何をしようが「いじめ」は無くならんのか?

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103少年法により名無し
社会全体で見ればいじめは構造的に不可避なもの。
ある程度、1カ所に人が集まって何かをしようとするなら
強度の差はあれいじめは発生する。社会構造上の欠陥みたいなものだ。
もちろん必然だからと言って(個人の立場として)不可避ではない。
その社会構造の中で、最も弱い立場にならなければ回避できる可能性は高い。

この現状を改善するためには、
そもそも組織的な活動を無くしてしまえばいいが、
そんなことはコスト的にも効率的にも出来ない。
ならば、弱い立場にある人間に組織的ストレスが集中しないような
新しい組織構造、社会構造を生み出すか、
支払う必要のあるコストとして受け入れるか、このどちらかだろう。

なお、いじめられる側の責任を問うのは物事の構造を理解していない。
「たまたま」自分に組織的ストレスが集中しなかっただけの話だ。
もし、自分にも降りかかるかもしれない事柄として皆が自覚できるなら、
それを避けることも出来るはず。
ハインリッヒの法則をもとにしたヒヤリハット運動みたいにね。
いじめられる側の出来ることは、組織的ストレスの集中する場所にならないようにすること、
いじめる側の出来ることは組織的ストレスを増やさないようにすること、これらが大事。
104少年法により名無し:2010/12/29(水) 10:38:05 ID:rPrvIv1z0
>>103
でも、これは社会の構成員がある程度の知識があり、判断力を持つことが前提。
人間的にある程度の成長が望めない子供ではこれは望めない。

ならばどうすべきか。
子供を個人教育にして組織的ストレスのない状態に置くか、
ストレスの発露が生じない状況を作り出すか、
発生しうるリスクとして受け入れるか、のどれかだろう。

はじめの案は学校を全て個人教育にする、と言うようなもので
コスト的にまず不可能。逆に教育の不均衡が生じる。
二つめは、学校施設の管理をより厳重にしようと言うもので
大幅な人員増を行う必要があり、費用的に受け入れるか疑問。
最後の案は、いじめは起こりうる、と言う認識のもと対策することになる。
一つの案としては、いじめ保険、みたいなものがある。
いじめが事故のようなものと認識して、いじめによって受けた被害を
保険によって補填しようと言うもの。
これによって、いじめが発生しうるリスクであり、教育を学校に押しつけがちな
親の注意を喚起することになるし、万が一何かが起こっても
救済するために取る選択は増えることになるだろう。

だが多くの人はこの案は受け入れることは出来ないだろう。
何故なら、自分がいじめを生む人間である、と認めたくはないだろうし、
いじめが起こりうることが当然な社会に生きているとは認めないだろうから。
実際は労働災害と大差はないのだけれど。