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  創造行為としての犯罪。この考えを最高に具現した一例がある。ただし、発生した国以外では殆ど知られていない。スウェーデンである。

  1930年代の初期、ストックホルム近くのサラと言う小さな町がちょっとした犯罪の波に見舞われた。最初の事件は、1930年11月16日に起きた。
スウヴェン・エリクソンと言う酪農業の雇われ農夫が、サラ近くの半ば凍った湖で死体で発見された。エリクソンは、その二日前、仕事から家に帰る途中で行方不明になった。
胸を打たれている。激しく抵抗したあげくのことらしい。衣服がズタズタに破れ、顔面にも傷がある。湖に投げ込まれた時点では、生きていた。
動機が盗みでない事は、明らかだ。財布には、一週間分の賃金がそっくり残っている。エリックソンの細君は、こう述べた。「夫にはこのところ少し神経症の
気味があった。お医者さんにもちょっと相談した。だけど、誰かがあの人を殺す理由があるなんて全然見当も付かない。」警察も同様だ。
犯人の見当は皆目付かない。
 それから2年間サラ地区には、3件の強盗と2件の自動車泥棒を含め、犯罪が以上に増大した。しかし、犯人が信じがたいほど慎重なのか、
あるいは、信じがたいほど運がいいのか、警察は、彼の影さえもつかめない。  
  
139:2007/10/01(月) 10:50:19 0


1933年9月15日、サラの中心部近くのある家に消防隊が駆けつけた。アクセル・キェベルグと言う人の自宅だ。鉱山会社のオーナ―である。かけつけた時には、
火の勢いが強く、救出は、とても無理だった。黒焦げの二つの死体が回収された。キェルベルグ夫妻である。いずれも、頭を打たれている。
強盗らしい。キェルベルグは、前日に高山用の賃金を自宅に運んで金庫に保管していた。明らかに、一人あるいは、複数の侵入者は、彼に、
その金庫を開かせた。焼け跡から開いた金庫が発見された。
 翌年も数件の強盗が発生したが、大事件と言うほどのものではなかった。市民は、自警団を組織し夜間のパトロールを行なった。
1934年10月12日、ティルダ・プロムクイスト婦人の家から日が出た。自警団は、大声で家事を知らせた。その結果婦人の運転手夫妻が家から脱出した。
今回は、火の勢いはそれほどでもなかった。家の中に入る事が出来た。プロムクイスト婦人はベッドルームで死体で発見された。しかし、
乱暴の痕跡は一切無い。検死でも死因はハッキリしない。煙は吸っていない。したがって、火が出る前に窒息死した可能性も考えられた。
この場合も動機は盗みらしい。プロムクイスト婦人は、60才の金持ちの未亡人で、現金と宝石類が消えていた。周囲の人の話によると、
彼女は、健康が優れず、もっぱら、心霊現象やヨガに凝っていたらしい。
この事件でも警察はのっぺらぼうの壁に直面するのみだった。

140:2007/10/01(月) 15:43:42 0

しかし、1936年6月19日、警察にも少し運が向いてくる。エロン・ベターソンという石切場の職工がサラの郊外で射殺された。一週間分の賃金を
ポケットに入れて自転車で石切場へ戻る途中だった。今度は目撃者が居た。その前をペターソンが通り過ぎた。その直後、彼は、銃声を耳にした。
道路に出た彼は、二人の男がペターソンを溝の方へ引きずるのを見た。2人は、黒のアメリカ車に乗ると走り去った。年輩の男性は車のナンバ―を書きとめた。
数時間後、ペターソンは、意識を回復しないまま息を引き取った。胸と腹に銃弾を受けていた。車のナンバ―は対して参考にならないことがやがて判明した。
その車のナンバ―は、アメリカ車でなく、しかもその火は自動車修理工場に一日中入っていたとのことだ。オーナ―には絶対のアリバイがある。
しかし、非常に良く似たナンバ―のアメリカ製セダンが別の町で最近盗まれたことが分かった。ライセンス・プレートを変装した可能性もある。
警察は、陽動作戦に出た。報道関係にこうもらした。「ライセンス・プレートをこれこれのナンバ―に変装した黒のシボレ―車を追跡している。
あらゆるガレージを捜索する予定だ。」翌日、問題の車がサラ近くの道端に乗り捨ての形で発見された。ライセンス・プレートが巧妙に変造されている。
明らかに職人仕事だ。それは、この男がプロの犯罪者でないことを物語っている。年季を欠けて専門の金属職人になるような犯罪者は考えにくい。
警察は、あらゆる自動車修理工場と金属加工場を時間をかけてしらみつぶしに洗った。その結果、ついに、本ボシにたどりついた
。一人の若い職人がプレートを変造したのは自分だと認めた。彼は、警察の調べで次ぎのようにしゃべった。
「あの時、自分は、エリック・ヘッドストロームさんと言う自動車修理工場の経営者に頼まれて仕事をした。この人は、
近くのケービンと言う近くの町で事業をしている。プレートの変造は、ほんの二日ほど仕事をしたに過ぎない。
別に疑問も感じなかった。しかし、その直後、ヘッドストロームさんは、銀行のメッセンジャ―から金を貸し取る仕事に力を貸さないかと言って来た。
自分は、ちょっと考えさせてほしいといった。翌日、電話で他の仕事が見つかったのでと言った。」

141:2007/10/01(月) 15:48:00 0
ヘッドイストロームは、とても評判のいいハンサムな青年だった。自宅に来た刑事に対し一切を否定した。しかし、刑事が辞去すると、彼は、
すぐに電話に飛びついてストックホルムの交換手に告げた。警察にぬかりはない。全て読み筋だ。それは、シグワルト・テュルネマンと言う
精神科の専門医の番号だった。最初の事件――スヴェン・エリクソン殺しー―を担当したサラ地区の刑事は思い出した。エリクソンは殺される
直前に神経症で医者の診察を受けている。エリクソンの細君に連絡した。その医者の名は、シグワルトテッルネマンと判明した。
 翌日、ストックホルムの刑事が、テュルネマン医師を訪問した。ノイローゼと犯罪に関する定例の調査という触れ込みである。テュルネマンは小柄な男だった。
顔色が青白い。唇は薄く、口許をきっと引き締めている。顎は後退している。髪の毛も後退しているので顎がやけに大きく見える。
年齢は、20代の終わりと言う事だ。刑事が患者のファイルを拝見したいとかなりしぶったあげくテュルネマンは同意した。ただし、すぐ横で監視する態度だ。
それでも刑事は、スヴェン・エリクソンとブロムクイスト夫人がこの医師の患者であった事を確認した。

警察では、ヘッドストロームを尋問の為に呼び出した。その間に彼の自宅の操作が行なわれた。彼は、テュルネマンはほんの少ししか知らないと主張した。
学校で同級で、ときたま診察に行くだけの事だ。しかし、尋問中に捜索班から電話が入った。工場で銃を発見したと言う。
しかも、エリクソンを射殺した銃と口径が一致する。ヘッドストロームは突然自供をはじめた。それによると次のような事らしい。
142:2007/10/01(月) 15:52:09 0

テュルネマンが全ての事件の中心人物である。二人は、ウプラサ大学で知り合った。二人とも催眠術に関心を持っていた。
テュルネマンは、神秘学と人知学と哲学が専攻で、人を引きずり込むタイプの支配力を備えた学生だった。これは、
1920年中頃の話である。テュルネマンは犯罪にも深い関心を抱いていた。彼が好む暇つぶしの一つは、「完全犯罪」を考案する事だった。
ヘッドストロームもこのゲームに仲間入りした。1929年、テュルネマンは、ヘッドストロームにこうもちかけた。想像の中で完璧に構成した犯罪の一つを、
そろそろ実地してみようじゃないか。エリクソンが働いている酪農場で盗みをやる事になった。エリクソンはテュルネマンの患者である。
テュルネマンは彼に催眠療法を試みている。エリクソンは盗みを内側から手引きすることに同意した。
しかし、土壇場で心変わりした。テュルネマンは心配になった。エリクソンの奴警察に言うかもしれない。
少なくとも細君には言いそうだ。こうしてヘッドストロームと他の二人が、エリクソン殺害を命ぜられた。
それ以降、テュルネマンは、綿密に練り上げられた犯罪の実行を彼等に命令し続けた。
アクセル・キェルベルグ家の強盗・殺害では、テュルネマンは自ら参加した。テユルネマンはまず警察の
征服を劇場の衣装係りに作らせた。彼とヘッドストロームはこれを着用した。
深夜の訪問で犠牲者にドアを開けさせるにはこれしかない。キェルベルグ夫妻は冷酷に殺害された。
家は放火された。
 プロムクィスト婦人は、催眠療法の時に、宝石類を保管してある場所をテュルネマンに口走った。
彼女が目標に選ばれた理由である。プロムクィスト夫人殺しは、一味としては最高傑作だった。
彼女のベッドルームの壁に孔をうがった(北欧では多くの家が木造)。
そこに自動車の排気管に接続したゴムホースを通し、睡眠中の彼女をガスで窒息死させた。
それから、宝石類を奪い家に火をつけた。

ヘッドストロームの著名がある自供書をつきつけられ、テュルネマンも観念した。全てを自供した。獄中で自伝を書いた。彼は、子供の頃、
体格が貧弱で虚弱だった。それで、劣等感のとりこになった。神秘主義とオカルトに魅入られた孤独な少年時代を送った。
1921年23才の時、同級生を相手に催眠術と思考伝達(テレパシ―)の実験を始めた。16才の時にはヨガに熟達した奇怪なデンマーク人に会った。
1929年には、彼の話によると、コペンハーゲンに行ってこのデンマーク人が主催するオカルトのグループに入会した。ストックホルムに戻ると、
自分でも魔術のサークルを主宰した。様々な分野の人間を集め、自分への服従と秘密の厳守を誓わせた。
 秘密グループの首領の地位で、彼は、権力の美味を味わったらしい。催眠術を用いてまだ幼い女の子をかどかわした。彼の自供によれば、
白人奴隷商を通じてこの子達を処分した催眠術をかけられ「オカルトの訓練」(いささか意味が曖昧だが)を受けたメンバ―もいる。テュルネマンは、
セックスでは、男女の両方を相手にした。メンバ―の一人の青年を愛人兼親友として熱愛した。この親友が金銭の事でしくじった。テュルネマンは、
彼が二人の関係をばらすことを恐れた。1930年当時のスウェーデンでは、男色行為は、刑事事件を構成する。再び自供によれば、テュルネマンは、
一週間にわたってこの青年に催眠をかけ、最後には自殺させた。1934年には、別のメンバ―を催眠術にかけ、致死量の毒物を駐車した。

 テュルネマンの目的は、大金持ちになって南米へ移住する事だった。サラでの2件の殺人――アクセル・キュルベルグ・プロムクィスト――は、
彼にかなりの多額の金銭をもたらした。しかし、計画の「大仕事」は、ストックホルム中央郵便局と同じ建物に入っている
銀行からがっぽり頂く事だった。一味は、そのための大量ダイナマイト――36キロ――もすでに盗んで用意していた。
計画では、中央郵便局をこの大量ダイナマイトで爆破し、どさくさにまぎれて銀行から大金を奪取することだった。
テュルネマンは、麻薬の密輸にも関係していた。1936年7月、エリクソンとパターソンの殺害に加わったヘッドストロームと他の3人のメンバ―と共に、
テュルネマンは裁判にかけられた。5人は、いずれも終身刑を宣告された。しかし、刑期が6ヶ月を経過した時点で
テュルネマンは疑う余地の無い狂気に陥り、受刑者専用の精神病院へ移された。
144、138-143は自己実現の犯罪:2007/10/01(月) 16:22:49 0

テュルネマンのケースは、『自尊心をバネとする』殺人者の心理の深奥に強力な光を投げかける。自分のファミリ―に対する支配力は完璧だった。
男達は、彼を当然の首領として受け入れた。女達は、彼に屈服し、結局は、売春に身を落とした。彼の人生は、
妄想のような利己的で客観性を省いた非現実的な権力を、望み通り押し通し実現した、人生だった。彼は、人間の感情を全て無視した。
親友でも危険な存在になると、催眠術で自殺を誘導した。一味のメンバ―の忠誠心に疑問が生じると、病んだ犬のように、
注射で処分された。犯行の途中で、目撃者を発見した場合、必ずこれを消した。後で、ばれる事を未然に防止する為である。
テュルネマンは「英雄」への道、自らが独自であると言う感覚への道をすでに見出していた。28才で自分が「至高な価値」
であると言う感覚を既に我が物にしていた。彼は、後のチャールズ・マンソンやイアン・ブレディがあこがれるタイプの犯罪者だった。
(ヘッドストロームがただ一回だけこのルールを守りそこなった。これが一味の逮捕に繋がる。テュルネマンはこの事実に臍を噛んだに違いない。)

  ところで、一体何故、と誰でも問いたくなる。それほど傑出した人物が何故犯罪を選んだのか?何か、深い憤り、
少年時代に遡る屈辱感のようなもの、それが役割を演じた。《自尊心をバネとする自己実現の方向の犯罪への決定を促した。》
恐らくその通りだ。しかし、もう一つの理由も筆者には垣間見える。自らが独自であると言う感覚を達成する手段として、
犯罪は成功を《犯罪の範囲で》「保証」してくれる。テュルネマンは医学の分野で「トップの地位」を目指したかもしれない。
オカルト哲学でグル・導師として立ちたかったかもしれない。文学に自己表現の道を定めたかったかもしれない。しかし、
何れの道も志が達成されるとは限らない。むしろ失敗の可能性の方が大きい。いずれにせよ、多大のエネルギ―と時間が要求される。
学問上の瞠目すべき理論を世に発表したり、大いに売れる小説を書くよりは、あっと驚く犯罪をやってのける方がずっと簡単だ。
145、138-143は自己実現の犯罪:2007/10/01(月) 16:27:53 0

「大物犯罪者」がかなり低いコストで独自感を我が物にできる理由はここにある。社会は、彼の独自感を認めようとしない。
社会は、彼を他の全ての人間と同様に訓練しようとする。そう言う考え方が社会全般にいきわたっている。
その社会に強烈なしっぺがえしで報いる為、彼は、新聞の一面にでかでかと載る犯罪をやってのける。彼は、こう社会に思い知らせる。
「社会の無名の大衆の中にだって、恐怖と尊敬に値する人間はいるんだぜ,,。」


しかし、逮捕されない限り、彼は、いつまでも同じフラストレーションと無名感にうちひしがれる。
「大物犯罪者」の多くが逮捕に一種の喜びを見出す理由はここにある。これで、自分は少なくとも無名では無くなる。
テュルネマンはこう核心していた。「自分は、自由意思で行為している。自分の「独自性」を発揮している」。だが彼は、
社会に知られるとは、限らない。知られるとしても、逮捕と引き換えだ。彼は、極めて小さなサークルの賛美で満足しなければならない。
レオポルドとレーブのケース、あるいは、ブレディとヒンドレ―のケースのように、たった一人と言う事だってある。
一方、言うまでも無いが、どんな「大物犯罪者」にも困難な決断の時がいつかおとずれた時に社会がそれを犯罪のパターンの一部と見る事は、
彼が、自由でも独自でもなかったことを意味する。一体、どちらが真実なのか?この問題は、バーナード・ショーも
「(創造にはなにがしかの精神的努力が含まれる。破壊には精神的努力が含まれないと言う意味で)人は、芸術家をその最高で判断し、
犯罪者については、その最低で判断する。」と言う例えのパラドックスで指摘するように、シェイクスピアやベートーベンもそれぞれの歴史パターンの一部と
見なし得るという命題において、おのずから解消する。
 怜悧なテュルネマンはこのパラドックスによって不条理な食い違いに気付いたはずだ。これが「大物犯罪者」に避けられない痛烈なアイロニ―である。
自分を最初に犯罪に駆りたてたフラストレーションと社会での無名感。テュルネマンは自供を文書にしただけではない。これを種に自伝を書いた。
自らの犯罪の細部を自慢げに描写した。しかし、彼を狂気へ追いやったのも、このパラドックスが彼に彼の犯罪が不条理な食い違いであることに
気付くように現状の現実が迫ってきたからに違いないからである。