兵庫県タクシー運転手殺害16歳少年少女逮捕

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325名無し
>>323
「親の責任」といえば、確かに世間的には納得できるように思え
る。
ただ、本当に親の責任といえるのかがやや疑問。

神戸の事件のときには、(中学生だったということもあって)親の
責任が問われたが、あのときの、なんというかマスコミが作り上げ
た「親よ,出て来い」という雰囲気にあふれた舞台装置は,かなり
怖かった。

誰もがサカキバラ少年の親の立場になりうる。
そして、少年の親にどのような落ち度があったのか,それを指摘す
るのはかなり困難ではないのか。
子供が猫を殺したら、次は人を殺すかもしれないことを察知せよ、
などとは言えないだろう。
もちろん、多少の非行の兆候はあったわけだから、それに適格に対
応すべき最善の行動というものを想定して、それに欠けていた部分
を事後的に指摘することは不可能ではないだろうが、そのような最
善の行動を人間が常時継続することなどおよそ不可能だ。
まして、自分が注意を欠けば、子供たちは殺人を犯すかもしれない
などと想定しなければならないとするのは、あまりにも困難を強い
ることといえるのではないか。

事件を起こした少年たちの親にならなかったことに感謝しつつ、人
は他者にももう少し寛容になれないものか。


ごめんなさい、今日はちょっとこれで失礼します。
みなさんのタフなのには、ほんとに驚いています。