こんな当たり前の道徳を、幼少期に親から教えてもらえなかった人間ってことかなぁ。
弱いものいじめをする人間、それに抵抗を感じないどころか楽しく感じる
人間というのは、もともと人間関係でそれが常識となっている場合が多い。
いちばん多いのが家庭内において親からの理不尽なしつけと称した体罰をうけたり、
あるいはほとんどまったく愛情を注がれなかったかなど、彼らがすでに幼少期より
被害者になっている場合。つまりもともとはいじめられる側で、暴力、虐待行為の連鎖を
起こしてるわけだ。(もちろんそうした体験者が全員がいじめに走るわけではなく、
自傷行為や薬などに向かうケースもある。いずれにしても破壊的行為で、そうした行為を
通じ親へ復讐するのは同じ。親のこと思ってれば歯止めがかかって破滅的なところまで
いかないし、大切にされてきた自分の人生を大切にしようとする)
もともと誰かを思いやったり、相手の立場になって考え行動するなどということを
自分自身がしてもらってきていないから、その常識がないし、
弱者には自分がされてきたこと以上の苦しみを与え、そのことで無意識のうちに
自分の人生に起きたことを正当化し、それよりはマシなものにしようとする。
要するに弱い奴はやられて当然だろ、これが現実だ、お前らも苦しめ、俺らだって
やられてきてんだ、こんなもんじゃないぜ、という話。
今の学校環境は閉鎖的でいじめを隠蔽するから、そうした溜め込んだ怒りを爆発させる
にはちょうど良く、簡単に見つけ出せる弱者に向けてその憎悪は思う存分発揮される。
まず、国、学校、親、地域が一体となったいじめへの徹底した取り組みをはじめ、
いじめ行為は100%悪いという常識の徹底からはじめないといけないのだが、
このあいだまで、文科省は学校ではほとんどいじめはありませんみたいな報告平気で
してたし、こんなスレが延々たってるくらいだから、解決までの道のり遠し、だね。
人間生きていれば、病気やケガ、経済的状況の急変などで、
いつ弱者になるかわからない。
誰でもなりうる弱者へのいじめを容認する発言が平気でされる社会とはつまり、
今いじめてる奴をふくめ、
誰でも容赦なくいじめの被害者になりうる社会であることを意味する。
悪気はないと思うのだが、高圧的に接したい願望が、成長しないように幼いうちから
それをたたいておかないと、そういうどうしようもない性格になる。