神戸事件の謎に迫る(2)

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もっとも、最初、須磨氏は2.3.については違う考えだったんですよね。

最初の主張は
2.調書は真実(と信じられている事)が記載されるものである
3.証拠が開示されないのは、証拠が存在していないからである
であり、これを前提にすれば、
矛盾のある(デタラメな)「調書」のみで事実認定がなされたことになりますから
「冤罪」の「確信」ということも、あり得るでしょう。

ところが、話しが進んで、その前提が崩れたのに(自ら崩したのに)
なぜか「確信」そのものは変わらず、個々の矛盾点だけを気にしている。
これはどう考えてもおかしいと思いますよ。