神戸事件の謎に迫る(2)

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266須磨厚久
>>236(鏡氏)
 法律の専門家の間でも、解釈の違いがあるということなら、君の言う「法律家にとっては常識だから、説明なんてしない(>>42)」という前言は取り消される…と言うことでよろしいのだろうか?

 証拠開示がなされないこと自体は、「A少年=犯人の証拠がない」ことを意味していない…これは、当然の話しである(もちろん同意している)。だが、同じ理屈で、非行事実が(証拠開示なく)認定され、係争がなかったこと自体は、「A少年=犯人の証拠があった」ことを意味していない
と言えるのだが、君はこれに同意されるや否や?

>>237(鏡氏)
 適正手続きの趣旨から慎重でなければならない…というご意見には同意するが、通り魔事件の被害者に人物特定をさせるため、生徒の集合写真を捜査機関に提出するくらい、校長の判断で構わないと私は思う。そこに「人権侵害」の要素は、ほとんど見い出すことが出来ないのだ。

 私は「状況証拠」の定義を言っているのではない。「状況証拠が揃っている状態」についての話しをしている。物証がなくても、ほぼ犯人であると確信できるだけの状況証拠が揃っていたのならば、尋問によって自白を得られる確信、および家宅捜索によって物証を得られる確信があったはずなのに、自白を得るために偽計を用い、(令状をとっての)家宅捜索前に長時間の取り調べをしている、のみならず、捜査側に家宅工作とすら疑われる動きがあったとなれば、「状況証拠すらなかった」と考えられるのではないか?

 記者会見が午後9時すぎであり、捜索が午後5時に終わっていたのだとすれば、デスクで報告待ちの課長ですら、凶器についての詳細を報告させるだけの充分な時間的余裕がある。にも拘わらず、そんな基本的なデータすら持ち合わせず記者会見に望んだのなら、山下課長はとんでもない「無能」警官だ。私は山下課長をかばうわけではないが、家宅捜索開始の時間が午後6時50分ごろであり、山下課長には、凶器の基本データを取得する時間的余裕がなかったのだと推理している。すなわち「地獄の季節」に記述されている「午前中からの家宅捜索」は、取材を受けた捜査関係者の勘違いであり、実は「家宅工作」だったと見るのである。