神戸事件の謎に迫る(2)

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87須磨厚久
>>40(鏡氏)
 ひょっとしたら、前にも聞いたかも知れないが、つまり君は「検面調書が『犯人をA少年と確定する』証拠としては『でたらめ』だ」というご意見なのだろうか? 素直にとれば「犯行の事実は調書から読み取ることができない」とおっしゃっているように聞こえる。とすれば、君はあらゆる証拠(らしきもの)の検証価値を認めず、単に「逮捕」「自白」「非行事実認知決定」「係争なし」という、国家機関の判断結果のみを根拠に「A少年=犯人」と信じていることになる。後でもう少し詳しく書くが、私はこれを「盲信」と呼ぶのである。

 実際は無実であっても「勝ち目がない」と判断したとき、係争せず緩刑を勝ち取る道を選ぶ被告は成人でも居る。自白が情状の要素として認められているからだ。発覚した冤罪事件でも、容疑者が取り調べの過程で、いくら無罪を主張しても信じてもらえないうえに『シラを切りとおせば、刑が重くなるぞ』と脅されて、身に覚えのない自白をしたケースが目立つ。「司法が事実を解明してくれない」という不信感が生み出した冤罪だと言えよう。
 A少年の場合、まさに君が言うように「決定的証拠を警察が掴んでいる」と思い込んでいた。筆跡鑑定書である。これがある限り自分の嫌疑を晴らすことなど不可能と思ったはずだ。身に覚えがあってもなくても同じことである。「争えば裁判所の心証を悪くし、刑が重くなる…」。A少年がそういうプレッシャーを受けていたことは想像に難くない。もちろん筆跡鑑定の偽計は後に露呈したわけだが、今度は「自白した以上、無罪になる可能性はない」と普通の少年なら考える。「自白が有罪の証明ではない」という法的知識を15才の少年が知っていたとは思えないのだ。
 君の言う「争えばどうなるか…」は、有罪であろうと無実であろうと「争うのは損」と思わせるに充分なプレッシャーである。特に被告が少年の場合、そのプレッシャーはより強力になるだろう。非行事実が認定されても、刑事罰は受けないのだから、できるだけ心証を良くして懲罰性の低い処分に持ち込むという戦略は、無実の場合にもありうるということなのだ。「無実なら(例外なく)争うはず」という君の主張がいかに一面的な理解でしかないか、このことからも分かると思う。
 「決定的証拠」が実際にあるのかないのかに関わらず、それがあると思わせるだけで、無実の人間から自白を引き出せるし、係争を諦めさせることもできるのだ。いつも君が言う「決定的証拠があったとして…」という前提で考えることが、事実認識を誤らせる元であることを、ぜひ理解して欲しい。