*彼に出会ったのは秋晴れの日曜の事*
窓から青空を切り取ると、断片雲が流れていっている。
それもものすごい速さで。
上空は地上と違い、風を沢山はらんでいるようだ。
秋の天気は変わりやすい。
まだ午後3時前だけれど、日も暮れるのが早くなったことだし、
hは布団を取り込むことにした。
壁を隔てた向こうからは、隣人の洗濯機の音。
布団を抱えたhと隣人の距離は、ほんの1メートルにも満たない。
思い切って、顔をあげたhの目に飛び込んできたのは、
ニットキャップを少々目深に被った、青年であった。
青年は凝視するでもなく、しかし興味があるような雰囲気を漂わせ、
こちらを見ている。
hは、自分が顔をあげたことを少し後悔した。
続き楽しみにしてます。
保守
革新
*次に会ったのは夕暮れの帰り道*
日曜日は雑用の日だ。
休日だというのに、早起きをし、
午前中のうちから、家事に精を出す。
hの部屋は、風通しのよい部屋であった。
窓を開ければ、風が舞い込み、
前日までの、詰まってしまった空気を押し流すように、
新しい風は、部屋を優しく包みこむ。
午後からは、次の休みまでのために、食料を買い込んだり、
少々休憩して、昼寝をしている間に、hの休日は過ぎてゆく。
「それでいいのだ」
hは、自分の休日に満足していた。
その日曜は、大変夕暮れが綺麗な日曜だった。
いつもの様に、袋いっぱいに食材を買い込み、
hは夕暮れを眺めていた。
「大丈夫ですか?」
声の方に振り返ると…。
彼だった。
「あ…ええ」
hは一瞬言葉を失った。
声のトーンで、自分が緊張しているのが分かり、
余計に恥ずかしくなった。
「持ちましょうか?」
「い…いえ」
hには、そう答えるが精一杯だった。
家までは、ほんの数歩。
彼は、hに軽く会釈をすると、
アパートの駐輪所で、バイクにエンジンをかけた。
「…どうも」
階段を上がる前に、hは本当に聞こえるかどうかの声で、
彼にあいさつを送った。
良いね。
うん
*赤い花は 鶏頭*
日が短くなってきた。
たまには、太陽が真上にある時間に、外に出てみるのもいいだろうと、
hは外へ出て見たのだが、一人では特に行くあてもなく、
結局、まだ日の高いうちに、自宅へと辿りついてしまった。
窓を開け放して、ベランダで一服する。
ぼんやりと、空中に蚊柱。
路肩には、力強く咲く鶏頭の花。
お隣りの家の塀の上では、鳩が仲睦まじく並び、
庭の木々が、紅葉し、重なりあって、乾いた音を立てている。
目下に見えるのは、畑。
老人と孫だろうか?
老人は、熱心に畑の手入れをしていた。
子どもは、退屈そうに、畑になってる芋の蔓を弄んでいる。
「こら!」
からかうような声の方に目を向けると、
隣りのベランダには。
彼だ。
子どもはこちらを一瞥したが、さして気にも留めずに、
また芋の蔓を弄り始めた。
彼は、真っ赤なニット帽を被った頭をこちらに向けると、
「最近の子どもはかわい気がないな」
と、軽く笑った。
「こんにちわ」
「こんにちわ」
「素敵な色の帽子ね」
「そう?安かったよ」
「まるで…ほら」
私は路肩の方を指差した。
「鶏頭みたい」
うん。
あむあむ・・・
*帰り道*
家路を急ぐ人の波の中で、hはひどく疲労していた。
きっかけは、こうだ。
昼間のことである。
金曜の午後にもなると、同僚たちは、今晩の予定をそれとなく話出し、
少々浮き足立っている。
そんな人々をよそ目に、いつもの様に、hはオフィスで淡々と仕事をこなす。
「hさん」
隣に座っていた、同期の男が話しかけてきた。
大して、仲の良い人間のいないhにとって、
数少ない、気軽に話を出来る人物である。
並んで仕事をしながら、他愛のない話をした。
「年末だね」
「今年一年、あっという間だったなあ」
「本当に何もない一年だったよ」
hは、ため息混じりに少し笑った。
「hさん」
「はい?」
「今だから言うけど」
「うん」
「俺、hさんのこと好きだったんだよね」
「そんな事、今言われても困るし…」
今まで、何とも思っていなかった人物からの、突然の告白を、
hはどう受け止めればいいのか分かず、そう返すのが精一杯だった。
男は「そうだよね」と軽く笑うと、
そのまま席を立って、どこかに消えた。
帰り道、何度か昼間の場面を頭の中で反芻して、
hはひどく疲労していた。
金曜の駅に群がる、家路を急ぐ人々の波が疎ましい。
吸いこまれてゆく、改札の人だかりの中に、
ゆらゆら揺れる、真っ赤なニット帽。
彼だ。
足早に近づいて、しかしどうすることも出来ずに、
hは彼を追い越す。
「こんばんわ」
ざわめく中で、はっきりと彼の声を聞いた。
振り返ると、やっぱり彼がそこに立っている。
分かっていて、声をかける事が出来なかった自分を、
hは恥ずかしく思った。
「免許、取るんですか?」
すっかり陽も暮れて、電灯の灯る道を並んで歩いている。
彼が小脇にかかえていた、教習所のパンフレットが目についた」
「ああ、ええ…通おうと思って」
「いいですね」
「もってないんですか?免許」
「ええ…」
家はもう目前。
いつも歩いている道は、こんなに短いものだったのかと、
hは少々がっかりした。
「では…」
玄関の前で、軽くお辞儀した。
「あの…」
ノブに手をかけたところで、彼が声をかけた。
「免許取ったら、どこかに行きませんか」
それは、思いもがけない言葉だった。
「ええ…」
hははにかんで、一礼すると、彼はこう続けた。
「俺、kって言います」
彼もはにかんで、一礼すると、扉の中へ消えていった。
扉を閉める音が、いつまでもhの耳の奥に残っていた。
うむ