神戸事件の謎に迫る(2)

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2須磨厚久
649 名前 須磨厚久 Mail: 投稿日:2001/07/23(月) 13:18
>>643-644(鏡氏)
 結局のところ君にとっては、「A少年が自白している」「弁護団が事実関係を争っていない」「抗告がなされず処分が決定した」という3つの事実が「決定的証拠」と同等の価値をもって「A少年が犯人である」ことを示していると見るわけだ。それゆえ、事件の経緯について犯人を固定した仮定で説明さえつけられれば、決定を疑う理由もなるなると言いたいのであろう? しかし私は、それらの事実が「決定的証拠」と同等の価値を持つとは考えていない。それらは事件を解明する上で、ひとつの判断材料となる事実にすぎず、事件そのものの経緯に関する情報と同等の価値しか持たないのだ。君はそれらの根拠を過大評価していると言わざるをえない。
 A少年が無実であるにも拘わらず、自白するという可能性は充分にある。過去の冤罪事件の大半が「自白事件」であったことを見ても、自白を疑う根拠は認められるだろう。さらに、少年審判が事実認定について、看過しがたい不備を持っていることから、「係争なき冤罪事件」が起こる可能性は高い。もちろん、比較で見れば冤罪でない審判の方が多いだろうと思ってはいるが、少年審判の手続きに沿って下された決定が、「手続きを逸脱していない」からと言って、「疑う余地のないもの」とは決して言えない。
 そこで、もうひとつの論点が浮かび上がる。すなわち、「家裁決定を翻すに足りる情報、証拠が開示されていない」ということだ。この点は私も同意する。A少年の無実が証明できるのであれば、冤罪説は展開しないで、法廷闘争に持ち込む。私が言うのは「家裁決定を疑うに足りる情報」があるにも拘わらず、なぜ真相究明を諦め、検証を放棄するのか?…なのだ。
 君は「証拠が開示されない限り、真相の完全な解明は無理である」という。それはそのとおりなのだが、私には君が「証拠は開示されない方が望ましい」と言っているように聞こえるのだ。君の言う「証拠開示の障害」は、法的にも実務的にも、とうてい納得できるものではない。あきらかに拡大解釈だ。実際、もし開示が困難であるのなら、その理由をなぜ、警察も裁判所も弁護団も検察も説明しようとしないのか?
 ここで改めて聞きたい。君は「犯人特定の証拠(プライバシーに抵触しない範囲で)」が開示されるべきだと思うか、そうは思わないか? 私の主張は前に述べたように、少年事件で社会への脅威が些細なものについては、当事者さえ納得できるなら、それほど厳正にする必要はなく、処分少年の将来を第一に考える少年法の理念に賛成である。しかし、神戸事件については、「犯人特定の証拠開示」を要求することが、我々の当然の権利であると考えるし、法的実務的に障害はないと理解するのだが、君はどうだろうか?
 「立証責任」について、君は裁判所への立証責任のことを言っているのであろうが、私は社会(=我々)への立証責任を問題にしている…とだけ言っておく。