結局いじめられる奴が悪い その8

223少年法により名無し
一方の、積極的な、目立つ、役割を演じている対象のみを原因と呼ぶのは
問題を曖昧にし、また、その解決を歪めるものである。
何故か
一面的な理解に終始するからである。

これを社会的に力を持たぬ一般市民が日常の世間話として用いるなら
問題はさして無い。
だが、国の政治を司る者や資本家といった立場にある者が、歪められた原因論を
扱うならば、それは社会全体に多大の損害をもたらしかねないのである。

昔の農業はスキやクワを使って作物を栽培していた
それが機械の登場により農業のあり方を革命的に変化させたのである
ある政治家はこの機械の積極的な役割にひきずられ、とんでもない失敗を
犯したのである。
機械の素晴らしい働きに期待を寄せた政治家は、機械の増産に非常な力を注いだ。
みるみる内に広大な荒れ野は機械によって掘り起こされ、これで未来の作物の生産量
も増大するだろうと思われた数ヵ月後、その期待は無残にも裏切られる結果となったのである。
何故か。
農業のあり方を、一面的にしか捉えていなかった為である
たとえ機械が多大な力を発揮しようが、作物が根をはる「土」の性質を
無視してはならなかったのである。
つまり、この政治家が犯した失敗の根本的な事実というのは、
農業のあり方に於いて、生産力の向上の為に不可欠な要素、それを機械の力だけと結論付けた事である。
これは波紋の原因が石だけにあるという結論と似ている。
また、いじめの原因がいじめる側だけにあるという結論と似ている
こうした誤謬を犯す者は今一度
何を以っていじめと呼ぶのか、考え直さねばならないのである