>>85対処能力
弊害(いじめ云々の自己主張)に対する怒りとは「本末転倒と禹行舜趨」か?。
恐怖心からくる「偽りの正義感」それは、正当な理由と正当化の違いである。
嫌なことがあった人間はくらいつくというが、崩壊させようとする自体が矛盾している。
そういう奴を処理することはできないが、怒りを処理することはできる。
くらいくつ事は攻撃的であることを意味する。
攻撃的な奴は正面からは攻撃しない戦法でくる場合が有る。
攻撃的な人間ほどあることないことをならべたてて、いじめられる環境を構築する。
自分の手は汚さず気に入らない奴を何とかしたいというだけ幼稚であることがわかる。
弱い人間が、自分より強い人間をいじめることはできないが、そうやっていじめることは可能
だが攻撃的な人間は性格、人格などは個人差が有るが、攻撃的な性質の人間は結局騙されている。
酷い場合攻撃的な人間は自分が騙されていることと怠けたい自分のバランスがあってしまうことがある。
そういう場合攻撃的な人間は時間を重ねるだけで、何の進歩もないことがわかる。
攻撃的な人間はがつがつしていて勝手に疲れている。