祖父は怒るのだ。
ある日母は、帰りが遅い祖父をずっと待っていて、
祖父が帰ってきて「おとうさん、ご飯は?」と言ったら、
酔っ払って、その日は機嫌が良くて、「俺今日いらない」といわれたらしい。
そのことで次の朝、ご飯を食べてるときに、母はおじいちゃんに言った。
「おとうさん、遅くなるときは連絡一本して〜。
ごはん作って待ってるのに、〜〜〜・・・。」
と言った。正直“また始まった”と思った。
母は気に触る言い方をするのだ。
その瞬間おじいちゃんは大声で怒鳴った。
「だったらおまえ、こんな飯いらねぇよ」
みたいなことをいってテーブルの上のごはんを投げた。
母は、何か言おうとしていたが、
おじいちゃんは大声で怒鳴りつづけた。
こわかった。
“お母さん、あんなこと言うから・・”
と思いながら学校で泣きそうになった。
家に帰ると、母は二階で友達と電話をしていた。
夕飯はコンビニのサンドイッチだった。
夜は母が父に泣きながら何かを話をしていた。
151 :
1☆小学二年:02/03/16 09:42
その日から次の日も次の日も、
母はずっと二階にいた。
そして下に聞こえないように小声で話をした。
毎日買ってきた弁当を食べた。
そしてある日引越しをすることが決まった。
そのときわたしは、台風がくるとワクワクするみたいな気分だった。
それまで学校では引っ越した人は二人いて、引っ越してきた人はひとりいた。
トクベツな感じがしたのだ。
152 :
1☆小学二年:02/03/17 06:41
わたしは友達に引っ越すことを言った。
けど、イタズラ好きの友達に、
いつも嘘や冗談を言って遊んでいたので、
狼の少年のごとく、信じてもらえなかった。
153 :
1☆小学二年 :02/03/17 06:43
「今日はさみしいお知らせがあります。○○○さんが
急に転校することになりました。」と教室で先生が言った。
みんなはうそー!ひっこしちゃうの?何で?と口々に言った。
前の席に座っていた友達も「本当だったの?」と目に涙を浮かばせていた。
予定されていたまりこちゃんの誕生日会にも行けなくなった。
その日、みんながわたしに手紙を書いてくれるのと、
手作りのプレゼントを作ってくるのがしゅくだいになった。
先生は、「そうだ、○○○さんもみんなんに書く?」と言ったが、
わたしは作文が大の苦手だったので、「いい、、」と言って首を横に降った。
154 :
1☆小学二年 :02/03/17 06:44
次の日先生はピンクの色画用紙にわたしの顔を描いて表紙を作り、
そしてみんなの手紙をひとつにとじてくれた。
そして手に紙袋を持ち、先生とみんなの机を順番に回って、
手作りのプレゼントをもらった。
いちばん仲の良かった友達のほうを見ると、うつむいて
よれよれのカラーホイル(おりがみ)で何かを作っている。
そして友達の席になったら、そのたったいま作ったおりがみのふねを
紙袋にいれて、またうつむいていた・・・。
帰りの会が終わり、“さようなら”が終わるとみんなが集まってきた。
紙袋を見ると、みんなの手作りのプレゼントの上に
きれいな包みがあった。“あれ、こんなのあったっけ?”
と思って見てみると、一番仲良しの友達がいつも大事にしていた
えんぴつのカタチのケースに入った、6色のペンが入っていた。
友達は一番大事な宝物を持ってきて、けど“手作り”じゃないと
いけないんだ、と思ってさっき先生と周った時には
そのばしのぎでおりがみを作ったのだ
「また買えばいいんだし」
友達は照れくさそうに言った。
155 :
1☆小学二年:02/03/17 07:18
うちに帰ると、母は新しい家の掃除に行っていた。
わたしは部屋でゆっくりみんなの手紙を見た。
“また会える、また遊べる”と思っていたから、
そんなにさみしくなかった。
それに、“新しい友達ができる”と思った。
兄も同じように手紙やプレゼントをもらってきていた。
気付くと仲良しの友達からもらったペンがない。
わたしは走って学校まで戻った。
そして帰ってきた道を念入りに探したが、
どこにもなく、見つからないまま日も暮れてきた。
急にさみしくなって、涙をこらえながら家に帰った。
156 :
1☆小学二年:02/03/17 07:23
次の日の運動会が終わったらすぐ引っ越すことになった。
運動会では変な踊りをやった。船出という曲で、
“雨よ降れ〜船出へ行こう〜風よ吹け〜船出へ行こう〜”
というサビで、新聞紙と厚紙でできたオールを持って、
「よいやさ〜!」という掛け声をしないといけないのだ。
練習する前、先生がこの曲をもって来たとき、
みんな「なにこれ〜!」「へんなの!」と笑った。
「何いってんの、先生これ何回も何回も聞いて、
もう涙がとまらなかったのよ!!」
と先生は言った。
わたしは赤組で、赤組は優勝した。
友達はいつになく優しかった。
家では引越しの準備で忙しく、
「運動会来て」と言ったけど
おじいちゃんすら来てくれなかった。
157 :
1☆小学二年:02/03/17 07:31
運動会の日、教室であゆみちゃんが
あのペンを使っているのを発見した。
「あ!そのペン、、」
と言ったが、あゆみちゃんは
「ひろったの・・。」
と言った。
あゆみちゃんは、きのうずっと一緒に帰ってきて
そのあいだずっと、
「いいなぁいいなぁ、ちょうだい」
と言いつづけていたのだ。
あのペンに間違いないと思ったが、
結局返してもらえなかった。
158 :
1☆小学二年:02/03/17 07:40
そして引っ越した。
引っ越した先は、前より少し田舎だった。
前にも一度来ていたが、新しい家は団地だった。
前近所にあったみたいな14階もある大きな公団ではなく、
5階建ての小さな団地だった。
黒い昔のダイヤル式の電話が置いてあった。
家具はまだ運んでなくて、必要なものだけ
ダンボールに摘めてある状態だった。
159 :
1☆小学二年:02/03/17 07:46
次の日は“体育の日”で雨が降っていた。
母は少しづつ荷物を整理しながら、
「緑は多いし、家が広いと掃除も大変だし、
おじいちゃんに気を使わなくてもいいし、最高〜」
と言っていた。
まえの一軒家にはおじいちゃんと叔父だけが残った。
次の日も雨が降っていた。新しい学校は明日行く事になった。
160 :
1☆小学二年:02/03/17 07:54
次の日、少し時間を遅らせて、母に連れられ
兄と新しい学校に向かった。
兄は荷物が重いー、重いーと言っていた。
兄はランドセルには全教科の教科書、ノート、リコーダーに30cm竹定規をいれて、
手にはさんすうセットとおどうぐばこを持っていた。
「こんな初日に全部持ってこなくていいの!」
と母は怒り、兄は泣いていた。
わたしは教科書とノートしか持っていかなかった。
学校は徒歩15分くらいのところにあった。
161 :
おじいちゃん:02/03/17 07:55
ワシも嫌われてたもんじゃなぁ・・・・。
162 :
1☆小学二年:02/03/17 08:07
学校について職員室に行った。
待ってて下さいといわれ待ってると、
30代後半ぐらいの女の先生がパタパタと走ってきた。
わたしはこの先生につれられ、教室に向かった。
教室に近づくと、ガヤガヤと人の声が聞こえてきた。
先生がガラガラッとドアをあけると、
「転校生だ!」
と誰かが言い、みんな口々に転校生、転校生と言った。
「新しいお友達です。さ、自己紹介して。」
前を見ると、新しい顔ばっかりで、少し恥ずかしくなった。
わたしは名前を言って、〜〜小学校からきました、
よろしくおねがいします、と言った。
みんな嬉しそうにイェ〜イと言っていた。
163 :
1☆小学二年:02/03/17 08:13
休み時間になると、
「どこの学校から来たの?」
「前はどこに住んでたの?」
「どこに引っ越してきたの?」
と周りにみんなが集まってきた。
わたしは緊張した。そして誰かが、
「あの先生すごい怖いんだよ」
と言った。
164 :
1☆小学二年:02/03/17 08:21
初日から給食当番をやることになった。
わたしは一番簡単な“牛乳”をやることになった。
給食室の場所も様子も給食当番のやりかたも違うし、どれが牛乳で、
どれが自分のクラスの牛乳かわからず焦っていたら、
先生が鬼みたいな顔していった。
「前の学校には給食当番は無かったんですか!!」
わたしは泣きそうになった。
165 :
1☆小学二年:02/03/17 08:46
昼休みは、みんな転校生、転校生とめずらしがり、
みんなと一緒に遊んだ。
帰りに先生に、
「あなたは○△団地ですか、グリーンハイツですか、
□◇住宅ですか、B団地ですか、A団地ですか、
×○マンションですか、」
といろんな事を言われた。
わたしは“えーっと、なんだっけ、?わかんない”
ってなってたら、呆れたようにおんなじ質問を何回もされた。
○△団地だけど、グリーンハイツなような気がして
「グリーンハイツです」
と言った。
“前の学校の方が良かったな・・”
と思っていると先生は
「じゃあグリーンハイツの人は一緒に帰ってください」
と言った。
166 :
1☆小学二年:02/03/17 08:55
グリーンハイツも○△団地もおんなじ方面だった。
ほとんどの人はおんなじ方面で、
○△団地の人は大勢いた。
大勢の人と一緒に帰り、
その日、10数人で遊ぶことになった。
家に帰ると兄は部屋でしょんぼりとしていた。
家の前の公園でみんなと待ち合わせをして
そのあと家で遊んだ。
母は友達を沢山連れてきたので喜んだ。
167 :
1☆小学二年:02/03/17 09:11
そのクラスは、“良いクラス”だった。
というか、宗教的だった。
国語の教科書にも特有のアクセントがついた
読み方があった。
新しい学校では学習発表会が近づいていた。
前の学校では文化祭みたいなやつをやったかわりに
今の学校ではこれなのだ。
学習発表会は劇か合奏で、うちのクラスは劇をやった。
なんの劇か忘れたが木こりがでてきて
わたしはウサギの役にいれられた。
ウサギは3人だった。
たいへんだと思うけどがんばってね〜♪ちんぽ。
169 :
1☆小学二年:02/03/18 18:56
学校で詩を書いてくる宿題がでた。
わたしは「詩って何?」って感じだった。
家で親に聞いたけど、わからなかった。
それに黒板に「宿題・詩」と書いてなかった。
(前の学校では書いてあった)
書こうとしたが、書けないまま学校に行った。
次の日国語の授業でノートを集めなかった。今日は集めないのか・・・と安心した。
しかし帰りの会のときに、うしろからノートを集めてきてください、と言われた。
わたしは出さなかったし「忘れた」とも言わないで帰った。
次の日、帰り会のときに先生ゆっくりとあきれた口調で言った。
「○○○さん、ノート、出しましたか?」
わたしは黙った。クラスはシンとした。先生はもういっかい言った。
「○○○さん、ノートは出したんですか?」
「・・・出しました」わたしは嘘を言った。
すると先生は周りの人に、
「○○○さんのかばんにノートがあるか調べてください。」
と言った。隣りの人と前の人は、わたしのランドセルのなかを調べ、
「ありません。」と言った。本当はランドセルの中にノートはあったが、
この学校では決められた‘ジャポニカこくご10マスノート’を使っていたので、
黄色いのが国語のノートだと言うことに気付かないかったらしい。
170 :
1☆小学二年:02/03/18 19:15
しかしわたしは折れて、「あった」といってノートをだした。
帰りの会が終わったら先生に教卓の前に呼ばれた。
教卓の上にはわたしのノートがあった。
怒られると思ってうつむいた。
いろいろ言われたけどわたしはうつむいて黙っていた。
先生はノートを開いた。詩を書こうとして何度も消した跡をみて言った。
「こうやって書こうとするのはいいことなのよ」
171 :
1☆小学二年:02/03/18 19:29
次の日も詩の宿題がでた。
詩と松○くんの「みのむし」という詩を書き足すのが宿題だった。
朝ノートを出して、国語の時間にいいやつを先生が読んで、
そのなかに自分のも入ってた。先生はいつも宿題や提出物に
二重マルか、三重マルか、花マルか、花マル茎つきか、花マル植木蜂つき
を赤ペンで書いた。植木蜂つきが一番いいのだ。
詩や作文のときはいつも自信はなかったけど植木蜂つきをもらえた。
172 :
1☆小学二年:02/03/18 19:38
ある日1時間目が学習発表会の練習で、
体育着に着替えて体育館にいたが、先生が来ないからみんな遊んでいた。
ずっと遊んでいると、誰かが練習してようと言った。
そして準備をしてると先生が体育館にはいってきた。
先生はみんなが自分から練習しようと言い出すまでの様子と時間を淡々と言い、
「1時間目が始まって、みんなが練習の準備が終わるまで、○○分かかりました」
とあきれたように言った。
173 :
1☆小学二年:02/03/18 20:44
このクラスでは、「先生が来た!」と言ってはいけなかった。
「先生がいらっしゃった」と言わないといけないのだ。
174 :
1☆小学二年:02/03/18 20:46
学習発表会で使うウサギの耳を作ってくるになった。
わたしはベタ塗りがよくわからないで、
水塗りの耳を作ってしまった。
175 :
1☆小学二年:02/03/18 20:53
このクラスでは、明日の持ち物や宿題が黒板に書かれなかった。
授業中に先生の話をよく聞いて覚えておかないといけなかった。
宿題や持ち物を忘れたら、朝のうちに用意してある小さい紙に
忘れたものを書いて、先生の机の上に置いておかないといけなかった。
重要なものを忘れるとかなり怒られた。
紙は学期末に配られ画用紙に貼って、ひとつひとつ親に印鑑をもらって
また提出する事になっていた。
わたしは
ランドセルごと忘れたので、先生が怒りを通り越して卒倒した。
177 :
1☆小学二年:02/03/19 23:37
1週間後、おじいちゃん家(もともと住んでた一軒家)に行った。
おじいちゃんは、
「○○たちの家なんだから“ただいま”って言いなさい」
と言った。
178 :
1☆小学二年:02/03/20 12:12
わたしは毎日、
“今日も忘れ物してるかもしれない”
“聞き忘れがあったかもしれない”
と恐怖に近い不安におそわれた。
179 :
1☆小学二年:02/03/20 12:21
母はわたしの事を、のんきでマイペースな子だと思って
挨拶のときは必ずそう言った。
「のんきでマイペースな子ですが・・・
いつか芽が出るのを信じて
あたたかく見守っていきたいと思います」
・・・・
180 :
1☆小学二年:02/03/20 12:50
母はわたしの友達がきても、いつも能天気な子だと言った。
母がそう言うからわたしは自分が能天気な子なのかと思い、
能天気な子を演じるようになった。
ある日、ある女の子と遊んだ。
その子は家に遊びに来ても、家のお母さんとばっかり喋っていた。
お母さんはあいも変わらずわたしの事を能天気でバカな子であると話した。
加えて、食いしん坊だとも言った。
それからその子と遊ぶと、いつもバカにした感じで食べ物でつったりするから
嫌だと思っていたのに、なぜかわたしはつられて遊んでいた。
私が能天気なフリをすればなんとなくその場がなごむと思っていたのだ。
181 :
1☆小学二年:02/03/20 12:53
母は公園に1歳の妹を連れていった。
その公園に来てる主婦の人たちと友達になっていた。
隣に住んでるおばちゃんはちょっと干渉っぽいが
いい人だった。
182 :
1☆小学二年:02/03/20 13:08
ピアノ教室に行く事になった。
先生は同じ団地に住んでる人だった。
母は、
「この子が“お母さん、これやりたい”って自分から言って
チラシを持ってきたんです」
と嘘をいった。本当は母がチラシを持ってきたのだ。
183 :
1☆小学二年:02/03/20 13:26
引っ越してから、ますます母に怒られるようになった。
毎日のようにわたしがいかにできない子であるかをことごとく説明された。
そして、わたしと兄とまったく同じように育てたのに、と必ず言われた。
だからわたしは自分が“だめなやつ”なのだと思った。
学校でもどこに行っても、“だめなやつ”と言われてるような気がした。
努力する希望すらわかなかった。
努力して毎日楽しそうにしてる子は、生まれた星がゼンゼン違うのだと思った。
わたしは“だめなやつ”なので、努力しても無駄だと思った。
わたしは7歳にして人生に失望し、この時の将来の夢は“おばあさん”だった。
早くおばあちゃんになって一人で鎌倉とかに散歩に行きたいと思っていた。
184 :
1☆小学二年:02/03/22 10:59
と表面的には暗かったわけではない。
脳天気でおもしろいところが唯一良いところと思ったので
わたしはそのように振舞った。
185 :
1☆小学二年:02/03/22 11:15
ある日先生に呼ばれた。
代本版を持ってきてくださいと言われた。
わたしは持ってないといったら、
「じゃあ、前の学校ではどうやって本を借りていたんですか!!」
いってと怒られた。
186 :
1☆小学二年:02/03/22 11:20
わたしはいつのまにか“できのわるいやつ”として開き直っていた。
ある日図工でラッパを作るために使うストロー一本を忘れた。
ストローごときで非常に怒られるので、ストローを忘れた事を隠し通した。
ストローで笛を作り、それを色画用紙とおりがみでラッパ形にするのだった。
わたしは色画用紙でラッパを作っていたら、先生がきてわたしのラッパを取り上げた。
ストローがついてないのがばれないかヒヤヒヤした。
先生はラッパをみんなに見せて、デザインが工夫してあると言って返してくれた。
187 :
1☆小学二年:02/03/22 11:38
音と合図を調べる宿題がでた。
わたしは友達と宿題をやった。
次の日、一人ひとつずつ音となんの合図かを発表することになった。
前の人「リンリン・電話」とか言う度に、いうやつがなくなってきた。
前の人で黙りこんで泣き出す人が数人いた。
「前の人に全部言われてしまいました」
のひとことが言えなくて、怒られると思っているのだ。
その前に「ピーピー・乗用者がバックする時」と言った人が
そんなの聞いた事ないといって怒られてたのでみんな緊張していた。
わたしは一番最後だったけど「ブー・ガス漏れ警報機の合図」
という誰もいわなそうなやつがあったので大丈夫だった。
全部終わって先生は、
「転校生の○○○さんがこんなにはっきり言うのに、
あなたたちはなんですか!!」
といって怒っていた。
188 :
1☆小学二年:02/03/22 11:45
先生は怒るけど嫌われてるわけではなかった。
むしろ信者のように先生、先生といわれていた。
ひとりひとりをちゃんとみてるからだと思った。
でもかなり疑り深かった。
age
1さん早く書け。続きが気になるぞい。
191 :
名無しさんの一日:02/03/24 03:27
これ読むと俺の今まで生きて来た思い出が蘇る。
ハヤクカケ ageageageageageageageageage
オモロイ
なんだ...
1さんはこのスレを子供の頃のアルバムや日記を見ながら書いてるに300ガロン!
196 :
1☆小学二年:02/03/27 11:49
わたしはだれのことも好きじゃなかった。
みんな先生に怒られないようにと良い子ぶってると、
しらじらしいと思った。
兄も母に怒られないように良い子ぶってると思った。
197 :
1☆小学二年:02/03/27 12:28
ある日、社会でバスごっこってやつをやった。
その前に授業でバスの事を調べたり聞いたりした。
当時バスの子供料金は90円だった。
先生は、
「十円玉や百円玉のかわりに1円や5円をいれても、
ばれてしまいます」
といっていた。誰がいれるんだろうと思った。
当日は机を四角く並べた。運転手席の所に先生が座り、
「ブーン」といって運転するフリをしている。
前の学校でやったお買い物ごっこのほうがマシだと思った。
この日のために、立派な料金の箱と回数券を作ってきた人がいた。
回数券がシートの上に落ちて、そのシートを割り箸で巻くと
回数券が箱のなかに流れ落ちるのだ。
しかし料金箱は先生が乱暴に扱ったのでバスごっこの前に
壊れてしまった。
198 :
1☆小学二年:02/03/28 19:52
わたしは誰の事も理解しなかった。
誰に対しても苛立ちを感じた。
そんな自分をますます“だめなやつ”だと思った。
でもどうしようもなかった。
わからないフリをして“脳天気な自分”に逃げた。
199 :
1☆小学二年:02/03/28 20:10
日曜日は嫌いだった。
朝、母がヒステリックなのだ。
「家事をするのにジャマ、
手伝いのひとつしない
日曜日なんてなくていい」
と言葉を変えて毎週、繰返し、繰返し言い、
夕方かならず
「一家にひとり、口うるさいのがいないといけないんだよ」
と誇らしげにいうのだ。
200 :
1☆小学二年:02/03/28 20:40
母は父をけなした。
父はけなされてもなんにも言わなかった。
“うるせー”と言って話しを聞かずに寝たり、どこかに行ったりしていた。
父は、祖父(父方)と暮らしていた頃は
ご飯を食べる時に背筋をピンと伸ばしていたのに、
引っ越してからは膝を立てて、食べ終わったらすぐに寝ていた。
母は父の事を、“牛”と呼んだ。
そしてお父さん似のわたしのこともけなした。
わたしは父似で、のんびりしていて、怠け者で、
甘い物が好きで、食いしん坊で・・などといった。
でも母は、他人には自慢したがるし、
他人がわたしをけなすと
201 :
1☆小学二年:02/03/28 21:11
わたしはこのとき、“親が正しい”と思っていた。
自分の“意思”というものはなかった。
あったにしても、“わたしの意思は「だめ」である”と思った。
とにかくわたしは、いつでも脳天気なフリをした。
そうしないとわたしはそこにいられないと思った。
(= д =)ときどきある書きかけで終わってる文はわざとなのーか・・・?
すみません、1さんにひとつだけ質問させて下さい
俺、このスレ読んで1さんがひょっとしたらおれの探してる人
なのかもしれないってずっと思ってました。違うかな・・・?
(ご本人なら202のname欄とレスで俺が誰だかわかると思います。
もしそうだとしても別にどうこうするつもりはありません。
ただ彼女が今でも元気にしているか、ずっと気がかりだったので・・・
是非ともお答え頂ける様お願いします。
スレの雰囲気を乱すレスして誠に申し訳ないです。
でもここで聞いておかないと一生後悔すると思ったんで。
<<202
<<202
入力ミスです・・。
<<203
違うと思います。ごめんなさい。。
207 :
7 ◆777sHKOE :02/03/31 13:30
ニシエヒガシエ
わざとだぞう!
209 :
1☆小学二年:02/03/31 13:51
学校が20周年記念で、風船とばしをやることになった。
授業で風船につける手紙を書いた。
手紙には、“20周年”“おてがみください”のふたつを
書かないといけなかった。
先生が周って、ある人の書いた手紙を読んだ。
「この学校は緑につつまれたとても良い学校です」
わたしは鼻で笑った。
みんな“緑につつまれた学校”と書いた。
わたしもそう書くことがないから、そう書いた。
210 :
1☆小学二年:02/03/31 14:07
手紙が書けない人は、宿題になり、
次の日教卓の上に提出した。
風船とばしの日、教室で風船が配られた。
風船には自分が書いた手紙が貼ってあった。
配り終わると、ある人の風船がなかった。
先生はその子に、
「手紙を出さなかったんですか!」
とキレてかかった。
その子は宿題を出さない子ではなかった。
むしろ色鉛筆で誰よりもきれいにぬってくる子だった。
その子は「出しました」といって泣いた。
手紙は別の子の風船についていた。
名前がすりかえられていた。
わたしの隣りの席の人は風船とばしの前に
風船が割れてしまったので、泣いていた。
211 :
7 ◆777sHKOE :02/03/31 14:16
やるせないねぇ風船とばし
212 :
1☆小学二年:02/03/31 14:17
名前をすりかえた女の子は極悪人のように怒られていた。
その子の気持ちもわからないでもなかった。
宿題を忘れると、本当に憂鬱なのだ。
宿題を忘れた事を一日でも黙ってたりでもしたら、先はないのだ。
先生はみんなの前で、名前をすりかえるまでのいきさつと反省を
一部始終正直に、作文に書いて、親に見せて印鑑をもらってきて下さい。
とその子に言った。
そして毎日、毎日昼休みは説教をされていた。
213 :
1☆小学二年:02/03/31 14:33
学校帰りは、いろんなひとと一緒に帰った。
名前をすりかえた子もその中にいた。
ある女の子がうしろから走ってきて、
「○○ちゃんが、○○ちゃん(すりかえた子)のことたいへんたいへん嫌いよ、
っていってたよ!」
と言った。(このクラスはみんな変な喋り方)
すりかえた子は、黙っていた。
わたしはそのとき、国語の教科書を変な風に読む人は
全員引っ越さないかと関係ないことを考えていた。
214 :
夢見る名無しさん:02/03/31 14:53
(゜д
215 :
(こせがえ(202、203):02/04/01 21:33
>>205 ありゃ、違いましたか・・・これはどうもすみませんでした。
思い込みが激しいたちなもんで・・・
このスレ読んで、おれも子供の頃の記憶がいっぱい蘇りましたよ。
1さんの文章、とてもわかり易くてオモロいです。
これからもがんばってね!では、重ね重ね失礼しますた!
オモロイ age
過去を見つめなおして
またもう1度、頑張ろうと思った。age
名スレですね。
ギャグ1つ無いのに何故こんな面白いのだろう。。。
1さんの文最高です。これからも頑張って下さい。
219 :
夢見る名無しさん:02/04/07 14:55
age
ずっと前に知り合いとテレビゲームの人生ゲームをやったら、私そのものだった。
くやしい・・。
221 :
夢見る名無しさん:02/04/13 08:23
定期あげだ馬鹿!
っていうか1よ、どこ行ったんだ。
222 :
夢見る名無しさん:02/04/13 08:37
ワシなんかもう23歳だ青春さいなら〜
223 :
夢見る名無しさん:02/04/13 11:50
もう三十路もおわる
1よ、早く帰ってきなさい・・・・。
1さんが帰ってこないので
誰にも頼まれてないけど私の話します。
私は4月から中学生になりました。
まだ、部活もきめてないし、
6年のころ転校してきたから知ってる先輩はいません。
知ってる人いないし、生意気な性格なので
先輩にいじめられないかびくびくしてます。
1さんと比べたら、文章下手ですが
私の人生語らせていただきます。
私の1番古い記憶は2歳くらい。
そんなに覚えてないけど
このスレもいてたら思い出してきました。
私は。2歳のころ2ヶ月くらいカナダに住んでた。
そのとき、誰かの家に庭に木でできた小さい
家みたいのがあってお母さんに写真とってもらた。
そのあと、兄(3歳年上)と
草むらを走っていたらお漏らしをした。
お母さんは
「あらら。」
といって笑っていた。
227 :
夢見る名無しさん:02/04/18 03:56
春休み終わって忙しいのかな?やっぱ。
228 :
夢見る名無しさん:02/04/18 17:58
このスレは時々、いろんな人の話を聞きながら1を待ちわびるスレに変わりました。
最近、よく過去を思す。
どこから、書けばいいのかわからん。
230 :
夢見る名無しさん:02/04/19 16:14
まあ、思い出した事を適当に書いてくれ。順番とかはどうでもいいよ。
>>230 わかりました。
幼稚園のころの外遊びかで
自分の作ったお面かぶって踊るやつで
私はうまく絵をかけなくて落ち込んでいたら
先生が2人で一緒に新しくつくってくれた。
先生が
「2人の内緒だよ。」
といってくれてうれしかった。
話がものすごくとぶけど自分ってだめなやつだなと思う。
1さんは、どこにいったんですか?
ageてみます。
1さんいなくなっちゃったの?|´д`)
236 :
夢見る名無しさん:
age