神戸事件の謎に迫る(2)

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265須磨厚久
>235(鏡氏)
 解剖所見では死因を「扼殺による窒息死」と断定している(神戸新聞7/8)。にも拘わらず決定要旨では「扼殺」か「絞殺」か分からないよう曖昧にされているのだ。殺害方法と死因は直結しており、この場合、死因から殺害方法を割り出しているのだが、それが供述にある殺害方法とマッチしていないのである。用語の問題以前の矛盾である。もっとも、A少年の供述などアテにならないというのは共通の認識だから、この際、よしとしても、家裁が同じ矛盾を引きずったまま、決定要旨を書いていることは、重大な問題であると思うのだが、いかがか?

 決定要旨の殺害経緯は、かなり要約されており、ポイントのみしか記述されていない。その行間にある「細部」をどのように解釈するかが推理なのだ。「格闘の模様が書かれていないから、格闘はなかった」ことを認定した…と読むのは早計だ。もちろん、君の言うように「家裁決定要旨から、激しい格闘の末、殺害したとは、いいきれない」ことも重々承知しているが、「格闘はなかった」とも言い切れない。私は、決定要旨の文脈が供述の殺害経緯を追認していることから「言い切ってはいないが、格闘があった事実をほのめかしている」と解釈したのである。たとえばの話しだが、もし決定要旨に「右腕を首に巻いて締め付け、淳君を失神させた」という一文があれば、「あー、格闘はなかったんだな」と理解できるのだが、そのような記述はなかった。君は「決定要旨」のどこから「格闘はなかった」と読み取ったのであろうか?