>>103 でも、これは社会の構成員がある程度の知識があり、判断力を持つことが前提。
人間的にある程度の成長が望めない子供ではこれは望めない。
ならばどうすべきか。
子供を個人教育にして組織的ストレスのない状態に置くか、
ストレスの発露が生じない状況を作り出すか、
発生しうるリスクとして受け入れるか、のどれかだろう。
はじめの案は学校を全て個人教育にする、と言うようなもので
コスト的にまず不可能。逆に教育の不均衡が生じる。
二つめは、学校施設の管理をより厳重にしようと言うもので
大幅な人員増を行う必要があり、費用的に受け入れるか疑問。
最後の案は、いじめは起こりうる、と言う認識のもと対策することになる。
一つの案としては、いじめ保険、みたいなものがある。
いじめが事故のようなものと認識して、いじめによって受けた被害を
保険によって補填しようと言うもの。
これによって、いじめが発生しうるリスクであり、教育を学校に押しつけがちな
親の注意を喚起することになるし、万が一何かが起こっても
救済するために取る選択は増えることになるだろう。
だが多くの人はこの案は受け入れることは出来ないだろう。
何故なら、自分がいじめを生む人間である、と認めたくはないだろうし、
いじめが起こりうることが当然な社会に生きているとは認めないだろうから。
実際は労働災害と大差はないのだけれど。