結局いじめられる奴が悪い その10

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385観念は具現化する ◆lzd3O46lcA
虐めに関するよくある勘違いと正しい見方 ver.071110

其の零「虐められる側にも原因がある」
 原因追究を途中で止めた結果陥る錯誤である。数ある選択肢の中から自由意志で行為を選んでいるのは行為者自身。にも関わらず被行為者に原因を求めるのは行為者の甘え・責任転嫁でしかない
 虐めの真の原因は最終的に唯一、虐める側の慈愛心(包容力、想像力、表現力、忍耐、思いやり)の欠如に帰着する。つまり虐めの原因は100%行為者側にある
 第三者が「虐められる側にも原因が」と言う場合、殆どが「虐めの原因」と「虐め発生以前に起きた他の事柄の原因」とを混同している。実質的には当人にとって「虐めたくなる気持ちが分かる」という程度の意味である
 この理屈は、加害者への対処法に疎い無能な教師が教育責任を放棄する際の言い訳にもよく使われる

其の一「学校を何度変わっても虐められる。これは虐められる側に原因がある証拠だ」
 この場合、本当の原因は「どの学校にも多様な個性を受け入れられない未熟者がいる」である。「多数派は正しい」という誤謬を安易に盲信してはならない

其の二「虐められる側が変わったら虐めが止んだ。これは虐められる側に原因があった証拠だ」
 この場合、本当の原因は「虐める側に虐める理由・口実がなくなったこと」である。結局は行為者自身(の考え)が変わらなければ行為は止まない
 これに似た錯誤として「祈ったら病気が治った→祈ったことが治った原因」等がある。表面的な事象のみで物事の因果を短絡化するのは典型的な思考停止である

其の三「弱いから虐められる。強くなればいい」「この世は弱肉強食」
 同上で、論点のすり替えである。対処法の一つとして必ずしも間違いではないが、これによって虐めの原因が無くなる訳ではない。なお弱肉強食は生物界の一側面に過ぎず、共生など異生物間でも相互扶助している例は幾らでもある

其の四「虐めは人格に問題がある者を矯正する手段」
 人格矯正に必要なのは広く豊かな経験や知識であって、虐めでなければならない必然性はない。それどころか却って人間不信・社会憎悪を増しかねない。この場合、矯正すべきは寧ろ「虐め以外の手段を知らない」者の無知・浅はかさである(体罰を正当化したがる理屈も同じ)

続く