神戸事件の謎に迫る(2)

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168やま
155のつづき
では、犯人のメッセージとは何だったのかという問題が起こってきます。
しかしその前に、私が土師守著『淳』を読んで気になった部分をいくつか挙げておきます。

まず、これはすでに多くの方が指摘している点ですが、警察が著者(土師守氏)に対して、「淳君は犯人に対して、何らかの抵抗をした痕跡がまったくない」と言っています(p100)。これはA少年の供述調書の、淳君と激しく格闘した上に殺害したという言葉と矛盾します。どちらかが間違っているに違いありません。もし著者の言葉が正しく、供述が偽りなのであれば、「淳は顔をよく知っている誰かに連れ去られ、こんな目にあったものとしか私たちには考えられませんでした」(p100)という著者の言葉が説得力を持ってきます。ちなみに、初期の報道ではやはり遺体に外傷や着衣の乱れはなかったとされています。

しかし、ここで気になるのは、被害者の両親がそこでこう付け加えていることです。

「だから、その犯人が大人であるとは思えません。淳は相手が顔見知りでも、それが大人だったら、誘われても決してついていかない子でしたから…」(p100)

ここで早くも氏が犯人を「子供」と判断していることに注目せざるを得ません。当時、A少年が逮捕されるまで、犯人が子供であるなどと推理した人は日本中探してもほとんどいなかったはずです。